はてなキーワード: スーパーマーケットとは
思い出を語ってみる。俺はしがない社会人だけど、できるだけ面白くなるよう心掛ける。
あれは確か、2021年秋だった思う。当時も今も、うちの家の近所に老舗のスーパーマーケットがあってさ、朝早くに行ったら居酒屋だと刺し盛り2,000円だろ!! ってレベルの新鮮な刺身パックが売ってた。
それが楽しみで、週に二度通ってた。たまに、生マグロとかウナギの解体ショーもやってたけど、コロナ禍のせいで中止になってしまった。今でも再開されてない。
さて、ある秋の日の午前だった。いつものように刺身パックを買って、あと昼酌のためにビールも買って、そのスーパーマーケットのレジに並んだ。そしたら、いつもいる小柄な大学生ほどの女の子がレジを打ってたんだが……。
「あっ!!」
ここまできたら、恥ずかしいけど言うしかない。当時はそう思ったはずだ。
「〇△さん、髪切りました!?」
そんなことを言った。善意でも悪意でもなかった。思ったことを口にしただけだ。
するとさ、その女の子がさ、
「はい…切りました…」
って、悄らしい感じで答えるのだ。まごまごしてた。
その子に刺身パックとアサヒの缶ビールを手渡して、当時は有料化されたばかりのレジ袋も渡して、お会計で千数百円を出した。
すると、その子が小銭をレジに入れる前に、チャリーンと落とした。すぐに拾い上げた。慌てていたんだろうか、お釣りは受け皿に置いたけど、割り箸もレシートもくれなかった。
袋詰めコーナーで刺身をレジ袋に入れて、レシートをゴミ箱に捨てた後で○△さんの方を見ると、片手を後ろに組みながら、左足?のつま先で床を掘り返すような仕草をしてた。この場面は記憶に残ってる。
正直、気持ちが悪かったと思う。相手にとっても。俺にとっても。俺、そんなに若くもないのに……当時は31だったけど、やはり若くはないと感じる。でも、その時から俺はなんか、変わった気がした。
それから、チャンスがある時はその女性店員S子さんと雑談をした。俺のほかにおじさんやおばさんがレジ店員と会話してるのを聞いて、天気の話とか、メイクが変わったこととか、相手をちょっと褒めるのとかした。
S子さんが喜んでくれるのが嬉しかった。うざそうにしてたらすぐにやめたけど。
ひとつは、その年の冬だった。レジコーナーに行くと、レジ打ちの人の中に、背が高い20代前半ほどの女性と、もう一人レジ係がいた(2人組)。俺がレジに入ろうとすると、背が高い方のT子さんが、両手で無言でブロックサインを作った。
前を見ると、そのレジは止まってた。客と店員の話を聞くに、カード割引の電子決済トラブルがあったようだ。T子さんじゃない方の子がマイクスペースに行って店内コールをするんだけど、これは……「聞こえてないな」と思った。
チラッとT子さんを見た。不安そうな顔で立ってたよ。それで、俺は彼女に声をかけたのだ。「今の聞こえてないよ。あなたが社員さん呼んできたら」と言った。すると、T子さんは走り出して精肉コーナーの方に向かった。
社員さんがT子さんと一緒にやって来て、レジを操作して事なきを得た。夕方~夜だったはずだ。3割引の刺身を買っていた気がする。
次の来店時から、T子さんのレジに並ぶと会話が弾むようになった。ピアスとか、イヤリングとか、シルバーリングとか、いろいろ付けてる子だった。アクセサリーの話もしたし、進路のことも話したかな。
ある日の夜だった。半額ハンターとしての役目を終えてレジコーナーに向かうと、そのT子さんのレジの隣に、先ほどの背が低い子(S子さん)がいた。俺は何も考えずにT子さんのレジに並んだ。
そしたらさ、それを見たS子さんがどっかに走って行くんだよ。サービスカウンターっていうのか、お歳暮や地元の土産物が置いてあるコーナーだった。
S子さんに悪いことをした。罪悪感が込み上げてきた。確かに、S子さんとはたまにしゃべってた。会計の時、「こんばんは」「雨が多いですね」とか一言二言くらい。
でも、当時の俺にはそういうのが非常識だとわからなかった。今思えば恥ずかしい。穴があったら入りたいよ。
T子さんとは、それから偶然スーパーの駐輪場で一緒になって、そしたら話が弾んで、電話番号を交換して、一緒にご飯に行った。それから何度も、いろんな場所に連れて行ってあげた。いい子だった。
付き合ったのは半年だったけど、いい思い出だった。先日、バッタリと会う機会があった。おいしい物を奢ってあげた。
残りひとつはコンビニだ。あの当時、近所のコンビニでも女性店員と話をしていた。どっかの遊戯王のキャラクターの台詞じゃないけど、「お前、キモイだろ!!」みたいな感じだった。
当時はまだ、T子さんとの付き合いに発展する気配はなかった。というか恋愛に興味がなかった。でも、コンビニの店員に声をかけてみたいと思っていた。愚かだった。
そのコンビニには、姉妹同士と思しき店員が働いてた。一緒にシフトに入っていることが多かった。そのコンビニは、時間が経った店内調理品を値下げするタイプだった。俺がさ、仕事帰りに唐揚げとかカレーパンをまじまじと見てると、姉の方は目の前で割引シールを貼ってくれた。控えめに見て神だった。妹さんは接客がしっかりしてて、とても高校生には見えなかった。
その姉妹とか、ほかの店員さんとも会計の時に話をしてた。十秒以内だけど。天気の話とか、好きなホットスナックとか、見た目が変わったこととか、他愛のない話ばかりだ。
師走の頃だったか。いつものようにコンビニに入ってヤングジャンプを読んでたら、なんとお廻りさんに呼び止められた。「ちょっと来てください」と言われて、パトカーに乗せられた。コンビニの駐車場に1台だけパトカーが停まってるのって、なかなかシュールだったよ。
・ほんとに変なことしてないよね?
それで、パトカーの中で詰問が続いた。俺が犯罪をやってるみたいな決めつけだった。正直ムカついた。だが、相手はお上だ。忍耐しか勝たん。唯一の道だ。
お巡りさん(ポリツァイ・若)に、「あ…そうだ。身分証見せて」と言われた。俺は免許証と一緒に、名刺入れの中から地元町内会(子ども会の役員)の名刺を出した。
「会社の名刺はある?」とお巡りさん(ポリツァイ・老)に聞かれたけど、「土木作業員なんで持ってないです。この見た目でわかるでしょう」と答えた。本当は地元区役所勤め(※時々作業着を着用する事務吏員)だったから名刺を持ってたけど、見せたくなかった。
だって、こいつらは俺のことを犯罪者扱いしてる。それこそ小学生の頃から地元一筋で生きてきたのに。横浜の田舎だけど此処が本当に好きで、ずっと地道に活動してきた。子どもながらに地元のイベントの手伝いを何度もした。大したレベルじゃないけど地元に貢献してきた。
だから、高三の時に区役所の試験を受ける時だって、祖父や実父が顔を利かせてくれたし、学校の先生や、剣道部の監督やコーチだって、学校単位で推薦状を書いてくれた。「できることはやった。試験がんばれ」って応援してくれた。
(以下追記)
※誤解があったらよくないので弁明する。地元のために活動してる人が公務員試験で有利になるのはありうる。ルールに書いてないだけで。実際、俺以外の採用者を見る限り、地元枠というのが明らかにある。ルールに定めはないけど、故郷を想う人を優先するのが地方公務員試験のあるべき姿だと思う。国の機関だったら、外務省は非公式ながら縁故採用してるじゃん。国にとって大事な家柄や血筋の人を採用してる。それくらい、社会では『つながり』というのが重要視される。
まあ、警察官に疑われたのはいいよ。実際、俺は悪かった。だけども……お巡りさんは通報を受けたので仕方ないにしても、問題はあのコンビニの店長だ。一応、顔は知ってるけどさ。
同じ組内(くみうち)なのに、あの人は町内の溝上げにすら参加しない。お前がひい爺さんの代から経営してる商店(コンビニ)の前の水路、俺らがさらってるんやぞ?? と、急に怒りが込み上げてきた。
子ども会の行事での弁当発注とか、イベントが終わった後の飲み会で地元店を順繰りに利用してるのを思い出すと、さらに腹が立ってきた。
そんなこんなで、職務質問は15分ほどで終わった。あの時、子ども会の名刺を見せた途端、警察官二名の対応が一気に緩くなったのだ。以降は和やかムードになった。
その一人(ポリツァイ・老)は、俺の祖父を知ってるみたいだった。「あー、連合会長さんのお孫さんなんですね」って感じだった。「今は故人です。お世話になりました」と言っておいた。
漸くパトカーから解放されて、警察官に連れられてコンビニの中に入ると店長さんがいた。それで、出入り禁止を告げられた。
「……そういうことなので。今後のご利用はなしでお願いします」
「わかりました。そうします。すいませんでした。ただね、店長さん。そう思ってたんなら、話をしてもらいたかった。いきなり行政ではなくてね、同じ町内なんだから。店員さんに話しかけるのが迷惑なら、まずは言ってほしかった」
「はい……では、すいませんが。今後はご利用はなしということで。お願いしますね」
「わかりました。もう利用しません」
言うまでもないが、子ども会関係の発注リストからあのコンビニを無くした。町内会の寄り合いでも情報を共有した。利用客とトラブル解決の話し合いをせずに警察に通報する店があったことを。俺はあの時、嫌な気分になったし、地元民同士で腹を割って話し合えないような者と付き合いたくない。
子どもの頃を思い出した。昔、俺の爺さんの世代なんかは、何かあるごとに皆で公会堂に集まって、午前中に話し合いが始まって、昼になろうと、日が暮れようと、夜になろうと、ずっとやってた。話すことがなくなった人から家に帰っていくスタイルだ。夜を跨いだ場合、太陽が昇った直後だと討論組と雑魚寝組に分かれていた。
あの人達は、とにかくずっと腹を割って議論し続けていた。そういう農民のDNAが身体に刻まれていた。それが、この組内(くみうち)のしきたりだ。百姓の世界の決まりを押し付けるみたいで悪いが、腹を割って話し合いができない奴とは仲良くしたくない。
でも、俺が悪いのは間違いないと思う。だって、俺があの姉妹店員に話しかけなければ、こんなことになってない。悪いことをした。申し訳ない。もし祖父が生きてたとしたら、俺はすごく怒られていただろう。「他人に迷惑をかけたらいかん」って、絶対に怒られてる。俺が悪かった。反省してる。
今はこんなことはしてない。大人しく買い物してる。あのスーパーは、今でも週に何度か利用する。買う物はずっと一緒だ。新鮮な刺身と、アサヒビールor焼酎を少々。あとは半額総菜。黒烏龍茶のインスタントパック。冷凍食品。そんくらいしか買う物がない。実家暮らしだからな。
結局、子ども会関係のコンビニへの発注分は、こっちのスーパーに移ることになった。大資本がやってるスーパーマーケットではあるが、地元に税金を払ってるならいい。
いつまで経っても同じ生活を繰り返すのだと思う。今週もいつもどおり、あのスーパーマーケットで何度か買い物をする。それで、日曜日には水路の清掃とか、子ども会の伝統行事とか、ほかの地区と合同で〇△フェスティバルをやったりする(小中学校の校庭でやるお祭りetc...)。
あとは、そうだ。いつか必ず、子ども会の行事として劇団四季のミュージカルツアーを企画してみたい。今思ってるのはそれくらいかな。
こんなことをして一生が過ぎていくんだろうな。そして地元で死ぬのだ。できれば祖父みたいに、実家で死にたいな。朝起きたら死んでいるのがいい。
話は散らかったが、懺悔を聞いてくれてありがとう。すっきりした。増田の皆さんがよい週末を過ごせるように祈ってる。
追伸
地方の高島屋に行ってみたら中身は完全にイオン的な何かだった。
2F ポールスミス、コーチ他(百貨店らしいのここだけ。駅からペデストリアンデッキで直通なので実質1F)
3F フロアの半分がガチャガチャでもう半分がUFOキャッチャー(すんごい数ある。てか先週オープンしたばっか)
4F・5F 全部ニトリ
6F ほぼ全部ジャンク堂(すごい広い)
9F レストラン街
久しぶりに立川の高島屋に行ってみたら中身は完全にイオン的な何かだった。(立川駅北口から少し歩いたところにある)
2F ポールスミス、コーチ他(百貨店らしいのここだけ。駅からペデストリアンデッキで直通なので実質1F)
3F フロアの半分がガチャガチャでもう半分がUFOキャッチャー(すんごい数ある。てか先週オープンしたばっか)
4F・5F 全部ニトリ
6F ほぼ全部ジャンク堂(すごい広い)
9F レストラン街
https://www.takashimaya.co.jp/tachikawa/floor_map?floor=2
これを書くために調べたら、高島屋じゃなくて高島屋S.C.らしい。百貨店じゃなくてショッピングセンターでした。
知ってた?
立川にはもっと北の方に行くとIKEAがあって、さらにモノレールで行くとららぽーともあるので、ファミリー層にはかなり良いです。
こんにちは、私はおんな1人暮らしのブロガーです。今回は、スイスの田舎に3ヶ月間の移住体験をしたことをお話ししたいと思います。スイスの田舎と聞いて、どんなイメージが浮かびますか?美しい自然、豊かな文化、高品質なチーズやチョコレートなどでしょうか。私もそんな理想を抱いて、スイスの田舎に移住してみました。しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。スイスの田舎暮らしの理想と現実について、私の体験をもとにお伝えします。 <h3>o- *</h3>
農場のオーナーと会話をすることができるようになりました。私はスイスの文化にも触れることができました。農場のオーナーは私を近くの村の祭りや市場に連れて行ってくれました。私はそこで、スイスの伝統的な音楽やダンスや衣装を見たり、スイスの特産品や料理を食べたりしました。私はスイスの田舎の人々の暖かさや豊かさを感じました。私はスイスの田舎に魅了されました。
しかし、スイスの田舎暮らしには、理想とは違う現実もありました。それは、
スイスは世界で最も物価の高い国の一つです。私は農場で食事と宿泊を無料で提供してもらっていましたが、それ以外のものは自分で買わなければなりませんでした。私は農場の近くにある小さなスーパーマーケットに行ってみましたが、そこでの値段に驚きました。日本で買うのと比べて、野菜や果物や肉やパンなどの食品は2倍から3倍、飲料やお菓子や日用品などは3倍から4倍も高かったです。私は日本円で換算すると、1リットルの牛乳が500円、1個のりんごが300円、1本の歯ブラシが1000円もするということに呆然としました。私はスイスの物価に慣れることができませんでした。私は農場で働いていたので、お金を稼ぐことができませんでした。私は日本から持ってきた貯金を使って生活するしかありませんでした。私は貯金が減るのを見て、不安になりました。私はスイスの物価に圧倒されました。
は、スイスの田舎の孤独さです。私は農場のオーナーと仲良くなりましたが、彼らは私よりもずっと年上でした。私は彼らと同じ趣味や話題がなかったです。私は農場の近くにある村に行ってみましたが、そこには私と同じ年代の人はほとんどいませんでした。村の人々は私に親切でしたが、彼らは私とは違う生活をしていました。私は村の人々と打ち解けることができませんでした。私はスイスの田舎に友達がいませんでした。
を取ろうとしましたが、時差のせいでなかなかうまくいきませんでした。私は日本のニュースやテレビや音楽などにもついていけませんでした。私は日本とのつながりを失っていくのを感じました。
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
良い月? そんなものこの世にはない
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
先週、32才になった。思うところがあって、過去の恋愛的なことを振り返ってみたい。
数年前だったか。はてな匿名ダイアリーが『弱者男性』の話題で盛り上がることがあっただろ。その時に気になってた。
それで、恋愛に興味がなかったあの頃と、恋愛をしてみた体験を綴ろうと思ったのだ。
今は一応、結婚したいと思える人ができた。けど、昔は紛れもなく弱者男性だった。
その頃のことを語りたい。最初に言っておくけど、失敗談だ。読んでる人が退屈にならないよう心がける。
(本文開始)
28才あたりまでは、まごうことなき弱者男性だった。恋愛的な意味での。一応、消防設備会社の正社員として働いていた。電気工事士とかの。安月給だが、生活できるだけの金は稼げる。月に一度は焼肉だって行ける。夜の店には行けないけど。
ただ、恋愛に興味がなかった。全くといっていいほど。子供の頃から……。童貞としての真正性を有していた。
女性と話すことはできた。挨拶でも雑談でも仕事でも、知らない人に話しかけることはできる。地蔵男子みたいなやつじゃなかった。
・女性から声をかけてもらえるのを待っている(悪い結果になるのが怖いから)
・プライドが高い。食事の誘いを断られただけで全存在を否定された気分になる
大体こんなものか。今思えば、一番目には当てはまっていたかもしれない。女性を食事に誘うと、相手が嫌な気分になるんじゃないかと思って誘うことができない。「傷つくのが嫌だ」という思いもおそらくあった。
当時の仕事内容は、消防設備そのものの点検だった。年収は350万程度。
内容はといえば、工場や文化ホールや体育館の奥まった所にある消防機器の配電盤を開けて、自動火災報知機がちゃんと鳴るかとか、誘導灯が切れてないかとか、消防計画がちゃんとしてるかとか、消火器が期限切れになってないかとか、何十項目かのチェックを重ねていって、クライアントに点検結果報告書を渡して、それが最終的に地区の消防組合に渡る。
あなたも見たことがあるかもしれない。作業服を着た人がオフィスの廊下を歩いていて、自撮り棒をもっと長くしたようなやつ(熱源付き)を持ってる。それを天井にある火災報知器に当てると、ジリリ!という音がして、火災報知器が正常に作動してることがわかる。
今思えば、情けない社会人だった。官公庁メインの案件を担当していて、防火対象物の点検結果報告書を役所に持って行った時に、よく若手公務員に小言を言われた。「日付は空欄って言ったでしょ?」「判定不備の一覧表作ってくれますか」「修繕の見積りが予算オーバーしてるんですけど何とかなりませんか」など、言われたい放題だった。
29になる年だった。女性社員が事務員として入ってきた。地元出身で、大学を出たばかりらしい。うちの会社は関東の田舎にある中小企業だった。大卒女子は珍しい存在である(N子とする)。
当時はすでにコロナ禍だった。N子はマスクを付けていても瞳が印象的だった。丸っこい感じだけど、視線が鋭い。茶色い瞳孔で突き刺してくるんだよな。でも、やっぱりまあるい感じの眼で、ギャップがある。
話をしてるとクールな印象だ。背筋が伸びている。冷たい香りは漂ってなくて、心の奥から人の善さがにじみ出てる。面と向かって話していると、ほんのりと気高く甘い、葉巻のケースの杉の香りのような雰囲気を感じる。そんな立ち姿だった。
笑った顔も素敵だ。マスク越しだから当然笑顔なんて見えないんだが、それでもワクワクした顔をしてるんだなっていうのが伝わってくる。
性格は言うまでもない。いい子だった。正直者で、嘘をつかない。いや、ひとつ嘘があったか。今ではもういい。
俺がやってる仕事の事務的内容(消防点検結果のチェック、工事の見積・請求関係、消防提出用報告書類の編綴とか)を手伝ってくれていたのだが、人柄がいい子だなってやっぱり思っていた。
「好き」だという感情は、この時はなかった。プラスの感情があっただけだった。心臓がどきどきするなんてことはない。廊下ですれ違う時に挨拶したり、「髪切ったね」→「前髪切ったんですよ」→「似合ってるね」→「ありがとうございます」といった何気ないやり取りとか、N子がこっそり休日出勤してた時(※無給)に事務所で暑そうにしてたのでエアコンを付けたりとか、そんな程度だった。
あの子を食事に誘いたくないなという思いと、やっぱり誘いたいという思いがぶつかっていた。それで、その年の夏だった。労働組合が一応あるんだが、新入社員を対象にバーベキューを催すことが決まった。自分は当時、組合で青年部長的な役をしていた。それで段取り役の1人になり、どういう風にバーベキューをするか思案していたところ、会社から車で35分ほどの長閑なエリアにある食肉卸を見つけた。ガレージの提供サービスがあり、何千円か払ったら焼肉用の食材を用意してくれるらしい。会社の近くのスーパーで売ってる肉より何割か安い。低予算でも皆がたくさん食べられて、よさそうだと感じた。
ひとつ問題があった。夏場にバーベキューとか、果たしてみんな来るのだろうか。特に女性。どう考えても臭くなる。そこは、もう1人の段取り役の男性が何とかしてくれた。自分の2つ年下で、女性と難なく会話ができるタイプのモテ男だ。息を吐くように女と自然な会話ができる。見た目もいい。スラっとしていてモデルみたいだ。
そいつ(T君としよう)が、ネットワークを使って新入社員だけでなく、ほかの世代の女子も集めてくれたのだ。彼は俺と違う部署だった。企画部だ。経営陣に近いところで仕事をしている。
実際の参加者…
新人5人、年次が5年目までの女性3人、組合幹部若干名、手伝い2人(〃)
という構成になった。3人増えているが、予算はまだ余裕があった。食肉卸を選んでよかった。1人あたりの料金が安すぎて量が心配だったが、当日は全員がんばっても食べきれないほどの肉・野菜・おにぎりを提供してくれた。炭火セットまで付いていた。
もし、スーパーマーケットで全部用意していたとしたら、1人頭で5000円以上はかかっただろう。
ガレージ内の簡易テーブルに座ってわいわいと歓談したり、肉を焼いたりしていたのだが、開始1時間ほど経った頃だった。労働組合の執行委員長が「みんなで自己紹介をしましょう。ここにいる全員で」と提案し、1人ずつガレージの端に立って自己紹介タイムが始まった。
自分の出番は後の方だった。執行委員長が「増田君~!」と名前を呼ぶと、緊張しつつも出て行って、1分くらいかけて自己紹介をした(個人情報なのでほとんど略。剣道やってたことと読書が趣味)。
それが終わって、炭取用のトングで熱した炭火を耕していると、N子がこちらのスペースに寄ってきてた。さっきまでは真ん中にあるテーブルで、ビールを飲みながらガールズトークしてた。
またとない機会だった。N子に話しかけてみようと思った。女子大生が着てそうな、上下ひと揃いで1万円以内な感じの装いだった。灰のロングスカートと、年季の入った青いチュニックを着てた(後に知ったが両方ブランドものだった)。マスクを付けていない姿は予想どおりだった。笑顔が素敵な子だった。
「お疲れ様です」
「元気ですか?」
「元気です!」
「肉おいしいね」
「もう食べられないです」
「御冗談を……」
「冗談じゃないです」
「もうなくなりましたよ」
「そっか。残念」
「(無理って言ったじゃん)え、取ってくれるの」
「はい」
・・・・・・
「N子さんは肉が好き? 野菜が好き?」
「どっちも好きです」
「区内だと、どのお店によく行く?」
「えーと」(※お好み焼き店と和風居酒屋とサイゼリヤを挙げた)
「N子さんはけっこう食べる人かな」
「よかったら今度、ご飯食べてみたい?」
「えっ、やったっ。連れて行ってくれるんですか?」(「ヤタッ」という発音だった)
「いいよ」
「ありがとうございます!」
それで、初秋に一緒にサイゼリヤに行って、その次の週は洋風の居酒屋に行った。その次は、一緒に紅葉のライトアップを見に行ったっけ。
その帰り際だった。自分は自家用車を持ってなくて、N子が乗ろうとしてる車の前で見送りをしてる時だった。よさそうな雰囲気になって、N子の肩に軽く手を回して、それで両腕で抱きしめた。N子がふふっと笑う声と、息遣いが首元に届いて……抱きしめ返してくれた。
俺は「愛してます」と言った。N子が抱かれたまま頷くと、髪とか頬が首筋をひっかくみたいになって、くすぐったかった。それから、「いつからですか~?」みたいなやり取りが続いた。
性行為をしたのは年末頃だった。いきなりホテルだった。最初は家でしたかったのだが、そこはまあチャレンジだと思って突撃した。
別に、特別なものは何もなかった。あー、肌が触れ合うってこんな感じなんだな、とぼんやり思った。事前にインターネットでたくさん勉強してたのもあって、40分ほどかけて最初のは終わった。あまり動かないセックスだった。タニシ同士が田んぼの中で生殖行為をしてるみたいな、ゆっくりとしたセックスだった。
最後に、ベッドの中で横向きにN子を抱きしめてる時、ホルモン的なやつが脳内から出ていた。人生で初めて味わう種の脳内麻薬だった。ビビビビ、と静かな高揚感が連続して襲ってくる。
食べ物でいったら、温泉卵が乗った肉そぼろ丼を一口ずつ味わってる時みたいな、そういうじんわりとした幸せを噛みしめていた。
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ごめん。今日はここまでだ。
終わりまで書けると思う。午前中を目標にする。
(続き)
https://biz-journal.jp/2023/09/post_359782.html
この記事やそのブクマで代官山の衰退が語られている。2013年ごろ、衰退が始まったとされる時期に私は
代官山で働いていた。その時の思い出を振り返りながら書いてみるので、「あーそんなのあったな」なんて共感してくれる方がいれば嬉しい。
私は当時20代で、ファッションには全く興味がなかったため、その辺りの詳しい話はできない。
私が勤務していたのは、IT中小企業で、オフィスは代官山CAビルにあった。
このビルは代官山駅から非常に近く、カルピス本社の旧社屋であった。建物の雰囲気は、周りと異なり、昔の役所のようだった。
https://www.google.com/maps/@35.6487173,139.7052217,3a,75y,289.25h,103.41t/data=!3m7!1e1!3m5!1sjMKJoQHr99O42UqEuWliwQ!2e0!5s20130601T000000!7i13312!8i6656?entry=ttu
現在、そのビルは取り壊され、跡地には「パークナード代官山」という高級マンションが建っている。
入社当初、私は建物は古いとはいえこんな超一等地にどうしてこんな中小企業が入れたんだ?と思っていた。
古参の社員さんなどに話を聞いてみたところ、カルピス本社自体は2004年頃に恵比寿へ新築ビルを建てて引っ越したものの、
2007年に味の素への完全子会社化、2012年にアサヒグループへの売却などがあり
旧社屋はカルピス社内でどうするかがしっかり決まっていなかったようで、場所の割には激安なオフィスビルとなっていたのを勤務先が借りていたという話だった。
1. 交通が不便
2. 飯が高い
3. 坂が多い
の主に3つであった、これは代官山が働く人の街ではないので仕方がないものの交通が不便については
記事にも書かれていた東横線と副都心線の相互乗り入れで大幅に改善された。特に遠くから通勤する人がとても喜んでいた。
飯の高さについては皆困っていた。当時のランチの相場は800円程度だったと記憶しているが
代官山にあるオシャレなカフェやレストランでは1000円超えが当たり前だった。
2千円代でグラスワインが付いてくる店もあった、美味しかった。
当時は周辺にチェーン店も無く近所のセブンイレブンかスーパーマーケットに行くことが多かった。
またこのスーパーマーケットもピーコックという高級スーパーマーケットで弁当類も高いことが多く辟易した。
何故か寿司屋が入っていてイートインで海鮮丼を食べるのがたまの贅沢だった。
代官山アドレスというタワマンと商業施設が入っている複合施設の中なので、自然と店側もタワマン住民を客層として狙っていたのだろう。
坂についてはしょうがないが、恵比寿駅から歩いて代官山まで通勤してくる人はそれでも文句を言っていた。
オフィス周囲にはオシャレな店が多かったが全く縁がなかったが、だんだんと減っていったなという記憶はなんとなくある
ただ会社近くにあったキルフェボン(高級だが美味しいタルト屋)が撤退したときは残念だった、
フルーツによっては1ピースで1000円超えるようなものもある高級タルトだが本当に美味しかったのだ。
店員さんの話によると建物の老朽化で…という話だったのだが数ヶ月後同じ建物同じフロアに美容院が入っていてあの話は何だったのだ…となった。
T-SITEについてはよく昼休憩を取っていて良い場所という思い出がある。
案外ゴミゴミしている駅周辺とは違い開放感があるのも良かった。
面白そうな本を探すのも楽しかったが、ここは普通の書店ではないので仕事で必要な本などは
恵比寿駅アトレの有隣堂で買っていた。アトレの有隣堂はリニューアル後大きく面積を減らしたのが残念でならない。
代官山の働く街としての印象は今でも良くないが、地元では全く感じられない街の変貌というのをリアルタイムで経験できたのはとても良かったと思う。
なるほどね。
イトーヨーカドーは分類として「総合スーパーマーケット」ではあるけど、「総合スーパーマーケット」のことを「スーパーマーケット」とは普通呼ばないのよ。
最近はネットチラシも増えた印象だけどスーパーマーケットの情報は意外とネットで収集しにくい。
関西ローカルの「関西スーパー」は月曜日と火曜日は無条件に全品10%OFFセールを恒常的にやっているんだが(全店舗かは不明)、これが珍しい施策かどうかもよく分からない。他のスーパーの話題は見かけないので。
他にも同じく関西系スーパーの「コノミヤ」も同じ施策をやってるっぽい。イオン系列やライフなど大手スーパーはやってないと思う。
系列店あれど非常にローカルな話題なのでネットとは親和性悪いのかなと思いつつ(まぁ少し安いからって日常品買いに遠出するかって話もあるが)、単純にスーパーを日常的に利用する層が集まるようなコミュニティを覗いてないだけかもしれない。爆サイにあったりするのか?
ミスドじゃないぞ
ミストだぞ
霧の中から現れる未知の怪物を相手にサバイバルしていく映画だが、描かれるのは主人公が逃げ込んだスーパーマーケットの中ということだ
普通アメリカ映画なんだからもっと壮大にバトルしろよという感じなんだが、慎ましくスーパーマーケットでの群像劇が主になる
勇敢さを示して死ぬもの、絶望して自死するもの、神に祈るもの、神に祈るのを馬鹿にするも結局神に祈るもの、子供の為に何としても生きる道を探るもの
結果、スーパーマーケットから逃げ出した主人公の立ち位置も本来のアメリカ的大団円映画からは一線を画す秀逸なものとなってる
お前ら、教養ある感じアピールしながら一つの芸術作品としてこれをフィーチャーしないって、そりゃあ見る目ないって
見れよ
ある日、貞子は井戸から謎の力によって突然現れました。彼女は不思議な力によって井戸の闇から解放されたのです。最初は混乱していた貞子でしたが、すぐに自分がこの世界に戻ってきたことを理解しました。
貞子は人間界に戻ってから、彼女の生活を再建する必要があることに気づきました。人々が彼女のことを怖がるだろうことを理解していた彼女は、普通の生活を送るためにその恐ろしいイメージを払拭しなければなりませんでした。
彼女は街中を歩きながら、スーパーマーケットやレストランにアルバイトを求めるポスターや広告を見つけましたが、どこでも彼女の恐ろしい姿を見た人々が驚いて逃げてしまうので、面接のチャンスがありませんでした。
しかし、ある日、セブンイレブンで求人広告を見つけた貞子は新しいチャンスを感じました。彼女は怯える人々を避けるために、長い髪を顔の前に垂らし、不気味な笑顔を隠し、フード付きのジャケットを着て、姿を変えることに決めました。
自信を持って面接に挑むために、面接前にはセブンイレブンの商品知識や接客の基本を猛勉強しました。そして、面接当日、彼女は気を引き締め、ドアを開けて店内に足を踏み入れました。
店内は明るく、忙しい雰囲気で、笑顔で働くスタッフがお客様にサービスを提供していました。貞子は初めてのアルバイト面接に緊張しましたが、頑張らなければならないという強い意志で自分を奮い立たせました。
面接官が彼女を迎え、いくつかの質問をしてきましたが、貞子は目を背けることなく、丁寧に答えました。面接官は初めは彼女の奇妙な見た目に戸惑いましたが、貞子の姿勢と覚悟に感心しました。
最後に、面接官は貞子に「あなたはなぜセブンイレブンで働きたいと思っていますか?」と尋ねました。すると、貞子は優しく微笑んでこう答えました。
「私は人々に善意を示し、役立ちたいと思っています。私が恐ろしいと感じられることもあるかもしれませんが、本当の私はそれではありません。私は新しいチャンスを得て、普通の生活を始めたいと願っています。」
面接官は彼女の答えに感銘を受け、貞子の姿を変えている理由を尋ねました。貞子は自分の過去を説明し、井戸から解放された経緯を話しました。
驚いた面接官はしばらく考えた後、彼女にチャンスを与えることに決めました。彼は彼女の強い意志と変わりゆく姿に感銘を受け、彼女が普通の生活を取り戻す手助けをしたいと思ったのです。
こうして、井戸から出てきた貞子はセブンイレブンでアルバイトを始めることになりました。彼女は笑顔でお客様に接し、真摯に仕事に取り組みました。最初は驚く人もいましたが、徐々に彼女の努力が認められ、周囲の人々とも打ち解けていきました。
貞子は自分の過去を背負いながらも、新しい人生をスタートさせました。セブンイレブンのアルバイトを通じて、彼女は人々との交流を築き、優しさと奉仕の心を示し、最終的には恐ろしいイメージを克服することができました。そして、井戸から出てきた彼女の心には、新たな希望と未来への期待が輝いていたのでした。
「田舎でのグルメは砂漠の水」という表現が、東京しか知らない目線だということを明確に示している。
「お金さえ出せば全国の美味しいものが食べられる」と思っている。
各地の食文化って、まさに「文化」なの。その土地の歴史や風土、自然環境が食に反映されている。
パンが美味しい、お寿司が美味しい、魚が美味しい、うどんが美味しい…
それらは全部、その土地の人々の生活に根付いていて、豊かな文化につながっている。
逆に「お金を出せば何でも食べられる」(しかし味は本場に劣る)という東京の方が土着文化が貧困だと思うね。
増田の言い方を真似すると、「都内のグルメはスーパーマーケットで売ってる水」だとすると、「田舎でのグルメは砂漠の水」ではなく「田舎でのグルメは湧清水」だ。
毎度おなじみ、東京sageネタ+パンの増田がそれなりのバズを獲得しているね
東京生まれ東京育ち東京在住の身からすると「田舎のほうが美味いものってあるよね」という感想。北陸のお寿司とか。
ただ、それらがわりと都内だと金出せば食えるものばかりなので(ただの模倣品であったり、現地の味からは劣ることもあるが)、都内住みだと逆に特定のグルメへの執着度は低くなる…。
田舎でのグルメは砂漠の水だが、都内のグルメはスーパーマーケットで売ってる水。金出せばいくらでも手に入るという点でおなじ。
俺はある程度のレベルの店にも行くことはあるが、記念日とか接待くらいだ。毎日いい店のものを食えるほどグルメに比重を置けない。スーパーで水を買うより、水道水のほうが安く、それなりに飲めるからね。
むしろ、外食はチェーンのほうが好きだ。シェフ(?)やウェイターに話しかけられることもなく、顔を覚えられることもなく、いつでも均一な味を安価で食える。なによりも、サービスのばらつきがない。普段遣いなら十分だ。
そういう理由から、パンも同じく、チェーン店舗のものを買う。いかにも街のパン屋さんです!みたいな見た目の小規模チェーンや、通勤に使う駅にある「リトルマーメイド」「デイジイ」「ドンク」「ボヌール」、百貨店や駅ビルの「メゾンカイザー」「サンジェルマン」「ポンパドール」「ヴィ・ド・フランス」など。
パン以外に美味しいものがたくさんあるから、お金も時間もパンだけにかけてられない。
パンくらいしか誇れない田舎だと、パンにこだわるしかないよな。
最近あんまり仕事が忙しくなくて、ストレスも少ない感じがあり、それはいいんだけど、そうすると増田を書く気力というか能力というか、そういうものがあきらかに減衰する感じがあって、ちょっと怖い
まあ増田なんか書けなくたってまったく問題はないんだけど、とはいえ、一時期はもう、画面に向き合ったらドンドン指が走っていきますわよ〜ッ!って感じだったのに、いまやホント、なんにも書くことありませんわねぇ……としか思えないのは、やはり、人間として劣化してんじゃねえか?という感じがする
ただ、まあ、何もないですねえ……
生活に変化がなさすぎるのかもしれないなと思う
家・職場・スーパーマーケットにしか行っていないから、波風が立たなくて、なにも出てこない
近所の川沿いなんかを散歩するだけでもあるいは結構違うのかもしれないと思う
川っつうか、なんつうか、アレかな、近所のスーパー銭湯、アレに行けばいいんじゃないかな
でも最近はあまりに暑すぎて、銭湯の帰りの暑さだけで、風呂に入ったというのを帳消しにするほどの汗をかくことが目に見えているから、どうも気が乗らない
バイパス沿いに無印良品の店舗ができるっつう話があって、俺はそれを心底楽しみにしている
無印良品の店舗ができたら、チャリを漕いでいって、ふぞろいバームクーヘンなんかを買って、それも複数買って、それをチャリのカゴに乗せて、やったぜ〜ッとか言いながら帰りたい
できれば秋の晴れた日であってほしい
そうやって終わりたいと思う
電車の中で大声で独り言を叫んだり、セルフ車掌したり、すごい勢いで車両間を移動してるアレだ。
それも一人ではなく数人いた。というのは、養護学校や作業所が沿線にいくつもあったからだと思う。
部活とかで少し早めに駅に着くと、大体同じ時間に鉢合わせしていた。帰りの時間にも、スーパーマーケットなどにいたりする。
彼らは知的障害だったり精神障害だったり強迫性障害だったりいろいろ背景があるはずだが、ここでは狂人とよぶ。世間はそうとしか見なしてないのだから。
俺は彼らを応援していた。
電車の中で狂人が行動を始めると、車両から次々と人がいなくなる。大声で広告を一つ一つ読み上げたり、虚空に向かって何か漫画?の台詞を叫んだりする。
下手すると、十数人いたはずの車両からみるみる人がいなくなり(すっと隣の車両に移動したり、駅で一旦降りて別の車両に小走りで移動したり)、車両には座る俺と大声で単調に話す狂人の二人だけになることもあった。
また、所謂汚言癖というのか、有名人の名前と卑猥な言葉を叫ぶおばさんと鉢合わせることもあった。一見そうとは見えないただの主婦みたいな女性が「○○、ちんぽなんだろ!」みたいなことを叫ぶ。ますます周囲から人がいなくなるが、それを自覚しているらしく、「目を逸らすんじゃない!」と叫んでいた。その叫びを聞いたのは俺だけだ。
この二人は、叫ぶほかに身体的な他害性はなかった。二人きりになっても、俺にかかってくることは無かった。
ジャージを着た、丸刈りの二十代くらいの男性がいた。丁寧かつ単調な口調でいろいろな人に「○○ですか?」「○○(アニメのキャラ?)っていいですよね」と話しかけたり、大声で独り言を発する。もちろん狂っている。たまに介護者?が横にいることもあったが、その時はずっと介護者に話し続けている。
観察していてわかったのだが、彼が話しかけるのは、女性が多かった。最近、ぶつかりおじさんという言葉が流行ったが、彼はそれに近いのかもしれない。
ある時、このジャージ男が駅のホームに現れ、ある私立の女子高生に話しかけ続けていた。執拗かつ、延々と。女子高生は移動できない理由があるのかそれとも逃げちゃダメだと思ってるのか、白線の内側のレーンから動かず、微妙にしかし鬱陶しそうにうなずいたりしていた。周囲に人はいるが、誰も助けに行かない。俺も、時刻表板の後ろでそれを観察しているけど助けない。助ける必要を感じない。そして電車が来て、やっと女子高生は解放されるかと思ったら、ジャージ男も同じ電車に乗っていった。多分電車の中でもずっと話すのだろう。
読んでもらえればわかると思うが、俺は何か清い心とか、福祉的な精神で狂人を見守ってるわけではない。最近、「公共の場で大声を出してしまう障害の人もいます。見守りましょう」みたいな啓発ポスターがあるが、そんな生暖かい見守り心ではない。
ただ、彼らのような存在が、好き放題する。既存のコミュニケーションを破壊する。自分が健常で正常で普通だと思い込んでいる連中に突撃する。そういったことでしか、既存の、閉塞し続ける社会は破壊できない、と思っていた。だから応援していた。
卑猥な言葉を吐き続けるおばさんや、女子高生に絡み続けるジャージ男を見て、俺は興奮していた。彼らの様に一線でも百線でも超えて社会を撹乱する行動はとらず、ただ応援する俺は卑怯かも知れない。ただ、ずっと彼らを邪魔せず、社会や普通の人たちの人生を意識しようがしまいが攻撃し続ける彼らを邪魔しないことが、変革に繋がるんだと思っている。
最近、会社に馴染めず、相談しに行った心療内科で、WAIS3などを受けたりしたところ、俺は発達障害の一種らしいことがわかった。まだ最終診断や手続きはしていないが、そう認定してもらう方向でやっている。
俺はいよいよ彼らの同類に近くなる。(発達障害は障害ではない、という人もいるが)
俺は、狂人を応援し続けた自分を、自分なりに誇りに思っている。
会社の別部署の後輩に、俺よりもコミュニケーションがやばそうな人がいる。彼は周囲を疲弊させてるが、俺は彼も応援している。
なんで、所謂健常者の決めたコミュニケーションに、障害者が従わされ続けなければならないのか。なんで、自分を排除する社会を愛さなければいけないのか。