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はてなキーワード: 問題意識とは

2018-10-17

anond:20181017101951

「女は常に男を意識していて、女の言動は常に男へのアピールである」と言う典型的男の勘違い

実際は、女は大抵男より女を意識していて、女の言動は大抵同類の女へのアピール、なんだけどな

フェミだったら、同じような問題意識を抱えている他の女に向けた文章だろうし

ジャニなら同じようなジャニオタ、腐なら同じような腐、に向けてるのに

「男に対するアピールだろう」「男が反応するのを期待しているんだろう」と思い込むのが滑稽

男でも、例えばアイマス増田なんかはアイマス知らないと意味からねーよな内容のオンパレードだけど

あれ見て「私が見てもさっぱり分からない!あれで女の関心と理解が得られると思ってるの??」なんて言う女皆無なのに

何で逆だとそういう事を言い出す男が出て来るのか謎

2018-10-11

anond:20181011221859

元増田です。

フェミっぽい論者への当て擦りをするなら、経済的にも文化資本的にも豊かな家庭で生まれ開明的な親から女の子であっても学問することを応援されて勉強に励んできたような人が多いのもかもしれないとは思う。

大学までは男女平等世界観で生きてこられて、就職で初めて男女差別の壁にぶつかったと。

から職場女性キャリア制限されるような性差別には敏感だけど、子供の進路決定での親による性差別の影響には強い問題意識が無い(傾向として)。

2018-10-09

anond:20181008215814

metamix 英語論文なぞいらん日本語で事足りるって話はまあいいけど、理系なら学部生ですらやらされることを文系だと教授クラスでもやらなくていいんだーフーンみたいな感想

お互いの分野で必須タスクが違うだけだろ……英語以外の外国語を読まなくていい理系はずいぶん楽ですね,って言われたらどう思うよ? 私は修論書くにあたって複数ヨーロッパ言語読んだし,東洋史だと修士でも複数の現地語+複数ヨーロッパ言語を読むのが当然みたいな分野もあるけど,理系英語だけ読んでりゃいいんだっけ? ふーん.

kyuuzyuu9yen じゃあ文系論文妥当性はどうやって担保しているのかと。仲間内でも議論はしているのか?

dot 学術言語は一理あるとも思うけど、査読有りが理系ローカルルールという言説には面食らう。記述言語査読有り無しも最終的には学術論文としての品質をどう担保するのかというところに帰結すると思うんだ。

slimebeth この問題英語査読不要理系絶対と思うなみたいな捨て台詞をいろんな人が吐いてくのに「では代わりにどういう制度方法論で研究の質を担保してるのか」を未だに誰も一言も言わないの底知れぬ闇感すごい…

本当に疑問なんだけど,こういう主張するひとたちって「まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される」っていう箇所が読めてないの? 査読つき雑誌はある,査読つきの業績は重要であるしか査読がないからといってダメであることを意味しない,ってそんなに難しい話かね.

ていうかこういうひとたち,普段査読通った論文なら無批判に盲信してるんですか? 論文批判的・懐疑的に読まれ瑕疵があれば後発の研究によって批判されたり乗り越えられたり無視されたりするものだ……というのは文理を問わぬ学問常識だと思っていたのだが,「査読がないとどうやって研究の質を担保するの?」などと吐かす一部の理系はどうやら査読を通ってさえいればアッサリと先行研究を信じてしまうらしい.どっちが権威主義なんだか.

reuteri ペレルマン査読されてないが多くの人から批判的にチェックされるでしょ?そのチェックの有無が科学にとって重要で、「学界の権威が言っているから正しい」という世界科学ではないのですよ。日本語については同意

藁人形叩かれても困るんですよねぇ.

theta 日本には日本のXX学、米国には米国のXX学、印度には印度ののXX学があって相互互換性が無いのなら、それは普遍性のある学問なのかなという疑問がある。

こういうレベル説明から始めなきゃいけないの本当に馬鹿げてると思うんだけど,日本西欧研究なら西欧諸言語の先行研究は当然追いかけているし,英語圏の日本研究者は日本語の先行研究読んでますよ.ドイツ人ドイツ研究者と日本人のドイツ史学者は同じ学問従事していて,同じ問題意識を共有している.ただ,日本西洋史研究日本歴史学という別の文脈の中にも置かれていて,そちらから影響を受けて「日本西洋史研究独自の色を出すこともあるし,アメリカでは日本研究者と東南アジア研究者が共同プロジェクト独自問題意識を深めているかもしれない.そういう意味で各国の研究には多かれ少なかれその国の事情に根ざした独自性があるわけ.そして,時には「本国」以外での研究潮流が「本国」での研究に影響を及ぼすことだってある(たとえば前世紀末から今世紀初頭にかけてのアメリカソ連研究典型的かな).日本中国学はフランス台湾中国学と微妙に違っているかもしれないけれど,それでも同じ中国学なんだ.

kingate だとして。最先端は何処よ?学術研究論文最先端批評貰う必要があるんじゃねぇの?ローカル内容でも批評貰わんと正否は出ないでしょ、総論として。で、あの学者モドキはその総論に後ろ足で砂掛けたの。

分野によるとしか言いようがないし,別に最先端複数あってもいいんじゃないかと思わなくもないが.たとえば私が研究対象にしている地域については間違いなく英語でのショボい研究蓄積なんかよりも現地語での研究最先端だけど,私は現地での最先端研究フォローしているし,現地人の使っていない資料とかも使って彼らと勝負しているつもりでいるよ(現地人だからこそ盲点になってる資料みたいなのがあるんだよなぁ).

iyochoo 国内アカデミアを重視するか、世界アカデミアを重視するか。両方の言語で書いてくれると助かる人が多いです。

世界アカデミア」なんて幻想で,各国別のアカデミアが併存してるんだよなぁ.もちろんそれらの間に橋を架ける必要はあるけれど.

(……)恐らく査読文化のないという文系の分野では、被参照数によって論文の質を予測するというように思うのですが、被参照数というのは流行研究をしている事で他の研究者が参照しやす環境がないと伸びにくい物です。ニッチな分野の研究をしているが、優れた研究であるのに査読も行われず、誰も参照してないという論文があるとして、研究を行う者はその論文を如何にして見つけて評価するのでしょう?文系研究者は、研究を開始するまでに、かなり無駄調査時間必要とするのだろうなという事を想像しますね。(……)

anond:20181009154937

ぶっぶー.ぜーんぜん違います.ろくな知識もないひとがテキトー想像しても頓珍漢な答えに辿り着くだけなんですよねぇ.

そもそも査読はあるし重要だが,査読がなくても良い論文であれば評価対象たりうる,という話を少なくとも私はしていたわけで,それを「査読文化がない」と要約されても困惑するわけですが,まあ全ての論文査読を受けているわけではないという状況を「査読文化がない」と書いているのだろうと好意的解釈するとして.

当たり前ですが文系でも「レベルの高い査読誌」「査読はないがレベルの高い雑誌」「レベルの低い査読誌」「無査読紀要」ではチェックの優先順位論文の重みは違います.当たり前ですね? 査読はしていないけれど,その分野では定評がありよく読まれ雑誌,というもの存在し,たとえばそのへんの査読をつけた院生向け紀要とかよりも圧倒的に読まれる,というような状況がある中で,査読がないからといって無価値扱いするのは不当だ,という話を私はしていたわけです.

なので,ニッチだけど優れた研究をしている人は,よく読まれ媒体論文投稿すればよろしい.というか人文系研究対象って,研究水準の深化に伴ってどんどんニッチになっていく傾向があったりしますしー.

そもそも文系の多くでは被引用数を重視する文化はあまりありませーん.理由ひとつとして「正確な被引用数を測定するのが困難」というのが挙げられます.著書も業績になり得る上に各国が自国語で研究する世界において,外国語も含めた紙の本での被引用数なんて管理しきれないのでー.私も自分論文の被引用数なんて知りません.外国語で書いたやつは3ヶ国語くらいで引用されて,日本語のやつも紙の本に1回引用されたかな? でも他にも引用されてるかもしれないので,これは最低限の数字っすね.周りで被引用数なんて気にしてる人見たことないなぁ(私に指摘されて初めて自分論文他人の著書に引用されてることに気づいた先輩とかいたっけ).そもそも引用されてむっちゃdisられてても1回引用カウントするわけですよね? それ本当に論文の質の指標になるんですか?

(……)一方で世界社会学者は、インパクトファクターの高い査読付き国際学術誌に投稿している様ですね。アメリカだと、テニュアになるためには当たり前の様に要求される実績の一つですし、それが世界標準でしょう。(……)

それはアメリカ社会学者自国語で論文を書いているだけでは……?

というか,日本語圏の社会学者でも英文学術誌に投稿してる人はいますし,英文学術誌に投稿してる非英語圏の学者でも,それとは別に母国語論文書いてたりしますし.英語以外の言語での論文が載ってる社会学学術誌,探すとあちこちにありましたよー.

韓国語http://www.ksa21.or.kr/kjs/

中国語(簡体字)> http://sociology.cssn.cn/xskw/shxyj/

中国語(繁体字)> http://tsa.sinica.edu.tw/publish_01-1.php

ロシア語http://www.isras.ru/Sociologicalmagazine.html

フランス語> https://journals.openedition.org/sociologie/index.html

ポーランド語https://www.ceeol.com/search/journal-detail?id=240

リトアニア語> https://www.ceeol.com/search/journal-detail?id=1027

カタルーニャ語https://www.raco.cat/index.php/RevistaSociologia/index

ところで日本社会学会は和文雑誌の『社会学評論』以外にもちゃん英文学術誌持ってるんですよねー> https://onlinelibrary.wiley.com/journal/14756781

いやほんと,テキトー知識でよその学問分野に軽々しく口を出して,正しいこと言ってるならともかくめっちゃ的外れとか,生きてて恥ずかしくないんですかね?

death6coin “ぶっぶー.ぜーんぜん違います.ろくな知識もないひとがテキトー想像しても頓珍漢な答えに辿り着くだけなんですよねぇ.”攻撃的ですねぇ

理系研究事情査読制度を知りもせず「理系研究権威主義だ! 定説にとらわれて思考が硬直している!」とかわめく連中に,これまで理系のひとはどんな目線を向けてきたっけ? 冷ややかな目線を向けて嘲笑ってきたよね.もちろんそれはまったくもって正しいよ.理系事情を知りもしないのに思い込み的外れ批判をするのは愚かな行為であり嘲笑に値する.文系に向けて似たようなことをわめく連中にも同様の態度を取らせてもらうというだけ.

zu2 琉球歴史琉球語でかける日はいつか。文化侵略ってこういうものだよな

これは本当にそう.最近だと三元社なんかが琉球諸語・日本語対訳出版物を出していたりするけど,言語復興運動家の著書とか学術誌のコラムまりで,琉球諸語で書かれた学術論文は残念ながら見たことがない.琉球諸語は最近書記法の整備とか色々進んでいるから,今後はそういう方向に期待したいよね.もちろん琉球諸語で書かれた論文査読できるひとはそう多くないと思うけれど,査読なしで論文を発表することも許されているという文系事情積極的活用して中身のしっかりした琉球諸語論文を発表していくひとが出てきたらいいなと思う.

quick_past だったら方言で書いてもいいし、絶滅言語で書いても良いのでは。

それに対しては2つの論点から応答したい.1点目に,「日本語過去の豊かな蓄積を持ち,現在も多くの学術論文生産し続けている言語である」という前提条件を忘れてもらっては困るということ.日本について研究している学者日本語論文を書くわけで,この点が方言とは違う(大阪弁研究する者のほぼ全てが標準語論文を書いているし,山形弁で書かれたヨーロッパ史の高度な研究は現段階では存在しない).

第2に.もちろん書いていいです.少数民族独自民族として生き残っていこうとするには何らかの形で文章語を持つことが(必要ではないが)望ましく,実際にヨーロッパでは人口数万人の少数民族でも自分たちの言語で書かれた学術誌を持っている場合もある(もちろんその場合,当該言語や当該言語で書かれた文学,当該民族歴史といった限られたテーマについての論文を書くので精一杯だったりするのだが.ちなみにそういう少数民族学術誌に少数言語論文を載せてる日本研究者もいる).それに,言語方言とのあいだに本質的な違いはなく,たまたま政治権力を持ち規範が整備された言語変種が「言語」とされ,「言語」と見做されなかった地域的変種が「方言」と見做されているだけ,というのが社会言語学常識であり,実際に気仙沼方言方言ではなく独自の「ケセン語」だと主張して聖書翻訳したお医者さんなんかもいる.上で書いたように,宮古語日本語バイリンガルコラムを載せている学術誌もある(コラムまりで,論文ではないけど).なのでたとえば,鹿児島大学薩摩弁を公用語にした紀要出版されてもよいと思うし,もしその紀要に優れた論文が次々に掲載されたとしたら先行研究を読むために薩摩弁を学ぶひとも出てくるかもしれない.そしてそれは,悪いことでは決してない.

abll 「過小評価しすぎ」は重言。「過小評価している」か「軽く評価しすぎ」が正しい。

きゃーお恥ずかしい.ご指摘ありがとうございます.訂正しました.

anond:20181009095337

それが世間一般の人にとって問題意識が持たれてないのが問題だと思うんだがなあ

2018-10-08

みんな日本語学術言語としての重要性を軽く評価しすぎ

この件.

https://togetter.com/li/1274544

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系研究業績の大半は自国語だから

文系研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準から

インドサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも社会学には膨大な日本語研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書からから日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから論文執筆言語自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスアメリカ学者英語で書き,フランス研究者がフランス語で投稿し,ドイツ博士ドイツ語で教授資格申請論文審査を受け,ロシア院生ロシア語で報告している中で,なんで日本教授日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって歴史学だって文化人類学だって文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌日本語で書かれている.

そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.

世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.

もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究あなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧学者と同じようにアフリカフィールドワークをし,日本語西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.

あるいは,ヨーロッパ歴史を知りたいと思ったとしよう.あなた造作もなく,フランスドイツイギリススペインロシアや,そしてチェコポーランドポルトガルボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本歴史学の積み重ねてきた問題意識接続されている.

それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語文法記述した本も,ヨーロッパ小国言語の音声を論じた本も,中東言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EU制度アメリカ大統領選挙,韓国歴史認識ロシア愛国主義湾岸諸国君主制,どれも日本語最先端研究が読める.

こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.

とあるアジアの国に行ったとき書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジア言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧から翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.

あるいは,ヨーロッパ小国書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラペラ入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.

たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパアフリカ社会ラテンアメリカ先住民近世朝鮮史東南アジア政治についての最先端研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.

私の感覚だと,英語網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.

カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカまれ英語ネイティブ白人であってもだ.ザマーミロ.

というか,実は文系分野に関しては英語網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人カタルーニャ言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.

なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブ西アフリカ地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパ前近代研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.

この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語最先端研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しか文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端研究の全てが英語提供されるわけではない.

なので文系では,英語理系ほど特権的地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.

というわけで,文系研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).

別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウント和文論文勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルール文系押し付けないでいただきたい.

私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.

文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本コンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパアフリカ部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリアハンガリー舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.

別に文化に限ったことではない.政治経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダ虐殺スレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解やすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域専門家が書いた本や論文和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史理解する助けになるだろうか.欧米フェミニズムについて日本語研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.

すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.

日本人は恵まれ研究蓄積にあまり無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.

英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代日本医師ドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語外交学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのとき現在私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位貶める必要はないと思う.それは私たち社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから

最後に.

どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語しか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.

追記

英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。

日本国内の、査読なし論文が実績になる分野の教授たちによって、査読された研究にも何らの価値も感じない。

anond:20181008221502

id:bocola 自分でも言ってるように査読しなの問題査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。

arXivのない世界からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.

事前の査読は,論文信頼性担保するための手続きひとつであって,それが欠けている「からダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマン査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.

私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系ローカルルールで事前の査読必須なのはよくわかったけど,そのローカルルール文系敷衍されても困る.

id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。

私もオタクですが.

追記

続きは anond:20181009084352 anond:20181009213503 で.

2018-10-07

anond:20181007032434

プププ朝日毎日に対する問題意識ですけど

産経だったら絶対やってたよね右翼と結びつけてさ

主催朝日毎日から左翼に弾が来ないような批判してるのが面白いって話

2018-10-06

anond:20181006114721

いや、そういう侮辱はよくないし同意しない

普段言動あんま追ってないけど、今回きちんと自分ラジオの構図を持ってきたのはよかったと思うよ

結局自己弁護になってて笑ってしまったけど

まぁテレビラジオなんて日本ジェンダーギャップが一番目立つところだし

萌えキャラ内閣閣僚人数なんかよりよっぽど顕著だから

本人が問題意識持っててもなかなか全体的な構図は変えられないでしょうから

フェミキズナアイ批判してるんじゃない。NHK批判してるんだ」

いやいや…。

そもそも発端は太田啓子弁護士が「キズナアイ性的からふさわしくない」と言い出したことだろ。

この人いまもキズナアイセクシャルアイコンからよろしくない言い続けてるよ。

_

そこに千田有紀とかい社会学者キズナアイセクシャルどうこうで炎上してるとのっかってきた。

ノーベル賞NHK解説に「キズナアイ」は適役なのか? ネット炎上

https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/

このキズナアイの代わりに、せめて白衣の女性が立ち、きちんと受け答えをしてくれていたら、女子学生はどれだけ励まされただろうか。


あとは相変わらず佐藤圭とかシュラヌムがTwitterRTかせいでましたね。

別に「いや、自分キズナアイ批判してるんじゃない」っていうのはいいんだけどさ、発端にキズナアイ批判があったことを無視しようとするのはちょっと卑怯じゃない? 今回上記の人たちが騒いでるの目に入れずに騒動になってるの知った人どれだけいるの?

問題NHK女性役割を〜」云々を争点にしてる人たちも、この種の女性が補助役や聞き役にいる番組地上波でもゴールデンタイムにもいっぱい流れてるけど、そういうのについていままでどれだけ批判の声をあげてたの?

まさかブラタモリで話について行けずぽかんと口開けてる女性アナみて笑ってた人はいないよな?

こういうこと言うと「話をそらすな」とか「Bに問題があるからと行ってAの問題がなくなるわけではない」とか言われるんだろうけど、「問題キズナアイではないNHKだ」と争点を広げた以上はそこも答えてほしい。

ちなみに去年もNHKでは同じようにノーベル賞企画が行われていて、そこでキズナアイポジションにいたのは鈴木福くんでした。影響力の話をすると、去年の内容知ってる人どれだけいた?

https://web.archive.org/web/20180131021502/https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize2017/article03.html

2018-10-01

anond:20181001143931

リベラルの人たちが問題意識を持ってくれるのは結構なんだけれど、

感情的煽情的な反応ばかりで「社会が悪い・国が悪い・障害者は悪くない」という硬直した教条主義の繰り返しだったりするから困るんだよな。

まともな議論が全くできない。

からリベラルはどんどん支持を失っていく。

日本の不幸って、こういうリベラル存在なのかも。

2018-09-24

アベ政治を許さない批判

今日ホッテントリトップが読む国会さんの表題批判だったので驚いた。

読む国会さんですらこのような批判をせずにはいられないくらい、

与党自民批判のやり方がうまくいかないことに危機感を覚えているのだろう。

今回また内閣支持率ニュースが出ており、

それに対してくだらない口論議論ですらない)のブコメが多数並んでいて辟易としたが、

それというのもちゃん日経調査の中身を見たとは思えないものばかりだったからだ。

まず内閣支持率と同時に政党支持率調査もあり、

それを見ると立憲民主共産支持率の低さに目を奪われる。

立憲民主はもう1桁台なのだ

この危機的状況が、冒頭の読む国会さんの危機意識とリンクしているのだと思われる。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35685690T20C18A9MM8000/?df=2


安倍政治批判方法論について読む国会さんはすでにツイッターでいざこざが起きていた。

https://togetter.com/li/1267958

はてブでも似たようないざこざが起きるのか…と思っていたが、

さほどの荒れようではなかった。

自民支持者や保守派傲慢コメントには相変わらず辟易とさせられるが)

今後、この流れがどのように推移するのか、固唾をのんで見守ることになりそうだ。

ついでに。

支持・不支持の内訳も、

支持者は安定感、不支持者は人柄というなんとも曖昧模糊とした理由だった。

選択肢を用意した日経側の問題そもそもあると思うが、

そうした話題は一切無視して支持・不支持数字だけで脊髄反射してるブコメばっかりだった。

だが安倍内閣批判者の中には、読む国会さんのように、問題意識を持って新たな道を模索しようとしている。

安倍内閣支持者は、支持率だけ見て人を小馬鹿にするような態度ばかりに終止して慢心していれば、

必ず驚くほどのスピードでその支持は瓦解することになるであろう。

2018-09-13

法華狼

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20131015/1381850263

強烈な皮肉すなあ感銘を受けた映画から

広い視野問題意識を見い出しながらその問題再生産しとるんだから

ジャパン蔑称啼き喚きを批判もせずに引用した自身の加害の押し付けを免罪する理屈の確保にばかりつとめる

それに破滅させられ日々飢えさせられ生き地獄彷徨わさせられてることを訴えた者は処刑

ただただ蔑称啼き喚きという爆撃の下で耐えさせ犬死にさせた挙句

あっさり逃げ出す愚劣で保身にきゅうきゅうするだけの小物ぶり

徴兵される前の学生教師が開戦反対運動をおこない弾圧されて転向した過去も回想される

きちんと反対をつらぬくべきだったという悔恨も痛々しく語られる

からこそ誰が戦争を起こしたのだと終盤で主人公批判しても無責任な印象が生まれ

転向をせまった日本社会への批判を読みとることができる」

から

ジャパン蔑称啼き喚きに破滅させられた者の訴えを弾圧転向をせまった唾棄日本社会の御仁様

さっすが悔恨責任批判の読み取り御見事ですな!

2018-09-07

anond:20180907101840

暴力貧困争いの現場日本にも他国にもあり、一方で、治安良くて穏やかで豊かな場所日本にも他国にもある。

底辺はどの国でも相応に苛烈で、問題意識をもって取り上げられるのは前者。

日本平和で豊かな国です」っていってしまうと、前者を無視することになるけど、割合で考えると、まだ日本後者のほうが比較普通。たとえば、メキシコみたいに権力麻薬利権汚染されて選挙のたびに何百人も死んだりしないし、アメリカみたいに病院入院すると億単位請求があるということもない。大きい災害が来ても秩序は保たれてて暴動とか殺し合いとかにはならない。格差が拡大して庶民生活レベルが下がってきてはいるけど、どこにいっても暴力貧困争いってことにはまだなってない。

2018-08-31

anond:20180831122143

PTSDの問題とかも色々あるが、

何というか、科学的な量の問題を身近なものとして考えた人たちの問題意識に対して

あの像とか現代アート界隈がまとっている問題意識の解像度が低すぎるんだよな

2018-08-25

創作に対して

創作に対しての根本的な思考法として、特に過去作品言及するとき、「現代現実で提議された問題意識に準じて作品批評分析する行為はあまり実にならない」ことを考えるべきだとは思う。もちろん、ジャイ子との結婚を嘆く下り云々に疑問を持つ気持ちも分かるが、そのような観点から作品を見ても面白いのか面白くないのか分からなくなってくるだろうし、以前ネットで見た少年漫画誌に於けるジェンダー議論のように、単純な条理を取り込んで作品に仕立て上げた描写観念を一つの批判基準によって統括しようという不毛な「物語狩り」が横行することになってしまうとおもう。それに、発信している本人からすれば心外だと思うだろうけれども、作品自体価値を貶めると反発してくる過激な層がいないでもないだろう。

ただ一つだけ首肯できるのは、やっぱりジャイ子結婚すると知って泣くのび太もなかなか酷いということだ。それでも多分、自分が同じ身の上だったら同じような行動を取るし、多分結婚への無根拠希望もあって、未来を変えるという言葉やすやすとのっかるだろうと思う。でもそんな価値観で見るより、素直に見たほうが面白いですよ。

2018-08-11

選挙に行かない理由

最近飲んだ人の発言より

話を聞いていて、あれっ、と思った。

こちらがもう少し掘り下げてみると、やはりと言うべきか、次から次へとボロが出てきた。


投票に行く、行かないこと自体は各々の思想信条があるからうつもりはない。問題はその後。

これは情報リテラシー手段選択問題

せっかく興味を持っているにも関わらず、新聞雑誌書籍など他のメディアに目を通していないのは勿体ない。

なぜ政治家ではなくてコメンテーターなのか。コメンテーター政治家代弁者とでも思っているのだろうか?

彼らはあくま私見を述べているに過ぎない。政治家とは違って自身発言現実と食い違っても責任問題にはならないだろう。

  • 現実はその通りにはならない」ということ

選挙がいつも「郵政民政化!」「消費税10パー!」みたいに争点が明確なものばかりじゃないでしょ。

政治に何を期待しているかによって違うんだろうけど、基本的時間がかかる性格のものなのでは?

極端な話だが市役所ハチの巣駆除みたいに数日で解決する問題もあれば、国の空港建設みたいに環境アセスメントやら地元住民の説得やら数十年単位でないと目に見える成果が出ないものだってあるわけで。

今まで列記した点をどれも思いつかなかった時点で、残念ながら問題意識が乏しいと言わざるを得ない。

政治なんて興味ない」とかの方がまだ説得力があった。

おそらくこの人とは一生分かり合えないんだろうなとは思ったけど、これだけ生半可なオツムの有権者が一人減ったことでどこかホッとした自分もいる。

2018-08-09

女医問題を臨床から離れた女医が考えてみる

ここ数週間、女性医師問題日本全体でもはてなの中でも話題になっていたようですね。(裏口の方はどうしたのって感じですが)

東京医大女子減点問題について、いち小児科医が思うこと anond:20180802123936

私が医療崩壊トリガーになる未来 anond:20180805172629

女医さんがやってきた anond:20180701010648


さて、増田タイトルにも書いてあるように「臨床から離れた女医」です。

ですが、臨床を行っていないだけでバイト医でもドロッポ医でもフリーター医でもありません。産業医でも保険医でも、もちろん主婦でもありません、念のため。

世界競争しながら仕事をしています

医師になって10年目前後で上の子供は小学生です。これはつまり初期研修前後最初の子供を出産したということです。

医師キャリアの中で早い段階で子供を産むとどうなるか、を臨床から離れた立場から少しこの場で考えてみたいと思って書いています



「私が医療崩壊トリガーになる未来

エントリーの中で増田女医が書いておられたことは、

問題意識が高く、普段からまれるなんてとても偉い(語弊がありますが)なと思って読みました。

マイナー科にいったらいったで周りに負担をかけるし、医師キャリア女性としてのライフステージがあっていない!なんて私自全然考えていなかったので。


一つにはおそらくロールモデルがあったからだと思います

直接お会いしたこともないのですが、既に亡くなられた某大の教授でいらした女性医師インタビュー医学生ときに見かけました。

その先生は2回留学されて、お子様も二人いらして、教授になられた方でした。

結婚出産しても医師としての縄跳びを止めようと思ったことはない、とおっしゃられていた記事を読んで

私もこのようにありたいと、今でも心の中でひっそりと尊敬し続けています

おそらくあと25年、30年ほどある医師キャリアの中でもずっとこの言葉を胸に進むと思います

はいえ、ロールモデルがあるから頑張って女性医師も働いてね、という方向に持っていかれるのは困るし頑張ってきた先達にも失礼だと思います

現代環境や考え方も変遷してきていますし、各人のやる気だけではもはや対応できないレベルに到達しています

こうなると、アメリカのように科の選択制限競争が加わることが避けられないかなと思えてきます

何科に進むかというのは医師人生のものにも等しい大きな選択であり、

女性医師の中にハード外科ははなっから無理と思う意識があることも否定できません。

現在東京医大女子の点数の問題が出ていますが、

私自身、正直誰が女子入試制限に反対しているのかと思うくらい、正直男性でなければできない部分があるのである意味当然の采配と思っています

裏口入学は別ですが)

私が入試を受けた15年ほど前でも、当然男性が優先される部分があると思って受験していたので、

今更そのような話が明るみに出ても不利だとも隠されていたとも感じません。その中でも優秀な成績をおさめれば合格するだけの話です。

一方で、これに関連して女性医師男性医師も働きやす職場環境を整えるのが先という意見や、

もしくは女性医師が働きやす職場環境男性医師負担がかかっているんだよ、というエントリーが出ていて興味深く読ませていただきました。

同じ医師でも臨床をしていないので、こうした現場感覚は人づてに聞くくらいでしかないのです。


一定男性医師必要と割り切って男性医師確保の道(海外大学での人種間の割合の差のように)へ動くのか、

ワークシェアのような形で職場改革の道を進むのか、正直今の私にはどちらがよいのか判断できません。

よりよい医療のためにはどちらの道がよいのか研究必要だろうなという意見程度しかもちませんし、少し離れた立場から見守る形を続けます


さて、医師キャリアの中で早い段階で子供を産むとどうなるか、という話に戻ります

早く結婚して早く子供を産んでから医師キャリアつんだらいいという意見がたまにあるのですが、

研修前後出産した立場からは、かなり否定的な立場をとっています

正直いつ出産しても壁にあたることは間違いなく、医師としての負担が少ない初期研修前後で産むのも一つ、という意見理解できます

しかし、最も手のかかる赤ちゃんをかかえて、第一線で研修医として臨床を続けるのはなかなか厳しいものがあるだろうとも思います

私の場合、今の道に進む決定的な出来事があり、今ではむしろそれに感謝しているくらいなのですが、

それがなければまだ臨床に迷いがあったかもしれません。

しかし、臨床に未練をもっても子供をかかえて同期より遅れていく知識習得経験の差に焦っただろうことも想像できます

今となっては、完全にできないということもなかっただろうとは思いますが、そうして後期研修やらなんやらを続けていたら

今度は同僚の迷惑だ、ということにもなっていたのかもしれません。

私自身はイレギュラーな道でそれらを回避してしまったのですが、万人に進められるものではありません。

どの段階で出産しても大変なので医学生だろうと研修医だろうと出産を祝福しますが、現在環境においては決して早い段階がおすすめとは口が裂けても言えません。

ほら、結局最初から男性医師養成しておけばいいんだよ、という先のエントリー増田の指摘、現状の環境においてはごもっともです。

ごくごく優秀な一握りの女性医師と、肉体労働長時間労働もこな男性医師入試で入れる、それもありなのかもしれません。

これってつまりは昔のまま、なのですけどね。




18歳のとき、金ではないもの重要視される世界で働きたいと思って医学部に入り、

研修医の時、上医は国を医し、中医は人を医し、下医は病を医すを身をもって感じて臨床から離れました。

2年目増田も何かに気づいちゃったなら、視野を広く持つといいのかもしれませんが、

医師全員がそんなことを色々と考えだしたらそれこそまた医療崩壊に進んでしまうのかもしれません。

きつい仕事は結局社会の中でも医者世界でも押し付けあいです。

ということは、将来的には、競争を入れてきつい仕事に回る人材を確保しないといけないのでしょうね。

アリの世界女王アリと働きアリがいるでしょう。

開業医医師会が女王アリなのかもしれないけれど、自由意志で科が選べる時代はもうすぐ終わるんじゃないかと思っています

2018-08-07

anond:20180807184545

自分外野人間からなんとも言えないけど、

過剰に男らしいFtMとか過剰に女らしいMtFとかが多く見えるトランスジェンダーが、ジェンダーロール許すまじ系のフェミ連帯してるのが結構ナゾ

LGBとTは問題意識全然違うという話はよく聞かれるけど。

サマータイムをやめさせる方法

1. 自分選挙区を調べる

参議院自分の住んでいる都道府県名前がそのまま選挙区になる。衆議院は各都道府県複数選挙区があるので調べる必要がある。例えば、東京都千代田区に住んでいる人は「東京都 千代田区 選挙区」で検索すれば、Wikipedia東京都選挙管理委員会サイトが出てくるので衆議院東京都第1区だとわかる。参議院東京都選挙区

2. 自分選挙区から選出された国会議員を調べる

Wikipediaなどで前回の選挙の結果を調べる。

例えば、東京都千代田区に住んでいる人は以下のページを見ればいい。

衆議院海江田万里(立憲)が当選山田美樹自民)が比例復活であることが、参議院蓮舫(立憲)、中川雅治自民)、竹谷とし子公明)、山添拓(共産)、朝日健太郎自民)、小川敏夫(立憲)が当選していることがそれぞれわかる。参議院については議員が半分ずつ選挙されるので、前々回の選挙についても調べる必要がある。東京都選挙区では前々回(2013年)の選挙当選したのは丸川珠代自民)、山口那津男公明)、吉良佳子共産)、山本太郎自由)、武見敬三自民)。

3. 自分選挙区から選出された国会議員ホームページを探す

Wikipediaの各選挙区記事から議員記事に飛べば、たいてい下の方の「外部リンク」欄にその議員公式サイトが載っている。まれWikipediaに載っているURLが古くリンク切れになっていることがあるが、そのとき議員名前検索する。

4. 各議員ホームページから連絡方法を調べる

東京都千代田区の例では、

5. サマータイムに反対であるというメッセージ議員に送る

支持政党関係なく、自分選挙区から出ている議員簡単に連絡できる相手にはすべて送るべき。票を持っている有権者がどういう問題意識を持っているのか伝えることが大切。とはいものの、全ての議員に送るのが面倒だったら衆議院議員だけに送るとか、自分支持政党だけに送るとかしても良い。やる気があるなら議員事務所や党の組織電話をかけるのもいいだろう。

文章はこんな感じか?メールを読んだ担当者に、自分議員選挙区有権者であること、サマータイムに反対であることの二点が伝わればいい。ビジネスメールに慣れてる人はもっといい文章を考えてくれ。

件名:サマータイム夏時間)の導入に反対です

議員名>事務所 担当者

突然のメール失礼いたします。〇〇県△△市在住の<名前>と申します。

来年オリンピック期間の暑さ対策として、サマータイム夏時間)を導入して時計の針を2時間進めることを安倍晋三首相検討しているという複数報道が出ています。[1][2][3]

サマータイムについては、海外の既に実施されている諸国時差ボケと同じ原理により集中力健康に悪影響があることがわかっており、実際に交通事故心臓発作の増加などで死者も発生しています

また、新元号への切り替えや消費税率引き上げへの対応で、各種の取引会計などに使われるコンピューターシステムの改修を行う業者は既に多忙となっており、

これに加えてサマータイム導入のためのコンピューターシステムの改修を行う余裕がある業者国内需要をまかなえるだけ存在するとはとても思えません。

各種コンピューターシステムの改修が間に合わない場合サマータイム対応したシステム対応が間に合わなかったシステムとの間で記録上の時間にずれが生じ、

各種取引に混乱が生じたり、最悪の場合金融や電力・通信といった社会インフラが停止する可能性すら考えられます

以上の理由から、私はオリンピックのためだけにサマータイムを導入することには反対の考えです。

議員名>先生としても、<政党名>党としてサマータイムの導入に反対するよう働きかけていただけないでしょうか?

多忙の折、お手数をおかけして恐縮ですが検討いただければ幸いです。

[1]: 五輪猛暑対策夏時間検討へ=政府首相主導で慎重姿勢から一転(時事ドットコム 2018/08/02) https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080200916&g=smm

[2]: 政府夏時間検討へ 慎重姿勢から一転 首相が前向き姿勢日刊工業新聞 2018/8/3) https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00483784

[3]: 酷暑対策サマータイム導入へ 秋の臨時国会議員立法 31、32年限定産経ニュース 2018/08/06) https://www.sankei.com/politics/news/180806/plt1808060002-n1.html

6. 余裕があれば同じメッセージを党組織にも送る

2018-08-03

anond:20180803204410

理由なんかわかりきってるのにわざわざ質問形式にする意味ある?と思ったけど

あったわ

女はこういう風に問いかけないと問題意識持てない生き物だった

自分と違う意見を断言口調で叩き付けられると脳がシャットアウトちゃう生き物だった

anond:20180803163339

国立で筆記で高得点だった高齢受験者を面接点をゼロにして落として裁判になった大学があったけど

私立なら点を公表もしないしごく普通にやってるだろうね

東京医大関係者の「どこの大学でもやっているか問題意識がなかった」ってのは言い逃れじゃなくて事実だろうけど

おかし特殊人間妄言、って事で片付けられるんだろうな。

2018-08-02

anond:20180802185404

そもそも医者なんて学力関係なく金があれば馬鹿でもなれるやん

ちょっとの成績の差でゴタゴタ言ってんのが逆におかし

問題意識を持つなら私立国立難易度の差だろ

私立なんてマーチレベルで受かるし

中高一貫私大なんて推薦(笑)で入れるんだぞ

anond:20180802164200

一部銭湯のハッテン場化(ゲイによる公衆浴場乗っ取り

http://life.letibee.com/hatten_sentou_01/

この記事ゲイ(だけじゃないけど)向けのサイト記事から問題意識がある人もいるって事なんじゃないの?せつな的な人の暴走は止めがたいけど、張り紙張ったら減ったって書いてあるし。

[]劇場版ポケットモンスター みんなの物語

劇場版ポケットモンスター みんなの物語」を見たので感想。と言うか自分メモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。

総評

「まさに千八百円と上映時間分の時間投資する価値がある映画」を100点だと考えたときの点数は15点位。ひどみ。低評価。なんだこれ。

しか微塵も揺るがない増田。なぜなら(自分的には大体似たカテゴリに入る)「ドラえもん のび太の宝島」が脅威のマイナス点数の失神級駄作だったので免疫がついたのだった。

群像劇という野心的な企画

シナリオの作りが野心的で100分という尺の中でなんと群像劇をやろうとしていた。

主な人物として「市長の娘ヒロインのラルゴ」「ギャルっぽいヒロインリサ」「過去を抱えた市長オリバー」「後悔に生きる老婆ヒスイ」「コミュ障ポケモン学者トリト」「口からのでまかせで生きてきた男カガチ」あたりがいて、それぞれが内面問題を抱えつつ生きている。物語舞台ウラティを訪れたサトシは、この街生命線とも言える「風祭り」に参加。そこで起きる大事件に様々な人間と関わり合いながら立ち向かう……という映画のメインストリー

この「群像劇をやりたい」という企画性というか意気込みを、まずは評価する。……んだけど、それはやっぱり難易度は高い。脚本はあちこち駄目ぽだった。大きな問題点としては感情動線理屈建て不足で、なんか悩みやトラウマがある→でも私の力が必要っぽい→周りが盛り上がってる→感動パワーでうわー解決! というのが群像劇分水コピーされている。

そこには「今までの悩みやトラウマを超克するための内面的な気付きやきっかけ」みたいなものが不足していて、「今までダメだった理由」「今回は立ち上がった理由」が極めて薄いかキャラによっては存在すらない。感動的な音楽がかかって背景で大火災とかあるからやらなきゃならないやったでーというわりと雑なほうりなげだった。そんなんだったらそもそもトラウマいらんでしょ。

そのほかにも、山の中で発見された聖火を市長が街まで持って帰れば時間は余裕なのに(また普通に考えて街の宝を放置するほうがありえないのに)、わざわざ間に合わないギリギリまで放置して女子高生ギャルスプリントさせるとか、なんかこう……脚本レベルで穴が多い。

「みんなの物語」「みんなで協力するという感動」という企画性は理解できるんだけど、脚本陣にそれを実装する能力が欠けていたように思われる。かと言ってそれは脚本家をけなしているわけではなくて、企画レベルで(つまり脚本方法性や盛り込もうとした素材のボリュームレベルで)無理があったんじゃなかろうか? 登場人物を絞るなり(その意味サトシポケモンピカチュウだけに絞ったのは良かった)、あるいは尺を圧迫しないおりたたみで内面描写したりという工夫が足りなかったように思う。

ポケモン人権問題

今回ピックアップされたポケモンゼラオラでんきタイプ)。

ゼラオラ物語舞台ウラティ周辺のポケモンの守り神とでも云うべき存在で、フウラティが成立する前から周辺のポケモン自然を守ってきた。しかし、産物に乏しいこの地にルギアがあらわれて風を呼び、この風をもとにした風力発電でフウラティは成立。人間ドンドコ森を切り開き、ポケモン自然生息域を圧迫、その件でゼラオラとは対立せざるを得ないようになっていった。五〇年前、人間たちは自己から森林火災をおこしてしまい、火災からポケモンを守るためにゼラオラは負傷。当時の市長ゼラオラを守るために、山林は人間立入禁止として立ち入ったものゼラオラ呪いがあると嘘の噂をばらまいた――というのが物語の背景。

なんだけど、なんかもうこの時点で2周半くらい人間側がクズじゃねえ?

ゼラオラ何も悪い事してないじゃないですか。と言うか、その点ではなく、むしろ人間人間の都合(街を拡張したい)で森林伐採をするならそれはそれで良いんだけど(なんせ人間はそういう存在なので)それならそれで、そのように述べてやれば良いわけで、「ゼラオラ呪い」なんていう相手名誉毀損するでっち上げをしながら、相手を救うとかいう恩着せをするのが全く救えない。んで50年もの間「かー、ゼラオラに呪われちゃうんであの山には入れないんだよなー。かーっ。呪い無ければ事故調査も開発もできるのになー。かー」とか責任転嫁をしてきたという醜悪さがある。

それがポケモン世界観だと言えば世界観なのかもしれないが、そのゼラオラサトシピカチューは叩きのめすことで「ともだち」にして「ともだちだからもう遺恨はないよな?」とする脚本は、おいおいいくらなんでもそれマジで書いてるのかよ? 的な部分はあった。

ポケモンは三歳児程度には意思疎通な生命体なんだけど、ペット(守るべき対象)なのか、それとも一種亜人権利を認めるべき存在)なのか? って言うこの問題意識はポケモン第一から見え隠れしている。しかし今回は輪をかけて「ポケモンはともだち」というパワーワードゼラオラが見かけ上はネコ科の獣人っぽい外見(人型)であるという2点で、極まってしまっているように思える。明らかに独自言語能力を有して、周囲の同族ポケモンを守り、森林火災から救助するほどの知能を持つ知性体を「呪い」扱いしてトラブル責任転嫁をするって、どうなのよ。

そもそもウラティルギアの呼んだ風を用いる発電で街を興し、毎年一度「風祭り」の日にルギアを招いては風力発電の維持を願っているような街である。風がとまれば電力も絶えて街は闇に包まれ住民たちはうなだれる。そういう関係を「ともだち」っていうのか? 母親の財布から毎月数千円くすねて上納することによって「ともだち」になってくれるクラスメイトより気持ち悪くないか

そういう意味で今回の映画は、自分個人が楽しめないとか以上に「この映画を無邪気に楽しめるってやばくね?」的な心配が発生してしまった。この心配方向性は「ドラえもん のび太の宝島」によく似ている(ドラえもんのほうがヤバさは上だが)。

いいとこその1

ポケモン映画は毎回なんだけど、街の人混みの中や自然の中にちょこちょこと数え切れないほどのポケモンが登場していて楽しいウォーリーを探せ的な楽しさがある。その気持ちよさ楽しさは今回もたっぷり楽しめた。

いいとこその2

要人物の一人「コミュ障ポケモン研究者トリト」のパートナーポケモンであるラッキーがよい。

脚本演出がどこまで自覚的だったのか怪しいのだけどこのラッキー存在が、映画全体に対するアンチテーゼになっている。

トリトポケモン研究者でいつも多くのポケモンに囲まれているんだけど、いつも一番近くにいるのが癒し系ラッキーで、おそらくこのラッキーは、トリトを飼い主であるとか主人であるとか思っていない。トリトのことを自分保護すべき存在だと、あるいは下手をしたら、トリト自分の子供だと思っている。

ポケモンが一体何なのか? 都合の良い労働動物なのか? 資源なのか? 生存権保護すべき対象なのか? 人権さえ認めるべき存在なのか? というテーマシリーズにグッサリ刺さった楔なわけだけど、それってあくま人間を中心にした人間視点しかない。

ラッキートリトのことを意気地無しで世話が焼ける存在だと思っていて(そしてそれは正しい)、そのうえ自分が世話をしてやる対象だと思ってる。

それはポケモンの側からみて、人間が「時々発狂して面倒くさいメンヘラ同居人」なのかもしれない、というシリーズブレイクスルーになりうる(非常に薄くて小さな突破口だ。

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