はてなキーワード: 哲学とは
譲渡担保とは、 以下のように、 BがAに、物であるCを譲渡するという方法によって、BがAから金融を受け、もし、Bが返済しないときは、AがCを取得する
A → B
物C
立木法では、立木は動産とみなされているが、法律の技術では、みなす、というのは、別に、数学において、虚数単位 √ー1=i は存在しないが、有益だから使用してもよいのと同じで、
みなしてもよい。法的確実性における技術的な矛盾が生じているのではないかと思われるが、 哲学では、 √ー1のような矛盾したものでも認められているので、法学にそれがあるとしても
不合理ではない。 次のように土地が二重譲渡されて、登記をするかどうかについても、 法的確実性と 民法の公正公平の原理、具体的妥当性の矛盾を超克するために、
甲 → 乙
↓
丙
↓
丁
哲学には演繹法と帰納法があって、 演繹法の方だと、そもそも何が使えるか分からないところがありますが、強引に使える場合があるので、その強引と言うのが味噌なのですが、帰納法は1個しか
ありませんので、演繹法と言うのは、定義をやって基礎を作って論理則で出してくる方法で、帰納法は、
え?法学だと、 エクイティとか言ってイギリスの地方裁判所が、イギリスでの判断は、帰納的にやって、大陸で生まれたのが演繹法であると言われる。大陸では定義をして段々に出していく。
イギリスでは、事実から出立して、何かを作ってやるといっていました。つまり事実が先に会ってそれごとに規範を作ってやるというちまちました奴をエクイティと言っている。アメリカではそれを合体させた
ということである。 なんかが先にあってそこから機械的に出て来るという考え方が、フランスとかドイツで、規範は事実から出て来るというのがイギリス
演繹法では、何を適用するかがいくらでもあるのに対して、帰納法は1個しかないので、それで出来ると判断した場合には、やり方は1つしかない。
『人生』っていう本の登場人物って、多分沢山居て。少女AとかBとか、そういう有象無象の頂点に立つのが、主観的に物語を見ている、私たち。どんなにクソみたいな人生でも主役はどうしたって変わらないし、変わったように見せかけて実はずっと自分の人生を生きてる。
そんなことを思ったって、今日バイトがあることに変わりない。重たい頭をかかえてクロワッサンを頬張る。時刻は13時。今起きたばっかり。思考が上手く働かない、ふわふわする。日曜日の昼からバイトで潰れるって、一番気分が重たくなる。苦虫を噛み潰したような顔で喉を鳴らす。強化ガラスのコップに、飲みかけのペットボトルから麦茶をうつす。
麦茶って、癖がないから飲みやすい。私がそう思うだけ?麦茶みたいな人生を送ってみたい。さっぱりしていて、透き通った褐色だけど、深みがある。これに氷を入れたら完璧な人生。澄み切った氷が心臓になって、溶けた頃には成熟して死ぬ。いいかもしれない。私も麦茶みたいになろう。コップを持って、一気に飲み下す。息を吐けば、頭もすっきり冴え始める。
結局、どんな人生になるかはこれからの私次第。実は今、こうして悩んでいるけれど、まだ20歳にすらなっていない。酒の味も知らないし、煙草はなんだか不味そう。でも、バイト先でちらと箱を見た、紺色に金の…あの箱は何だったかしら。きっと煙草だ。そこまで考えて、はっとする。私、話がとびすぎるのだわ。口を手で覆う。今何を考えていたか…そう、人生。これからの私のことだ。
人生色んな可能性がある。事故で死ぬかもしれないし、不治の病で夭折するかもしれないし、はたまたギネス記録に認定されるような長寿にもなれちゃったり。でも普通は、適当に生きて適当に死ぬ。のだと思う。人生って、主役側で過去は書き換えられないから面倒臭い。でも、先はちょっとだけ変えられるかも、っていう希望だけで生きてる。人間って面白い。だってバイトに行きたくないだけで、人生のこと考え出すし。
考えすぎちゃった。精神辛くなる前に、さっさとバイトに向かってみよう。まずはメイクしなきゃ。今日はちょっとアイシャドウ、ラメ多めにしよう。テンション上げたいし。哲学ばっかり考えていたら、人生もたない。
程々に生きていたい。メイク道具を適当に放り込んだ紙袋を、怠惰に引き寄せる。この瞬間、『人生』のページにはなんて書いてあるんだろう。とりあえずメイク盛れてるといいな。
おもしろい。
信頼(しんらい)とは、相手や対象に対し自分の期待した通りの結果が帰ってくることが信じられること。どれだけ信じられるかの定量的度合いを信頼性や信頼度という。
(wikipediaには信用の項目は無し)
イマイチ要領を得ない。社会心理学の用語として載せられている。ここで調べる先を間違っていたことに気づく。
信頼(しんらい)
1. 信じて頼りにすること。
信用 (しんよう)
1. 信じて任用すること。
wiktionaryの定義によれば、信頼は一種感情的なものでさえある。しかし信用は、例えば"信用取引"などという言葉があるように、感情ではなく、どちらかと言えば"合理的な期待"に類似することが分かる。
/* だが、信用と信頼を、意識して使い分けている人が、どれほどあるのか?あるいは、ごちゃまぜに認識している人も、いるのではないか?というのも、私もイマイチ意識していなかったために、こうして調べているのだから。
例えば「そんな人のこと、信用しちゃダメだよ」この文がどちらの意味を(感情か、合理的な期待か)持って信用という語を使っているのか?それは発言及び人物の背景を見ないと分からないと感じる。
形而上の言葉というのはそういうものだろうか。(哲学初心者)*/
信頼とは裏付けも担保もなく相手を信じること。 これもアドラーの言葉です。 信用というのは条件つきで相手を信じること。(引用元)
「信用」と「信頼」では微妙に意味が違う。前者は損得を計算した上で相手を信じる行為を指すが、後者は利害を超えて相手に身を委ねる気持ちがあらわれている。違いを意識した上で英語に訳すと、「信用」は「give credit to s.b.」、「信頼」は「rely on s.b.」というのが適当かと思う。
藤田達蔵著「ガイドとの交信マニュアル」の第5章「交信のコツ」の「5自信を持つ」から以下抜粋する:
「必ず期日までに返済するならお金を貸してやろう」というのが信用です。それに対して、「きっと返済してくれると信じているからお金を貸してあげよう。もしも返してくれなくてもそれはこちらの責任。君を信頼しているから貸すよ」というのが信頼です。
---
村上春樹氏は、『村上さんのところ』に収められた読者への返事に自らの考えをまとめた:
長嶋茂雄さんはかつて「選手は信頼するけれど、信用はしない」という名言を吐かれました。要するに配下の選手に対して「基本的にはポジティブに受け入れるけれど、細部に関してはしっかりと疑いの目を向ける」ということなのでしょう。例によって「長嶋語」ですが、なんとなく感覚としてはわかりますよね。
「信用」と「信頼」、「信任」を使い分ける | Web Pages Japanese-English And English-Japanese Wiki | Fandom
木浦 幹雄 / KIURA Mikio @ANKR DESIGN
@kur
テツロー
@punpupuuuun
·
返信先:
@bombombomb2017
さん
事例あります(ドヤァ)で終わること多いですよね。。。なんで?って聞くと、信頼性、コスト、納期ぐらいしか皆さん言わないですし。。。
ここで"信頼性"という語を思い出す。これは「reliability」の訳語だろうか。統計やモノ、サービスがどれほど"そうである"という期待を持てるか、というところか。この概念は信憑性、確実性とも言いかえられる。やや"信頼"からは離れた言葉のようだ。
話が逸れた。まあ、ここまでの感じを見ると、「聞いた話を元に株を買うことと、株を買うために金をそいつに預けること。」は、双方、信用した結果の行動というところか。
信用は、必ずしも信頼を必要とせず、例えば過去の実績や、業績などを理由に行うことができる。という感じだな。
モノに使う場合は、"機能を発揮することの期待"(0/1)が信用で、"可用性、もしくは妥当性を期待すること"(1が継続すること、あるいは1が1であること)が信頼かもしれないが、調べたりないし、もう飽きたのでまたいつか。
つまり、こういう事。お前は選択する自由がある。しかし、その正解が予め決まっていて正しい方を選ばなければならない。間違えた場合罰せられるか共同体の中に存在しながら無視される事になる。
個人に先立つ社会は存在しない前提のはずなのに、多様な思想の一形態である個人の主観的感想が劣っていて、集団的意見の方が優れてるとはとんでもなく酷い逆説。
>強制された選択の状況は、主体が、自分の選択とはかかわりなくすでに属している共同体を自由に選択しなければならないのである。
問題は、彼は実際にはけっして選択する立場にないというこである。彼はつねに、すでに選択したかのように扱われる。
しかも、こうした強制選択は全体主義的な〈権力〉が主体(人民)を捕らえるために利用する罠であるかのような第一印象を与えるにも関わらず、そこになんら「全体主義的」なところはない。━━スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
誤った選択をした場合に精神障害者のレッテルを貼るところもファシズムそのもの。「そっち側」って言って自分から切り離そうと異化してるけど君も「そっち側」の人間だよ。直接明言しないだけで。
民主主義的自由は間違ってても尚当人がそれを支持できる愚行権が備わって初めて非-排他的社会を構成することが可能なんだから報復を超えた直接的実害性(ヘーゲルが歴史哲学講義で例に挙げた放火に類するもの)の伴った行為でなければ例え悪意に基づいていても民衆それぞれに主権が具わる共同体では許容される。(不能犯を不可罰にする判例等)
なのにその思想を持ったというだけで構成員である元増田を排除しようとしているってわけ。
根底の価値観は全く同じにも関わらずより効率的に排除するために慣習的常套句まで利用して排他的社会を推進しているのに、まるで民主主義の番犬のような顔をするからより質が悪い。共同体主義のドイツ的ファシズムを選択するぐらいなら『アルファヴィル』のような実証主義的管理社会の方がマシだろ。
つまり、こういう事。お前は選択する自由がある。しかし、その正解が予め決まっていて正しい方を選ばなければならない。間違えた場合罰せられるか共同体の中に存在しながら無視される事になる。
個人に先立つ社会は存在しない前提のはずなのに、多様な思想の一形態である個人の主観的感想が劣っていて、集団的意見の方が優れてるとはとんでもなく酷い逆説。
>強制された選択の状況は、主体が、自分の選択とはかかわりなくすでに属している共同体を自由に選択しなければならないのである。
問題は、彼は実際にはけっして選択する立場にないというこである。彼はつねに、すでに選択したかのように扱われる。
しかも、こうした強制選択は全体主義的な〈権力〉が主体(人民)を捕らえるために利用する罠であるかのような第一印象を与えるにも関わらず、そこになんら「全体主義的」なところはない。━━スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』
誤った選択をした場合に精神障害者のレッテルを貼るところもファシズムそのもの。「そっち側」って言って自分から切り離そうと異化してるけど君も「そっち側」の人間だよ。直接明言しないだけで。
民主主義的自由は間違ってても尚当人がそれを支持できる愚行権が備わって初めて非-排他的社会を構成することが可能なんだから報復を超えた直接的実害性(ヘーゲルが歴史哲学講義で例に挙げた放火に類するもの)の伴った行為でなければ例え悪意に基づいていても民衆それぞれに主権が具わる共同体では許容される。(不能犯を不可罰にする判例等)
なのにその思想を持ったというだけで構成員である元増田を排除しようとしているってわけ。
根底の価値観は全く同じにも関わらずより効率的に排除するために慣習的常套句まで利用して排他的社会を推進しているのに、まるで民主主義の番犬のような顔をするからより質が悪い。共同体主義のドイツ的ファシズムを選択するぐらいなら『アルファヴィル』のような実証主義的管理社会の方がマシだろ。
平成22年頃の2ちゃんねる大法廷によれば、2ちゃんねらーの意見は次のとおりである。
① 初等幾何の問題は、仮にあったとしても、 ベクトル、複素数、方程式のどれかによって解けるし、未解決問題も存在していない。初等幾何の意義は、小中学生の知能指数の
訓練だけである。未到達の問題に到達するのに際して、 幾何学はする必要がない。
③ 数学の哲学においても、時間に関係しない永遠不変の美は存在していない。 永遠不変の技術美は存在しているが、 結論が時間に寄らず永遠に美しいものがあることは
予見されていない。数学になければ人生にもそういうものはないのではないか?
④ 社会科学系、法律学における美 ・・・ 非常に厳しい。 1分か2分に間に輝くかどうかが見られており、1,2分を過ぎると、社会的には誰も見ていない。
① 2ちゃんねる数学板に対して 2ちゃんねるで最も糞な板・・・
① 解くるわけねえだろ。
モテないわけではない。何なら年に一度くらい誰かしらから交際を申し込まれる。また、そういうことが起きるくらい異性との交遊関係も広い。
思うに、この「交友関係が広い」というのが問題の根幹を成す。ある程度ちゃんとした意味で「友達」が多いのである。
肉体関係を持たず、たまに遊んだり、食事に行く。そういう異性の友人が少なくないくらいいる。
そして、こちらと「異性」として扱う気がない。別に肉体関係を欲していない。
もちろん、男友達みたいに扱ってるわけではない。彼女らは女性であり、性別による差は尊重している。
性欲がないわけでもない。けど一人でも処理できるのに、恋愛関係になりたいと思ってない友達と肉体関係を持つのは「使ってる」みたいで受け付けない。
そして友人らのうちごく一部から稀に告白されても「そういう関係じゃない」と思って断ってしまう。(付き合ったことはあるけど束縛関係が煩わしくて別れてしまった)
世の人たちは、異性と仲良くなるのに「友人関係」というカードを切るより「恋愛関係」というカードを切る方が簡単なんだろうな。
正直、確かに異性と仲良くなるのに友人関係に拘る必要は全くないと思う。
私も中高生のころに妙な哲学を拗らせなければそうなれてたと思う。
ちゃんと女性と友人関係になる技能を身に着けてしまったのが多分悪い。大半の人は中高時代にたとえ拗らせてもここで失敗する。
そもそも「付き合う」とは何だろうか。私は別に異性と付き合わなくても遊びに行けるし仲良くなれる。
付き合ってないと二人で出かけるなどは何となく難しい気がするが、それは社会からの圧力でしかない。
肉体関係を持つこと、社会的体裁を保つこと、あとは暗黙の束縛による支配欲を満たすのに「付き合う」が使えるのかなぁという気がする。
それなりに歳をとってきて、結婚願望は出てきた。
あと数十年後に(たとえ関係が冷え切っていても)自分を社会的に承認してくれる象徴のようなものがいてくれると、どれだけ安心するだろうか。
将来の結婚を考えるならこの「付き合う」というプロセスは必要なのだろう。
別に誰かと付き合いたいわけではないが、付き合った方がいいんだろうな。
食べ放題のルールはどうあるべきか?ってところから、功利主義を起点としてリベラリズムの批判的検討とかで議論できるなら法哲学の教科書読んでみるときっと楽しいよ!!
今のおすすめは問いかける法哲学(https://www.amazon.co.jp/dp/4589037882)が大学教科書相当の内容ながらポップな切り口で読めておすすめ!
「どうして自分の臓器を売ってはいけないの?」みたいな素朴な疑問の底にある法的な価値観や「児童手当は独身者差別では?」といったもうブコメ大荒れ確定みたいな話題まで事欠かないよ! ちなみに今度新刊が出るよ!
「法哲学」ってジャンルが、いわゆる政治的な思想に基づくルールの決め方や、「法律」っていうのがどういうもので、どうあるべきなのか、といったことについての議論をしているから、一見とっつきにくいように見えて皆が普段話しているようなことにとても近くて、きっと世の中で一番身近な哲学なんじゃないかなって思ってるよ!
みんなもぜひ手にとってみてね! 法哲学で議論されてきたいろいろな概念を学ぶと、ブコメするときにもきっと良い足がかりになると思うよ!
あるいは学生未満の議論にならない「素朴な」意見をグダグダ喋りあってるのを見るのが辛いから基礎くらいは学んでから話をしていてほしい。
外国人講師が選ぶ「一番好きな日本語」 1位には「信じられないほど便利」と衝撃 2位「お疲れ様」に大差 - ライブドアニュース
https://news.livedoor.com/article/detail/26207863/
3位には「大丈夫です」(12票)がランクイン。「『大丈夫』はすべてを乗り越えていけます」、「日本語の中でも最初に覚えるべきで、最も使い勝手の良い言葉だと思う。いろいろな場面で使えます」と便利さが高く評価された。
2位は「お疲れ様でした」(13票)。「英語にはないフレーズだが、他人と経験を共有したいという気持ちをあらわす素敵なフレーズ」、「日本の労働文化の非常にポジティブな言葉で、励まし、評価、チームワークがいかに高く評価されているかを示していると思います」、「私たちはこれまで毎日の仕事が終わって別れる時、同僚にお礼を言うことはありませんでした。これは素晴らしい考え方だと思うし、とても尊敬に値します」と日本独自の文化を象徴する言葉として評価された。
そして、栄えある1位に輝いたのは、22票を獲得した「仕方がない(しょうがない)」。理由では「よく使います。信じられないほど便利です」と使い勝手の良さを評価する声のほか、「shouganai―この哲学を学べば、気分が軽くなる」、「自分の力ではどうにもならない状況を説明するのに使える、素敵なフレーズです」などの声もあった。