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はてなキーワード: 哲学とは

2017-08-20

https://anond.hatelabo.jp/20170820185650

第一人間には(例えば日本人には国法で保証された)人権があるのだけれど、じゃあそれって常に守られてるかって言えば守られていないよね。

殺人事件被害者死体なっちゃってるけれど、彼には生存権がなかったかと言われれば、あった。茨城自殺自殺しちゃった子供にも、人権はあった。だから人権さえあればいい」というのは誤りで、あったとしても誰もがそれを意識して守らなければそんなものはないも一緒なんだよ。

第二に、人種差別性差別は、いま現在ではそれが「悪いことだ」とされていることでも、ちょっと前までは日常的に行われてきた行為がたくさんあるよね。「A子さんもそろそろ結婚しないと困る歳よね?」なんて会話は、地方では本当に日常的に行われていて、おそらく言ってる側も悪意なんて特にない。このケースは言った側に人権侵害意図があったわけじゃなくて、人権やら差別に対する知識認識が足りてないから起きたケースだといえる。

第一と第二からわかるのは、人権っていうのは、それを学ぶのも、意識するのも、守るのも、非常にコストがかかるっていう事実だよ。一般的に暮らす人は、毎日おびただしい数の人権侵害をしている。しかもそれが侵害だっていう意識もとくにない。

人権意味と意義とそれの守り方を学ぶのは、それこそ哲学について修士できるほどの学習コストがかかるし、日々の生活の中で何の侵害もしないようにするのは聖人クラス気遣い必要だ。「そんなことないだろ普通暮らしをしていれば、他人迷惑をかける事なんてないはずだ」って言う人は、ただ単に見込みが甘いだけで、むしろそういう人ほど、学習コストを払っていないだけの、無自覚加害者である可能性が高い。友人同士の日常会話も含めれば、人間は、多かれ少なかれ侵害をしているんだよ。

個人的感想で言えば、そういうふうにお互いの権利を少しづ侵害し合うのは、完璧生物ではない人間にとって仕方がないと思う。多少のことは目をつぶり、相手苦痛を受けてたら素直にごめんなさいをする。目に余る部分は改善していく気持ちを持つ。そうして社会生活を送っていけば、それで良いとは思う。それは人権差別問題に、人生が終わるまでの間、人生のすべてを投資するという意味ではなく常に考え続けて、そういう世界と付き合っていく覚悟必要とすることなのだけれど。

しかし、一部の原理主義的な人、今ある混沌に耐えられない潔癖な人が、「自分よりも分かってない」人々に対して「いいからこの規則を守れ!」と言い出すものポリコレなんだよ。

ポリコレはある種の言葉狩りであり規範なので、人権そもそもの成り立ちに対する理解や、歴史的経緯に対する考察とか必要ない。メリットで言うならば、人権に関する高コスト学習をしないでも、表面を取り繕った秩序を社会にもたらすことが出来る。

しかし一方で、人権概念やその必要性に対する理解なくただ振り回す棍棒にも堕しやすいわけで、そりゃあ当然マウンティングの道具にもなる。

この件に対する増田の(そしておそらく、良識派の多くの人の)誤解の最たる点は「人権概念や成立やその運用問題点について学ぶことは、相当高コストだ」っていう一点にあるんだよ。だからこそ廉価版劣化版のポリコレなんてものが登場したし、いまも一定用途で(例えば政治家の公開発言や、企業広報などで)利用されている。

2017-08-19

https://anond.hatelabo.jp/20170818225406

ラノベ作家商業作品

現存のあらゆる哲学書より優先されるほど素晴らしいとは恐れ入った

2017-08-18

https://anond.hatelabo.jp/20170818211354

から他人否定するばかりじゃなくて、自分から積極的意見を述べてみようという意欲がみられるようになった点には成長を感じるけど

でも大丈夫?こないだ君が科学宗教の話を始めた時、思った以上に多くの人が大学レベル知識を身につけてるってことが判明しちゃったじゃん

「本は読まねーよ」なんて意地を張らずに、まず一度図書館にでも行って哲学論理学入門書を読んでみてからにした方がいいんじゃないかな

高校一年の時、やたら宗教哲学にハマってる馬鹿女居たなー

常に男を追っかけてるような奴。彼女のお眼鏡にかなったのは自分の幼馴染で、度々情報提供してた。

当時は大して交流も無かったのに幼馴染に同窓会で久し振りに会った際に握手を求められた。イケメンイケメンに生まれるべくしてイケメンなんだと悟った。

オートマタに関しては、

朗読コンサートも是非。

台本から観た千秋楽の衝撃…。

## オペ子6Oの登場する台湾公演や如何に…。

NieR Music Concert Blu-ray人形達ノ記憶≫ NieR Music Concert

| SQUARE ENIX

http
//www.square-enix.co.jp/music/sem/page/nier/concert2017_BD/

小説も如何に…。

小説NieR:Automata(ニーアオートマタ) | スクウェア・エニックス e-STORE

# : http://store.jp.square-enix.com/item/9784757554368.html

オートマタ本編でいうと、

やはり、Eエンドの演出。042の「繰り返す…」の流れ。

三周目の冒頭からの怒涛の流れも良かったです。

上げてから落とすパスカルイベントも…。

エミール追憶からの「同胞達の行方」の流れ。

記憶喪失」や哲学する機械生命体も良い伏線でした。

その他、本編を補完するサブクエたち。

ロミオ達とジュリエット達」や、

A2+ポッド漫才も良き息抜きになりました。

おのれ、サルトル…!

パスカル村の大型機械生命体の最後や、

論理ウィルス感染後のポッドの回答までの間も、

何気に…。

ウィンドウショッピングのくだりと2B最後場所…。

セーブ削除後、再度、最初から周回プレイをすると、

初見とは違った印象をもつのもまた…。

→ 「その戦いに誇りを…」を受けた2Bさんの表情、とか…。

→ 「裏切りのヨルハ」では話さな2Bさん、とか…。

バンカーが落ちたからそこ出来た自己犠牲、とか…。

2017-08-17

アイマスについて考えた」の続き

これの続き→(https://anond.hatelabo.jp/20170816030530#tb

はじめに

友人から教えてもらい、ツイッターふくめ何やらだいぶ反応をもらえていたようであることを知ったので(批判ばかりだったけど)、ありがたいことだなぁと思い続きをしたためますちょっとズレてます明日ようやく仕事に帰るのですよね、暇なのです。


イチローとか羽生の例えが不適切

彼らは清宮や藤井四段より遥かに上であったり、勝ち続けた経歴があるからこそ人気があるのだからなんかおかしい。といった趣旨批判いただきました。お目通しありがとうございました。


しかにそうですね、勝ち続けたからこそのドラマであると思います。ここは例えがちょっと極端だったかもしれません。要は「実力があろうとなかろうと、彼らに語ることができるだけの哲学のようなものがあるかどうか」ということを言いたかったのです。

例えば、名前ちょっと出てこないのですが、全敗しつつも走り続けたあの競走馬のようなところでもよいのです。馬に人格ドラマがどうこうという話ではないのですが、読み取ることができるだけのドラマ性があるかどうか、という話であります


「765は歴史があるからすごい、後発は歴史がないかダメと言ってるのと同じ」という指摘もいただきましたが、誤魔化さずに言えばこれはその通りです。歴史というよりはキャラクターとしての物語性による厚みの話なのですが、765アニメなどと比較して考え、「強固な物語性があるキャラクターが好き」と結論づけておりました(先の文章でもたしか)。まぁそんな感じ…そんな感じですね。


理由をつけて貶めたいだけ。ただのダメオタク

へい、まったくもってその通りでありやす。現状のデレミリは、それなりに考えてみて自分には合わないなと思い、遠巻きに応援していこうと決めてしまいました。リアル体験併用が推奨される最前線には行けず悲しいですが、やはり人が増えていると、このような強く雑な言葉を使う方々がいるものなのだなとも確認できたので、自分はやっぱり主な住所である過疎コンテンツ平和に過ごします。しかし10RTもされてるの怖いですねアレ、765もアニメ以前はあん場末感あふれる感じだったのでしょうか…。


わかる気がする

「細かいところはともかくとして、強いストーリー性とか完成されたキャラクターという点ではやっぱりエロゲーヒロインとかの方があってるような気がするんだよな、多分この人には(だから765ASがその中間にあるものとして受け入れられている)。だから生きづらさを感じるのもわかる」


ありがとうございます。まったくもってその通りであり、わかりやすい要約であります私的にはミリオンアニメがとても楽しみで、細々とCDなど購入しつつ自分が好きな方向性のものが新しく始まるのを楽しみに待っています


また引用させていただきます

「まるで後発キャラには物語や背景ないかのような言い方。ASだってコミュから読み取って保管されていったりを繰り返してバックボーンが出来上がったやん。」


後発キャラにも物語や背景があることは理解しています。ただ、自分が765アニメを観て本格的に好きになり始めた頃の「劇場アイドル」の雰囲気を感じることができず、現状はそこが重視されていないなと感じる次第です。765の各コミュが漁られている段階では、自分ニコマスを観たりたまにCDを買ったりといった程度でした。つまり自分がいま後発のアイドルに抱いている感覚とその頃の感覚は近いものなのかなと改めて考え直しています。先日の文章自分が持ち上げているのは「アニメ放送期の765プロアイドル」であった、と認識してくださると幸いです。


シンデレラミリオンアイドルと向き合わかなかっただけ

その通りです。自分は変質する時代と、それに合わせて変化したアイドルについていくためのスイッチを切り換えることができませんでした。やはり孤独ぼっち自分性格にはあっていて、765のメンバーでのニコマスアニメは楽しかったのですが、メンバーが極端に増え、ソーシャル性が求められるようになっていった結果、自分は置いて行かれました。しかアイマス全体の雰囲気はいまでも好きです。陰ながら新しいアイドルも買って応援しています


団塊オタクって感じだ

そう思います。いい語呂なので、今後はこれを名乗らせていただこうと思います


今のデレミリは「ソーシャル型」から劇場型」への過渡期

これを読んで様々な意味で嬉しくなりました。ミリオンアニメ錦織監督でやってほしいです…。


ストーリーに重きを置きすぎると解釈の幅が狭まる

アイドルの「要素」を最も大事にして、そこからまれる「物語」は8通りくらい考えておくのが、アプローチをかけるうえでベストなんだと思う」


やはりいろんな方がおられるなぁと思いました。素直にすごいバイタリティだと尊敬します。自分は出されたものをしっかり理解して、それをわかった上で応援したいタイプだと気づきました。ゆえにアニメニコマス派だったなと。みんなで解釈を共有して楽しんだり、自分ひとりでワクワクするのも自分には難しいです。団塊オタクですね…。


薄利多売なわけない。もう6年やってるんだぞ。

薄利多売ではないというのは、「ソーシャル性を重視した結果としてのちょうどよいキャラの厚み」なのだなという理解文章を書いておりました。文面にもしたと思うのですが、走り書きゆえ伝わりにくかったのだと思います申し訳ないです。


年数についてはあまり関係ないですね。上にも先の文章にも書いたとおり、ソーシャルアイドルの持っている性質として書いただけです。


うーん?

 「"「社会」が乱される" 社会の変化についてけない時に新しいものを腐す人というのが居るが、そうでもしないとそのことを受け入れられない・踏ん切りがつかないということなのだろう」


別に腐してはいません。


デレマスの界隈は遠巻きに眺めてるが

彼女らとそれを応援する彼らの爆発力も大事だしすごいと思う。自分は入っていけないのだけれど。 」


その通りですね。なんだか仲間意識を感じます


765ASさんの活躍の中で

ニコニコでのファン動画存在も大きいのではないかと思うのですけど(私が最初に知ったのもニコマス)、公式だけでなくファン(P)と一緒に紡いできた物語ではないのかしら」


その通りですね。自分としてはその集大成としてアニメ劇場版があり、完成した(させられた)様を観て、深く感動したタイプです。ニコマスは当時から好きでした、こないだ見たときはあまり765アイドルのものがなくて寂しく思いました…。


おわりに

様々な反応があり嬉しく思いました。自分普段いる過疎コンテンツは、平和というか、自分と同じように一人で完結できる人が多いため、今回ちらほらいらっしゃったような深読みしない・言葉が強い方の反応はなんだか新鮮でした。やはり怖いので遠巻きに応援していようと思います


先の文章で書いたとおり、「アイドル/神は一方的に与えてくれる存在ではない」ということを理解せず、ただ「狂信」しておられる方だなと、怖い方々がされていた他のツイートからは感じられました。コンテンツバブルお祭り騒ぎは得てして彼らのような狂信者によって支えられており、それを理解してはいましたが、今回はそれを実感として理解できたのも大きな収穫のひとつです。とじまりすとこ(団塊オタク語)。


いやー楽しいですね。よければまた、どんなものでもコメントいただけると幸いです。では寝ます

2017-08-10

https://anond.hatelabo.jp/20170810233907

反射的な感情自分俯瞰してる自分に挟まれてる感じありありだね。

こういうの哲学であったような。割りと昔からみんな悩んでることかもね。

https://anond.hatelabo.jp/20170810222858

まず宗教=カルトといった認識がにじみ出ているので、そこを見直しましょう。

宗教哲学の関わりは深いですよ。

2017-08-06

血縁なんて滅んじまえよ

母親が苦手。バリキャリプライドが高い。夫が死に、頼れるのは一人っ子の俺1人。

父も母も帰宅は22時程度だったが夜中2時まで仕事

親共々厳しい人たちだった。俺が言葉遣いちょっとでも間違えると、矢継ぎ早に指摘する。俺は話が聞いて欲しいだけで、正しい言葉遣いなんかどうでもよかったのに。

子供の頃の思い出は、1人で部屋で泣きながら食べている夕食。両親と食べたくなさすぎて、小学校高学年から親の反対を押し切って自分1人で食べるようになっていた。

あれから大学に入って、いい友人や先輩後輩に囲まれ彼女暮らし、本当に幸せだった。

努力して国立に入り、返済不要奨学金も獲得し、2年生からは自活してきた。

あれから父が死んで、母親も命に関わる病気入院

というかあれほど働いていたら長生きするわけないわな。

見舞いに行かなさすぎて、親戚からは怒られて。

地元に戻れなんて、冗談じゃない。俺は大学院国外に出るぞ。

虐待されたわけでもないから、親戚には全く親不孝に見えているらしいけど、

正直こっちとしては、選べるなら家族であることを選ばなかったのだから、本当に理不尽に感じる。

血縁で閉じている世の中は、幸運な縁に恵まれなかった人間にとって地獄だ。

血縁国家の「愛情」の本質は「外なるもの排除」であって、博愛本質と徹底的に反するっていうのは、百年前から哲学書に書かれている話だが、全く日本根付いちゃいない。

血縁に恵まれ人間には、そうでない人間気持ちは全く分からない。一般に"そうであっても産んでもらったのだから・・・"という人間は、虐待されて死んだ子供にも同じことを言うか。多分言わない。だとしたらどこに線引きがあるのか。恣意的な線引きに意味なんてあるのか。

勘違いしてほしくないが親に不幸になってほしいなんて思っちゃいない。むしろ不幸を志向したのはあっちで、俺はずっと幸福志向する親になってほしかった。でも彼らが重視したのは、仕事上のポジション、親戚からの見られ方であって、自分自身幸せでもなく、老後にあれをやりたい、これをやりたい、とたくさんの願望をありもしない未来に置いていった。

https://twitter.com/tm2501/status/893538176467324929

人間に「穢れ信仰」と「所有欲求」と「性欲」がある限り、合理的かつシステマティック恋愛不可能です。

この3つがパートナーにも本人にもない時にしか純粋経済共同体としての夫婦って成り立たないから、「恋愛問題考える時に、金とビジュアルの話ばっかするのは、違うくない?」と

<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>



逆もまた真なり(分類上恋愛だと言われるものだけでは恋愛が存続できない)もわかるけどさ…みんなが考えてることをいちいち言わなくてもいいかな…と。

件の「嘘か祈り」問題じゃないけど、本気でそれが本当だという人はいなそうだからもっと嘘と祈りを言えば?とね。

本当に本当に本当に、強い強度でそうだといい切ってる人なら、止めませんよ?

ただ、大体の人は観測範囲が狭いとか、経験がないとか、頭が回らないとかで汚染されてるケースが多いからねぇ…。

少数派や中間的な意見存在を汲み取ってないのではなく、多くの人がかかっていそうな洗脳配慮してる


@tm2501さん

から否定されているものを見ると反射的に肩入れしちゃうわけ。もしかしたらそいつ、めちゃくちゃ愛らしい何かだったりしたらどうする?っていう。どうもしねーよってとこだろうけど、おれは愛らしかったら撫でたりする。


そんなところだろうと思ったけど、確認できてよかった。読みながら「天邪鬼やな」と思いつつも、「これって一定数いるなら配慮して書いたほうがいいんだろうけど、どうなんだろう?」みたいな不安もあったから論戦に乗ってみたけど、まぁ…最初の印象通り前者やね



@tm2501さん

天邪鬼って言われちゃうとなんか寂しいけどね。まあ現実見てないのはそりゃそうだよだって目の前にいるわけじゃないし。目の前にいないものなんて全部フィクションだし思った通りだし思いもしなかったものにもなるしそんなもんだよ。ていうか見えてる世界が違うんだよ要するに。あなた恋愛と呼びたいものとは全然違うもの恋愛と呼びたい人もいて、それで何が悪いの?って。動物恋愛できる人も無生物恋愛できる人も私は神様子供を授かりましたみたいなのもその人が恋愛と呼ぶならその人と話すときはそれが恋愛なので。



哲学基準やねぇ…。そんなん言い出したら、辞書学術的な用語が成り立たなくなるからそういうものあんま認めたくない(逆に自分が間違ってた時はそっちに合わせる)けどねぇ


@tm2501さん

多くの人がかかってる洗脳のことはきっと多くの人が話してるしまあその人らは洗脳だと思ってないんだろうけど、だからってそこにそれ洗脳だぜ?って突っ込んでくのは端的に野暮じゃないの?とは思う。わたしせんのうされてるきがするの、ってあなたのところに逃げてきた誰かに言うならともかくさ。辞書は便利だけど辞書のために誰かと話すわけじゃないし辞書と違う言葉の使い方の人間が目の前にいたってまあなんとか頑張ったらそれなりに話せると思うし一度頑張ってみればいいと思うんだよ。


実際、そういう人がよく来るから、それを投影して書いているんだけどね。あまりにもありもしない強迫観念に突き動かされてる人が多いし、僕自身そういう時しんどい方に自分から行っちゃってるし


@tm2501さん

一対一の関係では多分誠実って言葉が似合うんだよそれ。でも一対多の誠実は、決めつけないことの方だと思うんだよな。私はあなたの味方です、と私はこういう人の味方です、の違い

別にどっちも悪じゃないけど、印象が同じとも思わない。

ああ、でも最初に書いた「内在的恋愛と外在的恋愛」あるいは「恋愛における内在的要素と外在的要素」に関しては、結構一般論として考えてるつもりではあるんだけどね。まあ会った時にでも話そうこれは。




というか「私はあなたの味方です」というのにたいして、青二才は「私はこういう人間の敵です」「私はこういう人間を謎の上から目線で見下します」っていってるわけ。よりたちが悪いのだけれど、青二才は一生理解できない。馬鹿から

2017-08-05

かわいそかわいそ増田

https://anond.hatelabo.jp/20170804223333

パッとみ、同じ人間の主張としては正直いってどっちもどっちだなー、って思う。

どっちが悪いってわけでもなく、「それぞれ流儀哲学もございますよね、生きた人間ですもの」といったところ。

仕事としてみると、PMの職責としては追い出す前に、何度か自分から増田に口頭でコミュニケーションを取りに行くべきなので、PMとしての職責を充分果たしていない点は批判すべきかと思う。

ただ、同じエンジニアとしてみると、PM感性よりも、この増田の「俺は悪くねえ」感あふれるスタンスの方が問題のように感じる。(感情として)

自分は元サーバサイド(データ解析とか)で、今はフロントエンジニア(計測とかUX改善とか)だけど、コードドキュメントベース確認する時はslackを使うし、文章としてトラック必要ものメールかコンフルを使う。

あと、大所帯なんで拠点別奴やフロア別奴とは必然的slackになる。

でも、どっちも必要ないなら口頭でコミュニケーションとった方が話早いと思ってしま人種特に案件意図とか作業の進行度合いの確認

これは、相手の顔色とか反応とか話ぶりを伺ったほうが文章で細かく確認観点を書き出すより効率的情報を得られるし、何より口頭のコミュニケーションのほうが直観的だから

(Web屋としてはより直観的なUXを選ぶべきだろう)

うちはソシャゲじゃないけど、広くWeb業界としてみると、有能なエンジニアより有能なPMのほうが希少なので(増田PMが有能かは別として)、エンジニアPMの求める最低限のコミュニケーション規約に合わせる努力必要だと思う。

あと、新しいチームにいったら規約自分で聞き出して把握するべき。ここばっかりはlint書いて貰える領域じゃないわけだから

今回のPM場合、口頭でおおまかに要望期待値スケジュール感を把握しつつ、FIXさせる必要があるところはメールBacklogで、くらいの温度感コミュニケーションをするべきだった。

これが出来ないとなると、増田のためだけにブリッジSE挟まなきゃいけなくなるわけで、実際新しい上司の元で仕事するってそれに近い状況になってるよね。

こういう1枚挟まなきゃいけないエンジニアって、正直にいって社内に飼っとく必要薄いし、同じ会社昇給しながら働きたいなら今後はやり方考えた方が増田のためだと思うよ。

30超えての自省でもあるけど、「こいつ飼っとく必要ないな」って思われるの、1度目は若気の至りで済むけど、2度目は避けないといけない。

かわいそかわいそ増田

パッとみ、同じ人間の主張としては正直いってどっちもどっちだなー、って思う。

どっちが悪いってわけでもなく、「それぞれ流儀哲学もございますよね、生きた人間ですもの」といったところ。

仕事としてみると、PMの職責としては追い出す前に、何度か自分から増田に口頭でコミュニケーションを取りに行くべきなので、PMとしての職責を充分果たしていない点は批判すべきかと思う。

ただ、同じエンジニアとしてみると、PM感性よりも、この増田の「俺は悪くねえ」感あふれるスタンスの方が問題のように感じる。(感情として)

自分は元サーバサイド(データ解析とか)で、今はフロントエンジニア(計測とかUX改善とか)だけど、コードドキュメントベース確認する時はslackを使うし、文章としてトラック必要ものメールかコンフルを使う。

あと、大所帯なんで拠点別奴やフロア別奴とは必然的slackになる。

でも、どっちも必要ないなら口頭でコミュニケーションとった方が話早いと思ってしま人種特に案件意図とか作業の進行度合いの確認

これは、相手の顔色とか反応とか話ぶりを伺ったほうが文章で細かく確認観点を書き出すより効率的情報を得られるし、何より口頭のコミュニケーションのほうが直観的だから

(Web屋としてはより直観的なUXを選ぶべきだろう)

うちはソシャゲじゃないけど、広くWeb業界としてみると、有能なエンジニアより有能なPMのほうが希少なので(増田PMが有能かは別として)、エンジニアPMの求める最低限のコミュニケーション規約に合わせる努力必要だと思う。

あと、新しいチームにいったら規約自分で聞き出して把握するべき。ここばっかりはlint書いて貰える領域じゃないわけだから

今回のPM場合、口頭でおおまかに要望期待値スケジュール感を把握しつつ、FIXさせる必要があるところはメールBacklogで、くらいの温度感コミュニケーションをするべきだった。

これが出来ないとなると、増田のためだけにブリッジSE挟まなきゃいけなくなるわけで、実際新しい上司の元で仕事するってそれに近い状況になってるよね。

こういう1枚挟まなきゃいけないエンジニアって、正直にいって社内に飼っとく必要薄いし、同じ会社昇給しながら働きたいなら今後はやり方考えた方が増田のためだと思うよ。

30超えての自省でもあるけど、「こいつ飼っとく必要ないな」って思われるの、1度目は若気の至りで済むけど、2度目は避けないといけない。

https://anond.hatelabo.jp/20170804223333#tb

2017-08-01

最近読んだ漫画

湯神くんには友達がいない

この作品をどこで知ったか覚えていないが、後で読みたい漫画リストメモっていたので読んでみた。

思いの外面白かった。特に絵がうまいとかシナリオが良く出来ているという漫画ではないものの、不快感や展開への不安を抱かせずに進みのでいつ中断してもいいという気持ちで読んでいける(褒め言葉

野球に一切興味のない自分だが、1巻丸々大会をやった時は驚いた。しかもそれなりに読めるのでなおさら

動物ネタ落語ネタ木材家具作ったりしたのは作者の身の回りではやった事を取り入れたりしていたんだろうか…あまり漫画で拾うネタじゃないようなのが多い。

序盤によくあったぼっちあるあるネタ体験談なんだろうか、あまり悲壮感なく描いていたので余計な事を思い出さずに済んだ。

ヒロインの綿貫は特別可愛いわけではないが、学生時代こういう子がいたら惚れていただろうなという印象。

ラブコメではないので湯神と綿貫の恋愛が発展する気配もなく、やきもきする気持ちにもならない。

恋人に間違われたりそういう雰囲気になりかけても、お互いそういう感情に一切なっていないのでこちらの妄想もなかなか捗らない。

ので、ラブコメを直前に読んでいたりしたらやきもき出来ずにがっかりするかもしれない。

そういえば後半から財前くんと美人のあの子消えたね

しかに色々と扱いづらそうではあったが…どう考えても門田、久住に人気が偏ってそうだしそっち出すのが有線だよなあ

日常系に近いのかな、話のネタが尽きないのは凄い

加えてたまに出る作者の哲学生き方のような話が出てくるのは面白い

打ち切りされそうだったのに11巻も続くなんてやるよなあ

■やがて君になる

百合っぽい漫画、これもどこでタイトル知ったか覚えていない

こちらは話が平坦過ぎるかなあ…学祭とか合宿とか、学生主人公漫画定番イベントに合わせて話が進んでいるようでいまいち盛り上がらない

先輩との関係も今にも崩れそうで安心してみていられない、がやきもき成分もあまり高くないのが勿体無い

主人公も先輩もはやくお互いの好意に溺れるぐらいして欲しい


駄文

2017-07-31

誰が私を消したのか

学生時代、私はなんで生きているんだろうと本気で悩んでいた。とにかく、みのまわりのことに何でも疑問を持っていた。考えることが楽しかった。

放課後休日哲学系の本を読んだりして、考えた。下宿の部屋に引きこもって単調だったけど、いつか自分死ぬ瞬間や宇宙の果てに思いを馳せてそれはそれで充実した生活だった。図書館は本当に多くの本が置いてあって、夏は涼しかったので今日みたいな暑い日は図書館で過ごしてたっけな。

そんな学生時代は長く続けられなくて、仕方なしに就職した。「どうして私は生きているんだろう」と考え続ける仕事など存在しないので、それなりに興味をもっている内容の職種についた。しかし、激務で心を壊し思考のすべてを失ったと感じた。ただ眠れないということが、こんなに辛いとは知らなかった。

私は逃げるようにして転職した。流れ着いた先は片田舎限界集落みたいなところで、仕事はゆるかった。枯れた心はミルミル癒やされ、定時帰りの週休2日という幸福をかみしめている。

仕事が楽になって、心も楽になったはずだった。だけれども、あの頃感じた世界に対する疑問というものは湧いてこない。なんだか、ただ現実を乗りこなしているだけで生きているという実感がない。

お金って、どういう性質のものか?

お金に細かく言う人や冠婚葬祭に、渋る人の感覚が良く分からなかった。

自分がたいして、お金に、今まで、困っていなかったからだろうか。

日銭、小銭の管理方法も含めて文化資本なのだろうが。

そこまで、お金のついて、どうしたら増やせるか?とか、

増やしたいなんて思ってこなかった。

だって健康で無ければ、お金稼げないし、

ストレスをためた状態では、気分良く過ごせない。

今まで、哲学とか生き方とか、やりがいとか何かまっすぐに突き進んでいれば、

いずれは、道が開けるかと思っていた。

あるいは、人の為に頑張っていたら、誰かが助けてくれるかと、思っていた。

お金も、ついてくるかと思ったが。

どうも、そうではない状況だ。

組織も、お金人間共同幻想って奴なのか。

単純に実態がなくても、数値化されて、物質化されるものなのか。

  

未だに、おっさんになっても分からない。

2017-07-29

https://anond.hatelabo.jp/20170729000632

人間普段付き合ってる連中と同程度の脳みそなのと一緒で、普段読んでる文書と同程度の文章しか書けないよ。

ワシ、15年くらい前は結構むつかしい本ばかりよんでたから、今よりもずっと面倒くさい格好つけた文章かけてた。

なにをトチくるったか物理とか哲学をかじって、本から受け売り知識記事も書いてた。

そのあたりのコピー感はちょっとアイタタタってな感じではあるが、それでも今よりは遥かに人としてのランクが上みたいな文章であったことは間違いない。

ということで、むつかしい内容の文章かいたり話がしたかったら、普段から相応の本や新聞を読んだりサイトを読めってこった。

それに10触れれば2ぐらいの内容の文章は書けるはず。

2017-07-27

ZENOS - SOCIAL OPERATION SYSTEM

Everything is void, everything is true.

So you have to stand on a certain stance.

ZENOSとは新しい社会構造体を創り、

運営するために必要フレームワークかつ哲学である

ZENOS is a framework and philosophy for creating and managing a new social structure.

人間社会構造自然言語を用いた、

プログラミング言語によって実装されたシステムとして捉え、

社会制度、行動規範コードし、人間オペレーションするフレームワーク提供する。

また、この基本原則は河﨑純真現代的に即した新しい価値共同体を作るために聖書エホバの証人東洋思想、禅、神道科学哲学資本主義またはValve新入社員マニュアル山口平氏の著書を元に定義したものである

価値共同体とは、同じ価値観を持った人々で形成される集団のことである

https://github.com/ozcn/zenos

http://www.thezenos.com/

https://anond.hatelabo.jp/20170727050621

ちゃんと通じてんじゃん、文面通りに捉えれば作品を語ることに対してだよ。

それにバイブスや執念や情熱哲学だって大概抽象的。

2017-07-26

ニセ科学批判ネトウヨが結び付けられるようになったことについて

 最近、ニセ科批判とネトウヨの結びつき、みたいなのについてツイッターでよく見るので、思うところを書いてみることにする。

 先に、俺の立場について書いておくと、もともとニセ科学批判クラスタにいる(た)人間である。以下、いろいろと書き連ねたような事情もあって、最近はニセ科学批判クラスタを批判的に言及することが多くなってきたが、やっぱり世界科学だろう、という思いは変らない。

 余談だが、ニセ科学批判クラスタを批判する人、というのがニセ科学勢力とか、トンデモ勢力というのは意外に成り立たない。そういう連中を自分積極的フォローしてないというのもあるかもしれないが、その手合いはまず自分たちに批判的な人がいることについて詳しく言及すること自体不都合なので、あんまり触れないのではないかとも思う。クラスタの言説に詳しく触れながら批判する人というのは、何だかんだいって「ニセ科学は嫌い」寄りの人間が多いようだ。

 あらかじめ書いておくと、自分見解は、「ニセ科学批判とネトウヨ本来、つながらない」であるしかし、そう言い出す人がけっこういる、というのも理解できないではない。まして、「またネトウヨ連呼厨ガァー!」などと言い出す気にはなれない。なので、どうしてそう思われるようになってしまったのか、といういくつかの自分の思っている理由について書いてみようと思う。

 なお、あくま自分観測範囲ベースなので、それ以上のエビデンス統計的根拠はない。ほしかったら基盤Bでも持って出直してきたら調べてやらんでもない。

 あと、話は基本的ツイッター世界が中心である

3.11以後の動き

 ニセ科学批判とウヨの親和性、という問題が語られるようになったのは、やっぱり3.11以後が決定的である。いちおう、3.11以降について、特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、ニセ科学批判派がおおむね正しかった(細かいとこで間違いや軽口があったのは否定しない)というのは間違いないので、これはどんどん認めていくべきである。そして、その上で、致命的なレッテルを引き寄せる結果となったことについてもそろそろ考えるべきだと思う。

 3.11直後にデマ批判をする人が、今となってはかなり信じがたい形で「ウヨ」と手を結んでいたのは確かだ。これはひとえに、デマの流布をほっておくことが人権問題になりかねない状況だったことによる。一例としては、ゴリゴリ左派左巻健男石井孝明をRTしていたことがあるくらいである。それは、個人的にそこはRTしなくてよかったんじゃないかと思うツイートだったが(別にどうしてもしなきゃいけないRTでもなかった)、しかし当時はそれでも連帯できるところは連帯しないといけない事情だったのも確か。とはいえ、そのRTを見てニセ科学批判派の中にいる自分でも嫌悪感を覚えたので、その外にいて、かつ左派寄りの人がどうとらえたか想像に難くない。

 元々、デマ批判を発信していた人には政治的には左派が多く、その中には、事態が落ち着いた今は左派クラスタのなかへと帰っていった人も少なくない。今となっては、「福島差別」について関心が高いアカウントというのの少なから割合がただのウヨアカウントであり、人権問題危機感を抱いて近づいてきたというよりは単に「ダシにしにきた」ことも明らかになりつつあるのだから、この時期のことについては、ちゃんと後処理をしておくべきではないかと思う。一方で、安易にウヨレッテルを張った側も、そのレッテルについて再検討する必要がある。

多層的な「ニセ科学批判者」

 ニセ科学批判というのは多層的に発信される。最初の発信者、つまり、積極的に資料をあたったり文献をあたって、情報を発信していた人はもちろんいるにしろ、その人たちの話がどう広まっていったかといえば、メディアが広めた場合ももちろんあろうが、ツイッターなどネットではそれを再発信する人によって広まったわけだ。この人たちの中にも濃度がいろいろあって、「なんとなくRTした人」「そういう話を見たら積極的にRTする人」「RTして、自分でもそれをベース意見をいったりする人」「それがさらにバズって積極的ニセ科学情報を集める人」とまあ、いろいろだ。

 こうなると、ニセ科学批判クラスタといっても、もともとの「ニセ科学批判派」の声は流通する情報割合的にはごくわずかということになる。

 俺がやばいと思う層は、じつはこの水増しされた部分であるデマ批判が機能したのはこの部分あってこそなので、水増しという言い方は語弊があるのかもしれないが、しかし、ネトウヨニセ科学批判がむすびつけて論じられることに責任があるのはこの層ではないかとも思う。

 この層、とひとくちにいっても、いくつかある。

(1)善意悪用して、自分イデオロギーをのっける層

 まあこれは文字通りの「ウヨ」層だ。前述の石井孝明とか、池田信夫なんてのもそうだろう。この亜種(1A)としては、ウヨというよりは「左派が憎い」というイデオロギーをかぶせていくケースもある。佐々木俊尚とか、伊藤剛あたりがそうだろうか。そうそう、伊藤剛と昔仲良し今は犬猿の仲唐沢俊一も忘れてはいけない。君たちお仲間だよおめでとう。あるいは、こうやって膨らんだ層を客層にあてこんだ「御用文化人」というケースも亜種(1B)の一つだろう。いちえふの作者なんてのはそうだと思う。最初はけっこうまじめな信念を持って作業員のルポを始めたんじゃないかなー、とは思うのだが。

(2)人を叩くのが好きな層

 言っちゃあ何だが、科学正義であるしかも、ある程度実証が積み重なれば、相対化しようがない正義だ。本当は正義とか正しさなんて一ミリも興味はないのかもしれないが、とにかく人を叩く根拠がほしいならず者にとって、こんな都合のいいものはない。しかも、人権問題としての問題意識までくっついている。人権なんて一ミリも興味がないのかもしれないが、以下同文。

 正義暴走がデンデンという人はネットによく転がっているが、あまりこの点には言及しない、どころかこの正義だけは振りかざすのが大好きだったりもする。彼らの心情は、よくわからない。

(3)理系としての選民思想の持ち主

 一昔前のメディアに流れる文章には、理系に対する嘲笑偏見がいりまじったものというのが結構あった。それを見た理系人が、お前ら哲学で作った飛行機に乗れるのかよ、というような反発を持つのは想像に難くない。俺も昔はそうだったし。それは仕方ないところもあると思う。

 ところが、ネット理系研究者がどっぷりつかっていたり、エンジニアがどっぷりつかっていたりする場なので、そういう人が意外にマスをもてる世界である。それはいいことでもあるんだけど、結果、「理系カルト」のようなものが出来てしまうという面もある。その結果、「文系」をバカにするようなアカウントが出来上がる。昔、科学ネタアニメ談義が話が合うという理由高専生や理系大学生をけっこうフォローしていたのだが、どうもこういう方向に流れていく人が多く、非難がましいツイートが増えた結果リムられたりリムったりブロックされたりが増えた残念な記憶もある。

 これらの人が、放射能デマ批判、さらにはより広いニセ科学批判に群がったわけだ。どれもこれもあまり近づきたくないタイプである

 しかし、本来意味でのウヨはこの中では(1)か、せいぜい(1A)までに限られる。それが全体のうちどれくらいの割合を占めるかというと、あんまり高くないと思われる。おそらく、悪印象のかなりの部分は(2)(3)に起因しているのではないか。(2)と(3)は、本来的にはウヨ思想とは関係がない。しかし(2)はそもそもモラルを欠いている層で、ネットイナゴといわれる集団に近い。そういう人が、ネトウヨ思想親和性を持つのはまあ時間問題である。(3)は正直因果関係を断定しづらいのだが、確かに自分観測範囲では重なる人が多い。理系でもウヨ色の薄い人は理系絶対主義みたいなところには陥らない、みたいな雑な印象がある。

 そうすると、本来関係のない「ウヨ」と「ニセ科学批判」がセットで観測されるということが大量発生する。しかも、(2)(3)は人間性として最悪の、できればブロックしておきたいタイプだ。どこをどういじっても、ニセ科学批判がいい印象を持たれる展開がない。しかも、こういうアカウントに限って、やけにRTされる数が多く、ダメな方向にネットへ広がっていく。

 (この部分追記)「冷笑系」と呼ばれるような集団がともかなり重なっている、というのもいくつかの反応で見かけた。これはもっともだと思う。特に(1A)や(3)あたり。

 後出しじゃんけん承知で言うと、推敲前は言及していたのだけど、定義にやかましい人の怒りが二乗になりそうなのと、話がとりとめもなくなったのでなんとなく端折ってしまった。けれど、ニセ科学批判との関係について考える場合には、「いわゆるネトウヨ」より重要カテゴリーかもしれない。

こじらせびとたちの罪

 ネトウヨ定義というのは曖昧である。むしろ、厳密に定義したところで境界線附近人間大手をふって歩き出すだけなので、ある程度曖昧でいいと思う。ライトノベル定義みたいなものだ。物語シリーズラノベかとか三毛猫ホームズラノベかと言ってる分には意味もあろうが、そこにかこつけて「聖書はラノベでは」とか言い出す奴はつまみ出せばよい。

 しかし、世の中には問題児がいる。自分たちはつまらない理由ネトウヨ扱いされた、だからネトウヨを名乗ってトンチキなことを言い募ってやる!と言わんばかりの連中である。いまどき子供ももう少ししつけられていると思うのだが、そんないい大人がネットにはたくさんいる。被害者意識をこじらせているとしかいいようがない。本人はネトウヨ認定したほうが悪いと思い込んでいるのかもしれないが、申し訳ないが狂人の真似だと言い張って東大路通を走る人間京大生でなければ狂人である京大生でも狂人かもしれない。

 菊池誠氏があんなふうになったのは、一つのきっかけはここにあると思う。しかし、年齢的にも知性的にも社会的立場的にも、責任能力を逃れられる人ではなかろう。自分の不始末は自分でつけていただきたい。きっかけのもう一つの原因(と俺が思ってること)は、次の項で述べる。

 ジャンルは違うけれど、所謂キモくて金のないおっさん」を名乗りたがるネット住民、についても似たようなことが言える。

フィードバックはめぐる

 ツイッターにはRTとかふぁぼという機能がある。ふぁぼはまあいいとして(最近はこれもTLに流れてくるようになったが)、RTは誰が何をRTはしたかが、ある程度分かる。

 RTの基準は人によっていろいろだろうが、まあ第ゼロ近似としては「それに共感するんですね」だろう。直後のツイートで批判的に言及でもしておかないと、そう思われないほうがおかしい、と思う。

 ここでめんどくさいのは、「それに共感するんですね」の「それ」はツイート文章のものであるツイートしてる本人であるか、である。直感的には、前者だろう。後者は雑な見方に映る。ただ、発言属人的に見ない、というのはけっこうなことに見えるが、発言主と合わせて文意判断しない、ただの無責任な態度となることもある。見てる側が、いつも「こいつはどうしようもない奴だな」と認識していれば、それをRTする方も同類とみなされることもある。そんなのおかしい、という人もいようが、そういうものだ。

 さてここで上のニセ科学批判情報の発信の話になる。発信者する側も、自分が発信した情報を受けて賛同し、意見を述べたり非難したりするツイート自分のRTという形で放流するということをよくやる。別に発信者じゃなくてもやると思うからニセ科学批判に集まった人も、さらにそれをやるわけだ。

 ところが、その放流元が「札付き」であった場合、それを「ニセ科学批判に賛同してくれた」という文脈だけで読んでくれる人は、あんまりいない。ごくふつうアカウントなら、はいはい賛同者だね、ということになる。ところがそうじゃない場合問題だ。そりゃあ、ツイート単体ではいいことを言ってるように見えたりするかもしれない。でもそれを、みんな属人的に見ないでくれるだろうな、というのはおめでたい

 でもまあ、そういうことが一度や二度あった、というだけなら、まあどうということもないかもしれない。しかし、これを長く繰り返し続けていくとどうなるか。

 「お前はそういうやつなのか」で離れる人というのは離れられる側にとっても、分かりやすいし素直だ。だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。離れられた側は、もしかしたらなんだか事故にあったつもりになるかもしれない。自分はただ「賛同できるツイートを流しただけなのに」、と。

 それもそうかもしれない。でもそれが繰り返されるうちに、クラスタ自体が、濃縮されてだんだん汚染されていく。そして、やり取りをする相手というのは、本人も気づかないうちに影響を与えていく。フィードバックされちゃうのだ。

 2012年か2013年くらいまでは、きくまこ先生もそこまで変ではなかったが、その後加速するようにヘンな発言が連発されていくのは、こんな感じだったのではないかと考えている。

 ニセ科学批判そのものを凶器として振り回す層というのが出来た結果、その印象がネットイナゴ、あるいはネトウヨと非常に近いものになってしまう。あとは災害が広がるのみだ。子宮がんワクチン水素水、EM菌。本来ならネトウヨと関連付けられる要素なんてないものも、そのスジのアカウントが言及してはバズる、という光景は、「そこ」がイニシアチブを握っている、と認識されることになる。そうなれば、ウヨに批判的な人は近寄りがたくなる。もちろん、もともと発信元として活動していたような人は、自分左派であろうと発信を続けるだろう。でもそこまで中心にいない人は、距離を置くか、あるいはニセ科学批判派の語り口に疑問を持つようになる。

そして深まる左右対立

 このような先鋭化の過程で、本来なら近しいところにいるはずの、歴史修正主義批判や、反知性主義批判(本来意味も、日本独自派生した意味もどっちも含まれる)との溝が深まっていくことになる。めんどくさいことに、これらの集団原発や巨大科学のようなものには批判的で、甚だしい場合放射能デマに一定の親和性がある人もいたりするので、頭が痛い。

 よく、ニセ科学批判クラスタはこれらのニセ社会科学・ニセ人文科学問題には無関心だと言われる。発信する側については実際には必ずしもそうではないアカウントも多いのだが、群がっている層については確かに無関心…… どころか敵意を持っている人が少なくない。理系人が多いので馴染みが薄いし慎重な態度でいる…… というのはなくはないのだろうが、どうもそれだけで済まないところがある。歴史問題法律あたりに目をつけて観察していると、「馴染みが薄いからかかわらない」ではなく嬉々としてトンデモさんを引っ張ってきて何かつぶやいている、という光景を目にして頭を抱えることになる。

 「Aを批判しているのにBを批判しないのはなぜか」はほっといてくれというのは分からないでもない。ただ、それは本当にたまたまのこともあれば、党派性を後ろに秘めてみて見ぬふりをする場合もあるので、けっこう一概には言いにくい論点である状況証拠次第によっては、判断材料として持ちたくなる疑問であるのは確かだ。また、別にこういう「疑問」はニセ科学批判クラスタけが受けるものではなく、左派いちゃもんのように昔から言い立てられてきたことでもあるので、やはり状況しだいでこう問いたくなるのも当然だろう。

 しかしその結果、溝はますます深くなるのである

 こんなことが続いていくうちに、ニセ科学批判クラスタは「身内」に甘い、というような見方もされてくる。そんなことないよ、と言いたいところだが、最近たまにはてブあたりに上がってくるニセ科学批判批判へのブクマコメントなど見ると、妙にニセ科学批判サイドへの批判を矮小化しようとする「ニセ科学批判者」のコメントが見受けられたりして「ああこの人もかあ」という気分になってくる。

経済をめぐる対立

 先日ツイッター問題になっていたのは、これのようだ。mika_berry氏というツイッタラーリフレニセ科学批判とネトウヨのつながりについて言い始めてそれにニセ科学批判派やネトウヨ定義が気になるタイプが反発して少し炎上のようになったらしい。

 経済には明るくないので、具体的なところには踏み込まない。が、ニセ科学批判クラスタ、あるいはもしかしたら理系クラスタまで枠を広げてもいいのかもしれないが、けっこうな割合がいわゆる「リフレ」に近づいたのは確かにそうだなと思う。

 ただしここも距離の違いはけっこうあって、単に「反緊縮」に近づいた人もいれば、はっきり「リフレ」に近づいた人もいる。俺も反緊縮については多分同意すべきなんだろうな、と思う。

 なぜこういう動きが起きたかは分からない。単に、時代的に緊縮はもういい、という風潮だったのかもしれない。反緊縮は数字勘定してイメージやすい「ロジカル」なものからという、もっともらしい理由がつけられるのかもしれない。それはわからないのだが、しかしこの「リフレに近づいた側」の少なからぬ人が、その後決定的にウヨに近づいていくことになる。

 これも理由は分からない。反緊縮には賛同する、という程度の人は、あまりそっちへ動かなかったからだ。アベノミクスなるものがあったからといって、他の論点がいっぱいあるのだから、ウヨに近づく理由にはならないのである。むしろ経済で結果を継続して出せるように安定させるためにこそ、おかしな動きは徹底的に批判すべき、と思うのだが、なぜかそうならない人というのがいた。ニセ科学批判クラスタの外にもそういう人がやはり「なぜか」いて、新たな集団を作るようになる。リフレ経済的に豊かになることを期待するクラスタ、というよりは「政権を応援しマスコミを憎み野党のアラ探しをする」クラスタとなる。経済には明るくないのでよくわからないのだが、アベノミクスのような政策はほっとくだけだと企業が潤うだけだと聞く。こういう人が「再分配を求めるべき」「企業給料をあげよ」というような動きをしたという話を寡聞にして聞かない。本当に経済大事だと思っていたのか、いまいちよくわからないところがある。

おわりに

 昔ながらのニセ科学批判は、党派性から距離を置いているつもりの人が多い。これは「左派が多い」という、上で書いた話とも別に矛盾しない。もちろん、ノンポリもいる。俺だって党派がかるのは大嫌いだ。

 それはいいんだけど、そうありたいと思うこととか、自分たちはそうだと思い込むことは、あんまり何かを担保してくれることではない。

 ここ10年くらいのインターネット歴史は、ノンポリ政治的な層、特にウヨに振り回される歴史だった。

 1970年ごろの学生運動だって、多くは本質的にはノンポリだったという話はよく聞く。でも、左翼運動の迷走についての責任を問われないかといえば、そんなことはないだろう。

 俺が思うのは要するにそういうことだ。ニセ科学批判=ネトウヨというくくりは、なるほど雑だ。だけど、それを一笑に付せる無邪気さは、ちょっと俺には持てない。

(追記しました→https://anond.hatelabo.jp/20170802040735

顔が年々ブサイクになっていく

今、30代後半なんだけどさ、スマホ自分の姿を撮って見ると愕然とする。ブサイクすぎる!ってな。若い頃はそこそこもてはやされた顔立ちなんだけど、今じゃアゴはたるんでるし肌もハリが無いし、目元のくすんだ感じも相まって見る影もない。マジで自分こんなにブサイクだったんだ!って驚愕した。いい歳のとり方ってあるけど、自分劣化の一途。まじショック。というか30代後半にもなってまじショックとか使っちゃうとこにまじショック。運動しても改善されん。歳をとるのはいいんだけど、かっこよくシブい感じに歳をとりたいもんだぜ。どうすりゃいい?それにはもっと体を動かすことだ。走ること、飛ぶこと、モノを投げること。山の中を駆け抜ける。スポーツをする。これは単純な話じゃない。体を動かすということにはもっと深い意味があって、自分という肉体を解放するという、ちょっと哲学めいた要素がそこにはある。自分を解き放つみたいなイメージだ。大自然の中を駆け抜ける。自分解放する。そういう行為がいい歳のとり方に繋がると思っている。

※話が題名からエラい飛躍しちまったぜ。

https://anond.hatelabo.jp/20170725215558

文章がそれっぽくて技術があるのは感じるんだけど、肝心の中身がどこかで読んだようなことの焼き直しみたいな印象。

オリジナリティ個性がなすぎてつまらない。

私はドストエフスキーが好きなんだけど、あれは翻訳モノで、文体こそあなたみたいに体裁が整ってはいないのだけど、それでも圧倒的にオリジナリティがあって面白い

書く技術はこなれてるのに、あなた文章からはそういったバイブスや執念や情熱哲学を感じない。

どこかで読んだことのあるような中身できれいな文章をかけるだけの人なら他にいくらでもいるんじゃないのかなと。

悪魔の証明だ」≒「純粋数学しか証拠として認めない」

 ネット上の俗語として”悪魔の証明”とか言ってる人たちは証拠の線引きについて自覚あんのかな。法律哲学も初歩すらやってなさそう。

https://anond.hatelabo.jp/20170726121912

真の問題は、作者に輪をかけて読者が馬鹿なことで、どんなに頭の良いキャラを作りあげても「こんなの現実離れしたご都合主義だよぉ〜」「周囲のキャラの頭を悪くして主人公ageするやつだよぉ〜」といった主観まみれの感想を垂れ流すことだ。でもそういう奴らは哲学用語とか引用して意味不明ポエムを書いたりすれば騙されてくれるぞ。

2017-07-25

悲報文系アスペと判明

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170723-00000001-withnews-sci

 「税金を投入する国立大学では、イノベーションにつながる理系に重点を置き、文系は私学に任せるべき」といった意見が出たことなどを挙げながら、「文学部で学ぶ哲学史学文学芸術学等の学問を学ぶことの意義は、どのように答えたらよいのでしょうか」と問いかます

 「その時、文学部で学んだ事柄が、その問題に考える手がかりをきっと与えてくれますしか簡単な答えは与えてくれません。ただ、これらの問題を考えている間は、その問題対象化し、客観的に捉えることができる。それは、その問題から自由でいられる、ということでもあるのです。これは、人間に与えられた究極の自由である、という言い方もできるでしょう」

 「人間人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。その考える手がかりを与えてくれるのが、文学部で学ぶさまざまな学問であったというわけです」

お前らが個人的人生の岐路から脱するのに他人税金を使ってることに対して何も疑問に思わねーのかって質問をされているのに、それ自体に何も答えてないままドヤ顔とは恐れ入る。

ファッションロリってなんぞや?

天使3P実況してたらそんなレスを見かけた。

多分ファッションロリータのそれなだけで実際はロリっぽくないって事なんだろうか。

うーむ分からない(哲学)

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