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はてなキーワード: 文庫化とは

2017-06-19

https://anond.hatelabo.jp/20170619184905

たいした定義存在しない。

火付け役になった書籍が先日ちくま文庫から文庫化されてたので気になるなら確認してみては。

マウンティング女子世界: 女は笑顔で殴りあう (ちくま文庫 た 82-1) 瀧波 ユカリ (著), 犬山 紙子 (著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4480434313

いい加減消えればいいのに。

2016-10-01

[]10月1日

○朝食:なし

○昼食:とろろうどん

○夕食:唐揚げゆで卵サラダトースト

調子

はややー。

掃除洗濯パソコンアップデート! などをこなした。

ミステリが読みたくなって本屋さんに行ったんだけど、大好きな作者の積み本が文庫化してるのをみて

「僕はどれだけミステリに興味がなくなっているんだ……」と愕然として、ちょっと落ち込んだ。

いや、別にミステリも好きだし、ゲームも好きだよ、なんだけど、あれだけ大好きな作者の新作を買って読まずに文庫になるのは、こうくるものがあるなあ。

と思い家に帰って、いつものようにNetflixフルハウスを見ようとしたら、大好きなミステリ小説アニメ配信していた。

なるほど、見たことないし、明日はこれをまとめて見るのもいいかも。

12時間ぐらいぶっ通しで見ると疲れそうな題材だけどなあ、っていうかどこまでアニメになってるんだろう。

普通に考えると遠回りする雛やって終わりだろうなあ、筋は頭に入ってるから気楽に見れそう。

脱出アドベンチャー「旧校舎の少女

3DS脱出ゲーム、めちゃくちゃ長いこと塩漬けにしていたんだけど、せめてゲームでぐらい文章読みたいなあ、と思いプレイ開始。

チャプター1をクリア

主人公キャラ可愛いね、僕は手先が不器用なので、工具をガシガシ使える女の子萌えます

バッジとれ〜るセンター

課金はせず。

ポケとる

月初なので1000円課金

このゲームは月額1000円のオンラインゲームだと思うとプレイ楽しいな。

それとメガスピアーランキングイベントにも参加したけど、今回は報酬が豪華なこともあって、激戦だなあ。

メガストーンすらとれないかも。

っていうか、初開催のランキングイベントは、メガ進化短縮アイテム使用量が大きく左右するから、僕みたいな初心者が苦戦するのは当然かも。

ポケモンコマスター

ログボのみ。

ポケカGBVC版)

ゲンガーデッキでちまちまプレイ

一応ストーリークリアしてるけど、何か目標を決めてプレイしたい。

カードコンプ作業感が強いしなあ、このゲンガーデッキが気に入ったから、全員と対戦して勝利でも目標にしようかな。

2016-02-20

森博嗣っていう天才、また予想的中

森博嗣が「作家の収支」で15億稼いだと言ってるけど

多分もっと稼いでるような気がする。

この人の話を聞くと「もしかしたら金持ちの道が開けるんじゃ」と思えてしまう。

いやしか勘違いをしてはいけない。森博嗣天才なんだ。

この人ほど「天才」を「天才」としてキャラクター昇華してる人も居ないと思う。

この人は、片手間で書いた小説で15億稼いで、小説より庭園鉄道製作に励んでいる。

しか工学博士を名乗るだけあって、本格的過ぎる。森博嗣 庭園 でググったら初めて見た人はビビるだろう)

一日2、3時間しか小説を書いていない。

それは研究者として10時間ほど研究していたから、本業小説家じゃ無かったときだ。

しかしこの人のペースはとにかく早い。1時間に6000字を書く。20年で280冊以上出している。

どうやらそのペースで一週間あれば文庫1冊書けるらしい。怖い。

研究職を疎かにしていたようにも見えない。修士中に賞をとり、たくさん論文をかき、それでまた賞もとっている。

別にコネも無いはずなのに30歳で旧帝大助教授名古屋大学ノーベル賞だしたとこ)。

31歳で、初めて書いた本で作家デビュー

別に本書かなくても天才だ。

学者お金を貰えないと思い込むが、一応名大准教授なのでそこそこ貰ってたはずだ。

コミケ主催をしてたという異色の経歴もある。意味が分からないよ。

すべてがFになる原作の問が、名大入試に使われたとかなんとか。そりゃあ本も考えないとついていけない。

そんな森先生、もう引退しているらしい。准教授も、作家も。

引退しているのに、今年五本も新作が出る。意味が分からない。

今は一日一時間を限度にパソコンと向き合ってるらしい。

もう趣味小説書いてるらしい……なのに2016年は5本。文庫化合わせると11冊…。

しかも締切に絶対遅れないので、予定表通り絶対発売される…。

この人の凄いところは、新刊を買うと次に発売する予定タイトルが何作も書かれていることだ…。

そういえば森先生天才なので、20年前に出した作品エッセイで言われた架空未来が、実現してたりする。

「無重力状態紙飛行機挙動」を予測毛利衛実験し的中とか、NASA問題解いてるので、その辺書いてもちんぷんかんぷんなのだが、

増田だったり、Twitterだったりも約20年前の森博嗣予言予測)のうちだ。

怖い怖い。書かれたのインターネット元年くらいだよ。

電子書籍はもちろんでマイナンバーとかも予言してる。

から今更すべてがFになる映像化しても、逆に新鮮に思えたりするのだ。

それで一昨日また、森先生の話が一つ証明されてしまった。

http://www.lifehacker.jp/2016/02/160219speed_reading.html

先生は「小説家という職業」という本で速読否定していた。大体上記記事に書いてある理由と同じ理由で、だ。

ああ、もう怖い。

この人の予言でそろそろ来そうなのは出版社が消えることかな。

先生に「予言凄いですね」って言うと「何でもは知らないよ。知っていることだけ」って言いそうだよね。あれ羽川翼物語シリーズ@西尾維新)の決め台詞だけど、もともと国枝桃子(S&Mシリーズ)の名言からね……。

先生に一つお願いしたいことがある。一回本気で書いてみてくれ。

本気出さないと勝負にならない、とかい馬鹿なことは言わない。ただ天才の本気を見てみたいだけだ。

でも無理なんだろうな……。

これ以上お金がかかる趣味を見つけない限り、執筆時間をかけることは無いと言っているし。

この人に自分がなにを言ってもなにを望んでも無駄なんだろうな…。

新刊かいまーす。

負の感情を抱くもの規制して良いのか

http://anond.hatelabo.jp/touch/20160219013645

まとめサイトで取り上げられたこともあって多くの意見が寄せられているこの話題だが、このエントリーの筆者(以下筆者)の考えはおよそ普通女性(筆者が本当に女性かは、そもそも釣りかもしれないとかキリがないのでさておき)が陵辱という言葉に対して抱くであろう普通の考え方だと思う。

さて事の発端は女子差別撤廃条約の定例報告会が2月16日に行われたが、この条約批准状況を検討する同条約委員会から今回の報告会のテーマの一つ(しかまとめサイト見出しにあるような筆頭扱いではなく実際の質疑項目としては7番目)として女性に対する性的暴力を伴うビデオゲーム漫画販売を「禁止」することを求めたものが波紋を呼んだことだ。

まず念頭に置きたいのは、この委員会には安保理決議国連総会のような権限は無く数多ある国連関連機関のひとつに過ぎないことと、国際的批判だとかの重々しい話ではなく委員会を構成するのは各国から選ばれた弁護士など専門家であって国家代弁者が集う場ではないということだ。

また定例報告会とあるように日本けが特別に呼びだされて叱咤されたのではなく、直近ではアイスランドスウェーデンを含めた数か国が同様に報告会を行っている。

そして日本においてはゲームマンガの話だけでなく雇用年金での男女格差など複数の議題があったものだ。

この委員会がどういうところに突っ込むかを言えば、アイスランドに対しては最高裁判事が男性しかいない点や強姦事件での有罪の少なさを指摘する。スウェーデンに対しては割礼と強制結婚の防止に関するデータの提出を求めるなど、一見してかなり細かい。つまり女子差別と見なせるものは手当たり次第とも言えよう。

話を戻そう。政治的には無視できないものの影響力は微々たるもので昨日と変わらぬ明日が来る程度の見解というのが今回の報告ということになり(国連の威を借りたい各種団体はいるが)しかしこういったことをきっかけに色々と考えるのは良いことだ。

冒頭リンク先の話はまさにそうで、ひとまずリンク先筆者の意見を要約すると以下のようらしい。

妄想自由だけど、形にして世に流通させるのはまた別だよ。そんなもんはせめて、裏の世界で超高額で売買するか、無償でひっそりとやり取りしてほしい。

その理由は、そういった表現まで法で肯定されていたら、怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから

被害者が、実在する特定の属性を持っていること」「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在危害を加えること」「加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」この3つが揃った時、その作品は表現の自由の範疇を超えてしまう。ゆえにそれなりの規制はあってしかるべきということ。

中略省略は挟んでいるが概ねこうだ。特別意見という感じではなく、ごく普通感覚と言えるだろう。

しかしこのような普通感覚とされるものが本人が想像しない危険性をはらんでいることに注意したい。

その事を踏まえて、このエントリー意見していきたいと思う。

表現の自由日本において既に制限下にある。

憲法保障されている表現の自由だが、古くはチャタレイ事件わいせつ定義が成され、公共の福祉のためにならわいせつ物の規制は妥当であるとされた。つまり公共の福祉に反しないということが表現の自由大前提にある。

近年でそれを強く受けているのが松文館事件で、成人向けマンガにおける消し処理の甘さを指摘したものだが、どのような成人向け作品もいつ告訴されるかわからないしされれば有罪は免れないことを改めて認識させられたものだ。

わいせつ対象は変わる

定義のものは変わらないが社会の変化とともにわいせつ要件合致するかは変わる。チャタレイ夫人の恋人しろ悪徳の栄えしろ現在文庫化され気軽に手に入る。つまり今現在悪だとされたものが数十年先にどう判断されるかはわからないのだ。無論、今は悪だとされれば裁判にかけられれば有罪になることに変わりはない。

気持ち悪いから規制するのではない

怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから表現規制されるのではない。公共の福祉に反するから規制されるのであって、法的には代表的なのはわいせつ図がに当たるから違法となる。誰かが不快からという理由規制してしまうことは表現のみならずあらゆるもの違法としてしまえる危険な考えであり、この先も健全な法の精神がある限りそれは守られるだろう。

規制ではなく禁止しかない

先述したようにあらゆる成人向け作品は現在でもいくらでも禁止できる。だがそれは陵辱物に限ることではないし、また販売を特定の書店に限るなどの規制ではなく違法出版物として流通そのもの禁止することになる。いくら筆者が「全面禁止しろよ」とは言ってないとしても、法で規制しろということは即ち禁止しろということになる。

ゾーニングでの対応

現在は法ではなくその下の条例単位で成人向けとそうでない作品が分かれている。先述したように作品のジャンルではなく性的表現のものが法的に重要なのであって、陵辱も純愛もそこには関係ない。この手の話は東京都青少年健全育成条例改正や児童ポルノ法改正などで過去に各所で散々出尽くしているが、行政出版社もすでに作品のジャンルではなくもっと大きな単位での区分けがされている。コンビニで成人向け雑誌が他の雑誌とは別に置かれているのはそういう理由だ。

こっそりやれよという話は

コンビニ雑誌の表紙やスマホ広告に載せるなよという筆者の言葉には、最近コンビニにおける成人向け雑誌の表紙に女子高生が~という似たような話題があったと思う。これに関しては出版社広告代理店などが対応する問題であって難しい。スマホに関しては広告表示に関する設定やアプリを導入する自衛策があるし、コンビニ雑誌についてはコーナーが明らかに区分けされている以上、不快なら見るなというほか無い。存在自体不愉快だというのであれば、それは行き着く先はやはりそういった出版物のもの禁止するべきだという論になるだろう。なにしろ全てのコンビニや書店から撤廃され特定の小さな通販サイトしか買えないとなって筆者がそれに満足したとしても、世の中には筆者より恐らく強力で熱心な団体存在する。今回の女子差別撤廃条約委員会見解についても各種民間団体が絡んでおり、そもそも今回の見解では規制ではなく女子に対する性的暴力ゲームマンガの廃止を求めている。筆者は廃止された所で安全安心な世の中が得られるだけだろうが、それは当初のこっそりやれという目的から外れているが、筆者は何ら疑問の声を挙げないだろう。結局は自分不快ものを消し去りたいだけと言えてしまうのだ。そうではないと言うのなら、ならば筆者は禁止すると法が言い出した時に「そこまではしなくて良い」と声を上げられるだろうか?

特定の思想から直すべきか?

そりゃいろんな嗜好があるから、中には、対象を虐げたり傷つけたりしないと駄目な人もいるかもしれないけど、それって異常者か精神疾患ではないの?病院行けよ。

筆者は最初には嗜好と言いつつ特定の嗜好については健常者ではないとしている。性的嗜好というのは千差万別だがある種の思想を持っている場合は矯正するべきだ、というのは他者に対する尊厳を踏みにじる行為だ。50年前のアメリカならば白人に逆らう黒人矯正するべきだとなるし、50年前の日本なら夫に逆らう妻は矯正するべきだとなる。いずれもその時代には当たり前のことであり、しかし現代人から見ればひどく差別的だろう。だからといって他者を傷つけるという行為が50年後に許容されるとは思わないが、しかし現代でも黒人差別亭主関白を頭の中で考えることを誰が違法にできるだろうか。

特にこれは性的嗜好という、教育思想などと違い本能に関わる難しい問題だ。法では正しい性道徳という考えがあるが、これを基本にして正しい嗜好を持つように義務付けられるような世界が筆者は望ましいのだろうか。無論、そんなことになれば事態は正しい性道徳に限らず、正しい社会規範や正しい労働者など、あらゆる面で模範的で優秀たる人間性を義務付けられるのは想像に難くないが、まさか筆者に都合の悪い趣味嗜好だけ消える世の中になると考えるほど筆者は愚かではないだろう。

いずれはこうした性的嗜好も脳機能の解明によりそのプロセスが明らかになるだろうが、まだ犯してもいない罪に対し犯罪的思考を消し去ることを是とするならば、それは個々の人格倫理的かつ道徳的操作しても良いということであり、当然筆者もその対象として正しい真人間にされる覚悟はあるだろうか? 少なくともこの筆者には、他者人格一方的精神疾患と判定するという独善的思想治療する必要あり、と判断されるのではないだろうか。

筆者もまた女性から視点だけ

現実的に、女性が男性に性的虐待を加えるというのは、①腕力・体格差があるので〈無理矢理〉が成立しにくい。②女性が見ず知らずの男性をいきなり襲っても、反撃されて傷つけられる可能性が高く、現実の犯罪率から言っても一般の男性にとってリアリティが無い。③むしろやってほしい、多少痛くてもご褒美、という嗜好の男性も散見される。

まず①に関しては、近年強姦罪が男性被害者適用されないことが問題視されているように男性の女性から性的被害については筆者のような「ありえない」という考え方が男女ともに強いので泣き寝入りするケースが女性性的被害より深刻であるさら女性被害者のような支援も充実していない。②も同様だが、犯罪率という観点について指摘がある。犯罪における男女比は細かく分けるとだいぶ違うが、総じて女性が20%ほどである。無視できるほどの数字ではなく、具体的には平成26年の殺人犯967人のうち227人は女性である。これをリアリティが無いという数値とは言えないし、また最近ではデートDVに関する大阪での調査女性から暴力を受ける男性が倍以上の率であることが明らかになるなど、暴力で女性が敵わないからリアリティが無いというのは例え話の喩え話にしても筆者の知識不足である。③にも関連することだが、筆者自身陵辱系ゲームマンガに対して怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから規制して欲しいと語るのに、ならば男性の性的被害者に関してはとなるとリアリティの無さやあろうことか一部の男性は好むからという理由で蔑ろにしている。

このことから

他の属性に対する一方的な暴力や虐待だってもちろん良くないし

もちろんLGBT凌辱だってアウトだよ

などの言葉に一切重みを感じられない。

筆者が女性として一般的な恐怖を感じるのと同様に、また筆者は女性として男性に対する陵辱などに想像が及ばないし世の男性が実はBLゲーム表現に恐怖しているかもしれないなどという考えもない。故に男性に対し筆者は、思慮が足りないなどということは出来ず、陵辱ゲームに対する意見自身嫌悪感からの消し去りたいという個人的要求が第一であると知るべきだろう。

筆者の定義表現の自由を犯す理由にならない

被害者が、実在する特定の属性を持っていること」「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在危害を加えること」「加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」

を筆者は規制されるべきものとしている。二番目でちゃっかり同性愛物を省いているのはわざとか天然かはさておき、いずれもどうとでも解釈できるものであり、極めて危険極まりない規制理由である

まず第一の

被害者が、実在する特定の属性を持っていること」

被害者という言葉について、そもそも創作表現上の被害者とはなんだろうか。作中で犯罪被害に遭う存在だとして、それを現実の法で守れというのはナンセンスな話だ。大体被害者定義はどうするのか。家が燃えたら家は被害者から作者は建造物放火罪になるのだろうか。人間だと限ってもその属性は幅広い。誰かを殺せばその人物の役職大統領から実在する特定の属性になるから規制だと出来てしまう。性別に限らず年齢も服装人種も、なにもかもが属性である以上、そもそも創作表現で一切の犯罪被害者は出せないことになる。ミステリーでも刑事物でもだ。

第二に

「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在危害を加えること」

は、これこそ差別的だ。男性が男性を殺すのは良いが男性が女性を殺す表現は駄目だとか、それに属性定義が難しい。男性同士の殺人であっても片方が日本人で片方がアメリカ人なら属性を持ってないから規制対象だろうか。双子であっても服が違うから駄目だとか、どうとでも言える。

第三に

加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」

これもまたどうとでも解釈できる。大体だ、その描写によって誰が快楽・興奮を得るのかが不明だ。推測するに筆者にしてみれば病的な嗜好を持つ読者なのだろうが、表現規制より悪質な思想規制がここにある。なにしろ読者が興奮すればすべてアウトにできるわけだが、虫オスがメスを組み伏せる交尾の動画に興奮する人間がいたらそれはアウトにできるのだろうか? アウトに出来るのならこれほど馬鹿げた話はないが、出来ないというのならそれは筆者の嫌悪感に基づく趣味嗜好の篩分けを是とする危険な考え方だ。「普通の人は虫の交尾に興奮しない」を後者定義としてセーフの条件にするならば、同様に「普通の人は陵辱物に嫌悪感を抱くので興奮しない」と出来るのだが、そこを捻じ曲げてアウトにしたいならば「こういうのに興奮する人がいるから」や「これだけは例外」など法に頼らない独善的判断でなくてはならない。

恐怖は抱いている限り消えない

仮に筆者の希望通りに陵辱物といえるもの規制され目につかなくなったとして筆者は満足するだろうか? 一時的には満足するかもしれないが、まず一度自分の願いが達成された万能感と高揚感、そして正義感は覚え続けることだろう。そしてそもそも筆者は女性性的対象とする作品に目をつけるだろう。なにしろ成人向け作品そのもの性的にかつ男性向けとしてあるならば、当然そこに映る女性純愛にせよ男性にとって都合の良い女性に違いない。それを筆者は不快だと言わないでいられるだろうか、それとも女性現実味のない都合の良い存在として描かれておりそういうのを好む男性がいるのだと不快を覚えるだろうか。私はきっと次の規制対象に選ぶだろうと推測する。

そうやって限りない規制を繰り返しついに女性性的に取り扱うことも差別的に取り扱うこともない輝かしい作品ばかりになったとしよう。筆者はようやく安堵するどころか、さら不安を募らせるのではないのだろうか。なにしろ事の発端はそういった陵辱物を好む男性がいることであり、そこに恐怖や嫌悪を覚えていたのであるたかが創作表現描写されている行為にすら嫌悪していた筆者が、果たして我慢できるだろうか。

人格改造か、去勢義務化か、男性の隔離か。筆者は妄言だと笑い飛ばしたいだろうが、筆者の考えの行き着く先はこうなのだと私は言いたい。筆者がなにかに恐怖を抱き続ける限り、目に見えなくなったからといって安堵することはないし、対象を滅ぼしたとしてもまだ生き残りがいるかもしれないと恐怖し続けるだけだ。

表現の自由規制に都合の良い制限などない

程々で良い、少しで良いなどという考えは行政や国といった単位に上がった時、当初の理念とは大きく外れてさらに巨大な制限となる。最近児童ポルノ法改正で様々な規制への波及を危ぶむ声が出ていたのは、つまり個人での裁量によるあれは良いこれはダメという基準法律存在しないということだ。

最初の話になるが、女子差別撤廃条約委員会は陵辱ゲームマンガの「禁止」を求めている。これを錦の御旗として掲げ、その通りだと禁止を呼びかけることはできるし、この先にそういった団体が動くことは目に見えている。だがその禁止が成った時に、一つの創作表現が失われることに筆者は恐らく何も抱くことはない。むしろ嫌悪するものが消え去って小躍りしたくなるだろう。だが筆者の語る所の病気である嗜好の持ち主たちは悲しむだろう。そんな奴らが悲しんだ所で筆者は何も困らないが、しかし筆者が趣味嗜好とするものが何らかの形で規制を受ける時、彼らは味方することはないしむしろ仕掛け人かもしれない。

筆者は自分が悲しむ対象になるようなことは無いと思っているだろうが、表現の自由に手をかけるとはそういうことだ。たか創作物というもの負の感情根底とした規制をかけられるということは、創作物以上に影響力のある現実的存在にも同様に手をかけられるということだ。筆者が好む筆者が健全で正しいと思う存在が、誰かにとって不快で汚らわしい存在でないと言い切れるだろうか?

目を瞑ることが肝心要

自身自由でありたいと思うのならば、他者自由も許容しなければならない。それは現在のこの国において公共の福祉という最低限度の規制を受けるが、それ以上に自分自身負の感情理由とする個人的要求を、同様の理由合致した他者と共謀して排除しようという試みは慎むべきだろう。現実に犯罪を犯せば処罰される。逆に言えば犯罪を犯さないかぎり自由であり、それを無理矢理に犯罪者に仕立てあげて住み心地を良くしようなどという考えを持つならば、あなたもまた誰かに犯罪者として告発され自由を奪われることを許容しなければならない。

世の中には不快と思えるものが多くある。しかしそれをすべて排除して生きたいというのは無理のある話だし、かといってすべて許容するのも無理な話だ。

しかコンビニ雑誌の表紙が不快ならば、あなたは見ないでやり過ごすことが出来る。 このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2016-01-09

バウムガルテンの! 美学が!! 文庫化!!!

これは2冊買ったほうがいいかもしれない。

2015-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20151119124356

値段のことはおいといて、本の情報ってよっぽど注意していないと入ってこない。

昔は本屋行ったり新聞書評本の雑誌を読んだりして「むぉー。あの本もこの本も読みてえ。金が足りない。文庫化はよ!」

って思ってた時期もあったけど、一人暮らし新聞ネット、惰性で買ってた雑誌も一切やめて、ちょっと本屋から足が遠のいたら、

どれが面白い本かわからない。

高い本買ってハズレるのも嫌だからハードカバーは手が出ないし、かと言って文庫化されても今さらなあと思うと、やはり手が出ない。

なんか解決方法ないもんかねえ。

2015-11-19

なぜ最初から文庫本で出さないのか?

http://anond.hatelabo.jp/20151118225408

 業界内部増田です。

 まず、本当にどうしようもない(不可抗力ではなくしょうもないという意味理由として、その作者さんと編集者さんのアクセスできるラインに制約があります文庫しかアクセス出来なければ文庫で出しますし、文芸書的な編集部ならその判型で出すというのはあります作家編集者は、どんな装幀の本でも自由に出せるかと言えばそんな事もなく、編集部の主戦場にしてる判型や書店本棚というものがあるのです。営業が影響力を発揮できる範囲書店全域ではありません。まあ、これは後付けのところのしょうもない理由ですね。

 より本質的理由としては、「想定読者数(≒初版部数)」の問題があります。もし、新書四六判文庫など自由な判型が選びうる編集部企画が進んだ場合問題になるのは、この本を何人くらいの読者が求めてくれるか? という点です。本を作る編集デザイン作業というのは、どんな装幀でも実はさして大きくコストが変わるわけではありません(紙代や印刷費は変わります。部数が増えれば安くなるので、文庫本で部数が多いもの負担少ないです)。つまり書籍の値段の本質は「(作者が著述に要したコスト編集デザインにかかったコスト必要利益)を初期読者がシェアして負担する。」ということなのです。

たとえば「5000人しかかってくれそうにない」「だったら3000円にしないとまずいな」「じゃあ判型は文芸で表紙もハードカバーにするか」というような展開で判型は決まります。この段階で幾つか疑問が発生すると思います

Q.3000円の文庫本じゃだめなの?

A.読者の皆さんは3000円の文庫は買ってくれないです。読書体験文庫でも四六判でも(内容という意味で)大差はありませんが、物質商品としては購入してもらえなくなります出版人として自分が関わった3000円の本がソーシャルゲームガチャ6回に劣るとは思っていませんが、やはり売れない物は売れません。

Q.値段を下げて、つまり判型を最初から文庫にして薄利多売を狙う企業努力はしないの?

A.もちろんそういう戦略判断をする場合もありますベストセラー著者が最初から文庫に殴り込みなどと言うのはそう言ったパターンです。しかし大多数の著者において「値段を下げる」というのは部数増加には結びつきません。たとえば作家Aさんの本が欲しい人というのは値段に関係なく買ってくれる傾向があり、逆にこのAさんに興味がない人や知らない人は、値段を下げても買ってくれません。

 以上のような条件から出版ビジネスの値付けは「初期読者(=おおよそ初版部数に相関)で製作費用と最低限の売り上げを確保する」という方向性になっています増刷文庫化というのは収益ボーナスステージであって、その段階になると利益がどんどん出て黒字になるわけです。しかし、おそらく読者の皆さんが思っているほど、このステージに行ける本は多くはありません。多くの本は、最初の売り上げ確保のステージに失敗して赤字になるか、もしくはなんとかトントン程度の収益になります文芸畑ではより顕著ですが、ライトノベルなどの文庫でも、一部の売れっ子作家さんの書籍とそうでない多数の作家さんの書籍二極化が深刻です。

 こういう状況に問題を感じないのか? といえば個人的には感じています。本をもっと安くすべきだという問題意識ではありません(日本の本は世界的に見ても安価だと思います)。どちらかというと、初期読者の人に十分報いていないと思うからです。ある作家を(ひいては編集部出版社を)支えているのは初期読者(=初版で買ってくれるような読者)です。彼らの数が予想部数を通して本の値段や判型を決める基礎材料になっているのです。しかし、実際には彼らは文庫化ではなくその前の段階の大きな判型で購入するなど、経済的負担を大きく受け持つ構造になっています映像作品などには「初回限定特典」のような概念がありますが、出版では一般的ではありません。その点は不公平で歪だと考えています元増田氏の言及したコメントは、この不公平感にたいして「初期読者はいち早く読める」という点を解説たかったのだと思いますが、それに対してどこまで価値を感じるかという点は読者次第だとも思っています。このへんは個人的感想なので、出版業界の中にもいろんな意見があると考えて下さい。

 読書にたいしてお金を使う習慣のある方、書店日常行動の経路に含んでいる方、読書家という人種ある意味非常に高尚で「紙の書籍を手にとる楽しみ」「装幀を愛でる楽しみ」という点に価値を感じて下さっています。それはすごく嬉しいしありがたいことです。そういう文化があるおかげで命脈を保てる出版社存在することも事実です。しかし一方でそれに甘えてこなかったか? といわれればたぶんそういう部分もあると思います。こういった読者の方は、読者であると同時にパトロン的な性格さえ持っているのです。

 今後十年から二十年かけて、その文化も徐々に変わっていくと思います。どうなるかはまだ判らないのですが、そういうアーリー読者&パトロン的な文化を完全否定する方向ではなくて、リスペクトコミュニティに対する利益還元出来る方向の出版方式企画などが(もちろん試行錯誤の残骸の中からの芽生えとして)産まれてくることを願っています

2015-08-18

http://anond.hatelabo.jp/20150818142001

ナウシカ……再入手が困難な状況は考えづらい。

犬狼伝説……おそらく再入手は難しい。が、おりに触れて再販はあるかも。

堂本ルール……名作だが知名度が致命的。再入手は困難か。

・海皇記……有名作品で再入手は容易、文庫化もされるかも。

・RED……アッパーズ看板作で名作だったが、知名度が低いため再入手は困難か。

サバイビー……つの丸作品では短命でも掲載誌的に再入手は可能かも。

・ごっちゃんです……つの丸作品では短命でも掲載誌的に再入手は可能かも。

香取先輩……月刊チャンピオンという掲載誌がネック。再入手は困難か。

プラネテス……文庫化電子書籍化が考えられる。比較的容易。

・ヴィンランドサガ……プラネテスと同様、比較的容易。

ヒストリエ……知名度、人気的に十数年は書店での購入が可能か。

喧嘩商売……大ヒット作品であるので、比較的容易に再入手可能か。

LEVEL E……再入手は容易か。

ハンターハンター……発行部数が膨大な為、再入手は容易か。

修羅の刻……文庫化している。再入手は可能か。

シティーハンター……古い作品だが、圧倒的な知名度。発行部数も多い。文庫化している。再入手は可能か。

蒼天航路……文庫化している。

幽遊白書……発行部数が多い。容易。

武装錬金……半端な人気で、発行部数心配される。再入手は困難か。

バナナフィッシュ……古典的名作であり、再入手は比較的容易。

夜叉……文庫化しているか

皇国の守護者……発行部数が多い。容易。

よつばと……発行部数が多い。容易。

リリエンタール……知名度はあるが、短命作。困難か。

封神演義……発行部数が多い。文庫化もしている。容易。

ニッケルデオン……おそらく再入手は困難。電子書籍化されなければ数年後に読むのは困難。

銃夢……古いため困難。

バッドボーイズ……容易。

花男……有名作家作。比較的容易か。

ZERO ……有名作家作ではあるが、作品自体は知名度が低い。再入手は困難か。

餓狼伝……比較的容易。

刃牙……容易。

TWO突風……電子書籍化されている。

2015-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20150723161942

Q.戦国自衛隊ファンタジーVer. みたいなもの

A.自衛隊別世界で戦うのは同じですが、常時接続してるため、

 物資や人員の相互移動が可能であり、地球側への影響も大きくなります

Q.なんで自衛隊が異世界に進出してるの? /門を壊せばよくない?

A.門を壊すだけでは、再度門を開いて攻め込まれる恐れがあるからです。

 それを防ぐとともに虐殺の首謀者に責任を取らせるために進出が行われました。

Q.なんで1話主人公が偉そうに仕切ってたの?/主人公はどういう活躍をしたの?

A.官庁街が襲われて警察指揮系統も混乱していて、対処現場任せになってたから。

 そこで現場警察官と協力して避難誘導と敵の足止めに成功したことが功績に。

 政治的悲劇の中での英雄が求められたということもある。

Q.何で主人公自衛官なのにオタクなの?

A.現実自衛隊にもオタクはい戦闘ヘリに萌え絵をペイントしたりしてます

Q.あれ、○○って間違ってない?

A.初出から期間が経っていること等もあり、作中の状況や法関係などで現在との齟齬もみられるようです。

Q.どういう経緯で世に出た作品なの?

A.Web小説2006~2009) →単行本化(2010~ 実質・原作版) →漫画化 →文庫化アニメ化(いまここ)

Q.アウトブレイク・カンパニーパクリ

A.上記参照。アウトブレイク・カンパニー2011年12月~)よりも前の作品です。

Q.これの原作に興味あるけど、文庫本漫画のどれから買うのがオススメですか?

A.無料公開中の漫画第1話を読んで買いたいと思ったらまず漫画を買って

 さらに興味が出たら後書きや挿し絵がある文庫本を買うのがオススメ

 また最新刊が欲しければ、挿し絵、後書きが含まれていない単行本を買いましょう。

Q.どうして旧式兵器ばかりなの?10式戦車が観たい!89式小銃が観たい!

A.門に何が起こるか予測出来ないため、最悪の場合放棄を想定して旧式装備を主に持ち込んでいます

 中には威力などで旧式装備の方が有効場合や、逆に欠陥から持ち込みを断念した旧式装備もあります

Q.なんで大群でいきなり突入したの?/防疫はどうなってるの?

A.事前に斥候(せっこう)による偵察が行われており、また銀座事件捕虜への調査実施されています

Q.敵を殺して自衛官PTSDにならないんですか?

A.アニメではまだ不明ですが、原作では戦闘による自衛官PTSDについての明示はありません。

 無いという記述がないこと、特地にカウンセリング担当が配置されていること等から各自脳内補完してください

Q.特地の言語ってどうなってるの?日本語は通じてるの?

A.日本語は通じません。銀座事件での捕虜から言語の解析が行われ、 伊丹が練習に使っていた辞書が作られました。

Q.これからどんどん攻め込んでいくの?/補給線とか大丈夫なの?

A.特地に送れる人員や資材などの関係から自衛隊では特地を占領しながら進むことができません。

 よって、米国のシーンにあるように、門という要点を確保して背後にある日本を守りつつ、

 偵察隊の派遣によって情報収集し、交渉など次の展開に繋げようとする戦略をとっています

http://mastiff.2ch.net/test/read.cgi/anime/1437787074/3

2015-05-12

人間幸福にしない日本というシステム

人間幸福にしない日本というシステム

というタイトルに惹かれ、手にとり読んでみたのです。

強く印象に残ったのは、何でも「シカタガナイ」って言って早々に諦めてしまう、一見大人ぶった態度はやめるべきだ、と言明していたことです。

確かに、日本人の多くは「仕方がない」といって諦めることに慣れきった節があるように思います

自分が言うならまだしも、他人に「仕方ないだろ」と仕方なさを強要する人物がいます

このようにして、日本にはますます現状維持事なかれ主義が横行するようになっているのだと、感じざるを得ません。

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民主主義の成立要件とは?

投稿者 倉田 勝正 投稿日 2000/12/10

形式: 単行本

日本社会のあちこちでデタラメが横行している残念な世の中になっています私たちはどう対応したら良いでしょう。それを考える上で参考になる書物を紹介します。菅直人さんの愛読書だそうです。 著者が指摘している例を上げると――

日本では民主主義はいまだに実現していない。それは可能性にとどまっている。日本人現実だと思っていることはほとんど幻想だ。「市民」の概念を正しく理解する必要がある。アカウンタビリティ-(説明責任)という考え方が欠けている。

日本では「知る者」と「知らざる者」の二つにはっきり分けられている。普通の人々には「もっともらしいウソ」だけが与えられる。真実エリートけが知っている。 自己検閲日本マスコミ人の第二の天性になっている。恐怖心が彼らを支配している。日常の会話では自分意見をはっきり言う。しかし、それは決して紙面に出ない。

日本の政治の仕組は、組織的な惰性におちいっている。原因は二つ。根本的な無関心と根本的な無能力。―― このように鋭い指摘が盛りだくさん。民主主義概念とその成立要件について改めて考えさせられた一冊です。

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94年の段階でここまで状況を指摘されていたわけですな

投稿者 WP-DC38 注文者 投稿日 2012/10/22

形式: 単行本 Amazonで購入

民主党政権樹立から小沢一郎排除とそれに対抗する動きを見つめる中で、ウォルフレン氏の本を読み始め、過去の著作(94年出版)にも手を伸ばしてみた次第。80−90年代における一連のジャパンバッシング文脈なかに位置づけられるタイプの本かとタイトルを見て読まずおりました。今回読んで大いに驚きました。あの時点で現在陥っている日本の政治経済状況の問題点を見事に分析し、どっぷり浸かって自分達のおかれた状況が見えていない日本人に警告してくれています記者クラブ問題情報の透明化・官制研究者検察問題、等々すでに指摘されています。圧巻なのは田中角栄金丸信に起きたのと同様なことが、検察官僚制度)により改革派政治家たる小沢一郎の身の上におこるかもしれないと示唆してます。また、2大政党制への期待と共に、野党が寄り集まって新たにできる大政党が単に「巨大な自民党」のようなものに陥ってしまうことへの警告をし、「政治家をただ集めたような大集団は、官僚たちとの一蓮托生の共生関係なかに生きるだろう。そうなれば日本必要な大改修に向けた国民運動はもう起こりにくい。」とまでおっしゃっております(これなどまさに現在民主政権を中心に陥っている政治状況でしょう)。

値段もてごろになってますし、今でも十分読み応えがあります。是非一読を。

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自立の時代

投稿者 fwns8441 投稿日 2000/11/18

形式: 単行本

80年代末、話題になった「日本権力構造の謎」を書いた著者が閉塞感に喘ぐ日本社会構造分析した著書である政治化された日本社会において、国民代表である政治家が国政を動かせず、説明責任を負わない官僚財界リーダーとの非公式政策で成り立つ不可解なメカニズムをわかりやす解説してる。三権分立お題目となり、真の民主主義に未だ到達できない日本デモクラシイの欠陥を市民レベルでの救いようのない無関心さと有害な惰性という観点で明確に指弾している。日本国民(むしろ市民と言った方がよい)も戦後50年以上経過した今、借り物ではなく、自らの責任を今少し自覚し、不正義には毅然と立ち向かい自分の考え方を冷静に発言できるよう、物への執着から精神社会成熟へと向かわなければと、反省させられる内容である最近文庫化されたので、電車での通勤途上、漫画携帯メールの代わりに、読んで損がない著作だと思いますがいかがでしょうか。

2014-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20140420200750

面白そうだから答えてみったー

ラノベしか読まない?他の小説は読む?それは何故?どこに魅力を感じている?

他の小説も読む。最近歴史小説が多いけど前はミステリーが多かった。

レーベルでいうと講談社ノベルスカッパノベルスとミステリーフロンティアが多かったんだけど、最近では戦国時代モノの小説読んでる感じ。BASARAとか戦国無双とかの影響じゃないよ。本屋さんで平置きしてて面白そうだったからだよ。ゲームほとんど出来ない。

読む理由は単純に面白いから。今度映画化する超高速!参勤交代なんかはまんまラノベっぽいというか少年漫画っぽい雰囲気面白かった。勢いあったし最後主人公俺TUEEEEEEEEEEEEEEだし。話自体が魅力っちゃー魅力。

ラノベファンはラノベを一般娯楽小説定義付けのために一般と称しているだけ)と同じだと思っている?

どちらも小説には変わりないんだし同じだと思ってる。

そんなこと言ったらハヤカワはハヤカワという何かだしガガガガガガという何かだし。一般娯楽とおんなじだと思う。レーベル移動をした砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけないとか彩雲国物語とかどうなっちゃうのって話だし。

歴史小説だけど金ケ崎の四人とかすっごくラノベっぽかったなあ、キャラ付けとかも含めて。あれは一般娯楽小説の範囲に入ると思うけど雰囲気的にラノベっぽい。でもどこのレーベルっぽいかと聞かれたら即座には言えないので強いて言えばカテエレーベルガガガっぽい。

あんまり挿絵重要視しないで文字列文字列として飲み込んで読んでるのでそんなに違いを感じない。ラノベレーベルから出てても挿絵ないのとかも多いしね。

ラノベで、パロディ要素が殆どを占めるようなものはどう思っている?

あんまりきじゃない。でもパロディ元ネタがわからなくても面白いのは好き。

普段活字ばっかりだからあんまりアニメネタがわからないので、元がわからなくとも面白いのが読みたい。

警視庁草紙で半七出てきた時は半七捕物帳を読んでいたから嬉しかったけど、あれよく考えたら二次創作というかパロディというか、そういうもんな気がする。

ラノベは何故ジャンル分けされない?ライトノベルという呼称は既に不要ではないか?

ライトノベル呼称は、主人公若い小説っていうカテゴリ分けとして見てる感じなのであればあるで便利。

ラノベを主に買う理由が、最近では新刊が文庫で出てくれるに偏ってきた。ハードカバー置き場ないんだよなー。歴史小説で読みたい奴はだいたい文庫化数年後だし。タイトル買いしたくとも置き場がない。

2014-03-08

伊藤計劃キリストを超えた。わけあるか。くたばれ。

<hopelessness>

これは、どうにもならない。

</hopelessness>

伊藤計劃は偉大な作家だ。

少なくともある程度本を読む人間にとって、彼の代表作、評価、 その死後の受賞歴を長たらしく記す必要がない程度には。どうしようもなく。

それゆえに、ある種の人にはその逝去を悼まれる死者として、またある種の人には越え難い壁として、

そしてある種の人々には華々しい装飾品として扱われる。

更に法人からSF業界に新しい息を吹き込む新鋭として、 また広告塔として。素材として。贄としてだ。

彼の最大の幸福早川書房との出会いである

小松左京賞を逃した『虐殺器官』が早川書房へと持ち込まれ、ハヤカワJコレクションとして発刊される。

本作の評価、また出版のうえでの編集者との出会い等がなければ『ハーモニー』が生まれることはなかっただろう。

彼の死後、同社より、関連書籍の刊行が相次いだ。 『伊藤計劃記録』をはじめとして、ブログ及び個人ページに書きためていた映画評、

同人雑誌への寄稿が次々と出版され、多くの読者たちの手に渡った。

『記録』の主な素材は短編小説のほか、彼のブログに重ねられた書き捨ての文章である。その時既に彼の文章は死者の書物として上書きされていた。

だが、それらの文はインターネット上といえ、確かに人に見せるために彼自身の手により発信されたものだ。公開できるものとして。自らの分身として。

豚はその皮を食い破り、腸を捕まえる。裂け目から沸きだした臓物の汁の一滴まで啜り続ける。 その餌を与えたのもやはり同じ、早川書房である

文庫化を機にベストセラーとなった『虐殺器官』には、解説という名の追悼文が録されている。

近しい知人のみに公開されたmixi日記に連ねられた彼のことばが、共有される感動の実話として金を集めていく。

豚たちにとってそれは飲み込まれるのを待つだけのコンテンツ喪失という名の欲望を満たすために在るただの肉でしかない。

彼の最大の不幸もまた同社との出会いであった。

現在ブックファースト新宿店では「伊藤計劃を超えろ!フェア」が実施である

新宿駅から西口方面に足を運んでみれば、きらびやかなポップ体の横断幕がきみを出迎えてくれる。

並んでいるものを見れば何ということはない、ただの新人博覧会だ。

ただの博覧会であるからこそ、彼の名を据える必要がどこにあるのだろうと考える。

それは書店を出て左手に曲がれば見える、マクドナルドの壁に張られた新作商品広告

プリンタ限界まで引き延ばされた少女たちの、血色の粘膜をめいっぱいに広げ、バーガーかぶりつこうとする笑顔と何も変わりはしない。

意味など最初からない。それは羽虫たちを惹き寄せるだけのためのただの明かりだ。

...そんな「人間意識」だけが死んで、自分のように振舞う要素だけが

言うなれば魂なきコンテンツけが生き延びてゆく。

これこそまさに、煉獄というやつなのではないか。

「From the Nothng, With Love.」(『The Indifference Engine』(ハヤカワ文庫JA)) P.254

伊藤計劃はこれからコンテンツとして生き続ける。言及は絶えず続き、没後の節目を迎えるたびこのような商業作戦は行われ続けるだろう。

「彼の本が」ではない。「彼が」でもない。そこに掲げられるのはもはや彼ですらない、幻想としての"伊藤計劃"だ。

"それ"は新刊をさばくための道具だ。士気を煽るための墓標だ。いつでも痛みを味わえる、簡単で都合のいい薄っぺらい擦り傷だ。

またはただの便利な、ブログツイートの空白を「かんがえさせられましたにっき」で埋めるための装置だ。

伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、

あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。

虐殺文庫版が10万部を超えるベストセラーになり、SF野郎のみならず意識高い学生たちもここぞとばかりに殺到し、

ぼくのわたしの社会評を発表する最高にダルい場所ができあがった。あー気持ち悪い。

彼らにとっての社会はそこで閉じている。「知っている」「考えている」ところを「他人に見せる」ことで完結している。

から少しでも話が小難しくなればWikipediaさえも読み通せはしない。

参考文献などページ数の無駄しかないと思っている。

ただ彼を善く語ることで自分を見せることしか考えていない読書人を殺せ。

売れる本を売れるときに金に換えるためだけに存在するキャンペーン書店を焼き倒せ。

故人をコンテンツフォロワーを増やし、友達にくだらない話をすることばかりしか頭にないソーシャルクソ野郎を排除しろ

創作物に死の匂いを振りかけて、クソ野郎のための新しい餌の在処を振りまくクソ書房はおとなしく無個性ライトノベルでも出していればいい。

死者の日記帳よりよっぽど健全だ。

派手な色彩の建物はまかりならん、と誰が法律で定めたわけでもないというのに、そこに広がっているのはひたすらに薄味で、

何の個性もなく、それゆえに心乱すこともない街だった。

どこまでも、ひたすらに、河の両岸を果てしなく。

彼らの漬かった沼を満たす泥は金だ。あるいは承認の欲望だ。

社会的であらねばならないこと。そのポージングが直結する意識下、無意識下のスタンドプレイ同調圧力強要

彼が稚拙ともいえる比喩で、『ハーモニー』の作中、あからさまに批難したのはこのやさしさの窒息ではなかったか

取り合う手と手に首を締められるその苦しさではなかったか

虐殺器官』に描かれた偽りの平和主義破壊に、お前は何も思うところは無いのか。

自分が何を読んだのか、何に心を動かされたのか、少しでも彼の書いたもののことを思うなら、WiFi電波オフにしてもう一度考えてほしい。

墓の上のワルツを今すぐにやめろ。

目障りでやかましいステップを停止しろ

お前は何ひとつ自分の頭で考えちゃいない。

彼は神ではない。

彼は救世主ではない。

お前を輝かせるための装飾品ではない。

お前はお姫様ではない。

ただの惨めで愚かな豚だ。

歌って踊るだけのこの世の屑だ。

臭い口を閉じろ。

キーボードを叩き割れ。生きる資格など無い。

彼が評価されるべき理由は「死んだから」ではない。

生きて、素晴らしい小説を書いたからだ。

ブックファースト新宿店様ではただいま「伊藤計劃を超えろ!」フェアを開催中です!

藤井太洋さんも含めた次世代SF作家代表作がドバーッと網羅されています! 必見です! http://pic.twitter.com/soYpfhPPDn

恥じろ。 醜い。

2013-06-04

まねして新書の紹介

http://yuma-z.com/blog/2013/06/shinsho-10/ のまねをして、今度は新書の紹介をしてみる。(それにしても新書の紹介なのに、女性が手に持っているのが新書でないのが納得いかない)いままで紹介した本の紹介は以下のリンクからどうぞ。以下のリンクはいままでに自分が読んで面白かった本の紹介です。

自分が紹介する新書リストは以下の5冊。10冊並べようかと思ったけど、数学入門や理科系の作文技術日本人英語あたりは元のブログに取り上げられているし、それらを除くと以下の4冊が残ったので。

翻訳家仕事

英語日本語に限らず、様々な言語翻訳家の人たちのエッセイ集。「なぜ翻訳家になったか」というテーマエッセイが多い。翻訳家といっても文芸翻訳の話で、技術翻訳の人は登場していないはず。だいたいが学者系の人たちで、日本に紹介したい本があるからやっているという人が多い。(逆に外国日本の本を紹介したいという人もいる)

日本文学海外に紹介する人の話が楽しかった。日本に限らず、世界各地にはその地に根ざした習慣や文化があるわけだが、そういう習慣や文化をどうやって翻訳するのか。知らない人にわかるように説明すると、地の文よりも訳注が長くなってしまうとか、そういう問題点がある。そういったことを配慮しつつ翻訳するのは並大抵のことではないようだ。

加えて、英語日本語翻訳する人と、日本語英語翻訳する人では、前者が日本人ならば圧倒的に楽なのだそうだ。該当する言葉イメージ母語の中から探すというのはできるけれど、逆はとても難しいそうだ。

翻訳というとどちらもできそうな感じがあるけれど、他の人が読むに耐えるレベル翻訳はどうやらそうではないらしい。

本へのとびら

宮崎駿さんが著者。前半は岩波少年文庫の中で自分が読んだ本を挙げつつ、その本を紹介するという内容。後半は宮崎さんの思い出話だ。本の紹介が上手で、読んでみたくなる。

紹介する本は岩波少年文庫のものに限られるので、ほかの書店の本は一切載っていないのが残念だ。しかし後半は宮崎さんがなぜ児童書を読み始めたのかということや、映画作りに与えている影響にも話が及んでいて、とりたてて宮崎さんのファンではない自分のような人にも楽しめる。最近ジブリ映画はつまらない、と感じている人は、この本を読んで興味を持った児童書を読むと楽しい時間を過ごせると思う。

宇宙は本当にひとつなのか

村山斉さんが著者。最新の研究成果を元にして、宇宙はどうなっているかについて説明した本。最新の宇宙論を大まかに説明する本だ。なので、「どうしてそうなっているのか」ということよりも「今こんなことがわかり始めている」という説明が多い。

村山斉さんは最近多くの本を出していて、ほかの本と似た内容になっている(=かぶっている)という指摘がAmazonにある。自分はほかの村山斉の本を読んだことがないので、判断できないが、最新の宇宙論に興味のある人が手に取ってみると楽しい一冊であると思う。

もともとこの本は村山斉さんの講演が元になっているようで、各章の終わりには講演での質問が載っていて、それに対して村山斉さんが答えるというところがある。この質問に対して答えるところが良い。質問の内容をくみ取って的確に答えるのは難しいことだが、村山斉さんはしっかり答えているし、まだよくわかっていないところはよくわかっていないと曖昧にしないで答えている。質問も基礎的な話から宇宙論のかなり専門的な質問もあって、それぞれに解答している。

脳が冴える15の習慣

築山節さんが著者。生活習慣を改善することで、なんとなく調子がでない状態から脱却する方法を説明する。タイトルはありきたりだし、書いてある内容もそんなに真新しいものはないのだが、読むと納得する。

大事なことは寝る時間を削らないとか、運動する時間を設ける、などだ。大変なときにはこういう基礎的な習慣が崩れやすく、そういう点を疎かにすると、短期的にはうまくいく。かもしれないが、それが長引いて長期にわたるとだんだんいまいち調子が出ない…という状態にはまりがちだ。その状態になったり、ならないようにするためには習慣を見直すことが第一で、習慣を改善するだけでうまくいくことも多いというような話が載っている。

ときどきこの本を見直して、うまくいっているときタイムスケジュール生活習慣と今の状態を比べてみるということをすることが良いだろう。その具体的なチェックポイントを挙げてある点が本書の良いところ。

新書とは何か(自分にとって新書イメージ

ここからは余談。

新書というカテゴリーは、文庫でもないしハードカバーでもないというちょっと特殊なジャンルだと思っている。

昔読んだ高村薫さんのインタビューにこんなことが書いてあった。かなり昔には、

というすみ分けがあった。しかしこれは何十年も前から崩壊してしまったようだ。文庫ハードカバー出版された書籍が何年か経った後に、再び出版社が同じ書籍を売り出したいがための「文庫化」される本が多数を占めるようになったためだ。(そうではない本もあるが、全体の傾向としてそうなってきた)

くわえて、

  • 新聞は世の中の新しい出来事を総花的に紹介する
  • 雑誌はある分野ごとに、新聞よりももう少し掘り下げて説明する

というような区分けがあったように思う。新書は、上の新聞雑誌の間を縫うような「新聞のような時事的な問題を、雑誌と同じくらい詳しく、かつできるだけわかりやすく」というニーズがあって発展してきたものだと思う。要するに、今の池上彰さん的な立場新書は担っていた。

新書には、もう一方で「学問の初歩を紹介する」という役割もある。これらは新書が出はじめた当時は多かったが、最近はそんなに多くない。(元のブログでは数学入門はこの手の新書だ)○○学と呼べるような大きな学問領域を一手に扱えるほど権威のある書き手が少なくなってきて、各学問領域内でも細分化された結果、一概に「こうだ」と言えるようなことが難しくなりつつあるからだと思う。加えてそれらを説明しようとすると、新書では紙面が足りないからだと思う。

そのためなのかどうかは知らないが、最近特に、何か一つのテーマをなんとなく紹介する新書が多くなってきた。こういう新書は読むとそのとき何となくわかったような気がするけれど、時が経つと忘れてしまったり、素人目にはその紹介にはつじつまが合わないような時事問題が現れたりする。で、その結果として、その時々で「今」をなんとなくわかりたいときには役に立つ。けれども、全体としてみると、(特に経済問題や時事的な社会問題系は)役に立たないものが多い。陳腐化する。

まとめると、新書は以下のようなジャンルがある。

理科系の作文技術」について思うこと

個人的には、「理科系の作文技術」よりも、同じ著者の

の方が良い気がする。というか普通大学生ならば、新入生の手引きとかにレポートの書き方の説明や参考文献が載っているのではないか?大学講義にそういうものがあるはずだ。なので、「理科系の作文技術」は名著だけれど講義に出て練習を積めばいいように思う。もちろん一気に上手くなるわけではないけれど、ノウハウ本を一冊読むよりも、一度学んだも講義資料を読む方がはるかにわかやすいと思うのだが。講義教授木下是雄氏で、「理科系の作文技術」が指定教科書ならばともかく。

2013-05-20

思えば僕は積み重ねというものができない。

スポーツ

高校の部活テニスは上手くなかったし

趣味ブレイクダンスも上達しなかった。

(これは深夜に活動するのが嫌なと手の皮膚が弱く荒れるので仕方なかった)

小学校のころ習ってて今もたまに泳ぐ水泳も上達することなく競泳的な泳ぎ方ができない。

スポーツじゃなく音楽読書もそうだ。

好きな音楽といわれても特にない

高校時代流行った洋楽ロックメジャーなのと

浪人時代洋楽のエモとかスクリーモをあさったが

今はほとんど聞かない。

だっていくらお金づきこんだところで2年に一度来るかこないかからないアーティストだし

まわりに知ってるやつほとんどいないから楽しくなかった。

1年以上前友達に勧められたくるりビートルズ小沢健二

未だにとりあえず聴いている。良いのはわかる。気に入ってプレゼンにつかった曲もある。だから何だ!

強いて言えば、声優林原めぐみの歌声が好きかなぁ

読書もたまに強迫観念というのか

何か読まないとダメ自分になると思い

てきとーに本屋に足を運んで

文庫化された小説を買う

金城一紀乙一、乾 くるみ

気軽に読めるものだけ読む

村上春樹とか東野圭吾とか読まなきゃとか思うとしんどくなった

せっかく読んだ本の感想とか書こうとおもったけど続かなかった。

小説が読みたくないとき自己啓発系のビジネス書を読んで

意識高く熱くなろうと頑張る。

でもインプットしたものアウトプットしたところで金にならず終わる。

何もやってないわけじゃないけど

何やっても単発でおわる。好きなことも

ジョジョとか仮面ライダーとか好きだけど

フィギュア揃えようとか最初は思う。でも途中でやめる

お金とかの問題ややっぱ目の前で連載や放送されてるそのものが好きだから

あと感想ブログも続かなかった。

絵とか描いてみたいと思うけどめんどくさい。

からいつまでたっても中学生ときの絵。

3ヶ月もあわないと人の名前なんて忘れてしまう。

過去いじめっぽい経験を受けてからなのかな。

自分関係ないと思ったものに対しての熱の入れようがあまりに低い。

人の名前はほんとにそれが原因かも。

かなりドライケータイみたらわからない名前がいくつかあって消した。

長期的な視野が大切と「理解」はしても「納得」できてないから結局コツコツした努力が無理。

まじめっぽくふるまってていつの間にか辞めることおおい。

もちろん友達も少ない。

最初から結論が見えているとやる気をなくす。

これを読んだらこう思うべきなんだろうか?とか想像してしまう。

実際やるとその過程で見えてくるものがあると頭では「理解」してても、実際過程を楽しむ行動が取れない。

将来とかもどうでもいい。

お金ためて世界回って。

みんながするんでしょ?とか思っちゃう。これ何二病?

でもそんな生活実際やったら楽しいんだろうなとか思ったりもしている矛盾

何したら楽しいの。

何かを好きになるのは自分の自由なのに

それを好きと言い続けられる精神がない。

それはまわりの目を気にしているからだと思う。

何が好きかがステータスになるから。褒めてくれる人や賛同してくれる人同調してくれる人を求めてしまう。

一方でステータス全面に出している人と会話するのめんどくさい。

論文やってるんだけど

ゼミ入ったときと違って関心がなくなたか全然すすまない。

他に関心が移る。まぁ実際そっちをやっても対してできないんだろうけどさ。

もういっそ性格かえてくれる合宿

せめて何か一つのことに強制で集中させてくれる合宿とかあったら

よろこんで参加するのになー。

2011-11-20

積み重ねられない。

思えば僕は積み重ねというものができない。


スポーツ

高校の部活テニスは上手くなかったし

趣味ブレイクダンスも上達しなかった。

(これは深夜に活動するのが嫌なと手の皮膚が弱く荒れるので仕方なかった)

小学校のころ習ってて今もたまに泳ぐ水泳も上達することなく競泳的な泳ぎ方ができない。

スポーツじゃなく音楽読書もそうだ。

好きな音楽といわれても特にない

高校時代流行った洋楽ロックメジャーなのと

浪人時代洋楽のエモとかスクリーモをあさったが

今はほとんど聞かない。

だっていくらお金づきこんだところで2年に一度来るかこないかからないアーティストだし

まわりに知ってるやつほとんどいないから楽しくなかった。

1年以上前友達に勧められたくるりビートルズ小沢健二

未だにとりあえず聴いている。良いのはわかる。気に入ってプレゼンにつかった曲もある。だから何だ!

強いて言えば、声優林原めぐみの歌声が好きかなぁ

読書もたまに強迫観念というのか

何か読まないとダメ自分になると思い

てきとーに本屋に足を運んで

文庫化された小説を買う

金城一紀乙一、乾 くるみ

気軽に読めるものだけ読む

村上春樹とか東野圭吾とか読まなきゃとか思うとしんどくなった

せっかく読んだ本の感想とか書こうとおもったけど続かなかった。

小説が読みたくないとき自己啓発系のビジネス書を読んで

意識高く熱くなろうと頑張る。

でもインプットしたものアウトプットしたところで金にならず終わる。

何もやってないわけじゃないけど

何やっても単発でおわる。好きなことも

ジョジョとか仮面ライダーとか好きだけど

フィギュア揃えようとか最初は思う。でも途中でやめる

お金とかの問題ややっぱ目の前で連載や放送されてるそのものが好きだから

あと感想ブログも続かなかった。

絵とか描いてみたいと思うけどめんどくさい。

からいつまでたっても中学生ときの絵。

3ヶ月もあわないと人の名前なんて忘れてしまう。

過去いじめっぽい経験を受けてからなのかな。

自分に関係ないと思ったものに対しての熱の入れようがあまりに低い。

人の名前はほんとにそれが原因かも。

かなりドライケータイみたらわからない名前がいくつかあって消した。

長期的な視野が大切と「理解」はしても「納得」できてないから結局コツコツした努力が無理。

まじめっぽくふるまってていつの間にか辞めることおおい。

もちろん友達も少ない。

最初から結論が見えているとやる気をなくす。

これを読んだらこう思うべきなんだろうか?とか想像してしまう。

実際やるとその過程で見えてくるものがあると頭では「理解」してても、実際過程を楽しむ行動が取れない。

将来とかもどうでもいい。

お金ためて世界回って。

みんながするんでしょ?とか思っちゃう。これ何二病?

でもそんな生活実際やったら楽しいんだろうなとか思ったりもしている矛盾

何したら楽しいの。

何かを好きになるのは自分の自由なのに

それを好きと言い続けられる精神がない。

それはまわりの目を気にしているからだと思う。

何が好きかがステータスになるから。褒めてくれる人や賛同してくれる人同調してくれる人を求めてしまう。

一方でステータス全面に出している人と会話するのめんどくさい。

論文やってるんだけど

ゼミ入ったときと違って関心がなくなたか全然すすまない。

他に関心が移る。まぁ実際そっちをやっても対してできないんだろうけどさ。

もういっそ性格かえてくれる合宿

せめて何か一つのことに強制で集中させてくれる合宿とかあったら

よろこんで参加するのになー。

2010-11-18

私が読んだうつ病に関する本まとめ

はじめに

私は現在心療内科通院中です。通い始めてからだいたい3年くらいかかってなんとか上向いてきました。

通院するようになってから、うつ病に関する新書文庫など、手に入りやすい本を何冊か読みました。

そのうち、個人的にいい内容だなと思ったものを挙げます。

素人感想なので、異論反論多々あると思いますが、何かのお役に立てれば幸いです。

ツレがうつになりまして。(幻冬舎)

マンガ。続編の『その後のツレがうつになりまして。』ともに文庫化(幻冬舎文庫)されています。

「休養」環境を整備するために家族にはある程度病気を理解してもらった方がよいと思います。

発病したての頃、家族うつ病についてよくわかっていないようだったので、家族向けに買いました。

最近文庫になった『こんなツレでゴメンナサイ。』は(単行本文藝春秋文庫文春文庫)、ツレさんの立場から、内面を詳しく書いています。

こちらを読んで共感したのは、自責感や体のつらさ、治りかけの時に「性格が悪くなる」というあたりです。

最先端医療現場から3 うつ病新時代 その理解とトータルケアのために(平凡社新書)

うつ病、心の病気には未知の部分があります。たとえば、薬は存在するのですが、「なぜ効くのかわかっていない」らしいです。

だから私はできるだけ新しく、また上手に整理された内容の本を求めていました。

この本は(おそらく現時点で)最新の見解を載せています。医師によりいろいろな立場があるので、一概に「最高」とはおすすめしませんが、

発病原因(内因性・心因性)と症状(精神症状が強いか身体症状が強いか、また重傷度)から治療方針を考えている実例が参考になります。

薬についても整理されていてわかりやすいとおもいます。また、「偽うつ」などと断じられやすい「新型(非定型)うつ病」も

治療と本人の精神的な成長で改善するであろうという見解も、ただ「困った若者」として排除する立場よりは理性的だと思いました。

友人知人にならば、最初に読む1冊として勧めるだろうと思います。

うつは薬では治らない(文春新書)

薬に対する反応性がいまいちで、何種類も薬を変えてきているので気になって読みました。

抗うつ薬は「中程度までの」患者にはあまり効果がないという研究があるようです(インターネット検索してみてください)。

また、製薬会社SSRIPRの時期とうつ病患者数が増加した時期が一致する点は、気になってしまうところです。

ですが、医者や薬を悪者にしようとしているかのような煽りタイトルはちょっと誤解を招くように思います。

この本は「薬だけでは」治らない、と主張しているように思います。「患者化」つまり、患者であることにあぐらをかき、

周りの手助けをあたりまえと思う思考を戒めています。

治ろうという意志がなくては治らない、という思いを深めた1冊でした。

会社で心を病むということ(新潮文庫)

私は来春から就職しますが、まだ寛解していない病気とつきあっていくのには不安があります。

この本は「産業医」の立場から、働きながら病気を治す、病気を治して働く、

そもそも仕事ストレスが高じて病気にならないようにするには、ということを書いた本です。

社会人の方には、病気であろうとなかろうと、使われる立場でも使う立場でも、読んで欲しいと思いました。

管理職へのアドバイス」という部分が、患者でない人向けです。

いやな気分よさようなら(星和書店)

薬に対する反応がイマイチのため、医師に「認知行動療法」をしてみることを勧められました。その良書がこれとのことです。

分厚い翻訳書で高いです。それと、後半の難しい部分は読むのが辛いです。

一応読みましたが、アメリカーンな感じ(前向きに生きてればハッピー信仰は持ってるよね当然)がするので、なんとなく馴染めませんでした。

認知行動療法は、医師に出される宿題をやって、採点(みたいなことを)してもらって、自分の考えのクセを自覚していくもののようですが、

そんな手間をかけられるほど時間のある医師日本にはたぶんほとんどいません。臨床心理士も数が少ないと思います。

自力でこの本のワークシートをやってもいいのでしょうが、まるで『絶対内定』みたいな分厚さなので断念しました。

こころが晴れるノート うつと不安認知行動療法自習帳

『いやな気分よさようなら』に挫折して、レイアウト優先で(とっつきやすさで)これを求めました。

ほんとうに自分でできる構成になっていると感じます。

ワークシートは1枚ずつしか印刷されていないので、コピーをとらなければいけませんが、見やすくわかりやすく、

どのシートをどういう順番にやればいいのか絞り込まれているのでよいと思います。

私は残念ながら本書を買った後に下向きの波が来てしまい、ワークシートは書かずに読むだけでした。

おわりに

上記に挙げた以外にも、トンデモだなあと思う本や、スピリチュアルが入っている本、

わかりやすさを求めるあまり表面的な内容になっている本、内容が古くあまり役に立たない本など、

10冊以上は読んでいると思います。中でも、私が腑に落ちた本を挙げました。

いま、改善しつつあるのは医師や薬のおかげばかりでなく、これらの情報に接して考え方が変わったからだと思います。

自分ばかりがなぜという思い、どうして長引くのかという不安は、知識を得ることによってある程度軽減されます。

また、私が「治ることに前向きになった」と感じたのは、卒業年限となり、苦しいながらも就職活動をやり終えた頃からでした。

就職活動で、他人に伝わる言葉表現せねばならなかったこと(今までは自分の気持ちを、ニュアンス優先の自分語彙で表していました)、

仕事をするという目標ができたことが前向きに作用したのだと思います。

私はあきらめずに進みます。

同病の皆様、そのご家族の皆様、患者の方と同じ会社で働く皆様。

発病自体は過ぎたこととして、これからを歩んで参りましょう。

2010-09-23

ヘーゲルから見る自意識問題という名の厨二病

自意識問題について。

まあ思春期には、「自我」がどうしようもなく膨れ上がる。みんなそうだ。

このころに、つまり言葉一定の水位を超えてあふれ出す時に「思考」が始まる。

そして、現実ではなく、「自己意識の中では」自分は「自由」な存在だということを突然発見する。

若者の「思考」の最大の仕事自分正当化すること、そして自分世界の絶対的な主人公とすること。

そんなわけで、14~15歳前後から世界のすべてを自分流に解釈し、

自己意識の中で激しく「俺は誰でもない俺だけの存在だ」という感覚を確認しようとする。

要するに、思考の自由がやってきて、はじめて人間は「自分という存在のかけがえのなさ」を実感することになるわけだ。

おめでとう。

しかし、ここには問題がある。

第一に、それは「意識」の内側だけの自由であって、その人を取り巻く現実は、やはり親や社会ルールによって縛られ、拘束されている。

自力で現実的な自由の条件を獲得できない大抵の場合、当分は内的な「自由」で我慢するしかない。

第二に、自分自身を世界の絶対の主人公と見立てたいのだけれど、

この望みは誰もが同じようにもっているものだ、ということに気づかないわけにはいかない。

「周りの奴らは馬鹿ばっかで、俺の考えてることはわかんねーんだよ」という人も、

「俺は誰でもない俺だけの存在だ」ということが、誰にもあてはまる平凡な事実だということに薄々気づいている。

「思考の自由」が、人間に「自分だけは特別な存在である」という新しい真理を教えるのだけれど、

その自意識を満たしてくれる「クリエイティブ」で「他者が賞賛」するような職種で成功を収めないかぎり、

それはいずれ挫折する運命を持っている。

そして「別の生き方」を選ぶようになる。

そこにいたるまで我々は自意識問題という名の厨二病煩い続ける。

ヘーゲルはこの「俺は誰でもない俺だけの存在だ」という「自己意識の自由」の三類型ということを言っている。

第一の類型は「ストア主義」。

人々は醜い承認争いをしているが、そんな競争はつまらないものだと「俺だけはよく知っている」と考える自己意識のことだ。

このことで自己意識は、自分価値独自性を、内的に確保する。

「お前ら必死だなw」って奴だ。

第二の類型は「スケプチシズム」、つまり懐疑主義

人の意見の弱点を見つけてはこれを相対化しようとする人が懐疑主義者だ。

どんな意見もちょっと観点を変えればみな相対化されてしまうということを「俺だけはよく知っている」と考えて「自己意識」を確保しようとする。

この2つは、両方とも自分意見、態度、生き方留保しておいて他人の価値を低く見積り、

そのことで相対的に自己価値を確保しようとするやり方だ。

第三の類型は「不幸の意識」。

若者は独自の強力な世界観理論出会うとその世界にどんどんのめりこみ、世界人間のどんなことにも「立派な」ことが言えるようになる。

そのことで世界最強の「自己意識」を持つようになる。

キリスト教マルクス主義極右思想、自己啓発などなどだ。

しかし、この高尚な世界観要請する理想の姿と現実自分の姿の間で、引き裂かれる自己意識が発生する。

これらはすべて「自分の心の内側だけで、自己価値を確保しようとする試み」だ。

人間自己価値は「他者の承認」を必要とする。だけど、それは結構きつい。

から人間自分の中の「自由な思考」のうちで自己価値をつかもうとする。

でもそれはたぶん無理だ。

現実はどうしようもなく存在していて、そのうざったい自意識にうってつけの現実なんて向こうからやってこない。

その不可能性が頭ではなく身にしみた時こそが、めでたく厨二病卒業の時となる。

おめでとう。

で、その「別の生き方」ってのは自分なりに探してくれ。ニヒリズムに気をつけて。

参考文献:竹田青嗣自分探し哲学』(「愚か者哲学」の文庫化)

2010-04-30

文庫はいつまで「姥捨て山」か

文庫本『姥(うば)捨て山』説」というのがある。

人気作家小説などは、雑誌に掲載されたあと、しばらくたって単行本になる。私が若いころは、単行本化された本はかなり長いあいだ入手できたが、いまはそうはいかない。書店の棚は飽和状態で、返品されれば日の目を見る機会は少ない。ほどなく断裁されて品切れ状態になる。そうなれば、有名作家の一時は評判になった作品でも入手できない。出版社は有名作家に顔が立たず、とりあえず文庫本にすることで納得してもらおうとする。しかし、文庫化された本は、コミックスなどごく一部を除いて、有名作家の本でも劇的に売れず、流通はしているものの事実上、死んでしまう。

役立たずの老人を殺してしまうのは殺すほうも気がとがめる。殺すのではなくて、山に捨ててくることでその残虐性を減じるというのが「姥捨て山」の巧妙な仕組みだが、文庫化プロセスはこうした「姥捨て」にそっくりだ。本を殺すのではなくて、穏便に「自然死」させようというわけだ。

こうした「文庫本『姥捨て山』説」というのは、私が唱えたわけではない。文庫本が世の中に登場し始めたころから、関連業界でひそかに囁(ささや)かれていた言葉だ。

 

いうまでもなく、こうした文庫本は、読者にとって魅力的なものにはならない。個々の本そのものの価値文庫化されたからといってもちろん減るわけではないが、注目度が下がっているものであることはいなめず、そうした本ばかり集めた「姥捨て山」では、文庫が魅力的なものになるはずはない。かくして文庫はやっぱり売れず、たいていの本にとってはきわめてマイナーな販路にとどまっている。

出版社利益を確保する必要があるから、高値で売れる新刊について敢えて廉価版を出そうとは考えない。

海外ペーパーバックが成功したのは、ベストセラーの新刊なども同時発売で、しかもきわめて安くペーパーバック版を販売したからだ。

日本ではこのような期待はできない。日本は、文庫後進地帯、もしくはマンガ文庫に特化した「ガラパゴス地帯」になることだろう。

せいぜい言えるのは、出版市場が縮小し、出版界が新たな販路を切り開く必要性がいよいよ高まってきたということぐらいだろう。

ただそれが、従来の流通経路を破壊し、出版社自分たちの存在基盤そのものを掘り崩す可能性を覚悟してまで動く気になるほどのものかといえば疑問に感じる。世の中の大きな期待によって動くということは何につけてもあるわけだが、業界の存続そのものに関わっているということになれば、そう簡単には動かないだろう。

参考URLhttp://allatanys.jp/B001/UGC020005120100427COK00537.html]

2008-11-28

今更だけど、戯言シリーズ読み終わった

西尾維新戯言シリーズ文庫化されてたので思わず書店で手に取った。なんつーの、ライトノベルに挑戦、みたいな感じで。1冊読んでもなんだかよくわからない。推理小説っぽいんだけど、何が「戯言」なの?思わず、1巻読んで、うーんなんなのだろう?と唸った。でも妙に色んなキャラが立ってる。魅力的なのだ。語りは一人称の「ぼく」の目線で語られていくんだけど、僕の語り口がおもしろい。全部読み終わって思うんだけど(シリーズ9巻中5巻読んだあたりでようやく気づいたんだけど)、これは1巻でつまらないとか判断したら勿体ない。勿体無さ過ぎる。じわじわ来る。「戯言」の雰囲気がなんとなく掴めて、僕の事がなんとなく掴めて行く。どんどん登場する魅力的なキャラに猛烈に惹かれて、世界にぐいぐい引きずり込まれる。

「ぼく」はいいヤツなんかじゃない。後ろ向きで、ダブルスタンダードで、クズで、そして、自分に強烈に重なる。物語が進むに連れ、物語は劇的に変化し、「ぼく」にも大きな変化が起きる。「ぼく」に自分を重ねていたら、最終的に「ぼく」が行き着いた場所と自分の場所はあまりに違う。自分は後ろ向きで、ダブルスタンダードで、クズのまま。なんつーか強烈な置いてけぼりを食らわせられる。

それから、読んで行くうちに途中何度も味わう喪失感がすごい。なんだこれ!?と叫びたくなる。イラストレーター竹さんの絵でソフトタッチライトノベルイメージを持って「戯言」シリーズに入って行く自分のような人もいるかもしれない。そうすると思わず、思わぬ打撃を受けまくる。表紙の絵のイメージでほんわかした気持ちで読み始めてはならない。半端な気持ちで踏み込まない事をお勧めする。心して、一気に読んで欲しいシリーズだ。

結局文庫化されていない分はノベルズで買い足して読んでしまった。これをライトノベルなんて言っていいんだろうか。ヘビーノベルだ。「ライトノベルと言って決して甘く見ていいものではない。「ライト」と言われない小説を凌駕しまくっている。9巻通しての完成度は異様に高い。1巻で判断しようなんて無理すぎる。1巻は全ての序章でしかない。2巻でいきなり打撃を喰らう。3巻で驚き、4、5巻で騙される。6巻で泣き、7、8、9巻は身動きできない。そんな気持ちを味わった。

読んだ人が必ず幸せになれるシリーズではないかもしれない。

自分は・・・打撃を喰らい、「ぼく」のダブルスタンダード嫌悪し、自分の姿を投影し、騙され、泣かされ、揺さぶられ続け、最後に強烈な置いてけぼりを喰らったにも関わらず。この物語が好きだ。

2008-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20080922211853

元増田です。

思った以上に読まれたみたいで嬉しい。

いくつか反論つーかコメントさせてもらうわ。

あと、俺が探してた本結構面白かったんで発表しようと思ったけどやめた。これは別のところでレビューでも書いてくる。

セカチューとか美しい国へとかてきとうに例として取り上げただけなのに、その本はどうこうとかいちいち細かい点つっつく奴いるくらいだから、具体的な書名書くとバカがつまらんところにこだわって、「その本はなくて当然」「ウチの近くの本屋にはあった」「ウチの近くのブックオフにはなかった」「マイナー作家だからなくて当然」とか本題に関係ないこと一生懸命取り上げだして話がブレるし。

問題は具体的に個別の本のタイトル店頭在庫のあるなしじゃなくて、「一般の文芸書で、そこそこ有名な作家の本だがベストセラーとまではいかず発売は2年ほど前。まだ文庫化はされていない。」という感じの本が、新品で買おうと思っても殆どの本屋になくって、ブックオフならありそうって事なんだから。

でも俺が買った本のヒントはどっかにあるんで特定したい暇な人はどうぞ。

>、商売というのは利益を生む為にやってる。

>文化じゃ飯を食えない

>いやだから新刊書店ブックオフも文化のためにやってるわけじゃないスから

>まぁ、ここ10年、5年でもいいや、に出た本を全て置いてある書店、というものを想像するとそれがどれだけ非現実的かは分かると思うんだが。

そりゃそうなんだろうよ。

でも、同じく商売でやってるブックオフは、商売でも成功してるし文化にも貢献してるよ、このままじゃ商売でも負けて潰れるよって話をしてるの。

しかも新刊書店業界(?)の連中ブックオフが文化を破壊とか偉そうにいってるのに、ブックオフに劣るって恥ずかしすぎるからなんとかしてくれと。

ああ、出版社や取次が悪いんですね、わかります

でもその状況の中で努力しようよ。

>チラシの片隅に「地域文化を守る○○書店」とか書いてあると、「文化を守るんだろ?△△おいてなくて、何が文化だよ」と、バイト店員締め上げたりするのだろうか。

実際に締め上げると犯罪なのでネット鬱憤を晴らしているのですがなにか?

>2年で消える「文芸」もダメなんですよね。『人間失格』や『こころ』みたいな本は今後現れるんだろうか?

新しい文芸をそういう作品レベルに育てあげていくのも本屋レゾンデートルの一つなんじゃないの?

ちょっと「ファミコンゲームは良かった」っていう懐古厨っぽさを感じなくも無い。

スーパーマリオ」を今やっても楽しいかもしれないけど、それより新作の方が普通おもしろいよ?

>追記も読んだ。「守り伝えたい」のは誰かといえばそれは市民の総意であって、夏目漱石芥川龍之介太宰治が未だに新刊として売られている点についても考慮する必要があるのでは?

下手するとそれらの本ですら街の本屋よりブックオフの方においてなくね?

市民の総意」に答えないところは淘汰されていく、という気がするんだ。

>ここまで、新刊と古書の併売の話題がまったく出てきていないのだが、一体どういうわけだ?

おまえが書けばいいんじゃね?

ブックオフに期待して新刊を買い控えるのは最大の愚行。欲しい時に買うのが一番。

俺は発売後2年たってから欲しくなったの!

それで欲しい時に置いてないってどういうことなのと。

ロングテール

ブックオフは意外とロングテールという事例。 目的の本に出会えるということは、売場も整理されているということだなぁ。

このコメントに近い感想かも。

ブックオフで新しい本と出合うことは結構多い。

本屋の方が少ない。


>専門書

僕なんかがほしがるのはバカな一般大衆とは違って、まともな文芸本(笑)が多いから、どうしてもブックオフメイン

とくに古いまともな文芸本(笑)なんて街の本屋さんにはほぼ置いてないし、あっても捜すのが大変すぎる。

こうですか!?わかりません!

映画館

もう映画見るときは大都市とかシネコンまで行って見るので小さな映画館事情はあまりよくわからん。

昔、新聞屋に映画の招待券貰って一回だけ「街の映画館」的なところに行ったことあるけど非常にしょっぱい状況だったのは印象に残ってる。

>その店に増田さんの求める「文化」がなかった、ってだけの話なのではないかなあ。学参やお料理の本はあったんじゃない?

ブックオフには「学参やお料理の本」もあったし、俺の求めた「文化」もあったんですよね。

> 同じ事象についてのそれぞれ感じること思う事は違うので「理解されてない」というのはお門違いだと思う

いや、俺は文学(笑)を書いたわけじゃないから、読み手の解釈に任せるとかそういうつもりは…

事象を書いただけじゃないし。

>ふられた腹いせですね、わかります

限りなく正解に近い。

というか最初のエントリーで俺がツンデレであることをさりげなくアピールしてたのに、「この増田は本気で本屋さんを潰そうと画策している本屋業界の敵だ!戦わなくては」的に受け取った人がいそうでちょこっと悲しい。

べ、別に街の本屋さんがなくなったら寂しいなんて全然これっぽっちも思ってないんだからね!!コンビニで新刊本買えればあとはブックオフで十分なんだからっ!

(……バカバカ!あんなこといって本当に街から本屋さんがなくなっちゃったらどうしよう!)

なんか面倒になってきた。

まあ最後のがまとめってことで一つ。

2008-09-22

さようなら本屋さん

とある本が読みたくなって本屋に探しに行った。

一般の文芸書で、そこそこ有名な作家の本だがベストセラーとまではいかず発売は2年ほど前。まだ文庫化はされていない。

このタイプの本は、そこら辺の本屋にはまず置いていないということを思い知った。

私の行動範囲(原付で移動できる程度の距離)には、商店街本屋さん、やや郊外型の中規模書店がいくつかあるがその何れにも無い。

ふと思い立ち、ブックオフに行ってみた。

そこでやっと発見

どういうことなのだ。

新刊で購入しようと思っていた人が新古書店に行かないと本が見つけられないなんて、新刊業界(?)の連中は恥ずかしくないのだろうか。

ついでにブックオフでいろいろ本を見てみる。

すると、100円コーナーにもかつてのベストセラーや名作漫画絶版amazonでも手に入らないような本が並んでいるではないか。

あの時興味はあったけど買い損ねたあの本、ベストセラーになってから買うのは悔しくてツンデレ的にスルーしてたあの本も100円。今なら気軽に買える。

皮肉なことに本の中身をチェックしないブックオフこそが、逆に「文化」を保存し伝えているのだ。

http://b8270.at.infoseek.co.jp/cho-c.html

出版社とそれに乗せられた作家連中はこんな痛い呼びかけをしちゃっているが、ブックオフの方にしかあんたらの本がないというのはどういうことなのだろうか。

最早、街の本屋さんは文化を守る存在でもなんでもない。

ただ新刊漫画を売り捌くだけの場所。

今後新刊の本屋で生き残るのは、大都市の中心や郊外にある品揃えが豊富な大型書店amazonだけだろう。

文化はその気のないブックオフが守り伝えてくれる。

売れる新刊本はコンビニででも販売すれば十分だ。


9/24追記:

http://anond.hatelabo.jp/20080924005214

誤字修正&思ったより見てくれた人が多かったんで追記しといた。よければそっちも見てくれ。

9/26追記:

http://anond.hatelabo.jp/20080926053616

もう一回追記。

たぶんこれでおしまいにします。読んでくれた人どうも。

2008-09-04

パンローリング投資マンガ文庫化した理由

バフェットマンガ講談社に引き抜かれて文庫化されたことで

「なら自社で文庫化しよう」

ということみたい。

2008-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20080827222717

返答どうもです。

http://www.panrolling.com/books/comics/

「ウィザードコミックス」ってハードカバーシリーズが終わってるんでまずはこれを

http://www.panrolling.com/books/pl/

こっちで文庫化して

出来れば描き下ろしで新作出してほしい、って本気(マジ)で思っています。

2007-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20071018102441(10/23追記)

何かいっぱいブクマもらってる割に致命的な間違いに気づいたので訂正しておきます。

サウスポーキラー」は沢村凛じゃなくて水原秀策ですすみません。

沢村凛は「瞳の中の大河」がイチオシですねえ。私はどうしても男同士の因縁とか関係に弱い。それがなくても名作なのは間違いないのですが。水原秀策は新作も面白かった。この人は何か一芸ある主人公が好きなのだろうか。あとは…古処誠二とかも好きです。ただ単に文庫化した「分岐点」を今読み終わったから、というだけなのですが。最近はめっきり戦争ものに行ってしまったようで寂しい限り。朝香&野上シリーズ書いてくれないかなあ。

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