はてなキーワード: 公文とは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 66 | 16939 | 256.7 | 57 |
01 | 40 | 10973 | 274.3 | 56.5 |
02 | 24 | 4098 | 170.8 | 23 |
03 | 20 | 2060 | 103.0 | 35.5 |
04 | 15 | 1594 | 106.3 | 74 |
05 | 17 | 4367 | 256.9 | 35 |
06 | 29 | 3350 | 115.5 | 50 |
07 | 53 | 7023 | 132.5 | 50 |
08 | 52 | 3818 | 73.4 | 29.5 |
09 | 106 | 8744 | 82.5 | 32 |
10 | 102 | 8126 | 79.7 | 47.5 |
11 | 128 | 9239 | 72.2 | 41 |
12 | 108 | 10871 | 100.7 | 38.5 |
13 | 121 | 9578 | 79.2 | 44 |
14 | 128 | 17797 | 139.0 | 39.5 |
15 | 104 | 8420 | 81.0 | 38 |
16 | 143 | 13448 | 94.0 | 39 |
17 | 176 | 22044 | 125.3 | 38 |
18 | 80 | 10752 | 134.4 | 51.5 |
19 | 93 | 8703 | 93.6 | 41 |
20 | 128 | 15361 | 120.0 | 51.5 |
21 | 169 | 16673 | 98.7 | 35 |
22 | 131 | 11659 | 89.0 | 42 |
23 | 143 | 19328 | 135.2 | 46 |
1日 | 2176 | 244965 | 112.6 | 40 |
大津(6), 平和活動(5), 組合員(10), 割烹着(4), 春闘(8), 諸葛亮(3), 正価(3), 爆竹(3), 専従(3), 5月7日(3), スカウター(3), 5月6日(3), ぼっち(23), 横浜(12), デスクトップ(7), コミュ障(26), ベトナム(6), 交通事故(7), 専業主婦(27), 副業(9), 連休(14), 体育会系(5), 運転(22), を通じて(8), 役員(8), ハイ(8), 出社(8), GW(8), 事故(29), 都会(19), 住む(13), 通勤(10), 保育園(10), 労働者(10), 2年(10), 旦那(16)
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6240673(6478)
最近庭における糞尿被害が認められない。というか糞袋自体近所で見かけない。公文教室の近くには相変わらずインモラルなBBAが正々堂々
アレしているんで、2匹ほど見かけるけれど、近所には居ない。どうもあそこの汚い家のおばさんが、寝たきり状態になったようだ。この前も救急車が
夜来ていた。家からはあまり出られないが、寝たきりというほどではない頃は、窓の外を常に眺めてて、糞袋が近づいたら窓を開けて
不正行為に走っていたみたい。しかし、最近はそれも、できなくなったようだ。ざまーみろ。やっぱりそういうおばさんが自滅すると、糞尿被害って暖かくなっても滅するんだな。ちょっと様子見だ。さらに暖かくなると、どうなることやら?
去年の秋に「落花生殻の刻みとマタタビ粉と魚粉をこねて、薬液に浸した団子」を公文の近くに大量投下した。昨冬は、毛割れしてボサボサ袋を見かけて、人々はニンマリしていたけど、ボサボサは、越冬できなかったみたいで、最近は見かけない。去年、相当定食を供給したので、繁殖がほとんどなかったというのも一因だろう。ということで、12月以来久しぶりだが、今日も特に報告することはニャイ。
生活リズムが変わります。フィジカル的にもメンタル的にも順応するには時間がかかります。
やることが変わります。新しいことは楽しいですが、覚えるのは難しいです。
さんるい?瑠衣くんが三人いるの?分かりません。失敗すると恥ずかしいです。
今まで通りのことをして安心したくなります。今までできたことを今もできると確認したいです。
できるようになったことは褒めてもらいたいです。
褒めてもらえなかったり恥ずかしいときは、成長を自慢したくなります。
は?おまえ××なんかしてんの?だっさ!ふつうしょうがくせいなら〇〇するだろ!
友達が変わります。仲の良い人が他の人と楽しそうにします。さみしいです。
さみしい時にうるさい人が近くにいると、怖くなります。
さみしい時にふざけて大きな声を出してないと、さみしくなります。
さみしくなると、慰めてほしくなります。
小学生という肩書の重さは誇らしくもありますが重たく感じるときもあります。
それなりの筋力が付くには個人差があります。比較は不公平に感じます。
年上の人が意地悪をしてきます。
大きい声を出したり、たたいたり、好きなものをバカにしたりしてきます。
ゴールデンウイークが明けて2週間くらいで年上の人から順に落ち着いてきます。
このあたりから周りの人たちと話をするのが楽しくなってきます。
家族に言えない時は学校の先生でもいいし公文の先生でもいいし習い事の先生でもいいです。
話を聞いてくれない大人より、話を聞いてくれる大人の方が多いです。
あとは適当に楽しんでください。
試験前、提出しなければならないレポート前になると、自分はどうしてこんなことをしているのか、別にこれが好きなわけでもないしこの道に憧れて選んだわけでもないのに、どうして自分はここにいるのだろうと、不安になって胸が締め付けられたかのように苦しくなる。
私は地方の大学の医学部に通っている。親戚に医者がいたというのもあって、周りからは医者になることを期待されて育ってきた。私自身、生まれてこの方勉強するという行為に嫌悪感はなかった。小学校の頃からそれなりに計算もできたし本も好きだったから文字を書く、漢字を読むことは苦ではなかった。学校には毎日通うものであり、授業は座って先生の話を聞いてノートを取るものだと思っていたし、ADHDにありがちなその場の空気に合わせてじっとしていることができないといったこともなかった。周囲と比べてちょっと変だったところといえば、なんとなく特別学級や不登校、いじめに興味があったことくらいだ。小学校中学校でのスクールカーストはやや低く、いわゆる足の速いサッカー部のいじりの標的にされることがあったが、学校に行けなくなるほど心身を病んだわけでもなかった。むしろ私は自分のことを""あっち側""の人間ではないと思っていた。私が通っていた学校には溜まり場が、今流行りの言葉で言えばコミュニティスペースが、比較的多くあり、ヤンキーの生息地、ガリ勉の生息地、オタクの生息地が距離感を保った状態で存在していた。そして、""あっち側""の人間の居場所もあった。私には友達がいなかったが、校内で一番勉強ができるやつだと思われていたので、特定のグループに恒常的に入っていなくても、どこの輪でもなんとなく話ができたし、あちこちに顔を出しては適当に楽しく遊んでいたように思う。
私が中学の頃に友人の一人に誘われて入った近所の公文塾は、学生の実力に合わせて進度を調整できるという触れ込みの塾だった。公文には他の学校の生徒が多くいて、プラスマイナス5〜6歳の生徒とも同じ場所で勉強していた。曜日によって顔を合わせる面子が違えば雑談する内容も毎回違っていて、ある程度敬意を払いながら丁寧に接していれば年の差なんてほとんどないような関係でその輪に入ることができた。たまたま公文式の教材が自分の性分にあっていたのか、数学と英語に関してかなり成績が伸び、中学の時点で高校のセンター試験レベルを楽々解けるくらいまで教材を進めて、県の進度上位者として表彰されるまでに至った。自分は勉強ができるんだ、これが自分の長所なんだと思い込んだ私は、学校だけでなく公文でも""勉強ができるヤツ""としてのポジションを獲得したことでますます自分は""勉強ができるヤツ""として振る舞おうとしていた。
家でも、試験の成績が良ければ父母に褒められたし、親戚に会えば「お前は勉強ができるのか!じゃあ将来は医学部か東大だな!」と言われていた。以前は漫画三昧ゲーム三昧だった子が公文に入るなりメキメキ勉強するようになったのだから、親としても嬉しかったのだろうし、私も自分にとっては苦でなくできることで褒められるというのはとても嬉しかったのも事実だ。
よくよく思い返してみれば、この頃から自分の行動は歪んできていたように感じる。数学も英語も好きだったが、勉強したことで褒められるのはもっと好きだったのではないかと思う。
高校は自宅から通学1時間くらいのところにある普通科高校に通った。進学校といえば進学校なのだが、まぁ地方の自称進学校なぞ大学受験のレベルで言えばたかがしれている。開成とか灘とかと比べれば全然しょぼい。偏差値10〜20くらい違うんじゃないか?高校の理系クラスに進学すると、自分の好きな数学や英語の勉強の話やアニメや漫画の話ができる友達がわりかしできた。公文での積み重ねがあったからドロップアウトしがちな中学から高校への学習密度の変化にもついていけた。どうやら自分は高校でも成績は一番ではないにしてもトップクラスだと感づくのに時間はかからなかった。当時好きだった人が生徒会に入ろうとしていると聞いて自分も生徒会に入ってみたが、環境の変化からか全体的な体調が悪くなったのもあって一月かそこらですぐに辞めてしまった。通学で消耗してしまっていたので部活動をやる気にもなれず、事実上の帰宅部として放課後にカラオケに行ったり理科室に入り浸ったり青チャートを解いたりシス単を周回するなどしてふわふわ過ごしていた。結局、自分の""勉強ができる""というアイデンティティを確保したいがために、勉強を最優先においていたのだと思う。学校の先生も勉強ができれば褒めるし親も勉強ができれば褒めてくれた。だけれど、本当に大事なのは自分が好きなこと、やりたいこと、魂をかけてでもそこに食い込みたいという世界を追求することだったのに。とりあえず勉強してれば褒められるという目先の報酬を獲得することに囚われていた。進路選択も志望校選びも、親戚の「お前は医者になるんだよね?それが一番いいことなんだ」という圧を内面化していた節があって、近くの国立大学でいいかとろくに考えもせず、周りに流される形で今の大学の医学部にした。いや、正確に言えば、東大や京大を目指して勉強するのが面倒だったしわざわざ失敗する=浪人する可能性のあることをするのが怖かった。自分に向いている業種が見つからないのが怖かった。自分になんの才能もないことを突きつけられるのが怖かった。自分の責任で何かを決めるのが怖かった。このまま担任の勧めや親の勧めに従っておけば、""失敗""することはないだろうと思っていたから、これが最善の賢い選択なのだと思い込んでいた。馬鹿らしい。一日や一週間やそこら勉強しなくたってどうってことないのに、受験勉強というフィールドしか見えてなかったし見ようとしてなかった。少しでも興味のある業界があるのならそっちに向かう努力をするなり調べればよかったのに、当時の私には褒められたいという気持ちを抑えることができなかった、だから現状の自分にできることで褒められる、受験勉強しかしようとしなかったのだと思う。人間というのは、できないことをやって失敗しながらちょっとずつ適応していくことでできることの範囲が拡大していくものだ。そもそもできることしかしない人間に成長はありえない。当時の賢こぶっていた私を殴り倒して張り倒してでも伝えたい。勉強以外のことで自我を確立するべきだった。一般的に良いとされていることに身を投じてコミットしても、結局のところ消去法の選択に自分が納得しないままではいずれ無理が来るのだ。そして今まさしく、易きに流された自分のツケを払わされているのだけれど。
程なくして現役で某大都会の国公立大学に合格した。大学に入れば私もここでいわゆる""青春""を送ることができるだろうと信じて軽音楽系のサークルに入ってみたが、持ち前の拗らせて肥大したプライドを守るのに必死で体育会系の人間関係に適応できずに辞めてしまった。未成年飲酒なんてどこもやっていることだからとアルハラが正当化され、先輩が飲めといえばありがとうございますと感謝して飲まなければならなかった。音楽は好きだったけれど、サークルでの苦痛と引き換えに得られる人間的魅力、音楽活動での満足感があまりにも見合わないと感じた。音楽に熱中できていればもう少し違っていたのかもしれないが。文化系のゆるゆるサークルに入ってみたが、そこは自発的にモノを作り出して自分を充足させられる人間の集まりであって、他人からの承認ベースで行動してきた私のような人間が突然生産性を高められるようになるわけではなかった。上の人間に面倒をみてもらうには人権が邪魔をし、一人で生きていくには人間強度が足りなかった。現実での人間関係を構築できない者が流れ着く場所といえば古来よりインターネットと相場が決まっている。必然的に私もインターネットに漂着した。twitterから始まり様々なSNSを通じて学生や学生以外の人間と多く出会った。オタクのオフ会にも参加したし、""あっち側""の人間との交流会に出向いては世の中にレールから外れた人が想像以上に多くいることを強く実感し自分の見識の狭さを恥じた。コミュニティを転々とする上で国公立医学部生というソーシャルグッドな切符は様々なコミュニティに出入りするのに大変便利で、どこに行っても可愛がられた。自分自身が何かを生み出せるわけではないのに、人間の世話をすることができるわけではないのに、ポテンシャルや世間一般の評価を基準に褒められていた。働かなければ能力はつかないし、働いていない学生は虚無である。そんなこともわからずに(あるいはわかっていたがあえて意識せずに)流浪しているうちに、実力以上の評価を自分に与えてしまっていた。俺はまだ本気出してないだけ、というフレーズを繰り返し自分に刷り込んでいた。私は何も価値を生み出していないし、ただただ親の仕送りで生かしていただいているだけなのに、どうして私はなんでもできると思い込んでしまったのだろう。自分の意思で努力して掴み取ってきたものなど何もないのに。私は医学に興味があるわけではない。医者になるといえば褒めてもらえた。勉強さえしていれば褒めてもらえた。今は褒めてくれる人がいない。だから勉強も何もする気が起きない。ただそれだけ。来週には授業でプレゼンしなきゃいけないし二週間後には試験も控えているが、どうすれば鬱屈した自分の人生を変えられるのかばかり考えている。承認を求めること以外に熱中できることがなかった自分が人生を変えられるわけなんてないのにね。目の前のやるべきことをやるのは、問題の先送りにすぎない。なぜならやるべきという判断の根拠に逃げと諦めが生じているから。医学に身を捧げることへのインセンティブもモチベーションもないのに、どうしてやるべきだと思っているのだろう。何もわからない、わからないんだ。どうしてこんな進むことも戻ることもできないところまでズルズル引きずって生きてしまったのだろう。今更医学部を辞めたところで解決する問題とも思えない。このまま医学部に在籍し続けて解決するとも思えない。なまじっか真面目であろうとしているから、授業やレポートをサボることさえできない。解剖実習を抜け出して映画を観に行っただとかバーで酒を飲んできたと豪語する友人が羨ましいくらいだ。目の前の快楽を優先して楽しめるような人間でありたかった。勉強に対して全精力を費やして学ぶことで己を充たせる人間でありたかった。私はそのどちらでもなかった。そうだよ、私は誰が作ったのかわからないような真面目さの枠にアイデンティティを依っているだけのどこからどうみても無個性で普通のありきたりな何もできない奴なんだよ。受験に身も心も滅ぼされてしまったのだと乾いた笑いで感情を誤魔化し責任を自分の外に擦り続けて一生何もできないまま死んでいくのだろうな。そうやってこれからもずっと本当の過ちから目を背けて表面的な言い訳をつらつら述べて同じ苦しみを繰り返していくんだ。永久に同じ場所をあっち行ってこっち行って往復してるお前の人生、振り子みたいでチョーうけるんですけど。
死にたいと思ったことは何度でもあった。しかし死んだ方がマシほどの苦しみを抱えているわけではなかった。死ぬ覚悟があったらこんなしょうもない悩み抱えてねーわ。
私ってどうしたらいいんですか?あなたのワンクリックで救ってくれませんか?輪廻転生してやりなおすことってできませんか?目の前の勉強を淡々とやった先に程よい未来が待っているんですか?医者になったら幸せになれるんですか?今すぐ私の気持ちを楽にしてくれませんか?私の何が悪かったんですか?私ってやっぱりつまらないんですか?私に友達ができないのは私のせいですか?こんな真面目系(笑)クズを産んで育てた母親が悪いんですか?いっそ私に病名をつけてくれませんか?此の期に及んで私は自分が悪かった愚かだった間抜けだったと認めたくないんですか?これまで私のことを評価してくれた大人の皆さんに申し訳がないと思わないんですか?何事かを成す為に今すぐ地道に努力するしかない草むしりをするしかないのなら私は何をやればいいんですか?あれ、私の好きなことって一体何だったのですか?私について誰か知りませんか?
誰か...。
生活リズムが変わります。フィジカル的にもメンタル的にも順応するには時間がかかります。
やることが変わります。新しいことは楽しいですが、覚えるのは難しいです。
さんるい?瑠衣くんが三人いるの?分かりません。失敗すると恥ずかしいです。
今まで通りのことをして安心したくなります。今までできたことを今もできると確認したいです。
できるようになったことは褒めてもらいたいです。
褒めてもらえなかったり恥ずかしいときは、成長を自慢したくなります。
は?おまえ××なんかしてんの?だっさ!ふつうしょうがくせいなら〇〇するだろ!
友達が変わります。仲の良い人が他の人と楽しそうにします。さみしいです。
さみしい時にうるさい人が近くにいると、怖くなります。
さみしい時にふざけて大きな声を出してないと、さみしくなります。
さみしくなると、慰めてほしくなります。
小学生という肩書の重さは誇らしくもありますが重たく感じるときもあります。
それなりの筋力が付くには個人差があります。比較は不公平に感じます。
年上の人が意地悪をしてきます。
大きい声を出したり、たたいたり、好きなものをバカにしたりしてきます。
ゴールデンウイークが明けて2週間くらいで年上の人から順に落ち着いてきます。
このあたりから周りの人たちと話をするのが楽しくなってきます。
家族に言えない時は学校の先生でもいいし公文の先生でもいいし習い事の先生でもいいです。
話を聞いてくれない大人より、話を聞いてくれる大人の方が多いです。
あとは適当に楽しんでください。
新聞に、数学検定1級に最年少で合格した子のことが載っていた。11歳で
合格したんだとか…。数学検定1級といえば、大学教養レベルであり、合格率が
1割を切るという難関資格。とにかく凄いとしか言いようがない。
でも、もっと凄いなあ、と感じたのは、小1の時に、数学検定2級に合格した、と
いうこと。数学検定2級は高2レベルで、ベクトルや数列、複素数なども入っている。
この内容を小1で理解できた、ということが信じられない。
数学検定は1次試験が計算で、2次試験が記述式の問題になっている。百歩譲って
1次試験であれば、計算問題なので、公文なんかに通って訓練しまくったら合格できる可能性は
無くはないと思われるが、それでは2次試験には通らない。だって、2次試験は
問題の意味や数学的な概念をちゃんと理解しないと解けないようになっているから。
まず、小1だと、漢字が読めないのと、単語の意味が分からないのとで、問題文を読むこと
すら普通は不可能だろうし…。数学の能力だけでなく、一定の国語力も必要になってくる。
いったい、どうやってこの子は、そんな短期間の間に、数学力と国語力を磨いたんだろうか…。
何か、とてつもない才能を持ってるのではないか?と思う。
あと、これだけの能力を持ってたら、学校の授業がとてつもなくヒマそう。日本には
保育園年長男子を藤井聡太くんみたいにしようと思って(というのは冗談で本当は最近彼がテレビゲームとYouTubeばかりでゆっくり母と向き合う時間が減ってるのを危惧して)公文の将棋セットを購入した。
駒にはちゃんと進める方向が矢印で示されているので初心者でもすぐ楽しめる。最初は歩なし将棋にすると分かりやすいとあったので、さっそくその通りに始めたのだが、これが全然終わらない。
午後6時半から始めて1回目が終わったのが8時半(これは私が勝った)
どうしてもと息子が泣くので2回目、終わったのは8:40(ぼんやりしてたら一瞬で私が負けた)
その後慌てて晩御飯。
食べ終わったら帰宅したパパと対局で終わったのは10時。(勝負がつかなかったので無理矢理やめさせた)
これ普通に歩も含めてやったらもっと終わらんよね?みんなどこにそんな時間あるの?
それとも息子も私も完全初心者だからこうなるだけで、慣れてきたらもっと速いの?てか、将棋趣味の人って結構いるみたいだけど、どこにそんな時間あるの?
みんなが歯を磨くのと同じくらいの感覚で勉強してた 多少めんどくさいと感じることはあってもやらないことはあり得ない、そんな感じ
小学生まで勉強は常に先取り、気づけば小3の時たまたま受けた全国統一小学生テストで全国3位に
その実績おかげで塾代が無料になるとのことなので、とりあえず入塾
中学受験の勉強は流石に歯磨き感覚ではいかなかったが、それでも野球とかサッカーとかの習い事と似たような感覚で勉強してた あいつには負けたくない、先生に褒められたいみたいなそんなかんじ
5年と半分はみごとに遊び呆け、高三になっても仮定法がわからないバカに落ちぶれたが
なにがいいたいかというと
公文は行かせたほうがいいよ
計算嫌いな奴さ、小さい時に公文とかあれ系の反復が嫌じゃなかったか?
分かってることを何回も何回もさせられる、あの感じが心底嫌いだった。できることが嬉しいじゃなくて、これはもういいんだけどな…って思うタイプだった。自分は特に、計算問題で顕著。
計算に意味がある証明問題とかはまだマシ(問題がある以上、解なしかそれ以外の選択肢のどれかになるんだろうから、結局面倒に感じるけど)だが、テストの問一にありがちなアレは無理。飛ばして後回しにするから点数捨ててんのかってよく怒られた。
結局文系極振りしてなんとか社会人だけど、数学で習った考え方自体は嫌いじゃなかったなと今になって思う。だが、計算を強要されない今となっては、一桁の暗算すら脳が拒否する無能になった。