はてなキーワード: 公文とは
越谷とか幕張あたりのショッピングモール行くと、多分年収も平均くらい、容姿も並かそれ以下同士の夫婦とその子供みたいな家族がゴロゴロいるんだよ。
SUV乗って、子供の習い事はせいぜいYAMAHAのピアノと公文と地元の野球かサッカーチーム程度。
一方都内の富裕な地域では、高収入の美男美女夫婦から生まれた子供が物心がつく前からプロの音楽家からリトミック教育を受け、元体操選手とかが主催する人間科学を取り入れた幼児スポーツ教育を受け、幼児認知科学を取り入れた教室で小学校受験や中学受験の土台となる知能に磨きをかける。
俺は非自発的なものだったとしても、何かの間違いが起こって婚活に成功して子供を持つようなことが起きなくて本当に正解だったと思うわ。
いとこでワイだけFじゃない大学入れました。
頭が良くなるからやれと言われた。なんだかんだ一回小さな大会で優勝したり学校で伴奏したり役立った。
→文章力をつけるために寝る前に書かされてた。小学校に入ってからは3行日記が宿題で出てたため解放された。
言い回しとかは毎日添削入ってた。これにより小説書くのが好きになって今のささやかな趣味になってる。
物心毎晩読み聞かせしてもらってて、年少からは自分で絵本とか読んでた。親が10代の頃読んでたちょっとエロい漫画とかも読んでた。ルビ振ってくれてた。
→トランプオセロかるた。家族で園児の頃からめっちゃやった。祖父祖母ともやった。オセロは今でもめちゃくちゃ弱い。
こどもちゃれんじ
→進研ゼミのやつ。2歳くらいから小3くらいまでやってた。サボってたけど課題添削は出してたかなぁ。
→謎に2年くらい習ってた。何にも覚えていない。
土いじり
→親の実家が農家だったんで、田植えや稲刈りやじゃがいもの収穫とか物心ついた時から色々
やっとけばよかった
→英語と数学の先取りを全くやらずに中学に行ったのでキツかった。
→小学校の頃何か一つチームスポーツをやっとくべきだった。メンタル面での成長が欲しかった。
あとは園児の頃からイベント作る系の遊びが好きだった。ごっこ遊びと称してちょっとしたお遊戯会みたいなのを友達と開催したり(演目の練習とかプログラムとかも作ってた)紙芝居を友達と合作したり、お手紙交換も園児の頃からやってた。
小学校時代は宿題をよくサボったりしたけど、テストはどの科目も大体100点もしくは90点台だった
塾は公文に週一いかされてた。算数だけ。先生が厳しくて泣きながらやってた
小学校の成績表(あゆみだっけ)はAが基本でBだと親に詰められた。Cは見たことない。
英語が特に嫌いだった。覚える気がなかった。でも英語以外は何もしなくていいくらいだったからやれた
中学卒業まで勉強なんてラクだと思ってた。受験勉強はそんなにしなかった
高校はそこそこいいところにいけた
サボり癖がついていた
宿題は直接的に学力に結び付く一番の時間の有効活用かどうか、は判断できないけど、
ノルマに対する耐性はつく、と振り返って思う
まずお前は親をやめろ!
親が自分をハッタショと呼んでるなんて子どもが知ったら、マジでこの世に絶望するぞ。
鬱になるか、ならなくともお前は老後に仕返しされることを覚悟しとけ。
親なら子どもに寄り添えや!
数学はめちゃくちゃ得意で幼稚園から公文を楽しんでやっていて、小学校に入学する頃には中学校の範囲をやってたわ。
高校も地域の進学校進学クラスで数学で一位を取る一方で、国語はまともに作文すら書けないという感じだった。
ただ、勉強で一つでも強みがあれば他にも活かせる。オレはロジックが得意ということが分かったので、理詰めで国語問題を解けるようにしたら国語も得意になった。公文は数学だけでなく国語もやると良い。
あと体育は何も教えられないとただ不得意になって鬱になるだけなので、すっぱり諦めて良いと言ってやるか、運動神経悪い事を受け入れて寄り添って教えてくれる専門プライベートコーチを雇え。
義父(夫の父)は東大を出て大手企業に入り、取締役まで勤め上げて定年退職した。
夫が小さい時は忙しくて子育てに関与できず、中学受験も大学受験も義父の思い通りにはいかなかったらしい。
なので、孫は絶対に東大に行かせる!俺が関与すれば間違いない!そのためには幼少期が大事!と生まれた時から鼻息が荒かった。
金はいくらでも出すから!と、赤ちゃんの頃から小学校受験をさせなさい、公立なんて動物園だ!と言い放ち、夫もどうすることもできず、3歳からお受験塾や公文に通わせることになった。
お金も送迎も義父がやる、というのだから私もどうしようもなかった。
義父の都合が悪い日があり、お受験塾の様子を見る機会があった。子供は明らかについていくのが精一杯で、これは厳しいのではと思った。
公文も、同じ単元を延々と繰り返す(次に進めない)ようになり、そのうち公文の日になると頭が痛い、お腹が痛いというようになり、義父も子供の体調不良をおしてまでやらせることはできず、辞めざるを得なくなった。
それだけやっても小学校受験のご縁がなく、公立に通わせることになったが、義父は中受で挽回だ!SAPIXに入れろ!金は出す、送迎もする!とさらに意気軒高となり、夫も私も止められなかった。
止めようものなら「お前たちは子供に愛情がないのか!後で苦労するんだったら今のうちに頑張らせるのが親心だろう!お前たちは何にもわかってないのだ!」と猛烈に叱責された。
義母は小学校受験に懐疑的で、夫(私立小出身)の時にいろいろと嫌な目にもあったらしく、最初から私に対しては「受験にこだわらなくてもいいんじゃないかな」と言っていたが、昭和の亭主関白家庭であり義父に逆らうことができないため、何の抑止にもならなかった。
そして何が起こったか。
保育園はご機嫌で通っていたのに、小学校はわずか1年しか適応できなかった。
つまり、能力的に学習が難しい特性の子に、ハードな学習を幼少期から強いていたわけだ。
そりゃバグる。
いくら義父に叱責されても、過去の経験からこの方がいいのだと言われても、自分の直感を信じるべきだった。
学校にも行けないままだ。
子供の学習障害が分かった時点で、夫と私は義父に子供の教育に関らせないよう、連絡を絶った。
こちらから連絡はしないものの、義父からは不登校やギフテッドについての訳のわからないYouTubeのリンクをメールで頻繁に送ってくるし、中受の本や教材を勝手に送りつけてくる。公立に行かせたからこうなったのだ、と本気で思っている。まだ諦めていないらしい。
見もしないで即削除しているが気が滅入る。
夫はもっといろいろ言われているらしい。
増田に言いたいのは、この手の孫に干渉してくるジジババとはできるだけ早いうちに没交渉にすべきだ。百害あって一利なしだ。
とても難しいと思うが、縁を切る勢いでNOと言わないとどんどん立ち入ってくる。実親は子に対して厚かましいし、子育ての先輩面してくるからたちが悪い。
半額ですき焼き用の肉ゲットできたので、晩ご飯すき焼きにする事にした。
子供は公文から午後7時には帰ってくるが30分くらい遅れることもある、旦那は夜勤で午後8時には家を出るので、あんま時間にゆとりがないなと思い子供に「早く帰ってきてね遅れたら先にすき焼き食べるね」と言うと「絶対食べるな!!」と公文に行った。
仕方ないから先に食べ始めたが、何かあったか、電話して探しに行かないとダメかな…と思い始めた八時頃に子供が号泣しながら帰ってきた。
「お直し終わらないと帰れなくて、焦ったらますます終わらなくて、すき焼き無くなるって…」と繰り返して泣いている、残さないわけ無いだろ。早く食べろといっても号泣し続けでなかなか食べなくて困った。
何かを本気で頑張って、結果としてそれが失敗に終わったとしても、その努力をしたという経験は人生において糧になると言われている。
努力した経験のある人は、新しく何かに取り組む時も「頑張り方」を知っていたり、多少嫌な事でも「耐え方」を心得ていたりする。
私は二十余年生きてきてその経験が全く無い。
なんだかんだ幼稚園の頃に始めて中学の頃までやっていたが、特別頑張ってやっていたわけでは無い。最初の頃こそ好きでやっていたもののあとは完全に惰性だった。
中学に上がる頃にはもう月に1、2回、数枚の宿題を提出してはまた数枚持って帰る、みたいな取り組み方で意味なんて無いようなものだった。
公文式は学校の授業の進行に関係なくどんどん自分で先の単元を学習していけるので、中学半ばくらいまではいわゆる勉強の「貯金」があったおかげで国、数に関しては苦労することがなかった。
それもあって中学は地元の中高一貫校に合格。(なお後で知ったが定員割れしてたので落ちる心配はほぼなかった)
そして勉強の貯金が尽きてくるとガクンと成績を落とし、それとほぼ同時に学校そのものが面倒臭くなりサボりがちになる。本格的に逃げ癖がつき始めたのもこの辺りじゃないかと振り返って感じた。
幸か不幸かエスカレーターだったので中3〜高校卒業までずっと出席日数をギリギリ下回るくらいで、先生方のお情けの課題をこなして進級してそのまま卒業した。
部活は中学の最初はラグビー部に入っていたものの、全く楽しく無いし運動音痴である事を自覚したので1年そこらで辞めて、以降高校卒業まで帰宅部だった。
小学校の頃もサッカーとラグビーを習い事としてやっていたがどちらも長続きしなかったし、今となっては別に強制でもない部活に、それも明らかにきつそうなラグビー部に何故入ったのか自分でも謎だ。
大半の人が人生で一番努力すると言っても過言では無い大学受験ですら私は努力しなかった。
最初の方はMARCHを第一志望にしていたが、高校に半分も通っておらず成績も最底辺の人間にはどだい無理な話だと気付くのに時間は掛からなかったので、滑り止めとして日東駒専の夜間を受ける事にした。
日東駒専といえば聞こえは悪く無いかもしれないが夜間は滅茶苦茶敷居が低い上に受験科目が現代文と数学のみで、公文の勉強貯金だけでもなんとかなるレベルだった。
MARCHの受験も辞めればよかったのに言い出せず「とりあえず受けてみよう」なんて親の言葉に乗せられ、前日にホテルまで取ってもらって受験会場では殆どの時間船を漕いでいた。本当に申し訳なさで一杯だった。
そんな苦労せずに入った大学で当然学業を頑張れる訳もなく、初めての一人暮らしという名の自由に浮かれて遊び呆けるようになる。
朝から昼過ぎまでバイトして、サークルに麻雀打ちに行くか、帰ってゲームするか。そんな日々だった。
幸いバイトは人間関係も良く、仕事も楽かつ楽しいというこの上ない大当たりを引いたので続けられた。
卒業出来る見込みも限りなく低く流石に3年で挽回の兆しが見られなければ大学を辞めて実家に戻れと親に言われる。当然である。
結局3年になっても大して出席率は変わらず、更にバイト先が潰れる。
新しいバイトを始めるも周りが十個以上年上の人だらけだし仕事はクソつまらないしで1週間程度でバックれ。
ただでさえバイトの収入だけじゃ足らずに毎月のように家族に泣きついていたのに生活できるわけもなく、とうとう消費者金融に手を出す。
累計で100万いかないくらいを借り入れ、返済は全部ガン無視。
大学3年中頃、賃貸の契約更新のタイミングで大学に行ってない事も働いてない事も多重債務者になっている事もバレ、退学し実家に送還。
実家に帰ってからはコンビニ夜勤、コンビニ夕勤、コンビニ夜勤でそれぞれ2ヶ月、半年、2年働いた。田舎すぎて働くところがコンビニくらいしかなかった。しかも後ろ2つはバックれているのでもうその店に行けない。一番近いコンビニだけはバイト先の候補から除外したのは賢明だった。
実家に戻って2年ちょっとの間で消費者金融から借りた分は債務整理という形で全額返済した。
とりあえず携帯代と奨学金の返済が滞ってるから次のバイトはもうちょっと長続きしたらいいな。
・いくら楽しくても、いくら楽でも飽きが来たときに辞めてしまう
という「なる様になる」の精神で生きてきたので、努力と忍耐を身に付ける術を知りたい。
歯を食いしばって耐え忍ばないと死ぬくらいの環境に身を置くのが一番早いのだろうがそれすら怖くて出来ないし、最悪死ぬ方が楽ならそっちを選ぶだろうという無敵の人状態になってしまっている。
嫌だ嫌だと言いながらなんだかんだ頑張れる人は素晴らしいしかっこいい。恐らくどこかで努力してきた下地があるんだろう。
自分にはそれが無い。
私は自営、妻は専業主婦(私の会社の役員ではあるが名目のみ)、4人の子供(小学生2人、幼稚園児2人)がいる。
数日前、帰宅した際にシンクに水滴が残っていた。シンクや洗面台、お風呂場に残った水滴はカビや水垢となり子供に健康被害が出る要因にもなるかもしれないため、いつも使い終わった後に蛇口やシャワーヘッドを振ってゴムワイパーで水を切っている。浴室乾燥機も吟味して選んだ。
妻に「最後に誰か使ってからシンクの水切った?」と聞いた所、子供の着替えをさせながらこちらを見もせずに「切ったよ」と言われた。しかし、目の前のシンクはびちゃびちゃだ。
また部屋の四隅や窓枠の埃もアレルギーなどの原因とならないよう、朝仕事に行く前や休日にこまめに掃除しているのだが、私が仕事でどうしても家を空けなければならない時、お願いしたにも関わらず3日後に帰宅すると部屋の隅に埃が…
また、おやつは子供にとって栄養補給の補助的な役割を果たしたりストレス緩和にも繋がる重要な物なので、栄養学の雑誌を参考にしながら仕事の合間にメニューを作って妻に渡したり、朝や休日に私が作って冷凍している。それにも関わらず、幼稚園児の下2人にはまだ解禁していないはずの市販のお菓子(ポテチなど)を「スーパーでねだられた上に作る間がなかった」ということを理由にあげていた。子供にスーパーでねだられ、「もう少し大きくなったらね」と言ったところ「この前食べたよ〜」と言われ発覚した。
他にも、
・妻に渡す生活費を計算するために必要な買い物のレシートや領収書をコーラやカップ麺などの禁制品を買ったことを隠すために破棄。
・幼稚園児の下の息子と娘をママ友に誘われたからとまだ解禁していないマクドナルドに連れて行く。
・ママ友との付き合い(子供を連れてマクドナルドやゲームセンターに行くことがあり、付き合いを控えさせている)のお金を実家の母からこっそり振り込んでもらう。
・普段は私が子供の公文や宿題をチェックしているのだが、出張明けに子供の公文の宿題やテストを見たところ、明らかに間違えて覚えている箇所があった。妻に問いただすと宿題をやったことだけチェックして中身をチェックしていなかった。
など。
家にいる間は出来ることをしているが、どうしても出張や月末など家を空けなければならないことはある。妻の忘れっぽさやズボラさは把握しているため、掃除や家事、子供の勉強や歯磨きなどの箇条書きチェックリストを渡してお願いしているのだが、チェックされている項目が明らかに行われていないことは一度や二度ではない。
昨日子供たちを寝かしつけた後に、このことを妻に話し、改めて私がいない間の家事や子供たちのことをお願いした。
妻は何も言わず、突然下を向いて泣き出し「もう限界」と言って寝室に閉じこもってしまった。
私だってもう限界だ。家に帰ったら子供と遊びたいし、勉強を見てあげたいし、料理を作ってあげたい。帰宅してすぐに水回りの水切りと部屋の隅の埃取りと窓ガラス拭きで子供との時間が奪われ、そしてゴミ袋の中に隠されたポテトチップスの袋を発見しため息をつくような生活はしたくない。
FGOの若いモリアーティからバレンタインイベントもらっておもいだしたんだけど
自分は高校で(大学受験前に)公文式数学をSコースくらいまでやってたから大学の数学は(行列以外は)あまり苦労しなかったな
回転積分とか普通に体積もとめるのにつかってるやつの元か~ってな感じ
ただ、公文式にしろZ会の物理にしろ、眠かった マジで鉛筆にぎったままz-z-して、起きたら答え書きだすの、へんな能力者みたいになってた
公文だから小学生くるんだけど「先生あのお〇ちゃん寝てるよ!」「いいのよむずかしいとこやってるんだから」みたいなやりとりされてるのうっすらおぼえてる
やれるけど眠いの、脳ががんばってたんだとおもう
全然煽りとかじゃなく、仕事の関係で近々住むことになったから、折角ならならではのモノを知って楽しみたいので教えてくれると大変助かる。
(つまり先のバズり話題と同じく、"※ただし仕事は既に確保できているものとする" の注釈付きになっちゃう。ごめん。)
田舎でそこそこ快適に育ったから過去の経験からのバイアスがデカすぎるのはあると思うが、
趣味はほんとに趣味によって都会が良かったり田舎が良かったりでマチマチで、かつ都会メインの趣味でも地方公演だとよく当たって人多すぎなくて快適とか、田舎メインの趣味でも東京からだと多方面にアクセス良かったりでまた色んな要素があるし、
子供の教育って言っても、ガキの頃は田んぼとか海に近い場所で友達と毎日遊んではしゃいでたのはそれなりにいい経験だった気がするし、勉学でも公文とかで高校行って周りは頭良くて人も良いみたいな奴ばっかだったし、定番参考書とか通信の予備校講座とかでそこそこの大学行けたし、周りの友人も多少の差はあれどだいたい似たような感じだからあんまり実感が湧かないんよな。