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2018-06-25

anond:20180625174059

その運営が今まで放置してきてるから焼け野原になる未来しか見えないんだわ

まともな対策のないとこに他罰的な奴や糖質患者が入り込んできたらそりゃ目も当てられなくなるよ

インターネットサイトひとつときにそんな執着すんなよってのは本当によくわかるんだけどね

anond:20180625171457

そもそも、「晒し」を攻撃だと思ってるのがな...

晒し」は攻撃じゃない。

自分言動に付きまとう責任ひとつだ。

晒されて嫌だと思う発言、恥ずかしい発言なら最初からしなきゃいい。

自分はその表現をすることを選んだ。それがすべて。

anond:20180625165827

ポリコレが万人にとっての正義であるなら、その基準には常に批判の目が向けられてしかるべきだし、

それが嫌で自分の好き勝手に決めたいのであれば、そんな恣意的な線引きに強制力など持たせるべきではない

選べるのは無力な自由不自由権力のどちらかひとつしかない

幸色のワンルーム』について、弁護士太田啓子氏の記事に思うこと

幸色のワンルーム』(以下、「幸色」)放送中止騒動について、弁護士太田啓子氏の記事を読んで思ったこと。

この日記は、以下の記事を読んでの感想である。筆者が、他所での議論ほとんど追えていないことについては、ご容赦願いたい。

幸色のワンルーム放送中止批判の嵐……弁護士太田啓子氏が「誘拐肯定」の意味を語る

http://www.cyzowoman.com/2018/06/post_190588_1.html

以下では、当該記事の内容について適宜要約し、筆者なりの疑問点を整理していく。

【元記事の要約①】「幸色」放送中止への批判として、『ルパン三世』や『名探偵コナン』は放送中止にならないのに、なぜ「幸色」だけが、というものがある。この批判に対して、太田氏は、現実における殺人犯誘拐犯の認知の違いを説明することで応答している。すなわち、殺人犯自身行為殺人である認識している一方で、誘拐犯はその限りではない、という。また、この認識の違いは、これらの犯罪行為を受け止める側の人々の認識の違いと並行している。

→<①への疑問>太田の応答は、“現実における殺人犯自己行為殺人である認識しており、それを受け止める側の人々もそうなのだから殺人にまつわる番組放送したところで問題はない」というものであり、確かにルパン」や「コナン」が放送中止にならない理由説明しようとはしている(内容の是非は置いておいて)。しかし、この議論から導き出せるのは、せいぜい“誘拐テーマ殺人よりも注意して放送すべきである”程度のところまでであり、副題の「なぜ殺人OKで、誘拐NGなのか」はミスリーディングである

【元記事の要約②】太田氏いわく、『幸色のワンルーム』は、加害者一部の人事件に抱いたであろう妄想作品にしたものであり、「実在被害者に対する中傷のものだと思う」という。

→<②への疑問>言いがかりに過ぎない。

【元記事の要約③】太田氏は、ドラマ公式SNSの“盗撮ハッシュタグ”に触れた後、「公共電波に乗せるのは、表現者社会的責任を伴い、おかし社会規範を作ることに寄与することは、やはりやってはいけないと考えます」と述べる。

→<③への疑問>“盗撮ハッシュタグ”に眉を顰める気持ち、そして“公共電波に乗る表現には社会的責任が伴う”、という点には同意できる。ただ、もっと議論されるべきは、“「幸色」の表現者が十分な社会的責任果たしていない、と言えるのかどうか”という点である問題は、瑕疵の有無ではなく、その大きさなである太田氏の記事では、この点についてあたか自明のことであるかのようにほとんど触れられておらず(太田氏が、別の場所議論しておられるのであれば、申し訳ない)、実際問題、この点についてほとんど議論がなされないまま放送中止が早々に決定されてしまった。

【元記事の要約④】誘拐被害者は「助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない」。しかし、今の日本社会では「女性被害を訴える声を歪曲して捉える空気が強すぎる。このような空気社会の中で、『女児誘拐したが実はその女児はその「誘拐」を喜んでいた』という言説を肯定的に描くことは、女児誘拐についてのそのような歪んだ認知肯定し強化することにならないでしょうか。」

→<④への疑問>まず、「助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない」についてだが、“必ずしもあり得ない”という意味なら同意できるが、“絶対にあり得ない”という前提であるならば、疑問である。“人間が何を望んでいて何を望んでいないかはっきりとひとつに決定できる”という素朴すぎる人間観は置いておいて、実際のところ、実親から虐待から逃れるための緊急の避難が、結果として誘拐事件というかたちをとってしまうケースはままあるように思われるからである(筆者は、それを肯定している訳ではない)。ただ、「誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない(というのが常識になるべきだ)」という太田氏の見解は、客観的事実認識というよりはむしろ弁護士としての倫理を加味したものであるように思われるし、そのこと自体に対しては、筆者は敬意を表する。次に、「女児誘拐についてのそのような歪んだ認知肯定し強化することにならないでしょうか」であるが、これに対しては、“それは本当なのか、本当ならどれほどのものなのか”“それは果たして放送中止に足る理由なのか”という二つの疑問が浮かぶ。前者の疑問は、そのままの意味で、「幸色」の放送によって“歪んだ認知の強化”が本当に起こるのか、起こるとしてそれはどれほどの強化なのか(微々たるものではないか)、という疑問である。また、後者の“それは果たして放送中止に足る理由なのか”という疑問は、もし「幸色」によって引き起こされる“強化”が微々たるものであるならば、それは「幸色」の表現者が果たすべき社会的責任範疇を超えているのではないか、という疑問であるそもそも社会というのは、何かひとつドラマによって大きく変わったりするようなものではないだろう。もしそういうことがあったとすれば、それは社会のなかで変化への準備が潜在的に進んでおり、作品最後の一押しになったということにすぎない。そうだとすれば、個々の表現に過敏に反応する態度は、社会本質的領域から目を背けた盲目的な“水際作戦”であり、また作品への“責任押し付け”になりかねないようにも思われる。

【元記事の要約⑤】表現の自由は「公共空間で何をやってもいい権利ではない」。『表現の自由への弾圧』という批判的外れであり、太田氏は、公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしているのだという。

→<⑤への疑問>表現の自由は「公共空間で何をやってもいい権利ではない」、という点については同意であるしかし、繰り返しになるが、もっと大事論点は“「幸色」は本当に許されない表現なのか”ということであり、元記事では、その点について一方的議論しかなされていないように見える。放送中止批判している人々も、太田氏と同様に、「公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしている」ことは明白であり、「『表現の自由への弾圧』という批判的外れ」という応答は、それこそ的外れ揚げ足取りではないか

【筆者の意見とまとめ】

 「幸色」放送中止騒動について、筆者が問題視しているのは、公的権力による弾圧ではなく、むしろ私的検閲>と呼べるようなものである公的検閲によって作品発禁になった、という過程ではなく(すなわち、行為主体の種類の問題ではなく)、あるイデオロギーによって「幸色」が放送中止に至った、という実際的な結果に注目しなくてはならない。元記事には「作品が“世間にどう受け取られるか”を熟考することも重要とあるが、「幸色」を放送中止に至らしめた“世間”とは、決して“世間一般”のことなどではなく、特定イデオロギーをもった少数の人々にすぎない。少数の人々から批判テレビ局が過敏に反応し、“本当に許されない表現なのか”を議論する機会が十分に設けられないまま、放送中止の決定が下される。“事実上は”の次元では、特定イデオロギーによる“世間”を無視した検閲が行われているのである。それが果たして公共空間のあり方」として正しいのだろうか?

 ここまで筆者は、「幸色」の表現瑕疵はそれほどまでに大きいのだろうか、という疑問を発してきたが、一方で、「幸色」の表現にはプラスの面もたくさん存在するだろう。生きづらさを抱える少女少年希望を与える(例えそれが幻想にすぎないとしても)ことはもちろんのこと、適切にテロップを入れるなどすれば、虐待問題への啓発にもつながる。そんな大きなことを言わなくても、普段何気なく接してる表現いかに我々の人生を豊かにしているか、考えるまでもないだろう。表現瑕疵ばかり取り立てるのではなく、“望ましい表現”か“許されない表現”かの二分法に訴えるのでもなく、光る部分にも目を向けていくべきではないだろうか。“100%良いもの表現)”というのは、それが人間の営みにおいてほとんど存在しないということもあって、薬にも毒にもならない(ただ筆者は、そんな“何の役にも立たない”ような表現にも、発表の機会が与えらるよう願いたい)。

 「幸色」は、本当に“許されない表現”だったのだろうか。そして、<私的検閲>が事実機能している現在の状況は、果たして公共空間公共表現の場として、望ましいものであると言えるのだろうか。

Hagexさん殺害事件を機に

と、書き出してみたが、何も変わらないだろう。残念な事件言葉もない。

でも、心の弱い人は弱い。

強くもならない。キレやすい人がキレるだけ。余裕も生まれない。そういうことは感じた。

ネットだろうが、リアルだろうが同じ。

社会を変えれば、システムを変えれば何かが変わるだろうというのは、淡い期待。

ネットリアルとの間にバリアがあると知らず知らずに安心していたら、

ふっと向こうから飛び出してこっちに向かってきた、という感覚はあるのかもしれないね

http://zaikabou.hatenablog.com/entry/20180625/1529890030

檻の中の動物からかっていたら、カギが空いていたみたいな。

人それぞれだろうけど、自分場合は、ふとしたきっかけでネットで絡まれて、リアル世界に迫られた経験10年前にした。

からかっているのは私じゃない、自分は煽っていない、2chの外野だって説明しても、聞いてもらえない。

構図は匿名プラットフォーム低脳先生と呼ばわりしてからかうことは似ているが、自分が関与していないことだけが異なる。

それ以来、勝手に盛り上がる外野コントロールできないし、気が散るのでブロガーという自分アイデンティティは捨てたね。

脇が甘い匂いの私は本名も突き止められて、職場が突き止められるのも時間問題かな、と思ってじっと耐えていたら、

その人物がある日、ふっとこの世から消えた。事故だった。あのときは、本当にいろいろ考えさせられた。

あともうひとつ、思うのは、

ネットで人をからかったりするのは、日本人同士だけであればたまにしかこういうことは起きないだろうけれど、

よその国ではネットでもリアルでもやらないほうが賢明

anond:20180619160702 いや、犯罪者安倍総理自民党議員らでしょ。

いや、犯罪者安倍総理自民党議員らでしょ。戦争大好きで、かつレイプ山口敬之を無理やり無罪にしちゃったんでしょ。

しかもがん患者暴言

6月15日衆議院厚生労働委員会で、受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案の審議が行われた。そこで、自民党穴見陽一衆議院議員肺がん患者に「いい加減にしろ」と訳のわからない野次飛ばした。

審議には参考人として、日本肺がん患者連絡会代表自身肺がん患者長谷川一男氏が出席した。長谷川氏は、自身受動喫煙によって肺がんになったと考えているという。

 そこで、屋外での喫煙について、「喫煙所をつくる、増やしていくというのがひとつ方法ではないかと考えていますしかしながら、それも一時的もので、なんとかそれを、数年たった後にそういったところもなくしていけたらと、個人的には考えております」と考えを述べた。その直後、穴見議員が突然「いいかげんにしろよ」とヤジを飛ばしたのだ。

ニュースサイトで読む: http://biz-journal.jp/2018/06/post_23815.html

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Hagex氏の件でひとつほっとしてること

スタートアップ界隈の人たちが「俺達の世界に余計な傷をつけやがって」という方向の意見を一切言わないこと。

ひょっとしたらはてな揉め事を持ち込んだだけかもしれないのに、みんなただ仲間の死を悲しむことに終始していることに少しだけほっとする。

テレビとかでよくある「犯罪者被害者自分達とは別の世界の人」を、ここの世界の人たちはやらないんだなって思えること。

もうさ、増田閉じよう?

いいことひとつもないよ。

2018-06-24

anond:20180624101941

ある限定された価値観における優劣を、それを共有する者どうしで高め合いほめ合うのは別に構わんのではないかと思ってる。

それが唯一の基準じゃないことくらい言わなくてもわかるだろ、っていうスタンス

たとえばD1グランプリという自動車競技があってだな、あれは何も知らずに見ても、なんでその選手高得点だったのかはサーッパリからない代物である

スキー技術選なんかも同様であろう。けど、その界隈では価値観が共有されていて、選手審査員も観客も盛り上がる。

ドリフト走行自動車運転技術評価する唯一の価値観でないことは誰もが理解してるし、スキーの滑走技術も同様に技術選だけが唯一の尺度ではない。

ものごとには色んな評価軸がある。

美しい女性を決める尺度ひとつではない。しかし、ひとつでないのだから評価することそのものをやめるべきだというのは飛躍があると思う。

トラディショナルミスコンが追求する美の尺度共感する人は今も多いし、それを理想として研鑽を積んでいる女性も多かろう。

それに共感しない自由もあるし、その尺度評価されたくないと主張する権利も同時にある。

だが、たとえば「自分デブからヤセコンテストに傷ついてる、滅ぶべきだ」と叫ぶのは、それも一方的価値観押し付けなのではあるまいか

情報エンジニア各位はエナジードリンク摂取を今すぐやめろ

要点:

寝ろ.

---

これは大学生が書いている.

情報系の各位をインターネット観測していてよく目にする特徴として,

レッドブルモンスターエナジーといった,いわゆるエナジードリンクを頻繁に摂取するということが挙げられる.

(これは情報系の人間だけの特徴とは限らないが,観測範囲情報系に偏っているので許して欲しい)

当然に,大学においてもそういった傾向が見られ,大学生協には当然のようにエナジードリンクが並んでいるわけである

大学生の時から時間作業常態化し,学生エナジードリンクを買い求める光景は,はっきり言って異常である

私は情報系分野における長時間労働の背景のひとつに,こういった大学時代からの長時間作業常態化があると考えている.

(これは,経営層や監督層に問題がないと言っているわけではないことに注意.

あくまで,長時間作業をするのが当たり前になってしまっている状態に「慣れて」しまっているのが問題だと言っている.)

そもそも大抵の場合において,長時間作業する必要性が出てくるのは作業効率が悪いからであり,

作業効率の低下は睡眠不足によって引き起こされる場合が多い.

睡眠不足が長時間作業を誘発し,それによってさらなる睡眠不足が引き起こされる負のスパイラルに陥ってしまっている人間が,

たかもそれが当たり前かのように振る舞い,あまつさえ

エナジードリンク摂取したことがないなんて,大した研究をしてないんだな」

などというふざけた発言をするような分野で,労働環境改善することなどありえないと断言して良い.

脳みそをどれだけ回転させるかが勝負と言って良い頭脳労働において,睡眠不足効率を落とすなどもってのほかである

寝ろ.「早寝早起き朝ごはん」は健康効率よく過ごすためのもっと簡単な取り組みである

情報エンジニア各位は,自らの労働環境改善のための取り組みの一環として,エナジードリンク摂取を今すぐやめるべきである

イケメンコンテストだったらどうだろう

藝大のミスコン中止の件

普段あれほどルッキズムを憎んでいるはてなー達とは思えないほど逆方向に噴き上がっていて驚いた

これ、中止になったのがミスコンじゃなくてイケメンコンテストだったらどうだったの?

メンズ評価基準は顔、身長、ボディメイク、頼り甲斐でーす!一番だと思うイケメン君を選びましょー!みんなで評価するんで、メンズの皆はアピール頑張ってねー!」ってな催しがたったひとつ大学で中止になったニュース見ても同じように噴き上がれんの?

ミスターコンが中止になったとしても大抵の女は「あー、中止すんの?へー」くらいの温度感だぞ

anond:20180624101941

理解力のないわたしみたいな人間には本を読むとか、何かを理解するっていう行為は、本を読んでいるあいだだけの短い時間で出来ることではないらしい。

沢山のことをやりたい、っていう焦る気持ちがあるけれど、それを抑えて一日を掛けてひとつの本・ひとつ概念理解しようとするように心掛けないと、下地がないままの積み木みたいになってしまう気が、やっと最近自覚的にでてきた。

ある短編が忘れられない

小学生の頃に父の寝床にあったミステリ短編アンソロジーひとつ

小学生の頃にはこれに恐怖しながら頁を繰っていたものだが、そんな感性を持っていれば読書は楽しくて仕方ないだろうと思う。

作者もタイトルも覚えてないので、もう二度と会えない作品でもある。

今読んでも、作品のアラを見つけてしまうだろう。

ネタバレも糞もないけど以下あらすじ。詳細はたぶん色々と違ってるはず。

ある文学新人賞をある大学文学部に通う女子大生が受賞した。

ビジュアルのよい若い女性である事もあってマスコミは色めき立ち、連日週刊誌ワイドショーで引っ張りだことなる。

当人キャラクターと裏腹に作品の内容は重く暗いものだたが、選考委員を唸らせるだけの内容のあるものだった。

狂言回し編集者マスコミに出る女子大生の軽い言動作品乖離違和感を覚える。

一方、彼女が写ってる写真取材映像で高頻度である男が背景に写り込んでいる事に気付く。

そんな事をしているうちに、彼女は受賞後第二作を発表、これも受賞作ほどではないが高い評価を得る。

このペースで内容の伴う作品連続で書くのはベテランでも無理だろう、

何かあると調べて行くと、文藝マニアの知人が、彼女の二作品戦後まもない頃にデビューして注目されつつも病か何かですぐに姿を消したある新進作家作品との類似点に気付く。

その作家デビュー作はそれなりに注目されたため巻頭で近影が掲載されたが、その顔は彼女の背景に写り込んでいる男の顔そのものだった。

そこに辿り着いた時点で、彼女交通事故に遭い意識不明の重体とのニュースが飛び込んできた。出版社に第三作の一部を届けに行く途中の事故だった。

同僚の担当編集と共に彼女搬送された病院に行き、ICU前で彼女家族から聞いたその作品の内容は前二作と文体も内容もかけ離れたものだった。

「ある文学部に通う女子大生が授業のレポートで、何の気なしに戦後の頃のあまり知られてない作家を取り上げてみる事にした。

それから暫くしたある日、彼女の元に差出人不明手書きの古びた原稿用紙の束が届く。どうやら文芸作品のようだ。

原稿と一緒に「これを世に出して欲しい」とのメッセージも入っていた。訝しんだが文芸方面で名のある出版社投稿すると、その女子大生の素性も相まって大々的に売り出される事になった。

そこからしばらく、差出人不明で礼を述べる手紙等が届き、次に発表する用の原稿も届く。

しかし、彼女とその送り主との良い関係は長くは続かなかった。

女子大生世間からちやほやされて浮かれてたが、送り主からメディアに出過ぎるな」「露出を控えろ、喋り過ぎるな」と警告されるようになる。

彼女は常に監視されている事に恐怖を覚え、この事を世間に発表しようとする。」

話はその書き掛けで止まっていた。

これは恐らく、志半ばで倒れたある作家復讐なのだろう。

そんな事を編集者たちが考えていると、ICUの扉が開き、そして告げられた。

彼女が息を引き取りました」

席交換をして欲しい人に話し掛けられるのが怖い話

今、Twitter閉所恐怖症パニック障害の方が、通路側の人と交換することを理解して欲しい、

というツイート拡散されています

私も件のツイートをした方と同じくパニック障害です。

そして、同じように薬などである程度コントロールしてイベントを楽しんでいる身です。

障害を持っていてもイベントを楽しみたいと言う気持ちイベント中に発作が起きることの恐怖に対しては

非常に共感できるものでした。

ですが、件のツイートをした方の主張が拡散されているのを見て、安心よりも強い危機感を覚えています

私がパニックを起こす引き金は逃げ場が無いことでも、狭いところでもないからです。

私は対人恐怖症で、知らない人と数分程度のやり取りをする事でもどうしようもない不安に襲われ過呼吸になります

ですので、閉所恐怖症についての理解を求めるツイートがたくさん拡散され、賛同する方も多い様子を見て、

今、私は泣くほど辛くなっています

これから通路側の席になってしまったら、閉所恐怖症の人たちが話し掛けてこないか脅えながら

参加しなくてはいけなくなるかもしれないからです。

イベントに参加している障害を持っている人は特に、真っ先に考えなくてはいけないことがあると思っています

自分が参加できるのだから、他にも自分のような問題を抱えている人が当然たくさん参加しているのだということです。

そして、その発作を引き起こすきっかけはひとつではありません。

かに優しい世界を作ろうとすると、同時に、その影で誰かが泣く世界かもしれないのです。

現在進行形でできようとしている優しい世界は、私にとっては死ぬほどの地獄です。

2018-06-23

Y社のエンジニア炎上について思ったこと -「女性エンジニア少ない問題

はじめに

「女性エンジニア少ない問題」を解決するために、機械学習で男性エンジニアを女性に変換する

これの記事炎上しているっぽいことがTwitterのTLを見てたらわかったのだが、実際に記事を読んでみても、なぜ炎上しているのかが理解できなかった。こんな事を言うと、「これを読んでなぜ炎上するのかわからないやつはネットやめたほうが良い」とか言われるわけだ。「女性軽視だ」、「性差別主義者」、「エンジニアやめろ」、「発表者を懲戒解雇しろ」的な声が異様に多く言い過ぎ案件だと思ったのだが、具体的に、論理的になぜ駄目だったのかを説明しているアカウントは驚くほど少ない( と思ったら、これを書いている間に書いてくれた人がいた 最後のほうでこの記事について言及する)。マジで誰か解説してほしかったのだが、FFから失礼してリプを送っても、フォロワー数の差で今度は自分炎上する未来が見えたのでやめておいた。

そういう理由で、上記記事のよくある批判ひとつひとつ取り上げ、それに対する反論を書いていこうと思う。ちなみにこのカンファレンスには行ってないので、記事からしかY氏(以下、登壇者をこう呼ぶ)の言葉を読み取っていない。

私の考え

最初に私の考えを書いておく。

・Y氏は差別発言をしていない

・「男性女性がいるとやる気があがる」が、「女性男性のやる気を上げるために存在する」に拡大解釈/誤解された

・Y氏のロジック炎上の危うさを孕んでいることに本人が気づき、やめるべきだった

・Y氏のソリューション自体にはなんら倫理的/差別的問題はない

Y氏概要

Y氏の提案はこうだ。

課題: 女性エンジニアが少ない

課題が生む問題: 女性エンジニアが少ないと、以下の問題が生じる

問題点①: 男性エンジニアは『いいところを見せたい』というやる気が出ない

問題点②: 女性エンジニア女子トークができない

解決方法: 「男性エンジニア女性エンジニアになる」というのを提案する

女性男性のやる気を出すためにいるのではない」という批判

最も多い批判がこれ。

女性コンパニオンじゃねーぞ」「女性エンジニアエンジニアとして見られないのか……」といった批判である

記事から代表的な文を引用する。

そして、これによって生じる問題は、男性エンジニアにとっては、「いいところを見せたい」というやる気が出ない。そして、女性エンジニアにとっては、女子トークができない。これは非常に重要課題だと思います

さて、この批判は、

①Y氏は「職場女性が少ないと、男性エンジニアは『いいところを見せたい』というやる気が出ない」と主張した

②よってY氏は、女性を「やる気を出すための存在」として見ている

ということだと思うのだが、どう考えても①と②の間に飛躍が見られる。

男性女性がいるとやる気があがる」と、「女性男性のやる気を上げるために存在する」では全然違う。本来は前者だったのが、後者解釈がされてしまったのが炎上の主原因だと思っている。

たとえば「家に猫がいないと、俺は『明日も頑張ろう』というやる気が出ない」という人に対して、「お前は猫を『やる気を出すための存在』として見ているのだな」と言うだろうか?

猫が人のやる気を出すのは事実かもしれないが、そこからたかも「やる気を出すため だけ の存在」みたいな解釈は、あまりにもひねくれている。

男性女性意識することで仕事に取り組む姿勢を変える(やる気を出す)」というのは十分ありそうな話で、これは男女を入れ替えても同様の話だ。まさかそのような姿勢の変化は許されないという批判ではないだろう。もしそうだとしても、それなら性差性別を持って生まれ人類特性が悪いことになり、すると性別人類原罪という話になるので、許されざるはY氏のみではなく人類全体ということになる。

女性を猫に置き換えたので別の方面炎上しそうだが(そういう意図はありません)、つまり言いたいことは、「女性が多いとやる気が出るんです」と言った奴に対して、「女性をやる気が出るための存在だと思っているのかこいつは」と考えるのは早計ということだ。

もっというと、私は最初①は「職場女性が少ないと、男性エンジニアは『(女性に対して)いいところを見せたい』というやる気が少ない(あるいは思う機会が(少ない|ない))」と読んだ。だからなんだよなのだが、この辺も読む人によって解釈が変わり、差別だ・差別じゃないの応酬の原因なのだと思っている。

ついでに言うと、Y氏のソリューションによって、女性エンジニアにとっては「女子トークができるようになる」という女性側のメリットも掲げているので、一概に男性本位のソリューションとは言い切れないことを言及しておく。

更についでに言うと、今回のソリューションは、男性女性女装・女声)になることで女性エンジニアの数を増やすというものなので、仮にコンパニオン活動をしなければならない場合(そんな主張は記事では一切していないが)、それをするのは男性である

「『女性エンジニアを1から育成するより、機械学習解決したほうがラク』というのが、女性わずバカにしている」という批判

該当部分を引用する。

ただ、女性エンジニアを1から育成するっていうのは、非常にコストが大きいんですね。これは正確なデータは取りづらいので、短大私立学費卒業するまでにかかる費用にしたんですが、安くても300万、高いと800万といった、数百万単位でかかってしまます。これはちょっと現実的じゃないですよね。

ここでいう「現実的じゃない」は、「職場女性を増やすための手段として、女性エンジニアを社内で1から育成する」ということだと思う。まあ、これは炎上しそうな文ではあるが、以下の2つの反論を用意する。

(1) 気持ちはわかるが、そういう話ではない

(2) そもそも機械学習系のソリューションは大体安上がり系のこれ

(1)については、男性だろうが女性だろうが社内で1から育てるのは大変である。そしてこの文章で腹が立つの共感できる。たとえば私が「男性エンジニアを1から育成するのは現実的じゃない」と書かれた文を見つけたら、「ん?なんで今『男性』をつけた?」とひっかかりを覚えるのは当然だからだ。ただ、今回の場合ではY氏には「女性エンジニア職場に増やしたい」という文脈があるのはわかるので、「女性」という冠がついてもやむなしである。このへんは文脈を汲み取ってもらいたい。

(2)については、機械学習系のソリューションは大体「人を雇うとお金かかるので、機械(またはAI)にやらせましょう」なので、これを否定されると機械学習のもの否定となり、ひいては産業革命否定となる。別に否定してもよいが、Y氏が特別非難されることではない。

「これは男性差別でもある」という批判

男性エンジニア女性エンジニアに変えるというソリューション自体が、女性軽視であり、男性軽視に当たるという主張だ。

これはよくわからないのだが、例えば、男性から女性に性転換した人は別に男性軽視したことにはならないだろう。

さらに言うなら、おじさんからバーチャル美少女になろうとしているVTuber漏れなく差別主義者になってしまう。

「本人に意図はなかったのかもしれないが、私は傷ついた」

加害者は、加害者本人にその意図がなくても、被害者を傷つけるものだ」という文脈での批判(?)である

これはどこまでも正しい。

ただ、このようにして傷つけた場合、それは女性差別になるのだろうか。

炎上しそうなネタ/うかつなネタだ」という意見

技術自体問題ないが、本題とは関係ない掴みの部分にセンシティブテーマを持ってきたせいで炎上してしまっている」「もっと慎重になるべきだった」という声がある。

この見方は正しい。

記事の一文を引用すると、

エンジニア全員が抱えているもっと重要課題っていうのは、言うまでもないと思うんですが「女性エンジニアが少ない」。

と書いてある。

もうこの一文で炎上しそうな要素がてんこもりなわけである。「エンジニア勝手代表するな」「他にも重要なことはあるだろ」「まーた女性エンジニアを取り上げて」といった具合である

たとえそういった意図が一切なくても、炎上というものはするのだ。

炎上アンテナバリ三の人間なら、「女性エンジニア」という単語だけでも炎上匂いを嗅ぎ取り、うかつにその話題を出さない。出したとしても、枕詞や随所に「私は女性蔑視を意図してこのテーマを取り扱っているのではないですよ~」的なニュアンスを挟むのであるが、今回の人は公の場にもかかわらずそれを怠ってしまっていた。

この辺は会社人間がチェックしてそこでストップかければ良かったという声もあるが、それもまあ、結果論しかない。私のような「これの何が悪いのかわからないけど、炎上しそうなネタではありそう」みたいなチェッカーが「何が悪いのかわからないけど、炎上しそうだから却下」とは言いづらく、最終的にGOを出したのかもしれない(結局炎上してるので責任があるのだが)。またあまり神経質になりすぎると登壇者からしてみれば「これでストップかけるのか」という反発も考えられる。

私が思うベストは、「本人自身炎上しそうな話題最初から避ける」。これだ。Y氏自身がこの話題に触れるべきではなかった。

まるで女性エンジニアを腫れ物扱いしているように聞こえるかもしれないが、そのような意図はない。もしそう捉えられたのなら謝罪する。しか申し訳ないが、私からしてみれば自衛のためにはこのくらい慎重にならないといけないと思っている。

再度言うが、たとえそういった意図が一切なくても、炎上というものはするのだ。

「そんなソリューションじゃ何も解決できねえよ」という批判

これはソリューションに対する批判なので、全然あり。

ただネタ度高めで若手の発表なので、そこは汲んであげるべし。

ロジック部分がクソ」という批判

女性エンジニアメリット女子トークかよ」「女性エンジニアカフェの話をしたがっていると思われているのか」などの声がある。

これはまあ、炎上してしまったが故、色んな所に目がついてしまったのではないかと思う。

実際、例は適当でないと思うし、私も「女子トークて」と思った。

これは完全に推測なのだが、おそらくY氏は課題から解決方法までを導いたのではなくて、解決方法(今回の場合男性の声を女性の声に変える」というソリューション)ありきでロジックを組み立てたのだと思う。

そう思う理由は、普通に考えて女性エンジニアを増やそうと思って男性女性にしようとは(真面目には)思わないし、機械学習10ヶ月と言っているので、自分面白そうだと思って作ったものに後付で理由を足したと考えたほうがしっくりくるからだ。

「こんなことで(この程度で | こんな些細なことで)炎上するのか」という擁護

この擁護は危うい(本人はただ呟いただけだと思うが)。

当然、擁護した本人にとっては、そもそも差別発言自体していないもの拡大解釈されて炎上してしまっていることを指して「こんなことで」と表現したという認識なのだが、誤解している人間にとっては、「この差別発言を『こんなことで』って言ってるやつがいる」という誤解を生むからだ。

誤解が誤解を生む典型である

女性エンジニア少ない問題解決する話、の何が問題なのか」の記事に対して

女性エンジニア少ない問題を解決する話、の何が問題なのか

ありがたいことに、よくまとめられた記事を書いてくれている人がいる。

こっちが匿名反論するのはフェアではないのは承知で、この記事に関しても私の意見を述べていきたい。

この記事はどちらかというとY氏批判側の記事で、私のどちらかといえばY氏擁護派とは異なった立場記事であるので、できれば元記事を読んでからこの先を読んでほしい。

文字数制限にひっかかったので、 別記事を用意した。

最後

Y氏はエンジニアをやめなくてよい。

今回のことを教訓に炎上アンテナを張り巡らせ、これからもめげずに精進してほしい。以上。

オタク的な極端な発言の幼稚さ

オタクはすぐ「死ね」と言うし、過剰表現はほんとに多い。

ラノベ批判するやつは文盲」とか言ってた人もいたっけ。強い言葉を使って自分を強く見せようとしてるし、そこに集まってるオタクたちはああいうのが正しい表現だと思って共感しているのだけど、普通大人から見たらああいうのってただの痛い人なんだよなあ。

漫画アニメゲームラノベなどは基本的に誇張された表現や過剰な表現が多いので、そういうものに大量に触れていればオタク自身もそういう言動をするようになるんだろう。

繊細な表現がわからない、きっちり説明されないとわからない、割り切れないと不満だ、そういうのがオタクなんだよな。行間を読む能力が欠如しているというか。テンプレ表現でないと理解できないというか。物事を簡略化して単純な図式に還元して理解した気になる傾向があって、極論に飛びつきがち。そういう態度がネトウヨを生んでいるとも言えるのかもしれない。

例外を一つでもあげることができればすべてを論破できると思ってるオタクは多いが、これも極端な思考一種と言えるだろう。一種セカイ系的な思考習慣というか、かなり幼い態度だと思う。

オタクは「主語がでかい」という批判を好むが、元の主張は「すべての」と書いてもいないんだよな。勝手にそう読み取って「そうではない〜もある」と言って完全に批判つくした気になっている。元の主張は傾向とか一般的にはどういう認識世間で共有されているかとかその程度の話なのにもかかわらず。元の主張を批判するならば、例外をあげて満足するのではなく、そういう傾向とは言えないということを語らなければならない。オタク反論だと元の主張を認めながらただ例外存在するということを言っているにすぎない。極めて手抜きな議論態度である。ただし、そこに集まるオタクたちは例外ひとつでもあれば論破できたと信じてしまう。だれもそういった愚かな態度についてダメ出しもしない。それで自分たちが賢いと思っている。

箱の中にはAと書かれたボールが90個とBと書かれたボール10個あった。世の中の大半の人は「箱の中にはAと書かれたボールばかりがあった」と言うだろう。それに対してオタクは「主語がでかい!箱の中にはBと書かれたボールもあった!お前は間違っている!謝罪しろ!お前は謝ったら死ぬ病なのか!」と騒ぐわけだ。なんなんだこれは。

しかに箱の中にはBと書かれたボールもあった。が、全体としてみれば箱の中にはAと書かれたボールが多かっただろう。「Aと書かれたボールばかり」という主張と、箱の中には「Bと書かれたボールもあった」という主張は共存できる。そういうことをオタク理解できない。オタク的な語り方では、「箱の中にはAと書かれたボールとBと書かれたボールがあった」ということになって、オタクの中ではこれだけが正しい。一見客観的記述中立で公平に見えるが、しかしこれでは「Bと書かれたボールよりAと書かれたボールの方が明確に多い」という事実表現できていない。それどころかオタクは「箱の中にはAと書かれたボールとBと書かれたボールがあった」と言うことによって、まるでAと書かれたボールとBと書かれたボールの数が等しい、つまり50個ずつあったかのように誘導したがっているように見える。それがオタクだ。

かつてサイコロポエムというものがあった。とあるラノベ作家提唱したものだが、これは「一の目が出る確率はその目が出るか出ないかの二分の一である」というものだ。まさにこれもオタク的な屁理屈、極端な態度と言える。

こういう自分に都合のいい屁理屈現実をばっさばっさと切り、自分は他の人間より知的であると本気で思い込んでいるのがオタクだ。科学万能主義に陥った中途半端理系が多いのも気になる。

Markdownは何がすごいの?

この前、

・ 「HTML書かなくてもいいんですよ!!」← 今はHTML書く時代じゃないだろ…

・ 「テキスト打つだけで見出しとか箇条書きとか書けます」← 増田でも見出しと箇条書き書けてるんだが

・ 「みんな使ってるからフォーマットデファクトスタンダードになっている」← フォーマットならテンプレートを用意するもの

・ 「ExcelWordで書くよりも検索やすい」← なぜ突然Excel比較を?

・ 「![タイトル](URL)で画像も貼れちゃいますよ!!」← 画像は選んで貼る時代じゃないのかよ…

・ 「書き方がシンプルからタイピング回数が減ります」← スマホで ### とか半角にして打つのめっちゃダルいし、IMEでいちいち半角にするのもダルいけど

・ 「プレビューを表示しながらMarkdownを書けるエディターがあって便利」← 例えば増田プレビューを見なくても書けます

・ 「あと、自動HTML化できるんですよ!!」← 今はHTML書く時代じゃないだろ!!

…などという回答を得たんだけど、Markdownを使う利点(同じソフトウェアや、同じWebサービスで使わない場合比較して良くなる点)が知りたい。

 

「〇〇ができる」と言う前に「それが必要でなくなること」のほうが大事

 

【追記:2018/06/23 9:37】

自分ひとつつけました。

・ 素朴なテキストしか入力できないブラウザーでも、Wordみたいな体裁付きの文章をかける

Markdownの利点は、ブラウザーの記入欄がWindowsメモ帳以下だからこそ成立するのではないでしょうか。

少女漫画ポリコレ棒でブン殴る

古いけど「エースをねらえ!」の終盤(以下ネタバレ。読んだことない人は超面白いから読んで)







宗方コーチの死後主人公岡ひろみへの指導を引き継いだ桂コーチへ、練習内容が厳しすぎるのではないかと苦情を言いにきたお蝶夫人。桂コーチは今の指導生前の宗方コーチと十分に話し合って課している内容であることを伝え、「あなたはしあわせだね」と言ってから以下のように語る場面がある。

「女というのはすぐれた男から時をかけて大切に育てられなければ決して道を極めることができない。(中略)男女の優劣をいってるわけじゃないよ。狩猟民族の昔から男は攻撃性をもって外で働いてきた。(中略)女にとって男性社会は未知の世界だ。踏み込むにはすぐれた男の先導が絶対必要となる。これに関連してもうひとつ重大なことがある。父親は家庭の格を高めるために働き、母親はその格を守るためにつとめる。最近の家庭は基本からはずれている。これは真剣に考えなおさなければならないことだ。が、あなたは恵まれている。竜崎理事は立派な方だ」(竜崎理事お蝶夫人父親

これを受けてお蝶夫人は大変感動していた。(宗方コーチと桂コーチの考えの深さ、人格に触れ、岡ひろみへの大きな愛情理解できたから)

雑誌掲載1973年くらい。今だったらこういうセリフを載せることを禁じることはできないと思うけど、自主規制されるか、そもそも今の時代にはそぐわないと判断される気はする。(そもそも家の格ってなんだ)

文庫版では鈴木隆之さんの解説でもこのセリフに触れ(中公文庫コミック版14巻)、そんなことはない、誰もがお蝶夫人にこそ影響を受け、追いかけているとしているが。

他にはなんだろ、強引なイケメンに反発しつつも惹かれていく主人公ってのはよくあるパターンだけど、セクハラデートレイプ肯定してる!なんて批判するとかかな。具体的な作品は思いつかないけど。

ハラスメントの正体がわかったわ

anond:20180622104743

この増田で”そもそも話の合わないおっさんと話したくない”て書いてあるけどセクハラとかパワハラ告発に前から違和感を感じていた正体がわかったわ。

受動性の無敵性だなこれ。

話の合わないおっさんと話したくないって書いてるけどおっさんゆとり全開のアホな若者と話したくないけどそれは大人対応ではないから「場」をつくろうとしてにわか知識ゲームの話に乗っかろうとしてるのに若者はそのおっさんの思慮が迷惑だと思ってるってことだろこの増田

場とか空気をつくることが迷惑だというとセクハラパワハラだけどこれも受動性の無敵性だわ。

相手がつくった場が迷惑だというならおまえがつくれよ。おまえが昔のゲームの話とかを聞けよ。おまえが何考えてるかなんてわからないけど話の流れでそういう人かとある意味で「賭けて」場をつくってるのにそれが自分の趣向にあわないかハラスメントってなんだそれ。

クソガキいいかげんにしろ。おまえが上司ゲームの話を振れよ。おまえが場をつくれよ。おまえが料理を注文しろよ。おまえが店を選んでおまえが話を振れよ。なんで若者忖度して賭けて話したらハラスメントって言われなきゃいけないんだよ。

コミュニケーションを取れっていうそれだけの話だよ。話せよ。他人なんだから話せよ。おまえのことなひとつもわからないんだよ。当たり前だろそんなこと。

2018-06-22

anond:20180622234622

字数制限あん!?ごめん無知だったわ続き!

あのとき誘拐犯を擁護して被害者売女扱いしたアカウントほんとめちゃくちゃあって「でもわかんないじゃーんひょっとしたらさーいやネタだってマジになんなよバーカバーカ顔真っ赤―しかし家帰ったら女の子が待ってるとか犯人勝ち組でしたなーあー俺も女の子保護”したいなー」みたいなの山のように見たからな。実写化でそんな意見が更に補強されたら、誘拐面白がってオッケー娯楽にしてオッケーみたいになったらたまったもんじゃねえわと思ったよ。

私は私の生きる現実の為にひとつ作品の首を絞めたがお前らも同罪だからな。逃げんじゃねぇぞ。

そんなことで大人が人の楽しみを、少年少女のためのフィクション作品を奪い取るようなことは、本来あってはいけないんだ。

いか現実がクソだからってフィクション作品が消される理由は無い。だから漫画連載自体は無くならないでほしいなと思う。

勝手だけど。

【まとめ】

・陰惨な作品も、アンモラル作品も、たくさんある。消させていいなんて思わないし、生みだすことも魅力に感じることも当然の権利

・展開するメディア漫画小説テレビドラマテレビアニメ映画などそれぞれ触れ、受け取るハードルの高さが違うのではないか

・こっちのメディアOKならこっちのメディアでもOKだよね、とは簡単にはならないと思う。

・歳くって経験値知識があるぶん嫌なことのフラッシュバックがきっついし、だからといって無視できない影響力があるとわかってるから行動する。楽しみにしてたファンは恨んでくれ。ごめん

というのが今回の騒動の一面ではあるよという話でした。4行になったわすまん。

しかアンビバレント文章である。長々とした文章をここまで読んでくれて本当にありがとう

幸色のワンルームって何がそんなに魅力で、何がそんなに問題なんだよ

これ「https://note.mu/amakara_no_tare/n/na4eb53fb6768」を受けて書きたいと思ったこ記事

自分は今回に関してはテレビ局に慎重に取り扱ってほしい旨をメールで送った、ドラマ実写化に関してのみ規制賛成派。

該当作品ツイッター投稿リアルタイムで見てて、その後ピクシブのぶんだけ読んだ。

ここまで前提。

幸色のワンルーム少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか

クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々甘く見てそうで怖い

■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う

の3本です。長い。一番最後に3行でまとめたから忙しい人はそれ読んでくれたら嬉しい。

幸色のワンルーム少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか

幸色のワンルームは単なる誘拐の話ではなく、ただの男女の逃避行でもなく、

理不尽にただ蹲って耐えるしかなかった少女が守るべきもの(=居たいと思える居場所、人)をはじめて得て戦うことで少女から大人へと羽化する話であり、

リアルの男女の性に絶望した読者に対して「男と女ではなく、大人子供でもなく、ひとりとひとりの人間として関係性を結ぶ」という夢を与える物語

と捉えることができる。できるんですよ。傍から見たら犯罪だけど。

問題誘拐ストーカー設定なくてもこれを描けたことだけど、その設定のおかげで(いろんな意味で)バズってるから  うん…)

「男とか女とか性とか支配支配とかラベルだけの話ではなく、ぜんぶひっくるめて、私という人間あなたという人間の話であり、救いの話」というふうに見たとき

正直、読み口としては2000年代商業BLブロマンスに近いなと私は思った。

少女漫画系譜だ。

実際幸色のワンルームの幸とお兄さんの関係は決して恋愛感情だけにはとどまらないという風に描かれています

加害者被害者であり、無自覚的な搾取する側とされる側であり、姫と従僕であり、ナウシカ王蟲の幼生であり、友情であり、慈愛や同情であり、恋愛感情もうっすらあり、依存であり、共闘関係であり、勘違いであり、共犯者であり、そして全てを肯定し合う関係である

から人気が出た。

恋も愛もべたべたラベルが付いてひと山いくらで売られていることを、十代の少女たちはとっくに気づいている。そんなふうに安っぽくない、けれど十代少女たちに門戸を開いているフィクション作品をもとめている。それがどれだけ過去文学映画漫画でありふれてやりつくされてきたものだとしても、「いま」「ここ」で「私たちに対して」向けられている作品に惹かれて何がおかしいのだ。

たこれは重大なポイントだが、お兄さんは性のにおいがしない。

デフォルメされた世界で成人男性記号ほとんど持たない、いってしまえば無性の存在メンタル的にもそう。

その上、精神年齢少女とほぼ変わらないため、罪の意識を持った姿は読者にはどこか可哀想うつる過去の傷があるらしく年下の幸が守らねばと思うほどいたいけでたよりない。幸に都合の悪いこともしない。

けど、男。

という風にドリームカスタマイズされてるキャラ

「そんなやついねえよ」だ。だからこれはファンタジーだし理想たりえる。リアルと切り離せる免罪符でもある。

ひと山いくらラノベに出てくる都合のよいヒロインから性の匂いをひっぺがしたようなものだ。少女にとって男の性は不要もの、というか幼いころから自分を脅かしてきたものしかいから、無い方がいい。幸の安心できる居住空間提供する為にも。

からストーカー誘拐犯の男、というショッキングスキャンダラスな設定はあるものの、それは今やおにいさんと幸が法を犯したことをしても問題ないというハードル下げのための設定になり下がっており、基本「ある日突然(可愛くて自分が居ないと生きていけない(A))女の子が空から降ってきた」と同義なのだ。ぺらっぺらだが、それこそが求められている。「怖くないから」だ。

(A)には「やんごとない身分の」「血のつながらない妹/姉である」とか、あと「大量殺戮生体兵器の」とか「妖怪の」とか「暗殺者の」とか「殺人鬼の」とか「サイコパスの」とか入ったりする。よくあるやろ。そういうのを①男女逆にして②リアル現代の③クライムフィクションチューニングすると

ついこないだあった事件そっくりで笑えなくなる、みたいなの超あるあるなんすわ…

からまあ、あるある作品なのだ正直。

そんなもんがあるあるになる現実の方がクソというだけだ。



クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々ガバガバで怖い

はいフィクションだし少女漫画だし、問題ねーじゃんと思うだろ?私も思う。お兄さんは捕まるか虐待親に突撃して共倒れして死んで美しい思い出になって欲しいけど(どうせやるなら徹底的に幸に都合よく退場して欲しい)。

これが少女漫画カテゴリで人気がある分には。

あと作者と制作側がゆるゆるかつタイミングが最悪でなければ。

ツイッターへの最初投稿とか現実事件に対してタイミングが最悪すぎる件に関してわざとかどうかはもう「関係ありません」で貫き通すだろうし実際分かんねえからいいわ…。マジでインスピレーションさえ受けてないとしてももう運が悪かったと思ってほしい。というか当時あれだけのトップニュースすらチェックしてなかったなら作者はうかつだし、チェックしてても特に何も考えず出したならそれはそれで大変アレなのでそれは怒られても仕方ないんじゃねーかと思う。

特に問題に思うのは、クロスメディアするとしたら慎重にやるべき題材だったということだ。

先生!」「PとJK」の実写化の時も同じこと思ったけど(あれも「少女漫画なら素敵だがリアルに考えるとわりとやばい案件)今回は格が違う。なんせ誘拐犯でストーカーだ。どれだけ気を使っても使いすぎるということは無いだろうに…と思う。

後ろめたさも、退廃的なことも、この作品の魅力と分かちがたく結びついている。伝え方を一つ間違えたら倫理観を疑われる作品なのは変わらないのだ。

このへんは制作側の、なかでもプロモーションの腕が必要作品だろうなと思う。

たとえば、この作品ギリギリまで性のにおいを消臭できているのは、絵柄の影響が大きい。デフォルメが強く、リアルさは無いティーン向けの絵。虐めのシーンにも性的ものは見受けられず変態教師とのバトルでさえ匂わせる程度だ。

性も犯罪も、それが主題ではないのだと、なによりも絵が主張している。

また、この作品家族で見てやいやい言いながら見るより、一人で集中して見たいものじゃないだろうか?ターゲット現在テレビを良く見る層と被っているか?いないんじゃないかティーン原作ファンがこの作品を見て語り合うなら、家族よりも、同性で趣味の合う友達とではないか

からメディア展開を思い切り間違えてる気がしてならないのだ。

テレビでやるならアニメ作品にすべきだったと思う。その人気に火を付けた一端でもあるキャッチーな絵柄を生かし、フィクションであることを最大限利用すればよかった。あくまでこれは夢物語で、リアルとは違うのだとアピールすればよかった。それでも非難は受けただろうが実写化よりはましだったはずだ。「誤解されやすいけど本来こういう話ですよ」と12話でも24話でもかけてやればよかった。

実写化したいなら、この退廃的な作品映画の方が合うだろうと思った。それに映画館でしか見れない、というフィルタリングは大きい。実写化することでどうしても露悪的に、生々しい匂いになる画面をテレビから無作為にまき散らすのではなく、納得して料金を払い席に着いた観客にだけ誠心誠意向き合う形をとれば良かった。観客を巻き込んで二人の世界に浸れる場所を作ればよかった。

広告展開で規制派の火に油を注ぐ可能性は大いにあっただろうが、中止よりはマシな結果になったんじゃないか

なんで再現が難しい絵柄を実写で、なんでナイーブかつ視聴者を選ぶであろう題材を全国放送の誰でも見れる割にメインターゲットを逃しまくるであろうテレビで、やろうとしたのだろう。やはりコスト問題だろうか。

プロデューサー編集部も何考えてたんだろうな。

いや本が売れたらいいなと思ってたんだろうけど炎上商法やった割にリターンがアレ過ぎない?そうでもない?わからんけど

正直、ドラマ制作側も作者の方も編集部も、「現実にある犯罪を扱った現代である」という認識が甘すぎたのではないかと思う。

それも、未成年被害者がいる事件を、「犯罪としてではなく救済として描く」というひねりを売りにした作品でだ。

カリオストロの城」でも撮っている感覚だったのかもしれない。モニタ解像度低いわ。

もしくは、とてもリアルだと思ったから実写にしよう!と思ったのかもしれない。

そのリアルさは虚構で夢でしかなく、それでいてとてもありふれた現実だ。

だって、実際の誘拐幼児への事案はひっきりなしに起こっていて(マジでひっきりなしに起こっている)。

ストーカー誘拐犯の脳内で、自分被害者と愛し合っていたという美しい物語が展開されているのは決して珍しくないのだから

その恐ろしさを無視して、リアルに寄せる実写化をするのは賛成できなかった。

苦言を呈す派に対して作者からコメントは「実際の事件とは切り離してみてください」これだけだ。たったこ一言で全て免罪されるなら表現の自由とはなんとも気楽で無責任ものではないですか。いや作品内で色々ファンタジー要素盛って免罪符切ってるしあれこれ言及するより作品に集中するのは良い手だと思うけど無責任だとは思うぞ。

だって「世の中いろんな人もいる」と、これが現実でもありえるかもね、とでも捉えられるコメントを付けて世に送り出したのは、他ならぬ作者自身なのだ

ドラマにしても、女優に「実際にこういうこともあるかもと思う」というコメントを、編集もせず流してしまった。(これで規制派の使命感に火を付けたようなものだと思っている)。制作側止めろよ…

現代クライムフィクション作品でこのコメントが出るときは「だから怖いなって思いました」くらいのことが続くはずが、「実際あったら素敵」と続いてしまうような。

作品のものというよりもその周りの倫理観ガバガバなのだ現実ガバガバ

そうでなくても今現在、長年沈黙されてきたハリウッドやら世界的に女優性的搾取告発が起きてて転換期で、それでも搾取する側の擁護をやめない(「いや、でも女性側も望んでたんじゃないか」みたいなのワイドショーで沢山見ましたね!)、日本テレビ業界をつい最近私たちは見せつけられているのだ。そもそもの信頼感が地に落ちている時に「地獄の真ん中で搾取されてるけど女の子ハッピーです」みたいな作品作ってもそりゃ倫理観が疑われるだろという話だ。

フィクションはいだって現実と地続きなのだ

不倫ドラマももちょっと気を使ってるんじゃないのかな。

■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う

お兄さんと幸の間にある感情はとても純粋もののように描かれる。

それは憂いを帯びて美しい。破滅に向かっているからだ。地獄の上にある安息からだ。あかるい太陽ではなく、暗闇の中の星。

薄汚く、ふたりを虐めるものばかりの世界でここだけは綺麗であるように感じる。実際そうだからなのだろう。未来なんて考えたくもないし過去の事は忘れたい。いまここにある、おにいさんと幸のあいだにある、形容しがたいなにか、それだけが全ての世界でいたい。

それは読者の心を掴むだろう。特に、十代の少女にとっては。

この作品メディア展開が一つ潰れることで、悲しく思うファンもいるだろうなと思う。恨まれるだろうなとも。

つーか私も十代の時に、リアルで起きた殺人事件(娘が父を鎌かなんかで…)をうけて「ひぐらしのなく頃に」のメインキャラが義父を鉈で殺す回の放送が見送られた時「いやリアルとの区別くらいついてますけども~~~~~????」って怒ってたよ。

でも今(アラサーだよ)、もし「新幹線で鉈をふるう殺人事件が起きたけど、犯人は実は悪い人ではなかった」みたいなフィクション作品テレビで予定されてるとしたら…今の私は、「それは見送った方が良いのではないか」と思う。

区別がつかないのは、つけられないのは、大人のほうなんだ。

大人になるにつれて、想像力は広がりだけではなくリアルさを増していった。経験知識が増えたからだ。

「これのせいでちいさい子供や、少年少女が酷い目にあうかもしれない」と思うと、耐えられなくなってくる。大人になれば強くなると思っていたのに、陰惨なフィクションも年々見れなくなっている。それは、年を重ねた分現実に起きる陰惨な事件を、それに対する酷い言説を、これまで見過ぎて、現実を見過ぎて、どうしても思い出すから、なんだか嫌になっちゃうからだと思う。大人になるにつれて、後からまれてくる子たちが傷つかない世界になればいいと、祈るようになってきたからだと思う。

フィクションなのに、現実被害に遭って泣いていた子や、かつて嫌な思いをしたとき自分を、思い出す。被害者の絞り出す様な言葉や、それに向けられた酷い言葉の数々を、理不尽を、やたらと思い出して、想像してしまって、苦しいときがある。

子供の時はフィクション作品メディアの力を舐めてたし、大人になればもっと区別がつくようになる、

なんならフィクションを見てリアルを思い出すなんてオタク失格だとすら思っていた。

でもそうじゃなかった。

倫理観スイッチ切って倫理観ゼロ作品を楽しむには、TPOがある程度大事だと知った。自分家族を亡くした直後に、家族を殺す話を楽しく読めないように。

倫理観ゼロ作品は、倫理観ゼロ現実世界では楽しめないと分かった。楽しめるならそれは娯楽である以上に、麻酔や薬であり、治療なのかもしれないと思った。生きるための救済。

作品の影響力を舐めたらダメだと思った。面倒なオタクである自分偶像フィクションに命を救われてなんとか生きてきた。

ならば人の命を奪う作品が無いなどとどうして言えるのか。

から今回の幸色のワンルームへの規制は、わたしは(あくまで私はな)、

これを見た「大人」がリアルに起きた事件や今までの経験フラッシュバックに耐えきれなくて「やめろ、せめて少女漫画カテゴリなかにいてくれ。そうでないなら無作為にまき散らす前に対策してくれ無作為にまき散らされて何が起こるか分かってんだおれはくわしいんだ(※嫌なことを沢山思い出しながら)」

って言ったんだと思う。

そういう側面は大いにあると思ってる。

「それでも僕はやってない。」が公開された以降から痴漢被害者への二次加害が酷くなったって話聞いてワァーってなった。

そんな変遷を見てきたら「こういう作品が公開されたら、また…」というフラバもそりゃ起きるよと思った。

直前に現実誘拐事件があり被害者バッシングを見てるんだから余計に「あれが、また…」ってなるよ。(だから本当にタイミングが悪すぎたんだよ…)

からといって作品自体消したいわけではなかった。

というかそれはダメだ。現実がこうだから配慮して作品自体消そうみたいなのは私が一番やりたくないことだった。だからゾーニングフィルタリング推進派なんだけどさ。

そしてゾーニングフィルタリングメディアの差でも実施できると思う。その作品に触れるまでのハードルの差があると考えているから。テレビ特にハードルが低い。例えば映画館での上映や本屋で棚が分けられパッキングされた単行本等とはそれだけでも違う。同列に語れないと思う。

からってガチガチにこの本は誰向け!この本はこの性別この年齢このカテゴリ!とかマジ誰もやりたくねーよ。なにそのディストピアだよ。

ネックは「現実事件に対する二次加害が野放しなこと」だから、ここがマシになれば結果的表現の自由も守られるんじゃねーかなと思うけどどうですかそのへん。

ほんとね現実クソだったよ。現実誘拐事件おこす犯人マジでクソだったし被害者に向ける目も相当クソ。二次加害を大量に見過ぎて本当にメンタル削れたし、なによりオタクリアル事件に対する大喜利に慣れ過ぎて、被害者がいるっつーのに自分も一瞬「あっそんなひどいことされてなかったのかも?」とか思ってしまったのがめちゃくちゃ自己嫌悪で死にたくなった(自分ネットアイドル二次オタクカルチャー10数年どっぷりなんですよ)。「そんなわけねーだろ」と思った。被害者の苦しみをも加害者のやったことも軽視出来るもんじゃない。絶対

この感覚のままでいるのはやばいと思った。でもこれは曲りなりにも女体持ちで嫌な思いも散々してきたから「そんなわけねーだろ」と思えた部分はあるだろうなってのもあるし、「そんなわけねー話」をいくらでも茶化せる人がいるのも知っていた。

誘拐ストーカー盗撮被害者叩きも遠い世界の人にとってはそれはファンタジーだろうしな。

でもファンタジーじゃねえんだよな。

私が生きていく現実に影響があるんなら、私は私のために戦わないといけないと思ったんだよ。

あのとき誘拐犯を擁護して被害者売女扱いしたアカウントほんとめちゃくちゃあって「で

Youtube世界事故動画を見て思うこと

日本道路は信じられないくらい金をかけて作られている

ひとつないのは当たり前

標識スローガンおかしな模様や注意喚起がこれでもかとつけられている

もちろんこれは良いことではない

日本住宅都市景観は、海外のそれと比べて極めて貧しいからだ

結局、日本道路だけはドバイ並に贅沢だが、庶民生活は貧しいという、いびつ構造になっていると思う

anond:20180622085559

不愉快ラインひとつで全員同じっていう方が気持ち悪いだろ、どんな全体主義だよ

そうじゃないから開き直ってる一部の奴以外の同人作家っていうのはジャンルごとに公式の顔色窺ってわざわざ別々の対応してるんじゃねえか

その自分感情けが正義みたいな思い込みいい加減直せ

anond:20180622085025

からそのラインにいろいろ後付けの理屈をつけたところで、結局のところ何が不愉快かという基準は各人でバラバラで、ひとつに決まるようなものではないんだから

ヤバいジャンル問題を起こさないようにするにはそもそも二次創作自体敬遠した方がいいという話だろうよ

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