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はてなキーワード: ひとつとは

2018-12-14

みかんSサイズ

1袋370円でSサイズとMサイズ売ってて、毎日3つ食べるからいっぱい入ってる方を選んだら小さすぎて4つ目食べてる。多分もうひとついける。

Mサイズ買うべきだった。

出会いを探すなら登山サークルがいいと思うの

■書いた人は誰?

都市圏在住

・30代後半

男性

登山サークルは2つ経験

サークル出会って結婚

・入ったサークル初心者歓迎だが、出会いにフォーカスしたところではない

N数も少なく、バイアスがかかってる場合

ありますが、周囲で登山つながりで結婚した人も多いので、ひとつの参考になればと。

■すすめる理由

1. 男女比にあまり偏りがない

おおよそ、半々〜女性が少し多いくら

2. マウント取る人がいない

スポーツとしては、個人競技ですし、

トレッキングレベルだと、あんまり競技性もないので、俺スゲーって人は、ほとんど居ない印象。

(山岳会寄りのとこは、わからないですが)

3. 存在アピールできるシーンが多い

・休憩のときお菓子を配る

写真を撮る

レジャーシートを持ってくる

など。細かいですが、こうした積み重ねが大事だと思います

4. 次の展開がしやす

写真シェアするとかの理由で、LINEグループを作りましょう。

何回かサークルで一緒になって仲良くなったら、次は、サークル活動とは別に

グループ内の何人かで登山に行く。

この「グループ内で登山に行く」というのが、非常に大事です。

企画する人は好かれるので、頑張って企画しましょう。

一足飛びには行きませんが、「登山へのお誘い」は大義名分が立ちやすいです。

5. 仮に出会いがなくても登山の楽しさに出会える

この文章の核心です。

■着ていく服がない

トレッキングくらいなら、ワークマンで一式揃えられます

ワークマン 登山」で調べてください。

ちょっと派手めな色合いくらいの物がいいと思います

あとは、リュック可愛いアクセサリーをつけていると、話のきっかけなるかもしれません。

■話をしたいけれど、野暮な性格がばれちゃマズい?

登山中は、基本的に一列で歩くので、前後の人とは、話がしやすいです。

途中、滑りやすい箇所などがあれば

「ここ、滑りやすいですよ」とか話して、会話の糸口を見つけるのが良いかと。

道中で、なかなか話せなくても、休憩のときおやつタイムがチャンスです。

おやつを配るタイミングで話しましょう。

塩味のアメとかでいいです。

チョコ系の場合は、しみチョコベタつかなくて、おすすめです。

しんどいんじゃないの?

はじめての登山は、しんどいです。

でも、月一ペースで参加してれば、慣れてきます

暑い時期は、しんどいので3月4月くらいから参加するのがいいと思います

友達として登って、恋人として下りて来れれば最高ですね!

https://anond.hatelabo.jp/20181213162650

どんなジャンルであれ、ひとつ創作意欲が失われることが無くて良かった。

anond:20181214164107

正直ヒットしそうなのが「蜘蛛」くらいしかない。

ライト文芸系や青春系でひとつ来そう。「ひげを剃る」とか。

Get Masuda

アノニマスダイアリー書きつけながら新着走りぬける

チープなサーバーに身をまかせてもバグにおびえていたよ

It's your entry or my entry or somebody's entry

増田のためにトラバするから

It's your diary or my diary or somebody's diary

釣りもこわくはない

Get masu and da

ひとりから増えない無言ブクマを抱いて

Get masu and da

この村で大喜利に甘えていたくはない

Get book and mark

君にしか書けない記事がどこかにあるさ

Get book and mark

ひとつでも星ついたコメをとりもどすよ

ホットエントリトラバ投げてはシャドーで殴る増田

冷たい批判を見ないふりして哀しくおどけていたね

It's your entry or my entry or somebody's entry

誰かのために記事書けるなら

It's your diary or my diary or somebody's diary

きっとブクマがつく

Get masu and da

ひとりから増えない無言ブクマを抱いて

Get masu and da

この村で大喜利に甘えていたくはない

Get book and mark

君にしか書けない記事がどこかにあるさ

Get book and mark

ひとつでも星ついたコメをとりもどすよ

旦那が実録ウェブ漫画を描いている

私の旦那Twitterに実録ウェブ漫画をアップしている。

そこに妻として私も登場している。しかしそれが嫌で嫌でたまらない。


旦那漫画は毎回バズっていて、Twitter経由で仕事も増えて収入も増えた。そこは良いことだとは思う。

でも、漫画の中の私は脚色されすぎていてもはや私ではないのだ。

世間に対してハッキリバッサリと物言いをして旦那同様、聡明物事を深く様々な視点で見つめている」

というキャラになっているのだが、別に私はそんなキャラじゃない。

漫画の中で、旦那の考えを補強するための都合のいいキャラになっているにすぎない。


生活の中でも明らかに漫画意識していて、

「~についてどう思う?」

と聞かれると、このやりとりをネタにするんだろうな…というのが透けて見えて嫌になる。


また、言ってもないことを描かれることがどんどん増えてきて最近ではほぼフィクションになっている。

「私を漫画に出すのをやめてほしいんだけど。こんなキャラじゃないし、こんなことも言ってない」

と一度言ったことがあるのだが、

「そうは言ってもこれがウケてるんだし、利益も出るんだし、キャラクターとしても人気出てるよ。どんな漫画だって脚色はあるんだから認めてほしい」

と言われてしまった。


かに嘘はどんなノンフィクションにもあるだろう。

本屋に売っているコミックエッセイも、ネットでの漫画にも、インスタ映えライフを載せる主婦にも、ユーチューバーにも多かれ少なかれ嘘があるはずだ。

でも私は嘘が嫌でしょうがない。嘘をついてまで得るお金や称賛に価値はあるのだろうか。何だか最近けがからなくなってきた。


あと、漫画の中でかっこいい自分演出したいのはわかるが、漫画に見えないところもしっかりしろよ!と思う。

口が臭いんだからしっかり歯磨きして歯医者に行けよ、とかトイレ座りションしないなら掃除しろよ、とか

くしゃみがうるさすぎて周囲に迷惑かけてることに気付け、とか。

そういう、漫画はいちいち描かない積み重ねが人間形成していくと思うので、かっこいい部分だけ見せてそれが自分のすべてだと思っているところにも嫌気がさしてきた。


きっと旦那にとってはそういう日常はつまらないもので、ネット上で人気のある自分価値があるのだろう。私も嘘をついてまで楽しくなるような何かを探すべきなんだろうか。

というか私のほうがおかしいのだろうか。


最後ひとつ、脚色するんだったらもっと美人に描け。

高校生の頃、電車痴漢にあった話

私の通っていたのは中高一貫女子校で、ぎちぎちに校則が厳しかった。

セーラー服スカート丈は膝下という決まりがあり、指定靴下はくるぶしか10cmの短いもの。(今は靴下が短いのが流行っているらしいけれど、当時は長いのが主流だった。今の子たちが羨ましい)

セーターやコートも勿論指定で、鞄につけていいキーホルダーは小さめのものひとつだけ。

まあそんな、校則かいくぐるのが学生というものだ。

スカートベルトを駆使して上げていたし(校則違反に厳しい先生が近くに居るときにはベルトを外したり、校内ではギリギリ怒られない程度の長さに留めておいたり)、指定靴下は極限まで伸ばしてソックタッチで止めていた。(伸ばしすぎて靴より上にあがってきた踵の生地が擦り減り、地肌が透けて見える子多数)

私もそんな生徒のひとりだった。

カースト上位でも下位でもない中途半端位置付けだった私のスカート丈は当時、膝より少し上くらい。校則より短いとはいえ、他校の制服と比べたら許容範囲、というか普通の長さだろう。

化粧なんて当たり前のように禁止で、カースト上位は薄付きのメイクを施したり、放課後にはばっちりメイクをキメこんでいたのだろう。

私はというと、大学に進学するまで化粧とは無縁だった。地味オブ地味。

そんな「蔑まれるほどではないけれどウェイ系にもなれない」ような、地味な女子高生生活を歩んでいたある日の朝。

当時、通学に使用していたのは日本でもトップクラスに混雑していると言われている路線で、その日もいつも通りに電車は満員だった。

私は出入り口のすぐ脇、椅子の仕切りが背凭れ代わりになるポジションに収まることができたので、「今日も混んでるなぁ」と思いながらも中のほうでもみくちゃになっている人よりは快適だった。

しかし、そのポジショニングがマズかった。

満員電車で、意図せず他人と向かい合ってしまうことがある。目の前には三十代くらいの男の人がこちらを向いて立っていた。

視線が重なるのは気まずいので、私は斜め下あたりをぼんやり見ていたと思う。携帯電話(当然本当は持込禁止だ)を出せるようなスペースの余裕はなかった。

異変が起きたのは電車が発車して、数十秒後。スカートがそろそろと捲りあげられたのだ。

私は驚いて前の男の人を見た。彼は下を向いていた。

(いやでもまあ、混んでるから捲れちゃうこともあるかも……しれない)

無理矢理納得させたのも束の間、なんと男がパンツの中に指を突っこんできたのである

(まじ!?!? ていうかわたし今日生理なんですけど!?!?

地味な学生生活を送っていたので勿論パンツの中に他人の指が入ったことはなく、咄嗟に「指、血ついちゃうんじゃないの……?」と謎の心配をしてしまった。

恐らくパニック状態だったのだろう。どうしていいのか分からないのではなく、「何かをしなければならない」という考えにまで辿りつけないほど。

男の人も違和感(多分ナプキン存在)に気づいたのか、奥までつっこむことなく上っ面だけをちょろちょろと撫で、それから次の駅で下車していった。

 

……いやいや、待て待て。

慌てて私も電車を降り、すぐ傍に居た駅員さんに「あの人に痴漢されました」と報告した。すると駅員さんはすぐに追いかけてくれて、私はひとまず駅員室に通された。

別の駅員さんに事情聴取みたいなものをされ、今あったことを説明する。言いながらようやく恐怖心を自覚して、喋りながら泣いた。

数分後、追いかけてくれた駅員さんが戻ってきた。逃げられたと言われ、呆然とした。

今後犯人が別件で捕まった場合のための書類を書かされながら、駅員さんに「電車内で『痴漢です』と叫んだほうが良い」とアドバイスをされた。

でもそんなの無理だった。目の前の知らない男の人にそんなことを言って(パンツに手を突っこまれている状況で)、何をされるか分からない。今でも出来ないと思う。

それから、「君も制服の着こなしを気をつけたほうが良い」とも言われた。

その言葉を聞いて、なんかやってらんないなと思った。

この程度のスカート丈でも駄目なのか。誘惑している側だという見方になってしまうのか。

私が膝下丈のスカートを履いていたら、あの男が罪を犯すことはなかったとでもいうのか。

「分かりました」と私は返したけれど、微塵も納得しなかった。

 

何が言いたいかって、

痴漢をされている人が「痴漢です!」と声をあげるのは難しい

 →もし痴漢をしている人間を見つけたら、助けてあげてほしい。私も助ける側の人間になりたい(未だ遭遇したことがない)

・「そんな格好してたら触りたくなっちゃう」までは良い。「そんな格好してたから触っちゃった」は問答無用でアウトだろ

 →思うのは自由でも、行動に移した時点で10:0で悪いじゃん。被害者側にも罪があるなんていう理論痴漢では一切採用しないでほしい

ということでした。

十年間ずーっとモヤモヤしてたか増田で吐きだして勝手スッキリさせてもらいました。

なぜ若者自民党支持なのか→異端になって弾圧されるのが怖いから だろ

昔はノンポリさらに昔は左翼が主流だったからそれらに調子を合わせていただけ 

若者の支持理由独自性がなくみえるのは持論を言って弾圧されたら多数派迎合した意味がなくなるから

まりそこも昔と同じ理由

北朝鮮人民が一律に同じ言動多数派になってスイミーのように身を守るのと同じ

何も持たない人間最後にとれる戦術スイミーただひとつ

じゃあ東大生として指定する必然性なかったろ。アホなのか。

コレ読んでてガチ東大生可哀想になったわ。

小説リアリティ問題が指摘されているが、小説家の人はひとつ身体しかなく、その業界世界空気すべてを知り、作り上げるのは難しい。文学小説は、自分の状況に合わせて、想像力を働かせて読むもの。もし私の出身大学舞台小説になったら、『この詳細部分が違う』と読むのではなく、想像力を使って自分事として小説を読む。この小説リアリティを感じながら読むには、挫折という要素が必要だという話だけど、これは挫折した東大生と、主体性のない女の子恋愛小説ではないので、『挫折』という要素はいらなかったと思う」

東大生挫折を知らない非人間的なとこがあるからだって文脈を作っておいて、クズにもほどがある。

ペンキをぶっかけといて、これはおかしいって声をあげたら黙ってろよと。

他の読者にならともかく、当事者たちに自分事にしろぉ!とかいい加減にしろ

この本を見かけたら買って店先でライターで燃やすわ。

クソにもほどがあるだろ。

お前らのための道徳教科書として読めということ。ドキュメンタリでは無いから現実との差異を分析しても無意味。分析すべきは自己の内心。モテ無い挫折した経験が他者を性的搾取する権利に成り得るかどうかとか。 - yoko-hiromのコメント / はてなブックマーク

まさに、この本を読んで東大生への偏見を強化させている人のありがたいお言葉ですw

『彼女は頭が悪いから』ブックトークに参加して見えた「東大」という記号の根深さ|はままり|note

2018-12-13

anond:20181213152927

技術または現象としての魔法がない世界もあるのだが、ぶっちゃけ異世界という感じがあまりしないのが難点

地球物理に縛られているということでもあるし、単に呼び名変えただけじゃねという内外の批判にも耐えられない

歯車ひとつとっても、歯車である時点でだいたい地球産だ

ぼくははてなでのお友達の作り方を知らない

ってブコメを前に書いたら、引用スターで「は」「い」「く」って書いてくれた人がいて、思わずフフッてなったのね。

わっちゃうじゃん!ハイク。終わっちゃうじゃん。ふふふ。

そうやって笑いながら、ああ、わたしは本当にこうやって、生きてるだけで色んな可能性を取りこぼしながら生きていくのだなぁ、と実感した。

わたしは2年前か3年前にはてなに来た新参で、使う機能といえばもっぱらブックマークお気に入り機能は本人通知に尻込みして今まで触れずに来たし、こうしてたまに増田を書いてはこっそりブクマトラバにほくそ笑んだりして、そんなふうだからはてなにおける認知なんかほとんど月の向こう側の出来事といっしょだ。

そして、わたし自身、それで良いとも思ってきた。良くも悪くもゼロ年代ネット価値観を引きずるわたしは、心のどこかではネットにおける認知など厄介ごとを呼び込む不幸への片道切符なのだ、と思っているフシがある。アノニマスでいることはわたしにとって何物にも代えがたい防御であり、わたしネットライフの快適さを保証してくれるラストリゾートでもあるのだ。

から存在はなんとなく知っていながら、わたしは一度もハイクに触れずにきた。

上述の引用スターを貰ったとき、「そっかー、ハイクだったのかー」と謎が解けたような、意外ではあれどそれが一番好ましい答えのような、そんな不思議心持ちがした。

わたしは知らなかったけど、みんなはそこで仲良くやってきたんだろう。なんか、お互いブログで仲良くなって、ツイッター相互フォローし合って、みたいなかたちでやってるのかと思ってきたよ。蓋を開けてみれば「ハイク」に代表されるコンテクストがあって、それをみんなで分け合ってきたんだねぇ。

そしてそのハイクも終わるんだそうだ。有意義だったり無意味だったりしながらも積み重ねられてきたコンテクストの、そのまとまりひとつ名前を与えてきた核たる場所は終わってしまうのだという。わたしが一度も触れぬ間に、これまで存在してきた数多のサービスと同じように。

死んだサービスに行き先があるとしたら、それはまったく人間の死と同じだ。ひとつのまとまりとしてのコンテクストを失い、より小さなまとまりは流れ出て、一部は他のサービスに吸収され、その他は三々五々に分かれ、別の場所を求めてさまようだろう。けれど二度と、同じ形で集まることはない。それはきっと、わたしが死んだ時に起こることと同じだ。わたしというまとまり連続性の上では消えるが、構成要素が消えたりはしない。

わたし自分が選ばなかった可能性が好きだ。

わたしたちはこうして、ただ生きてるだけで可能性を逸して生きていくけど、わたしたちがそうして見逃してきた場所にも人が集まって、当人たちには意味があるコンテクストを積み重ねて、経験を教えあったり、感情を増幅し合ったり、あるいは意味をなさない鳴き声をあげて他人自分存在を伝えたりしながら(にゃーん)生きているのだ。

もし、あのときわたしハイクを始めることを選んでいれば、あなた場所わたしのものだったかもしれない。もし、あなたハイクを選んでいなければ、わたし場所あなたのものだったかもしれない。

手に入らなかった可能性を想像の手で転がして撫でてみるのは、ただ惜しむより愛おしんでいるという感じがして、少しだけ丁寧に感じたりする。

選ばなかったあの部屋には誰が入っただろう。

買わなかったあの服や本は誰が買っただろう。

もしこの電車を降りずに次の駅、その次の駅まで行ってみたらどうだろう。

もし、ハイクを始めていたらどうだっただろう。

まらなかった可能性に愛を。わたしあなたがお友達であったかもしれない世界花束を。

さよならハイク

誰かへの商品開発依頼:そのまま服収納

立てて洋服収納できる便利グッズダンボールみたいなやつ)があったと思う。

買ってみたい気もするが、それは面倒だ。

案としては以下。

そのまま服収納

・箱にスライドしてしまうことが出来る

ハンガーをカチッと折ると引っ掛け部分ができ、そこに余分な布を入れて折りたためる

ハンガーの取り外しは楽々。ボタンひとつ

あー、上手く説明できないなぁ。

母の事は大好きだけど、母のようになりたくなかった話。

母は専業主婦だった。

自営業の父と、父方の祖父母田舎ではあまり裕福では無いが、ごく普通の家だった。

私は一人っ子で、甘えん坊の私は幼い頃から専業主婦の母にべったりだった。

はいつもおやつ手作りしては、学校から帰った私に食べさせてくれたし、食事も品数が多く、テーブルいっぱいに乗っていた。

父はというと昭和思考典型的父親で、仕事から帰れば王様のように食卓に付き、用意されたビールを飲み、母は常に甲斐甲斐しく世話をしていた。

祖父母子供があまり好きではなかったのか、子供の頃何かしてもらったとか、良い思い出が無い。いつもテレビを見ては文句を言っている姿しか記憶がない。

我が家では外食嫌いの父と祖父母のせいで、母はいつも家族全員の食事を作っていた。

私が生まれて初めて焼肉店焼肉を食べたのは、19の時だ。それくらい外食したことがなかった。

から母はたまに私を連れ出して、クルマで40分の自分実家に連れて行った。母は免許を持っていなかったので、倍以上の時間をかけて、バスを乗り継いで。

母方の祖母は一人で定食屋を営んでいたので祖母アジの開き定食を食べるのを楽しみにしていた。

学校友達レストランに行った話余りにも羨ましそうに話していたのもあり、あまり外食できなかった私へ、少なからず罪悪感があったのかもしれない。

母は、近所の田舎特有のしきたりや、慣習にあまり良い顔をしていなかった。七五三には家に近所の人を沢山呼び、祝い酒を振舞うなどのアレだ。だから私の七五三は誰も呼ばず、家族だけで寿司を食べた。

古い考えや慣習に囚われていた田舎の中から見たら少し異質に見えたのかもしれない。

当然、祖父母はいい顔はしなかった。

そんな母の考え方は私も好きだったし、私も受け継いでいると思う。他所他所、家は家。というスタンスだ。

だけど、高校の進路相談の時、私は先生に進学はしないときっぱり告げた。

母は驚いていた。ずっと母がやんわりと敷いたレールを歩んできたと言う自覚は、少しずつだがあった。このまま母と同じような人生を歩むのではないかと言う恐怖があった。

母の事は好きだが、母のように家の為に全てを尽くし、行けもしない旅行雑誌を眺め、溜息をつく生活など耐えられない。そう思った。

今思えば、母が自分趣味らしい趣味をしていた所を見た事がない。おやつの時に作っていたお菓子作りは、趣味だったのだろうかもわからない。

高校在学中に公務員試験を片っ端から受験し、奇跡的にひとつだけ滑り込む事が出来た。家族は喜んでいたが、母は複雑そうな表情だった。我が家はさほど裕福では無かったので、家計を助ける為にも私は早くから働きたかったのだが、母は私を大学に行かせたかったようだった。

仕事は楽しかった。頑張れば認められるし、給料も出る。何より給料が入り、今まで出来なかった事が出来る事や物が買えるのが嬉しかった。

私は母を初めてのボーナス食事に誘った。

会話は、私の仕事、近所の事、テレビの事。

話していて、ハッと気づいた。

母の世界は、こんなに狭かったのか。と。

話題が、テレビ家族と近所しかないのだ。

私は幾度も母に働きに出るように勧めてみたが、父やボケ始めた祖母理由に首を縦に振る事はなかった。

帰りの車内で、母は不意に私を羨ましいと言った。

私は何も言えなかった。

母の事は大好きだし、感謝もしている。だが、私は母のようになれないし、なりたいとも思わない。

母の生き方否定するつもりもない。その権利もない。

家に居ても暇だとぼやく母に、私は実家にある私が集め続けたマンガや、小説を読んでみたらどうかと言ってみた。

私は結構オタクなので、昔から買い集めたゲームマンガ小説がたくさんある。

母は苦笑いをしながら読んでみる。と言った。感想を聞いた事は終ぞなかった。

あれから、十年近く経った。私は結婚し、子供にも恵まれたが、仕事は続けている。

もちろん、趣味ゲーム漫画アニメも買う。酒も飲む。お互いの趣味に口は出さない。

家事は夫と半分ずつ。子供が熱を出せば交代で休む。

母とは真逆人生を歩んでいるとは思う。もちろん、家族の事は大好きであるが、自分趣味人生も楽しみたい。

両親は、今や孫に会うのが趣味かのように毎週家に来る。

たまには、母と二人で旅行へ行きたい。いつも断られてしまうのだが、来年こそは、旅行プレゼントしたい。

母の事は大好きだけど、母のようになりたくなかった話。

母は専業主婦だった。

自営業の父と、父方の祖父母田舎ではあまり裕福では無いが、ごく普通の家だった。

私は一人っ子で、甘えん坊の私は幼い頃から専業主婦の母にべったりだった。

はいつもおやつ手作りしては、学校から帰った私に食べさせてくれたし、食事も品数が多く、テーブルいっぱいに乗っていた。

父はというと昭和思考典型的父親で、仕事から帰れば王様のように食卓に付き、用意されたビールを飲み、母は常に甲斐甲斐しく世話をしていた。

祖父母子供があまり好きではなかったのか、子供の頃何かしてもらったとか、良い思い出が無い。いつもテレビを見ては文句を言っている姿しか記憶がない。

我が家では外食嫌いの父と祖父母のせいで、母はいつも家族全員の食事を作っていた。

私が生まれて初めて焼肉店焼肉を食べたのは、19の時だ。それくらい外食したことがなかった。

から母はたまに私を連れ出して、クルマで40分の自分実家に連れて行った。母は免許を持っていなかったので、倍以上の時間をかけて、バスを乗り継いで。

母方の祖母は一人で定食屋を営んでいたので祖母アジの開き定食を食べるのを楽しみにしていた。

学校友達レストランに行った話余りにも羨ましそうに話していたのもあり、あまり外食できなかった私へ、少なからず罪悪感があったのかもしれない。

母は、近所の田舎特有のしきたりや、慣習にあまり良い顔をしていなかった。七五三には家に近所の人を沢山呼び、祝い酒を振舞うなどのアレだ。だから私の七五三は誰も呼ばず、家族だけで寿司を食べた。

古い考えや慣習に囚われていた田舎の中から見たら少し異質に見えたのかもしれない。

当然、祖父母はいい顔はしなかった。

そんな母の考え方は私も好きだったし、私も受け継いでいると思う。他所他所、家は家。というスタンスだ。

だけど、高校の進路相談の時、私は先生に進学はしないときっぱり告げた。

母は驚いていた。ずっと母がやんわりと敷いたレールを歩んできたと言う自覚は、少しずつだがあった。このまま母と同じような人生を歩むのではないかと言う恐怖があった。

母の事は好きだが、母のように家の為に全てを尽くし、行けもしない旅行雑誌を眺め、溜息をつく生活など耐えられない。そう思った。

今思えば、母が自分趣味らしい趣味をしていた所を見た事がない。おやつの時に作っていたお菓子作りは、趣味だったのだろうかもわからない。

高校在学中に公務員試験を片っ端から受験し、奇跡的にひとつだけ滑り込む事が出来た。家族は喜んでいたが、母は複雑そうな表情だった。我が家はさほど裕福では無かったので、家計を助ける為にも私は早くから働きたかったのだが、母は私を大学に行かせたかったようだった。

仕事は楽しかった。頑張れば認められるし、給料も出る。何より給料が入り、今まで出来なかった事が出来る事や物が買えるのが嬉しかった。

私は母を初めてのボーナス食事に誘った。

会話は、私の仕事、近所の事、テレビの事。

話していて、ハッと気づいた。

母の世界は、こんなに狭かったのか。と。

話題が、テレビ家族と近所しかないのだ。

私は幾度も母に働きに出るように勧めてみたが、父やボケ始めた祖母理由に首を縦に振る事はなかった。

帰りの車内で、母は不意に私を羨ましいと言った。

私は何も言えなかった。

母の事は大好きだし、感謝もしている。だが、私は母のようになれないし、なりたいとも思わない。

母の生き方否定するつもりもない。その権利もない。

家に居ても暇だとぼやく母に、私は実家にある私が集め続けたマンガや、小説を読んでみたらどうかと言ってみた。

私は結構オタクなので、昔から買い集めたゲームマンガ小説がたくさんある。

母は苦笑いをしながら読んでみる。と言った。感想を聞いた事は終ぞなかった。

あれから、十年近く経った。私は結婚し、子供にも恵まれたが、仕事は続けている。

もちろん、趣味ゲーム漫画アニメも買う。酒も飲む。お互いの趣味に口は出さない。

家事は夫と半分ずつ。子供が熱を出せば交代で休む。

母とは真逆人生を歩んでいるとは思う。もちろん、家族の事は大好きであるが、自分趣味人生も楽しみたい。

両親は、今や孫に会うのが趣味かのように毎週家に来る。

たまには、母と二人で旅行へ行きたい。いつも断られてしまうのだが、来年こそは、旅行プレゼントしたい。

anond:20181213013842

凄さで全てを挽回した。やるやんけ

自分毎日やってる建設的なことがひとつもないガチ

2018-12-12

???

シリーズ外食王」第5弾 "超"進化ラーメン新世

1000円の壁”を超える!「食べたことない“珠玉の一杯”」とは

 東京新宿ファッションヒ?ルに入る人気ラーメン店「MENSHO SF」。週末には、若い女性やカッフ?ルたちて?大行列か?。

お目当ては、ハ?スタにも見えるような、オシャレなメニューの数々。サッカー界のスーハ?ースター、テ?ヒ?ット・ヘ?ッカムか?

わさ?わさ?食へ?に来た一杯もあるという。これまでの「ラーメン」とはまるでイメージの違う商品だ。

 こうした独創的なラーメンを生み出すのか?、庄野智治さん(38歳)。原材料や麺、具材まて?、素材は一つひとつ自分の足て?探し出したもの

スーフ?では鯛の中骨をじっくりと煮出し、塩タ?レにはおよそ10種類の出汁抽出、3日かけて仕込む。

麺には岩手産の小麦を使い、店舗で製粉、歯こ?たえや風味にこた?わる…。これまでのラーメンと、まるで“別物”だ。

ここまでして“こだわりの一杯”を提供するには、ある理由があった。それは「ラーメンを、フレンチイタリアン匹敵する料理にしたい」という夢だ。

狙うのは「脱・B級グルメ」。しかし、そこには“1000円の壁”がそびえ立っていた。

一般的に、ラーメンは一杯500円?800円台。1000円を超えるラーメンを出す店はほとんと?ない。

「こた?わって作りたいか?、1000 円以上のラーメンを出すと客か?引いてしまう」のだ。

一方でパスタ蕎麦といったほかの麺類には、平気で1000円を超える価格が…。

業界にも客にも、「ラーメンは安い庶民の食へ?物」という固定観念か?染み付いているのた?。

庄野さん、この“壁”をどうやって乗り越えるのか。誰もが食べたことのないような「珠玉の一杯」づくりが、密かに進んでいた…。

ぼくは希望が持てない

本やテレビ世界では、今日希望戦士絶望と戦っている。

希望絶望を打ち倒し、世界平和が訪れる。

よくある話だ。

人々は希望に惹かれ、絶望嫌悪する。

それがこの世界セオリーだ。

数々の希望の話を見ながら、ぼくは輝かしいと思うと同時に、いつも少しだけ、

ほんの少しだけ恐怖していた。

ぼくは希望が持てない

ぼくはごく一般的な、平和家族の元に生まれた。

優しい父と母に守られ、愛されてきた。

絵に描いたような幸せ家族だ。

ぼくは父と母が好きであるし、家族になんの不満もなかった。

友達にも恵まれていた。

幼少期は少しいじめられたりもしたものの、人との関わり方を覚え、そのいじめっ子とも仲良くなれたほどだった。

というのも、ぼくがいじめられたと思っていたことも、その子に言わせてみればじゃれ合いの範疇だったことがのちにわかたからだ。

ぼくの世界は、平和だった。

平和すぎるほどに平和だった。

そんな幸せ世界にいながら、ぼくはどうしてもフィクション世界の彼らのように、希望を持って生きることができなかった。

3日に一度、末期ガン余命宣告を受けたらと考える。

一週間に一度、隕石地球が滅んだらと考える。

そんな時、いつもぼくの心に表れるのは

羨望の念だった。

もしぼくが末期ガンになって、残り半年の命だったら?

きっと延命治療なんてしない。

できるだけ少ない苦痛の中で、放置していたゲームをやり切り、行きたい観光スポットに赴き、美味しいご飯を食べて、半年後に満足して死ぬ

不謹慎だが、こんなに幸せなことはないと思う。

もし、明日隕石地球が滅ぶなら?

皆が家族の元で最期ときを過ごそうとして、人がいなくなった渋谷スクランブル交差点に、堂々と大量のチョークを携えて立ち、地球最後落書きをしよう。

描き終わったら、地面に描いたでっかい落書き中央に寝転んで、そこから落ちてくる隕石を眺めながら昼寝でもしよう。

きっと最高に楽しい眠りにつけるだろう。

「終わり」について考えたときのぼくの中にあるのはいだって喜びだ。

きっとなんの脈絡もなく交通事故で死んだところで、明日の部屋の掃除をしなくても良くなることを喜ぶ自分がいるのだ。

明日が来ないこと、それこそが僕の救いだ。

だらだらと毎日が続いてしまったら、きっと放置していたゲームをやり切ることなく、行きたい観光スポットにも一生行かず、独り暮らし節約だけを考えた特に美味しくもないご飯を食べる生活が続く。

人の迷惑を一番に考え、スクランブル交差点で地面に落書きなんて絶対にできない。

「終わり」を考えると恐ろしいと、友人は言った。

隕石で、地震で、地球温暖化で、何かしらの大きな力で、無慈悲に人の今までの営みが消されていくのが恐ろしいと。

話を聞きながら、そうだねと相槌を打ちながら、人の営みが消されることに恐怖を覚えると言うことを、どうしても理解できずにいた。

人間は高度な文明を持ちすぎたせいで、自分地球上に生まれ動物ひとつだということを忘れがちである

動物」と「人」を分け、動物無意識に見下し下等生物だと思っている節がある。しかし、人間はただの動物に過ぎないと、神《ここでは生物支配できない天候、運命等を言う》になることはできないのだと、ぼくは常々思う。

しろ動物を超えてしまった何かになっていたのだとしたら、ぼくは僕の心臓が動いていることすら恐ろしく感じる。

たくさんの動物がこれまで絶滅してきた。隕石で、地震で、地球温暖化で。

人間がそれらの神の力によって死に絶えることが出来るなら、ぼくは人間が地上に存在して良い生き物であったと、やっと安心することができるだろう。

ぼくは、いずれ人間が滅ぶことを、心の底から望んでいる。

ぼくはきっと、希望戦士から見たら倒すべき思想を持っている人間だろう。

きっと倒されて光の力に圧倒され、希望を持てるようにされるのだろう。

でも僕は、希望を持つことが何よりも恐ろしいのだ。

希望を持った人が、その希望が続くと信じて、その希望が失われた時、その先にあるのは深い悲しみと絶望だろう。

でも、希望に触れた人が、いずれこの希望は消えると思っていたら、いざ本当に消えてしまったとき、たしかに悲しいけれど、心の準備ができていた分苦しまずに済む。

後ろ向きなことを言っていることは百も承知だ。

でも、これはぼくなりの心の防衛なのだ。期待せず、希望を持たず、諦める。

もちろん100%後ろ向きな訳ではないが、心のどこかで諦観を持っておく。

希望を持つということは体が浮いてしまうような漠然とした恐ろしさを感じる。

諦観を持っておくことで心に重石ができて、地に足を付けることができる。

「死」は、「終わり」は、僕にとってはエンドではなくフィニッシュだ。

終わりではなく完成なのだ

どうせならヨボヨボの状態でなく、現在の最高点でフィニッシュさせてしまいたい。

忘れじの 行く末までは 難ければ

今日を限りの 命ともがな

(「忘れない」と言ったあなた言葉最後まで変わらないのは難しいだろうから、私はその言葉を聞けた今日死んでしまいたい)

この和歌を歌ったのは儀同三司母という人であり、この歌は恋のうたであるが、ぼくはこの人の気持ちがよくわかる。

きっとこの人も、この幸福状態のまま自分人生を完成させてしまいたいと思ったのだろう。

希望を持つことは素晴らしい。それは同感だ。

ぼくも希望に憧れるし希望に向かって進む姿はかっこいいと思う。

しかし、ぼくがそれをやれと言われたら、きっと迷子の子ものように前に進むことができず立ち尽くしてしまうに違いない。

フィクション世界の悪役のように、人々を絶望に染めてやろうとは思わない。

でも、ぼくにとってぼくのネガティブ思考は、長年連れ添った相棒であり、ぼくの心を守ってくれた騎士でもある。

ぼくはきっと一生こいつを手放すことができない。

希望戦士にも悪役にもなれず、少しだけ希望に恐怖しながら、一般人として生きていくのだろう。

楽譜見ないと弾けないって

ある程度楽器が出来て、弾こうとしてる曲が知ってる曲、歌える曲なのに「楽譜見ないと弾けない!」っていう人って結構いるけどあれってなんでなの?

煽りとかじゃなくて純粋に疑問なんだが、例えばピアノギターなら指でおさえた場所で決まった音が出るじゃん

で、曲を歌えるんだったらどの場所おさえたらその曲と同じ響きの音が出るかとかわかるよね

極端な話コードなんてひとつも知らなくても聞いたことのある曲だったらメロディベース音くらいは弾けると思うんだけど(うまいかどうかは別として)

なんか変なこと言ってたらごめん

つたわるかな

あと楽譜見なくても弾けるのが多数派だったら勘違いだわごめん

anond:20181212120747

👍偏見に満ちた、乱暴なご意見ありがとうございます

「奥さまの名前サマンサ、そして、旦那さまの名前ダーリン

 ごく普通ふたりはごく普通の恋をし、ごく普通結婚しました。

 でもただひとつ違っていたのは奥さまは魔女だったのです。」

有名なドラマナレーションですが、「ごく普通ふたりはごく普通の恋をし、ごく普通結婚しました。」

普通」という表現は、「ありがち」「平凡」みたいに使われていて、

 これにとやかく言うような人っていらっしゃるのですか?

ナレーションは良くて、一般人がつかうといけないのですか?

https://anond.hatelabo.jp/20181211122520

ラーメンそうめん汁物をお行儀よく食べなければ大変なことになる

サラリーマンなどは白いシャツを着ている

紡績企業はできるだけシャツを売りたいから「できるだけ汚せ」という指令を出している

昔は全綿製品ダンピング輸出できるほどの利権団体だった

インパール作戦も指示したはずだ

欧米人他人の儲けは嫌いだから、食べ方ひとつとっても用心深いんだよ

anond:20181211122520

>もうひとつ疑問があるとしたら、好意を寄せてる人とラーメンに行く機会があったときに皆さんがどちらを選択するか気になりますね。

>すすって食べたほうが正解なのか、すすらず食べたほうが正解なのか。

別に関係ないでしょ。すする人は誰と言ってもすするしすすらない人はすすらないよ。

しろ普段はすすってるのに人前ですすらない人間偽善者だ。

2018-12-11

NTTを変えるたったひとつ方法

NTT退職エントリ話題になっている。

いろんな指摘があるが、NTTをイノベーティブな企業に生まれ変わらせるたったひとつ方法がある。

それは

課長以上をすべてクビにすること」

である

そうする以外に変わる方法はないと思う。

ビエネッタのまるごと食い

ビエネッタ、切って食べるタイプのやつ 子供の頃大好きだった

夏に食べるアイスじゃなくて、冬クリスマスが近くなるとお店に登場して

ときどき誰か大人が買ってきて切って出してくれた ぱりぱりのチョコレートがすごくおいしくて

時間が経って溶けかかったバニラアイスクリームがすごくなめらかでその対比に子供心にめちゃくちゃしびれた

でもいつも大人が切ってくれる4センチから8センチくらいの姿のビエネッタしかたことなくて食べたことなくて

から出されたそのまんまのでかいビエネッタが「贅沢」という言葉のものの姿だと思った

いつかあれをまるごと、切らずにはじっこからフォークをさして一人で食べたいと思った

そんなふうに小さい頃から甘いものが好きで、大人になったいま立派な甘味マニアに成長して

あちこちのお店の洋菓子から和菓子からとにかくいろいろ食べ歩くようになって

クリスマスにはビエネッタどころか好きなお店のホールケーキをまるごとそのまま

はじっこからフォークをさして食べる一年に一度の愉しみも覚えた

こういう趣味から体型と金銭の管理のために市販お菓子ほとんど食べなくなってしまって

結果ビエネッタからも長いこと遠ざかっていたんだけど

それでもあのまるごとのビエネッタに対する「ものすごい贅沢」という気持ち

今でも変わらずそのままあってなんだかすごく特別なまま残ってるということに

きのう久しぶりにスーパーアイス売り場を覗いてみて気がついた 

今やお店のカットされたケーキひとつより安いまるごとのビエネッタなのに

なぜこんなにもあの横長の箱の姿にときめくのだ!というくらいときめいた

買って急いで帰って一度冷凍庫に入れ気持ち落ち着けきれいなお皿出してきて箱を開けて中袋を開けてまるごと取り出して

しげしげ眺めたあとはじっこからフォークさして食べました すっっっっごくおいしかった 子供の頃の印象よりおいしかった

クリスマスに食べるいい素材いいお値段のホールケーキまるごとより強い幸福感で満たされてすっかり幸せになってしまった

思い出とかいろんな要素が絡みあっていま自分は舌と違うところで味わっているな、

カップタイプだとこんな風に感じたりしないだろうな、と頭のどこかで思いながら

でもそんなことどうでもよくなるくらいとにかく贅沢で贅沢で、とてもとてもとてもおいしかった

ちょっと忘れかけてた子供の頃の自分の夢を今更叶えてやった昨日だった これから一年に一回やろうと思った

 

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