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はてなキーワード: 時代とは

2019-03-24

丈夫なだけで中身が無い武士しかいなくなった

 明治から昭和平成にかけて、確かに武士日本の女の醜悪さを否定していたが、

社会が完成してきたから、段々と、ある程度は認めてもいいのではないか、と考える

人が増えてきて、武士女子供もあるレベルまでは生きられるちょうどいい最高の社会

最近まであったが、警察ヤクザに、暴力でその系譜を守ろうとする者がいなくなり、

平成時代武士になった女は、なんで自分たちは丈夫に勉強してきたのに、遊んでいた

女子供を守らなきゃいけないのよとしか考えず、大きなことを考えないクソ武士ばかりになり

遊んでいた女子供は、善の武士暴力で防止しなかった悪の武士ヤクザがけしかけた女子供

反乱に勝てなかったし、クソ性格いから、ボロ泣きして逃げた。

 とりあえず、昔の人の事務処理を引き継ぐ覚悟を失った警察検察ヤクザ真犯人から

この辺を狙ったほうがいいのではないか

 それから、何で自分平成時代に遊ばずに丈夫に勉強してきたのに、遊んでいた方を助けなきゃいけないのよ

と考えていたクソ武士も、実は平成時代に成績競争で散々自慢していたから、処刑すべき。

 結論から言うと、善の武士に、丈夫なだけで意味のないゴミが増えたのと、悪くて丈夫な奴が悪い日本人をけしかけて

暴走したときに、警察が何もしなかったからこうなった。

anond:20190324194606

ファン多様化して流行というものが無くなったとか言われてる時代に生きてるとは思えねえな…

anond:20190324192245

デジタルネイティブ世代はわざわざ訓練によってその境地を得ないといけないと思うと時代革新胸熱

次に来るVRネイティブ自分の目で世界を見ることに恐怖を覚えるんだろうと思うとわくわくする。

さらにその次は最初から異世界で生まれ世代とか出てきそう。

人類は夢の実現に向けてテクノロジーフライアウェイだぜ。

anond:20190324190454

ジャンプ漫画

時代が進むにしたがって

アニメ化などのメディアミックス視野に入れるようになってきたこから

自ずと少女層も

マーケティング的に狙ってきてるでしょ

既に聖闘士星矢とか設定にギリシャ神話を取り込んで少女層にもアピールするとか記述されてるし

80年代くらいか過激描写、たとえばヤンキーとかド根性とかエロ的な描写かに関してどんどんマイルドになってるたろうし

VTuberファンとしての窮屈さ

唐突であるが、月ノ美兎というバーチャルアイドルを知っているだろうか。

美兎ちゃんはすごい。すごいのである天才

先日ついにアマガミの実況配信が終了したが、全話通して死ぬほど面白かった。VTuber生放送をする方達の中では正直一番面白いと思う。

唐突ダッチワイフのお店に行った話をしだすし、涼宮ハルヒ圧縮かいワードがいきなり飛んでくるぐらいカオスである

そんな彼女の魅力はなかなか言語化しづらいけど、中でもすごいところはインターネット老人会の皆さまのハートを鷲掴みにする力である

僕を含め、彼女動画を好む人たちはある程度インターネットを熟知しているんじゃないだろうか。

中学校時代おもしろフラッシュ倉庫に夢中になり、それ以降ニコニコ動画を見るようになり、オンラインゲームにハマったり、vipなどで日々くだらないスレを立てたり。

そんな人間が多いように感じる。そして現在大学生なり社会人になり、過去楽しいインターネッツとはおさらしかけている。

そこでその懐かしき記憶を思い出させてくれるのが美兎ちゃんである彼女は僕たちが忘れていたようなことも簡単言語化する。先の涼宮ハルヒ圧縮とか。

このタイプの魅力は彼女コラボしていたARuFaさんや、ダ・ヴィンチ・恐山さんのようなインターネット界のスターたちと同じタイプである(匿名ラジオマジで面白いのでみんな聴こう)。彼らのような面白さに女性VTuberという意外性の要素が加わったのだから、もはや無敵としか思えない。

美兎ちゃんの魅力はここまでとして、それぐらい僕はVTuberが好きだし、もちろん他のVTuberも好きである

ただ最近、窮屈に感じていることがある。それはツイッターを中心とした周囲のファンたちの環境である。美兎ちゃんのような人気VTuberたちには熱狂的なファンがいる。そして彼らはコミュニティ形成し、VTuber界を盛り上げるために尽力している。一方で、自分コミュニティ内で人と絡むのは苦手なタイプである。同じVTuberファン同士なので彼らと相互フォローはするし、ときどきリプライを送りあう程度には社交性はある。しかVTuber界隈はみんな優しい。しかしながらそれ以降の、オフ会のような一線を超えたような繋がりを持つ気にはなれない。そこまでして馴れ合っても時間無駄のように感じてしまう。

けどそのような気持ちがあるはずなのに、ツイッターで、リアルイベントオフ会をしている写真タイムラインに流れてくると、なんだか自分は置いていかれたような気持ちになる。そしてなんだか不安気持ちになる。いっそツイッターをしなければいいじゃんとは思うが、大抵のVTuberは前提としてツイッターを多用するので、結局見てしまう。

この考えは間違っているということは自覚している。コンテンツ主体VTuber本人であり、ファンとの交流ではない。

これは他のコンテンツももちろん当てはまる。音楽アーティスト熱狂的なファンを見てもそう思う。ライブに行くと、最前列のあたりの人たちはみんなすごいのだ。そして「自分は彼らのようにはなれない。熱中できないんだ。」という気持ちに謎の悔しさを覚える。グッズを全部揃えたり、遠征するつもりもない。自分中途半端さに若干ムズムズする。

そういう人間的な弱さを認めた上で、最近は無理に交流することを諦めた。一線から退いた気分であるツイート数は減り、気になったときだけいいねしたり、リプライを送るようになった。生放送を無理して追うことも諦めた。まして時間が被っている複数配信を同時視聴する(複窓)ことなど論外であるアーカイブも倍速で見たりすることが頻繁になった。ニコニコの切り抜き動画にはすごい助けられている。

こんな風にテキトーに見るようにするとかなり気持ちが楽になった。所詮娯楽なのだから暇な時に見ればいい、全てのアーカイブを見て配信を追うことが正義ではない。熱狂的なファンコミュニティでは目立つだけで、大抵はサイレントマジョリティー的なファンばっかなのである熱狂的になれないことを悔やむことはない。

結局のところ、自分にとってはいい感じにバランスをとって界隈と接触することが、好きで尊敬しているVTuberさんたちを安定して応援でき、それが結局自分幸せに繋がっているのである

余談

月ノ美兎ファンとして有名だった杉ノ美兎さんもツイッターから離れていたが、先日ツイートをしていたので安心した。

生活していけない」とかいって反乱起こしたバカ

 じつは平成時代に一流大学旧帝大医学部を経由して食品会社製薬会社就職した

超絶一流エリートがいたから、生活できない、というのがクソウソで、自己正当化してただけなのが

ばれた

 飯も薬もあるし、生活していけない、というのがウソだったし、お前が変わりに提示した社会

最悪すぎて、昔が超絶良かったのもばれた

この島で面白いことが無いと困るのはまだ若いクソガキだけで

 俺はもうこの島で散々楽しんで飽きたから、「ない」とか言われても何も思わないし

後の人生健康が全てで、飯食って寝られればいいからどーでもいいわ

 健康のことしか頭に無いんだよ。ゲスイことは1995年から2006年の間にヤクザ

散々考えてくれて、死ぬほどはしゃぎまくった

 もう年だからはしゃぐと危険だし、後は健康と、飯と薬のことしか興味が無い

ガキに面白いことがないことなんか知ったこっちゃねー。俺が若い頃ほど優れて楽しいことも無く

単にネットで頭の悪いことしてるだけのようだし、魅力ないし素晴らしくないから殺したわ

俺の時代は最高だったよ

期待値を下げすぎるのも問題だな

氷河期世代、一応有名企業事務系、奥さんと子1人

世間で言えば勝ち組だと思うが、なんだか人生無駄にした気がしている

昨日まで自分人生に満足していた。普通に暮らせるし家族もいるし将来もそこまで不安じゃない。

満足した、というより無理やり満足させたというほうが正確かもしれない。

職場ではパワハラ上司理不尽な客に何日も徹夜させられた。労働時間でいえば労基署が何回入ってもおかしくない。

もちろん残業代なんてフルで出ない。今とは違う生き残りをかけて歯をくいしばるのが当然の時代だった

上が詰まっているか10年昇進していない。俺が無能なせいもあろうがバブル期入社してれば課長くらいにはなっていた気がする。

それでも満足していた。俺は仕事が好きで、苦労も楽しめる性格だと思い込んだ。上司や客から理不尽要求もいい経験だと。

40を過ぎた今、低みを見すぎたのではないかと後悔し始めた。会社は業績順調で職場環境はだいぶよくなった。

徹夜とかサビ残なんて20代の子達に言っても信じてもらえない。

サバイバル時代を長く生き過ぎたせいで、定時に帰れる環境になっても帰ることに罪悪感を持ってしまう。土日フルで休むことも。

社内のやらなくていい雑用を率先してやってしまう。恩を売りまくることがサバイバルするための術だと思い込んでいたから。

間違っていると思っても声をあげずに淡々と取り組むようになってしまった。波風立てないのがサバイバルするための条件だと思ったから。

結果的に固有スキルほとんどないハードワークだけが取り柄の調整型人間になった。

おそらく尖ったスキルを持った若い子に早晩抜かされるだろう。

子供大学に入るまでにクビになることはなさそうだが、どうかわからない。

ローリスクを狙いすぎてミドルリターンも取れなくなってしまった気がする。

anond:20190324125705

製造業生産性は高いのに、ホワイトカラー接客業生産性がかなり低いので足を引っ張ってるってこと。

人口が増えない時代経済成長するには、生産性を向上させるしかないんだ。

しろ生産性が低い分野は成長余地があるとも言える。

自分成功体験押し付けリーダーっているよな

社員スキル時代も違うのに一方的押し付けてきて

やり方を改良するとブチギレる

なぜ悪いのか、どうしたら良いのかを一切指導せず「考えろ」という

その実、自分でも正解は出せていないんだろうな

浪人をすることになった人へ

~~はじめに

 もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。

 (することになった,というのは,したくてしたわけではないかである。)

 人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。

 どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。

 そのとき書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。

 これは遠い昔の一受験生出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。

 時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。

 もっと大きな方法論の一例として見ていただければと思う。

 大事試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。

 人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。

 その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。

 なお,前提として,私は小中高と地方公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。

 高校時代部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。

~~気持ちの立て直し方

 それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生のものだった。

第一志望しか受験していなかったので,選択余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止め合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。

 それくらい,浪人するということについて,落胆していた。

 同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくともも一年,いろんなもの我慢して勉強に向かう生活余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。

 ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまたことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。

 現役で大学生になる身近な同級生想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまたことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。

 今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。

 またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。

 そうだとすれば,まだコントロール可能範疇に属している,未来を変えることで,過去出来事意味合いを変化させるしかないのではないか

 来年合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。

 期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか

~~戦略

 以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。

 再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実合格できなければ全く意味がない。

 このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。

 目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。

 自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。

 そうなるためにはどうしたらいいのか。

 以下は,自分の中で描いたイメージである。 

 受験において,本番で出題される試験問題のものコントロールできない。

 自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。

 そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分順位としては,一定の幅が生じると想定した。

 自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置自分の実力を示していることになる。

 受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることであるそもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。

 自分の実力を客観的見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないか分析した。

 この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。

 以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。

 このようにイメージした。

~~戦術

 次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。

 ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。

 それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。

 先に述べたように,受験の本番では,試験問題コントロール範囲である受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである

 この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。

 また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。

 これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。

 受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率得点につなげられるようにしておかなければならない。

 その観点から模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。

 知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである

 一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。

「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態絶対に起こしてはならない。

 そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。

 その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。

 以上は基本的自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較視点も生まれていた。

 正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである

 自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。

 このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単問題でも意外と間違えてしまっているのである

 この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機見出した思いがした。

 とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。

 難問というのは,どんな問題が出るかもわからいから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。

 しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。

 このとき受験生活の中で,初めて具体的な見通しがついた。

 時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。

 以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。

 自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。

 より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである

 知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである

 復習は徹底的に行うようにした。特に記憶重要となる社会の科目などは,一日の勉強最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。

 具体的には,使っているノート基準最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。

 ノート最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。

 これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。

 そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。

 当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。

~~結果

 以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。

 これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要試験だった。

 浪人生活を開始するにあたって,自分の中では目標があった。

 「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学模試で100位以内に入ることを目標としていた。

 当時,志望学部合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。

 蓋を開けてみると,夏の大学模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。

 自分で定めた目標クリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。

 想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。

 (それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)

 しばらく経つと,もう一つの大学模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分もびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。

 ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。

 その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学模試では13位と14位という結果だった。

 受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。

 予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。

 合格確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。

~~まとめ

 方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。

 全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。

 それを前提として,自分浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。

 まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。

 何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。

 「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。

 それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。

 「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である

 そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。

 時間しろエネルギーしろ資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態自分を持っていくことが必要になる。

 不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である

 自分の周りの環境自分コントロールすることはできないということをまざまざと体感した。

 一方で,自分はいくらでもコントロール可能なのだ

 不合格回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。

 二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。

 先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。

 小中高と地方公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。

 自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベル受験生相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。

 後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまり想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。

 当時,浪人時代灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。

 生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。

 浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの

anond:20190324084944

放置しても何も起きないのが「区別」。それを正そうとする力が働くのが「差別」だ。

それこそ女性専用車両文句言ってる増田かいるじゃないか

賛成するか反対するかはともかくとして、とりあえず現状区別とされているもの文句つける奴は実際にいて、いるけど存在しないことにしてるだけ

だいたい今の差別とされているものだって昔は正当な区別だったのが、後付けで遡及的にあっやっぱりこれ差別でしたってことになっただけだろうが

から差別区別、不当と正当のはっきりした境界なんてないし、せいぜいが単なる力関係の結果に過ぎない、時代が変わればコロコロ変わるのだってそのせい

差別放置することは、誰にとっても利がない。

そしてこれだって単なる都合のいいフィクションしかない

差別で得する奴」も「区別で損する奴」もいるけど、そいつらはパワーゲームに負けたか無視されてるだけなんだよ

つーかなんで天皇の都合で勝手時代区切ってるわけ?

しろ天皇じゃねえ、みんな勝手に決めた勝手区切り区切りたがりかよ

そう考えると昭和とかも全然あやしいよな

年号によってはめちゃ長かったり短かったりするし雑すぎる

そんで勝手に寄ってたかって平成最後だなんだかんだ言って勝手に区切るの腹立ってきたわ

こんなに終わらせたい奴が多いんじゃ、現世にすら満足してないだろ

anond:20190324043306

公務員の公金横領とおなじくらいのレベル金融機関社員による横領も行われているんやで

正社員時代はそれなりの身元保証を求められたけど、金融機関にも非正規が入り込んでいる現在はバレなきゃ丸儲け

相手ボケ老人とみるや勝手預金を下ろして使い込むなんてへっちゃらだぜ

そもそも所属している組織小金持ち相手押し貸しして担保取り上げてナンボな商売しているところにモラルもクソもねぇ

anond:20190324043609

国の福祉もあてにならない時代から気を付けろってこと

anond:20190324041227

雇用年金でさえ不安な層もいる時代から、老後もギリギリまで働いて、生活保護、そこから一気に死亡コースかな

老後も有利になるような職種技能資格を考えるぐらいしか対策はない

鹿児島県姶良病院」院長に暴力団脅迫された過去!?

ネット上にこんな記述があるが・・・

県立姶良病院消火器テロ事件について語ろう

79 2018/12/20 07:50

現院長は、他にも副院長時代に、ヤクザ患者の反感を買い、病院にその患者の仲間達の小桜一家がやってきて、沢山のベンツがやってきた。そして、外来玄関前でクラクションを派手に鳴らされ、その仲間達によって、現院長が刀を持ったヤクザ達に院内中派手に追い掛け回されて、怖くなって逃げ回った経験がある。そして、ヤクザ達に捕まった途端、必死で命乞いをしたというエピソードもあるらしい。この時も職員通報をするなと必死圧力をかけたという。

https://bakusai.com/thr_res_show/acode=10/bid=1304/tid=7126995/rid=581527553/word=%8F%AC%8D%F7%88%EA%89%C6/

鹿児島県姶良病院 院長

1983年鹿児島大学医学部卒業鹿児島大学医学部附属病院神経科精神科医員、

県立鹿児島保養院医長などを経て、2013年から現職。

https://k-ijishinpo.jp/article/%E7%9C%8C%E5%86%85%E5%94%AF%E4%B8%80%E3%81%AE%E5%85%AC%E7%AB%8B%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%A7%91%E7%97%85%E9%99%A2%E3%80%80%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%AE%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%81%AB%E5%BF%9C%E3%81%88-2/

鹿児島県姶良病院

鹿児島県姶良市平松6067 TEL:0995-65-3138 FAX:0995-65-8044 E-mail.air-hos@pref.kagoshima.lg.jp

http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/

小桜一家

鹿児島県本拠とする暴力団

指定暴力団であり、本部を置く鹿児島県内を専らの活動地としている。

縄張りとする鹿児島県内への他暴力団組織の侵入を許さず、同時に自身も他県へは進出しないとする独自方針を掲げてきた。警察庁はこれを指して『小桜モンロー主義』と言い表している。

https://xn--pcko0l.net/index158.html

・・・仮に事実として、この人物が院長に就任する前の副院長時代とは恐らくは2013年以前の出来事だろう。

「県立」病院の副院長が公の病院内に民暴の侵入を許し、そしてそれを県庁にも警察にも通報しなかった!?

・・・仮に事実として、なぜこんな大事件が許されているのか不思議

鹿児島県庁ってそんなにユルユルなの?

飛行機乗っても全然窓の外見ないやつなんなの?

怖いんですけど

てか席変われよ

お前だよお前

窓際予約しといて窓の外見ないとか

さすがに席変われよ

だって1万メートルだぞ??

エベレストでも8000

飛行機が無いと絶対行けない高度なんだが

毎日飛行機乗ってるとしても外見るだろ

俺は年間10回乗るかどうかだけど

窓際の席になると超テンション上がるんですけど?

通路側になってもチラチラ窓見るんですけど?

夕日とか夜景が見えたらトイレいくふりしてトイレの近くの窓から見るんですけど?

考えてみ?

人生80年だぞ?

まれ変わって違う時代とか違う文明とか違う惑星に転生したらもう見られないかもしれない景色だぞ?

なんで見とかないの?

雲海だぞ?

山だぞ?

海だぞ?

街だぞ?

夜景だぞ?

夕日だぞ?

俺は登山するからわかる。

山の風景はすごいけどあの風景もすごい。

どれだけ自分で歩いても絶対見れない景色だ。

今の文明がなかったら絶対見れない。

見ないでスマホいじってるとか信じられないんだが

あれ東海道新幹線じゃね?とか

あれ海ほたるじゃね?とか

あれ花火じゃね?とか

あれ富士山じゃね?とか

やらないの?

めっちゃ面白いのになんで見ないの?

新幹線戦争で爆破されたらもう見れないし

富士山噴火したらもう同じ形じゃ見れないんだぞ?

スカしてるの?

スカしてるのか?もしかして

飛行機で窓の外眺めるとかダセーって思ってんの?

その考えが一番ダサいよ?

いやわかる

飽きるよな。ほとんど雲だし。

飽きるんだわ飛行機から風景って。わかる。

あんまり高度高いと地上はよくわからないもんな。

でも飛んでる間1回も外を見ないやつ何?怖いんだけど

離陸してから1回も外見ないってありえなくね?

外を見るのが怖いのか?

じゃなかったらスカしてんだろ

違うのか?

答えろよ

スカしてんだろ?

隣の席のお前だよ、お前。

anond:20190324014701

そうね。

最近シェアリングエコノミーって言うじゃない。

からきっと彼女彼氏専有せず、共有する時代がくると思うんだよね。

というか、ある意味すでになってるよね。

結婚しない生き方が増えてるっていうのは、他人他人人生専有することに対する違和感から来ているはずだ。

から今は慌てず座して待つだけでいいと思うよ。

同じ会社に勤め続けてるだけで収入が増えていく時代だっただけなのに

自分の力で生活を豊かにしていったとでも思っているのか?

2019-03-23

anond:20190323232252

ネット以前の時代だったら歌詞の一部で曲名がわかるなどありえないことだった

これかこれかこれかとレンタルを繰り返して何年も要して結局発見できないことも多かった

多くの疑問も直球で答えを得るのは難しい

文章的な疑問は検索過程でほかの知識も埋まっていくからネットがないことが必ずしも悪いとも言えないけど

謎がずっとの謎のままいつか疑問自体も忘れてしまう無上の心がネット時代になってからは即解消で経験しない

日本人は昔から失敗ばかりだが

 一般的には自分のために興奮して爆死した奴ばかりで、功績のあるのは特定個人で、それ以外は

クズばっかだが。ましてやクソガキや原始日本人最初から下劣クズだし、歴史上、立派な人がちらほら

いたというだけで、圧倒的多数は、自分のためにトチ狂って一発盛り上がって爆死した奴ばっかりだが。

 平成ではもうそんなことは研究済みだったので、大きな話はしないし、子供は失敗だらけでいい、どうでもいい

日本に生まれた時点で終わりというのは、決まっていた時代で、なんでもありだったが、その中でもやはり昭和みたいに

盛り上げたいというヤクザがいて11年くらい昭和みたいに盛り上がってこの都会ができたが、やっぱりクソガキだったんで

あっさり死んで死ぬほど性格が悪いことになって現在があり、明治時代昭和時代最後は哀れだったが、平成はそれ以下になった。

一般的に言うと、明治天皇及びその周辺の官僚と、昭和天皇と周辺の文人が偉く、昭和オヤジ戦後30年は結果を出して悦に入って

いたが、昭和50年代に、爆死し、平成時代に散々正体を現して児童虐待に走ったし、どいつもこいつも最悪だよ。

ニート卒業しま

4月1日から社会人として世にでることになりました。

肩書正社員。俺なんかがという気持ちもある。

面接の時にニート時代をすべてさらけ出したというのが好印象だったようで、言ってしまえば暗い過去を話すことが出来たという勇気が良かったと言っていた。

そして、軟弱者社会人になるためのリハビリ期間を作ってくれるらしい。ゆっくりと2ヶ月かけて生活を正しくする方針のようだ。

辛いことがあったらまた投稿したり、幸せそうな増田を見に行くと思う。みんな、社会人としてよろしくねがいします。

悪名高き高輪グリーンマンション事件最高裁判決

 日本刑事司法お祭り騒ぎ状態でまだまだ完璧にやらないといけない時代で、警察官の有形力の行使方法に関する判断基準定型的だが、結論としては、法廷意見が、昭和オヤジ警察官に有利に扱っていて調子に乗っていた時代

任意捜査においては、強制手段、すなわち、「個人意思を抑圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的捜査目的を実現する行為など、特別根拠規定がなければ許容することが相当でない手段」(最高裁昭和五〇年(あ)第一四六号同五一年三月一六日第三小法廷決定・刑集三〇巻二号一八七頁参照)を用いることが許されないということはいうまでもないが、任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べは、右のような強制手段によることができないというだけでなく、さらに、事案の性質被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度等諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし様態及び限度において、許容されるものと解すべきである。」

 という判断基準は、実に完璧主義で、定型的であり、やる気は感じられるが、趣味は感じられない。

 補足意見で別の裁判官が、任意捜査としてはやりすぎで違法という冷静な意見を述べたが、当時の興奮した最高裁では採用されず、警察官を勝たせる意見法廷意見採用された。このように、一種興奮しすぎた権力実態が横行していた時代であったが、昭和60年に、昭和オヤジの機長が起こした日航機墜落事件が発生した。

 このような興奮しすぎて、判断基準定型化していた当時の権力状況と、何か関係があるのだろうか。

S59.02.29 第二小法廷・決定 昭和57(あ)301 殺人(第38巻3号479頁)(高輪グリーンマンション事件

主    文

     本件上告を棄却する。

     当審における未決勾留日数中六〇〇日を本刑に算入する。

         

理    由

 一 弁護人加藤満生、同猪狩庸祐、同沼尾雅徳(以下「弁護人ら」という。)の上告趣意第一点の一のうち、判例違反をいう点は、所論引用判例は非供述証拠に関するものであつて事案を異にし本件に適切でなく、その余は、憲法一条、三三条、三四条、三八条違反をいう点を含め、また、被告人本人の上告趣意第一第一ないし第五の、被告人に対する取調手続違法理由として憲法三条、一八条、三一条、三三条、三四条違反をいう点は、いずれも実質は単なる法令違反の主張であつて、すべて適法な上告理由にあたらない。(職権判断

 1 第一審判決及び原判決認定するところに記録を併せると、被告人に対する本件取調べの経過及び状況は、おおむね次のとおりである

 (1) 昭和五二年五月一八日、東京都港区ab丁目c番d号eマンシヨンf号室の本件被害者A方において、被害者が何者かによつて殺害されているのが被害者の勤め先の者によつて発見され、同人通報により殺人事件として直ちに捜査が開始され、警視庁捜査一課強行犯二係を中心とする捜査本部が所轄の高輪警察署に設置された。犯行現場の状況等から犯人被害者と面識のある者との見通しのもとに被害者生前の交友関係を中心に捜査が進められ、かつて被害者同棲したことのある被告人もその対象となつていたところ、同月二〇日、被告人は自ら高輪警察署に出頭し、本件犯行当時アリハイがある旨の弁明をしたが、裏付捜査の結果右アリバイの主張が虚偽であることが判明し、被告人に対する容疑が強まつたところから、同年六月七日早朝、捜査官四名が東京都大田区gh丁目i番j号所在のB荘(被告人の勤め先の独身寮)の被告人の居室に赴き、本件の有力容疑者として被告人任意同行を求め、被告人がこれに応じたので、右捜査官らは、被告人を同署の自動車に同乗させて同署に同行した。

 (2) 捜査官らは、被告人の承諾のもとに被告人警視庁同道した上、同日午前九時半ころから時間余にわたつてボリグラフ検査を受けさせた後、高輪警察署に連れ戻り、同署四階の三・三平メートルくらいの広さの調べ室において、一名(巡査部長)が主になり、同室入口付近等に一ないし二名捜査官を立ち会わせて被告人を取り調べ、右アリバイの点などを追及したところ、同日午後一〇時ころに至つて被告人は本件犯行を認めるに至つた。

 (3) そこで、捜査官らは、被告人に本件犯行についての自白を内容とする答申書を作成させ、同日午後一一時すぎには一応の取調べを終えたが、被告人からの申出もあつて、高輪警察署長宛の「私は高輪警察署でAさんをころした事について申し上げましたが、明日さらにくわしく説明します。今日は私としても寮に帰るのはいやなのでどこかの旅館に泊めて致だきたいと思います。」と記載した答申書を作成提出させて、同署近くのCの宿泊施設被告人宿泊させ、捜査官四、五名も同宿し、うち一名は被告人の室の隣室に泊り込むなどして被告人挙動監視した。

 (4) 翌六月八日朝、捜査官らは、自動車被告人を迎えに行き、朝から午後一一時ころに至るまで高輪警察署の前記調べ室で被告人を取り調べ、同夜も被告人帰宅を望まないということで、捜査官らが手配して自動車被告人を同署からほど近いホテルDに送り届けて同所に宿泊させ、翌九日以降も同様の取調べをし、同夜及び同月一〇日の夜はEホテル宿泊させ、右各夜ともホテルの周辺に捜査官が張り込み被告人の動静を監視した。なお、右宿泊代金については、同月七日から九日までの分は警察において支払い、同月一〇日の分のみ被告人に支払わせた。

 (5) このようにして、同月一一日まで被告人に対する取調べを続行し、この間、前記二通の答申書のほか、同月八日付で自白を内容とする供述調書及び答申書、同月九日付で心境等を内容とする答申書、同月一〇日付で犯行状況についての自白を内容とする供述調書が作成され、同月一一日には、否認供述調書(参考人調書)が作成された。

 (6) 捜査官らは、被告人から右のような本件犯行についての自白を得たものの、決め手となる証拠が十分でなかつたことなどから被告人逮捕することなく、同月一一日午後三時ころ、山梨市から被告人を迎えに来た被告人の実母らと帰郷させたが、その際、右実母から「右の者御署に於て殺人被疑事件につき御取調中のところ今回私に対して身柄引渡下され正に申しうけました」旨記載した高輪警察署長宛の身柄請書を徴した。

 (7) 捜査本部ではその後も被告人自白裏付けるべき捜査を続け、同年八月二三日に至つて、本件殺人の容疑により前記山梨市の実母方で被告人逮捕した。被告人は、身柄を拘束された後、当初は新たなアリバイの主張をするなどして本件犯行否認していたが、同月二六日に犯行自白して以降捜査段階においては自白を維持し、自白を内容とする司法警察員及び検察官に対する各供述調書が作成され、同年九月十二日、本件につき殺人の罪名で勾留起訴された。

 2 右のような事実関係のもとにおいて、昭和五十二年六月七日に被告人高輪警察署任意同行して以降同月一一日に至る間の被告人に対する取調べは、刑訴法一九八条に基づき、任意捜査としてなされたものと認められるところ、任意捜査においては、強制手段、すなわち、「個人意思を抑圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的捜査目的を実現する行為など、特別根拠規定がなければ許容することが相当でない手段」(最高裁昭和五〇年(あ)第一四六号同五一年三月一六日第三小法廷決定・刑集三〇巻二号一八七頁参照)を用いることが許されないということはいうまでもないが、任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べは、右のような強制手段によることができないというだけでなく、さらに、事案の性質被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度等諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし様態及び限度において、許容されるものと解すべきである

 3 これを本件についてみるに、まず、被告人に対する当初の任意同行については、捜査の進展状況からみて被告人に対する容疑が強まつており、事案の性質、重大性等にもかんがみると、祖の段階で直接被告人から事情を聴き弁解を徴する必要性があつたことは明らかであり、任意同行手段方法等の点において相当性を欠くところがあつたものとは認め難く、また、右任意動向に引き続くその後の被告人に対する取調べ自体については、その際に暴行脅迫被告人供述任意性に影響を及ぼすべき事跡があつたものとは認め難い。

 4 しかし、被告人を四夜にわたり捜査官の手配した宿泊施設宿泊させた上、前後五日間にわたつて被疑者としての取調べを続行した点については、原判事のように、右の間被告人が単に「警察庇護ないしは緩やかな監視のもとに置かれていたものと見ることができる」というような状況にあつたにすぎないものといえるか、疑問の余地がある。

 すなわち、被告人を右のように宿泊させたことについては、被告人の住居たるB荘は高輪警察署からさほど遠くはなく、深夜であつても帰宅できない特段の事情も見当たらない上、第一日目の夜は、捜査官が同宿し被告人挙動を直接監視し、第二日目以降も、捜査官らが前記ホテルに同宿こそしなかつたもののその周辺に張り込んで被告人の動静を監視しており、高輪警察署との往復には、警察自動車使用され、捜査官が同乗して送り迎えがなされているほか、最初の三晩については警察において宿泊費用を支払つており、しかもこの間午前中から深夜に至るまでの長時間、連日にわたつて本件についての追及、取調べが続けられたものであつて、これらの諸事情に徴すると、被告人は、捜査官の意向にそうように、右のような宿泊を伴う連日にわたる長時間の取調べに応じざるを得ない状況に置かれていたものとみられる一面もあり、その期間も長く、任意取調べの方法として必ずしも妥当ものであつたとはいい難い。

 しかしながら、他面、被告人は、右初日宿泊については前記のような答申書を差し出しており、また、記録上、右の間に被告人が取調べや宿泊拒否し、調べ室あるいは宿泊施設から退去し帰宅することを申し出たり、そのような行動に出た証跡はなく、捜査官らが、取調べを強行し、被告人の退去、帰宅を拒絶したり制止したというような事実も窺われないのであつて、これらの諸事情総合すると、右取調べにせよ宿泊にせよ、結局、被告人がその意思によりこれを容認し応じていたものと認められるのである

 5 被告人に対する右のような取調べは、宿泊の点など任意捜査方法として必ずしも妥当はいい難いところがあるものの、被告人任意に応じていたものと認められるばかりでなく、事案の性質上、速やかに被告人から詳細な事情及び弁解を聴取する必要性があつたものと認められることなどの本件における具体的状況を総合すると、結局、社会通念上やむを得なかつたものというべく、任意捜査として許容される限界を越えた違法ものであつたとまでは断じ難いというべきである

 6 したがつて、右任意取調べの過程作成された被告人答申書、司法警察員に対する供述調書中の自白については、記録上他に特段の任意性を疑うべき事情も認め難いのであるから、その任意性を肯定し、証拠能力があるものとした第一審判決を是認した原判断は、結論において相当である。二(一)弁護人らの上告趣意第一点の二及び被告人本人の上告趣意第一章第七、第九の一、二の、被告人自白警察官らの強制拷問脅迫誘導等に基づくか、その影響下におけるものであるとして憲法六条、三八条一項、二項違反をいう点は、記録を調べても、所論のように供述任意性に影響を及ぼすような違法な取調べがなされたものとまでは認められないから、所論はいずれも前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

 (二)被告人本人の上告趣意第二章第一の、被告人勾留中の自白警察官偽計に基づくものであるとして判例違反をいう点は、記録を調べても、被告人の右自白警察官偽計に基づくものとは認められないから、所論は前提を次ぎ、適法な上告理由にあたらない。

 三 被告人本人の上告趣意第一章第六の、被告人の所有物に対し違法押収がなされたとして憲法五条違反をいう点は、違憲をいう点をも含め、実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

 四 弁護人らの上告趣意第一点の四(上告趣意書に「三」とあるのは誤記と認められる。)のうち、判例違反をいう点は、

 記録を調べても、原審が所論の証人申請却下したのが合理的裁量範囲を逸脱したものとは認められないから、所論は前提を欠き、その余の点及び被告人本人の上告趣意第一章第八の二は、憲法七条違反をいう点をも含め、いずれも実質は証拠の採否に関する単なる法令違反の主張であつて、すべて適法な上告理由にあたらない。

 五 被告人本人の上告趣意第一章第九の三の憲法八条三項違反をいう点は、原判決及びその是認する第一審判決が被告人自白のみを証拠として被告人有罪認定したものでないことは各判文上明らかであるから、所論は前提を欠き、適法な上告理由にあたらない。

 六 弁護人らの上告趣意第一点の三(上告趣意書に「二」とあるのは誤記と認められる。)及び被告人本人の上告趣意第二章第二の判例違反をいう点並びに被告人本人の上告趣意第一第一、第八の一、第一〇の憲法一条、一三条あるいは三七条一項違反をいう点は、いずれもその実質は審理不尽をいう単なる法令違反事実誤認の主張であつて、すべて適法な上告理由にあたらない。

 七 弁護人らの上告趣意第一点の三(前記六参照)の(五)及び被告人本人の上告趣意第二章第二の二のいわゆる伝聞証言証拠としたとして違法をいう点は、単なる法令違反の主張であつて、いずれも適法な上告理由にあたらない。

 (職権判断

 記録によれば、F警部は、第一審において、ポリグラフ検査の際、被告人に本件被害者の着用していたネグリジエの色等、本件の真犯人でなければ知り得ない事項についての言動があつた旨証言し、第一審判決及びこれを是認した原判決は、右証言採用して右言動認定し、これをもつ被告人を本件の真犯人と断定する一つの情況証拠としていることが明らかである。右証言は伝聞ないし再伝聞を内容とするものであるが、右証言の際、被告人及び弁護人らは、その機会がありながら異議の申立てをすることなく、右証人に対する反対尋問をし、証人尋問を終えていることが認められる。

 このように、いわゆる伝聞ないし再伝聞証言について、異議の申立てがされることなく当該証人に対する尋問が終了した場合には、直ちに異議の申立てができないなどの特段の事情がない限り、黙示の同意があつたものとしてその証拠能力を認めるのが相当である最高裁昭和二六年(あ)第四二四八号同二八年五月一二日第三小法廷判決刑集七巻五号一〇二三頁、同二七年(あ)第六五四七号同二九年五月一一日第三小法廷判決刑集八巻五号六六四頁、同三一年(あ)第七四〇号同三三年一〇月二四日第二小法廷判決刑集一二巻一四号三三六八頁等参照。これらの判決は、伝聞証言証拠能力を認めるについて、異議の申立てがなかつたことのほか、証人に対し尋ねることはない旨述べられた場合であること等の要件必要とするかのような判示をしているが

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