はてなキーワード: 実験とは
化学とか機械工学電子工学(の一部)の大学院修士修了者ってどんな仕事してるだろう?
泥臭い実験を奴隷としてやりこなす系ってどんな仕事してるんだろ?
研究職は博士後期でてないとムリぽだろうし・・いちこうとうきょう(一橋は関係ない)
レベルだと・・・修士段階でも研究職ありつけるだろ。そんな例外的事象はかんがえてない
ほかの頭よくない系大学院だと・・・工場のライン導入の発注とかそれ系の業務とか??
ソニーと言えば、アニプレックスを要し、ソニーミュージックでは積極的にアニメとのコラボをやってきた企業グループ。
特にアニプレックスは、当時まだ事例が少なかった時代から、パブリッシャー自らスタジオを開設し、比較的高い待遇を掲げて、アニメーターらの待遇改善にも先頭に立ってきた。
ノイタミナなど、予算を厚くコンセプトを強くした作品を作るが、芸術性の高い実験的なアニメから、アニオタが喜ぶHENTAI作品まで幅広く手がけ、あまり自重しない。
近年では自社のアニメスタジオを増強すると共に、買収などを進めながら、過去に自殺者なども出してしまった反省も踏まえて待遇改善と生産性改善に、バックオフィス改革やアニメーターが使用するソフトの内製を目指すなど、行動している。
そうして作成したコンテンツは、海外で強力なアニメ流通網をもつ。
代表的にはCrunchyrollを自社グループに有し、自社グループ系だけに留まらず、幅広いアニメを海外で流通させ、現在のアニメ業界の海外進出を強力に牽引している。
日本で作成したコンテンツを幅広く海外で販売することを指向する。
また、海外ではソニーピクチャーズを持ち、これは世界最大手の映画が会社の一つであり、音楽会社も持つ。コンテンツビジネスに精通している。
従って、ソニーはKADOKAWAを買収したとしても、コンテンツビジネスのことはよく分かっているから、今まで通りに好きにやらせることだろう。もちろん、それを海外に売り込むなどして収益を強化する活動はしていくだろうが、それは悪い事ではない。むしろ望ましいだろう。
振り返って、KADOKAWAも海外への日本コンテンツ輸出には積極的であり、北米に強いソニーと、アジアヨーロッパで強いKADOKAWAという棲み分けがある為、今回のKADOKAWA買収はシナジーが強いと感じられる。
さらに、従来からKADOKAWAとソニーのコンテンツ部門は比較的良好な関係を築いており、様々なコラボレーションで成功している。これらがより深化することが望まれる。
ソニーと言えば、PlayStationだったが、PS3時代の経験から、その中心をPS4の時代に日本からアメリカに移した。その結果、ビジネス全体がアメリカの理論で進むようになっており、
オリジナリティの高い作品を製作していた日本のスタジオを相次いで閉鎖するなど、国内体制の縮小が続いる。
ただし、ソニー全体のゲーム部門は好調であり、高い収益を上げているため、市場の意思としてはこの路線が維持されている。このことが逆に日本向けにリソースを割くこと、日本向けに特別な対応を行う事のモチベーションを低下差させている。
これがファンの目には、日本のゲーム市場を軽視しているように映っており、また国際基準に従った内容の規制、ポリティカル・コレクトネス対応などによる表現の規制なども日本の価値観からすると納得がいかない結果になることが多く、
しかし、外国市場のほうが何倍も大きくなってしまった今、日本向けに特別版を作られることも減った事から、不満が高まっている。
従って、大企業のコンプライアンスを押しつけ、融通が利かないように見えている。
ソニーがKADOKAWAを買収すると、これらの基準をKADOKAWAに入れてくることによって、KADOKAWAのコンテンツもポリティカル・コレクトネス対応などを求められ、歪んでいくのではないか
日本部門への投資が絞られて、単に過去のIPを売るだけになってしまうのではないか。
また、日本発のIPが放置されたように、ソニーはIPの使い方が下手である。ビジネスとしては個別のIPを積み上げるより、シェアを広げてプラットフォーマーとして君臨する方が儲かるのであろうが、しかし、
ファンとしてはそれらのために、現在楽しんでいるコンテンツを潰されたらたまらないので、やめてほしい。
ソニーミュージック系(ピクチャーズなど含む)が主導する買収なのか、SIE系(プレステね)が主導する買収なのかによって大きくちがうんやろなと思いました。
で、報道を見る限り、ソニーミュージック系の買収じゃねえかなって思うのでそんなに心配いらねえんじゃねってのがアニオタの俺の見え方なんだけどな。
だって、SIE系がKADOKAWAが持つゲームが欲しいなら、KADOKAWAとしてはゲームは本業じゃない訳で、そこだけ売却に応じると思うんだよ。すぐに金が欲しいならね。
でも実際にはグループ全体の買収にかかってるんだから、ソニーミュージック系が主導してるんじゃないかなって思うんだよね。
まぁ、空騒ぎですが。
マジどうなるんだろうね。
陰謀論は除けても、阪神のカーボンリサイクルは炭化水素汚染源やねん
オウムの上祐史浩はチ◯ソ水銀汚染とブリ◯ストンの熊本からやってきてサリン汚染を起こしてん
原子力委安全保安院(NISA)は東電の社債が2012年償還期限だったのに検査の手を抜いて核物質汚染を起こした
公害責任追及は医者と裁判所が結託して原爆被爆訴訟も小出しにノロノロやってる
硫化水素は文科省の中学で実験やって事故多発(主にはマンホールの中、石油化学工業の脱硫を行う施設、半導体洗浄水処理施設、下水処理場、各種排水処理施設、産業廃棄物の処分場、パルプ工場)
斎藤元彦知事は告発者にイチャモンつけて懲戒処分するし、阪神工業地帯が原因で株価暴落でNISAが潰れようが、裁判所と国が兵庫県と金融会社を守るのは明白
先日の土日にて読了。
いや、メタ的というより、メタそのものが作品の主題といったほうが正確だろうか。
読者を小説の中に引き込み、文字通り「参加させる」という構造を持つ『朝のガスパール』は、筒井康隆が80年代に書き上げた、いわば小説そのものの定義に挑んだ挑発的な一冊であった。
あらすじ、といってもこの作品に「あらすじ」を語るのは難しい。
物語というよりも、筒井康隆が直接話しかけてくるような感覚だ。
そして、そこには作者と読者の境界が曖昧になる仕掛けが満載されている。
章ごとに視点が切り替わり、どこからどこまでが現実でどこからどこまでが虚構なのかが次第に崩れていく。
その結果、「これは読者が読む小説ではなく、読者が小説を構成する存在である」という、今で言うメタフィクションの極北にたどり着く。
感想としてまず思うのは、当時としては斬新だっただろうな、ということだ。
こういった作品は現代で言えば、さほど珍しいものでもないだろう。
そう言った意味でいえば『朝のガスパール』はインタラクティブな物語の先駆けとも言えるが、逆に言えば現代のネット文化における安価スレのようなものと大差ないとも言える。
それでも、この作品をただ「古い」と切り捨てられないのは、やはりその「メタ性」の鋭さにある。
筒井康隆の文章は、単に「読者参加型」を装うだけではなく、小説そのものの存在意義を問う仕掛けになっている。
そして、これが面白いのは、その仕掛けが「自分が今何を読んでいるのか」にまで疑問を投げかけてくる点だ。
たとえば、読んでいる途中で「あれ、これ本当に小説なのか?」と思わされる瞬間がある。
それは小説の登場人物が読者に話しかけたり、読者が物語の一部であるかのように描かれたりする場面だ。
その瞬間、読者である私は「あ、この作品は私の読み方自体をも含めてデザインされているんだ」と気づく。さらに、この文章を書いている私もまた、『朝のガスパール』の読者としてこの文章を書いているのであり、ひいてはこれを読んでいるあなたも、私が書いた文章の読者としてこのメタの構造の一部を担っているわけだ。ややこしいけど、わかる?
つまり、筒井康隆が描いたメタ構造は単に『朝のガスパール』の中に閉じていない。
それはこのエッセイにも、そしてこれを読んでいるあなたにも拡張されているのだ。
このことを表現するのに、わざわざ「メタの中のメタに言及するメタ」などと直接書くのは野暮というものだろう。
ここではあくまでそのメタ的な構造を借りつつ、読者がその構造を意識する形で展開していきたい。
最後に、ひとつだけ言わせてほしい。『朝のガスパール』を読み終えたとき、私は奇妙な満足感を覚えた。
それは「小説を読んだ」という感覚ではなく、「小説という空間で作者と会話をした」という感覚だった。
今こうして私が書いた増田を読んでいるあなたもまた、この瞬間、私と会話をしている。いや、あなたがこれを読んでいる時点で、もう私はここにはいないのかもしれないけれど、少なくともこの文章を通して私たちはどこかでつながっている。
そう書いた瞬間、私はふと、この「つながっている」という感覚について考え始めた。いや、正確に言えば、私がここで「つながっている」と書いたとき、その言葉を読むあなたの頭の中で何かが動き始めているのだと考えるべきかもしれない。例えば、今この瞬間、あなたの脳内には「この文章を書いた人は何を言いたいんだろう?」という疑問が浮かび、あるいは「まあ、そういう小難しいことを言いたいだけだよね」と呆れた気持ちが湧いたかもしれない。
でも、それもまた一つの接触点だ。私が書いた言葉が、あなたの意識に波紋を投げかける。それがポジティブなものであれネガティブなものであれ、私たちは今この瞬間、物理的には別々の場所にいるにもかかわらず、思考の交差点に立っている。これを不思議と思わずして何を不思議と思うだろうか?
ここで気づいてほしいのは、この文章そのものが橋のようなものだということだ。私が言葉を選び、それを並べ、送り出す。それを受け取るのは、何千キロ離れたどこかの机の上に座る、見知らぬ誰か。あなた。私がどんな顔でこの言葉を綴っているかをあなたは知らない。あなたがどんな顔でこの言葉を読んでいるかを私も知らない。でも、それなのにこの文章はあなたの目に届き、私はこうしてあなたに話しかけることができる。
そしてここで、私はある種の実験を試みたいと思う。この文章が、ただの文章のままで終わらずに、私という存在とあなたという存在が、少しだけ近づくきっかけになったらどうだろう。例えば、あなたがこの文章を読んでいるときに、なんとなく「書いているこの人、なんだかしつこいな」とか「もう少し簡潔に言えないのか」と思ったならば、それはすでに私があなたの中に存在しているという証拠だ。言葉を通じて、私の思考があなたの中に入り込んでいるのだから。
もちろん、私はあなたの顔を知らないし、声を聞いたこともない。あなたがコーヒーを飲みながらこれを読んでいるのか、満員電車でスマートフォンを覗き込んでいるのか、それとも仕事の合間にひっそりと目を通しているのかもわからない。でも、どんな状況であれ、あなたがこの文章を読んでいる今、私たちは出会っている。あなたの目がこの文章を追い、あなたの脳がその意味を解釈する。それは、私の言葉があなたに届くことで初めて成立する行為だ。
ただ、それを言葉で「つながっている」と表現すると、どうしても味気ない感じがしてしまう。だからこそ、この文章を書いている私が、あなたの中に何かしらのイメージを植えつけたい。例えば、私が今、画面越しに手を伸ばし、あなたの目の前に現れているとしたらどうだろう。いやいや、そんなのはただの妄想だと思うかもしれない。でも、その妄想の中で、私とあなたが初めて握手を交わしたとしたら、それはただの文章を超えた「出会い」だと言えるのではないだろうか。
読者として、いや、このメタの一部として。
ありがとう。そして、また。
どうか健やかに。
あまりに偏向で過剰な報道が毎日のように続き、一緒に斎藤氏を叩かない者には石が飛んできそうな空気まであった。
実際に手を下したわけでもないのに、殺人者だと平然と罵る人が続出。
炎上が人を自殺に追い込む事例なんてみんな知っているはずなのに、斎藤氏だけはバッシングしてもいいと思っている。
あのね、「人が死んでいる」っていうのは、「加害者とされる人物をいくらでもバッシングしていい」ってことじゃないよ。司法って忘れたの?
この過剰なバッシング一辺倒を、オールドメディア()が仕掛けたことだったのか、数字が取れるからという単なるワイドショーの悪癖だったのか、それは自分には分からん。
しかし、あの時期の報道はあまりに度を越えていた。それだけは事実だと思う。それが、立花氏の説に一種の真実性を持たせた(あるいは、そういうストーリーが付け入る状況を作った)
百条委員会も酷かったでしょあれは。粛々と事実を明らかにしていく場のはずなのに、議会の連中はヘラヘラ笑いながら学級会みたいなノリで斎藤氏にバッシングを浴びせていた。
挙句の果てにはまだ百条委員会が終わっていない(事実が明らかになり切っていない)段階で民意()におもねって不信任を出しちゃう始末。
立花氏が出てくる前から、いくらなんでも過剰すぎないか、人が死んでるけど斎藤氏も人だぞ、と思っていたよ。
任期満了日に誰も見送りにこないって、そんなの出てこれるわけないでしょ。カメラもあって、民意()はバッシング一辺倒なんだから。仮に斎藤氏支持の職員がいてもあの場には行けないって。それくらい考えたら分かるでしょ。
なにが真実とか、なにが嘘とか、そういうこと以前にさ。あの、水に落ちた犬にみんなで石を投げるような空気そのものが、この実験場のような選挙戦のトリガーになってるんだよ。
これが兵庫県民の民意とか言ってしたり顔してるお前だよ。斎藤氏を一緒になって過剰にバッシングしていたお前にも責任の一端があるんだよ。
塗り薬程度なら問題ないけど、医師の処方がないと手に入らないものや、一般品でも人間の隠部に挿すような品は、運営が削除するのが基本である。
でも……
まずは、以下の出品を見てほしい。
いずれも、ジュンビーピンクゼリーという産み分け用の妊活ゼリーである。
医薬品として出品が禁じられている。
ネット通販でも手に入る品だけど、この妊活ゼリーは女性器に使用するためと思われる。
ジュンビー
https://jp.mercari.com/item/m30274557440
https://jp.mercari.com/item/m89049142079
https://jp.mercari.com/item/m34613235271
3枚 じゅんびー ぴんくぜりー 箱なし 説明書のみ
https://jp.mercari.com/item/m66323005344
https://jp.mercari.com/item/m96965662139
ジュンビー
https://jp.mercari.com/item/m30274557440
説明書×5枚
こういうことだ。本体じゃなくて、説明書だけを売りますということだ。
え、いやおかしいでしょ……こんな子ども騙しで運営はスルーでいいの?
彼らの中には、本物の詐欺師がまざってて、本当に説明書だけ送るんじゃないの?
うちの子がかつて飲んでいた、発達障害者向けの薬価がすごく高い、ひと月分1万円の薬剤がある(ストラテラとかコンサータとかそっち系)。
それを「空のシートのみです」と商品画像・説明に書いて、ほかの同商品(コンサータ空シートの怪しい出品者)と同じくらいの価格でメルカリに出品してみた。
すると、運営は普通にスルーして、ついでにその日に薬剤が売れてしまった。
後ろめたい気持ちはあったけど、不用品なので使ってほしい思いがあった。
もちろん本物を送ってあげると、「格安でありがとうございます」という評価結果が付いた。
前々からおかしいと思ってたけど、いい機会なので投稿してみた。
プラモデルの件にしても、メルカリのサポートに正義や常識がないのは以前からずっとだ。今回偶然、それが露呈しただけ。
先日書いた増田にたくさんコメントやブクマをいただき、驚きつつも感謝しています。こんなに反響があるなんて全く思っていなかったので、恐縮しつつ嬉しい気持ちでいっぱいです。僭越ながら、いただいたコメントに返信させていただきますね。
政治について最近思うのは、国会議事堂の椅子、もっとクッション性を高めたら議論も柔らかくなるんじゃないかってことですね。あと、予算委員会でたまに見かける水のペットボトル、あれメーカーの陰謀とかないんですかね?まあ、真相は謎です。
企業の裏話といえば、某大手カフェチェーンの期間限定フラペチーノが「社員の悪ノリから生まれた」って噂は聞いたことありますね。そういえば、カップラーメンの「蓋が剥がれやすい問題」って、実は時速30キロで走る風洞実験でテストされてるらしいです。
最近読んだ漫画で面白かったのは『異世界転生したら消しゴムだった件』です。消されるたびに強くなる主人公が涙ぐましいです。アニメだと『焼きそばウォーズ』。主人公がソースか塩味かで仲間割れするんですが、結局最後は青のりが全部解決する、みたいな話です。
最近作ったのは「スナック菓子リゾット」です。ポテトチップスを砕いてお湯に入れるだけですが、意外と食べられます。オリジナルレシピってほどでもないけど、たぶんこれをイタリアンシェフに見せたら目から鱗だろうなっていう一品です。
読んでくれた皆さん、本当にありがとうございます。これからも思いついたら増田に書くかもしれないので、その時はまたよろしくお願いします!
システムが稼働して安定してきてやること無くなってきたあたりの方が設計にこだわるんだよね
立ち上げ期もこだわるけどね、こいつ実験したいだけだろっていうケースが多すぎる
現在のアメリカでは950ドル(約10万円)未満の万引きや窃盗を実運用上犯罪としないことになっており、犯罪をしても警察に捕まることがない世界が熟成されている
西村博之というネット黎明期の大物は、多くの有罪判決を受けたが、訴訟を踏み倒し、様々な行政の追跡を振り切り、今や財界人や政治家の側にいる
ホリエモンもそうだ。彼は実刑判決を受け投獄までされているが、西村博之と同じような立場にいる。彼も西村博之同様、ネット上の大物だ。
そして極めつけは立花孝志だ。彼は複数の有罪判決を受け、あろうことか政治家として活躍している。しかも党首である。こいつはネット上の大物とは呼べないが、似たような空気は感じる。なおかつ、行動の節々に反社会的要素があるので、それらとの繋がりも懸念してしまうほどだ。いうなれば出来の悪いアドルフ・ヒトラーだろう。アドルフ・ヒトラーには才能があり、当時のドイツを世界有数の技術大国に仕立て上げ、倫理的に不可能な実験を多数行ったおかげで、科学への貢献も多大にあった。立花孝志にはそれがない。闇バイト未満の詐欺はできてもNHKすら倒せてないのだから
というわけで、このあたりのきな臭い人物から発せられる治安の悪化を懸念している
そう、いま世界はまさに犯罪をしてはならない社会から、犯罪をしてもいい社会へ移り変わろうとしているのではないかということだ
チャールズ・サンダース・パースっちゅうんが、プラグマティズムの生みの親やねん。パースのプラグマティズムは、ただの実用主義やのうて、もっと奥深い哲学的な意味があんねん。
まず、概念をはっきりさせるんや。パースは、なんかモノの概念をはっきりさせるには、そのモノがどんな影響与えるかもしれんかを考えるんが大事やって言うてんねん。
次に、行動と考えがつながっとんねん。プラグマティズムでは、人間の考えちゅうんは、頭ん中だけのもんやのうて、行動とくっついとるもんやねん。
最後に、探究のプロセスや。パースは、考えるプロセスを「疑問」から「信じること」に変わっていくもんやと捉えて、これを「探究」って呼んどんねん。
パースは、プラグマティズムの核心を表す格率をこんな風に言うてんねん:
「なんかモノの概念をはっきりさせたいんやったら、そのモノがどんな影響与えるか、しかも行動に関係あるかもしれんような影響を与えるかもしれんって考えられるか、ちゅうんをようく考えてみいや。そしたら、そういう影響についての概念が、そのモノについての概念と一緒になんねん。」
この格率は、概念の意味を、その概念が生み出すかもしれん実際の影響や結果で理解しようとするもんやねん。
パースのプラグマティズムは、ただ概念の意味をはっきりさせる方法やのうて、真理と実在に関する理論でもあんねん。
まず、客観的で一般的な結果や。パースは、概念の意味を、全ての理性的で実験好きな探究者が最終的に意見が一致するような客観的で一般的な結果に求めたんや。
次に、真理と実在や。パースは、全ての理性的で実験好きな探究者たちの最終的な意見の一致で見つかるもんが真理であり実在やって考えたんや。
パースのプラグマティズムは、科学的な探究の方法論としても大事やねん:
まず、実験的な省察や。プラグマティズムは、実験の仮説を作り出して検証するんを改良するのに役立つ方法を提供しとんねん。
次に、可謬主義や。パースは、どの段階の結論にも間違いがある可能性があることを認めつつ、同じ方法を何回も使うことで間違いを減らせるって考えたんや。
最後に、連続性と進化や。パースの哲学には、空間、時間、法則の連続性や、宇宙の進化に関する考えも含まれとんねん。
パースのプラグマティズムは、概念をはっきりさせることから真理を探究することまで、幅広い哲学的・科学的な考え方に影響を与えた重要な思想体系やねん。
ミニアルバムって好きなんだよね
シングルでもフルアルバムでもない、手のひらサイズな感じが好き
自分が好きなのは、スピッツの「オーロラになれなかった人のために」
5曲入りのミニアルバムで、ストリングスとか使ってて実験的なアルバムなんだけど、幻想的な感じが好き
みんなは好きなミニアルバムってある?
だいぶ前のエレクトリカルパレード音が配電盤へ逆流野郎も、化学実験してたらガサ入れされた野郎も、技術だけが先行していて基本的な倫理観が足りない
周囲に危険が及ぶかもしれないことは、趣味でも仕事でもちゃんと対策してからやれ
「ディズニー来てるのに相手を置いて喫煙に行く人」への不満に、ある釣り好きが「めっちゃわかる」と同調したところ「釣具店とは違うでしょ」と議論に
これを見て思ったんだけど、ありとあらゆる話題において男がするミラーリングがこうも的外れなのって、
前提条件からして変えてしまってただの関係ない話になってしまっている事が多いから的外れになるんだと思う。
鏡なら左右は反転しても上下は反転しないものなのに、上下まで反転させたらただのカオスになってしまう。「ミラー」リングになってない。
実験するなら条件を揃えてやるという基本が出て来ていないのと同じ。
このまとめにあるポストだと、ディズニーと釣具屋が違うとかそういうところ以前に
「ディズニーランドに来て煙草を吸ってる彼氏」をミラーリングするなら
とかにすべきなんだよ。
例えば彼女が煙草を吸ってたせいで釣具屋で会計が遅れて予定が狂ったとか、そういう話ならば分かる。
場所を同じにして行為を変えるか行為を同じにして場所を変えるかすればミラーリングになるのに何故かそうしない。
とにかく自分の知ってる話題に引き寄せたいのか、単に女を叩きたいだけの方便なのかは知らんが。