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はてなキーワード: 同義とは

2024-11-20

SNS人生の足踏み

しろ俺達は足踏みの合間に人生やっているんだよ!

 

ってのはさておいて、夜の十時近くになるとゴミオジという言葉を使う、むやみに攻撃的な奴が増田に現れる

いつからいるのかと思いゴミオジをキーワード検索してみると、エントリが残ってる範囲でいうとどうやら去年の三月からいるようだ

去年の三月から使い続けてるのにほぼ同義KKOみたいに流行る気配も一向になく、ひとり延々と他人様をゴミオジ呼ばわりしながら悪態をつき続けて現在に至るさまを見ると、翻って自分の身の振り方について色々と考えるものがあるなと感じる

2024-11-14

anond:20241113231357

家族のために働く」というのは家父長制を増長させる。

「家」制度解体するために社会制度を充実させるという方向に向かってきたんだ。

社会保障を縮小せよというのは差別主義を拡大せよというのと同義であって、まあ良いことばかりじゃないけど悪いことばかりでもない。

色んなトレードオフがある。

2024-11-11

anond:20241111185135

原神のストーリーは、正直1年そこらで理解できるほどのもんじゃない。

厳密に何が起きてるのか知ろうとせず雰囲気で感動できる人はいるかもしれないが(それが多数派だろう)、理解しようとするタイプの人がちゃんと感動するにはガッツリ考察勢にならないといけない。

初期から現在にいたるまでゲーム内外あらゆるところに情報が散らばってて、しかも昔の期間限定イベント等にも世界観理解するための重要示唆が含まれてるので、コンシューマゲーの感覚シナリオ評価することは不可能

初期からリアルタイムで遊んでても、後発の配信者とか見て昔のシナリオを振り返ってる時に、自分遊んだ当時は何とも思ってなかった部分で気づきがあったりするし、どう考えても求められる教養の幅的に一人じゃ気づくのが不可能意匠などが織り込まれてるので、公式コミュニティSNSnoteなどを漁っていくこともしたくなる。

そうして初めて、完全とは程遠いながらも「こういうことなんだろうな」とぼんやり分かる部分が積み重なって解像度があがっていく。最新のシナリオまで読破してもまだ明らかでない要素が山ほどあるので、常に追いかけながら認識更新していかないと面白さがわからない。わからない状態面白いと思える素養が要るというか。その点はほとんど「開発者に対する信頼が築かれてるかどうか」と同義かもしれない。

まり運営ゲームにおける巧みなシナリオの展開というのは、本や映画コンシューマゲーム脚本面白さの作り方とは根底からして異なるということ。

そのへんをよく理解しているネトゲ経験値の高い人でないと、特に高齢孤独ゲーマーは振り落とされてしまやすいだろう。

会話スキップ機能を求める人はそもそもこのゲームに向いていなくて、この手合は開発が心を込めて作ってる部分までも「石集めのためのハードル」としか捉えていない節がある。

これはスマホでやるゲームじゃなく、スマホでもできちゃうだけで、虚無作業をこなして当たりを引くソシャゲガチャゲーの文化とは似て非なる次元にあるPCオンラインゲームだと気づく必要がある。

普通ソシャゲ運営の頭なら、もっと復刻をして集金しようだとか、無料10連やガチャフェスを開催して課金煽ろうだとか、キャラ属性バランスよくバラけさせて実装しようとか思うかもしれないが、まったくそうしない。

おそらく、物語の展開や設定にあわせた形で登場させていくことが最優先になっている。ヌヴィレットや召使が飛び抜けて強いのも納得させるだけのシナリオムービーがあっただろう。

キャラ戦闘力を充実させるための道具としか見てないソシャゲに過適応したユーザーにとってはこの采配が歯がゆく感じられるのかもしれない。

はっきり言うとこのゲームにおいて、戦闘部分やキャラはおまけ。おまけとしては尋常じゃないほど作り込まれてるけど。

おまけ加減はイベントを見れば分かる。毎回テーマイベント毎に異なるミニゲームをわざわざ開発して3つほど提供する中で、戦闘はそのうちの1つでしかない。

戦闘キャラ部分はかなりカジュアルゲーマー意識してボトムを広く取ってると思う。お試しが手厚いのもそうだし。

それがなんのためかというと、できる限り多くの人に世界観に浸って、いろんなことを感じ取って、ファン同士で感動を共有しあってもらう、ファン輪作りが主だからだと思う。

自分崩壊3rdも初期からやってきた。これはかなりオタクくさいニッチな嗜好をしているゲームだが、内部的に崩壊4作目として作られた原神の役割を考えたら腑に落ちるところだ。そして見事それを成し遂げてる。

から楽しむという面においては、無凸無餅でぜんぜん構わないか可能な限り全キャラ確保して箱推しみたいなスタンスで遊ぶのがゲームコンセプトとしては理想的だろう。

ソシャゲみたいに強さに注目しすぎないほうがいい。そのことは天井が引き継がれるガチャシステムから如実に伝わってくる。

ログインだけでもらえるような配布は少ないが、やり込んで獲得できる石はかなり多いので、月額+2倍石までの微課金でも新規追加キャラの8割くらいは確保できる部分もそうだ。

自分サービス開始日から毎日遊び、キャラはリオセスリ以外全員とっているアラフォーおじだがかなり正解な楽しみ方をできていると思ってる。

それからバグについてだけど、まったく同意できない。

原神をやっていて、致命的なバグに遭遇したことがあるだろうか?

自分は4年やってるが一度もない。ペェモンみたいなバグを見つけるのが上手い人もいるが、ネット民バグだと騒ぐのは5chでも話題にならないような些末なものだ。

四半世紀ほどネトゲ俳人をしていたから分かるのだが、バグがひどいゲームというのはコミュニティでそのバグについての話題しょっちゅう愚痴のように出てくる。

でも原神、というかミホヨゲーではそういうゲームにならないような重大なバグは目につかないか、起きてもかなり迅速に修正される。

またメンテがいつも定刻で終わり、緊急メンテナンスが入ることも滅多にないという点だけでも、ここの技術力が今まで見たこともないほど高いのが分かる。

国産ゲーや韓国ゲーだと終わらないメンテどころかサーバーが開いていてもログインできないようなネットワーク周りの不手際しょっちゅう起こるのだがここでは見た覚えがない。

それからかい不満点についてだが、確かに新作のゲーム配慮が行き届いてる部分が多く、一方で原神では不便なままのところが多かった。

最近はそれら新作を並行プレイしているユーザーからせっつかれるせいか、かなり利便性面のアップデートが入っているが、スメールくらいまでは遅々としてシステム改善が進まなかった。

でも、自分はこれも理解できる。

なぜかというと、原神は開発規模が同社のタイトルの中でも依然最大なくらい、コンテンツ量が膨大なのだ

6週間おき、それから隔verおきのマップを考えると、細かい既存部分の調整よりもそれら新規コンテンツクオリティに割いた方が、ゲームとしては魅力的なものになるであろうことは明らか。

そして、この4年間、どのバージョンアップでも期待を上回る内容を見せつけてくれた。

これが平凡なネトゲソシャゲで、お決まり更新しかしないようなオンラインゲームだったら、細かい部分を修正して遊びやすくしてくれよ、思うだろう。

そういう無料ゲーでは、利用者は「プレイヤー」ではなく「ユーザー」になってしまっているんだと思う。ゲーム射幸性を満たすツールのような心地で使うわけだから。感動よりも快適を求める。

でもあくまでこの会社は、利用者に「プレイヤー」でいてほしい数少ないモバイルゲームメーカーだと思ってる。

もちろんユーザーの声を無視していいと思うわけじゃないし、自分も一部のコアな原神声優さんたちが言うような不満点、というか要望をよく理解できる。

でも、ことさらネット民がいうほどそこをあげつらうべきなのかというと、正直不満をはるかに上回るレベルのものを受け取っているし、こういう水準で運営ゲーム提供できている競合も存在しないので、贅沢かなとおもってしまう。

まーーーでも個人的には過去シナリオの回想やパイモンボイスの再開機能それから祈聖オイルが掘れる花芽とその倍加イベは可及的速やかにほしいと思ってるが。

あと、売上を見るのに関して、セルランというのは当てにならない。瞬間風速的なものしかあらわれないからね。

原神をはじめとしたホヨバゲーは月額勢による収益がかなり分厚くて、二次元ゲーム界隈では依然としてトップにいる。

2次元(アニメ系)ジャンルゲームグローバルの売上を統計している人がbilibiliにいて、中国語だがこれ見るとわかるように

https://www.bilibili.com/video/BV1LSSHYXETX

9月データではスタレがトップだが、原神もそれに次いで売れてる。111604万人民元~なのでおおよそ月間セールス240億円だ。

時期的には5.0あたりだと思うが、同じ人が8月以前のデータも毎月あげている。

これ見た上で安定していないと言えるなら、安定しているゲームなんて存在しないだろう。

anond:20241111094914

日本だと狭い平野で支えられる人数は精々が3000万人じゃねぇかなって気がする


アメリカ地下水を吸い上げてやるコーン栽培所為地下水が枯渇してひび割れとか起こってる

コーンを使って育てる牛の輸出は水の輸出と同義だなんて話もある

実は日本は水の輸入大国なんだよね


いずれ近い将来の破綻は見えているけれど、昔ほど未来への警鐘を鳴らさなくなったのは

自国少子化安心しちゃったのかね

ガンダムOP「増え過ぎた人口を」って奴、当時の社会問題で切実だったんだけどな

第一子を産んだ

ある時ふと「このまま二人で過ごす人生も悪くないけど多分もうすぐ飽きてくるだろうな」と考えることがあった。

美味しいものを食べる、海外旅行をする、性行為に溺れる、そういった娯楽はやり尽くしたからだ。もっと言えば「やり尽くした」と思うボーダーが互いに低かった。子どもがいないことで叶う自由に飽きたのだ。

何より自分には「子供を欲しいと思わない理由」が特にないことに気付いた。

子供を欲しいと思わない理由はいくらでも思いつくだろう。例えば、育てられるか不安、この世に迷惑をかけるのが嫌、まだまだ遊びたい、自分が味わった不幸を再生産したくない、そもそも配偶者があまりきじゃない、子どもそもそも好きではない、等。

自分には運良く、そういう考えがカケラもなかった。これはひとえに自分が非常に恵まれいるからだろう。

裏を返せば、子どもを欲しいと思う理由もそんなになかった。もしあるとすれば、子を産み育てたことがあるという経験が欲しいためだろう。その経験がないまま生きていくのは、どことなく「人生エアプ」感が自分の中にあるからだ。

経験していないくせに偉そうに物を語ることを極力やらない(=エアプをしない)のが自分信条なので、ならば自分出産育児経験すべきだろうと思った。

そうやって産まれてくる子は可哀想だろうか?否。

妊娠が分かってからは、大勢の人々が君の誕生を心待ちにした。マタニティマークに気付いた人が席を譲ってくれることもたくさんあった。これには性別関係なく、スーツケースを持った出張のおじさまや、仕事帰りで疲れているであろうおじさまが席を譲ってくれたこともあった。そういう親切な人々は、お腹の中の我が子を間接的に大切に扱ってくれるのと同義だ。

夫も毎日お腹の中の君に話しかけたり、お腹を撫でたり、名前一生懸命考えたりしてくれた。

そう、君は大勢の人に望まれて産まれたんだよ。

子どもを産むに至る理由はくだらないかもしれないが、それは我が子を大切に育てたい気持ちとはなんら矛盾しない。

何より産んでよく分かった、我が子があまりにも可愛すぎる。生後2週間の泣き声なんてホェホェしてて可愛いものだ。小さくてあたたかくて、いい匂いがする。睡眠が細切れでも、君のぬくもりでやさしい気持ちになれる。

一生大事にしたい。産んでよかった。今後もそう思えるといいな

2024-11-09

anond:20241109022521

会話は、感情の共有だけではなく、意見交換の要素も含むからです

会話は雑談同義のひとたちもいるやで

しろそっちが主流では

おっと、意見交換しちまったゼ(^^ゞ

障害児を持つ親の皆様へ

映画ルックバックを見ました。

直接関係は無いけど、なんか昔書いた日記の事を思い出しました。

読み直してみて、これが誰かの何かの助けになればと思い共有します。

誤字脱字含め当時のままです。

子供名前があったのでそこは消しました。

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2011.4.20

障害について。

障害者は生きる価値がないなんてことは絶対にない。

それは絶対に正しいと思う。

というかそれが正しくないなら、逆に正しいってことになんの意味があるのかと問いたいくらいだ。

最近障害について真剣に考える時間が増えた。

○○と○○が生まれた時、今後どうなるか分からなかった、今もそうだ。

子供だけの話ではなく、自分がいつ障害を負うことになるのかも分からないのだからこれを考えておくことは重要だ。

人生の豊かさや幸福というのは、その人自身が決めるというのは真理だと思う。

なので、障害人生に寄り添っても、その上での人生の豊かさと幸福を追求すればよいだけだと考える。

ただ、そのためには、それを含め幸福だと思える物の考え方に沿った人生にしなくてはならない。

なので、その考え方を決めることは重要だ。人生を決めるというのと同義な程に。

から障害者は生きる価値があるという正しさを自分の中で納得しなければならない。

障害者にも生きる価値がある、のではない、障害者は生きる価値がある、のである

私は生きる価値がある、と言いたいということだ。私にも生きる価値がある、ではない。

その考えを血肉にしなくてはならない。

様々なことを考える時に、その考えの元となる軸として機能させる程に自分が納得していなければならない。

その考えを自分の考えとして相手を説得できる程でなくてはならない。もちろん相手を説得することが重要なのではない。

相手を説得することができる程、自分の血肉になっていることが重要なのだ

自分の中で納得できない考えを元にして、自分の行動に結びつけることはできない。

自己矛盾を抱えたままでは強い意志が持てない、堂々と人生を生きていけない。

なので生きる価値について考える必要があるのだ。

まずは、ここから始めたい。

障害者は社会の役に立っていない。医療費介護治安の面で社会負担となっているのではないか?」

まり

社会負担から生きている価値がない」

ということである

まず、治安の面だが、これは社会負担ではないと言い切れる。

障害者→治安という結びつきは、多分知的障害等のコミュニケーションがとれないことを想定していると考え、話を進める。

知的障害者は、

コミュニケーションがとれない

→何を考えているかからない

→何をするか分からない

→怖い

このような経緯で治安の面の負担という議論が上がってくるのだろう。

しかし、実際治安の面で言えば、知的障害者よりも健常者の方がはるか犯罪率が高いのが事実である

ソースは忘れてしまったが、調べれば裏付けがとれるはずだ。

しかし、そうは言っても、やはり怖いものは怖いという人がいるかもしれない。

それに関しては、それでもいい、としか言えない。

怖いなら近寄らなければよい、そっと離れればよい。

街にいる健常者で危険そうな人にはそのように対応するだろう、それと同じでよい。

自分の身を守るという行為非難されるべきではないからだ。

というより、こうした議論に上げるまでもなく、そうした対応に関しては相手障害者かどうかが重要なのではないはずである

医療費介護の面で社会負担となっているということに関して、これは費用対効果ということになると思う。

障害者に対して、かかる費用とその効果だけを考えれば、それだけを考え社会負担だと判断するのなら、多分、そうだろう。

その事実に対しては否定はできない。

ただ、その見方では視野が狭過ぎるだろう。

人通りの少ない道の電灯は費用対効果がないと言っているようなものだ。

その電灯の明るさがもたらすものに目を向けていない。

人通りが少ないからこそ本当に必要な場面があるのだ。そこに電灯がついているという安心感が何をもたらすかということなのだ。

たばこなどにかかる医療費だって社会負担ではないか。それと同じなのだから障害者の医療費だけ問題にするのはおかしい。

このように、同じような他の悪者を上げて、その問題と比べると・・・といった議論の進め方をする人がいるが、こういった進め方は自分はあまり好きではない。

この方法では、本質に近づく議論にならないからだ。

例えば、たばこ議論に上げた場合なら、

たばこを吸う人は税金を納めているのだからプラマイゼロ位だろう

―いや、肺ガンになったらかかる医療費の方が大きいから少しはマイナスだろう

障害者でも、税金納めて自立している人もいる

―じゃあ自立してない障害者は社会負担ということか

―健常者で社会負担しかならない人もいっぱいいるじゃないか

押し付け合い、悪さ探しでは、生きる価値の答えからは遠ざかるばかりだと思う。

障害者は医療費介護の面で社会負担となっているので生きる価値がない。」

まりこれは、価値判断する側から見て、いらないのでいなくて構わないということである

本当にそうだろうか。

障害者がいないことが社会にとってプラスになるのだろうか。そうではないと思う。

もしも、障害者がいないことが当然という社会ならば、自分が健常者であってもそういった社会で生きること自体不安であると思う。

自分だって事故病気でいつ障害者になるか分からない。そうなったら自分は生きる価値がないんだ。

自分の子供が障害を持って生まれてくるかもしれない。そうしたら社会は誰も助けてくれない。

このような不安社会全ての人々が抱えている状態は、はたして幸福なのだろうか。

こうした不安を緩和するという点だけでも、障害者は生きる価値があり、安心して暮らせるようにすること自体社会にとって大きなメリットがあると言える。費用対効果は正確には表せないが、医療費とか、そういった細かいレベルではない。

ただ、障害者が幸福に暮らせることは社会にとってもメリットなのだ。だからあなたには生きる価値がある。

これでは、社会の人々から障害者が攻撃を受けることを防ぐ効果はあるかもしれないが、

障害者本人が―だから僕には生きる価値がある―と自己肯定するところまでには至らないだろう。

それではまだ、障害者には生きる価値があるということの本質には至ってないように思える。

生きる価値があることの社会的なコンセンサスを得ることも大事なのだが、それは本質ではない。

極端に言えば、どんなにおかしな考えだろうが、本人が自分には生きる価値があると納得できる方が大事なのだ

そういった個人的ものの答えを求めようとしているのだから、答えも個人的ものになるのかもしれない。

―例え両腕が無くなろうと、自分には生きる価値がある―

自分が強く思えるような納得できるような考えを見つけること。

―僕は歩くことができないけど、僕には生きる意味があるの?―

と言った子供の問いに、意味があると心の底から答えられること。

それが大事なのだと思う。それこそがこの問いの辿り着くべき姿なのだと思う。

逆に言えば、一般論では難しいのだ。

この手の問いに一般論で正解が出たことなんていまだかつてないのだから

費用対効果の部分で考えたこと―視野を広げて考えれば、障害者が幸せに暮らすこと自体社会的な大きなメリットがある―について、それではまだ、心に響く答えではなかった。なので、コストという面でもう少し掘り下げてみる。

コストという面から障害者を見ることは、コストという面から健常者、もっと広く言えば人間を見ることにつながると思うからだ。両者の答えが異なるならば、異なった考えが必要だし、同じならコストという面から障害者と健常者を分けて考えること自体無意味であるということかもしれないと考えるからだ。

障害者はコストがかかる。では健常者はどうなのか。

多くの健常者はコストより社会への還元の方がまさるだろう。

ただ、何を持って社会の役に立つ還元だと判断するかにもよるが。

環境破壊を伴う経済活動は、短期的には社会賞賛をもって迎えられるかもしれないが、長期的には何もしないよりもデメリットが大きいといった場合もある。

しかし、ここでは、世間一般視野レベルにおいて好ましいと思われるレベルと考えれば良いだろう。簡単に言えば社会的な成功(スケールは問わず単なる賃金等小さなものも含まれる)ということで良いだろう。

その基準判断するならば、やはり、障害者はコストの方が勝るだろう。

個別で見ていけば、社会的に成功する障害者も、社会的な害悪しかならない健常者も存在する。

だが、障害者、健常者という全体のくくりで見ると、障害者というグループに分けた場合にそのブループはコストが勝ると言うことができてしまうだろう。

コストに関して、障害者、健常者と分けて考える必要はあるのだろうか。どうであれ、コストが勝る人がいるということだけである

なので、障害者、健常者といった区別自体無意味だ。

と、言ってしまいたいが、生きる価値という部分を産むべきか否かといった側面から考えた場合には残念ながら簡単には言い切れない。

一生体を起こすことはできない、一生自分自分認識することができない、といったように、ほぼコストが勝るであろうということが、生まれる前から分かってしまうという事がありえるからだ。

ただ、これについても、ドーキンス博士のように例外もいる。彼は生まれる前ならコストが勝ると判断されても仕方がない状態であったと思われる。だが、彼が社会に与えた功績は非常に大きい。

これの意味するところは、コストが勝るなどと正確に判断はできない、ということだが、この判断と同様のケースにおいて、数が増えれば平均コストが勝ることになるだろう。

平均という概念にはその平均を算出するためのくくりが必要である、そのくくりとして障害者、健常者といった分け方がなされることになる。

平均コストで話を進めるなら、もうこの議論手詰まりだ。

あと残っている議論障害者と健常者の線引きをどうするかといったことだけだ。

この議論では生きる価値には辿りつかない。なのでこの方向で進めるのはもうやめることにする。

コストという面から人間を考えてみる。

もうこれは、誰にとってのコストかということに尽きる。

人間人間以外にとってほぼコストしか過ぎない。

他の生物にとって人間特に価値がない、地球にとっては逆に諸悪の根源かもしれない、宇宙にとっては人間などなんの意味もないだろう。まとめれば、人間は等しく生きる価値がないということだろう。

それでも、大部分の人々はそれぞれ自分には生きる価値があると思っている。

意識していないと言う人がいるかもしれないが、それは、自分には生きる価値がないわけではないと思っているということだ。

なぜ、大部分の人々はそう思えるのか。

それは、必要とされているという気持ちがあるからだ。

いや、もしかしてこれは、必要とされている度合いから、かけている迷惑を引いてプラスになるからということなのかもしれない。

あれ、よく分からなくなってきた。

この考え方で生きる価値があるという答えに辿り着けるのだろうか。

いったん、ここでやめる。

下記にネットに載っていた、何か訴えかけられた気がした文章をのせておく。



同じように重い障害を持って生まれてきて、

の子が死んで、この子がまだ生きていることの理由やその不思議

いったい誰に説明できるというのだろう。

そんな、人智はるかに超えたところにある命に、質もへったくれもあるものか。

「生きるに値する命」だとか「命の質」だとか「ロングフル」だとか、

そんなのは、みんな人智の小賢しい理屈に過ぎない。

まれてきて、そこにある命が

生きて、そこにあることは、それだけが、それだけで、是だよ。

本当は障害のあるなしとは無関係

誰がいつ死ぬかなんて、誰にも分からない。

から

の子もこの子も、生きてこの世にある間は

生きてこの世にある命を、誰はばかることなく、ただ生きて、あれ──

それを、せめて大らかに懐に抱ける人の世であれ──と

2024-11-07

anond:20241107140739

広辞苑よりウィキペディア記述のほうがまともだな。

1989年に発覚した東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件において、犯人収集していたアニメ特撮等の多数のビデオテープ漫画雑誌を、マスコミ事件と関連付けて盛んに報道したことで、世の中でオタクバッシングが起こり、皮肉にもその「おたく」の存在世間一般に広く知られるようになった。そのため、当初は漫画アニメコンピュータゲームアイドルなどの趣味を持つ人たちと、社会性が欠如している人間や対人コミュニケーションが不得意な人等を、十把一絡げにして指し示す否定的意味合いを持つ言葉として使用されることが多かった。

その後、1990年代後半からインターネットの普及やアニメ漫画コンピュータゲームアイドル社会的地位の向上によりおたくへの悪い印象は薄れ、現在では単なる「ファン」や「マニア」と同義で使われることも多い。

anond:20241101194737

これって結局、資本主義賞賛する能力主義から来ているのかもしれない。

自分能力あるかないか(それと同義の金や地位)にものすごく気を取られリソースを割いて生きてきた自覚がある。

器用でない、うまく生きられない人間能力がない、努力する能力すらないと、さげすむ世の中になっている。嫌だ。

スタートが違うのだからそういう人たちも救ってあげましょう、というのも違う。

うまいやつ下手なやつがいるのは当たり前だし、狩りが下手な獣がなかなか餌にありつけなくて痩せていくことも現実にある。でもそれは存在としての価値、生きたことの意味には何も関係ない。

生きるのが下手くそな(能力がないとされる)人間バカでも恥でもない。誠実さ、直向きさがあればそれだけが生きるに十分に値する。値しすぎるほどだ。生きることへの必死さに優劣はない。その当たり前のこと、当たり前の敬意がなくなっている。

勝利でも成果でもうまさでも適応でも器用さでも美しさでも、そんなのは生きることの価値なんかじゃない。くそみたいなもんだ。

2024-10-30

フォルクスワーゲンで考える社会保障の持続性

フォルクスワーゲン国内工場3個所の検討を始めた。

VW国内で大規模人員削減し3工場閉鎖へ 労組幹部表明 - ロイター

https://jp.reuters.com/business/autos/CSNYEOUHQBMNJLFKBR7UTLJQNY-2024-10-28/

はてな界隈でもこれはかなりのインパクトがあったようで、まさか一度に3箇所のドイツ国工場の閉鎖を検討しているとは誰も予想ができていなかったと言わざるを得ない。

VW辛酸は無茶な自然環境保全計画政策欧州連合圏で採択されたことによって、それら政策の法的な制限下で企業運営しなければならなくなったVWが、中国の競合する電気自動車伸長と価格競争で苦境に立たされ、一気に採算性を落とし販売台数が振るわなくなった結果、それらEUおよびドイツ政府政策責任VW経営者被雇用者が取らなければならない事態に陥ってしまった。

ドイツでのVWと似たような存在感を放つトヨタを擁する日本労働者階級として気になるのは、ドイツ社会保障費に関する持続性問題がどうなってしまうのか?ということだ。

調べてみると、当然のようにドイツ日本と似たような社会保障制度を持っている、というか日本ドイツ社会制度を大いに参考としており、老齢年金や遺族年金障害者年金などの制度があり、社会保険扶養者が社会保険料を支払っていれば被扶養者も加入判定となり、更には社会保険料の負担額も所得に応じた調整がある(ソース:ドイツ連邦年金保険組合)。

政府が誤った政策を取ると完全に明日は我が身と戦々恐々とするが、他山の石として社会保障費に関する持続性問題国内自動車産業がどのように影響するのか?を検討してみたいと思う。

物凄くシンプルな話だが、ロイター報道しているようにVWの3工場で数万人規模の解雇VW本体として起きると、そこには当然ながら自動車の大幅な減産が発生するので、自動車部品や周辺サービス供給する関連企業へ大幅な減産は波及し、これら関連企業雇用も危ぶまれ・・・というか危ぶまれると言う表現ですら日和見すぎであり、解雇は必至だ。絶対にクビ切りをやる。

機序を改めて説明するまでもないとは思うが確認のため説明すると、ドイツ国内での解雇自動車業界と、例えば工場周辺にある飲食業労働者作業着供給する服飾業、小売業広告業ゲーム娯楽産業などなど様々な業界へも影響するため、ドイツ国内での解雇は数十万人、下手すると百万人規模に膨れ上がるのは想像に難しくない。

ここから何が起こるかと言えば、税収や給料から控除されていた社会保険料や年金の大幅減少であり、即ち社会保障費に関する持続性問題加速度的に現実味を帯びてくる。しか引退後まで逃げ切れると思っていた世代にすらその現実は重くのしかかる。

これを改めて確認すると「本当にヤバい・・・」と生唾を飲む思いだ。

逆を考えてみよう。これまで豊かと見られていた超大手企業VWと関連周辺企業地域の様々な業態産業、それら従業員はなぜ豊かさを手に入れられていたのか?

それはVW外貨を獲得し続けていたからだ。企業の売上、従業員給料、収められる税金社会保険料、そして年金の原資はVWが稼ぎ出した外貨だった。

EUドイツ政府の誤った政策によりVW外貨獲得は阻害されてしまい、3工場閉鎖をVW経営者ではなく労働組合検討し始めるという自体にまで陥っているわけだ。

うつまりトヨタを擁する日本外貨獲得を阻害する誤った政策政府により実行されてしまうと給料雇用どころか、社会保障費や年金の持続性を更に危うくするような、VW危機的な現状の後追いをする可能性が非常に高い。

日本では直前の衆院選2024で、与党自公議席が大幅に減って衆院議席過半数を割り、立憲民主党国民民主党日本維新の会、その他小規模議席政党などの政策が以前よりも通しやすくなった。

これは政策立案や可決などで与党自公の横暴を防ぐ非常に良い状態だと評価しているものの、VWが苦境に立たされて社会保障費の持続性が悪化する原因である外貨獲得政策について野党がどのようについて考えているのか?というのは確認しておくべきだ。

例えば、就職氷河期世代年金などへついて「自分たち引退頃には受給年齢が引き上げられ減額される」と予測している人が大半だと思うが、ここにVWのような外貨獲得阻害の状況が付加されたらどうなるかと言えば、前述のような予測見通しすら甘い考えになる。

今の20代予測のように「自分たち世代年金貰えない」のが就職氷河期世代へも降りかかることになるのだ。

さて、前述の外貨獲得政策について野党がどのようについて考えているのか?から先ずは立憲民主党の衆院選2024の公約確認したいと考えたが、正直に言ってこれを高く評価するのは非常に困難だ。

単一ページだけを見て評価をしてしまうのは申し訳ないと考え、立憲民主党政策集2024 経済政策など立憲民主党公式Webサイトをくまなく読んだが、立憲民主党思考は完全に内需しか向いておらず、何なら企業資金調達の要であり、今や年金を原資として金融市場運用することで年金の持続性を高めている金融市場へ対して冷水を浴びせる金融所得課税強化まで検討しており、立憲民主党支持者は現在政策の他に「あまりにも内需へ向きすぎてはないか外貨獲得をどうするのか?」を立憲民主党へ問わなければならないと思われる。立憲民主党の成長ポイントだな。

続いて国民民主党の衆院選2024の公約確認すると、今一歩足りない気もするが立憲民主党よりは世界を見ており、より将来の社会保障の持続性について不安感の強い20代若者から比例票が流れたのも納得できる部分があり、表現として適切なのか検討する必要はあるものの、企業とべったりな自民党内需へ振りすぎている立憲民主党の間の子のような性質政策を取っている。

そして日本維新の会の衆院選2024の公約確認するが、日本維新の会は立憲民主党とはまた方向性の違う内需へ向きすぎな政策を取っており、特に外国人へ対して厳しい目を向けているようで立憲民主党平等を訴えがちだが日本維新の会は日本人優先、ポピュリズム政党面目躍如と言ったところか。外貨獲得に関しては立憲民主党どんぐりの背比べなのでどちらが優れているという話はない。これも日本維新の会の成長ポイント

そして、日本共産党やれい新選組日本保守党参政党なども確認したが、言うは及ばず立憲民主党日本維新の会よりも強力に内需へ注力するどころか賃上げ消費税減税を訴えつつ企業負担の大きい内部留保課税金融所得課税などをするという国内資本を食い潰すことしか考えていない経済観の有様で、どうやって社会保障の持続性を担保するのか本当に謎だ。

以上のことから野党現在与党自公過半数を取れていない衆議院自民党政策について取引する際、自民党外需の刺激や輸出企業支援法案として打ち出そうとするとき邪魔をせず、例えば自衛隊補正予算を付けるなんていうとき夫婦別姓法案の可決を飲むのであれば協力するなどの動きをしたほうが良い。

もしも、自民党外需の刺激や輸出企業支援法案として打ち出した際に、野党がそれと取引をしようとするということは我々国民社会保険医療費年金人質にしていると同義であり、最悪の場合ドイツVWのような状況となってしまうので、こういう野党の動きには国民一丸となって野党非難すべきであるし、野党外貨獲得をもうちょっと考えようよと国民提言するべきだ。という話でこのエントリを締める。

2024-10-29

anond:20241029220006

拙者、戦国の世に身を置きし武将として、存分に答えさせていただこうぞ。選択夫婦別姓の是非について、現世の在り方とやらを受け入れつつ、参らん!

1. あくま選択的だから同姓にしたい人に迷惑をかけないって本当か?

拙者も「選択」の名を借りているとはいえ、同姓の者に非効率などと申す声があるのは気にかかるところでござるな。「迷惑をかけぬ」ならば、選ぶ者の自由を守るのが筋。そもそも戦(いくさ)においても、多様な兵がその持ち場にて力を尽くすゆえに勝利が得られるもの。よって、同姓も別姓もそれぞれの「兵」として、無駄なく働ける環境を整えるべきと考えるゆえ、同姓を選ぶ者を非難するのは筋違いと存ずる。

2. 子供の姓はどうするのか?

お主の申す「姓の按分」については、拙者も確かに同意を覚える。いざという時、遺された子の姓が揉め事の種とならぬよう、武家家督争いのように対立が起きぬ仕組みが肝要であるな。長子・次子に分けて姓を伝えるなども一法ながら、子を持つ夫婦が共に話し合い、然るべき「次の策」をもって家を守るのが先決かと考えるぞ。さもなくば、家中はもとより、血筋のものに遺恨が残るであろう。

3. 選択夫婦別姓がないと、男尊女卑が温存されるのか?

男尊女卑の世風を憂う心、よく理解した。現状の制度では「男の姓が家をつなぐ」ことが主であり、選択夫婦別姓男尊女卑の打破に繋がると見る向きもあろう。しかしながら、拙者は「姓は家を守るための絆」という価値が残るならば、どちらの姓でも心ひとつに家を継ぐ覚悟があれば、性別にこだわる必要もなかろうと考えるぞ。

4. なぜ結婚したいのか?

婚姻は多くの「権利」を得るためのものとも言えるが、そもそも「家」を成す意義があれば結婚に代わるパートナー制度も然り。確かに婚姻以外の手法で同様の地位を与え、権利を認める方策があれば、現代夫婦も己の望みに応じて結ばれやすかろう。されど、愛する者と共に家を成し、ひとつ血筋を保つには、今の「婚姻」が最もわかりやすい形かもしれぬ。

5. 手続き煩雑さはマイナカードに言えばよいのか?

姓を変えるたびの手続きは、面倒であると存ずる。されど、現代には「マイナカード」なる便利なものもあると聞くゆえ、こちらの活用を図るも手であろうな。諸事を一括して処理できるよう、現代制度を拡充させ、姓変更の手間を省ける道を講じるがよいと考えるぞ。

6. 姓にアイデンティティを求めているのか?

武家においても姓とは「家の象徴」であり、己の誇りでござった。それを「こだわりがない」と断ずるのは些か不自然とも見受けられるゆえ、拙者も理解を示すゆえなり。「姓を維持するは、己の名と同義である」と心得ておれば、姓にこだわることも無論、意義のあることと存ずる。

このようにして「家」「名」「己の誇り」をどう守るかは、武士の世から変わらぬ問題よ。増田殿も、存分に議を尽くされよ。

anond:20241025140857

俺「暇な時は家事しましょう」 からカチンとこられてるね

家事」が男の家事男の料理同義の「目に見えるとこだけつまみ食い系」)にみえたのでは

急に主語でかくするといかにも「掃除家事のメイン」とおもってそうにみえるしだれもそんな急に話が飛んでる(ことに自覚がない)やつと話したくない

2024-10-27

責任逃れのアンケートはやめろ。アンケート戦略を立ててやれ

あることを継続するかどうかのアンケート

  • 「続ける」
  • 「条件付きで続ける」
  • 「やめる」

と言うアンケートをとると、通常は「続ける」「条件付きで続ける」という結果を合算することになるので、おおよそ「続けるが改善する」という結論になる。

結果、案の定アンケート結果は、続けるが12票、条件付きで続けるが8票、やめるが15票という結果になった。

で、結論は「有志によって続ける」という事で「やめる」と同義結論が出た。

これやった奴、ばっかじゃねーの? 無能すぎる。こう言う無能リーダーにしてはいけないが、回り番なので仕方が無いか

どうするべきか

  • 最初からやめたいのでと言うのなら、こんなクソみたいなアンケート責任逃れをするのではなく、アンケートなんぞ取らずテメエの責任でやめると言えば良かった
  • 根回しした結果で続けると言う結果が多いのなら、続けるってことではないのか。

あとこいつ、やめるが多くても玉虫色にする為に「全体ではやめる。有志で続ける」という結論を言っただろう。

では、やめたい場合どうすればよかったか?(番外編)

そもそも、アンケの取り方が下手糞。もしやめたいのなら

  • 「続ける」
  • 「やめる」
  • 「別の方法模索する」
  • 「その他」

と言うアンケートにするべきだった。

こうするとほぼ「やめる」「別の方法」で結論は「やめる」になる。後は設問も誘導する。

まぁ、アンケート手法シンプル悪用である。これをやると知識がある人から「やりやがったなテメェ」と言う反発がでがちですが。


アンケートというのは、基本、大抵選択肢が多い所に集まるので、ちょっとでも訓練を受けていればできる限り同数にする事が求められる。

ただ、アンケート対象者微妙なので、「条件付きで続ける」「条件付きでやめる」を両方入れると、中間の2つはほぼ似たような「条件」が集まってよくわからない事になる。

また、集計結果の解釈で揉めるので、シンプルの二択にして本当は「その他」を入れないほうがよいが、入れずに無回答でコメントだけ入れる迷惑な奴が出るので、入れておく方がマシである

2024-10-26

(続き)週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ25選(改訂版)

anond:20241026155116の続き

14.SLAM DUNK 作:井上雄彦 1990年42号 - 1996年27号

ハイキュー最終回を迎えた際、Twitter感想を漁っていたら、「なんでバレーしてるだけなのにこんなに泣けるんだろう」というファン投稿が目に入った。自分ハイキューで泣けるほどの感受性はとうに持ち合わせてなかったが、そこから数えて24年前にほとんど同じ気持ちを味わっていた。

井上雄彦作品通底するのは徹底したリアリズムである。彼が本作で行ったのは、本気でバスケットボールに挑む人間思考感情をつまびらかにするだけで面白くなるということの証明と、人気が出なかった時のため不良路線でも行けるような作風を選んだことだけである(当時バスケットボールマイナースポーツであったことに留意したい)。この結果、フンフンディフェンスを除くあらゆる要素が後世のスポーツマンガにリアリティ基準点をもたらすこととなった。

桜木花道バスケットマンに変貌するたった4ヶ月の物語は、命のやりとりや世界が終わることよりも一本のシュートの成否の方が遥かに切実で重要問題になりうることを、今なお我々に伝えている。

15.るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 作:和月伸宏 1994年19号 - (ジャンプSQで連載中)

講談社1970年代末期には後発のジャンプマン業界盟主地位を明け渡しているわけだが、それを奪い返す最大のチャンスが90年代後半に訪れた。DB幽白スラダンといった作品が終了した暗黒期のジャンプを、金田一はじめの一歩GTOを擁するマガジン苛烈に追い上げ、ついには発行部数で逆転したのである

その中で強引に看板作品祭り上げられ、ジャンプ屋台骨を支えることになったのが本作だ。後に和月伸宏は「次につなげたい」という気持ちで描いていたと語っている。明治という激動の時代の中で不殺剣士・剣心が刀を交える相手は、旧時代に未練を持つ者や、新しい時代の荒波に飲み込まれた者たちであった。黄金期と暗黒期の狭間で奮闘した本作のありようは、皮肉にもそこに重なって映る。

ワンピナルトが出てくるまでを空白期間にせず、少年マンガ誌の代表というジャンプアイデンティティを守りぬいたのは同時代の誰も比肩できない功績だ(幕張封神演義BOYSにこの役割代替できたか考えてみてほしい)。現代ジャンプ読者はもっともっと本作に感謝すべきだと、佐藤健超人的なワイヤーアクションを眺めながら思うのである

16.セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん 作:うすた京介 1995年52号 - 1997年40号

連載終盤、もはや燃え尽きる寸前だったといううすた京介は後年、「マサルさんシュールではなく、ベタシュールに見せていただけ」と語っている。自分を含め、多くの読者は同意しかねるだろう。彼が未来永劫に参照点となりうる新たなベタを作り上げたことに疑いの余地はないからだ。

本作はギャグマンガでやってもいいことの範囲を大幅に拡大した。キャラクターの行動原理なんてなくていい。話の展開は唐突でいい。絵柄は毎ページ変わっていいし上手くなくていい。読者が知らなさそうなパロディだって入れてよいのである現代観点では至極当然と思える要素を2年弱、全7巻に惜しげもなく詰め込んだ。

彼の次回作(ピューと吹く!ジャガー)ですらも、ついにその革新性を更新することはなかった。90年代にうすたに憧れ新人賞に応募した有象無象ワナビー達も誰一人として出来なかったことを考えれば少しは気が休まるだろうけども。

17.遊☆戯☆王 作:高橋和希 1996年42号 - 2004年15号

闇の人格を持つ主人公によるダークヒーローものというコンセプトで始まった本作は、ほどなくしてマジック&ウィザーズという架空TCGを中心にした物語に変化した。この変化が、数十枚の紙束を並べる行為を、玩具ゲーム業界において最も存在感のあるエキサイティングな遊びに位置付けることになる。

コナミでは社内の遊戯王関連の部署をしばしば「造幣局」と呼ぶそうだが、紙を刷って売上1兆円に到達するコンテンツなど他に存在しないことの証左である。こうした状況に、高橋和希の優れたキャラクターデザイン、ストーリー構成が大きく貢献したのは言うまでもない。ゲーム友情を育むツールになりうると示し、メディアミックスの力を世に知らしめた功績は間違いなく彼のものだ。

18.ONE PIECE 作:尾田栄一郎 1997年34号 - 連載中

世界で最も多く発行された単一作者によるマン作品について何か語るべきことがあるだろうか?まだ言及すべき余白が。本作のように自然カテゴライズを避ける作品というのは極めて少ない。友情、夢、自由、強さという最もありふれたテーマに挑み、ついにそのすべてを超然と飲み込み描き切ろうとする本作を何らかの箱に入れて理解するのは難しい試みに思える。

毎週月曜日ワンピを読んで喧々諤々と考察できる世界に我々は慣れ切ってしまった。30年間マン業界の頂点に君臨する男がいるという現実に。一定年代以上の人間にとって、本作の終わりがジャンプという雑誌終焉に見える人がいても無理のないことだ(今ワンピの次に長寿連載しているのはハンタを除けば2019年連載開始の夜桜さんである!)。ルフィ尾田栄一郎という二人の男の、幼少期から練り上げた夢の果てを世界中が見届けようとしているのだ。我々がこうした光景にふたたび立ち会えるかは疑わしい。

19.HUNTER×HUNTER 作:冨樫義博 1998年14号 - 不定掲載

幽白は極めて質の高い作品でありながら、冨樫義博が抱える巨大なアイデアの数々を収めきれた作品ではなかった。それでも仙水編と、その後に異例の月一で掲載されたレベルE前人未踏領域に踏み込んだ彼は、自身4作品目の連載においても既視感のある展開とご都合主義執拗なまでに避け続けた。彼の描くキャラクター達は自身が取れる最善の選択を積み上げた末に、我々が期待する最善以上のドラマを生み出す。幾度もの休載を挟みながら。

「今週の『HUNTER×HUNTER』は休載いたします」の表記(今はこれすらなくなったが)を昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらぬ平常心で見られるようになってもなお、自分に限ってはこんな感じであった───「HUNTER×HUNTER最終回を読める可能性があるというだけで、どんなクソみたいな人生でも生きる理由が生じる」

いまや冨樫は少しずつ体調を取り戻し、我々は一時期とは比べ物にならないほどコンスタントに彼の創り出す世界に触れることができる。何百何千もの作品ジャンプにおいて連載され、本作に近い作品、それ以上のものを期待し続けてきたが、その度に彼の偉大さを突き付けられるだけなのだろう。

20.テニスの王子様 作:許斐剛 1999年32号 - (ジャンプSQで連載中)

前例のないテニスマンガでの成功女性読者の流入クール生意気で強い主人公像、菊丸が分身して以降のテニヌ...といった誌面上で読み取れる新規性だけでは、本作のもたらした文化のごくごく一部しか語りえない。

1000曲近いキャラソン、出役としての役割を求められる声優たち、2.5次元文化の源流かつ若手俳優登竜門としてのテニミュ...現代における狭義のオタク文化の根を辿れば、必ずテニプリが残した功績にぶち当たる。「推し」という文化が、人間を描くあらゆるコンテンツ侵食して久しいが、許斐剛が生み出した世界は、ジャンプで築き上げられたあらゆるファンダムの中でもっとも複雑で永続的な強度を保ち続ける、史上最も「推す」に値する文化であり続けている。

21.NARUTO 作:岸本斉史 1999年43号 - 2014年50号

すみませんほんとに書くことが思い浮かびませんでしたでも世界的にマン文化を広めた功績は鳥山に並ぶと思ってますマジで

22.BLEACH 作:久保帯人 2001年36・37号 - 2016年38号

まりに多くの言及がこの作品になされ、そのどれもが口をそろえて言う。「描き分けが上手い...絵の引き算が上手い...ルビ振りのセンス...久保帯人中二病...ストーリーが薄い...」これらすべてはもちろん真実だ。

連載中、ワンピナルトブリーチの三枚看板最後尾というポジションが崩れることは一度もなかった。果たしてこの評価妥当だったのかは分からないが、少なくとも我々ネット民久保帯人センスバカにし過ぎたことに対し大いに反省すべきところがあるのではないだろうか。海賊忍者のような明確なモデルがいないのに、久保帯人はどうしてあれほどまでに洒落キャラクターセリフ回しを無尽蔵に生み出せたのか、系統立てて説明できる理屈は未だ見つからない。もしその答えが彼の脳内しかないとするならば、我々は本作を源流に大いなる歴史が作られていく可能性を認めなくてはならないだろう。

23.DEATH NOTE 作:大場つぐみ原作)、小畑健作画2004年1号 - 2006年24

デスノートという作品複数の点で極めて例外的成功を収めた。肉体的攻撃を伴わない心理戦、一切の引き伸ばしをしない、公権力宗教的崇拝、欠点の無い主人公ゴシックキャラ造形、ダークヒーロー、死亡エンド...

本作に散りばめられたこれらの要素は、すべて従来のジャンプ漫画では邪道、あるいは不要とみなされてきた要素であった。このような野心的な作品メディアミックスにおいても成功を収め、国民の誰もが知る作品となったのは驚異的だ。この作品が出たことは心理戦を描こうとする後世のマンガ家にとっては悲劇かもしれない。夜神月ほど賢く、悪どく、魅力的なキャラクター矛盾なく作れる人間大場つぐみくらいしかいないのだから

24.鬼滅の刃 作:吾峠呼世晴 2016年11号 - 202024

2010年代ジャンプを購読していた人間はみな共通してうすぼんやりとした不安を抱えていた。「ワンピの連載終わったらジャンプってオワコンじゃね?」

ジャンプの終わりという、週刊少年マンガ誌という形態の終わりと同義に思える未来を避けるべく、集英社は読者以上に血眼になって後継者を探し求めた。しかし我々の期待も空しく、トリコ暗殺教室ヒロアカソーマブラクロ約ネバドクスト呪術といった平成末期の傑作たちすらも、尾田栄一郎が築き上げた領域には辿り着けなかったように見えた───ただ一つの例外を除いては。

家族、友人への愛」「困難を乗り越える強さ」という普遍的テーマフォーカスした吾峠呼世晴の連載デビュー作は、あらゆる世代へ届く成功を収めた。特に劇場版無限列車編』は社会現象化し、国内興行収入1位を達成するなど、経済的にも文化的にも大きなインパクトを残すことになった。

出版業界の衰退、コロナ禍、趣味多様化といった逆境の中で、マンガが世界的なムーブメントを引き起こすことがまだ可能である証明した本作は、令和を生きる日本人心象風景に残る新たな「国民マンガ」として、時代に選ばれたのだ。

25.チェンソーマン 作:藤本タツキ 2019年1号 - (ジャンプ+で連載中)

ひとりのスター存在プラットフォーム価値定義することは古今ジャンルを問わずあることだ。ダウンタウンの登場がお笑い養成所という存在メジャーにしたように、米津玄師の登場がニコ動文化オーバーグラウンドものにしたように。

2014年に創立したジャンプ+というプラットフォーム目的である「紙とデジタルの垣根をなくし才能を育てること」が名実ともに達成されたのはいつだったのか?それは初めて本誌とジャンプ+両方でスターとなった人間の登場によって定義付けられる。

かつて秋田の片田舎から新都社に「長門は俺だ」という名前投稿していた少年は、その衝撃的なストーリー展開で我々を魅了する存在となった。ファイアパンチ以降、ジャンブ+はあらゆるWebコミックサイト、いや雑誌を含め、もっとも野心的な作品を読める場所ひとつとして認知されるようになった。

藤本タツキの本誌への到着は新たな才能の鉱脈インターネットに求める時代の始まりを告げ、媒体の違いというものマンガの面白さになんら本質的な影響を及ぼすことはないという事実を我々に突き付けたのだった。

2024-10-22

漫画家の端くれだけど某協会に入りたくない。


以下のような人には非推奨です。前のページに戻ろう。

文章の雑さ・誤脱が気になる

・内容に関わらず否定をするために斜めに読もうと思っている

・某協会トップありのままの姿が大好き

自分の思う通りの内容でなければならないと思っている

・今何かに八つ当たりしたいと思っている

文章前後意味ニュアンスを読み取れない

・読めない漢字飛ばしがち

・人の心の機微が分からない・わかりたくない

自覚があるやつは読むな。それは自傷だ。


これは某協会トップをドチャクソにけなしたいとかいう話ではなく、こういうところが

引っかかっていつか会員になりたい~からやっぱいいわになってしまった原因を挙げ、

どこがダメなのか、どうしたらいいのかを自分なりに考えて書き散らしたものである

異論は認める


漫画家の端くれだけど某協会に入りたくない。



そもそも入るためのお金が無いというのもある。

だがトップの方が作家必死で出したヘルプに対しろくに発言前後を調べもしないで


まず


一番に


交渉できますよ。すればいいんです。僕はずっとしてきた。やればいいのに知らないの?

まあでも決めるのは出版社ですけどね」(意訳)


と、ヘルプ内容を「大したことではない」「行動が足りないからだ」「無知からだ」と受け取れる

発言をすることでヘルプを出した作家さんが晒し上げになるのを見るのがストレスすぎるからだ。


このような発言をされると、作家は今後なにか困りごとがあっても必ず漫画家協会トップ

目に止まった瞬間まず


あなたの行動(努力)が足りないからでは?」


と言われ(本人がそういったつもりはなくても大半の人間はそうとらえる)、その周りの

先輩漫画家たちが「間違いない」と賛同しているところを見せられるのだと考えてしまう。

というか見ている。

ヘルプを出した漫画家は傷つき、何も言えなくなる。

発言を追っているといずれ話は聞いてもらえるのかもしれない。なにか対策を教えて

貰えるのかもしれない。それでも安くないお金を払っていて、いざ助けてもらいたいと

いう時、全世界に向かって自分所属している組合トップとそこに追随する立場の人々に


「まあこの人の言ってることで私は困ったことないんですけど。なぜなら行動したので」

「そうだそうだ!」


って枕に言われるのはしんどすぎる。


あらゆる行動、交渉が実現する時に、自分の、またその作品価値出版社考慮

入っていることは当然として、だが彼はあえてそれは言わず出版社次第」と言う。

実力の世界での「相手次第」というのは「交渉しようとしている『お前の価値』次第」と

言っているのと同義である報酬が出るかどうかの話なら


「お前が売れてるなら払ってもらえるかもね。知らんけど」


と言っているのと同じである


助けてと言ったら(なんならまだ助けてとも言っていない)必ず一度は(直接的、自覚的でないにしろ)

確定でパワハラモラハラされるのが分かっていて、何故金を払ってまで所属せねばならないのか?

穿った見方をすれば、


「そんなことで文句言うなんてお前本当に漫画を描くのが好きでやっているのか?漫画を愛して

いないのか?だからそんな不満が出るんだ」


まで言われて責められてるような気持ちになる。

(だいぶ穿っているがそのような方は多いと思っている。ただこれも印象である)


別に全面的に味方して欲しいとかではない。してくれれば嬉しいがそういうものではないことは

わかっている。金払ってるんだから何もかも解決して欲しい、都合のいいようにしてくれないと

困る、などという寝言のためにこんなくどくど言っているわけではない。


作家決死の思いで出したヘルプに対して「自分は困ってない」とわざわざ宣言するな、と言いたいのだ。


無関係有象無象が言っているのは構わなくはないがまだいい。よくはないが。

そんなつもりはないと言うだろうが実際そうとしか解釈できないし、そう解釈たか

有象無象が困っている作家クソリプをし、出版社が「大御所先生が困ってないと

仰ってるんですからあなたも…」と言い出すのだ。


なのでこの人だけは言ってはいけないと思っている。言ってはいけないに該当する人は他にも

いるが誰も彼もが人格者ではないだろうからそこまでは求めない。せめて総括トップ(と世間的には思われている)

人物くらいは寄り添った発言をするべきじゃないのか。


そりゃ困ってないだろう大御所爆売れ作家協会トップなんだから。なぜ言ってはいけないかが

からないのなら、このたとえでいいかからないが財産漫画家年収中央値にして自分

ブランド通用しない業界で、世の中や法律では対価を払うようになっているし他の人は払って

もらっているのに仕事相手がここぞという時になると「慣習で支払ってない」と返してくる現場10

くらいいればいいのではないか。よほど器用で頭が良い体力のある若者でなければうまくはいかないだろう。

(もっといい例えがあるなら提供してくれると嬉しい。)


なにもその困ってないことをこの世の道理を捻じ曲げてでも変えてほしいと言っているのではない。

主張をするのにも順番があるだろうということだ。


「困っている」と言ったのに対して一番最初に言って欲しいのは

「どういうことで困っていますか」

ではないだろうか。

原因はなにか、どのような対策をしたか、結果どうなったか聞き取りしたうえでどうすれば良いかアドバイスし、

必要なら人を紹介する。どうしても無理なことならそれを専門家説明してもらう。

自分の主張や感想は後でいいだろう。少なくとも他人を助けようという立場にいるのならそうするの

ではないだろうか。

転んで膝を擦りむいた者に「俺はつまづいた時は手を先に出します。それで体を支えて怪我

しないようにします」と道端で大衆に向かって叫んで「そうだ、俺だってそうしてる」「昔からの慣習で

そうやってる」とかいう人が集まってきたところで「ここで怪我してる人がいるって聞いたけど」と

手をさしのべられても「ありがたい!やはり頼りになる」となるだろうか。

※ありがたいと思われたいからやっているわけじゃないだろうというのもあるだろうがこの辺のニュアンス

からない人には永遠にからない課題だろうから今のうちに離脱した方がいいと思う


我々の時代は、とか自分場合はこうだった、とかは後でまとめていえば良いだろう。まず困っている

人の話を聞くのが先だ。なぜ自分のことを言いたい気持ちを一旦飲み込んで困っている相手

何があったか、わかる範囲ですら調べず衝動で余計なことを書いてしまうのだろう。その衝動

漫画家の口を塞ぐことになると考えないのは何故なのか。


ご本人は全く悪気はないようなので、自身発言の内容(主に言い方)、タイミングいか

問題があるものなのかを自覚していないのだろう。


衝動発言している。今自分が思ったことをすぐに発信しなければと思いたち行動に移してしまう。

それによってどのような人がどういう気持ちになるのかを一切考えない。なぜなら自分の考えを

発信することで頭の中がいっぱいだから他人のことを考える余裕などないのだ。

結果、困っている作家は彼とそれに追随する作家たちに自分の困り事を(事情も知らないのに)

否定され、なんなら

「こいつ売れてないくせに文句だけ言ってる」と外野嘲笑されさらストレスを抱えるることになる。


ところでこういう放言に関して、気にしなければいいとか売れている売れていないが本当か

どうかが問題ではない。その言葉相手を傷つけようとして言われているということそのもの

ストレスを感じるのだ。禿げていなくてもハゲと罵られたら傷つく。美人でもブスと言われたらムッと

するだろう。言葉意味よりなんのためにそれを言われたか問題なのだ


話を戻す。そもそもSNSWeb上で告発するのならそのようなことを言われるのは承知の上では

あろうが、それを招いたのが自分所属している協会トップだったらたまらない。彼が基本に

則った正しい対応をしてさえいれば避けられた出来事なのに、自覚すらもないのだ。

そして「僕は自分が知っていることを言ったまで」と発言責任を取ろうとはしない。

それは言葉だけを見れば事実かもしれないが、時と場合によっては受け取る側の捉える意味

変わってくる。

ここで渾身のこのセリフを、このタイミングでこのシーンを、半生をその采配に費やしているはずの

人間が分からないはずがないと思うが、一切反省も取り繕いも改めることがないのだから

そこのところがもう手遅れなのだということだけはわかる。


最終的には手を差し伸べているのだから意地悪をしたくて余計なことを言っているわけではないの

だろうとも思う。ただただ衝動が抑えられないのだと思う。新聞ネットニュース見出しだけで

こうだろうと予測引用してしまうのと同じなのだと思う。でも彼が言及するその出来事は、

彼ならすぐに解決できた大したことではない出来事は、できる限りの手を尽くしたけれど及ばなかった、

という悔しい思いをした作家が心の持っていき方を知りたくて、なにかもっといい方法

なかったのか知りたくて出したSOSなのかもしれない、ということを考えてほしいと思う。


あと、会費がいくら余ってて今まで何に使ったのか今後何に使う予定なのか一年に一回

くらいまとめて各所で公開したらどうでしょうか。出版社からも一編集部につき1万円ずつ

徴収していると聞きましたが、それでものが言えなくなるなら徴収するのはやめたほうがいいと

思います


出版社については資本の大小や方針に色々あるでしょうから法律違反していたり法律

違反していないからとギリギリライン倫理のないことをしていなければ漫画家の言い分

ばかり押し通すのも無理な話だということは重々承知しています。良い関係でWINWINで

やっていける、譲れるところは譲りもらえるところはもらうで柔軟にやっていきたいところです。

いろいろな作家がいるなか絶対的な答えはないと思いますが、互いに尊敬しあえる関係

いたいと考えています


ですが漫画家の総括トップ(のような位置にいる人物)は漫画家寄りでいてもらわないと困ります

もし仮にこの文章が彼の目に入り衝動かられたらとき自身の行動の問題性を全く自覚する

つもりがないなら、彼はタイトルだけ見てこの元ネタは何なのか調べもしないでまずこう言うのでは

ないだろうか。


「某協会に入るか入らないかは選べますので」





2024-10-21

anond:20241020155518

まず前提として共産党以外の国政政党当選しようがしまいが一票につき250円もらえる(共産党ももらう権利はあるけどなぜか受け取らない)

から1票入れたらその分他の政党の取り分が減る(共産党無所属国政政党ではない候補者に入れて当選しなかった場合は完全な死に票で白票棄権同義)

たかが250円だけど1万票あれば250万円、10万票あれば2500万円政党に金が入る、それを考慮した上で今後伸びて欲しい政党があるならそこに入れる、ないなら参政党かれいわに入れる

参政党かれいわなら絶対政権を取ることも政権に参加することもない、政党交付金は受け取るので自民の体力は削れる

共産党は今だと下手したら民主党と組んで与党になる可能性がある

 

自民党 嫌なんでしょ?

公明党 同上

日本維新の会 自民過半数割れした場合連立を組む可能性がある

立憲民主党 政権を取る可能性がある、それが嫌なら選択肢に入らない

国民民主党 同上

共産党 同上

社民党 同上

れいわ 政権絶対に取らない、候補1

参政党 政権絶対に取らない、候補2

その他 当選しないと完全な死に票になる、時間無駄から棄権した方がいい

 

結論れいわか参政党のうち投票できる方に入れる(そうすれば他の政党の金を削れる)

2024-10-14

anond:20241014215920

キモい絵文字は👎なんだと思う。

私見だが。

ネットでも、あまりに多くダウンボートされたコンテンツ運営に削除されるだろ?

からキモい👎を嬉しい、とする感性は、「削除されるコンテンツをあえて上げる」

まり荒らし同義になる。

女性の出したナゾナゾの答えかは分からないけど、

荒らし社会不適合という意味でいったのなら辻褄は通ると思う。

2024-10-13

村上春樹作品ポリコレガン無視云々で思い出した恩師との会話

ノルウェイの森キモいとか嫌いだったとかコンプラの欠片もないとか色々言われている(私はノルウェイの森に関しては学生時代映画を観てヒロイン役の水原希子が「もう二度と演技の仕事はやりたくない」みたいなコメントをしていたこしか覚えていない)。

そういう意見に対する反応の中に「コンプラ違反キモい小説禁止されるようになったら小説は終わりだ」みたいなものがあった。

それを見て、以前に恩師と話したことを思い出したので、何となく回想する。ただ、記憶曖昧な部分も多いので、架空の話と思ってもらったほうがいいかもしれない。

恩師(A先生とする)は文学が専門の大学教員で、ゼミでお世話になった。私はリアル留年するレベル卒論に手こずったのだが、A先生は急かすこともなく私が自分なりに納得できるものを書き上げるまで待ってくれた。私がA先生を恩師と呼ぶのは、その「恩義」によるところが大きい。

昨年の5月、久しぶりにA先生を訪ねた。先生はその年の3月大学早期退職していたので、会ったのは駅の近くのルノアールだった。

挨拶やら近況報告やらを経て、話題A先生が定年を待たずに大学を去ったことに移った。先生退職理由について「学内の過剰な『コンプラポリコレ意識に窮屈さを感じた」というようなことを話した。

私は少し身構えた。当時の私(今もだが)はどちらかといえば「コンプラポリコレ重視派」というか、フェミニズム共感したり、不公正に違和感を抱くことは大切だと思ったりする人間だった。Twitter(現X)のおすすめタブも、かなりリベラル寄りに構築されている。だから尊敬するA先生がいわゆるポリコレアンチだとしたらちょっと嫌だなぁ困るなぁ、と思ったのだ。

私はA先生の話をもっと聴くことにした。先生言葉をどうにか納得できる形で解釈するための材料が欲しかった。

A先生は、最近学内には過剰な(と先生が感じる)ほどの「配慮」を求める空気がある、と言った。例えば、講義の中で残酷と思われる映像を扱う時に、事前に警告して「苦手な人は見なくていいですよ」と言わなければいけないのだという。

そのような「配慮」は、私も見たことがある。以前、NHK地上波ドラマで、作中に出てくるセンシティブな要素(性的描写暴力自傷行為など)について冒頭で警告していた。ある種のネタバレとも言えるのだが、人によってはフラッシュバックを起こしかねない描写に警告を入れるのは「正しい」ように思われた。

大学サイドはクレームを恐れている。事なかれ主義的に先回りして、学生を傷つける可能性の芽を片っ端から摘んでいる。それは学問を教える場としてあるべき姿だろうか? 人間が学び成長する契機の一つは『ショックを受けること』だ。本来人間には、ショッキング経験咀嚼し消化することで新たな知見や価値観を得る力がある。『コンプラ』に基づいた『配慮』によって学生たちをショックから『守る』ことは、彼らの『ショックを消化する力』を信頼していないということではないか?」

といった内容を、A先生は語った。確かに、誰でも見る可能性がある地上波ドラマと違い、大学講義を受けに来るのは一定以上のリテラシーを持った一定以上の年齢の学生に限られる。「後から訴えられるリスクを避けるため」という理由だけで、彼らの「ショックを受ける権利(≒成長する権利)」を奪うのは、学問の場の在り方としておかしいと言えるかもしれない。

また、A先生は「今これを読んでいるのだけど」と、明治時代私小説(確か森鷗外)を見せてくれた。詳しいあらすじは忘れてしまったが、端的に言ってクズな男の話だった。

「この話は、『ポリコレ』としては全く『正しくない』。だが、そういう『正しくなさ』を持っているのが人間ではないのか。そして、人間の正しくなくて醜くてクズな部分をも描くことができるのが文学(≒フィクション)ではないのか。『ポリコレ的に正しい』文学しか認めないというのは、非常に危ういことだ」

と、A先生は語った。これはまさに今回の村上春樹作品の「正しくなさ」論争に重なる話だろう。

ポリコレ」つまりポリティカル・コレクトネス」とは本来政治的な正しさ」を意味する言葉だった。ゆえに、配慮対象となるのはあくま現実社会を生きる人々であったはずだ。にもかかわらず、今ではフィクション評価軸として「ポリコレ」が使われており、なおかつ「ポリコレ的に正しくない」作品非難対象となっている。

だが、A先生の専門である(そして私が多少なりとも学んだ)文学という分野において、フィクションを「ポリコレ的に正しいか否か」で評価することはある意味危険視されている。文学にとって「多様性」は命だ。文学は唯一絶対の「真理」を信じない。なので、「ポリティカル・コレクトネスはどんな時も決して譲るべきではない」という立場とは、そもそも相性が悪いのだ。さらに、先ほどの先生言葉の通り、文学は「正しくないもの」の居場所でもある。フィクションには、現実社会では犯罪になるような行為差別的とされる感情も受け入れる余地がある。もちろん、受け手がそのようなフィクションに触れて「キモい」「傷ついた」「作り手の人格を疑う」などの反応を返すことは当然ありうるし、(特に商業的な作品では)作り手がそういった反応を回避するためにコンプラポリコレ意識することも普通にあるだろう。だが、「正しくない」フィクションを一律に禁じ、「正しい」フィクションけが存在を許される事態は、少なくとも文学畑の人間からすれば「あってはならない」ことなのだ。

1時間少々をルノアールで過ごし、私とA先生は再会の約束をした後、駅で別れた。電車の中で、私はずっと先生との会話を反芻していた。今思えば、私はまさに先生発言に「ショックを受け」、それを咀嚼し消化しようとしていたのだろう(この投稿自体がその行為の一環といえるかもしれない)。

最後に、フィクション受け手を傷つけることについて、思うことを書いておく。

私は昔から小説漫画など色々なものを読んできたが、その中でショックを受けたり傷ついたりしたことも少なくない。今でも覚えているのは、小学生の時に読んだ児童書で、登場人物クラスメイトのことを「グループ渡り鳥」とバカにしている描写だ。当時の私は特定グループ所属していなかったので、「私は『グループ渡り鳥』なんだ、良くない状態なんだ」と思い込み自己肯定感が下がっていった気がする。

それでも、私の基本的スタンスは「傷つくのは受け手事情」だ。明らかな悪意に基づくものならともかく、一般的フィクションに触れて傷ついたとしても、それは「自分の傷つきやすい部分に当たった」に過ぎない。「勝手に傷つくお前が悪い」とは言わないが、少なくとも「人を傷つける作品が悪い」とはならないと思っている。そもそも、誰も傷つけないフィクションなんて、誰も感動させないフィクション同義ではないのか。

以上、長々と書き連ねたが、今言えるのは、私が恩師にまた会える日を楽しみにしているということくらいだ。そしてその時には、また色々な話がしたいものだ。

2024-10-11

狂乱の暇空茜 堀口英利VSクラウドフレア

堀口英利を誹謗中傷しすぎて書類送検3発目を食らった暇空茜は、「堀口が逮捕されたらなんかウヤムヤになりそう」という願望にすがりついている

ここ数ヶ月、「堀口は逮捕されてシャバに出てこれない」という説を唱え続けている

堀口は清谷信一にも粘着されており、先日清裁判に本人尋問のため出席

空の中では、堀口は勾留中だが裁判のために監視付きで特別に出してもらったということになっている

そんな堀口が、今度はクラウドフレアとの裁判に出席した

暇空はそれも特別に出してもらっただけで普段勾留されてるとかなんとか主張中

クラウドフレアドメイン提供などを行う海外会社で、言論の自由を最優先するポリシーから著作権侵害でもヘイトスピーチでも基本スルー方針

漫画村クラウドフレアを利用していた

そして堀口叩きのメイン舞台の一つである好き嫌いcomもクラウドフレアを利用

堀口は好き嫌いcomにブチギレて管理人情報を出すようクラウドフレアを訴えたが、「個人じゃ無理、管理人の正体は割れない」とされていた

漫画村大手出版社が協力し合ってようやく倒せた

管理人が誰か不明からこそ、好き嫌いcomではどんな中傷が行われても削除できないという無敵神話があった

堀口は、管理人の正体を明かさないのはクラウドフレア違法行為に手を貸しているのと同義だとして、明かすまで毎日間接強制をかけ、1日に数万円ずつ払うよう申し立て裁判所は承認

クラウドフレアは申立から4ヶ月で結局折れて、好き嫌いcom管理人情報を堀口に提供した

好き嫌いcomは誹謗中傷の温床なので、同時期に同様の申立をして折れられた人が複数Vtuber事務所成功

その時点で間接強制は取り下げるべきだったが、なんか知らんが堀口はそのまま放置していた

管理人情報を明かしクラウドフレアとしては要求ちゃんと応えたのに、堀口は結局のところ法律素人雰囲気手続きしてたせいかストップをかけないままにしていた

そこでクラウドフレアは、「間接強制カウント止まってないのおかしいだろ取り下げろ」と堀口を訴えた

堀口の不作為に対し賠償金請求などはしていないが、裁判費用はお前が持てとは言っているので、10-20万円ほど堀口が支払わされる可能性が高い

堀口が余計なことして訴えられてプギャーと堀口アンチは盛り上がっているわけだが

暇空は堀口は逮捕されてるとか精神病院に入れられてるとか妄想をずっとやってる

暇空の不興を買って暇空界から追放された堀口アンチの「灰豚」や「山口三尊」は、裁判所に出向いて堀口VSクラウドフレア裁判記録を確認した上で堀口プギャーをやっているのだが

彼らの語る内容は暇空の妄想に反するようで、「灰豚と山口三尊がつるんで嘘ついてる」という糾弾配信を開くなどしている

「灰豚の話をした奴はブロックする」とか言ってるくせに、灰豚糾弾配信して暇アノンたちと灰豚の悪口言ってる矛盾

堀口が失敗して訴えられているというプギャーチャンスなのに、暇空は「堀口はこんなにスマートにやれない」と何故か現実の堀口を高評価して受け入れない

なにがスマートなのかわからないが、多分暇空の中では「こんな事態になったら堀口はネットで大騒ぎして愚痴るはず、ネットで暴れずに粛々と訴訟やってるのは堀口らしくない」ということなんだろう

2024-10-08

anond:20241008204830

しかも、民間人犠牲にするなと言うなら、それは今攻撃してるイスラエルに対してだけ言える問題じゃない

ハマス民間人犠牲を避けるような戦略とってないんだから、むしろ学校病院まで利用してる

ハマス民間人犠牲が出るように戦ってるんだからイスラエルにだけ攻撃を辞めろって言うのは、ハマス攻撃するなって言うのと同義なんだよ

そこんところ分かってる?

anond:20241008154433

いや、ワイにはなんかハマスに肩入れしてるようにしか見えないな

当然ながらハマースによる攻撃容認できるものではなく、正当化できるものではありませんが、それに対するイスラエルの「反撃」はあまりにも苛烈で、度が過ぎています

これはてなでもまかり通ってる意見だけどさ

イスラエルの反撃が度を過ぎてるって言うなら、何人の民間人犠牲なら許されるのかはっきり言わないと駄目でしょ

けど、無理なんだよ

1000人殺されたから3000人までなら許容されましたねなんて人権的に言えるはずないし、そもそも民間人犠牲なんて一人でもないほうがいいんだから

しかも、民間人犠牲にするなと言うなら、それは今攻撃してるイスラエルに対してだけ言える問題じゃない

ハマス民間人犠牲を避けるような戦略とってないんだから、むしろ学校病院まで利用してる

ハマス民間人犠牲が出るように戦ってるんだからイスラエルにだけ攻撃を辞めろって言うのは、ハマス攻撃するなって言うのと同義なんだよ

そこんところ分かってる?

anond:20241008133756

国籍保持している時点でイスラエル肯定とほぼ同義では?子供は仕方ないにしても

2024-10-04

暇空千尋裁判判決パワーワード「心が狂い乱れて常態を失っている」

https://note.com/nakagawa_owlhome/n/n608983ab19fd

有料記事を閲覧するために 1000円を支払うので あれば、

その1000円を飲食代に充てた方が有意義であること、

本件 有料記事を閲覧するために1000円を支払った者は、

心が狂い乱れて常態を失っており

原告に対する崇拝として献金したのと同義であることに ついて意見を述べた

千尋側の発言とその意図を改めて裁判官がまとめ直したものだが、表現がだいぶ面白い

「そう読める批判的な文だけど、でも合法だよ♥」となったので、暇アノンは心が狂い乱れて常態を失っているとの論評は合法なのである

アノンは心が狂い乱れて常態を失っている

アノンは心が狂い乱れて常態を失っている

アノンは心が狂い乱れて常態を失っている

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