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はてなキーワード: いるかとは

2024-03-19

anond:20240318172802

2024年3月19日、ワイの日記やで。

ダンジョン探索は道半ばや。今日は、フェミちゃんの様子がおかしくなるという予期せぬ出来事があった。途中で、彼女の目がとろんとしてきて、「ねえ、暑くない?」と言い出したんや。ダンジョンの中はむしろ涼しい方やのに、フェミちゃんは明らかに普段と違う様子を見せていた。

大丈夫か?ここは涼しいぞ」とワイが言うと、フェミちゃんは近づいてきて、「でも、ワイくんのそば暑いの。もっと近くで感じたいな」と誘惑するようなことを言い出した。その瞬間、ワイの心臓バクバクして、ドキドキしながらも何か変だと感じた。

フェミちゃんちょっと休もうか。体調がおかしいんちゃうか?」と提案すると、彼女はしぶしぶうなずいた。その時、ゴミーが急に騒ぎ始めて、何かを指さしたんや。フェミちゃん安全場所で寝かせた後、ワイとゴミーは回復の薬を探しに行くことにした。

探索していると、どこかから人の気配がするような気がした。注意深く進んでいくと、遠くに光が見えてきた。人がいるかもしれんと思い、そちらへ向かうことにした。

光の源に近づくと、小さな開けた場所が現れた。中央には薬草栽培しているような小さな庭があり、その奥には小屋が見えた。人の気配はここからしていたんや。慎重に小屋に近づき、ドアを叩いてみると、中から老人が現れた。彼はダンジョンに住んでいるハーブ専門家で、フェミちゃんの症状を聞いてすぐに適切な薬草をくれたんや。

フェミちゃん薬草を飲ませて安心したけど、彼女がワイを誘惑したことを思い出すと、どこかでそれに乗らなかったことを少し後悔してる自分がいる。でも、今はフェミちゃん回復することが一番大事や。

ゴミーがいてくれたおかげで、フェミちゃんを助けられる薬草を見つけられたし、また一つ困難を乗り越えられた感じがするやで。

anond:20240319164700

その元々存在する機能を外部からどうやって呼び出しているかという脆弱性の部分が論点なんですよ。

機能自体を潰せばできなくなるかもしれないけど、そこは本質じゃない。

プロネットワークゲームエンジニアが考えるAPEXのチート

ほぼこれだと思うもの

・件のチートはDebug用にゲームにしこまれものを改変して(つまりテキストなどをゲーム内の別の場所から拾ってきて)使っただけ

 

理由

ツールインストール経路がないため

仮に戦績画面のバッジなどのデータハードコード指定してサーバーからダウンロードさせる方式であり、ダウンロードさせることができるのだとしても、そうしたAPEXの脆弱性+管理者権限で動くEAC脆弱性とAPEXからEAC脆弱性をつく経路の2つが追加で必要

なのでEACはほぼ関係なく安全

そして昔から流行ってるらしいBOTを操る機能上記のDebug機能の一つだと思う

ウォールハックに関してはゲーム内にウォールハックをキャラクター特性として一時的に実現するキャラいるから誰でも5分で再現可能

私がEA開発者だったら1ヶ月で現行のチートほぼ全て防げます

 

なお、意見初見の時から変わっていない

https://anond.hatelabo.jp/20240318162850

https://anond.hatelabo.jp/20240319001847

ファイナンシャルフィールド新幹線のひじ掛けは窓際優先」←!?

アホすぎて草

新幹線座席における、肘掛けを使用するルールとしては、基本的に窓側の人が使えると決められています。その理由は、新幹線座席では窓側の席が「上座」とされているからです。

https://financial-field.com/living/entry-278363

執筆者 : FINANCIAL FIELD編集部

anond:20240319003320

最高じゃん! 男にとっては究極の都合のいい女  

こういう女がいるから女遊びはやめらない

anond:20240319121859

ていうかお見合いアプリやらなんやらを使ってまで結婚したい(相手いるか結婚したい!ではなく結婚したいか相手がほしい!という結論先行志向)と考えてる相手結婚したくない

高校生時雨の日が嫌いだった

何故ならチャリ通だったか

雨の日はカッパ被って片道10kmくらいを漕ぐんだけど、さすがに強い風雨の日はバスで通学した

この時乗るのが、7つくらいの学校小学校高校)をまわる学生向けの特殊ルートで、一日一便(朝だけ)の学生だらけ便だった

俺みたいに雨の日だけ乗る奴やそうでもない奴、あと制服着た小学生で溢れてていつも混み混みだった。

俺は雨の日しか乗らないが、晴れの日に横目で通り過ぎるときもいつも混んでた。

一日一便しかいからね(電車通ってないのでこれに乗りっぱぐれると遠回りして乗り継ぐしかなくなる)

朝の通学・通勤時間帯ってのは得てしてみんなが急いでるし、バス車内に限らず道路もとても混んでいる

そんな中たまに朝の早い高齢者が乗車してくるわけよ。

まあスクールバスではないし、学生じゃない乗客だって当然乗ってくることもある

バス停にバスが停まり、乗降口が開いてから待合ベンチからゆっくり立ち上がり、ゆっくり乗車する。

高齢者は急ぐと危ないからね、みんな急かさず見守ってるよ。

そしてゆっくりあたりを見回し…というか見回すほどのスペースもないくらい混み合ってるんだけど、お受験戦争を勝ち抜いたしっかり者の小学生や優しい高校生が席を立って「ここ空いてますよ」って言うわけ。

突っ立ってる学生たちも高齢者が席までたどり着けるようにギッチギチの中頑張って隙間空けて通してあげたりして。(正直小学生が混雑した車内で立ってるのは危ないので小学生が席譲ってるの見るとハラハラする)

高齢者が腰を落ち着けたのを確認してから車掌さんが「出しますよー」って一声かけからゆっくり出発。

うんうん、優しい世界

その便に乗ってくる高齢者ってのは大抵すぐに降りる。

歩いて行くのにはちょっとしんどい距離の移動のためにバスに乗ってるんだろう。

そもそも学生向け便だから駅や街中や主要部は通らないからね。終点も山裾にある高校だしもちろん循環しないし折り返しもない。

学生は大体ICカードを持っている。

俺も定期ではないけど持っている。ていうかこの町に住む人は大体もっている。

だが平日の朝に見かける高齢者は大抵持っていない。土日に見かける高齢者は持っているのに。何故なのか

まあ情報に疎いとか電子機器に明るくないとかそういう感じなんだろう。高齢者あるあるなので仕方ない。

学校前以外のバス停で降車ボタンが押されると、車内の学生は「あ、老人が降りるんだな」と察する。

学校前以外のバス停で乗ってくるやつはいても降りるやつは滅多にいないからだ。滅多にというか、学生以外にしかありえない

定期的にこのルートを走っている車掌も手慣れたもので、わざわざ「○○(高齢者が乗ってきたバス停)から▲▲(次に止まるバス停)まではおいくら円ですよー」とアナウンスを入れる。

まあ毎回ではないのだが(毎日同じ人が運転してるわけじゃないし)

これをしたところでご老人がバス停に辿り着く前に小銭を用意してくれているかというとそうでもないんだけど、清算口に来た時に「何円ですか?」「200円です」「え?」「200円です!」「え?なに?」「に!ひゃく!円です!」「ああ、はいはい」とかいうやりとりの発生率は下がる。

ていうかね、そもそも清算口に切符入れたら乗車料金なんて即表示されんのよ。

ご老人がちゃん切符とってればの話ですけど。正直取ってないんだよねみんな

何の話したいんだっけ?そうそう、俺はこれが我慢できなくて貧弱もやしながらチャリ通してたんだって話だ

自分がいずれ高齢者になることも、その前になんらかの理由で席を譲られるような立場人間になる可能性があることも十分承知の上で、それでもずっとイライラしてしま

静かな喫茶店に響く赤子の鳴き声とかもそう。仕方ないと分かっていても、イライラしてしま

自分に何か害があるわけでなくても、イライラしてしま

表に出したらどー考えても非国民まりないので必死我慢して、でも顔に出ちゃってるかもしれないか必死距離をとってるワケ

短気を治したいんだけど全然治らないね人間ってマジで変わらんよね、しょうもないね、ってそういう話だ

今もそう、斜め向こうのデスクにいる先輩上司が唾飛ばしながら電話してるのが視界にちらついてイライラしている

追記

ICカードありなのに車掌が乗務、かつ整理券バーコードつき(清算口に切符入れたら乗車料金なんて即表示)の路線バス、相当レアだと思う。乗ってみたい。

ブコメ自分の間違いに気が付いたので訂正させてください

車掌さんではなく運転士さんです!!!!!!!アホですみません。その辺の呼び方区別全然ついてなかったです。バス内にいるのは運転席に座ってる運転士さんだけです

徳島市長と市長選挙に思うこと

4年前、最年少女市長として当選をした内藤市長。この内藤市長が突然の出馬取りやめを発表した。

まぁ応援してくれていた元衆議院議員対立に回り、前回の選挙で2000票程度の差だった元市長立候補している。

また、内藤市長本人の悪評もあり出馬取りやめは妥当なんだろうなと思うけど、なんでこの時期なんだろうか。

予算審議の間に不出馬を表明したのはなぜか。予算執行責任者が不在になることが確定である状況になる。それでも必要からと賛成に回る議員もいる。

しかもこれ、人件費の高騰や住民サービスなどあるとはいえ過去最大の40億をこえる予算らしい。

おそらくはこのまま賛成多数で予算は決まるだろうけど、遠藤氏にせよ福山氏にせよこの予算に縛られて市長を担わないといけない。

慣例通り、最低限の予算を決めて重要な部分は新しい市長が決まってから、となると自分の思った通りの市の方向にならないからやめても傷跡を残してやろうという想いもあったのかもしれない。

が、それなら市長を担いでくれる人たちが気持ちよく賛成をして、一通り議会が終わってから不出馬を表明したらよかったのではないかと思ってしまう。新聞社から問い合わせがあっても「議会最中なのでコメント差し控える」とでもしておけばよかっただろうに、新聞社メール第一報を送ったという。

あと、市議会の様子をぼーっと見ていると市長給与を満額もらっていることをだいぶ批判されている。4年前は給与半額だったかな。それを掲げて市長選を飼って、1年後には元に戻す。市の財源が回復たから、ということだったけど、コロナ助成金で潤った面もあるんじゃないかな。

まぁ、内藤氏の外面の良さから市長給与は半額のままでも十分だったろうに。講演会とかで稼いでくれば月50万くらいはした金でしょうに。

とにかく叩かれる理由を作って炎上を狙っているかのよう。

若い学歴がある、なんか賞を受賞している。などなど持ち上げて、68歳vs72歳で内藤辞退で残念、徳島は終わった、みたいな話も見るけど、若い学歴とかで変わるとか未来が、というも違うなという。

若い市長でも老害市議に取り込まれしまう、もしくは最初からそのつもりで市長になったのかもしれない。

アラウンド70がいいわけじゃないけど、高齢化や市の要職利権にまみれたうるさい爺さんばかりのところに若いからで変えられるものではないんだなという印象。

何期か勤めてれば、という人もいるかもしれないけど、期を重ねるたび利権にまみれていくだけだと思し、共産党をはじめ反対する勢力に対して、親の仇のように話すら聞くことなくなっていく。少なくともそう見える。

政治家には向いてなかったと思う

右往左往している市政は嘆かわしいが、前に進んでいくことを祈る。

地球上に宇宙人いるかもしれない!という妄想開陳し、「宇宙人を見分けるために大規模監視を」と言い始めるのがCIA

anond:20240319085720

まぁこういう盛り加減わからない子はウンザリするよね

ただ大家・大地主増田フツーにいるからな。不労所得路線ならその額もなんもおかしくない

anond:20240319075311

間違い

どれもよく似ているからこそ違う部分がその作品本質になる

こち亀の「全部同じじゃないですか」が全部同じじゃないのと同じ

anond:20240319045809

やばいかどうかは知らんけど、俯瞰してみればだいたい「わかってもらえない正義の私とわからない私をなめている旦那」っていう結論になっているから根っこは同じものから出てきてんだろうなって思うよ

アホか

近所トラブルに首を突っ込んで巻き込まれ

アホか

俺の住んでいる集合住宅は、階段が方形にとぐろを巻きながら縦に伸び、その左右に各世帯が住む部屋がある

どういう所に住んでいるかは、まあお察しだ

俺はそこの4階に住んでいる

夜の9時ごろ、木の床の上をガタゴトと転がるような音がした

この建物はこういう音がとてもよく響く

発信源は3階か、隣か、というくらい響くし、実際そうだと思っていた

それが鳴り続いて収まらないでいると今度は階段の下の方から

 

バガーン!バガーン!

 

と家の扉である鉄製の扉を強く叩く(たぶん蹴ってる)音が響いた

かなり下の方からだな、と思うと当時に

もうこれ暴力事件の音だよ、俺のご近所で何よっ?

と思ったので、下まで階段を降りて行った

2階まで来ると、1階と2階の間の踊り場に男がいた

2階の住人だ

踊り場の手すりから身を乗り出すようにして下の階を覗いている

そいつ階段を上がってくると目が合ったから「何だよ」と聞いたら、下の階の住民生活音がうるさいという

俺は事情を察した

そこに住んでいるのは介護老人とその家族

最初騒音はたぶんポータブルの用意をしていたのだ

ちなみにそこの家の人と話をしたことがあるが、前に訪問介護が来た際にそいつからうるさいと怒鳴り込まれたことがあるそうな

それでわざわざ訪問介護が来る時間を変えてもらったというのだから、万事なるべく音は立てたくないはずだ

どんな気持ち作業してたんだろうな?

それを家の扉を強打するような脅迫行為に及ぶとは

アホか

という以上の悪感情が沸いてくる

そいつは2階まで上がってくると、お前も下に降りて抗議しろよとこちらの体を下の階へ押してくる

俺は蹴られ、言われた通り階段下りるとその最中階段下へ突き飛ばされた

下まで残り4段ぐらいというところだったので怪我はしなかったが、俺は階段の踊り場で転倒した

相手自分のしたことを確認するが、相手は知らね、知らね、とシラを切る

それで警察を呼ぶからなと予告し自宅に戻ると、今度は相手がウチの階まで上がってきて家の扉を強く叩いて(たぶん蹴ってる)きた

俺は予告した通り警察を呼んだ

まあ、警察を呼ぶと予告した以上、呼ばないとこちらも脅迫罪に問われるのだが

50年近い人生で初めて110番を押した

こち110番です、どうされましたか?」

俺はこう告げた

すみません、ご近所トラブルです」

アホか

如何せん、こちらも口下手な上にビクついていたから、状況説明が要領を得ない

それでもこちらの名前と住所、トラブル相手について聞きだして、警官を寄越してくれた

来てくれた警官はとても優しく親切だった

要領を得ないこちらの説明もよく聞いてくれた

床を転がる音ってどんなですかと聞かれて、玄関にあったキャスター付の籠を転がしてみせてしまった

俺が言おうとしてたのは、四角くて硬い物を、木の床の上で転がしながら運ぶような音だ、全然違う

単に「木の床の上をガタゴトと物を運ぶ音」と言う方がよっぽど正確に伝わったと思うのだが、最初に浮かんだ上のイメージ固執して却って違う物を伝えてしまった

アホか

近所トラブルについては首を突っ込まず自治会相談した方がいいですよ、と最も至極なアドバイスももらった

逆恨みもされるから

ただ、警察を呼んだのは怖かったからというのもあるが、事ここに至っては自治会のような組織で内々で処理するより、ちゃんと大ごとにというか、より公の事にした方がいいと思ったからだ

事ここに至ってというか、相手がマトモじゃないか個人レベル渡り合うのは無理

だけど、そのために出動させられてたのでは警察もいい迷惑だよなと今は思う

から来てくれた警官にはたいへん申し訳ないという気持ちがあるが、来てもらって正直、とても安心した

相手側の話も聞いて注意するということで警官との話は終わった

結局禍根は残り、それがトラブルを招来することもあるかもしれないが、それは自分のやったことの結果だからしょうがない

しかし、ウチの建物に入居してくるのはみんな穏やかな人ばかりだったのになぁ

私の言うこと聞いていないっていう人は大体の場合話ができていない

ハゲマンガなんてのが今あるらしいんだけど、大体の場合は「私の話を聞く=旦那が変わる」という大前提のもとに話が書かれているが、言いたいことは「私の話を聞いていない=旦那は私をなめている、バカにしている、差別している」という方向の話になっている。

この根底にあるのは「私は正義から言い方や会話のスタイル、内容に関わらず旦那は私がどんなつもりでいるかをきちんと読み取って言うことを聞いて反省して自分を変えるべき」という思想だ。

要はラディカル・フェミニズムだし、白ハゲマンガがひた隠しにしているポイントでもある。

多くの女性はこの根底にある思想に気づかないで話をするので旦那が硬直して言うことを聞くことができなくなっていることに全く気が付かない。

なめてて言うことを聞いてないんじゃなくて、場が攻撃的になりすぎて以下にダメージ少なくその場を乗り切るかに注力するのだから本来話したいことなんか聞いている場合じゃないっていうことに気づかない。

ハゲマンガを見ていると大体の場合女性攻撃的だ。

いくら言っても聞いてくれないんだから攻撃的になるのは仕方ないという人もいるが、ちっとも仕方無くないし、こういうときのっけから攻撃的に話が始まっている。

これまでの蓄積があるというが、蓄積なんかないふりをしてひたすらに鬱憤を溜め込んでいるからある日いきなり攻撃的になったように見えている。

余計に夫婦仲を悪くしたいならどうぞ、という話でしかない。

聞いてくれないなら聞いてくれるように工夫するというのが大事だ。

本人たちは工夫していると思いこんでいるかもしれないが、攻撃的になるのは工夫ではないし、男性を叩いてしつけるタイプ動物かなんかと思っているからそっちに行くのだ。

ハゲマンガの中の男性女性をなめていない、ということは言わないが、余計にそう見えるような演出がなされていることは明白だ。

全体的な構図はいくら訴えても聞いてもらえない被害者主婦自分をなめて馬鹿にしているからちっとも聞き入れてくれない加害者旦那、で固定されており、コミュニケーション問題がある、問題は妻の側に解決責任があるという視点はまったくない。

かに旦那の言うように「俺のものはそのまま洗うか別にしてくれりゃいいよ」が実は解決策だ。

吐いていく靴下がなくなろうがワイシャツがなくなろうがそんなことで嫁を責める人はいないだろうが、想像の中の色んな人に責められているのでもうどうしようもない。

あの手の漫画に出てくる男性は、いろんな女性が持ち寄ったクズエピソード集合体なので、どうあがいても悪者しかならない。

こうやってラディカル・フェミニズムはその正体を隠したまま広まっていき女性生活はどんどんと辛くなっていくことだろう。

anond:20240229111160

24.3.18

体調の最悪期が続いていて、そうなると言葉も出てこなくなるので本当にどうにかしないといけないが、立ちあがろうとすると何かしら厄介事が降り注いできて、自分を甘やかしたくなってまた不健康にというループ彼女とは「いいね」でなんとなく繋がっている感を味わっているが、俺が週末旅行していたことを知られていないように、俺のアップしたものは念入りに見られているわけでもなく、礼節の範囲内でのいいねであり、ただそれが単純に嬉しいという微笑ましさ、いや気持ち悪さか。自分が今あらゆるものに興味を持続させられないように、他者も俺に興味などないのだという当たり前の思考ができないバランスの悪さはおそらく生まれ付きで、唯我独尊を唱えながら弟子もいない悟りもしない釈迦。悟れないというのはつまり執着を捨てられていないということだが、問題は俺が何に執着しているか自分でわかっていないところで、叶えようも捨てようもない極度に抽象化した希望けが耳元から首の後ろをフワフワと周回していて落ち着くことがない。それがなくなった時に訪れるのが自由悟りか諦めか死なのか、希望を弄んできたようでいて弄ばれながら夜に沈んでいる

anond:20240318165802

vtuberは色々いるからのう、vtuber楽しむには自分に合うvtuber見つけるのが大事じゃよ。

学術vtuberもいれば、登場当初のDWUみたいなイスラム国に志願した学生と対談するvtuebrもいる。

自分趣味と合いそうなvtuberを見つけるのじゃ。

互助

話題車椅子の件、健常者がいか負担するか、負担になっているかという話ばかりが流れてきていて「障害者同士で助け合う」という話はあまり見かけないしイメージがわきにくい。

例えば車椅子を運ぶという手助けは同じく車椅子を使う障害者にはできないけど、知的障害者精神障害者にはできるはずのことで、実際見ただけでは障害者かどうかわからないこともあるから助けを求めた相手たまたまそうだったということは起こり得るんじゃないか

異なる障害者同士が助け合うことが全く無いとは考えていないけど、何かそういう互助的な繋がりもないものなのかと思っている。

2024-03-18

若いうちにいろいろ挑戦しないと可哀想おっさんなっちゃうな

はてブで「眉毛整えろ」って話題ホットエントリーに入っていて二度見しちゃった

はてブに来るような40代、50代のおっさんが「眉毛ってどう整えたらいいんだ?」って悩んでいるかと思うと痛すぎる

せいぜい高校生の悩みだろ

やっぱりやるべきことから逃げてたら惨めで可哀想おっさんなっちゃうんだな

https://anond.hatelabo.jp/20240318223417

  ・ セーターを着ている

  ・ 霊界いるから、 お迎えが来ましたので・・・といった言動が多い

  ・ 平成31年における東大入試とき電話をもって経済学部事務室に移動していた

  ・ 平成30年の昼間の明るいとき志村3丁目児童遊園でみたときはどうしようもなく腐れ果てた39歳だったが、強烈な計算機で動いているため、法学部事務室にいるとき

    まともにみえ

  ・ 平成29年3月29日面会時は、 団藤重光のような設定だった

    これらの事実を考えると多分、 Mという人も昼間明るいときにみたら残念な感じなのではないかということが推測される

anond:20240318221544

逆だ

好きな仕事から年収でもがんばれる

司書とかアニメーターとか薄給なの知れ渡ってるけどやりたい奴いっぱいいるからな

ふと気付いた

主導権を握りたい人、他人に主導権を握られるのがイヤな人って一定数いると思う。

(私はそう)

仕事でも恋愛でも何でも、基本的には主導権を握っておいたほうが、自分にとって有利に、快適に、事を進められるというメリットがあると考える。

反対に主導権を握られると、相手の都合に振り回されるなどのデメリットもあると考えている。

(もちろん、主導権を握っているからといって他人を好き勝手振り回してよいということではないが)

しかし一方で主導権を「握りたくない」人、他人に「握らせたい」人も一定数いるのではないか…と思い始めた。

主導権を握る=矢面に立たされる、のように捉えると、責任を負いたくないと考えるタイプの人はむしろ主導権なんて握りたくないと考えるのではないだろうか。

主導権は他人に握らせておいて、自分は目立たない位置に隠れることで、ある程度面倒な役回り回避しつつ、事が完了した際にはちゃっかりその恩恵享受できる。

そう仮定すると、意図的に主導権を「握りたくない」人、他人に「握らせたい」人も一定数いるのではないかと思えてきたのだ。

最小の負担で最大の利益を得ようとするとき、そのような合理的で賢い(?)やり方というのもアリなのかも。

個人的にはそのような人とはあまりかかわりたくはないけれど

経済に関する動画コメント欄を見ていると、そもそも経済について話すために最低限必要な土台が足りてない人が日本人の9割なんだなあと思う


大学教養科目で経済学を選んで2〜4単位取ってようやくひのきの棒装備くらいの経済知識

自分はそこそこの大学経済学部卒だけど、それでもせいぜいはがねのつるぎくらい

もっといか

どうのつるぎ〜はがねのつるぎ中間くらいの武器ってなんだっけ

素手やひのきの棒程度の人間経済について話すのは片腹痛いというより非常に害がある(ほとんどの確率で前提も現状理解予測も間違っているから)けどじゃあどうすれば国民経済リテラシー上がるんだよって言われるとやや現実離れした策しか思いつかない

車椅子を押す側 の ぼやきと一部の生活

車椅子を押す側のとある所感、一例として書いてみる。

あんまりまとまってないけど、ご容赦ください。

  

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自分車椅子押す側の健常者。

身内が車椅子。元は歩けてたけど、病気車椅子になった。

押す側の人はわかると思うんだけど、車椅子ってちょっとぶつかっただけで超痛い。

から押す側はだいぶ神経使う。重いし。

  

で、身内は結局あんまり外に出たがらなくなった。

繊細な人なんだなとか思われるかもしれないが、身内は人並に大雑把で人並に優しく人並に理不尽な人だ。

  

――――――――

  

そんな身内の言い分を聞いてちょっと唸ったことがある。

例えば、人混みを通らなければならないとき

介助者の自分は当然「すみません」って声をかけて通るんだけど、

乗ってる側としては「何で謝らなきゃならないんだ」って悲しくなるらしい。

  

そんなことで?ただの声かけじゃない?と思った。

大体人混み通るときって健常者だって「すみませーん」ぐらい言うし。

で、よくよく話を聞いてみると、そもそも「頭を下げないと道も通れないことが悲しい」というような旨を言う。

それは意味が違うと思うけどなあ…と思い、

そのときは「SorryじゃなくてPardonの意味から、受け取り方が違うよ!」と慰めた。

  

そういうことを言う人でもなかったので、何となく引っ掛かりを覚えた。

よくよく考え、「そういう風に考えてしまう」こと自体が、身内の内情を表している、そんな気がした。

  

――――――――

  

人間というか生き物は、自立したい生物だと思う。

金銭的に依存したいとか、恋愛的に依存したいとかは健全じゃないながらあると思うが、

身体を動かす点において依存したい』という人間は、多分いない。だって不便じゃん。

自分身体が突然制御不能になったら嫌でしょ。

最初は周囲に助けられてなんとかなるかもしんないけど、それがずっと、死ぬまで続くなら本当に毎日毎日うんざりすると思う。

周囲だって毎日毎日世話することに疲れてくると思う。そう考えちゃうのも、周囲を信用できていないみたいでいやだし。

  

でも車椅子の人って実際こうなんだろうなと。

傲慢な人だとか、人を使役することに慣れている人なら、「でも俺は動けないし」で済むかもしれない。

本当~に一般の、どこにでもいる普通の人が突然そんな状況に置かれ始めたら、段々だんだん申し訳ないな…」って気持ちになるのは必然な気がする。

自分要求のために絶対人が動かなきゃならない」が毎日毎日、この先もずっと…って考えたら、しんどくなるわそりゃ。

いくらこっちが善意でも、いや善意からこそ。

  

まり、身内の中に蓄積された「また頼ってしまった」「また助けて貰ってしまった」という無力さと、

「それに対して自分が返せるものが何もない」という良心の呵責、周囲が自分をどう思っているかへの不安

それらが蓄積した結果、「何で謝らなきゃならないんだ…」という最初言動のものになってるのかなと思った。

  

――――――――

  

いや、これはマジでよくない。と思った自分は「もっと外に出て元気でいて欲しいな」と安易に考えた。

だってずっと家にいるってことは、やっぱり生活に彩りがなくなるし、体力も筋力も落ちてくる。

これって、人によっては段々生きる気力が減退する場合もあるし、ネガティブになることも多くなると思う。

外に出て沢山刺激があった方が、色んなことが塗り替えられるじゃない。

  

でも、それも難しいんだよね、車椅子だとさ…。

  

簡単な例でいえば、トイレだ。当然多目的トイレしか使えない。

から多目的トイレを探さなきゃならない。で、もし使用されてたら使用が終わるまで待たなきゃならない。

車椅子トイレ使用中で、仕方なく待つことはある。大体お仲間だったり、赤ちゃんだったりする。

ただ、10分後ぐらいに水を流す音もせず、ばっちりメイク決めたJKが出てくると流石にムッとする。

いや確かに多目的だけれども…苛つく気持ちは理性では抑えられない。

しかしたら彼女も何か抱えているのかもしれないので口汚く言いたくはない。

かもしれないが…しれないが…しかし…世の中には多目的トイレセックスをするアホもいたりするからな…。

健常者なら、許容できる範囲かもしれない。だってそんな苛立ちも抱えず他のトイレに行けば済むのだ。

  

車椅子の人だって介助者だって別に自分関係なければ許せるかもしれない。

本来なら…病気になったり、事故に遭わなければ…。

そういうありもしない未来過去がそのたびに去来し空しくなる。

心の許容範囲の在り方、理不尽に変わってくる。必死だ。

  

――――――――

  

他の例だと、地方美術館では2階に行けないこともあったし、砂利道はガタガタしすぎて危ないから通れないこともある。

外出の選択肢として楽なのはアウトレット舗装されてるし広いから一人当たりの占有面積もゆったり。でも数は限られてるし場所によっては早々行けない。

海辺の砂浜なんて車輪がもたれるから絶対だめだ。山を登ることも、ハイキングもできない。

  

エスカレーター階段も使えないから常にエレベーターを探さなければならない。

エレベーターって意外と辺鄙なところにあるから、実際探し当てるまでもかなり大変な目に遭ったりする。

一度エレベーター縛りで移動してみると、面白いと思う。それをこの先ずっと続けるとなると辟易だと思うが。

見つけたとしても、必ずしも乗れるわけではない。混んでたりするからね。

降りて譲ってくれる優しい人がいると、この先この人に今の五万倍の幸せがあるといいな!と思う。有難いことこの上ない。

  

実際バリアフリーは沢山あるし、色んな公的機関では配慮されてることが多い。

障害者オンリーの観覧日を設けてくれる美術館などは本当に助かる。

若ければ車椅子サッカーとかバスケとか、そういった活動もあるかもしれないが、年をとるとインドアなことしかできなくなるので。

  

ただ「使える」バリアフリーかっていうと難しいときもある。

とんでもない角度の段差の補助?だったりすると「あーっ惜しいですね」となってスルーせざるを得ない。

エレベーター行くのに遠回りしなきゃいけなかったりするし。まあ、仕方ないんだけどね。やってくれるだけ有難い。

(この「やってくれるだけ有難い」も、身内の「何で謝らなきゃいけないんだ」の一部だとは思うが…)

  

施設は、入場料がいらなかったり、半額になったりする。

でもまあそれは「平等サービスを受けられないことによる減額」なのかもなと思う。

美術館だと照明が反射して、絵がよく見れなかったりする。健常者と見る位置が違うから

コンサートなら車椅子用の席は固定で、「可も不可もない中間よりちょっと遠い席」が普通かも。

たまに逆にえらい良い席なときもあるけど。最後尾があたる可能性もないが、最前席があたる可能性はない。

  

本人は車椅子に乗ったまま、介助者の自分パイプ椅子…なんてこともあった。

クラシックコンサートだったが、ずっと尻が痛かった。ちゃんとした席が横にあるんだからそっちにして欲しかったなあと思ったけど、まあ仕方がない。

「尻が痛かった…」と少し溢すと、申し訳なさそうな顔をされて「しまった」と思ったりする。

楽しむために行くのに、悲しい気持ちになるのは本末転倒だ。

  

――――――――

  

マジで行ける分いいと思うのだ。行ける分良い。でも、ざっと書いただけでもこれだけ大変なことがある。

自分車椅子だったらと考えると、そりゃ外出たくないよなって思う。

望んだわけでもないのに、同じサービスが受けられない。周りに迷惑だと思われているし、介助者にも迷惑がかかる。遠回りさせる。自分いるから存分に楽しめなかったりする。そもそも自分の行動や欲求に付き合わせている。

そういった事実によって生まれ葛藤が『何で謝らなきゃならないんだ』、ひいては『何でいちいち感謝しないといけないんだ』になるのは、わからんでもない。

そういう立場体験していない自分が、その感情否定することはできない。

  

ただ「しょうがないよね」って茶を濁して共感することしかできない。無力だなあと思う。

身内の気持ちは身内にしかからいから、ここまで考えているか感じているか実際は知らないけど、まあ大外れではないと思う。

  

当初は「そんなことで?」と困惑した自分も、もう肯定するほかないなと思ってる。

だって事実事実で動かしようがない。

すみません」って言わないと通れないんだから

  

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設備が悪い!とか周りが悪い!って文句もあるときはあるけど、

社会に生きる人間は良くも悪くも社会にある程度迎合しなきゃならないというのが個人的な持論。

人間は全員が「違う」から。違うから、お互いを譲歩し適切な距離を保って、険悪にならない距離コミュニケーションをとる。

これは最近トランスジェンダー関係の話でもそうなのかなと思う。

自分のすべて受け入れてほしい!と思うなら、そういう社会に行くか、新しく作るしかないんじゃないだろうか。

平和に生きてる人たちを脅かしてまで自分を押し通したいと思う人と、手を取り合いたいなんて思わないだろう。

  

からまあ、身内の心情に心をいためつつも仕方ないよな、なんて思う自分もいて、

なんていうか…罪悪感じゃないけど、申し訳なさを感じたりもする。

  

身体不自由だろうと身内には元気でいてほしいから、

色々人生楽しめるものを用意できるよう、無理じゃない程度にやっていきたい。

無理させてると思わせるのが一番、本人にもよくないと思うので。

  

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そういうわけで(?)

車椅子を押す側として思うのは、優しく見守ってくれる人がたくさんいてくれればいいなと思う。

助けてくれなくたっていい、通り過ぎたって全然良い。

舌打ちしたり、からかったり、邪魔になることはしないでくれれば。

  

こんなん、健常者でも当然のマナーだと思うんで、改めて言うのも変な話だけど。

  

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おまけ

  

これは最近の空しかった話。

テレビの某野外音楽フェス特集を見て「一回ぐらい行きたかったなぁ」と言われた時は「それは…無理だな…」と思った。

  

「そりゃ車椅子なんだから無理でしょ」って当然のように言う人はいると思う。

いや無理なんだよ。そりゃそう。無理なの。物理的に。

かに頑張れば行けるかもしんないけど。知らないけど、配慮もされてると思う。

でも立ち見の音楽フェスに行くというハードルそもそも高い。そこに行くまでの道程ハードルも高い。

立ち見だから見るとしても多分後ろの方でしっとり見るしかない。車椅子にぶつかると怪我させちゃうだろうし。

何より、身内と自分の体力や精神力が持つとも思えない。

そういったリスクをひっくるめて考えて「無理」となる。勿論フェス非難してるわけではない。

  

でも行きたいなって気持ちは誰にだってわくもんだし。

「金がないから無理」とか「忙しいから無理」とかと違って、「車椅子から無理」は本人にはどう努力もできない「無理」だ。

から「行きたい」じゃなくて「行きたかったなあ」になる。

  

介助人としては軽く「え!行きたいなら頑張るよ!」なんて返したりするけど、身内は難しいことを知ってるから、何も言わずに首を横に振る。

  

こんな無力なこと、ある?

自分はまあ行こうと思えばいつでも行ける。

身内はこの先あの景色体験することはないんだ。と思ったら無性に悲しくなった。

  

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やっぱりあんまりまとまらなかった。

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