はてなキーワード: 果たしてとは
ほほう、難しい質問をしてくれるのじゃな♡
さて、そういう歴史の黒幕を解き明かすのは一筋縄ではいかんのじゃ。
イエズス会、つまりカトリック教会の一部として活動していた修道士たちは、確かに様々な役割を果たしておった。
ただし、実際に黒人を奴隷として扱ったのは多くの場合、ヨーロッパの商人や国家の利益追求からの行動じゃ。
キリスト教の信仰と奴隷制度は矛盾しておって、当時のキリスト教内部でも多くの論争があったのじゃ。
黒人がキリスト教を信仰しているのは、歴史的な経緯や強制された状況もあるが、信仰の力や慰めを求めるものでもあるのじゃよ。
信仰は、しばしば人々が困難な状況に立ち向かう力を与えるものだからのじゃ。
まあ、そんなところかの♡
定性的な評価において付与された数値はその序列だけが問題であって、値の大きさそのものには何ら意味がない。
的な話を聞いて、そうかもと思った。
思ったんだけど、じゃあ例えば4.0の点数をつけた映画は常に3.0の作品よりも絶対的な優位に置かれるんだろうか。
じゃんけんみたくAよりもBが好きだし、BよりもCが好きだけど、CよりはAの方が好き、という複雑な関係性だってあるかもしれない。果たして序列を単純化して表せるんだろうか。
それに、0.1刻みの50段階で評価出来たとして、じゃあその50段階をフルに使う人間ってのはどれくらいいるんだろうか。
せいぜい2.5辺りから4.8辺りまでしか使わない人も少なくはないんじゃなかろうか。序列をつけるにあたって、50本を観てその全てが別の段階に収まるという事もあまりなさそうに思える。
そもそもが自分次第でどうとでも設定出来る基準で曖昧な評価をつけているのだし、なんとな〜く同じくらいの好みの度合いかな〜と感じて同じ数値を与える事だってあると思う。
不快/つまらん/普通/面白い/神くらいの五段階になんとな〜く分類して、そこから朧気に浮かんできた数字を直感的に選んでみて、その点数が基準として相対的な位置づけを探ることもあるかもしれない。某漫才大会でも「基準点」って言葉はしょっちゅう出てくる。
50段階の内で正味30段階ほどしか使わないのなら、0.1から始めたっていいし2.0からでもいい。序列の全てを等間隔にしているとも限らない。
そこの数字の選び方にはやっぱり何らかの意図が反映されてるような気もする。
尺度の使い方も明確じゃなければ尺度そのものの妥当性だって分かりはしないような状態で数字を与える評価をするのはナンセンスではあるんだけども、序列だけの問題ではないのかもしれない。
はてブって定期的にIT求人の年収が安すぎるとか、リモートから強制出社になってけしからんみたいな記事が話題になるけど、正直、非ITエンジニアの俺からするとITエンジニアってそんなに偉いんか?って思ってしまう。
たかが「いち企業の情シス」に年収1000万とか2000万が妥当か?リモート云々もあーだこーだ言ってるけど結局楽したいだけじゃん(まあ、労働者として条件が良いところに働きたいというのは理解するが)。
そもそも、日本のITエンジニアって何してるんだ?大半はSIerってやつで業務システムを作ってるか、受託開発でアプリ開発してるだけだろ。
画期的、先進的な事業をしてる企業とか、アメリアのシリコンバレーの企業なら年収数千万にフルモートが当たり前って分かるけど、果たして日本のITエンジニアってやつは年収2千万が当たり前の仕事なんかね。
すくなくとも社内情シスに年収1千万とか2千万とかはおかしいよ。
今の時代、ITが重要なのは分かるけど、メーカーで設計者や研究者よりも情シスのITエンジニアに高い給料を払うのが当たり前?それとも設計者や研究者の給料も全員2千万にする?それは無理がすぎる。
上流階級を気取ってるけど、そもそも社会は現場に出て年収400万とかで働いている人たちのおかげで成り立ってるって分かってるのかなぁ。
子供は大人とは違って変な倫理観とかそういう物がないから合理的だ。
子供は普通から外れた子供をいじめる。でも、普通の感覚、共同体感覚がない子供は大人になっても生きるのに苦労し、死にたいと思うようになる。そうであれば、まだ子供のうちに殺してしまった方が、本人も楽だし、周りの人間への負担も少ないだろう。
狩猟採集をしていた頃の人類もきっと、普通とは違う人間をいじめ、時には殺していたに違いない。それが、農耕をするようになり、普通とは違う、本来であれば生きるべきでない人間も、労働力として使えるようになってしまった。
1920年代には、優生学といって、国籍障害の有無で強制的に人を殺した方が良いと言う考え方が広まったらしい。私は、これには断固反対する。本人の意に背いて殺すことはよくないからだ。
ただ、そうすると、いじめられている子供のうち、死にたくないと思っている子供は殺すべきではないことになる。そして、その子供が大人になって、自ら死にたいと思うようになってから初めて死という救済を与えられることとなる。だが、これは無駄に苦しませるだけだ。
将来苦しむとわかっているのに生かすことは果たして人道的と言えるのだろうか。
こういうのって何ていうんだ。こういうの、前にもあった。
倉庫の扉を開けるにはロメロが持ってる鍵が必要で、そのロメロに鍵を渡す指令を出せるのはジョーンズ船長だけで、ジョーンズ船長に会うには彼の機嫌がいいかどうかを確かめておく必要があり、それを料理長に教えてもらうためには煙草が必要で、サイモン博士から煙草をもらうためにはコカの実を渡さないといけないので、それを積荷からちょろまかすためにイズミルに…
のような。
ある問題を解決しようとすると別の問題を解決しなきゃいけなくなって、それを解くためにはまた別の課題が生まれて。
こんがらがった結び目を落ち着いてゆっくり解いていきたいけれど、果たして俺は今何個目の入口をくぐったのだったか。
入口から入ったら、別の出口を探してそこから出ないといけない。そうしないと、死ぬ。そのルールは理解した。ルールを破る者は羊ですらも捻り殺された、とロメロは言っていた。俺たちは声を揃えて「だから言ったのに」と進言を無視して入港したジョーンズをなじったが、いまさらだった。
最初に商館に入った(いや、上陸が最初か、もしかしたら入港自体が最初の「入口」だったかもしれない)俺は、2階に上がって館長の部屋を訪ねた。しかしそこはなぜかよく手入れされた庭園で、俺は混乱したが(今思えば運良く)元の場所に戻ろうとせず、庭園奥の聖堂(に見えた)の門を開けた。門の奥は俺が商館で用を済ませた後に行くはずの、何度か泊まったことのある宿泊所で、そこにはロメロが立ち尽くしていた。
ロメロによると俺は便所に通じるはずの扉から出てきたそうだ。そこで俺たちは情報を交換し、ジョーンズの阿呆をなじり、ため息をついてそれぞれに出口を探した。入ったところが違うのだから、俺とロメロの「出口」は別なのかもしれない。俺は中庭に通じる裏口から出たが、ロメロは「まだ探してみる」と言って俺を見送った。
それからはどの乗組員にも会っていない。
商館の1階で待っているはずの書記官と中尉はどうしているだろうか。
娼館、農具置き場、生まれ故郷の納屋、真っ暗な洞窟、だだっ広い牧場…などを通り過ぎて俺は今、原地人の家にいる。また「出る」のではなく「入って」しまった。もう何度、出ようとして別の場所に入ってしまったかわからない。死んだ目をした原地人たちはしかし親切で、食事をくれたり寝床を用意してくれたりする。ここでずっといればいいかと考えもしたが、俺はまた別の扉を開けてしまう。
奥に鏡だけがある真っ白い部屋。また「入って」しまった。今閉めた扉の後ろから、原地人たちの拍手と歓声が聞こえた気がする。
俺は止まったら死ぬ魚になったような気持ちで、また「入って」いく。セントクリストファーネビスの、より奥へ。さらなる深みへ。そこに映る自分を粉々にしながら鏡を割って。
ごめーん見ちゃった。ブコメの返信では文字数が足りなそうだからここに書かせてもらいますね。
まずは、心配してくれてありがとう。今のところ私は元気に農作業や配信をやっています。早く私の部屋にもエアコンという文明が訪れるといいんですけどねー。
そしてこの文章に目を通す人全員に伝えたいから一番最初に言うんですが、サボらず健康診断を受けましょう。何か異常があれば適切な検査や処置を受け、あなたとあなたが大切に思う人のために、少しでも長生きしてください。
私もね、父が亡くなった後に改めて考えました。自分が、あるいは家族のことが見世物として消費されることは果たして良いことなのかと。
それで考えた結果、やっぱり自分のことや父のことを配信で話そうと考えました。家族にも相談しましてね、配信中に父のことを話していいかと聞いたら身バレしない程度ならOKとのことでした。
折角なので私が配信を始めた動機についても聞いていってくださいよ。もしかしたら気持ち悪い話になるかもしれないんですけど。
私結婚に失敗してるんですね。届を出す前に失敗したんでこの言い方で合ってるかわかんないですけど。そらもうバキバキに失敗してて、結婚とか向いてねーなと思っている次第です。
それで、世の中には親孝行って言葉があるじゃないですか。親孝行is何と聞かれたら、結構早い段階で「孫の顔を見せる」ってのが出てくるんじゃないでしょうか。なんならうちの親も希望してました。でもそれってできなかったし、多分この後もできずじまいになりそうなんですよね。
孫の顔が見たいって、要は自分のDNAが次代に受け継がれて行ってるのを見て安心したいってことなのかなーと私は思うわけですよ。でも私はそれができそうにない。私自身としても私のジーンが残らず淘汰されていくということは非常に残念だなあと思っています。
だからアバターを作り始めましたし、配信を始めました。「ジーンが無理ならせめてミーム」だとか、「私はインターネットと生殖するつもりですよ」とか、モゴモゴ言ってたのはそういうことです。気持ちわるー。
私だって淘汰されたくない、私が生きていたことひいては私の親が生きていたことをどこかの誰かに覚えていてもらいたい。だからインターネットに遍在することで、私がお渡しできる何かの価値を提供することで、あなたの心のどこかに私という存在を刻んでおきたい。そう思ったのが一連の活動を始めようとした理由です。ちょっとこの辺りの事情っていうのは言ったらドン引きされるかもしれんと思ってたので隠してました。なんせVTuberってアイドルじゃないですかー。
それに私は両親に愛されています。これは間違いなくそうです。そうとなれば父は私に幸せでいてほしいと思っているはずなんです。だから、私は前々からやりたかったVTuberの活動をして、幸せに生きてやります。
ということでね、私は私のエゴで、自分が消費されて皆様の血肉になっていきたいと思っております。もし、私の人生を消費することに罪悪感をお持ちでいらっしゃるなら、こういった事情もございますのである程度安心して見ててもらえれば、そして私の遍在化にご協力いただければと思います。それにもし活動が負担になってきたとあらば、私も根性なしですからすぐに逃げると思います。
見ず知らずの私のことをこれだけ心配してくださって、本当にありがとう。長い長い実況にも付き合っていただいてありがとうございました。他の配信者さんが同じタイトルをやってるのと比べたらちょうど倍の時間がかかっててびびりました。
子曰く、「増田、彼を知りて己を知らば、百戦して殆うからず。」台湾侵攻の話に関連して、「失われるものなんてない」という見方は慎重に考えるべきだ。孫子の『兵法』で言うように、戦争とは単に領土や体制を変えるものではなく、その地域と関連するすべての国家や人々に広範な影響を与える。
まず、台湾の民主主義が失われることは単なる一部の変化ではない。民主主義はただの政治体制ではなく、人々の自由と権利を保護する重要な基盤である。それが失われることは台湾住民の生活と未来に甚大な影響を及ぼす。
また、アジア太平洋地域における安全保障の均衡が崩れれば、世界的にも深刻な影響が予測される。この地域は国際貿易において極めて重要な役割を果たしており、紛争が生じれば経済的な混乱は避けられないだろう。
さらに、「民主主義より命の方が大事」と言うが、民主主義があってこそ人々の命や生活が守られる。もし戦争が避けられない場合、それでも多くの命が失われる危険はあるが、正義や自由を守ることが究極的には多くの命を救うことにもつながるのだ。
孫子が教えるのは、慎重かつ賢明に行動すること。軽視できる問題は一つもない。増田、真に世界と私たちのためになる選択を模索しよう。
●はじめに
これは相手に向けて書いたものではなく、相手を批判する意図はない。
もしこれを読んで相手を批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである。
また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。
だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。
以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。
●登場人物
私=筆者
一次創作をする。
絵と文章を嗜む。
A
この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録と私自身の反省のためのものである。
●Aと私の関係性
そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。
薬10年を共に過ごしてきた仲だった。
間違いなく、一番仲が良かった友人だった。
高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。
大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。
私が新卒で入社した会社の研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。
Aは絵を描くことが好きだ。
絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生そのものなのだと思っている。
自分の気持ちを言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。
私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。
そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。
私の作ったキャラクターやお話のファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。
そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。
Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分の創作の話をした。
●事のあらまし
Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。
私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。
そこで一次創作の同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。
私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。
ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。
頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterのフォロワーを中心に頒布することができた。
半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。
Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したことがきっかけだった。
私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。
喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。
多分おおもとの原因はここなのであろう。
Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。
仲直りをしたときの電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。
「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。
Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。
前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。
Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。
その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。
しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。
だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。
結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。
そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラの立ち絵のポーズのイメージを送り、Aに制作をお願いした。
私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。
強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。
だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。
なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。
Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。
そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。
Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。
Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。
だがしばらくした後、Aから「晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。
もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。
つまり、好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。
どちらかと言えば同じサークルのメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。
だから「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。
しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人から頼まれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。
「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。
Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。
Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。
とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。
私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。
本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。
長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。
Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。
そのまま迎えた即売会当日。
その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。
細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャラのイメージ香水。
それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。
iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。
「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクションは
「はあ……」と言ったものだった。
即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。
……イラストの有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵数名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。
友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。
"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。
私は1万円を支払わなかった。
その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日のご飯代、打ち上げのカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。
続けて「もし対価としてお金を要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。
「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくまで好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。
Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。
あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。
"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。
「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」
そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。
私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。
Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。
またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。
●縁切りに至ったきっかけ
約1年、Aと会話をしなかった。
そんなことは今まで初めてだった。
しかし連絡がなかったとは言え、TwitterやLINEは相互のまま。
まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。
Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。
まだ友人関係を続けるなら清算が必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。
迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。
そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。
ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。
まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。
「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。
とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。
『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』
『そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』
『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』
『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』
私のこのときの率直な思いだ。
しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。
「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。
会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさらに半年後だった。
ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、
粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。
そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。
その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。
私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。
いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。
その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。
それでも私の誕生日には簡単なイラストが贈られたので、私もAの誕生日にイラストを贈った。
私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが
Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。
しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮りの写真にもコメントをくれたり、
行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。
年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、
招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。
AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。
Aからは「正月は帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。
私は過去の年賀状のファイルを実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。
送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。
Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。
住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。
再び、スタンプが押され返ってきた。
原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。
Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。
Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから
しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。
……私はもう疲れてしまった。
「年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。
局留めなんて提案もバカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。
「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」
私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。
話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。
LINEがブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。
ただただ、無視をされていた。
数日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。
別のフォロワーがホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。
よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。
盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。
他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。
私はAに追加でLINEを送ってみることにした。
目につきやすいように、短文で3件ほど。
わざと気を引くような言葉も選んだと思う。
スペースで何か反応があることを期待したものだった。
しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。
「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」
これだ。私が聞きたかったのは。
鍵アカウントの方へ移行していった。
Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。
Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。
実家を出て、新居に必要なものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。
(余談……事務的な手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。
他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)
タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。
やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。
私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。
そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。
いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこと自体が間違いだったのか。
……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。
Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分の人生そのもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と
感じているのだろう。
もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢にリスペクトしていたつもりだ。
私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉や表現方法が悪い。
そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。
私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。
Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。
許されないことも仕方がないと思っている。
しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。
Aは私の謝罪を必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。
人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。
ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかわからない。
Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段でしか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。
何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。
Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。
かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。
共通のコミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれるものだ。
Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。
Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。
家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て
「ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。
言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。
誰が聞いてるかもわからないオープンな場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。
「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。
「友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。
これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである。
それでも私はAを許さないと思う。
蓮舫が誹謗中傷と感じたなら適切に対応すればいいと思う。個人的にはあの程度であれば、自民党政治家(特に安倍や麻生など)立憲民主党や共産党の政治家、リベラルマスコミから散々言われていたと思うけどね。
ただ、それはあくまで私人間でのことだ。私人間で訴えでも何でもやって解決すれば良い。
とのこと。オープンレターにしろ不買運動にしろ、勤め先や直接関係のない部分に圧力をかけるって手法、リベラル左翼さん好きすぎませんか?
演説の妨害もそうだけど、リベラルだから相手を黙らせたがるのか、相手を黙らせたがる人がリベラルになるのかどっちだろうね。
蓮舫は「黙らない」と述べてるらしいけど、誰からも黙らせられてないよね?好き勝手発言できるし、してるじゃないの。説明責任は全然果たしてないけどね
海自のトップである酒井海幕場が一連の不祥事で19日に引責辞任するが、会見の中で言及があった
「組織文化に大きな問題がある。不正に気付いていたにも関わらず、見て見ぬふりをする体制が一部まだ残っている 」
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA125E30S4A710C2000000/
について、本当に一部なのか?という思いがあり、筆を執った。
ニュースのことを知らない人も増田を閲覧していると思うので、ここで海上自衛隊の一連の不祥事についてまとめていく
こちらのニュース動画が一連の不祥事を網羅的まとめていたので紹介する。
https://youtu.be/trZdMdzSs8w?si=JAt9pznKU4TPYBI8
適正評価未実施の隊員を特定秘密を知りえる状態に置いていることが艦艇部隊で常態化していた問題である。
特定秘密とは、「その漏えいが我が国の安全保障に著しく支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの」を指す。
海上自衛隊でいえば、艦艇が「どんな任務をしているか」や「どこにいるのか」などの情報がある。
適正評価とは、この特定秘密を扱うに値する人間かどうかのお墨付きを与える制度だ。国籍や犯罪者歴、所得状況などをもとに総合的な判断が下される。
といった虚偽申請を行い、実際もらうべき手当よりも多く潜水手当をもらっていた問題である。
営内者や勤務上必要で指定されている隊員以外は、有料で喫食することになっている隊員食堂の食事を、申請を行わずに喫食していたという問題である。
「部下の行為を黙認しながら自分も手続きなしに飲食を繰り返していた幹部については、一階級、降任の処分が行われた」
とする報道もあるので、部隊の一部では常習的に行われていたことが伺える。
潜水艦の新造や修繕を行っている川崎重工が取引先との架空取引を原資として海自隊員に対し、金品の贈与などを行っていた問題である。
こちらについてはまだ全容が明らかになっていないが、十数億円規模の裏金が作られている模様である。
潜水艦については長年、三菱重工と川崎重工の寡占となっており、海自隊員とのコミュニケーションは密接で、癒着が起こりやすい環境であった。
「忙しい」のは当たり前だろと思われるかもしれないが、昨今の国際情勢の厳しさは増田読者の皆様にとっても多かれ少なかれ耳にしていることであろう。
米中対立の激化、地政学的に最前線に当たる海上自衛隊はその矢面に立たされている状況である。
通常任務に苛烈さが増す一方で、多国間協力を推し進めるために共同訓練も数を増している。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20240302-OYT1T50167/
一部の部隊では、通常業務ですら手一杯で、休日も問わず出勤するような有様である。
このような状態で、ガバナンス違反の疑いがあるからといって調査に乗り出すリソースがあるのだろうか。
「後ろ向き」の作業は、隊員への聞き取り、過去にさかのぼった記録の確認、調書の作成などが発生し、解決するまで長期間を要する。
通常業務と並行して取り組む必要があるため、「休めない」どころか「寝れない」事態になりかねず、問題を指摘して是正を行うような余裕は私がいた当時にはすでになかったように感じている。
自衛隊の採用のキャッチコピーは、「国家を守る、公務員」である。
https://www.mod.go.jp/gsdf/jieikanbosyu/details/pamphlet/r5sougouannai.pdf
任期制隊員を除き、曹以上の隊員は定年まで勤めあげることが約束されている。
人生の大半を、自衛隊で過ごすのであれば周りに波風を立てずに、公務員という立場にしがみついておく方が楽だと考えないだろうか。
また、幹部自衛官であれば、候補生学校修業後、幹部名簿をみれば自分の序列がどのくらいで、最終階級はどのくらいか目算が付き、それが覆ることはほとんどない。
だが、多くの幹部は3佐、防衛大出身者や一般大出身者であれば2佐には就くことができる。これは勤務成績はほとんどかかわらず、時期が来れば自動的に昇任するのだ。
3佐であれば、副長や航海長などや艦艇の規模が小さければ艇長を任せられる階級だ。2佐といえば、艦長の重責を担う階級である。
黙って過ごせば自動的に昇進するのに、火中の栗を拾うような真似を誰が行うのだろうか。
海上自衛隊の司令部があるのは横須賀だ。陸自・空自は東京に拠点を設けている。
東京にある司令部は、20%、15%の地域手当がつき、横須賀は10%である。
このように、自衛隊の給与ベースは、「どんな勤務」をしているかよりも「どこで勤務」をしているかの比重が大きい。
また、自衛隊は残業代が出ない。激務であろうが、それを受け入れて残業をする。
地方の基地に転勤したほうが配置によっては激務となるのに、賃金が低下するなどといったことは当たり前の状態である。
これに多少なりとも不満を思っているひとはいないだろうか(私は思ったので退職したが)
ただ批判ばかりしていては建設的でないので、お世話になった海上自衛隊にささやかながらいくつか提言をしたいと思う。
奨学金制度や募集対象年齢の拡大など、自衛隊の間口を広げようとする努力は大変結構なことだと思う。
だが、中途採用はあまり活用されていない。自衛隊の採用年齢は拡大された一方で、技術職である技術曹や技術幹部の採用枠は資格の種類や人数はあまり間口は広がっておらず、待遇も民間と同等かそれ以下である。
民間人が転身しようとなると相当な覚悟が必要な状況は変わっていない。
また、実際に退職をしようとなるとかなり大変で曹士の場合は各地方総監、幹部の場合は海上幕僚長宛ての書類作成が必要である。
また、退職を切り出すとなると引き止めもかなり長く、数時間に及ぶ面談を数回実施があったり、中には
「辞めるというなら部隊の敷居は跨がせない」
逆に言うと、そういった側面が「自衛隊でも」活躍できる人材が集まるのではなくて、「自衛隊でしか」働くことができない人材を集めてしまう一因となっているのではないだろうか。
また、自衛隊では一般の資格が多数取れる一方、それ以上に自衛隊内でしか通用しない資格が存在する。
定年を終えて、退職することには自衛隊のドメイン知識のみしか持たず、自衛隊内では高給取りであった人材が、民間では使い物にならず投棄されるような実態もそこにはある。
一定の再就職のための教育はあるが、任期満了か、定年退職者に向けたもので、依願退職者向けの物はない。また、再就職教育のカリキュラムが豊富か、世相にあったものなのかは疑問が残る。
時代のニーズに合った再就職のための教育を行うとともに、素養教育としても、民間人としても生きていけるようなカリキュラムを組むべきだ。
自衛隊を「いつ辞めても大丈夫」、「戻ってきたくなったら戻ってこい」といえるような風通しのよさが必要ではないだろうか。
理由2及び理由3で述べたが、多くの幹部は年数が立てば自動的に昇任する。これは勤務に対する意欲を削ぐ大きな原因ではないだろうか。
勤務成績もさることながら、昇任の際にはその幹部が、果たして階級に値する人間かどうか、厳しくチェックをおこなうべきではないだろうか。
上記に合わせて、この基準を満たせなかった人間には早期に次の道に進む覚悟を求めていくことも大切だ。
民間のものでエビデンスが弱いが、防衛大学校・一般大卒で3佐の年齢は中央値で35才である。
https://hyakublog.net/nennrei-kaikyuu/
3佐以下の定年を45歳程度まで早めることによって、自衛隊で腐る前に優秀な人材のまま民間に還流したほうが、日本国家のためになるのではないだろうか。
特殊な技能をもったり、慢性的に激務が予想される配置にはきちんとそれに見合った給与体系をとるべきである。
業務にかかわらず特定の地域勤務者に一律で与えるような地域手当が果たして自衛隊員の働きに報いるものなのだろうか。
艦艇部隊ならば海上が主な職場である。なぜ母基地の違いが給与に反映されるのか甚だ疑問である。
十数年間務めた古巣に関することを増田に投稿することは、塩を撒くようなことであり、大変申し訳ないと思っている。
この増田を発端に、何か議論が起こればよいし、起きなければそれまでなのだとも思っている。
海上自衛隊に必要なのは伝統墨守に偏重してきた過去の文化と決別するという強い覚悟である。
海自幹部には潮気が必要とよく言われるが、今回の一件で世間の厳しい潮風をしっかりと受けながらも倒れずにしっかりと復原し、海上自衛隊が風通しのよい組織になることを切に願っている。
「ヨーロッパ諸国は小さくて国際競争力がない」という意見は、確かに一部の側面を捉えているかもしれません。しかし、以下のように単純化することはできません。
* ドイツ: 世界4位の経済大国であり、製造業や自動車産業を中心に高い国際競争力を有しています。
* フランス: 世界第7位の経済大国であり、航空宇宙産業やファッション産業などを中心に高い国際競争力を有しています。
* イタリア: 世界第8位の経済大国であり、ファッション産業や食品加工産業などを中心に高い国際競争力を有しています。
2. 国際競争力も高い
* 世界経済フォーラムによるグローバル競争力指数では、2023年時点で上位10位に4つのヨーロッパ諸国がランクインしています。(スイス、デンマーク、オランダ、スウェーデン)
* ヨーロッパ連合全体で見ると、世界第2位の経済規模を誇り、アメリカに次ぐ大きな経済圏となっています。
* ヨーロッパ諸国は、それぞれ異なる文化、言語、歴史を持っています。しかし、欧州連合という枠組みを通じて、域内市場の統合や政治協調を進めてきました。
* この多様性と協調性こそが、ヨーロッパの強みの一つと言えます。
ヨーロッパ諸国は、確かに国土面積や人口で見ると、アメリカや中国のような大国とは比較できません。しかし、経済規模、技術力、文化の影響力などを考慮すると、国際的に大きな存在であることは明らかです。
個々の国に課題がないわけではありませんが、一括りに「小さくて競争力がない」と断言することは適切ではありません。
ヨーロッパ諸国は、今後も独自の強みを活かして、国際社会において重要な役割を果たしていくでしょう。
』
コンテンツによって許される範囲が違いすぎて分からなくなってきた。
今日Xで「関ヶ原の戦いに関して人に話したらネタバレをするなと怒られた」というポストを見かけて笑ってしまった。どうすればいいんだ。
分からなすぎて、ネタバレを嫌う民はもうそのコンテンツに触れるまで自衛してほしいと思うようになった。
・漫画
時に更新されたらみんなすぐ感想を呟いて展開がトレンドに載ったりする。〇〇死亡とか
じゃあ漫画はそんなに厳しくないんだろう。
・ゲーム
1番わからない。
発売日から1〜2週間経った頃に感想を呟いたらフォロワーからネタバレだとリプライされたことがある
上とは別ゲーだが、ポケモンのDLCなんかは解禁から翌日には新ポケモンや新要素、キャラ名などがトレンドになっていた。
なんなら俺も先にトレンドで知った口だが、これがきっかけでネタバレってあんまり考えないでいいのでは…と思うようになった。
・映画
ゲームや漫画と違って上映時間という縛りがあるし、触れられるタイミングにも差異があるから上映直後は話さないか、ふせったーを使用する必要があるのはわかる。でも公式側がツイートでよく「皆さんが配慮しすぎて全然感想ツイートが見つけられない」というのも見かける。もしかしたらコナン映画の犯人以外は呟いてもいいのかもしれない。
・ライブ
ツアーの場合セトリや演出がネタバレになるという意見を見かけてから迂闊に呟けなくなった。
これに関してはそれ以来ふせったーを使っている。
・人に作品を薦める時
薦めるということはあらすじをある程度説明する必要があるが、それはネタバレと紙一重だ。
詳しく説明できないけど衝撃的な展開がある!と説明したとそれは「衝撃的な展開がある」ということ自体のネタバレになってしまう。
例えばまどマギで3話で衝撃的な展開がある!と説明されたらその人は身構えてしまうだろう。
しかし真に衝撃の体験を受けるならば、何も警戒しない状態で3話を見る必要がある。
これはリアタイしていた人なら分かるはずだ。
まどマギ3話に関してはもう10年以上経ってるからいいだろうということにする。
かといってその辺りも説明しないで薦めようとすると、キャラがなんとなく魅力があるとか、とにかく面白いから見てなどふんわりした感じになってしまう。
果たしてそれでコンテンツに触れてみたいと人は思うのだろうか。
加減が難しい。
ちなみに俺はネットで見かけてしまった分はもう自業自得だと思うようにしてる。
対面の時は流石に結末系を言う時は「ネタバレ大丈夫?」と聞くようにしている。
これは私の場合だけなのかもしれないけど。
そして気づいたことは、その広告が私に作用するものがほとんどないということ。
そうすると広告を何秒間か見せられる、というパターンが多いのだが、
5秒間とかそういう時間のあいだただ目的の記事に対して意識は集中していてその広告が眼中にない。
それはすなわち私に対して広告がターゲッティング出来ていないというのもあるし、
そもそもその広告が目に入らないように私の脳みそのシステムが出来上がっている。
なんというかテレビCMとか雑誌の広告のようには視覚に入って来ない。
これがYouTubeとかの動画が再生される前のCM動画だと話はもちろん別になるんだけど、
テキストサイトを読むための待ち時間に表示される広告というものは全く眼中に入らない。
じっと「あと何秒で報酬を得ます」というような文字とその広告を消すための「✗」印を眺めている。
本当にただの待ち時間、これを表示させることによって目的の記事を読めるという報酬を得るための何もしない時間になっている。
これは私にとっては、ということなんだけど、いったいこんな広告に果たして成果はあるのだろうか?
繰り返しになるけど、報酬型(という言い方は間違ってるのだろうけど)のweb広告に対して私の脳みそシステムは全く反応しない。
なぜならそれは眼中に入らないからだ。
電子ペーパーの。
一瞬で切り替えられるやつ。
たとえば100ミリリットル辺りの価格が表示されているのよね。
それ見て大きい方買う方がわりとお得感感じるときがあってやったー!ってなるんだけど
洗濯洗剤のさ
通常詰め替え用の方がたくさん入っていて安いと感じるお得感を思うに想像するじゃない
で比較したら
詰め替え用を買うよりも本体を買う方が100ミリリットル辺りの底辺かける高さ割る2とは全然関係なく、
本体だけまた買った方が安いという
なにこの矛盾したやつ!って思っちゃったわ。
詰め替え用はパッケージが簡素でだけどたくさん入っていますよ!ってのがウリじゃあいの?
たぶん私その100ミリリットル辺りの価格の比較が表示されていなかったら、
もれなく詰め替え用の方を買って詰め替えていたわ。
だけど本体の方が安いとなるとやっぱり数十円でもそっち買っちゃうわよね。
何この現象?って思うけど、
あれその比較の表示がなければ、
価格をよく見ない層に、
あ!詰め替え用の方が絶対にお得だよね!って何も考えずに手に取るそんな消費者をターゲットにしていると思うと
なかなかやるわね!って思うのよ。
でも賢さを1つ得るためにはやっぱり比較検討法をここで試してみて
見比べてみると、
そう言うことだったのよね。
へー!って思っちゃったわ。
とかいって、
もう手に取って買い物カゴに入れた途端に値段のことを忘れちゃってるから
その商品がその商品タグの価格でレジちゃんと正しく通るのかまではみんな見てないから
そこまではチェックしてないのよね。
手に取ってそこでお安く買えた!って思うだけで人は満足なのよ。
きっと。
果たして本当にその詰め替え用洗剤がその時の本体より高い値段なのか安い値段なのか分からないじゃない。
みんなあの陳列棚の値段を信じてるけど
お店はお客さんに怒られると思うんだけど、
まあ実際の所はどうなのかしら?
持ち間違っていたら洗濯洗剤だけにプロの驚き屋も驚きの白さ!って言わざるを得ないわよね。
そのぐらい私も驚くわ。
陳列棚の値段と実際にレジ通した物の値段が同じかどうかまではチェックしなくない?
だいたいは合っているんだろうという性善説に基づいているところもあるわよね。
あと毎回思うんだけどそして何回もここでも書いているかも知れないんだけど、
詰め替え用のもの
そうね、
洗剤に限らず何でも今の流行で
詰め替えても本体のケースとかの容器に3分の2ぐらいまでしか詰め替えられない
容器すりきりいっぱいに詰め替えられない
なんか気持ちよくない詰め替え用のやつあるじゃない。
あれもうさ
1対1の量で詰め替え用のものを詰め替えたら本体がぱんぱんに満載されるような気持ちよさが欲しいわ。
それこそ詰め替え用の真髄だと思うの。
あんまり未だかつてそんな気持ちいい詰め替え用のものって見たことないから
そうすると本当にプロの驚き屋も驚きの白さ!ってその詰め替えた洗剤を驚いてくれるはずだと思うのよね。
私もそのぐらい詰め替えで驚きたいわ!
そしたら多少高くても詰め替え用の方を買うもの。
うふふ。
ミックスだけどトマトもフレッシュなものが入っていて美味しいサンドイッチの朝を迎えたわ。
美味しくいただきました。
この時期の朝でも夜でもゴクゴク飲みたい私にちょうどピッタリよ!
量産よ量産。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!