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2018-11-16

IKEA前橋

2020年春、原宿駅前IKEAが出来るそうだ。

あん人間闇鍋のような場所家具を買いに来る人間なんて果たしているのだろうか?という疑問はさておいて、IKEAに喜ぶ世間を見て、まるで恋人寝取られたことが判明した夕暮れのようなどこかしょっぱく、やるせない気持ちになったのであった。

IKEA2020年までに日本国内に14店舗展開する方針だそうだ。

現在IKEA日本に9店舗。そして現在着工中は10号店のIKEA広島

おそらく11号店は件のIKEA原宿駅前

になることだろう。

いやいや、ちょっと待ってくれよ。IKEAさん、何かお忘れじゃないですか?

そう、群馬県前橋市

前橋にはIKEAが出来る。そのはずだった。

2013年の夏頃、大型スーパーCOSTCOの隣にIKEAが出来る、その報せは群馬県内をからっ風のように駆け抜けた。

群馬県民は皆、外国のお洒落家具屋が来ることを喜んだ。家具なんかニトリで買えるけれど、スウェーデン発祥という響きこそが都会にコンプレックスを感じる片田舎人間には喉から手が出るほどに甘美で、それはそれはもう飛び跳ねんばかり狂喜乱舞したとか、しないとか。

休日はこぞってCOSTCOに行くのが良い例である。それこそIKEACOSTCOの隣に完成すれば、クルマ社会群馬県民は喜んで金を落としていったであろう。

そう、「すれば」。

あくま仮定の話である

IKEA JAPAN土地を買い取ってからもう5年半が経とうとしている。

さて、IKEA前橋店の進捗につきましては、お手持ちの通信機器画像検索でもしていただけたらと思います

グンマーIKEAはこんなもんだって?いやいや、流石に騙されんぞ。

けれど、信仰心の強い群馬県民にはあの写真にはちゃんIKEAが写って見えるそうだ。

IKEA11号店は原宿駅前IKEAだろう。ワクワクとIKEAを信じている前橋市民として、どこか心に風穴が空いたような気持ちになったが、これもまた仕方ないことなのだろう。

焼きまんじゅうタピオカだったらタピオカの方がインスタ映えするし、井森美幸ときゃりーぱみゅぱみゅだったらそりゃきゃりーだろうし。

全てが摂理で、全てが仕方ないことなのだと思う。田舎はいだって都会に1000歩くらい遅れて歩いている。たとえ先に踏み出したとて、いとも簡単に抜かされてしまう。

世界って結局そんなもんだ。そんな簡単なことすら忘れて浮かれていたのが恥ずかしいとすら思うけれど、今日明日空き地IKEAを夢見続けるのだろう。

ふと、部活帰りに自転車IKEAにいこうと約束したのを思い出した。

もう制服なんて着れないのだけれど。

2018-11-15

大阪1日目

特に何もなくホテルに来ることになった。

この時間だしもうやることがねえ。

土日までいるつもりだからまだ余裕があるが果たして大阪でいいことがあるんだろうか

2018-11-14

オタクがどうのって叩いてる連中が居るけど

現代オタクって2つの源流があって、それらが合流したことによって成立した人種だよね?

細かく言ってしまうとキリがないからザックリと説明するけど「娯楽創作」と「技術開発」の2大源流があるはず

現代オタクを叩いている連中は「娯楽創作」という要素しか非難出来ていなくて、オタクという自認があっても「技術開発」という比率が高いオタクにとっては全く効果がないと思うんだ

現代オタクの分かりやすい部分の歴史と言えば、電子工作無線技術に属していたマニアたちの成果物に対して価値見出し漫画アニメマニア活用を始めたことによって交流が進み合流を果たしてオタクとして成立したわけだよ

当然ながら技術開発にとっては自分成果物から、より面白いもの生産されることは嬉しいことだし、技術開発の成果物から飛び出す漫画アニメマニア成果物は喜ばしい結果だった

現代オタク比率がどうであれ「娯楽創作」「技術開発」双方の要素を持つ者たちであって、創作娯楽ばかりを叩いても実際にはオタク非難として片手落ちしかないと思うんだ

現代オタク表現の自由に対して一切引かない姿勢なのは「娯楽創作」と「技術開発」が地続きであると思っているからなんだよ

そしてオタク叩きをする連中は「技術開発」を叩けないと思っているからこそ「お気持ち」と断じてしまうわけだ

オタクは叩いてくる者たちへこのように思っているはずだ

「娯楽創作技術開発の違いはなに?娯楽創作は駄目で技術開発は良い理由はなに?」

2018-11-13

プラットフォーム情報、富の独占について

2018年11月13日 文化メディアIT法

プラットフォーム果たして何を寡占しているのか?

               ~握られる5つのリソース~」

弁護士 福井健策(骨董通り法律事務所 for the Arts)

https://www.kottolaw.com/column/181113.html

まとめたい。恐らくプラットフォームに寡占されるのは「①ユーザーアクセスと滞留時間」「②データコンテンツ」「③アルゴリズムAI」「④情報ルールメイク」「⑤結果としての富」であり、これらは相互に重複し表裏の関係にありそうだ。漏れ的外れな点はぜひご指摘いただくとして、そのどこに、どう切り込んで、どう自由規制の最適バランスを探るのか。

事実の話について

人は事実と信念を分ける。

私の信念ではなく、事実の話だというとき

その事実に当たる部分が善とか悪の価値基準を置かずに話をしたいということだろう。

私はその意志だけは尊重してやりたいが、そうすることである問題を抱えている。

それは事実と信念を分離させる事による問題である

まり、私はこれを事実だと信じていないが、これは事実である、ということが果たして可能であるのかということである

事実と信念をわけることで4パターンできる。

①これは事実で、私はそれを信じている。

②これは事実ではない、私はそれを信じている。

③これは事実で、私はそれを信じていない。

④これは事実ではない、私はそれを信じていない。

①のパターン

これは問題ないだろう。事実であることを信じる。

②のパターン

これも問題ない。事実ではないことを信じている。

③のパターン

これはおかしい。事実なのに、事実を信じていない?

④のパターン

問題ないように見える。事実ではなく、その事実ではないことを信じていない。

事実の話をしたい人に、私はその事実を信じていないなどといえば変に思われるだろう。

だってその信念を切り捨てて話をしたいのだから

しかし、事実の話をする人が、その事実に対してなにも信念を持っていないというのは嘘なのでないだろうか?

事実の話をすることで、信念の話から逃れられると思っていることに、疑問を抱いていたのでこの文章を作った。

何か矛盾があれば返答ください。

過剰な東宮擁護と他皇族ファミリーへのバッシング

最近本当に酷い秋篠宮夫妻へのバッシング、それでいて東宮をひたすらに賛美

彼らの矛先は今上陛下にまで及ぶ

 

高齢にもかかわらず公務を果たすために全霊を捧げている方々を叩けるとかどういう了見なのだろうか

皇太子やM子が比較されると困るからやめてほしいだってさ、馬鹿じゃないの

それってM子ができない公務はやるな、廃止しろってことですよね

 

秋篠宮バッシングについてもそう

かに娘さんにはKという汚点もあったにはあったよ?

でも叩かれるべきは皇室を利用しようとしたKだし、それを防げなかった宮内庁でしょう?

立場に対する義務果たして公務をきちんとこなし続ける人々を叩くってなに考えてるの? 最低限の公務すら果たせない連中を擁護して

 

皇室象徴なのです

外国から見れば日本人代表なわけ、政治権力は無くても国王と同じかそれ以上の扱いなわけ

それが満足に公務もこなせません、ノブレスブリージュ(高貴なる者の義務)も果たせませんで通用すると思ってるわけでしょうか

外国パーティーに招かれたらどうすんの?既婚者なのに晩餐会に一人ぽつんと出て行く皇太子の姿を見て諸外国は何を思うと思う?東宮擁護さんは世界からどう見られてるかもわからんようです。世界常識をしらないんでしょうね。日本よりもっと厳しいのに。

 

こういうことを書くと「サベツガー」「ジダイガー」「アキシノミヤガー」とか意味不明理屈が飛んでくるわけで頭が痛くなります

単純に立場に見合った行動をしろと言っているだけ、王族には王族責任が伴うのは当然のことなのです

それができないならできる人にやってもらうしかない、仕組みを変えるしかないですが、仕組みを変えて通用するのは国内だけです

素直に辞めてもらうのが一番でしょう

 

正直次代には不安しかありません。追悼式典の名代も満足にこなせない人がどうして諸外国の催しにでていけるでしょうか

この理屈すら東宮擁護さんには理解できなかったようです。

まあ彼らにとっての伝統皇室公務のあり方はその程度のものなのでしょうね。

自称ガチ恋」をこじらせてるんだけど、

別に付き合いたいとかどうこうなりたいとかいうよりも

いっきり性の対象物として本人を搾取している自覚があるので

こう呼んでる。

例えば服を脱ぐシーンがあったら歓声が大きくなったり

ダンスパートで腰を振るシーンがあったりするのだから

私が彼をそういう対象として享受することも

ある程度考慮されているのだ、と自己正当化してる。

でも、笑顔とか、眉を顰めるような苦しげな表情を見たら

すぐ隣でこの表情を見たいなあと思ったり

手とか首とかを見ながら、

近づきたい、触りたい、と強く思ってしまう。

いずれ激情と呼ぶしかないような感情が押し寄せてきて

悶々としてどうしたらいいのかわからなくなって。

顔が熱くなっているのがわかって、文字通りクラクラしてきて

体温のせいで手にもったオペラグラスが曇る。

出番が少ないとかせりふが少ないとかはどうでもいい。

舞台上にいてくれれば私は視姦を繰り返せる。

あなたが真面目に台詞を発していても

優雅な表情で踊っていても

顔も名前も知らない客席側には

こんな見方しかできていないヤツもいるよ。

ごめん。

やめなきゃやめなきゃと思っているのに手元に半券が増えていって

単純にどこも触らずに目の前の対象物を見ながら脳で自慰してるんだよね。

終演後お手洗いでクロッチがべっとりとしているのを見ると

私は果たして何をしに今日この劇場に来たのだろう

なんて一人で苦笑いしてしまう。

きっと来年も通うんだろうなあ。

anond:20181113001305

今日知ったのですが、四条河原町は8時から21時まで自転車通行禁止らしいですね

そのような場所果たして駐輪場必要なのでしょうか

2018-11-11

欅坂46というグループを初めて見たときに、

「なぜこのグループ秋元康以外の、別の誰かが作れなかったのだろうか」と心底思ったし、自分が中高のとき欅坂46がいなくて良かったと安堵すらした。

現在AKB48乃木坂46が中学生高校生といった若者たちの間で、どのような評価で受け取られているのかは分からない。

しかし、メディアお金をかけて流行らせたいと思っていた存在であることは明白である(それは「かつて」であり「現在」ではないのかもしれないが)。

そして、その戦略は功を奏し、ある程度まで浸透したことも間違いない。

一方で、こうした「メディアが作ったブーム」に素直に乗っかる層がいれば、必ずそうしたメジャーどころに対してうがった目線マウントを取ろうとする者たちも一定数いる。

それは例えば、浜崎あゆみ流行っていたとき椎名林檎であれ、Coccoでありに傾倒した層だったり、ゆず栄光の架橋を歌っていた時に、ひとりRADWIMPSを聞きこんでいたりする層である

明るく青春謳歌する歌を歌うものがいれば、そうした青春に乗り切れず、自己世界に没入していく者たちもいる。

AKBにしても、乃木坂にしても、いずれにせよ彼女たちはそうした「明るく青春謳歌する者たち」であった。

実際、彼女たちを推している人たちが、果たして彼女たちの歌う歌のような青春を過ごしているかはさておき、彼女たちが歌う世界は明るくて、そして何よりスクールカーストが高かった。学園祭ではセンターでその時流行っている歌を歌い、誕生日にはクラスみんなに祝ってもらい、夏になったら水着で海ではしゃぐ。

絵にかいたような「青春謳歌する女子高生」を彼女たちはメディアを通して見せていた。

そういう「私たちメジャー存在なのだ」という暗黙の主張に対して、乗り切れない層は必ずいる。

そこに秋元康がぶつけてきたのが欅坂46というグループである

彼女たちが凄いところは、「メディアの生み出すあるべき姿」を否定し、「君は君らしく生きていく自由がある」と、そこに乗り切れなかった者たちに対する救済の言葉を与えたことだ。

自分自由ではないのではないか」「列に乗せられているのではないか」、あるいは「列に並びきれていないのではないか」という不安を生み出したのは、「列」、つまりメディアの生み出すあるべき姿」を作ってきた、他ならぬ秋元康である

彼の作る「絵にかいたような青春」に縛られ、それと比較し、乗り切れなかった自分は「あるべき姿」、あるいは「メジャーな彼ら」とは違うのだと、自己位置付けてきた者たちにとって「君は君らしく生きていく自由がある」「プライドに縛られたつまらない大人は置いていけ」と笑みすら浮かべず、必死で歌う欅坂46の存在に、どれほど自己投影しただろうか。

しかし、その「あるべきメジャーな姿」と「それを受け入れなくても良いという反骨精神」の両者ともに同じ人物によって作られている、という点に私はぞっとする。

本来であれば、こうした相対する文化は、ハロプロであったり、ももクロであったり、AKB以外の存在が狙うべきだったと個人的には思う。

しかし、結局AKBに乗っかることのない層が何を欲しているのかを正確に把握できたのは、他ならぬ秋元康だけだったのだ。

つの時代にもこうした「君は君らしくて良い」と、社会が暗黙のままに要請するルールに従わない層に対して寄り添う文化存在するけれど、それをこれまでそのルールを作ってきた人物が作り出しているという現実に、私は少し息苦しさを覚える。

日本の他言語話者への態度とアメリカの他言語話者への態度

https://cakes.mu/posts/23181


認識の仕方が「英語圏に住む日本人」という1方向から視点しかなく議論の整理としてはあまり良いとは言えない。

ブコメも含めて日本人の他言語者への態度とアメリカ人の他言語者への態度についてあまり実態が知られていないように見える。

これは日本が凄くてアメリカが駄目とかその逆のことを言いたいわけではないけど。

ここから書くのはあくまステレオタイプね。


1.アメリカ人は実は訛りに辛辣

トランプの件でわかったかもしれないけど、アメリカ人は実は訛りにうるさい。

正しい発音を求めてくるし聞き取れなかった場合、大げさなボディランゲージと共に皮肉交じりにジョークを言われることもある。

ちなみに日本人英語Engrish日本人はLとRを聞き分けられないから)と言ってからかうスラングがある。


2.逆に日本人外国人の訛りには寛容・・・なのだ・・・

一方で在日外国人からしばしば聞こえてくるのは、日本人日本語が母語ではない話者に対してかなり寛容であるという事実がある。

大抵の店員日本人日本語があまり聞き取れなくても繰り返し聞こうとしてくれるし、少なくとも馬鹿にはされないという点をよく強調される。

ただ、日本国籍を取得した元外国人日本語がうまくなり始めた外国人に対する態度に最大の違いがある。

これは

「今までは外国人から特に言わなかったけど、日本人になった/なろうとするなら話は別ね」

という日本人文化的規範のものに由来するとしばしば言及される。

まり内と外を分けて態度を変化させているというわけだ。

これが在日外国人

「なんかわからないけど急に日本人が厳しくなった」

という感想を抱かせることになる。

これが非常にストレスを感じさせるらしい。


アメリカ日本の違いを見て取ると

アメリカ英語は喋れて当たり前、できないなら馬鹿にする

日本日本語は喋れなくてもしょうがない、でも日本に溶け込みたいなら厳しく指摘するよ

という違いがある。


上記を踏まえて考えると

日本人はある特定言語を喋ろうとしている時、訛っている人に対するアティチュードをどう行うべきか」

という点についてよくよく考えなければならない。

問題点は、単に訛りについて寛容になればよい、という単純なものではないことがよく分かる。


日本人の内と外に対する意識の使い分けをどうするか

訛りを許容するなら日本人漢字間違いやミスに対する態度をどうするか

例えば、安倍麻生日本語を間違えることに対しても許容すべきか否か?

日本人は訛りに対して厳しくあるべきだと言うなら、外国人に対してもそうあらねば多様化社会の中では疎外感を覚える人が出てくるだろう。

逆に訛りに対しては許容すべきだと言うなら、安倍麻生にもそうであらねばならない。

なぜなら彼ら元外国人日本人になろうと努力している人もいるからだ。

日本人に対して厳しくあろうとするのであれば、当然彼らも将来的に厳しく追求されることになるであろう。


日本人英語を話せないのは馬鹿にするのに、外国人日本語を話せなくても馬鹿にしないのはこういった内と外の使い分けという側面が大きくある。

果たしてこの点について我々はどのような態度を取るべきなのだろうか。

この点を解決しない限りは、日本人が下手くそ英語を喋ることに日本人自身が寛容になることはありえないと思う。

2018-11-09

テレビ面白くないと言われ続けて久しいが

どうやったら面白くなるのかについて考えみた

性的な内容が含まれます賢者タイム中の駄文なので不快に感じる方は読まないほうがいいです。

結論としては、「製作側には期待していないので視聴者スタンスを変えるというのはどうだろうか?」というものだ。

具体的には次の2点を提案したい。

1. テレビ放送内容と現実を分離して考える

2. 「やらせ」を受け入れる

昨今のテレビ番組では視聴者への配慮子供への影響などを鑑みてか、全体的に誰も傷つかない優しい番組が多いように思う。

反面、刺激が少なく面白みがないとも感じている。

早速性的な話になるが、自分は男なので寂しい夜には1人AVでオ〇ニーに勤しむこともままあるわけだが、世の中の人のうち

アダルトコンテンツの内容を真に受ける人が果たしてどれくらい存在するのだろうか。

以下に挙げた「よくあるシチュエーション」は現実世界ではほぼ起こらないだろう。

童貞がいきなり現れた巨乳のお姉さんにタダで優しく筆おろししてもらう

通勤電車の中で周りにばれずに最後まで事を致す

片思い相手性的暴行を振るっているうちになぜか相思相愛になる etc

文字に起こしてみると思ったより気持ち悪かったのでこの辺でやめるが、アダルトコンテンツ内で起こっていることと現実を混在する人は少ないだろう。

というより混在している人が多数派だったらとんだ世紀末である

現実問題として性的被害を受けて苦しんでいる方がいることは理解していますが、そういった方々を貶めるつもりは全くありません。

童貞が本番でAVの真似してやたらと体位変えたがったり、挿れたらすぐ感じて声出してくれるものだと思っていたりするといった問題はあります

 それはまた別の話なので今回は触れません。

ここで冒頭の 「1. テレビ放送内容と現実を分離して考える」に戻りたい。

視聴者への影響を配慮して優しい番組を作っているが、視聴者健全分別を身に付けていればなんの問題もないのではないだろうか。

ではなぜ我々はAVの内容と現実区別できるのだろうか。

それは、視聴者暗黙の了解としてフィクションであるということが共通認識されているかである

いくら素人物を語っていても、それは「素人風」であって、彼女らは女優として活動しており台本もあるのだ。

最近ではきちんとしたレーベルを通さずに個人で流しているもの散見されるが、それもまた別の話です。

しかテレビ番組になるとどうだろう。「やらせ」に対して異常に厳しくはないだろうか。

他人をひどく貶めることでとる笑いというものは今は地上波では流せないだろうが、そういった表現もすべて台本

あってきちんと管理されたうえで演じ、視聴者もそれを理解したうえで楽しめばよいのではないだろうか。やらせ上等である

最大の問題は小さい子供特に真に受けやすいということである

これはもう心を鬼にして、子供相手でもテレビの中の話は全部嘘なんだよって現実教育していくしかないのではないか

ウル〇ラマン仮面イダーにはなれないんだよ。プリ〇ュアみたいにキラキラすることもできないんだよ。

でもあんな風にかっこよく・かわいくなりたいよね。→ テレビを見て発散して、さあ明日からまたお勉強頑張ろうね。

疲れた社畜可愛い女の子エッチしたいけどモテないし金もいかAVで抜いて明日も嫌だけど何とか頑張って会社行こうって思って寝るのと一緒ですね。

賢者タイムが切れたので寝ますおやすみなさい。

2018-11-07

「それでそのキャラパックンフラワーより知名度が有るの?」

スマブラにこのキャラ参加してほしいなーって安易に言う連中にこの言葉を投げられるようになったのは大きいよなあ。

超超超有名ゲームのサブキャラが出てこれるとなったら、そんじょそこらの名作ゲーム主人公程度だったら永遠に出てこれなくてもおかしくないもの

パックンフラワー参戦でみんな驚いたけど、そこに「コイツ誰?」って意見は全く無かった。

意外なキャラでありながらも皆が知っていた。

スマブラを「皆のよく知っているキャラクターによるお祭り」として見るのなら、超有名作品のサブキャラの優先度はちょい有名作品のメインキャラより上ってことになるわけで、そうなるともう「俺はこの作品が大好きだし、大好きな人も沢山いるんだからこの作品主人公が出てこないのはおかしいだろ!ユーザー意見を反映しろ!」なんてのはもう絶対言えなくなる。

貴方の好きだってうそ作品主人公果たしてハンマーブロスノコノコよりも有名なんですか?

違いますよね?

じゃあもう黙っていてくださいね

これで全部封殺できる。

凄い。

これに割り込めるのはDQFFぐらいだね。

あとはせいぜいモンハン妖怪ウォッチ

それ未満はせいぜい祈ってなさいな。

間違っても任天堂様の采配に文句なんて言っちゃダメ出し、よくわかんねーオタクによるオタクのための投票なんて始めて印籠として掲げたりはするなよ。

恥ずかしいからさ。

自分もそのゲームファンだったりした日にゃ、こんな奴らと同じだと思わないでくれーって共感性羞恥ビッグバンするから

2018-11-06

anond:20181106132747

そもそも「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか?」っていうのが根本的に疑問。

>もちろん主体的自主的に売る場合で、男女問わずな。

子どもは性を売るな」という禁止規範であるけれども、果たしてこれは子どもに向けた禁止規範なのか。

私は、この規範は、子どもが性を売らなくてもいいような社会を構築するための社会合意と考えます

フィリピンなどは子どもが性を売って生計を立てているのは多いようですが、そのような社会には日本はなってほしくない、というものでしょう。

禁止規範は、第一次的には、親や大人に向けてのものでしょう。「子どもが性を売ることは悪いことであるから、撲滅しよう。貧困対策教育をしよう」ということです。子どもへの波及は副次的反射的なものではないでしょうか。

そうすると、知識リスク理解のある子どもお金儲けのために自主的に売るのは悪くないのでは、とも思えます

主体的に性を売る子ども安全に適正額で性を売ることができる環境を作ればいいのではないか、という疑問も生まれます

しかし、自主的主体的に性をうる子ども安全に性を売らせる環境を作ることは、すなわち、子ども全般が性を売りやすくする環境を構築することにつながりますので、社会的に否定せざるをえず、結果、自主的に性を売る子どもについても、保護できません。

ですので、主体的かどうかにかかわらず、「子どもは性を売るな」ということになると考えます

しあわせってなんだろう

しあわせってなんだろう。

幸せなんて主観的ものしかいから、先程の問の答えや定義は人によりけりっていうところなのだろうけど。

最近自分果たして幸せなのか?と考えることが増えた。

24歳。

周りには家庭を持っている人もいれば、学生として研究に勤しむ人もいる。働いている人も多くいるし、働き方だって様々。職種も様々。

わたしが生まれ育ったのは、とある地方都市ベッドタウン。小さなショッピングセンターはあるものの、特にそれ以外は何も無い。家がある住宅街を抜けると、田んぼと山に囲まれ田舎景色が広がっている。

子育てをするにはとても良い環境だったと思うし、実際、たくさんの子育て世代がこの住宅街に夢のマイホームを建てて移り住んでいた。

突然だが、人生とは選択連続である、という言葉がある。(byシェイクスピア)

当たり前のことではあるが、成長とともに選択肢は増える。

特にわたしたちのようや田舎で育った者にとっては、なおさらそうだろう。私立小学校中学校だなんて周りになかったし、車がないと駅にもたどり着けないような地域なので、ほとんど全員が地元幼稚園小学校中学校、と、同じルートを辿る(もちろん受験をしてみたり、別のルートを歩む人は少なからずいたが)。

わたしにとっての初めての大きな分岐点高校受験であったと思う。

田舎にちょっぴりコンプレックスを抱いていたわたしは、都市部位置するという理由だけで、この辺で1番の進学校に進んだ。

わたしは決して頭の回転がいい訳では無いが、昔から記憶力がとてもよかった。

おかげで普段は全く勉強をしない不真面目な学生だったわたしだが、テスト前の詰め込みだけでそこそこ学年でも上の方の成績を維持しており、高校受験もなんなくクリア出来た。

高校勉強漬けの日々だった。

地方進学校特有の、地元国立大学(A大学とする)を神聖視し、それはそれは宗教のように、「目指せ!A大学!」と朝から晩まで勉強に励む生徒達。

わたし多数派から外れることがとても怖かった。いつも一緒に行動していた友人達はみなA大学を志望しており、わたしも当たり前のように、なんの疑問も感じずにA大学を志望し、死ぬほど勉強した。

特に将来やりたいこともなく、母親から、「今の時代は女でも資格を持っていないと」と言われたので、特に何も考えず資格が取れる専門的な学部受験した。

死ぬほど勉強した甲斐あって、ストレート合格し、進学をすることができた。

周りの大人たち、親戚たちからは、優秀ね、親孝行ね、などといつも褒められたし、親もとてもわたしの進学を喜んでくれていた。

大学では、それなりにキャンパスライフを楽しむことができたので、専門的な学部だったため、他の学部のように授業をサボってみたり、全休作ってみたり、そんなことは一切出来なかったし、なにより実習が死ぬほどきつかった。

大学生にもなると、仲の良かった同級生たちは皆SNSをやっていた。

この頃から自分選択が正しかったのか、自分に問いかけることが増えてきた気がする。

関東私大に進学した友人はいつもオシャレなカフェインスタグラムにあげていたし、同じ大学に通いながらも全休をたくさん作って遊び呆けてる友人、地元高校勉強はあまりせずに恋愛満喫して専門学校に進学し彼氏ラブラブな友人、夜の仕事をしながら華やかな世界で生きる友人、

所詮全てSNSしか知ることは出来なかったので、切り取られたほんの1部だったのだろうが、やっぱり隣の芝生って青い。

みんなそれぞれ、たくさんの選択肢を選んできた結果として、様々な人生を歩んでいた。

大学卒業した後、わたしは今、地元公務員として働いている。

安定した職もあるし、高給取りではないけれど、実家暮らしのため、そこそこ自由に使えるお金もあり、趣味満喫している。友人もいる。誰もが注目するほどの美人ではないけれど、絶望するほどのブスでもない。

過去自分に会うことが出来て、未来から何かを伝えるという漫画みたいな経験ができるのであれば、もっといろんな選択肢があるってことに気づかせてあげたい。

子どもが欲しい。わたしも早く家庭を築きたい。もっとクワクするような仕事がしたい。素敵な彼氏ラブラブしたい。

華やかな世界に生きたい。都会に出たい。

どれも全然から選べる道だとは思う。

しかし、わたしにはこの安定したレールから脱線する勇気がない。

もっと勉強しなくて良い学校に通って毎日遊んでバイトして過ごした方が楽しかたかな?自分探しの旅に出てみてもよかったかな?たくさん男の人と遊んでたら、いい人見つけてもう結婚できてたかな?

わたしは今幸せなのかな?

もっと幸せ人生ってあったのかな?

この選択肢を選んできた自分人生以外の人生を歩むことは出来ないので、どの選択肢を選ぶのが正解だったかなんて今更わからないけれど。

今日わたしはいつも通り、実家リビングゴロゴロしながら、ツムツムのハート回復するのを待ちながら、この記事を書いた。

何が言いたいかさっぱりわからなくなったが、自分の言いたいことをつらつらと書いてみた。共感してくれる人も、贅沢なやつだと反論的な考えを持つ人もいるだろうが、暇を持て余した1人の24歳女の戯言としてさらっと流してくれたらうれしい。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

プログラマーになったら幸せになれるか」を確認したい

かい方法いかな。

今の仕事をやめたり休んだりすることなく、転職してプログラマーになったとして果たして幸せになれるのかを確かめたい。

そもそも30過ぎのおっさんプログラマーじゃなくてSESしかなれないなら諦めるけど。

工程管理ごっこだったら今の仕事で散々やっているし、その虚無さも嫌というほど知っていて、だからこそ手に職をつけたいと思っているわけだし。

女子プロレス女性蔑視

女性性的消費するな、女性性的搾取するな。

フェミニストだかミソジニーだか社会学者だか活動家だか。

最近ツイッターやら増田やらでそういう声をよく聞く。

自分はその活動について肯定否定もしない。



ただ一つ疑問がある。

キズナアイ騒動があったからか、アニメ漫画に対する意見をとてもよくみる。

しかし一度も女子プロレスについての意見を聞いたことが無い。



そもそも女子プロレス起源バーキャバクラ等で、女性同士がブラジャーガーターベルト等を取り合う見世物起源だ。これはジャガー横田選手を始め多くの女子プロレスラーの方の発言にもあり、ほぼ間違いないと思っている。

たかつてはアイドルから女子プロレスラーに転向して大きな話題を呼び、そのやられ姿を見に行く男性ファンを多く持ったミミ萩原選手もいる。

所謂女性性的搾取に、これは当てはまらないのだろうか。

9歳の女子プロレスラーもかつては存在し、そもそもプロレスを行う危険性が問われることもあった。(世界的に見ても一桁の年齢でのプロレスラーは稀)

また海外に目を向けると、現在最も長い歴史を持つメキシコCMLLでは女子選手はほぼ必ず前座と呼ばれる第一試合、第二試合に組まれている。

世界最大のアメリカのプロレス団体WWEでは去年からMae Young Classicと呼ばれる女子プロレス地位を築き上げた偉大なレスラー名前を冠した、女子プロレスラーだけのトーナメントを行ったり、今年Evolutionと呼ばれる男女が所属する団体では恐らく初の女子だけによる興行を行い、大成功を収めている。しかしかつてはブラ・パンティマッチ浮気不倫などをネタにしたストーリーが組まれている。

これは女性蔑視に当たらないのだろうか。

夢と憧れの対象であったF1グリッドガール女性蔑視につながると廃止されたのは記憶に新しい。

果たして女子プロレス女性蔑視、性的搾取にあたるのだろうか。


自分プロレスにはまったきっかけがアジャ・コング選手試合であり、失礼に当たるかもしれないが性的目線では一切見ていない。男子よりも試合面白いと思っていたからだ。ブル中野選手との長年に渡る抗争は今でもあらゆる男子の抗争に負けていないと思う。1992年から始まった対抗戦時代、プロレス史上でも類を見ない盛り上がりを見せている。

前述したアイドルから転向した女子プロレスラーは、確かにそういった目線で見られることもあったかもしれないが、アイドル崩れにプロレスが出来るかというファンの厳しい目線を跳ね除け、大ベテランや極悪ヒールに果敢に立ち向かい、顔や体がアザだらけになっても闘う姿に心を動かされた人が多数存在する。グラビアアイドルから転向し、現在引退しているが愛川ゆず季選手などはその最たる例だろう。

また多くの女子プロレスラーが「男子より凄いってところを見せてやる」「女子には女子しかできないプロレスがある」とプライドを持って試合に臨んでいる。

女子プロレス活動家による議論対象にならないのは、彼女たちの意思尊重しているからなのか、ただ単に知名度が低く目を向けてすらいないからなのか。

2018-11-05

勝手論文自己責任論についての勘違い

安田純平さんの件について未だにネット上を始めとする批判ジャーナリストによる反論活動が繰り返されている。

安田さん本人の謝罪(?)によってやや縮小傾向にあるとはいえるが、それ故に結局本当に重要な点には誰も触れないでいるように思える。

すなわち、そもそもジャーナリストらによる自己責任論への反論は完全に筋違いなのだ

このことに彼らが無自覚であるなら、それは思考力の欠如であるし、自覚的であるなら、それは恣意的論点ずらしとしか言い様がない。

ジャーナリスト反論の不合理

多くのジャーナリストらはジャーナリズム民主主義において重要ものであり、戦場ジャーナリスト存在は不可欠であると主張する。

その上で国家には自国民保護する義務があることを理由自己責任論を排斥しようとしている。

まり批判者らはジャーナリズムを軽視している者であると断定しているのである

しかし、この論理安田さんを批判する人々に対してあまりにも無理解である

なぜなら、ジャーナリストらが主張するこれらの事実は、批判者らも十二分に理解しているかである

よほど極端な思考を有する人でない限り、ほとんどの人は今日民主主義国家においてジャーナリズム重要ものであることは肌感覚認識している。

政府を始めとした権力地位にいる者から大本営発表のみを盲信することは愚かしいと感じているし、物事判断する基礎となる事実取材行為によってもたらされることにも期待しているのである

戦場という非日常かつ機密性の高い場所情報を、取材行為によってもたらしてくれる人物重要性も当然に理解している。

要するにジャーナリストらの反論は、批判者においても大前提となっている事実、いわば双方の共通認識確認しているに過ぎない。

したがって、そもそも自己責任論による批判者に対しての何らの反論にもなっていないのである

自己責任論の根底

この共通認識がありながら、なぜ批判派と擁護派に分かれてしまうのか。

その根底にあるのはジャーナリストに対する不信感の有無である

批判者は、戦場ジャーナリストに限らず、様々な場面、特に政治的対立存在するような場面に現れる、ジャーナリスト個人に対して日々不信感を蓄積していたかである

公平中立が基本であるはずの報道において、あたか中立であるかのように振る舞いながらも、自らの支持する立場に基づくポジショントークに終始するジャーナリスト毎日のようにメディアに踊っている。

テレビ新聞だけでなくネット上の記事などでも、立場を問わず、とても適切な取材行為の結果とは思えない、ジャーナリスト自らの主義主張のみを垂れ流す言説があふれている。

本来報道の自由の背景にある知る権利とは、人々が自ら考え、判断するための資料提供にこそ意味がある。

まり報道第一義的には国民への事実供給資することを期待されているのであり、報道関係者個人思想判断結果の表明は二の次であるはずである

にもかかわらず、自らの主張の伝播にばかり気をとられたジャーナリストの姿を眼前に突きつけられ続け、人々は失望感を強め続けてきたのだ。

この失望感、不信感によって、人々の心の中には「大事大事ジャーナリズムあんな連中が担うなんて許せない」という意識が生じ、それがジャーナリスト個人の信用性への厳しい目として表れたのが、今回の自己責任なのだ

したがって、自らを正当化したい身内(ジャーナリスト)と客観的評価する人々との間にある、ジャーナリスト個人に対する評価の違いが、安田さん個人への批判擁護という派閥形成しているのである

安田純平というジャーナリスト

ジャーナリスト社会にとって重要な責務を負っている。

したがって、取材能力のない一般人とは一線を画していて然るべきであり、精神論しか言い様のない「信念」という概念のみで認められるべきではない。

その活動事実や結果を人々に提供し、国民知る権利に貢献して初めて、ジャーナリストと認められるべきなのだ

恐らく、このことはジャーナリスト自身よりも、客観的評価する一般人の方が重視しているように思われる。

安田純平というジャーナリストは、過去複数回に渡って拘束され、今回もあっさりと拘束されるという体たらくだった。

帰国後の本人からも多少の説明反省の弁があったとはいえ、そのリスク管理の甘さは明らかであろう。

この時点で、ジャーナリズムプロフェッショナルとしての評価は低くならざるを得ない。

他方で、このジャーナリストの功績といえるようなものは、一般国民の目にはほとんど現れない。

過去テレビ出演等でも話題になっているのは、専ら彼自身の拘束の経験談であり、取材の功績というよりは取材の失敗談である

それ以外に彼から発せられている情報は、中東情勢に然程興味のない人でも知っているか想像した通りものばかりで、国民有用情報をもたらしているとは言いがたい。

また一方で、拘束前にSNSで自らの思想に基づくポジショントークを展開するなど、失望されるジャーナリスト典型例を晒しているという側面もある。

これらを彼が冒した危険比較すると、とてもじゃないが大事大事ジャーナリズム担い手評価することはできない。

それでもジャーナリズムに根ざした「信念」とやらがありさえすれば正当化されるというのは、身内であるジャーナリスト以外には理解しがたい思考である

事実や結果から現れない「信念」というフワフワしたものを錦の御旗として擁護するのは、ジャーナリストへの失望を更に深める結果にしかならないだろう。

極端な言い方をすれば、ほとんどの人には、安田さんというジャーナリストと、危険場所動画写真SNSYouTubeに上げようとする一般人にどれだけの違いがあるのか分からないのだから

果たして不用意に中東に行って拘束されたYouTuberが現れたとしたら、ジャーナリストらは同様の擁護論を展開するのだろうか。

自己責任論の正体

最後に、国家自国民保護する義務を有することは、大方の人が理解しているだろう。

安田純平さんが如何なる人物であろうと、犯罪被害者となった以上、国は救う努力をしなければならないし、それの対価を請求することはできない。

ジャーナリストでなくても、そんなことは分かっているのだ。

それでも自己責任を追及したくなるのは、彼自身と引いてはジャーナリストらへの警鐘を鳴らしたいという思いがあるからである

欠片ほどの信用もできなくなる前に、求められるジャーナリストの在り方を顧みて欲しいと、大事大事ジャーナリズム担い手として信用させて欲しいと願わずはいられないかである


※この文章では、安田さん個人に未だ残るいくつかの不正行為疑惑については敢えて考慮しない。本来、単なる願いとしての自己責任の追及よりも、彼自身のこれらの具体的な疑惑こそ積極的に追及されるべきといえるが、この文章趣旨とは合致しないと考えるからである

anond:20181105151617

もし相手が本当に答えを求めているということなら、そして、特別能力をもたない人に対しても分かるように語れということなら、私の回答は充分その任を果たしていると思います

横だが、あの何一つ具体的なもののない「ググれカス」と罵倒以上の何も書いてない文章が「充分その任を果たしている」とは到底思えない。

anond:20181104121309

元の増田だけど「賢い=分かる人」とは私は規定していないので、ご批判はとんだ藁人形です。私は「本当に答えを求めている人」に向けて書いたと書きました。大衆であるとかないとかは、残念ながら的外れな話です。

あいう書き方をした理由は、これも元の文章中にありますが、最初増田の「何なの」という、嘲笑とも質問ともとれる定型句が、嘲笑マジレスすれば論点ずらし、質問に答えていなければ「答えていない」という批判を行うことができる厄介な言い方だったからです。

そのため、一見したところは嘲笑に対して罵倒で返すように仕立てながら、全体としてはフェミニズム「的」視点で語ることで、フェミニズム立場の論者の目指しているところ、伝えようとしているところ、そして現在フェミニズムに反感をお持ちの方々とのズレを、特に高度な知識理解力を求めたり、あるいは本や論文を読めと言ったりすることもなく説明しました。もし相手が本当に答えを求めているということなら、そして、特別能力をもたない人に対しても分かるように語れということなら、私の回答は充分その任を果たしていると思います

DCを取れなかった人々

覚書を兼ね増田に書く。

我々素寒貧大学院生業界において最初の関門の一つに日本学術振興会による特別研究員制度がある。

これは事実上給料を月20プラス研究費が頂け、かつ実績として記述も出来るというとんでもなく有り難い制度であるが、合格20%ほどのかなり狭き門である

先日、その合否の発表がされ、来年の春にその申請のチャンスが来る修士2年(医学部途中編入阿呆場合)の僕も身の回り申請を出された先輩にそれとなく聞いてみた。

残念ながら身の回りにいるたった3人の先輩は残念ながら駄目であったようだ…

この制度は、超優秀、優秀、平均、駄目の4つに分類がなされるらしい。

超優秀は書類選考のみで採用される。

しか普通申請者の大体半分くらいまでに優秀と平均の人はトーキヨーへ呼び出され極僅かな時間プレゼンをする機会を与えられ、自らはこんなに優秀である、よってお金くださいと言いに行く。

そのうちまた上半分が優秀とされ採用、もう下半分の平均が不採用となる。

残念なことに僕の先輩方はトーキヨーに呼ばれなかったらしい。

ポスター発表やファーストではないにしろいくつかの論文も乗っかっているにもかかわらずにだ。

今回話題としているDCという区分比較的そういった業績にある程度目を瞑り、将来性で判断して頂けるまたとない大チャンス。(勿論超優秀な方々はインパクトある論文を既に書いているのだが)

僕は途中編入してからの2年間、お恥ずかしい話だが全く業績が無い。

から来年度が大変不安になった。と言うか全く採用される気がしない。

でも書かなきゃ当たらないので勿論書くつもりである

業績もポスターくらいはなんとか発表したい。

そこで増田に聞きたいのだが、やはり僕のように業績素寒貧採用された方は果たしてホントにおられるのだろうか?

僕のボスDC1は書類の内容のガチンコ勝負だけででイケると言って下さっているがそれでも大変心が落ち着かない。

業績の有無にかかわらずそういう経験をお持ちの方のお話を聞ければ幸いです。

2018-11-04

最も性的消費されているのは男性ではないか

男性向けポルノ作品などで女性人格尊厳無視した男に都合のいい女性を描き、女性性的消費している

というのははてなでは定期的に挙がる話題だが

性的消費されているのは女性だけなのだろうか

実はポルノ作品において本当に性的消費されているのは男性なのではないだろうか

試しに手持ちのものでもググっても構わないか

男性向けAVエロ漫画パッケージ、表紙を見てほしい

何か違和感を感じないだろうか

多くは男性性的興奮を煽るような女優ないし美少女キャラクターが描かれているだろう

彼女たちが男性の性欲発散のため消費されている存在という主張はもちろん、一理ある

だがちょっと視点を変えてほしい

ポルノ作品というのは(同性愛ものなど一部を覗いた大半のものは)男女の性行為を描いたものであり

その必要性においては男性女性と同等のはずだが

果たしてパッケージや表紙に男性の顔や名前がはっきり表示されているものはどれだけあるだろうか

おそらく男性向けポルノではほとんどないのではないだろうか

これはパッケージや表紙だけでなく作中でも同様であり

AVでは男性の姿がアップで映ればクレームになり

漫画では男性キャラは「竿役」などと呼ばれ

服や目、口、髪を剥がれ男性器だけついたマネキンのような状態ならまだマシで

場合によっては「いったい関節をいくつはずせばそんなプレイができるんだ」みたいな状態…つまり男性器のみの存在になっていたりもする

いわゆる「モブおじさん」だ

大半のポルノ作品において(男性はその必要性女性と同等であるにも関わらず)

作中の女性視聴者や読者にいかに魅力的に見えるかと試行錯誤されているのに対し、男性はいかに存在感を消すかということを要求されている

男性女性をより魅力的に見せるため人格尊厳どころではなく、上記の「モブおじさん」のように「人間であることすら捨てさせられているのだ

エロ漫画では男性より触手の方がまだ表紙を飾ることが多い。ポルノ作品では男性触手以下の価値しかないのである

これを性的消費と言わずなんと言おうか

ちなみに

これが女性向けポルノではどうなるのかというと

女性向けポルノ作品男性向けのそれと比べ同性愛ものBL)の割合が多く、また、私が男性なので狭い観測範囲での話になるが

パッケージや表紙を見ても美男美女が絡んでいるものが多い

作中では男性は「女性にとって都合のいいイケメン」という男性向けポルノにおける女性に近い扱いだが

からといって女性が「モブおばさん」となることは私の知る限りでは極々まれである

このようにポルノ作品おいては女性以上に男性性的消費されているわけたが

はてなではこの件について取り沙汰されることはほとんどない

少なくとも観測範囲では皆無である

別に女性性的消費されている問題放置しろというわけではないが

女性以上に性的消費されている男性無視してこういった問題を語るのは片手落ちではなかろうか

同人イベントに行ってきましたレポート

ST豊橋突撃、その事前!

 いきなりですが自分は今回が同人イベント初参加だったのです。正確に言えばお○かけライブなんかには顔を出していたりしていたのですがあのイベントはグッズ参加だったりファン交流会としての側面が強かったりしたので本を売買するのがメインであろう同人誌即売会への参加はこれが初めてということになります

 「分からねえ……分からねえよ! 自分には何が正解なんだかひとっつも分かりゃしねえ! いったいどうすりゃいいってんだ!」

このようなハラハラキドキを抱えつつ準備を進めます。まずは小銭です。イベントでは300円や700円など100円玉硬貨があった方が支払いやすそうな価格の本が大量に並んでいそうなことは予想できました。ならば両替だ! と銀行に行ってぼそぼそとした陰気な声で「アノー……リョウガエタノンマース……」とか言わなきゃならないのか、憂鬱だな……とこの時点でコミュニケーション能力に難のある自分テンションが下がりましたがここは快適な薄い本漁りまくりタイムのため、と銀行にて両替を敢行。無事に大量の100円玉500円玉を入手するに至ったのです。

 次はカバンです。カバンが無ければ本を入れられません。丈夫で大きいカバンの予備が無かった自分はその足で雑貨屋へと向かいました。ファッションセンスというものと無縁なので店員さんに勧められるままシャレオツっぽいものを買ってしまって「どうすんぞこれに合う服とかねーし! 合わねえし!」と内心焦りながら会計を済ませます。とりあえずなんとなく合いそうなものを近くの服屋で見繕いましたが終わった今となってはこのチョイスが正解だったのかどうか大いに疑問が残ります。やっぱ一人で買い物なんかするもんじゃねえや!

ST豊橋、何日目に行く!?

 あんまり規模が大きいと迷っちゃうかもしれないし、だからって寂しいのもなんだかなあと優柔不断自分は迷います。泊りがけという選択肢はありません。日帰りです。日帰りは決定事項なのです。仕方ないのでピクシブにてサンプル巡りをします。

 「……二日目だな。これは二日目だな。というか他の日にあまりにも人が……気のせいか?」

この時点では配置図は出ていませんでしたが、気のせいではありませんでした。しかしこれはこれで多そうだなあ大丈夫かなあと不安になりつつサークルチェックを進めます。と言ってもナンバーが出て居なかったのでカップリング別にサークル名をメモしておいたぐらいだったのですが。

 ゴールデンウィークなんだよなあ、自由席って空いてるかなあ、いざとなったらこだまに乗るぞ! 不安が頭をよぎるたび、自分はイケるイケるとそれを頭の隅に押しやります不安いっぱいでは恐怖に駆られてせっかくの買い物も思うように楽しめないだろうからという浅はかな考えですが、そうでもしないとこのとき自分は夜も眠れそうになかったのです。

いざ出陣!

 朝早くに起き下手なメイクを施し慣れないスカートを履き荷物をせかせか準備します。財布はイベント用と普通に使う用を2個持ち、なんだかファンシーなデザインの大きいカバン肩に引っさげ、支度は整いました。朝飯代わりのウイ○ーインゼリーを胃袋に流し込み士気を高めます

 怖え……人いっぱい居るとこ怖え……でも! 行かないと、そこにパラダイスがあるから! 自分は行かなければならないんだ! このような寒いことを考えでもしないと冷静ではいられませんでした。引きこもりをこじらせるとこのようになるので皆さんも気を付けてください。要らぬ心配だとは思いますが。

 市内電車に乗って新幹線が停まる駅まで向かい、駅に着くと切符を買ってそわそわしながら列車を待ちます。し、新幹線か、慣れてないからなあ。席空いてるかなあ。立ちっぱは辛い距離だよなあ。考えている間に列車は到着しました。中を覗くと若干の空席があるようでした。よっしゃ! などと言おうものなら不審者まっしぐらなのでここはぐっと抑え、乗り込みます

 乗っている間は携帯をいじったり腕を組んで妄想に励んだり携帯固形食をかじったりするぐらいで特にどうということも無かったのですが、寝ると荷物をすられやしないかと神経過敏な自分は警戒し続けていたのであまり気が休まりませんでした。とはいえ一人なので寝ないのが当たり前と言えなくもない気がします。

 名古屋駅に着くと、そこは未知の国でした。「……デカ!?」というのは規模に対しての感想です。名古屋ってどんなところだろう、味噌? 味付けが濃い? モーニングが豪華? 程度のにわか知識しか無かった自分は大いに驚き、迷いはしないかビビりました。が、案内板通りに進むことで無事方向音痴自分も乗り継ぎ切符を買い豊橋駅に向かうことが出来ました。今回は観光出来ませんでしたが、次に来るときは周囲を散策してみたいなと思っております

 豊橋駅に着くと外がなにやら騒がしく、ふらふらと声のする方へ向かって行くとイベントをやっておりパフォーマンスとしてよさこいらしきダンス披露していました。そのままぼけーっと眺めていましたが、はっと腕時計を見るともうすぐ開場時刻! しかもここバス出るとこと反対出口! 気づいた自分は慌てて早歩き。「待ってろよST豊橋2、もうすぐ自分はそこに着くんだぞ! 逃げるなよ!」逃げねえよ、と思うだけの冷静さはもう既に頭から無くなっておりました。

 早足で外に出るとYOUの案内板を持ったスタッフが見え、その方の指示する方向へ向かいます。この時点で同じ目的と思われる方々に取り囲まれていました。会話の内容から彼女たちが誰萌え、あるいはどこ校萌えであるのかが窺い知ることが出来なんだか暖かい気持ちになりましたが、同時に一人で歩く自分に対しどこか寂しい気持ちになりました。しょうがないですよね、ぼっちで来たんですから

 「バスが……立派だ!!」

第一印象がコレか、と思われるかもしれませんが立派でした。観光バスを借りるとは、……儲けてやがるな!? などと下衆な感想を抱きましたがそこは脳内で流して乗り込みます。既に車内には何人か待機しており、彼女らもまたこから向かう会場に対しての予想などを並べ立てていました。なんせ地図で見た限りは倉庫でしたから、会場として機能するのか不安もあったのだと思われます。かくいう自分もその通りで、大丈夫かなあとぼんやり考えながらバスに揺られていました。さあ会場はもうすぐそこです。

ST豊橋2にやって来た!!

 「うわ外観めっちゃ倉庫やん!」まんまじゃねーか、な感想は置いておきます手荷物検査を受けるとシールを渡され目立つところに貼っておくようにと念を押されました。流石にセキュリティは厳重です。なんだかピリピリした雰囲気だなあと思いながら入口から会場の様子を窺います

 そこに居たのは300スペース超のサークル参加の方々と、今日を楽しみに集まってきた一般参加の方々、その方々の熱気で構成された異空間、夢が形になった場所でした。ここにいる人たちは趣向の差はあれどおおむね同じ目的で参加しているんだなあ、そのことを実感し感動しました。生の空気というものはいいんだなあ。同人誌なんて通販で買えばいいじゃん、そのように冷めた気持ち自分の中にあったことは否定できません、しかしこのときをもってそのような斜めに構えた気持ちは消え去ったのです。この熱を自分の肌で感じ、自然とそのようになったのでした。

 ややまごつきながらパンフレットを買い、きょろきょろとあたりを見回しながら会場の隅に向かいますパンフレットの配置図へ事前にチェックしておいたサークルをマーカーで引き、いざ出発! 果たして無事に買うことが出来るだろうか、そう思いながら横目で受付近くを見ているとなぜか地元団体さんがはんぺんを配っていました。後で聞くとこのはんぺん無料だったようで、というか放送でもそんなことを言っていたようで、しかも美味しかったという感想もあり、もらっておけばよかったかなあなどと今更現金なことを考えています

 目当てのCPの島に来ると当たり前ですが同じCPが固まっていて、そこで買い物をしている方を見て「あ、同じCPが好きなんだな」と思うとなんとなく嬉しく思いました。自分ではあまり買わないCPでもポスターやポップが来られているとついつい寄ってしまい「よし買いだ!」と買わせてしまう、そんな勢いや愛にも満ちていました。幸せな気分で今日一番の目当てだったサークルさんの所に足を運びます。無事に帰るだろうか、緊張しながらスペースに向かうと……。

 誰も居ない。あれ、間違えたかな、と机に張り出されているナンバーサークル名を見ました。間違っていません。すかさずツイッター確認を取ります今日になって急遽欠席が決まったようでした。しょぼくれましたが、気を取り直し他のサークルさんの元へ向かいます。ここで挫けてはいられません、目当ての本は他にもたくさんあるのですから。分かってはいても、やっぱり残念でした。またの機会があれば今度こそ、と思いつつ探索を続けます

 「おおう、やはり色がどこも派手だなあ。こういう彩のあるジャンルは見てるだけでも楽しくていいよね」

なんて他人事コメントだと思われるかもしれませんが、現実光景だというのに目の前で行われているイベントリアルさを感じることが出来なかったのです。そこはさながら夢の国、すっごい遊園地異世界でした。普通にレイヤーさんが歩いているのを見て○○が歩いてる……そんな風に茫然とするしかなかったのです。BGMとしてキャラソンがかかりまくり、人はごったがえし、そこらじゅうで普段は出来ないジャンルトークを楽しんでいる。夢のようでした。同人イベントっていいなあ、漠然と抱いていた憧れはここで実感に変わったのです。

 コピー本コンテスト投票したり、同人誌なのにすごい厚いよ!? とアンソロジーを見て驚愕したり、「だって○○受けってここしかないじゃん……」とジャンル友達ぶっちゃけトークをしているのを聞いて複雑になったり、桃リコが可愛かったり、こんなCPあったんだーと驚いたと思っていたらいつのまにか買っていたり、委託本にも手を出したり、同じところをぐるぐる回って「へへへこのCPもいっぱいいるじゃんすげーじゃん」と悦に入ったり、……とにかく、普段では絶対に発散できない類の衝動を思いっきり発散できる場所であり、幸せが形になった場所でした。

 「そういえば、このジャンルはしばらくイベントが開催できなかったんだよなあ……」

噛みしめます。無事に開催できて本当に良かった。これだけの人が喜びを分かち合える空間が壊されなくてよかった。どうかもう、中止などという悲しすぎることが起こらないように。改めて祈りました。

夢は終わる

 そろそろ会場を後にしなければ。腕時計確認すると会場を出てバス乗り場に向かいますクレープ屋台などが出ていましたが、どうも待ち時間的に食べられそうになかったので泣く泣く断念。ちくしょう時間に余裕を持って行動しないとな。

 バスに乗り込むとイベントの熱が冷めやらぬ人たちが熱心に語り合っています。これが公共交通機関であれば眉をひそめられることなのでしょうが、ここはイベント専用の車内です。思う存分余韻を分かち合会えるこの空間もまた乙なものだなあと思いました。ただ、送迎用にバスを用意するなんて普通は無理だよなあとも思います。アフターがしたいならやはり2次会にしておいた方が良いようです。自分ぼっちなのでどうにもなりませんが。

 バスから降りると、一気に現実に引き戻されました。もう夢は終わったんだ。でも、自分には思い出が出来ました。代えの利かない大切な思い出です。また行きたいな。今度もこのジャンル、いや別のジャンルか、ジャンル無しの大きいイベントにも勇気を出して行ってみようか。今までは恐怖が先立ちどうしても踏み出せなかった一歩をやっと踏み出したこの日、自分世界は広がった気がします。今回のイベントに参加できてよかった。心からそう思っています

 最後に、主催スタジオYOUさん、イベント開催お疲れ様でした! また次も頑張ってください、応援してます

 

2018-11-03

画像の鮮明化のwebサービス果たして大丈夫なのだろうか

スマホで撮った家族写真の内、パソコンの画面で見ると結構ぼやけてる写真がいくつかあって、

画像を鮮明化させるwebサービスを使おうかと思ったが、

こういうのって相手サーバー写真が残ってしまったり、向こうの都合である日突然サンプルとして使われたりしないのだろうか?

利用規約っぽいものも見当たらないし。

不安

2018-11-01

anond:20181101163921

大阪に何度か行ったことあるけど、大きな公園は少ないし、ひたすらコンクリートモルタルの街並みが続く。街路樹のある通りも東京に比べて少ない。

グーグルマップの上空写真確認しても、東京に比べて緑の部分が少なすぎる。

果たしてそうかな? 東京の目抜き通りである銀座中央通りと、大阪の目抜き通りである御堂筋とを比較してみれば、イチョウ並木が2キロ以上に渡って綺麗に整備されている御堂筋の方が緑豊かなストリートだと思うよ。

街路樹のある通りと言ったけど、大阪街路樹のある通りは、堺筋御堂筋四ツ橋筋、なにわ筋天神橋筋天満橋筋上町筋・・・普通に街路樹が整備されている通りばかりだけど?

東京大阪も緑地帯密度は同じくらいだと思うよ。東京都心である銀座京橋日本橋東京駅の一帯の中では、緑地帯らしい緑地帯なんてないよ。

難波駅前のアール・デコ精華小学校を、そのまま緑豊かな文化施設転用すればよかったものを、文化のぶの字も知らない行政が取り壊した挙句、地権で揉めて何年も>更地のまま、やっと出来たのは家電量販店パチンコよりはマシだけど、それにしても大阪凋落を見てるようで辛い。

アルマーニ制服採用して話題になった銀座の泰明小学校(同じく戦前アール・デコ建築)とは対照的というか、なんか悲しくなるね。

廃校現在も供用されている学校を同列に論じられても・・・

大阪で言えば、中之島大阪市役所。あれがもし建て直さずに残っていれば、その後の文化行政も変わったかもしれない。過去の栄光をどんどん馬鹿みたいに目先の金>と利便性で塗り替えていって、京都神戸に下に見られる都市に堕ちていく大阪。いつまで東京を追いかけてるつもりなのか。

東京だって有楽町にあった旧東京都庁を取り壊して、今は無印良品の店になっちゃったじゃん。

流石に大阪京都神戸から下に見られるというのは笑い話でしょ。

鉄道網や高速道路国道網は全部大阪から放射状に伸びる仕組みになっているし、京都神戸大阪ベッドタウンの一つでしかない。

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