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はてなキーワード: 果たしてとは

2017-10-17

夫婦が離れて暮らす「卒婚

籍を入れたまま別居かぁ。。

かえって妻の良さがわかるというが、果たしてどうだか・・・

フリーター30代の将来は23歳以降の過ごし方で9割の人生が決まる

inoueです。

フリーター30代の将来は、23歳以降の過ごし方で9割の人生が決まります

現在、30代のフリーターが悪いということではありません。私自身もある意味では30代のフリーターみたいなものですから

そういう体験談も入れつつ、なぜ23歳以降の過ごし方で9割の人生が決まるのかを伝えていきます


フリーター30代の将来は別に暗くない




別に就職して正社員になったから偉いとか、ずっと安定した生活ができるとかはありません。

正社員になっても、経済的精神的に苦しんでいる人もいますし、「せっかく正社員になれたのだから……」と変に拘っては人生台無しにしてしまう人もいますからね。

フリーター正社員と比べて、自由時間人生を過ごせますしかし、精神的に未熟な人がフリーターとして生活すると、甘えすぎてしまうのが難点。

その辺をうまくコントロールできれば、フリーター30代の将来も決して暗くはありません。


フリーター30代がヤバいと思われる理由




世の中の大半の人達は、フリーター30代がヤバいと思い込んでいます


その理由は以下の通り。




他にもまだまだあるとは思いますが、逆に正社員になればこれらのことが解決するのかといわれると、そうとは限らないのが現状。

フリーターでもお金を稼いでいる人もいますし、何かを目指して頑張っている人もいます

正社員からすれば、フリーターが安定していないと思うのはほぼ「お金」だけでしょう。そのお金解決できたフリーターのことを「羨ましい」という感情が湧いてくるのなら、正社員フリーターになるべきです。


23歳以降の危険な過ごし方




23歳以降の過ごし方で最も危険なのは毎日消化試合」の生き方

具体的にいいますと、毎日平均15時間くらい寝ては起きて、すぐにスマホポチポチゲーム

週2~4程度のアルバイト生活費を稼いで、暇潰し&よくわからない人生逆転一発チャレンジ精神ギャンブル(パチンコ競馬)三昧。

それで生活費がなくなると給料日まで生きるために、誰でも入会できる楽天カード飲食品や嗜好品(酒・タバコ)を買います。※以下繰り返し

このように書いて冷静に読むと「クズ」という人生のもの。まだ国を騙して生活保護を貰ったり、社会迷惑をかける犯罪自殺をしないだけマシですが、果たしてこのような生活がいつまで続くのでしょうか。


フリーター30代の将来は23歳以降の過ごし方で9割の人生が決まるのまとめ




現在23歳以降のフリーターで将来にしたいことがとくにない人はブログを書きましょう。

書くネタがなければ、今過ごしているクズ生活を書きましょう。別に最初は誰も読まなくても大丈夫継続していれば読む人は必ず現れますからね。

面倒くさくても今の自分人生としっかり向き合って、パチンコで勝った、負けたなどを書くのもいいでしょう。ブログ全体のタイトルは「クズの極みブログ」でOK。

タイトルはあとから何回でも変えられますので心配無用

本当にこれから人生がどうしたらいいのかがわからない人は、下記にある私のツイッターブログコメント匿名でもいいので相談しにきて下さい。本気で人生を変えたいのなら、ブログライターとして稼げるように育てます

私自身も勉強になりますし、そろそろライターを雇いたいサイトも増えてきたので。

全くの初心者でもいいですが、やはり多少はブログを書いていた人の方がいいです。まずは自分人の力で、無料ブログを開設するくらいの力はつけて下さい。

それだけでも十分に人生が生まれ変わるきっかけになりますからね。


ブログを書いて今の人生を変えたい人は連絡を待っています

2017-10-16

嫌いなグループに属したくないが為に一線を引く。

距離を置き、何を話し掛けられても緩慢な反応しかさない。何故なら興味がないから。下らない事で盛り上がってるから。外から見た時自分果たしてそのグループに属しているように見えるのだろうか?

もっと人間本質に触れる話が出来るなら仲良くなっても良い。

でもそこに踏み込めないのは自分の臆病さなのだろうな。会話して底の浅さが露呈するのが怖い。誰かより劣っていると自覚するのが怖い。例えば私生活否定してくるような人を私は跳ね除けられない。

から距離を取る。近付かないで、とは言わない。向こうは接触してくる。

大した話題も興味もない癖に。

果たして彼が愛してるのはアニメなのか奥さんなのか?

わざわざ離婚を勧めなくてももってあと一年ってとこだろう

2017-10-14

精神面を強くする方法の1つにブログを1000記事まで毎日更新する苦行

スキルアップブログのinoueです。

精神面を強くする方法の1つに、ブログ1000記事まで毎日更新する苦行があります

とにかくブログ(1500文字以上)を1000記事まで毎日更新していけば、イヤでも精神面を強くすることができます

精神面が強くなるとあらゆる人生の不測の事態にも冷静になって対処できますし、クソつまらないことで悩むこともありません。

それに悩んだとしても、数時間後にはい意味で学んでいますし、同じような失敗もしません。

このように精神面を強くするといいことづくしなのですが、果たしてブログ1000記事まで毎日更新することはどれくらい苦行なのでしょうか。


精神面を強くする方法ブログ1000記事書く苦しさ




ブログ毎日書くと確かに精神面を強くすることができます

私も3年間以上毎日更新しては、ブログも累計1000記事は超えています

今冷静になって考えてみると精神面は強くなった気がしますね。継続力も忍耐力もブログを始める前と比べるとかなり成長しています

ただ私がブログを始めた理由精神面を強くすることではありません。

普通に文章を書くことが好きですし、ブログお金を稼げることを知ったからです。

好きなことでお金を稼げるなんて本当に運がいい私ですが、果たして同じようにブログで稼げるといったら、それは「NO」ですね。


根性努力だけでは1000記事達成できない



精神面を強くするためにブログを書くのは、おススメですが普通一般人根性努力だけで1000記事達成はできません。

ブログ毎日更新しても約2年7ヶ月以上掛かります

そんな時間を掛けてブログ毎日更新できる人が、果たして1000人いたら何人書けるでしょうか。

私の考察では1000人いたら、10人がいいところでしょう。

ほとんどの人たちは都合のいい言い訳を考えて脱落していきます。それくらいブログ毎日更新して1000記事達成することは難しいことなのです。


1000記事達成した人はさらなる上のステージへ行ける




それでも何とか毎日更新してブログ1000記事達成すると、さらなる上のステージへ行けることになります

その時点で精神面もかなり強くなっていますが、まだまだ精神面を強くすることができます

1000記事を達成したら、次は3000記事を目指してブログを書いていきます

ただ書くだけではダメです。

何も考えずにブログ毎日更新しても精神面を強くすることができませんし、ブログも強くなりません。

1記事入魂でブログを書いていきましょう。

クソつまらない内容でもアクセスがあればいいのです。

ブログはいアクセスがくるか誰にもわかりませんが、本当にクソつまらないブログ記事検索表示1ページ目にあっても読まれません。

というより、すぐに離脱されるかイタズラされて終わります


精神面を強くする方法の1つにブログ1000記事まで毎日更新する苦行のまとめ




精神面を強くしたければ、まずは1つのことに集中してブレずに継続すること。

途中で予想外なトラブルもありますし、冷や汗がタラタラ出てドキドキするようなことも起こるでしょう。

しかし、それが精神面を強くする修業みたいなものです。

もちろん、継続することも精神面を強くする方法ですがそれだけではありません。

ブログをとりあえず1000記事まで毎日更新することは苦行ですが、達成後の達成感はそれは気持ちのいいものです。

今までに味わったことがない清々しさでしょう。

それこそが、精神面が強くなった証拠でもありますね。

精神面を強くしたい方は、ぜひブログ1000記事まで毎日更新してみてはいかかがでしょうか。

はてな創作実話グランプリの予選も佳境に入ったな

予選で敗退した作品

通過した作品

みんな一生懸命作った作り話

優勝賞金一千万を獲得するのは果たしてどの創作実話になるのだろうか?!

2017-10-13

棄権

某氏が本当は呼び掛けていないということは置いておいて、棄権というのに異常なアレルギー反応があるのが謎だと思い始めた。

(念のために言っておくと、私は選挙に行くつもりである。)

まとめ

投票率向上のために若者白票出した方がいいというのはわからんでもない

しかそもそも票田のことしか気にしません見たいな政治家がまかり通ることを容認するのか、そういう自称リアリストがこの国を腐らせているのでは。

投票権尊重の在り方は人それぞれだし、選挙へ行くかどうかについてもっと柔軟な価値判断を持ってほしい。少なくとも「そんな奴は投票に参加する権利はない」といった発言は、普選運動への冒涜に他ならない。(税金を納めてないやつは選挙に参加するなの構図とたいして変わらない)

よくありそうな反応

普通選挙獲得闘争への冒涜である/貴重な権利無駄にするな

選挙欲しい人がいるのだから、持っていることはありがたいと思えというのはまあ正しい。しかしそこから導けるのは「選挙権大事にせよ」という命令であり、選挙権大事にする方法は人それぞれだろう。判断する時間が取れず、責任ある投票ができそうにないから、棄権するという態度は選挙権尊重しているからこそできる態度ではないのだろうか。一票に宿る歴史の重みを自覚せずに、責任感なんてなくてよいので適当投票せよ、などというのはそれこそ冒涜ではないのか。

投票できるのに投票しなかったら政治コミットする権利はなくなるよ

そもそも、このようにすぐに自分と異なる行動をするもの主権をはく奪しようという発想自体が、民主主義国民主権の発想と異なるように思える。

投票しなければ政治家の関心を得られないよ

若者向けによく言われる言葉だ。統計上の若者投票率向上自体若者向けの政策モチベーションへとなりうるため、白票でもよいので投じろという考えである。まあこの中ではたしかにまともな意見だと思う。ただそもそも票田となる対象を利するみたいな考えが気に入らない

・400万円

雑すぎ。

利益団体を利するだけ

選挙権行使して利益団体を利することもできるわけだし、利益団体はそれなりの根拠をもって行動している。(私は人々の道徳的感性にある程度信じているので、いくら何でも、自分業界を守るために虐殺やります!みたいな業界団体業界団体内で支持されるとは思えない)と考えれば利益団体による調整機能への信任としての棄権という考えもできる。

選択肢がないなら被選挙権行使せよ

これが実質的不可能なことが本質的問題かもしれない。

なぜ棄権絶対悪空気が醸成されたのか

人間マウントをとりたがる生き物だから

自分のやっている"善行"をやっていない人間を排撃するのはたのしい!という素朴な気持ちを持ちがち

小学校のころから刷り込み

選管がやたらとキャンペーンを張っている。成人式でもわけのわからないDVDが配られていた。子供のころから刷り込まれ価値観はなかなか疑いにくいし、それに反する行動には過剰反応を起こしがちだ。

そもそも投票率向上は良いことなのか

これは純粋な疑問だが、全国民が最適と思う投票行動をとった時、果たして現状より良い結果が出るのか?という疑問がある。

また完全に利己的な高齢者投票率が向上しても(若者の)私は特にうれしくない。

また若者投票率向上には一定意味があるかもしれないとも思う一方で構造的に若者投票率は上がりにくいのではという気持ちもある。この状況下で抽象的な「行こう」キャンペーンは単に選択肢のない人への暴力じみている気がするのだ。

結論

若者投票率向上は意味があるのかもしれない。なので普通に行きたい人は行くべきだが、その考えを他人押し付けないべきだと思う。選挙をやるのは本来世の中をよくするため、世の中を悪くしないためといった目的があるはずなのだが、「選挙に行こう」「選挙に行かないやつは非国民運動には、その大前提が感じられない。「選挙に行きさえすればよい」という意識は「お題目を唱えれば成仏できます」(念のため南無妙法蓮華経とは書かなかった)とたいして変わらない気がしてならない。

DQNサイコパス人権剥奪すべきか?

って問立てをすればはてな界隈ではほぼノーって答えが建前では返ってくるだろうけれどさ

高速道路夫婦を殺した超絶異常DQNや、

気に入らないからと猫を20匹殺し続けた偏執サイコパスを目の前にしてもそんな建前をお題目のように唱えられるのかって話

いやそりゃネットリンチ個人情報晒し上げて突撃とかはダメだろうよ

だが、こんな異常な人間を裁けない現在司法おかしい、厳罰化を!という意見は、果たしてダメだと言えるのか?

こんな異常な人間社会から排除せよ!徹底的な厳罰を!

という世論を、お前らはどう評価し、判断するんだ?

ニーメラー牧師を引き合いにして一度認めたら徐々に排除のタガが緩むからやはりこのような世論は受け入れられない!

と主張するのか?

ではこのDQNサイコパスは更生が可能なのか?

この犯罪者が更生せずに更に追加で罪を犯した時、お前らは責任取れるのか?

高速道路DQNは既にその気があるんだぜ?

誰がどう見ても圧倒的におかし人間排除するのは悪なのかねえ?

ヘイトを撒き散らすネトウヨ排除せよ!って意見なら比較的通りそうだと思うし、

その延長線上で、こいつらも排除した方が、世の中のためだと思うんだが、

人権を守ろうとしているはてなー意識高い意見は、果たしてどんなものなのかね??????

クソ雑魚ナメクジの衰退

ちょっと前まで増田ではクソ雑魚ナメクジ大人気で、はてなの愛らしいマスコットキャラ役割果たしていたんだが、

けものフレンズブームサバンナシマシマオオナメクジの方がブームなっちゃってさ、

サバンナシマシマオオナメクジ動画とかイラストとか同人漫画もたくさん描かれてるじゃん。愛されてるよね。

てなわけで、クソ雑魚ナメクジはもうナメクジゆるキャラとしての覇権を逃してしまった。

やはりクソ雑魚だったわ。

増田にはナメクジに代わるマスコットゆるキャラ必要

2017-10-12

2017 台湾旅行記 第二部分

anond:20171012190019






2


2日目 午前


南国 台北は10月でも朝からクソ暑い

ホテルの朝食の後、午前のおやつの蛋餅を食い、猫の村 猴硐→九份に向かうことにした。

今日は台湾鉄道、台鐵に乗る。


まず地下鉄での行き先は台北車站(セントラルステーション)だ。

着いたら、駅周辺を散策する事にした。


台北車站周辺は綺麗で近代的だった。

すぐ近くに市場があり、その中ではここでも屋台的なものがあった。

台北では其処彼処で料理をして、其処彼処で誰かが何かを食っている。

日本より食品衛生に関する公の決まりが緩いんだろう。



市場を出ると小雨が降って来たので、近くにあった美術館に入ることにした。

美術館はひんやりして心地いい。

照明を落とした展示室では、赤と青の幻想的な浜辺で艶めかしく肌をさすり合う男2人と、それを覗く小太りな水兵の映像作品が放映されていて、よくわからないけど南国を感じた。

勝手な印象だけど、中華圏の現代アートは男の性を描いたものが多い気がする。

美術館をでたら、むしろ雨は強くなっていたが、3分もしないうちに止んで、強い日差しが古式ゆかしい建築様式美術館を照らしてきた。

きっと今日もまだまだ暑くなるんだろう。




2日目 午後


台北車站に戻り、台鐵で猫の村として名高い猴硐に向かう。

この途上でも旅の目的の一つがあった。

台鐵弁当だ。

台湾鉄道には日本統治時代から伝統駅弁があるそうで、これは蚵仔煎と並んで是非食べなくてはいけないものだった。


どこで売っているのかわからず、改札を通ると、改札のすぐ脇に売店があり、そのまえの待合所で、老若男女が弁当をガツガツ食っていた。

台北にいる人間は本当に隙あらば食う。

きっと、現地人も食うために生きているし、旅行者もここに何かしら食いにきているに違いない。


排骨スペアリブ)弁当がイチオシのようだったが、暑さにやられたのか、少し重い気がして、なんだかわからない別の弁当を頼んだ。


でてきたのは、角煮弁当だった。

台鐵弁当は温かい状態で供される。

温かく、蕩けるように柔らかい角煮を口に含んだ瞬間、思わずうまい」と呟いた。

台北の食い物は、不味いものこそなく、むしろ多分ずっと食べても嫌になる事は無いだろうと思うくらいには美味いが、「びっくりするほど」とまではいかなかった。

しかし、別に飯屋でも屋台でもなんでもない、駅の待合所で、遂に美味くてびっくりするものに出会った。



台鐵を乗り継ぎやがて猴硐に着くと、ホームには猫ならぬ、猫耳のついた麦わら帽子を被ったお嬢さんがいた。

ここに来る人は、自らも猫になって来るらしい。


改札を出たらさぞかし猫だらけなのだろうと思ったら、改札を潜る前にすでに1匹、窓際で寝息を立てている。

一枚写真に収めて改札を通ると、其処彼処に猫が。

観光客にすっかり慣れているのか、どいつもこいつも写真を取られようが撫でられようがどこふく風。南国は猫も呑気なもんだ。


カフェに入って一息つく事にした。

大きなテーブルアイスコーヒーを飲んでいると、4人客が入ってきて、マスターが「席をかわってくれないか?」

いいよ、と窓際席に行くと、椅子の上に寝息を立てた白猫が。

猫村にきて最も至近距離で猫をフレームに収めることができた。


と、少しすると、不意に便意をもよおしてきた。「やっぱエリーさんの言った通りだったかな?」とも思ったが、一昨日の飛行機から寝不足気味ではあったし、正直台北の食に関しては衛生的に完璧といったものは少なかったので、何が原因か特定が難しい。

そんなに深刻な不調でもなかったので、トイレを借りて用を足し、「もっとまずくなったらその時は台北に引き返そう」位で、旅程を続ける事にした。



お土産の猫型パイナップルケーキを買うため、また筆談メモを描いていると、ブレスレットが何処かに行ってしまった事に気付いた。

頻繁にカバンに手を突っ込んでいるうちに外れてしまったのだろう。

少し探したが見つからない。

そうこうしているうちに雨が降ってきたこともあって、諦めて駅舎に向かう事にした。

高いものではないから良いんだけど、少し残念だ。

エリーさんの忠告を思い出す。

「山の天気は変わりやすい!」


猫型パイナップルケーキを売っているお土産屋さんのおばさんは日本語が堪能で、結果としてメモ無駄だった。

やはり日本から、これを目当てに来る人間は多いらしい。

目当ての品も手に入ったので、駅前を散策していると、「ブーーーーン」という音。

ふと見ると、お姉さんがなんとドローン飛ばしていた。

こんな辺境で最新テクノロジーを見るとは。

猫の写真を撮りきにて、実に珍しいものをカメラに収めることができた。



まだ日は高い。エリーさんのオススメに従って、猴硐から遠く無い、十分の瀑布を見る事にした。

十分駅に着いたは良いが、急に決めて下調べがないので、滝までの行き方が分からない。

とりあえず人並みに従って歩くと、沢山の人がいろんな国の言葉で天燈を空に飛ばしていた。

十分は、色々な願いが書かれた天燈が宙を舞う事でも有名な村だ。


天燈の翔ぶ界隈を過ぎれば、川沿いの通りに出た。

さあどうしよう。

見ればタクシーが止まってるじゃないか。

これに乗れば確実だ。

メモに滝の絵と「十分瀑布」と書いて、運転手のオッチャンに見せる。

すると、呆れたような顔で「歩いた方が早いよ」

そうなのか。

ワンメーターでも乗せて、良い加減な値段でもふっかけりゃ稼げるだろうに、正直というか商売っ気が無いというか。

でもよくよく考えれば、そんな客を乗せるより、ここから直接九份や台北に行く客を待った方が良いのかもしれない。

オッチャンが指差す方向にしばらく歩くと、「十分瀑布公園」に到達した。


渓谷にかかる吊り橋を2つ渡ると、遂に大瀑布が見えてきた。

滝の飛沫と折から降ってきた小雨であたりはビショビショ。

傘をさしてカメラを構える訳にもいかないが、幸い雨ガッパを持ってきていた。

用意周到。エリーさん、そんなに迂闊な男でも無いんだぜ。

飛沫と小雨に濡れながら、十分の瀑布をカメラに収めることが出来た。

さあ九份だ。




2日目 夕方


十分から九份最寄り駅の瑞芳に向かう車内、向かいに座っていた女性2人の親子連れ、娘さんの方が騒ぎ出した。

言葉を聞くと韓国からきたようで、どうもこの列車が瑞芳に留まるかどうかがどうしても気になるらしい。

手元にスマホがあるので調べれば一発なのだが、なぜか地図アプリなどを見ていて要領をえない。

遂にそばの若い女の子2人連れに聞き出した。


のだが、声をかけられた方も言葉がわからない。

英語でお互い話そうとするも伝わらない。

かねた同乗の韓国人らしき2人連れの兄ちゃんが割り込んだ。

同郷の旅行者の手助けで、お姉さんの心配は無くなったらしい。

お姉さんが先程の女の子に聞いた。「あなたは何処から来たの?」「I'm chainese.」大陸の人だろうか?

台湾の同じ列車に、韓国人中国人が乗っている。

「ここに日本人もいますよ」シャイ日本人らしく、心の中だけで言った。




2日目 夜


瑞芳に着く頃にはすっかり日も落ちて、九份観光には絶好の時間帯だ。

から九份老街へは迷わない様にタクシーでいくと決めていた。

駅前で張っていた兄ちゃんに「九份」伝えると、すぐに車を紹介してくれる。

タクシーのオッチャンに行き先を伝えると、出発進行。

オッチャンは曲がりくねった山道めっちゃ飛ばす。

しばらくすると九份老街に到着した。

中国語発音がダメ、英語中学生レベル日本語だって怪しい。

ならいっそ全部言ってしまえ。

サンキューありがとう、謝謝。」



台湾は人気の観光地から日本人が沢山いると思ったら、これが意外と会わないもので、むしろ白人の方がよく見かける位だったが、ここ九份ではちょっと歩くとすぐ日本語が聞こえる。

一番日本人を見かけたかも知れない。


急な階段を登り、幻想的な風景をカメラに収めた。

しかし、良い加減、歩き通しで疲れてきて、少し具合も悪くなってきた。

脱水症状かな。

九份ではお茶でも飲もうかと思っていたのだが、人ですごいし、都合よく茶藝館も見つからない。

写真も撮ったし、もう切り上げようか。


ふと茶器の店が目に入ったので入ってみると、幸運な事に、茶藝館が併設だった。

茶藝館では店員さんがお茶の淹れ方を流暢な日本語で説明してくれる。

きっと日本人観光客もよく来るのだろう。

赤く光る街を見下ろして、ゆっくり金萱茶を飲んでいると、果たして大学生か若手社会人と思しき兄ちゃん3人連れが、賑やかにやって来て、日本語高山烏龍茶お茶菓子を頼んでいた。


諦めかけていた目的が果たせたので、会計の際に店員さんに伝えようと思い、「旅行の目的の一つが九份お茶を飲む事だったんです。」と言ったが、さすがに日本語で複雑な言葉は伝わらないようだった。

説明の日本語が余りに流暢だったので油断したが、あれは決まり文句なのかも知れない。

からシンプル一言だけで言い直した。

「最高だ。」

「謝謝!」






3


3日目 午前


旅先では余り眠れない事が多い。

今日が今回の台湾旅行で最後の朝だけど、グッスリとはいかず、7時前に目が覚めた。


ボーッと窓の外を眺めていると、部屋の外からオバちゃん2人の声が聞こえて来た。

お客さんかな?ベッドメイクかな?

それにしても、楽しそうによく笑う。



朝食を済ませた後、ホテルのすぐ隣にあるコンビニで、スイカ牛乳、japan walker、烏龍茶を買った。

japan walkerは鎌倉特集。

昨日も女性誌を買ったけど、現地の雑誌というのは興味を唆られるものだ。

昨日、台北車站の地下街を歩いているとき中山地下書街」という掲示を見たが、午前中の地下街は人の流れもまばらで、場所がよくわからなかった。

わかれば本屋も覗いてみたかったんだけどな。

烏龍茶を飲んで「美味い!」と呟いた。

ペットボトルのものでも、日本のものとは香りが全然違う。

あとで再購入したときによく見ると、材料表には「香料」もあったが、それは台湾人の嗜好としてこの香りが重要という事だし、美味ければ大きな問題は無い。


ホテルの窓際でこの旅行記を書いていると、ザっと雨が降って来た。

台湾は雨が多いので、雨具を持って来ていたが、旅行を通して行動に困るほどの雨がなかったのは幸運だった。

雨はすぐに小ぶりになったけど、窓の外にはまだ傘の花が咲いている。

あと数時間でチェックアウトだ。



午前9:45分。


雨はとっくに止んでいる。

定刻にはまだ数時間あったけど、チェックアウトする事にした。

空港への送り迎えのため、ここには21:00にまた戻って来る事になる。

ベッドに上に「謝謝」と書いたメモを1枚残してホテルを出た。




3日目 午前


世界に展開するグローバリズム象徴スターバックスはここ台北にもある。

わざわざ海外に来て、世界中にある店に入り、ローカルの微妙な違いを見るもの楽しいものだ。

150元を支払い、アイスカフェモカグランサイズを受け取って2階に上がると、そこでは男女がラップトップを開いていた。

世界のどこに行っても、スタバでやる事といえばコレらしい。


スタバで注文するのが苦手な人は一定数いる。

もしあなたがそうでも、安心してほしい。

台北にはドトールもある。

コーヒーを飲んだ直後で大してのども渇いてなかったが、入ってみる事にした。

入り口には行動を禁ずる、べからず集が書いてあり、犬とハンバーガーにバツ印が書いてある。

その下に「禁止打牌」。

ペットを連れ込むな、食べ物を持ち込むなはわかるが、「トランプするな」は新鮮だ。


ドトールで頼むものといえば、ミラノサンドのA以外ありえなく、これはスタバドヤリングと同じ様式美なのだが、残念な事に、11:00以降しか頼めないようだった。

少しがっかりして、70元を支払ってアイス紅茶を頼むと、何も入れなくても甘かった。

台湾の人はアイスドリンクをなんでも甘くする。



旅行を通して概ね正しいエリーさんの助言に一つ違を唱えるなら、台湾版suica、悠遊卡についてだ。

エリーさん曰く、チャージした金額有効期限は2年だし、デポジットの100元が勿体無いので、頻繁に台湾に来るのでなければ購入を勧めないとのことだったが、実際に使ってみると、メチャクチャ便利。

複雑な購入手続き切符を買う必要なく、地下鉄も台鐵もバスもピッとやるだけでOK。

交通機関で現金決済したのはタクシーだけだった。

多少の損を補って余りある便利さの悠遊卡なので、台湾に来る際は是非購入を勧めたい。


帰りの便までまだまだ時間があるので、悠遊卡に100元チャージして、地下鉄台湾北部景勝地、淡水に向かった。




3日目 午後


淡水は異国情緒ある海岸の街。

日本でいうところの横浜とか神戸といったところらしい。

駅前を歩けばすぐ海岸で、晴れ渡った空の下、おっちゃん達が釣り糸を垂らしていた。

ふと見ると赤い看板。

台湾ではコーションは赤い看板に書かれるらしい。


「本河岸遊客衆多

 為維護遊客安全

 本路段禁止甩竿汉示」


「この海岸には観光客がたくさん来ます

 観光客安全のため、ここでは釣竿は振らないでください。」



さて、初日の寧夏夜市で食うつもりで、メモまで描いたが、食えなかったものがある。

千と千尋の神隠し」で、千尋の両親が食って豚になってしまったモノではないか、と言われている謎のプルプル、肉圓だ。

海岸から山の方に上がろうとして通り掛かった海の家で、「肉丸」と書かれた看板が掲げられていた。

昼時で丁度いい、食おう。

おばちゃんに「肉圓 QQ〜」と描いたメモを見せる。40元。

「それだけでは足りない」とエリーさんが言っていた肉圓だが、いざ食って見ると、正体不明のプルプルは意外とお腹にたまり、1杯で小腹を満たすに充分な量だ。

こんなものを大量にガツガツ食えば、それは豚にもなってしまうのかもしれない。


海も見て、肉圓も食って、煉瓦造りのキリスト教会も見た。

歩き疲れたので、台北に戻ろう。



台北についたのは午後14:00過ぎ。

今なら人に流れについていけば「中山地下書街」を見つけられるかもしれない。


地下街中山站方向に歩く。

やがて中山站を過ぎると、右手に地下街にそって長い本屋が見えて来た。

中山地下書街」

やった、本屋だ。


「誠品書店」に入って見ると、平積みにされていたのは、謝馬力 著「女子翻轉」

女性の生き方に関する本らしい。

台湾版Sex and cityか?はたまた中国ジェーン・スーか。


しばらく歩くと、料理本の一角

料理本って、みてしまう。

ほとんどの本が何を書かれているか、全くわからないんだけど、1冊、ピクルスの作り方に関する本があった。

美しいイラスト作ってみたくなる写真。

これならなんとか分かるかもしれない。

からなくても、開いているだけで楽しそうだ。

買って帰る事にした。300元。



地下街を歩いていると「新光三越」の文字

台湾にも三越はあるらしい。

三越があるなら、正真正銘のデパ地下があるはずだ。

これは是非行かないといけない。


新光三越に着くとデパ地下はどうやら地下2階。日本より小ぢんまりとして、お菓子などが中心ではあるが、これぞデパ地下という光景があった。

色々な店が軒を並べる中、お茶の店があり、白磁の蓋碗ディスプレイされている。

日本に帰って、同僚とお茶を飲む為に、何か茶器が欲しかったから丁度いい。

560元は、多分日本より安い。




3日目 夕方


あと5時間で迎えが来るが、台湾でやりたい事リスト最後の項目がまだだった。


サツマイモが入った台湾式の清粥を食べる。


台湾で清粥といえば、飲んだ後に食べるものらしく、店が開くのは17:00からだった。

最近アルコールに弱くなったし、台湾では心置きなく食いたかったので、旅行中は一切、酒類は飲んでいなかった。

しかし、別に飲んでなくても問題ないだろう。

17:00ジャストに、「無名子 清粥小菜」に入った。


この店では、ショウウィンドウの中からおかずを選び、それにお粥が付いてくる。

どれにしようか?

ショウウィンドウ越しでハッキリ見えないが、美味そうな炒め物を頼んだ。


席に着くと、鍋一杯のお粥

さあ食うぞ。

しかし、運ばれて来たおかずを見て一瞬たじろぐ。

それは「牡蠣の豆豉炒め」だった。

もっとよく見りゃ良かったぜ、ここは屋台ではないが、エリーさんの忠告を思い出す。

これを食えばあとは帰るだけとはいえ、もし飛行機の中で降せば大きな問題を抱える。

最悪当たるにしても、迎えのくる21:00までにスパっと終わるか、自宅に帰り着く翌10:00以降にしてほしい。

恐る恐る口に運んだ牡蠣は、豆豉の風味が効いて美味く、お粥は歩き通しの身体に優しかった。

これで、「台湾でやりたい事リスト」はコンプリートした。



無名子 清粥小菜を出て、おそらくこの旅で最後地下街を乗り継ぎ、ホテルの最寄り駅に出ると、道路しっとり濡れていた。

参ったな、あと一息で雨だ。

でも3日間で学んだのは、台湾の雨はすぐ上がるという事。

意を決して歩き出すと、どうも降っていたのはさっきまでだったらしく、殆ど雨には当たらなかった。

この調子で、願わくば牡蠣にも当たらないでほしい。




3日目 夜


ホテルフロントでこの旅行記を書きながら迎えを待つと、女性2人の親子連れが入って来て、フロントに尋ねた。

「この近くに喫煙所はありますか?」

日本語だ。

そんな基本的な事を聞くって事は、多分今日 このホテルに着いたのだろう。

自分は今夜、日本に帰るが、今日、日本から来たかもしれない人がいる。

ここでは毎日、入れ違いで人が行き交うのだろう。


しばらく待っていると、また日本からの家族連れがフロントにやって来た。

お父さんが、自分の胸を指差して、現地で買ったTシャツになんと書かれているか聞くと、フロントの男性は、ちょっと戸惑いながら答えた。

「えっと・・・簡単に言うとですね、『ゴキブリ』です。」


またしばらくすると、20人程の旅行客がやって来た。

話しているのは中国語で、スーツケースの大きさから見ると、多分大陸の人だ。

一団はひっきりなしに喋っていて、声も大きい。

この旅行であった人たちの中で、もっとも賑やかな人たちかもしれなかった。



嵐のような一団がフロントを過ぎると、迎えのツアーガイドがやって来た。

ガイド若い男性で江(チャン)さんという。

英語名はありますか?」と聞くと、「無いですね、僕も英語は喋れませんし」どうもみんなに英語名がある訳では無いらしい。


チャンさんは人当たりが良く、風貌イケメンというか、今風で、ちょっとチャラい感じといえなくも無かった。


空港までの車の中で、たくさん起きたことを話し、少し疑問だった事も答えてくれた。


台湾の男性が機内でメガネだったのは、ちょっと上の世代伊達メガネブームがあった事。

台湾で男同志の性愛を描いた映像作品を観たのは、おそらく同性結婚が法的に認められたのと関係がある事。

ドトールトランプ禁止は、解禁するとギャンブルをやっちゃうからである事。

ついでに、チャンさんは実は以前に日本に来たことがあり、出逢いを求めて相席居酒屋に行ったら、40代以上の女性ばかりで少しがっかりした事も教えてくれた。

やっぱりちょっとチャラかった。


チャラいけれども、仕事をきちんとする好漢のチャンさんは、チェックインまで付き合ってくれると、出国手続きや再両替についても教えてくれた。

台湾で出会う人は素晴らしい人たちばかりで、チャンさんもまた例外では無かった。


もう直ぐ台湾を去る。

台湾でしたい事の全てが予定通りに行えて、多くの予想以上があった。

言葉にすると陳腐だけど、これ以上正しい表現が思いつかない。

「全てが掛け替えのない3日間だった。ここに来て本当に良かった。」


チャンさんは日本語が堪能で、何を言っても理解してくれる。

でも、最後は、滞在中に助けられ通しだった方法以外にあり得ない。

「じゃあ、僕はここで」と微笑む彼に、ホテルの部屋で朝に書いた、最後メモを見せた。


「太棒了、台湾」

2017-10-10

フクロウカフェ別にいいじゃん

フクロウカフェ残酷なのだそうだ。劣悪な環境猫カフェ残酷なのだそうだ。犬や猫のペットショップ販売は悪なのだそうだ。たしかフクロウや猫が死ぬのかかなしい。かわいいから。でも同じ口で,金魚すくいは風情があっていいねなんて言うひとも見かける。金魚すくい水槽は,たいていが劣悪な環境なので,一部の強靭な(そして幸運な)個体を除けば,どんどん病気で死んでしまうのに。

たとえば金魚よりもニワトリが,ニワトリよりもフクロウや犬や猫が,人間から見て命が価値が重いのだと考えてみる。それはそれで仕方がないように思う。賢い生き物はかわいい特に犬や猫などは,その歴史的経緯から人間以外の動物の中では最も人間に近い権利を持つ。人間は生き物を恣意的に線引きしてきた。善悪はともかく,それは事実だし,そしてそのうえに今の平和で便利な世界がある。

フクロウカフェ犬猫ペットショップ販売の話は,「動物権利」の話ではなく,「フクロウ権利」や「犬の権利」「猫の権利」についての話だ。なのになぜか,「動物権利」などと主語を広げ,あたかもそれが絶対的正義であるかのように信じている人間もいる。恣意的に命の線引きをしたうえで,まるで平等であるかのように話をしている。傲慢だ。けれど人間はいだって傲慢なのかもしれない。

フクロウカフェ猫カフェ経営者傲慢なのだろう。

ペットショップ経営者傲慢なのだろう。

では,産業動物の肉を食べ,牛革の靴を履き,家猫を愛で,アニマルカフェペットショップ批判する,それは傲慢ではないのか?

厳格なヴィーガンなどは,ペット飼育についても反対するのだと聞いたことがある。そこまで厳格でなければ,批判一つ言ってはならない――それは窮屈だ。だから,身勝手に,批判をぶちあげればいいと思う。身勝手であることは権利だ。けれどペットショップフクロウカフェに石を投げているひとびとがいる場所は,果たして安全地帯なのだろうか。善なのだろうか。彼らが知らないだけで,あるいは気付かないふりをしているだけで,その背中には無数の石が投げられているのではないかフクロウカフェ残酷なのかもしれないが,フクロウカフェに石を投げているひとのことを,残酷でないとは自分には思えない。

anond:20171008232016

社会人になって、こういう状況になる人は実は多いのではないの?

学生までは、自分から動かずボンヤリしてても親とか先生とかの周囲が何かとお膳立てしてくれた。やるべきことも分かりやすかった。

でも社会人になると、面倒見てくれた人たちはいなくなって、一気にたくさんの自由が与えられて、そこでどこに進めばいいのかわからなくなる人は多そう。

増田は多分、理想とする休日の過ごし方のイメージがあって、それと現実が違うことに悩んでるんじゃないか

自己肯定できずに迷ったときは、国民の三大義務を思い出すよ。

納税の義務勤労の義務教育義務

これを果たしているなら、胸を張って生きればいい。増田は働いてるっぽいし、それで充分だと思う。

2017-10-09

「殺せ!殺せ!」と煽るヤフコメ民が中世で怖い

最近にはじまったことではないが、Yahoo!ニュースの各記事へのコメントヤフコメ)がいよいよ暴力的な色彩を帯びてきており恐ろしい。

「殺せ!」という言葉があまり普通に使われており、あまつさえその表現の残虐さを競うような状況である

たとえば、今日のこの記事

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171009-00000020-asahi-soci

(※削除された後用のアーカイブ https://archive.is/0x5RH

高速道路上での死亡事故についての報道で、ある運転者事故の原因となっていたかもしれないことが取材でわかったとの内容。

事故自体はとても痛ましいものであるが、この記事に対するヤフコメが異常である

要約すればとにかく「殺せ!殺せ!」と。

*******

害虫殺処分妥当

kur*****

容疑者凶悪殺人犯として指名手配して、街角で見つけてリンチしても免責されるようにしたらよい。

sup*****

この男を含む家族全員をトラックに突っ込ませて殺すのが一番。やった事はやり返されるべき。

念のため強調するが、まだ逮捕もされていない者に対しての「殺せ!」である

報道用語上の「容疑者」ですらない。

報道機関(この場合朝日新聞)が報じたことだけを根拠に、いや、その根拠以上のことを勝手見出し

極刑を指示(殺せ!)し、あるいは残虐な私刑勝手検討(殺せ!)する。

fum*****

前に停車させてた男の行方はどうなっているのでしょうか?捕まえて車で轢いてしまいましょう。

aps*****

轢くだけじゃダメ

100km/hの衝撃を教えてあげないと。

bas*****

100キロも出しちゃダメだよ

一瞬で死んじゃうから

10キロぐらいを複数回のほうがよい

kur*****

顔写真付き実名報道高速道路における引きずり殺しの刑にしたいくらいだ!

容疑者よ、出てこい!

nas*****

業務上過失致死なんかでなく、

もっと重い罪はないのか?

市中引き回しにして、苦しませながら同じ目に遭わせるべき!

コメント欄の流れをよく見てみると、ある「殺せ!」という内容の投稿呼応するように「殺せ!」という投稿が連なっていく。

日本法治国家であり、自らがその担い手であるという意識は見られず、あたかも娯楽のように、おびただしい「殺せ!」が積み重ねられる。

冷静なコメントもあるが、当たり前のように過激意見が支持され、埋もれていく。

この記事に限らず、他の記事でもよく見られる現象である

悲観的予言をするならば、いつかこ殺意コメント欄を飛び出し「魔女狩り」は起こるであろう。

ヤフコメは、すでに殺意をかき立て、正当化し、増幅させる役割果たしている。

このような惨状放置しているヤフージャパン社会的責任はどうなるのだろうか。

そして我々の社会は。

現在政治についておもうこと

ここで書くのは私の意見しかないです。

自分1993年まれ24歳です。

今回の衆議院選挙について、選ぶに値する党が存在しないことを歯がゆく思っていても、自分立候補することは年齢規制から無理であるし、まず金もない。所属したい政党もないですし。

議員になることがまず、ごくごく普通人間には無理である。ということについて考えてみよう。

衆議院は4年に1回解散されて議員総選挙が行われるものだ、と私たち小学校社会で習った。また衆議院参議院と異なり、総理大臣解散権があり、総理解散すると言った時が選挙の時である総理衆議院選挙にて第1党になった党から指名された人物(つまりボス)がなる、というのが日本システムです。

とまあ、考えてみると私たち総理解散を決意するまで選挙があるかどうかなんて知るすべなどないし、

告知期間もめちゃくちゃ短く、「よっしゃ選挙するぞ!!!」と言われたところで、「よっしゃ選挙出てみようぜ!!!」となる体力(金)もない。働いているひとが仕事を休んで選挙活動をするなんてことは無理だし、あと比較理想燃えやす若者被選挙権を与えられていないが為に何もできない。

政党というのはお金選挙のやり方ノウハウが詰まったプロフェッショナル集団だ。

そんな彼らと関係を持たないままに選挙戦を戦い抜くことは厳しいし、また選挙に通ったところで何かしら提案をしても国会という場所で仲間がいなければ提案を成立させることも難しい。

そういう風に考えていくと政党という集団思想統制をとり、集団公約としたものを数の力で果たしていく、というスタイル一見効率が良いようにも思える。

こういったらなんですけど私は、日本実は政党政治下手くそで向いてないんじゃないかなって思う。

私たちにはまず議論が苦手な部分がある。ディベート最中にその議題について否定されると人格まで否定されたような気になって敵と味方の糾弾大会みたいになったりしませんか?友敵を明確に求めたがるきらいがある。私たちですらそういう節があるのだから国会議員の人々もきっとそういう部分がある。

けれど、社会って、世界ってそんな簡単に、友敵に分割できないじゃないですか

あらゆる関係が引かれて絡まり合って、動いている。

本当に「解決しなくてはいけないこと」について私たちは、話をするべきだと思うのです。

正直なところ、私は森友学園のことも議員不倫のことも、どうでも良いのです。

それは「日本にとっての本筋」ではないから。

福島のこと、原発のこと、自衛隊について、改憲について。すぐに答えをみつけることが難しいことばかりが山済みになっているけれど、これらは先送りにしたところで、何も解決されない。

私たち日々の暮らしに追われてしまっているけれど、同時に福島には防潮堤建設されて村の風景を分断し続けていく。平和憲法は心意気としてはもちろん良いものであるけれど、自衛隊合憲化することに頭ごなしに反対することは、議論を進めるものではない。

折衷することをもっと覚えていきたい。

政治社会を良くする為にあってほしい、と私は思う。

この「良くする」ということの意味について、私たちはお互いに広く知る努力をしたほうが良い。

UNDERTALE やばすぎでは?

ロールプレイングゲームの「ロールプレイ」って何だろうって私はずっと不思議だった。

ゲームプレイヤーはいだって役割を演じている。

STG主人公だってACT主人公だって皆それぞれの役割を演じているんだ。

それなのにRPGゲームけがどうしてロールプレイを名乗るのかが不思議だった。

TRPGコンピューター上で再現してマスター不要で進められるようにしたのが大本の始まりだったとして、そこから何十年たってるのに何時までたってももっと相応しい名前を考えないのは何故なのだろうと思いながらRPGを遊んでいた。

アクション要素が薄いor成長要素が強いかRPGですと言われても、果たしてそれはロールプレイなのかと納得出来ないでいた。

でもこのゲーム出会って考えが変わったよ。

コンピューターRPGは確かにロールをプレイするゲームなのだ理解した。

最初のうちは神の目線コントローラーを握っていたはずの自分が、いつの間にか主人公と一体化していたんだ。

高揚感のあるBGMが鳴り響く最終決戦の中、一緒に冒険してきた仲間たちを救うためにラスボス絶対に倒してやるという決意が何度も胸に湧き上がった。

何でラスボスを倒すのかと問われれば、それはEDを迎えたいからではなくて、この世界を救いたいかなのだと本気で思っていた。

その瞬間、確かに私は世界を救うヒーローとしての役割を演じていた。

そして自分ヒーローとなり世界を救うために、これまでの戦いで培った自分戦闘スタイルを駆使して目の前の苦難を打ち砕くことに対して圧倒的な使命感を燃やしていた。

あの高揚感は何だ。

ヒロイックBGMに酔ったというだけでは説明がつかない。

あの瞬間、確かに自分世界を救おうとしていた。

大切な人を守ろうとしていた。

人間の脳には、フィクション体験現実自分体験を混ぜ凝ぜにして錯覚を引き起こすような欠陥がある。

それは確実だ。

何故なら私が実際にそうなったからだ。

そして私はそれを喜んで受け入れ、あの世界の住人として最後の戦いに挑んでいた。

いいロールプレイングゲーム役割を演じるゲームである以上に、プレイヤーに進んでその役割を演じさせてしまゲームなんだ。

間違いない。

人間現実空想を切り離せないバグった生き物である事を利用し、いつの間にか役割を本気で演じさせてしまシステムなんだ。

私の中にあったコンピューターロールプレイングゲームという名前に対する疑問は長い時間をかけてようやく氷解した。

よく出来たRPGは、プレイヤーに思わず演じたくなる役割提供し、そしてプレイヤーがその役にのめり込めるように創意工夫をこらし、最後にはそのゲームで起きた体験をかけがえのないものにしてしまうのだ。

その道が英雄か、殺戮マシーンか、聖人か、それはゲームによって違う。

だが、完成度の高いRPGは、そのゲームプレイヤーに与えてきた役割をいつの間にかプレイヤーに納得させ、プレイヤーの側が進んでその役になりきろうと自分の心を動かしていくように仕向けてくれる。

からロールプレイングゲームなのだ

ありがとうUNDERTALE。

私の長年の疑問が1つ解き終わった。

トリプルA面という日本語のヤバさ

普通シングルCDにはメイントラック以外にも付属となる曲(カップリング)がついている。

このメイントラックをA面、カップリングB面と呼ぶのはレコード時代の名残だ。

知らない方もいるかもしれないから念のため説明しておくと、レコードは表裏両面に曲を書き込み再生することができるので、メイントラックを収録して余った片面にカップリングを書き込むのである。これがA面B面である。(カセットテープも両面が使えるので、A面B面呼び名が受け継がれている)

そんな中、どっちかがおまけじゃなくて、両方メイントラックでいいじゃない。という発想から出てきたのが、両A面レコードである。どっちかが表なんじゃなくてどっちも表というわけである

これがCDになっても引き継がれて、ダブルA面シングルなどと言われている。CDではトラック順が決まってしまうので、どちらも対等というわけにはどうしてもできないが。

ところでトリプルA面である

この日本語自分は感動している。

語源から考えるとトリプルA面とは意味不明のシロモノになる。けれど、その日本語は立派に存在し、その指し示す意味を伝えるという役割果たしている。

レコード時代の具象的な用語CD時代になっても抽象化されて生き残り、抽象化されたまま拡張して初めて成立し得た単語である

言葉ってすごい。そう思った。

2017-10-08

大学院生が学外発表に自腹を切る意味あるの?

修士1年なんですけど、研究成果を研究会で喋ってくれないかと言われました。でも旅費は出ないそうなので、断りました。

修了のための学外発表ノルマ果たしていて、その時の旅費は出たから、これ以上自腹を切る意味が分かりません。

よその研究室の奴は旅費が出るそうなんですけど、それ言ったら先生から相手にされなくなりそうなので、そこは黙っときました。

実際、他の大学大学院生の人はどうしてるんですかね?

2017-10-07

忙しいを理由にする人は本当に忙しい人生を歩んでいるのでしょうか?

何かを続けようとしても続けられない人に「忙しい」を理由にする人はいもの


そんな私も、最近デュエルリンクスで連勝中なので忙しさはいつもよりあるかもしれません。



かに忙しいと何かを辞めなければなりませんし、時間は限られていますからね。

それでも、忙しいを理由にする人は本当に忙しい人生を歩んでいるのでしょうか。そもそも、忙しい人生とは一体何なのでしょうか。


忙しいを理由にしても人生は楽しくない




当然のごとく、忙しいを理由にしても人生は楽しくなりません。

忙しいのは時間管理が下手なだけであって、上手に時間を使うことができれば「忙しい」という文字はなくなります

何かを始めたものの、忙しいを理由にしてはそれを辞めていく人がよくいますが、それはただの甘えであって本当は別の理由があるのです。

そのほとんどは「面倒くさい」や「飽きてしまった」ということですが、「忙しい」を理由にするとどことなく腑に落ちるからでしょう。

ブログを書かなくなるもの同じ理由です。


忙しい人が充実している人生を歩んでいる訳ではない




別に人生は常に忙しいからといって、充実した人生を歩んでいるとは限りません。

そのほとんど充実した気になっているだけで、忙しいの中にそれほどの幸せ感はありません。

それでも何となく忙しい方がいい風潮は少なからずあるものですが、果たして本当に忙しい人生が素晴らしいのかは疑問なところ。

暇すぎる人生もまた違いますが、忙しすぎる人生も同じようにまた違います。何ごともほどほどが大切ということですね。


ブログを書かなくなる人生などつまらないだけですしね。


忙しい自慢をしている人には要注意




学校職場に限らず、忙しい自慢をしている人はいもの

この忙しい自慢をしている人には少し要注意しましょう。忙しい自慢をしている人の中には、本当は忙しくないのに自慢をしている人もいます

忙しくなりたくないからこそ忙しい自慢をする。

ある意味では賢い生き方ですが、何かを頼む相手としては考えたいもの。本気で何かを頼みたい人には本当に忙しい人に頼みましょう。

間違っても暇な人に頼んではいけません。

余計に時間を取られるのがオチですからね。


忙しいのなら忙しくならないように考える




極論をいえば、忙しい人生なら忙しくならないように考えていけばいいだけのこと。

かにつけて忙しいが口癖の人は少しだけでもいいので、「なぜ忙しいのか?」を真剣に考えてほしいもの。意外にそこまで忙しくないことに気がつくかもしれません。

それでも、本当に忙しいのなら忙しくならないようにするには、一体どうすればいいのかを考えましょう。

考えることはどこでもできますし、場所を取りません。

考えをまとめたいのであれば、ブログ記事にして書くのもおすすめ。それを公開するかしないかはまた別の話です。

忙しいを理由にする人は本当に忙しい人生を歩んでいるのでしょうか?のまとめ




忙しいを理由にしても仕方がありません。

忙しいのは自分以上のレベルのことをしているだけであって、解決することは容易なはず。それでも、やはり忙しいを理由にすると何となく納得してしまうのが現実

別に忙しいのが悪いということではないのですが、人生において忙しいのはそれほど重要ではありません。

人生において重要なことは人それぞれ違いますが、やはりつまらない人生よりも楽しい人生を歩みたいのは変わりません。

現在人生で「忙しい」を理由に何かを諦めた人は、この記事きっかけにまた再開して頂けば嬉しい限りです。


人生など所詮死ぬまでの暇つぶし!忙しい人生からは何も生まれません!

夢か現か、幻か。

面と向かっては誰にも言えないような、自分たち世界の話。馬鹿げた三文小説のような、稚拙で安っぽいものかもしれない。けれど自分たちにとっては本当にあった事だ。

幼い頃から自分の中にはたくさんの人間(今思えば別の人格とも言えるような、あやふやだけど確かに存在すると思っているもの)が居る。遊ぶのが大好きな明るくちょっとやんちゃな人。本を読むのが好きなおとなしい人。気が弱く、ちょっとたことで泣いてしまう人。ごっこ遊びが好きで、いろんな物語好きな人音楽が好きで、特に歌うことが大好きな人。怒りやすいけど言いたいことははっきりと言う人。大人のような知的で冷静な行動をとる人。日々をぼんやりと、俯瞰するように見つめている人。心優しく、他人大事にする人等。とにかくいろんな人いた。

そんな人たちが、自分身体を通して物事を見たり、感じたり、表現したりしていた。主に行動していたのは優しい人と物事をはっきりと言う人だった。

そうして日々を過ごし、普通の日々を幸せに感じながら成長していくはずだった。

そんな中、ある出来事きっかけに優しい人が殺されてしまい、自分という世界からいなくなってしまった。たくさんの人たちが驚き、嘆いて悲しんだ。その中でも物事をはっきりと言う人が一番取り乱した。優しい人と物事をはっきり言う人は双子のように特別仲が良かったからだ。殺される原因となった出来事を憎み、その出来事を起こした人物や、それを見ていて放置した人々を殺したいほどの衝動に駆られた。それを見た他の人はどうにかその怒りを外に出さないように、変わるがわる表に出て、怒りを誤魔化すように他人と会話をしたり、怒りを鎮める行動をとったりしてどうにかしようとした。

しかしそれが、自分という人の行動そのものしっちゃかめっちゃかにして、次第に他人から倦厭されるようになった。頭のおかしい人だと思われていった。

それを目の当たりにしたはっきりと物事を言う人が、ついに耐えきれなくなって、周りに当たり散らした。当時はそのおかしさ故にそこそこいじめられていたため、それに報復するような形で怒鳴ったり物を投げつけたりと、今思えばなかなかに酷い行動をとった。猜疑心に駆られていて誰も信じず、また誰にも頼ることもなくなった。

そうしていくうちに、友達と呼べる存在は少なくなっていった。

ある日、急に糸が切れたかのように、朝起きれなくなっていた。何もする気が起きず、ずっと携帯をいじっていたり、ぼうっと天井を眺めていたりした。

そうしていくうちに、睡眠障害になり、うつ病になった。自分世界の人たちも疲れきっていて、ただ黙っていた。主に活動していたのは周りを俯瞰するように眺めている人と、はっきりと物事を言う人だった。しかしはっきりと物事を言う人は、優しい人を失くしたショックで絶望していた。全てが色を失ったかのように、無気力に過ごした。

次第に自分世界に居た人々は少なくなっていき、今は両手で数えるほどになった。

今はそこそこ回復しつつあるものの、自分世界人間はやはり安定しないままで、話し方も雰囲気もころころと変わってしまう。おそらく他人から見たら相当に奇妙な人だと思われているだろう。

このままではどこにもいけないし、生きることすら難しい。

主に行動していた優しい人の残した傷痕が深く、何をするにもその出来事を思い出してしまい、まともに息すら出来なくなる。

色々調べていたが、イマジナリーフレンドや解離性同一性障害という言葉に行き当たったものの、自分たちはそういうものではなさそうだった。

じゃあ何だと言われれば何も言えなくなってしまう。

果たして自分たちは何者なのか。そればかりを考えて、今日も答えが出ないままだ。

確実に言えるのは、これから先は生きていけそうもないことだけ。毎日湧き出てくるような希死念慮とそれを誤魔化すためのネットサーフィンをして、生ける粗大ごみの如く、駄目人間として息を潜めている。

支離滅裂な上に長く読みづらい文章だけど、どこかに自分たちのことを書きたくてたまらなかった。創作でもなく、実際に感じたことだけが頼りで、記さなければ形すら得られないからだ。

こんな駄文を残すことをどうか許して欲しい。

2017-10-06

貧困と付き合うな?貧乏でも人と比べないことが何よりの幸せへの近道

幸せ人生を歩みたいのであれば貧困と付き合うなということ。

それプラスに、たとえ貧乏でも人と比べないことが何よりの幸せへの近道。

そうはいってもなかなか貧困との縁を切れない人はたくさんいますし、貧乏すぎて他人を羨ましいと感じることは仕方のないこと。

果たして本当の幸せとは一体どのようなことなのでしょうか。


貧困と付き合うな!」とは?




タイトルにもありますが、「貧困と付き合うな!」の真相を書いていきます

言葉通りの意味でも通じますが、貧困貧乏は別物。

簡単説明しますと貧困は究極の貧しさであり、貧乏は貧しいということ。貧困は本当に経済的に苦しくては生活ギリギリ状態

貧乏は贅沢三昧はできないものの、何とか生活はできる状態です。

からこそ、貧困になってしまうと人生は停滞していきますし、何よりも人生が楽しくなりません。

貧乏は確かに貧しいものですが、だからといって必ずしも不幸せではないということです。


貧乏でも人と比べないこと




現在人生貧乏でも人と比べないことです。

他人と比べてしまうと心まで貧乏になってしまますからね。経済的貧乏なのは仕方のないことですが、解決策は多々あります

けれども、心の中まで貧乏になってしまうと解決するのにも時間が掛かってしまます

できることな経済的にも貧乏から抜け出したいものですが、それらの問題は何とか自力解決していきましょう。


貧困連鎖という不甲斐ない世の中




貧困というのは連鎖していくもの

貧困の家庭に生まれてきた子供たちは、同じような貧困の家庭から抜け出すことができません。

貧困連鎖から抜け出せずに人生が終わる人はたくさんいるものですが、そんな不甲斐ない世の中に溜息をもらす人の気持ちもわかります


国が悪いとか制度おかしいといえばそれまでですが、やはり貧困連鎖から抜け出すには人と同じようなことをしてもダメということ。

時代は変わりつつありますし、いつまでも同じことを繰り返していても人生は変わりません。


変わらないどころか、ますます貧困連鎖に巻き込まれていくのがオチ。そうならないためにも今できることは一体何なのかを定期的に考えていきたいものです。

とにかく人は人、自分は自分精神で生きていくことが大切。他人と比べたところで人生は何も好転していきませんからね。


貧困と付き合うな?貧乏でも人と比べないことが何よりの幸せへの近道のまとめ




貧困と付き合わないようにするためにはどうすればいいのか。

まずは自分の頭で考えていくことで貧困から抜け出せるチャンスは掴めます。そして、今現在貧乏でも人と比べないこと。

羨ましい気持ち嫉妬したところで人生全然楽しくなりませんからね。

幸せへの道は人それぞれですが、自分というものをしっかりと持っていれば必ず幸せ人生を歩めます

他人と同じような人生を歩んでも仕方のないことですし、そのような人生には意味を持ちません。

本当の幸せとは一体何なのか。

貧困貧乏の違いは何なのか。

この記事きっかけに少しでも考えて頂ければ幸いです。

2017-10-05

立憲民主フォロワー多くなってる理由

ブクマ全然検討違いのこと言っててワロタ

希望政策極右からネトウヨが付くはずだけど、もと民進議員が入ることでブレーキかかってるとか言ってる

バカじゃない

ノイジーマイノリティリベサヨ難民化して騒ぎ立ててるからその界隈で話題になってるだけ

実際の選挙になれば希望の方が圧倒的に票とるのくらいお花畑リベサヨ自覚してんだろ

本当に頓珍漢だから困る

これから自民希望の二大保守で後はあくま民主主義のなかの少数意見を言うだけの役割果たしてください

お前らが生きてる間はこの構造変わらないからな

残念だったな

2017-10-02

https://anond.hatelabo.jp/20171002163211

10、20代の女性でちゃらそう、なんとなくチョロそうに見えない女性果たしているのか?という総意で日記を書いた。

たいていの若い女は押せばヤレと思われていてこのトピ主?みたいな経験を200%しているか

出会う異性全員にセックスに誘われるのはごくごく一般的で、このブコメやなんぱしない人はいるかもしれないけど本当に少ない数ですよといいたかった。

男の方が当たり前にストライクゾーンが広いでしょとかそういうレベルで大抵の10,20代のこの女パスって人はいないと思う。

から上位98%くらいの女性毎日出会う異性ほぼ全員にセックスに誘われまくっている現実を言いたかった。

2017-09-30

一人の意見の強さと怖さ

保毛尾田保毛男の件で気になったのは、Twitterでもヤフコメでも「俺はゲイだけど、保毛男は笑えた。指摘してる奴は気にしすぎ。」という内容の書き込みが大量にRTされたりいいねを押されたりしていたこと。

もちろんゲイの中にもそういう人はいるだろう。でも、これらのたった一人の意見が「ほら見ろ、ゲイでもこう思っている人がいるんだよ。」という形で大量に支持を受けた結果、RT数やいいね数がまるで証明書のような役割果たして「ほら見ろ、ゲイでも“大半は”こう思っているんだよ。」に変化して見えることがすごく怖いなと思った。実際はRTしないひと、いいねを押さない人、そもそもその意見に触れていない人の方が遥かに多いわけなのに、今見えているRT数やいいね数、はてなスターの数がまるで世論のように見えてしまっているんじゃないかと。

はてなヤフコメの反応の違いを見ていると、実際それらの数字はただそれぞれの場所での勢力図の発現にすぎないと分かるんだけど、ヤフコメのみ、Twitterのみ、はてなのみで生きている人達も多いわけで、その人達には「大量に支持されている意見=世の中の意見正義」と見えていそうな気がして、なんだか恐ろしさを感じた。

同じ穴の狢

みなさんのおかげです』、『生ダラ』、『夢で逢えたら』、『スーパージョッキー』、『元気が出るテレビ』、『ガキ使』、『ごっつ』、『A女E女』、『冒冒グラフ』、『トゥナイト』、『ギルガメ』などなど大好きだった。今思い返すと、女性のいじられ方が色々問題ある番組ばかりだな…。

目下、話題のあのキャラでも笑った。あのキャラ岸田今日子との掛け合いが好きだった。

少し前の増田を見て、あれを見て傷ついた人がいたと初めて知った。その増田を読み、そう言われると傷つく人が生まれる内容だったかもなと思った。

子供の頃の私は、オカマホモの違いもよくわかっておらず、同性愛者と言ったらテレビでよく見る日出郎とかおすぎピーコ美輪明宏イメージだったし、オタク宅八郎、宮﨑勤のイメージだった。

大人になってから同性愛者はおすピーみたいな人だけじゃない、オタク宅八郎っぽい人だけではないとわかった。

オタク宅八郎の印象が強すぎて気持ち悪さが勝ったが、同性愛者については気持ち悪いものと思ったことがなかった。テレビが好きでテレビで色々な人を見てきたからだ。笑うことで消費してしまっているので褒められたものではない。しかし、いろいろな人がこの世にいると理解できたのはテレビのおかげだ。

その後、時が進むにつれLGBTという言葉によって細分化されていることを知った。知っているからといって身近に彼らがいた時、自分果たして差別をせずにいられるのかというとわからない。

テレビゲスだ。視聴率を取れればいじりやすキャラクターの人を取り上げて笑い者にする。はっきり言って最低だ。でも、人は多様であると見せ続けている。

テレビ批判する意見の中には、視聴者への罵りもあった。「大人になってもあれがダメもの認識できないのは時代遅れ差別者」、「とんねるずで笑えるやつはバカ」、「欧米のように繰り返し描かないとダメさが伝わらない」というようなもの。あの番組を久しぶりに見て、懐かしいキャラだとしか思わなかった私は差別主義者でバカで、欧米に遅れをとった人間なのだそうだ。

多様性を語りながら一方で自分の意に反するものは平然と罵る。罵ったりネタにする側は常に鈍感だ。彼らが忌み嫌うとんねるずをはじめとしたお笑い芸人と同じことをしていることに気づかない。

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