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はてなキーワード: 果たしてとは

2019-10-17

anond:20191017222915

二次元キャラ性的搾取女性性的搾取って考え」と「女性」と限定している時点で、性的搾取されているのは女性であるという考えが透けて見えるのがアウト。

キャラ性別がないのであれば、もしかしたら巨乳男性かもしれないということですよね。

それでもあなたはそれを女性というのはおかしい、と女性という性を前面に出してる。

それは果たしてほんとうに女性でしょうか。

献血ポスターに憤る人たちへ

献血ポスターに憤る人たちへ

献血ポスターイラスト問題が、連日タイムラインを賑わせている。私のタイムラインでは大元ツイートは流れてこなかったが、オタクオタク献血賞賛し、"環境セクハラ"をこき下ろすツイートがちらほら見られた。シンプルによくわからん、と思った。私自身もオタクから人のことを言えないのかもしれないが、オタクオタク賞賛するのが好きすぎる。献血は確かにえらいが、そんなに過剰にオタクだけ褒めそやすのはどうなのか?それにセクハラは色々な問題を抜きにしてもまず透明化したらダメなのでは?とさまざまな思いが巡り、このオタク献血賞賛ムーヴがどこから来たものなのか調べることにした。

先に結論を述べておくと、「二つの議論を一緒くたにして考えるからダメなのだである

この一文だけで察してくださる方もたくさんいることだろう。そんな方にとっては、以下の文章にさして内容はないと思う。煮るなり焼くなり好きにしていただきたい。

さて、今回の件の発端となったのは、恐らく弁護士のこの方による引用リツイート

https://twitter.com/katepanda2/status/1183729350207623169?s=21

渦中のポスターは、漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」のヒロイン、宇崎花ちゃん献血コラボキャンペーンポスターである

文字通り絵に描いたような爆乳で困り眉の女の子が、挑発するような台詞・表情で』献血を促している。

多分、弁護士の方がここで問題にしたいのは『』の部分だけだ。献血を促すこと自体文句を言っているわけではない。ポスター採用されたキャラクターの造形に問題があるという話で、漫画アニメ作品採用されることに不服があるわけではない、と思いたい。このていで話を進める。

話は変わるが、Twitterランドスラム街である。日々クソデカ主語極右極左クソリプパクツイデマツイお気持ちマシュマロと戦うオタク諸君はこのあたりよくご存知のことであろう。こんな環境で、果たしてまともな議論ができるだろうか?できるわけないのである揚げ足取りは腐るほどいるし、文脈が読めないまま発言の一部のツイートけが一人歩きしたり、過激思想を持った影響力の強い人々が発信する偏った意見が多くのRTいいねを獲得していたりするのだから。一つの議論をまともに話そうというのがそもそも無理な話だ。

ここで話を戻そう。

先のツイートは、一見すると問題提起に見えなくもない。いや、そのつもりがあってしているのかもしれない。この弁護士さんはフェミニストの方々の間では有名な方だと聞いた。だとしたらこの方の主張は、『環境セクハラ配慮しないポスターを貼るのは無責任だが、日本環境麻痺していてそれを問題にする人もいない』であろうと思う。

環境セクハラと言っているものそもそも微妙意味が違う気がする(気になったら各自調べてください)のだが、今回のを要約すると"生きているだけで目に(女性が客体である)性的イラストが目に入ってくる"というところだろう。

私はこの主張にのみ関して言えば、議論されるべき問題であると思っている。女性身体の過度な客体化とアニメ文化が密に結びついた日本では、驚くほど性的アイコンが強調されたイラストがそこら中にあふれている。性的アイコン巨乳とか服の上からでも分かるマン筋とか、困り眉赤面涙目とか、濡れてんのか?みたいなピタピタの服によるわかりやすいボディラインとかそういうものである。生きていれば上述のアイコンの何かしらを目にしたことがあるだろう。それこそ都会ならば場所や時を選ばず、どこにいても見られる。コンビニエロ本撤去が少し前に話題になったが、あの区画に限らず様々な場所にあの手のイラスト漫画があふれているのだ。意識して見てみるとわかるが、そのイラストに感じる独特の「気持ち悪さ」はよっぽど理解がないと感じ取れないかもしれない。それだけ、この国の女性客体化思想は深く深く根付いてしまっている。

とまあこんな具合に、この問題一朝一夕140字ちょっとでは到底語りきれない深刻な問題なのである。そして悲しいかな、今回の件について、この文脈議論を展開している人はあまり見られない。

萌えアニメキャラ献血ポスターに使うのの何が悪いのか?」

オタクの血はいらないということか?」

セクハラだかなんだか知らんが献血量が減ってないならなんの問題もないし知ったこっちゃない」

コミケでのオタク献血の貢献度を知らないのか」

「我々はオタク献血で命を救われた。オタク献血に行くことのなにが悪いのか」

表現の自由がないじゃないか

こんなもんであるそもそも論点がズレていることに、一体この話題に参加したオタクの何人が気づいているのか。指摘しているツイートも少なからずあったが、そちらはバズらずじまい。なぜだろう。原因はわからない。

そもそもこの問題の要点は『性的アイコンが強調されたポスターセクハラだ』であり、『オタクが悪い』『アニメキャラ(クソデカ主語)はポスターに相応しくない』とは誰も言っていない。誰も言っていないのに、勝手オタクの好きなもの批判された、こき下ろされた、エログレーゾーンアニメキャライラストを全て規制しろということか、表現不自由だと逆ギレしているのである

何故?これもわからない。表現の自由が誰かを不快にするのを厭わず行われるべきだというのなら、なぜ「表現不自由展」はあんなにバッシングを受けたのか。人に不快感を与えるという点でそこに上も下もないと思うのだが。

結局日本右寄り日本男性視点優先の社会構造が浸透しすぎており、女性視点気持ちはほぼ透明化されているということなのであろうが、このあたりは話しだすと論文一本じゃすまないので今回は割愛しておく。右寄り日本男性というカテゴリー微妙なところだ。男性というだけで生きやすい国なのだ、ここは。

一方で、もし発端の弁護士の方にアニメキャラ全般こき下ろす意図があるとするならば、それはそれで問題である。過度なミサンドリーという点でもそうだが、このご時世、アニメイラストというだけで拒絶反応を示していてはキリがないし、正当なフェミニズム思想反論材料にならない。アニメイラスト不快、というだけでは「個人問題」になってしまうのだ。とにもかくにも、今回の件は議論にするには材料や前提となる問題提起の部分が弱すぎた。

長々書いたが結局のところ、今回の騒動

性的アイコンが強調されたキャラポスターが誰にでも見えるところにあるのは不快だしハラスメント

ポスターアニメキャラ採用されることはなんの問題もなく、それを規制することは表現の自由侵害である

という二つの問題がごっちゃになったまま拡散され、憤るオタクたちが様々なツイートをし、歪みに歪んで広まったというわけである。繰り返すが、誰もオタクダメともオタクの血が不快とも言っていない。だから「女は献血への貢献度が低いくせにごちゃごちゃ言うべきではない」とか、「巨根男性ポスターについてたら男は嫌だろ?」とかはまた全然別の議論を立て直さなくてはいけないのだと思う。このあたりはミソジニーミサンドリーが混ざりすぎて本来目的を失っているようにも見える。個人の快・不快ではなく、議論フラット目線で行いたいものだ。私自身それができているか甚だ不安ではあるが、特大スラム街Twitterにいるともう何が何だかからない。そしてその辺りを踏まえて、発端の方のツイート個人の快・不快帰結するものかどうかについても、議論すべきかもしれない。私は社会全体の問題だと思うけれど。

ついでに今回の問題をこねくり回したツイッターの人々を十把一絡げに「オタク」と言ってしまったが、これも本来良くない話だ。まさにクソデカ主語。目につくツイッタラーが皆オタクに見えてしまうのは、ツイ歴五年になるクソオタクこと私の決定的に良くない点である反省

さて、散々色々とりとめなく書いたので、このあたりで渦中のポスターのメインキャラについてもひとこと。

失礼ながらタイトルも知らなかったのだが、「宇崎ちゃんは遊びたい!」はTwitter発の漫画作品らしい。現在ニコニコ静画などで連載しており、コミックスも三巻まで出ているようだ。以下あらすじ。

一人でいることが好きな先輩を「ぼっち」扱いするウザい後輩が絡んでくるドタバタラブコメディ。非日常的な要素はなく、基本は主人公ヒロインを中心に大学での青春を描く。

ヒロインショートカット巨乳八重歯、~ッス口調、アホの子というキャラクター性を持つ。ただし他の女友達と過ごす時や独白では標準語で話す。(Wikipediaより引用)

清々しいほど分かりやすオタクの好きなやつである。私も好きである属性は盛りすぎてもいけないが、あって悪いことは一つもない。かわいいことはいいことだ。こんな後輩欲しかった。いつか思う存分揉めると、その柔らかい触り心地を夢見て大学生活を送りたかった。

この宇崎花ちゃんは今回なにも悪くない。だから過剰に擁護すべきでも、過剰にディスる必要もそのいわれも全くない。じゃあ誰が悪くて、なにがいけなかったのか。今回の話はこのあたりが議論されるべき点だったと思う。そしてすでに意見を述べている人々は、反対意見の人々の意見も詳しく聞いてみるべきだ。

最後に、今回の件で一つ良かったことがあるとすれば、献血に興味を持つ人が少なからず増えた点ではないだろうか。結果的に宇崎ちゃんポスター本来目的を大幅に逸れて拡散され、献血を広めることになった。そして宇崎ちゃんの読者もさらに増えたことだろう。よかったね。

献血人類のために必要不可欠な活動であることはわかっているつもりだし、今更その重要性について語る必要はないだろう。ツイッタラー各位は特に、今回の件で献血に救われた人間の話をたくさん見たことと思う。私はウッキウキカントリーマアムをもらいムシャムシャ食べながら献血を待っていたら、ヘモグロビンと鉄の量が足りず献血ルームから追い出されてしまったが、今後も献血をする人が増えるよう祈るばかりである

キモオタクより

anond:20191016150214

・何が性的かは人それぞれ、頬を赤らめてる女性欲情する人間もいれば無表情の女性欲情する人間もいる。様々な性的ラインの中で服も来ていて性的セリフもない、自分エロいと感じたものをやめろというあなた判断果たして正しいんですすか?

・あの絵が性的だとして、それは「現実女性」を性的消費している絵でしょうか?絵に描かれたキャラクター性的に消費している絵ではないですか?キャラクター性的に消費したとして、キャラクターには人格はないので傷ついていませんよ?また、二次創作とは異なり今回の絵は作者も公認しているため、作者が傷ついているわけでもありません。

・あの絵を見て、「現実巨乳女もおれのもの、好きにしていい」と誤った認識を持つ人間がいたとしたら、それはその人個人問題ではないでしょうか?あのイラストには「巨乳の女はクソエロい」「女は性的消費してなんぼ」と書かれているわけではないですよね?ミステリー小説を読んで殺人を犯した人間がいたら、ミステリー小説発禁になるべきですか?

なお、私は女性ですが、個人感性という曖昧もの禁止かそうでないかが決まる世界は非常に怖いと思っています

2019-10-16

現場の人がホームレスを入れないって判断したのは、多分義務果たしてない人間を残すべきでないとかそんな難しいこと考えてなくて、単に汚くて嫌だったからでしょ

anond:20191016091540




俺はこれに同意だな。

2019-10-14

コピペじゃ意味ないよ

増田ブログって三割は誰かが書いた記事引用だと思う。それを我が物顔で鬼の首を取ったように世間を鋭い角度で見ている自分投影する事で賞賛を得ようとか浅はかな考えの人が多い事多い事、自分は何もしないし生み出さないけど賞賛は得たい、欲求を満たしたいそんな身勝手で甘い考えはすぐにバレるからやめとけ。

そこにお前の意思があるか? お前がどう思ってるかでブログを書いたらいい。馬鹿にしたり批判的な人はよっぽど一流でもない限り噛み付いて石を投げなきゃ気が済まないんだよ。きっと部活一生懸命やってレギュラー勝ち取った人に向かって部員でもないのにレギュラーになれたとこで所詮学校の中だけの話で頑張ったって日本一にもなれるわけ無いしましてやプロに成れるわけでもないのに馬鹿みたいだなとか言っちゃう可愛そうな人なのかもしれない。

可哀想なのは何も積み重ねてなくて人を批判して自己を保っている側ような人なのに。

話が脱線した。結局世の中ってふと気が抜けて死にたくなる気分の時もあるし大人になるにつれて面倒臭い事が増えてもう全部がどうでも良くなって投げ出したり壊してしまいたくなったりが重なって事件事故を起こしてしまう事だってあると思う。決定的に何か辛い事があったわけでもないけど徐々に本当に少しずつ溜まっていったものダム決壊のように前触れもなく壊れてしまうように突発的な出来事が起きてしまうし、逆に前触れも何にもなく強い風が吹き抜けるように今まで好きじゃなかった人が好きになったり今まで出来なかった事ができたりそんなことを日々繰り返しながらそれでも生きていくんだと思う。ネットに溢れるAだからB、理論果たして本当にそうだろうか曖昧グレーゾーンな部分があるのが人間で僅かな差で揺れ動く繊細な感情を持つの人間なのではないだろうか。例えば猟奇的事件を起こした人が暴力的漫画ゲームを好んでいたからそういった事件を起こしたのか、どうでも良いようなクレームを入れる人は心が満たされていない人なのだろうか、そうやって比較することで自分はこうじゃないか大丈夫、あの人はああだから嫌い、やばい人と決めつけるのは杞憂で一度疑ってみることが必要なんではないだろうか。

他人がどう思うかなんて分からない、何を考え生きているかなんて人心把握出来ない。だから無責任に身勝手理由自分意見押し付けたり正論を盾にして相手不用意に傷つけたりするのは何とも言い難い歯痒い気持ちになる。言ってることは正しいのかもしれないけど歯切れが悪いというかモヤモヤする。もう少しで良いか相手気持ち尊重する。否定しない受け入れて理解する。その上で自分の考えを相手に伝える。それが正しいコミュニケーションなんではないだろうか。それこそが対話なんだと思う。お互いが気持ちよく会話ができれば自分の周りが変わり始めるそれが連鎖のように皆の意識が変わりやがては世の中が良い方向へと変わるそんな気がする午後23時5分。

anond:20191014130949

日記でも証拠になるという証左

その目的を十二分に果たしている

よくぞ手帳に残し続けたと褒めるべきだろ

治水について

追記

とても勉強になるまとめをみつけたのでお知らせしたい。

岐阜大の先生が今回の災害を振り返っている。

どういうわけかうまくリンクを貼れないが、ここ→ www.green.gifu-u.ac.jp/~bhdlab/?p=1391

以下、増田駄文。大変不勉強で、特定の方々をディスったりして申し訳なかった。こんなものをみる無駄時間節約してほしい。

ーーーーー

台風19号治水の大切さについていろいろと考えさせられた。

実は、恥ずかしながら、治水ことなど今まではっきり考えたことはなかった。

休日で暇だったのが幸いして文献を読みまくることができた。

一部、ツイッターなどでは事実上運転を開始した八ッ場ダムが2日間で満水にしたこと

利根川洪水を防いだのではないか話題になっている。

何が税金の無駄だ…台風19号 「八ッ場ダム」賞賛の声が相次いでいる – ジャストニュース

ガンダムになぞらえるなど、まるでヒーローのような扱いだ。へー、ダムってすごいんだな、と思った。

それに対して、冷静な反論も多く見られた。いわれてみれば、

利根川水系の治水対策は、八ッ場ダムけが頼みの綱だったわけではないし、むしろ未完成現在では既存利根川流域の治水計画範囲外のはずだ。

台風接近中、いろいろ文献を読んでみた。日本治水というのは、思ったより興味深いものだった。

数々のツイッターが注意しているように、今回の台風19号八ッ場ダム治水効果技術的な検証を待ってから、というのはその通りだと思う。満水したからといって大騒ぎするのは早計。

一見すると冷静っぽいけど、乱暴反論もあった。

Spica on Twitter: "そもそも論として、八ッ場ダムは利根川水系全体のダム貯水量の何%を占めるのか、八ッ場ダムの貯水量を利根川の流域面積で割るといくつになのか(=防いだ水面上昇量)、という定量的な視点なしに「八ッ場ダムが利根川を救った!」という単純な物語に収束していくのが危険で滑稽 https://t.co/IGUM0RUJCc"

とかね。

百歩譲って、流域全体に均一に雨が降るという前提なら成り立つんかね??定量的って、、、、全く。

そのなかでも、ちょっと気になったのは、以前より長い間、八ッ場ダム反対運動をしてきていると思しき人たちのツイッターブログの書きぶり。

あしたの会とかそんなやつ。以下、「彼ら」。

ひとことでいうと、彼ら、存在しない夢の総合治水像ですべての物事を語っている印象だ。しか上記ツイッターと同レベル科学を装っているから始末にわるい。

具体的にもっと違和感を覚えたのは、堤防管理では越水耐性を強化すべきとしている点。

堤防で水際の越水対策をきちんとやっていればダムなど必要ないというわけだ。

一方、国交省は、堤防の耐越水技術確立されていないとして、導入にすら消極的だ。

それに対して、彼らは、いやそれはダム偏重治水だケシカラン!安価で確実なものができるはずだ!ダム派の陰謀だ!と主張。

おおむね、こんな感じ。

応答する論理がぶっ飛んでしまって、彼らは自分だけ左翼っぽい政治闘争のレールに勝手に乗っかってしゃべっていて、

話がかみ合わなくなっている印象だ。

ダム反対派ってこういう感じなのか、、と実感した。今後はそっ閉じかな、と。

少し時間をさかのぼって、昨日の未明のことを話す。読売新聞が、「利根川決壊の恐れ」とのニュース報道した。

国土交通省関東地方整備局によると、埼玉県久喜市栗橋利根川で氾濫危険水位を超え、13日午前3時以降、同県加須市利根川渡良瀬川の合流点で越水し、堤防決壊する恐れもあるという。このため、両市は防災行政無線などで近隣住民避難を呼びかけている。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20191013-OYT1T50008/?fbclid=IwAR3Qx2agzmJXMNhcbSqHfv0ikhreIMAzdALb9YHpsKiUg-hJL24qPzcWqgM

すでに、昨日の時点で、いろいろ文献をあさってて、関東平野治水ちょっとは詳しくなった気になっていたころだった。

決壊すれば、近隣住民避難どころの話ではなく、下流域の春日部市から江戸川区に至るまで広範囲に水没し、カスリーン台風の二の舞になる恐れがある、ということがとっさに分かった。

水位情報確認すると、確かに栗橋観測地点において、氾濫危険水位を超えてじわじわ水位上昇中だった。堤頂から2mくらい下まで水位が来ており、台風強風によるうねり考慮すると、越水が気が気でない状況。

そこで同地点の洪水対策をググってみたら、彼らのウェブサイトがヒットした。

NHKが報道した利根川の決壊を想定した浸水のシミュレーション | 八ッ場(やんば)あしたの会

彼らは、2017年当時、NHK報道した利根川決壊を想定した浸水シミュレーション批判し、次のように主張する。

今回のシミュレーションは、利根川栗橋付近埼玉県久喜市)の決壊で溢れた洪水が、中川農業用水の排水河川)を通して東京都内まで短時間で到達するとしたものです。利根川の氾濫洪水が流下するバイパス中川がなることはあり得ることだとは思いますが、そもそも利根川栗橋付近堤防決壊する危険性がどの程度あるかが問題です。

 栗橋付近から上流の利根川中流右岸および江戸川上流部右岸では、土地を買収して堤防の裾を大きく拡げる首都圏氾濫区域堤防強化対策事業国交省関東地方整備局によって進められています

へー、そうなんだ!やるじゃん、国交省!と安心したのが、彼らの主張を見た最初だった。

ところが、このページの締めくくりに書いてあった文章違和感を覚えた。次のように彼らは締めている。

この事業は浸透に対する堤防安全性を確保することを目的とし、国交省は超過洪水対策ではないとしていますが、これだけの堤防強化が行われれば、決壊する危険性がほとんどなくなることは明らかです。その点で、今回のシミュレーションは前提が現実と遊離した仮想計算といえます

 NHK報道は、利根川栗橋付近で行われてきた首都圏氾濫区域堤防強化対策事業堤防の現況などには触れませんでした。洪水への備えは必要ですが、利根川決壊の恐怖を必要以上に強調する報道は、果たして防災の役に立つのでしょうか。

まず第一に引っ掛かったのは、国交省が同地点で実施した堤防強化事業を"超過洪水対策”ではない、としている点。

超過洪水対策?なんのことを指しているのかわからなかったので、検索してみたら、例の耐越水堤防をめぐるダム反対派と国交省のやり取りがヒットしたというわけだ。

次に疑問を持ったのは、

「これだけの堤防強化が行われれば、決壊する危険性がほとんどなくなることは明らか」

結論づけていることだ。国交省が超過洪水対策じゃないっていってるじゃん??根拠がわからない。

しかも、この記事を読んだのは、国交省がまさに台風19号により栗橋付近での決壊の恐れを警告したニュースをみているときだ。

まり、彼らは国交省堤防強化事業について、越水対策下駄勝手に履かせて、その効果を信じているが、国交省は昨日時点で、すでに堤防強化された箇所において、なおも越水危険を警告した、という構図。

現実と遊離しているのは一体どちらなのか??

さらに、たった今気が付いたのだけど、

http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/tonejo00552.html

によれば、栗橋付近工事、まだ終わってないか、ほぼ終わったばかりじゃねーか!

2017年に終わってるとか嘘じゃねーか、騙されたぜ。

もうひとつ違和感が残った彼らの主張に、カスリーン台風評価がある。

カスリーン台風襲来時、たまたま運よく吾妻川流域の降雨が少なかったというのが俺の理解だ。

それに対して彼らは、国交省カスリーン台風同程度の台風が来たら被害が大きくなるというが、それは妄想だ、カスリーン台風時でも吾妻川流域は持ちこたえたんだよ、と主張。おおまかにいうと。

これもさっきのツイッターと似て、彼らのお花畑では、流域全体に常に均一に雨が降ってんだろう。

https://yamba-net.org/37932/

これ、朝日新聞朝日新聞で悪い。かみ合うはずがない。

それにしても、彼らは、なぜ、それほどまでに堤防事業を全力で信頼しているのか。その答えは、彼らの思い描く理想総合治水像にあった。詳細は彼らのサイト

大まかにいうと、ダムに過度に依存せず河川改修やソフト対策を中心とした総合治水モデル。へー、脱ダムの主張ってこんな感じなんだと感心。

かに、流域によっては、河川改修の方が費用は少ないという試算を出せる場合もあるだろう。雨水対策や遊水地効果を狙って水を河道から逃がす発想も大切だ。

従来の治水思想は、「貯めて、流す」という言葉表現されるように、「水を河道に封じ込めて人間流量コントロールする」というもの

近年は、彼らになびいたわけではないだろうけれど、ダムを大きな治水の柱としつつも、特に首都圏では雨水対策はかなり充実してきているように思える。

しかし、問題は、近年の気象現象の変化によって増大する大規模水害。この発想でどこまでいけるのか?

一体、どこまでのハザードを国や広域自治体(県)が想定すべきかどうかにも関わってくる。

財政的な現実性を踏まえれば、100年確率検討するよりも、50年、30年確率検討したほうが安価だ。

人命を守ることを優先し、床上浸水は阻むが、場合によっては、床下浸水我慢してもらうといった発想だ。

例えば、2010年に当時の橋下大阪府知事が決定した槙尾川ダム建設中止はそうした費用効果分析に基づいている。

流域を個別にみていけば、最適解はそれぞれ異なるだろう。

比較的規模の小さな流域では、高いコストダムを作って「貯める」中心の治水を行うよりも、むしろ頻度の高い少々の洪水には我慢してもらう、という発想はありうるかもしれない。

なんでもかんでも山河コンクリートで固める時代は確かに終わったと思う。

からこそ土砂災害防止法2001年制定され、避難などのソフト対策へのシフトも謳われた(土砂災害ちょっとジャンルだが)。

しかし、政治的意思決定は、自治体財政的なインセンティブに左右されてしま可能性もあるかもしれない、というのが当時の橋下府政に関する文献をみた印象だった。

そうすると、広域自治体によっては、経済的安価なよりコンパクト治水事業が知らず知らずに選択されかねない。

住民の目からすれば「ちょっと床下浸水くらい我慢してね、あとは自助だよ、自助、逃げろ走れ、だよ」と広域自治体から言われ、

基礎自治体からは、市町村合併して公務員縮小してるところなんで、避難体制整備まで人回せません。。みたいな、ね。

正直、日本中山間地域含む地方は、そんな風に途上国化してもやむを得ない状況だと思っている。

しかし、首都圏洪水から守るという発想は正直、次元が違うというのが、ここ二日間、暇に任せて学んだ印象だ。

総合治水の在り方は、守るべき価値の大きさとのバランスだと思う。栗橋付近決壊で、東京ダウンタウン住民数百万人に、一斉に逃げろ、みたいな構図は、正直ありえない、あってはならない。

国のシナリオでは100兆円34兆円(*訂正)をこえる被害想定も算出されている。

百歩譲って、首都圏を守るための治水事業においても、脱ダムして、河川改修を中心とした対策シフトすべきだ、としても

彼らのように、現実にありもしない堤防越水対策などを謳って独自の想定シナリオ提案し、脱ダム必要性を訴えるのは、行政サイドからは話がズレているとしか思われず、空回りするだけだろうと思われた。

河川改修の重要性、これに異論があるわけではない。例えば新潟三条流れる五十嵐川とか、拡幅工事がなかったら終わってたわけだし。だけどダム否定する論理にはならない。

しかし、議論するなら説得力は相当に必要だ。相手にされなかったときに、やっぱりダム利権が絡んでいるからだ!と政治闘争路線に走るのも彼らのお決まりコースなのが残念なところ。

ドラえもんの道具を謳いたいなら、それは科学論文証明してもらわないと。

科学技術的な論文勝負してもらいたい話を政治の話にすり替えるのは卑怯だし、見苦しい。

そんなことを思いながら、貴重な休日が終盤に差し掛かりつつある。。

+++++

追記その1訂正

首都圏大規模水害の被害想定は34兆円が正解。土木学会が取りまとめた高潮被害混同してました。。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%83%BD%E5%9C%8F%E6%B0%BE%E6%BF%AB%E5%8C%BA%E5%9F%9F%E5%A0%A4%E9%98%B2%E5%BC%B7%E5%8C%96%E5%AF%BE%E7%AD%96

http://committees.jsce.or.jp/chair/system/files/%E4%BB%98%E9%8C%B23_%E6%B2%B3%E5%B7%9D%E5%88%86%E7%A7%91%E4%BC%9A%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8.pdf

追記その2

長くなりすぎるので割愛したけど、調べている途中で見つけた新潟県及び三条市の過去15年年にわたる五十嵐川治水の取り組み、見附市刈谷田川田んぼダムソフトハード絶妙な組み合わせ。素晴らしいものがあると思った。

市町村合併云々のくだりは倉敷市真備町の事例を参考にした。雨水対策は、中堅都市では岡崎市住民参加型の取り組みも興味深く拝見した。

本来このような話を本文で書くべきだったのかもしれないがあしからず

追記その3

「彼ら」含めた原告団最高裁まで争って敗訴決定したのは2015年こと。住民の疑問点は一顧だにされなかったと憤慨されている記事もある。しかし、そのあとにも引き続き、いろいろと従前の主張を繰り返しご発言なさってるという状況は留意しておいてもいいことだと思ってる。治水の話かと思いきや、左翼レッテル張りの記事に見える(個人の感想です - fn7のコメント / はてなブックマークに対するコメントとして。→ええ、そうだよ、思いっきりディスってるよ。

負けたなら黙れっていってるわけじゃないが、高裁判決に対してろくに反論もしてない時点で、キャッチボールになってないんだよ。そういうもの無視して同じ主張を繰り返すくらいなら、主戦場を変えたら?って思う。

2019-10-13

anond:20191013054302

毒親とまとも親の違いは紙一重というか、

ほとんどの親は、「子供自己肯定感の育て方」を学ばずに子育てを行っている。

その結果、子供の為に一生懸命試行錯誤して子育てしてるのに、子供自己肯定感の育成に成功する親と失敗する親がでてくる。

どちらの親も、親として一般的に果たすべき義務は頑張って果たしてることが多い。

親と性格が合わないと思ったら、別れて暮らすのが一番いい。

2019-10-11

anond:20191011224428

現実の不美人果たしてリンゴちゃんや顔から手が出とる子ほどの可愛さですら持っとんやろか

それぞれ違う

・付き合いたい相手

デートしたい相手

・ヤりたい相手

・連れて歩きたい相手

結婚したい相手

それぞれ違うタイプだ。

もちろんそんな簡単に選び分けられる立場にはないわけだが。

ただこの「事実」を認めたがらない人ってのは、果たして本当にそんな一途…というか各タイプが一貫しているのだろうか。

表面的にはともかく、深層の部分でどう考えているのか興味深い。

2019-10-10

Wikipedia翻訳は推奨されるべきであるか否か

Wikipediaを読んでると圧倒的に他言語版に劣る分野というのが見えてくる。基本的IT経済用語など、英語版にかなうことはないし、他言語版が勝ってる分野はいくつもある。Wikipediaは他言語版の翻訳簡単にできるようにツールが用意されている。それはそれで便利なのだが、果たしてウィキペディアンがわざわざ翻訳する必要があるのかと疑問も湧いてしまう。今のWikipediaには他言語版が簡単に見られるようにリンクが用意されている。試しに開いたWikipediaの項目のページで左の「他言語版」の欄のどれかをクリックタップしてみればいい。日本語版より詳しく記述されてるページが見つかるかもしれない。見つけたらブラウザ自動翻訳機能を使えば、だいたいの意味合いは分かる。そんな時代にあって、わざわざウィキペディアン翻訳する必要があるのかという話だ。翻訳する暇があったら別の日本特有の項目を調べて加筆したほうがマシではないか翻訳して日本語版を充実させるべきか、翻訳なんてほっといて日本独自Wikipediaを充実させるべきか、何とも悩ましい

2019-10-09

実際どうすればいいんだろう

平日は仕事するだけ

休日は家にいるだけ

たまに出かけても目的だけ果たしてすぐ帰る

食事に行くような友達はなし

「清潔にしてれば恋人なんてすぐできるよ」って言ってる層とは根本的に生き方が違うんだと思う

anond:20191009140153

「女が機能果たして無い、女がもっと子供を生むべき」みたいな理屈個人努力には含まれないんですねー?

個人努力を期待するのが間違いなの。

そうではなく、仕組みで対応すべきことでしょ、これは。

子無し税その他、出産をしないと生きていけない社会をつくることで、確実な出生数が期待できるようになる。

anond:20191009135756

長々書いて、個人的意見として首をくくって死んでもらいたいだなんて、長文でお怒りですねー。

「女が機能果たして無い、女がもっと子供を生むべき」みたいな理屈個人努力には含まれないんですねー?

女が機能を果たすために、男も機能を果たさないとって話ですよねー、このくらいの話でも難しいですかねー?

anond:20191009135235

誰でもそうだよ。チンコの数の不足は問題視されていない。

少子化の原因は「産む機械」がその機能果たしていないからだもん。

anond:20191009135102

どこで勉強すれば、少子化解決した先進国出会ますか?

先進国はどこも一人一人が責任果たしていか少子化になったんですか?

だとしたらそれはシステム問題じゃないんですか?

anond:20191009133450

大義」なんて大層なことおっしゃりますがね、「大義」を語るには義務をこなしてることが最低条件ですよ。

自分義務果たしているかどうかの言及から逃げ続けるのに、大義を語るなんてのは、甚だおかしいですよ。

2019-10-08

囲碁将棋コンピューターの夢

こんな夢を見た。

ある日、囲碁トップ棋士コンピューターが対局する。

棋士の先手。棋士は盤面の右上隅に石を打つ。定石通りのスタートだ。

それに対し、コンピューターは小考し盤面の反対側に「銀」を置く。

ざわめく検討室、しかし誰も止めることはできない。

周囲の誰もが対局を止めないのを知った棋士は諦めたような手付きで、

あるいは挑むような手付きで、盤面の反対側に「銀」を打つ。

この瞬間からこのゲームは「銀を使っていい囲碁」になった。

しか解説羽生は(なぜ囲碁解説羽生なのか)残念そうに声を上げる。

「あー、これぇは悪手ぅの可能性ぇー、が、あり、ます。例えば、ここに角を打つような手があって(と大盤の中央に打つ)

これが(棋士が打った石と銀との)両取りになってしまます

まぁ飛車とかで受けて(と石と銀の間に飛車を打つ)簡単ではないんですが、

これはすでにコンピューターの技が決まっている可能性がありますねぇ。ええ」

果たしてコンピューターの次の手は両取りの角打ち。

そうなのだ。このゲームは「銀を使っていい囲碁」ではなく「将棋の駒を使っていい囲碁」だったのだ。

そのことに棋士らは気づいておらず、羽生コンピューターけがそれを知っていたのである

 

という夢を見たのだが、もしかしたら初めて強いコンピューターと対局した棋士たちもこんな気持ちだったのではないか

夢の通り俺は将棋党なので将棋の話をするが、コンピューター以前の人間同士では矢倉91手組(91手目まで定跡化されている)のように、指し手のルールがある程度決まっていた。

そこにコンピューターが現れ、それまで存在したあらゆる戦法を根こそぎにし、新たな戦法を創造していった。

それは、それまでのルール将棋を極めた人たちにとっては「囲碁で銀を打っていいと思ったらさらに他の駒もありだった」に匹敵するものだったのではないかと思うのである

からこそ「コンピューター将棋将棋とは別のゲーム」(byハッシー)というような発言も出てきてしまったのではないかと思える。

しかし、いま俺が(願わくば読者も)思っているように、その「別のゲームはいかに面白そうで、結果を見てみたいという欲を喚起する。

それが前のゲームよりも面白いかはわからないが、とにかくある程度は面白そうに見える。

この面白さは果たしてルールがある」ことによるものなのか、それとも「ルールが無い」ところにあるものなのか、

から覚めた今でもわからずにいる。多分両方なのだろう。

この「ルールに従ってルールを書き換える」楽しみ、とでもいうものはきっとプロ棋士だけのものじゃなく、

日常の例えばくだらない会話などにもにも溢れているのだと思う。

俺はそれを探していきたい。

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