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はてなキーワード: 果たしてとは

2018-07-20

デレステの ダメなところを 列挙する

以下では、デレステ欠点問題点を項目別に列挙していく。

誰もが思っていることから重箱の隅をつつくようなことまで言及する。

(長いですが、目を通していただければ嬉しく思います。)

アイドル

イラストの手抜き

典型例が結城晴のSSR特訓後であり、SRよりもチープな絵柄で話題になった。

また、Spring Screaming龍崎薫は特訓前後で同じ表情・ポーズとなっている。違うのはアングルだけだ。

その他にも手抜きと言われるイラストはある。これらに共通する傾向として「目を閉じている」イラストがやたら多いことだ。

同じイラストレーターによるものだろうか……。


衣装の手抜き

2018年初頭辺りから「手抜き」と言われるようになっている。

質感が薄っぺらく、小物が少ないなど作り込みの甘いものが多い。

また、作り込み自体はされているものでも、デザインの点で不満が各所から噴出するなどセンスの低迷も見られる。

特に同じ衣装色違いであるニューウェーブの3人や佐久間まゆ道化衣装などは非難が多い。


だが、手抜きとはいえ新衣装を作っているだけでもまだマシだったのだ……。

五十嵐響子の恒常二周目を見たとき、私は人的リソースの不足を確信した。


③一部アイドルの口調の変化

及川雫、依田芳乃などは良かれ悪かれ喋り方が途中から変化した。

これ自体に関してはファンの間でも賛否があるので一概に悪いとは言えない。

だが、ホーム画面に当該アイドルを配置した時に現れる問題がある。

それは、旧ボイスと新ボイスの混在による違和感である

同僚やプレゼントボックス言及する際は最初期のボイスであるのに対し、カード固有のボイスは最新のものであるためだ。

演技を変えるのならば、既存ボイスの差し替えをするべきであっただろう。


④人気に応じない出番の偏重

主人公であるNGの三人や高垣楓のような人気キャラクターであれば出番が偏るのは仕方がないとも思える。

だが、総選挙で圏外常連にも関わらず、声が付き多く出番が与えられているアイドルがいる。

声優所属事務所の都合もあるだろうが、ここはコンテンツの根幹に関わる部分なので、ユーザーに目を向けてほしい。

なぜなら183人という多すぎるほどのアイドルこそが本作のアイデンティティであり、

自分の好きなアイドルが出番を獲得するための総選挙こそが最大の目玉イベントからである

ユーザーが思っているより遥かにビジネスライクに事が運んでいるのが実情だろうが、私はここを蔑ろしたことが衰退の一因だと考える。

ライブ

選択ユニット3Dで踊るメンバーを別々に設定できない

ライブを行う上では、ファン数を稼ぎたいアイドルスコアの出るアイドルで編成したユニットを出撃させることになる。

したがって、楽曲オリジナルメンバーで観たければMVで、ということになる。

「別々に設定できたらいいのに……」という声はよく目にする。


楽曲ライブ編曲が雑

イントロ部の省略、盛り上がる部分の省略、原曲から歌唱パート変更などが極めて稚拙判断で行われており、楽曲の良さを失わせている。

尺を合わせるにしてももっとやりようはあるだろう。


譜面が「やりづらい」

難易度問題ではない。人間が遊ぶことを考慮していない譜面配置となっている。TulipSPのMASTER、秘密のトワレのTRICK典型である

ただでさえ多様な端末に対応することが求められている中で、判定抜けが多発するフリックスライドを多用すること自体愚策

シングルノーツだけでも高難易度製作は充分可能である


MVが手抜き

舞台ステージであることに加え、振り付けが地味であるため見栄えしないMVが増えてきた。

特に期待されていた満開スマイルでは2Dリッチもなく、多くのユーザー失望を買ったのは記憶に新しい。


そもそも良くない曲が結構ある

これに関しては私の主観になるが、個人的イマイチな曲がある。Frostとか。

バンドリのように有名曲カバー実装すれば盛り上がると思う。

コミュ

立ち絵が古い

コミュ使用されているアイドルイラストはいわゆる初期絵であり、垢抜けないものが多く見られる。

デレマス自体2011年から開始しているコンテンツであり、古さを感じるのは当然といったところ。

ジャンルパイを奪い合う他のアイドルゲームでは、3DモデルLive2Dによる活き活きとしたアイドルの描画が没入感の創出に寄与している。

そんな中で未だに紙芝居をやっているだけでも見劣りするのだから、せめて立ち絵くらいは刷新すべきだろう。

……というか、せっかく魅力的な3Dモデルがあるのだから、これをコミュに活かしてはどうだろうか。


キャラクター設定の矛盾

Spring Screamingイベントコミュ喜多見柚の学年問題話題になった。共演した本田未央とは誕生日が1日違いで同じ15歳の設定なのに学年が違う。

また、デレぽにおいても設定と矛盾した呟きが見られる。例としては的場梨沙がパパの話をしていることなど。

これは本当にまずい。なぜなら、デレマス世界ユーザーにとってディズニーランドと同じ「夢の世界である

本当にそのキャラクター意志をもって行動し生きていると信じているユーザーにとって、設定の矛盾現実に引き戻す解呪となる。

要するに魔法が解けるのだ。


シナリオ稚拙

これに関しては説明不要だろう。

デレステライター無能である

UI

①画面下アイコンの「NEW」が新着通知の意義を果たしていない

ライブでは全楽曲の全難易度クリアしないとNEWが消えない仕様の為、ほとんどのユーザーは一度もNEWが消えたことがないだろう。

営業に至っては数日毎に項目が更新されるため、NEWを消すことがほぼ不可能仕様になっている。

したがって、常にNEWが出ているため新着に気づくことができないのである

例えるなら、受信箱に未開封のメールが山積している状態デレステメールでいうところの「開封済みにする」コマンドを設置するべきであろう。


アイドルギフトを贈るためにはルームに配置しなければならない

ガシャやイベントで新しいアイドルを獲得したら、まず餌を与えて特訓し、コミュを見て(スキップして)石を回収する…。これが皆のルーチンであると思う。

だが、いちいちアイドルルームに配置するのは面倒臭いアイドル一覧画面あるいはプレゼントボックスからダイレクトギフトを贈れるようにして頂きたい。


スクロール位置の保持機能が無い

例えばイベントコミュの第1話を見た後に選択画面に戻ると、スクロール位置最上部に戻されている。そのため、また下までスクロールしなければならない。

こういったUIの基礎的な部分すらおざなりになっている。


ミッション達成状況のバーが意味を成していない

たとえばPRPが1600を超えると「PRP1700を達成しよう」というミッションが発動する。

この時、達成状況を視覚化するバーは1600/1700、つまり9割以上溜まった状態で表示されている。

これでは視覚化が意味を成してない。この場合、1600をゼロとして表示するべきである

デレぽ

「とってつけた感が否めない機能だが、あっても毒にはならないか…」そう思っていたユーザーは多いだろう。

しかしいわゆる杏bot事件で、運営構成力のなさが明るみになった。

「満開スマイルメンバーの振る舞いがイジメを思わせる」「冴島清美が気の毒だ」などと各所で話題になった。

この事件最大の問題は、運営双葉杏というキャラクターの行動原理失念したことにあると思う。

サボるためにbotを用いて周囲に真面目アピールをする、ここまではいい。しかbotであることがバレた以上、杏がこれを続ける理由はどこにもない。

しかし杏botは続いている。これを俗にキャラ崩壊と呼ぶ。

イベント

グルーヴパレードが面倒くさい。

特にグルーヴは4曲連続でのプレイを強いられるので、十数分ほど集中しなければならない。

これはソシャゲユーザーにとっては大きな負担となる。

そもそも音ゲー自体ソシャゲ性質と噛み合わない部分が大きいためだ。理由は以下の通り。


1.音声を聴くのがほぼ必須である為、電車等ではイヤホン着用の必要がある
2.正確なプレイングの為には、安定した場所に端末を置く必要がある
3.プレイを開始したら2分強は目を離すことができない


ゲーム性の高さが魅力の音ゲーではあるが、連続プレイングを強いる設計ユーザー負担感が大きい。

営業の追加で多少は緩和されたが、面白さの創出にはつながっていない。

その他

楽曲クリア回数の不算入

例えばMASTER楽曲を100回クリアすると、スタージュエルが250個貰える。

しかし、これはライブ画面からクリアに限られており、グルーヴパレードライブパーティクリアした分については算入されない。

相当にやり込んだ人であっても、クリア回数がほとんどの曲でB〜Cなのはこのためである

これはフルコンボについても同様で、「初めてフルコンできた!」と思ってもフルコンボ楽曲数にカウントされず歯ぎしりしたユーザーは多い。


楽曲の発売が遅い

デレステ実装からCD発売までに一年以上かかっている。これはデレステ側の問題ではおそらくない。


③思い出の鍵が足りない

初期の段階からプレイを開始したユーザー以外はイベントコミュ解放に思い出の鍵を必要とするが、これがなかなか手に入らない。

二周年あたりから開始したユーザーほとんどのコミュを見れていないだろう。バランス調整が必要と考える。

結論…全部がダメ

長々と提示してきた上記デレステ問題点は、結局のところ人的リソースの不足に原因が集約しているように感じられる。

イラストしろ衣装しろ、提出されたもの社員が精査して作り直しを命じ再提出させる…といったブラッシュアップの過程が欠如しているとしか思えない。

担当者が2人いれば気づけるような些細なミスすら山積する現状を見るに、私たちユーザーが思っているより遥かに少数の人員現場が動いているのかもしれない。

にもかかわらず、デレぽのような継続的負担のあるサービスを開始するのだから理解に苦しむところ。

ともあれ、運営千川ちひろを盾にしてコソコソ隠れていないで、そろそろ責任者が表に出て説明をするべきだろう。

ここまで駄文を読んでくれてありがとう

2018-07-19

俺は、ミリオンライブというコンテンツが生まれたその瞬間から、心底怖くて、妬ましくて、羨ましくて、本当に嫌いだ。

正当な後継として生まれた時から、親からの多大なる寵愛を受け続けてきた。声優も曲も引き継げる遺産環境も全て親が一々準備してくれているのを見せられてきた。

こっちは、親が大きな金になると判断してくれた時になって、ようやく声優も曲も出番も用意してくれるようになった。どれだけ羨ましかたか

総選挙ガチャ必死になって金を落としては、期待を裏切られてまた金を落とす人々が終わりのない滑車を回し続けて何とかして手に入れてきたものを、ポンポン手に入れていく様をただただ横で見るしかなかった。

滑車を回し続けた金銭の見返りをよりまともに得られるようになったのはたったのここ2,3年なぐらいだ。

まれた時から集金装置しかないコンテンツなのだから基本的に何事も集金、集金、次に集金。多少ポカしても親が許してくれるわけじゃない。妾の子なのだから

ミリオンライブは育った、サイゲームスも相当程度には成長した。

共同制作し続けるメリットは日に日に薄まり続けている。権利を握っているのは、親のバンダイナムコだ。

アイマス未来じゃないコンテンツ未来果たしてどこにあるのだろうか。

フェミダブルスタンダートで良い

最初に書いておく、俺は40代おっさんである

よく、世のフェミニスト

女性特別大事に扱え」と言いたいのか

男女平等しろ」と言いたいのか、どっちかはっきりしろと叩かれる

が、今日なんとなく

べつにダブルスタンダートで良いのではないか、と思った

まり、どー考えても女性は不利で男性が優位な場合

女性特別大事に扱うべきだが

男女で条件が同じ場では平等にするべきだろうと

たとえば、男女で重い荷物を持つときは男が持った方がええわな

一方、純然たる内勤デスクワークでの基本給は男女同じであるきじゃろう

今日くそ暑い図書館クーラーがきいてて良かった

だが、冬はどうか?

先のようなダブルスタンダートは、言ってみれば

夏はクーラーをつける、冬はストーブをつける、みたいな情況別使い分けだ

一年ストーブを焚いてないのは自己矛盾だ」

と言うのが果たして正当な批判たり得るだろうか

あるいは

痩せすぎで不健康な人には「もっと食え」と言い

太りすぎで不健康な人には「もっと食事制限しろ」と言うようなもの

これも自己矛盾ダブルスタンダートとは言わんよな

俺は独身だが、休日とかショッピングセンターとかの家族連れ客で

亭主が重い荷物持って、嫁はんが子供をだっこしてるのを見ると

「うむ、こうでなくてはな」などと(偉そうに)思う

男の側も、力仕事を引き受けるときなどは

男女平等ではないことを示しているのだから

男性感謝しろ尊敬しろ」と言って良いと思う

まり、女の側のダブルスダートも男の側のダブルスタンダート

両方認めて良いのではないか

……あれ? そんなつもりはなかったのに、オチ男女平等論になっちまった

大昔の売春婦呼称を知ってることが果たして教養かね

どうせ「子どもにゆなって付ける馬鹿がいた」ってのを別な誰かから聞いて知ったんじゃないの?

性格の悪いのが代々言い伝えてきてるんじゃないか

anond:20180719165114

あはははははははははははは

金投げつければ義務果たしてると考えるクズ野郎社会的非難されず、堂々支持されてるところを心に留めておけ。

anond:20180719140838

こういうたとえ話をするだけで

「産めや機械が。義務果たせ」って産め増田が沸くからすごいよな。

自分義務果たしてないくせに、よく言うわ。

anond:20180719162222

社会への責任は、徴税している国が負うべき。

企業法人税社会保険料の負担という形で社会への責任果たしているし、そもそも企業責任株主に対して負うもの

株主に対して誠実にあるためには使えない人を高額で雇うわけにはいかない。

anond:20180719161108

いやー、「産まない自由」とか寝言いうテロ女のせいでしょ

別に、「家にこもってろ」とか「学はいらない」とかそういうことを言うつもりはないが、

それも「産み、育てる」という最低限の義務果たしてこそでしょ

その義務すら果たさずに、権利ばっかり主張するから糞なんだよ

2018-07-18

だってから上方志向だよ

男は下方婚志向で、女は上方志向だとよく言われているけど、果たして本当なのかな?

女は男に対して経済力甲斐性という自分には無いものを求める。

しかし、男だって女に対して容姿若さを求めているし、その点については女をシビアに選んでいる。

男の経済力と女の容姿若さ釣り合わないと結婚は成立しない。

年増のブスは経済力を身につけることによって、初めて男と対等になれる。

[]コトノハ〇×の「複垢連投オヤジ」の理論支離滅裂な件に関して

コトノハ〇×(http://kotonoha.cc/)において、現在問題となっている大量の複垢を用いて大量連投を行うユーザー(以下:複垢連投オヤジ)と闘って感じた支離滅裂理論に関して言及していく。複垢連投オヤジに関してはanond:20180217203415記事を見てもらえれば詳しく分かるはずである

私は、このコトノハ〇×において、複垢連投オヤジから最も個人攻撃を受けてきた被害者のひとりである
迷惑なことに、複垢連投オヤジ自分理論は押し通すのに他人理論には常に批判しかしない。
ここで、私に対しての批判暴言に対して言及していくことにする。

ボランティア

私はボランティア趣味ひとつとして挙げているが、これに対する複垢連投オヤジ一方的批判暴言に関してである

複垢連投オヤジは私の行ってきたボランティア活動に対し、「公民館レベルボランティアで良い気になっている奴」というような内容の投稿を行ってきた。
最近平成30年7月豪雨(西日本豪雨)が起こったこともあり、その水害ボランティアに言っていないのに、ボランティア趣味と言っている、要するにやるやる詐欺ではということでそのような旨のコトが相次いで投稿されるようになったが、勿論それに賛同する〇側に回答するのは複垢連投オヤジアカウントだけである
更にはとある俳優がこの豪雨被災地でのボランティアに参加し、Twitterで称賛されたとの内容のコトも投稿された。
複垢連投オヤジは全くボランティアをするということは無く、以前は自信がやっている献血が凄いと投稿し、私のボランティア活動馬鹿にするようなコトも投稿してきた。
ここで考えてみる。

自然災害復興支援けがボランティアなのか?

そうではなく、実際は様々なボランティアがあり、私が行ってきた地域清掃や地域お祭りブース出展するボランティア伝統的なお祭りボランティア以外にも、子どもと遊ぶボランティア老人ホームボランティアなどもある。
しかし、復興支援タイムリーものであり、ニュースで取り上げられることが非常に多いため、ボランティアに関心が無い人でも情報として入って来やすいため、これだけがボランティアだと思っている人も少なからず居るようである

ボランティアは何のためにやるのか?

次は、複垢連投オヤジが今回の豪雨被災地に住んでいるであろうユーザー名を出し、コトノハフレンズ(複垢連投オヤジ運営を名乗る時に使うキーワードひとつ)が対策委員会を立ち上げて全力支援するというようなコトを投稿し、そのコトのコメントでその活動の一環で私(この記事の筆者)を派遣するという内容を投稿したことに関して言及する。
まず、その名指しされたユーザーもこのコトの内容に対して全否定しているため、コトの内容は捏造で出鱈目である
ボランティアは、基本的に謝礼金は出ず、個人意思で行う慈善事業奉仕活動である
見返りを求めるというものではなく、徴兵のように本人の意思に反して無理矢理派遣するという性質のものでもない。
それなのに勝手上記の内容を投稿しているので、もう滅茶苦茶であり、複垢連投オヤジボランティアとは何かを理解していないのも同然である
そこまで水害ボランティア重要性を感じるならば、人に押し付けず黙って自分が行けば良いのではと思う。
見返りを求めないので、前述したTwitterでの称賛や表彰は求めていないので、これを過度に推すのも正直どうかと思う。

東日本大震災復興支援ボランティアに行けなかったことに対して。

複垢連投オヤジは、最近私が東日本大震災復興支援ボランティアに行けなかったことに対して言い訳だということを投稿したが、非常に腹立たしいことである
私は学部時代理系というのもあり、通学時間が長いことと授業で忙しいこととで中々バイトに就けず金欠復興支援を含むお金が掛かるボランティアに行けず諦めてきたのである
そんな中、唯一行けた復興支援ボランティアが4年生後期の熊本地震復興支援ボランティアであり、東日本大震災被災地となった各県(福島県宮城県岩手県)は一人旅で訪れたという事実がある。
しかし、これを言い訳と言われても困る。
人には人の事情時間があるということを全く考慮しておらず、一方的批判するために繋ぎ合わせただけの支離滅裂理論のものである

ホモショタ

私が男性ながらあんさんぶるスターズ!(以下あんスタ)をプレイしており、その中で可愛い系のキャラ推していることに対し、複垢連投オヤジが「ホモショタ」と決めつけていることに対する言及である

まず、考えて欲しいが、男性あんスタをプレイすることがそこまで不自然で可笑しいことなのだろうか?
私はあんスタをプレイすることに踏み切れたのはあんスタをプレイしている男性ニコ生主やYouTuberきっかである
また、ゲーム内の公式掲示板Twitterでもあんスタの男性プレイヤーは見掛ける。
それらも不自然と言えるのだろうか?

あんスタに限らず、男性男性アイドルゲーム男性キャラ中心の育成ゲームプレイすることを批判する人に言いたいことがある。

女性ラブライバーも居ますよね?」

「なぜ女性ラブライバー批判しないのに、あんスタの男性P(男子転校生)は批判するのですか?」

「それなら女性ラブライバーが居るのも可笑しいですよね?」

ラブライバーラブライブ!シリーズ好きな人のこと。

これに対して誰もが納得できる回答が出来るだろうか?
出来ないだろう。

女性ラブライバーは多いのに、男性あんスタプレイヤーは少ない、また批判されることもある、これは正直可笑しい話であるので、これを書かせて頂く。
もし、男性あんスタプレイヤーがホモであるなら、女性ラブライバーホモということになってしまう。

私にとって、あんスタの男性プレイヤーをすぐにホモだと決めつける人は短絡的で世界が狭い、頭が固い人だという評価を下さざるを得ない。

年上だから敬語を使うべき

複垢連投オヤジは37歳、私は26歳であり、私が複垢連投オヤジ等と言った軽蔑した発言をすることに対し、複垢連投オヤジが年上なのだから敬語使えと言ってきたことに対する言及である

まず、年上ならば必ず目上なのだろうか?
それは間違っており、上司が年下、部下が年上ということはよくあり、私は浪人してた時期もあったことにより、私が4年生の頃の研究室大学院生は私より年下であった。
このように、年齢は必ずしも位に一致しない。

コトノハ一般ユーザー間においてこのような位は存在しないため、本人の人間性評価による部分が非常に大きいと言えるが、複垢連投オヤジは私を含む他のユーザーにとって信頼される存在だっただろうか?
くそうではなく、大量のアカウントを用いて尋常ではない量の連投を行う、更にはそれを批判してきたユーザーアイコンを盗用し、小学生レベル低俗落書きを加えたアカウント作成して使用するなど、多くのユーザーにとって極まりなく不快存在であった。
それ故、コトノハでは「複垢連投オヤジ」や「連投バカ」、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)のコトノハスレ界隈では「漫湖」等と言った蔑称で呼ばれるようになり、多くのユーザーに嫌われてきた。
私や一部のユーザーに関しては趣味価値観を全て否定されて嫌がらせを受けてきた。

果たしてそんなユーザー尊敬し、敬いたいと思うようなユーザー存在するだろうか?
全く居ないはずである
複垢連投オヤジはそんなユーザーであるので、幾ら年上でも軽蔑すべき要素しかない。
年相応に扱ってほしければ年相応の態度で居て欲しいものである

2018-07-17

マインドコントロール”は果たして特別か?

マインドコントロール”という単語が出てきて、かつそれが特別・非日常的なものであるかのように描かれる時、いつも疑問を持つ。マインドコントロールは、至って日常的なものなのではないかと。

皆がどんな種類であれマインドコントロールを受けていて、そこに善悪はなく、あるのは社会に即しているか否かなのではないかと。なぜなら誰しもが特定価値観に縋り、価値観とはどんなものであれ虚構であるからだ。

デレぽの杏bot記事について

これを書いたきっか

anond:20180717001642 を読んだのですが、丁寧な口調の割にいまいち的を外した意見かなと思ったので、あのデレぽに問題があると思った側から意見も書いておこうと思います

botの何が問題だったか について

まず、問題は「bot正当性」では全くありません。

卯月発言を満開メンバーが次々に肯定し、多対一の構図になっている上に、清美へのフォローが無い

そもそもの発端である杏ではなく、清美反省して終わる

この2点が問題であり、デレぽを見た人の多くが「何となく怖い」「清美がかわいそう」という感想を抱く原因になっています

botの一件を問題だと思う人に気をつけてほしいこと について

先の記事には

まず、多数を持って1人に圧力をかけているような構図に見えることを問題視しながら、「皆でこの件を問い詰めよう」と拡散を呼びかけている人がいます

その構図こそ、この件を問題視した人がけしからんと言っている行動に近いのではないでしょうか。

から、人のふり見て我がふり直せ、と言います

SNSにおける数の力による圧力を醜いと思うのなら、自分SNSを使った数の力で圧力をかけるのではなく、個々で意見を送ればそれで良いと思います

問題に感じた人が多ければ、自然とその意見は力を持つはずです。

という記述があります

①「多数をもって1人に圧力をかけること」と「同じ印象を抱いている人に呼びかけてゲーム運営に問い合わせすること」を

混同してしまっている

②「問い合わせを送ろう」という呼びかけを「皆でこの件を問い詰めよう」という表現に改変している

という2点が自分としては引っかかりました。

なぜ1人の個人圧力をかけることとゲーム運営意見を送ろうと呼びかけることを同一視されなければいけないのでしょうか。

この2つは全く違う構図であると感じます

また

「この件を問題に感じない人は、他者が傷つく気持ちに鈍感である」という中傷を行なっている人がいることです。

ですが、果たして、本当に他者が傷つく気持ちに敏感であれば、相手意見も聞かずに一方的に「こういう人は鈍感だ」と非難するでしょうか。

人の気持ちを語るのであれば、本当に自分相手気持ちを考えることができているか、気をつけたほうが良いかと思います

1人でも多くの人にこの件を問題視して欲しいのであれば、このような人格攻撃はかえって逆効果となります

という記述がありますが、これは「否定派→肯定派に対する人格攻撃しか行われていない」という誤解を与える表現だと思います

ツイッター検索すれば

あのデレぽで何か不快感を感じるってことはそいつがそういう陰険なことを思い浮かぶカスしかないってことだと僕は思うんだけどなぁ

デレぽは陰キャが騒いどるだけやん、あんなのでいじめだのなんだの言ってたらキリねぇわ

デレぽ炎上してたみたいだけど俺からしたらどうみても解釈する側が悪いしそんな細かいことでグチグチ言ってんだったらさっさとP辞めちまえって感じだ😅

botの件で「いじめのように見えて胸糞悪い、ライター正気を疑う」とか評してる人達

何気ない女子の会話を「女子同士のいじめ」という解釈をする、発想の飛躍が可能な柔軟な脳をお持ちのようで。

僕にもその脳分けてくださいよ〜

など「肯定派→否定派」の人格攻撃も多く行われています。あのデレぽを見て不快な、もしくは悲しい気持ちになった清美Pや、満開スマイル組のPには

こういった人格攻撃をされるような謂れは全くありません。

最後

「デレぽを見て悲しく思った」だけでこういった人格攻撃に晒される、アイマスコンテンツ特有の「否定的な意見を許さない」空気は多くの人を傷つけていると思います

先の記事は丁寧な意見ではありましたが、微妙論点をずらしたり、また「否定的な意見を言う人」のネガティブな側面を大きく取り上げたりしていてることには注意する必要があると思います

コンテンツ肯定的に捉えることは全く悪いことではありませんが、不満に思った点、悲しく思った点があったならそれを口に出したり、運営に問い合わせたりしていかないと、同じ失敗が繰り返されてしまうと思います。悪いことは悪いと言える空気が、アイマス界隈にも流れるようになることを望んでいます

デレぽの杏botについて感じたこ

これを書いたきっか

デレステ内のコンテンツであるデレぽで、杏botとそれに対する冴島清美、および他のアイドルの反応について、問題があると感じている人もおられるようです。

ただ、この件、問題があると思った人は強く主張するが、問題があると思わなかった人は特に言及しないため、後に「すべてのユーザー問題を感じていた」というイメージけが残る可能性があります

そこで、問題があると思わなかった私から見て、あのやり取りをどのように解釈していたか、というのを書こうと思いました。

この解釈他人押し付ける気は毛頭ありません。

botの件に問題があると思っている人は、これを読んでも意見を変えることは無いでしょう。

あくまで、「こう考えた人もいた」という程度の駄文と思ってください。

botの何が問題だったか

これは明言されていませんが、杏botbotであることを隠さず再開できていることから、デレぽには「bot禁止」というルール存在しない、と考えるのが自然です。

そのため、杏bot問題点は、「botを使っていた」ことではなく、「自身の手による投稿であるかのように周囲に誤解させていた」という点になります

この問題点に対して、最終的な「botであることを明示する」というのは、妥当な落とし所だと思われます

それに対して、「botを即時停止させる」という冴島清美の行動は、行き過ぎがあったと思われます

では、この行き過ぎた行為は、冴島清美というアイドルの株を下げるための表現でしょうか。私はそうは思いません。

bot停止から見る冴島清美の魅力

私は、botを即時停止させたという冴島清美の行動は「張り切りすぎたがゆえの勇み足」だと感じました。

彼女がデレぽのマナーに関して張り切っていることは、4/27の以下の投稿から窺い知れます

ネットマナーを守るのも風紀委員の務め。皆さんの投稿は私が責任をもって監視させて頂きます

このように、マナールールを大切にしたいという思いが強すぎ、時にそれが勇み足や空回りに繋がるというのは、この冴島清美アイドルの魅力ではないかと、私は思います

(もちろん、私が冴島清美について正しく理解できていない可能性も高いので、担当Pから「そんなことはない、誤解している」という批判があれば甘んじて受け入れます)

ただ、こうした空回りは、必ずしも悪いものではなく、それが魅力となることは十分にあると思います

隙あらば担当について語ってしまますが、私の担当する今井加奈というアイドルも、「張り切りすぎて空回りする姿」を見せることがあり、それもまた1つの魅力だと思っています

次に問題となるのは、botの即時停止が冴島清美勇み足だったとして、双葉杏がなぜそれを受け入れたか、という点です。

これは、単に双葉杏が「正当性を争うよりbotを止めた方が面倒ではない」と考えた、ということだと思います

これもまた、双葉杏というアイドルの特徴をよく捉えている部分だと思います

こうして、張り切りすぎた冴島清美と、面倒くさがった双葉杏という2人の特徴を踏まえて、杏bot停止という1つの結果に繋がります

ただし、このままでは冴島清美は「勇み足をしただけ」になってしまます

そこで、この先の杏bot再稼働に繋がります

この部分は、蛇足だと感じる人もいるようですが、私はこの再稼働こそが今回の勇み足フォローし、冴島清美のもう1つの魅力を表現する部分だと思っています

bot再稼働から見る冴島清美の魅力

bot再稼働後、冴島清美反省していることについて、「なぜ反省する必要があるのか」という意見を見ました。

ですが、「bot禁止ではない」という前提をもって、冴島清美投稿の以下の部分をよく読んでみましょう。

私の一存で停止してしまたことは反省しています…。

「私の一存で」という部分は、非常に重要です。

この時点で冴島清美は、本来自分bot停止を強制する権限がなかったという点に気づいており、そのことを反省していると捉えられます

このことは、先述した冴島清美の「張り切りすぎて勇み足をする」という魅力に加えて、「勇み足に気づくことができる」という点、そして何よりも、その2つを総合した魅力としての「生真面目さ」が表現されていると思います

双葉杏側にも「bot投稿自身の手による投稿であるかのように周囲に誤解させていた」という非があったにも関わらず、あまり反省していない双葉杏と深く反省している冴島清美の対比には、やはりこの2人の性格の違いがよく現れており、この一件の特徴的な締めくくりとなっています

他のアイドルから言及について

ここが、おそらく今回もっと賛否両論な部分だと思います

ただし、先述したように、争うことを面倒くさがっている双葉杏bot再稼働に向けて動かせるためには、「杏に有利な状況」が作られないと、話が進まないという問題があります

ここでbotを止めたままにしてしまうと、冴島清美勇み足フォローを行うことができません。

(デレぽをbot禁止という設定にしてしまうと、今後他のbotを生み出す余地がなくなる、という事情もあるかもしれません)

そこで、杏に有利な状況を作る「他のアイドル」が割り込む必要があったのだと思います

そのためのメンバーに深い意味を持たせる意味はなかったと思うので、最近イベントで杏と一緒に組んだメンバーが選ばれたのではないでしょうか。

(以下2018/07/17 20:00に追記)

この部分のやり取りが陰湿に思われることが今回の問題本質であり、ここへの言及が少ないことへの批判複数の方からいただきました。

この点への言及が少ない理由は、まず1つには、私はこのbotを巡る一件でデレぽ内で表現たかったメインの部分は先に述べた部分にあり、この部分は本質ではない、と考えているためです。

もう1つの理由は、私はこの部分のやり取りが陰湿だと感じなかったためです。

前段に書いたように、この記事は私がどう解釈たか、ということを書いたものであり、今回の問題への解答をしようだとか、他の人にこう解釈すべきと押し付けものではありません。

まず、そのことを前提としてご理解ください。

ですが、この部分への言及必要だという意見をいただいたため、私が陰湿だとは考えなかった理由について、述べさせていただきます

くどいようですが、あくまで他の人にこの解釈に従って欲しいというものではありません。

まず、この件では、全員が一方的に冴島清美を責めてはいません。

しろ、直接的には誰も冴島清美の行いを責め立てる発言を行なっていません。

さらに、小日向美穂投稿では、

清美ちゃんの言うことも分かるから…難しいね

と、冴島清美の主張が肯定されています

次に、私が注目しているのは、佐久間まゆ発言です。

正しく楽しく使えば、清美ちゃんもきっと許してくれますよ。

この「正しく楽しく」という言葉が、私は最初に引っかかりました。

まり普段は口にしない組み合わせの言葉だと思います

この「正しく」というのは、冴島清美キャッチフレーズである、「清く正しく」に繋がっているのではないでしょうか。

続く「楽しく」は、それへの対比として、双葉杏を表している言葉だと考えられます

ここで、「正しく楽しく」という表現をあえて用いることで、冴島清美双葉杏の2人の落とし所として、その次の2人の相談に繋げていると思えます

冴島清美も、本来はデレぽの利用を締め上げたいのではなく、悪用を防ぎたいという考えで行動しています

そのため、佐久間まゆの発した「正しく楽しく」は、彼女にとっても自分意思を曲げずに受け入れることのできる考え方です。

私はこのように、

の流れと、直接冴島清美非難しないことにより、書き手配慮としては、一方的に追い詰める形にならないようにする意図があった、と思っています

問題があったとすれば、この描写中途半端であり、中途半端配慮したことで返って裏の意図を感じて「陰湿」に思う人がいたということかもしれません。

ですが、私はここで4者の発言に裏の意図などはなく、小日向美穂本心から冴島清美事情肯定していると解釈しました。

顔ぶれを見ても、思ったことを隠して遠回しな発言をするようなメンバーではないと思います

botの一件を問題だと思う人に気をつけてほしいこと

ここまで、私がこの件をどう感じたかを書きました。

このように、冴島清美というアイドルの魅力を感じることができたため、私はこの件が問題だとは感じませんでした。

ですが、この件の表現問題がある、という受け取り方を否定するつもりはありません。

表現の受け取り方は人それぞれだと思います

ですが、2つだけ、気をつけてほしいことがあります

まず、多数を持って1人に圧力をかけているような構図に見えることを問題視しながら、「皆でこの件を問い詰めよう」と拡散を呼びかけている人がいます

その構図こそ、この件を問題視した人がけしからんと言っている行動に近いのではないでしょうか。

から、人のふり見て我がふり直せ、と言います

SNSにおける数の力による圧力を醜いと思うのなら、自分SNSを使った数の力で圧力をかけるのではなく、個々で意見を送ればそれで良いと思います

問題に感じた人が多ければ、自然とその意見は力を持つはずです。

もう1つは、「この件を問題に感じない人は、他者が傷つく気持ちに鈍感である」という中傷を行なっている人がいることです。

ですが、果たして、本当に他者が傷つく気持ちに敏感であれば、相手意見も聞かずに一方的に「こういう人は鈍感だ」と非難するでしょうか。

人の気持ちを語るのであれば、本当に自分相手気持ちを考えることができているか、気をつけたほうが良いかと思います

1人でも多くの人にこの件を問題視して欲しいのであれば、このような人格攻撃はかえって逆効果となります

追記(2018/07/17 12:00)

複数の方から、先にこの件を問題視していない人から問題視している人への「陰キャ」などの中傷があった、という指摘をいただきました。

私のTLではこの意見を見ておらず、この経緯を把握していませんでした。

この点は、記事を書く前に経緯を調べ切れていなかった私の落ち度です。

これに関する言及がないことについて、不快に思われた方には申し訳ありません。

このような中傷は、決して許されるものではありません。

記事内で何度も言及しているように、私は「問題だと感じることも、一つの捉え方」だと考え、そこに優劣は無いと考えています

この記事も、優劣をつけるために書いたものではなく、私の解釈が優れていると主張するつもりもありません。

はじめに書いているように、「こう考える人もいる」ということの主張です。

そのため、問題視した人を下に見て人格攻撃するということは、私が記事で書いた考え方とは完全に対立する考え方です。

自分問題だと考えなかったからといって、この件を問題視した人を中傷するということは、あってはならない行為です。

(上記で私が行なっている批判矛盾している、と感じるかもしれませんが、私が批判しているのはこの件を問題視することではなく、それを主張するための一部の行動です)

問題視している人は、こうした中傷を受けて、腹が立ち、「相手の主張になど耳を貸すものか」と頑なになったことでしょう。

これは当然の反応だと思います

ここでもまた、人のふり見て我がふり直せという言葉価値を持ちます

この件を問題視している人も、自分の主張を伝える際に、そこに中傷を混ぜてしまうと、相手は「そんな主張になど耳を貸すものか」と頑なになってしまます

私が気をつけてほしいと思っているのは、まさにこうした点になります

また、この記事自体他者への批判になっており、以下の点が自己矛盾しているのではないか、という批判もいただいています

人の気持ちを語るのであれば、本当に自分相手気持ちを考えることができているか、気をつけたほうが良いかと思います

開き直るつもりはありませんが、これはまったくご指摘の通りで、私もこうしたこと実践できている訳ではありません。

これはとても難しく、だからこそ、常に気をつけなければならないことだと思っています

この部分の文章は、自戒も込めて書かせていただきました。

最後

今回の件で、単に騒動に乗っかって楽しんでいるだけ、という人もいないわけではないと思います

そういう人に対して私から言うことは何もありません。

以上、駄文でお目汚しいたしました。

健康的な1日8時間睡眠生活感覚

青年自然の家行ったことある

すれ違う人とは挨拶を交わし、布団の上げ下げ、掃除食事の用意など、とても折り目正しい生活体験できる。

当然睡眠も8時間だっけか、ちゃんとしたものだったと思う。

そこでだ。思い出して欲しい。そこでの一日の活動内容は「やや物足りない」ものではなかっただろうか。

おそらく、炊事洗濯床の組手をやり、かつ、8時間睡眠を取ろうと思えば、残りの時間で出来ることなんてそんなに多くない。

しかしだ。おそらくそれこそが健康的な生活なのだろうと思うわけだ。現代人は一日中なにかとやりすぎる。ちょっと物足りないくらいにしないと脳機能健康的に維持なんて出来やしない。

社会人または経営者の皆さん、今一度、こういう施設にみんなで入って仕事してみようぜ。あんたらの言う「残業なしで効率よく仕事する」ことで果たしてどれだけの量の仕事可能なのか、よーく見て見るがいいさ。

2018-07-16

湯シャンを初めて1週間が経った

30歳を過ぎて数年。段々と毛量が減ってきており、「なんか頭頂部がハゲてきているような気がする」

と去年夏に嫁から言われ、私は泣く泣くスカルプDを買った。

それから1年経ったが特に変わりはなく(育毛剤ではないので当たり前だが)、値段も値段なのでこのまま

使い続けるかどうか迷っている時に湯シャン存在を知る。

まだ初めて1週間だが、予想していた痒みは全くなかった。髪のベタつきも想像以下で、

特に不快感は無い。

果たして薄毛に効果があるのか?ないのか?

効果が無くともスカルプDを買わなくていいのは経済的に助かる。

でも5分位シャワー流しっぱなしで逃避を洗うから、どっこいどっこいかもしれない。

50歳強制安楽死制度日本を救う

現在日本が抱える様々な問題は、国民を50歳で強制的安楽死させることでその多くが解決されることに気づいた。

50歳強制安楽死制度下での日本国民の一生は大体以下のようになる。

0~5歳

まだ若い両親の寵愛を受けて育つ。

後述の通り両親はまだ学生であるため時間も体力もあり、全面的な愛を受けて育てられる。

6~12

小学生

現行の小学校とほぼ同様だが、来るべき中学生時代に備え恋愛セックスに関する踏み込んだ性教育実施する。

13~15歳

中学生

男女ともに中学校にて婚約相手を見つけて婚約第一子をもうける。

妊娠中は女子生徒は学校に通えなくなるので、e-larningや家庭教師などで国が全面的学習サポートする。

子育てはまだ若い双方の祖父母のサポートの元で行う。

16~18歳

高校生

それぞれ配偶者と2~3人目の子をもうける。

学習に伴うサポート体制中学時代と同様。

19~22歳

大学生

子供かわいい盛り。

大学生活を謳歌しつつ子供と遊び成長を楽しむ。

学生であるため長時間残業子供と接する時間が取れないなどということもない。

23~39歳

社会人(あるいは大学院生)。

社会人時点で子供小学生。両親は40歳弱。

後述するが両親はすでに退職間近であるため、子供の面倒を全面的委託することができる。

子供の面倒に気を奪われることなく、全身全霊を仕事に注ぎ込むことができる。

1日最低15時間、週休1日前後で猛烈に働く。

40~49歳

退職

40歳以上の人間仕事パフォーマンスが下がるため社会には不要。早々にリタイアする。

40歳とまだ若いため、十分に余生を楽しむことができる。

孫(概ね10前後)とも仕事を気にすることなく存分に触れ合うことができる。

社会人時代は身を粉にして働いたため、遊びに使う貯金も十分にある。

第二の青春と言って良いだろう。

50歳

安楽死

病気に苦しむことなく楽に逝くことができる。

仕事に遊びに子育てに、充実した人生であった・・・

これによって何が解決するのか

純粋恋愛結婚回復

初恋をしたのは中学生の頃だった」という人も多いのではないだろうか。

この制度下では中学生時代結婚するため、現在のような30歳を過ぎて男女ともに打算で行う醜悪結婚とは異なり、若い純粋な恋情をそのまま婚姻という形で実らせることができる。

高齢童貞処女問題の解消

今日恋愛自由主義化はますます加速している。それに伴い男女ともに恋愛結婚から取り残される人間が多く出現するようになった。特に男性高齢童貞社会に対して抱いている怨念は凄まじく、その存在自体が人々や社会迷惑を与え、中には直接人々に危害を加える人間まで出現する有様である

この制度下ではかつて共同体企業果たしていた「お見合い」の機能中学校代替する。これにより恋愛セックス結婚から漏れ落ちる人間がいなくなり、それは即ち高齢童貞消滅意味し、治安においても精神衛生の面においてもこの国が安定することに繋がる。

万全なる労働力の確保

40歳以上になると体力も低下し思考も硬直化するため、労働力としての価値は低下する。

この制度下では40歳退職となるため、20~30歳の働き盛りを労働力の中心に据えることができる。

完全なる女性社会進出の実現

女性生物学宿命により、妊娠出産のために最低でも1年近くは前線から離れることとなってしまう。一方グローバル社会での企業間の競争は日に日に激しくなり、どの企業産休・育休による社員前線から離脱容認できる体力がなくなっている。女性社会進出の意義を企業理解していても、どうしてもこの事情があるために女性社員雇用や重役に任命することに二の足を踏んでしまうのだ。

この制度下では新卒入社時点ですでに女性は2~3人の出産を終えており、また祖父母による育児サポートを得ることができるため、産休・育休による戦線離脱がない。これにより企業安心して第一線の企業戦士として女性雇用することができる。

グローバル社会での競争に勝つための競争力を得ることができる

24時間働けますか」とはバブル時代象徴する栄養剤のCMキャッチコピーであるが、この言葉通り資源のない日本は粉骨砕身の労働によって世界トップ経済大国に躍り出た。企業間の競争苛烈さは日を追うごとに増すばかりだが、それに反するように労働者の育児に関する休職・早退の問題も増してきている。この制度下では前述の通り現役労働世代育児問題に悩まされることはない。気を惑わされることな自分の取り組むべき仕事100%のエネルギーを注ぎ込むことができる。これにより日本競争力は高まりグローバル経済戦争覇者となるだろう。

ネグレクトから解放

両親が仕事忙殺されるがためにネグレクトとは行かないまでも十分に愛情を受けることができない子供も多くいる。特に専業主婦が少なくなり母親フルタイムで働くことが多くなった今日においてはどうしても子供が両親と触れ合う時間が少なくなってしまう。

この制度下では0~7歳くらいまでは両親に、1020歳くらいまではリタイアした祖父母と触れ合うことができるため、多くの愛情を受けて成長することができる。

少子化問題の解消

この制度化では中学高校時代になるべく多く子を産むことが奨励される。

まだ学生身分であるから仕事を気にすることな産休・育休を取得することができる(休暇中の学習は前述の通りe-larningや家庭教師サポート)。

また、すでにリタイヤ済みの若い祖父母に全面的育児サポートを受けることができる(両親は仕事に集中しているためまだ孫の養育には参加できない)。

社会としても少子化が解消されるし、仕事に熱中するあまり出産適齢期を逃して涙を流す人も減るだろう。

不妊問題の減少

卵子精子も加齢によって痛み、男女ともに年を取るごとに妊娠能力が低下する。

この制度下では生物学的な妊娠適齢期である中~高校生の間に妊娠出産を済ませるため、不妊問題は大きく減少するだろう。

高齢化の解消

50歳で安楽死するからこれは自明

リタイア後の人生の充実

現在日本社会では60歳定年制度すらも無くなり、65歳あるいは70歳までも働かせようとする動きがある。

70歳でリタイアしたとして、その老体でどのような第二の人生を楽しむのか?

この制度下では40歳という若い年齢でリタイアするため、旅行スポーツを存分に楽しむことができる。

10年という余生は短く感じられるかもしれないが、まだ若い中年時代10年の密度は後期高齢期間の数十年に匹敵するだろう。

破綻した年金制度廃止

50歳で安楽死するため退職~死までの期間は10しかなく、現役時代苛烈労働によって十分な貯蓄を行うことができるため、年金制度廃止することができる。

苦しい死の可能性の軽減

日本人の死因の1位はガンである

ガンの終末は苦しい。

ガンに限らず年を重ねるごとに重い病気によって死ぬ確率高まる

そうなる前の50歳という比較若い時点で安楽死することにより、苦しみの果てに臨終するという悲劇可能な限り避けることができる。

anond:20180716091734

自分たち社会的弱者だと思っているから、女が男を性的に消費するのは許されるという「甘え」そのものだと思う。

そんな態度で、果たして男と対等になれるものなのだろうか。

2018-07-15

パラレルワールドがあると前提するだろ?

パラレルワールドが無数に存在すればタイムトラベルして歴史改変したところでほとんど意味ないっていうか

歴史改変するくらいなら希望世界転移すればいいわけ

えーっと、世界イメージとしてはこれ!

 

はじまり

1,2

1,2,3,4

1,2,3,4,5,6…∞

1,2,3,4,5,6…∞

1,2,3,4,5,6…∞←NOW

1,2,3,4,5,6…∞

1,2

おわり

 

左と右の分かれ道で俺は右を選んだとする。

でも平行世界が無数に存在していても

俺という意識は右と左の選択の選んだ後の方しか認識できないわけだ。

隣の世界では左を選んだ俺がいるのに、今は右を選んだ俺が俺なのだ

左俺と右俺の違いは実感として右俺の意識は右俺としてしか自認できないってことだ。

左俺は左俺として意識をもって実感してるが、右俺は右俺としてしか意識を持てない。

まり意識無限に分割され続けてるってことだ。

結果として分割され続けた末の意識が一本筋になってるだけで

実際は認識できないが無限自分意識が複製されて割り当てられてるってことになる。

ということは俺は左と右を選択したように思えて、実際はどちらも選択してなかったことになる。

なぜなら分かれ道に差し掛かった時点で、既に左俺と右俺に分岐されるだけであり、

また、選ばなかったなら選ばない俺も複製され、

3人の俺に「俺は選択した」という結果と意識トッピングしただけになる。

俺は本当に自分意志選択しているんだろうか?

 

ここまできて無限の平行宇宙があるという前提を蹴れば、

俺のたどる未来は不確かで自由意志選択権があるという尊厳を取り戻せる。

しか無限の平行宇宙があり、起きうる分岐すべてに対応した宇宙存在し、

から宇宙が成長し、太陽系ができて、地球ができて、生命ができて、人間ができて、俺がいるというおよそ0というしかない奇跡が起きている、

という話に納得感が出てくる。

無限回のサイコロを振っているのだから、どれだけ確率が低くても1回は当たるわけだ。

しかし、それだと起きうるあらゆる現象に対して世界存在しているということは、

別にその世界でなくったっていいわけだ。

世界のものに唯一性がなくなり、とりわけて素晴らしいものでもなく、

単に用意された無限のレールを走る無限トロッコにのった無限自分が「俺は実感として俺である」というマインドコントロールを受けているに過ぎない。

もし平行宇宙を見れるようになれば、横には「俺は左の道を自由意志で選んだんだ!」と叫ぶ自分がいる。

果たしてそれは自分意志選択していると言えるのだろうか?

2018-07-13

anond:20180713003124

進路決まってるなら、学生ときの金などはした金。

存分に使い果たして好きなこと、やりたいことをやろう。



いや、働きだしてからでも本人の意思時間はいくらでも捻出できるんだけど。

そこで何をすべきかっていうのは、

意外と学生時に体験した好き勝手に左右されたりするんですよ。

2018-07-11

リベラルは「寛容」という標語を取り下げるのが正しい

まりにも寛容すぎるとミソジニーな人とか人種差別的な人も枠の中に入れてしまうということになってしまう。

そのせいで寛容寛容言いまくる人はダブルスタンダード状態に陥ってるように見えてしまう。


リベラル的な「男女平等人種差別がなく経済格差も限りなく薄い世界にしたい」

矛盾なく掲げたいのであれば「寛容」という言葉を使うことをやめるのが正解なんだ。


まりセンセーショナルゴシップ的で扇動的言葉遣いをやめねばならない。

それが果たして彼らにできるだろうか。

2018-07-09

キッチンにて

私はペペロンチーノを作るのが好きだ。

オリーブ油ニンニクを泳がせると、浜辺で見た波に漂うクラゲを思い出す。穏便にただ波に揺られているだけの。

キッチンニンニク香りが揺らぎ始める。初めは一筋だった臭気は次第に部屋中に広がり、彼が喜ぶ。焦げないうちにニンニクフライパンから引け上げて、火を止めてトウガラシパセリを余熱に馴染ませる。

波打ち際にクラゲが取り残されていた。クラゲの打ちひしがれた姿は、まだ生きていたいんだという意志がうかがえて、少し哀れに思えた。打ちひしがれたクラゲに触れてみた。ゼリーよりも少し弾力のある初めて感じる感触は、何か硬いものにぶつけてみたいと私に思わせた。

茹で汁をおたまですくってフライパンに加える。フライパンを何度も揺すり、水と油を混じり合わせる。本来混じり合わないが、パスタから出るでんぷん質が乳化剤の役割果たしているとテレビで観た気がする。

私はクラゲコンクリート塀に投げつけてみたが、思うような感覚ではなかった。

フライパンに茹でたパスタを加えて、ソースを絡ませ、皿に盛る。彼はテーブルを片付け始め、グラスを用意する。彼は私が台所に立つ姿を眺めるのが好きみたいだ。

浜辺に鋭く先の尖った流木を見つけて、手に取った。コンクリートの上に転がるクラゲはまだ生きているのかもしれない。そしたら泣いているかもしれないし、命乞いをしているかもしれない。私だったらどうしただろうか。

仕上げに、オリーブ油を滑らせてフライパンの上に残ったものを馴染ませて、パスタの上へ落とす。テーブルの上には私が作ったペペロンチーノと、彼が選んだ辛口白ワインが並ぶ。乾杯、と彼が微笑み、食べ始める。

クラゲに尖った流木が食い込む。クラゲは、硬いコンクリートと先端の鋭い流木に挟まれたが、鶏肉の皮を包丁で上手く切れないみたいにクラゲを突き抜けない。更に強い力で刺して、クラゲコンクリートに擦り付ける。

私は彼が食事する姿を眺めるのが好きだ。ペペロンチーノをすすって白ワインを飲む彼。いつまでもこうして漂っていたいと願った。

2018-07-08

被災者に同情する人たち

同情するのはいいけど、何か役に立つことしている人ってどれくらいの割合でいるのかが気になる。

医療関係者や救助復旧に専門の知識を有するのでなければ、基本的にはお金が最大の同情になるはずだと思う。

果たしてどれだけの人がそれを考えて実践してるかなぁ。

anond:20180707180015

みんなが権利として利用できる義務教育を利用するのと、そっからさらに追加でお金をかけてもらうのは全然意味が違うでしょ。

それと、匿名でこんなこと言ってもしょうがないけど、私は元大学教員で、大学生の尻を叩いて勉強させることで義務果たしていたの。

三島由紀夫金閣寺」について


金閣寺』という小説が何を表しているのか、単刀直入に語るとすればどのような言い方になるだろうか? それについて敢えて率直に語る事はすまい。

 とは言え、勿論その文章の中心的な部分は割に簡単言葉で表す事ができる。つまりは「美しさ」と「地獄」という二語によってである。ただし、これだけだと余りにも簡単説明でき過ぎてしまう。実は、金閣寺はこの二語のみによって説明できる小説なのであるが、それではあまりにもざっくばらんすぎて、説明が詰まらなくなってしまいかねないのだ。その為、少しだけ読者を焦らす事にする。


 金閣寺1956年雑誌新潮』に掲載され、年内に単行本化し15万部のベストセラーとなった――また、現在に至るまで文庫を中心に300万部以上を売り上げる日本の伝統近代文学の内の一つである海外においては複数言語翻訳され、日本文化を緻密に描いた三島由紀夫文章は各地で絶賛を浴びた作品でもある。しかし、無論この小説には難しい部分がたくさんあって、一朝一夕で読み解くにはハードルが高い。

 しかし、繰り返すようにこの小説は二つのポイントをさえ押さえるならば十分に理解することができる。

 つまりは「美しさ」と「地獄である

 この言葉はあまりにもこの小説を語る際に便利過ぎる。

 金閣寺は美しさの象徴であると同時に地獄象徴であった。これが三島由紀夫がこの小説において語ろうとしていた全てである小説金閣寺』は1950年に発生した、青年僧侶による「金閣寺放火事件」を下敷きにしており、三島由紀夫はこの青年僧の犯行根底に「美への反感」があることを読み取った。そして、そのコンセプトを元に書き上げられたのが、当の大作『金閣寺』なのである


「美への反感」。

 つまり、人は美しいものを時に憎むのである。そのような感情一言に言って地獄の現出に他ならない。

 何故ならば、人は美しいものに中々なれないかである

金閣寺放火事件」の主犯となった青年は幼少より吃音の症状を呈しており、恐らくそ吃音症は彼の人生に薄すらとした重たげな影を投げかけていた。

 吃音症は美しいか否か、と語るとするならば、恐らく人は吃音症を称賛するよりも嘲笑するだろう。いや、これもまた偏見なのかもしれないが、少なくとも三島由紀夫はその吃音の症状一つ取るに、青年僧の人生に降りかかる薄すらとした影の姿をまざまざと感知したのであった。そして、青年僧は自身が美という観念からはやや隔たった存在であることを自覚すると共に、美に対する拭い難い憎しみの存在を抱え続けることになるのである。――自身の美への憧れの象徴として、自身父親から長く「美しい」と語られていた金閣寺存在を、憧れと同時に、憎悪対象とし始めるのである。やがて、青年僧は最終的に犯行に及ぶ――金閣寺放火し、その美の象徴たる美しい建造物を、焼き払ってしまうのであった。

 美に対する憧れ、そして憎しみ、そのような薄すらとした影が、青年僧の人生には降り掛かっていた――これが、この金閣寺という小説を書くに至って、著者である三島由紀夫本人が青年僧に対して抱いていたイメージ重要な箇所であるだろう。そして、もはやこれは自明のことであるとは思うのが、その薄すらとした影――つまりは「美への反感、憎しみ」――とでも言うべき影は、三島由紀夫人生のものをも固く包み込んでいたのである

 三島由紀夫本名平岡公威(ひらおかきみたけ)は1925年に父、梓。母、倭文重(しずえ)の元に生を享ける。

 幼い頃は虚弱体質であった三島が、長じてからは肉体強化のトレーニングに励んでいたことは周知の事実であろう。

 三島心中いかに「美」に対する執着と、そして同時に反感とが存在していたか推して知れることである小説仮面の告白』においても語られていた通り、三島由紀夫心中には鬱々たるものがあった。そして同時に、そこには複雑な、文章によって表現することの憚られるような感情が幾つも幾つも存在していた。恐らく、彼はそのような歪な感情存在する理由を、人生において追究していたに違いないと思われる。

 でなければ誰があん小説を書こうとするであろうか?

 ともかく、三島由紀夫はその人生において複雑な美意識を持っていたし、同時に、その美意識に対する反感を抱き、自分自身感情を飼い慣らすことに苦労していた――そこには美に対する憧れと、同時に美に対する反感、そして美を中心とした地獄があった――これはおおよその三島由紀夫研究者が抱いている彼に対するイメージであろうと思う。三島由紀夫は彼の小説において、彼の人生のものを率直に表そうとしていた。彼の人生というものは、恐らくは彼の書いた小説以上にわかやすものだったのかもしれない。


 金閣寺の作中において、柏木という名の登場人物が現れる。この人物は跛足であり、つまりは歩行に困難を抱える身体障害者であった。

 そして、小説金閣寺』においては明確にこの人物が、当小説における極めて重要な部分を語る鍵となっているのである

 作中における柏木キャラクターについてはここでは敢えて詳細に語らないが、しかし彼が主人公青年僧に対して口にしていた、『金閣寺』という小説の根幹を成す極めて重要台詞について語ることにする。それは、以下のような台詞であった。

地獄の特色は、すみずみまで明晰に見えることだ。しかも暗黒の中で!」(文庫金閣寺、p.129)

 柏木というキャラクターはいわば「地獄」に関する伝道者としての役割果たしている。「地獄とは暗闇の中で一切が明晰に見えることである」。この言葉意味曖昧模糊としている。そこには、語るまでもなく明らかな矛盾がある。暗闇の中では一切が曖昧で、決して明晰になど見えはしないのだ。しかし、このような矛盾物語の後半において一挙に解消されることとなる。そう、ここにおいて柏木の語った一節は、当小説重要テーマである金閣寺の「美的側面」、ひいては、金閣寺の「地獄としての側面」に対して、判明な解答を与える重要キーワードであるのだった。


 飛んで、物語の後半。主人公青年僧は、ついにその目的を実行に移そうとしていた。

 彼の中にある美への憧れの根源――金閣寺存在のものを一挙に焼き払おうというのであるしかし、時刻は夜であった。そこは全くの暗闇であり、暗黒であった――。しかしそれでも主人公の目には、暗闇の中にある筈の金閣寺がまざまざと視認され始めるのである

 そう、正に「暗黒の中で」「すみずみまで明晰に」金閣寺が浮かび上がったのだ。

金閣寺は雨夜の闇におぼめいており、その輪郭は定かではなかった。(p.318)

が、私の美の思い出が強まるにつれ、この暗黒は恣まに幻を描くことのできる下地になった。(p.319)

ついには昼とも夜ともつかぬふしぎな時の光りの下に、金閣は徐々にはっきりと目に見えるものになった。これほど完全に細緻な姿で、金閣がその隈々まできらめいて、私の眼前に立ち現れたことはない。(同)

 そう、ここで暗闇の中で明晰に知覚できたのは、美の象徴として語られる金閣寺の姿そのものだったのである

 金閣寺はここにおいて、彼の記憶に根差した「美」の象徴として語られている。そして、同時に、かつて語られた柏木警句が浮かび上がらせるのは、金閣寺の「美」としての側面と同時に立ち上がってくる「地獄」としての側面だったのである


 小説金閣寺』は、青年僧の中に存在する「美」への屈折した感情を描き切った名作であった。そして彼はその「美」をも、「地獄」をもまた共に焼き払ったのであった。

 そこには、純粋な憧れと同時に、地獄としての大きな側面が描かれていたのである

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