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はてなキーワード: 公式とは

2024-07-26

平成二年生まれオタクロマンス観(HL・BLGL)を形作った作品たち

もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分ロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。

HL:anond:20240724184142

BL:anond:20240725222040

GL:これ

GL

ガールズラブと項目を立てておいてなんだけど、実は未だによくわからない概念もしかして期待して読みに来たかもしれない人がいたらゴメンなさい)。とりあえず自分ステートオブジアートとして率直な気持ちを残したいと思う。

BLの方で書いたように、筆者は昔からティーン向けの少女漫画少女小説摂取していたので、(少)女同士の関係性は友情(たまに愛憎)のものとしてプリセットされていた。なので女と女の距離が近くても「ああそういう感情ね」として頭の中の知っている感覚にラベルを振り分けていた。そこに特別名前を付けることはなかった。ただ「友情・親愛」と。

その後、オタクとして成長すると共に、だんだん百合という概念が男オタクの間に伸長してきたが、百合市場が出来上がるのを横目に眺めるだけで、自分自身がどうこうということはなかった。

覚えている限りだと、高校生の時(2006年くらい?)にオタク同級生の間で少女同士の関係性を題材にした漫画だったかラノベが友人の男オタクの間で流行っていたと思う。なんだっけ……4コマ漫画で……メガネ女子の眼の前で授業机の中から大量の煮凝りがぬぽって落ちるシーンだけは覚えているんだけど……。当時は百合という言葉は使っていなかった気がするけど、可愛い女の子同士がいちゃいちゃしているのがいいんだ、みたいなことを言っていた気がする。自分はそれに対して、特に思う感情はなかった。いや、逆に今更?という感情だったかも。なぜならば既にその場所は訪れたことがあったから。

自分が初めて少女同士の恋愛にも似た感情のやりとりを意識したのは、小説だった。図書館で借りてきたとある作家小説で読んだS(エス)といううら若き乙女同士の関係女学校に通う少女同士の疑似恋愛。そこにあったのは上辺は花畑を舞う蝶のように煌めき美しいが、内側に潜ると内蔵のようなヌメついた湿った感情だった。疑似恋愛嫉妬、そして混じる疑似ではない気持ち

そんな作品を読んできていたので、かわいい子とかわいい子がかわいいことをしている、みたいな作品に喜んでいるオタ友がどうにも幼く見えてしかたがなかった。

そうして百合とかGLとはあまり仲良くないまま、女同士の関係友情というフォルダに入れて今の年齢まできたのだけど…………ただ……心の中で唯一引っかかっている、消化できなかった少女同士の関係があった(過去形)。それが恩田陸小説「蛇行する川のほとり」に出てくる若い女子高生二人の関係性だ。

タイトル 蛇行する川のほと
作者 恩田陸


本作は、高校美術部に所属する女子部員たちが、野外音楽堂で行う演劇の背景美術を仕上げるために夏休みに川のほとりにある合宿を行うというシーンから始まる。(一応)主人公の毬子は憧れの美術部の先輩である香澄さんに合宿に誘われ、有頂天彼女主催する合宿に参加する。本来ならば年頃の少女たちの楽しいお泊り会となるはずだったのだが、香澄さんをはじめとする他の参加者は、彼女に何かを企んでいるような、隠しているような態度を取る。次第にただの楽しい合宿ではないことが分かってきたころ、毬子本人が忘れていた幼い頃にあった事件が浮かび上がり彼女過去を照らしてくる。そして過去を失い、少女大人になる。

本作のあとがきで、作者の恩田陸は「私が感じていた『少女たち』を封じ込めたいと想って書いた」と記している。その言葉の通り、本作には様々な「少女」が登場する。まだ大人子供奇跡狭間うつろう毬子、過去を持たない完成された香澄彼女相棒天才肌の絵描き芳野、一足先に大人へと羽化した真魚子。4つの章を通じて彼女たちは多様な顔を見せる。無垢でいながらも自分でも把握していない秘密を握っている毬子、どこまでも独立して半身の芳野にすら内心を明かさな香澄、優れた美術家の観察眼で本質を見抜きながらも最も大切な自分の中の香澄への気持ちに気付いていない芳野、そしてとある事件きっかけでその輪に無理やり入れられた真魚子(まおこ)。章ごとに語り手が代わり、一つの側面の形質は、語り手へと姿を変えてると主観となる。

本作には、登場人物のうちに公式に女女カップルと呼べる組み合わせが存在する。香澄芳野だ。常に二人で行動し、二人で一日を過ごし、どこでも二人の世界を作る。互いに互いを引き立て合うようなお似合いの二人。しかし二人は望んで一緒にいるわけではない。過去を共有してしまって、もはや離れられないのだ。お互いに過去という鎖を結びあってしまったと言っても良い。しかし、少なくとも芳野の方は、共に鎖を結びあった相手香澄で良かったと思っている。

門外漢自分が考えるに、多分世の中のGL?百合?好きは、芳野編を大いに好むと思う。そこで繰り広げられるのは、互いに誰よりも近く、親密で、そしてお互いに内面の99%まで理解しているのに、その残りの1%が、相手への愛が本当にそこにあるのか分からないという愛の物語だ。芳野編の、今まで無意識に避けてきた香澄肖像画を描くことで、自分の中の気持ちを形作るという展開はとても美しいものがあると思う。

ただ、自分はこの二人の関係性は処理出来ていた、と思う。友情、親愛、そして強い愛情と。自分が最も咀嚼できなかったのはもう一つの組み合わせ、毬子と真魚子の方だった。

同級生の中でも子供っぽい毬子と、級友に先駆け一足先に大人になってしまった真魚子。恋愛面でもお子様な毬子と既に大学生恋人がいる真魚子。正反対の二人は対極に位置するからか、親友同士であった。香澄芳野という二人と比べると、一生離れずに共にある彼女たちに対し、高校生の間は親友でも卒業したら普通に進路が離れ疎遠になり、それでもたまに会ってお茶をする、というような関係だろう。仲良しで大好きだけど、互いに混じり合う程に近いわけでもなく、恋人よりも好きというわけでもない。そう、それだけなら十分に理解できたんだ。

物語の後半、とある事情により毬子の代わりに真魚子が合宿に参加することになる。自分が一番よくわからなかったのがそこだった。毬子が事情により参加できなくなるのは分かる、でもあん事態になったとは言え、真魚子が嫌っていた香澄たちのところに単身乗り込むようなことをするのか、と。だって毬子と異なり彼女にはなんにも過去事件因縁が無い。だからいくら毬子に頼まれたからって、わざわざ事態を究明するために乗り込む必要はなく、ほとぼりが冷めるまで、物語が閉じるまで放っておけばいい。しかし、彼女は乗り込んだのだ。

この機序がずっと咀嚼できていなかったのだけど、最近、もしか自分の考えは順序が逆であるかもしれないと気が付いた。頼みを受けて乗り込まねばならないほど、本当は彼女にとって、親友は本当に大切な存在だったのだ、と。誰よりも冷静で頭が切れる真魚子であっても、いや毬子の親友彼女からこそ動かざるを得なかったのだと。その時、すとん、と腑に落ちた音がした気がした。

香澄芳野の唯一無二の分かち難い強固な結びつきとはまた違った、同級生親友というどこにでもある女子高生の毬子と真魚子の結びつきも、それはそれで一つの思春期の素朴な輝かしい感情の頂点なのだと。

百合とかGLとか未だよく分からないけど、自分にとってそれらに一番近い感情は、この二人を想うときかなって思った。

ここ連日さがっていたUBIソフト株価がぐんぐん上がっている。

これは、世間的にはもうアサクリ問題解決したと見られているね。

実際UBIから公式声明あったし、色々とトラブルはあったけど、

過去の諍いは忘れて、みんなで仲良くゲームを楽しみましょうって流れだね。

まさかここに水を挿して争いを起こそうなんてネトウヨは居ないよな?

ここは「楽しく日記」を書くはてなダイアリーだ。

2024-07-25

誰もが撮影者・投稿者になれる時代ライブ体験

スマホライブの様子が誰でも撮影できるようになって久しい。

その始まりがいつだったのか増田にはよくわからないが、少なくともスマホがある程度普及してからで、かつ初めは海外から始まった文化だったと思う。

いつから個人撮影したライブの様子がTwitterに、YouTubeアップロードされるようになって、行ってないライブの様子を見られるようになった。

それはライブ体験をいつでも反芻することができるいい側面もあると思うが、やっぱり悪い側面が目立つよなという気が最近している。

かくいう増田もそのうちの一人であり、撮影可のライブで、好きな曲が演奏された時に、スマホを掲げカメラ演者に向けるときもあった。

ただ最近はめっきりやらない。なぜか。

単純に、何のためにライブに来てるのかが分からなくなったというか、手段目的が逆転しているような気がしてならなくなったのと、演者へのリスペクトが足らないと思うようになったから。

昨日7月24日増田宇多田ヒカルライブに行った。さいたまスーパーアリーナ公演の1日目だ。

さいたまスーパーアリーナの4階席で、肉眼では正直宇多田ヒカル本人のことは米粒程度にしか見えない。けれどもそれでもよかった。

個人的には宇多田ヒカル自体アイドルみたいにビジュアルや踊りが武器ではなく、その力強く伸びのある歌声が最大の持ち味なわけだから

遠く離れていようとも、歌声が届いてくれればいいと思っている。

実際にライブはすごく見ごたえがあり、セットリストの並び順もこれまでの歌手人生を辿るような並びで、音源以上に力のある歌声聴くことができた2時間半だった。

かなりの倍率の抽選で、しかもそれなりのチケット代だったが、むしろお安く感じられるほどに価値のあるライブだったと増田は思っている。

ただ1点、本人もライブの冒頭・曲と曲の合間の小休憩の際に、スマホ撮影に関する話題を何度も取り上げたのが気になった。

撮影するのは大丈夫だけど、高く掲げすぎるなどの周りの迷惑にならないように」 「撮ってる人が多いと、盛り上がってるのか、楽しんでくれているのか(自分バンドメンバーが)不安になる」

内容はおぼろげだが、こういう話を何度かしたのは記憶にある。

さらに言うと、有名な曲の最中の1番のサビ手前か2番のBメロからサビへの移行直前か、これも定かな記憶ではないが、「スマホ置いて楽しもうよ!」といった発言をしたのも覚えている。

こういった話を演者本人の口から直接聞くのは楽しみにしていた自分としてもとてもつらい。況や本人をや。

6年ぶりの大規模なコンサートで、折角来てくれる観客のためにもいいものにしようと、曲順や演出を考えているのに、観客の側がそれでどうすんのよと増田は思うわけです。

つの間にか記録することが手段から目的にすり替わっているようであり、宇多田ヒカルライブ映像をダシにSNSインプ稼ぎ・承認されようとしているんじゃないの?

さっきスタッフTwitter公式からも、とうとうSNS投稿に関する注意の投稿があった。

宇多田ヒカル本人はきっと善意で、スマホでの撮影を可としてくれていると思うが、今回の件もあって、そのうち撮影自体禁止になるんじゃないかと思う。

個人的にはもうどのアーティストライブ撮影全面禁止にしたほうがいいと考えてる。

撮影している本人たちは、撮影しながら楽しめてるって言うんだろうけど、内心「アーティストちゃん画角に収まってるか」「音源演出が漏らさず撮れているか」気になってしょうがないんじゃないかと思う。増田が何度か撮っていたとき自分がそうだった。記録映像として残すのに、観たまま聴いたままがそのままスマホに収まっているかが心のどこかで引っかかっていた。

楽しんでる風を装うことはできると思うけど、ブレた映像とか残したくないから動きも最小限になるだろうし。それって本当に心から楽しめてるんだろうか。

昨日のライブで前の列にいたカップルスマホ撮影なんかしないで頭ブンブン振ってノリノリで楽しんでた。

わかる。頭振って全身で音楽を浴びて心から楽しんでるんだろうなってのが。

宇多田ヒカルにもあの光景を見せたかった。動画なんか撮らないで、あなた楽曲で夢中になって楽しんでる観客の姿を。

東京メトロ定期券うりばを公式HPで探す難易度が高すぎる

定期券売り場のページ→ 「各駅の構内図を見てね!」

https://www.tokyometro.jp/ticket/pass/counter/index.html

大手町駅のページ→ 「凡例確認して自分で探すんやで」

https://www.tokyometro.jp/station/otemachi/index.html

いや無理やろ

ちなみにやたらある「定」のマークはハズレで、そこは自動券売機しかない

ウォーリーをさがせレベル

anond:20240719190952

男性性差別されて、事務職を受けても落とされると聞いたことがある。

公式統計こそないけど、明らかな差があるんだって

女性工学部技術職を受けても落とされるのと似た差別があるらしい。

自界隈のオタクが無理で全て捨てた

スポーツ漫画の某界隈にいた。何も生み出してはない。神絵師と神字書きだと思ってた人間作品を消費して、たまに本を買って、今までもそうだったように一オタクとして過ごしていた。


でも全部捨てた。


絵師に絵だけ描いてろなんて言わない。

字書きに小説だけ書いてろなんて言わない。

こっちは覗き見てるだけ、あくまでそうだから


大型イベントの直後から、明らかに絵の投稿ペースが落ちる人がいた。

オフ会を開いて楽しそうにしていた。


自分で作った二頭身くらいのアクスタ(カップリング)を頒布する人がいた。

「このアクスタ、ぜひ持ち歩いて写真撮ってください!」とフォロワーに呼びかけて、それ専用のハッシュタグまで作った。


界隈で有名で、すごく上手い絵描きがいた。

男子風呂の前で撮った写真燃えてしばらく身を隠し、また復帰した。


界隈で崇められてる字書きがいた。

自分は頭がいい、他の奴とはレベルが違う」みたいな発言をして、すぐにツイ消ししていた。学生の子だった。


pixivログブックマーク数が多くて、元々私の好きだったカプを描いていて、勝手ながら運命を感じた絵師がいた。

実際の選手の絡みをカプに変換した絵を描いていた。


スポーツ界隈だからか、選手をそういう目で見ているようなポストが目につくようになった。自分の思いすごしだったことを願っている。

エロい絵や絵師さんの日常が見られるかもしれないと期待してフォローした鍵垢では、旦那は早く居なくなれという発言しか見られなかった。

自分時代遅れなんだろう。

今の界隈というものについていくには、こういうものを受け入れなくてはならないのかもしれない。

私は二次創作グッズ、特にカップリング要素のあるものは持ち出さないことを己に課していたし、表垢でナマモノと取られるような発言なんて絶対にしないし、万が一のことを考えて選手公式アカウントは表垢では全てブロックしていた。

から見れば気にしすぎなんだと思う。

自分のやってることは何にもならないんだろう。

疲れてしまった。

最後に、ものすごく個人的愚痴を吐く。

匿名ツールで送られた悪意に対して、「こういうのはやめてください」「何を言ってるんですか」「匿名で何を言われても怖くない」っていう人がいる。

フォロワーも「匿名悪口言うとか最低」ってその人を持ち上げる。

もちろん許せないことだと思う。悪意を持って送られたメッセージなんて気にする事は微塵もない。

でも、何というのだろうか。それは批判誹謗中傷ではなく指摘なのでは?みたいなメッセージに対しても「匿名悪口を~」みたいなキレ方をするのはおかしいのではないだろうか。

特定の誰というわけではないが、そういうものを何件か見て思った。

おかしいのは私なのだろうか。少数派が私なのではあれば、それはおかしいのだろう。


今日、整理が終わった空っぽ本棚を見て、思ったこと。

追記

はてブロ書くの初めてなので改行とか上手くいってない場所があってすみません

anond:20240725101044

ケリー公式って言うのがあって、勝つ確率オッズがわかってる問題ならそれを当てはめれば最高効率資産を増やす賭け方はわかるよ。

2024-07-24

例の謝罪文

読みにくかったので意訳した

公式マークついててインプレ稼げてウハウハだと思うので原文気になる人は魚拓でどうぞ。

https://gyo.tc/1cr1o

ーーー


■お騒がせている件について■

「かかげの添削配信」を見てくださってる方々へ。

いつもありがとうございます

まず、私のポスト不快になられた方に謝罪します。

意図せぬ解釈で伝わってしまったようなのでこの件について説明します。

つたない文章申し訳ありませんがよろしくお願いします。

添削配信について

この件で私のことを知った方もいると思いますので、私の配信活動について説明します。

私は「自分気持ちを正直に伝える」ことをテーマに、イラスト添削配信をしております

正直な感想正論が人を傷つけてしまうことはもちろん分かっております

心が締め付けられるようになりますよね。

私のことが苦手・嫌いな人がいることも嫌われている自覚もあります

しか私自身、奇譚のない厳しい感想を受けて絵が上達した経験があり、その背景から他者を助ける立場になったら正直な感想を伝えるようにしようと思うようになりました。

これが一番早く上達する方法だと思ったからです。

絵を描いたことのない方たちの率直な感想はしばしば核心をついています

ですが、私の配信

「私の正直な感想」と「配信視聴者が依頼主の絵を見たとき感想

を伝える方針で、好きと嫌いがハッキリ分かれる配信です。

覚悟の上でやっております

■どんな人が添削にきてるか

YouTubeの有料メンバー

・正直な感想添削覚悟している方

・何を言われても受け止めて絵を書く方

このような方々を厳選して添削しています

皆さんがよく切り抜きで見かける絵師さんは、上記の条件を呑んだ絵師の卵さんです。

私に厳しい意見を言われることを承知の上でイラストを提出されています

自分に言われているわけでもない厳しい言葉動画から聞こえてくるのは辛いですよね?

視聴する際の注意事項は見やす位置に置いて対策しているのですが、ショートで急に動画が流れたり、注意事項を見逃したり、意図せず視聴してしまった方は申し訳ないです。

YouTubeブロック機能がつけばよいのですが……。

もし実装されたらすぐに私のチャンネルブロックしてください。

■今回の謝罪したい件について

https://gyo.tc/ci/120/0/960/1432/1cr1x

引用見たらワイの言葉効きすぎてるやん。 心にキチンと刺さってるみたいで何より🤗

名前隠さず素直に名前出してくれたらええのに 隠すとポスト主も紹介してる人も悪い印象が強くなるぞ」

ポストの「心に刺さってるみたいで何より」という表現が、「心にもないことを喜んでいる」ように受け止められ、問題になったのだと思います

私としては、切り抜き動画の内容を覚えていてくれている嬉しさを伝えたつもりでした。

私のことが苦手でも言葉を聞いてくれた方がいるのだと。

ですが、私の配信を知らない人に対し、目の届くところで率直な感想を出したのは誤りでした。

ポストを私の意図しない文脈で受け取った方が多くおり、誠に申し訳ございません。

引用元の方が苦しんでいる様を見て喜んでいたわけではありませんし、そう思う人がいたら私も軽蔑します。

誤解させてしまった一文は私に非があります

一番に謝罪したいです。

不快になられた方がいたら申し訳ありません。

「こんな奴より上手い絵を描いてやる」と思われた方がいれば頑張ってください。

また、引用元のポストは私のことを蔑む発言はしておりませんので、勘違い批判されている方はお止めください。

該当の文中にでてくるかかげは「引用元の方の妄想のかかげ」であって、私本人のことではありません。

(全文を読めばかかげ先生に言われそう、と書かれています

私が言った言葉投稿したわけでもなければ、この方は私の生徒でもありません。

また、最近投稿で「脳内かかげ先生から始まる文章をよく見かけます

そういった投稿が増えるのは嬉しいのですが、私が実際に発言したわけでもない言葉を私に代弁させているような投稿は非常に迷惑なのでやめていただきたいです。

YouTube配信中に第三者のXの配信に介入した件については、配信者さんにDM謝罪をしてお許しをいただいています

第三者配信で私が伝えたかたことは、引用元の投稿主の方は悪くない、ということです。

投稿に書かれていた配信者が私だけなら静観していたのですが、もうひとり消極的な紹介をされた配信者がいたので)

伝えたいことは以上です。

今回の件で失望された方も私は余さず確認し、正直な気持ちとして受け止める心づもりです。

今回の件は、日頃から伝え方を考えている我が身を振り返る良い機会になりました。

ご指摘くださった方々、ありがとうございます

今後も「かかげ」の活動応援してくださる方がいましたら、よろしくお願いいたします。

ーーー

スペース凸のところは何が言いたいのか本当に意味がわからなかったので、読み取れた人教えてほしい。

あと、引用リプライしておきながら目の届くところに投稿するんじゃなかったって言うところが面白かったです。

アサクリ問題で暴れているキモオタが色んな意味で酷い

現在UBISOFTが見当違いな価値観認識で大暴れしているキモオタ向けに「ゲームフィクションです、誹謗中傷は悪いことなのでやめてください」という健常者なら誰でも理解している事をわざわざ声明で出しているのだが

最早引っ込みがつかなくなってるキモオタ共はこれにすら詭弁と難癖で罵詈雑言を浴びせていて心底呆れた

https://x.com/UBISOFT_JAPAN/status/1815674629643719061

キモオタ共は「お客様神様」だとでも勘違いしているのか、企業やそこで働いている社員には何をやっても良いと思い込んでいるとしか思えないカスハラガイジがあまりにも多すぎて

日本ゲーム企業日本トレーラーYoutubeコメント欄だけ意図的に閉鎖してることからも分かる通り

日本キモオタやそれにすり寄る同レベルゴミ共にカスハラガイジが多い事は、既に日本ゲーム企業では常識だったわけだが

このカスハラ大好きのクソ共が今回は海外大手ゲーム企業に対して朝から晩まで大暴れしている事で、こんなガイジ共相手商売をするのは大きなリスクがあるという事が海外ゲーム企業にも広く周知されたに違いない

そのリスク回避する為に、もう今後は確実に日本舞台にしたゲームは少なくなるし、日本語に公式対応してくれる事も少なくなるだろうな

それとキモオタ現実フィクション区別がつかない異常者、という世間評価が何も間違っていなかった事も残念ながらこの件で同時に証明されてしまった

まぁこれは既にゲーマーゲートやコミックスゲートの様なキモオタ共の過去やらかしで薄々分かっていたことだが

この先鋭化し今では陰謀論界隈やバカウヨ界隈とまで融合しだした異常者達は最早社会の敵となりつつある

しかし今キモオタが実行しているこの「もっと俺様配慮しろ!そうしないならカスハラキャンセルカルチャーを発動するぞ!」という姿勢

まさにこのキモオタ共が妄想も混じえて散々批判していた「過激ポリコレ」の姿そのものなのだから実に滑稽だ

anond:20240724102051

その脳内編集が上手くいかないんよ

どうしても「でも公式ではチンコついてるんだよなぁ」と思ってしま

平本蓮氏・朝倉未来氏の一連の行動は格闘家としてフェアだったのか?

総合格闘技団体RIZIN」の28日にさいたまスーパーアリーナにて予定されている「超RIZIN.3」のメインカードである朝倉未来氏vs平本蓮氏の試合前に予定されていた元NEWS手越祐也氏の国歌独唱を取りやめることをRIZINが22日に発表した。


リングに上がったらすぐに戦いたい、余興のようなものはいらないという朝倉氏の意見はまだ、まあ選手としてはそう思うことは自由だろう、とは思う。

わざわざ公に発信しなくても、運営意見し、話し合うことはできなかったのか?とも思うけれど。


だが、平本氏の一連の行動はさすがにやりすぎではなかっただろうか?

ケラモフ戦の時の深田えいみ氏の名前までわざわざあげて「いらない」という必要はあっただろうか?

手越氏に直々にインスタのDMを送ることもさることながら

(1億歩ゆずって穏便に手越氏側から辞退してもらえないかと裏で動いてしまった、の段階で済ませたならまだしも)

その一連のやり取りを自身のインスタアカウントで煽るように公開する必要はあっただろうか?


RIZIN公式文章にもあった通り、

選手一方的な発信に乗じた人たちから手越さんへ直接、誹謗中傷ヘイトメッセージSNSで送りつけられる事態

が起きているわけで、特に平本氏の行動は、手越氏への誹謗中傷を誘発し、辞退へと追い込んだ、というかなりアンフェアものとは言えないだろうか?


正直にいえば、筆者はRIZINに限らず総合格闘技というもの好き嫌い以前に興味も示したことがなく、どなたの試合も見たことはない。

他方、手越氏ならびに彼のかつて所属していたグループのことも知ってはいるが、特にファンというわけでもない。曲はちょっと知ってるかな〜くらいである。


ただ、格闘技というのはスポーツだと思っていたので、結果的自身ファンから相手方への誹謗中傷を誘発し、自身の望みを通した(ある意味では彼が勝った)今回のやり方は、スポーツマンシップに則ったフェアなやり方と言えるだろうか?と感じている。


それとも、総合格闘技試合に勝ちさえすればその過程での選手の振る舞いにフェアさがなくとも、ヨシとされるものなのでしょうか?


試合当日にこのまま勝てたとして、このようにミソのついた勝利でもご本人もファンも気にされないのでしょうか?


これまでは特に好きも嫌いもなかったけれど、今後はスポーツマンとしての紳士さはない方、もしくは競技、という目で見ることになるだろう。


いや、そもそもスポーツじゃなくてただの公開殴り合い興行という認識でいた方が良いのかもしれないな。

そう思えば、フェアさとか紳士的な振る舞いとか品格とかを期待するなんて愚の骨頂と諦められますし。





追記

ひとまず私より総合格闘技に詳しい&好意的に捉えている身近な人に知見を得ようと思って今回のことを聞いてみたところ、


総合格闘技、中でもRIZIN特に炎上商法ありき

(そうでないとチケットが売れない)

集団であり、あれをスポーツと思ってはいけない。

今回のことも単にいつも通りチケットを売るためにわざと炎上話題性を取っただけ。


と言われてしまったので、なるほど、今回の件でだいぶ界隈の印象が下がった私のような人間は、

こういう炎上商法が今後成り立たずに界隈に廃れて欲しいと思った以上、見ない・触れない・話題にしないというのが1番良いのだな、という学びを得ました。


折を見てそのうちこの記事も消すかもしれません。

2024-07-23

アサクリ公式反応しちゃったか

https://x.com/UBISOFT_JAPAN/status/1815674629643719061

騒いでるのは1ミリも客にならない愛国界隈なので、普通にスルーでよかったのに燃料投下するとはやっちまったなぁ?

一貫して無視して普通に何事もなかったかのように発売でよかったのになんで声明出しちまうかなぁ

chatGPTって書いてるの増田だけなんだけどキャラ付け

ワイ:「chatGPT」表記にこだわってる人がいるのですが何故だと思いますか?
ChatGPTちゃん

「chatGPT」にこだわる人がいる理由はいくつか考えられます

  1. 誤解固有名詞としての「ChatGPT」の正しい表記を知らないか意識していない可能性があります特に技術に詳しくないユーザーや、新しくこのツールを使い始めた人には、そのような誤解が生じやすいでしょう。
  2. ブランドスタイルの影響 : テクノロジー関連のブランド製品名で小文字使用する例が多いため、その影響を受けて「chatGPT」と書く人もいるでしょう。ブランドスタイルが個々の認識に影響を与えることはよくあることです。
  3. タイプミス:単純にタイピングの際のミスや、小文字入力する習慣によるものかもしれません。特にスマートフォンタブレットでの入力時に、最初文字大文字にすることを省略する人も多いです。

 

ただし、OpenAIの公式表記は「ChatGPT」であり、公式な場や文書ではこちらを使用するのが適切です。

anond:20240722202342

AIがまだまだプログラミング領域で勝てないと思う理由

AIって基本的公式情報とかネットに落ちてる噂を元にしてるわけよ

ググりのプロみたいな感じ

でもそれだけじゃ現実世界プログラミングは成功しない

なぜなら情報知識を誰もがネットに上げるわけではないか

ニッチネタほどネットに落ちてないので、徐々にAIは「中堅エンジニアWebで調べた段階の知識」に収束していく

もちろんその存在はありがたいんだけど

世界プログラミングをするなら、「実際にやってみて、動かして、評価して、学んで」というのが必要になってくる

当然、AI開発側はそこを次の何年かでやると思うんだけど

この作業かなり難しいと思う

Webなんかはわりかしやりやすいと思うけど

モバイルだって実機が必要なシーンが多々あるし、ゲームだともっとしんどいハードが絡んでくるものさらに厳しい

ここらへんからAI完全問題とか、実世界の完全なシミュレーション必要とか、パソコンを完全に自由に使えるAI必要とか、そういう話になってくる

AI自由に動いてもらうために、AI用のPC環境を作ることも考えられるけど(ヘッドレスCMSみたいなもの)、そうしてあげなきゃいけない時点で人間に負ける

 

というわけで、結局次のステップでは人型ロボット必要になってしま

となると3年5年では難しい、いいとこ10年かなと思う

まあそこが完成してしまったらプログラミング領域、というかパソコンでやる仕事の大半は奪われる可能性があるけど

一応その前段階で徐々に変化していくだろうから、突然死することはそうそうないと思う

anond:20240723101139

恐らく権力勾配の話なんだと思う。男女で差別されてきた歴史に差があるから公式男性項と女性項で係数が違うようなイメージ

ブルアカの駅の広告

めっちゃいい絵だなと思ってさ

公式立ち絵見に行ったら

あれ、なんかクオリティ違いすぎない...?

駅の広告の絵だけめっちゃ上手いな...?

2024-07-22

anond:20240722231938

オープニングが受けてるとかアニメの内容が面白いんじゃなくて

放送1ヶ月前に公式イントロ1時間耐久をお出ししてきたので

しかのこのこのここしたんたんの語呂とともに面白がられている状況

エルシャダイミームとかみたいなもんよ

あとわずかばかりのダンス要素があるので流行のものには乗る踊ってみた勢が

tiktokとかYoutube shortsで勝手宣伝してくれるのも大きい

最近のエクバシリーズ、つらい

もう何か難しいというレベル超えて、プレイする気すら失せてくるんだよね。

中間層から下は上級プレイヤーの対戦動画だけYoutubeで見て、自分は実質引退みたいな人が増えてきてるのか

地元だとコロナ禍の頃より台も空席目立つし、人口煮詰まってて対戦がしんどくなってきた。

負けの方が込むのに何故かプラスコインが消えてるのもあってどんどんモチベが下がってくる

(余談だけど500円で30分貸切って誰得普通に考えて使い辛いでしょ…)

公式ガンダムYoutuber囲ってeスポーツ気取る前に現状何とかして欲しいけど

その気があるなら既に手打ってるだろうし、期待出来んか…。

最近話題になる事が多い星之翼がCS機でも出るとか噂あるから

本格的に日本上陸してきたら、そっちのが自分と同じ腕前の人口まりそうだし

移行するのもアリかなって思ってる。

それはともかく、第1話が無料で公開されてるから観るのだ

TVアニメ『俺は全てを【パリイ】する〜逆勘違い世界最強は冒険者になりたい〜』第1話本編【公式無料配信】|2024年7月より放送/配信

https://youtu.be/XRofZNRBoDQ

 

ワイはAmazondアニメストア オプションで見てるけど、確かAbemaで3話観れたんじゃないか

1話目はギャグ弱かったけど、2話目以降はしっかりやってくれてるので、あとは孫・勘違い系統がダメかどうかだけやな

 

すべてパリィするぞ、女の子もな。なのでハーレムにならない

2024-07-21

ウォーク左派ジジェクファンによる、ジジェクへの反論

https://anond.hatelabo.jp/20240721230541

上記ジジェク記事への反論記事

ジジェクは道を誤った / メラニー・ゼルMelanie Zelle [スワースモア大学学内新聞『スワースモア・フェニックス』の編集者] ※削除済

2023年3月2日

ttps://web.archive.org/web/20230303073524/https://swarthmorephoenix.com/2023/03/02/zizek-has-lost-the-plot/

 

私が哲学に興味を持つようになったのはスラヴォイ・ジジェクのおかげである

彼の著書『終焉時代に生きる』と『パララックス・ヴュー』に偶然出会い中学2年生の私が苦労して読み進めたこの本が、

彼の他の著作に興味を抱かせるきっかけとなった。

ジジェク文章は、彼が即興でする賛美のすべてにおいて、素晴らしく説得力があると私は感じた。

 

本棚に積まれ1000ページにも及ぶ矛盾の山に憤慨しながら『Less Than Nothing』を読み通したのは、高校時代に果たした偉業だった。

私は、ジジェク長編作品の論旨を理解できるかどうかで、自分知的価値を測るようになった(現在ほとんど理解できないが、以前はまったく理解できなかった)。

 

それだけに、現代政治文化に関する最近記事で、ジジェク非難するのは心苦しい。

しかある意味で、ジジェクと私の関係は、彼が何について間違っているのかだけでなく、

なぜこのような著名人が、あのように明らかな知的陥落にはまることができたのかを理解しようとする上で、

有利なポジションに私を置いていると感じている。

 

私の怒りの主な対象は、先週発表されたばかりのジジェクエッセイである

そのタイトル「Wokeness Is Here To Stay」は、たぶん私がそれほど警戒するものではなかったと思う。

 

ジジェク哲学は、ヘーゲルラカン(そしてフロイトも)、そしてもちろんマルクスへの愛着からオーソドックスな、ほとんど伝統主義的なものと特徴づけうる。

他方で世間一般におけるジジェクペルソナは、意図的に培われたものだと私は主張したいが、ディオゲネス挑発者であり、象徴破壊であるが、自分勝手ものではない。

ジジェクのこうした面が、彼の論文や公開講演会、そして彼の知的活動への、より親しみやすい影響を及ぼしているようだ。

 

したがってジジェクが、クリックした人々が眉をひそめるようなタイトルを選んだことを読んでも、私は驚かなかった。

 

私は、ジジェクお気に入りトリックひとつである正式哲学分析範囲外と考えられている文化の側面を選び出し、

喜びを感じながらそれを切り裂くことに慣れてしまっていた。

(ある講義では、カンフー・パンダについて論じており、また別の講義では、ヨーロッパ各地のトイレ特殊構造が、

ポストイデオロギー的なポストモダニズム世界概念に対する究極の反論となっている)。

 

ほとんどの場合ジジェクの指摘は最終的に重要であり、さら重要なのは、彼の広範な哲学のいくつかの要素について、面白おかしく、

しかし(おそらく結果的に)効果的に紹介者の役割を果たすことである

 

そして一見したところ、"Wokeness Is Here To Stay は同じ公式に従っている。

トランスジェンダー権利をめぐるスコットランド政治的混乱からまり、他の現代政治問題にも触れ、最終的にはフロイトラカンへの言及で締めくくる。

しかし、このざっくりとした読み方は根本的に間違っている。

 

表面下に潜む構造的な違いを無視しても(これについてはまた述べる)、この作品には、ジジェクのいつものトーンとは正比例しがたい苦渋が感じられる。

これは、私の最大の関心事である彼の議論の内容については言うまでもない;

 

ジジェクは、スコットランドにおけるトランスジェンダー権利をめぐる、最近政治論争をめぐる議論について、記号論的な分析を行っているわけでもなければ、

正確に他の多くのことと結びつけているわけでもない。

 

結局のところ、ジジェクは皮相な哲学手法とともにただ単に政策論争に参加しているだけであり、遺憾ながら完全に間違っている。

ジジェクは、過去10年間にリベラル知識人全体に伝染した観を呈するトランス医療をめぐるパニックに陥っている。

 

ジジェクのいつもの懐疑論は、ここではいもの懸念荒らしconcern trollingの再現に留まる。 ジジェクはこう書いている:

 

  「思春期ブロッカーは、タヴィストックでの診察に送られたほぼすべての子供に投与された。

 その中には、性的指向がはっきりしないという誤診を受けた可能性のある自閉症若者や、問題を抱えた若者も含まれていた。

 言い換えれば、医学的な性別移行を望むかどうか判断できる年齢に達していない脆弱子供たちに、人生を変えるような治療が行われていたのだ。

 批評家の一人が言ったように、『性別の悩みを抱える子供には時間サポート必要である。あとになって後悔するかもしれない医療措置に進むよう仕向けられるべきではない』 」。

 

この一節は疑問を投げかける。ジジェクは、その知的能力において、思春期ブロッカーが何であるかさえ知っているのだろうか?

 

ジジェク引用の使い方は、この作品の中で頻繁に行われていることから特に明らかであり、すでに示唆されていることを裏付けている。

実際、彼が引用したガーディアン記事を読んでいれば、上で引用した段落修正できたかもしれない。

 

ジジェク引用した記事の上の行には、"異性間ホルモンは16歳からしか処方されず、専門家によれば思春期ブロッカー不妊の原因にはならない "と書かれている。

したがって、このスロベニア人知的怠惰恩赦を与えることもできない。 これは純粋で単純な不誠実さであり、危険形態である

 

さらにひどいのは、ジジェク記事の冒頭で取り上げた最初文化分析対象である

コンパクト編集部がありがたいことに、ページをスクロールすると引用文が表示されるようになっているのだ(まだ彼の論調を十分に理解していない人のために)。

 

それはこうだ: "女性だと自認する人物が、ペニスを使って2人の女性レイプしたことを我々は知っている"

 “We have a person who identifies itself as a woman using its penis to rape two women.”

 

ジジェク言及しているのは、アイラブライソンの事件である

 

この有罪判決は、スコットランドにおいてレイプ有罪判決を受けた史上初のトランス女性となり、

トランスの人々に対する「懸念」を持つすべての人々にとってのロールシャッハテストとなった。

 

ここでジジェクは、基本的事実認識が間違っている。ブライソンの性別移行の時系列を誤って伝えているからだ。

 

さら問題なのは、読者を煽動するために、本質化するような言葉を使い、さらに誇張していることである

(「ペニスを持ったレイプ犯が、囚われの女性たちと刑務所にいる」という表現が思い浮かぶ)。

 

ブライソンを「彼he」、そしてさらに厄介なことに「それit」と、ジジェク性別を間違えて表現することに固執するのは、

ジジェクトランスアイデンティティ尊重することを、裁量に任された、善行次第のものだと考えていることを示唆している。

 

ジジェクはこの論文で、控えめに言ってもトランスフォビックtransphobicだ。

 

しかしそれ以上に、ジジェクは退屈で、独創性がなく、不誠実で、怠惰である

彼はトランスの人々について、『ガーディアン』紙や『ニューヨーク・タイムズ』紙の同様の記事からは得られないようなことを何も書いていない;

 

この時点でようやくジジェク哲学について語るかもしれないと思うのも無理はないが、残念ながらそれは間違いである。

 

記事の次の部分はさらに長く、さら面白くない。『コンパクト』誌に掲載された別の記事宣伝である

(中略)

 

で、どういうこと? なぜジジェクはこんなことを書くようになったのか?

 

その答えは、対立的でありたいという彼の誤った願望にある。

彼は、この作品の中で他者が陥っていると彼が非難する事柄に陥っている。すなわち、自分を悩ませる他者を、自分自身の中で勝手に思い描く罪を犯しているのだ。

The answer lies in his misplaced desire to be oppositional. Ironically, he is guilty of the thing he accuses others of falling prey to within the piece, that of envisioning for himself an Other that haunts him.

 

 [ジジェク]「要するに、ここにあるのは、政治的に正しい突き上げと、金銭利益残酷計算との最悪のコンビネーションなのだ。 」

 

思春期ブロッカー使用は、[ジジェクによると]"目覚めた資本主義 "のもうひとつの事例であるとされる。

 

ここでジジェクは、ジャニスレイモンドの1979年の『トランスセクシュアルの帝国』に端を発する、トランスジェンダーの人々が選択する様々な処置や療法は、

製薬企業にとって重要経済的利益をもたらすものであるという、一見したところ長年にわたる議論に訴えかけている。

 

そうすることで、救命医療へのアクセスを容易にするべきだと主張する人々を、自分たちの身体をめぐる現実物質的な対立のために戦うのではなく、

資本の側、つまり極悪非道個人の側にいる人々として捉え直すことができる。

 

バトラーフーコーを読んだことのある人物が、このように書くことができるのは、こうした運動が誰のためになるのかという、権力についての混乱がジジェク盲目にさせているのだ:

 [ジジェク] 「性的混乱に「異常」なことは何もない。「性的成熟」と呼ばれるものは、長く複雑で、ほとんど無意識プロセスである

 それは激しい緊張と逆転に満ちている。自分の心の奥底にある「本当の自分」を発見するプロセスではない」。

 

作品全体と同様、これはジジェク特有哲学プロセスといううわべに包まれたいつもの本質主義と、トランスフォビアtransphobiaである

この最終的な帰結は、英米トランスジェンダー物質的な生活にすでにダメージを与えているヒステリーhysteriaの波に、ジジェクお墨付きスタンプを押したということだ。

 

ジジェクは、社会の変化に懐疑的ジャーナリスト知識人瘴気miasmaの中に紛れ込んでしまたかのようだ。

これはポストモダンの懐疑主義に非常に批判的な人物から出た究極の皮肉である

 

過去思想家からの豊かな引用を悪しき議論隠れ蓑に変え、気まぐれさを苦味に変えてしまう。

 

私たちにとって悲しい日であり、多くの意味ジジェクにとっても悲しい日である

 

ジジェク豊富理論的な著作の中で最高のパフォーマンスを発揮し、ここでは最悪のパフォーマンスを発揮している。

このエッセイを読むと、あなたは感じ取るだろう。少なくとも少しは彼がそれを自覚していることを。

[終]

ミリエを引くべきか?

簡潔に言うと: キィニチを強く使いたいなら引くべき。

冗長に言うと: まず、近々登場するエミリエは公開情報からかるとおり、燃焼状態の敵に対して顕著なダメージを出せる草元素の設置型サブアタッカーである。燃焼反応をテーマにしたキャラは初なので、実装時点ではエミリエと明白なテーマ合致を持つ既存キャラはいない。一般論として、このゲームは、庶民的金銭感覚からかけ離れた課金をして――つまり凸やモチーフ武器によって強引に強くする方法以外だと、ビルドとチーム編成をしっかり噛み合わせることをしないと、例え新キャラであっても性能面キャラ採用する意義を見いだしにくく、活躍させづらい。こうなるのは、性能の縦方向インフレを抑えて、組み合わせによって戦術横方向拡張していく作風からだ。いい事ではあるが、ガチャゲーとしてユーザーの「引きたい」という欲を手放しで後押しできなくなる副作用がある。そのため、キャラの取得や育成計画を立てるにあたって、現状で強編成が思い浮かびにくいキャラ場合、将来実装されるであろうキャラたちの性能を見据える必要があるのだが、公式による先出し情報はあまりにも乏しい。これがリークが盛り上がる理由である。こうしたやむを得ない理由により、リー情報を扱う。以下、そうした情報を嫌う人のために文字保護色にするので、読む場合テキスト選択状態にして色反転されたし。

ミリエの性能補足

ミリエは燃焼自体ダメージを上げるような性能ではなく、燃焼状態の敵に対して最大36%の自己バフと設置物強化を利用して周期的な高DPSを発揮できる攻撃%スケールのサブアタッカー(オフフィールドDPS)である元素スキルによる設置物は次のように強化される。近くの敵が燃焼状態でありつづける理想状態なら1.5秒間隔で約150%x2の単体追尾ダメージ、また別に固有天賦による4秒間隔の約600%中範囲追尾ダメージを放つようになる。この状態に育つまで前者に4秒、後者に8秒の準備期間がある。継続22秒のCT14秒。スナップショット対応元素爆発は50族のCT13.5秒で、設置しなおした上で約3秒の間に9hitのバウンド攻撃を行う。敵数によりダメージ出力が変わりそうだが、爆発もいい火力になる。凸効果は1凸と2凸が強力で、無凸からDPSが+40%→+30%くらい伸びていく。1凸はスキルの立ち上がりの遅さが改善され、固有天賦の600%追撃も1.6倍速で出るようになる。2凸で草耐性-30%デバフ、4凸で爆発が16hit化、6凸で通常or重撃を振るメインアタッカー化する。付着頻度はスキルが3秒おき、固有天賦600%が毎回、爆発が3hit/2.5秒。

ミリエの採用チーム考察

同じく草サブアタッカーであるナヒーダと比べると、燃焼下の無凸エミリエは付着性能に劣り、反応を含めない純粋な草ダメージでは勝る可能性があるものの、非燃焼時は付着も火力も著しく劣る。またナヒーダが持つ熟知等のサポ性能も無凸エミリエは持たない。なので燃焼溶解のパーツとして見るとナヒーダ所持者にとっては優位性が低いものの、一応リオセスリや甘雨をメインとした燃焼溶解チームにナヒーダの代替として組み込むことは可能。ナヒーダと比べて多wave戦闘に強くはなる。だが最も輝くのは燃焼を絡めた新機軸のチームへの採用時だろう。新機軸言語化するなら、燃焼状態の維持を前提とするためにそれを妨げるほど高頻度で水・雷・氷を付着しかねないキャラ排除したチームで、かつ炎メインアタッカーまたは草メインアタッカーペア運用し、かつそのメインアタッカーは炎なら蒸発溶解、草なら激化といった火力系の元素反応に依存しない(=付着弱めで熟知不要)、単純なゴリラ火力で殴っていくタイプの炎or草アタッカーである必要がある。実装時点でもっともはまり役となるチームは、アルレッキーノ/エミリエ/ベネット/鍾離or万葉、という編成になるだろう。

ミリエのビルド考察

最適聖遺物は遂げられなかった想い4セットだが、その場合香菱・ベネット・ディシア・トーマ・鍾離などの炎付着・耐久要員の誰かに深林4をつけたい。エミリ自身に深林4をつけても遂げ4の96-98%程度の個人DPSは出るので、利便性を重視するならば深林4でもいいかもしれない。とはいえチームDPSで見ると深林4は妥協になる。推奨メインステータス攻撃%,草ダメ,会心系。前述のような新機軸チームで使うのであれば元素熟知は不要元素チャージについては、50族で軽めではあるものの裏にいる時間が長いため、草1編成であれば160程度ほしい。後述のように草メインアタッカーと組む場合は130ほどで良くなる。劇団4はそこまで合致せず、2セット複合と程度になる。固有天賦による4秒毎の600%ダメージ元素スキル扱いではなく、そこそこダメージを出す爆発にも乗らないため、劇団4の性能をフルには発揮できない(5割ほど)。武器は星4ならば死闘の槍が良い。

ver.5.0を見据えた考察

ここが本題。5.0で追加されるキィニチが燃焼・烈開花シナジーのあるメインアタッカーになる。深林4の効果を2キャラ活用できる上、炎メインアタッカー場合と違って翠緑4を挟みたくなる悩みも消える。キィニチを前提とすると、キィニチ/エミリエ/香菱/ディシアとなる。このチームの香菱は火力ではなく安定的な広域炎付着と深林4散布に期待するポジション。キィニチは5.0新遺物がどちらも使えて相当強力だが、勇者絵巻が自身のみならずエミリエ香菱にも50%ダメバフを配れるので有力。エミリエは遂げ4、ディシアは千岩4。キィニチはスキルの強化状態中に通常を振るのでディシア枠はトーマの方が良い可能性がある。炎を頻繁に消費する水雷キャラがいなければ燃焼自体は炎1人(香菱やトーマ)でも維持できるので、炎共鳴を捨ててラスト1枠に鍾離やシグウィンを入れられる可能性がある。シグウィンバフの対象となるのはエミリエの1.5秒毎2hitとグゥオパァーだが、1凸シグウィンは18秒毎に18hit分バフ提供できるのでエミリエだけでも理論上は使い切れる。香菱は西風持ってグゥオパァー封印もありかもしれない。ただしシグウィン採用場合キィニチの中断耐性に不安が残る。なおキィニチはスキルタゲった敵を中心に動き回るのでベネットとは相性が悪そう。

さらに先を見据えると…

キィニチ/エミリエの炎枠はナタキャラ更新される可能性が極めて高い。炎神が有力候補だろう。勇者絵巻4はどちらかというとサポキャラ向けで、実質1チームに1人のみ制限があるが、これをナタ炎キャラに移して、キィニチはメインアタッカー向けの黒曜の秘典4にし、最後の1人が深林4を持つ、という形が終着点になりそうだ。

anond:20240720222205

ボイロが混じってるのは暇空が琴葉茜をパクっててボイロ界隈から嫌われてて

赤い羽根やすついでにコラボしてる初音ミクも燃やしてボカロ界隈からも嫌われてるせい

ずんだもん公式は暇アノンが堀口くん中傷動画ずんだもん使ったら削除依頼したが、琴葉の会社は暇空放置からずんだ会社は偉いのに琴葉ときたら」などと言われている

琴葉の会社本業キャラクタービジネスではなく、障害者向けの音声⇔テキスト変換ソフト

発話困難な障害を持つ議員がこの会社ソフト使って活動して美談になっているので、会社としては政治利用を完全に禁止はできないし暇空も断てない

ジジェクコラム英語版

ジジェク韓国語コラム微妙なのは英語版を改変してるからだと言ってる人がいたけど、英語版微妙やんね

単に賞味期限切れだろこの人…

https://english.hani.co.kr/arti/english_edition/english_editorials/1149192.html

現在右翼ポピュリズムの再興について最も重要な点は、この再興がその支持者によってどのように認識されているかということです。異なるバリエーションで繰り返し現れる単一の修辞的な図式が見られます。新しいポピュリストは、企業メディア極左による暴力的強制に対抗して穏健な正常性を擁護しています。「LGBT+イデオロギー」の絶え間ない圧力により、自分がただの普通の「シスジェンダー」の女性または男性であるだけで、何かしら罪悪感を感じるようにさせられ、「バイナリー」であること自体が抑圧の行為であるかのように感じること。過去発言や行動が急に禁止され、どのルール自分を責め立てるか事前にはっきりと示されないため、何か行動や発言をする際に「キャンセル」されるという絶え間ない脅威。人種差別性差別がただの自分特性ではなく、自分存在のものに刻まれいるかのように絶えず自己卑下を強いられる衝動。これらすべてが、多くの周縁的で「破壊的」とされるアイデンティティを十分に享受するように促されるのとは対照的に、停滞して息苦しい雰囲気効果的に生み出しているように見えるのです。

「目の覚めるような新鮮な空気が、窒息するようなウォーク主義圧力一時的に流れ込んだ極端な事例は、アメリカハイデガー主義者であり、アレクサンドル・ドゥーギンに共感するマイケルミラーマンによって最近提供されました。彼は最近YouTubeで『なぜ普通のものすべてがファシストと呼ばれるのか?』というタイトルポッドキャストエピソード公開しました。彼自身立場の要約は以下の通りです。

『「私が嫌いな人はみんなヒトラー」という現象はどうしたのか?奇妙ですが、理解できないわけではありません。戦後リベラル熱狂左翼反ファシズムと結びついて)により、多くのことが「極右」としてコード化され、禁忌となりました。しかし、それらの中には、政治人間生活をよく理解するために必要重要なことも含まれています。』

また、ミラーマンポッドキャストに対する多数の反応にも注目すべきです。これらは文脈を明確にしています。『彼らが私をファシストと呼ぶなら、それは私が正しいことをしている証拠だ。』『私の友人は多様性包摂原則に基づいて外科医を選びました。彼女は亡くなりました。』『WW2前のすべての普通の人は「ファシスト」だった。血と土、自分のものへの愛、他者への警戒心は私たちに組み込まれものであり、完全に健康的なものだ。』『イスラム教公然批判してイスラム教徒をやめたためにファシストと呼ばれた。』『すべての普通のものファシストなら、ファシズムは...』『「極右」の最良の定義は、間違っていないものすべてだ。』

マリーヌ・ルペン彼女の周囲の人々は、この論理に大いに依存していますが、彼らは自分たちがネオファシストであることを断固として否定します。彼らは、健全常識ファシズム混同しているのは左翼リベラルだと主張します。しかし、この論理を徹底的に追求する人もいます。『すべての普通のものファシストなら、ファシズム普通だ。』

7月4日選挙労働党圧勝し、保守党をほぼ壊滅させたとき、多くのリベラルは、英国がこの傾向に対する明るい例外を示したと考えました。しかし、ナイジェル・ファラージリフォームUK党が400万票以上を獲得したこと過小評価すべきではありません(ただし、英国投票制度のため、これが議会議員5人に翻訳されました)。保守党事実上弱体化する場合、その位置を占めるのは、より公然とした人種差別的でポピュリスト的な新しい右翼運動である可能性があります

新しいポピュリズムの広範な魅力をイデオロギーミスティフィケーションと操作に帰するのはあまりにも簡単です。事態もっと微妙です。新しいポピュリストの台頭は、私たちリベラルな「啓蒙された」者たちが無視している不満の層が存在することを示しています。この層は、深く埋め込まれ伝統的な人種差別還元されるものではありません。

したがって、新しいファシズムを「非自然化」または非正常化する必要がありますが、そのテーマをただ拒絶するだけではいけません。愛国心自分自身特定生活様式への愛着には本質的に虚偽や「ファシスト」なものはありません。ジョージ・オーウェル英国パブの称賛を思い出してみてください。これは労働者階級生活様式の具現化です。新しい右翼ポピュリズムが行っているのは、愛国心偏執的なねじれを与えることです。自分自身コミュニティを自信を持って楽しむのではなく、外部の脅威(外国人や「逸脱した」性的習慣)に対する嫉妬と憤りに焦点を当てています

いわゆるTERF(トランス排除ラディカルフミニスト)の問題は、彼らがこの多様な流動的なアイデンティティに反対する方法が、アイデンティティ政治の枠内にしっかりと根付いていることです。彼らのターゲットは、トランス女性であると主張する男性であり、TERFの見解では、女性としての密接な物質プロセスに実際に参加することなく、女性であると主張する男性です。要するに、TERFは女性アイデンティティを望まない侵入者から守ろうと必死になっています

それが、新しいポピュリスト右派が一様な形成ではない理由です。彼らの愛国心は偽物であり、自信がありません。ここで最初パラドックス出会います。新しいポピュリスト右派は、愛国心が強すぎるのではなく、愛国心が足りないのです。これは、グローバル資本主義への抵抗神秘化された形態であり、経済的にもイデオロギー的にも、いわゆる普通の人々の大多数がエスタブリッシュメント国家大企業メディア教育から圧力を受けているという事実に反応しています。新しいポピュリストは、エスタブリッシュメントに対して普通労働者の声として、自分たちを明瞭かつ卑猥に介入させています。新しいポピュリスト右派確立された秩序に対する急進的な抵抗を装っていますが、トランプのイデオロジストであるスティーブ・バノンでさえ自分レーニン主義者と呼んでいますが、実際にはそれには程遠いのです。多くの億万長者によって支持されているため、資本主義基本的構造は手つかずのままです。

しかし、新しいポピュリスト右派抵抗する人々は、まず自分たち自身批判的に見つめる必要があります。彼らも同様のパラドックスに陥っているからです。ウォーク主義的な左派は、実質的には支配エリートによる操作として正しく経験される、破壊的な超自我体制押し付けています。彼らは(性的人種的経済的に)排除され、周縁化された人々の保護者として自分たちを提示しますが、その活動形態自体が深く抑圧的であり、したがって彼らの公式目標を損なっています。「キャンセル文化」に浸透しているのは「議論なしの立場」です。人や立場排除されるだけでなく、その議論自体排除され、排除に対する賛否両論対立排除されます

ヘーゲルはここで、ラカンが呼んだ、述べられた内容と発話の基盤となる姿勢の間のギャップを動員するでしょう。多様性包摂を主張しますが、自分たちの定義する多様性包摂に完全に同意しないすべての人を排除することで、それを行います。結果として、常に人々や立場排除し続けるだけです。このようにして、包摂多様性のための闘争は、いつあなたプライベート発言が公の場から排除につながるか分からないような、スタージのような疑惑告発雰囲気を生み出します。

ここで、最後カニバルを食べるというジョークの極端なバージョンを見ているのではないでしょうか?「我々のグループには多様性包摂の反対者はいません――最後の一人を除外したばかりです...」このようにして、唯一の楽しみは、自分超自我の抑圧者に同一化することです。他の誰よりも厳しくなり、超自我規則に従おうとすればするほど、ますます罪悪感を感じることに耐えるしかありません。「ついにやり遂げた、今はリラックスして自分らしくいられる」という瞬間は決して訪れません。

新しいポピュリスト右派基本的な動きは、「リラックスして、自分が何者であるかに誇りを持て」と言うことです。これをはっきりと言うことで、膠着状態を打破し、状況に新鮮な空気をもたらすように見えますしかし、ポピュリストたちは支配的な既存生活様式を維持したいと考えていますが、今日現実である動的な世界に対しては、強引に介入せざるを得ません。一方で、ウォーク主義的な左派は急進的な変化を提唱しますが、彼らが想定する変化は「何も実際に変わらないように、常に物事を変える」という古い知恵に完全に適合しています

したがって、二重のパラドックス結論を出しましょう。新しいポピュリスト右派愛国心が足りず、ウォーク主義的な左派は急進的ではありません。新しいポピュリスト右派公然ユーロセントリックですが、ウォーク主義的な左派もその形態自体ユーロセントリックです。彼らは特権的な層のように振る舞い、周縁化され排除された人々を保護しています。彼らは後見的な方法で行動し、被抑圧者にとって何が利益になるのかを被抑圧者よりもよく知っているふりをし、被抑圧者があるべき行動を取らないときには何の制約もなく叱責します。要するに、「政治的に正しい」ウォークの言説は、最終的には被抑圧者に対して彼らが真に何者であるかを伝え、彼らをイデオロギー宇宙の中の適切な場所に配置することです(たとえその場所が無場所として提示されていても)。そのため、被抑圧者はヒステリックな反応を起こします。「なぜ私はあなたが言っているような人間なのか?」

このようにして、新しいポピュリスト右派ウォーク主義的な左派を結びつける深い共謀があります。彼らは同じコインの表裏であり、今日我々が直面している巨大な問題回避する二つの方法なのです。どちらも、今日グローバル資本主義の核心に刻まれ対立無視しています

anond:20240721112956

言語とは、特定ルールに従って情報を伝えるためのシステムです。

CSSは、ウェブページスタイル定義するための特定ルールセットを持ち、それに従って情報を伝えます。したがって、CSS言語一種です。

CSSは汎用プログラミング言語(例:JavaScriptPython)とは異なり、特定目的スタイル定義)のために設計されています

Turing Completeでない言語言語として認識される例として、HTMLSQLも挙げられます

CSSも同様に、特定目的を果たすためのスタイルシート言語です。

世界中ウェブ標準を推進するW3CWorld Wide Web Consortium)は、CSS正式言語として認識し、仕様策定しています

この公式認識CSS言語である証拠の一つです。

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