はてなキーワード: 吾峠呼世晴とは
前回、虹とヘビとウナギの話を書いた(anond:20221107182649)が、その際『蛇の宇宙誌』(東京美術)を読み返していたところ、意図せずして漫画『鬼滅の刃』に関連しそうな小ネタを見つけてしまったので、ここで書き留めておくことにした。なお、漫画『鬼滅の刃』のラストに触れているので、未読でネタバレが嫌だと言う人は、この文章を読むのはここで止めにして、まず漫画『鬼滅の刃』を読み終えてからにした方が良い。
どのページを開いても面白い名著『蛇の宇宙誌』であるが、その第4章は、ズバリ「栗花落左衛門(つゆざえもん)の蛇性―日本の水神としての蛇信仰―」と題されている。余計なことを書くのは止めにして、この章の冒頭から引用する。
「栗花落」と書いてツユと読む。栗の花の落ちるころが、ちょうど梅雨の時期になる。それでこの当て字がある。後の兵庫県の武庫郡山田村の原野(神戸市兵庫区山田町原野)、昔の摂津国矢田部郡の丹生山田庄原野村の栗花落(つゆ)理左衛門の屋敷に「梅雨井(つゆい)」と呼ばれる井戸があった。昭和七年ごろまでは、原野には、壊れかけた白滝明神の社祠と、白滝姫の墓という墓石が残っていたそうである。栗花落(つゆ)の井戸は社の前にあった。いつもは水が干からびているが、栗の花が落ちる五月ごろには、こんこんと水が湧き、附近八町歩の水田をうるおすと伝えていた。
(中略)
岡田ケイ(注:彳に奚)志の『摂陽群談』(一七〇一年刊)巻八には、この「梅雨井」のことがくわしく見えている。(中略)地主の姓もツユといい、世間では栗花落左衛門(つゆざえもん)と称したとある。
この不思議な井戸について、栗花落家には伝えがある。始祖の山田左衛門尉真勝は、淳仁天皇(四十七代)の時代に、朝廷に仕えていた。そのとき真勝は、横荻右大臣豊成の息女、白滝姫に恋をする。姫と歌の贈答があって、真勝の真心を知った姫は、その妻になる。やがて姫は亡くなるが、それが五月であった。屋敷の東の境に葬り、叢祠を建てて弁財天をまつった。そこから水が湧き、今に至るまで、その水が梅雨を知らせるという。この弁財天社が白滝明神であろう。
島根県の出雲地方とその周辺には、栗花落左衛門と同名のツユザエモンと呼ばれる蛇の伝えがある。ふだんは岩肌の割れ目などに姿を隠している蛇が、梅雨の期間中には、かならず胴体を現わすという。分布は、出雲から、備後の比婆郡、双三郡、石見の安濃郡、邑智郡一帯と、広島県北部から島根県西部に及んでいる。斐伊川沿いの地方では、これをツユジンと呼んでいる。ツユ神(じん)と解釈しているが、出雲の能義郡ではツユザイと称しているから、ツユジンもツユザエモンからの転訛であろう。
(中略)
蛇はしばしば水の神の姿である。梅雨期に蛇の挙動に注意したのは、稲田を耕作する農民にとって、水の恵みが一番気になる季節だからであろう。(中略)ツユザエモンが梅雨の時期を示すという観念は、水と蛇の違いはあるが、摂津の栗花落左衛門とまったく同じである。
(後略)
―引用ここまで―
引用したとおり、本来の『栗花落』の読みは「ツユ」であって「ツユリ」ではないと考えられる。しかし、摂津の梅雨井があった屋敷の所有者の名前が「栗花落理左衛門(つゆ・りざえもん?)」なのである。これは私の個人的な推測でしかないのだが、竈門炭治郎の彼女・栗花落カナヲの姓を「ツユリ」と読ませる設定にしたのは、作者・吾峠呼世晴による元ネタの示唆なのではないだろうか。
そして、鬼殺隊が鬼舞辻無惨を倒した後日談で、伊黒小芭内の遺した愛蛇・鏑丸(かぶらまる)を、栗花落カナヲが受け継ぐ流れになっているのも、水神・雨神である蛇神をツユザエモンと称する歴史的・民俗的事例と関係しているのではないだろうか。
最終的には日の呼吸を使うようになったとはいえ、竈門炭治郎は水の呼吸を使っていたのだから、その彼女である栗花落カナヲが、水神と縁の深い蛇(それも白蛇!)を受け継ぐのは似合っていると思える。
(1)anond:20221023223518からの続き
いくら視覚的な識別手段が機能しない状況下で重要な働きをするとはいっても、これらの三感覚によって人間は、本当に相手のことを知ること、理解することが果たして出来るであろうか? 例えば、聴覚によってパートナーの本性を知ることが、人間に出来るであろうか? 正直に言えば、私はそうは思えない。
例えば、和漢朗詠集などに収められている和歌に次のようなものがある。
「いつはりの 無き世なりせば 如何ばかり 人の言の葉 嬉しからまし(もしも、この世界に嘘[ウソ]というものが存在しなかったならば、どれほど素直に、想い人の口にした言葉を喜ぶことが出来ることか)」
二人きりの閨(ねや)で同衾して、耳元で甘い愛の言葉を囁かれても、それでもなお。これは、そういう歌ではないかと、私には思える。あるいは逆に、愛の言葉を幾ら紡いでも、想い人がこの歌のようなことを言って信じてくれない。そういう人の役割を演じて詠まれたとも考えられる。
このように、視覚が働こうが働くまいが、嗅覚・聴覚・触覚が働こうが働くまいが、それらの感覚によって得た情報から築き上げるパートナー像は、畢竟、想像の産物であって、実像とは異なるところがある。したがって、引用した箇所に示した小松和彦の言葉「想像力による夢幻の世界における営み」という記述は、現実を的確に表現した、極めて正しいものであると言える。
ただし、そのような現実を突きつけられた時に抱く感慨が、男と女との間で大きく異なるのではないだろうか。
視覚的な情報を強く志向する男という種族は、その視覚の働かない状況下で、代替手段として精一杯に駆使した嗅覚・聴覚・触覚によって得た情報を元に、必死で作り上げたパートナー像という理解が、単なる想像の産物に過ぎないと言われたら、大きな心理的ショックを受ける人が大多数なのではないだろうか。
それとは対照的に(と言っても私は女性ではないから、あくまでも私の[それこそ]想像に過ぎないのであるが)、女性の多くは、昔の人でも現代人でも、仮に「視覚によってであろうと、嗅覚・聴覚・触覚によってであろうと、あなたの得たパートナー像とは、あなたの想像の産物に過ぎませんよ」と言われたとしても、案外あっさりと「そうでしょうね」と言って受け止めることが出来る人も少なくないのではないか。そのように私には思える。
もし仮にそうなのだとしたらの話ではあるが、それは「覗き見の禁忌」の本質として小松和彦も指摘した、あの「『本来の女性の姿』を晒すことの禁忌」によって、多くの女性が日常的に、好むと好まざるとにかかわらず、化粧その他の余所行き用の装いを強いられる経験、すなわち「今現在(明かりの存在する状況下≒現世)の我々が互いに見ている/見せている姿は、そもそも仮の姿である」という経験を積んでいるからではないだろうか。だから、上で述べたような「想像力による夢幻の世界における営み」と言われても、女性の心の中では男性のようには齟齬や混乱を生じ難いのではないだろうか。
もしかしたら「虫愛づる姫君」の中で言われる「鬼と女とは人に見えぬぞよき」という言葉は「本当の自分を他人に見せること/知らせることが許されないのは、辛いことである」という抑圧の面と同時に「本当の自分を他人に見せずに/知られずに済むのは良いことである」という解放の面をも併せ持つ、アンビバレントな言葉なのではないだろうか。
『鬼滅の刃』の作者である吾峠呼世晴は、女性作家であると推測されている。だから、ここで私が言うような「嗅覚・聴覚・触覚により相手(人間)の本性を看破・把握する[できる]というのは、畢竟、幻想に過ぎない」ということも「女は本当の自分を隠さざるを得ないように強いられている」という現実も、先刻承知の上で作品を執筆したものと思われる。
『鬼滅の刃』の主要な女性キャラクターには、胡蝶しのぶ、栗花落カナヲ、甘露寺蜜璃のような「本当の自分を他人に見せられない/見せられなかった」という女性たちが登場する。その中でも、胡蝶しのぶの印象深い場面として、竈門炭治郎の鋭敏な嗅覚によって「何か怒ってます?」という言葉を掛けられ、彼女の心の裡に秘めていた鬼に対する強い怒りと、その元となった深い哀しみの感情が察知されるという場面がある。この描写には「虫愛づる姫君」の「人に見えぬぞよき」という言葉に類似する、女性のアンビバレンスが込められているように私には思われる。亡き姉の生前の笑顔溢れる姿を理想像として、それを模倣して演じているとはいえ、胡蝶しのぶには、甘露寺蜜璃や栗花落カナヲとは異なり「本当の自分」を隠すべき強い理由は、さほどないようにも思えるが、しかし、それでも何らかの理由で思いを隠したかったのであろう。その上で、他人から隠したいという思いと他人に知って欲しいという二つのアンビバレントな思いを、胡蝶しのぶは抱いていたのではないだろうか。炭治郎に本当の感情を察知された時の胡蝶しのぶの表情には、そのアンビバレンスが顕れているように見えたと言ったら言い過ぎだろうか。そんな胡蝶しのぶに似た女性は、現実の世界にも多数存在するように思われる。
そのような思いを抱いて生きざるを得ない女性たちに対する、救済の思いを込めて、嗅覚により心の本音を察知するという描写を『鬼滅の刃』の作者・吾峠呼世晴は生み出したのではないだろうか。
それは虚構に過ぎないかもしれないが、それでも「この世界と人よ、斯くあれよかし」という、慈しみを込めた虚構である。
そして、そのような虚構には捨て得ない価値があると、私は思う。何故なら「過酷な現実を知っても、それでもなお」という、表現者としての覚悟のようなものを感じるからである。
(了)
(2022/10/25追記)香り・嗅覚による本性の察知・看破または偽装について論じるならば、珠世様の血鬼術にも言及するべきであった。完全に失念しており、これは初歩的なミスである。お恥ずかしい限りである。
世間の流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。
ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。
ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫の論文は「わきくさ物語」と題する一篇である。
これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭を肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西の文学作品や文献に於ける腋臭や体臭に関する記述を比較したという内容である。今さら気づいたが、論文の題名は『若草物語』のパロディである。
金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本や中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体の臭いを肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的に日本や中国では、身体の臭いを讃美する文学作品や記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的な記述内容は見出される。日本の文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学は存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である。
それはともかく、かのナポレオンが愛人に宛てて「近々戦場から戻るから、風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。
しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚そのものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから、香り・匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的な記述が見られないからといって、体臭そのものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討が必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出しに源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合せ数学のテキストで例として挙げられることもある。]
とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である。
ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚は重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである。
さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。
『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手が人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。
この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。
まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるものと記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。
「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚に依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかから豊かに創り出されるイメージの、想像力による夢幻の世界における営みであった。そして、日本的女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」
奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語に主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦の論文や著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである。
さて、小松和彦の論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語や記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギの物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。
死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉の殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギが禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。
この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり、黄泉の国でイザナギとイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。
小松和彦の論文でも指摘されていることであるが、日本のイザナギ・イザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国の東晋時代の書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。
美しい女性と結婚した男が、妻から「私は普通の人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通の人間の女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったことから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である。
イザナギ・イザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である。
特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦は考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観・倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないかと推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性が要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものである。さらに、類似の物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。
死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚的表現が重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ、在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。
ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要性から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚の範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚・聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚が重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?
とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪を識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。
聴覚を妖怪の識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手の妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである。
触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪を識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典』静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所や時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。
問題は、嗅覚により妖怪を識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪の嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するものを人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシがスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたものを竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形と混同されるようになったからである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間の嗅覚ではなく妖怪の嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。
小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態、特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要な役割を果たすのは、嗅覚・聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである。特に、愛の営みに関しては、そうである。人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚の重要性が高まることは、必然であるように思われる。
とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証の必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである。
―――――――――――――――――――――――――――――
さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚・聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である。
文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411
No. | 漫画名 | 作者 | 発行部数 | 巻数 | 1巻当たり発行部数 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ワンピース ONE PIECE | 尾田 栄一郎 | 4億9000万 | 103 | 4,757,282 |
2 | ゴルゴ13 | さいとう たかを | 2億6000万 | 206 | 1,262,136 |
3 | ドラゴンボール | 鳥山明 | 2億5000万 | 42 | 5,952,381 |
4 | ナルトNARUTO | 岸本 斉史 | 2億5000万 | 72 | 3,472,222 |
5 | 名探偵コナン | 青山剛昌 | 1億5650万 | 102 | 1,534,314 |
6 | こちら葛飾区亀有公園前派出所 | 秋元 治 | 1億5000万 | 201 | 746,269 |
7 | 鬼滅の刃 | 吾峠呼世晴 | 1億3500万 | 23 | 5,869,565 |
8 | 美味しんぼ | 雁屋哲 | 1億2029万 | 111 | 1,083,694 |
9 | スラムダンクSLAMDUNK | 井上雄彦 | 1億2000万 | 31 | 3,870,968 |
10 | BLEACH ブリーチ | 久保帯人 | 1億 | 74 | 1,351,351 |
11 | ドラえもん | 藤子・F・不二雄 | 1億 | 45 | 2,222,222 |
12 | 鉄腕アトム | 手塚治虫 | 1億 | 21 | 4,761,905 |
13 | ジョジョの奇妙な冒険 | 荒木飛呂彦 | 1億 | 132 | 757,576 |
14 | タッチ | あだち 充 | 1億 | 26 | 3,846,154 |
15 | 金田一少年の事件簿 | 天樹征丸 | 1億 | 49 | 2,040,816 |
16 | 北斗の拳 | 武論尊 原哲夫 | 1億 | 27 | 3,703,704 |
17 | 進撃の巨人 | 諫山創 | 9600万 | 34 | 2,823,529 |
18 | はじめの一歩 | 森川 ジョージ | 9000万 | 135 | 666,667 |
19 | キングダム | 原泰久 | 8600万 | 65 | 1,323,077 |
20 | サザエさん | 長谷川町子 | 8500万 | 68 | 1,250,000 |
21 | バキBAKI | 板垣恵介 | 8200万 | 31 | 2,645,161 |
22 | バガボンド | 井上雄彦 | 8000万 | 37 | 2,162,162 |
23 | 三国志 | 横山 光輝 | 8000万 | 60 | 1,333,333 |
24 | キャプテン翼 | 高橋陽一 | 8000万 | 37 | 2,162,162 |
25 | 鋼の錬金術師 | 荒川弘 | 7800万 | 27 | 2,888,889 |
26 | HUNTER×HUNTER | 冨樫義博 | 7700万 | 36 | 2,138,889 |
27 | キン肉マン | ゆでたまご | 7200万 | 79 | 911,392 |
28 | るろうに剣心 | 和月伸宏 | 7200万 | 28 | 2,571,429 |
29 | FAIRYTAILフェアリーテイル | 真島ヒロ | 6500万 | 63 | 1,031,746 |
30 | 僕のヒーローアカデミア | 堀越耕平 | 6500万 | 36 | 1,805,556 |
31 | 呪術廻戦 | 芥見下々 | 6100万 | 20 | 3,050,000 |
32 | 花より男子 | 神尾葉子 | 6000万 | 37 | 1,621,622 |
33 | テニスの王子様 | 許斐剛 | 6000万 | 42 | 1,428,571 |
34 | ろくでなしBLUES | 森田まさのり | 5500万 | 42 | 1,309,524 |
35 | H2 | あだち充 | 5500万 | 34 | 1,617,647 |
36 | バッドボーイズ | 田中宏 | 5500万 | 22 | 2,500,000 |
37 | 銀魂 | 空知英秋 | 5500万 | 77 | 714,286 |
38 | メジャーMAJOR | 満田拓也 | 5400万 | 78 | 692,308 |
39 | クレヨンしんちゃん | 臼井儀人 | 5300万 | 50 | 1,060,000 |
40 | らんま1/2 | 高橋留美子 | 5300万 | 38 | 1,394,737 |
41 | ミナミの帝王 | 天王寺大 郷力也 | 5000万 | 167 | 299,401 |
42 | ハイキュー!! | 古舘春一 | 5000万 | 45 | 1,111,111 |
43 | ガラスの仮面 | 美内すずえ | 5000万 | 27 | 1,851,852 |
44 | ドラゴンクエスト-ダイの大冒険- | 三条陸 稲田浩司 | 5000万 | 37 | 1,351,351 |
45 | GTO | 藤沢とおる | 5000万 | 25 | 2,000,000 |
46 | CITY HUNTER | 北条司 | 5000万 | 35 | 1,428,571 |
47 | 幽遊白書 | 冨樫義博 | 5000万 | 19 | 2,631,579 |
48 | COBRA コブラ | 寺沢武一 | 5000万 | 12 | 4,166,667 |
49 | 頭文字D | しげの秀一 | 5000万 | 48 | 1,041,667 |
50 | NANA | 矢沢あい | 5000万 | 21 | 2,380,952 |
51 | 犬夜叉 | 高橋留美子 | 5000万 | 56 | 892,857 |
52 | ベルセルク | 三浦建太郎 | 5000万 | 41 | 1,219,512 |
53 | デビルマン | 永井豪 | 5000万 | 5 | 10,000,000 |
54 | 東京卍リベンジャーズ | 和久井健 | 4800万 | 29 | 1,655,172 |
55 | ドカベン | 水島新司 | 4700万 | 48 | 979,167 |
56 | 東京喰種 | 石田スイ | 4600万 | 30 | 1,533,333 |
57 | クローズCROWS | 高橋ヒロシ | 4564万 | 26 | 1,755,385 |
58 | ブラック・ジャック | 手塚治虫 | 4500万 | 25 | 1,800,000 |
59 | 静かなるドン | 新田たつお | 4500万 | 108 | 416,667 |
60 | DEAR BOYS | 八神ひろき | 4500万 | 89 | 505,618 |
61 | あっぱれ!浦安鉄筋家族 | 浜岡賢次 | 4400万 | 24 | 1,833,333 |
62 | 課長島耕作 | 弘兼憲史 | 4010万 | 17 | 2,358,824 |
63 | BE-BOP-HIGHSCHOOL | きうちかずひろ | 4000万 | 48 | 833,333 |
64 | 今日から俺は!! | 西森博之 | 4000万 | 38 | 1,052,632 |
65 | シュート! | 大島司 | 4000万 | 33 | 1,212,121 |
66 | 遊☆戯☆王 | 高橋和希 | 4000万 | 38 | 1,052,632 |
67 | 王家の紋章 | 細川智栄子 | 4000万 | 68 | 588,235 |
68 | ダイヤのA | 寺嶋裕二 | 3870万 | 47 | 823,404 |
69 | のだめカンタービレ | 二ノ宮知子 | 3800万 | 25 | 1,520,000 |
70 | 釣りキチ三平 | 矢口高雄 | 3800万 | 39 | 974,359 |
71 | シャーマンキング | 武井宏之 | 3700万 | 35 | 1,057,143 |
72 | 七つの大罪 | 鈴木央 | 3600万 | 41 | 878,049 |
73 | 20世紀少年 | 浦沢直樹 | 3600万 | 22 | 1,636,364 |
74 | クッキングパパ | うえやまとち | 3500万 | 162 | 216,049 |
75 | Dr.スランプ | 鳥山明 | 3500万 | 18 | 1,944,444 |
76 | イタズラなKiss | 多田かおる | 3500万 | 23 | 1,521,739 |
77 | 聖闘士星矢 | 車田正美 | 3500万 | 28 | 1,250,000 |
78 | ワースト WORST | 高橋ヒロシ | 3300万 | 33 | 1,000,000 |
79 | 3×3EYES | 高田 裕三 | 3300万 | 40 | 825,000 |
80 | 君に届け | 椎名軽穂 | 3250万 | 30 | 1,083,333 |
81 | ちびまる子ちゃん | さくらももこ | 3200万 | 17 | 1,882,353 |
82 | 約束のネバーランド | 白井カイウ 出水ぽすか | 3100万 | 20 | 1,550,000 |
83 | 黒子のバスケ | 藤巻忠俊 | 3100万 | 30 | 1,033,333 |
84 | とある魔術の禁書目録 | 鎌池和馬 | 3000万 | 27 | 1,111,111 |
85 | YAWARA!ヤワラ! | 浦沢直樹 | 3000万 | 29 | 1,034,483 |
86 | じゃりン子チエ | はるき悦巳 | 3000万 | 47 | 638,298 |
87 | カメレオン | 加瀬あつし | 3000万 | 47 | 638,298 |
88 | うる星やつら | 高橋留美子 | 3000万 | 34 | 882,353 |
89 | サラリーマン金太郎 | 本宮ひろ志 | 3000万 | 20 | 1,500,000 |
90 | デスノート | 小畑健 大場つぐみ | 3000万 | 13 | 2,307,692 |
91 | リボーン 家庭教師ヒットマンREBORN! | 天野明 | 3000万 | 42 | 714,286 |
92 | バスタード BASTARD!! | 萩原一至 | 3000万 | 27 | 1,111,111 |
93 | うしおととら | 藤田和日郎 | 3000万 | 33 | 909,091 |
94 | フルーツバスケット | 高屋奈月 | 3000万 | 23 | 1,304,348 |
95 | 黒執事 | 枢やな | 3000万 | 32 | 937,500 |
96 | 美少女戦士セーラームーン | 武内直子 | 3000万 | 18 | 1,666,667 |
97 | 転生したらスライムだった件 | 伏瀬 川上泰樹 | 2900万 | 21 | 1,380,952 |
98 | 疾風伝説 特攻の拓 | 佐木飛朗斗 | 2800万 | 27 | 1,037,037 |
99 | ときめきトゥナイト | 池野恋 | 2700万 | 31 | 870,968 |
100 | ふたりエッチ | 克・亜樹 | 2700万 | 87 | 310,345 |
101 | 鬼平犯科帳 | 池波正太郎 | 2700万 | 74 | 364,865 |
集計に間違いがあればご指摘ください
次にくるマンガ大賞は将来性の話なのかな。
いずれにせよ、芳文社もアニプレックスも「ぼっち・ざ・ろっく」を大ヒットさせるのにかなり必死だと思うよ。
まず、「ぼっち・ざ・ろっく」の製作委員会が芳文社とアニプレックスの2社のみ。名義は製作委員会にありがちなものではなく、「芳文社・アニプレックス」と社名列記。
他にも例があるけど、化物語、鬼滅の刃、はたらく細胞という大成功作。
実際に見比べてみよう。
アニプレックスと芳文社はぼざろの製作にかなり出資していると思う。
特に芳文社は、集英社や講談社と大手出版社と違って中小企業だからね。万が一コケたら、芳文社は経営危機に陥るのではないのか。
アニプレックスはぼざろを"約束された成功作"にするため、制作会社をCloverWorksにした。
CloverWorksはクオリティの高いアニメを制作する、今最も勢いのある制作会社だ。
今年は冬アニメで「その着せ替え人形は恋をする」や「明日ちゃんのセーラー服」を大成功させ、春アニメと秋アニメで超話題作「SPY×FAMILY」を制作している。
この制作会社の名前が出るだけでクオリティは保証されているようなもの。
実際、ぼざろのスタッフには着せ恋や明日ちゃんを手掛けた超優秀なアニメーターが集結しており、綺麗な作画で大きな話題を読んだ。
ぼざろの動向に注目が集まる。
https://anond.hatelabo.jp/20220701203714
↑を見て日本のマンガ史の重厚さと幅広さを実感し、媒体レベルでまとめるのは無理だと悟った
せめて出版社、掲載誌レベルじゃないと議論がとっ散らかりすぎるから一旦みんな好きそうなWJで作ってみた(ジャンプ専業とそうでない人の比較においてアンフェアな気がしたので作者単位ではなく作品単位にした)
選考基準は独断と偏見でしかなく、強いて言えば後世の作家への影響、言語化できないジャンプっぽさを重視している。ランキングではなく、連載開始順に並べただけです
黎明期レジェンド枠。現代の観点で言えばいろいろと問題ありそうだけど、サービスエロがジャンプマンガの大きな側面を担っていた事実は否定できないし、そもそもこの作品の売上が無かったらジャンプが存続してたかも怪しいので入れざるを得ない。
黎明期レジェンド枠2。ジャンプ黎明期の売り上げを支えつつ、不良系マンガを一大ジャンルとして確立させた意味で実は物凄く偉大な作品なのでは?という印象。これが無かったら東リべも存在しないよ多分。
ギネス記録である40年にわたる長期連載、そしてサブカルチャー全般を積極的に題材として取り入れたことで現代日本の風俗、文化を凝縮したような史料的価値を持つ作品になった点を評価したい。
黎明期レジェンド枠3。売り上げもさることながら、見開きを用いたド派手な演出の数々や、「荒唐無稽な能力バトル」というジャンルを確立させた点を評価したい。(このジャンルのパイオニアはアストロ球団なのだが、後進への影響はこちらが上かなと思う)
リングにかけろが確立したバトルマンガ路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品という認識。初めてのジャンプ黄金期を作った作品で、キン消しとか一般社会への影響力もすごい。
あと個性豊かなキャラクターの関係性が面白い。「友情・努力・勝利」の「友情」はほとんどキン肉マンで作り上げられたイメージなんじゃないかな。
勝利や友情といったそれまでのスポーツマンガの王道を抑えるのみならず、サッカーという競技本来のリアルな楽しさにフォーカスすることで、現実社会でもサッカーブームを巻き起こした。マンガ史全体としてはドカベンがそういうジャンルのパイオニアだけど、ジャンプで言えばキャプ翼がそれ。海外で人気が爆発したほぼ初めてのジャンプ作品という点も評価したい。
80年代のジャンプの象徴といえる作品。創刊以来、ジャンプの主たる系統であった劇画タッチやハードボイルドな男向けの作風の最高到達点だと思う。
90年代中盤のジャンプ黄金期を牽引した作品であり、連載が終了してなおもジャンプ、日本のマンガ文化の頂点に君臨する作品。急激な路線変更、無理やり感ある後付け設定と引き延ばしなど、負のジャンプらしさをも象徴している。
国民的作品として定着してきたのはここ数年って感じはするけど、現代の異能バトルマンガはほぼ全てジョジョ3部の影響下にあると思うので入れざるを得ない。
スポーツマンガの金字塔としてやはり外せない。勝利と成長の喜び、敗北と挫折の苦さがこれ以上なく詰まっている。マンガの域を超えて心に響く名言が多いのも特徴だと思う。
特筆して後世への影響や売り上げがずば抜けている印象はないけど、DB幽白スラダン終了後ワンピナルトブリーチが現れるまでの柱としてジャンプ暗黒期を支えた世代の代表として入れておきたい。
ここに入れるのはだいぶ攻めてるような気もするが、集英社における映像媒体以外のメディアミックスとして最大の成功例ではあるのでね。お金は正義。
ラブコメ枠から選ぶならこれかな。ジャンプの主たる読者層である10代の甘酸っぱい青春がこれ以上なく伝わってくる作品。肉感的なエロさを持った絵は典型的な少年マンガっぽくありつつ、キャラクターの内面を繊細に描き出す表現力が見事。
大河ドラマ的な作風であったり、連載中であったり、作画コストが高すぎたりで他作品へ与えた影響がまるで感じられない(マネしたくてもできない)点が評価を迷うポイント。でもなんだかんだ国民的マンガ、ジャンプの看板の地位は譲ってないのがすごい。
残酷で先の読めない展開、異常に複雑で難解な設定、それでいて少年マンガ的なシンプルな熱さを持ち合わせた稀有な作品。「続きが気になるマンガ」を描かせたらなんだかんだ冨樫の右に出るものはいない。
純粋なギャグ枠から一作入れたかった。読者をただ笑わせるパワーにおいて、この作品を超えるものはジャンプ史上ないと思う。
サスペンスを主体としたマンガとしてこれ以上ない完成度。ジャンプ作品って大別するとバトルものスポーツもの恋愛ものギャグもののどれかになると思うんだけど、それ以外のジャンルで最も成功を収めた作品な気がする。
趣味の多様化、出版不況といった逆風を跳ね返せる力がマンガにはまだあると示してくれた功績がデカい。それは単行本の売り上げや映画の興行収入より何倍も価値がある。
今のジャンプ、ジャンプ+がどんどんジャンルレス化している主たる要因はやはり藤本タツキだなーと思う。コンセプチュアルでありながら大衆性、少年ウケを奥底に秘めた感じというか。まだそこまで顕在化してないけど、今後10年でタツキフォロワーが無限に産まれそうな予感がするので入れておく。
https://anond.hatelabo.jp/20220630040756
ブコメ返信書きました!沢山おすすめしていただいてありがとうございます!
知らないのも多くて嬉しい
好きな漫画探しても既読か知ってるか読んでも微妙以外が3%しかない!助けて!!
自分の好みど真ん中のやつ
キーワードにするとすこしふしぎ、日常物、児童書っぽさなどが好き
・モモ
・白乙一
長い道
クロクロク
虫と歌
働かないふたり
変身のニュース
足摺水族館
夜とコンクリート
無限大の日々
最果てアーケード
鞄図書館
バーナード嬢曰く
つづきはまた明日
雨柳堂夢咄
クレマチカ靴店
放課後保健室
GA学園
棺桶担ぎのクロ
夢の博物誌
二度寝してた……すまん
夢幻紳士(何篇かは忘れた)
あかりや(無料公開しているのにAmazonで買ってから気づいた)
https://www.mangaz.com/book/detail/46061
最果てのソルテ(水上悟志作品は完結済みだとサイコスタッフ、惑星のさみだれ、戦国妖狐読んでて戦後妖狐大好きだけど児童書よりは少年漫画寄りかな?と思って上げなかった。ソルテは児童書感が一番強いので一番に好きになりそう!)
銀のニーナ
なんてないことのふつうの夜に
春と盆暗
回転銀河
となりのロボット
ゆうてテガミバチもネウロもハガレンも大好きな人間なので別にとにかく面白いけどマイナーな漫画でも投げてくれて全然かまいません!小説映画曲アニメゲームドラマでも可
③なんでもいいので知らないおすすめ作品ぐらいの優先順位でお願いします。
児童書とラノベ読んで育ち漫画描き出してからは漫画ばかり読んでいるので他分野
ゲーム、映画、ドラマ、アニメ、女性向けの漫画は知識が薄いです。
つーわけで漫画に詳しいブクマカ頼みましたよ……私は寝ます……
無事本日の漫画増田になれたようで沢山ブクマでお薦めしていただきありがとうございます。
【宣伝】カシワイさんに影響受けてた時に描いた漫画まとめてるから、すこしふしぎ日常ファンタジー短編読みたい人は読んでみてね!
https://twitter.com/i/events/1446098829112070146?s=21&t=vKyvx4ZJwyhLKOX26W6q6Q
「プリキュア」「ワンピース」など、東映アニメーション4作品の通常放送再開が発表 「お待たせをして申し訳ございません」
https://animeanime.jp/article/2022/04/06/68680.html
約十年前、曇りだったあの日。新卒で入った会社で人材営業をする日々に疲弊していた頃、新宿駅構内で、あるエンタメ企業の求人ポスターを見かけた。
アニメを作る仕事をしたことはなかったが、興味を感じて応募したところ、あれよあれよという間に内定をいただいた。役員面接はパスだった。
それからの私は、『アニメを作る仕事』に邁進する日々を過ごすことになる。長い時間だった。毎日が修業だった。
数年前、無理がたたって病院送りになった。心も体も限界だったのだ。大したレベルではないが後遺症も残った。退院後も結局、心身の調子は回復しなかった。
それで、退職を申し出て、東京から遠く離れた田舎に帰った(のんのんびよりの聖地が近くにある)。今はお堅い仕事に就いている。
十分な時間が過ぎた。そろそろ、当時を振り返ってもよいのではないか。あの日々への整理を付けられるはずだ。今から、エンタメ企業のアニメ部門で○年の時を過ごした男の話をする。
この記事で述べたいのは、シンプルに2点(5/4 以前はシンプリーでした。ブクマでご指摘いただきありがとうございます)。エンターテイメント業界で働いて面白かったことと、つまらなかったことだ。直情的に言うと、『心と体の奥底から感動できたこと』と、『エンタメ業界のほの暗いところ(要するに、こいつらマジでクソだなと思ったこと)』だ。どちらもけっこうな数がある。
それでは、さっそく説明していく。
子どもの頃はアニメが好きだった。一番ハマったのは、『魔法陣グルグル』だった気がする。衛星放送では『白鯨伝説』やCLAMP作品を見ていた。
だが、小学校生活の終わり頃から学習塾に通うようになり、夕方以降にやっているアニメを見れなくなった。中学で勉強漬けの日々を過ごしていた私は、いつの間にやらアニメのことを一切忘れてしまった。
いや、違う。大学の時は、深夜にやっているアニメをたまに見ていた。「コードギアス」「DARKER THAN BLACK -黒の契約者-」「蟲師」「夏目友人帳」あたりは確実に見ていた。
人材営業の会社で働くようになってからは、金曜日の深夜に自宅に帰った時、疲れ切った頭でテレビを点けて「こんなアニメあったっけ」と、ボンヤリした気分で視聴することがあった。
私はたぶん、アニメが好きだったんだろう。なぜ見なくなったのかと言えば、十分楽しめるだけの精神的余裕がなかったからだ。ならばいっそ、見ない方がいい。中途半端に楽しむのは嫌だ。中学生になった時も、そんな動機でアニメを一切見なくなったのだ。きっと。
そんな私が、アニメーション作品などを作る会社(以下「弊社」という。)に入社した後は、これまたどっぷりと『世界』に浸かることになった。入社から退職まで人事異動はなく、ずっとアニメ製作部門だった。
最初の頃は、アニメ雑誌のインタビュー記事に出るようなプロデューサーその他の足もとで働いた。雑用はもちろんのこと、小さい企画を考案したり、経理その他の事務や、各関係者とのスケジュール調整などを担っていた。ホワイトカラーに毛が生えたような業務内容だ。
ところで、人生で一番最初に携わったアニメは、某少女コミックでそこそこ人気を博した作品だった。タイトルは言わないが、雰囲気は『隣の怪物くん』に似ている。私が入社する半年前から企画が始まっており、当初の担当者から引継ぎを受けた。携わったといっても、スタッフロールに名前が載るわけでもない端役としてだが。実際、大したことはしなかった。やはりホワイトカラーの枠内に納まる仕事だ。
しかし、これは実際に私の世界を拡げてくれた。方々の兵が集まる企画会議に、必要とあらば関係各所を訪問して説得交渉にあたり、お金の雲行きが怪しくなればどうにかやり繰りをする(ダメなら追加出資か企画削減)。ごく稀に、スタジオ等の収録現場では声優の本気と、半面その悲哀を目の当たりにし(ここらへんは後述)、成功した作品の打ち上げ会では、自分達が作った数字を眺めて溜飲を下げる。
長い月日が経って、エンタメ業界に慣れてきた頃だと、新作の立ち上げに、利害関係者間の調整(交渉)に、プロジェクト全体の損益見通しの皮算用に、イベントの企画運営に、ホームページの管理に……とにかく、アニメを見ない日はなかった。
面白かったのは、いろんな業界の人に会えることだ。クリエイターには当然会えるし、経営者にも会えるし、事務屋とも話をするし、現場労働で身を焦がす人も間近で観られる。特に印象に残っているのは、漫画家と声優だ。アニメーターとは、あまり交流の機会がなかった……。
とあるアニメの原作者が一番印象に残っている。つまりは作品の神だ。例の人と呼ばせていただく。
例の人は、ほかの漫画家とは一線を画していた。私がいっぱしに携わったと公言できるアニメは計20本近くになるのだが、その半数は漫画原作である。私達は、最低でも一度は彼ら彼女ら(作品の神)の姿を拝むことになる。機会は少ないが。
原作とシナリオを変える時には事前に伺いを立てるし(ex.某鬼狩りアニメの敵役の台詞である「禍福は糾える縄の如しだろ~」は改変が検討されたらしい。彼が難しい言葉を知っている境遇ではないため)、重要な放送回だと制作現場に来てもらうし、打ち上げその他のパーティーがあれば楽しんでもらえるように最大限配慮する。
自作がアニメ化されるレベルの漫画家や小説家というのは、揃いも揃って個性派だ。めちゃくちゃに大騒ぎをする人もいれば、ひたすら黙って沈思黙考の人もいれば、なんかもう色々とはっちゃける人もいれば、欲望丸出しで悪い意味で子どもみたいな人もいれば、一般企業でも通用しそうな思考や行動の持ち主もいる。
例の人は、漫画家として優れているだけでなく、人格も見識も申し分なかった。落ち着いた性格で、人柄がよくて、教養もあった。話のやり取りすべてが学びに繋がり、励みになった。初めて会った時の吾峠呼世晴さんは、とにかく、これまで出会った数多の創造者の中で抜きん出ていた。
普通、ラスボスの人格の根底を太平洋戦争末期の日本の政治指導者(所謂ファシスト)に置くなど、誰が考えつくだろうか。私は、鬼舞辻無惨の例の粛清の場面を読んだ時、丸山真男の「現代政治の思想と行動」が真っ先に頭に浮かんだ。あの時、脳に痺れを感じたのを覚えている。
この類の書物を読んで、無惨様のキャラクターを作ったのは間違いないのだ。自らを善とするためであれば、どんな言辞をも取り入れ、どんな諫言も亡きものにする。
例として、あの粛清の時に魘夢が助かったのは、「無惨様を肯定したから」だ。「下弦の鬼を解体する」というトップが決めた戦略方針が、たったの一言で撤回された――常なる無謬性がファシズムの基本である。
あの時、「無惨様のキャラ付けは旧日本軍を意識したのですか」と聞いておけばよかった。残りの人生で聞くことができる機会は二度とない。無念だ。
しかも彼等はみな、何物か見えざる力に駆り立てられ、失敗の恐しさにわななきながら目をつぶって突き進んだのである。彼等は戦争を欲したかといえば然りであり、彼等は戦争を避けようとしたかといえばこれまた然りということになる。戦争を欲したにも拘らず戦争を避けようとし、戦争を避けようとしたにも拘らず戦争の道を敢て選んだのが事の実相であった。政治権力のあらゆる非計画性と非組織性にも拘らずそれはまぎれもなく戦争へと方向づけられていた。
この業界で働いていて、「この感じ、苦手だな」「マジでクソだな」と感じたことは当然ある。字数の関係もあるが、何点かに分けて述べていく。声優の悲哀とか、人間の嫉妬やねたみの話になる。
TVアニメ「CUE!」 [Amazon prime video]
https://www.amazon.co.jp/dp/B09PNVWC8S
まだ新人だった頃、先輩(兼上司)に連れられて現場を見ることがあった。現場というのは、アニメ制作会社とか、編集スタジオとか、音声の収録現場などだ。
そのためだけに現場に行くのではなく、何かの機会のついでに現場作業の見学を申し出るのだ。それで、不思議に思って聞いたことがある。
「(私達は)技術的なことはわからないのに、どうして現場に行くんですか?」
と。それに対して、彼はこう言っていたはずだ。
「確かに分からない。仮に、目の前で手抜きをされたとしても見抜けないだろう。でも、企画側である俺達が現場に行くことで、『あなたの仕事を見ている』というメッセージを伝えることができる。俺達はこの作品に熱をもっていて、いいコンテンツを作れる未来を目指してる。そういう想いを行動で伝えるんだ」
みたいな回答だった。
これは今の私が大事にしていることでもある。要は、発注側が受注側の実仕事をどこまで見るべきかという話だ。今現在の私は、受注側の失敗が社会的に許されない類の仕事をしている。転職後に大きな失敗をしでかさなかったのは、あの先輩のお陰だ。
さて。私が二十代後半の頃だ。例の先輩と一緒に、声優がいる収録現場に初めて音連れたのは。スタジオに入ってしばらく進むと、小ホールみたいな広い空間(座椅子が並んでいる待合スペース。十数人はいた。ほぼ声優+マネージャー)に出た。その奥に、マイクが並んでいる部屋が映った。木目調で温もりを感じる、しっとりとした空間なのだが、当時の私に予想できるはずもなく。カラオケみたいだなー、とテキトーに想念していた。
私と先輩が小ホールに入るなり、セミフォーマルな恰好の何人かが寄ってきて、隣にいる先輩に挨拶していた。私も混ぜてもらい、名刺を交換した。
雑談が終わって斜め後ろを振り向くと、女の子と淑女が1人ずつ、あとは男の子が1人、まごつくように並んで私を見ていた――人生で初めて見た声優だった。後で知ったが、攻めのある挨拶活動で知られる声優事務所だった。
ひとりずつ私達の前に出てきて、「~~と申します。(簡単な自己紹介)よろしくお願いいたします!」と、ハキハキした声でアピールをやってのけた。そのうちの淑女は、私の着ていた衣服(お気に入りのやつ)と指輪を褒めるとともに、香水をつけていることを見抜いた(やるな……と感じた)。男の子は謎の一発ギャグを仕掛けてきたのを覚えている。
※かなり昔のことだが、内容は一応伏せる。当日記では、声優個人の名前を出すことはない。
私も「よろしくお願いします」と返したものの、微妙な気分になった。たとえ私がどれだけ昇進しようと、彼女たちのキャスティングに関わる可能性は皆無だからだ。まったくゼロではないが……。
例えば、アナウンサーになりたい女子大生は、いろんなイベントにコンパニオンとして参加することで武者修行をするわけだろう。それらのイベントでは、今後関わり合いになる人だろうと、これっきりの人だろうと、あの子達は全力で挨拶活動をしていた。熱意は感じるのだが、やはり私には引っかかるものがある。
こんなことを思っている時点で、私はそういう職業には縁がないのかもしれない。今、私は『効率』という観点で物を考えた。あの声優の子が私に挨拶をしても報われる可能性はないのに、と考えた。夢中になっている人間は効率のことは考えない。やれることをすべてやる。それだけだ。
何かに心をとらえられ、たちまち熱中してしまうのは、謎にみちた不思議なことだが、それは子どももおとなと変わらない。そういう情熱のとりこになってしまった者にはどうしてなのか説明することができないし、そういう経験をしたことのない者には理解することができない。山の頂を征服することに命を賭ける者がいるが、なぜそんなことをするのか、だれ一人、その当人さえもほんとうに説明することはできないものだ。
はてしない物語(1982) 上田 真而子 (翻訳), 佐藤 真理子 (翻訳), Michael Ende (原著) P.17
あの子達は本気だった。報われようが報われまいが、声優として活躍すると決めたからには、生き残るために何でもやる。上でURLを貼ったアマゾンのレビューにもあるが、声優は堅気の仕事ではない。勝った負けたで全部決まる。精一杯頑張っても生き残れる保証はない。選ばれた者だけが生き残る――余談だが、あの時の淑女と男の子は今でも活躍している。女の子はだめだった。
さて。淑女と男の子は、実力があるうえに、礼儀正しく、サービス精神も豊富だった。それが生き残った理由だ。しかし、声優全般が行う営業活動には後ろ暗いものも当然ある。5ちゃんねるとかで、たまにアニメ業界の出身者がスレッドを立てて降臨することがあるだろう。
それで、やり取りの中で、誰かが「枕営業ってあるの?」と質問をする。スレ主は「そんなのないよ」「聞いたことない」と応えるのが定番だ。
これは、私個人の日記だ。この際だからはっきり言う。枕営業をしている声優はいるし、やらさせている声優もいる。重要なフォローをさせてもらうが、芸能界の表舞台――ひとつの契約で何百万もの金が動く――に比べれば圧倒的に数は少ない。声優関係のギャラというのは、例えば女性タレントが出るCM撮影や、青年誌のグラビアや、全国各所での公演活動と比べても相当に廉価だ。1回の収録につき数万円以内で呼べてしまう。表舞台に比べると利権は少ない。
それでも、そういうことはある。パターンは簡単に分けて2つ。いっぱしの声優になりたい、もしくは声優であり続けたい者が、キャスティング権がありそうな人に近づいて配役を得ようとする。
スタジオでの雑談や、小さい贈り物や、二人きりでの食事くらいで留めておけばいいものを、一線を超えてしまう場合もある。私が30才を過ぎた頃、例の収録現場で、声優に「よかったらご飯行きましょう」などと声をかけられたことがある(最終的な内訳:男性が2人、女性が5人)。
その際、はっきりと「ごめんね。私にキャスティング権はないんだ」と答えた場合、彼ら彼女らを傷つけてしまう可能性が高い。いや、はっきりいって『侮辱』である。なので断り方が難しかった。「帰って社内会議があるので」みたいな返答をしていた。
これはまだいい。声優個人or事務所の意思の問題だ。「あの役がほしい」とどうしても思っていて、そのためなら何でもやるという覚悟と責任さえあれば、枕営業は罪ではないと私個人は感じる。「この業界は堅気じゃない」とはそういうことだ。
(追記)正直に言うと、私の妻が声優だった頃に食事に行ったことがある。私から誘ったので上の内訳には入れていない。
以上、「この感じ、苦手だな」と思ったことを述べた。以下に語るのは「マジでクソだな」と思ったことになる。すなわち、個人が望んでいる保証のない枕営業のことだ。アニメ業界に限ったことではなく、エンタメ業界には先日話題になった映画監督のような『畜生』が何人もいる。結果を出している人間の一部がやりたい放題やっているのだ。
まだエンタメ業界にいた頃、そんな人間に捕まったと思われる(主に女性)声優の話を聞くたびに胸が痛くなった。このような話題が、どうして私などの塵芥の耳に届いているのか……? そう考えると、さらに心が抉られる思いがした。
おそらくは、やった本人または関係者が面白がって吹聴している。私のところまで噂が届くということは、そういうことだ。いろんな声優の姿が脳裏をよぎった。「あの子は大丈夫だろうか」といらぬ心配をしてしまうほど、当時の私には『噂』がグッサリと刺さった。
さて。エンタメ業界に恩があるのも事実だ。下種な話題はこれくらいに留めておこう。気が付けば字数がない。前後に分けることにする。
【後編】
を読んで、そう言えば自分も似たような事を思っていたなと思い出した。
昔ジョジョが大好きだった時期にネットでこれを見てショックを受けたんだ
ジョジョのパクリ検証画像その1(写真、イラスト編)
ttps://web.archive.org/web/20120724071231/http://www30.atwiki.jp/ichi-1/pages/12.html
ジョジョのパクリ糾弾スレテンプレその2
ttps://web.archive.org/web/20120717131810/http://www30.atwiki.jp/ichi-1/pages/13.html
ジョジョのパクリ糾弾スレテンプレその3
ttps://web.archive.org/web/20121112141851/http://www30.atwiki.jp/ichi-1/pages/15.html
ジョジョのパクリ検証画像その4(楳図かずお編)
ttps://web.archive.org/web/20121112231135/http://www30.atwiki.jp/ichi-1/pages/18.html
おまけ1
ttps://web.archive.org/web/20121112112347/http://www30.atwiki.jp/ichi-1/pages/19.html
おまけ2
ttps://web.archive.org/web/20121112105337/http://www30.atwiki.jp/ichi-1/pages/17.html
ジョジョって滅茶苦茶独特で個性あんなあああーーーって思ってたから、割と元ネタからまんま拝借してるのがショックだった
数年くらいはショックを引き摺っていた気がするけど、それはそれとしてスティール・ボール・ランも読み続けていたしいつしかショックから立ち直っていた気がする
それでもこれを見た後に最近の漫画はパクリがどうの言われてるのを見ると「いやジョジョの方がずっと昔にそのまんまパクってるよ」とは言いたくなる
…
ナルトの一話でイルカ先生とナルトのエピソードにマジで感動していたのに、
後年読んだうしおととらでほぼ同じ流れのシーンがあってあの感動の名シーンもパクリだったんかい!と本気でショック受けてそれからナルトも読まなくなった気がする
ttps://pbs.twimg.com/media/EE62-x_UUAASDsP?format=jpg&name=medium
大友克洋や沙村広明、忍空に影響を受けた事は公言してるのにそのままエピソードをパクったうしとらと藤田和日郎には何も言及無いんかい!とは思った
…
ハンターハンターの方はジョジョと違って漁っても昔のテンプレサイトとか出て来ないけど
伊藤潤二作品から結構そのままパクってた検証画像があったと思う
幽遊白書の一話も何かの恋愛物作品からそのままパクってた、って画像を昔ネットで見てショックを受けた覚えがある
だからハンターハンターがパクられる側になってもそれは自分がやった事をそのままされてるだけだから人に言えないんじゃねえかなぁって思っちゃう
…
最近流行りの鬼滅もジョジョ、ブリーチ、銀魂あたりから影響受けてる事は吾峠呼世晴先生が自分の好きな作品に挙げてるけど
我間乱って比較的マイナーな少年漫画からそのまんま剣術の型をパクってきたんじゃないの?みたいな話は一切聞いた事無いし
絵柄とかキャラクターの造形とか昔の少女漫画にまんまそっくりのがあるとも聞いたけど誰も話題にしている所も見た事が無い
鬼滅の刃がパクってきた作品まとめwiki
こじつけじゃあねーか?みたいな奴もあるし、自分が好きな作品から影響受けたキャラをそのまま自分の作品に出すのは微笑ましい感じで嫌いじゃないけど
…
ここからが本題だけど
何故「古塔つみ氏」や「呪術廻戦(BLACK CAT等も)」のパクリ、トレースとされる物は許されず
「ジョジョの奇妙な冒険」と「荒木飛呂彦氏」、「ハンターハンター」と「冨樫義博」のパクリ・トレースとされる物が許されるのか
これはもう滅茶苦茶単純な話で
これ以外に答えは無いと思う。
仮にジョジョの奇妙な冒険やハンターハンターが今イチからジャンプで連載されて面白い!って話題になっても、トレースだのパクリだのは絶対炎上するよ。
元ネタが週刊少年ジャンプの読者が知らなさそうなマイナーな物から取っている、というのもあると思う。バレないようにこっそりやれ、って事だろうね。
例えば今手塚治虫や藤子不二雄があの海外の名作からネタをパクっていた!なんて誰かの目に入っても炎上するとは思わない
何故なら偉大な先人漫画家には「権威」があり、「権威」とは「力」だからだ。要は力がある強い人の不正を糾弾しよう、なんて皆思わない訳ですね
だからまあ、パクリやトレースが叩かれる人は人気や権威が無い人なんだろうな、と思ってる。完全オリジナルで作品を作るクリエイターなんて居ない訳だしね
って反論が来る事は分かっていた。実際自分もそう思う。そう思うけど
ここら辺のめっちゃ良い台詞と名場面だなァァァーーーって思ってた所が他の作品からのパクリ…というか模倣だったのは当時凄い衝撃だった
空手バカ一代面白いし名作だし荒木先生も少年時代に梶原一騎作品に触れた年代の人だから影響大きいのは分かるけどね
ナルトの一話もそうだけど、感動の名場面を他の作品から他の作品から拝借したって展開は元の作品を知ってる人はパロディ・オマージュとして楽しめても
ひょっとして一昔前にガンダムSEEDが同じガンダムシリーズにも関わらず初代ガンダムやZガンダムのパクリと言われたのも同じような理由なんだろうか?
今となっては当時のあの熱狂なんて思い出せる訳もないけど…
荒木飛呂彦先生が原哲夫先生の元アシスタントという事は知っていたけど、ジョナサンが槍を振り回すシーンがまんま北斗の拳でケンシロウが槍を振り回すシーンと同じだったのは驚いたかな
大晦日に気づいたんだが、この世で才能を発揮してる人たちだけが本当の人間でそれ以外の人って世界を維持するためのAIなんじゃないか?
ジェフベゾスが大金持ちになれるのはなぜか?大量の消費者がいるからだ。鬼滅の刃が300億、呪術廻戦が初動で10億稼げてるのはなぜか。これも大量の消費者がいるからだ。
ジェフベゾスはすごいサービス作って世界征服してやろうとか思ってるだろうし吾峠呼世晴先生や芥見下々先生は面白い漫画描いてやろう!という熱い気持ちがあるだろう。
でも俺は夢とかない。ただただAmazonで欲望のままに物を買う。コンドーム、ヘッドホン、漫画とか。暇でつまらない時間を潰すために鬼滅の刃や呪術廻戦を観て興奮する。それだけ。ひたすら金のために働き消費する。すごい人たちの野望のために存在しているかのように思う。養分だ。会社でも自分のために働いてると思ってるけど社長からみたら金を生み出す装置でしかない。
呪術廻戦面白かったけど観てる途中、これはすごいクリエイターたちが凡人の俺を楽しませるために緻密に計算して絵を描いたり演出したりして作られた物なんだなと思いそうになって必死に抑え込んだ。楽しみたかったので。
俺は有能な人たちに金と称賛を渡す装置でしかないのかと思った。俺って本当に人間?俺の野望ってなんだろう。そんなのない?やっぱりただの装置でしかないのか?
>いま本で売れるのは骨太な小説か、骨太なノンフィクション。軽い読みものが入る余地がなくなってきている。
2 スマホ脳 アンデシュ・ハンセン 久山葉子訳 980円 新潮社
4 人は話し方が9割 永松茂久 1400円 すばる舎
5 鬼滅の刃 塗絵帳−蒼−
6 52ヘルツのクジラたち 町田そのこ 1600円 中央公論新社
7 本当の自由を手に入れる お金の大学 両@リベ大学長 1400円 朝日新聞出版
9 呪術廻戦 逝く夏と還る秋 芥見下々 北國ばらっど 700円 集英社
10 鬼滅の刃 風の道しるべ 吾峠呼世晴 矢島綾 700円 集英社
11 呪術廻戦 夜明けのいばら道 芥見下々 北國ばらっど 700円 集英社
12 鬼滅の刃 しあわせの花 吾峠呼世晴 矢島綾 700円 集英社
13 ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人 東野圭吾 1800円 光文社
14 鬼滅の刃 片羽の蝶 吾峠呼世晴 矢島綾 700円 集英社
15 おしりたんてい おしりたんていの こい!? トロル 980円 ポプラ社
17 よけいなひと言を好かれるセリフに変える言いかえ図鑑 大野萌子 1400円 サンマーク出版
少年漫画家志望者に含まれる数多の才能のある人材だって、そのまま使うことはないじゃん。育てるじゃん。まあ、そういう問題じゃなくて、商業BLの場合はとかくエロを! エロを描け!! って作家のケツを叩くというか、テコ入れがなされるので。しかもそれだって単に無理にでもセックスを描かせているってだけで別にセックス描写を極めようってんでもないしさ。セックス描写をノルマ通りに入れるという、ただそれだけの為に他の全てを捨てさせる感じなので、そんなことして作家が育つ訳もなく。
少年漫画分野で例えるなら、少年ジャンプ作品のキャラでは伝統的にベジータとか飛影とかみたいなクール系のキャラクターが流行るから、そういうキャラクターを隙きあらば登場させて読者の気を惹けと担当編集が漫画家をせっつくようなもん。
名作漫画の定義として、天下の朝日新聞社が主催する、優れた漫画に授与する各賞の総称である「手塚治虫文化大賞」の候補作に絞って記載した。
候補作の全てを読んでいるわけではなく、また、記憶を基に書いているので一部不正確な部分もある。またネタバレとなる部分もあるかもしれない。ご容赦願いたい。
【作品一覧】
・鬼滅の刃
・大奥
・シグルイ
—————-
・遊郭編における妓夫太郎と堕姫の境遇(堕姫は13歳で遊郭にて客をとるようになった際、客の目玉を簪で突いて失明させたので、その報復として縛りあげられ生きたまま焼かれる)
・少年時代のガッツの境遇(9歳の頃、所属していた傭兵団の団長に銀貨3枚で男娼として売られる)
・13巻における一連の描写(「蝕」時点でのキャスカは未成年)
・徳川家定の境遇(幼少期より父徳川家慶より性的虐待を受ける)
・全部(全部)
青野くんに触りたいから死にたい(椎野うみ)
・全部(全部)
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以下雑観
・手塚治虫文化賞候補作における児童性虐待・性的搾取描写は「ドラえもんにおけるしずかちゃんの入浴シーン」や「ドラゴンボールにおけるブルマのお色気シーン」のような作品の枝葉の部分ではなく、根幹部分に関わる部分
・マイフェイバリット漫画である「デビルマン」もたぶんダメ(最終巻の一連の流れ)
・「規制したいのは上記のような名作漫画ではなく、ポルノであって、コミックLOであって、クジラックスであって、へんりいだである」
・わかるよ(おれにも娘がいるよ)
・でもおれは「キャノン先生トばしすぎ」は名作漫画だと思うし、柳生卓哉先生の漫画も昼寝先生の漫画もどっちも好きだし、無くなったら悲しいよ
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全ての漫画に幸あれ
全ての児童に幸あれ
ゴールデンカムイを書けるのは野田サトルだけだよ。尾田栄一郎にも吾峠呼世晴にも書けない。でも野田サトルにはワンピースや鬼滅の刃は書けないんだよ
元増田が言ってるのは「ゴールデンカムイと同じレベルの面白さの作品が描けるとは思えない」であって、それはつまり「ワンピースと同じレベルの面白さの作品が描けるとは思えない」でもあるし「鬼滅の刃と同じレベルの面白さの作品が描けるとは思えない」でもあるわけだ。
このブコメは単に傷口に薬と偽って塩を塗り込み砂糖を塗り込みしているだけだ。
日頃ホメオパシーをコケにして笑い、精神医学に関する無理解もまた笑うはてなーが、それと同じレベルの猛毒民間療法的なアドバイス罪を積み重ね、それに拍手喝采が湧き上がっている。
衆愚とはまさにこのことだ。
衆愚とはツイッターであり自民党政権であるとはてなーは語るがそれは自分たちの棚上げがすぎるだろう。
もはや現代衆愚を暴くコンパスが指し示す極北点ははてなブックマークにある。
金カムはいろんな分野をよく取材してあるし、映画とか絵画とかからのオマージュも多くて、膨大なインプットに支えられて成り立っている作品だなと思う。勉強しよう。
金カム読んでて感じるのは天才性よりも極まった知識とテクなので創作者にとってはむしろ希望かもしれない。まあ仮に変態を完全にトレースする常識人がいたらそいつは実質的に変態ではという気もするが。
トップのみでなくそれに続くセカンドコメ・サードコメも地獄のような有様である。
おいおいはてなーよ「努力ができるのも才能」「学習ができる環境も才能」と日頃口にしていたのは、単にその場で格好つけるための戯言だったのか?
キャバクラでオッサンが「俺筋トレにハマっててさ~~」から腕立て伏せの回数を10倍サバ読んでくるのと同じ現象か?
全くもって話にならない。
野田サトル作品が他の作家では作り得ない何かによって支えられているのならそれは間違いなく彼の転生の才能であり、それが学習と模倣によって成り立っているというのならそれは反論ではなく「野田サトルの才能とは学習の才能と模倣の才能なのである」という言論にこそ結び付けられるべきだ。
狂っている。
というよりも理論を組み立てる能力というものが完全に欠如している。
論理的思考能力がないからこそ自分の論理的思考力の低さを客観視することが出来ず、それ故に狂った論理を語りながら「俺って論理的だな」と思い込むのか?
トップブコメとは結局の所は単なる人気投票であり、人気投票とは「優れているもの」を暴くものである以上に「集団の中における投票者の性質」を暴くものであるわけだが、まさにはてなにおいては「論理的思考力がないが故に論理的思考もどきを有難がるもの」が多数派であるということだろう。
人気コメントは自分が馬鹿と気づいていない馬鹿を多数派とする多数決によって決められていると言い換えてもいいだろう?
まあ今更の話ではあるな。
だが、それがここまで嫌というほど再認識させられる状況もそう頻繁ではないだろう。
今回のは月に3回あるかどうかレベルの酷さだと思う。
なんでこんなにも馬鹿の自覚がない馬鹿が、自分は馬鹿だと気づかぬままに賢いかのような態度で明後日の方向へとアドバイス罪を重ねるのか。
呆れ果てる
思いついたから書いてみました。記憶をもとに書いているので間違いがあるかもしれない。
——————
その他のノミネート作…岳(石塚真一)、大奥(よしながふみ)、ママはテンパリスト(東村アキコ)、ハイスコアガール(押切蓮介)、童夢(大友克洋)
「全てのマンガに1巻はあるわけですから、当然のことながら最激戦区。中でも『面白い1巻』というのは、どうしてもインパクト勝負になります。その中でも『テルマエ・ロマエ』の衝撃は群を抜いていました」
「1冊の短編として完成度の高い『大奥』や『ハイスコアガール』、ギャグ漫画としてのインパクトの高い『ママはテンパリスト』等、ノミネート作品を見ると、マンガ大賞候補作が圧倒的に強いという結果になりましたね。『岳』は全巻面白いです」
「良識ある大人は『童夢』か『AKIRA』を選ぶと思います。もちろんどちらも最高に面白い」
「ノミネートはしてないけど個人的には『黒執事』1巻の出オチ感めちゃくちゃ好き」
その他のノミネート作…三月のライオン(羽海野チカ)、プラネテス(幸村誠)
「これはもう、世代ですよね。キン肉マン世代、聖闘士星矢世代、ドラゴンボール世代、スラムダンク世代。色々ありますけど増田はヘルシング世代なんです」
「一度でいいから言ってみたい、『小便は済ませたか? 神様にお祈りは? 部屋の隅でガタガタ震えて命乞いする心の準備はOK?』」
「『三月のライオン』と『プラネテス』の2巻は魂が震えます。主人公が悪役みたいなことを言うところって燃えますよね」
その他のノミネート作…なし
「『稲中』の古谷実がギャグ漫画から離れはじめた巻です。この巻のギャグとシリアスの混ざり具合が一番好きです。もちろん地獄の4巻も最高」
「他のノミネート作はなし。正直圧倒的じゃないですか?世界のポンジュノが『映画化したい』って言ってるんすよ」
その他のノミネート作…団地ともお(小田扉)、花田少年史(一色まこと)
「とにかく『ジャイアント』4巻に収録されている『第35撃 野球が好きでよかった。』は全人類に《紙で》読んでいただきたい。見開きという快感。ページをめくるという快感。誇張された表現。マンガを読んで得られる快感が全て詰まっています」
「『団地ともお』4巻は傑作揃い。人気エピソードが異常な密度で詰まっています。『花田少年史』4巻で涙ぐまない奴は人間じゃない」
その他のノミネート作…僕のヒーローアカデミア (堀越耕平)、バキ(板垣恵介)
「《デビルマン 5巻》は全マンガ中で一番面白い巻です。先の展開を何も知らずに読んだ過去の自分を褒めてやりたい」
「どうやら少年マンガは5巻で一度最初のピークがくるらしく、特にジャンプの人気作はだいたい面白いです。中でも『僕のヒーローアカデミア 』の『轟焦凍:オリジン』の盛り上がりはすごい」
「『バキ』の5巻は花山スペック戦の決着巻。はたして《バキ 5巻》とカウントしていいものか?という当然の疑問をねじ伏せる面白さがあります」
その他のノミネート作…なし
「屈指の名エピソード《レゼ編》収録。リアルタイムで読めたことに感謝しています。アニメ期待してます」
その他のノミネート作…なし
「屈指の名エピソード《ピアノソナタ『月光』殺人事件》収録巻です。この巻がなければ『名探偵コナン』は国民的アニメになっていないのではないかと思います」
その他のノミネート作…ワンピース(尾田栄一郎)、カイジ(福本伸行)
「少年マンガの最初のピークが5巻とすると、二度目のピークは8巻にあるらしく、どの作品も盛り上がりがすごい。中でも『鬼滅の刃』8巻は《無限列車編》クライマックス。煉獄さん…!」
「なお『ワンピース』は《海上レストラン編》クライマックス。『カイジ』は《鉄骨渡り》クライマックス。連載1周年を迎え、安定した人気を得たあとに描かれる気合の入った長編のクライマックスが8巻にまとまっている気がします」
「6巻7巻の『その他のノミネート作…なし』はその皺寄せのような気もする」
その他のノミネート…寄生獣(岩明均)、へうげもの(山田芳裕)
「この手の記事の暗黙の了解として『同じマンガ・同じ作者はなるべく避ける』とか『最近の作品は避ける」ってあるじゃないですか。ミーハーにみえるし、馬鹿にみえるから」
「でもねえ、仕方ないよねえ」
「『寄生獣』9巻は実質的な最終エピソード(9巻はエピローグだと思っています)もちろんめちゃくちゃ面白いです」
「『へうげもの』は利休の死が描かれる巻。『ジャイアント』4巻同様、マンガにおける快楽が詰まっています」
その他のノミネート…なし
「『ナニワトモアレ』は走り屋『環状族』を描いたマンガです。《ザ・ヤンマガ》的なクルマとケンカとオンナと下品な冗談を経てこの10巻では丸々1巻かけて引退パレード中に起きた交通事故とその顛末が描かれる」
「実際に環状族だった作者の経験が下敷きにされていると思われます。この巻にだけ《作者によるあとがき》があります」
—————-
疲れてきたのでこのへんで。
以降は
13巻 ベルセルク(蝕)
と続きます。