はてなキーワード: 確立とは
世界中が注目する中、中国共産党はその盤石な支配体制を誇示し続けていた。台湾侵攻の脅威は膨れ上がり、各国は急速に軍備を強化し、国際情勢は冷え切っていた。しかし、誰も予想しなかったことが突如として中国国内で起きたのだった。
ある日、インターネット上に流れた短い声明が全ての始まりだった。「中国共産党を打倒せよ。」それは一見、ただの反体制派の虚しい叫びに過ぎなかった。だが、それは単なる言葉ではなかった。数時間もしないうちに、中国国内の至る所で暴動が発生し始め、政府機関や共産党の地方本部が次々と襲撃されていった。
声明が発表された直後、上海で最初の動きが始まった。大規模な労働者のストライキが発生し、続いて大学生たちが街に繰り出して反政府デモを展開した。共産党の警察部隊はすぐに鎮圧に動いたが、抵抗は予想を超えた激しさであり、次々と制圧に失敗した。街の各所で放火と略奪が相次ぎ、市民の間に混乱と恐怖が広がった。
政府はただちに全国に非常事態宣言を発令し、軍隊を動員して対応に当たった。しかし、軍内でも内部分裂が始まっていた。一部の軍部は共産党への忠誠を誓ったが、他の一部は反体制勢力に合流し、都市ごとに小規模な戦闘が勃発していった。これまで表に出なかった勢力が、各地で次々と蜂起し、地方の共産党幹部を襲撃し、勢力争いを開始したのだ。
北京政府が対応に追われている間にも、広州、成都、武漢といった大都市が次々と反乱の火に包まれていった。多くの地方政府が中央からの指示を無視し、各都市で独自の自衛組織が武装化していく。特に新疆やチベットといったかつて独立を求めていた地域では、その動きが顕著であった。彼らはこの機会を捉え、自らの独立を再び求めるべく立ち上がった。
中国は急速に分裂の道を進んでいた。中央政府は、制圧を強行しようとしたものの、国内のあまりに多くの地域で反乱が勃発し、そのすべてに対応する力を失いつつあった。共産党幹部の一部は早々に国外逃亡を図り、国内では数多の勢力が入り乱れて戦争状態に突入していった。
この突然の中国の内乱に、世界各国も混乱を隠せなかった。中国経済は世界にとって重要な存在であり、内乱の影響が瞬く間に各国へと波及していった。株式市場は大暴落し、貿易ルートは混乱に陥り、エネルギー供給や食料供給の不安が高まった。
さらに、中国国内の難民が隣国へと押し寄せ、国境地域では混乱が続発した。ロシアやインドは国境の防衛を強化し、日本やアメリカは中国沿岸に艦隊を展開して、万が一の軍事的介入に備え始めた。
しかし、台湾への侵攻は起こらなかった。中国政府が内乱にかかりきりで手が回らない状況下で、台湾は逆に独立を宣言し、自衛軍の増強を急いだ。アメリカをはじめとする西側諸国は、これを好機とみなし、すぐに台湾の独立を承認した。これにより中国共産党の権威はさらに失墜し、国内の支持基盤は崩壊に向かう。
戦乱は何年も続いた。経済は完全に破綻し、民衆の生活は困窮を極めた。飢餓や病気が蔓延し、暴力は日常の風景となっていった。軍閥が台頭し、地方の支配を巡って無数の小競り合いが起こり、国内のインフラは崩壊。巨大な内戦状態が続く中で、中国共産党はついにその統治能力を完全に失った。
そしてある日、ついに最後の共産党幹部が捕えられ、処刑されたとの報道が流れた。その瞬間、中国共産党の支配は終焉を迎えた。
中国の崩壊は、世界にとっても新たな秩序の始まりを意味していた。かつて世界第二位の経済大国は、数十の小さな国や勢力に分裂し、そのどれもが安定した統治を確立することはできなかった。混沌とした状況が長く続き、中国の台頭を恐れていた国々は安堵の表情を浮かべるが、同時に新たな脅威が生まれつつあることに気づかざるを得なかった。
かつて一枚岩のように強固であった国が、自らの内側から崩れ去る日。それは、中国が滅び、歴史の大きな転換点を迎えた日であった。
まず、指摘された内容に対して感謝を伝えた上で、以下の点を順に論理的に反論していきます。
1. 「雲の上の人」への憧れが現実逃避と指摘されていますが、人間は誰しも理想を持つことで自己成長を促すものです。理想の人物に憧れることが、必ずしも現実から逃避することを意味しません。むしろ、理想に近づくために努力を重ねることで、自身の成長を図ることも可能です。
2. 人を見下す傾向について自己防衛機制と捉えられていますが、そもそも人に対して尊敬できる部分が見つけられない場合、その気持ちを無理に抑えることは逆に自己欺瞞につながります。ここで重要なのは、尊敬できる人を探し続ける姿勢を持ち、自己と向き合い続けることです。
### 自己中心的な態度について
1. 相手に高い要求をしているとされていますが、自分の理想や価値観を持つこと自体は、決して悪いことではありません。また、その理想を高く設定することは、自己成長の一環でもあります。理想に妥協せずに努力し続けることも一つの選択肢です。
2. 「建設的な話」を求めていると指摘されていますが、人間関係は相互作用で成り立つものです。自己表現の中で相手の意見を尊重する意識を持つことは重要ですが、それと同時に、対話の中で相手が自分の期待に応えない場合、それを受け入れることもまた成熟したコミュニケーションの一環です。
1. 恋愛に対する考え方が幼稚で理想主義的だと言われますが、恋愛は誰にとっても主観的な体験です。理想を持つこと自体を否定するのではなく、その理想を現実にどう融合させるかが重要です。現実と理想のバランスを取る過程を経て、徐々に成熟していくのが人間の成長であり、一概に理想を「幼稚」と片付けるのは早計です。
2. VTuberを例にした多様性の指摘ですが、個人の趣味嗜好に共感できるか否かは個人の自由です。全ての多様性を無理に受け入れる必要はありませんし、自分にとって価値を感じられないものを尊重することは可能でも、それを好きにならなければならないわけではありません。
1. 自己啓発の必要性やカウンセリングについての指摘ですが、自己啓発はあくまで本人の意思によるものであり、強制されるものではありません。改善するべき点があれば、それは自ら気づき、必要に応じて取り組むべきものです。
2. ボランティア活動や多様性を受け入れる力を養うことについても、他人の生き方に対して興味を持つかどうかは個人の自由です。自分が共感できる人間関係を選択することも一つの人生の在り方であり、それを否定することは多様性の本質に反するのではないでしょうか。
3. 最後に「理想の人間になるよう努力する」という点ですが、自己を高めることは重要ですが、それがすべての人間関係の基盤になるわけではありません。人間関係は、自分の欠点や弱さも含めて受け入れ合うことから生まれるものであり、それを追求することが真の成熟だと考えます。
### 結論
相手の意見に耳を傾け、自己改善を図ることは重要です。しかし、他人の評価や提案をそのまま受け入れるのではなく、自分自身の価値観や経験と照らし合わせて吟味することこそが、自己を確立し、人間関係を築くうえでの本質的な成長に繋がると考えます。
立憲代表へ野田選出は戦後左派が反戦の為の経済論確立に失敗したからをはてブまで含んで読んだ
実は前々から考えていたことがあって、もちろんこの考えは自分個人の勝手な解釈だし、これが正解だなんて言うつもりは毛頭ないが、1つの意見として咀嚼してくれたらなと思っている
一部の人、特に反自民党みたいな属性の人からするとビックリするようなお題目だけれど、これにはちゃんと理由がある
そもそもとして、戦後の日本政府って(米国の意向もあって)平和憲法を採択したのは歴史に記されている通りなんだけども、これはつまり戦災復興で経済を再始動させますという段階の時点で反戦へ立脚した経済体制を築かなきゃいけなかったんじゃないか?と思うのよね
もちろん一部の人に言わせれば朝鮮戦争特需があって〜のような考えにも着目したくなるんだろうけれど、戦後の日本政府としては戦争という選択肢自体が無いわけで、元増田の言葉を借りれば反戦経済論を構築していかなきゃいけなかったわけだよね
そんな戦後日本政府の後継たる現代の自民党の経済観の根底ベースには戦災復興期の反戦経済論があって、そのベースを元に自民党は現在まで経済政策を採択してきているわけだよ
そして、ここで野党(戦後左派)の経済政策へ1つの問題が生じるわけだ
戦災復興期の反戦経済論をベースとする自民党の経済政策は反戦であって、様々な面で反戦を標榜してきた野党、例えば日本共産党や社会党(社民党)、民主党(民進党・立憲民主党・国民民主党)などが党内で経済政策を採択しようとすると思いっきり自民党と被ってしまっていたんじゃないだろうか?
国際経済だってブロック経済が世界大戦を誘発した反省から不正競争を抑えつつ国際取引を促進し〜みたいな流れがあるわけで、それに乗っかっていた自民党の経済はやっぱり反戦的だったわけだよね
でもさ、野党からすると自民党(の経済観)が反戦的だなんて自分たちの政党のスタンスから言っても認められないわけだから、自民党(とその支持者)には戦時経済への羨望が〜みたいな国際経済へ乗っかってる自民党の実態とはズレてしまっている評価をしはじめちゃうわけだよね
結局、野党自身も反戦経済やらないといけないとわかっているわけだから、反戦的な自民党の経済政策へ対して取り敢えず反対して一層の改善を促すことに注力し始めたんじゃないか?
しかし、反対するだけなので改善は自民党任せで来てしまったため実行力が無く、結局は自民党に与する企業や労働者などがどんどん豊かになっていったから、その豊かさを一層の再分配しろと言うようになった
例えば直近だと日本共産党が主張した内部留保の課税なんかもそうで、そもそも利益がなきゃ留保なんてできないわけで、日本共産党は企業に稼がせることはしてこなかったので今ある富を切り崩す方向でしか経済政策提案できないわけさ
同じような解釈で民主党がやった埋蔵金探しの事業仕分けも理解が可能で、企業や労働者がもっと稼げる環境を作るという方向じゃなくて、今ある財源の中に埋蔵金があるはずだ!という発想になっちゃったわけだよ
どう?この考え?
自分でもどこかに破綻や矛盾があるとは思ってるんだけど「ちがう!そうじゃない!」「お前バカだわ」「勝手に言ってろよ」「自民党が〜」「安倍が〜」とか反対ばかりで中身無いのは、対策や代替案、補償をほとんど打ち出してこなかった左派という元増田のエントリの裏付けになっちゃうからマジでやめような
「異世界×日本スゴイ」に秘められた“欲望”とは...ラノベ界→純文学界へ“転生”した市川沙央が読む『大転生時代』(島田雅彦 著) | 文春オンライン
この記事が代表的なんだけどさ、ブコメがすでに多数指摘してる通り、「なろう系」を語る批評家って、「なろう系」全然読んでなさそうだな……ということがありありと伝わってくるよね。
まあ、なろうなんて安っぽい娯楽でごぜぇますから一生読まなくてもいいと思いますけども、それでも読んでもない人には「なろう系は〇〇ばかり」とか「なろう系にはない発想」とかいう表現は使ってほしくないわけだ。
純文学というハイカルチャーの一員だから、遥か下に位置する(ナ)ローカルチャーなんて数作読めば語れると思ったか、白人さましゅごいです!!!
(主に男性向けを念頭に置いて解説する。実は2024年の小説家になろうはほぼほぼ女性向けサイトなのだけど、歴史的には最近まで女性向けは傍流であったし、「なろう系」などという言葉を使ったときに女性向け作品がイメージされることはおそらくまれだからだ。)
その「小説家になろう」に投稿されていた『転生したらスライムだった件』が異世界転生ブームの火付け役と言われる間違いなくように
俺はログホラが書籍化されたあたり、2011年くらいからなろうを眺めているんだけど、そのころにはとっくに「異世界転生」がテンプレとして確立して流行してる。
定説では、ゼロ年代に隆盛を極めた二次創作文化からの輸入設定だろうといわれていわれてるな。
「好きなマンガの世界に行ってキャラたちと交流したい」という素朴な欲望を実現するために「マンガの世界に転生」という設定が流行り、それがWeb小説読者の中で当たり前のお約束として定着したあと、誰かがオリジナル作品でも「異世界転生」が使えると大発見したわけ。
「異世界転生」に限らず、Web小説文化とは、お互い設定をパクり合う一種の生態系を通して、お約束を研ぎ澄ましていくもの。
転スラが火付け役なんて言っちゃうのは、出版界で一番売れた作品しか見てねーんだろうな。
俺は一般小説も読むから、転生と聞いて「異形の設定が突然現れた!」と興奮して世代論を語りたくなるのもわかるけどさ、海面から顔を出した氷山の一角を見たところで、氷がどのように成長してきたかはわからん。
お約束の形成過程を知ろうとすれば、そう異形でもないということがわかるはずなんだけどな。
ここまでパワフルな大転生時代が招来された要因はひとえに、読者の欲望をダイレクトに満足させるストーリー展開にある。主人公のチート能力による問題解決の連続、いわゆる無双状態の快感を求める若者層(実質的に中年層という説もある)
俺TUEEEモノというジャンルのことだな。なろう小説は決して俺TUEEEモノだけの世界ではないので「ひとえに」とまで言うと嘘だが、Web小説で人気を得るためには必ず意識しなければいけない、大本の土台的なジャンルであることは同意できる。
ただ一つ付け加えると、俺TUEEE小説の魅力というのは、現代日本の大谷旋風や藤井竜王名人ブームと全く同一のものであり、決してなろう系特異なものではない。
大谷ファンも藤井ファンも、野球や将棋のルールすら知らない人が大多数だろう。ただ大実績を積み重ねるという情報、「クソ強えー!」ただそれだけの情報の原始的で荒々しい魅力は、他の洗練された娯楽コンテンツのどれよりも普遍的に我々を惹きつけるものだ。
よく大谷や藤井を称賛するのに、「マンガだとリアリティがなさ過ぎてボツになってしまう」という言葉が使われるが、これはなろうの俺TUEEEモノがなぜ受けるかという理由でもある。
それは転生とか異世界とか、リアルな現代日本から舞台を変えてしまうことで、読者が求めるリアリティの基準を下げ、摩擦なく最強キャラを出すことができるからだ。事実として、大谷より強い野球選手も、藤井より強い将棋棋士も、Web小説界には人気作品として普通に存在する。
なお、なろう系を読んでるのは若年層か中年層かという話は、お金のない若年層がWebでタダで小説読んで文化を盛り上げて、お金持ってる中年層が書籍化された本を買い支えている、という見方が定説のはず。
われわれにとって理想世界はつねにどこか遠くにある異世界(ガンダーラ)であり、理想世界を構築するための力とは、上から与えるものか、与えられるものであり、落差を利用した一発逆転の魅力の前では、内発的な自立心と漸進性など相手にされない。私はこうした異世界転生ジャンルの発生原理を、ギブミーチョコレート症候群と呼んでいる。
俺は『異世界食堂』あんまり好きじゃないんだけど、この批評はさすがに『異世界食堂』を読めていなさすぎる。
「異世界食堂」とは、1週間に1度だけ異世界から来客が訪れる、現代日本の食堂を指している。誤解しやすいが舞台は異世界ではなく日本だ。
そして小説『異世界食堂』も1週間に1度だけ更新された。作中設定と、小説の更新頻度の一致は何を意味するか。
小説の更新を異世界食堂の開店に見立て、読者を異世界の住民に見立てているのである。
なろう読者は毎日毎日、異世界で主人公が大活躍する小説を読んでいる。異世界の冒険者であったり、国王であったり、魔王であったり、感情移入しながら読んでいる。
そして、感情移入を継続したまま、週に一度、異世界食堂に入店する。直前まで読んでいたなろう小説では戦場で無双していた竜王も、異世界食堂の中では特別な人間ではない。庶民派食堂の常連の1人として料理が運ばれてくるのを待つのみである。
そして、洋食屋で食べる料理の素朴な美味しさを追体験したあと、感情移入を解いた読者は、冒険者になったつもりで小説を読み耽るのもいいけど、気になる食堂を訪ねるのも楽しそうだなと思うようになる。
そして、異世界食堂は平日5日、どこかにあるはずの現実のお店として、読者である日本のあなたが訪れるのを待っている……、これが小説『異世界食堂』の仕掛けである。
という但し書きは、このアンチなろう性をわかりやすく読者にアピールしている。
よって「理想世界はつねにどこか遠くにある異世界(ガンダーラ)である」という市川沙央の読みは完全に誤読だ。
遠い異世界に夢中になってないで、身近な幸せにも目を向けようよというのが『異世界食堂』のメッセージなのだ。
(ついでに言うと「一発逆転」もおかしい。異世界食堂は、異世界関係なく日本でちゃんと繁盛している店という設定だ)
なお余談だが、「ギブミーチョコレート症候群」というような、人を病として勝手に診断しレッテルを貼る行為は、10年後には炎上ネタになってそうな気がする。
——巷に出回ってる小説なんて自分に都合のいいユートピアを作りたいだけじゃないか。何の障害もなく、他者も存在していないから、どんなヘタレも無敵になれる。本当の異世界はあんなゲームみたいにイージーな世界じゃない。
これは小説からの引用であるので正確な文脈はわからないのだが、こういうこと言う人には、「あなたはリゼロのスバルくんになれるんですか?」と聞きたくなるな。いや転スラのリムルくんでもいいし、他の主人公でもいい。なれるの?
確かに、彼ら主人公は都合のいいチートを持っている。しかし、同じチートを与えられれば、あなたにも同じことができますか?と問われれば、間髪入れず無理と答える程度には英雄的だ。リゼロのスバルくんは死んでも生き返るという能力を持つが、何十回と死に続けても諦めず立ち上がり続けることなぞ、常人には絶対に不可能だ。
この島田雅彦の書く一文からは、島田が異世界転生の表面的な部分しかメタれていないことがありありと伝わってくる。
真に、異世界転生を突き詰めて考えるならば、問題として提出すべきなのは「都合のいいチートを得た、ただそれだけなのに、なぜもともと平凡だった現代日本人が英雄になれるのか」である。
転生系ライトノベルの型(パターン)においては「わたしは突然前世の記憶を思い出した」の一言で存在と一回性の人生の尊厳をまるごと抹殺されてしまう転生先本来の人格について本作は透明化することなく、むしろ転生という事象から生じうる共存の理想をいくつかのかたちで示している。
世界設定のお約束の共有によって発展したライトノベルの異世界転生にはない、前世や転生先となる異世界設定および各キャラクターの奥行きとオリジナリティ、バリエーションの多彩さはまさしくSFの醍醐味であり純文学の風格。
は?????
確かにスルーして単純化する作品もたくさんあるよ。一方で、転生モノの見せ場と言えるくらいには、問われ解答されてきたテーマでもある。
島田雅彦『大転生時代』の解答は、2つの魂が1つの身体で共存するとのこと。
なろう視点で見ると、身体共存モノはそう珍しい設定ではない。というかそれ転生モノじゃない。いわゆる脱法転生モノという類のもので、なろう運営が異世界転生転移モノに対しランキングで不利になる規制をかけたとき、特にかなり流行っていた印象だ。現地人を主人公にしつつ(規制回避)、日本人視点を都合よく設けることができるからな。 09/26 00:50追記:有名なろう作家の丘先生がそれだと規制は回避できないし、当時流行っていた印象はないとコメントされていた。私も薄っすらとした記憶で書いていただけなので、当時人気作を連発して書かれていた丘先生のほうが間違いなく正しいであろう。訂正する。
(09/26 02:20追記:勢い余って筆を滑らせたので、精神同居モノってなろうではどういう立ち位置なのか少し考えてみる。記事の本筋に関係ないので小文字とする。まずなろうは巨大すぎて、全体としてどうなのかというのは語るのは困難だ。自分の所属するクラスタから見ればこうとしか言えない。自分はTSF(性転換)ジャンルのクラスタにいたので、その視点で見るとTSFでは精神同居はさほど珍しくない。『果ての世界で』とか『銀髪巫女』とか『二人で一人の剣姫』とか?R-18で言うとせなちかさんの作品とかがあるよね。ただ、TSFは主流派ジャンルではないのでこれを以て「精神同居はよくある」は言いづらい。次に、なろうでいくつかのワードを検索して、上位のものを見てみると『取り憑かれた公爵令嬢』とか『悪ノ令嬢シャーロットの中の人は、彼女を護りたい』とか女性向けでいくつか人気作がヒットする印象だ。広い意味で見れば超人気作の『悪役令嬢の中の人』も精神同居系女性向け作品のうちに入るかな。ただ、冒頭に主に男性向けで考えるぞと書いてしまったので、スタンダードな男性向けだとどうだろう……。『みつばものがたり』は精神同居の転生モノだがキワモノが強いなぁ。「実は日本人だった先祖の声が頭に聞こえる」とか、そういう設定の作品あったような気がするが、なかなか見つからない。なろう創作者の気持ちで考えれば、男性向けで精神同居させるなら、TSFにする気がする。精神同居ジャンルにかなり近い設定としては、器物転生ジャンルが挙げられるだろう。『転生したら剣でした』『黒姫の魔導書』とか。主人公である転生者は、持ち主と心で会話し、時には体を乗っ取って動かすこともある、みたいな、これは精神同居と外形的にはほとんど一緒かな。こっからはもう全く関係のない話。奇遇なことなんだけど、この数日間、精神同居系ジャンルたくさん摂取しとったなと気がついた。自分は実は最近ずっとWeb小説読んでなくて、ここ2週間くらいのときに少しだけ読み返した程度なんだが、『みつばものがたり』は該当だし、なろう系以前の作品2008年のArcadia連載の二次創作だから転生モノに含めるのは出来ないんだけど、『聖なるかな』の二次創作THE FOOLは転生、人格乗っ取りの是非、精神同居、全て要素として含まれている作品だし、イッキ見したアニメ『戦国妖狐』はまさに精神同居と共存のあり方について描いた作品である。はてブ経由で読んでた『絶対死なないステラ姫』とか『スパイダーマン:オクトパスガール』も精神同居だよな……。)
「転生=人格塗りつぶし問題」からは、「主人公は、前世の自分とどこまで連続していて、どこから不連続なのか?」「主人公は地球の存在か? 異世界の存在か?」「主人公の本当の両親は地球の親か? 異世界の親か?」など、物語を面白くする様々な問いが派生する。名作と呼ばれる転生モノは、少なくとも部分的には答えようとするものだ。
島田雅彦の『大転生時代』は、市川沙央の書評を読む限り、問いに真正面から取り組むのではなく、ただ回避しただけにしか見えない。
(4ページ目から5ページ全体)
市川沙央氏の文章は全体的に意味が取りづらいが、4ページ目からは特に何が言いたいのかわからない。連想ゲームで思いついたことを繋げているだけに見える。いくつかわかるところだけコメントをつける。
「すでに」というので、前の文章を読み直したが、ただのチェリーピッキングだ。
市川沙央は『異世界食堂』を誤読していることは先に述べたが、一方で『異世界食堂』が「日本スゴイ」モノであるのは正しい。「食」という文脈で、日本が異世界より文化的に上回っているという設定であるのも正しい。
しかし、『異世界食堂』が、転生/転移モノの代表的な作品か?というと、全く違う。
先に引用した、「一応ファンタジーです」「剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません」「店主は普通のおっさんです。料理以外できません」からわかるように、『異世界食堂』は正統派的なろう系作品の逆を行くものである。
つまり、正統派とは「主人公が剣と魔法で大活躍」する作品のことだ。
となると、はて、日本に剣や魔法があっただろうか? そう、異世界とは剣と魔法の先進世界であり、日本は剣と魔法の後進国だ。ギャップの上下が逆なのである。
よって、大多数の転生モノにおいて、主人公が無双する力を身につけるのは異世界においてである。転生者だから強いわけではない。超一流の戦士の家に転生したからであるとか、転生設定を完全に抜いても成り立つような作品が多い。
1ページ目の、
という表現のときは、「主人公が日本では活かせない巨大な才能を持っている」という風に善解すればギリ意味は通るかなと考えたが、4ページ目で「経済的・文化的ギャップ」とギャップの中身を限定してしまったところで、市川沙央は言い逃れ不能な馬脚を露わにしたと言える。
(正確に言えば、「日本の古武術を修めていたから強い」とか、「魔法はイメージが力の源泉であり、日本人は水などをH2Oの化学式レベルで理解しているから強い」とか、文化的ギャップで無双する作品もないわけではないが、稀な設定だし、説得力があまりないのでかなり昔に廃れているはず)
俺は序
家督争奪戦での勝利: 義弟や義母を殺害し、堀越公方の地位を奪取したという事実は、彼の武勇を裏付けるエピソードの一つです。
伊勢宗瑞(北条早雲)との対決: 勢力拡大を図る伊勢宗瑞との戦いに巻き込まれ、最終的には敗れてしまいますが、一時は互角に渡り合ったという記録が残っています。
堀越公方としての統治: 堀越公方の地位を確立し、一定期間、勢力を維持していました。
周囲からの評価: 享徳の乱という動乱期において、一地方の勢力として一定の地位を築いたことは、彼の政治手腕を評価する材料の一つと言えるでしょう。
足利茶々丸は、武勇だけでなく、政治手腕も兼ね備えた人物であったと考えられます。家督争奪戦での勝利や伊勢宗瑞との対決は、彼の武勇を物語っており、堀越公方としての統治は、政治手腕の高さを示しています。
しかし、彼を単に「強い」と評価するのは、歴史上の人物に対する評価としては不十分です。なぜなら、彼の強さは、武力だけでなく、政治的な駆け引きや周囲の人々との関係性など、多岐にわたる要素によって形成されていたからです。
足利茶々丸の強さを評価する際には、以下の点も考慮する必要があります。
享徳の乱という動乱期において、生き残るためには、武力だけでなく、政治的な駆け引きも必要不可欠でした。
家臣やライバルとの関係性、さらには運の要素も、彼の強さに影響を与えたと考えられます。
後世の歴史家によって、彼の評価はさまざまに変化してきました。
足利茶々丸は武勇と政治手腕を兼ね備えた、力強い人物であったと言えるでしょう。 しかし、彼の強さは、単純に武力だけでなく、多岐にわたる要素によって形成されたものであり、一概に「強い」と断言することはできません。
女が子どもを産めるタイムリミットって20-35だから何歳になっても希望が集中するのは分からなくもない
安保・防衛法制に関する知見を持つ野田佳彦は中間浮動票層を取りに行くために必要な選出だったという悔しさを滲ませる評価を左派の多くが行っているみたいだ
それ以前の視点として、左派として解決しておかなければいけなかった問題を放置したせいで安保・防衛法制に関する知見を持つ野田佳彦を選出せざる得なかったことを無視し過ぎでは?
誰だってわかっているはずだ。戦後左派は食糧やエネルギー、鉱物など様々な分野の自給率が乏しい島国日本で、これらを解決する経済政策をほぼ提案できてこなかった
自民党が自然を破壊する火力発電所や水力発電所、原子力発電所を作ろうとした際に、自然保護をお題目し反対活動を現在でも繰り広げるが、自然と共生できる経済発展とはどのようなものか?を答えられる左派はほとんど存在しないだろう
土地再開発のときも、成田空港のときも、新幹線のときも、オリンピックのときも、万博のときも、原発のときも、リニアのときもetc...挙げればキリがないほど左派は反対した
土建業や製造業を例に企業の営業活動をデモなどによって妨害を繰り返したこともあった。国鉄時代には通勤客の雇用を人質に自分たちの意見を押し通そうとしたこともあった
確かに公害や薬害への補償は左派が良い働きをした面があるだろう。国は被害に遭った方々を救済せよという左派たちの声は非常に心身健康を害した人々にとって心強いものだっただろう
しかし、左派はこれまで経済活動を邪魔された者達へなにか補償はしたのだろうか?就職氷河期世代へ補償せよと言われ、(内容は非常に薄いながらも)補償をしようとした自民党
自民党と比較し、製造業の海外移転を促進させてしまった民主党政権を生んだ左派は就職氷河期世代の就職率を下回ったリーマン・ショック世代へ対して何か補償せよ!と誰もが記憶に残る形で強く訴え出たことがあっただろうか?
よろしい。では日本列島から見て西方諸国へ輸出入することで成り立っている島国経済の日本で、日本の西方輸出入海路である南沙諸島-台湾-尖閣諸島-沖縄へ対して中国が強硬な姿勢を示している
日本の西方輸出入海路で欧州へアクセスするためのスエズ運河へ通ずるアデン湾で、イスラム教フーシ派から資金提供を受けていると観測されている現代武装を所持する海賊が、いわゆる西側諸国の船舶へ攻撃を仕掛けている
アデン湾での海賊事件は過去にソマリア沖海賊として知られ、これらに対し国際連携で歩調を整えて海上自衛隊を派遣するとという時限法が成立したが、一部の左派しか賛成に回らず大半は反対色が非常に濃厚だったな?
あなた達の衣服も食糧も、住宅や道路の建材、発電のための燃料、化粧品に含まれる添加物に至るまで、日本国民の生活は西方輸出入海路へ依存しているが、これまでに行われた自民党による経済刺激策や、あなた達の言う戦争法制へ反対する左派は一体これをどうするつもりなのか?
そして、これらに反対するだけ反対をし、対策や代替案、補償をほとんど打ち出してこなかった左派のせいで立憲民主党の新代表に野田佳彦が選出されることになったんだ。お前らが生んだ代表が野田佳彦だ
対策や代替案、補償を行ってさえいれば、そのifの世界線で野田佳彦は無用の存在であり単なるファシストだと言える。しかし現状では野田佳彦は有用な経験と知識背景を持つ人物たり得てしまっているんだよ
左派は戦争をしないために反戦のために経済をやれ、戦争する気が起きないくらい国民を富ませてみせるという気概を見せろ
それは出来ない、そんなの無理だ、国民は平等に貧するべきだと思うのならば、現状お前らが実感している通りに、反対するだけの左派は徐々に力を失って消滅し、野田佳彦のような名ばかり左派が台頭する
複素数体上の楕円曲線 E と、そのミラー対称である双対楕円曲線 Eᐟ を考える。このとき、E のフクヤ圏 𝓕(E) は、Eᐟ の連接層の有界導来圏 𝔇ᵇ(𝐶𝑜ℎ(Eᐟ)) と三角圏として同値である。
𝓕(E) ≃ 𝔇ᵇ(𝐶𝑜ℎ(Eᐟ))
証明:
1. 交点の特定: L₀ と L₁ が E 上で交わる点の集合を 𝑃 = L₀ ∩ L₁ とする。
2. 生成元の設定: フロアーコホモロジー群の生成元は、各交点 𝑝 ∈ 𝑃 に対応する形式的なシンプレクティック・チェーンである。
3. 次数の計算: 各交点 𝑝 の次数 𝑑𝑒𝑔(𝑝) は、マスロフ指標やラグランジアンの相対的な位置関係から決定される。
4. 微分の定義: フロアー微分 𝑑 は、擬正則ストリップの数え上げによって定義されるが、楕円曲線上では擬正則ディスクが存在しないため、微分は消える(𝑑 = 0)。
5. コホモロジー群の計算: よって、𝐻𝐹ⁱ((L₀, ∇₀), (L₁, ∇₁)) は生成元の自由加群となる。
𝐻𝑜𝑚ⁱ(𝓔, 𝓕) = 𝐸𝑥𝑡ⁱ(𝓔, 𝓕)
Φ(L, ∇) = 𝑝₂*(𝑝₁*(𝓛ₗ) ⊗ 𝓟)
ここで、𝑝₁: E × Eᐟ → E、𝑝₂: E × Eᐟ → Eᐟ は射影であり、𝓛ₗ は L に対応するラインバンドルである。
- L₀ と L₁ の交点 𝑝 ∈ 𝑃 に対し、そのフロアーコホモロジー群は生成元 [𝑝] で張られる。
- 次数 𝑑𝑒𝑔([𝑝]) は、ラグランジアンの相対的な位相データとモノドロミーから決定される。
2. Ext 群の計算:
- Φ(L₀, ∇₀) = 𝓛₀、Φ(L₁, ∇₁) = 𝓛₁ とすると、Ext 群は
𝐸𝑥𝑡ⁱ(𝓛₀, 𝓛₁) ≅
{ ℂ, 𝑖 = 0, 1
0, 𝑖 ≠ 0, 1 }
3. 対応の確立: フロアーコホモロジー群 𝐻𝐹ⁱ((L₀, ∇₀), (L₁, ∇₁)) と Ext 群 𝐸𝑥𝑡ⁱ(𝓛₀, 𝓛₁) は次数ごとに一致する。
超弦理論を数学的に抽象化するために、場の理論を高次圏(∞-圏)の関手として定式化する。
𝒵: 𝐵𝑜𝑟𝑑ₙᵒʳ → 𝒞ᵒᵗⁿ
ここで、𝒞ᵒᵗⁿ は対称モノイダル (∞, n)-圏(例:鎖複体の圏、導来圏など)。
超弦理論におけるフィールドのモジュライ空間を、導来代数幾何の枠組みで記述する。
BV形式はゲージ対称性と量子化を扱うためにホモトピー代数を使用する。
Δ exp(𝑖/ℏ 𝑆) = 0
ミラー対称性はシンプレクティック幾何学と複素幾何学を関連付ける。
𝓕(𝑋) ≃ 𝐷ᵇ(𝒞𝑜ʰ(𝑌))
以上の数学的構造を用いて、超弦理論における重要な定理である「ホモロジカル・ミラー対称性の定理」を証明する。
ミラー対称なカラビ・ヤウ多様体 𝑋 と 𝑌 があるとき、𝑋 のフクヤ圏 𝓕(𝑋) は 𝑌 の連接層の有界導来圏 𝐷ᵇ(𝒞𝑜ʰ(𝑌)) と三角圏として同値である。
𝓕(𝑋) ≅ 𝐷ᵇ(𝒞𝑜ʰ(𝑌))
1. フクヤ圏の構築:
- 対象:𝑋 上のラグランジアン部分多様体 𝐿 で、適切な条件(例えば、スピン構造やマスロフ指数の消失)を満たすもの。
- 射:ラグランジアン間のフロアーコホモロジー群 𝐻𝐹*(𝐿₀, 𝐿₁)。
2. 導来圏の構築:
- 射:Ext群 𝐻𝐨𝐦*(𝒜, 𝐵) = Ext*(𝒜, 𝐵)。
- 合成:連接層の射の合成。
- ファンクターの構成:ラグランジアン部分多様体から連接層への対応を定義する関手 𝐹: 𝓕(𝑋) → 𝐷ᵇ(𝒞𝑜ʰ(𝑌)) を構築する。
- 構造の保存:この関手が 𝐴∞ 構造や三角圏の構造を保存することを示す。
- 物理的対応:𝑋 上の 𝐴-モデルと 𝑌 上の 𝐵-モデルの物理的計算が一致することを利用。
- Gromov–Witten 不変量と周期:𝑋 の種数ゼロのグロモフ–ウィッテン不変量が、𝑌 上のホロモルフィック 3-形式の周期の計算と対応する。
5. 数学的厳密性:
- シンプレクティック幾何学の結果:ラグランジアン部分多様体のフロアーコホモロジーの性質を利用。
- 代数幾何学の結果:連接層の導来圏の性質、特にセール双対性やベクトル束の完全性を利用。
結論:
以上により、フクヤ圏と導来圏の間の同値性が確立され、ホモロジカル・ミラー対称性の定理が証明される。
ラグランジアン部分多様体 𝐿₀, 𝐿₁ に対し、フロアー境界演算子 ∂ を用いてコホモロジーを定義:
∂² = 0
𝐻𝐹*(𝐿₀, 𝐿₁) = ker ∂ / im ∂
∑ₖ₌₁ⁿ ∑ᵢ₌₁ⁿ₋ₖ₊₁ (-1)ᵉ 𝑚ₙ₋ₖ₊₁(𝑎₁, …, 𝑎ᵢ₋₁, 𝑚ₖ(𝑎ᵢ, …, 𝑎ᵢ₊ₖ₋₁), 𝑎ᵢ₊ₖ, …, 𝑎ₙ) = 0
Extⁱ(𝒜, 𝐵) ⊗ Extʲ(𝐵, 𝒞) → Extⁱ⁺ʲ(𝒜, 𝒞)
映画『スオミの話をしよう』を観た。稀代の脚本家、三谷幸喜氏がメガホンを取ったとは思えないほど、つまらない作品だった。何故、これほどつまらないのだろうか。端的にいえば、寒川しずお以外の人物像に説得力がないからである。
もっとも説得力がない人物像は、主人公のスオミである。何故スオミは結婚を繰り返すのか。何故、多重人格のように出会う男に合わせて性格だけでなく、話す言語さえも完全に変えることができるのか。なぜ、身代金要求の狂言誘拐を起こしてまで生まれ故郷のヘルシンキに行くための資金を捻出しようとしたのか。
本来、これらの問いに対して観客を説得するようなエピソードを描くべきだった。しかし脚本は「そういう設定」といって長澤まさみ氏の演技力で観客を説得しようとし、失敗した。寒川しずお以外の他の登場人物も同様である。
なぜ、設定と演技力による人物像の説得に失敗したのか。その理由は、スオミの人物像を連想させるステレオタイプが十分に確立されていないからであろう。例えば、本作品で唯一、人物像に説得力がある寒川しずおはエキセントリックな有名詩人だが、エキセントリックな有名文学者というステレオタイプが文学史やフィクションを通して十分に確立されているので、設定と坂東彌十郎氏の演技力だけで観客を説得することができた。しかしスオミのような人物のステレオタイプは、史実にもフィクションにも見出すことができない。
この映画と比較すると、ドラマ『地面師たち』はエピソードによる説得と、ステレオタイプに乗っかって設定と演技力だけで行う説得を優れた形で組み合わせている。辻本拓海がなぜ地面師になったのか、石洋ハウスの青柳隆史は何故港区の土地を喉から手が出るほど欲しいのか、これらの経緯を説明するエピソードを描いて視聴者を説得している。他方でハリソン山中の場合、『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターなどの極めて高い知性と身体能力を持つ超人的な快楽殺人者というステレオタイプに乗っかって、設定と演技力だけで視聴者を説得することにも成功している。
個人的には、フィクションには説得力が重要と考える。フィクションなのだから、エキセントリックな有名文学者や超人的なシリアルキラーだけでなく、人間のような意思を持つおもちゃや超能力者など物理的に存在しえない人物さえ設定で盛り込むことができる。しかし、これらは観客に対して説得力を持たなければならない。その方法は、既に確立されたステレオタイプに乗っかって設定と演技力で観客を説得するか、エピソードを描いて「だからこの人はこういう風になったのです」と説得するか、これらのいずれか(又は両方)をしなければならない。
15巻前後で脱落。ヒロインの描き方が気に入らなかったのと、ルカクの活躍からサッカーを見始めたら日本のサッカー選手がダサく見えてきたため。
遊郭編終了時点で脱落。鬼がしつこすぎ、読むことにストレスを感じはじめたから。完結したら読もうと思ったが今も読んでない。アニメもここでやめた。ちなみに蝿庭から吾峠のことは応援してきた。
18巻で脱落。絶対に物語への期待を裏切られると確信したから。芥見の「呪い」理解が(冨樫の「念」概念と比べ)明らかに軽薄で蔑ろにしていることへの違和感が強まったから。
自販機編完結時点で脱落。「万人の形式」なるテーマに対して豚汁ラーメンが肉薄していると思えず、期待に翳りが生じたため。二郎や家系はそれに当たらないのかという疑問も解消されなかったため。
2巻で脱落。うまく言えないが美麗な絵を見飽きたため。パターンが確立してしまい、今後新しい栄養をこの作品から得ることはないと感じたため。
6巻で脱落。欲しい栄養は6冊もあれば摂取できると感じたため。パターンが確立されたと感じたため。
8巻で脱落。デズモンドの陰謀や擬似家族から真の家族への進展について興味があったが大人気作品になったためか物語の主軸が変わってきたため。
18巻〜25巻頃から溝が開き始め、30巻頃完全に脱落。OFAが超パワーから複数個性になるなど、期待していたストーリーではなくなっていったように感じたため。
比較的近年だとテトリスからの落ちもの、カーマック先生のBSPツリーからのスキャンラインによるWolfenstein 3DやDOOM、
BSPから領域分割し、ポータルからのPVSで描画するQuake、今はマシンパワーが向上して力技でもなんとかなってしまってるけど…😟
そもそもPongがあり、ブロック崩しになり、日本側でブロック崩しのブロックがウネウネ左右に動いたり、ボールを砲台から発射した方が面白くね?
みたいな発想からブロック崩しのルールを改造してインベーダーになり、それがゼビウスなどの2Dシューティングゲームというジャンルとして確立する
パックマン、いわゆるドットイーターもそうだし、マッピーもドットイーターであるが、トランポリンによる上下階の移動、ドアで敵のネコをやっつける、
スクロールしないと先が見えないため、横移動がかなり博打要素がある、など単なるドットイーターというのともかなり違う
倉庫番はやはり凄い
プログラミングができる人はすぐ作れると思う
プログラミングができない人も、倉庫番を作れるように挑戦してみると良いと思う
ゲームのルールにしろ、アルゴリズムにしろ、こんなに単純なのになんて効果が凄いんだ、なんでこんなに面白いんだ、という感動を味わってほしい
寧ろ、誰でも到達しうる仕組みでありながら、思いつかなかった、目からうろこ、というアルゴリズムが個人的には素晴らしいと思っている
昔はゲームエンジンがUnityやUnrealみたいに確立したものはなく、自分でゼロから書いたりしていたわけで、
そうなると物理エンジンも書かなければいけないわけだけど、適当でいいかげんな打撃系を書いたりしたものである
今のゲームエンジンではそうないが、いいかげんなので、何かの間違いでキャラクターがぶっ飛んでいったりしてしまうのである
ゲームを面白くするコード、コアの部分というのは、本当に一画面に収まるようなものであった気がする
それこそ、倉庫番なんてそうだろう
考えてみれば、昔は今までになかった新しいジャンルのゲーム、というのが登場する余地があった
もちろん、インベーダーがギャラクシアンやゼビウスになったり、倉庫番がフラッピーになったり、模倣や改良がメインであることは現在も変わらないが、
現在は新しいジャンルのゲーム、新しいルールの発明、ということはほぼ皆無であろう
しかし、テトリスを初めて見たときの衝撃のようなものを、もう一度味わいたいとか、できることなら自分で作ってみたいぐらいの気がする
みんながコピーを作っているのなら、みんなは仕事でゲームを作っているわけだから、お金にならなければならないわけだけど、
趣味で作るなら、尚更、市販されているようなゲームのコピーを作るのはバカげているのではないか
いや、学ぶは真似ぶというのは正しいのだけど、いわゆるインディーズなら、新しいルールを発明したいものである
考えてみれば、マインクラフトも新しいルールを発明したゲームのような気がする
Notchもマインクラフトをどこかの企業に所属して開発したわけではない
彼の経歴は空白が多い気がするし、なんとなく生活保護をもらっていたとか、フラフラしていた時期があるんじゃないかという気がするし、
そういえばハリーポッターの作者の女性も生活保護だった気がするし、
どこか社会をドロップアウトしたアウトローならば、やはり市販されてるゲームのコピーを開発しても駄目だ
有能な人間「減塩食でも美味しく感じられる商品を開発しました。電気式味蕾刺激スプーン、高粘着塩味ジェル、昔から七味やうま味調味料も鋭意開発を進めております。低糖質をお望みの方には人工甘味料という手段もございますのでご自由にお使いください」
分かる?
ゴミ上司「残業もっと減らせないの?効率化しなよ。そうそう今度から社内ネットからメールを送るときは部長まで承認をもらってね。電子承認よりもメールを印刷して持っていくほうが手っ取り早いかな、まあ1回送るのに10分かかるかどうかだよ。じゃあ残業減らすの頑張ってね」←これと同じ枠組みの無能
「何々をしてください。そのためにはこのような手段を取れますよ」までちゃんと伝えて始めて仕事したような顔して言いわけ。
本当にちゃんと仕事したってなるのはそのための方法論や技術を自分で確立した場合だけどね。
実際問題として、有能な医者はカロリー管理アプリを共同開発するとか、義肢の研究のために機械メーカーと装具士が情報交換できる場を整理するとかやってるわけよ。
聞きかじった「こうするといいらしいぜ?」を披露して終わってるような奴が、「ドヤ。俺まじで素晴らしいやろ。はい相談料」とかやってるのは社会人として恥ずかしいと思ったほうがいいよ
人間と医療のレベルが違うというけれど、これは全くその通り。獣医ってのは様々な動物を相手にできることが必須であって、種族での専門性が低くなるのは仕方ない。
これは別にあなたの夫が、ということではなく、現代のペット医療の限界の問題。
ペットに質の良い医療を受けさせようと思ったら、人間という単一種を相手にしている人材では不足、つまりもっともっと優秀な臨床医を育成し全国に配置し、それ以上に優秀な研究医を育成し多岐に渡る治療法を確立しなきゃいけない。まあ無理だな!つーかそんな余裕あるなら人間の治療優先するわな!
何が言いたいかというと、ペット医療の限界を知っているからこそ、延命治療の先にある苦しみを味合わせたくなかったんだろう。
まあ、この話と増田が夫を好きになれないのはまた別の問題だと思うが、自分もあなたの夫と同じくどうあっても治らない致死性の病にペットが侵されたら安楽死も選択肢に入れる。
返信の速さにプロ増田感があるね。できれば実際にこう過ごしてるよー的な話が聞けたら嬉しかったかも。
でもそうだよね、そんだけ生きてたら自分の普段の過ごし方くらい確立しているだろうし、それぞれの連休を過ごしてるんだろうな。
友達の行動は、まさに「猿の文化」の典型的な例だな。霊長類の研究によると、彼らは食べ物の分配において非常に複雑な社会的ダイナミクスを持っている。君の友達が、わざわざ君の近くの食べ物を選ぶのは、無意識のうちにその本能に従っているのかもしれない。
彼らは「自分が優位であること」を示そうとしているのか、あるいは「君が持っているものを奪いたい」と思っているのかもしれない。これは、霊長類の間で見られる行動パターンだ。つまり、彼らは食べ物を通じて社会的地位を確立しようとしているのだ。
君が「ズルしようとしていると思われているのかな?」と感じるのも無理はない。彼らの行動は、君に対する信頼の欠如や、彼ら自身の不安を反映している可能性がある。だから、直接的に聞いてみるのが一番だ。彼らが何を考えているのか、率直に尋ねてみるといい。