はてなキーワード: 写真とは
久しぶりに親戚家族に会った。
親戚のお姉さんは私よりすこし年上で、素朴な感じがして、笑顔が可愛くて、周りから愛されているんだろうなーという感じがする。
中高と顔のことでいじめられて、そんな環境から抜け出したくて、いろんなことを犠牲にして勉強を頑張って、そんなに頭の良くない高校から有名な大学に受かった(高校の先生も塾の先生もめちゃくちゃ驚いてたし喜んでくれた、これが私の人生の絶頂期)けど大学生活コロナ禍も相まってそこまで楽しくなかったし、同期が大手の会社から内定をもらう中、私だけ中小企業からしか内定をもらえなかった。めちゃくちゃコンプレックスだ。
親は大学とか就職先とかより女は愛嬌だ、といって事あるごとに私を前述の親戚の姉と比べてくる。
そりゃそうだ、と私も思う。私も親戚のお姉さんみたいにかわいらしく振る舞えたらどんなに良かっただろうか。だけど。
中高と顔でいじめられてきて、大学でも一度も恋愛がうまくいかない私がどのようにしたらかわいらしく振る舞えるというんだろう。
高校生のある日友達を真似してスカートを折って短くしたらめちゃくちゃからかわれて、自分はスカートを短くしちゃいけないんだなと思った。考えてみたら友達は可愛くて、私は醜い。誰も醜いやつの足なんか見たくないよな、と思ってそれ以降スカートは折らなかった。
二重だし、元々の顔立ちがそこまで酷いわけじゃないとは思っているんだけど、肌質が最悪だし、高校のときは化粧がダメだったから3年間をそのまま過ごすしかなかった。大学生になって化粧をするようになって、またコロナでマスク生活になったのもあって自分の顔のいちばん嫌いな部分を人に見せずに済むようになった。
大学生になってから何回か人を好きになったけど、彼女がいるのを隠されたり、バレンタインにチョコあげても突き返されたりしてあまりうまくいかなかった。
3年生の時知り合った同じ学年の男の人とは仲良くなった。その人とは何回か2人で遊んで、なんとなくうまくいくかなーと期待していたけれど、何ヶ月か前彼女ができたと知らされた。とてもショックで1週間くらい寝込んだ。
その彼女のことは写真しか知らないけど、かわいらしくて、女の子っぽくて、性格も愛嬌があるんだろうなと思う。高校の一件以降私服は中性的な格好しかしなくなり、女の子らしく振る舞えなくなってしまった私とは大違いだ。私とは真逆のタイプの女と付き合ったことも含めてさらにショックだったと同時にものすごく後悔した。私がもっとかわいらしく振る舞えていたらこの恋はうまくいっていたのだろうか、と。
3ヶ月経って失恋のショックも癒えたと思ったんだけど、親戚のお姉さんを見て思い出してしまった。私もいつか親戚のお姉さんや前好きだった人の今カノみたいにかわいらしくなりたいな。
ホストってイケメンいないよね。イケメンだったら別のところで稼げるから。顔パンパンのホストの写真載っけたトラックが新宿とかウロウロしてるけど。マジで顔パンパン。
【追記】
こんな駄文にとても多い反応があって凄くびっくりした。
励まし・慰めの言葉をくれた人、後輩を悼む言葉をくれた人、本当にありがとうございます。正直、時間が経った今でもあの日のことは夢だったんじゃないかって思うことがあって、でも現実を突きつけられて。の繰り返しだった。けど、これを書いたことで、少し気持ちが楽になった。今まで誰にも相談できなくて鬱屈としてたんだけど、誰かに聴いてほしかったんだな。
書いてると感情が凄く乗ってしまって、嫌に創作臭くなってしまった。
事故に関する記事については「高速道路名 事故 後輩の名字」で調べないともう出てこなくなってしまっていて、これはさすがに晒せないから事実ということを証明するのは少し難しいんだ。
けど、それじゃ「嘘松だ」っていう人を納得させるのは難しいし、自分としても後輩の死を嘘松って言われながら消費されるのは絶対に嫌なので、事故にあった後の車の写真を置いときます。これを見て事実かどうか判断してもらえたらと思う。
ちなみに、今までにインターネット上に公開したことは無いから、画像検索しても出てくることは無いと思う。
また、この画像を見て交通事故の恐ろしさを改めて認識していただけると救われます。
https://gyazo.com/0b58ed31e1a84df6198a377d71c0b94f
https://gyazo.com/5390deb73e4458ef787743ac240fe85f
【追記終わり】
大学の部活で仲が良かった男4人組で日帰り旅行に出かけた帰り道での出来事だった。
片道250kmくらいの道のりで、あと50kmくらいで無事に家に帰れるはずだった。高速が事故で渋滞していて、渋滞の最後尾に追いついたんだ。
トラックの後ろに停車してハザードを焚いてバックミラーを覗いた。それから数分間の記憶はない。
目を覚ますと、運転席の中だった。目の前に巨大な鉄の塊があって、本来それと自分たちを隔てる、あるべきものがなかった。
状況が理解できなかった。けど目に飛び込んでくる夥しい量の情報がその事実を残酷に突きつけていた。
助手席の友人に大丈夫か聞くと返事が帰ってきた。彼に一旦外に出ることを伝えて、ドアを開けて外に出ると前のトラックの運転手が携帯電話でどこかに電話していた。
「そうだ、自分も通報しないと」携帯を取り出して110番に通報した。
電話を終えて後ろのトラックをチラッと見てみると、運転席に運転手が座っていた。60〜70くらいの男性だろうか。呆然とした様子で、誰かに電話をかけるような様子もなければ、降りてきて救護する様子もなかった。
でも、自分には彼にかまっている暇はなかった。後部座席に座っていた後輩2人の無事を確認しなければいけなかった。
後部座席を運転席側から覗くと、とても現実とは認めがたい光景が眼前にひろがっていた。
運転席側に座っていた後輩は口から血の塊を吹いていて、目を見開いていた。気付くと血の塊を手で拭っていた。血の塊はゼリーのように半固形状になっていて、事故が起きてから経った時間を物語っていた。
大丈夫か問いかけても反応がなかったけれど、なんとか息はしているようだった。奥を見やると、助手席側に座っていた後輩の首から上が、後ろのトラックに圧迫されているのが確認できた。
一気に自分の心拍数が上がるのを感じた。次の瞬間、思わず叫んでいたことだけ覚えている。窓から手を伸ばして、背中を叩きながら、ただ一命をとりとめてくれることを叫んで祈るしかなかった。
急いでドアを開けようとしても開かない。ビクともしなかった。追突の衝撃で歪んだせいだろう。どれだけ力を加えても開けることができず、それがより不安を加速させた。
ビクともしないドアが、生と死の境のように感じられた。それからずっと、救急車が来るまでただひたすらに、叫ぶことしかできなかった。もし少しでも止めてしまったら、2人がもう二度と帰ってこない気がしたんだ。
気付くと、救急隊の人が到着していて、引き剥がされながら、いつの間にか脱出していた助手席の友人と救急車で近くの病院に搬送されることになった。
結局、自分は左足骨折と頭を数針縫う怪我を負い、助手席の友人が頭を数十針縫う怪我、運転席側の後輩が顎の骨が砕けて、全治半年以上の怪我を負った。助手席側の後輩は帰らぬ人になった。
今でもあの日のことを思い出す。あの日、あのとき、直前のSAでもう少しだけでも休憩していれば。JCTで別の高速道路に抜けていれば。停車したときにもっと車間を空けていれば。別車線にいれば。そもそも誘わなければ。
事故を防げたかもしれないあらゆる可能性を思い浮かべては、そうできなかった自分を責めている。
数日後に控えていた後輩たちの旅行も台無しにして、亡くなった後輩のご両親からもただ一人の息子を奪ってしまって本当に申し訳がない。生きている価値がない。
あれからずっと、生きている実感が無い。
ここまで読んでくれた人たちにお願いがある。交通事故は本当に、誰一人も幸せにならないから、本当に気をつけて運転してほしい。
ビビる。
無産は罪だとでも思っているのか?
何が恐ろしいって表現したいことがあんまり伝わってこないことだ。
何をしたくていい年こいてから筆を執ったのかも分からない奴らがウヨウヨいる。
性癖を表現しようとしてやっている奴らはまだ全然わかりやすい。
本垢をBANされたくないからと裏垢を作ってはTwitterにBANされ、それを本垢で愚痴っては新たな裏垢を作り続けているような奴ですらそれが性癖の表現という目的意識の元行われているからまだ理解しやすい。
コラ画像を作り出すことに自分の存在価値を見出した果てに絵を描き出した奴もわかりやすい。
「そもそも画像自体を自分で最初から描けばいい」という朝目新聞のような発想を令和の時代に実行に移す古臭い感性が、結果として今どきコラ画像を作っているような奴というキャラを分かりやすくしてくれている。
特定作品のファン活動の一環からいつの間にか色んな作品を描くようになった奴もストーリーはシンプルだ。
まず何らかの作品にハマり、それの話をするのに文章で表現するより絵を描いたほうが早いと白ハゲ漫画の亜種のようなものから初めて少しずつ画力を鍛えていっている。
こういう奴は定期的にどこにでも湧いてくるらしいので、こちらとしてもよくあるテンプレ絵師ストーリーに乗っかっただけだなと把握するのは容易い。
理解不能なのは本当に何の目的もなくいきなり絵の練習を始めたとしか思えない連中だ。
自分のアイコンを描くためとかでもなく、アイコンは相変わらず何らかの写真だったりするのに、今油絵の勉強してますよみたいなアピールをしきりに繰り返す。
アップする絵も習作ばかりであり、そもそもお前は本当にそれがやりたいのかと問いたくなる。
理解不能だ。
子供の頃から好きだったのではなく、大人になってからなんとなくで始めるようなものなのか?
けいおんの影響でギターを始める連中の亜種かと思ったが、どうもひだまりスケッチとかに影響された雰囲気もない。
なんなんだろうかコイツらは。
管理職なのに仕事を覚えず全体のスケジュールも把握せずお客さんとの交渉もままならないし仕事を任せたり相談することができないので仕事面に関してはできるだけ触れない触れさせないようにしていました。
そのうちにやることがないと思い込んだのか何なのか知らないが上司はお気に入りの可愛い女の子には毎日セクハラするようになりました。
そんな上司の人間的に信用できない行動言動が積もり積もってストレスになり、私の頭がおかしくなってきたのを感じたので母親にこの事を相談しました。
身内に相談してどうにかなる話ではないのですが、自分だけの主観で感じていることなのでこの事が他人もどう思うかを聞いて冷静になりたかったところもあります。
でも案の定話を聞いてくれた上司よりも年上の母親も私と同じ気持ちだと言ってくれました。
やはり上司は無能なセクハラオヤジでこれは自分だけの問題ではなく職場全体の問題になるから別途対応する部署に相談しなくてはなと、面倒だなと思っていると母親が一つアドバイスをくれました。
「毎日その人の顔が写っている写真に“いなくなれ!”と願っているといなくなるよ」
それを聞いた時は娘を気遣っての母親なりの冗談だと思っていました。
しかし私は上司の言動行動へのストレス反応で無自覚に狂っていたのです。
職場のシステム上プロフィールに顔写真が出るようになっているので、私はその話を聞いてから毎日プロフィール写真の上司に向かって“頼むからいなくなってくれ!”と強く願うのが日課となりました。
そんなことを数日続けた結果、この上司は本当にいなくなりました。
会社全体で色々とあった時期ではあるので、私が願ったからいなくなった訳ではないと思います。
ただ、私はある事を思い出したのです。
昔、私はの家は家庭崩壊寸前まで追い詰められたことがあります。
今振り返ればよくある同居からの嫁姑問題だったのですが解決に至らず母親が私たちを置いて突然実家に帰ってしまったこともありました。
子供にとって家が安心できる場でなくなり毎日不安で怖かったのを漠然と覚えています。
そんな終わりの見えない毎日がある日突然終わったのです。
祖母が突然亡くなったのです。
後味は悪いですが問題の元凶がいなくいなったのでその後徐々に家庭の不和は完全にとはいきませんが落ち着きを取り戻しました。
ただ今でも不思議に思っているのですが、高齢とはいえ祖母に持病や体が弱い、入院等の話を聞いたことがないのです。
後悔しているって記事を読んだことがあるけれど
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
お金払わないと無理っぽくて、せっかく考えたのに悲しいのでここで供養させてね
https://courrier.jp/news/archives/314638/
https://unherd.com/2022/12/japans-cynical-war-on-woke/
I feel that the idea that 'it is right for all humans, regardless of their ethnic or cultural background, to be "woke" in a Western way' is discriminatory.
Is it really possible to easily judge whether "woke" is happening in cultures or value systems that differ from the Western perspective?
Additionally, as someone who is currently a female college student in Japan, I have a sense of discomfort with the author's argument that "social movements in Japan do not happen from the bottom up, but rather top-down."
On a separate note, I believe that for those who are not familiar with the difference between "茶道" and "茶芸" discussing East Asian art may not only be a little crude when it comes to Japanese culture, but also Chinese culture.
いつものようにiPhoneを開こうとしたら、妻に「なんで変顔してるの?」って言われました。
「ロック解除するためだよ」って言ったら、変顔の必要性はないと言うんです。
でも、セキュリティ上は他人に推測されないものを鍵にするべきであるので、真顔は普段から他人に見られているし、写真使われたら一発でアウトなため使えませんよね?
そのことで少し喧嘩になりました。
子持ちのおっさんだけど、まあ、言っていることはわかる。
年齢が小さければ小さいほど子供にとって実の親と見分けがつかなくなるし、愛着形成もしやすくなるだろう。
実の親との具体的な思い出が作られたり、写真があったりする前だと、継父母でも実父母みたいに思えるのかもしれない。
手続きごと・やったことないことを始めるのにすごく時間がかかってしまう
不安症的な何かあるんじゃないか、面倒で怠けている以上の何かがある気がする
何事においても始めることがとても億劫で怖い
お店のサービスに申し込む程度のことすらやった事ないことをするのはすごく時間がかかる
サボって好きな事してるかというと、始終そのことを気にかけていて、どうしようどうしようと気に病んでる
けど着手は億劫でやらない
いよいよ締切がヤバイ、という頃になってやっと エイッ と始める
やってみるとなんのことはない、すぐに終わる作業
なのにいつも始められない
写真の電子化サービスで、アルバム3冊を送られてきた箱に詰めて、書類と送付状に自分の住所を書く
それだけのことが1週間も手をつけられなかった
平日だって時間がなかったわけじゃないし、今日の昼だって用事があったわけでもなく完全に休みで、なのにここまで手をつけられなかった
飼ってる猫かわいいかわいいってしょっちゅう写真をアップしてるアカウントがあるんだが、長毛種なのにいつも毛が絡まり気味のボサボサでなんか混乱する
長毛の犬なら飼ったことあるしブラッシングでしょっちゅうきれいにしてたんだけど、猫って犬と違ってどうしてもボサボサになっちゃうとかあるの?
おい岸田テメーは臨月で一日中寝ている妻に毎日三食と菓子を用意してやったことがあんのか。
おい岸田テメーは妻子の入院中にベビーベッドを組み立て、哺乳瓶を消毒し、車にチャイルドシートを取り付けたことがあんのか。
おい岸田テメーは産後の妻がリビングで漏らした尿と悪露を拭いたことがあんのか。
おい岸田テメーは朝4時に泣き喚く子を抱き、家の中を1時間歩き続けたことがあんのか。
おい岸田テメーは便秘の我が子に綿棒浣腸をして手がクソまみれになったことがあんのか。
おい岸田テメーはミルクとヨダレにまみれた服を風呂場で手洗いしたことがあんのか。
おい岸田テメーはおむつ替えの最中に放尿されて顔に尿がかかったことはあんのか。
おい岸田テメーはお気に入りのソファにゲロをぶちまけられてもソファより先に子の心配をしたことがあんのか。
おい岸田テメーは子の成長度合いを見ておむつの残量を調整したことがあんのか。
おい岸田テメーは頻回な手洗いと哺乳瓶洗浄、洗濯で手がカサカサになったことはあんのか。
おい岸田テメーは抱っこのしすぎで腱鞘炎になっても、子が匂いを嫌がるから湿布すら貼れなかったことはあんのか。
おい岸田テメーは少しでも節約するためにオムツや粉ミルクのシリアルナンバーを集めてせっせと入力したことはあんのか。
おい岸田テメーは子の寝顔を写真に収めようとしてシャッター音で起こしてしまったことはあんのか。
産休育休ってのはなあ、こういうことを毎日毎日、24時間やり続けることなんだよ。
舐めんな。
多分これ男性向けで活動してる女性あるあるだと思うんだけど、私は美少女は好きだけど美少女好きの男オタは苦手だ。
私は女性向けの女性キャラはあまり可愛いと思えず、男性向けの肉感的で子供顔の美少女が好みの女だ。でもかと言って男オタクと仲良くしたいわけではなく、気が合うのはやっぱり女性オタクだし男性向け好きの女性オタク同士が一番安心する。男オタクのキャラをオカズとして見ている下品な感じが受け付けないし平気でシコっただの抜いただの公言する神経が理解できない。
男オタクには直結厨みたいなのもうじゃうじゃいて女絵師に下心を持って近づくきしょい奴がいるからうんざりする。女性にはいないよ?自身の性器写真をDMで送りつけてくるやつなんて。そして女絵師の描いた美少女で抜くのが性癖みたいな奴もいるらしく、男性向けで活動していようと自身が女として性的にまなざされることは変わらないんだなぁと暗い気持ちになる。もし女性ファンばかりの美少女ジャンルがあったら天国だろうにと思う。
先日、わが弟の結婚式があった。
実は当方、結婚式は初めてだ。子どもの頃に招かれたことはあるかもしれないが、全く憶えていない。
当初は出ないつもりだったが、貴重な機会だと思って参加させてもらった。父、母、妹、俺の四人だ。
以下、数百字にわたって感想を述べたい。
チャペルの隣にあるホテル風の建物に入った時は、まあそんなもんかって感じだった。親族側なので、ほかの招待客よりも早めに行く必要がある。待機時間は長かったな。二時間くらい待ったよ。小ぢんまりとしたホールで、スタッフの人が泡でふわっふわのコーヒーを持って来てくれた。あれはコーヒーだったのか?
ああ、そうだ。トイレに行こうとしたら別のスタッフに停められたんだよな。すぐそこを新郎新婦(弟と嫁)がリハーサルで歩いていたらしい。やっぱり、事前に姿を見そうになると止めるものらしい。
時間が経って、ほかのスタッフの人がホールに入ってきて、親族その他参加者を呼んだ。そんでチャペルに着くと、牧師の人や讃美歌のチームがいて、青が基調のステンドグラスがあって、ドラマで見るのと一緒の光景だった。
それで、式が始める前に参加者みんなで記念写真を撮って、外国人の牧師が挨拶をして、いよいよ新郎新婦が登場するわけだよ。
いやあ、恰好よかったね。新郎は細身のタキシードがシャンと決まっていた(追記:よく思い出してみると、ズボンの右ポケットにスマホが入ってるのが明らかだった。人によっては萎えるポイントかもしれない)。その次に入ってきた新婦も、ドレスがめっちゃ清楚にまとまってる。お父さんと一緒に、ゆっくりと牧師の前まで歩いていくんだが、その後ろで参加した親戚の女の子たちがさ、新婦のウェディングドレスの尻尾のところを持ち上げながら歩いてるんだ。いや、あれには参ったね。はっきりいってお洒落だった。
それで、讃美歌があって、聖書の言葉を読み上げるのがあって、「やめるときも、すこやかなるときも」っていうのがあって、あとは流れだった。くちづけの時、弟が相当に緊張していた様子が伝わってきた。その辺は兄弟だからな、わかるのだ。
それらの儀式は、テレビドラマで見るのとほとんど一緒でびっくりした。そういうものなんだな。ドラマと違うのは、花嫁がほかの男に奪われないことくらいだ。
最後に、一時間半ほどの食事会があった。出てくるものは、ワインでもジュースでも刺身でもパンでもステーキでも、とにかく何でもうまかった。ほかの参加者ともしゃべりたかったけど、俺はわけあってあまりしゃべることができない。
ほかの親族とか、参加者の人達は大騒ぎしていた。新郎新婦を囲ってやりたい放題だったし、小さい男の子らもやっぱり楽しそうだった。はしゃいでいた。
小中学生の女の子らは、新郎の方に駆け寄っていて、いっしょに二人並んでの記念撮影を求めていた。弟はイケメンで、はっきりいっていい会社に勤めている。性格もいいのを知っているのだろう。
父も母も妹も、新郎新婦と記念撮影をしていた。俺もそっちに呼ばれたけど、結局行かなかった。俺にはいくつか障害があるから、あまり動けないのだ。できれば人前にも出たくないが、たぶん人生で最後の結婚式参加だからなあ。
俺は、ひたすらに烏龍茶飲んで、パンを食べていた。食べ物が小さいので油断していたけど、お茶漬けが出てくる頃にはお腹いっぱいになっていた。もしかして、食べ物のサイズが小さくても、上等なものだとお腹いっぱいになりやすいのだろうか。
宴も竹縄な感じになって、新郎と新婦が最後にみんなに挨拶をしていたっけ。親への感謝が主だった。ふたりが音楽とともに退場して、俺達一家もさあ帰るかとロビーに降りて、父母の着替えを待ちながら妹とゆっくりしていると、新郎の弟が帰ってきた。妹と話をしている。互いの労をねぎらっているようだ。
弟は、その後こっちに話してきた。「兄ちゃん。来てくれてありがとう」だって。「おめでとう」とだけ言って、ちょっと会話をして、「じゃあ、またな」で締めた。あいつは、俺の結婚のことは口にしなかった。したくてもできないとは思うが、ハレの場で考えることではない。
新婦側の親族がまだ残っていた。さっきの子ども達が新郎に群がっていた。男の子はスプラトゥーンの攻略法を聞いていたし、女の子はやっぱりツーショットの写真を求めて並んでいた。
それから、新婦方の親族とちょっとだけ雑談をして、それで解散になった。
楽しかったなあ。いい式だった。一生の思い出になった。
ところで、もし俺が健常者で、弟みたいにイケメンで、いい会社に勤めていたとしたら、結婚式は挙げなくないな。だって、恥ずかしいだろう。あんなに見られて。写真を撮られて。耐えられそうにない。恥ずかしすぎる……。
とまあ、いろいろ想像をしてみたが、こんなのだって結婚式に参加しなければ得られなかったものだ。参加してよかったと今では思える。弟よ、どうか幸せに。 兄より。