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2018-02-21

昔の香典帳を集める仕事をしている

香典帳というのは、お葬式の時の香典を誰から何円もらったかを一冊の帳面に記したものだ。

古くは近世のものもあるが、私の仕事場北海道なので、近代以降の香典帳を主に集めている。

集めているのは、正確に言うと香典帳だけではない。

香典の他に、葬式必要ものを一式記してその代金をまとめた買物帳や、お布施を払った際の布施帳なども付随することが多い。

これらが一緒になった形式帳面もある。

どうしてこういうものを集めるのかというと、物価がよく解るからだ。

人の死というのは今も昔も絶え間なく続く。

からそれに際しての香典や、調達物資は、物価の移り変わりの物差しとして極めて優秀なのだ

昔は、コメ物価指標になっていた。高度経済成長期以降、食料の多様化により、コメという物差しはぐにゃぐにゃとあやふやものになってしまった。

他の、価値があると考えられてきた指標すらそうだった。貨幣で買える貨幣も横行した。

だが、未だ死ぬことは、医学が発展したとは言え平等だ。共同体があれほど変質したとしても、寺なり神社なり教会なりで、古墳時代とさして変わらない営みが続いている。


今日は、古い家の仏壇に入っていた香典帳を見た。昔ながらの折り紙状の和紙帳面だ。9才で死んだ男の子のものがあった。尋常小学校同級生一同で香典が出されていた。

親族(子孫)からいただいた付随データ網膜上にダウンロードする。昭和11年腸チフスで死んだのだという。

昨日は、古いHDDに保存されたpdf香典帳を見た。元々はエクセルというデータ形式らしい。94才で死んだ女に、101才の姉が香典を出していた。

これも親族からの付随データが功を奏して判明したもの平成29年香典帳。死因は老衰小学校教諭を長く務めた勉強熱心な女で、この時代にしては香典が多い。

姉はそれから4年生きた。その香典帳は時のなかで失われた。

研究の成果を学会で発表した際に批判される点は以下の通りだ。

香典システムから物価や人的ネットワークを構築するのはよい手法だが、そもそも香典を出さな葬式家族葬や新しい宗教観に基づく葬式)の形態が増えたことによる影響はどう考えているのか?

葬式必要な物品を葬儀会社の一元化して調達する影響はどう考えているのか? いずれも、鋭くも有り些末な指摘とも言える。

もっと明るい題材で社会の移り変わりを切り出せればいいのだが。

2018-02-18

藤木英雄の「危惧感説」は今…?

anond:20180218082007

未来に起きるかもしれない犯罪被害を防止するために、大部分は全く無関係であろう特定属性国民権利制限する」という政策は、相当慎重であるべき

女性専用車両のものに反対ではなくとも、そのロジックが一旦社会公認を受けるのならば、ロジックのもの独立的に転用されて範囲を広げていくのは自明なわけで、このように影響範囲が大きそうな問題は慎重に見定めたい、場合によっては反対したい

まさにそう。

 

未来犯罪を取り締まるタイムマシン警察

日本法律は、最近の「テロ等準備罪」の新設によって、根底から大きく変わった。

これは、過去現在未来時系列事件を考えて、今まだ発生していない犯罪未来に生じる可能性があるの犯罪に備えて、事前に逮捕処罰できるように、日本刑法を変更した。

このアイデアは、法理論において「新・新過失論」「危惧感説」などと呼ばれている。

 

危惧感説

日本第一人者は、天才・藤木英雄先生だった。

 

藤木英雄

藤木 英雄ふじき ひでお、1932年2月20日 - 1977年7月9日)は、日本刑事法学者。元東京大学法学部教授法学博士従四位勲四等旭日小綬章

東大首席卒業。在学中に司法試験国家公務員試験とを首席合格、俗に言う「トリプルクラウン」(東大法学部司法試験国家公務員試験の全てにおいて首席)を達成。

孤高の天才は、わずか45歳で早世された。藤木先生長生きしていれば、日本もっとましな国になっていたかもしれない。(残念)

 

藤木の刑法理論の特徴は、社会の発展に伴い新たに噴出する法律問題について、実務家の需要とその背後にある市民社会的要請に応えて、いち早く解決示唆を与え理論構成するという点にあるとされている。

藤木先生なら、「痴漢冤罪」「女性専用車両」等の問題について、どのような解決方法提示されたであろうか?と想像する。

 

戦後の数ある刑法学上の論争の中で、実務上最も重要な意義をもったのは過失責任を巡るものである

藤木は、高度成長期において非伝統的な犯罪が多発するという状況に際して、新たに企業側の過失責任拡張することで、被害に苦しむ市民を救わんと尽力し、新過失論を一歩進めて「新・新過失論」・「危惧感説」を提唱した。

危惧感説が登場する以前の新過失論は、逆に伝統犯罪交通事犯に対する過失責任限定意図していただけに、画期的な転換といえる。

危惧感説は、後に板倉宏らの一部の学者検察官の支持を得て、森永ヒ素ミルク中毒事件採用されるに至ったが、北大電気メス事件( 札幌高判昭 51.3.18 高刑集 29.1.78) では明確に排斥されており、学会でも一般的な支持は得られなかった。

当時の藤木先生の卓越した洞察に、時代が追い付けなかった。しかし、今は違う。

 

危惧感説

「過失論」→「新過失論」→「新・新過失論」(危惧感説)の変遷は、なぜもたらされたのか?法理論歴史概観したい。

危惧感説

新過失論は客観的な結果回避義務違反社会的相当性からの逸脱)を重視するため、相対的主観的予見可能性には重点が置かれないことになるが、それでも、漠然たる不安感・危惧感では足りず、ある程度の具体的な予見可能性必要であることを前提としていた。

これに対して、危惧感説(きぐかんせつ)や新々過失論(しんしんかしつろん)と呼ばれる考え方は、社会的に不相当な行為をした以上、何らかの危険があるかもしれないという漠然とした不安感・危惧感がありさえすれば過失犯は成立するとする。

このような考え方は、公害事件薬害事件のような未知の分野について、広く過失犯の責任を問うべきであるという動きとともに提唱された。

しかし、これは、結果的予見可能性要件否定することになり、責任主義に反するとの批判があり、現在では支持されていない。

危惧感説は、元々は公害事件等で苦しむ庶民を救済するためのアイデアだった。損害の因果関係がある程度明確になっていて、将来の健康被害が見越される場合企業に対して汚染物質流出を止めさせることが必要だった。

しかし、このアイデア欠点は、現在はまだ起こっていない事件未来に生じる事件について予め取り締まることは、責任主義に反する、権力暴走につながる危険性をはらんでいること。

タイムマシンに乗って、未来を見ることができない限り、有罪判断が正しい保証はどこにもない。(1)正しさを担保する仕組み、(2)間違っていた場合リカバリー、等用意すべきシステム煩雑だった。

 

テロ等準備罪の欠陥

このアイデアを、上記(1)(2)等の必要な準備をやらないまま、使った法律が「テロ等準備罪」だった。(「公害」を「テロ」に置き換えた)

藤木先生が生きていたら、当然(1)(2)の不備を指摘され、アメリカ立案者に対して、必要要件提示改善提案できたであろう。

残念ながら、現代日本人法学者では、アメリカ政府要求に対して、短期間で代替案を提示することができなかった。

テロ等準備罪は、アメリカの指示によって作られた法律であり、利害関係国際政治に関わる大きな問題だったので、日本独自方針では決定できなかったことは止むを得ない。

 

しかし、「痴漢冤罪」「女性専用車両」の問題は、日本国内問題として、アメリカの指示を待たずに、日本人希望を反映させることができるだろう。

まり上記(1)(2)の不備を廃し、論理的整合性の取れた法律を作れるはずだ。

 

藤木先生が残した宿題

アメリカ法律家は知性が低いので、彼らには「危惧感説」を実用化するための論理構成はできない。

藤木先生仕事を引き継ぎ、多様化する利害関係を快刀乱麻で解決できるのは、やはり日本人しかいないのではないか

欠点だらけのアメリカ式テロ等準備罪」とは違った、安全かつ実用的な日本式痴漢防止法」を作れるのではないか

日本法曹界法律家諸君には、人々の幸福を守るために健闘していただきたい。

 

cf.

2018-02-17

anond:20180217093352

AV女優って要するに売春婦一種なんだけど、テクノロジーの発達によって売春形態多様化してきている。

現代売春婦効率良く自分を売ることができる。

AV自体名刺とか広告みたいなものかもしれない

大半のAV女優は、愛人風俗と掛け持ち。

素人JK売春婦SNS簡単に客を捕まえられる。(逮捕されるのは客だけw)

貧困層が広がる日本では売春カジュアルになって、若い子たちは自分の「商品価値」「賞味期限」を理解している…世も末!?www

みんなは何使ってアニメ観てんの?

 こないだ今季アニメ1話ほぼ全部見た感想書いた元増田だけど、ちょっとみんなに聞きたいことがある。その日記には気になるブクマが付いてて、内容は「耳が良い増田だね」的なもの。恐らくレビュー内でアニメ音響やら音楽についてちょこちょこ触れていたのを受けてのコメントだと思ったんだけど、そもそも私は耳が悪く(具体的には、後天性の病気で片耳があまり聞こえない、という具合だ。もう片耳は人並みに聞こえるが、多少仕事等に支障が出るくらいには不便である。)、アニメを見るときも本当はヘッドホンを使いたいけど、左の音があんまり聞こえないのでスピーカー我慢している状態だ。なので上のブクマを読んだ時「え、みんなは両耳使えるんだしアニメ音楽とか音響とかもっと楽しんでるんじゃないの?」と感じ、ここ2~3週間ずっともやもやしていた。んで、さっき「視聴環境が違う人には、アニメが違う風に見えたり、聞こえてるんじゃないだろうか」と思い至ったわけである。それなりにでかい画面+それなりに音質の良いスピーカーないしヘッドホンアニメ観てる人はどれくらいいるの?

 

周りの人にアニメ視聴環境を聞いてみた

兄弟A:地上波XP画質(キレイVHSくらい)で録画し、CMを削ってBDに焼いたものを観る。たまに円盤を買ったり借りたりして観ることもある。再生する機械BDプレーヤーと19インチくらいの小さいフルHDテレビスピーカー内蔵)。基本的にメッチャ小さい音or消音で観る。

兄弟B:ニコ動Gyaoを使い、無料視聴できる作品のみ視聴。非プレミアムだそうだ。再生機械2010年頃のノートイヤホン

・友人:私には友人がいないので聞けず。

・私:サブスクリプションサービスHD画質配信されてるのを観る。機械24インチフルHDモニターと1マソのサウンドカード&2マソのヤマハスピーカーアンプ中華製)orAKGヘッドホン。(弁明させてもらうと、私はよく3Dゲームプレイするのでそれに合わせて機材を買っていたらこうなってしまったのだ。あるあるだよね?)

 

 n=3て。本当なら兄弟たちと同じアニメについて感想の言い合いっこと洒落込むのも一興だと思うのだけれど、私はそこまで彼らを愛していないので無理なのだ。ただ、彼らから「このアニメ音楽が~」みたいな話を聞いたことは今のところ無い。

 

ここから本題

 要は「視聴環境が異なるならば、アニメにおいて注視するポイントが異なる」の真偽が気になる、という話。ただ、アニメの視聴環境作品の印象について考えるとき「元々音へのこだわりが強く、結果今の視聴環境がある」なのか、「ひょんなことから金のかかった視聴環境を持つ事になったが故に、アニメを観る時音響やら背景美術やらが目につくようになった」のか分からないという問題があるので、アニメが大好きな諸兄の力を借りたい。以下に最近放送されたアニメの、私なりのざっくりとした印象を書くので、諸兄の視聴環境を踏まえた印象の違いを知りたい。「同じような環境だけど違う」のか、「環境にこだわってないけどだいたい同じ」なのか、はたまた「もっと環境にこだわってるけど違う」なのか。「いやいや手元のスマホ再生してみればええやんけ」っていうのはそうなんだけど、それなりの視聴環境で堪能している私がスマホアニメを見ると、背景とか音楽脳内補完ちゃうのであんまり意味がなかった。アニメを見る上で脳内補完は非常に優秀なツールである

 

1.少女終末旅行

 ケッテンクラートのドコドコ音が心地よいアニメ。なんてこと無い会話の後ろで流れるアコースティックBGMも相まって無限に聴いていられる。「雨音」とか最高すぎる。

 

2.宝石の国

 劇伴が劇的に優れているアニメ1話で月人が登場するシーンの音楽は魂が震えた。音響効果も凄くて、特に宝石たちの硬い足音がすごく好き。公式ラジオによると、あの硬い音はキャラクターごとに違う石を使って録音したらしい(聞き分けられる人いる?)。一番好きなのはアンタークの話以降フォスがハイヒールになり、足音が変わるっていう演出

 

3.魔法使いの嫁(前期)

 美麗な背景美術を観ることができるアニメ。また各話の、挿入歌による効果的な演出がすごい好き。

 

4.覇穹 封神演義

 すげー書き込まれてる背景とデカイ音で楽しむバトルアニメ1話あたりの尺がバトルに極振りされてるので、ストーリー知りたかったら原作見てね、と言われてる気がする(ストーリー忘れちった)。ちなみにシリーズ構成は「異世界はスマートフォンとともに」のシリーズ構成でおなじみ高橋ナツコ

 

5.ポプテピピック

 クソアニメ。このアニメだけスマホで画質を気にせず観てる。

 

6.ゆるキャン△

 色んな人が、あるいは一人で、あるいはみんなでワイワイ、アウトドアを楽しむ姿を描くアニメ。この作品BGMの音量デカイよね。キャンプ場毎に変わるBGMとすんごい背景美術流れる様は、「なんだ、ミュージックビデオか」と思わせる。特に3話の、「ED曲を挿入歌として流しながら映る夜のキャンプ場と、ずっと聞こえる風の音」と「背景美術効果的に使った5話ラスト」がヤバかった。

 

 ここから予想。スマホタブレットは画面が小さいので、例えば美しい美術は目に止まりにくく、相対的キャラクターの表情や動き等分かりやすい所に目が行く傾向があるのかなぁ、と予想している。音についても、スマホタブレットの内蔵スピーカーは「人間の声」がよく聞こえるような仕様になっているので、「美麗な音楽環境音が流れる会話」が「会話の後ろでなんか音楽流れてんな」みたいな印象に変わりやすいんじゃないだろうか。

 

視聴環境こだわらない派って増えたよね

 一昔前と比べると、ネット配信アニメに初めて触れる人は増えたと思う。ネット配信が目指すのは「いつでも手軽に楽しむ」ことなので、それに伴い視聴環境も非常に多様化しているのは間違いない。例えばAbemaTVコメントしているユーザスマホ勢が非常に多い印象を受ける。もし視聴環境によって作品の印象が変わるのなら、AbemaTV独占配信アニメである覇穹 封神演義」は、その背景美術音楽の魅力が薄れちゃうので「なんか主人公が毎回敵と戦ってるけど、ストーリー意味分からんただのクソアニメ」みたいな印象が大多数になったりするんかな。

 ほいでネット配信が主流になるにつれ、視聴環境に金をかけてる人は相対的に減ることになるのでは?と思っている。もっとも、そういう人向けに「円盤」という商品があるのだけれど。今後、「視聴環境に金をかけてる人に好まれアニメ」と「視聴環境にこだわらない人に好まれアニメ」の2極化が起きたりして。

 

顧客ニーズアニメ演出

 もしみんなが「アニメは基本スマホで見るモノ」と考えるようになったら、作り手はきっと「スマホの画面やスピーカー再生することを想定した作品」を作るだろう。簡易な視聴環境を持つ人が多数派になると、例えば「ポプテピピック」のように視聴環境依存しない面白さを持つ作品相対的価値が上がっていく可能性がある。別にこの手の先駆者では無いのだけれど、AbemaTV放送しているアニメポンコツクエスト」を試しに観て欲しい。簡素な背景、8Bitサウンドの音楽シンプルアニメーションの会話劇。明らかにスマホで観ることを想定して作られてると思うんだけど、今後こういう需要が増えていくんじゃないかなぁ、と予想している。んで、相対的に高予算クオリティアニメ立場が弱くなって行くんじゃないか、とすごく心配している。ちなみにポンクエ面白い

 でも一方で、ネトフリ限定配信作品であるヴァイオレットエヴァーガーデン」なんかはめちゃくちゃハイクオリティだったりするので、「ネット配信利用者の増加≠視聴環境にこだわる視聴者の減少」と作り手は考えてる、ということなんだろうか。

 

その点劇場版って良いよな

 高クオリティ需要に応えるカタチの一つが劇場版作品劇場版アニメの一番いいところは、最高レベルの視聴環境提供されることである。作り手も映画館で上映されることを想定して作品作りができるので、劇場版作品を金のかかる視聴環境で視聴すると明らかに音響が凄かったり、細かい効果音を使った演出や異常に美しい背景美術が楽しめる。マジで最高。こないだ劇場版攻殻機動隊観たけど凄いぞアレ。

 

教えてよ、みんなのアニメを観る環境

2018-02-08

女子高生スカートを愛している

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1956636.html

 

男女平等観点から女子生徒のスカート消滅危機に瀕している。

大げさかもしれない。記事中では「スカートスラックス自由選択可」とされているが、これは終わりの始まりかもしれないじゃないか

憂慮すべき事態だ。

 

なぜなら俺は女子高生スカートが好きだからだ。誤解なきように申し添えておくが、収集しているわけではないし、痴漢ではない。

記号としての女子高生スカートがなんとなく好きなのだ。だから収集した女子高生スカートはもはや女子高生スカートではないし、スカートを履いた女子高生痴漢対象にはならない。

ピクトグラムが好きだから道路標識収集することはないし、ピクトグラム欲情することはない。それと同じ。

 

女子高生スカートが好きだ。スカートを履いた女子高生が好きだ。

ジェンダー? 男女平等? 性の多様性

わかる。わかるよ、価値観多様化しているってことは。

だけど、我々は女子高生スカートを死守しなければならない。

なぜなら俺が好きだからだ。

 

俺の価値観押し付けるつもりはない。

多様性は素晴らしいことだ。みんなちがってみんないい。

だけど女子高生スカートに限っては保守的でいなければならない。

なぜなら俺が好きだからだ。

 

女子中学生スカート女子大生スカート駆逐されても構わない。

なぜなら俺はそんなものには関心がないからだ。

から女子高生スカートだけは維持されなければならない。

なぜなら好きだからだ。

 

だけど、もしも君も女子高生スカートが好きなのであれば、心の中で構わないから強く願おう。

男女平等とか性の多様性よりも大切なものがあるという信念を貫こう。

常識にとらわれるな。わがままで構わない。「俺が好き」以上の動機があるだろうか。

 

俺は女子高生スカートを愛している。なくしてはならない最上のものとして認識している。

君はどうだ?

2018-02-06

時は22世紀日本では妾制度が導入されていた。

21世紀恋愛の形は多様化したが、少子化によって危機的状況を迎えた現代日本において、

これから日本人には結婚して子供を産みまくってもらうことは急務の課題だった。

しかそもそも恋愛結婚大正義みたいなロマンチック・ラブイデオロギー蔓延したのは戦後の話。

元は家と家の繋がりのための社会的契約であって、主流は見合い結婚。今では超絶不貞行為の妾だって法的に認められてたのだ。

だって性奴隷とかそんなものでなく、富めるものが貧するものを救済する手段の一つでもあった(これはハーレムも同じ)

それをそのまま元に戻しても時代に則さないが、現代的にいくらか変更して導入しよう、として生み出されたのが「妾制度である

まず結婚子供を生むための制度とし、結婚によって得られるメリット子育てに関するもののみとして、

財産相続など、子供関係のない制度上の保護はナシとする。

一方でそういった子供とは関係のない「2人のためのメリット享受できる関係」を法律定義する。これを「妾」と呼ぶ。

「妾」は結婚相手とは別に持つことができ、結婚せずに「妾」だけ持つことも許される。

もちろんこれは異性でも同性でもかまわない。さらに言えば結婚相手をこの「妾」にしてもよい。

まりは、それまでの結婚内包されていた、「子育て、家としての役割」と「恋愛の最高形態役割」を別々の契約として分けたのである

これによって結婚相手あくま家族を共同経営するためのパートナーとみなされるようになった。

よき家族となるため、性的魅力などではなく能力が重視され、これを見極めるために一時期は衰退していた「お見合い制度」が復権した。

また、恋愛関係ではそれらの要素よりも正確の一致が重視されるようになり、それまでの様に資産生活能力恋愛関係が選ばれるようなことは少なくなった。

さて、この様にメリットだらけに見える妾制度だが、23世紀も10年経った昨今、新たな問題点が浮上している。

この世界的に見ても特殊結婚制度は、第三次世界大戦前の鎖国体制下によって生まれたが、

終戦30年を迎え、一般的になってきたアジア圏での国際結婚などの事例においてこの制度トラブルの元となっている事例が増加しているのだ。

特に中国を中心とした共産圏で影響の強い儒教の教えなどとは相反する部分が大きく、中国寄りの現政権では結婚制度改革案も出ているという。

こうした流れを受け、国内でも結婚制度見直しへの議論が高まっている。

2018-02-03

anond:20180203144049

根本的には、日本大学は自前の資金調達力が低すぎるのが原因

市民から寄付地方自治体支援など財源を多様化すべきだったのにできなかった

ただ日本大学人は大概、一般市民地方バカにしてるので、自業自得ともいえる

女の性的価値が激減する傾向の社会

女性社会進出によって女の発言力が増えていけば、こうなることは初めから分かっていたことだよね。

F1グリッドガール廃止も、少し前に話題になったコンビニからエロ本撤去問題も根は同じこと。

女性社会進出改革が何をもたらしたかというと、女も学歴や職歴を身につけて自立できるようになった、ということではない。

女は学歴と職歴があって「当たり前」の価値観社会になったのだ。

この約30年間で変わったことは、女の生き方多様化したわけではなく、頭のいい女しか認められない社会になったということ。

今までの男社会の片隅で、社会の最底辺としてドブの中で生きてきたブスな女にとってはいい話かもしれない。

2018-02-02

anond:20180202130015

フェミニズム思想を突き詰めて考えてみると、女性自身自己決定権を最大限に尊重するということだよ。

しかし、その理屈だと「レースクイーンになりたい」という女の意思も、最大限に尊重されなければならなくなる。

フェミニズム思想が浸透すればするほど、男社会価値観が強化されるという矛盾もある。

それにフェミニズム思想対象は女だけではなく、もう片方の男にも適用される。

男の方が「若くて容姿の美しい女と結婚したい」という思想を持っていたら、フェミニストとしてはその意思尊重しなければならない。

>男社会が悪いってのはデフォでわかってるんだけれど、

社会の仕組みが女にとって有害となっている理由は、やはり男社会のもとでは女はお金を稼ぎにくくなるということなんだよね。

お金がないと、女自身自己決定権行使することができなくなる。

からこそ、歴代フェミニストたちは学歴を身につけ、起業家政治家などを目指していったのだと思う。

お金地位があるからこそ、女の力で社会を変えることができるようになった。

しかし、女がお金地位を手に入れれば入れるほど、女の生き方多様化するのか、と言われればそうではない。

表題に挙げたレースクイーンのような仕事はなくなり、頭のいい女しか生きることができないような社会となる。

2018-01-30

anond:20180130123047

極端すぎるだろ。

名指しで悪口を言わなきゃいいんだよ。

あとネットに期待しすぎ。

2chで発想が多様化たか

しろ露悪の方向にまとまっただろ。

いま最も同調圧力が高いのがああいう完全匿名コミュニティだよ。

2018-01-28

そろそろ日本って分裂したほうがいいんじゃない

連邦政府っていうのかな。そんな感じで。

女性だけの街が話題にあがってるようにさ、日本単一民族だけど多様化してきてると思うんだ。

うそれを一つにまとめる必要とかないんじゃないかなと思う。

いっそ自分と同じ価値観の人が集まって社会を作ってしまったほうが楽なのではないか

そんなことも考える時なのかもしれない。

2018-01-21

anond:20180121160941

ネット時代の今でこそ趣味多様化して若者有名人を知らなくても不自然じゃないけどテレビ時代90年代小室哲哉あたりをスルーしてたらそれこそ世間知らずとしか言いようがないと思うんだ

別に世間知らずのまま仕事してた人もいただろうけどね

2018-01-20

anond:20180120180837

ああ、増田での話ではないのか。

お前はリベラル左翼からと言われたといっていつものここでつぶやいてるやつになんか言われたのかなと。

まず、第一に、いま政治スタンスというのは非常に多様化してます。まあ、昔から複雑だけども、それでも理解するために区分けみたいなのをしています

ただし、次第にその区分けから俺の敵だ。味方だ。みたいな使われ方をしています。なので、正直今の時代リベラル保守右翼左翼なんて区分をするやつは無視していいと思う。

これがネオリベラリズムみたいなのであれば、経済政府の介入を全く良しとしないスタイル(当然税金規制を嫌う)とある程度明白になってくるからマシですが。

リベラルというのは自由主義。と言っても、自由と言っても非常に幅が広いですよね?金持ち税金無しで暮らせるのも自由女性差別されずに働けるのも自由

対義語として保守というのが使われます。これは古き良きものを守るというスタンスです。

といっても、今の自民党政権新自由主義です。これは、ケインズ主義と対極となる形です。いずれも経済スタンスです。

30年前の自民党であればケインズ主義だったんですが、いつのまにやら新自由主義保守であって、その敵がリベラル自由主義というわけのわからん状態になってます

右翼左翼というのは、古くはフランス革命後の議席位置、及びそれに伴う政治スタンスです。

右翼重商主義左翼弱者主義、、、というのがかんたんに言った当初のスタンスですね。

といっても、これは経済スタンスを主にした考えです。当然、先に行ったように差別とか、逆に外国がどうのというのように視点がさんざん広がっています

で、次第に、俺はこのスタンス、お前のこのスタンスというレッテル貼り手段に堕していってます

なので、新自由主義なのに、リベラル自由主義否定するとか、この間の選挙で、全部が保守を名乗るとか言う訳のわからん現象になってます。当然です。ただのレッテル貼り手段に堕してるから

なので、ただのレッテル貼りから無視しておけ。あと、今の時代政治団体なんてかかわらんほうがいいよ?ワイの命令に従え!みたいなめんどくさいやついっぱいだから政治世界って。

ストーリー不要になったのではない、多様化したのだ。

まず作品の数自体が増えている。

その中にはストーリー性の濃いものもあれば薄いものもある。

何年にも渡って公式同人の両輪で膨大な物語が生み出され続けるコンテンツがあるかと思えば、Twitterでバズった10秒で読める短編漫画が速攻で書籍化されたりもする。

プレイ時間100時間を軽く超えるようなRPG流行っているのと同時に、隙間時間にちまちまとプレイするスマホゲーム流行ってもいる。

ひと昔まえには存在すらしなかったようなマニアックジャンル作品アニメ化されている。

萌え4コマなんてもの流行って大量にアニメ化されていると聞けば90年代の人は驚くだろう。

かつてとの違いがあるとしたらここだ。

圧倒的に多様化しているのだ。

から探そうと思えば「ストーリー性の薄い作品」も「ストーリー性の濃い作品」もいくらでも見つけることができる。

ストーリー性の薄い作品だけをことさらに取り上げて「ストーリー不要時代だ」と嘆いてみせることもできる。

もちろん、多くのオタクはどちらのコンテンツも楽しんでいる。

人はしばしばその部分を見誤りがちで、「アイドルアニメばかり好きなやつ」「異世界ファンタジーしか読まないやつ」などといった想定をしてしまうが、

多くのオタクは、長い作品も短い作品も明るい作品も暗い作品もシブい作品エロい作品も、同時に摂取して楽しんでいるのだ。

多様性があるって素晴らしい。

面白いのは、ストーリー性の薄いもの否定し、ストーリー性の濃いものもっと作れと主張する側が、何故か「多様性擁護者」を自認しているところだ。

彼らの頭のなかでは「ストーリー性の薄いものしか読まない最近の若者に真のエンターテインメントを教えてあげる年長者」といった幻想が作り上げられているのだろう。

くわばらくわばら。

2018-01-18

今の時代会社改革

多様化を認める」っていうのも1つのキーワードなんだろうか

会社に忠誠を尽くす人しか入りません」っていうのが旧来型の企業価値観

そりゃ人手不足倒産もするわって感じ

今は妊婦でも介護しながらでも在宅でも働き方は多様化できればいいし

結果さえ出すならどんなやり方でもOKって感じ

他人が休むことで俺の負担が増える」って向きもあるけど

お互い様だと思わないとだし

そもそも休みやすくなるように仕事の総量もしくは効率化に手を付けなきゃね

2018-01-16

物語を巡る状況はぜんぜん悪くなってない

anond:20180116071707

商業作家です。

物語をめぐる現代日本の状況に絶望なんて全くしていません。

そもそもストーリーを紡ぐことは個人可能なことであり、予算企業側の都合などなんの関係もなく実行可能です。ゲームメディアアニメディアでのシナリオライター企画会議に縛られるでしょうが、それは物語を作ることそのものとは関係ない、ただの商業要請であって、それが嫌なら単著を出せば良いのです。

単著であっても編集要請で好きなことが書けないという意見もありますが、それは、ただ単に編集要請自分の書きたいものを両立させるだけでの構築技術が不足しているということか、編集要請に隷属しないと出版物が出せないという売上力の問題でしょう。

増田は「小説家になろうから始まった作品作家陣を蔑視していますが、それは随分大きな見当違いではないでしょうか? 商業的制約や生活費要請などを無視して、ただひたすらに自分欲求だけで書き始めて無料でもいいから書き続けている時点で、彼らこそ物語構築者として純粋なのではありませんか? たしかに彼らの作品技術的な拙さや偏った傾向があるかもしれません。けれど、彼らは「編集許可されないので好きなものが書けない」などという泣き言は言わないじゃないですか

アニメゲームと言った企業営利創作のなかで「自由にかけない」「ストーリーは終わった」と嘆く人間よりも、「オレはこういうのが好き」「金とは無関係に書く」と活動できている彼らのほうが、よほど物語る事に対して建設的だと思いますよ。

しか現在特に商業的な創作物は過剰消費の傾向があって、それはキャラ消費やシチュエーション消費などの二次創作的な需要にも思えますしかし、二次創作的な需要の背景には、常にオリジナルな感動があるはずです。読者や視聴者が、記号的な美少女で喜んでいる現在があるとすれば、それは彼らが何処かでその記号学習たから、感動を学習する原点があったからです。

物語消費が多様化して、消費量が増えて、今までは参入しなかったような(同人的とも言える)ハイアマチュアセミプロ業界に参入して、市場混沌としています。そういう現況に、トラッド創作物愛する人々が落胆し嫌悪感を覚えるのもわかりますしかしそれはやはり、懐古なのだと思いますよ。

記号的なキャラクター記号的なシチュエーションに喜ぶ、増田から見て志が低いとされる読者視聴者であっても、彼らは彼らなりの人生物語体験を経て感情移入出来る何かを学習してきたのです。それが「現代の読者」なのですから、その彼らに敬意と感情移入を持って自分物語を書くのが、ストーリーテラーとして重要な事だと自分は考えます

まだまだ手を付けてない題材だって手法だってたくさんあります

物語物語を取り巻く現在環境は、絶望の入り込む余地が無いほど忙しなく輝いていますよ。

孤独死発見する定期宅配サービスの人たち

いま、孤独死話題になってるけど、コレから高齢化が加速して

定期宅配サービス需要が増えたら、配達時に死亡する高齢者が見つかるから、それほど大きな問題にならないような気がする。

 

孤独死回避の為に子供と仲よくとか、近所と仲良くというのは

子供東京とか遠く離れた場所で働いていたり、思想多様化した現代ではとても難しい。

 

親戚も居ない、近所づきあい存在しない、そんな孤独な私の死体を見つけるのは、配達サービス店員なんだろう。

2018-01-15

ガキ使『黒塗り問題』について頭の中で少しまとまったので書いてみる

まず自分としては「問題なし」という認識でいます

主張しておくのは以下。

(1):本放送日本国内TV電波で流された放送であり、放送局日本国内ターゲットとしてその放送責任が発生する。

(2):肌を黒く塗ることに関して差別的意図がある文化日本では醸成されていない。

(3):黒人に対して悪な意図を持ってエディー・マーフィーに扮してはいない。

海外在住の外国人差別だと言われる件については(1)により関係ないで通せば良いし、その責任を持つべきではない。

キャプチャとかYoutubeアップロードとかほんとに知らんでよい。

放送を見た日本にいる外国人に対しては(2)(3)のことから日本では差別ではないので理解してくれと説明する。

国際的云々に関して、それって何?

自分

・互いの文化ルール表現尊重多様化を認めて許容すること

・上を踏まえた上で、衝突する場合はお互い一番傷がつかない落とし所を探ること

・上を踏まえた上で、自国文化に沿って相手国の文化ルール表現自国理屈一方的に削ることを強要しないこと

・上を踏まえた上で、自国外国文化ルール表現にあえて置換したり、並列化することで何らかの効率を著しく上げること

と思っている。

要は個性を認めた上で効率的にお付き合いできるようにしましょうである

なので他国へ渡ったとき、その国の文化ルール表現での拒否反応は当たり前であるし、理解を深めて許容すべきと思うし

自国外国文化ルール表現に単純に倣うことは違うと思っている。

日本以外黒塗りが差別に当たるとしても、日本差別では無い文化なら他国はまずそれを尊重すべき。

異国の文化ルール表現のあり方を許容することも国際的というなら必要感覚だと思う。

---

黒人差別について補足しておくと日本ではほぼないと思う。

その代わりにもっと大きな視点での外国人という括りに対して差別はあると思っている。

が、公的表現媒体上でほぼ見ることがなく、ネット上の落書き的な場所

リアルでの仕事や何らかのサービスを受けるとき対応に寄っていると認識している。

---

あー、あとベッキータイキックにも触れておく。

暴力的表現自体アウトとか言ってる輩はうんこ

ボクシング相撲格闘技、大好きな映画漫画小説すべてアウトになるよね。誰も得しない。

パワハラにも当たらない(と思う)。

ベッキー自体あんなことがありながらも本気NG案件強要されるほど芸能界の中で立場は弱くないし

NG案件仕事の受注の際に表現する力もあるはずである

現地点ベッキー本人は問題ないとしているのでこれを受け入れるしか無い。

彼女バラエティプロなので苦痛を伴った表現もある程度OKするだろう。

ハラスメント認定するにはまずは本人が本気NG強要されたと声を上げないと難しい。

2018-01-11

anond:20180111113217

その人はあなた迷惑をかけているの?

そうでないなら、他人をどうにかしよう、どうにかできると考えるのは傲慢ではない?

そういう思考一種の病的なもののように思える。

時代により比率は変われど、世の中には一定割合のそういう人が常にいるものだ。

それをどうにかしようとするのは複雑すぎる困難な問題だし、一個人の手に負える問題ではない。

から政治アプローチしようとしている分野。そこに、個人が「常識」やら「モラル」やら「病気」やらを説いて、

説得、恫喝暴力などで人を動かそうとしたところで、それは人権を脅かしかねないゾーンに足を突っ込むことになる。

から個人レベル戦略としては、他人を変えようとするより、自分が変わる・自分環境を変えることが良策だろう。

身内だったら、無理にでも叱ったり躾けたりして家族全員の価値観をある程度統一することも許されるかもしれないが、前時代的な考え方だ。

価値観多様化した現代においては、一緒に暮らす家族といえどまったく異なる価値観問題を抱えている。成人ともなれば尚更だ。

 

そもそも科学的には自由意志存在しないのが濃厚で、自己責任というもの存在しえない。

科学的には存在しないものを、社会的に秩序立てるために存在する、自覚しろと言っている状況がある。

不幸なことに人類は脳がたいへん発達しており、はっきりした自意識は持っている。

ただし、自意識を持っているからといって、神経系の全権を自意識が有しておりコントロールできる訳ではない。

しろ1%たりとも自分意図的に脳を動かせる人などいない。腸を意識して動かせる人がいないように、それは勝手に動く。

その脳は、感覚器を通した周囲の環境からインプットを、肉体的に好悪を選好しつつ電気的に保存しておくものしかない。

それに基づいて、その人の言動のようなアウトプットが成される。

それを私たちは、自分意思で決めたのだと感じているに過ぎない。

それでどうして、自己責任などと言って、一個体にその言動責任を負わせることができるだろうか。

その意味で、この宇宙には自由意思もつものなど存在しないだろう(宇宙を創った神のようなメタ存在を除いて)。

諸器官が作り出すハーモニー自由意志幻覚を見せているだけで。

脳をハッキングすれば、その人の好みも価値観発言コントロールできることは想像に難くないだろう。

そしてそれには、高度な神経科学技術必要なく、大昔から、脳のインプット源をコントロールする、

いわばソーシャルハックのような形で世に溢れている。

というか、教育からビジネスまで、人類の営みのすべてがそのソーシャルハックに終始していると言えるほどだ。

 

その人が社会に出ることを忌避する思考の持ち主に育った原因には、遺伝的(先天的)なものもあるかもしれないし、

育ちによる(後天的)なものもあるかもしれない。現代では特に後者の影響も大きいだろう。

人間の脳は成長の過程で、外部からさまざまな情報学習して、そこで個人個人で異なった価値観形成する。

普段似たような価値観もつ人たちと社会生活を送りがちな人間は、そのバラエティの深さについて思い至りにくいし、それゆえ寛容を欠きがちだ。

率直にいうと、あなたがもしその30になっても働かない人として生まれ、その人生を0歳から現在までトレースしてみたとき

彼と同じようにならない自信が持てるだろうか?持てる人は存在しないだろう。

彼のような状況、心境、価値観に至るには、他人とは共有できないさまざまな巡り合わせの累積があったに違いないからだ。

 

それでも彼が生きているというだけで立派で賞賛すべきものだ。

働かずとも生きているということは、養ってくれる存在がいて、愛されているということだろう。

愛されるに足るだけの存在でい続けているんだろう。

扶養者が親であれば、当人への理解も深かったり、あるいは親としての責任も感じてかもしれないが、

それでも勘当されないだけの関係性を保っているんだろう。

家事を手伝ったり、面倒事を代行したり教えたり、体を労ったり話相手となったり、あるいは存在だけで癒やしとなったり。

それらの価値を、扶養者が受け入れているという事だろう。

会社社会価値基準でみるとそれらは釣り合わぬ価値かもしれないが、その価値基準がすべてではない。

あるいは相続した蓄えで生活しているのかもしれないが、それはそれで認められた権利だ。

ここは社会主義国家ではないから、働けるけど働かないことが直ちに罪になるわけではない。

それぞれの境遇にあったそれぞれの生き方模索することが許される現代国家の、労働が急速に自動化されていく未来において、

増加していく「働いてこなかった人」はむしろキーとなる。

労働に心身と時間を費やしてきた人の目線だと、働いてこなかった人を見下しがちで怠惰人間だと思うかもしれないが、

人間無限怠惰はいられない。労働市場ただちに評価される形ではないかもしれないが、

彼らなりのスキル感性を日々研ぎ澄ましながら生きている。

オンラインゲームをしながら、最適解を導き出すために高度な関数APIを駆使して計算・発表する技術を身に着けていたり、

あるいはチートクラッキングについてのディープ知識をつけているかもしれない。

そういった類のものは働きながら学習するのは困難だ。

そこまで高度でなくとも、ゲームを続けていたならゲームについて人並み外れた審美眼が養われており、

テスターだとかブログのような形で何かの機会に活かされる可能性がある。

他にも、Webコミュニティ(wikiギルドなど)のメンテといった、有志に頼る、大変だけどお金にならない部分をニートが支えている例は多いのではないだろうか。

ニートはいえ、労働市場に出るのは嫌でも、人の役に立ちたい、褒められたいという欲求は人並みにあるものだ。

なので人知れず、市場経済にではなく人間社会に対して良いインパクトを与えている可能性を考慮してほしい。

きっと2ちゃん良識的で穏健な発言をして荒れるのを防ぎ、初心者に優しくしているのもニートおじさんなのだ

彼らは、働いて疲れて擦り切れて攻撃的になっている社会人のみなさんの棘を受け止めてくれているはずだ。

ニート歴数年とかの駆け出しニートは逆に精神不安定で拙い言動迷惑をかけることが多いのかもしれないが、

基本的ニートは肉体も精神も拘束されることがないので、金はないが心の余裕があるものだ。

その余裕で人を包んであげたいと思うのは自然なことで、ネットでもらう匿名の温かい言葉ニートによる率は高いと思う。

忙しい人は、そもそも無関心になりがちで、応じるにしても一言二言で短絡的に答えがちだから

 

そんなわけで、増田のみなさんには、働かざる人に対して一概に人格否定したり、どうにかしようと攻撃したりしない人になってほしい。

働かざる人を許容できるようになっていかないと、わりと深刻に国の未来は暗いと思う。

ミニマル環境適応し、モノやココロ断捨離に自ずと卓越していくニート知恵袋が、

収縮していく社会で穏やかに生きるためにはきっと役に立つはずだから

時にはフレンドリーに、いろいろ話を聞いてみてほしい。

よく話せば、誰しも決して無知蒙昧な人間のクズではなく、世界見方世間とは違うだけの、いい意味で「普通人間」だと気づくはずだ。

あなたとて、何かに躓いて世界見方が変わってしまう機会に直面したら、明日は我が身なのだし。

2018-01-09

荒川区ゼロ歳児保育と変わらない危険思想

http://lite.blogos.com/article/269629/:embed]

荒川区のゼロ歳児保育が酷すぎる件について(駒崎弘樹) - BLOGOS(ブロゴス)

最初に書いておきたいのだが、私も荒川区方針は支持しない。

家庭の事情多様化する中で、一律17時まで、というのはあまりに柔軟性がないからだ。

保育所議論にあたりこの発言をした議員はズレている。

あなたの生育歴なんぞ知らないし、親子の絆のために預かるのは17時まで!もおかしい。

それはおかしい。

しかし、私はこの記事エビデンスというキーワードにひっかかりを覚えた。

この記事の筆者は保育に関連するNPO法人の方であるようだが、いわば現場の方がここでエビデンスというキーワードを持ち込んだことに違和感を感じるのだ。

逆にエビデンスさえあれば、一律17時でも問題ないのだろうか。

3歳に満たないこどもを預けて働くことに風当たりが強かったのは過去の話である

しかしいろんな現実環境から、こどもを預けて働くことに社会理解は広がった。

それは保育の現場努力であり、過去の母を中心とした親たちの努力の結果だろう。

からこそ思うのだ。

「預けて働くことのこどもに対するリスク」にちゃんと目を向けてはどうか。

#保育園入れて のハッシュタグを見たときも感じたことだが、好きで家庭から「長時間」離れたいこどもは少ない。

(あえていないとは言わない)

夜遅くまでお迎えがこない、これはストレスになりうることは素人でも想像できる。

余談だが、待遇保証されない場合保育士にも負担しかない。

「親子の絆がー」といわれたとき

荒川に沈め!」としか反論できないこの筆者に不安を覚える。

家族で過ごす時間の大切さは、どんな家庭で自覚した方が良いと思うのだ。

そのために奔走するのは必ずしも母親でなくても良い。父親でも祖母でも良い。

考えて話し合って、それでも19時まで必要となるならそれで良い。

3歳までは専業、が「正義」だった。

勿論今では違う。

しかし、フルタイムでこどもを遅くまで預けることが「正義」でもない。

そこをどうか履き違えない社会であってほしい。

2018-01-07

田舎住みだけどもうそろそろ朝昼晩のサイレンは役目を終えていいと思うんだ

朝は6時に鳴るし夜は5時だ

どちらも現代生活サイクルからずれてると思う

田舎はい生活スタイル多様化してるだろうしサイレンで知らせることももうないと思うし

みんなの田舎ではまだサイレン鳴っているんだろうか

2017-12-26

anond:20171226114233

その割にはおまえら

の子目線に立って桃太郎極悪非道茶化すような

逆張りコンテンツきじゃん

 

モノの観方が多様化たからこそ

門切り型の昔ばなしなんて需要無くなったんだろアホ太郎

2017-12-25

ボーナス退職金も期待できず、

昭和サラリーマンのような「辛抱していれば報われる」時代はとっくに終わって早何年。

今になってサラリーマン像にパラダイムシフトが起ころうとしているように思える。

副業の解禁や残業抑制、「好きなことだけで生きていく」、仮想通貨

稼ぎ方は多様化しているし、それに対して社会も柔軟になっていくんだろうな。

だが、「昭和サラリーマン像の亡霊」ともいうべきものに導かれるまま使い捨てられてきた30〜40代社畜は、

これから人生ハードモードなんだろうな。

2017-12-21

元だけど

anond:20171221125856

anond:20171221124842

食い散らかしてる方の人間です。若者の草食化のおかげで今の若い女の子は本当にラクになった。お金もかからないしいい子たちばかり。まぁいくら食い散らかしてると言っても同時進行は4人くらいが限界から、言うほど食い散らかせないけど。

何をどうしたところで男は妊娠できない。女が妊娠したあとに男ができることは、心を寄り添わせることとお金を出すことだけだ。

本能的に男はより多くの子孫を、女はより優秀な子孫をという大前提がある。以前は男の性欲や自尊心、女の性欲や自尊心はこの本能に基づく経験の有無が決め手だったように思う。つまりはより多くの女性とのセックスを、より優秀な男性とのセックスで満たされるものが各性には存在していたように思う。例えば女性特に自分好意的に見ている男との下ネタは喜んで話しているくせにそうではない男から下ネタ露骨に嫌がる。余談だがちなみに俺はここを確認する。君は下ネタ平気?って。苦手なんですよねーという女性とはあくまで人と人としてのお付き合いをする。OKな子は徐々に男女の仲に持っていく。

草食化の原因が何であるのか。これが分からないことには、性欲を満たす為の条件の変化が特定できない。

しかし男は草食化してもオナニー自体しないわけではないだろう。エロコンテンツ多様化してそれで事足りてるからリスクを負ってまで女性を追いかけないわけだ。だが女性場合はどうだろうか。女性の性欲はセックスしたいだけなわけではない。相手スペック大事だし、受動であることも大事だったりする。セックスが好きではないヤリマンは実は多く存在するし、そういう女性は男から本能のままに迫られるのが嬉しいということであったりする。女の性欲には他にも多々あるけど、一部の男が食い散らかすことは女性本能から考えるとそれなりに理屈が通る結果になる。

男性の草食化が進んだ場合はどうなるのがいいのか。結果としては擬似的な一夫多妻制が最も合理的に感じる。不倫はそれなりにOKな世の中になり、草食化した男性は多くの税金を払い、一部の男があちこちで作った子を育てるお金を払うということだ。シンママでも安心して育てることができる社会を作るということだ。もちろん、子どもを育てるには多くの労働力必要で、労働力お金代替するのが現状。一人親ならなおのこと。シンママの親との同居や近居も視野に入れなければならないし、そのための引越費用、家を買う、建て直す費用税金投入が前提になる。

まぁ色んな方向に話しがとっちらかってはいるけど、女性積極的アプローチしたい男性は、すでに長く付き合ってる彼女がいたり、結婚している男性だってことを言いたいだけです。

2017-12-12

会話に興味がない

人と話すことがない、会話が続かない等々、この手の話って大体他人に興味がないからって結論になるけど、よく考えたらそもそも会話に興味がないのかもしれない

一般人と会話するより面白い本読んだり、ネットの興味ある記事読んでたほうが楽しい

娯楽が多様化した現代においては、かつて娯楽の王であった会話の地位が低下してしまって、人付き合いのために仕方なくやるものしかなくなってしまったのではないか

anond:20170929233057

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