はてなキーワード: 多様化とは
保育士が一秒でも早くお迎えに来て欲しい理由は、保育園の状況が複雑化し、保育士の業務負担が増加しているためです。
以下はその詳細な説明です:
保育士の業務は以前よりも多岐にわたり、子供たちの保育だけではなく、保護者支援、書類作成、安全対策、教育活動、そして地域への貢献などが求められています。
保育士の給料が保育園運営費に割かれ、給料が低下していることがあります。
給料の低さは保育士不足の一因となり、保育士の負担を増大させています。
一人ひとりの子供に合わせた個別のケアが求められており、それに伴う書類作成や計画のための時間が必要です。
保護者からの要望が増加しており、例えば習い事の提供や教材費の削減による子供のイタズラ増加など、保育士に新たな負担をかけています。
保育園での長時間の保育が一部の子供に影響を及ぼしており、怪我や喧嘩の増加などが挙げられます。
一部の保護者が子育てを園に委ねる傾向があり、家庭との連携が難しい状況が続いています。
これにより、保育士は子供の成長発達を保育園内で促す必要があり、更なる負担となっています。
待機児童問題の解決のために新たな保育園の開園が増え、これに伴う運営費用の削減や人手不足が保育士にプレッシャーをかけています。
保護者が一秒でも早くお迎えに来てくれることは、保育士の業務負担を軽減し、子供たちにとってもより良い環境を提供できる手助けとなります。
AV嬢になりたいというのと、風俗嬢になりたいというのはちょっと違うか。
話は違うけど、なんで日本はこんなに性風俗のマーケットが大きいのかね。
ちょっと検索すると3兆円規模~5兆円あるいは9兆円規模ともいわれる。9兆円ともなるとアパレル市場と同規模なんだそうだ。
AVだけでも、その製作本数は年間3万5千本、毎日100本以上の新作がでて、3000人が毎年デビューしているんだとも。
性風俗従事者いわゆる風俗嬢について正式な統計はないものの、経済学者の飯田泰之氏は30万人という推計を出していいる。
先ほども名前を出した飯田泰之さんは、全国の風俗店の推計稼働店舗数と、一店舗の推計在籍人数をもとに、風俗嬢と呼ばれる働き方をしている人は全国におよそ30万人いると推定しています。
30万人というと、沖縄県の那覇市や、三重県の四日市市などの人口と肩を並べる人数です。風俗嬢の年齢別ボリュームゾーンである20~29歳の女性に限った場合、20人に1人が関わっていてもおかしくない数値になります。
20代女性の20人に一人が風俗嬢? 性風俗業界が抱える「見えない孤独」 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
ほええ。。
風俗嬢って案外、30代40代が多いと思っているので、ボリュームゾーンの考え方はどうかなと思うけど、多いのは確か。
AVなら偶像化されたい願望とマッチするかもしれないし、偶像化を求めるのは、日本の昔からの文化的なバックグラウンドが大きいんだろう。
でも、風俗嬢は?自己肯定感への渇望だけでは風俗嬢にはならないよなあ。少なくとも30代40代の風俗嬢というのは。
職業に貴賤はないとかいうのも、売る側にとっても当事者たちが自分を納得させるのに都合がいいからそういうだけであって、
ユーザーサイドからすると、実際には、風俗でもパパ活でも、自分はユーザー側でありながら、風俗嬢に説教する、というタイプの男性が往々にしているように、
建前と本音を使い分けている。なぜだろう。なぜ堂々と、お父さん今からパチンコ行ってくるねくらいのノリで、抜いてくるねとは言えないのか。もしくはAV嬢の星を目指せと娘を応援する、そういうことがいえて初めて貴賤がないとガチで信じているといえるはずだ。でも、それってそういうひとって普段の人間関係何かぶっ壊れてないですかね。
わいせつの消費や性風俗の利用は、その行動が通常の社会関係や信頼(家族)を壊しかねないわけで、
そういう事柄をわいせつと再定義できるのかもしれないとふと思った。
逆に言うと、通常の社会関係を維持しようとすると、どうしてもわいせつなものは卑しいと言わざるを得なくなるし、抜いてもらってから賢者タイムで我にかえって、
こんな仕事しててケシカランみたいなことを説教しだしたりする、浮世の社会関係から切断する操作が必要になる、そういう確認作業が、心理的なメカニズムとしてあるんだろう。
自分は風俗に通っておきながら、風俗は賤しい仕事でなければ困るわけだ。家に帰れば普通のパパでいたいからね。風俗と割り切れれば割り切れるほど賤しい。スナックの女に手を出す、みたいなのはかならずしも割り切れないから、危険な遊びということになる。芸者遊びとかお妾さんとか枕営業いうのは、そういう意味では地続きだ。社会関係を壊さないという満ち満ちた自信と権力があれば、危険な遊びは、カネで買う必要がなくなって、いくらでも社会関係の同一線上で行うことができてしまう。ジャニーさんみたいにね。
だから、風俗が賤しいという認識は、歓楽街と家庭の間に結界をつくって、穢れを断ち切ることで安心して家庭に戻りたい、凡庸なユーザー(男性)の側の勝手な都合が大きく反映している。
無店舗型の風俗いわゆるデリヘルが風営法改正で2000年代に急速に広がり、供給が増えることで単価も下がっていった。
供給の広がりはサービスの多様化も併せ持った。昔のようにソープ一択みたいな感じではなくなり、よりカジュアルな風俗が増えた。またインターネットの普及で、ネット予約が当たり前になったことで、風俗嬢にとってもユーザーにとっても風俗へのハードルが下がったこうした背景は間違いなくあるだろう。それがひとつ。
あともうひとつは、ユーザーのマインドとしても、バブル崩壊後の落ち込む日本経済を反映して、女性の貧困がますます浮き彫りになり、風俗への流入が進む一方で、男性は通常の社会関係を壊すような危ない遊びはしたがらなくなった、ということかな。
AVにしても、昔はポルノは映画館で暗闇でみるものだった。メディアがVHSのビデオになり、それからDVDへととってかわり、やがてネット配信の動画へと進化した。家で置き場に困り、ビデオデッキでガチャガチャっと音を立ててセットしなければいけない時代は遠く過ぎ去った。昔だったら、三本くらいのビデオを引き出しに隠し持っていたのがせいぜいだったのに、今では1000本くらいストックできるし、ストックする必要すらなくオンデマンドでどこでもいつでも視聴できる。エロの世界に浸るぞ、という仰々しさはどんどんなくなって、カジュアル化した。それが手軽にさくっと抜きたいユーザーニーズの多様化という需要にもマッチした結果なんだろう。
いつでもスマホでポルノ、みたいな手軽な時代になった、ということは、スマホでエロ動画をみながらも日ごろの俗世間の人間関係を簡単に維持できるということを意味する。江戸時代の吉原大門みたいな結界のあった時代と異なり、祝祭的な異空間から俗世間に戻ってくるような、ある種、宗教的ともいえる気持ちの切り替えの機会もない。
中井貴一がデビューしたての頃のドラマ「ふぞろいの林檎たち」(1983年放送)のなかで、抜いてもらったあげく風俗嬢に説教するシーンがあるが、そういう気持ちの整理は、俗世界での人間関係の葛藤とセットだった。それは世間体とよばれるものであったり、家督といわれる家中心の考え方だったりした。中井貴一が風俗嬢に向かってこんな賤しい仕事はやめろよ、というとき、その心の裏側にあるのはあるべき家族像であり、家族の価値であり日々の人間関係だからだ。それを無意識に確認し、再生産する儀式として風俗嬢への説教があるという見方もできる。
ということは、風俗嬢側も、ヌキ終わったらさっとネクタイを締めて部屋をでるサラリーマンをみて、それはある程度、差別される宿命を理解していたし、今もしているだろうと想像せざるを得ないのだけど、そういうものが性消費のカジュアル化とともに少しずつ希薄になってきているのかな。
昔に比べて風俗嬢が増えている、かどうかは知らないが、AV嬢は確実に増えていると思う。
それはひとつに、性サービスがカジュアルになった結果、さっきまで浸ってたエロ世界と俗世界を切断する、みたいなユーザーもそんな儀式はいらないし、AV嬢や風俗嬢側も、昔に比べて差別されているという感覚が希薄になっていったということが、相乗効果になっているのではないかとふと思った。
また、同時に昔に比べて、家族の価値や日々の人間関係も希薄になったのだろうと思う。それは風俗に関わっていることが日々の家族のなかで発覚してもそれほど大きなダメージはなくなっている、ということなのかもしれないし、あるいは、元増田のいうようなこと、つまり家族関係に、自己肯定感をはぐくむ場としての機能が失われつつあるということなのかもしれない。それが悪いのかどうかはわからないが。AVがこんなに蔓延しているひとつの考えるヒントではありそうだと思う。
ほんとにググればすぐ出てくるんだって
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hakusyo/03_hakusho/ODA2003/html/honpen/hp002010000.htm
具体的には、貧困問題の深刻化や難民・避難民の増加、災害といった人道的問題、環境や水、感染症といった地球規模の問題のほか、頻発する紛争やテロ、平和の構築といった新たな課題が山積しており、途上国のみならず、国境や大陸を越え先進国を含む国際社会全体を危機におとしいれかねない状況となっています。これら諸問題の解決を先延ばしにすることは、酸性雨や地球温暖化などの地球環境の悪化、貧困にあえぎ、良い統治の行き届かない国がテロの温床となる可能性、日本と近隣諸国との間に大きな所得格差が続くことで、労働者の国際的移動を招き、それが日本への不法滞在者を増大させる要因となることなど、将来の世代に大きな負担を残すことにつながります。こういった問題への対応は決して他人事ではなく、私たち自身の問題なのです。そして、こういった問題に対応するため、ODAに対する期待、要請はますます拡大、多様化する傾向にあります。
アジア地域に加え、中東やアフリカ地域といった他の地域も日本と深く関わっています。日本は、主要なエネルギー源である原油を中東地域から88%輸入しており(注6)、同地域の安定は日本の石油の安定的確保につながります。アフリカは、カカオ豆、マンガン鉱、白金など鉱物資源や天然資源の供給先として重要であるとともに、日本の工業製品の輸出先としても重要です。相互依存関係が深化している中、途上国の貿易・投資が活発化することは、途上国の経済発展に資するだけでなく、国際貿易の恩恵を享受する日本にとっても重要です。
毎度毎度ネット文字創作界隈をお騒がせすることで有名な、「名興文庫」およびその「相談役」。
(詳しく説明するのは面倒なので、知らない人は「名興文庫」「本格ファンタジー」「ダークスレイヤー」あたりでツイッター検索をかけてもらえば、何となくその立ち位置が分かってもらえると思う)
今回は、日本において「本格ファンタジー」が根付くはずの土壌をラノベが破壊してしまった、という歴史認識を巡って学芸員の鞍馬アリス@kurama_fantasy氏と論戦を繰り広げているようだが、その中でこんな発言が出てきた。
ttps://twitter.com/kurama_fantasy/status/1698847925580022266
@kurama_fantasy
最初から土台をなしにされたと言うことを、歴史的な史料(当該時期の雑誌、新聞、評論、研究、書簡類、出版に関わる統計資料等、あるいは当事者の証言であるオーラル・ヒストリーを含んでいます)などを組み合わせて実証的に証明できないのであれば、デマや陰謀論の類と同じ価値しかないと思います。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1698849563380236367
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
ライトノベル宣言が出た頃の話と、先日私が引用していたファンタジーノベル大賞の『ヒロイックファンタジーは採用しない』という公言。
これによって長く一般小説に一ジャンルとしての本格的なファンタジーの土台がなくなったというただの事実を、わざわざ長い時間をかけて検証するのはあなたの自由ですよ。
一般的に「ライトノベル宣言」として知られるもの、そして「ライトノベル宣言」でググってトップに出てくるのは、「角川武蔵野ミュージアム」内の「マンガ・ラノベ図書館」で掲示されている、メディアワークスの創業者にして元角川書店社長の角川歴彦氏による文章だ。
ttps://kadcul.com/manga_light_novel_library
作家夏目漱石を代表とする近代文学は昭和期に入って純文学と大衆小説に分かれ多様に発展したが、 気がつけば名著名作として現代国語の教科書内の存在になっていた。 しかし青春文学を求めるヤングアダルトといわれる若者層はいつしか自分が選ぶ小説・文学の登場を渇望していたのであった。 ライトノベルは青春期の少年少女が与えられた本に満足せず、自分の意志で手に取る最初の本である。
ライトノベルの起源はイギリスの“円卓の騎士”や『指輪物語』から影響を受け、RPGリプレイから生れた『ロードス島戦記』だ。 座を囲んだプレイヤーの数だけ豊かな物語を紡ぐことのできるゲームから水野良は小説『ロードス島戦記』を誕生させた。
(このラノベの起源=ロードス説にもついても一部で議論が存在するが、今回の件とは関係がないので無視する)
実際鞍馬アリス氏も、「ライトノベル宣言」がマンガ・ラノベ図書館のこの文章であると解釈して話を進めている。
ttps://twitter.com/kurama_fantasy/status/1698903493632036891
@kurama_fantasy
前者はマンガ・ラノベ図書館開館によせて作成されたテクストであるかと思いますが、角川歴彦名義で角川書店がライトノベルというものをどのように発表時点で認識し、総括しているかは書いてありますが、本格ファンタジーとの関係性に関してはロードス島の部分以外では書かれていないテクストです。
これだけで決着が付きそうなところではあるが、相談役氏の過去ツイートおよび、執筆者不詳だが十中八九相談役氏が書いたと思われる名興文庫のコラムを見てみると、「ライトノベル宣言」について以下のように語られている。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1463850316441415687
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
くっそー、ファンノベ大賞が出た時の嫌な感じが30年かけて伏線回収されるなんて。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482181140610191362
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
世の中、小説なんてほぼ一生読まない人が大半なのに、そんな人たちも読めるような小説を出してお金にするなら、テーマも難しい表現もとことん取っ払ってディスポーザブルなモデルにするしかない。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482182010928250880
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
しかし、ライトノベルを始めた頃の出版社は、それが世の中だと知らなかった。
そりゃそうだ。小説界隈の人たちは自分たちが造り酒屋やウイスキーのブリュワリーだと思ってたんだもの。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1482182689008467969
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
『初期のラノベがしっかりしてた』ってな言説は、それがウイスキー(小説)のエッセンスがそこそこに含まれていたからだ。
でも、水割りが売れ始めたので、某出版社が『これからはウイスキーだけじゃなくて水割りを真面目に売る!』って宣言したのよね。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1490340592727228417
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
カドカワがロードス島戦記をもって『ライトノベル宣言』をしたことによって、日本のファンタジーはある意味呪われてしまいました。
今や本格的なファンタジーのレーベルは無く、全てライトノベルです。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1568797511976091648
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
カドカワの『ライトノベル宣言』の切欠がロードス島戦記ですから。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1581241393715957760
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
KAZUさんはとても理性的に話せる人なので少し面白い話をすると、某社がライトノベル宣言を出した時に、ファンタジーにある区切りが発生してしまったのですよ。
私としてはライトと一般のファンタジーを明確に分けるか、いっそライトって呼称をもう無くして欲しいと思っています。構成が大変で。
ttps://twitter.com/kadas_blue/status/1599779249946517505
堅洲 斗支夜/Toshiya Kadas@名興文庫相談役/総帥
@kadas_blue
年代的にはあの頃ですね。
まだラノベって言葉が無くて、ゲーム界隈で高まってたファンタジーへの認知がロードス島戦記で解放されて、ライトノベル宣言が為されたころまでですね。
私は本来のファンタジーを希望する~本格ファンタジーとは何か~ | 名興文庫
ttps://www.naocoshibunko.com/column004/
少し過去にさかのぼって説明しよう。『ロードス島戦記』の爆発的なヒットでカドカワが『ライトノベル宣言』を出してライトノベルの時代が明確になり始めるころ、それ以前は『ファンタジーノベル』と呼ばれていた作品群もライトノベルの前期と分類されるようになったが、この時期に新潮社が『ファンタジーをテーマにした文学賞』というコンセプトで『日本ファンタジーノベル大賞』を開始した。
お分かりだろうか。
この二点を前提にする限りは、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」が、マンガ・ラノベ図書館の同名文章を指しているとは考えにくい(ラノベ図書館のオープンは2020年8月)
では、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」とはいったい何なのだろうか?
「ライトノベル宣言」をダブルクォーテーションでかこってググってみても、マンガ・ラノベ図書館関連以外はほとんどヒットしない(冲方丁の「最後のライトノベル宣言」ぐらい)
こうなると、相談役氏の言う「ライトノベル宣言」は、一般的には「ライトノベル宣言」とは呼ばれていないものを指している可能性が高い(そもそも実在しない可能性はとりあえず考えない)
実際、上で引用したツイートの中にも「いわゆるライトノベル宣言」という表現がある。また、そもそも読者発の「ライトノベル」というジャンル名を出版社側がおおっぴらに使い始めたのはだいぶ後になってからのことである、という事実はラノベ史を少しでもかじったことのある人間には常識だ。
実質的な「ライトノベル宣言」に該当しそうな候補としては何があるだろうか。少し考えて真っ先に思いついたのは、「電撃文庫創刊に際して」だ。
ttps://sai-zen-sen.jp/editors/blog/works/4-9.html
電撃文庫創刊に際して
文庫は、我が国にとどまらず、世界の書籍の流れのなかで〝小さな巨人”としての地位を築いてきた。古今東西の名著を、廉価で手に入りやすい形で提供してきたからこそ、人は文庫を自分の師として、また青春の想い出として、語りついできたのである。
その源を、文化的にはドイツのレクラム文庫に求めるにせよ、規模の上でイギリスのペンギンブックスに求めるにせよ、いま文庫は知識人の層の多様化に従って、ますますその意義を大きくしていると言ってよい。
文庫出版の意味するものは、激動の現代のみならず将来にわたって、大きくなることはあっても、小さくなることはないだろう。
「電撃文庫」は、そのように多様化した対象に応え、歴史に耐えうる作品を収録するのはもちろん、新しい世紀を迎えるにあたって、既成の枠をこえる新鮮で強烈なアイ・オープナーたりたい。
その特異さ故に、この存在は、かつて文庫がはじめて出版世界に登場したときと、同じ戸惑いを読書人に与えるかもしれない。
しかし、〈Changing Time,Changing Publishing〉時代は変わって、出版も変わる。時を重ねるなかで、精神の糧として、心の一隅を占めるものとして、次なる文化の担い手の若者たちに確かな評価を得られると信じて、ここに「電撃文庫」を出版する。
電撃文庫の巻末には必ず掲載されているこの文章(現在もあるのかは知らない)。ラノベを読んでいた人間なら、一度は目にしたことがあるだろう。
「レクラム文庫」「ペンギンブックス」「アイ・オープナーたりたい」などを意味も分からぬままマネして遊んでいた人も多いのではないか(その馴染み深さから、昨年、角川歴彦氏が逮捕された際にツイッターで擦られまくったことも記憶に新しい)
この文章の執筆者は、ラノベ図書館の「ライトノベル宣言」と同じく、当時メディアワークス社長だった角川歴彦氏である。というより、「Changing Time, Changing Publishing.」というフレーズが共通しているところを見ても、セルフオマージュというか、令和版「電撃文庫創刊に際して」として「ライトノベル宣言」が書かれたフシすらある。
逆に言うと、「電撃文庫創刊に際して」は平成版「ライトノベル宣言」である、と言えなくもないのではないか。
「ライトノベル」という用語自体が文中に存在しないのはもちろん、概念的にも直接ラノベに触れているとは言い難い内容ではあるが、他文庫の派生ではない純粋なラノベレーベルの中では恐らく初めての「発刊の辞」という意味でも、「実質的ライトノベル宣言」らしさはある。
この説でネックとなるのは、電撃文庫創刊時のメディアワークスは一応「角川」ではないということと、ラノベ以上に「本格ファンタジー」うんぬんとは全く関係がないという点だろうか。
仮説1と言っておきながら、2以降は思いつかなかった。尻切れトンボの検証で申し訳ない。
なんとなく、角川のファンタジーフェアやスニーカーの創刊あたりにも何かそれっぽい文章がありそうな気もするが……情報や仮説をお持ちの方は、トラバやブコメなどでこちらにお寄せいただきたい。
そんなの本人に聞けば済むことだろうと素人は思うかもしれないが、経験上、件の人物がこの手の問題についてまともに答えることはまずない。そのため、こちら側で勝手に調査して結論を出す方がかえって手っ取り早いのだ。
それから、せっかく見つけたのでついでに言及しておくと、こちらの東浩紀と桜坂洋と新城カズマの鼎談では、(相談役氏がいうところの)「ライトノベル宣言」とはむしろ真逆の歴史認識が示されている。
ttp://www.hajou.org/geetstate/cm70/hb_pp20-23.pdf
東 とはいえ、ライトノベルが崩壊するといっても、実はライトノベルの外延そのものが確定していない。SF だったら、SF 作家クラブがあって、福島正実が創刊した『SF マガジン』の歴史があって、ジャンルとしての基盤がはっきりしている。だから、SF が崩壊するといってもイメージが湧きやすいんだけど、それに対してライトノベルはどうか。例えば、安田均や水野良が集まってライトノベル宣言をしたわけでもないし、機関誌が創刊されたわけでもない。そこで決定的に違うと思うんですよね
インターネットは特別な資格なしに誰もが自由に発言できる空間である。それは明らかに大きな美点だ。
だが、何の気なしに発した曖昧な内容が、他の人間に検証・裏どりの多大な手間をかけさせてしまうこともある。
そこで空費される本来不要だったはずの労力について、全員が一度は考えてみてもらいたい。あなたにとってはどうでもいい話題の一つに過ぎなくても、そうではない人間がいる場合もあるのだ。ましてや、その道に詳しい専門家のような顔で情報発信するならなおさらである。
自由恋愛と未婚率を紐付けるのは擬似相関的な関係ではないかなぁと思う。
1970年初期に第二次ベビーブームが発生して人口自体は増加したんだけど、この増加した人々は一般に団塊世代と言われる世代で経済の高度成長期に育ったんだよね。
経済の高度成長に伴う文化の変化、ここで発生した娯楽の多様化があったと思っていて、それが恋愛に相当する楽しさを持っていたというのが原因なんじゃないかなと思う。
娯楽が増えて結婚しようと思わなくなったから自由恋愛なら恋愛しない自由を選択してしまう人が増えたのであって自由恋愛自体に問題があったわけではないはず。
「いろいろな人がいるって当たり前じゃん」の時期に突入したっぽい
多様性を受け入れることは素晴らしいことだ!みたいな見せかけの価値観に嫌悪感を感じ始めている
え、今更?他者を尊重するって何か特別なことですか?という気持ちが強くなってきている
その精神から生み出される行動が多様化するのは明白なこと なんじゃないの
生き物の可能性を全般的に舐めてないですか?生き物はこんなもんだって、こうすればああなるんだって たかが医学がちょっと発展したくらいで完全に分かった気になってないですか?
なんでそんな傲慢に考えられるんですか?
確率モデル?統計データ?そんなんで人間を測ろうとするからそうなるんだろ というか、測るのが当たり前の世界だからそうなっている
データサイエンス、学問としては素晴らしいと思うよ おおいに役に立つ分野があると思うよ
しかしだからって人間が、その型にスッポリはまるなんて思ってはならない 8割強一致している?だから何?残りの2割は切り捨てんのかよ そんな幼稚な考え方してっから今更多様性を崇めることになるんだ
ああ、いかんな
ヒトパピローマウイルス(HPV)の感染可能性あり。
HPV関連の中咽頭がんは、40〜50代の男性で増えており、オーラルセックスなど性行為の多様化が原因とされています。
入っちゃった後にいれたらちゃんと報告もしよう。
病弱なら諦めろ。
お前の命が一番大事だ。
誰にもバレないようにこっそり内ももに入れてそのまま何らかの事故で誰の申告も無くMRI入れられる……ってのは結構ヤバいぞ。
ツレのことも考えようぜ。
ファッションは自由だけど、TPOに合わせるのが最低限のマナーであり最高のファッショナブルだ。
友達に恥かかせないように隠したほうがスマートでかっこいい時もたくさんあるぞ。
あと彫ったことをイキんな。
これは彫ったやつのタトゥー黒歴史あるあるベスト3に入るくらいヤバ恥ずかしいからマッッッジでやめとけ。
身の危険はしっかり考えな。
そんで消すのめっちゃ大変だぞ。
きちんと考えて彫ったやつにそんな後悔もないだろうが。
まぁ……人生色々ある。
家族ができて色なとこに制限なく一緒に入りたいから消す、が一番多いな。
大切な存在のために自分が一生懸命考えて決断して入れたやつを消せるってのは尊いことだ。
ただそれ以前にクソ下手くそな彫師に任せるとカバーアップも大変だし、下手したらよりダサくなるから消す以外の選択肢が無くなることがあるぞ。
宗教や文化的にアウトなデザインもあるし、何なら途中からアウトになったデザインもあるからそういう時も消さねばならんかもしれん。
いざ消すってときにやべえ値段になるし、火傷痕は残るし、かゆいし、結構大変だ。
そんで彫師は選べ。
医師免許がいらんとはいえ、針を皮膚にぶっ刺してインクをいれるんだ。
正直おれはカミソリを使う理容師くらいの国家資格はできてもいいんじゃねえのかなとは思ってる。
もっと言うならアートメイクと同じく医師常駐で准看護師か看護師の資格が必須になれば、タトゥーがもっとファッションとして理解されんじゃねえのかなって。
そんでこれが今一番おれが言いたいことだ。
てか彫られた方も何で嬉々として「素敵なイラストだったので彫っちゃいました♡」とか報告してくるんだ
「へー。それ持ち込みで彫ってくれたんですか?(色んな意味で)難しいと言われませんでした?」って聞いて店特定して
そんで店側に「持ち込みデザインしたいんですけど、ネットで拾ったやつだと著作権とか心配で」って聞いたら何て言ったと思う?
ファーーーーーーーーーーwwwwwww
しかもそいつのSNS見たら「こんなデザインも出来ます!」で俺のデザイン載ってるwwwwwwwwww
チェ・ホンマンの手のひらサイズタトゥーが15回いれられるくらい徹底的にとったぞ。
他のイラストレーターは許したって?
知らん。おれは徹底的にとるぞ。
勝手に入れられて何らかの政治や思想アピに使われたらたまったもんじゃねえ。
てかそれがまたコピーされて広まってフリーイラスト化したらマジでクソだ。
というかいらすとやでも一定以上の利用は金とってるし、そのまんまコピーしてTシャツとかにして売ったら著作権侵害になるんだぞ。
あと、きちんとファッションとして意図を守らせるために利用規約書も書かせたぞ。
カバーアップは既存デザインに変更を加えたものになる=無断でやると普通に著作権侵害になるので気をつけろよ。
たまに本業で他者制作のロゴをアレンジしてイラスト制作してください!とか言う人いるけど、それ普通に契約内容によっては元の権利者に許可とってからじゃないとできないからな。
彫りたいやつも、彫るのを仕事にしたいやつもマジでよく考えろな。
どんだけゴネても知らなかったじゃすまないし、100パーセント負けるからマジでやめろよ。
少なくとも俺は許さんからな。
マイナスイオン効果とかはプラセボ効果を経由して人体に作用する。
それは「マイナスイオン効果」という言葉を創らなければ存在しなかった作用だ。
また、科学リテラシーの向上とともに薄れていく。
一方でメディアがどれだけ効力を発揮するかという強力/限定効果論は直接人間社会に作用する。
メディアの多様化や情報リテラシーの向上で強力/限定、どちらの方向にせよ変わっていく。
表現規制にしろ、メディアの影響力にしろ、なくなることはない(直感)と思う。
以上まとめると
「マイナスイオン」とかは個人に作用する些末な疑似科学なので、例としては捨象するものが多すぎる。
そして、わかっているとは思うが貴方の求めているのは「マイナスイオンや水の伝言との違い」ではないよ。トークストレートで頼む。
言及先が完全に引用記事の内容を曲解しているのでなんちゃってコミュニティノートとしてエビデンスをつけて読者に注意喚起する。
Aがこのエントリの言及先で、AはBを引用してBについて書いている体で全く関係のない内容を書いている。
Bは個人のブログでCを引用してCについて理由を考察している。Cは消えてるので魚拓から最新を取得している。
まず、BとCの流れをざっくり要約する。
Cでは30歳になったばかりの増田が高齢者のオタク差別が異常だと書いている。ただし、差別しているのは40~60代と思しき人としてオタクに限定していない
Bでは、差別される側であるブログ主が『「自分はオタクだけど」と断って非難する』理由を考察し、オタクを見下すことを非難している
これを踏まえてA増田を読み解く。A増田は以下のように記述している。
意見が違う部分はブコメでコメントされてもいる「今の(若い)「オタク」と従来の「オタク」は違う層であり、混同するとズレが生じる」という所。
私もこのブコメに同意で、そもそも今の「オタク」とオタクを見下し批判している高齢オタクは全然層が違う。だから本当はこれは「同族嫌悪」ではない、そもそも同族ではないから。
この人結局対立炎上商法に走り始めちゃったか。こないだはてブでも話題になってたように、今世間に受け入れられてる「オタク」はそもそも従来のオタクと違う層なのに混同してるからズレが出てるんだと思っている。
ブコメもA増田もBを全く理解していない。Bは現在のオタクと従来のオタクは違うものと明確に分けており、批判対象を従来のオタクに絞っている。A増田は不一致点として「今の(若い)「オタク」と従来の「オタク」は違う層であり、混同するとズレが生じる」という点を挙げているが、Bでは宮崎駿や第一世代の庵野秀明をプレオタク世代として、彼らの世代にあったオタク差別を背景とした従来オタクの階層意識を批判対象としCの理由と説いている。混同など全くしていない。
さらに全く逆の層を従来のオタクにすり替えている上にテーマが全く変わっている。
BやCが従来のオタクとしているのは表現規制を支持するフェミニズム、すなわちミサンドリー側である。ブログBの題名を見たら明白である。萌え批判や表現規制、統一協会と関わりがあると発言しているのは専らこのタイプである。以下、それぞれC、Bからの引用。
Twitterではオタクでありながら表現規制に賛成し、「萌えオタク」を過激に非難する人々が散見されるが、その背景にあるのもこのような階級思想である。
必要ならid付きでブコメを引用するが、端的に言えば、BやCが差別する高齢オタクと批判しているのはA増田のようなミサンドリーでありA増田が言及しているのとは真逆の層である。その上で、「高齢オタクの異常な同族嫌悪はもうやめよう、若いオタク達の為に」という題名をつけながら全く関係のないフェミニズムの話を主題に据えている
AはBやCを全く踏まえていないどころか完全に曲解して独りよがりの持論を展開しているものである。
ブログBについて、若干記載不足による誤解を生む危険があるので追記する。
本エントリでは、”BやCが差別する高齢オタクと批判しているのはA増田のようなミサンドリーであり”と記載しているが、Bが批判しているのは、「立派」で「まとも」ではないオタクを見下すオタク内ヒエラルキー思想をもったオタクである。その例として表現規制を支持して萌えオタクを過激に非難する人を挙げている。フェミニストと称するミサンドリーはまさにその典型例だがBが批判する対象の全てではなく一部である。
お金があればそりゃそうだよね。
でも今はこれだけ年収があっても子育てには足りないとか子育て大変とかネガキャンばっかりじゃん。
価値観の多様化というよりはむしろ変な価値観に侵されてるからじゃないかと思うんだけどな。
田舎を離れて都会のタワマンに住んで子供は負け組にならないように歯の矯正もして脱毛も整形も習い事もさせるのがイマドキの子育てなんでしょ。
この「Wedge」という雑誌の少子化特集は、少子化についてよく語られる神話に反論し現実的な少子化対策を語っていてかなり良かったのでみんな読むといいと思う。
よく言われる、少子化の一番の原因は価値観の多様化であって現代は娯楽が豊富にあるからみんな結婚したがらないし賃金をいくら上げても無駄だという俗説に対し
実際には、今でも男女ともに80%以上が結婚し子供を持ちたいと望んでいるというアンケート結果が出ており、そういう意味では「価値観の多様化」など嘘だと分かる。
少子化の主な原因は経済問題であり、多くの男女は金さえあれば結婚して子供を持ちたいと考えている。
大体さあ、趣味を楽しむのと結婚や子育てって普通は両立するでしょ。
自分の親達だって独身時代にレコードを集めたりバイクに乗ったりして金のかかる趣味を楽しんでいても
結婚したら夫婦で、子供が産まれたら子供も一緒に楽しむんだよ。趣味は結婚や出産の妨げにならない。
結婚して子供を産んでも旅行に創作に推し活にと邁進している男女は珍しくないし、それが出来るか出来ないかは経済的事情の方が大きい。
これが2005年らしいんですよね。
今から20年弱前。
この頃はまだ全然男女差別とか誰も気にしてないし、ウルトラマンや仮面ライダーに女が居ないことなんて誰も問題にしてなかった。
まあ20年って結構長いというか、第二次世界大戦から今日までが80年ぐらいなのでそのうちの1/4だって考えれば社会が変わるには十分な時間ではあるわけで。
でもちょっと驚きがありません?
平成中期の頃はテレビでこうした男女差別思想の刷り込みを子どもたちにしまくっても誰も何も言わなかったんですよ。
むしろ保育士や学校教師が「男なんだからしっかりしなさい!」「女なんだからもっと守りたくなるような態度を取りなさい!!」を刷り込んでいたんですよね。
なんか凄いなあ。
自分たちが若い頃にあった価値観なんてもう全然ゴミになっちゃったんだなって改めて感じるしかない。
これ本当怖いことですよ。
たとえば戦争中に生まれたような爺さん婆さんって今でも「天皇陛下さまさまさまさまが……」みたいな感じで世界を語るじゃないですか。
昭和天皇が崩御したのをテレビ中継したのって団塊世代は笑い話にしてるけど、その親世代は「なんとも痛ましくて寿命を分けてあげたかったですじゃよ……」みたいに言う人もいるわけで。
凄いよマジで。
今どきの天皇感って「いつだって忘れない◯◯◯◯は偉い人。そんなの常識」って感じでしょ?(これもだいぶ古いな。元ネタで◯に入る人名まだ覚えてます?)
日本人全体の世界観、人類全体の世界観自体が変わっていってるんですよねリアルタイムで。
怖くないですか?
そのスピード自体が加速しているのに、自分の体感速度はどんどん衰えていってる。
最近の基準がここ1年からここ5年になり10年になりいつかは30年や40年にさえなってしまう。
そうなったら「最近」の範囲の中でコロコロ世界が切り替わっていくことになるわけでもうついてけないんじゃないかな。
たとえばマニュアル車が全滅してオートマ車ばかりになっていくようなノリで、アクセルとブレーキの左右がある日入れ替わったとしたら、それを忘れて間違って踏み抜いた瞬間に自分と誰かが死ぬわけじゃないですか。
そういったレベルでの抜本的ルール変更に対して、脳が「いやーまだこのルールに慣れてなくて」と言い訳しだしたとして、それを周りの人がちゃんと分かってくれるのか不安でしかない。
セルフレジの前で泣き出したり暴れ出しちゃう老人ってこんな感じなんだろうな。
ショーシャンクスの空にで、アレがコレするじゃないですか、あの2人いる主人公のうちアッチの方が。
あの舞台は刑務所と外の世界でしたけど、外の世界の中でも時間の流れが早い場所と遅い場所があって、早い場所についていけなくて遅い場所にこもるようになったらもうそこから出られなくなるんだろうなと。
老人の生態の秘密がわかってきちゃったんですよ自分自身の未来の姿として。
恐怖しかない。
お外が怖いからって家に引きこもって、何故かスマホの使い方は詳しいけど他のことについては平成の初期ぐらいで置き去りになっちゃってる変なお爺ちゃんとかみたいになっちゃう流れがやっと分かってきた。
怖すぎる。
これは怖いよ。
だからセルフレジの前で暴れるようなノリで価値観の変化の前で「こんな突然変えられてついてけるわけないだろ!」って手をブンブン振り回して暴れちゃう人がいるんだな。
分かるぜその気持ち。
怖いよな。
俺もだ。
どうしたらいんだろうな……。
結局、大抵のVチューバーのやってる事って、「○○してるだけで陰キャーwww! キモオタ―www!」っていう偏見と差別を植え付けながら、
チンピラDQNみたいな奴は、パリピ陽キャというワードで美化しつつ、「○○してる奴はパリピ陽キャ!」って言ったら、「それは陰キャの偏見ー! はい陰キャ決定ー!」っていう、偏見を批判した体の、オタに対する偏見と差別を助長させたいだけだよね。
しかも、○○してる陰キャっていうのは、チンピラDQNみたいな自分たちのことで、自分たちのしてる悪事を、キモオタ陰キャに押し付けようっていう魂胆もある。
つまり
チンピラDQN「俺はアニメ見てるからキモオタだからwww俺がやってることは全てキモオタのせいwwwキモオタを叩けwww」
っていうこと。
2ch5chまとめブログに居るような、一番クズい奴らって、昔からそういう奴ばっかだったよね。
んで、イベントとかで暴れる屑オタっていうのも、何故かどいつもこいつもガタイの良い、顔はキモいけど、体格だけはヤクザみたいな奴ばっかという。
テレビアニメもVチューバーも、結局どっちもマスゴミ案件なのに、また典型的な二項対立工作を煽ってる奴らが居る。
民主党が糞なら共和党を支持しましょう、もしくはその逆っていうアレ。
二項対立で騙せないと、多極化と多様化が進み、クオリティも上げる必要性が出てくる。
騙せるっていうのは、ビジネスとして成立するって意味だから、金を払えば払うほど、同じようなものばかり増え、クオリティも下がる。
にじホロでビジネスが成立した時点で、任天堂のアレが起こって、同じようなゲームばっかになり、内容もどんどん面白くなくなっていった。
でも今さら昔に戻せないから、宣伝タイアップだけで稼ぎ、更新頻度低下、休止からの再開だけで金を払わせようとし、その結果の内容の更なるクソ化という悪循環に陥ってるね。
アニメも、ホモ豚イケメン動物園が量産されるまでは多様化してたのに、量産した瞬間、イケメンアニメと美少女アニメの二項対立だけでやるようになって、同じ異世界ものとアイドルスポーツアニメばかりになった。
正直ジャンプからあかね噺と一ノ瀬家とアオのハコは無くして欲しい。然るべきところでやってほしい。
この三つがつまらないとか不快とかって言う話じゃない。とにかく編集側のゾーニングの下手さが出てる。ジャンプって本来小3〜中1.2をターゲットにしてるだろうし、打ち出してるのも努力友情勝利な訳でゴリ恋愛漫画も落語の話もホームミステリーも毛色が違うくらいでは説明できない。今の編集部が売る事を目標にし過ぎているんじゃないかな。
ジャンプって言わば最強の漫画雑誌な訳でその看板内でブランディングしないと他の雑誌がダメになっていっちゃう。それぞれ得意な分野があってそれぞれのゾーニングがきちんと成されてないとまずい。
何ってジャンプだけに顧客が集まってスピリッツ廃刊です、ヤングアニマル廃刊ですってなったらそう言う場を主戦場とする先鋭化した作者たちはジャンプに拾ってもらえると思う?ジャンプでファブルや九条の大罪を連載できると思う?ジャンプはジャンプというジャンルの中で先鋭化してたはず(ブラクロやマッシュルなんか正に)がアクタージュくらいからどんどん芯は別で構成要件がジャンプみたいな漫画が凄い増えてきててそれが上の三つ。
今後の治療方針の話をするために、姉の私が病院の先生と話すことになった。
そしたら早々に「弟さんって女の子ですね」って言われた。
確かに弟は女の子みたい。顔がとかじゃなく、女の子が好きなものが好き。多様化の社会といえど、30手前の男がディズニープリンセスのスマホケースを堂々と使い、スマホや音楽プレイヤーなどのデジタル機器はピンクで統一。趣味はぬいぐるみ集め。正直変わり者である認識はあったし、母も「あの子が女の子になりたいって言ったとしても止めないわ」と姉に相談するくらいには女の子らしい男である。
じゃあ、心も女なのか?といえばそうではなく。性自認は男(だと思う)。女子トイレに入りたいなんて言わないし、スカートやメイクをしたいわけじゃない。学校は年相応の男の格好。女の子扱いしろと言われたこともないし、自ら進んで銭湯(もちろん男風呂)に行く。
でも、女の子らしい精神の男だ。何なら「女である姉より女らしい」と言うと喜ぶ。
本人の自覚がないだけで心が女ってことがあるのか?と一瞬混乱したが、先生が「性同一性障害とかではないですが、話し方や考え方などが女子です。検査した結果言語に関する数値が高くて、女性に多いバランスになってる」「女性に強い憧れみたいなのがあって、無意識にそちらに寄ってるんだと思うんですが心当たりありますか?」と聞いてきた。
心当たりはあった。父方祖父が学歴厨で、特に男には厳しかった。いい学校に行って、人脈作らせたくてしょうがない人。一方で女に興味がなく、私は絵画教室に通っていて「小学生から油絵やってる孫(娘)」というラベルで十分らしく、教育面は放置されていた。
端的にいえば、わかりやすい虐待はされてないけど毒親家系という感じ。
男は男でお小遣いが多かったり、学校休んで旅行連れて行ってもらえたり、何かと意見が通りやすかったりと私からすると羨ましい点もあるが、弟は「女の子に生まれたらこんなに苦労(いい学校行けと勉強を強制されたり)しなかったのに」という意識が強いというのは感じてた。
最たるものは、大学受験時に「俺は行きたい学校行けなかった。姉は金のかかる絵の学校行ったのに、俺は長男だろ。ここにしろって指示されて普通の理系大学さえダメだった」といまだに怒っている。
ちなみに、地方の有名私立大学(高額、弟の当時の学力じゃ無理)なところに下宿して通いたいので受験したい、お金出してというのを拒否され、同じようなこの大学じゃだめか?と言われただけである。
話ずれたが、何が言いたいかというと弟は「女だったら俺はもっと幸せになれた」という思い込みの強い「女のような態度の男」だったって話。
先生曰く、最近はこういう人が多いと。これまで何百人と性同一性障害だと主張して受診してくる人はいたが、本当に性同一性障害だった人は3人しか見たことがないと言っていた。
体を作り替えたら後悔しても遅いので、性同一性障害の疑いのある人は何度も何度も診察をするし、患者のために厳しいことも言う。すると、ほぼ全員が途中で諦めるらしい。
それでもやっぱり体の性に違和感があってこのままは無理なんです!!って訴えた3人にだけ診断書をだしたと。
多様性が叫ばれすぎて自分の性がぶれている人が多い。本物はどんなことがあっても自分の認識している性に戻りたいと強く思ってる人。他人に言われてぶれるようなやつは思い込み。多様性と叫ぶのもほどほどにしてほしい。と先生が言っていた。
って、女子トイレ利用の裁判の話を見て思い出したって話。弟は鬱の治療の中でADHDの診断は降りた。大学の話とか話通じてないからまあそうだろうなとは思った。
半年ぐらいで退院して毒親と離れるために地方の親戚を頼りに引っ越した。一年は連絡してないけど、今もディズニープリンセススマホケース使ってんのかな。