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2018-09-20

映画感想プーと大人になった僕

プーと大人になった僕』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。

総評

これは100点っすな。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、この100点は大傑作という意味ではない(300点とかありえる)んだけど、ごちそうさまでした、わしゃぁあ満足です。という意味で良作だというのはたしか。損しません。

まあ、家族向けとかカップル向けかと言えば、実はそんなことはなくて、一人で見に行けよおい、しか社会人がいけよ、っていうのはあるので万民向けとはいい難いんすけどね。この映画は、だって学生にはわからなさすぎでしょ。

ざっくりいうと「おとなになって社会人となり企業戦士として毎日ブラック労働をしているクリストファー・ロビン仕事家族の間で板挟み。人生迷子なっちゃったプーさんといっしょに正しい人生を探そう」みたいなあらすじ&テーマであって、それは予想通りだったし、そして予想を満たして十分以上な脚本完成度です。テーマ物語性(増田はここを中心として映画を見ちゃうタイプです。趣味合わない人は申し訳ない)でいえば、非常に満足でした。

がー。そのてんに関してはー。満足だったのでー、逆に満足であったがゆえにー。脇へうっちゃっておいてー。この映画のー。感想についてはー。別の部分をー。述べたいとー。おもいまーす。

ショタクリストファー・ロビンクリストファー・ロビンすぎてやばい

映画冒頭部分では、まだ「100エーカーの森」でくまのぷーさんと遊んでいた頃のクリストファー・ロビンショタ)が登場するんですが、もうね、これがね、非常にこうファビュラスっていうか尊いわけですよ。華奢な白人少年が四分丈の(日本で言う半ズボンよりは少し長いけど膝上の)ズボンから、少し筋張ったくらいの細っい脚をね。伸ばしてね。みどり豊かな森の中をバスケットを持って歩く姿がね。素晴らしいわけです。

わかりますか。美少年なんでございます

シーンはクリストファー・ロビンが寄宿学校へ向かうその直前。楽しく美しく永遠だと思われていた「森でのプーさんとの日々」が終わるちょうどその時。作中では「お別れをいう日(Day to say goodbye)」と描かれるその日なわけですよ。

クリストファー・ロビン楽しい田舎暮らしから、厳しく抑圧的な寄宿学校へ入らなきゃいけない。それは大人への第一歩で、もう今までのように日々をただ日々として楽しく過ごせる時間は終わってしまった。それをクリストファー・ロビン本人もわかってるんですよ。もう自分はゆったり時間を過ごせない、これから時間に追われて毎日何かをしなきゃいけない、大人になるからもう仕方ないんだって諦観してるんですよ。

その「子供としての最後の日」。100エーカーの森で、プーさんピグレットティーガーたち森の仲間でパーティーをして楽しく過ごしたその後、森を見下ろす高台丸太ベンチに座ったクリストファー・ロビンプーさんの二人は、こてんと肩を寄せ合い夕日に向かってずっと座ってるんですよ。

そこで「ぼくのことをわすれちゃうの?」と鼻にかかった声で尋ねるプーにたいして、ショタ大事なのでもう一度いう)美少年クリストファー・ロビンが、優しくて、それでいて困ったような表情で「プーのおばかさん」って言うんですよ。

ほんと。

尊い

わかるか人民どもこの尊さが? 「おばかさん」ですよ。もうね、水銀灯の牙城にいちどの跳躍で飛び込む偉大なシーンですよ。もちろん画面は映画でありフルカラーなわけですけれど、この夕暮れは追憶郷愁の甘さを伴ってセピアにさえ見えるわけですよ。つまり何がいいたいかって言うとクリストファー・ロビン尊い

イケオジクリストファー・ロビンクリストファー・ロビンすぎてやばい

あっという間に幼少期、少年期、青年期を過ごしたクリストファー・ロビン。寄宿学校で父の訃報に接して、社会に出て、将来妻になるべき女性イヴリン出会い求愛して結婚し、子供を作り、出兵(たぶん第二次世界大戦)して、なんとかロンドンに帰ってきて、就職して仕事に打ち込む中年になってるんですよ。

大企業カバン製造部門責任者となったクリストファー・ロビンは、会社上層部からこの部門効率化(予算削減)を求められていて、その要求は−20%。リストラ待ったなしの状況で、大事な部下を切り捨てるかどうかの瀬戸際の日々を送り、その結果として休日家族との時間も奪われているわけですよ。妻からは「もう何年も笑顔を見ていない」と言われ大事な娘のマデリから失望されて、でも、家族を守るために部門を守るために、家族旅行への参加をキャンセルしてまで働かなきゃならんわけです。

予定されてた旅行イヴリンとマデリンの妻子を送り出して、週末も缶詰仕事しなきゃと追い詰められたロンドンのアパルトメントのクリストファー・ロビンのもとになぜかプーさんが現れて助けを求める、というのがこの映画の第二の開幕です。

懐かしい友プー出会ったクリストファー・ロビンは彼の頼み(行方不明になってしまった仲間たちを探してほしい)を叶えるために(どっちかっていうと大都会ロンドンにおいては厄介なお荷物プーさんを森に帰すために)、郊外の美しい故郷に戻ろうとします。そこでプーさんクリストファー・ロビンは一緒に旅をするわけですけれど、相変わらずふわふわ夢みたいなことを言う(まあぬいぐるみなので当たり前だけど)プーさん脳天気っぷりに、時間黄金よりも貴重になってしまったブラックカンパニーソルジャーマシーンクリストファー・ロビンはいらつくわけですよ。プーさんベタベタはちみつで汚してしまった廊下掃除している間にも、刻一刻とリストラタイム期限が迫ってるわけで。「なにもしないをすればいい」とか「ゆっくりすればいい」とかいプーさん言動癪に障るのは、まあ、仕方ないです。

送り届けた「100エーカーの森」で、とうとうクリストファー・ロビンは切れちゃうわけっすね。

「ぼくはもう昔のぼくとは違う」とプーに突きつけてしまう。その時の表情がね、もうね、良い。

良いよね。

良い。

失意のぷーさんは「従業員を捨てなきゃならない(リストラ)」というクリストファー・ロビンに「もしかしてぼくも捨てたの?」と聞いちゃうわけです。

それに対してクリストファー・ロビンは「捨てたんだよ」と答える。

この時の表情も、良いのです。

「ソレ」をいっちゃったら相手が傷つく以上に自分も傷ついちゃうのを自覚していて、それでも言ってしまったクリストファー・ロビンの、ナイーヴな表情が尊いわけです。おっさんのくせに。イケオジつぇえな。

この時クリストファー・ロビンは「いいやプー特別友達から捨てるわけないじゃないか」と適当に言うこともできたわけです。でも、それは事実じゃないわけですよ。現実として30年以上プーさんを忘れていたわけだし、放置していたし、それは客観的にって捨てたと言われても当然なわけですよ。そういう現実を糊塗して「捨てるわけない」とクリストファー・ロビンは言えなかった。特別友達からこそ、そこで嘘はつけず、自分相手も傷つけるのなんてわかっていたけれど、「捨てたんだよ」と答えるしかなかったわけですよ。

40代になったクリストファー・ロビンはもうおっさんなわけですけれど、ロンドン紳士然としたイケオジなんですね。その彼がいろんな現実言葉を飲み込んで、意地っ張りにも露悪的な「捨てたんだ」って告げるそれが、もうね。

ほんと。

尊い

わかるか人民どもこの尊さが? 「捨てたんだ」ですよ。そんでもってさらに終盤になってね、途方に暮れて懺悔をするようにつぶやく「ぼく迷子なっちゃった」ですよ。いつも迷子になったプーさんを探しては連れ帰る、森の英雄だったショタロビンが、社会人になって人生迷子なっちゃったわけです。大事大事で何よりも大事な娘を守るために頑張ってるはずなのに当の娘にがっかりさせて心配させて、もう何が正しいんだかよくわからなくなっちゃったわけですよ。大人になったクリストファー・ロビンにこそぬいぐるみプー必要なわけです。

まり何がいいたいかって言うとクリストファー・ロビン尊い

結論

クリストファー・ロビン尊い

ラノベ表紙に端を発するゾーニング問題は実はゾーニング問題じゃない

きょう書店で娘が心底嫌そうな顔で「お父さん、これ気持ち悪い…」と指さした光景

自分の属する性別の体が性的に異様に誇張されて描かれ、ひたすら性的消費の道具として扱われる

気持ち悪さは想像できるし、それを子供の眼前に公然と並べる抑圧はほとんど暴力だよなと改めて思う。

 

どうせ検索すればすぐ出るので直接リンクはせず。

2018年9月初頭にこのツイートに端を発するゾーニング問題について、

女性人権やら表現の自由やらと様々な論議が行われている。

しかしこの問題、実際はその辺りでは無いのではないかと筆者は思う。

本題に入る前にまずはそれら「ここが問題だ」という部分を見ていこう。

 

性的消費問題

ツイートを見た通りでは、「親」に「これが気持ち悪い」と報告する娘。

 

ほんとそうなんです。八歳の子供の目で見たらはっきりと嫌悪感を覚えるものが、

まりに氾濫しすぎて、それがおかしいとすらみんな思ってない。

そこからおかしいと言っていかなきゃいけないんだと懐います

 

わずか八歳、一般には第二次性徴期ですらない娘が

自分自身に対する異性の目を想像し気にするのであれば、いささか不自然ではある。

一般に性に目覚めた頃合いは、それは恥ずかしいものであったり訳のわからないものであったり、

特に学校での性教育が概ね浅い内容であるこの国で、娘が(八歳で性教育はやらないだろうが)

得ている性的知識というのは、第二次性徴期での変化や生理に関する所であって、

異性から視線は得るものではない。

早熟であったり、或いは性的に嫌な目に遭うなどがあれば、今の知識と結びついて

自覚し始めた、ということはあるだろう。

しかしその場合、真っ先に異性として嫌悪対象になるのは父親だ。

ましてや自身性的嫌悪に結びつく話を、異性たる父親にする可能性は極めて低い。

下着を買うときに異性への嫌悪を知っている娘が父親相談しないのと同じで、

これは信頼の問題ではなく、「それだけの性的意識があるならば父親に対して

恥ずかしさにしろ嫌悪しろするとは考え難い」ということだ。

実際に娘が現場でどこまで喋ったかはわからないが、ツイートの内容を見る限り、

表紙に描かれた女性キャラクター露出に対しての吐露というより、

いわゆる「萌え絵」に対する嫌悪の方がまだ想像やすい。

 

まり

自身女性商品的に見られているのが嫌だと思うぐらいの意識があるなら、

とはいえ男性である父親に報告しようとは大抵思わないだろう。

ツイートの限りではラノベコーナーを指さしてるだけのようなので、

しろ萌え絵に対しキモイと言ってるほうがまだ現実味がある」

ということになる。

 

 

ゾーニング問題

本の表紙は売れ行きに直結する極めて重要ものであるが、

からこそ出版社はかなり慎重にそれを決めている。

デザイン性や売れ行きなどはもちろん、一般書籍として置けるかどうかも

何人もの人の目で確認して送り出されている。

出版社には過去の抗議や問い合わせのデータが蓄積されており、

非常に多くの面に配慮されているのが実態だ。

だが実際には露出が多いじゃないか、などの意見はもちろんあるだろう。

しかしそこはいわゆるプロ目線で、いわば「行政言い訳できる」という

ラインでの配慮というのが恐らく多くの出版社認識だろう。

 

多くの出版社が気にする行政といえば、東京都健全育成審議会だろう。

まり何らかの問題視がされたとしても、この審議会での基準に対し、

肌色率が何割」とか「胸の強調の度合い」など彼らの基準抵触しなければ、

それは一般書籍として十分に流通できる、ということになる。

まりはこの時点で公のゾーニングを通過しているわけだが、

もしこれに異を唱えさらなる強いゾーニングを求めたいならば

「じゃあ例えばPTA協議会理事より確かな肩書経験をお持ちなんですか?」

と問えることになる。

出版社独自基準しろ審議会しろ、そうした議論法律過去の事例に

照らし合わせて複数人が出した結論より、ただの一般人が何を規制できるのか。

市民が主役などと言うことは出来ても、では市民代表たる議員はどうするのか。

法治主義民主主義原則を掲げながら、ゾーニングを唱える側はしばしば独裁的になる。

 

話が大きく逸れたが、さてツイ主の求めるところは実はゾーニングではない。

結局は、胸を強調したイラストを以て女性性的消費に対する持論を述べているだけに過ぎない。

考えてみれば分かる通り、書店一つには非常に多くの書籍が取り扱われており、

件のラノベコーナーは一般にそう大きいものではない。

 

男に置き換えれば股間の性器だけ異様に巨大に描かれたイラストが氾濫してるようなもんだけど、

そういう男にとって不快もの平積みされてない。身体性的に誇張されて描かれ、

「お前の身体はお前のものではない、我々に性的欲望される客体だ」という抑圧を

受けて育つの女の子だけ。理不尽だろ。

 

まり全体としては氾濫しているとは言い難いのだが、

たまたま目についたものを「氾濫」と称しているということは、

まり売り場を整えろという話ではなく、それ自体存在を無くせということに他ならない。

ツイ主が言うところの、

身体性的に誇張されて描かれ、「お前の身体はお前のものではない、

我々に性的欲望される客体だ」という抑圧を受けて育つの女の子だけ。

という主張には、ツイ主の考えるそうした表現自体への異議であり、

この異議を叶えるのなら、ゾーニングをしたところでその表現は消えない。

書店で見なくとも今どきネット広告でもなんでも目に入る機会はいくらでもある。

まり存在自体を抹消しなければ、ツイ主の主張は叶わないのだ。

 

まとめると、

ゾーニング問題っぽいが、実際には胸を強調するなどの表現のものを無くせというものであり、

存在のもの女性差別的に考えているので売り場を分けたところで彼の主張は叶えられない。

からゾーニング問題ではない」

ということになる。

 

 

では何の問題

フェミニズム思想だろうか、それとも最近の何でもヘイト認定だろうか、はたまたポリコレか。

いずれでもない、これはそもそも問題ですらないのではないかと筆者は考える。

 

 

社会的問題啓発に見せかけた、ただの親自慢子自慢

考えてみてほしい。すべて事実だとして、わずか八歳で性的表現意識非難の目を向けられる娘。

実に早熟と言って良いだろう。小学2年か3年か、同年代より知的レベルは高いと言えるだろう。

そしてそういう性的意識を早くから自力学習した、ということはまず無い。

親の教育あってのものだ。つまり早くから防犯意識にせよ不審者対策にせよ、

娘に対して「女性」としての性的意識教育してきた可能性は極めて高い。

これらから考えるに、件のツイートの要点は、

 

・八歳にして社会的問題を唱えることができる知能レベル

しかし異性である父親にそれを報告できる無垢

・はっきりとものを言える女性

 

父親(ツイ主)

・娘に自身の持つ考えを早くから学習させた教育

・異性ながら娘に頼られ信頼される良き親

女性のことを理解し守る安全な男

 

以上を主張するだけの、総じて自己顕示欲を満たすだけのものだと言える。

その上でラノベの表紙を選んだのは、それこそゾーニング本丸である審議会で、

最近問題視されているBL漫画や、少し前に話題にされた少年誌グラビアのように、

当の女性から支持されているものや、三次元一般理解されるグラビアアイドルと違い、

古い考えとして、オタク的なもので叩きやすかったからに他ならない。

ツイ主の想定外があるとすれば、婉曲な正義感自己顕示のエサとするべき対象が、

ただのサンドバックではなく、もはや一般趣味レベル認知されていることだろう。

程度の差はあれ、今や初音ミク話題学校でして罵られる時代ではない。

きっとこうも問題視されあろうことか反論されるとは予想外だったろう。

 

ともすればインスタ映えを気にするのと大差ない話題炎上騒ぎとなったわけだが、

いずれは何らかの形でもっとひどい炎上騒ぎになったかもしれない。

なにしろ

 

書店という公共の場で平然と商品批判する娘

・その商品批判のために、恐らく店員に無断で撮影するモラルのない父親

業務妨害書店出版社から訴えられる可能性を考慮しない危機管理の無さ

・八歳の段階であれこれと親の思想を植え付け行使させる不自由教育方針

 

この火種だらけの価値観のまま歩んでいることに、何ら疑問を持っていないのだから

anond:20180920144119

まず、性の商品化は、性交渉を望まない人が巻き込まれ被害を被る恐れがあるから規制されないといけないという話から

悪人のせいで善人が規制される」話になり、そこで、車だの包丁かに話を逸らしたのはそちらでは?

そうだ。車だの包丁だのも同様の理由規制されうるが、実際には違う。

それぞれ「お気持ち」でもない合理的理由があるわけだが。

しかも車も包丁全面禁止はされてない。「性の商品化」だけお気持ち主義者の手による規制を受けるいわれはない。

ていうか、性表現においても、たとえば、風俗店学校の近くでは営業できないとかい条例とか法律での規制もあれば、

全年齢向けメディアには性的広告は出さないとか、いわゆる放送コードとか、そういうい業界企業自主規制もすでにある。

書籍の表紙の内容やそれを平積みにするかどうかという判断についても、出版社書店現場では、ある程度の自主規制が働いてたと思うよ。                                                        

それは「性表現」と法や条例定義されてる内容の話。

ラノベ表紙はそれらの自主規制を踏まえたうえで回避した基準しかも売り場は独立している。

その自主規制に踏み込んで来たのがお気持ち主義者



そんな上で、昨今のラノベ表紙は子ども向けであるにもかかわらず、いわば野放し、エスカレートしているという話だと思うので、規制の良し悪し、規制あるかないかって話からはすでに最初からそれてるよね。

1.ラノベは「子ども向け」ではない

2.ラノベ乳首性器露出をしないなどの自主規制範囲内で書かれており、エスカレートしていない。

3.にもかかわらず「エスカレート」と言っているのはあなた感想ですよね?

松屋カレー好きだったんだけど

なんだか塩辛いなあと思って成分表示を見たら、塩分相当量5.4グラムと書かれていてちとやばいな、と思った。日本の1日基準の半分、欧米基準ならそれだけで約1日分、毎日食卓にするにはキツいかな…

ちゃん情報掲載している姿勢評価できる。そんな意味応援します。

anond:20180920122241

コミケを始めとする同人誌イベント自主規制ある事が多いし

印刷屋も自社基準に反するもの印刷してくれなかったりするね

自力で作ってイベント使わず自力頒布する、ってなら何作ってもいいけど

anond:20180920110945

何をどれくらいやるならOKかってのを色んな国が色々頑張って試してるわけじゃん。

エロについてもそうしましょう、一般人がその議論に興味を持とうってこと。

その基準を一部過激派の「お気持ち」で決めてる国なんかあるか?

一定合理性が求められるのは当然の事だろう。

anond:20180920105412

なんか、誠実に議論する気ありますか? 煽ろうとしてない?

誠実に議論する気があるから問いを書いている。

「おいあんた、いい女だな、一発ヤろう」が一例です。

「一例」だけでは「具体的説明」とは言えない。

ブラックリストorホワイトリスト提示要求する。

宮沢りえサンタフェが一例です。

同上。

あと、今回の問題の元になったラノベは「宮沢りえサンタフェ」ではない。

実験などの特殊環境ならともかく、日常人間の行動で因果関係証明するのは困難です。

因果関係証明できないもの議論に値しない。

因果関係証明できない罪は問えない。

突然街で知らない人に「おいあんた、いい女だな、一発ヤろう」と言われて、怒りと恐怖を感じる、というのが一例です。

「一例」だけでは「具体的説明」とは言えない。

ブラックリストorホワイトリスト提示要求する。

財産を消耗させるということで含んでいいと思います

理解した。

突然街で知らない人に「おいあんた、いい女だな、一発ヤろう」と言われて、怒りと恐怖を感じる、というのが一例です。

「一例」だけでは「具体的説明」とは言えない。

ブラックリストorホワイトリスト提示要求する。

通ります

いやがらせハラスメントいじめ侮辱強要など、定義は厳密でなくともその実態が悪質かどうかケースバイケースで判断される悪行は沢山あります

それらの「定義が厳密でない」罪が本当に適切に運用されてるとお思いか

虐めは野放しのケースが多いし、逆にセクハラは法に依らない私刑がまかり通る。適切な基準があるとは言い難いものばかりだ。

どれも議論余地を残している。



というかさ、「具体的説明」を求めてるのに「一例」って...

誠実に議論する気ある?もしかして煽ってるの?

「突然街で知らない人に「おいあんた、いい女だな、一発ヤろう」と言われ」が基準というなら、

今回のラノベは「突然街で知らない人に「おいあんた、いい女だな、一発ヤろう」と言われたのと同様だということになるが正しいのか?

anond:20180920093145

法は変わるものであり、常にもっとよくできないか議論すべき対象であるっていうのは理屈としては正しいんだろうけど、

そんな基準あやふやものに沿って社会が動いてるって認識するのはストレスが強いし、議論したり考えたりするのも疲れるし、

「もう決まってるんだからそれでいいだろ! 話は終わり!」ってやった方が楽なんだよなという本音もある。

anond:20180920095329

職場に性描写があるものを置いたらセクハラ、ってのが公の基準としても判例としても認められてるわけで、つまり

描写を見て不快になる人が本当はそれなりの人数がおり、かつその不快感は大きく、そして楽しくなる人たちの楽しさ増加量がそんなに高くないということ

はとっくに世の中に認められてるんだよね。

それが一般論として労働環境悪化に繋がるとされており、それを除去する事を求める事は労働者普遍的に持つ権利、とされているわけだから

性的消費は自尊心を消費している

性的消費や性的搾取はなにを消費しているのか誰も答えられない、なんて言われるけど、簡単に答えられる。

性的表現行為をする者が、合意くそれに晒される者の、自尊心精神的安定を消費・搾取・加害している。

これに対して「お気持ちの話」などと揶揄されることが想像できるが、もちろんそうだ、お気持ちの話であり、だからこそ重要だ。

(※追記

合意なく晒される、がどういうことかわからないと言われたので具体例を書く。

強姦される、痴漢をされる、売春をさせられる、スキンシップをされる、「一発やろうよ」などと卑猥言葉をかけられる、近くで猥談を声高にされていやでも耳に入ってくる、ストリーキングなどで卑猥恰好人間が目に入る、店でエッチ作品が陳列されているのが目に入る、ネットエッチ広告が表示される、テレビエッチ描写流れる映画エッチ描写流れる、など。

下記で語ることと同じだが、これらによって不快さが生まれ幸福感が減ることが問題の核心なので、卑猥とかエッチとかの客観的基準定義しない)


気持ちを傷つけることは実害ではないと考える人もいるけれど、社会通念としても司法としても言葉による侮辱罵倒は悪とされているのだから気持ちを傷つけることは十分加害と認められている。

そもそも社会の法やルールは、その社会の中のできるだけ多くの人が幸福に生きることを目指して作られているし、現に運用されていると言えるだろう。

財産健康地位自由社会構造を守るルールも、それらを守ることが、人間幸福感を守ることに繋がるとされているから作られる。

幸福とは何かというのは難しい問題だが、少なくとも「幸福を感じること」は必要だ。

まり、人々の幸福感=幸福気持ちを持って生きるためにルールは作られるので、お気持ちの話こそが本質であり、物質的な話はそれを果たすための便宜的な手法にすぎない。

からお気持ちの話にすぎないか無視してよいというのは妥当ではなく、お気持ちの話だからこそ尊重すべきである


感情への加害は配慮する必要がないという考え方は、昔から「減るもんじゃないんだし」とハラスメント言い訳に使われてきた。

今では「減るもんじゃないんだし」を言う人もずいぶん減ったが、代わりに「性的消費が具体的に消費しているものはない」という言い方になっている。

気持ちの安定が減るし、搾取されるし、それは尊重されるべきものだとわかってもらいたい。


さて、その上で、「お気持ち問題なら、性的行為幸福感を得る人の気持ちはどうなる」という話になってくる。

すれ違いざまに相手の尻を叩くことが楽しい人、性的作品をできるだけ広く展示したい人、街中に色っぽい物がある方が気分のよくなる人、色々いるだろう。

その人たちのお気持ちも、もちろん尊重されるべきだ。

ある人の幸福(感)を増す行為が、別の人の幸福(感)を減らす行為だという状況は、世の中幾らでもある。

それらは、効用比較正義公正倫理観点で最適な落としどころを探られてきた。

性的消費についても、そうしていこうではありませんか。

ちゃんフェミラノベオタクの主張内容を見比べてみると

気に入らないもの排除させろ

法律なんか関係ない

そのうち法律こちらの思い通りになるに決まってる

何がアウトかはその場その場の気分次第

何がアウトかはこちらで勝手に決める

こちらの要求にしたがわない奴は差別主義

こちらが被害を受けたと感じたらそれは被害から救済されるべき

気持ち悪いんだから排除されて当然

いかなる根拠がなくてもこちらの気持ちに寄り添うべき

 

法も犯してないのに「気に入らない」だけで排除するのは合理的ではない

しろ法に引っかかる

その場その場で基準が変わり公平性の欠片もないのでやめるべき

排除しろ派の主張を特別に優先する理由がない

勝手に感じただけなのならつまり被害など存在しないのでは?

気持ち悪い」で排除がOKなら過去差別も大半がOKなことになるが問題ないのか?

 

これで「Aの方が正しい」って言っちゃうの、頭がおかしいでしょ

大学論や大学生論の記事に一昔前の制度基準で見当違いなブコメを書いてる人って

本当に今の制度を知らないのか、昔はこうだったのにって言いたいだけなのかどっちなんだ

例えば一年生で100単位ぐらい取るべきとか単位登録の上限考慮してない昔の理想を前提とした批判を書かれても困るんだが。

2018-09-19

anond:20180919161819

ルール」の捉え方が違うのかな

レジデンスのルール住民全員の「最大多数の最大幸福」のためにあって(イギリスだけに)

宗教戒律のように「守らない奴が絶対悪」という感覚ではないんだろう

一人が騒音に悩んでも、夜間のおしゃべりを禁じて他者生活無視できない不利益を被るならその一人が去るべきなのかもしれない

日本人ルール絶対的で不変なものと信じやすいが

ルール違反係争の発端にはなっても善悪基準とはならない

そういうイギリス流の法律観が垣間見れておもしろいなーと思った

anond:20180919223032

受験でやったのなら今更教科書上の知識として1A2Bに大きな抜けがあるってのもどうなんだって話だし、

試験で直接出るのならともかく、単に統計のために要るのだってだけなら

いまさら受験としての点数磨く方向に行ってほしくもないなあと。

はっきりいって足し算ですら手計算はしないような統計の仕方をしてる場合もあるし、

大学生にもなって受験レベルペーパーテストという基準で考えるってのもどうなんだ

知識に抜けがあったらレポートを書くにあたって教科書に立ち返って確認しながらやるとか、

そうやってやっていくものではないのか。

anond:20180919210621

自分も知らないんだが、例えば英語圏なんかだと自分意見の表明方法に定式化がされて、学校教育で教え込まれものなのかな。

それだけ分かりやす基準があってもなお逸脱したコミュニケーションをとってしま児童は、明らかに障害と言えそう。

anond:20180919164125

まず教員質問

シラバスの参考図書確認

理学部向けの線形代数は読まないほうが良い。

大学購買部に行って簡単そうな表紙のをいくつか手にとってまえがきを読み、なんかとりあえず計算できるようになることを目標にしていることが伺える本を選ぶ。

それ以外の基準としては演習問題があって演習問題回答がちゃんと後ろにあって「(簡単なので略)」とか書いていないやつを選ぶ。

言論の自由に対する私の所感

id:envs です。
増田なのに名前を明かすこと、ご容赦頂きたい。
トラックバック構造が見やすく、建設的な議論が成されやすいというのが増田というプラットフォームを選んだ理由です。

https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/18/shincho45_a_23531748/

新潮社公式アカウントが「新潮45批判を怒涛のリツイート 「中の人がんばって」の声援寄せられる

id:envs

新潮45の件の記事には極めて反対。しかし私は言論の自由民間にも認められるべきだと考えているので「廃刊しろ、回収しろ」とは言わない。当然「廃刊しろ、回収しろ」と言っている人の主張を批判する訳でもない

id:senbuu

id:timetrain id:envs 例えばSNS違反報告のシステムにも反対するのなら、主張に一貫性はあると思う。さらには名誉棄損や誹謗中傷肖像権侵害著作権侵害言論の自由と言えるのなら。

以上の流れでした。100文字制限は主張を開陳するにはちと厳しすぎる面があるので、ここで私の言論の自由に対する主張を挙げておきます

私の言論の自由に対する主張

「成された表現」に対しては批判OKだし、なんなら民事訴訟を起こす権利もあるし、あるべきである
しかし「まだ成されていない表現」に対し、今までの著者の表現から来る他者権利侵害蓋然性を基に、表現手段を奪うようなことは、公的機関が行うのは極めて特殊例外に限られるべきだし、民間企業が行うのは慎重さが求められると私は思う。

この主張に基づく id:senbuu 氏への回答

私はSNS違反報告システムは嫌いです。
他者権利侵害している(これも裁判を経ていないので基準曖昧であるが)投稿を削除するならまだしも、アカウントごと削除・凍結して、表現の機会自体を奪う方法には怒りすら感じます
例えば岡口基一氏のTwitterアカウントが凍結されたことなどは、本当にそれで良いのかと疑問を呈せざるを得ません。

当然SNS民間企業サービスでありますからアカウントをBANするのも別に企業方針なら仕方がないと思います新潮社新潮45廃刊にしようが回収しようが、そういう方針なのだな、と思うだけです。
しかし私個人見解としては、批判を多く受けた言説を掲載たからといって、さあ垢BAN廃刊だ回収だとなる社会の方が、なんだか恐ろしいな、と感じてしまうのです。

"さらには名誉棄損や誹謗中傷肖像権侵害著作権侵害言論の自由と言えるのなら。"とのことですが、これらは基本的表現が成されたあとで紛争解決すべきものであると考えています名誉毀損や誹謗中傷が極端な場合は、裁判に訴えることで、事前抑制例外として可能であるという判例もありますしかしこれは特殊場合だと考えるのが自然でしょう。基本的には訴えるのは表現の後で、というのが原則だと考えています。それほど言論の自由表現の自由というのは私の中では重たく考えているのです。

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%A4%9C%E9%96%B2%E3%81%A8%E4%BA%8B%E5%89%8D%E6%8A%91%E5%88%B6%E3%81%AE%E7%A6%81%E6%AD%A2

検閲と事前抑制禁止


事前抑制

もっとも、ある制度検閲にあたらないとしても、事前抑制として表現の自由(21条1項)の侵害にあたらないかどうかが問題として残る。事前抑制絶対的禁止ではないが、厳格な要件でそれが表現の自由の侵害にならないか審査する必要があるとされている。

この点につき、事前抑制合憲性の判断枠組を示したのが、北方ジャーナル事件最大判昭和61年6月11日民集40-4-872)であった。本判決では、民事訴訟法の定める名誉毀損的な出版物の事前差止めの仮処分が、1.検閲にあたらないか、2.事前抑制にあたらないか、が問題とされた。本判決ではまず事前差止めは検閲には当たらず、21条2項には反しないとしている。その上で、事前抑制が許される極めて例外的な場合にあたるかどうかを次のように審査している。

以上の判断基準に則り、北方ジャーナル事件では出版物の事前差止めは21条1項にも反しない、とした。

anond:20180919183451

あと

anond:20180919174639

で書いたが

1950年代には文学作品の「チャタレイ夫人の恋人」程度でわいせつ扱いされとった

活字作品規制なんて今はないだろ

戦前明治時代ならわいせつ関連の法律もっときびしかった

ずっと一貫して規制自体存在するというのは事実として認められるが、規制基準は変化して、ときには緩くなった時期もある

まあ完全無規制理想という人間にとっては誤差の範囲かも知れんが…

anond:20180919112737

 わかりみがある。

 俺もえる時期から重めの映画アニメが見れなくなった。ブラック勤務していたときからだが、転職した今もある。なんていうか、2時間とか30分とか集中してられない。えいやで見始めても、すぐ止めたりしてしまうようになった

 そういう時、俺の場合はまず日常系アニメに走った。当時はらき☆すたが流行っていて、大して面白くもないと思いながら延々見ていた。それまでなら確実に見てたはずのグレンラガンは未だに見てない。

 あと、映画はただただ銃を撃つような映画を見るようになった。ワイルドスピードとか、ミッションインポッシブルとかがいいよ。どうせ勝つ味方が、案の定勝つやつ。それまで好きだったどんでん返し!みたいなスリラーや、意外性!みたいなコメディは今では全く見ない。

 映像より漫画積極的に読むようになった。なにせ、手軽にページを閉じて、開くことができる。5分で疲れてやめたら、その5分後にもっかい読めばいい。

 あとは、どうしても見たい映画劇場で見たり友達と見たり(椅子に縛り付けられれば止めないですむ)。原作を読んだやつ、昔見たことのあるやつを積極的に見たり(シーンを飛ばしてもわかるならあまり見なくてもいい)。

 総じて、疲れないコンテンツを見るようになった。

 増田も他ジャンルは試したとは書いてるが、気軽さ、という基準でも選んでみてはどうか?

anond:20180919112852

人はそれを「優生思想」と言います

優生思想が抱える価値観問題なのは

その基準は「勝手理屈」に過ぎないということです。

アーリア人至上主義によって、ナチスドイツ虐殺肯定されたりしました。

別に世の中に人の能力価値をはかる絶対基準存在するわけではないので、

その絶対基準がわかったような気になっている「優生思想」は、

「おれは世界の真理を知ったんだ」という様なものヤバい奴です。

anond:20180919032231

不妊治療助成金はたしか自治体にもよるけど世帯収入関係なく出るはずだよ

うちは共働き世帯収入が1500万超えてるけど1回めの体外受精は全額助成金で払えたよ(30万)

不妊治療の怖いところは増田も言うように、いくら金をかければいいのかっていう基準が無い(あるはずがない)こと

なので期間と予算をあらかじめ夫婦で決めて、それを超えたらキッパリ諦めるほうがいいよ

ちなみにうちは諦めたよ

不妊治療が怖い

長く付き合っていた同い年の彼氏24歳で結婚した。

24での結婚は周りに早いと言われたけれど、歳を重ねると妊娠しにくくなると知っていた。

私達には子沢山の家族を作りたいという共通の夢があったので結婚に迷いはなかった。

タバコも吸わずお酒も飲まず、健康体型を維持し、お互いが初めての恋人で真面目に恋愛し、真面目に勉強して、真面目に働いて生きてきた。

結婚して2年たった。

子供はまだ出来ない。

完全に不妊症だ。

自分で出来ることはやり尽くした。いい加減病院に行こうと思う。

しかしこれからの通院頻度、治療費を考えると不安で押しつぶされそうになる。

特に治療費を考えると辛い。

体外受精などの高度不妊治療に進むと1回約100万かかる。

1回100万の博打

私たち夫婦共働き所得制限を超えるため国から何の援助も受けれない。

たばこを吸っている人たちが禁煙治療を受けるのは保険適応なのに?

摂生による自己責任が起因する病気も全部保険適応なのに?

ドラッグストアで買えば済むような湿布や薬も高齢者は90%オフになるのに?

どうしても不平等だなあって思ってしまうんだ。

20代半ばで子供が出来ない体は完全に異常だよ。

頑張って働いているか税金健康保険料も沢山納めるよ。

だけど、受けれるサポート基準はせめて同じであって欲しいと願ってしまう。

いくらかかるか分からない、先の見えない不妊治療に踏み出すのがとてつもなく怖い。

多額のお金投資して本当に子供を授かることは出来るのだろうか。

懐と体と心を痛めながら私はこの治療に耐えられるだろうか。

でも、どうしても大好きな人の子供が欲しい。

明日病院電話するぞ。頑張るぞ。

anond:20180918194029

社会が成長するにつれ寛容になるのは通常。その歩みを阻害する可能性があるから規制心配する。

声を上げ続けたために規制を防げたと考えることも可能なので、一律に狼少年扱いするのは疑問。

これは規制ではなく社会の変化の話だが、昔はポルノ映画ポスターが町中に貼ってあった。

女性の裸体写真カジュアルに町にあった。テレビでの裸体は視聴率取るために当然だった。

これらがなくなったことを表現規制だと言うつもりはないが、社会の動きは無視すべきではない。

今ではポルノ映画は激減しテレビに裸体は映らない。その代わりにAVエロ漫画が増えた。これ自体結構なことだと言うのは同意

規制については、都条例により基準が拡大した事実はある。非実在少年という概念も作られた。

児童ポルノ規制自体子供を守るために機能しないなどの疑問点の多い法律だが、二次元児童ポルノ規制の動きも未だ活発。

自民党議員性教育について教育委員会圧力をかけるという事件もあった。

自民党憲法草案では表現の自由に関する記述が削られていたことが問題になった。

日本会議集会人権を削るべきという発言もされている。

朝日新聞の例が出たが、首相大臣国会記者会見で名指しで一新聞社を批判することは、弾圧とまでは行かなくても危うい状態と思われる。

NHK歴史番組内容に対して圧力があったとの話もある。

修正については研究家証言どおり無修正時代もあった。

トーンでの修正2000年代の話で、恐らく2010年代半ばからは塗りつぶし修正が主流。

ラノベの表紙については「市井ブロガー風情」というが、有害コミック騒動PTAなど市井活動が大きな力になった。

それ以前の市民による漫画への抗議活動など大規模な運動の事例もある。

有害コミック騒動では日本会議系の政治家がそれらの活動を利用したと見られているわけだが、今回のラノベの表紙ではすでに勝部という人間自民党議員に話を持ち込んでいる。

楽観視はできない。

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