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はてなキーワード: 包摂とは

2024-03-19

anond:20240319101044

そこまでは言ってないw

かにそういう酷い扱いを受けてきた歴史があるのは知っているが

日本は上手く包摂してきた方だとは思う

それが世界的な多様性の波によって大きく行き過ぎてしまった

そこからまた揺り戻しが起こってくれればいいと思う

まだ日本が余裕のあるうちに

2024-03-17

同性婚憲法24条1項

「両性の合意のみに基づいて」の「のみ」は、婚姻を異性婚に限るという意味ではなく、婚姻をする2者以外の意志の介入(端的には家制度下による両者親族意向など)に歯止めをかけるために入れられた文言である、というのが、24条1項の立法意思についての一般的理解そもそもこの憲法誕生した時代に、「同性同士が結婚する」というアイディアは、法曹界だけでなく当時の同性愛実践する当事者にとっても全く現実的ものではなかった。

このことから立法意思説に立った場合法律意思説に立った場合も、24条1項は、同性婚積極的禁止しているわけではなく(人間と法は、その時点での想定の枠外のものを「禁止」しない)、同性婚を「想定していない」(未規定)という解釈一般的である2021年札幌地裁判決に始まる各地での同性婚訴訟判決も、このような解釈に基づいている。その点で、https://anond.hatelabo.jp/20240316113208増田が書いている「憲法同性婚を想定していない、というのは憲法学会の通説であり」は100%正しい。

ただし、同じ増田追記で書いている「両性の合意がない以上、それに準ずる制度は作れたとしても憲法上の婚姻には該当しないって理屈付けしなきゃ無理」のほうは間違っている。「憲法で同性の婚姻保障されていない状態のまま、民法戸籍法において規定された婚姻を同性に拡張すること」自体法律論的には問題がない。憲法上では未規定だった対象や事項を下位法で包摂するというのは、憲法24条以外の憲法条文でも当然存在する。たとえば肖像権プライバシー権憲法上では想定されていなかった未規定権利だが、第13条の幸福追求権という抽象的な包括的人権から敷衍される具体的権利性のひとつととらえることにより、後に民法規定され保護されることになった。そこは、増田引用している高橋和之先生がこのように書いている通りである

日本国憲法は、人権をそこで列挙した個別的人権類型限定したのではなく、時代の変化に応じて生ずる個人の新しい必要要求が具体的人権として個別化されることを認めている」

高橋和之立憲主義日本国憲法(第4版)』(有斐閣、2017 年)



なお、ここで元増田に都合の悪いことも書いてしまうと、元増田引用している高橋和之氏の「立憲主義日本国憲法」 の

婚姻自由については憲法24条が保障しているが、近年議論され始めた同性間の結婚まではカバーしていないというのが通説である

立憲主義日本国憲法」 (有斐閣2017年



という部分は、実は2020年発行の第五版では「通説であった」と改められている。このことは国会質疑でも取り上げられている。https://twitter.com/P_reDemocracy/status/1597644240489701377

それはともかくとして、2021年札幌地裁判決では、少なくとも同性カップルに対して権利保護の仕組みを一切立法しないのは国会裁量範囲を超える違憲状態であり、このような違憲状態を解消するうえで、実際に現行の民法戸籍法規定する婚姻を同性に拡張することで解消するか、それとも海外シビルユニオンPACSのような、婚姻と似たような形で同性間にもパートナーシップの法的保護保障する、別建ての法律を新たに創設することで解消するかは、国会の広範な裁量に委ねられる、としていた。以後の各地域での同性婚訴訟基本的な流れも基本的にはこの立場にあった。「同性間に結婚を許してもいいし、同性向けに(あるいは同性も含めて)結婚みたいな別制度を作ってもいいから、とにかく何かやりなさいよ」ということだ。

一方、今回の札幌高裁判決は、この建て付けから一歩踏み込んで、現行民法戸籍法が同性間の婚姻を認めていないことは、憲法24条1項にも違反するとしており、ここまでの判決とは大きく意味合いが変わった。これは同性婚訴訟当事者支援する法曹にとっても予期せぬ判決で、驚き混じりの賞賛の声が出ているほどだ。ただし、その「違憲である現行民法戸籍法のあり方」に対してどのような立法解決を図るかは、引き続き立法機関たる国会裁量に任されていると考えられる。よって、憲法24条1項の定める「婚姻」の下位分類として、現行民法戸籍法の定める「婚姻」と、新たに民法規定される「何か」(たとえばシビルユニオンPACSのような婚姻類似制度)が併存する、という建て付けも可能であろう。その点では、札幌地裁判決に続く一連の判決での示唆と、求める立法解決の形が激変しているわけではないと思う。

とはいえ(これまで保守派が「同性婚禁止している」と認識していた)24条1項自体にもとづいて「現行民法戸籍法違憲だ」という判決が出るというのは結構すごいことで、おそらくこの判決が出たことで「国会がどのあたりを落としどころにするか」というラインも変わってくると思う。おそらく自民党保守派も「婚姻制度提供する法的保護のごく一部について最低限保障するようなショボいシビルユニオンを作れば違憲状態は解消され、保守派も何とか納得するだろう」だったものが、「同性パートナーシップを現行民法戸籍法の「婚姻」には絶対入れさせたくないが、そのためには、あるていど充実したシビルユニオン法案提案せざるを得ない」という感じになるかもしれない法相から以下のような物言いが出てきたのはその潮目の変化を表していると思う。

小泉龍司法相はこの日の定例会見で「国民生活の基本や国民一人一人の家族観にも関わる問題で、国民的なコンセンサス理解が求められる」とし「われわれも、議論を進めるという意味では貢献できるところがある」

岸田首相「同性婚規定、なくても憲法に違反しない」 札幌高裁が「違憲」判決出したのになお後ろ向き:東京新聞 TOKYO Web

与党内でも、公明党はもともと同性婚推進派だし、自民党内で同性婚反対の論調リードしてきた安倍はいまズタボロの状態にある。外堀は徐々に埋まりつつある気がする。

2024-03-10

余裕がないから窓際社員に目が行く

窓際社員包摂する社会は余裕があり景気がいい

2024-03-03

子供産まない自由尊重する集団出生率を下げると長期的に何が起きるのか気になる

子供を産むか産まないか自由があるのは良いことだと思っているんだけど、子供産まない自由があるのがいいよねの人たちが出生率減って少なくなっていった結果、選挙で勝てなくなったり侵略されて軍の人数で負けたりして、最終的に子供産まない自由が認められなくなる、みたいな力学が生まれるのか、生まれたとしてどうなるのか、その辺の研究とか本とか知ってる人は教えてほしい。

基本はやはり自由はあるがいろんな経済政策インセンティブ設計子供を産みたい人は産めるよね諦めなくて良いよねみたいな社会を形作る(そもそも本来自由とはその手段が取れる状態を作ることとセットだから)ことでそもそも子供を産みたくない人たちを包摂してもなおその集団を維持できる方策を作るしかないということかなと思っていて、そのための手段数字ラインの話なのかなとは思っている。難しそう!

子供を産みたくない人だけの国とかを作ると滅んで子供を産みたくない人だけの国が消滅する気がする、ずっと移民でなんとかする? そもそも国を必要とする発想にならないかもしれない。

一方で、子が減ったところでそもそも人類が滅んで良い派はこれは考えない気もするが、産みたい人も常にいるから滅んで良いくらいの考えだと滅ばない気もする。

自分が死んだ後の社会の存続について思いを馳せるのは子供が産まれると地続きになりやすいと思うけど、子供が産まれなくても考えられることだとは思うけど、もちろん考えない自由もあると思う。いろいろある。

2024-02-25

anond:20240225232511

ソーシャルインクリュージョン(社会的包摂)のピース(道具)としてアートが利用されている

そんな内容をかつて小沢○二が「アートという罠アートではなく」と題して講演をやっていた

はず

2024-02-13

はてなのいいところってなんだかんだ言って限界弱者男性も既婚者も包摂して会話が成立してるところだと思う

リア充爆発しろ」をずっとやってたコミュニティいくつかあるけどは今はもう見る影もないからな

2024-02-09

anond:20240209201152

同性愛者に配慮した発言しろっていう意味ではなくて、同性愛者を排除しないすべてのセクシャリティの人を包摂した言葉選びをしなさいってことよ。

毎日毎日異性愛しかいない世界異性愛規範にのっとった発言ばっかり聞かされていたら「ここに自分の居場所はない、この世界から私は排除されている」と感じて鬱になるのは想像できるだろ?

その規範、わざわざ持ち続ける必要ある?言葉選びを変えるだけで、いろんな人を包摂できる社会になる。

2024-01-28

anond:20240127160600

イスラエルによる残虐な行為とは全然独立に論じられること」

ここに絞って書くけど、これはイスラエルの犬増田

国連パレスチナ難民救済事業機関、つまりパレスチナ難民がいなければそもそも存在する必要のない機関

具体的にはイスラエルパレスチナ人の帰還権を認め、イスラエル国民として包摂していれば存在しなかった機関

もっと卑近に言えば、ジュネーブ条約文民保護規定を十全に守り、イスラエル自身占領者としての責任10/7以前)を果たしていれば肥大化することのなかった機関

実際はイスラエルガザ占領すら認めず、自身責任果たしてこなかったわけだが…。

2024-01-26

anond:20240126183251

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

 〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法である。これは、山口和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。

 私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法からの流れの中で位置づけるべきだと考える。

 同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊合憲化(57)、③日本経済的地位に見合った国際貢献必要性、④国連軍国連警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリスト武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から護憲立場から改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである

 同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲である。同提言軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから北朝鮮中国軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラル過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである

 佐藤が語る、愛国心必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである佐藤饒舌から私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。

 馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事平和維持活動において殉死殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊追悼施設必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。

 ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツ独自イラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたかである。翻って日本場合多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国国際社会理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。

 元国連職員吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍軍事活動積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである

 なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実国際政治の中で、山川ソ連侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。

10.おわりに

 これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮アルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略植民地支配反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的保障する国家先進国主導の戦争積極的に参加し、南北格差固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である

 大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派大国路線に対抗して、日本経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪補償必要とした路線が、東アジア諸国民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合破綻といった状況に規定された、リベラル左派危機意識から生じている。九〇年代東アジア諸国民衆から謝罪補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本私たちが、進んで過ちを正しみずから正義回復する、即ち日本利益のために」(69)(傍点ママ歴史清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争植民地支配可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立リベラル左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である改憲後、蛹は蛾となる。

 ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル左派意図的計画したものと捉えているわけではない。むしろ無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力からあいもつあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治立場から期待されている人物統合象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴人物の未分性という日本政治特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディア追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリスト発言力を確保しようとする学者、無様な醜態晒す本質的には落ち目思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからあいもつれあって」、集団転向は進行している。

 ところで、佐藤は、「仮に日本国家国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家同胞日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまたからには、自国国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間異端者扱いするのが目に見えている。

 この佐藤発言は、安倍晋三首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族配慮するという意図からだろうが、アメリカ一丸となって事件対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである国益からむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)

 文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ総連弾圧をめぐる日本言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したこと物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本リベラル左派安倍政権ときに敗北したのである

 〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである侵略植民地支配過去清算在日朝鮮人人権擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア世界平和にとって大きな災厄である(73)。

改憲戦争国家体制拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア知識人等を徹底的に批判すべきである

(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。

(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。

(3)ただし、編集者佐藤右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。

(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。

(5)インターネットサイトフジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37

金光翔 『<佐藤優現象批判

インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載

目次

1.はじめに

2.佐藤優右派メディアでの主張

 (1)歴史認識について

 (2)対北朝鮮外交について

 (3)朝鮮総連への政治弾圧について

3.佐藤優による主張の使い分け

4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム

5.なぜ護憲派ジャーナリズム佐藤を重用するのか?

 (1)ナショナリズム

 (2)ポピュリズム

 (3) 格差社会

 (4)「硬直した左右の二項対立図式を打破」―〈左〉の忌避

6.「人民戦線」という罠

 (1)「ファシズム政権樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤擁護する

 (2)「論壇」での生き残りを図るために、佐藤擁護する

7.「国民戦線」としての「人民戦線

8.改憲問題と〈佐藤優現象

9.「平和基本法から佐藤優現象〉へ

10.おわりに

1.はじめに

 このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。

 だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディア排外主義のものの主張を撒き散らしている。奇妙なのはリベラル左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。

 佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場記述検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。

 「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動共鳴する特定編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチ共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社カラーや論壇の左右を超えて小さなリスク共同体が生まれ編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞社会面を中心に、従来型の検察官邸主導ではない記者独自調査報道が始まる。」「この四者(注・権力民衆メディア学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論公共圏形成していく。」

 馬場見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点であるある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義体制下の護憲派が、イスラエルリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。

 以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮武力行使在日朝鮮人団体への弾圧必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的ものである。「戦後民主主義」が、侵略植民地支配過去とまともに向き合わず在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象しか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。

 私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤右派メディアで主張する排外主義を、リベラル左派容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在ジャーナリズム内の護憲派問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。

 馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である佐藤自身は自ら国家主義であることを誇っており、小谷野敦言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本右翼なんか一人もいない」。

 佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店朝日新聞出版物では、排外主義ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?

 この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。

2.佐藤優右派メディアでの主張

 まず、佐藤排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。

(1)歴史認識について

 佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本ロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立日清戦争日露戦争引き起こした。もし、日本ロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮にらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージ金正日に送るのだ」。朝鮮植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのもの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢反論することは当然のことだ。」と述べている。

 特に大川周明テクスト佐藤解説から成る日米開戦真実大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本近現代史に関する自己歴史認識開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である

 「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国アメリカイギリスによる植民地支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種棲み分け理論である日本人はアジア諸民族との共存共栄真摯に追求した。強いて言えば、現在EUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカ日本妥協を繰り返せば、結局、日本アメリカ保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民活動家の眼には、日本列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリスアメリカはつけ込んだ。日本こそが中国植民地化と奴隷支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。

 右翼たる佐藤面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。

(2)対北朝鮮外交について

 佐藤は、「拉致問題解決」を日朝交渉大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエル国権侵害でもある。人権国権侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在北朝鮮ミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義選択肢には戦争問題解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題解決」においても、戦争視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。

 さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮米ドル札偽造問題が、アメリカ自作自演だった可能性が高いという欧米メディア報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカ情報源情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証根拠も示さずに(反証必要性を封じた上で)、「北朝鮮情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤現在右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。

(3)朝鮮総連への政治弾圧について

 佐藤は、「在日団体への法適用拉致問題動く」として、「日本政府朝鮮総連経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネス利益を得ている勢力牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。

 漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件摘発拉致問題解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮日本交渉する気にさせるのが警察庁仕事。そのためには北朝鮮資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関民族学校などへの強制捜索に理論根拠提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。

3.佐藤優による主張の使い分け

 排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。

 佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。

 一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループサイト上での連載である地球を斬る〉では、「慰安婦問題をめぐるアメリカ報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的立場から日本政府謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題 Permalink | 記事への反応(1) | 18:32

2024-01-24

埋没した棘アゲイン

https://twitter.com/Cedrus21/status/1750053519602888745

この一件を受け、(マイノリティアクションを受け)社会包摂がおこなわれるとき、より脆弱存在さらなる外縁化に晒される危険性を孕んでしまクィアポリティクス葛藤を記した清水晶子の『埋没した棘』を読み直した。

アンチトランスにより棘=性器曲解され続けているテキストだが、このような局面にこそ読まれてほしい優れた論考である

「うひょ~!そんなにハードル高いの?

あたしとか、チンコまたにはさんで『ちーっす』とかいって、女風呂はいってんのやけど、意識が低すぎ?

あと、急いでるときトイレは男。立ちションの方が楽やからね。

なんか、そういうジグザグなジェンダーをXって使ってる。」

を盛大に擁護した『埋没した棘』をいまさら持ち出すとは恐れ入るなあ

さすがトランスアライやわ

https://kakuyomu.jp/works/16816927860040342257/episodes/16816927862806413606

2024-01-18

生成AIに脅威を感じている人間暴力的コンテンツマスターしろ

生成AI元年から1年以上が経過し自由に誰もが使えるコンテンツからだんだんと商用サービスに展開しつつ「有料でうちの高品質モデルを使わせてあげるよ!」という流れが一般的になってきている現状だが、生成AIに対して人間太刀打ちできる項目が一つある。

それは『暴力的コンテンツ』だ。

まあ具体的に言ってしまえばリョナや”エログロコンテンツにあたるのだが、これらのセンシティブ表現にあたる項目はトレーニング段階から忌避されやすいうえに商用モデルサービスインする段階でさら規制をかけていることが多く、代替表現を考えたりプロンプトインジェクションで規制かいくぐったりという手間が必要になるうえに、往々にしてそうした出力は品質が下がる傾向にある。

忌憚なく言うと、その辺のキャラをチョッパってきたりあるいは作り出したキャラ設定のキャラクターといちゃついたり、あるいはいきなり性器を口に突っ込んだり全身精液まみれで息も絶え絶えみたいな状態にするのは技術的には余裕で可能で、何なら自分の陰茎を撮影してそういうイラスト内に落とし込むような趣味を見出すような人間もすでにいる。

しかしながら、そんな突き抜けた直球のエロ簡単にできても、その途上の描写となると今のAIはとたんに力が弱くなるのが現状で、いくつか例を挙げると

リング上で関節技をかけられ苦しんでいるさま

膝蹴りを腹に受けて嘔吐をこらえようとするさま

・殴られた瞬間の衝撃

・投げ技で投げられつつある状態

・骨が折れてる(破綻でなく)

・格下(格上)の相手翻弄されてボロボロになりつつあるさま

これらのような『リョナ』に包摂されるような描写AIが苦手とするところであって、今後数年以上は人間があるいは優位に立てる環境であろう。

死体ちょっと…という場合でもこれらの人体と人体が密接に絡むような表現について自分の芸を及ぼしてみてはどうだろうか。

2024-01-09

anond:20240108091650

人類は、有史以来、男女という2つの性別定型として社会を営んできた。

今の男女を定型とする社会設計を維持したまま非定型である性別違和を感じるマイノリティ社会包摂をするには、男とはなにか。女とはなにか。性別移行する必要がある人はどういう条件を持つ人か。という『トランスジェンダー』の定義必要になる。

だが、例えば視床下部ホルモン値を測定して判定できる客観的指標ではない自認主義を掲げてしまうと、トランスジェンダー定義は極めて困難だ。解釈によってはススキノ殺人事件被害者レイプ女装男も含まれる。ましてや、このTwitter問題発言の多いアコという人がトランスジェンダーでないとする説明にはかなり無理がある。

性同一性障害医者による診断という一定客観性が保たれるが、主流のトランス運動家は、性同一性障害という診断を受けた人、受けたい人への攻撃も行っており、性自認病気ではないという主張をしている。)


一方、今のLGBTQ思想が、性は自認で時系列で変遷するものなので今の社会の男女という二元論的な区分事態廃止しようという考えならば、二元論前提の性区分スペースの利用にこだわらず、誰でも使えるスペース等の拡充を求めるのが筋で、MtF女性トイレに入れないのは差別だという主張は成立しない。社会認識の変遷期に、旧来の二元論運用する社会システムと新しい考えの性自認主義運用する社会システムは併存するものだろうが、一方が一方の存在否定することは包摂ではない。

ただし、自分は従来の男女二元論社会システム否定は、女性差別を透明化すると危惧している。

定型的な生物学女性だけ、望む望まないにかかわらず、生まれつき妊娠出産授乳する機能を持っており、その能力は、物理的な腕力を持った生物学男性から搾取され差別正当化する理由として使われてきた。

産まないという選択をした女も、男と同じ労働時間労働量をやってみせても、生物学女性からという理由差別をされてきた。

女装しているから女言葉を使うから差別されてきたわけではない。

これが最後まで残る差別と言われる女性差別本質だ。

女性差別の緩和のため、いくつかのアフォーマティアクションが始まったのはつい最近のことだ。

自分は、クオータ制が導入された政策決定委員会女性枠がMtFで埋まる状態や、女性スポーツ奨学金や賞金の受賞者リストMtFで埋まる状態を望まない。

かつ、性犯罪被害者社会被害を訴えてもバッシングされまともに取り扱われない状況は今も続いているのに、性被害による妊娠リスクを抱える生物学女性専用のスペースが減らされる状態も望まない。

anond:20240109091521

昭和体質は野蛮だけどゴミでも一人前に生きられる包摂がある

昭和企業効率化したら大量の発達障害者が発生したように

芸能界から枕営業を廃絶したら一般社会では生きていけないレベルの人が路頭に迷う

2023-12-28

ショーンフェイトランスジェンダー問題

ショーンフェイトランスジェンダー問題』(明石書店2022年)の終章に、「トランス差別をする人は歴史の誤った側にいる」という物言いへの痛烈な批判がある。この物言いに従うなら、トランスジェンダー包摂する人は「歴史の正しい側」にいて、受け入れない人は「誤った側」にいることになる。こうした物言いトランス差別批判するリベラルな人びとに人気だという。しかし、フェイに言わせれば、歴史に「正しい側」も「間違った側」もなく、こういった物言いに現れているのは、自分たちは「正しい側」にいたいというリベラル潔癖症にすぎないという。

2023-12-27

松本とかジャニーズの件で、世の中に余裕が無いという人たちってなんなの?

って思ってたんだけど、彼らにとっては性加害は良くない、みたいな低次元の話すら複雑で理解が及ばないんだなって

どこからどこまでが性加害なのか判断できる自信が彼らには無いから、それがストレスなんだなって

こういう人たちって今後の社会でどう包摂されるんだろう?

2023-12-24

うすらリベラル甘ったれゲイ息子を産んできたんだぞ

https://anond.hatelabo.jp/20231222215249

この息子とか普通に論外じゃん?  

  

何が不満なのかさっぱりわからねえ抽象的な発言的に終始し

自身の生きづらさ(笑)ばかり匂わせて

自分人生に徹底的にお客様スタンス

弱そうな相手カスハラばっかりしている。

  

こういう人間のクズみたいな態度を

容認肯定包摂するのが進歩的、みたいは

ガバガバうすらリベラルはてブも長らくやってきたわけじゃん。

  

あれは何かって言ったら

要するにリベラルでもなく革新でもなく左翼なんかでもなくて

ピーターパン的なただの甘えなんだよね。

成人してもいつまでもかに親としての責任とってほしい、みたいな。

 

それが近年のはてブ否定されるようになったのは

高齢化してでかい子供持ってる親が増えたからw

 

親になって、自分が甘えたガキにカスハラされる立場になって

初めて「おかしいだろ!」とか言うようになった。

アホらしい。

20年前に気づけばか。

 

 

ゲイにもちゃんとしてる人間はもちろんたくさんいる。

社会の中で自分一方的被害者様やお客様位置付けてるかどうか。

自分加害者にも責任者にもなるというオプション意識してるのがまともな成人。

 

自分が常に被害者お客様で怒りの声をぶつける親を探すだけの人生を選ぶやつは一生成長がない。

そして社会は親じゃないので八つ当たりばっかりするようになる。

  

環境活動家フェミニストなんかが主体的社会変革に取り組んでるように見える?

親が大事にしてるもの鼻くそや便をつけて交渉してるつもりになってるガキよ。

自分責任者としてなにかを変える気はなく、問題や怖い相手に直でぶつから八つ当たりばかり。

あいうのがうすらリベラル

  

  

ゲイ息子が親に不満があるのはいいんだよ。

親族が嫌いなのもいいんだよ。

ただそれならちゃんと具体的にまとめて言うぐらいはさせろよ。成人なんだから

 

社会にか自分人生にかちょっと不満なことがあるからって

産んだこと自体がどうとかくだらねえこと抜かすし、「ボクチン人生に起こりうる全ての障害を事前に予測してくれましたか!?」とかモンカマの極みみてえなこぬかすし、

あーこいつマウントパンチボコりてえわw

   

でこういう極まった変なモンカマは自然発生はしない。

うすらリベラル感染してるんだよ。

人間ダメな部分、ガキの部分、依頼心の部分ばかり慰撫して

そのままでいいんだよ」っていうのが進歩的だと思ってるバカがいて、そういうのに接触してうつされたんだよ。人生腐らす猛毒を。

   

砂鉄みたいなイキり自己責任無能老人も問題だし、うすらリベラルみたいな一生お客様無能老人も問題だし、

要するにどっちも無能から極端かつ現実無視した方向性ばっかりなんだよね。

  

今の若者はこういう両側の老人の腐った病気をあまりうつされなくなってきてるけど、

ゲイとか思想とか宗教とかなんかしらマイノリティな部分があると同年代に居場所作れず

老人が忍び寄るんだよなネットとかから

2023-12-12

anond:20231212113443

lady_joker 「恋愛婚活の場でどういう人が足切りされるのか」という件と「ホームレス社会的にどう包摂するか」みたいな全然レイヤの違う話をごっちゃにされても対応に困るわね。頭の悪い人って細かく考えられないんよな


なお、自分がどう細かく考えてるかはまったく言えない模様

2023-12-09

anond:20231207124434

CGDCT(Cute Girls Doing Cute Things)と評される一部のアニメ理想化された女の子ワールドを描き、視聴者はその世界の一員になることを夢想する。

彼女たちに混ざるなら自分自身可愛い女の子でなければならない。

こうして導かれる美少女化願望が、無秩序拡張されたトランスジェンダー概念に誤って包摂されてる。

2023-12-03

子育てメリット、おじさんとしては警戒されないことだと思う

https://anond.hatelabo.jp/20231202153530

中学生の子ども二人いる平凡なおじさんだけど

メリットデメリット子育てを考えるなという正論は一旦脇に置いて、今まで子育てしてきて感じたメリットといえば、間違いなく社会包摂される実感を得られること。要するに周りから警戒されにくいこと。

「何を考えてるか分からない薄っすら警戒対象中年男性から「子煩悩なパパ」にグレードアップできるのは、経験のあるおじさんにしかからないんじゃないかと思うが、個人的にでかいメリット

実際、ただ休日イオンモールに来ただけなのに、単独行動私服おじさんって周りから薄っすら警戒されてるんだよ。俺工場勤めで、仕事の都合で日頃結婚指輪してないんだけど、独りでイオン行くとマジで体感させられるわ。家族連れて来たときとで周りの警戒感が全然違う。

特に女の人ね。店員でもそうだからね。

自分では分からんがけど俺の風貌が殊更怪しいという可能性もゼロでは無いとは言え...

面と向かって聞くようなことじゃないから妻も含め女の人に直接訊ねたことはないんだけど、やっぱり女の人も単独おじさんは警戒してるんじゃないか。多分。その理由も分かるし。

2023-11-30

anond:20231130105523

社会障害者包摂するほどの余裕がないからな。

超すごい障害者しかいないということになっててくれないと困るというわけ。

2023-11-14

anond:20231114000154

非モテに女をあてがわなかったからこんなことになる

彼は被害者

社会包摂して差し上げろ

2023-11-08

いろんな物事が結局「発達障害」に収束してないか

美大生に執拗に迫る「ギャラリーストーカー問題が深刻化…。大学運営側対策を進める中、今年も芸術祭被害があった模様

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2255126

こういうのも典型的なやつで、

基本的には絵を買ってくれる(可能性含む)人だから相手をする」とか

常識範囲内の芸術談義ならば応じる」とか

そういう当たり前の暗黙の了解が皆目わからない昆虫みたいな人間社会には一定数いて、

「わあお得、無料キャバクラみたいに若い女の子交流できるぞ!大発見!」と考えてうろつくようになり

困りますと言われると激昂してしまう。

  

これマナー問題っつうより発達の問題に見えるのは俺だけか?

  

  

ついこのあいだ、撮り鉄高校生が「いい写真を撮りたいから」つって停止ボタン押しちゃった事件もあったじゃん。

自分がいい写真を撮りたいっていうことだけで頭一杯で、

ボタン押したら他の人がどれほど迷惑するか、社会的にどうなんだ、

みたいなことが全く判断付かない。

  

あれももはやマナー問題とか常識とか躾の領域じゃなくね?

発達の問題に見えるのは俺だけか?

    

   

シンガー女性勝手に付きまとって変な贈り物して拒絶されて

最終的に激昂して刺しまくって逮捕されて懲役15年くらいついた男も、

そんなもん本当にただのモンスターって言うか虫じゃん?

  

あれなんか家父長制とか女性蔑視とかそういう問題じゃなくね?

発達の問題に見えるのは俺だけじゃないだろ絶対

 

 

多くの問題について

我々は社会的な原因や社会的なソリューションを考えてしまうけど、

単にその個人がそういう出来の人間であった

他の人間が感じることを一切感じない察知しない昆虫みたいな人間であった

という方がよほど事実に近いことは多いんじゃないのか?

 

ギャラストの話を見ても全く自分のことだとわからないギャラストが実在する。

マナー周知なんて問題じゃないだろ。

 

人間の振りしてるけどほとんど人間感性思考じゃない昆虫人間がいるんだ。実在するんだ。

その存在念頭物事を組み立てていくべきだろ。

それこそが多様性とか包摂性ってものじゃないのか?

 

ギャラス対策マナー周知が含まれてたらもうおかしいんだよ。

虫の対策は「餌の除去」「通り道の閉鎖」「嫌がる物質の散布」だろ?

そういうことなんだよ。

2023-10-31

anond:20231031074922

まあそういう対人関係どうしようもない人も包摂するのが福祉制度なわけなのだ

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