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はてなキーワード: 包摂とは

2022-06-09

人間本質は愚性であるドストエフスキーはかくのたまう

 フョードル・ドストエフスキーは「愚かさ」を人間実体として見定めていたことに相違ない。


「理性」「理論」といったもの文明を成立させた所以であるとし、それらを人間本質として見る科学合理主義ヘーゲル弁証法に対するドストエフスキーの不信感は明白であるドストエフスキーからすれば、理論や理性は人間本質などでは決してなく、人間本質たる愚かさに対する偶発的な付属であるにすぎない。

 ことによれば「A=A」「A≠notA」レベルの単純な論理的判断すら、多くの人間には難しいと言える。日常生活においては「A≠A」ないし「A=notA」が往々にして罷り通る。同一率や矛盾率といった論理における大原則ですら日常生活においては無視され得ることから、ましてそれらを包摂する包括的論理体系が人間本質であろうはずがないのである。それらはむしろ人間生活からは遠く離れた場所にある。

 して、人間生活とは何か?

 それは愚かさである。非理性である。非論理である。理などというものをかつて人間生活の中心に据えたことなどあっただろうか。断じて無いのである

カラマーゾフの兄弟』において、主人公であるアリョーシャ・フョードロウィチ・カラマーゾフ東方正教を信奉する信者の一人であるけれども、彼はあくま生活レベルにおける宗教を信用しているに過ぎない。つまり、「神を信じた方が幸せになれる」からアリョーシャは神を信じているのである。仮に宗教信仰幸福をもたらさないとすれば、恐らくアリョーシャは東方正教そもそも信奉することなどなかったであろう。

 これは、ドストエフスキーの「人間は愚かである」という率直な表明である。つまり人間は――少なくとも、一般的人間は――神のごとき素朴な事柄以上のもの理解することなどできないとドストエフスキーは述べているのである現実を変革させ生活に変化をもたらすレベル科学理論を使いこなせる人間は一握りしかおらず、また、それらの理論本質は大多数の人間理解されることなどないのである。そうだとすれば、その他大多数の愚かな人間は「宗教でも信奉している方がよっぽど幸せになれるよ」とドストエフスキーは吐き捨てているのである


 人間の作り出した神を信じることが人間限界なのであり、それ以上の物質本質やこの世の理(ことわり)について理解することは明確に人間の手に余る、とドストエフスキーは吐き捨てている。

2022-05-31

anond:20220530120726

映画館や明らかにファミリー向けじゃないレストラン等々で騒ぎ始めたら従業員に言って排除してもらえ

社会の厳しさ = 差別的排除

に聞こえる。子ども向きかを一方的判断して合理性なく排除するのは、親子の人権限定していると思う。それでは お子様可 の施設以外には入れなくなってしまうよ。

マジョリティに有利なように最適化された社会に、スロープは無い。車いす利用者理不尽コストを負い続ける。

現状の世界は親子連れを軽視して作られている。その分、市民である我々が、甘んじて受け入れるのでなければ、差別のそしりを免れないだろう。

持続可能社会にするために、ある程度の迷惑を受け入れあう必要がある。次世代のガキたちには排斥ではなく包摂を教えたい。

差別のない社会は、誰もが少しずつ迷惑を被る社会だ。

心の余裕を持つものは、それなりの社会的責任を持つべき。

ノブレスブリージュってやつだと私は考える。

2022-05-30

anond:20220529204652

この “私は違う考えを持っている。” を書いた増田だが、ふむ…

こうした考え方を奇異に感じる人もいるかもしれないので追記しておく。

社会が負うべきコストについて、あなた方は実はすでに一部は受け入れているんですよ。

プロジェクト炎上中のときに「生理休暇」を取得した女性社員がいるとする。会社には有給と違って「時季変更権」がないからもちろん拒否できない。そしてその分の負担あなたに降りかかってきた。

彼女本人を憎みますか… って聞かれたら、憎まないでしょう。

あらかじめ準備しておかなかった会社側の問題です。これが仕方なく受け入れるべきコスト

憎むぞ! っていう方は… 厳しい言い方になるが、あなたは『消極的植松』だ。

やまゆり事件で彼の視点からみて、社会に“不要な”存在を消し去ることは正義だった。

——だが真実は当然、違う。要不要などは一方的傲慢評価に過ぎない。私たち社会歯車である以前に独立した自分自身を持つ人間だ。それぞれに異なる生きる意味があって、違う夢をみて、違うメシを食って生きているんだよ。

個人尊重し、多様性を求めることには副次的メリットもある。すなわち、あんまりイライラしなくなるってこと。包摂基本的スタンスにするのは QoL も高いかオススメだよ。

2022-05-26

anond:20220525235155

親が高齢から肯定はできないけれど、心情的には理解できちゃう自分の心身の衰えを実感しながら、それを受け入れて生きるって、思った以上に辛さがあるものだよね…。

何より、痴呆症などで自分の心が失われてしまったら。もはや自分では認識できないかもしれないけれど、周りに負担だけをかける存在になってしまったらと考えると、居た堪れない。

そんな自分であっても包摂してくれる社会を夢見た方がいいのだろうか。

2022-05-25

日本じゃ仏教神道(それも上級国民向けのやつ)と習合してケガレを嫌う性質内包しちゃったのが間違いの元じゃないかな。

宗教なんて弱者救済してナンボ。弱者だぞ、エンガチョに決まっている。

精神知的犯罪ナチアカ、そらなるよ弱けりゃ。そんなの包摂していたら自分エンガチョまみれになるし、組織不正犯罪差別もはびこるわ。勝手ローカルルールだってウジャウジャ作られるわ。

それでヤバい組織だと後ろ指さされながら、それでもやる。

「悪いことはいけません」って言って、昨日助けた奴が犯罪犯して誰かが泣いても、また犯罪者予備軍を助ける。

ナチがいたって、フェミがいたって、全部抱えて、そういう奴等に心の平穏が訪れるよう祈るんだよ。だからキリスト教イスラム教も汚くて偉大なんだよ。

ただ、正直最近世の中がナチファシズムに冷たすぎる気がする。

ヤバい奴等の前では「疲れてない?落ち着こうぜ」って言って、そいつらがいないとこで「差別反対」って言えばいいんだよ。

精神弱者がそういうものに染まるのはもう仕方がないことなんだから、そこ追い込んでも意味ないと思うんだよね。

2022-05-15

anond:20220514105830

発達障害ASDADHDLD境界知能、知的障害…の人たちはすべて契約能力のない制限能力者です!彼らが傷つかないように、契約する権利剥奪しましょう!

つって、同意する当事者団体なんてあるのかな?

社会への包摂の道を閉ざして、障害年金やるからこそこそ生きてろ的な古い世界観じゃん。

2022-05-11

https://anond.hatelabo.jp/20220511184710

自民党立憲民主党などとの比較保守政党とされるが、実態としては保守であり革新なんだよ

例えばアメリカでは、共和党民主党とで定期的に政権交代しているが、自民党共和党立場民主党立場の両方を実質的包摂してしまっている

自民党タカ派政権を持っているときと、ハト派政権を担っているときがあり、それが日本の政治における「左右の振れ」になっている。

 

実質的な話はともかくとして、形式的に、民主主義選挙制度がありながら一党が政権の座に居座り続けているという状況の実例を知りたいなら、Wikipediaで「一党優位政党制」の記事を見れば、実例記載されている。

2022-05-03

同じくくりで包摂されるフォビア

あいつらなんかと一緒にしないで的な

一方で同じくくりで一緒くたにすることはある的な

2022-04-26

丸山真男を読むと日本ネットバトル様式を分かった気になれるのでお薦め

丸山真男日本思想』を読んでいるのだが、海外比較としての日本人の思考様式精神性の解釈が非常にしっくりと腑に落ちる。

この本の書かれた年代は古いが、現在SNS政治トピックスにおける論戦の様相などにも適用できる程度には、日本人というもの精神性の核をとらえているように思える。

例えばこれ

ともあれ、こうした国学儒教批判は、

(1)イデオロギー一般嫌悪あるいは侮蔑

(2)推論的解釈拒否して「直接」対象に参入する態度(解釈多義性に我慢ならず自己直観解釈絶対化する結果となる)、

(3)手応えの確な感覚日常経験にだけ明晰な世界をみとめる考え方、

(4)論敵のポーズあるいは言行不一致の摘発によって相手理論信憑性を引下げる批判様式

(5)歴史における理性(規範あるいは法則)的なものを一括して「公式」゠牽強付会として反撥する思考

等々の様式によって、その後もきわめて強靭思想批判の「伝統」をなしている。

丸山 真男. 日本思想 (Japanese Edition) (p.28). Kindle 版.

1-5まで、スタンスの左右を問わず現代twitterはてなブックマークでもよくみるような批判様式だと思いません?

これらの思考様式の背景にある要因もいくつか挙げられているが、私が面白いと思ったのはキリスト教圏との対比。

キリスト教圏では唯神論に対する反発(対立軸)として市民社会思想が発展した背景から思想それ自体神格化して同じ轍を踏まないために、思想形式的不備を市民監視する構造が浸透している。

一方で日本においてはそういった背景がないため、「思想」それ自体を道具の一つのようにプラグマティックに取り扱う傾向がある。矛盾する思想でも状況に応じて使い分ければよい。思想の中身はさておき、その思想適用すると何が便利なの?という発想である思想それ自体形式(建前の正当性)を重視するキリスト教圏との大きな違いがここにある。

なお中国儒教の影響が支配的なのでまた別ということになっている。日本のこの柔軟性は神道がそういった特性であったことも背景として挙げられている。

日本人は「物分かりがよい」という表現もなかなか味わい深いと思った。

引用にあるような「感覚的な便益を重視し、抽象化・体系化や論理的整合性価値を見ない」という評価と、「物分かりが良い」という評価一見矛盾するようで、そうでもない。

道具として使える程度に理解することにおいては日本人は早い。なぜなら既存価値観との整合性を気にしないから、(便利である限りにおいては)新しい考え方に対しても衝突したり反発したりせず、すぐにとり入れることができる。その際には、既存価値観を拡大解釈する(へえ、外国人はこういう考え方をするのか、でも日本のこの考え方と一緒のもの解釈できるな)という様式が使われやすい。既存価値観と同一視するという輸入様式はまさに抽象化だと思うのだが、抽象化自然に行うため逆説的にそれに価値を置かないという精神性が成立しているということだろうか。

一方で抽象化一般化された思想体系を戴くことを嫌う。それは思想体系を一度決めてしまうと前述の拡大解釈による柔軟性が損なわれるからだろう。

日本人の精神性は「そういう考え方もあるよね〜」を地で行っており、その意味で非常に包摂力が高い。包摂力の高さを維持するために、統一基準を作ることを嫌う。イデオロギー嫌いがイデオロギーである、とも言えるか。とはいえ新たなイデオロギーから影響を受けないわけではなく、拡大解釈意図的誤訳によって、既存価値観と同居させる形でイデオロギー解体して取り込むのである

個人主義リベラリズムフェミニズムなどが、日本になじまなさそうで、でもやっぱりなじみそうな(それらにまつわる論戦において、各論ごとに各人のスタンス右派なのか左派なのかも判然としない)のは、それらの思想各論での実利については認めており、慣習としては取り込んでよいと思いながらも、原理原則として戴くつもりはない、というイデオロギーが影響しているようにも思える。

2022-04-25

フェミニズムと同様に男性が異性嫌悪を吐き出せる男女平等思想があるといいと思う

フェミニズム男性嫌悪を抱える女性にも門戸を開いている。

例え入り口男性嫌悪でも、そこからフェミニズムを学んでいける人を拒む思想ではないし、フェミニズムの目指す地点は男女平等である以上、最終的にそこに合意できればいい。

とすると、男性版でも同様の思想的体系が整っていれば、女性嫌悪を男女平等思想へと昇華できる機会が増えるので、それに越したことはないと思う。

自分認識の限りでは、女性嫌悪を包摂する思想コミュニティナンパ界隈や弱者男性論など、女性嫌悪を包摂こそすれ修正する内容のものではないと考えている。

男性学というフェミニズムを基盤に発展した思想もあるけど、こちらは成員がフェミニズムと重なっているので、その入り口において女性嫌悪を包摂することはできないと思う。

またマスキュリズムについてだが、こちらは先ほどの男性学とは違い完全に男性によって形成、発展されてきた男性差別撤廃思想らしく、内容に関してはかなり期待は持てるものの、日本においては殆ど全く息をしていないことが難点か。

現状においてはマスキュリズムの普及に尽力するのが最短経路となるのだろうか。

2022-04-21

乳のでかい女として生きてきたが

乳がでかいというか、デブ寄りなので乳もあるといったほうが正しい。

比較的不美人デブで乳もある状態だと、人と比較しがちな思春期の頃などは乳があることに自分アイデンティティを置いてしまっていた。それがルッキズム包摂された結果だとか、後知恵の指摘はいくらでもできるが、とにかく自信のなかった思春期前後デブだろうと乳があり、それが他者から求められることもあるという事実を嬉しく思っていた。

また、根暗陰キャなので美少女イラストも好きだった。乳のでかいカワイイ女が描いてあると嬉しい。素朴にそういう気持ちがあった。

幸い、今は自分が生きる上で積み重ねたものによって、乳以外にも自分を大切にできるポイントがある。だから昔ほど乳をアイデンティティの置所としてはいないが、宇崎ちゃん前後に始まりたわわに至る巨乳イラストバッシング自分気持ちとして少々苦しいと感じている。題材や文脈に対する不適切性を指摘されるのは仕方ないと感じるし現実まなざしを受けるこれから世代への配慮という論理理解もできるが、まさに現実にあるまなざしによって救われた自己肯定感があると私は知っている。もちろん、乳がでかいことによって不快な思いもした。しかし私にとって、それは足し合わせて得点を出すものではなく、両方とも存在したのだ。そんな自己肯定感まやかしだというのもわかる。ただ、自分大事にするために、自分の足で歩いていくために自分最初に握っていた自己肯定感は「乳がでかい」ことだけだった。

連呼したが、別に乳がでかかったことが重要なのではない。万人に対して正しいわけではないもの自分は救われた、救われてしまった、というような経験は、誰しもあるのではないかと思う。この気持ちの置きどころがなくて、ウロウロしている。

2022-04-14

ナチス悪者にするのは簡単だ。しかし…」

という言葉を河瀨直美監督東大入学式祝辞を読んで思い出した。ナチス将校にも、大日本帝国兵士にも、自分たち行為正当化する「内在的論理」があった。

からこそ、それを悪魔化して切り捨てることなく、真摯分析して、過ちを繰り返さないために再び社会包摂していくというプロセス必要になる。

ロシアという国もいずれは国際社会に復帰し、そのようにして再統合される日が来るだろう。

しかし、彼らの主張を他の正義と同じ水準に並べることには慎重でなければならない。なぜならそれは彼らの蛮行正当化する主張に力を与える行為に他ならないからだ。

河瀨監督真意はともかく、その語りの重心が「悪魔化された対象包摂」よりも「ロシア蛮行不用意な相対化」に傾いていることは否定しがたい。

ひとりの宗教家の「あれらの国の名前を言わへんようにしとんや」という遠回しな言葉引用するとき、「ロシア」「ウクライナ」という具体的な国名があえて補われている。

そして「その国の正義ウクライナ正義とぶつかり合っているのだとしたら」と相対化を試み、「一方的な側から意見に左右されてもの本質を見誤ってはいないだろうか?」とダメ押しが加えられている。

が、「もの本質」が何なのかという具体的な説明はなされないまま、語りは「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです」という一般論的な自省へと流れていく。

ここで分かるのは、「ロシア」と「ウクライナ」は一見するとまったく具体的な固有名詞のようだが、このテキストでは単に「同じ水準で対立する2つの正義」という抽象化されたアイコンにすぎないということだ。そしてそのような使われ方によって、両者の「正義」の対立が同水準であることが暗示されてしまっている。

また、ロシア悪玉論を揺さぶオルタナティブな視座として提示されているらしい「それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側から意見に左右されてもの本質を見誤ってはいないだろうか?」という問いかけは、実のところは開戦当初から繰り返しメディアに登場してきたものだ。

これもまた「ロシアを悪とする議論はこのような基本的な問いかけすら踏まえていない」という誤った矮小化を導きかねないものだと思う。

河瀨監督ミスリーディング意図したとは思わない。だが、このウクライナ問題の扱われ方は、同じ祝辞の中で語られる「たった一つのから見える光景を深く考察すれば、世界通用する真理に到達できる」という世界観の限界をまざまざと示している。

2022-03-20

弱者男性問題自分なりに整理して意見を書く。

> はてぶが「弱者男性」を実在しているかのように語っているのが謎

https://anond.hatelabo.jp/20220319181840

そもそも、「弱者男性」の問題ってなんだろう?

トイアンナ氏が語った言説がよかったので、議論の下敷きとして、リンクを貼る。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83163?

ざっくりいうと、男性自身も家父長制度の枠組みの中で求められる役割を達成できないことが、自虐だったり自信のなさ、社会での居場所のなさの原因であり、弱者男性のあり方もフェミニズム解決すべき課題ひとつだと認識している。

異存はない。ただし、この論説の通りに社会が動いたとしても、今の弱者男性が救われるかどうかは別物だというところが問題として残ってしまう。


弱者男性問題の原因を紐解いた時に、自己責任論で片付けれる問題はほぼない。社会のせいだ!〇〇のせいだ!と言いたい気持ちの方がよく分かる。努力できることも才能だと思うし、むしろ努力すれば報われる環境があったとは到底思えない。昭和の頃は何をやっても成功体験に結びついていたような時代とは全く違うのだから

弱者男性存在する理由は、まず100%本人に責任はない。というところからスタートしなければ、彼らを私達の分身として包摂することはできない。私達が私達として、存在している理由になんらかの責任はない。

彼らは私がそうなり得た一つの答えであり、さまざまな成長過程を経てたどり着いてしまった、もうひとりの自分なのである。お互いにそのことを理解できない限り、社会問題解決にはつながらない。認識しておかなければならない最初立ち位置だと思う。

トイアンナ氏の提案未来に向けた一つの提言だと思うし、都市部では歓迎されるだろう言説だと思う。ただそれで生きづらい人の方が多く出るだろう、今の日本理想主義体現しながら生活できるのは、ごく一部の恵まれた人だけである。ただし、そのモデルが広まっていけば、数十年をかけて世の中が変わっていく可能性は十分にあるだろう。この30年で町中に痰が落ちてない世の中に変わったように。

ただ、団塊ジュニア世代を見殺しにして新しい世界に進むという未来でもあるし、そうなるしかない諦念も強い。

自分団塊ジュニア世代の一回り下だが、団塊ジュニアのいとこらやその友人もいて、その苦労をけっこう見聞きしている。

収入は少ないが、人柄が悪いわけでも、能力がないわけでもない。ただ時代が悪かったとしか言えないし、そのせいでいろいろな経験が省かれているようにも見えたりする。

弱者男性問題世代対立問題として見られやすいのは、上記のとおり団塊ジュニア世代が受けた社会情勢に影響された、努力収入(社会的地位)のミスマッチの結果なのだろうと思っている。(資料なし)

少子化問題年金問題所得低下・国力低下・世代対立ナショナリズムの台頭、これらはすべて弱者男性に関連するテーマではある。国家運営という目線に立って一つづつ解決を目指さないと、日本

ただ、男性弱者問題に関して、この視点は一切いらない。これまでの結果がすべて社会のせいだったとしても、弱者男性はこれからどうすれば幸せになれるのだろうか?

その一点に絞るべきだろう。社会が成長すれば全ては解決するのは正しい、ただ十年で解決できる問題ではない。アベノミクスで盛り上がったのに、収入は増えなかった。十年でも解決出来なかった。それが事実だ。

男性生涯未婚率は、このままいけば20%は超えるだろう。1000万人の団塊ジュニア世代200万人が結婚しないという計算になる。

https://nayami-sodan.net/dokushin-mikon-ritsu-20-30-40-50/

KKO母集団200万人と置いた時(もちろん母集団には、金が有るけど結婚しない人も、KKだけど楽しんで生活している人もいる。)

見つめるべきは、200万人が幸せになれそうな未来を描くための、即効性のある解決策はすでにない。という残念な事実しか残っていない。

社会がなんとかしてくれる・景気が良くなれば雇用が増えて、とかいレベル自然解決することも、諦めるしかない。

200万人分が、家族を養えるだけの高収入仕事につくウルトラC法案があるか?社会運動が作れるか?できねーよ。

ただ、考えてみてほしい。日本戦後あれだけの惨禍から復活したのは、日本政府がすごかったからか?それとも、民間企業が頑張ったからか?どちらも違うだろう。

民間企業ですらなかった人も含めて、個々人がそれぞれレベルでなんとかしようとした人がたくさん居たからだと思っている。

もう一つは、戦争でたくさんの人が亡くなり、既存の仕組みにスキマがたくさんできたかなのだと思う。

これから色んな所に、社会のほころびが出てくる。町内会が動かなかったり、

これから増えていく社会のスキマを埋める人がいれば、必ず重宝される。その懐の深さは、社会多様性さが生み出すのだろう。まだそれだけの懐の深さは日本社会も持っていると思っている。

人間なんて、だいたい腐ってるんだから、8割腐ってるなら、残りの2割のまともなところでうまいこと行くようにやろうぜ。

◯ーチンだって、まともそうな顔して、あんなことしちゃうんだから

あれに比べたら弱者男性の言説ぐらい、読める文章を書いてるだけ凄いじゃん。

分断ではなく、共感を。

支援ではなく、協力を。

私はKKOおっさん共感する。

ちゃんと生きてたら、おはようございます。って声かける。それが社会包摂じゃないの。

そういう日常の繰り返しをちゃんとすることでしか、救いはないんじゃないか。と思ったり、思わなかったり。

まぁ都会に住んでたら難しいっていう気持ちめっちゃ分かる。人間扱いされないし。だから田舎もいいよ。珍獣扱いされるけど。上京2世だったら、帰郷するのも一つの手だというのをオススメしたい。偏見のある田舎もあるけど、結構悪くない所も多い。もちろんIターンも。リスクもあるけど、人間というだけで歓迎されるところも多い。ってか地方だとそういう社会包摂意識した活動を知ている人は、ちゃんといるし、地方にいるとそういう人ほど目立つから情報も見つけやすかったりする。大学時代の友人が「だれでも来れる畑」というのをやり始めて、交流の場としてまずまずうまく行ってるらしい。人手さえあれば、何かしらの生産活動ができるのが地方の良いところ。

と書いていて、お前はどうなんだと聞かれたら、KKOだけど楽しく暮らしている友人のFBいいね!するぐらいしか出来ないし。

一軒家の向かいに住んでるひきこもりのにいちゃんちゃん挨拶して、なんかあったらちゃんと声掛けようと心積もりをしておく。ぐらいしか出来ないのだが。

KKOおっさんが居ても、差別しない世の中はまだ作れるだろう。

弱者男性問題自分なりに整理してみる。

> はてぶが「弱者男性」を実在しているかのように語っているのが謎

https://anond.hatelabo.jp/20220319181840

そもそも、「弱者男性」の問題ってなんだろう?

トイアンナ氏が語った言説がよかったので、議論の下敷きとして、リンクを貼る。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83163?

ざっくりいうと、男性自身も家父長制度の枠組みの中で求められる役割を達成できないことが、自虐だったり自信のなさ、社会での居場所のなさの原因であり、弱者男性のあり方もフェミニズム解決すべき課題ひとつだと認識している。

異存はない。ただし、この論説の通りに社会が動いたとしても、今の弱者男性が救われるかどうかは別物だというところが問題として残ってしまう。


弱者男性問題の原因を紐解いた時に、自己責任論で片付けれる問題はほぼない。社会のせいだ!〇〇のせいだ!と言いたい気持ちの方がよく分かる。努力できることも才能だと思うし、むしろ努力すれば報われる環境があったとは到底思えない。昭和の頃は何をやっても成功体験に結びついていたような時代とは全く違うのだから

弱者男性存在する理由は、まず100%本人に責任はない。というところからスタートしなければ、彼らを私達の分身として包摂することはできない。私達が私達として、存在している理由になんらかの責任はない。

彼らは私がそうなり得た一つの答えであり、さまざまな成長過程を経てたどり着いてしまった、もうひとりの自分なのである。お互いにそのことを理解できない限り、社会問題解決にはつながらない。認識しておかなければならない最初立ち位置だと思う。

トイアンナ氏の提案未来に向けた一つの提言だと思うし、都市部では歓迎されるだろう言説だと思う。ただそれで生きづらい人の方が多く出るだろう、今の日本理想主義体現しながら生活できるのは、ごく一部の恵まれた人だけである。ただし、そのモデルが広まっていけば、数十年をかけて世の中が変わっていく可能性は十分にあるだろう。この30年で町中に痰が落ちてない世の中に変わったように。

ただ、団塊ジュニア世代を見殺しにして新しい世界に進むという未来でもあるし、そうなるしかない諦念も強い。

自分団塊ジュニア世代の一回り下だが、団塊ジュニアのいとこらやその友人もいて、その苦労をけっこう見聞きしている。

収入は少ないが、人柄が悪いわけでも、能力がないわけでもない。ただ時代が悪かったとしか言えないし、そのせいでいろいろな経験が省かれているようにも見えたりする。

弱者男性問題世代対立問題として見られやすいのは、上記のとおり団塊ジュニア世代が受けた社会情勢に影響された、努力収入(社会的地位)のミスマッチの結果なのだろうと思っている。(資料なし)

少子化問題年金問題所得低下・国力低下・世代対立ナショナリズムの台頭、これらはすべて弱者男性に関連するテーマではある。国家運営という目線に立って一つづつ解決を目指さないと、日本

ただ、男性弱者問題に関して、この視点は一切いらない。これまでの結果がすべて社会のせいだったとしても、弱者男性はこれからどうすれば幸せになれるのだろうか?

その一点に絞るべきだろう。社会が成長すれば全ては解決するのは正しい、ただ十年で解決できる問題ではない。アベノミクスで盛り上がったのに、収入は増えなかった。十年でも解決出来なかった。それが事実だ。

男性生涯未婚率は、このままいけば20%は超えるだろう。1000万人の団塊ジュニア世代200万人が結婚しないという計算になる。

https://nayami-sodan.net/dokushin-mikon-ritsu-20-30-40-50/

KKO母集団200万人と置いた時(もちろん母集団には、金が有るけど結婚しない人も、KKだけど楽しんで生活している人もいる。)

見つめるべきは、200万人が幸せになれそうな未来を描くための、即効性のある解決策はすでにない。という残念な事実しか残っていない。

社会がなんとかしてくれる・景気が良くなれば雇用が増えて、とかいレベル自然解決することも、諦めるしかない。

200万人分が、家族を養えるだけの高収入仕事につくウルトラC法案があるか?社会運動が作れるか?できねーよ。

ただ、考えてみてほしい。日本戦後あれだけの惨禍から復活したのは、日本政府がすごかったからか?それとも、民間企業が頑張ったからか?どちらも違うだろう。

民間企業ですらなかった人も含めて、個々人がそれぞれレベルでなんとかしようとした人がたくさん居たからだと思っている。

もう一つは、戦争でたくさんの人が亡くなり、既存の仕組みにスキマがたくさんできたかなのだと思う。

これから色んな所に、社会のほころびが出てくる。町内会が動かなかったり、

これから増えていく社会のスキマを埋める人がいれば、必ず重宝される。その懐の深さは、社会多様性さが生み出すのだろう。まだそれだけの懐の深さは日本社会も持っていると思っている。

人間なんて、だいたい腐ってるんだから、8割腐ってるなら、残りの2割のまともなところでうまいこと行くようにやろうぜ。

◯ーチンだって、まともそうな顔して、あんなことしちゃうんだから

あれに比べたら弱者男性の言説ぐらい、読める文章を書いてるだけ凄いじゃん。

分断ではなく、共感を。

支援ではなく、協力を。

私はKKOおっさん共感する。

ちゃんと生きてたら、おはようございます。って声かける。それが社会包摂じゃないの。

そういう日常の繰り返しをちゃんとすることでしか、救いはないんじゃないか。と思ったり、思わなかったり。

まぁ都会に住んでたら難しいっていう気持ちめっちゃ分かる。人間扱いされないし。だから田舎もいいよ。珍獣扱いされるけど。上京2世だったら、帰郷するのも一つの手だというのをオススメしたい。偏見のある田舎もあるけど、結構悪くない所も多い。もちろんIターンも。リスクもあるけど、人間というだけで歓迎されるところも多い。ってか地方だとそういう社会包摂意識した活動を知ている人は、ちゃんといるし、地方にいるとそういう人ほど目立つから情報も見つけやすかったりする。大学時代の友人が「だれでも来れる畑」というのをやり始めて、交流の場としてまずまずうまく行ってるらしい。人手さえあれば、何かしらの生産活動ができるのが地方の良いところ。

と書いていて、お前はどうなんだと聞かれたら、KKOだけど楽しく暮らしている友人のFBいいね!するぐらいしか出来ないし。

一軒家の向かいに住んでるひきこもりのにいちゃんちゃん挨拶して、なんかあったらちゃんと声掛けようと心積もりをしておく。ぐらいしか出来ないのだが。

KKOおっさんが居ても、差別しない世の中はまだ作れるだろう。

2022-02-23

アニメオタクオタクになれない人間死ね

twitterで数年間つながりがあった人が「自称アニメオタクの人が結婚していているけど俺は恵まれない」みたいなことを書いた。

とはいえアニメゲームラノベVtuberなどの文化コミュニティ包摂されている人間は恵まれている。

自分はそういう文化にすら包摂されず排除され根無し草のように漂流している。

そういうことをリプしたら「何言っているの?(アニメとかで)救いを感じられないんだったら早く死んだら(※特定防止のため文言を変えてあります)」と返信がきた。

 

自分は中高時代創作系の部活所属していたためまわりにアニメゲームラノベなどのオタクが多かった。自分も興味があった。

しかし親から「家で民放バラエティドラマを見ていることは家の名誉に傷をつけるから絶対に口外するな」と厳命されていた。

加えて『脳内汚染』を読んだことでメディアの悪影響について考えるようになった。このことからオタク的なコンテンツには触れてはいけないと思うようになった。

もし図書室にあるライトノベルを読んだら高校や家の名誉に傷をつける。そう考えると自分欲求のためにオタクコンテンツに触れるのは悪であった。

 

大学のころ深夜アニメちょっとたことをきっかけにオタクになろうと頑張ってみた。

しかアニメの内容というか面白ポイントがわからずに「なんで自分はこういうコンテンツ包摂されないんだろう」と不安と焦りに苛まれるようになった。

そして某アニメイベントの前を通りかかったときに「自分は結局オタクになれなかった出来損ないだ」と思ってしま号泣、翌日電車飛び込みかけて会社はクビになった。

でも自分オタクのふりをしたかった。twitterオタクのふりをして数年、最初オタク気分を手軽に味わえた。

しかオタク提示するアニメを見ても面白さを感じず、ラノベは内容が高度すぎて理解できず、ソシャゲルールすら理解できずに投げだした。

結局オタクはある種の知的特権階級であり、自分のような愚劣な人間オタクにすらなれないのだ。

おりしも親から勘当され、医者からモンスターペイシェントとして見放された(課題として出されたスキーマ療法のワークブックをやろうとしても強烈な不安感情に襲われて一切できないことを伝えたことが原因)。

友人は誰もいない。地元人間自分集団いじめて笑っていた人間だ。

そういう自分オタクコンテンツから包摂されないとなると、本当に「自死」という選択肢現実味を帯びてくる。

ここ3か月ほど、なんでオタクになれないんだろうかということをずっと考えては息苦しくなる感覚があった。

警察相談しようかとも思ったが、最悪精神病院措置入院されて10年以上出られない可能性もある。

もとより自分は零細自営(貿易商に近い)である仕事に穴が開けばほかの人に大迷惑がかかる。

私生活権力介入である入院生活保護絶対に避けたい。

 

自分オタクになれないほどバカクズでのろまだけど、そういう人間をこれ以上追い詰めないで欲しかった。

とはいえ自分書き込みのせいで相手不快にさせたことは事実なので、そこは深く受け止めたい。

anond:20220222192340

それだけ言語化できてりゃ弱者男性社会から包摂されてない事実が大量の呪詛返信から読み解けそうなもんだがそうはならんのか

2022-02-20

anond:20200621150315

名著だよね。

ただハマータウン〜は今見ると、「階級」という切り口に振り切った作品だと思う(社会学では念仏のように「階級ジェンダーエスニシティ」と、その切り口の多様性を訴えてるでしょ)。

それがいいとか悪いとかではなく、そこにハマータウン〜の特徴と限界があるし、

またむしろ今見えにくくなっているものを炙り出してくれるものでもある。

割と最近でも、(通俗的な言い方をすれば)白人エリート女性社会学者が黒人コミュニティに対して行った参与観察で、むしろ参与観察に入れ込みすぎた結果、キャンセルカルチャーの餌食となった例がある。

→"アカデミズムサラブレッド"で新進気鋭の社会学者だったアリス・ゴッフマンは、なぜ「キャンセル」されたのか?【橘玲の日々刻々】

https://diamond.jp/articles/-/296647

ゴッフマンの事例もまた是非を置くとしても、ともかく現代社会は「階級ジェンダーエスニシティ」のどの切り口も無視することが出来なくなっていることを示す事例ではある。

ここで増田エントリタイトルで誤解されてそうなのが気になるんだが、ポールイリスマルクス主義者だから、その「野郎ども」が二重の意味での自由を手にして「Learnlng to labour」してしまアイロニーを指摘しているだけであって、「底辺右翼」みたいに蔑視している訳じゃないと思うんだよね。

そしてハマータウン〜は「持たざる者」がどのような文化戦略を取るかについて、「階級」の切り口の重要さを伝えてくれるものでもある。

しろ当時のポールイリス暖かい目線は、今ならエスニシティジェンダーで殴られているラストベルトのトランプ支持者なんかを包摂する可能性の方に向けられるものな気がするんだよね。

資本主義社会再生産」という点においては、「ジェンダー」の切り口すなわちフェミニズムも、そこに加担するケースがままある。

所得カップル移民シッター代理母を利用することを肯定的に捉えれば、当然「階級」や「エスニシティ」の面から批判される。

階級ジェンダーエスニシティ」の切り口から全くイノセント存在でいることはかなり困難だ。

ただし、当たり前のことだが人はその立ち位置を選んで生まれてくる訳ではないので、そこから先は個人の「倫理」の問題になるかと思う。

翻って日本場合について私見を述べれば、男女の家事負担のようなジェンダー平等問題にしても、コロナ禍での医療体制問題にしても、

日本における『労働』の過重性という問題が、あまりに軽視されすぎている。

日本では「階級ジェンダーエスニシティ」を問わず、それらを串刺しにする一億総「Learnlng to labour」のような状況があることを、議論の前提としてもらいたい。

2022-02-10

ノーマスクデモ最近はありかなと思えてきた

生き物はある程度の多様性がないと、ふとしたことであっけなく絶滅してしま

ワクチン問題が数年後発覚したら……?

長期的なマスク着用に問題があったら……?

そのとき皆で同じことをしていると立ち行かなくなる

逆張り包摂していけ

2022-02-07

anond:20220206235901

社会的にはそれが当然の思考だし、それに逆らう奴を包摂するメリットは何もないからなあ。

2022-01-29

文系バカにするけど、無敵の人にどう手を差し伸べるか、社会的包摂に取り組むか考えるのも人文系仕事じゃないか

2022-01-28

anond:20220127062631

私は出生前診断を受けた。

当時はNITPを実施している医療機関が少なかったので、クアトロテストを受けて、結果が1/86の陽性だった。

その後、羊水検査に進み、そこで陰性が確定した。

まれた子は今レロレロ舌を回しながらプリキュアフレーズをサビだけエンドレスリピートしている。ひょうきんなお調子である好奇心旺盛すぎて、医師が慎重に子宮内の胎児のいない場所を選んでいるというのに、羊水検査用の針に関心を示し触ろうとしていた(こういう子は珍しくないらしい)。

このクアトロテスト陽性から羊水検査の陰性確定までは、光の無い生活で、空気重油のようだった。息を吸うのも吐くのも辛かった。今まで嫌なことは色々あったけれど、トップクラスで辛い毎日だった。

夫婦だけで、陽性なら堕ろす、と決めた。親には相談しなかった。親はおそらく、「絶対に産むな、私が許さない」と言うだろうというのが夫婦共通見解だった。親という生き物はとにかく我が子が可愛い。孫よりずっと子供可愛い人殺しの罪を自分が負ってでも子供の心を守ろうとするのだ。そう分かっているので、相談しなかった。

その際比較したのは、障害のある子を産むか、産まないか、の二択ではなかった。

その場にあった2択は、障害のある子を産んで育てるか、今回は諦めて別の健常児である可能性の高い子を産んで育てるか、だった。

そのようにして私は、命を選択しようとした。2人目であったので、上の子きょうだい児にするという選択肢は我々には無かった。

ただ、自分が産み育てるか?と、現在生きている障害者に冷たくするか?とは違う問題に感じる。

私はボランティア等で障害のある人と接する機会が多いが、とても楽しい

幸せになってほしいと願っている。

福祉事業所で作った作品もよく買うし、クッキーケーキも買って食べている。カフェも行く。

私の内面差別心はあると思う(特にパーソナリティ障害傾向の人にはどうしても優しくできない)が、命の選抜を行おうとすることと、今生きている障害者にどう接するかは違う問題だろう。

障害のある人は決して少なくない。

・50人に1人は必ず知的障害者が生まれる(知能検査標準偏差区分されるので必ず、である)

・旧境界知能(知的ボーダーグレーゾーン)は35人クラスに5人いる

発達障害グレーゾーン10人に1人

グレーゾーンではない障害者は全人口の7.4%

これらのほとんどは現在出生前診断では分からない。出生前診断で判明するのはごく一部の障害しかない。

また、私のように、出生前診断保険適用外であっても、診断を希望する人は自費で検査をする。

日本と同じように出生前診断保険適用であるフランスにおいても、自費で検査をするため、ダウン症の出生数は減っているらしい。

よって、出生前診断保険適用効果はおそらく限定的であろう。

前述した通り、大半の障害出生前診断では分からないし、生きにくさのある人はとても多い。そしていつ私達自身障害を負うかも分からない。

社会的包摂重要とされる所以だろう。

2022-01-08

有益な女らしさってなに?

有害な男らしさはよく語られていて、

それに伴って有害な女らしさや有益な男らしさについても語られてる気がするが、

じゃあ有益な女らしさってなに?

有益な男らしさは、「嫁や子供を養うこと」「共同体の下っ端を包摂すること」「危険仕事従事すること」などと認識しており

男たちはこれを受け入れていると考えている。

では、女たち自身が受け入れている有益な女らしさってなんだろう?

女たちは女として社会に何を提供するの?

2021-12-29

anond:20211229171051

このケースは難しいな…。

先にその子が、噛んでくる健常者いじめを始めたとも言えなくもない。

結果的に本人も噛みつきスアレスのようなネタキャラ扱いとなり、噛むこと自体にお咎めなしで済んだのであれば、一つの包摂の形なのかもしれない。

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