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2019-02-19

anond:20190218121803

客観(性)と主観(性)の違い。

「~は」は、描写客観的。

「~が」は、強調。語り手の主観的な表現に寄る。

2019-02-18

どう見ても恋人がいる男性キャラにだけは

ボーイズのラブをさせたくないんだけど腐りきった脳みそが絶え間なく男同士をくっつかせようとしてきて、ああもうだめなんだなと思った

作中で女の子を好きな描写があっても片思いなのであればボーイズラブへの可能性や余地はあるかもしれないが(普通の人からみたらないかもねすまん)、付き合ってたり、挙げ句の果てには結婚したりなんかしてる男性キャラクターが嫁を差し置いて男の友達ライバルや同僚なんかと恋仲になるかよ、いやなるわけないだろって思うよ

なるわけないだろ!

たいていの作品公式公認の男女カップリングは大好きで、みんな死ぬまで幸せになれよと心から思う反面なんとかして同時並行で男性キャラクターとくっつかせたくなる

どういう過程でくっつくのかをあれこれ悩み悩み悩み考える時間は非常に楽しく腐女子の腕の見せ所である反面、なんて無駄時間を過ごしているんだろうという気がしてならない

anond:20181006171453

そりゃ、あれだ、ラノベ自然主義というか、現実描写に徹しているからだろう。

セックスみたいな実際に存在するかどうかもわからない都市伝説は扱わないってことだろう。

2019-02-16

「すん…」

って擬態語?(擬音語ではないよね) 最近漫画でよく見かけるようになった

急に冷めるシーンとか相手に呆れるシーンとかしらけるシーンとか

あと相手の言う事にはっとして納得するシーンとか主にネットで連載してるようなコメディ漫画結構見るんだけど

わーこれ若い人の新しい文化だな~~!!!ってめちゃくちゃ思ってる 新しい漫画用の表現が生まれ黎明期を目撃してる気する

好きか嫌いかは今のところは別としてこれからだんだん馴染んでいくようになるんだろうか

私はもうそんな若くないのでこの「すん…」の正しい用法複数漫画読んでても未だにわかってないんだけど

誰か若い人か詳しい人で知ってる人がいたら教えてほしい 

追記

ごいたくさん教えてくれてる人がいる!ありがとうございます

から「しーん」「シーン」は沈黙を表す表現として数多くの漫画で見かけるけれど

それとはちょっとニュアンスが違う感じなんだよね

突拍子もないことを言った人や世間知らずだったり常識外れな行動をした人にあえて沈黙遠い目で反応するコマとか

まりのことに相手に呆れたり急に真顔になってしらけたりして「あっそう…」みたいな感じで黙っちゃう

みたいなシーンのときギャグっぽい表現として使われてる感じ(pixivコミックとかでよく見かけます)

ポイントは「急に黙る」だと感じてるんだけど、ブコメにもあるけれどトラバ


>むかしから、「うんともすんとも言わない」って表現あったじゃん? あの「すん」が単独で使われるようになったんさ。


>「すん」の意味とは?

冷たい態度をとるさま。

内心では関心がありながら表面的に関心のないふりをするさま。

しなやかで、張りのあるさま。

用例

「すんとした表情で見られる」

「いつも彼女はすんとしている」

というのを読んで

あーなるほど言われてみればだよねと思った わかってみれば納得って感じの表現なんだなあ

「うんともすんとも」を思い浮かべない状態では画面に描かれている言葉人物能動的な行動を表していると思えるので

「何も言わないで静まり返っている」みたいないわゆる「シーン」と同じような表現とは思わなかった

現状ではそこから一歩進んでその描かれてる「特定人物」が「急に黙る」

というアクション擬態語として成立してる気がしてる

元は古くからある表現でも創作物とかツイートで見かけるようになったのはごく最近から

それまでは一般的ではなかった表現だってことだよね(昔からあるのを私が観測してないだけかもしれないけれど)

たくさんの人が使うようになる最初きっかけはなんだったんだろう

広がるということは多くの人の腑に落ちる表現だってことだよね すごくおもしろいです


あと「しゅん…」「シュン…」は「しょげかえって黙ってしまう」というニュアンスがあるので「すん…」とはちょっと違うかなあ

それからからある方のカタカナの「スン…」は登場人物が静かに鼻をすすりながら涙ぐむ、というとき擬音語だと思うので

最近広まってきた方のひらがなの「すん…」とは基本的には多分使われ方の違うものだと思うのでした(作者の意図にもよるでしょうが)

追記2↓

言葉として前からあったかというより、それが擬音として膾炙したこと時代性なんではないか


ほんとそうだなーと思います おもしろいです

描き手の方っぽいブコメも読んでなるほどなー!ってなってます 教えて下さってありがとうございます

私の言語化があまりうまくなくて的確な説明ができてなかったんだけどまさにこういうシーンで使われてるな!

っていう読み手感覚としてもぴったりな説明ブコメトラバにいくつかあったので引用してエントリを終わります

テンション下がる系描写

>すん は興味がなくなり落ち着いた様子を表してると思うけどな 賢者状態からエロ要素を抜いた表現だと思う

>顔から表情が抜け落ちるさまを表現してるのだと思ってた。

キャラクターが「しゅん…」とした時にできるようなすっと下がるような間を描きたいけれど別にしょげているわけではない、

 というときに使うよ/正規意味はしらないよ雰囲気だよ/平仮名でもカタカナでもいいよ

>「シーン…」は状態。「すん…」は変化。つまり沈黙状態が「シーン…」で、沈黙への以降が「すん…」。/個人的にはこんな認識

>すん【スン、すん…、スンッ】 類義語または語源:しゅん、シーン ①言動感情などの激しさ、勢いが急速におさまるさま。

感情場の空気などが冷めるさま。一気に消えるさま。 という認識


このあたりの感覚が「すん…」が使われる状況の「感じ」として

供給側受け取り手側でだんだん共有されて漫画表現として馴染んでいくのだろうなと思いました

バミューダトライアングル ~カラフルパストラーレ~の物理化学

バミューダトライアングル ~カラフルパストラーレ~(以下バミューダ)というアニメ放送中だ.元ネタがいろいろあるらしいが,知らなくても楽しめる.私は楽しめている.とても良い日常系アニメであるし,物理化学的な示唆にも富んでいる.

一方で,一般視聴者の評評価は必ずしも良くはない.理由として,絵がさほど美麗でないことと,ある描写が多くの人に受け入れられないことが挙げられる.

バミューダは,人魚少女田舎の町で様々な経験を通して成長をしていく物語だ.登場人物人魚であるから舞台は海中だ.

ところが,バミューダは,舞台が海中であるにもかかわらず,水が登場する.海中でお茶を飲んだり,風呂に入ったり,水槽を構築してアクアリウムをおっぱじめたりする.お茶からは湯気が立ち上る.海中であるにもかかわらず液体を扱う様は,我々の一般常識からは非常に奇妙な描写に映る.

この描写があるため「制作陣はこんな矛盾にも気づかないのか」「ヤバすぎる」「幼稚園からやりなおせ」という声は根強い.しかしながら,海中の水はしつこいほどに頻繁に登場する.何人ものプロフェッショナル長期間仕事として向き合った結果作り上げられた作品に,そのようなミスが致命的なミスがいくつも残されているとは考えにくい.海中で水のように振る舞う物質は,制作からの何らかのメッセージであると考えるのが自然である

そこで,物理化学的な視点からバミューダに現れる「海水中の水」について考察することとした.

  

海水が水である場合

人魚という,人間常識から考えれば非科学的な存在が登場する本作である海水と思われている物質地球海水と同じ成分ではない可能性は十分に考えられる.しかし,ここでは海水として描写されている流体が地球海水類似した成分(無機塩類の水溶液)だったとしよう.

海水中で水のように振る舞うための条件を以下に示す.

 a,海水に溶解しない

 b,海水よりも比重が大きい

 c,透明であり,海水屈折率が異なる

 d,粘度が十分に低い

これらを満たす物質は無数にある.

1,ハロゲン化アルキル

サスペンス映画で大活躍するクロロホルムは水にほとんど溶解しない.また,密度は1.48g/cm3であり,海水に対して沈む.透明であるし,海水屈折率が異なるし,粘度も極めて低い.したがって,クロロホルム海水中で水のように振る舞うことは十分に考えられる.親しみやすクロロホルムを例に出したが,クロロホルムアナログである四塩化炭素ジクロロメタンも同様に振る舞うだろう.他にも,ハロゲン化されたアルカン(炭化水素)は水よりも比重が重い場合が多いので,同様に振る舞うだろう.地上では常温で気体になる物質であっても,海中では水圧の影響を受けて液相を保つ場合が考えられる.多くのハロゲン化されたアルカンは水よりも比重が大きいため,a-cの条件を満たす可能性は十分に考えられる.また,湯気に関しては,高温のハロゲン化アルキルが海水に溶解する際の濃度変化による屈折率の変化だと考えることができる.

2,イオン液体

イオン液体は常温で液体の塩(エン)である.水やエタノールガソリンのような通常の液体は電荷(静電気のようなもの)を持たない分子から構成されるが,塩(エン)であるイオン液体はそうではない.塩(エン)は,分子ではなく,分子プラス電荷(静電気のようなもの)をもった陽イオンと,マイナス電荷を持った陰イオンから構成される物質だ.親しみのある塩の例として,塩化ナトリウム水酸化ナトリウム重曹などがある.このような身の回りの塩は,プラスマイナス電荷がお互いに強く引っ張り合うため,どれも融点が数百度と高い.100年前までは,塩(エン)は常温では個体であると考えられていた.一方で近年注目されているイオン液体と呼ばれる物質は,塩であるにもかかわらず室温で液体である蒸発しない,燃えにくい,電気伝導度が高い等の特異的な物性を示すため,バッテリーなどへの応用が期待されている.

イオン液体の多くは水よりも比重が大きい.また,アルキル基が長い,電荷が非局在化されいるなどの理由から疎水性が高い一部のイオン液体は極めて水に溶けにくい.塩濃度が高い海中ではなおさら水に溶けないだろう.

 

海水が水ではない場合

液体を見ると水だと思ってしまうのは,人間特有固定観念だ.人魚が登場する世界では,そのような固定観念は完全に排除する必要がある.そこで,海水だと思っていた物質が,実は海水ではない流体であった場合を考えよう.

1,海水メタンであった場合

気圧の関係からメタンが液体として存在する惑星は多い.メタンは燃焼してしまうと考える人は多いが,大気酸素を含む惑星はそれほど多くない.生命の星である地球はともかく,多くの惑星で,大気の主成分は二酸化炭素メタン水素ヘリウム等の単純な物質であるバミューダ舞台もそのような惑星かもしれない.メタンの海を有していれば,メタンに溶解しない水はまさしく水のように振る舞うだろう.また,メタンと混和しない有機溶媒は無数に存在する.海がメタンで,海の中の水がそのような有機溶媒である可能性も指摘できる.

2.海水石油様の物質であった場合

バミューダ惑星大気圧が1気圧前後だったとしても,有機物の海が存在する可能性は十分にある.例えば,地球においても石油は液体として存在する.海が石油のような炭化水素構成されていたとすれば,メタン場合と同様に,海水の中の水の存在説明できる.その場合,5話で登場した海中で降る雨の存在説明することができる.また,ひじきを干す描写は,ひじき中の水分を石油様の物質拡散させていると解釈することができる.

以上の考察から,「海中なのに水が登場するのはおかしい」という指摘は,人間世界固定観念に囚われた視野の狭い発想であるといえる.作品理解観点からバミューダ惑星地球とは異なる環境天体である可能性を視野に入れることは極めて重要である(実際,あの星は地球ではないらしい.元ネタを知らないのでわからない)

バミューダトライアングルカラフルパストラーレ~は,dアニメストア等で配信である.今期で一番おもしろいので,是非視聴しよう.

anond:20190216024920

漫画に限ってるからなのか知らんけど、途中がすっ飛ばされてるのが気になるなあ

ゲイ雑誌のコーナーからいきなり「百合」って言葉が普及するはずもなくて、

その間にはポルノ映画セーラー服百合族」(1983年)のヒットが有る

アダルトアニメ元祖とも言うべき「くりいむレモン」(1984年)では

1作目は妹モノだったが、2作目に女子校舞台にしたレズ作品が出ていることから

そういう需要が高いとみなされていたことはわかる

まあ、80年台のOVA等で展開された女の子中心の作品で、本格的なレズ描写があるものほとんどないのだけれど

プロジェクトA子とかガルフォースとかのような感じ)

そのへんの流れで見たら、美少女戦士セーラームーンは、80年台OVAテイスト

少女漫画の皮をかぶせて地上波ゴールデンに乗せたものとも言える

とかなんとか

知り合いが赤毛のアン小公女セーラ百合同人誌描いてたのを見てたか

90年台になってにわか百合ジャンルが現れたみたいな話になるのはどうかなと思って書いてみた

百合ジャンル歴史現在 後

承前

https://anond.hatelabo.jp/20190216024920

 そして2018年現在百合ジャンルはその定義をやっと安定したものとして確立し、内部で属性の細分化が進行している。「少女小説」にルーツを持つ「正統派百合」や「セーラームーン」にルーツを持つ「戦闘美少女もの、多数のメディアミックス作品からなる「アイドルもの、「アイカツ!」や「プリパラ」の代表的女児向けアニメ本編での百合的な描写など、ひとことに百合といっても多岐にわたる作風や絵柄、対象層の想定の下で日々多くの作品創作されている。この流れを示唆するのが、2017年からみられるようになった細分化された特定百合ジャンル作品掲載したアンソロジーの発刊である。例としては、おねロリ(お姉さん×少女カップリング限定したアンソロジー)、社会人百合(学生設定の多い中、ヒロイン二人の年齢を成人以降に限定したアンソロジー)、夢(一人称視点ストーリーが進行し、主人公としての読者とヒロイン恋愛が描かれるアンソロジー)などがある。また、少年誌で連載されていた百合マンガアニメ化が続々と決定し、各書店百合特設コーナーが作られるなど、確実にやおいBLコンテンツと肩を並べられるまでの規模に成長しつつある。さらに、「ユリイカ」「ダ・ヴィンチ」といったオタク向けでない雑誌においても、「百合」が特集されて取り上げられることもあった。これらによって百合ジャンルは読者層をどんどん広げ、境界線の明確なものではなく、あらゆる作品エッセンスとして取り入れられるように変化してきているといえる。

まり2000年初頭にみられた「百合」論争とファン同士の対立とは逆に、ジャンルの細分化によっていい方向に百合という概念拡散してきているといえよう。女性男性議論を重ねながら平等構成している百合ジャンルは、マンガジャンルの中でも特異な体質のものだ。しかし、やおいBLジャンルに関する研究は数多くみられたが、百合GL ジャンルに関する研究現在ユリイカ掲載されたもののみである。今後、さら百合ジャンルが広まっていくにあたり、読者分析や内容分析によってさらに細かい分析をするに値する分野だと考えられる。特にマンガという表現形態だけに限らず、各時代代表する百合作品時代背景を踏まえ、ジェンダーフェミニズムといった視点からのより詳細な分析必要性を感じた。

<参考文献>

川崎賢子, 2014,「半壊のシンボル――吉屋信子百合欲望共同体」『ユリイカ12月号:42-49

上田麻由子,2014「内なる少女を救い出すこと――『シムーン』の孤独連帯」『ユリイカ12月号:190-198

藤本由香里「『百合』の来し方――『女同士の愛』をマンガはどう描いてきたか?」『ユリイカ12月号:101-109

アライ=ヒロユキ, 2015,「オタ文化からサブカルへ――ナラティヴへ誘うキャラクター繊研新聞社

<本文中で紹介した作品><単行本

吉屋信子, 1925,「花物語洛陽堂 『少女画報』掲載

山岸涼子, 1971,「白い部屋のふたり集英社 『りぼんコミック掲載

池田理代子, 1972-73,「ベルサイユのばら集英社 『週刊マーガレット掲載

池田理代子, 1974,「おにいさまへ…集英社 『週刊マーガレット掲載

武内直子, 1992-97,「美少女戦士セーラームーン講談社 『なかよし掲載

さいとうちほ, 1996-98,「少女革命ウテナ」小学館 『ちゃおフラワーコミックス掲載

介錯, 2004-05,「神無月の巫女角川書店 『月間少年エース掲載

サンライズ佐藤健悦, 2004-05,「舞-HIME-」秋田書店 『週刊少年チャンピオン掲載

なもり, 2008-「ゆるゆり一迅社 『コミック百合姫S』・『コミック百合姫』掲載

えばんふみ, 2010-2011,「ブルーフレンド」集英社 『りぼん掲載

白沢まりも, 2011,「野ばらの森の乙女たち」講談社 『なかよし掲載

アンソロジー

2017,「パルフェ おねロリ百合アンソロジー一迅社

2018,「あの娘と目が合うたび私は 社会人百合アンソロジーKADOKAWA

2018,「百合+カノジョふゅーじょんぷろだくと

雑誌

2003-05,「百合姉妹」ムック

2005-,「コミック百合姫」一迅社

2007-2010,「コミック百合姫S」一迅社

2007-2011,「コミック百合姫Wildrose」一迅社

2007-2014,「コミック百合姫」一迅社

2018,「ダ・ヴィンチ 3月号」KADOKAWA

テレビアニメ

2011,「魔法少女まどか☆マギカ

2012-2016,「アイカツ!サンライズバンダイナムコピクチャーズ

2014-2017,「プリパラタカラトミーアーツシンソフィア

あとがき

 これを書いたときはやが君アニメ化前だったので取り上げなかったな~と思うと感慨深い。あとファン考察が雑で本当に申し訳ございません。いつかしっかりやろうと思います

百合ジャンル歴史現在 前

 本稿では、BL/やおいと比べ論じられることの少なかった「GL/百合ジャンル確立歴史と、その現状について考察する。

 はじめに、「百合」というマンガアニメにおけるジャンルを示す言葉概要説明する。「百合」とは主に、女性同士の恋愛と、それに満たない関係性も含めて描いた作品ジャンルを指す。川崎によれば、定説として語源ゲイ雑誌薔薇族」に由来する。男性同性愛を指す「薔薇族」と対になるよう、女性同性愛者を「百合族」と呼称した「百合族の部屋」というコーナーが1976年から不定期連載されるようになったのが始まりであるとされる(川崎2014:44)。当時はレズビアンを指す用語だったが、徐々にサブカルチャーに輸入され女性同性愛を扱った作品群を呼称する言葉に変化していった。

 まず、日本での「百合」のマンガジャンルとしての成立について述べる。そもそも大正ごろの日本においてマンガとしての形態以外で女性同性愛テーマにした創作物としては、性描写過激男性向けポルノか、少女向けの小説に二分されていた。特に女学生同士の姉妹関係エス」をテーマにした少女小説金字塔として、「花物語」(1925)などが代表される。しかし、大正時代少女文化として流行した「エス」の概念現代の「百合概念とは違い、上田は「自覚的女性を愛することを選択したというよりは、良妻賢母になるための安全なる予行演習という側面もあった」と述べている。(上田 2014:192)

マンガが発展し、女性同士の関係性を主題とした最も初期の連載作品1970年代ごろから山岸涼子「白い部屋のふたり」(1971)、池田理代子おにいさまへ…」(1974)、「ベルサイユのばら」(1972-73)のオスカルロザリーなどにみられはじめる。これらは、「24年組」に代表される少年愛テーマとしたマンガと同時発生的に少女マンガ誌に掲載されたものだ。藤本は、このころの百合マンガの大きな特徴として

 ①対照的な二人の容姿(中性的・くっきりとした美人可憐少女イメージ)

 ②演劇モチーフ(宝塚歌劇の影響)

 ③悲劇的なストーリー(少年愛を扱う作品対照的同性愛による葛藤描写)

を挙げている(藤本 2014:101)。これらの特徴は、1970年代女性の抱えていた抑圧感を反映していたものなのではないかと考えられる。女性作家による「少年愛」が現実の抑圧から解放として、性的未分化存在(少女)の何物にも縛られない感情の動きを描写したものなら、このころの「少女愛」はそれと対照的に、抑圧からの逃避としての悲劇的な結末が設定されることが多かったのではないだろうか。表現手法舞台設定は耽美幻想的でありながらも、当時の日本での女性のおかれる立場に忠実な閉塞感が描写されたものだと考えられる。また、この時代百合マンガ少年愛ほどの大きなムーブメントには発展せず、作品数も多くはなかったため、自然消滅的に衰退していった。

 しかし、1990年代同人誌文化の発達に伴い、百合ジャンルも急速にその勢いを復活させる。

まず、「美少女戦士セーラームーン」(1992-97)によって、女児向けマンガにおける戦う美少女という概念ジェンダー論的な観点においての大きな転換点となる。異性愛的な要素が物語の中心に関与していたにもかかわらず、同人イベントではセーラー戦士同士のカップリングを描いた作品が爆発的なブームとなった。その理由として考えられるのは、消費される客体としてではなく主体としての戦う美少女像が確立されたことではないだろうか。これにより、百合的な描写70年代における悲劇的な結末に向かう物語ではなく、少女が二人で主体的に幸せを獲得していく過程が重視されるようになっていったと推測できる。

そして、物語の中の関係から百合文脈を汲み取っていた時代から、前提として百合のもの主題においた作品も増加していく。代表的なものとして、「少女革命ウテナ」(1996-98)がある。この作品は、古典的少女マンガシンデレラストーリーを基盤に「王子様」と「お姫様」を少女同士に置き換えてなぞりつつ、70年代百合作品に見られた演劇的なモチーフや学園モノ、男装美少女といった設定を取り入れ、また絵柄としても耽美で繊細なものであったが、これらは意図して行われたパロディ化された演出だった。ストーリーの結末も、最終的には二人が離れ離れになる点は悲劇的にも取れるが、その後ヒロインたちの再会が示唆されている。アライによると、「王子様」と「お姫様」が結ばれてハッピーエンド、という構造少女同士で反復するだけではなく、最終的にヒロインたちは「王子様」と「お姫様構造破壊し、自身覚醒させ歩き出すことで、社会的女性規範を打ち砕くことができるのだ。(アライ 2015:57)それこそが「世界革命する力」であり、この結末によって投げかけられたのは、異性愛規範や家父長制へのアンチテーゼと、黒人女性解放運動日本女性ウーマンリブ運動などの背景を踏まえた社会的メッセージだった。

これらの2作品によって、社会的な動きと呼応した百合マンガの潮流が形作られはじめる。「セーラームーン」も「ウテナ」も少女マンガ誌に掲載されており、本来ターゲット層は10代の少女対象にしていたと考えられるが、ここでのプラトニック少女たちの絆がオタク層にも受け入れられ、恋愛的な文脈解釈した成年層による二次創作が爆発的に流行する。これと同時に一次創作オリジナル同人誌においても、「百合」という概念が定着しはじめ、少女同士の恋愛主題にした作品がみられるようになる。

 そして2000年代に入ると、マンガジャンルとしての百合を専門に掲載した「百合姉妹」(2003-2005)が発刊される。その後、「コミック百合姫」(2005-)に統合され、現在刊行中。専門誌の発刊は大きなジャンルの発達の手掛かりとなり、この雑誌に連載されていた作品アニメ化や二次創作流行によって、「百合」というジャンルがはっきりと定義されはじめ、広く認知されるようになっていく。しかし、その定義に関して「男性が主要人物として登場し、恋愛関係に介入する」「性的関係が生じた場合百合ではなくポルノ」などといったさまざまな議論が巻き起こったのもこの時期である

また同時期に、「神無月の巫女」(2004-05)や「舞-HIME-」(2004-05)などの少年誌で連載される百合作品が登場する。これらの作品は、少女マンガ作品よりも直接的な同性間の恋愛としての描写性的表現が強く押し出されていた。ここから現代男性向けと女性向けの要素を同時に内包した現代百合マンガ形態確立しはじめたといえる。2007年には、前述した「コミック百合姫」の姉妹紙として一迅社からコミック百合姫S」と「コミック百合姫Wildrose」が発刊。「S」は本誌よりソフトで繊細な関係性の百合を扱い、なもりゆるゆり」(2008-)が代表するような「日常系百合」の流れを作った。一方「Wildrose」は、それまで成人向けポルノとしての過度な性描写忌避されがちだった(厳密な定義での「百合」ではないとされる議論があった)当時の風潮の中、直接的な性描写掲載した作品を扱う専門誌として独立した挑戦的な試みだった。

 ここで、2008年に行われた「コミック百合姫」の読者アンケートを参照してみる。2008年7月号時点の『コミック百合姫』読者の男女比は男性27%、女性73%であるのに対し、『コミック百合姫S』の方は男性62%、女性38%となっている。つまり現在統合された「コミック百合姫」の購買層は、この男女比を単純に平均すると男女差はほぼ半々で、やや女性読者のほうが多いということになる。ここでは百合マンガの購読層を性別と消費の形態に4つに分類して考察した。

①「傍観」型女性

 女性購読層において基本的には、社会的比率を前提にすると異性愛女性のほうが多いと考えられる。彼女たちは少女同士の関係性に、「現実における異性愛ジェンダーロールによる苦痛から隔絶された「非現実的な同性間による越境快楽」を心の拠り所として愛好するのではないだろうか。なおこれについては、やおいBL ジャンルを愛好する女性においてもほぼ同じ理論適用できる層が存在すると思われる。

②「投影」型女性

 百合というジャンル性質上、他の恋愛形態をメインとしたジャンルよりもレズビアンバイセクシャルを自認する女性が購読層に多い傾向にあることは考慮するべきである彼女たちは、異性愛女性が「少女マンガにおけるロマンティクラブ」を夢見るのと同じように、自身性的指向に一致した自己投影先として「百合マンガにおけるロマンティクラブ」を享受していると考えられる。

③「傍観」型男性

 百合自分投影先の存在しないストーリーを消費するものとして受け取っている購買層。①「傍観」型女性とほぼ同じ論拠が適用できると考えられる。

④「投影」型男性

 百合マンガ登場人物自己投影する男性は、ジェンダーロールから解放と、女性との恋愛の疑似体験を同時に達成できる。この購読層の性的指向に関しては、社会的比率として異性愛男性が多いと思われるが、異性愛コンテンツNL)ではなく百合GL)を愛好する彼らに関しては、③「傍観」型男性よりさらに複雑な感情ルーツを持っていると考えられる。また、TS願望を持つ男性MtFとは区別する)や、同性愛男性共感を持って少女同士の関係性を愛好する例も、この枠にひとまず収めることとする。

⑤「乱入」型男性

 特に男性向けの性的描写の含まれ百合マンガ等においては、その世界の中に没入し登場人物の中に「混ざりたい」という観点で消費する層も存在する。これは上記の4つの例と異なり、少女同士の関係性ではなく「(男を知らない、穢れのない存在として描写される)レズビアンである少女を自らの男性性によって屈服させたい」というマウンティングによる性的欲望や、男性主人公やその代わりとなる女性キャラクター存在しない「ハーレムもの」といった受け止め方に由来するものと思われる。ただし、これらの男性百合ジャンルファンから忌避される傾向にあり、特に近年の百合主題とした作品においては減少している。

これらのファンがそれぞれ百合というジャンル定義について議論を重ね、各需要を満たすような創作物制作していったことにより、百合ジャンルが発展していった時期だった。

次に、2010年代百合文化を振り返る。このころに代表的な作品として挙げられるのはテレビアニメ魔法少女まどか☆マギカ」(2011)だろう。この作品は、「セーラームーン」にルーツもつ戦闘美少女系譜を受け継ぎながら、現代調に前提として百合意識して構成された作品ひとつで、魔法少女同士のカップリングを扱う二次創作が爆発的に流行した。

 また、少女マンガ誌において百合を扱った作品が満を持して再び登場する。70年代以降、異性間のラブストーリー(NL)に偏っていた少女誌において約30年ぶりに百合が復活した形で、「野ばらの森の乙女たち」(2011)や「ブルーフレンド」(2010―2011)が連載された。これらの作品は、少女漫画特有の筆致でありながらも明確な少女同士の恋愛関係としての描写があり、また両作品とも70年代のような悲劇的なラストを迎えることはない。少女向けの要素として、学園設定や疑似姉妹などの設定は残されているものの、これらは批判的なパロディというよりも前時代少女誌における百合作品に対する敬意からくるオマージュ解釈するほうがふさわしいだろう。これは近年において少年誌よりもジェンダーロールの強固だった少女誌界隈に百合ジャンルブームの波及がみられた、極めて注目すべき例である

<続きと参考文献リストこちら>

https://anond.hatelabo.jp/20190216025236

関係性を志向するファンダムのこれから 前

 本稿では、現在の「ファンオタク」が「関係性消費」を志向するようになってきているという事象を踏まえ、その内部の「男オタク」と「女オタク」のジェンダー格差や、関係性消費の今後について多角的視点から分析を試みる。なお、本稿においての「オタク」は、二次元三次元を問わずある作品概念グループなどを愛好すると自認している人々のことを指すポジティブ言葉として用いる。拡散多様化するオタク文化は2次元と3次元の壁を超え、全体像画一的に語るのはほぼ不可能なため、ジャンルジェンダーに関する詳細については各部で詳細を補完したい。

1【現代オタクデータベース消費から脱却する】

日常系が売れるのは「関係性」を読み取れるから

 「日常系」は広大なオタク市場の中でもかなりの割合を占める作品群だ。基本的には複数女性キャラ日常生活描写した4コマ漫画が多く、それを原作としたアニメ2010年代以降各クールに2~3本は放映されている。基本的ドラマティックで壮大な展開や激しい戦闘を行わない、いわば反「セカイ系カルチャーともいえるだろう。源流としては美水かがみらき☆すた」(2004)や、なもりゆるゆり」(2008)などが代表的ものとして挙げられるだろう。00年代初頭から現代まで増加傾向にある「日常系」は、現在も各メディアで売れ続けている。この背景には、やはり弛緩した日常風景の一瞬・ごく短いセリフや1コマのシーンの行間を読む関係性消費への志向への高まりが一因であると思われる。日常系の「物語性のなさ」は、逆に巨大な「行間」を生み出し、そこにオタクが各々関係性や物語想像して消費することができるからなのではないだろうか。

・「行間を読む」相関図消費の“複雑さ”への萌え

 関係性消費について、2,5次元舞台での「リアリティ担保に参加しつつ、舞台裏も消費するファン」や、「タカラジェンヌの四層構造」(東 2015:96-98)*1 で取り上げられた「各レイヤーを横断し、その要素を複雑に融合させながら関係性を消費するファン」は非常に興味深い。これに似た位相にあるコンテンツに、「バーチャルYouTuber」が存在する。「バーチャルYouTuber」とは、2D3D二次元アバター現実の肉体の動きとシンクロトラッキング)させ、そのキャラとしてゲーム実況雑談配信などを行う人々の事を指す。そもそもYouTuber」の動画には前提とされる物語世界観はなく、その動画単体でも楽しめることが前提とされており、多くのバーチャルYouTuberも同じく、上記の「日常系」にも通ずる他愛もない放送を行っている。しかしここにおいて重要なのは、「日常系」を「実在人物が演じる」ことがコンテンツとして確立し、今流行していることである難波優輝は「Vtuberの鑑賞の構成要素は、パーソン、ペルソナキャラクタという三つの身体に分けられる。そして、ペルソナキャラクタ画像がつねに重ね合わせられ、かつ、パーソン/キャラクタとペルソナの層がそのつど関係づけられながら、装われるペルソナが鑑賞者の鑑賞の対象になっている」(難波 18:121)*2 と論じ、これを「Vtuberの三層構造」と名付けている。

そしてバーチャルYouTuberは、電子の肉体によって軽々と他のバーチャルYouTuberとの関係性を構築する。コラボ放送などでみられる仲睦まじい様子を、鑑賞者は「Vtuberの三層構造」を横断し、「彼/彼女らのパーソンのレイヤーでの関係性」が見え隠れする片鱗をSNS動画において意識しながら鑑賞しているのである。また、バーチャルYouTuber側も当然「パーソンを消費される」ことに対する意識を持っているため、現実世界でパーソン同士が実際に会い、その時食べた飲食物画像投稿する、それに対して「パーソン・レイヤーにおいても継続される強い関係性」を読み取れるようになる、といった事象もあった。これはまさにタカラジェンヌの四層構造における「芸名存在」におけるパフォーマンスと相似であり、その表象が3DCGやVR機器の発達によりさらに「オタク」向けに変化(美少女美少年だけに限らず多様化)したものではないだろうか。「日常系」と「関係性消費」の拡張であり、またジェンダー次元の攪乱への大きな手掛かりとなるムーブメントだと考えられる。

まり、「実在人物が裏に存在するという事実に裏打ちされた生々しい日常系関係性」が、液晶内のキャラクタバター動画配信という形態の手軽さにより、オタク関係性消費への志向次元を超えてさらに加速していくと予想できる。

2【やおい文化百合文化から読み解くオタクジェンダー格差

関係性消費における性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)の無意味

 前章で関係性消費への志向さら高まると予想したが、本章ではオタクジェンダー格差について女性向けジャンル男性向けジャンルという分類の持つ意味合いやその内部の消費形態差異があるのだろうか。

もちろんHL(異性愛文化を扱う少女マンガ少年マンガにおいても恋愛友情ライバルなどの相関図は存在するが、メインとなるカップル男女の恋愛関係がメインに据えられることが多い。一方BLGL文化ではそれ以外の登場人物関係性をより深く読み込み二次創作に落とし込む、あるいは理想の相関図を一次創作で描き出す。今後どんどん規模を増していくであろう関係性消費においては、性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)は無意味になっていくのではないだろうか。しかしここではあえて、わざわざラベリングされている「腐女子」と「百合男子」という言葉意味合いについて掘り下げ、BLGL同性愛ファン文化それぞれの特徴から考察してみたい。

・「腐女子特有の親密さ

女性オタク人文学社会学研究に関しては、特に腐女子論」か「ジェンダー論」による先行研究が数多くある。その中でも数多く散見されるのは、「主体的女性性的欲望解放」といった視座からの言説であった。特に腐女子論」と「ジェンダー論」を組み合わせた言説では、「自らの女性身体が侵されない安全領域において、性的表象を消費するためにやおい文化は発達した」といったもの存在する。しかし、現在においてこれらの言説に私は違和感を感じる。勿論そういった側面も確かに存在する(した)と思うが、現在日本混沌としたオタクカルチャーの中で女性オタクの中から腐女子だけを切り取って上記のように論じるのは既にごく限られた一部の事例においてしか適用されない理論であるように思う。

 今あえて「腐女子」を論ずるならば、私は「腐女子同士の関係性」に目を向けたい。腐女子であることによる世間からマイナスイメージ払拭しようとしたり、イベントSNSでの趣味スラングの共有による特殊連帯が、このコミュニティでは無数に形成されている。やおいコミュニティ特殊性について東は、「やおいを好む女性たちは、一様に異性愛から疎外されているわけでも、異性愛を拒絶しているわけでも、異性愛を欲しているわけでもない。彼女たちはただ、異性愛排除したところで成り立つ、女同士のホモソーシャルな絆がもたらす快楽を求めているのである。」(東 2015:236)と述べている。さらに、腐女子は扱う創作物特性セクシャルマイノリティに対する理解が深く、またホモソーシャルな絆から発展し、腐女子同士が交際していることなどもよく小耳に挟む。シスターフッドレズビアン連続体、ホモソーシャル関係性を含んだ腐女子コミュニティは、作品上においても現実世界においても強い「関係性」を追い求めている集団なのではないだろうか。

・「百合男子」はなぜ流行らなかったのか

 では次に、GLを愛好する男性オタクについて考察してみたい。残念ながら、男性オタクの先行研究は数多くとも、その内容は美少女キャラクタへの欲望コミケでのゆるやかなホモソーシャル交流などになり、「百合男子」単体にスポットライトを当てたものは見つけられなかった。なぜなら、GLというコンテンツ受け手ジェンダーによって大きくそ意味合いが変化してしま場合があるからである。そして男性GL愛好者は、「美少女キャラクタへの性的な消費」という使い古された言説の中に含まれ見えなかった存在であり、その消費の仕方は齊藤によって「腐女子との比較でいえば、男性おたくの『萌え』にとっては、関係性のプライオリティはそれほど高くない」(齊藤 2009:154)*3 と評されていたのだ。よって、ネット上でGLを愛好するファンは「百合厨」「百合豚」などと呼称され、その性別限定されていない。これはGLというジャンル男性けが消費することに対することが上記齊藤の言説のような文脈を帯びてしまうことに対する対策と、実際にファンの男女比がほぼ半々であるため、両方の理由によるものと思われる。逆説的に考えれば、「腐女子」という呼称流行ったのはBLというジャンル女性が消費することを蔑視されることに対するアンチテーゼとして、BLファン当事者たちが自らをそう名乗ったことに起原するのではないかとも考えられる。

 また、百合コミュニティにおける異性愛忌避姿勢は、腐女子コミュニティのそれに比べてはるかに厳格なものに感じられる。先に述べた「男性による女性キャラクタの性的消費」とは違うことを宣言するために「百合男子/厨」を名乗った男性オタクたちは、腐女子のようにホモソーシャルな絆を構築することはなく、二次元三次元を問わずして異性愛的な欲望を抑圧されるようになった。この構造腐女子ジェンダー論に見られた主体的な性消費の解放とは真逆の道を辿っており、非常に面白い点だと思っている。

関係性消費によるジェンダー越境可能

 こうして述べてきたように、同性愛コンテンツファン構造は非常に複雑で特殊ルールの基に成立している。しかし、上記性的欲望を抑圧される百合男子に関しては、百合というジャンルの男女比がほぼ同じであることに大きく由来するだろう。つまり、「同性愛コンテンツを扱うにあたり、そのファン異性愛忌避しなければいけない」といった暗黙の了解のようなものオタクの中で存在しているということである。これに関しては、創作物消費者セクシャリティは隔絶して考えるべきであるという立場をとりたい。そして、特殊連帯プラスにもマイナスにもなり得るBLファン界隈と、ジェンダー問題に揺れるGLファン界隈は、第一章で述べたバーチャルYouTuber関係性消費をモデルとして再構築されつつあると考えている。バーチャルYouTuber関係性消費は、非常に複雑なジェンダー攪乱が日常的に行われている。パーソンがシス男性ペルソナシス女性キャラクタがシス女性キャラ同士の「絡み」は、GLともBLともタグ付けをすることが難しい議論になってくる。しかし、その関係性に惹かれるファンキャラクタとパーソンのジェンダーを軽々と越境し、その複雑な「関係性」を消費することができるようになるのである。これに似た現象アニメ漫画においても進んできており、創作物受け手ジェンダー必要以上にファンを語るうえで関係づけられることも少なくなっていくのではないだろうか。

【続きと参考文献リスト

https://anond.hatelabo.jp/20190216024058

2019-02-15

anond:20190215115659

そもそも多くの人が不快感を示す描写はやめよう、ってのがポリコレなので

同人二次創作世界は、元々は商業では出来ないような表現でも自由に好き勝手に出来るニッチアングラ世界扱いだったけど

メジャー化するにつれてそういった意識が薄い人も増えてるから

勿論世の中の意識も大きく変わっているし

かつ出版社がある程度守ってくれる商業と違って同人作家が一人で矢面に立たなければならないか

他人から批判されるようなもんは最初から描かんでおこ」って人も増えるし

金ではなく承認要求満たすためにやってる人も多いから、他人から批判されまくるんじゃ承認要求満たされないどころか傷つくだけだわ、ともなる

もっとも、批判されようが何だろうが全然かまわないという作家であれば、相変わらず何描いてもいい世界ではあるんだけど

anond:20190215114347

ほとんどの女ヲタオタク世界を辛い現実から独立したユートピアだと思ってるからフェミ二ズムとかペドフィリア批判とか、そういう「現実世界約束事」やそれを持ち込む人はスルーするのが圧倒的多数。「現実世界約束事を持ち込むのはおかしい」と、男ヲタではあまりないような反論を口に出してする人は一定数いるが、やはり大多数は存在無視

加えて、女ヲタ過激表現やるのはBLの人が圧倒的多数で、腐ェミは同族を悪く言わないことが多いのでそもそも嫌味とか刺激となりえないっていうか。

人権侵害描写を含む過激BLが苦手な女ヲタは腐ェミのダブスタを指摘し批判してるのを見たこともあるが、そもそも腐女子は女ヲタでは圧倒的マイノリティなので無視されている

そんな感じ

anond:20190215114347

もともとポリコレ的に微妙描写を苦手って表明する人が増えてきてる

昔みたいにBLが禁断の愛って言うのもいや禁断て何だよって風潮になってきてる

私の好物のモブレの後の本命とのお清めセックスも少なくなってきた

私は昔ながらのそこらの女よりも美しく純粋無垢な絶世の美少年

傲慢スーパーエリートイケメンに見初められて拒否しながらも心惹かれ

最終的には身も心もスーパーエリートに捧げる的なのが好きだから

ぶっちゃけポリコレとか勘弁してほしいとは思っている…

2019-02-14

性の【柏手の安】を追記するまでもないけど気になったこ

なんか1日目でなにもブコメつかなかったか放置してたらブコメついてて面白かった。

気になったブコメ

greenT 妄想の中なのになんで6p遠慮するんだ、ちんこ5つくらいついてる設定でいいだろ(不粋)

yutoma233 妄想の中で自分の体力を考慮する必要はあるのか?

triggerhappysundaymorning よく分からんけど二次元の嫁と妄想セックスすんだから何回でも出来ちゃう絶倫設定になさったらよろしいのでは?/オナニー連動型だと厳しいのか…(´・ω・`)

普通考慮するでしょ。

そんなどこまでも絶倫で便利な性器を持つことは妄想しか出来ないと思うけど、それって「自分」なのかなって思う。

自分はこういったらなんだけど、包茎なわけよ。そこで、口だけで包茎を剥いてくれるエロ描写って非常にえっちだと思えるわけじゃん。それは仮性包茎ならではなの柏手ポイントなわけですよね。

でも、ズル剥けの奴が「口だけで包茎を剥いてくれる」エロ描写を楽しんでたら「包茎でもないくせに楽しんでんのな」って思えるのが普通じゃないですか。

おねショタもそうだけど、ショタがズル剥けでかチンだと嫌なのってあまりにも幼少の頃の自分を重ねわせられないからだと思いますし、逆に、ふたなりってそもそもファンタジーなわけだからふたなりだけはどんだけデカくても批判がされない。

そういうメソッドで生きているか妄想自分身体を脚色するのは違うんじゃねーかなって思う。

脚色するのならせめて、「催眠アプリ」だとか「サキュバスの唾液は媚薬なので摂取すると絶倫なっちゃう」とか「博士発明分身できる」とかそういうアイテムがないといけないでしょう。

かに絶倫で巨チンでズル剥けってのは理想ではあるけど、それは俺じゃなくて、絵に描いた餅であり、別人でもあるわけ。

ちょっと強い言葉を書いてしまった。ごめん。でも自分は身の丈に合ったオナニーをしたいってだけ。それだけは伝えたかった。

 

tripleshot フィクションに対して、「流石に6Pは難しいから誰が良いか選ばなくちゃ」って自分を前提に思考を巡らせる回路がおれにはないんですが、主人公自分に置き換えて作品に没入するのってデフォなんすか…?

mosimosihtnsan tripleshot氏が「主人公自分に置き換えて作品に没入するのってデフォなんすか…?」って疑問を呈してるけど、私もそれ聞きたい。女性には少ないけど、男性はそういうタイプが多いと勝手に思ってるんだけど実際どう?

主人公風太郎は風太郎であって自分ではないと思ってるよ。

風太郎だったらそりゃ6Pできるだろうから自分自分を見つめて「6Pをしない」という選択をとっただけ。

風太郎という存在いるから「俺が二乃と四葉と五月とえげつないエッチなことをし始めても一花と三玖は風太郎と今までの話を歩むだろう」という安心もあるわけ。

これがもし自分風太郎であって一花と三玖を選ばなかったら一花と三玖が悲しすぎませんか?人の血が流れてるとは思えない選択だと思います

没入するなら、責任を持って全員を見るか、一人を選ぶかの二択で、それをしてないからこそ、3P,4Pで2~3人選ぶという事をしているのだと思います

 

・その他「柏手の安ってなんだ」というコメント

これは最初説明するべきでした。次回以降の増田に取り入れます

 

将太の寿司全巻無料について

皆さんの推察どおりで、これを読んだから「性の【柏手の安】」が出てきたというのはありますね。柏手の安が無意識に柏手をするのは、刺さるやチンピクとは少し違うような気がします。柏手の安が柏手をするのはなぜかと考えたら「おいしいよ」と作り手にアピールするためではないかと思ったのです。そういう意味で刺さるやチンピクは自分の中の感情ですが、性の【柏手の安】のことを客観的に見て「そうか、嬉しいのか」と自分に納得をさせてくれる。それが「性の【柏手の安】」だと思います

 

https://anond.hatelabo.jp/20190212102136

anond:20190214133741

戦闘描写に重点が置かれていない戦記物語なのであんまり気にならないですよ。

トントン拍子の異世界転生ファンタジーのほうが近いというのはちょっとわかる。

anond:20190214114625

無理やろ。車の中とかじゃ引っかかるし。おそらくバレルだけじゃなくてストックも切ってるんやろ?

描写ではバレルしか切ってなかったと思うぞ

てか、ここまで議論せな妥当性が分からんカスタムって...


ま、銃の件は置いとくとしてもほかのグダグダ展開やらクソBGMはどうしようもないわ

anond:20190214113233

シティーハンター初日に行ったけど面白いとは思えんかった

・敵がアホすぎる(昔はあれでよかったんだろうけど)

描写が雑(なんでソードオフしたショットガンで単発の弾を撃ってるの?何のために銃身切ったの?とか)

BGMがひどい(岩崎琢のおしゃれBGMと、無理やり使った過去作のテーマ曲が全く調和してない)

とりあえずこんなところか。期待外れだった

anond:20190214104610

デッサンがしっかりしている > 人間構造が不自然ではなく立体的な造形

人間構造が不自然なのと立体描写力は全然違うことだろ

例えばミュータント身体を立体的に描写した絵はお前の定義でどうなるんだよ

見栄えが良い > 意図する/意図しないに関わらず、人間構造が不自然で平面的な造形だが、記号としては非常に美しい

ガバガバすぎる

人体構造自然で見栄えがいいことはありえないのか

anond:20190214103411

ここで言うデッサン美大生や美大受験生が取り組むようなデッサンのつもりだよ

じゃあたとえば「石膏や裸婦や静物鉛筆木炭を使って8時間ぐらいかけて描写する」ってことね?

ほんとに君それやってんの?

または、君の評価する萌絵イラストレーターはみんなそれやってると思うの?

2019-02-12

ルパンレンジャーVSパトレンジャーの偉業

1年間子供そっちのけで腐女子に媚びたのはすげえ。

快盗なのに全然「快」がなくて何かにつけて曇ってたのがすげえ。

ルパン3世キッドジョーカーキャッツアイジャンヌセイントテールもやってない、「悪いことだと思いつつ仕方なく嫌嫌罪悪感持ちつつ快盗やる」で受けると思ったのがすげえ。

パワーアップアイテム入手回の終わりに曇らせて後味悪く終わらせる販促ぶん投げぶりがすげえ。

VS戦隊なのに対立する理由が糞薄いのがすげえ。

警察から、怪盗だから説明すんでるでしょで良いと思ってそうなあぐらのかきっぷりがすげえ。

ぶっちゃけ本気でやりあったことがほぼないのがすげえ。

合流しないだけでほぼほぼ馴れ合ってる一番中途半端状態なのにVSを貫いたと言い切る人がすげえ。

ラスボスのお爺さんが「くっころせ・・」とか後ろで言ってるのにそっちのけで感動の再開してるのがすげえ。

「快盗という手段を選んだ時点で間違いだ」とか言いきられてる快盗に大事だ人らがなっちゃってる後味の悪さがすげえ。

町が廃墟になるほどドグラニオが暴れたのにそんなん1ミリも考えず一晩中カイリのケツ追いかけてた圭一郎がすげえ。

旧2号のスピンオフ見たら、この人直後に皮にされて殺されてんだなと単に胸糞悪くなるのがすげえ。

圭一郎の役者の人が子供に受けてないの自覚してる発言が夏あたりから見受けられるのがいたたまれない。

敵の薄っぺらさがすげえ。

後継者レースなのにまともに後継者になろうとしてたのデストラとトゲーノくらいなのがすげえ。

特になんもやらかしてないゴーシュのコレクションを取り上げてむざむざ死なせた痴呆老人がラスボスなのがすげえ。

ゴーシュがただのジュウオウジャーナリア劣化コピーにすぎないのがすげえ。

Twitterトレンド入りに特に価値がないと知らしめたのがすげえ。

エグゼイドやビルド子供にもオタクにも受けたからすげえ。

子供オタクの人気の乖離がほんとすげえ。

それでも正体バレ回までは好きだったよこの番組

ブログブコメ気持ち悪さしゅごいお

追記

'圭一郎の役者の人が子供に受けてないの自覚してる発言が夏あたりから見受けられるのがいたたまれない。' ここだけスッと素に戻ってるのが切ない

24で相当意気込んで臨んだのに食いついたのが大きなお友達ばっかで子供人気微妙で強化キャンセルって泣けるだろ

観てないけど最後まで読む限り途中まで好きだった人が反転して可愛さ余って憎さ百倍な貶し芸してるのはわかる(書き方からして完全に嫌いになり切れてはいないようだが)

嫌いじゃないよ。素晴らしい脚本とか小林靖子に並んだとか言われると何言ってんだと思うだけで。

キュウレンジャー毛利といいメインじゃなくてサブ向きなんじゃないのかな。

香村女史はボス動機付けが薄いというか尻切れトンボになりがちというか。ジュウオウの時と印象が変わらなかった。

まとめ方が本当に下手だと思う。オチダメじゃなくてそこに持っていく終盤の話作りが下手。ジュウオウもアザルドの裏で大和と親父の確執やったりいきなり世界が融合したり話の構成が変だった。

あと特撮で敵の描写が薄いのってわりと致命的だと思う。小林靖子との決定的な差はそこ。

正直例年大差ないしプロットをどうこうは言わないけど、警察側の最強ロボと強化フォームを快盗側が(大人の事情で)文字通り盗んだのはちょっと許せないね

大人の事情じゃなくて子供の人気事情だよね

圭一郎が「俺に見せた笑顔は嘘だったのか!」とか言い出した時はうわキモっと思った

あの辺とか最後逮捕するつもりのくせに長々回想したりウユニ塩湖みたいなとこで愁嘆場やるの本当にどうかと思った。

多分友情絡みのシーンて同性同士じゃないと違和感出ると思う

ちなみに増田ノエルのことは気にならない…?

1.快盗警察どっちにもなれると言いながらルパン側の人というちぐはぐさ

2.両戦隊仲良くさせたいのに、VSから逃げない方針のせいでふわふわした状態にならざるをえない設定の犠牲者

3.上記のおかげで正体ばれ後の回に2号に詰められたとこが顕著なように悪意のない畜生なっちゃってる

4.正体がイミフというか、異世界の子孫を人間じゃないって言い方すんのはそれこそポリコレ的にどうなの

この番組のロボがコア1体のみで両戦隊がロボで共闘もバトルもできないとか、パトと違ってルパンは1ミスゲームオーバーからルパン負けさせられぬとか基本設定が練れてないとこの象徴みたいなやつだと思うよ。

人気については言わずもがな玩具売り上げとか、子供人気キャラクター調査の結果とか(今年は去年と比べて全年齢層で圏外になった)。

http://www.bandai.co.jp/kodomo/pdf/question244.pdf

ご近所リサーチで人気とかはあるだろうねそりゃとしか

2019-02-11

恋愛感情を抱く相手が男か女か、そんなことよりも、誰かを好きになった時に、それが友情なのか恋愛感情なのか、その境界の方が問題じゃないかと思っている。

フィクションなんかではよく「セックス(あるいはキス)したいと思う?」なんて聞かれて顔を真っ赤にする描写があるけれど、現実にはそういう行為や願望を伴わない恋愛感情もある。

機械的に、じゃあ身体関係を持てる「好き」だけが恋愛感情ですよ、それ以外は全部友情です、なんて区切って、その中で一番大切でいつも一緒にいたい人を恋人みたいにしてもいい、いわゆる親友くらいのポジションだけど一緒にいたいか結婚する、そんなんで上手くいくってんならいいんだけど。

新聞気持ち悪さ

被害者がどれだけ悲惨な目に合い著名人の「有難きお言葉」を拝受するかを事細かく描写して脅してやり、加害企業の裏の銀行ことなどまるで報じない。

補助金不正に目くじらを立てるのも勿論、新聞銀行配下からだ。

人の承認要求を煽ろうと、地に足もつけられない餅に書いたような生活宣伝し、大衆の喉をつまらせ喋らせない。

例えば朝日の朝の字は十日十月、俗に言う人間妊娠期間を暗示する。いずれ産む予定で腹に隠しているものは何だ、次の災害被害者かね。

2019-02-10

耳尖ってて寿命長い以外の特徴が無いエルフばっかり

人間と違ったメンタリティを持ってるわけでもなく、普通にその辺で冒険者とかやってる。

そうじゃないだろ。

単に「色んな亜人のいる異世界」を達成しただけで終わりにするなよ。

エルフという属性が既に定着してるからって、その魅力を作中で描写することを忘れていないか

自分でもちゃん空想しろエルフという存在がどうあれば魅力的か考えろ。

幻想存在に対して抱いた元来の気持ちを思い出せ。

anond:20190210204717

それ欧州に対する謎の偏見から


本屋には普通にエロ本もある。棚の高い所に置くのがこっち流。ただし上半身だけだとあまりエロと見なされず普通に置いてあることも。

anond:20190122225208

それから家電屋のブルーレイコーナーにもアダルトコーナーはある。日本コンビニレベル分別で厳重な仕切りはない。


もっとFate映画描写原作ゲームほど濡れ場は露骨じゃなくて、せいぜいハリウッド以下のレベルでは。

どちらかというと血を舐めるシーンのほうがすごくエロかったけど。

盾の勇者がひどい(ネタバレ

うわー。一話でかなり辛い。

女性上位とか言ってる割には国王大臣、そのた商店主とか全部男だし

女性に酒を勧められたら男は普通断らない」

可愛い女の子飲食店でおまけしてもらえる」

強姦罪未遂でも極刑

あたりが女性上位の描写としてでてきます

なんとなく作者は痴漢問題で「まず痴漢冤罪問題だ!」とか現代日本レディースディなどを根拠に「女尊男卑男性差別社会」とか真顔で言ってそうでドン引き

で、強姦冤罪でひどい目みたし、盾の勇者攻撃カスなので仲間いないときついのに強姦冤罪のおかげでまともなのは仲間にならないので人身売買でタヌキ耳の亜人少女をゲット。

うわー。キッツー、キモー。

と思ってたらほぼノーダメジの雑魚的が自分を噛んでる間に攻撃しろ!とか嫌がるのにやらせます普通虐待ですありがとうございました。

で、タヌ耳少女の親を殺したのと同種の魔物を同じ要領で殺させてトラウマ克服!

なんか、アレですね。猫嫌いを克服させようと猫穴に放り込んで閉じ込めたら、猫嫌いが治っちゃう世界なんでしょうね。

原作者ボートだったかなんとかスクール体罰教育根性論を賛美するような人じゃないか心配です。

でそのタヌ耳奴隷が開放されても主人公なついてる描写肯定的に描かれてて、逆に人身売買はいかんだろという人間愚か者って感じです。

19世紀どころか21世紀に、「良き奴隷主」と「良き従順奴隷」が賛美される作品メジャー作品として作られていることにあるしゅのセンス・オブ・ワンダーを感じます

なんか日本奴隷人身売買を大して悪いと思ってない人が多いんじゃないか?という危惧現実だったらどうしようかと思う所存です。

一話で強姦冤罪をデッチ上げた女性は実は王女だった、と言われてもなぜそんなデッチ上げをしたのかさっぱりわかりません。

亜人差別されてるという描写があったのに、町の人がタヌ耳奴隷には食品などをおまけしてあげるという好意的対応いまいちわかりません。

なんというか設定というか人物の造形もそのばその場のインスタンスな役目だけで前後脈絡とか気にしてないのかもしれません。

作画音楽声優の演技などはいいだけに根本的な設定ストーリーダメさが鼻につきます

まあ、悪いのは原作者というよりこれをアニメ化にゴーサインした人なんでしょうが

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