はてなキーワード: 2003年とは
これまで数回の2位3位以下のひと
1999年 はとやま 邦夫 851,130票、ますぞえ 要一 836,104票 、明石 康 690,308票、三上 満 661,881票 、柿沢 こうじ 632,054票
2007年 浅野 史郎 1,693,323票、吉田 万三 629,549票
2011年 東国原 英夫 1,690,669票、わたなべ 美樹 1,013,132票
2012年 猪瀬 直樹 4,338,936票(1位) 、宇都宮 けんじ 968,960票
2014年 ますぞえ 要一 2,112,979.000票(1位)、宇都宮 けんじ 982,594.767票、細川 護熙 956,063.000票
2016年 増田 ひろや 1,793,453.000票、鳥越 俊太郎 1,346,103.000票
2020年 宇都宮 けんじ 844,151.000票、山本 太郎 657,277.000票 、 小野 たいすけ 612,530.000票
ということで、立憲がおしたひとは鳥越さんの134万票が最高なんですかね。浅野さんはちょっと微妙でかなり広く認められていたと思います。
また、2位の最高はそれよりもちょっと多いなんと東国原氏であったことにも驚きます。なかなかなものです。
こうしてみると今回の蓮舫氏の得票数もまあそんなものかなという感じがします。やっぱり立憲はここ何回かは本当に出すべき人を選べてないという感じで、いきなり蓮舫氏を出してきても土台は無理だったと。
それよりも驚くべきは前回維新系として出てきた小野泰輔氏を今回の石丸氏を比べると大幅な伸びです。維新の東京都への浸透を感じます。
これが今後どういう動きにつながるのか。注目だと思います。
明治神宮の再開発にせよ、黒歴史な施設をだんだん小さくして消滅させてるぽいなぁ
昭和天皇も1989年まで存命だったが、それからもう40年たったからかい
検察はおでこに親米反中と書いてあるし、台湾有事の勃発により法曹権限を増やしたいようである
当然、格差を拡大させて、石丸(金融不動産)、小池(電力エネルギー)を推す方向である
暇空茜は立候補はしたが、女性ヘイト発言を繰り返していたことを考えれば真剣味は伺えないので、法曹から支援を得ているガス抜きヒーローの位置にある
いずれにせよ、都知事現職は自ら辞任するまで現職でいられるという硬直化がある
石原は築地市場を消滅させ、今は跡地に5万人スタジアム建設計画がある
しかし、明治初期の銀座に日本初の西洋式ホテルであった築地精養軒が存在した事実は消えない
(これは2003年以降は、ドイツのEPA通信と契約した時事通信社になっている)
やはりドイツ学協会派、青天会派の計画がどこかに潜んでいるようだ
大日本帝国憲法作ったのもドイツ人なら、流行りのアディダスもかつてはナチスドイツの企業だし、築地スタジアムも縄張りのひとつとして商売をすることだろう
結局のところ2003年から2011年頃までいちばん延べ計算量が必要だったのはリアルタイムの3Dグラフィックスのレンダリングだったんだ。そこではNVIDIAって会社がPCゲームのプラットフォームを握ってしまっていてそこで技術開発をめっちゃ進めてしまったんだ。
結果的にPlayStation2までは純日本設計だったグラフィックチップが、PlayStation3ではNVIDIAのGPUになってしまったんだ。そこで負けが確定してしまった感じだ。PlayStation3のCPU、CELLに内蔵されているSPUは、世代をどんどん進めていったら最終的にレンダリングもできるグラフィックチップに進化する可能性があったのかもしれないけど次世代が出せなかったのでそこで終わりになってしまった。
NVIDIAは先端を走っているユーザーが何を求めているかをめちゃくちゃちゃんと調査して、彼らがちゃんと新しいことを効率よくできるようなチップを開発してくるんだ。だからハードウェアTLが必要になってきたときにGeForceを出してきたし、その後ポリゴンへの複雑なマッピングを駆使してリアルなグラフィックスを構築しだしたらシェーダアーキテクチャを提案してきて、そのシェーダプログラミングでレイマーチングを遊びでみんながやりだしたらリアルタイムレイトレをハードウェアでサポートしたRTXをリリースしてきたしAIもそうだ。いまコンピュータを使っているユーザがどのようなことをやって、次に何が求められているのかを見極めるのが上手なんだと思う。
京の事業仕訳けの議事録を再度読み返したけど、確かにそこにはスーパーコンピュータのユーザーを見ておらず「国民に夢を与える、あるいは世界一を取ることによって夢を与えることが、実は非常に大きなこのプロジェクトの1つの目 的 」などとボケたことを言っている説明者たちと、いやいや実際のユーザはそんなのを求めてるわけないだろという金田先生の議論がつづいていて、そのへんが日本が負けた原因なんじゃないかなあーって思うんだよ。
ただ運も味方していて、NVIDIAが計算能力をバカみたいに使うグラフィックスを提案して微妙な感じになってたところに、ビットコインのマイニング需要があって、そのあとにAIが盛り上がった。計算能力をうまく価値にしてくれる応用がいい感じに出てきていまに至ってるんで、とりあえずやってみて一位とってみろよ、みたいな話が必ず悪いわけではないかもしれない。
Intelは偉くて、GPUでNVIDIAやATI(現AMD)に完全に負けていて後塵を拝していたにもかかわらず、じわじわとCPU内蔵のグラフィックチップの性能を上げていきディスクリートGPUも作るようになり、昨年ちゃんとその成果が世界2位のAuroraスーパーコンピュータとして実稼働を始めてたのですごいなと思ったよ。そのAuroraはGPUもCPUもIntel製で2位、1位のFrontierはGPUもCPUもAMDなんだけどね。結局のところ一般用途で台数が出てない状態ではスパコンを作れるような技術も養成できないってことだったんだろうと思う。
当時の日本では携帯電話向けのプロセッサしか数が出るものがなかったから、そこに全力投球して、でもガラケーではグローバルに売れないからPDAに販路を広げてiPhoneやAndroidに採用してもらう、みたいな流れができれば最高だっただろう。でもそんな戦略を説明して実行に移せるトップが日本の家電メーカーのトップには居なかったんだ。だってあいつらテレビやブルーレイをどう売るかしか考えてなかったんだもん。PocketPCに載ってたIntelのXScaleが没落したときを狙ってちゃんとチップを出せてればチャンスがあった。でもそこに載ったのはSamsungやTI、そしてQualcommのチップだった。TIは撤退してしまったけどSamsungはまだプロセッサを作り続けている(これはGalaxyという大きな需要があるからできているのだと思う)。
何を持って多様性があると言っているのかが謎
未婚率の高さが多様性があることの指標なの?それとも未婚を選択できる自由があることが多様性があると言っているの?
こんな本が出た事自体、既に自分の意思で非婚非産を選ぶ女性は大勢いた事を証明しているんだから、多様性は既にあったんだよ。この本はその多様性を後退させた。
氷河期世代女性の未婚率の高さはけして多様性が認められたからじゃなくて(多様性に関しては寧ろ前世紀末の方が認められていた)、
と思ったら、その多様性を社会がどう評価したかという話に変わる
社会全体としては産めよ増やせよが国是となって画一的になる中での、経済的理由で「結婚したくてもできない」女性の増加によるものだから
けして褒め称えるべき事でも誇るべき事でもないと思う
なんかいきなり主張が変わってない?
女が結婚しない人生、子供を産まない人生も認められていた時代だよ
山口智子さんや小泉今日子さんが肯定的に見られていた時代だったよ。
多様性の欠片もなかったどころか、今よりも寧ろずっと多様性良いねの時代だった。
なのに突然少子化が叫ばれ出してバックフラッシュが起きたのは21世紀に入ってから。
だから敢えて結婚出産した人達は全員、自ら望んでその人生を選んだ事を無視してはいけないと思うよ。
氷河期世代の女性に子供を産まなかった人が多いのは、多様性どうこうじゃなくて純粋に経済問題だと思う
@mihyonsong
でも氷河期世代は、20代終わりに、30すぎて結婚も出産もしていないのは「負け犬」って言われてめちゃくちゃ煽られてた世代なんよ。今みたいに、多様性イイねのかけらもなかったんよ。
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(追記)
女の婚姻率がほぼ100%の時代(不本意既婚と任意既婚がいた)→婚姻しない自由が認められた時代(未婚者はほぼ全てが任意未婚)→少子化が叫ばれ出したバックフラッシュの時代(任意未婚の割合は変わらず。増加したのは不本意未婚のみ。氷河期世代はこれに当たる)
という経緯を辿っているので、氷河期世代の若い頃は既に任意未婚は普通にいた時代であり、「多様性イイねのかけらもなかった」というのは大間違いだろうという事。多様性イイねの時代は昔は確かに存在していて、今はそれがなくなったんだよ。
元ポストの引用で『負け犬の遠吠え』が多様性を推進させたみたいに語っている人も多いけれど、それも全然実感と違うなー。
この本は寧ろ多様性を後退させて画一的な価値観を推し進めた本だったと思うが。
『負け犬の遠吠え』は2003年発行だけど、以前は結婚しない女性、子供を産まない女性の生き方は普通に認められていたのに
にわかに少子化が叫ばれ出して世間から叩かれ出すようになった。
これ以上叩かれたくない独身の著者が自ら「負け犬」と自虐して降伏仕草を見せる→その言葉を利用してさらに叩かれるようになる、
という流れだったよ。
こんな本が出た事自体、既に自分の意思で非婚非産を選ぶ女性は大勢いた事を証明しているんだから、多様性は既にあったんだよ。この本はその多様性を後退させた。
氷河期世代女性の未婚率の高さはけして多様性が認められたからじゃなくて(多様性に関しては寧ろ前世紀末の方が認められていた)、
社会全体としては産めよ増やせよが国是となって画一的になる中での、経済的理由で「結婚したくてもできない」女性の増加によるものだから
けして褒め称えるべき事でも誇るべき事でもないと思う
https://anond.hatelabo.jp/20240619014605
本文)
キャンセルカルチャーの問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。
どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものだから、キャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。
つまり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。
その程度の教養と正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャンを謝罪に追い込む社会なわけだね。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。
もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、
のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。
コロンブスとナポレオンが他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分の文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw
というのがあるね。
正直、なんとも思わないね、というのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省どまり。
俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないものを批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判は内面化されていないわ。
そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識を開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。
むしろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆくハチマキをした類人猿の兵士を抱きかかえる類人猿の兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍の兵士を連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。
類人猿をベートーヴェンが指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。
そう、まさに「つまり解釈の余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。
rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。
Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments
もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権の歴史を教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理は共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301
みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。
しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に、歴史修正主義というドイツで使われた文脈の言葉を安易に日本の南京虐殺否定の文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。
俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史の文脈のなかで生まれた言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか「教養」として普遍化するなかで、その歴史の固有性が失われ、あたかもハンディな批判ツールになり下がることだった。
村上春樹が2009年、イスラエルの文学賞を受賞したとき、はてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯を意味するとまで言った人もいた。そのとき、村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹の言葉のほうがよっぽど覚悟が必要だ。それでも村上春樹を攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。
(追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。
tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。
すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれた修正主義はその後、ソ連や中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点や政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。
つまり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態だからな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。
(/追記2)
お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史や知識を開陳する態度。
てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。
サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。
言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹の文章。
永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います。大学1、2年の頃、大学で平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。
じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います。
「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。
そういう義憤の正体って何だろう。
最近、朝日新聞の人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者のコメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。
[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン
https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA
「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性の相談。
私個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから。
これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。
新聞で得た世界の出来事をいかに正義の言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。
かつて、北アフリカのスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺が国際問題となったことがある。
日本のブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。
最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域に仕事上関与するようになってから、スーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブ・ダルフール・キャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。
それは当時のバシール大統領の断罪をはじめ、現地武装性組織の悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカのNGOのキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争の実態はもう終わっているにも関わらず紛争が継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGOの広告費に回っているという話まで聞いた。
正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。
弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。
今、現在、スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍と準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争のときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいかに危機的かがわかる。
しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトとトルコはスーダン国軍支援、アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的な顧客を武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争の様相を呈している。
ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義の歴史を知るとか、外付けの倫理をいかに理解しているかという意味ではない。
普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本人である自分自身がいかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。
そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。
表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍的価値だから、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。
なぜアメリカの判事は歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会は健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。
なぜドイツではホロコーストの否定は表現の自由に当たらないのか。日本は公共の福祉の解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会の文脈がある。少なくとも自分の社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的な共感というものだと思う。
少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義がますます膨れ上がるだろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単なプロパガンダで誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。
MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員と不倫していたことをネタに糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。本格的な右派政党が台頭したらそいつらを味方につけるだろう。不謹慎厨の本質は正義の中身を大して気にしてないことだ。日本中が沖縄を踏みつけにしても気にしないが、よその国の自分とさして関わりのない先住民のことは気に掛けるふりができる。
世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMVの植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。
サヨクは知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。
朝日新聞に人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端なポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。
id:muchonov が言うから手で集計してみたよ!
「ジェンダー」は「災害」と同じくらい、「医療・人間」「歴史・政治・国際」より下位、「エネルギー」「化学生物」より上位だったよ。重要な話題だけど「多すぎ」とは言えない感じがするね!
全体に文系の人文社会寄り、理系も医学、環境、エネルギーとかかなり応用に偏ってるよ!
テーマ | 個数 |
学術・教育 | 177 |
環境 | 54 |
社会 | 51 |
医療・人間 | 50 |
歴史・政治・国際 | 41 |
ジェンダー | 34 |
災害 | 34 |
エネルギー | 20 |
化学・生物 | 19 |
工学 | 18 |
情報 | 18 |
こども | 16 |
人文 | 16 |
物理 | 10 |
総計 | 558 |
図らずも AIに分析させてみた https://anond.hatelabo.jp/20240614184736 とだいたい同じ結論になったね!
やっぱり日本学術会議っていらないんじゃね? https://anond.hatelabo.jp/20240614050020
[B! 日本学術会議] やっぱり日本学術会議っていらないんじゃね? https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240614050020
1996~2024『学術の動向』の掲載タイトルを 個人の感覚 で勝手に1タイトル1ジャンルに分類して集計したよ!
たとえばふつうは
みたいな階層になると思うけど、集計しやすい数が出そうなトピックをチェリー・ピッキングしたよ!
偏りは、ありまぁす!
学術・教育の話題ばっかり。おもに業界報告。たまにホットめな話題をはさみ込む。なお初年度から「ジェンダー」「環境」はトピックとしてずっとある。
突如やる気を出す。業界の話は半分くらいに、クローン羊ドリーとか社会的にホットな話題をまんべんなく取り入れ始める。
なぜか2年でやる気を失う。「21世紀の〇〇」みたいなデカいタイトルつけてアカデミアの話ばっかり。ITの話とか入ってくる。
とは言え徐々に社会的にホットな話題が増え始め、このあたりになるとゲノム系の話とかグローバリゼーションの話も多くなる。
東日本大震災以降、大きく流れは変わる。
という感じで、これまでは各学問が個別に話をしていたのが一気に学際的になる。
災害は引き続き大きな柱でありつつ、より2024へ地続きな社会課題が出てくる。こども、アジア、環境、福祉、ジェンダーなど。
小保方さん騒動に影響を受けたのか、学術・教育系の話が多くなる。あとはスガからの締付けがきつくなってたのか。
コロナ禍以降。医療、化け学系の話は確かに増えるが、震災のときと同様、疫病からくる社会不安への対応とか学際的な話の仕方のほうが多い。あとSDGs系に絡めた話も。
どうしてこうなった!思ってたのと違う!こんな感想を得た人も多いのではないか。かく言うところの筆者もそう思いました。新潟駅の不思議ポイントを確認していってみましょう。
新潟駅に関する違和感というか、歩いていて苦痛に感じるポイントはまずここです。階段の段数が約50段と多いです。通常の建物の3階相当の高さを2階としています。これは上越新幹線開業から新幹線コンコースの高さです。在来線の跨線橋はこの高さよりも低く、跨線橋から新幹線コンコースまではスロープで接続されていました。通常の駅の階段は30段くらいです。
4階建ての新潟駅の旧駅舎ビルの高さと上越新幹線ホームの高さが同じくらいなので、上越新幹線ホームの高さは5階相当の高さになります。新幹線は毎日乗るものではないので、苦ではなかったのですが、新幹線に乗るときはエスカレーターや階段が長いと感じていました。
在来線ホームの高さを新幹線ホームに合わせてしまったため、5階相当高さにホームが上がってしましました。富山駅、金沢駅、福井駅の新幹線の高架はもっと低く、アンダーパスする道路ギリギリの高さの設計になっていると思います。2階がそれほど高くないのです。オープン当初の新幹線高架下の新潟駅の2階に出店していたヨドバシカメラは、店内に階段があり、上の階がありました。やはり新潟駅の新幹線ホームは4階建ての建物の屋上相当の高さにあるのです。この高さが高い高架橋は総工費が大幅に高くなることを意味します。
横断禁止の個所を渡る人が絶えないとニュースになる新バス乗り場。駅ビルのCoCoLoの1階部分が高架下を貫くバス乗り場によって分断されています。50段の階段で2階へまわれとか、150m先のなかなか青にならない信号渡れとロックな設計になっています。設計コンペの勝者のイラストと比較すると大幅に規模が小さくなっています。コンペのイラストのバス乗り場は、高架下の道路の両側ではなく、道路の車線の間に島式ホームのようにバス乗り場が集約されています。電車と違ってバスは、両側に扉がないので、バスは島式ホームのローターリーに侵入するときに右側通行に入れ替わって侵入することが想定されます。島式ロータリーから道路の両側にバス乗り場に変更することで、高架下のバスが占有する面積を大幅に縮小しています。この変更によって、バス乗り場が行き先によって分断されたため、とりあえずバス乗り場に行ってから、目的のバスを探すことができる構造から、バスの行き先を判断してから、道路のどちら側に行くかをあらかじめきめなくてはならないスタイルに改悪されてしまいました。
古町・市役所方面からきたバスは、高架下に入る前の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、南口側に出てUターンして、高架下バス停に出発を待ちます。南口方面から到着したバスは南口側の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、万代口側に出て、Uターンして、高架下のバス停で出発を待ちます。高架下を直通するバス路線はわずかです。
※イメージイラストは、「設計コンペのプランからなくなったもの?!」の項を参照してください。
多くの市民が感じた違和感は市街地の南北が分断された状態を解決するというお題目がほとんど解消されていないことです。この目的を解決するには、万代口の東大通と南口の弁天線がつながらなければなりません。駅の高架下はバス専用となったため、南北をつなぐ道路で増えたところは、八千代橋から続く道路が線路の反対側につながったところくらいです。以前の踏切個所の米山踏切と天神尾踏切は、高架をくぐる道路として残っています。一部の市民は、市長の家の近所のガードだけが開通したので、このルートを篠田さんの功績を称えて篠田ガードと呼んでいます。
https://www.zaikainiigata.com/?p=8248
計画では駅西線と駅東線という2本の道路が開通する予定でしたが完成に至らず、大幅に計画が縮小されています。駅東線は歩行者と自転車用道路に格下げされて計画されています。駅西線は、代ゼミのところから南下し、高架下をくぐりLEXNビルに至る道路です。
駅西線の予定地では、新幹線利用者向けのパークアンドライドサービスの新潟駅西駐車場(215台)を貫いています。このパークアンドライド用の駐車場は、高速バスターミナルとタワーマンションでなくなる予定です。もうひとつのパークアンドライド用駐車場のCoCoLo駐車場(826台)は、この春のCoCoLoリニューアルオープンに伴って、3000円のお買い物で1時間無料、新幹線割引き廃止、24時まで3000円というレートになりました。梅田駅や秋葉原駅のほうが安いです。セレブな駅駐車場になりました。この変更で新幹線出張族が大打撃。電車やバスで駅に行けない利用者が多いのが新潟の現実です。新潟駅西駐車場(215台)は、朝8時前に満車です。ちなみに上越新幹線で使われているE7系の定員は924人です。
駅に中に城下町のような見通しの悪い丁字路が多い印象がです。電車で新潟駅の高架在来線ホームに到着すると電車は、ホームの中ほどに停車します。階段やエスカレーターは、ホームの両端にあるため、階段やエスカレーターと電車の間のホームの狭いところを歩くことになります。降りた乗客は進路を絞られて譲り合いながら進みます。階段やエスカレーターは隙間と通った後にUターンする導線になります。先が見えません。約50段の階段を降りると反対側のエスカレーターが正面にあり、方向を変えて、出口もしくは、乗り換え先のホームを探すことになります。この高架橋の柱は5階の高さを支え、耐震を考慮していてとても柱が太いです。見通しがよくないのです。乗り換えのときは、新潟駅の発着ホームはランダム設定のため、何番線からどこ行きが発車するのか確認が必要です。ホームから改札口へ向かう人、改札口からホームへ向かう人、乗り換えの人が改札内の一か所に集められて混沌となります。その人波をかき分けて階段の上に表示されている行き先を確認する必要があります。新幹線と特急いなほの対面乗り換えの5番線が後付けの設計のため、階段の位置に違和感があります。これも改札内コンコースを複雑にしている理由の一つです。改札を出る場合は、東、西、新幹線の3つの出口を判断して、東か西から出ます。階段を降りて進むと正面が新幹線乗り換え改札で出口どこってなります。太い柱が邪魔で先が見えないです。改札を出ると共有の通路ではなく、エキナカの店舗が両脇にある通路を進みますが、外へは店舗を抜けないと駅を出られません。この店舗との駅外への導線の区別ないところがよりわかりにくくしています。グレーと黒を基調とした色調なので、黒い服を着るといい感じで風景に溶け込みます。
敵襲があったときには、敵の判断を鈍らせることできる設計になっています。なかなかの軍司がかかわっていたものと思います。
土地が誰の持ち物なのかを調べてみるとこの駅のちぐはぐな点が浮き彫りになってきます。
高架下は東日本旅客鉄道さんの土地なのです。駅前の広場は新潟市。新たに広場になる部分は、東日本旅客鉄道さんから新潟市が買ったのではないかと思います。市の玄関口なので、きれいな広場を整備しましょうということなんでしょう。南口の広場も国鉄清算事業団から買いました。旧国鉄側は上手に土地を売り抜けているように見えます。大幅に規模が縮小されたなんちゃってペデストリアンデッキは、新潟市の土地に建設されます。高架下の建物は東日本旅客鉄道さんのものなので、そこにお願いして接続させてもらっている体になります。バス乗り場部分が東日本旅客鉄道さんの所有地だとすると駅下の一等地を提供したくなかったのかと妄想が捗ります。バス乗り場で分断されても店舗面積を稼ぎたいその気持ちもエキナカ運営者の立場としては当然かもしれません。高架下の駅舎の中は持ち主の東日本旅客鉄道さんの気持ちがあふれた設計になっています。
2002年の設計コンペは、堀越英嗣氏のグループが選ばれました。次のxに上げられた画像を見ると堀越氏の想いはいずこへ。
新潟都市再生 @ryuto_niigata 10:50 PM · Mar 11, 2020
https://x.com/ryuto_niigata/status/1237737592889544704
万代口のマルタケビル、ブラザービル前まで横断歩道を渡らずに行ける予定でした。メンテナンスが難しそうな雲形のデザインの歩道の屋根に置き換わっています。このペデストリアンデッキは、斜めに走っている補助路があり、人間の近道をしたい心理をうまくついていました。
先ほどふれましたが、バス乗り場の面積が縮小されています。バスを一覧しやすい乗り場という設計者の配慮は無になりました。
木造風でした。
高架下の道路として予定されていた駅西線や駅東線に車寄せやバスのりばの入り口を設けたものがアイデアとしてよかったです。このアイデアを実現しようとすると東日本旅客鉄道さんのエキナカの店舗面積が減ってしまいます。
駅前広場が丘になっていて、丘の上も丘の中も歩けるというのもよかったです。雨風に強いプランは天候がよくない新潟向きです。
新潟都市再生 @ryuto_niigata 2:35 PM · Mar 12, 2020
https://x.com/ryuto_niigata/status/1237975437415874560
https://www.kochi-tech.ac.jp/library/ron/2002/g5/M/1035010.pdf
この高知工大の澤田さんが作った資料は今となっては当時のコンペの条件を伝える貴重な資料です。
新潟駅から西に1.4㎞に西跨線橋、東に0.4㎞に東跨線橋があります。この2つの跨線橋は高架化後も残存しています。西跨線橋付近はそもそも90年代の計画時点で高架化の範囲から外れており、駅から西跨線橋に向けて下り坂になっています。越後線が西跨線橋をくぐると白山駅手前の信濃川を渡河する橋梁があるため、登り坂になっています。???
東跨線橋の下は在来線が通り、この跨線橋の上を新幹線の高架が通っていました。在来線の高架化で在来線は新幹線と同じ高さまで高度をかせぐようになりました。この東跨線橋は、予算不足のため跨線橋が残ったままです。数年後壊すことになっています。
実際のところ、街のお年寄りは新潟は踏切がない街だからといっていました。ここで指す新潟は新潟島+アルファの狭義の新潟です。狭義の新潟には、米山踏切と天神尾踏切くらいしか踏切がなかったと思います。現新潟駅が街はずれの田んぼの中に作られたこと、現新潟駅への移転に合わせて白山までが作られたためかと考えられます。
結局のところ、取り除かれた踏切は米山踏切と天神尾踏切で、それ以外の個所は線路が道路をオーバーパスしていたところが多かった状態でした。降雪時に凍結しやすい跨線橋が残ってしまったのはとても残念です。
新幹線は、在来線と道路の上下が入れ替わる状態を無視して、それらの上を行く高架で郊外の田園地帯まで抜けています。
せっかくなので、線路は高架、道路は平面というポリシーで街づくりをしていただきたかった。まことに残念です。いっそのこと新潟駅の上を高架道路で結んだほうがよかったかもしれないです。
昭和57年の上越新幹線開業時、新潟駅には、駅構内のステーションデパートのセゾン・ド・ニイガタと駅裏にあった気動車の車両基地の向こう側に長大な連絡通路を挟んだ再開発ビルのプラーカが3棟建てられました。セゾン・ド・ニイガタは、その後、CoCoLoと名前を変え、新潟駅リニューアルの核店舗となった。開業当時は西堀ローサとならんで、おしゃれスポットでした。プラーカは、プラーカ1、プラーカ2,プラーカ3と地下から地上5階までのショッピングモールが出現。セゾンよりも大規模で店舗数も多いスポットでした。東急ハンズを山下の家具がフランチャイジーとして運営したハンソン、アニメイト、ゲームセンター、多数の衣料品店などでにぎわっていました。プラーカ4?として西友の進出計画までありました。しかし、バブル崩壊後の景気低迷でセゾンはせんべいとか鮭の瓶詰を買う新潟土産屋になり、郊外の大規模モールの台頭でプラーカは集客力が落ち、テナントが歯抜けとなって破綻したのでした。無印もFrancfrancもいなくなり、今は中央に吹き抜けがあるオフィスビルになっています。このビルは第三セクターだったため、新潟市は大きな打撃を受けることになりました。
気動車の車両基地は、数年後に新津駅へ移転し、国鉄清算事業団所有の空き地が残りました。この空き地は新潟市が買い取ることになり、新潟市のひとり負けです。
2000年ごろから市民参加のまちづくりという錦の御旗の下、駅の設計に市民が参加するムーブメントを当時の市長が始めた。この動きが2003年の新潟駅の設計コンペに影響があり、プランが大胆に変更されるのかと思いきや、新潟駅の設計コンペは、新潟駅周辺整備基本構想にしたがって、設計コンペが実施されたのでした。
https://www.toshimirai.jp/ifudletterpdf/200111.pdf
新潟駅周辺整備基本構想では、駅を貫く道路はバス専用で、道路交通は駅西線と駅東線が担うことが決められていました。プランの肝心なところは、市民が参加しても変えることはできず、まだ詳細設計がされていなかった広場で、機能に関係がない見た目のデザインがとかバリアフリーがとか枝葉の部分の議論に終始したのでした。車いす駐車場から広場への歩道の導線がよくないと直したら、車寄せと駐車場の面積が半減してしまいました。完成後の混雑が必死なのか閑古鳥がなくのか興味深いポイントです。そんなことよりも在来線ホームが5階の高さの時点でめっちゃバリアです。
https://niigata-u.repo.nii.ac.jp/record/31114/files/ZH_2005_963-964.pdf
http://opac.niigatacitylib.jp/shisei/koho/shiho/2005/050710/pdf/2002_08.pdf
相棒で女性の一人暮らし宅に「写真立てが無い……妙ですね」て言ってて、しゃ、写真、立て…………???となった女性一人暮らし
実際にこのようなくだりは存在しなかったのではないか?という疑惑がある
あれだけ再放送の多いドラマで熱心なファンも多い作品であるにも関わらず、「どの回だっけ?」 「そんなのあった?」 「ググったけど分からない」というばかりで具体的にどの回だったか誰も分からないのだ
X以外の場所で有志に質問してみたところ、それはおそらくseason2(2003年放送)の「ベラドンナの赤い罠」 ではないか、という指摘があった
https://thetv.jp/program/0000001095/1/
家の中に女性とその父親の写真がたくさん飾ってあるのに母親の写真が一枚もないことを右京さんが奇妙に思い、それが事件解決のひとつのきっかけになる、というくだりがある
それをながら見して聞き間違えた上に「寂しい女の一人暮らしなら写真を飾って少しでも華やいだ部屋にするものだ、そうしないこの女性はどこかおかしい」というニュアンスで脳内補整してしまったのではないだろうか
そう勘違いしたとしても2003年放送のものであれば画質的にかなり昔の回であることは明らかで「昔のドラマってこんな酷い台詞があったんだね」と受け止めるのではなく「ちょっと待って!今こんなこと言われたんですけど!ショック!!」と言う風なリアクションを取るのは色々違和感があるが
聞き間違いやうろ覚えのまま批判的なツイートを垂れ流す人ならそのくらいのことをしてもそれこそ妙ではないのだろうと思う
ツイートを見た人の中には、
「写真はカメラで撮ってプリントするのが一般的だった時代の初期回の再放送ではないか」
「以前は置いてあった写真立てがなくなっている、といった何かしらの前提があるのではないか」と推測している人もいたが
中には2024年の今、相棒の最新シリーズが放送されていると勘違いした上で右京さん(とテレビ朝日のドラマ班のスタッフ)があまりにも古い価値観で女性への偏見を垂れ流していると思い込んでカッとなり批判している人も多数見受けられる
また、「私は自分や家族の写真は飾っていないけど推しの写真は飾っている」とグッズ自慢をする者、
「コナンくんや金田一もよく変な認定するよね」と探偵あるあるを語る者もいるが
もうひとつの意見、それは元ツイートは『相棒』ではなく『臨場』の一場面ではないかというものだ
2010年5月26日に放送された回で、刑事たちが亡くなった女性の部屋を捜査するとあまりに殺風景で中でも写真類が一枚もなく違和感を覚えるシーンがあるそうだ
原作小説が描かれたのは2002年でそれを踏まえるとそこまでおかしなやりとりではない
ここまで伸びているツイートだが投稿者は特に訂正や補足をするつもりはないようだし、「ベラドンナの回ではないですか?実際のやりとりはこうですよ」だとか「相棒ではなくて臨場だと思いますよ」といったツイートはおそらく全く伸びず
「右京さんが酷い発言をしていた」ということだけうっすらと皆の記憶に残り、何かの折に「でも確か相棒って独身女性への偏見を助長するドラマなんでしょ?w」と嘲笑されるのだろう
「半年ROMれ」と共に「ソースを出せ」という言葉も失われつつあることを感じることが多い
「確かめる」という行為はコスパが悪く、「調べる」というのは必死になっていて馬鹿馬鹿しいと冷笑される行いで、
信頼に値するものは「広まっているかどうか」で、広まっているんだから真実なんでしょう、と受け止められてしまう
ガレソだって普段あんなに嫌われているのにふとした拍子に信じ込まれてしまう
嘆かわしい!……といいつつ、「写真立てのくだりって再放送の度に突っ込まれてるよね~」というようなツイートも見かけたので本当に存在している回なのかもしれない
( ^ω^ )
「くらやみの速さはどれくらい(Speed of Dark)は、アメリカの作家エリザベス・ムーンによるSF小説。2003年にネビュラ賞を受賞し、アーサー・C・クラーク賞の最終選考作となった。「21世紀版『アルジャーノンに花束を 』」などの評価を受けている。」
先週土曜日のホーム戦、対福岡にあっさりと負けて今季の黒星はいくつになったのでしょうか。わかりません。数えておりません。三節が終わったあたりから順位表も見ていない。降格の危機にあることと、今の首位くらいしかわからない。
開幕前、現在の首位を降格筆頭候補に挙げていた人たちは何を思うのか。
理由は監督です。別に黒田監督が悪いわけではない。ただ嫌いなだけ。黒田監督に似た人が。小学生のときの担任と黒田監督が激似で、本当に本当に、視界にいれることが無理。
その担任はメタクソに贔屓をするクソだった。気に入った生徒にはニコニコして何をしても叱らなかったけど、気に入らない子に対しては冷徹そのものだった。どちらかといえば自分は気に入られていたほうで、ひどいことをされたりはしなかったのだが、あまりにひどい贔屓っぷりが気持ち悪くて仕方なかった。
贔屓クソ野郎が贔屓するのは、比較的勉強のできる子や、明るくてクラスの中心になる子、可愛い子。それは女子ばかりだった。学年で一番可愛いような子が同じクラスにいたのだけど、その子と仲良くしていたある男子に、いきなり冷たくあたりはじめたときには本気で引いた。可愛い女子には媚びへつらうと言ってもいいくらいに猫なで声になるのに、女の子と仲良くした男子や、大人しめの男子、勉強出来ない子にはあからさまに冷たかった。これ、小学二年生のときの話だよ。そんな、右も左もわかんない年齢の子どもに、明らかなエコヒイキしてたんだよ。本当に最悪な担任だった。そして学年の主任だった。
黒田監督は何も悪くない。悪くないのはわかっているけれど。でも、黒田監督を初めて見たとき、あれは何年だったか忘れたけど、高校サッカー選手権の中継で。
は????あいつ今高校サッカーの監督してんの????と一瞬にして吐き気を覚えた。
まったくの別人だとわかってもだめだった。生理的に無理だった。脳が拒否する。青森山田サッカー部の試合は見られない。
でも入れ違いのような形で昇格できた。やったね。
やったね。と思ったのに、あれよあれよと快進撃で黒田監督が一年目で昇格を決めた。
あ、今の首位には、テクニカルコーチがこっちから行ってます。結果に結びついているようで何よりです。いや、何より悲しい気持ちなのだけれども。
テクニカルコーチを持っていかれたからこっちが~とかそれだけではないのも重々承知しています。
ああ、別に、移籍したことをここでごちゃごちゃ言いたいのでもないです、それは本人が決めたことだし、そういう人だったということで。この話は終わりです。
話を戻して
重要ピースが抜けたとしても開幕前ならそこへの対応はしておくべきなわけですね
てか今のテクニカルコーチが云々と言いたいわけではな・・・・・くもないけど
アルベルさんが残してくれたものを食いつないでいくにせよ、そこに今の監督・コーチ陣がプラスして研鑽して結果に出せていけるのか、いけそうなのか、がちょっと期待が持てなくなってきている現状ということです。
ここ数試合の有り様は如何ともし難く希望もなにも持てなくなってきている。
なまじ、攻撃の形ができてしまっているだけに、惜しいシーンが手の中をすり抜けていき、気がつけば先制され、失点を重ね、最後の最後になんとか一矢を報いて終わる。
ボールを保持するのもパスを重ねているのも、一体何を目的としているのか。ボールキープもパス成功率も、それが目的ではない。ボール保持もパスもゴールに繋げるための手段でしかない。その基本的な部分を見失っているとも思わないけれど、ボールを受けてからの判断が遅い、悪いケースが多すぎる。
それは勝ちから遠ざかっているための消極的さや焦りからなのか、パスを繋げることに意識が行き過ぎているからなのか。でもパスを受けても、対峙する相手やスペースも見えてないのになんでその判断になる?ってのも多い。
パスを繋いで組み立てていくのは生命線のはずだけど、今シーズン開幕してから逆にその生命線を自ら断ちにいっている気がする。最終ラインでボール回すところをプレスされて狙われてというのを何回見たか。
と、まぁ、不満を書き出せばきりがないのでやめます。
2003年11月23日の初昇格を決めたあの日から、J2降格を経験し、再度の昇格を果たし、石にかじりつき辛酸を嘗め耐え難きを耐え忍び難きを忍び、やっと手が届きそうだった、ひとつ上の段の「縁」。
上りきれるかはわからない。でも、やっと、そこへ、手を指を掛けられるかも、と
ずっと壁しかなかった視界に、乗り越えた先の風景が、少しでも遠くにでも見えるのかも、と
そんな前途の拓きを抱いて迎えた今シーズンだったわけです。
でも、黒田監督が率いる昇格クラブは、あっさりとその「縁」に、手どころか足を乗せた。いや、飛び越えていった。あれだけ羨望し焦がれた「段」を、「縁」を、それはもう軽々と。
大宮が無敗記録を作ったとき思ったのは、うちはそういう記録めいたものには程遠いなということと、そういう意識もないなということだった。
たぶん悔しいんだろうとは思います。悔しい、勝てなくて弱くて悔しい。なんでこんなに弱くなってしまったんだ。
嫉妬とは、自分が努力していない・しても勝てないと理解している・理解しているのに認めたくないという心理が働き、自分よりも優れている人に対して抱く感情。
J1昇格を成し遂げてくれて、アルベル監督のサッカーを継承してきた松橋監督に対し、監督交代とかそういうことを少しでもつぶやくと
結果を出さなければならない立場にいて、結果が出ていないなら、厳しい目を向けられるのは仕方ないし。タヒねとか誹謗中傷や罵倒は論外ですが。
反町監督がいたころ、当人が苦言していた「俺を肩たたきする人がいない(クビと決断する人がいない)」という状況は好ましくはないと思いますね。感謝と、現場としての結果からの判断は、やはり切り離して考える必要がある。
札幌や京都みたいに、クラブも何らかのアクションを起こしてもいいんじゃないですかね。残留を最優先とする戦い方へ切り替えなければならない時機は過ぎたんじゃないかなあ。
去年までのうちなら、首位だろうがなんだろうが臆することもなかったし、むしろ「勝てるっしょ」と思えたのだろうけれども
すみません、この状態で「首位食ったるで!」と思えない自分は弱いです。強気をくじき、とか、中位力、とか、そんなのを拠り所にできる心の余裕がない。チームを、監督を、選手たちを、信じていないわけじゃない。信じていても、「でも」が出てくる、それは自分の心が弱いだけ。弱いのは私の心です。