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はてなキーワード: 修士論文とは

2019-03-29

こうして自分マイクロソフト本社に入った(波乱万丈編)

最近googleに入った話がはやっているので便乗してマイクロソフト本社に入った話をしてみる。

君はだれ?

性別:男、京大 情報修士(大学では飲食バイトマージャンバイク・飲みに勤しみあまり勉強せず)

やった事(時系列順・箇条書き)

暗黒時代
リハビリ就活
入社

結論っぽいもの

  • 暗黒時代は何度も自殺を考えたが、腹をくくればなんとかなる場合もあるようだ
  • どうせ人生めちゃくちゃだしと腹をくくって外資系一本に絞ったのがよかった
  • 博士課程で留学生とつるんでいたのがよかった。おかげで英語を話すことに抵抗が少し減った
  • 研究で食っていくのは無理と早めに見切りをつけたのがよかった(バイトとか家でandroidやら地デジをハックしていたのが役に立った?)
  • 貧しい時は飲食バイトで覚えた卵料理が役に立った
  • 色々書いてると余裕で本一冊になりそうなので、そのうち書籍化を狙ってブログでも書いていく・・かも??

2019-02-24

anond:20190224013321

院生ですが、私見で書かせて頂きます

まず一般論ですが、卒論原則学術的な価値はありません。それより上の、大学院2年生が書く修士論文ですら、学術根拠(この論文にこう書いてあったから正しいみたいな引用文献)として出すのは許されません。それからさらに三年研究して出す博士論文でやっと、世間でいう「論文」として、つまりは世に出す成果として認められるのです。

無論、分野によりけりですが博士論文審査を三年で通れる人の方が少ないので、五年以上は修行期間が必要とされるのが現状です。つまり卒論を書いて卒業していく人は、厳密には研究者ではないのです。修士でやっと研究者の卵、博士論文書いてるうちは雛鳥、博士論文書き終えてやっと一人立ちなのです。そして、博士論文の中でも例で示すほど世の役に立つのは99.9%より少ないという…勿論、すごい研究もそれらがあってこそなので間接的には大事なのですが。

長くなりましたが、では研究者にならない圧倒的多数派は何故卒論を書くのか。身も蓋もないことを言えば、大学研究期間という建前をとっているからです。

ただもう少し希望のあることを言えば、卒業論文を書く作業は、「自分テーマ(取り組むべき仕事)を見つけ」「調査統計実験を正しい手順で行い」「形式にのとってまとめて記述し」「世間に出しても恥ずかしくない体裁を整え」「分かるように人前で発表する」という、社会人必要スキルを身につける作業です。

研究成果そのものよりも、学生個人の成長が見込めることが大事なので、内容はあまり問題ではないのです。

2019-01-22

人生仕切り直したい

24男子大学院生修論もほぼ書けてもうすぐ卒業内定もある。学歴初任給だけ見れば相当いい方だと思う。けれど、大学6年間ですっかり心をやられてしまって、とてもじゃないが働ける気がしない。寝ても覚めても不愉快趣味もろくに楽しめない生活を送ってる。自分語りして整理すれば仕切り直せるかなと思って書くことにした。

高校までは田舎優等生やってた。学校の成績はいつも1位で、生徒会長やったりもして、不満はほとんどなかった。地頭はなくて数学の難しい問題は苦手だったけど、勉強はやっただけ成果が出たから、つらいと思ったことはほとんどなかった。今思うとどうしてあんなに勉強やれてたのか分からないし、「勉強しない」っていう選択肢を知らなかっただけなんだろうな。親や先生が褒めてくれるのが気持ちよくて望まれるがままに勉強してた。大学入試も難なくクリアして、いわゆる難関大学情報系に進んだ。情報系を選んだのは、ブログ運営で少し触ったプログラミングがなんとなく面白そうだったから。当時はニュースビッグデータがもてはやされていて職に困ることもなさそうだった。

大学1年目、高校の延長で真面目に勉強してたら自然と上のほうにいた。だけど、自分の周りでは、小学生からプログラミングやってて課題で褒められるやつとか、やたらレポートの内容が濃くて授業中に取り上げられるやつとか、無難試験問題が解けるだけじゃない化け物がより目立っててかなり焦った。当時はまだギラギラしてたから、すぐにプログラミング入門書とか買って自分勉強した。幸い自学する力はあったから、大学から始めた人の中では頭ふたつ分くらい抜きん出たと思う。Twitter自分勉強した内容とか発信してかなりイキってた。ただ、自分プログラミング勉強していくのは結構しんどくて、月に何日かとにかく不快で何も手につかない日があった。自分はなんて頭が悪いんだろうとか、どうしてプログラミングを楽しめないんだろうとか、そういうことをぐるぐる考えてた。

大学2年目、先輩に誘われて一緒に小さなプロジェクトをやることになった。プロジェクト過程で、プログラミング能力の低さとTwitterでイキてったのをめちゃめちゃに叩かれて人格がかなり矯正された。不健康気味だったメンタルが更に脆くなって自信とか自尊心がなくなったけど、プログラミング能力はすごく伸びたし、なによりあのままTwitter井の中の蛙やってたらと思うとゾッとするし、トータルでは感謝してる。とはいえ、そのプロジェクトやってる間は大変だった。深夜にやってた萌えアニメを録画して起きてる間ずっとリピート再生したりしてた。今なら絶対に続けられないけど、当時は「つらいことをやめる」っていう選択肢を知らなかった。

大学3年目、自信を失ったなりに必死勉強した。優秀な人の真似をしてみたり、流行りの技術に手をつけてみたり、自分の興味は二の次でひたすら迷走した。見かねた先輩に「君、意志ある?」と言われたのは今でも鮮明に覚えてる。意志はなかった。それでも、とにかく自信を取り戻したくて、別に面白くもないことを無理やり勉強し続けた。もちろん、当時は面白いと思い込んで勉強していたわけだけど。

大学4年目、研究室に配属され快進撃が始まる。たぶん人生で一番賢い時期だったと思う。きっかけはゼミの輪読。準備のために全部の定理証明したり順序立てて説明する練習をしていたら一気に賢くなった。学校先生がしきりに言っていた「論理的思考」がどういうことなのか分かって、頭の使い方が変わった。自分が急速に成長するのがわかって、すごく嬉しくて、それまでやっていたプログラミングを全部捨てて研究にのめり込んだ。指導教員聡明な優しい方で、目の付けどころが良いと褒めてくれて更に研究が進んだ。今になって振り返ると、別に研究対象が面白かったわけではなかったと思う。一般に上手くできることは面白いし、人に褒められたら気持ち良い。ただそれだけのことだったけど、寸暇を惜しんで研究をした。眠りにつく直前まで研究のことを考えて、良いアイデアを思いついたら飛び起きてメモした。

年が明けて1月卒論は早々に完成させた。同期が卒論執筆でひいひい言ってるのを横目に、ひとりヨーロッパに飛び、トップカンファレンスポスター発表コンペで2位をもらった。賞金の300ドルiPad Pro を買う足しにした。日本に戻ると、すぐに国際学会に出すための論文を書き始めた。1か月ちょっと毎日10時間くらい研究室にこもって論文を書き続けた。2月末には30ページの英語フルペーパーが出来上がって、それがトップカンファレンスに一発で通った。割と流行りの分野だったし、近い内容の論文が同時にアクセプトされたりしていて、巡り合わせが良かったのだと思う。それでも十分に異常な成果だったし、このあたりでもう博士課程に進むことになるんだろうなと考えていた。

大学院1年目、アクセプトされた論文の諸手続きや発表準備をしながら次の研究テーマを探した。博士号をもらうには更に2本国学会論文を通す必要があって、1本目の論文技術的にも精神的にも指導教員依存していた自覚があったから、次のテーマ自分の力で見出したかった。指導教員からもしばらく迷走しなさいと言われた。たぶんここが分岐点で、ここで手厚い指導をお願いしていたら何か変わっていたかもしれない。当時の自分は、博士号取得に向けたアドバンテージを得たのを良いことに、時間たっぷり使って自力研究テーマを探そうと思った。手始めにここ30年くらいの関連研究を根こそぎリストアップしてひたすら読んだ。研究テーマを見つける最短経路ではなかったけど、一人前の研究者になるには歴史を知る必要があると思った。たぶんこれが大学生活最大のミスで、大して面白いとも思ってないくせに、何十ページもある論文をいくつもいくつも読み続けた。少しずつ、論文を読むのに飽きて、研究テーマをまとめる期限がせまって、メンタルがやられていった。

翌年2月下宿クローゼットに大きな穴が空いた。もう1文字論文を読みたくない、研究テーマもろくにまとまらない、どうしたら良いんだって頭を抱えて家にこもってるところに、知り合いかしょうもない説教めいたメッセージが届いて目の前が真っ白になった。机を目一杯殴って立ち上がって、自分が座ってたゴツいオフィスチェアーをクローゼットめがけてぶん投げた。木が割れるすごい音がして、クローゼットに人の顔くらいの穴が空いた。そうするしか自分を守る方法は無かったと思うけど、引越しのことを思うと気が重い。そこまで追い詰められても、まだ教員相談しなかった。初期の成果が異次元すぎて、それに見合う研究者にならなければいけないと思っていた。

大学院2年目の5月自力学振申請書を書き上げた。めぼしい研究から無理やり話を広げてそれらしい展望でっち上げた。内心、その研究面白いとも有力な結果に結び付くとも思っていなかったけど、とにかく研究の段階を前に進めないと精神がもたなかった。指導教員コメントをもらいながら、5000字くらいある申請書を10回書き直した。申請書を書いた後は、修士論文の影もちらついていたから、申請書に書いてある内容に沿って研究を進めることにした。もともと愛着情熱もないテーマなのに、行き詰まって、読みたくもない論文を読み込んで、理論改善して、というのを繰り返す日々が続いた。折れた足で無理やり走っているような気がした。足の骨を折ったことはないけれど。

8月、ようやく研究が形になってきて指導教員ミーティングをした。それまでも月に1、2回は簡単ミーティングはしていたけど、理論も含めてしっかりと方針説明するのは初めてだった。自分メモを前に映して30分話して、色々と質問された後、この方針は厳しいねというような話が始まった。先行研究の流れを十分に汲んでおらず眉唾モノとのことで、一番近い先行研究改善する方針提案してもらった。教員からすれば僕の研究はいわば初稿、それを足がかりにして研究を広げれば良いと思って話をするのは当然だけど、僕からすると1年半の集大成が30分で水の泡になったわけで、たぶん致命傷だったと思う。事態の原因が自分研究の進め方にあったことは理解していたし、現実問題として修士論文を書かなければいけないので、そこから2週間くらいは騙し騙し提案してもらった研究を続けた。

8月末のある朝、起きたら研究をやめていた。あの朝の感覚説明するのはすごく難しいのだけど、とにかく、自分の中の何かが壊れて研究をやめていた。研究をしたくてもできないなんてレベルの話ではなくて、きれいさっぱり研究をやめていた。研究をしなくてもなんとも思わないし、すごく不思議感覚だった。そこから10月まで毎日ゲームをした。あんなに遊んだのは人生で初めてだった。途中、指導教員に「もう研究できません」といったメールを書いたところ、とても優しく対応してくださった。返信の言葉は適切でとても暖かく、もう数ヶ月早く同じ言葉を聞いていればさぞ励みになっただろうと思いながらゲームをした。成果にも指導教員にも恵まれていたし、とても貴重な機会を棒に振ったなと思った。

10月、指導教員ミーティングをした。1ヶ月半ゲームをして療養したので、もしかしたら研究ができるかもしれない、という淡い期待を持って臨んだ。8月わずかな進捗とその後の顛末を報告して、全く新しい研究テーマでやってみましょうということになった。参考文献を教えてもらって読み始めたが、アブストを半分過ぎたあたりで胃腸ギリギリ痛んで吐きそうになった。指導教員に「もう無理です、すみません」と泣きついて1本目の成果で修士論文を書くことを許してもらった。その後、就活をして内定をもらった。大学での成果を振り回して精一杯の虚勢をはったので、さぞ優秀な学生に見えたと思う。会社内定と同じくらいの時期に、学振内定通知も届いた。申請書に書いた展望はまるっと没になっているが、一体どんな素質を見出されたのだろう。

そうして今に至る。研究ではそれぐらいの挫折はよくあることだよ、とも言われたけど、それを乗り越えられるほどの情熱や興味はなかった。というか、乗り越えて平気な顔で研究を続ける人の方が狂ってると思う。努力は夢中に勝てないというやつ。何か夢中になれるもの出会いたいと思うけど、何かに夢中になりたいって言いながら年を取るんだと思う。何をやったとしても、上達するにはどこかで自分に負荷をかけて頑張らないといけない。そこで夢中でいるための気力を大学の6年間で全部使い果たしてしまった感じがする。つらいことや興味のないことを頑張りすぎた。

社会に出て働くわけだし、流石に関連技術勉強しなければと思うのだけど、ひたすらつまらない。以前の自分なら、会社評価されそうな技術を喜んで勉強したと思うのだけど、そういうギラギラした熱意は失われてしまった。たぶん研究に全部持っていかれた。どの分野もどの技術もつまらない。物事の細部や深い意味に立ち入りたいという欲求が一切湧いてこない。自分知的好奇心の乏しい人間であることを痛感する。この状態で働き始めて、仕事を続けられる気がしない。毎日少しずつ自分が衰えていくのが分かってとても怖い。何か努力をしなければと思うけど、何をしてもつまらなくて30分ともたない。何も努力していないから、手放しで遊ぶこともできない。人生どん詰まり状態。早く仕切り直したい。

2018-12-08

史学科のゼミとか卒論とかって何やってるの

数学科事情、すごく興味深く読んだ。

「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!

ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。

ゼミで何をやっているか

いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である文系研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。

(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様勅令だったりお役所行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)

何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念方法レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキル全然違うので。江戸時代歴史なら江戸時代古文書明治期の歴史なら明治期の文書中国史なら漢文イギリス史なら当然英語古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生日本古文書の読み解き方を勉強しても時間無駄だろう。逆もまた然り。

ぶっちゃけ、「卒業論文」に大したオリジナリティはない

慌てて言えば分野による。

社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナル史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。

ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのもの要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生修士論文で初めて学会誌投稿できるレベルのもの要求されることになる。

何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語大学第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史ドイツ史やフランス史場合韓国語ドイツ語やフランス語文系学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツフランス語論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃん漢文史料は読めるよね? 現代中国語論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語アラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本アイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。

なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語韓国語選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語フランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域対応できるね! 史学語学と言われる所以だ。

あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語フランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国言語が使われていたり宗主国のお役所植民地統治担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国言語で書かれている)。さら前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである現代日本語論文はスラスラ読めても古典日本語チンプンカンプンという人も多かろう。前近代西洋征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級言語植民地支配してたヨーロッパ言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーいるか勉強簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生卒論レベルなら日本語英語or中国語でじゅうぶん、という運用大学ほとんどだと思う。

ヨーロッパ植民地についてしか述べていないのは、日本植民地場合宗主国言語習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国台湾学生あるいはそれらの国から留学生植民地時代自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)

でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。

院に進んだら何やるの

留学します。

これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国台湾フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学ゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家指導を受けたり、あるいは分野によっては語学勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガル留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。

上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系大学院なんて資産の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがき奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さん実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか

2018-11-27

鬱積した気持ちがある日突然晴れた話

嬉しすぎて酒を飲んで、支離滅裂文章となっているため、真意が伝わるかは不明だが、今思っていることを書き留める。

去年の今頃だろうか、環境に対する不満や人間関係自分の周りの環境の変化などが相まって、気分が塞ぎ込んだ。

まさか自分鬱病になるなんてない、と思っていたが、どうやらその症状は、かねてから聞いていた鬱病という症状に近いような気がした。

そんなこんなで心療内科複数回通院し、カウンセリングを受けたところ、案の定鬱病に近い症状が出ていることが発覚した。

医師は直接鬱病という診断は起こさなかったものの、医師に「私は鬱病なのではないか」と問いかけをしたところ、「正直、それに近い症状は出ている」と言われた。

そこから学校を休んで、今年の4月に、とりあえず学校に行く気持ちになったので、年度初めに大学院には復帰した。

しかしどうもやる気が出ない。

昔取り組んでいた研究テーマについても、まったくもって継続して取り組もうという気持ちがもてず、丁度修士論文執筆しなければならない年であったこともあり、研究テーマを変える決断をした。

そんなわけで研究テーマを変えて、指導教官も変えて、心機一転やってやるぞ、という気持ちを抱いていたのだが、どうも進まなかった。

そのまま修士論文執筆時期を迎え、流石にそろそろ進捗やべえなあと思いながらも、依然としてやる気が出ない。自分が休んでいる間に成果を出していた同期が自分より上のステージに進んでいたし、周りも成果が出始めている時期だった。

かくいう自分は休んでいる間に進捗が生まれるわけでもなく、成果も生まれていない。

指導教官からは、「気にせず、一からやっていこう」と優しい助言をもらったが、自分の中では同じスタートラインに立っていた仲間がすでに別のステージに居ることが耐えきれず、「自分だってそうなれたかもしれない」という思いを抱いていると、どうも何かに取り組むという気持ちを抱くことが出来なかった。

そんなこんなで、表向きには復帰をしたものの、鬱々とした気持ちを抱いたまま過ごしていたのだが、今日ある日、ひょんな契機をきっかけにやる気が湧いた。

それが直接的に何だったのかを言及することは控えるが、その姿を見て、自分もやってやろうと思えるようになった。

そのとき、何が悪かった、何が自分の心に影響していたのかということも、若干ながら気づくことが出来た気がする。

具体的には「同じトピックについて議論できる仲間が(教員を含め)存在すること」が欠けていた。

それは自分説明能力の低さだったり、キャンパス研究室の環境といったところにも由来するかもしれないが、自分の中で、自分のことを理解してくれる人などいないという思いが鬱積して、たまりにたまりこんでしまった結果だったのかもしれない。

そういう意味では研究室を変えたことや、研究室を変えても人とのつながりを維持していたことはプラスに働いたのかもしれない。

とかく、この経験から私が言えることは

の2つは大事ことなのかなと。

2018-09-11

研究に向いてないかもしれない

文系博士課程1年。

身バレが怖いのでざっくり書く。

書き込むの初めて。吐き出せるところも無いしもうどうしようも無いので吐き出させてほしい。

多分支離滅裂で読みにくいと思う。ただの愚痴

研究に向いてないかもしれない。

勉強は好きだ。小学生のころから好きだった。夏休み冬休みなんていらないか勉強したい、ってくらい好きだった。夏休みの宿題も前半に終わらせるタイプ。新しいことを知れるのが嬉しかった。

良い子ちゃん、ってわけではなく結構やんちゃしてたし喧嘩とかもしたりしてたけど、成績良かったし学級委員とかもしてた。

中高もテストは上位だったし成績も4と5。勉強好きだって思ってた。

大学もめちゃくちゃ楽しかった。興味ある授業を自由選択して聞くだなんて最高だったし、すごい楽しかった。

おかげさまで成績上位で表彰してもらったりしてた。

けどこのころからなんとなく思ってた。

自分が好きなのはいわゆる「勉強(=良い成績を取ること)」で「学問」じゃないんじゃないかって。

実際、成績は良くないけど読書量と知識量がすごい友人がいて、「大学院に行くならこういうやつだろうなぁ」って思ったし、純粋尊敬した。

もし成績という数字が出ないんだとしたら、自分勉強するんだろうか、とか考えた。

答えは出なかった。未だによく分からない。

結局、親も応援してくれたし勉強も続けたかたか修士に進んだ。

憧れの教授の元で勉強できてすごい楽しかった。教授も「すごいすごい」って褒めてくれたし、公私共に気に入ってくれてるみたい。ありがたい限り。

ただ、教授指導の元で研究してると「オリジナリティは?」ってすごい聞かれる。

教授フォローしてくれる。でも、真似事の域から出てない気はする。

とりあえず修士論文は通ったけど、穴だらけで恥ずかしい。

からないことを知るのは楽しい

でもこれは「研究」とは違うんじゃないか、って思う。

本読んで「へー、そうなんだ」って思うのは楽しい

「じゃあ、これってそういう意味なんじゃね?」って、研究対象に本の記述を照らし合わせてくのも楽しい

けど、他の先生たちから「既に分かってることを並べて何が新しいの」「何が言いたいの」と言われる。反論はできない。自分がしてるのは結局「調べ学習」でしかなくて、新しい推論も発想も無い。新しいことを知って組み合わせて喜んでるだけの、お遊びだと思う。

ありがたいことに指導教授はずっと評価してくれてる。

から博士にも進んだし、なんとかこの場所にいられるんだと思う。

けど、教授のおなさけなんじゃないか、って思う時もある(ただ、指導教授がそういうタイプじゃないのは分かってる)。

今も博士論文に向けていろいろ調べてる。楽しい

でも結局「何が言いたいの?」って言われたら、言えない。

「これが知れておもしろかった、まる」で終わる気しかしない。

こんなんで研究者になれるのか。

研究に向いていないんだと思う。

でも、どうしようもない。とりあえず進むしかない。

正直疲れた

2018-08-16

研究に行き詰って精神を病んでいる院生のみんなへ

研究に行き詰って精神を病んでいる院生のみんなへ。

きっと大変だと思う。

少し検索をすれば、みんなへのアドバイスはけっこう蓄積されているはずだが、ここでは少し違う話をする。

研究が行き詰れば精神を病む」は、多くの場合である

でも「研究が上手くいけば、精神回復する」は、必ずしも真とは限らない。

努力とその先にある成功とは強烈な鎮痛剤で、研究上のあらゆる苦しみをやわらげてくれる。

中間報告が上手くいったとき修士論文が書けたとき、はじめての研究会で発表を終えたとき、本当に研究をしていてよかったと思う。今までの苦しみが全て吹き飛んだような気がする。

「ような気がする」。

この鎮痛剤は、鎮痛剤に過ぎない。根治につながるものではない。そして多くの鎮痛剤がそうであるように、徐々に耐性がつき、ついには効果がなくなってしまう。


研究に行き詰ってないのに精神を病んだ時、もはや研究による打開策はない。既に上手くいっている研究軌道に乗せる方法など、存在しないからだ。


研究による精神不安を、研究によって解決するという策は、実は危険だ。

手は早く打った方がいい。

難しいことじゃない。例えば心療内科を探せばいい。自分に合うところが見つかるまで4軒くらい回れば、いいとこがあるだろう。

Scholarがつかないグーグルで「精神 不安」で検索してもいい。

精神を病むことのコストは大きい。研究も、研究から離脱も、何一つできなくなる。

研究が上手くいっている人もいない人も、どうか上手く院生生活を乗り切ってほしい。

院生室の片隅から、いつかどこかであなたたちが活躍することを祈っている。

2018-07-24

#自分をつくりあげたゲーム4選

twitterで盛り上がってるハッシュタグ

参加したいけれどフォロワーろくに居ないwし、twitterで人気あるデジタルゲーじゃないし、140字じゃまともに語れないしでこっちでやってみる。

自分語りチラ裏)注意。

日本機動部隊エポックレックカンパニー)』1982年

人生SLGだった『連合艦隊バンダイ)』と迷ったけれど、次にハマったこれに。ややこしいシステムになりやす空母戦を未確認マーカーと誤認チットを使った索敵、十字型のマスに船を配置して陣形効果表現するといった簡素でツボを突いたシステムで表すことに成功していた。デザイナー鈴木銀一郎氏がTactics寄稿したデザイナーノートもよかった。戦闘参加者の手記の記述から指揮官が彼我の相対速度を下げて自分が撃たれるのを覚悟で必中を狙ったか(敵味方の被害大)、逆に撃ち逃げしたか(〃小)を分ける必要に気づいて攻撃結果表に組み込んでいく制作プロセス説明は、シミュレーションゲームのなんたるかを教えてくれた。

『熱闘12球団ペナントレースホビージャパン)』1984年

野球シミュレーションカードゲーム。各選手ごとにその年の成績から状況別の確率計算で求められた打撃結果パターン守備力が書かれたカードになっていたが、これは当時手に入る中では最高の野球ビッグデータ集で、数字を見ているだけでも飽きなかった。試合は1打席ごとにサイコロ2つ振り、1・1~6・6まで記された打撃結果番号をランナー別に分かれた結果表に当てはめて打撃結果を求める(時には守備投手能力で結果が変化する)。一試合30分で教室の机の上で出来る手軽さから人達担当球団を決めてペナントレースをやったりしたのはいい思い出。それをきっかけにパリーグファンになってやがて近鉄合併反対運動に参加するまでになった。今もやきうオタです。

シムシティ(マクシス)』1989年

説明不要。多数の要素が(時間差をおきながら)影響を与え合うことで生じるマクロ不断の変化の表現に衝撃を受けてノート取りながらプレイしまくった。やがて「エージェントベース社会シミュレーション」なんてテーマ修士論文ネタに選んだのは間違いなくこいつのせい。

N95鋼鉄の虹(遊演体)』1995年

郵便手紙)を使って数千人がかりで一年掛けてプレイする前Web型のMMORPG。一ヶ月1ターンで自分の行動を主催に送ると、数千人の行動の絡み合いの結果どんな事件が起きたのかが短編小説形式で返ってくる。あくま自分キャラ視点で書かれたものなので、他のプレイヤーと情報交換が必要になるがそれが事実とは限らない。来たるべきネット社会幻視させた予言的なところさえあった。実際2ちゃんねるもそこでの様々な騒ぎもデジャビュを感じたくらい。Web社会論や集合知論なんかの議論に参加する下地を作ってくれた。メイルゲームとのファーストコンタクトの『N90蓬莱学園冒険!(1990年)』と迷ったが、N90は他に挙げている人がいたんで個人的に楽しめたこちらを。

2018-07-09

anond:20180708204542

修士論文ゴミクズだと評した指導教官が全く同じ内容で出版して表彰された上に大学教科書にもなったこ

論文剽窃とみなされて留年した

2018-04-13

ネットに転がってる論文、先行研究にしちゃ駄目か

早稲田修士論文で、CiNiiやらには載ってなかったんだけど

指導教授名前はあるのに肝心の学生名前がない 使える内容なのになあ、勿体無い

2018-04-01

高校卒業しちゃった人たちへ

昨日で正式高校生活を終えた人も多いと思う。

ひどいケースだと高校卒業したら人生下り坂、

みたいに思ってる女子高生もいるみたいなので声を大にして言いたい。

人生高校生の時に想像するよりずっといろんな事があってエクサティングだ。

僕が高校生の時に立てた雑なライフプラン

大学付属校→同大学→同大院→同大助手同大助教授同大教授

という何の変化もないものだったけど、

現実には大学卒業して他大学大学院に移り、

修士論文は更に別の大学先生にお世話になって、

結局は挫折して、金融機関就職

色々頑張って仕事したものの、

その後アメリカ留学して別分野でPhD取った後でアメリカ大学教員に。

そこまでやった今現在でまだ40歳過ぎ。

まだ20年以上の仕事人生があり、

これからどうなるのか自分でも想像つかない。

仕事辞めた後は日本に帰ってもう一回、

別の分野で大学院にでも入ろうかと思ってる。

高校卒業したらもう面白い事がないなんて考えるのは

単に自分想像力が足りないだけなんだよ。

ちなみに、四十のおっさんになった後も可愛いJKは好きです。

2018-03-10

毒親から縁切るテク教えて

なんとなく増田はこういう技術を知ってる人多そうだから

毎日死ねとか怒鳴られるのそろそろ限界感じてきた

修士論文提出前日に怒鳴りつけて3時間雪かきさせてきてもう本当に無理だと思いました

来年から別居は決まっているのでどうやって消えていくかを教えて欲しい

でもなにしても興信所とか使われたら終わりなのかな

2018-02-27

Sex and the Grad School

この3月大学院を修了する。

今は地方都市に住んでいるけど、就職先は東京

24年間生きてきたが、俺は女というものを知らない。

先日、行きつけのインドカレー屋で夕飯を食べていると近くの席から学生カップルの会話が聞こえてきた。

「俺が小さい時、奇跡が2回起こったんだよね〜」

「え〜?なにそれ?教えて教えて!」

「1回目は3歳くらいの頃、お父さんとお母さんと一緒にフランス料理に行ったんだよ。

そしたら俺、お父さんとお母さんがお会計してる時にいなくなっちゃって。

店の中を一生懸命探したんだけどいなかったらしくって、外まで探すことにしたんだって

そしたらお店を出たところの信号ハイハイで渡ってたんだって!」

「え〜?なにそれすごーい!」

「俺、まだ生きてるの本当に奇跡なんだよね」

「確かに!すごいね〜!」

たまたま耳に入ってきた”奇跡”の話を聞いて、俺はため息で心臓が飛び出てしまいそうになった。

それくらい危ないことなら、誰でも大抵経験しているのではないだろうか。

「俺だって小さい頃にデパートで……」

と自慢のバブちゃん武勇伝披露しようとするやいなや、「羨ましいな」という素直な気持ちに襲われ、そっとメガホンを置いた。

こんなつまらない話を聞かされているにも関わらず、前のめりに相槌を打つ彼女

そういう存在を、僕はずっと欲していたんだ。

修士論文を書き終える頃から身なりを整えるようになり、アプリを使って出会ったりするようになった。

一ヶ月で5人に会って2人お持ち帰りした。

そうやって俺は素人童貞を捨てた。

セックス自分気持ちよくなることには興味がなかった。

徹底的に女の子気持ちよくしてあげたいと思っていたし、(きっと男の傲慢ではなく)そうできていた。

会う前に"SHIMIKEN's BEST SEX 最高のセックス集中講義"を買って、猛烈に予習をしていたほどだ。

なぜ俺が女の子快楽ばかり気にかけたのか。

それは、女はセックスをすると愛情が湧くらしいとネットで読んだからだ。

俺は、愛が欲しかったんだ。

今は2人とも連絡がつかない。

心にカサブタができて、なんだか傷つくことができなくなってきた。

息苦しくて、大人になるってこういうことなのか?と思っている。

愛が大事だという。

俺もその通りだと思う。

じゃあ、俺にも女の子と愛をさせてくれと思う。

学部時代恋愛ができなかった男は、大学院に進んでもきっとそうだ。

特に環境が変わるわけでもないし、親のすねをかじる身分も変わらない。

研究室という狭いコミュニティにあと2年いるよりは、学部卒で社会に出た方が恋愛に恵まれそうだと思う。

そんなことも考えず大学院に進んでしまった俺だが、やっぱり愛が欲しい。

街コンに行ったり、いろんな出会い系を試したりしたけれど、どちらも肩書き大事世界だ。

大学院生というのは受けが悪い。

苦しい中でも、俺は色々と試行錯誤している。

愛が欲しくて、出会い系の通知を気にする俺は何かが間違っていると思う。

こんなことまでしないと出会えないのか。

セックスしても繋がっていられないのか。

『(恋愛経験のない)大学院生は愛を手に入れにくい』

これが、本稿で伝えたいことだ。

色々端折ったので、必要な部分は適宜行間を読んでもらいたい。

この問題解決策を考えてくれてもいいし、共感していることを示してくれるだけでもいい。

ただ、「自分の修めた学問に自信を持てば?それが持てなければお前が悪い」というありがたいお言葉だけは願い下げだ。

読んでくれてありがとう

2018-02-08

修士論文を提出した

自分でも誇るところのないなんだよこれ,みたいな修論だけど.

教授のおかげもあり,とりあえずストーリーを組み立て,それらしいデータを付けて,形にして,

それらしい謝辞と参考文献と付録を付けて,体裁を整えた紙媒体を提出した.

この2年間,本当に情けない2年間だった.

3回生自分は,もう少し根拠のない自信のようなものを持っていたと思う.

研究室配属され自分のやりたいことのあやふやさ,相手と話すとき物事構造的に論理的に伝える技術を持ち合わせていないことに気づくまでに1年,

なんとなく教授に与えられた(教授自分要望合致しそうなものを選定してくれた)テーマと向き合い,何をして何を前もって用意しておくべきだったかに気づくのに1年,

取り組んでみて手遅れだったことに気づき,でもそれを形にしなくてはいけない1年.

4回生から全てが後手に回る研究室生活だったと思う.

今の自分は3年前の自分からしたらたぶん何をどうしたらそんな人生ルートあったんだよっていうぐらいの所にいる.

それだけ恥ずかしく,情けない.

学会発表もせず,だらだら研究室居座り「ガキ」「後輩とのコミュニケーションすらまともに取れない」と言われ続け,自分なりにアプローチをしてみても結局は自信がないからすべてのことが中途半端に終わる.修士という時間に憧れを抱いていたわけでもないけれど,自分にはできないことばっかりだなあということにやっと気がついた.

提出した論文推敲を重ねはしたが,きっといくつもミスがある.

成功体験も失敗体験もどちらも人を成長させるとかよく言うけど,おそらく今後の人生もこういうふうに仕事ミスし叱責され,失敗に目を背け,

中途半端な所で妥協して,論理的じゃない感情的言い訳をして茶を濁しながら生きていくんだろうなあ.

修士3年間で良くも悪くも自分本質的な所が少し見えた.

これからはもう学生という免罪符はなくなる.なんとか変わりたい.

2018-01-23

修士論文がつらい

修論締切直前の深夜にこんな駄文を書いているのは現実逃避以外の何物でもない.

私が3年間の研究室生活の中で自分自身や周囲の人間を観察していて気づいたことは,「指導教員の言うことを素直に聞く」人間は安定して成果を出しているということだ.

私は物事批判的に捉える傾向があり,他人の言説に対してまず疑ってかかるきらいがある.そしてさらにたちの悪いことに,私は自分のしていることに一度でも疑問を感じてしまうと,その疑問が解決するまで手が止まってしまう悪い癖を持っている.かつてこの性格が原因で4回生とき卒業研究を失敗した経験がある.

学部4回生研究では,指導教員が適切なレベル問題とそれに対するアプローチ提示して,学生はそれを黙々と実践し結果を得る中で,手習いのごとく研究方法論を身につけていくものだと思っている.

当然私にも指導教員から卒業論文テーマが与えられた.しかし私は論文サーベイ研究を進めていく中で,「そもそも問題設定に誤謬があるのではないか?」という疑問を持ってしまったのである.(当時の私が抱いた疑問はどうやら見当ハズレというわけでもなかったらしく,後になって隣接する他分野で私の疑問に答えるようなアプローチ研究されていることを知った)

私は指導教員自分の気づいた問題点について相談したのだが,私のコミュニケーションが拙いことや,指導教員自身がそのテーマに関して専門外であることもあり,その時は指導教員からどうしても納得が得られるアドバイスが得られなかった.そして私が「この研究には価値があるのか?他に良い問題設定はないのだろうか?」と悩んでいる間に,周囲の同期は順調に研究成果のようなものを出しはじめ,私は彼らへの劣等感から研究室に行くのが辛くなって家に引きこもるようになった.最終的には何とか卒論を提出し卒業はできたものの,私の卒業研究は見事に失敗してしまった.

この時の経験反省し,修士2回生とき((修士1回生の間は国外逃亡してた))に取り組んだ新たなテーマでは,私は指導教員の言うことに疑問を抱くことを極力やめて唯々諾々と言われるままの作業をすることにした.すると結果3ヶ月余りで成果のようなものを錬成することに成功し,(レベルは高くないが)国際会議論文投稿することができた.

何のアウトプットも出せないことに比べると「国際会議論文投稿した」というのは紛れもない進捗である指導教員の指示を素直に首肯できず,かといって自分で新たなテーマを打ち立てるほどのサーベイ力も発想力もない私のような人間は,やはり教員の指示に従って黙々と研究を進めるのが正解なのだ.私の失敗は文字通り「下手の考え休むに似たり」だったのだ.

でもその時に出した成果はまさに重箱の隅を突くような,問題設定や手法としての新規性が皆無に等しい研究だった.レベルが低い国際会議から通ったものの,僕が査読者なら間違いなく落としていただろう.この研究でもやはり私は指導教員に与えられた研究テーマ(というよりも問題設定)にずっと納得していなかった.それには私なりの合理的理由があったのだが,今振り返ってもその理由は間違っていなかったと思う.この時,指導教員にきちんと反論し,自分の頭で考え抜いて研究に取り組んでいれば,もっと満足のいく成果が出せたのだろうか?

少なくとも自分研究者に向いていないのは明らかである就職という選択肢を選んで正解であった.

私は自分アウトプット人格を切り離して考えられない人間なので,修論原稿を1字書き進めるたびに自分修士研究の不出来さ,ひいては自分という人間の不出来さを再確認させられ,物凄いストレスを感じてしま・・・

2018-01-18

ゴミを生成した

具体的には修士論文の草稿

何もないよりはマシなのかもしれないけどこれはゴミなのでは???

ゴミでは???

っていうかゴミを生成して卒業ってどうなのよ

明日教授から言動で)ボコボコにされる未来しか見えない

2017-12-08

anond:20171208164432

お疲れ様

就職できなくて大学院かに行くと、卒業論文よりもクソ難しい修士論文かい論文書かなきゃいけなくなるから就職頑張って。

2017-10-03

anond:20171003222758

レスが付くとはw

つか今の時点で人事にいうのは早すぎるよ

修士論文がもうどうにもダメで、卒業ほんとにやばいってなってから言ったほうがいいと思う

今の時点で「うつ病になってるみたいで卒業できないと思うので働かせて」とかいわれても会社は困る。

いや、卒業とりあえず頑張ってみて、無理ならその時話してよ!ってなると思う

今は病院行って治療に全力振ったほうがいいと思うよ 

 

うちの会社場合だが、院を卒業できない人でも4月新卒で入ったよ。新入社員研修とかみんな一斉にやるから一人だけ早く来られても研修別にやんなきゃいけないし、

人員来年4月からで調整してるし、会社としては、いいかゆっくり治して、なんとか卒業してください…だよ

卒業できない、って話をしてきた人たちはみんな年が明けてからだったよ、それまではなんとか粘って卒業しようとしてる

 

今は内定先には何も言わないほうがいい

2017-09-18

anond:20170918004036

教育の結果出てくるもの卒論と思って、自分の書いてきた論文カレーで例えると

学士論文カレーのふりをしたうんこ

修士論文うんこ味のカレー

博士論文→まともなカレー

って認識

高学歴と言っても、学部まででは何か新しいものを作る事が出来ないのは仕方ないかなという気はする

博士まで取った人なら知らんけど

2017-07-11

https://anond.hatelabo.jp/20170711230540

大学を経ずに大学院入学した場合

巨人桑田とか。大学院修士論文を書くかどうかはしらんけど。単位取得だけかもしれん。

高度専門士修士

4年制の専門学校には、高度専門士という称号(学位ではない)を付与する所がある。

高度専門士に対しては大学院への入学資格がある。

前は実際にはほとんど入学してないらしいけど。

海外大学を経由した場合

学士ではないんだろうな、きっと。

2017-06-05

大学院生24歳、女

修士論文を書きながら恋をしている。

とにかく惚れっぽく、ゆきずりの男をすぐに好きになっては勉強しなくなる。

まりにも恋の話しかしない私を見かねた先輩から、「実体験をもとにした増田文学者になりなさい。タイトル釣りなさい」というありがたい助言をたまわる。

実際にやってみる。

ブックマーク1、トラックバック1。

増田文学者になりそこねた。

増田文学はあきらめて、修士論文と恋に全力を尽くそうと思う。

2017-05-20

修士課程出てから就職すれば良かった

うちのクソ私大なら修士課程にすすむのぬるゲーだし修士論文だって簡単(俺より遥かに成績悪かった奴が全然勉強せずにきっちり修士課程とった)

3年目までで昇給したのたった1万だ

2年修士課程出るだけで初任給3万以上違う

いやー失敗した

2017-04-04

大学生とき

大学生ときうつピークだったように思える。

(私のは病気じゃなくて甘えに近いような気もするが)

昔の日記を読んでそう思った。

でも勉強バイトサークルもめちゃくちゃ頑張ってたなあって思う。

よく「学生時代に戻って勉強した〜い」って聞くけど、

そう思わない程度には勉強をしたと思う。

院生に進学し、最後修士論文発表会で、研究室先生に「あなたの発表が一番良かったよ」って言われて本当に嬉しかった。

社会人になってからもいろいろあったけど、ふと思い返して一生懸命だった時代があるのは悪くないなって思う。

2017-02-20

修士論文の意義

二重生活という映画を見た.

修士論文がメインである映画が他にあるだろうか.


主人公である珠は哲学科のM2で,彼氏同棲しており,冒頭から濡れ場がある.

珠は修士論文ネタとして人はなぜ生きるのかについて研究する.

当初予定していた手法100人アンケートをとるというものだったが,指導教員が一人を意味のない尾行してはどうかと提案し,珠はそれを実行する.

もはや意味不明であるが,珠は対象A尾行するためにタクシー乗ったり,高そうなイタメシ屋でカルパッチョを食べてとワイン飲んでたりしていた.

タクシーに乗る場面では上がっていくメーターと野口英世が2枚しか入っていない財布を交互に見ており,カネに余裕はないようだった.

彼女修羅場に遭遇しつつも,夏から冬にかけて修士論文を完成させる.指導教官はそれをかなり評価していた.

珠の彼氏は,意味がわからないという評価をしていた.私もまったくの同意である

桜が満開になるころ,珠は引っ越した.そのとき彼女の手には修士論文があった.

私は情報工学科のM2で,一人暮らしをしており,外出先は研究室イオンが大半である.

B4からの三年間で英語論文を3本書いた.

最初の2本は指導教官に与えられたネタで書いた.無事に国際会議アクセプトされ,一週間ずつアメリカカナダにいけた.

3本目は自分ネタを考えて,自分だけで書き上げた.今週末が締め切りの国際会議投稿する予定である

修士論文の締切は2月の頭にあり,3本の論文をつなげて,はじめにとおわりにと謝辞を書いて終わった.

発表も日本学会で発表したときスライドを流用した.

修士論文および発表会は完全に作業であり,3本めの論文障害しかなかった.


あなた修士論文人生において誇れるものですか.

2017-01-19

まさかこのタイミング

修士論文提出3日前に、3か月前に報告済みの実験データの再解析を命じられるとは思わなかった。

もちろん提出に間に合わないではないが、地味に痛い。嫌がらせ炸裂って感じ。

つべものは良き師匠だなぁ。私のついている助教は修了したらどうせ会わないと思ってふざけたことをしてくる、チンケな野郎である

そして私は解析用のパラメータの設定を間違えて2時間の解析をドブに捨てたしょうもない院生である。いい組み合わせじゃないかって?やかましいわ。

発表が終わったらまた学生相談所に行って、私の研究室でのストレスをぶちまけていたカウンセラーにお礼を言おう。

あと、権力も華々しい研究成果もなくて、年下の助教小馬鹿にされていたけれど、時折気にかけてくれたあの先生にお礼を言いに行かなくては。

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