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はてなキーワード: 修士論文とは

2020-08-01

底辺職場に来ての愚痴

結婚を機に、配偶者会社で働いてもらえないかと言う打診があり、そこそこのキャリアを捨てた。ワークよりライフを取った……つもりであった。

以下働いての感想

職場の仲が良い

お土産で茶菓子が食える

仕事中にふらっと出かけても基本的に誰も咎めない

仕事が少なく楽

責任が少なく気楽

いじめがある

職場人間不愉快

節税ができた(配偶者会社であるので

何より頭が痛いのは、私が前職で「脂肪について研究していました」と述べてから、事あるごとに「脂肪弄り」をしてくることである。あちらは、面白いと思っているのか、こちらとしては低レベルな弄りに付き合うのにいい加減飽きた。修士論文で、マウス生殖機能を取り扱っていたこともバレ、下ネタ扱いで笑いを取ろうとしてくるのも大変面倒くさい。

わたしは、馬鹿が苦手なのだとつくづく理解した。まさか、こんな動物園に放り込まれるとは思っていなかった。

現在転職活動中だが、離婚検討している。

煽りでもなんでもなく、「理系文系

よくある意見に、「さすがに東大法学部底辺理系なら、東大の方が上だろう」みたいなのがあるが、間違いだ。

もちろん「底辺」というのが「ボーダーフリー」の意味なら話は別だが、偏差値50前後の誰でも行ける大学という意味なら、

底辺理系東大

だ。

まず、日本大学文系理系とでは、卒業に課せられる要件がまるで異なる

ほとんどの理系学部では、卒業するためには学位論文学部なら卒業論文大学院なら修士論文博士論文)を書かねばならず、その前提として求められる専門知識も高度である

一方、文系は遊んでいても単位は取れるし、卒業するための「提出物」も簡単に書ける。

理系論文というのは、学部卒業論文であっても

一方、文系卒業論文なんて、先生指定した文献(素人でも読める。というか、卒業するだけなら読む必要すらない)を読んで、サーベイもどき読書感想文を書くか、アンケートかなんか取って小学校レベル算数でまとめるだけ。

卒業して身につくスキルもまるで異なる。

理系場合、たとえ底辺大学であっても多くの学生は、上述した論文を書く前提として、

のようなスキルのいくつかが身についている。一方、文系学部卒のスキルというのは、高卒と変わらない。

2020-07-09

もう二度と研究したくねえ

修士論文マジでトラウマ

  

研究テーマ自体が、どうなんだよコレっていう。

なんなら、後輩の方がガンガン結果出しちゃって。

自分の方では、よくわからない結果が出て、コレなんだろうねーで終わった気持ち悪さ。

  

学会で発表しても、イマイチけが悪く。

修論なんて、変なデータすぎて、解釈間違ってるんじゃないか見方によっては都合の良いデータ解釈じゃないのか。とか。

  

というか、出てきたデータの大半が意味不明だったり、実験手技自体ミスっぽい感じがあった。

先輩のポスドク博士の先輩も、データ解釈の間違いなんじゃないかみたいなデータばかりだった。

  

自分提案した手法は、「いいんじゃない?」みたいになったけど、結局やれるチャンスはなかった。

与えられた実験計画をやれとのこと。

実験計画も何も、今思えば、できないこと、実現厳しいことをやらされていたような。

実質的には、条件出しみたいなもんだったのかな。

  

まともな研究たかったが、どうなんだろう。

もうあの研究のことは触れられたくない、人生の汚点。

2020-07-05

修士論文国際的学術誌に載せる学生がたくさんいる(もちろん彼らはその後も定期的に論文を書く)一方で、10年以上論文を書かない教員国立大学などにもいる

別に大学教職を全部任期制しろなどとは言わないが、そういう教員には恥ずべきことだという自覚がないのだろうか

2020-03-19

修士論文の結果 無能がTOEIC900点取ってから人生狂った話

以前の記事TOEIC風評被害を与えてしまったものです。すみませんでした。

https://anond.hatelabo.jp/20200114020713

修士論文執筆が全く進まず焦っておりましたが、先日、無事修了することができました。

また、研究賞をいただくことが出来ました。

最後まで面倒を見て頂いた教授には感謝してもしきれません。

記事を書いた当時、仲良くしてた人に嫌われるのが嫌だったかSNSに書くことも出来なかったし、

掲示板に書くのも怖かったし、

どこかに誰にも言えずに溜め込んできた事を書きたかったんです。

自分ノート作って書いときゃいいじゃんって話なんですけど、

現実で関わりあいの無い他人に見て欲しいって気持ちもあって...承認欲求が大きくて恥ずかしいですね。

たくさんの応援コメントにびっくりしましたが、心が救われました。

また厳しいご意見も頂きまして嬉しかったです。

社会人になるとすべて自己責任で、だんだん他人から直接的に意見をもらう機会も減ってくるので、

なんとなく文章書くの下手だなって思ってたんですけど、再認識出来てよかったです。

みなさんありがとうございました。

コメントをくださった方に届いていると嬉しいです。

2020-01-20

まともな両親じゃないとまともな大学生になれない (1/22追記しました)

3人兄妹の真ん中で生まれた私はたぶん、軽度の虐待を受けて育った。

からずっといじめられていたのに、誰もかばってくれなかった。

両親からの直接的な暴力こそほとんどなかったものの、私だけ誕生日を祝ってもらえなかったり、サンタクロースからプレゼントがなかったりした。

決して貧乏な家じゃなかったとおもう。世帯年収で1500万円ぐらいあったらしいし。

こどものころは「そういうものかー」と思っていたけど、高校生ときに、私だけご飯が出なくなってから異常であることに気づいた。

なんとか祖父母の家に転がり込んで勉強した。

地元から離れたくて一生懸命勉強した。

運良く地底に合格できて一人暮らしを始めた。

8割ぐらいの新入生が一人暮らしをする大学だった。

入学金と授業料祖父母に払ってもらった。

きっと、この決断のせいで人生がだめになったように思う。

入学して半年祖父母が亡くなり、保証人がいなくなった。

未成年に住むところを貸してくれる会社もなければ借りられるお金もない。

教科書を買うお金もない。理系だったから (?) なおさら教科書が高かったように思う。

奨学金も借りられない。一般的日本学生支援機構奨学金は親の収入証明必要になる。

親に収入証明を出してもらおうとお願いし、土下座までしたが蹴り飛ばされて終わった。

今までで一番ひどい暴力だったが、痛みよりも呆然とした気持ちでいっぱいだった。

なんとか、友人の家や先輩の家に転がり込んで、生活費を稼ごうと居酒屋バイトした。

まかないは好きなだけ食べて良いお店だったから、食べるのは1日1食でなんとかしのいだ。店長理解してくれる人で、余り物をもらって持ち帰ったりもした。

ずるずると4年生になって、研究室に配属された。

その頃にはバイトでなんとかお金を貯めることができて、家も借りられた。家賃1.5万円の築40年以上経過してる、寝るためだけの場所

研究は、目の前のことに集中していればいいから楽だった。まわりは大変そうだったけど、私にとっては現実逃避のようなものだった。

ふと冷静になると、友人や同級生家族に支えられながら、心配されながら暮らしているのに、私はなんてみじめなんだろうと感じた。

そういうのを感じたくないか年末年始お盆もただただ研究してた。

別に楽しいとか好奇心とかはなく、逃げるために研究してたのかもしれない。

ラボスタッフには褒められてうれしかったけど、どこまでもみじめだと思ってた。

就活もしたかったけどお金がなくてできなかった。地方大で就活する場合一般的に30万円ほど必要になるらしい。

例年、4年生の9割近くは大学修士課程に進学する大学で、同級生は当たり前のように進学を希望していて、もちろん親に援助してもらっていて、なお一層つらくなった。

就活するにも進学するにもお金必要で、でも親の協力を得られないとなんにもできない日本が嫌になった。

ここまで生きるのを頑張ってきて、必死でやってきたことを無駄にしたくなかったから、理解してくれた知人を尋ね回って進学する資金を集めた。

そのまま修士課程必死に頑張り続けて、ようやく修士論文提出の直前まで来た。

ただ、やっぱりふとした瞬間に、どこまでもみじめで、どうしようもないやるせなさに襲われる。

来年からDC1に採択されてきっと生活は楽になるけど、ここまでで350万円も奨学金以外の借金を背負ってしまった。

かに奨学金は親の収入が少ない学生には配慮しているけれど、私のような親との関係性が悪い学生のことは考慮してくれないのだろう。

つくづく日本という国のシステムが嫌になる。他国がどうなってるかは知らないけど。

理系博士課程1人を育てるために、1億円近い税金が投入されているらしい。

そりゃ確かに1 mL10万円もする試薬もざらにあるし、多分本当にそのくらいかかっているんだろう。

一方で私が払った学費たかだか500万円にも満たないものだ。

でも、どうしても日本という国が好きになれない。もっと人間らしい生活を送りたかった。もっと大学生らしいことをしたかった。

だって新しい服を買いたいと思ったし、趣味お金を使うこともしたかった。旅行にいける友人がうらやましかった。

私の青春はきっと、来ないままで終わるんだろうなって思うと無性に悔しくなる。

ちょっと前までは全部親が悪い、日本が悪いと思いこんでやり過ごせていたけれど、最近はすべてなにかに責任押し付けようとしてそれらしい理由を探しているんじゃないかと思ってきた。

何が正しいのかはわからないけど。

どうすれば正解だったんだろうなぁ。一般に楽しくて自由な期間は全て終わってしまった。私にはモラトリアム期間はなかったんだろう。明日明後日も漫然と研究して、過ごすんだろうなぁ。

今後もずっと親と国を憎みながら、過ごすんだろうなって想像できる。

もっと良い両親の下に生まれたかった。なにもかもが悔しい。

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1/22 追記

はじめて投稿してみましたが、予想以上の方々に反応していただきありがとうございました。

賛同・同情してくださった意見批判してくださった意見のどちらも、ありがたく受け止めさせていただきます

また、本文中で触れていませんでしたが、私の大学生活を支えてくれた祖父母・知人には、当然ですが心から感謝しています

その上で、私が思ったことについて返答させていただきます

(引用) 本人に貸与されるタイプは親のいらないし そもそも働けばいいのでは?

前半部分について、本人に貸与されるタイプでも親のサイン・判子は必要になると思います。最も一般的日本学生支援機構第一種第二種奨学金でも、機関保証を用いている場合だとしても親・もしくは後見人同意確認必要でした。そのため、私は借りることができませんでした。企業財団法人から奨学金に関しては、すべてをチェックしているわけではないので100%ないとは言えませんが、ご存知でしたら後学のためにおしえていただきたいです。

また、後半部分についてですが、これはそのとおりだと思います大学に行きたいというのは私のわがままであることは自覚しています (言い訳としては、大学入学時には祖父母が健在だったため、途中で、資金が大きく不足することを予定していませんでした) 。その上でですが、50%は大学進学しないというご指摘いただいたように、言い返せば50%が大学進学できる日本で、親の援助が受けられないという理由だけで大学進学ができなくなるとしたら、それは大きな問題であると思います借金を背負ってでも大学勉強したいという意思がある場合には、最低限人間らしい暮らしの中で、勉学に集中できる程度の援助が受けられる体制があれば良いなと思っていますとはいえ、国が憎いというのは確かに過剰な表現でした。申し訳ありませんでした。

(引用) 親が貧乏なケースよりも、親が金持ち年収1000万超とかで色々な支援がなくなる)だけど非協力的な方が詰むケース多いよね。

(引用) 自分だけメシがない、っていうのは平等にメシがないより辛いよね

私が一番強く言いたかったのはこれです。簡潔にまとめてくださりありがとうございます

はじめて自分経験文章にして、自分の考えがまとまったようでスッキリしました。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

2020-01-14

好きなことだけして嫌なことを全て避けて生きてみた結果

高校は授業がつまらなかったので不登校をしていた。

大学では好きな勉強だけしていたら2度留年した。

新卒で入った会社を配属されてから1ヶ月でつまんないと感じて辞めた。

一般的にみたら落伍者社会不適合者、ゴミ屑、なのだろうし、それは全く間違っていないが、それでも結構幸せに生きていけている。

僕が今回言いたいことは、「つまらないと思うことを努力してやって結果って出るんだろうか?」という話だ。

僕が今まで生きてきた経験上、つまらないと思うことを我慢して続けたことよりも、好きでやって努力努力だと思わないでやっていたことの方が成果を出せた。

たぶん、誰だってそうなんじゃないだろうか。

まらない高校の授業を、周りと同じように我慢して聞いていたことがある。

テストがあるから、興味のない学問勉強したこともある。

仕事から、仕方なく我慢して続けてやってみたことがある。

でもそれらが身になることはなく、身についたとしても、それが僕を幸せにすることはなかった。

から僕は高校に行かなかった。でもとても勉強が好きだったので、家やらカフェ勉強していた。結果、東大に進学した。

東大では2度留年したが、好きな勉強だけをしてそれを論文にしたため、優秀な修士論文として学科長の賞をもらった。

新卒では東証一部の某企業入社した。研修を終えて最初に配属された部署で振られた仕事があまりもつまらなかったのでボイコットした。当時の給料は額面で月25万だったが、副業で月50万稼いでいた。

もとよりプログラミングが好きで、webサービスを作ることができたので、スタートアップエンジニアとしてフリーで働いていた。時給4000-6000円で請け負って、会社を定時で切り上げて夜の11時くらいまでスーパー銭湯にこもってコードを書いていた。そちらの仕事の方が楽しかったので新卒で入った会社は配属されて1ヶ月で辞めて、しばらくフリーで働いた。

アフィリエイト宣伝文句のようであるが、フルリモートだったので会社を辞めてから海外旅行をしながら仕事をしていた。

最初のうちは調子が良かったが、フリー仕事が常にあり続けるというわけでもないので、仕事がなくなりそうになった。仕事がなくなれば、そこでジエンドではある。でもそれでも、まあ結構大丈夫だ。

linkedin登録していると時々転職エージェントから企業の紹介がある。フリーをしながらそういう紹介を受けて、冷やかしで面接にいった。僕の履歴書はめちゃくちゃであったが、好きなことだけしていれば面接で話せることは山ほどある。2度の留年や、会社を数ヶ月で辞めたことは帳消しになったようで、どこの企業からオファーをもらえた。年収は、普通は前職考慮なのだろうが、こちらの言い値が通った。

これらのストーリー再現性があるとも思わない。ただ、僕は自分人生方針は間違っていなかったと思う。

嫌なことを全て避けて、好きなことだけ興味のある限りやってみる。

その方が成果を出せると僕は思う

anond:20200113205934

同じような状況で、元々営業職だったが4年間掛けて税理士資格を取った。今は社内でもプロとして一目置かれてそれなりに満足してるので、下記参考まで。

税理士試験は、会計2科目、税法3科目を集めれば合格。一度に受かる必要はなく、科目合格の期限も無し。

抜け道として、法学大学院を修了すれば、税法2科目が免除になるので、これを利用。

●具体的には、1年目で税法1科目を合格し、直ぐに通信制大学院入学

●2年目は大学院単位を取りながら、会計1科目を合格

●3年目は大学院修士論文に集中して2科目免除を確定。

●4年目に残りの会計科目を合格

こんな感じで、働きながらでも簡単に取れる割には、社会的にはそれなりに評価される資格なのでオススメ

2019-12-26

無能の人

高校以前

私は比較好奇心が強い子供だったと思う.小さい頃から親になんでなんでと訪ねては疲れさせていた.小学生の頃,調べ学習が大好きだった.調べ学習時間では,その時間が始まるといてもたっても居られなくなり,先生の言うことを聞かずに行動して怒られたりしていた.

中学生の頃は,物になぜ色がついて見えるかを調べた.それを調べている時はとても楽しかった.階段状に並んだタイルの総数を考えたり,N次元空間に置かれた立方体がある視点から見える最大の面数は何か疑問に思ったりしていたこともあったっけ.

母親は欲しい本はなんでも買ってくれた.ラノベ宇宙の本を買ってもらった.雑学の本も好きだった.ブラックホールが発生してから蒸発するまでの話に私はとてもワクワクした.

私が友達なんていらないと思うようになったのは,中学生の頃,同じクラス女子が原因だった.彼女は手下にできそうな私を見つけて,私を支配下に置いた.私はそれ以来人間不信のような状態になった.

私が自尊心がないのは両親の不仲が影響しているようにも思う.父親が帰ってくるたび毎日家がピリピリしていた.母親は私が中学3年生の頃家出してしまった.その時は毎日泣いていた.学校休みがちになった.父親料理ができないから,コンビニ弁当ばかりだった.その頃,母親浮気していたと思う.私はとても寂しかった.人生は結局一人なのだと思った.

けれど,母親は結局,私を別居先のアパートにいさせてくれた.学校をサボって,会社をサボっている母親映画を見た.映画のシーンでセックス描写があったときに後ろから目隠しをされた.母の手は暖かくて,なんだか嬉しかった.

高校時代

高校受験の時は,親に経済的負担をさせるまいと,確実に合格できる公立商業高校情報処理科を受験した.

高校では友達を作らないようにしようと自分の殻にこもった.入学直後,女の子がお弁当を一緒に食べようと誘ってくれたが断った.友達になろうとしてくれた人の誘いはほとんど断っていた.

けれど,部活には入部した.商業高校だったもの科学への興味があったため科学研究部に入ったのだ.

生物ドクターを出た先生顧問だった.高校2,3年生の頃は水生生物調査が主な活動だった.部活顧問は「お前はドクターまで進学した方がいい」と助言してくれていた.

この頃も,宇宙の本を読んでいた.その本は量子力学に関する奇説を扱う本だった.この宇宙は,あらゆる状態分岐に応じて,並行して無数に存在しているという説もあった.今生きている私というのも,無数に存在する宇宙のうちの一つの認識している自我しかないのかもしれないと思った.宇宙にとって私とはエネルギーの濃淡の揺らぎ,またはセルオートマトンの点滅.私が生きていようが死んでいようがどちらも美しくなりたつ宇宙に思いを馳せた.

大学受験では,文系高校から理系大学への進学は難しかったが,やはり理学への興味が尽きなかった私は,理系へ進学することを決断した.高校では数学はIとIIしかやっていなかったため数学受験勉強は独学で行なった.私はひどく頭が悪いわけではないけど,かといって大して頭がいいわけではないから,低い偏差値大学の推薦入学だったけど,それでも苦労した.

何回か,母の前で自殺するふりをした.反抗期からか,勉強ができないストレスか.ある日,母に他の男の気配を感じた.当時の私はそれがたまらなく許せなかった.死んでやる,といって包丁を持ち出して,自分首に突き立てたりした.本当は死ぬつもりはなかったけど,別に死んでも構わないとも思っていた.

大学時代

高校で,中学生の頃いたような人間には出会わなかったので,大学では友達を作ろうと思った.

また,研究に対して大きな憧れを持っていた私は,すぐに研究室に配属を希望した.その教員は快く迎え入れてくれた.3年生の頃には,先輩の卒論を手伝うほど知識がついていた.今思えば,あの頃が最も楽しく知識を身につけていたと思う.授業でも良い点を取ろうとか考えてなかったので,授業を聞かずにオリジナル(?)のアルゴリズムを使って手書きボロノイ図を書いたりして自由に楽しんでいた.外部発表もしたし,卒業論文特に苦労もなく書き終えた.この頃,「ゲーデルエッシャーバッハ」という本に出会って,その本に魅了された.

大学院 (修士時代

いつからか,「論文を出さなければならない」,「自分は周りと比べて劣っている」,という考えにとらわれるようになった.体調的にも良くなかった.学部の頃からカフェインの大量摂取昼夜逆転生活慢性的睡眠不足運動不足栄養不足などが祟ったのである.締切前になっても全く焦りが働かなくなった自分に気付き,おかしいと思って心療内科に通院し始めた.修士論文も提出しなければいけないのに全く取りかかれなかった.学部の頃からお世話になっていた指導教員ではないO先生がそんな私を見かねて,一緒にLaTeXを書いてくれた.一応提出はできたけど,修論発表を終えた後は悔しさで泣いた.

大学院 (博士時代

それでも私は博士へ進学してしまった.修士の頃からドクターは進学しようと決めていたし,エネルギーの低くかった私は,判断を変えるほどの力がなかったのかもしれない.正直,そんな覚悟博士をやっているのは日本でも私ぐらいなのだろうと時々思う.幸い,修士から学費生活費は奨学金授業料免除アルバイトで何とかして親に頼らずにいられた.

博士の間はずっと,健康を取り戻すために時間を使ってしまった.カフェインを断ち,夜更かしを辞め,休日は一切休むことにして,睡眠を十分にとり運動もして,という生活を送った.論文よりも睡眠運動を優先した.O先生博士の間もずっとメンタリングしたりしてくれた.なんとか学会論文を2本書いたが,卒業要件でもあるジャーナル論文が完成しない.とうとう何もできないまま3年生になってしまった.

現在: 自分について考える

O先生に,成果という葉にとらわれず自分という根を大切にしなさいと教えられた.成果にばかり気を取られていると自分エネルギーが朽ちてしまうというのだ.確かに思い当たると思った.そもそも自分ってなんだっけ?と思った.ドクターには,「自分」が必要なのだ.でも私はそれがなかったのだ.目の前の成果だけしか考えていなかった.

自分はなんのためにドクターをやるのだろう?一瞬,救済を必要とする人や弱い立場の人のためになりたい,と思ったけど,本心からそう思っているか自信がない.ひとまずそう思うことで安心したいと思っているだけかもしれない.自分とは,ちょっとした好奇心を満たすのが好き,それだけだった.

私はなんのために生きているのだろう?私は高校生の頃からセルオートマトンの瞬きにしか過ぎない人生などに,意味を見出すことはできなかった.

死の淵に立てば,生きる意味が見出せるかもしれないと思った.服薬自殺病院巡りをして薬が準備できるのに時間がかかりそうだし,飛び降りは失敗した時が怖いと思った.死ぬときは失血死か,首吊りかどちらかにしようと思った.結局,なんとなく気が進まなくて,自殺の手筈を整えるのはできなかった.

文系先生に生きる意味相談したところ,その先生四諦八正道の考えを教えてくれた.確かに考えても意味はないのかもしれないが,考えるのをやめることは難しかった.

哲学科の先生にも訪ねた.私の考えはニヒリズムに分類されることがわかった.達成することに意味がある,後世に何か残すことに意味があると見出すのはナチュラリズム と呼ばれるものらしい.私はどうもその考えはしっくりこなかった.その先生ニヒリズムの考えを持つ中島 義道という哲学者を教えてもらったので,後でその人の本を読んでみようと思う.また,哲学の入門として,図書館にある,哲学雑誌現代思想を読んでみることを勧められた.

現代思想出会った

現代思想12月号は巨大数特集だった.2chの「一番でかい数を書いたやつが優勝」スレから始まった日本巨大数ブーム歴史や,ふぃっしゅ数小林銅蟲(パルの人)の漫画が載っていた.11月号は確か,反出生主義についてがテーマだったと思う.

まだちゃんと読んでないけれど,あぁ,私はこういうものを読みたかったのだ,と幸せを感じた.

私は毎日,贅沢ではないけれど,質素暮らしていけるだけのお金があって,現代思想とかを読めればそれだけで幸せなのだと悟ったのだ.

これからについて

諦めずにドクターを取得するのか,ドクターをやめて就職活動をするのか,決断しなければならない.

私は毎日研究室のデスクに座っては,ぼーっと研究以外のことをして時が無情に流れていくのを待っている.

こんな私が社会に適合できるのかどうかわからない.これから私は一体どうすればいいかからない.

2019-03-29

こうして自分マイクロソフト本社に入った(波乱万丈編)

最近googleに入った話がはやっているので便乗してマイクロソフト本社に入った話をしてみる。

君はだれ?

性別:男、京大 情報修士(大学では飲食バイトマージャンバイク・飲みに勤しみあまり勉強せず)

やった事(時系列順・箇条書き)

暗黒時代
リハビリ就活
入社

結論っぽいもの

  • 暗黒時代は何度も自殺を考えたが、腹をくくればなんとかなる場合もあるようだ
  • どうせ人生めちゃくちゃだしと腹をくくって外資系一本に絞ったのがよかった
  • 博士課程で留学生とつるんでいたのがよかった。おかげで英語を話すことに抵抗が少し減った
  • 研究で食っていくのは無理と早めに見切りをつけたのがよかった(バイトとか家でandroidやら地デジをハックしていたのが役に立った?)
  • 貧しい時は飲食バイトで覚えた卵料理が役に立った
  • 色々書いてると余裕で本一冊になりそうなので、そのうち書籍化を狙ってブログでも書いていく・・かも??

2019-02-24

anond:20190224013321

院生ですが、私見で書かせて頂きます

まず一般論ですが、卒論原則学術的な価値はありません。それより上の、大学院2年生が書く修士論文ですら、学術根拠(この論文にこう書いてあったから正しいみたいな引用文献)として出すのは許されません。それからさらに三年研究して出す博士論文でやっと、世間でいう「論文」として、つまりは世に出す成果として認められるのです。

無論、分野によりけりですが博士論文審査を三年で通れる人の方が少ないので、五年以上は修行期間が必要とされるのが現状です。つまり卒論を書いて卒業していく人は、厳密には研究者ではないのです。修士でやっと研究者の卵、博士論文書いてるうちは雛鳥、博士論文書き終えてやっと一人立ちなのです。そして、博士論文の中でも例で示すほど世の役に立つのは99.9%より少ないという…勿論、すごい研究もそれらがあってこそなので間接的には大事なのですが。

長くなりましたが、では研究者にならない圧倒的多数派は何故卒論を書くのか。身も蓋もないことを言えば、大学研究期間という建前をとっているからです。

ただもう少し希望のあることを言えば、卒業論文を書く作業は、「自分テーマ(取り組むべき仕事)を見つけ」「調査統計実験を正しい手順で行い」「形式にのとってまとめて記述し」「世間に出しても恥ずかしくない体裁を整え」「分かるように人前で発表する」という、社会人必要スキルを身につける作業です。

研究成果そのものよりも、学生個人の成長が見込めることが大事なので、内容はあまり問題ではないのです。

2019-01-22

人生仕切り直したい

24男子大学院生修論もほぼ書けてもうすぐ卒業内定もある。学歴初任給だけ見れば相当いい方だと思う。けれど、大学6年間ですっかり心をやられてしまって、とてもじゃないが働ける気がしない。寝ても覚めても不愉快趣味もろくに楽しめない生活を送ってる。自分語りして整理すれば仕切り直せるかなと思って書くことにした。

高校までは田舎優等生やってた。学校の成績はいつも1位で、生徒会長やったりもして、不満はほとんどなかった。地頭はなくて数学の難しい問題は苦手だったけど、勉強はやっただけ成果が出たから、つらいと思ったことはほとんどなかった。今思うとどうしてあんなに勉強やれてたのか分からないし、「勉強しない」っていう選択肢を知らなかっただけなんだろうな。親や先生が褒めてくれるのが気持ちよくて望まれるがままに勉強してた。大学入試も難なくクリアして、いわゆる難関大学情報系に進んだ。情報系を選んだのは、ブログ運営で少し触ったプログラミングがなんとなく面白そうだったから。当時はニュースビッグデータがもてはやされていて職に困ることもなさそうだった。

大学1年目、高校の延長で真面目に勉強してたら自然と上のほうにいた。だけど、自分の周りでは、小学生からプログラミングやってて課題で褒められるやつとか、やたらレポートの内容が濃くて授業中に取り上げられるやつとか、無難試験問題が解けるだけじゃない化け物がより目立っててかなり焦った。当時はまだギラギラしてたから、すぐにプログラミング入門書とか買って自分勉強した。幸い自学する力はあったから、大学から始めた人の中では頭ふたつ分くらい抜きん出たと思う。Twitter自分勉強した内容とか発信してかなりイキってた。ただ、自分プログラミング勉強していくのは結構しんどくて、月に何日かとにかく不快で何も手につかない日があった。自分はなんて頭が悪いんだろうとか、どうしてプログラミングを楽しめないんだろうとか、そういうことをぐるぐる考えてた。

大学2年目、先輩に誘われて一緒に小さなプロジェクトをやることになった。プロジェクト過程で、プログラミング能力の低さとTwitterでイキてったのをめちゃめちゃに叩かれて人格がかなり矯正された。不健康気味だったメンタルが更に脆くなって自信とか自尊心がなくなったけど、プログラミング能力はすごく伸びたし、なによりあのままTwitter井の中の蛙やってたらと思うとゾッとするし、トータルでは感謝してる。とはいえ、そのプロジェクトやってる間は大変だった。深夜にやってた萌えアニメを録画して起きてる間ずっとリピート再生したりしてた。今なら絶対に続けられないけど、当時は「つらいことをやめる」っていう選択肢を知らなかった。

大学3年目、自信を失ったなりに必死勉強した。優秀な人の真似をしてみたり、流行りの技術に手をつけてみたり、自分の興味は二の次でひたすら迷走した。見かねた先輩に「君、意志ある?」と言われたのは今でも鮮明に覚えてる。意志はなかった。それでも、とにかく自信を取り戻したくて、別に面白くもないことを無理やり勉強し続けた。もちろん、当時は面白いと思い込んで勉強していたわけだけど。

大学4年目、研究室に配属され快進撃が始まる。たぶん人生で一番賢い時期だったと思う。きっかけはゼミの輪読。準備のために全部の定理証明したり順序立てて説明する練習をしていたら一気に賢くなった。学校先生がしきりに言っていた「論理的思考」がどういうことなのか分かって、頭の使い方が変わった。自分が急速に成長するのがわかって、すごく嬉しくて、それまでやっていたプログラミングを全部捨てて研究にのめり込んだ。指導教員聡明な優しい方で、目の付けどころが良いと褒めてくれて更に研究が進んだ。今になって振り返ると、別に研究対象が面白かったわけではなかったと思う。一般に上手くできることは面白いし、人に褒められたら気持ち良い。ただそれだけのことだったけど、寸暇を惜しんで研究をした。眠りにつく直前まで研究のことを考えて、良いアイデアを思いついたら飛び起きてメモした。

年が明けて1月卒論は早々に完成させた。同期が卒論執筆でひいひい言ってるのを横目に、ひとりヨーロッパに飛び、トップカンファレンスポスター発表コンペで2位をもらった。賞金の300ドルiPad Pro を買う足しにした。日本に戻ると、すぐに国際学会に出すための論文を書き始めた。1か月ちょっと毎日10時間くらい研究室にこもって論文を書き続けた。2月末には30ページの英語フルペーパーが出来上がって、それがトップカンファレンスに一発で通った。割と流行りの分野だったし、近い内容の論文が同時にアクセプトされたりしていて、巡り合わせが良かったのだと思う。それでも十分に異常な成果だったし、このあたりでもう博士課程に進むことになるんだろうなと考えていた。

大学院1年目、アクセプトされた論文の諸手続きや発表準備をしながら次の研究テーマを探した。博士号をもらうには更に2本国学会論文を通す必要があって、1本目の論文技術的にも精神的にも指導教員依存していた自覚があったから、次のテーマ自分の力で見出したかった。指導教員からもしばらく迷走しなさいと言われた。たぶんここが分岐点で、ここで手厚い指導をお願いしていたら何か変わっていたかもしれない。当時の自分は、博士号取得に向けたアドバンテージを得たのを良いことに、時間たっぷり使って自力研究テーマを探そうと思った。手始めにここ30年くらいの関連研究を根こそぎリストアップしてひたすら読んだ。研究テーマを見つける最短経路ではなかったけど、一人前の研究者になるには歴史を知る必要があると思った。たぶんこれが大学生活最大のミスで、大して面白いとも思ってないくせに、何十ページもある論文をいくつもいくつも読み続けた。少しずつ、論文を読むのに飽きて、研究テーマをまとめる期限がせまって、メンタルがやられていった。

翌年2月下宿クローゼットに大きな穴が空いた。もう1文字論文を読みたくない、研究テーマもろくにまとまらない、どうしたら良いんだって頭を抱えて家にこもってるところに、知り合いかしょうもない説教めいたメッセージが届いて目の前が真っ白になった。机を目一杯殴って立ち上がって、自分が座ってたゴツいオフィスチェアーをクローゼットめがけてぶん投げた。木が割れるすごい音がして、クローゼットに人の顔くらいの穴が空いた。そうするしか自分を守る方法は無かったと思うけど、引越しのことを思うと気が重い。そこまで追い詰められても、まだ教員相談しなかった。初期の成果が異次元すぎて、それに見合う研究者にならなければいけないと思っていた。

大学院2年目の5月自力学振申請書を書き上げた。めぼしい研究から無理やり話を広げてそれらしい展望でっち上げた。内心、その研究面白いとも有力な結果に結び付くとも思っていなかったけど、とにかく研究の段階を前に進めないと精神がもたなかった。指導教員コメントをもらいながら、5000字くらいある申請書を10回書き直した。申請書を書いた後は、修士論文の影もちらついていたから、申請書に書いてある内容に沿って研究を進めることにした。もともと愛着情熱もないテーマなのに、行き詰まって、読みたくもない論文を読み込んで、理論改善して、というのを繰り返す日々が続いた。折れた足で無理やり走っているような気がした。足の骨を折ったことはないけれど。

8月、ようやく研究が形になってきて指導教員ミーティングをした。それまでも月に1、2回は簡単ミーティングはしていたけど、理論も含めてしっかりと方針説明するのは初めてだった。自分メモを前に映して30分話して、色々と質問された後、この方針は厳しいねというような話が始まった。先行研究の流れを十分に汲んでおらず眉唾モノとのことで、一番近い先行研究改善する方針提案してもらった。教員からすれば僕の研究はいわば初稿、それを足がかりにして研究を広げれば良いと思って話をするのは当然だけど、僕からすると1年半の集大成が30分で水の泡になったわけで、たぶん致命傷だったと思う。事態の原因が自分研究の進め方にあったことは理解していたし、現実問題として修士論文を書かなければいけないので、そこから2週間くらいは騙し騙し提案してもらった研究を続けた。

8月末のある朝、起きたら研究をやめていた。あの朝の感覚説明するのはすごく難しいのだけど、とにかく、自分の中の何かが壊れて研究をやめていた。研究をしたくてもできないなんてレベルの話ではなくて、きれいさっぱり研究をやめていた。研究をしなくてもなんとも思わないし、すごく不思議感覚だった。そこから10月まで毎日ゲームをした。あんなに遊んだのは人生で初めてだった。途中、指導教員に「もう研究できません」といったメールを書いたところ、とても優しく対応してくださった。返信の言葉は適切でとても暖かく、もう数ヶ月早く同じ言葉を聞いていればさぞ励みになっただろうと思いながらゲームをした。成果にも指導教員にも恵まれていたし、とても貴重な機会を棒に振ったなと思った。

10月、指導教員ミーティングをした。1ヶ月半ゲームをして療養したので、もしかしたら研究ができるかもしれない、という淡い期待を持って臨んだ。8月わずかな進捗とその後の顛末を報告して、全く新しい研究テーマでやってみましょうということになった。参考文献を教えてもらって読み始めたが、アブストを半分過ぎたあたりで胃腸ギリギリ痛んで吐きそうになった。指導教員に「もう無理です、すみません」と泣きついて1本目の成果で修士論文を書くことを許してもらった。その後、就活をして内定をもらった。大学での成果を振り回して精一杯の虚勢をはったので、さぞ優秀な学生に見えたと思う。会社内定と同じくらいの時期に、学振内定通知も届いた。申請書に書いた展望はまるっと没になっているが、一体どんな素質を見出されたのだろう。

そうして今に至る。研究ではそれぐらいの挫折はよくあることだよ、とも言われたけど、それを乗り越えられるほどの情熱や興味はなかった。というか、乗り越えて平気な顔で研究を続ける人の方が狂ってると思う。努力は夢中に勝てないというやつ。何か夢中になれるもの出会いたいと思うけど、何かに夢中になりたいって言いながら年を取るんだと思う。何をやったとしても、上達するにはどこかで自分に負荷をかけて頑張らないといけない。そこで夢中でいるための気力を大学の6年間で全部使い果たしてしまった感じがする。つらいことや興味のないことを頑張りすぎた。

社会に出て働くわけだし、流石に関連技術勉強しなければと思うのだけど、ひたすらつまらない。以前の自分なら、会社評価されそうな技術を喜んで勉強したと思うのだけど、そういうギラギラした熱意は失われてしまった。たぶん研究に全部持っていかれた。どの分野もどの技術もつまらない。物事の細部や深い意味に立ち入りたいという欲求が一切湧いてこない。自分知的好奇心の乏しい人間であることを痛感する。この状態で働き始めて、仕事を続けられる気がしない。毎日少しずつ自分が衰えていくのが分かってとても怖い。何か努力をしなければと思うけど、何をしてもつまらなくて30分ともたない。何も努力していないから、手放しで遊ぶこともできない。人生どん詰まり状態。早く仕切り直したい。

2018-12-08

史学科のゼミとか卒論とかって何やってるの

数学科事情、すごく興味深く読んだ。

「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 - Unhappy Go Lucky!

ただ、文系学部の「研究」や「卒業論文」の位置づけとかについて、過大評価していただいているような気がしなくもない。日本語とは縁遠い言語を話す地域を専門とする史学科卒の人間として、「ゼミ」や「卒論」の位置づけについて語ってみたい。

ゼミで何をやっているか

いやこれは本当に分野によるのだが、「研究」というよりも「勉強」をやっているところが多い。歴史学というのはまず史料に何が書かれているかを正確に読み解く必要があるのだが、その読み方を徹底的に叩き込まれる。場合によっては修士課程でもこれが続く。もしくは、研究文献の読み方を叩き込まれる。そもそも2・3年前まで高校生だった連中である文系研究書をどのように読むべきかよくわかっていない人も多いし、英語の本を通読なんてしたことないですという人がほとんどだろう。レベルの高い大学なら外国語文献の購読をし(何語なのかは研究分野や参加者による)、あまりレベルの高くない大学なら日本語の本・論文の読み方をゼミで躾けられる。

(「史料」ってのは要するに「昔の人が書き残したこと」。王様勅令だったりお役所行政文書だったりインテリの書いた思想書だったり過激派の撒いたアジビラだったり新聞記事だったり、色々である公文書館に行って実物を見てくる場合もあれば、別の学者がまとめて印刷出版してくれたものを参照する場合もある)

何で学部の段階からゼミに分かれるか、というと、「歴史学とは何か」「史料批判とは何か」みたいな概念方法レベルの話や、「いやしくも歴史学を学ぶ者として最低限踏まえておくべき各地域・各時代の基礎知識」みたいなのを除けば、分野ごとに身につけるべきスキル全然違うので。江戸時代歴史なら江戸時代古文書明治期の歴史なら明治期の文書中国史なら漢文イギリス史なら当然英語古文書……を読まないといけない。イギリスについて研究したい学生日本古文書の読み解き方を勉強しても時間無駄だろう。逆もまた然り。

ぶっちゃけ、「卒業論文」に大したオリジナリティはない

慌てて言えば分野による。

社会調査とかする分野で、自分なりにアンケート調査してみた、とかそういう論文なら、どれだけ拙かろうがオリジナリティはあるだろう。あるいは歴史学でも、オリジナル史料を発掘することが可能な分野ならオリジナリティは出る。

ただやっぱり、学部4年の段階で大層な「オリジナリティ」は出てこない。そもそも外国史の場合史料の読解すら教員の手助けを得てようやく、という人が多い。歴史学では一次史料が重視されるが、私の分野では卒業論文で一次史料を使った時点で優秀な学生の部類に入るだろうなと思う。二次文献、つまり他の研究書や論文をまとめて長いレポート(うちの大学では3万2,000字が下限だったかな)を書けたらOK、という運用をしている大学も多いのではないか。まとめるのにもオリジナリティは出るしね、という苦しい理屈だしそんなの査読つき学会誌に「論文」として発表できるレベルではないが、学会誌に「論文」として出せるレベルのもの要求していると4年では足りないわけで、多くの史学科の学生修士論文で初めて学会誌投稿できるレベルのもの要求されることになる。

何度も言うようにこれは分野による。地味に重要なのが、「その言語大学第二外国語として開講されているか、あるいは教養科目で講義が受けられるか」という点。朝鮮史ドイツ史やフランス史場合韓国語ドイツ語やフランス語文系学部ならたいていは必修の第二外国語として教えられていることが多いので、卒論でも韓国語ドイツフランス語論文は読めて当然だよなあ? というハードモードになることもある。中国史なら「高校から漢文やってるんだしゼミでも読んでるんだから卒論でもちゃん漢文史料は読めるよね? 現代中国語論文も読んでね」ということになるだろう。英語? そんなの読めて当然でしょ? 第二外国語ではなくとも、たとえばトルコ語アラビア語なら多少気の利いた大学なら教養科目とかで開講されているから、イスラーム史やりたいなら学部1年のうちから履修しといてね、という話になると思う。逆に、マイナー外国語必要な分野だと、せめて英語の本くらいは読んどいてね、くらいにまでハードルは下がる。アイスランド史を勉強したいです! と言われても、日本アイスランド語の授業がある大学がいったいいくつあるのか……という話になるわけで。まあ東大の某ゼミではゲエズ語購読とかやってたらしいですけどね。雲の上の世界すぎてまったく想像もつかない。

なので、大学に入った段階で既にどの分野に進むのかなんとはなしの道筋がついていないと厳しい。第二外国語韓国語選択して、やっぱり私ドイツ史がやりたい! というのは不可能ではないが難しい。第二外国語選びの段階である程度進路が決まってしまう、というのが史学科の特徴だ(まあ、英文学科とかは、学科選びの段階で専門地域が決まってしまうわけだが……)。イスラーム史やるなら第二外国語フランス語にしないとね。そんなのついこないだまで高校生だった連中にわかるか! もちろんこれは大学による。西洋史に進学した者にはドイツ語とフランス語双方の習得義務付ける大学もあるそうである。これならヨーロッパのたいていの地域対応できるね! 史学語学と言われる所以だ。

あとは西洋以外の地域だと、「史料に書かれている言語」と「論文に使われている言語」が違うことが結構あって、何でかといえば近代以降に西洋諸国植民地支配されていたりすると「オランダ人研究者がオランダ語で書いたインドネシア史についての先行研究」みたいなのがたくさんあるので。つまりいくらインドネシア語やアラビア語が堪能でもそれだけでは片手落ちで、オランダ語フランス語ができないと先行研究が読めないので勉強せざるを得ない(付け加えるなら、植民地支配されてたということは、お役所では宗主国言語が使われていたり宗主国のお役所植民地統治担当する部局があったりしたわけで、それらの史料は当然宗主国言語で書かれている)。さら前近代史だと、「昔使われていた言語」と「現在使われている言語」が異なっていることが多く、典型的には古文とかラテン語とかである現代日本語論文はスラスラ読めても古典日本語チンプンカンプンという人も多かろう。前近代西洋征服王朝なんかだと大変で、現地語+支配階級言語植民地支配してたヨーロッパ言語、をやらなければいけなかったりする(アラビア語オスマン語+フランス語、みたいな感じ)。いやー、西洋現代史はヌルゲーの領域っすわ……その国の言語ができれば用足りるからなぁ。現地に行けばネイティブスピーカーいるか勉強簡単だし(アッカド語みたいなネイティブがいない言語習得してる人ほんと尊敬する)。もちろんここで少数民族とか国際関係史とかに興味を持ってしまうと語学沼に引きずり込まれるわけだが。イギリス史なら英語だけでいいだろうと思っていたらうっかりウェールズに興味を持ってしまウェールズ語を勉強することになりました、とか、ドイツ語だけで通そうと思っていたら枢軸国外交に興味を持ってしまったせいでイタリア語も読んでます、みたいな。とはいえこれらは院に進学してからの話(あるいは院への進学を希望する学部生の話)だ。院に進学しない学生卒論レベルなら日本語英語or中国語でじゅうぶん、という運用大学ほとんどだと思う。

ヨーロッパ植民地についてしか述べていないのは、日本植民地場合宗主国言語習得する困難はほぼ存在しないからであって、日本植民地支配をしていなかったと言いたいわけではないので念の為。もちろんこれは日本語母語話者である学生の話で、韓国台湾学生あるいはそれらの国から留学生植民地時代自国史を勉強しようと思ったら日本語を読まなければいけないわけであり、なんというか申し訳ない)

でもまあ、卒論書くのは大事ですよ。たとえそれがレポートに毛の生えたレベルのものであっても、院に行かない学生にとっては専門家指導されしっかりと文献を読み込んだ上でこんな長文を書かされる機会はこの先の人生でなかなかないし、それを経験するというのが大学に行く意味だと思う。院に行く学生にとってはもっと長い修論博論書くんだから当然このくらい書けなきゃ話にならんわけで。

院に進んだら何やるの

留学します。

これも分野によるのだけれど、たいていどっかに留学する。中国史なら中国台湾フランス史ならフランス、みたいに。留学先で大学ゼミに参加したり史料を集めたり現地の専門家指導を受けたり、あるいは分野によっては語学勉強をしたりする。もちろん複数国に留学してもいいし、研究対象国以外に留学することもありえる。アフリカ史を研究するためにポルトガル留学した人がいたり(イエズス会士が書いたものを読みたかったらしい)。で、帰国してから博論を書く(たまに留学先でそのままPh.D獲っちゃう人もいる)。

上述のような事情があるので、歴史学を専攻している人はたいてい4年以上博士課程に在籍する。ちゃんとした大学で3年で博士号獲るのは一部のバケモノだけです。たまにいるんだよそういうバケモノが。日本史なら楽勝かというとそういうわけではなく普通に4年以上かかってることが多い。留学期間とかもあるので、博士課程の先輩に学年を聞いても即答できないことが多いから気をつけよう。29歳でドクター? 夢物語かな? まあ本当に文系大学院なんて資産の子供か養ってくれる配偶者持ちか自殺志願者以外は来ない方がいいです。男性歴史学者が書いた研究書のあとがき奥さんへの謝辞が書いてある場合、もちろん本当に純粋感謝の念であることも多かろうがけっこうな確率で一時期ヒモ生活を送っていたことへの感謝だったりする。奥さん実家でチクチクとイヤミを言われた経験を聞かせてくれた教授もいらっしゃる。これ有名大学の教授様になれたから笑って話せるだけで、なれなかったら悲惨だよな……。まあでも、研究者の不遇っぷりは文理問わないか

2018-11-27

鬱積した気持ちがある日突然晴れた話

嬉しすぎて酒を飲んで、支離滅裂文章となっているため、真意が伝わるかは不明だが、今思っていることを書き留める。

去年の今頃だろうか、環境に対する不満や人間関係自分の周りの環境の変化などが相まって、気分が塞ぎ込んだ。

まさか自分鬱病になるなんてない、と思っていたが、どうやらその症状は、かねてから聞いていた鬱病という症状に近いような気がした。

そんなこんなで心療内科複数回通院し、カウンセリングを受けたところ、案の定鬱病に近い症状が出ていることが発覚した。

医師は直接鬱病という診断は起こさなかったものの、医師に「私は鬱病なのではないか」と問いかけをしたところ、「正直、それに近い症状は出ている」と言われた。

そこから学校を休んで、今年の4月に、とりあえず学校に行く気持ちになったので、年度初めに大学院には復帰した。

しかしどうもやる気が出ない。

昔取り組んでいた研究テーマについても、まったくもって継続して取り組もうという気持ちがもてず、丁度修士論文執筆しなければならない年であったこともあり、研究テーマを変える決断をした。

そんなわけで研究テーマを変えて、指導教官も変えて、心機一転やってやるぞ、という気持ちを抱いていたのだが、どうも進まなかった。

そのまま修士論文執筆時期を迎え、流石にそろそろ進捗やべえなあと思いながらも、依然としてやる気が出ない。自分が休んでいる間に成果を出していた同期が自分より上のステージに進んでいたし、周りも成果が出始めている時期だった。

かくいう自分は休んでいる間に進捗が生まれるわけでもなく、成果も生まれていない。

指導教官からは、「気にせず、一からやっていこう」と優しい助言をもらったが、自分の中では同じスタートラインに立っていた仲間がすでに別のステージに居ることが耐えきれず、「自分だってそうなれたかもしれない」という思いを抱いていると、どうも何かに取り組むという気持ちを抱くことが出来なかった。

そんなこんなで、表向きには復帰をしたものの、鬱々とした気持ちを抱いたまま過ごしていたのだが、今日ある日、ひょんな契機をきっかけにやる気が湧いた。

それが直接的に何だったのかを言及することは控えるが、その姿を見て、自分もやってやろうと思えるようになった。

そのとき、何が悪かった、何が自分の心に影響していたのかということも、若干ながら気づくことが出来た気がする。

具体的には「同じトピックについて議論できる仲間が(教員を含め)存在すること」が欠けていた。

それは自分説明能力の低さだったり、キャンパス研究室の環境といったところにも由来するかもしれないが、自分の中で、自分のことを理解してくれる人などいないという思いが鬱積して、たまりにたまりこんでしまった結果だったのかもしれない。

そういう意味では研究室を変えたことや、研究室を変えても人とのつながりを維持していたことはプラスに働いたのかもしれない。

とかく、この経験から私が言えることは

の2つは大事ことなのかなと。

2018-09-11

研究に向いてないかもしれない

文系博士課程1年。

身バレが怖いのでざっくり書く。

書き込むの初めて。吐き出せるところも無いしもうどうしようも無いので吐き出させてほしい。

多分支離滅裂で読みにくいと思う。ただの愚痴

研究に向いてないかもしれない。

勉強は好きだ。小学生のころから好きだった。夏休み冬休みなんていらないか勉強したい、ってくらい好きだった。夏休みの宿題も前半に終わらせるタイプ。新しいことを知れるのが嬉しかった。

良い子ちゃん、ってわけではなく結構やんちゃしてたし喧嘩とかもしたりしてたけど、成績良かったし学級委員とかもしてた。

中高もテストは上位だったし成績も4と5。勉強好きだって思ってた。

大学もめちゃくちゃ楽しかった。興味ある授業を自由選択して聞くだなんて最高だったし、すごい楽しかった。

おかげさまで成績上位で表彰してもらったりしてた。

けどこのころからなんとなく思ってた。

自分が好きなのはいわゆる「勉強(=良い成績を取ること)」で「学問」じゃないんじゃないかって。

実際、成績は良くないけど読書量と知識量がすごい友人がいて、「大学院に行くならこういうやつだろうなぁ」って思ったし、純粋尊敬した。

もし成績という数字が出ないんだとしたら、自分勉強するんだろうか、とか考えた。

答えは出なかった。未だによく分からない。

結局、親も応援してくれたし勉強も続けたかたか修士に進んだ。

憧れの教授の元で勉強できてすごい楽しかった。教授も「すごいすごい」って褒めてくれたし、公私共に気に入ってくれてるみたい。ありがたい限り。

ただ、教授指導の元で研究してると「オリジナリティは?」ってすごい聞かれる。

教授フォローしてくれる。でも、真似事の域から出てない気はする。

とりあえず修士論文は通ったけど、穴だらけで恥ずかしい。

からないことを知るのは楽しい

でもこれは「研究」とは違うんじゃないか、って思う。

本読んで「へー、そうなんだ」って思うのは楽しい

「じゃあ、これってそういう意味なんじゃね?」って、研究対象に本の記述を照らし合わせてくのも楽しい

けど、他の先生たちから「既に分かってることを並べて何が新しいの」「何が言いたいの」と言われる。反論はできない。自分がしてるのは結局「調べ学習」でしかなくて、新しい推論も発想も無い。新しいことを知って組み合わせて喜んでるだけの、お遊びだと思う。

ありがたいことに指導教授はずっと評価してくれてる。

から博士にも進んだし、なんとかこの場所にいられるんだと思う。

けど、教授のおなさけなんじゃないか、って思う時もある(ただ、指導教授がそういうタイプじゃないのは分かってる)。

今も博士論文に向けていろいろ調べてる。楽しい

でも結局「何が言いたいの?」って言われたら、言えない。

「これが知れておもしろかった、まる」で終わる気しかしない。

こんなんで研究者になれるのか。

研究に向いていないんだと思う。

でも、どうしようもない。とりあえず進むしかない。

正直疲れた

2018-08-16

研究に行き詰って精神を病んでいる院生のみんなへ

研究に行き詰って精神を病んでいる院生のみんなへ。

きっと大変だと思う。

少し検索をすれば、みんなへのアドバイスはけっこう蓄積されているはずだが、ここでは少し違う話をする。

研究が行き詰れば精神を病む」は、多くの場合である

でも「研究が上手くいけば、精神回復する」は、必ずしも真とは限らない。

努力とその先にある成功とは強烈な鎮痛剤で、研究上のあらゆる苦しみをやわらげてくれる。

中間報告が上手くいったとき修士論文が書けたとき、はじめての研究会で発表を終えたとき、本当に研究をしていてよかったと思う。今までの苦しみが全て吹き飛んだような気がする。

「ような気がする」。

この鎮痛剤は、鎮痛剤に過ぎない。根治につながるものではない。そして多くの鎮痛剤がそうであるように、徐々に耐性がつき、ついには効果がなくなってしまう。


研究に行き詰ってないのに精神を病んだ時、もはや研究による打開策はない。既に上手くいっている研究軌道に乗せる方法など、存在しないからだ。


研究による精神不安を、研究によって解決するという策は、実は危険だ。

手は早く打った方がいい。

難しいことじゃない。例えば心療内科を探せばいい。自分に合うところが見つかるまで4軒くらい回れば、いいとこがあるだろう。

Scholarがつかないグーグルで「精神 不安」で検索してもいい。

精神を病むことのコストは大きい。研究も、研究から離脱も、何一つできなくなる。

研究が上手くいっている人もいない人も、どうか上手く院生生活を乗り切ってほしい。

院生室の片隅から、いつかどこかであなたたちが活躍することを祈っている。

2018-07-24

#自分をつくりあげたゲーム4選

twitterで盛り上がってるハッシュタグ

参加したいけれどフォロワーろくに居ないwし、twitterで人気あるデジタルゲーじゃないし、140字じゃまともに語れないしでこっちでやってみる。

自分語りチラ裏)注意。

日本機動部隊エポックレックカンパニー)』1982年

人生SLGだった『連合艦隊バンダイ)』と迷ったけれど、次にハマったこれに。ややこしいシステムになりやす空母戦を未確認マーカーと誤認チットを使った索敵、十字型のマスに船を配置して陣形効果表現するといった簡素でツボを突いたシステムで表すことに成功していた。デザイナー鈴木銀一郎氏がTactics寄稿したデザイナーノートもよかった。戦闘参加者の手記の記述から指揮官が彼我の相対速度を下げて自分が撃たれるのを覚悟で必中を狙ったか(敵味方の被害大)、逆に撃ち逃げしたか(〃小)を分ける必要に気づいて攻撃結果表に組み込んでいく制作プロセス説明は、シミュレーションゲームのなんたるかを教えてくれた。

『熱闘12球団ペナントレースホビージャパン)』1984年

野球シミュレーションカードゲーム。各選手ごとにその年の成績から状況別の確率計算で求められた打撃結果パターン守備力が書かれたカードになっていたが、これは当時手に入る中では最高の野球ビッグデータ集で、数字を見ているだけでも飽きなかった。試合は1打席ごとにサイコロ2つ振り、1・1~6・6まで記された打撃結果番号をランナー別に分かれた結果表に当てはめて打撃結果を求める(時には守備投手能力で結果が変化する)。一試合30分で教室の机の上で出来る手軽さから人達担当球団を決めてペナントレースをやったりしたのはいい思い出。それをきっかけにパリーグファンになってやがて近鉄合併反対運動に参加するまでになった。今もやきうオタです。

シムシティ(マクシス)』1989年

説明不要。多数の要素が(時間差をおきながら)影響を与え合うことで生じるマクロ不断の変化の表現に衝撃を受けてノート取りながらプレイしまくった。やがて「エージェントベース社会シミュレーション」なんてテーマ修士論文ネタに選んだのは間違いなくこいつのせい。

N95鋼鉄の虹(遊演体)』1995年

郵便手紙)を使って数千人がかりで一年掛けてプレイする前Web型のMMORPG。一ヶ月1ターンで自分の行動を主催に送ると、数千人の行動の絡み合いの結果どんな事件が起きたのかが短編小説形式で返ってくる。あくま自分キャラ視点で書かれたものなので、他のプレイヤーと情報交換が必要になるがそれが事実とは限らない。来たるべきネット社会幻視させた予言的なところさえあった。実際2ちゃんねるもそこでの様々な騒ぎもデジャビュを感じたくらい。Web社会論や集合知論なんかの議論に参加する下地を作ってくれた。メイルゲームとのファーストコンタクトの『N90蓬莱学園冒険!(1990年)』と迷ったが、N90は他に挙げている人がいたんで個人的に楽しめたこちらを。

2018-07-09

anond:20180708204542

修士論文ゴミクズだと評した指導教官が全く同じ内容で出版して表彰された上に大学教科書にもなったこ

論文剽窃とみなされて留年した

2018-04-13

ネットに転がってる論文、先行研究にしちゃ駄目か

早稲田修士論文で、CiNiiやらには載ってなかったんだけど

指導教授名前はあるのに肝心の学生名前がない 使える内容なのになあ、勿体無い

2018-04-01

高校卒業しちゃった人たちへ

昨日で正式高校生活を終えた人も多いと思う。

ひどいケースだと高校卒業したら人生下り坂、

みたいに思ってる女子高生もいるみたいなので声を大にして言いたい。

人生高校生の時に想像するよりずっといろんな事があってエクサティングだ。

僕が高校生の時に立てた雑なライフプラン

大学付属校→同大学→同大院→同大助手同大助教授同大教授

という何の変化もないものだったけど、

現実には大学卒業して他大学大学院に移り、

修士論文は更に別の大学先生にお世話になって、

結局は挫折して、金融機関就職

色々頑張って仕事したものの、

その後アメリカ留学して別分野でPhD取った後でアメリカ大学教員に。

そこまでやった今現在でまだ40歳過ぎ。

まだ20年以上の仕事人生があり、

これからどうなるのか自分でも想像つかない。

仕事辞めた後は日本に帰ってもう一回、

別の分野で大学院にでも入ろうかと思ってる。

高校卒業したらもう面白い事がないなんて考えるのは

単に自分想像力が足りないだけなんだよ。

ちなみに、四十のおっさんになった後も可愛いJKは好きです。

2018-03-10

毒親から縁切るテク教えて

なんとなく増田はこういう技術を知ってる人多そうだから

毎日死ねとか怒鳴られるのそろそろ限界感じてきた

修士論文提出前日に怒鳴りつけて3時間雪かきさせてきてもう本当に無理だと思いました

来年から別居は決まっているのでどうやって消えていくかを教えて欲しい

でもなにしても興信所とか使われたら終わりなのかな

2018-02-27

Sex and the Grad School

この3月大学院を修了する。

今は地方都市に住んでいるけど、就職先は東京

24年間生きてきたが、俺は女というものを知らない。

先日、行きつけのインドカレー屋で夕飯を食べていると近くの席から学生カップルの会話が聞こえてきた。

「俺が小さい時、奇跡が2回起こったんだよね〜」

「え〜?なにそれ?教えて教えて!」

「1回目は3歳くらいの頃、お父さんとお母さんと一緒にフランス料理に行ったんだよ。

そしたら俺、お父さんとお母さんがお会計してる時にいなくなっちゃって。

店の中を一生懸命探したんだけどいなかったらしくって、外まで探すことにしたんだって

そしたらお店を出たところの信号ハイハイで渡ってたんだって!」

「え〜?なにそれすごーい!」

「俺、まだ生きてるの本当に奇跡なんだよね」

「確かに!すごいね〜!」

たまたま耳に入ってきた”奇跡”の話を聞いて、俺はため息で心臓が飛び出てしまいそうになった。

それくらい危ないことなら、誰でも大抵経験しているのではないだろうか。

「俺だって小さい頃にデパートで……」

と自慢のバブちゃん武勇伝披露しようとするやいなや、「羨ましいな」という素直な気持ちに襲われ、そっとメガホンを置いた。

こんなつまらない話を聞かされているにも関わらず、前のめりに相槌を打つ彼女

そういう存在を、僕はずっと欲していたんだ。

修士論文を書き終える頃から身なりを整えるようになり、アプリを使って出会ったりするようになった。

一ヶ月で5人に会って2人お持ち帰りした。

そうやって俺は素人童貞を捨てた。

セックス自分気持ちよくなることには興味がなかった。

徹底的に女の子気持ちよくしてあげたいと思っていたし、(きっと男の傲慢ではなく)そうできていた。

会う前に"SHIMIKEN's BEST SEX 最高のセックス集中講義"を買って、猛烈に予習をしていたほどだ。

なぜ俺が女の子快楽ばかり気にかけたのか。

それは、女はセックスをすると愛情が湧くらしいとネットで読んだからだ。

俺は、愛が欲しかったんだ。

今は2人とも連絡がつかない。

心にカサブタができて、なんだか傷つくことができなくなってきた。

息苦しくて、大人になるってこういうことなのか?と思っている。

愛が大事だという。

俺もその通りだと思う。

じゃあ、俺にも女の子と愛をさせてくれと思う。

学部時代恋愛ができなかった男は、大学院に進んでもきっとそうだ。

特に環境が変わるわけでもないし、親のすねをかじる身分も変わらない。

研究室という狭いコミュニティにあと2年いるよりは、学部卒で社会に出た方が恋愛に恵まれそうだと思う。

そんなことも考えず大学院に進んでしまった俺だが、やっぱり愛が欲しい。

街コンに行ったり、いろんな出会い系を試したりしたけれど、どちらも肩書き大事世界だ。

大学院生というのは受けが悪い。

苦しい中でも、俺は色々と試行錯誤している。

愛が欲しくて、出会い系の通知を気にする俺は何かが間違っていると思う。

こんなことまでしないと出会えないのか。

セックスしても繋がっていられないのか。

『(恋愛経験のない)大学院生は愛を手に入れにくい』

これが、本稿で伝えたいことだ。

色々端折ったので、必要な部分は適宜行間を読んでもらいたい。

この問題解決策を考えてくれてもいいし、共感していることを示してくれるだけでもいい。

ただ、「自分の修めた学問に自信を持てば?それが持てなければお前が悪い」というありがたいお言葉だけは願い下げだ。

読んでくれてありがとう

2018-01-23

修士論文がつらい

修論締切直前の深夜にこんな駄文を書いているのは現実逃避以外の何物でもない.

私が3年間の研究室生活の中で自分自身や周囲の人間を観察していて気づいたことは,「指導教員の言うことを素直に聞く」人間は安定して成果を出しているということだ.

私は物事批判的に捉える傾向があり,他人の言説に対してまず疑ってかかるきらいがある.そしてさらにたちの悪いことに,私は自分のしていることに一度でも疑問を感じてしまうと,その疑問が解決するまで手が止まってしまう悪い癖を持っている.かつてこの性格が原因で4回生とき卒業研究を失敗した経験がある.

学部4回生研究では,指導教員が適切なレベル問題とそれに対するアプローチ提示して,学生はそれを黙々と実践し結果を得る中で,手習いのごとく研究方法論を身につけていくものだと思っている.

当然私にも指導教員から卒業論文テーマが与えられた.しかし私は論文サーベイ研究を進めていく中で,「そもそも問題設定に誤謬があるのではないか?」という疑問を持ってしまったのである.(当時の私が抱いた疑問はどうやら見当ハズレというわけでもなかったらしく,後になって隣接する他分野で私の疑問に答えるようなアプローチ研究されていることを知った)

私は指導教員自分の気づいた問題点について相談したのだが,私のコミュニケーションが拙いことや,指導教員自身がそのテーマに関して専門外であることもあり,その時は指導教員からどうしても納得が得られるアドバイスが得られなかった.そして私が「この研究には価値があるのか?他に良い問題設定はないのだろうか?」と悩んでいる間に,周囲の同期は順調に研究成果のようなものを出しはじめ,私は彼らへの劣等感から研究室に行くのが辛くなって家に引きこもるようになった.最終的には何とか卒論を提出し卒業はできたものの,私の卒業研究は見事に失敗してしまった.

この時の経験反省し,修士2回生とき((修士1回生の間は国外逃亡してた))に取り組んだ新たなテーマでは,私は指導教員の言うことに疑問を抱くことを極力やめて唯々諾々と言われるままの作業をすることにした.すると結果3ヶ月余りで成果のようなものを錬成することに成功し,(レベルは高くないが)国際会議論文投稿することができた.

何のアウトプットも出せないことに比べると「国際会議論文投稿した」というのは紛れもない進捗である指導教員の指示を素直に首肯できず,かといって自分で新たなテーマを打ち立てるほどのサーベイ力も発想力もない私のような人間は,やはり教員の指示に従って黙々と研究を進めるのが正解なのだ.私の失敗は文字通り「下手の考え休むに似たり」だったのだ.

でもその時に出した成果はまさに重箱の隅を突くような,問題設定や手法としての新規性が皆無に等しい研究だった.レベルが低い国際会議から通ったものの,僕が査読者なら間違いなく落としていただろう.この研究でもやはり私は指導教員に与えられた研究テーマ(というよりも問題設定)にずっと納得していなかった.それには私なりの合理的理由があったのだが,今振り返ってもその理由は間違っていなかったと思う.この時,指導教員にきちんと反論し,自分の頭で考え抜いて研究に取り組んでいれば,もっと満足のいく成果が出せたのだろうか?

少なくとも自分研究者に向いていないのは明らかである就職という選択肢を選んで正解であった.

私は自分アウトプット人格を切り離して考えられない人間なので,修論原稿を1字書き進めるたびに自分修士研究の不出来さ,ひいては自分という人間の不出来さを再確認させられ,物凄いストレスを感じてしま・・・

2018-01-18

ゴミを生成した

具体的には修士論文の草稿

何もないよりはマシなのかもしれないけどこれはゴミなのでは???

ゴミでは???

っていうかゴミを生成して卒業ってどうなのよ

明日教授から言動で)ボコボコにされる未来しか見えない

2017-12-08

anond:20171208164432

お疲れ様

就職できなくて大学院かに行くと、卒業論文よりもクソ難しい修士論文かい論文書かなきゃいけなくなるから就職頑張って。

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