はてなキーワード: 大田とは
大田の戦い
大田の戦い(テジョンのたたかい)は、朝鮮戦争中の1950年7月16日から20日にかけて、大田付近を戦場としてアメリカ合衆国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で行われた戦闘である。
アメリカ第24師団は、第21連隊第1大隊を基幹とするスミス支隊(C・B・スミス中佐)を烏山において全般前哨として、第34連隊に平沢-安城を確保させていた。
しかし、スミス支隊は烏山の戦いにおいて敗北し、また命令の錯綜から、第34連隊も壊乱に近い状態で後退することとなってしまい、最初の抵抗線は大した抵抗も示さずに放棄されることとなってしまった。
最終的に、第24師団は、兵力の45%(7,305名)、装備の60%を喪失し、その戦力を事実上喪った。またディーン少将は戦死したものと認定され、当初ADCOMの指揮を執っていたチャーチ少将が後任とされた。
大田は、全羅南北道と慶尚南北道に向かう主要経路の分岐点という、交通の要衝であったことから、ここを奪取されたことは、極めて重大な意味を持った。
第8軍司令官ウォーカー中将は、大田での戦闘でほとんど壊滅した第24師団を後方で再編成に回し、第1騎兵師団には永同を、第25歩兵師団には尚州正面を防御させることとした。
第1騎兵師団は、23日より交戦に入り、31日までの遅滞戦闘で、北朝鮮軍の戦車部隊をほとんど再起不能に陥らせ、また2000名の損害を与えたが、小白山脈において北朝鮮軍を阻止するという目的は果たすことができなかった。
また、小白山脈の西・南麓を守る韓国軍も、壊乱には至らないまでも、じりじりと後退を続けていた。
これらの情勢から、7月31日、ウォーカー中将は、錦江から小白山脈における線での防御を断念し、釜山をめぐる洛東江の線で円陣を構成しての防御を決定した。
https://anond.hatelabo.jp/20230227141843 で、
本文・トラバ・ブコメで言及されていたチャンネルのリストです。
AnonymousDiaryでは、10個以上のリンクは張れないが、はてな記法をつかえばいけると聞いて、小細工してみました。
投稿できていれば幸い。
ジャンルはよく分からなかったので、適当に入れているものも多いです。よく分からなかったら雑学です。
健康情報を扱っているもの、言及先のチャンネルが分からなかったものは除外しました。
Cabernetさんの動画数は、多くがゲーム実況だったので、歴史解説系の動画数を()の中に記載しています。
はてなーって文系学問持ち上げるわりに参考文献載せてない動画を持ち上げてここはやっぱりだめなんだなって思った
俺の世界史チャンネルとかも一切参考文献を載せてないし、たくさんいる最強のメラフォロワーの一人だし。
最強のメラは怪しい情報ソースを元に断定的かつセンセーショナルな動画を作っていたりするので界隈では昔大分批判されている。
https://dic.nicovideo.jp/b/a/%E6%9C%80%E5%BC%B7%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%A9/1-
・彼は中立的に書きたいと主張しているが、功績については触れられておらず、個人の感想も多く含まれ、結果としてマザーテレサを貶める記事になっている
・そもそもマザーテレサの立場について誤解している(これは選んだソースが悪いかもしれない)
・その結果初心者向動画としては不適切。マザーテレサへの誤解しか生まれていない
後ゆっくり動画に関しては以下の問題が取りざたされてるのも知っておきたい
https://togetter.com/li/1754186
『食の雑学』は、チャンネル開設後1年足らずでチャンネル登録者数が10万人を軽く超え、急上昇1位にランクインするなど、ゆっくり解説者の中でもひときわ目立つ存在であった。しかし、その投稿内容については、雑学という名前とは裏腹に、過激なものも含まれており、一部で物議を醸していた。また、当該チャンネルは最近まで一日2本という驚異的なスピードで投稿を続けており、他のゆっくり解説者からは不思議に思われていた
https://coconala.com/requests/615440
上記は「ココナラ」というサービスにおける、ゆっくり解説の外注のうち最も初期のもののひとつである。成果物の例として『食の雑学』のYouTubeチャンネルのURLが張られているのがわかる
ちょっと前にゆる言語学ラジオが炎上してたけど、このあたりのゆっくり動画にはそれどころじゃないひどい動画で溢れてるというのが現状である。
特に俺の世界史あたりは人の動画を勝手にパクるので知的誠実どうかの以前の問題である。
文句いうばっかりだとあれなのでちゃんと参考文献を上げてるYoutubeチャンネルを上げとくと、
動画じゃなくてライブなんだけど、例えば以下のライブは大寧寺の変に対するトーマス・コンランの天皇行幸という新説の論文を解説している。
https://www.youtube.com/watch?v=CSimkIo9JXk&t=12100s
産業化した知的誠実性の欠片もないゆっくり動画じゃなくてもっとまともな動画に光が当たって欲しい。
こういう被害者ビジネスをやるインチキ団体の仲間ですねコラボって。
[声明] 被害者支援のために努力してきた民間団体と個人に対する陰謀と暴力行為を止めろ!(編注:うるさいだまってろ泥棒どもが)
被害者支援のために努力してきた民間団体や個人に対する陰謀と暴力行為を止めろ!
日本政府は、被害者を支援する団体や個人、また自分の被害を証言する人々の安全を責任を負う!
青少年性搾取被害者、成人性売買被害者、AV被害者など日本の巨大な性産業による被害者と支援団体の声を聞いて!
性産業の搾取的で抑圧的なシステムを強力に遮断し、被害者を支援する制度と政策を制定せよ!
国際連盟の性搾取のための女性人身売買に対する懸念の中で、1921年植民地だった朝鮮と台湾の工廠は維持し続けるという条件で、自国の共創制度を廃止した日本は以後、日本軍慰安婦として自国の女性をもちろん朝鮮の女性たちを動員し、これまでもこれに対して「自発的性売買」であり、植民帝国の責任はなかったと主張してきた。日本は女性に対するビハと嫌悪を主な内容とするポルノインAVを含む性産業が15兆-34兆ウォンに達し、さらに深刻なのは青少年に対する性搾取産業としてこれをJKビジネスと呼んでいる。(編注:セックスワーカーヘイト)
現在の状況は決して自然なものではなく、共創制を行い、すべての女性たちの接客サービスを「風俗」という名で当然視してきて、植民地にこれを移植した歴史的な脈絡の中に作られたのだ。韓国の性売買問題だけでなく、韓国から日本に人身売買された多くの女性が日本性売買産業の反人権的搾取行動を証言してきた。(ぱっぷすのやらせ)
性売買経験当事者ネットワーク「束」が<無限発説>とその他様々なメディアを通じて知らせてきた性産業の搾取構造と性売買自体の破壊的本質のほかに、日本の性売買業者は広報のために女性たちのプロフィール写真を撮り、性購入者たちは性売買女性を不法撮影することが日常化され、これらの写真と映像が別のお金稼ぎになってオンラインに流通する。これにより、日本の性売買女性は脱性売買に関係なく、生涯を性売買に利用されるのだ。日本の性産業の構造と規模にもかかわらず、日本の性売買女性のための公式化された制度がないことを我々は知っている。性搾取被害を受けた女性たちを支援してきた夢野ニトと彼女が属している<コラボ>は、難しい状況の中でも民間基金と自治体のプロジェクトを通じて受けた公的基金などで国家がしない難しいことをしてきた。また、この団体を通じて安全な空間を支援された経験当事者の女性たちが彼らの組織である「等化」を作った。彼らとの連帯を通じて、私たちはより確実に日本の性売買女性たちの被害状況を共に共有し、日本と韓国の性売買問題の深刻性を広く知らせる活動を約束した。ところが日本で絶対に起きてはいけないことが起きている。
難しい中でも被害者を支援してきた団体が、陰害と脅威を受ける深刻な状況が起きているのだ。このような状況が起きたのはあまりにも自明にも、これまで国家と社会が性産業の搾取的状況にきちんと対応せず、被害者を無視し、こうしたシステムを利用して富を蓄積してきた勢力が権力を持つようになったからだ。
すべての差別と暴力はつながっており、性売買/性搾取被害者を保護し、支援しない社会は決して誰も安全にはできないことを我々は知っている。
被害者を支援する団体と個人に対する安全を担当し、すべての陰謀と暴力行為に強力対応しなさい。
日本政府は、被害者を支援する団体と個人、また自身の被害を証言する人々に対する安全を責任を負わなければならない。
青少年性搾取被害者、成人性売買被害者、AV被害者など日本の巨大な性産業による被害者と支援団体の声を聞き、性産業の搾取的で抑圧的なシステムを強力に遮断し、被害者を支援する制度と政策を制定しなければならない。
性売買問題解決のための全国連帯(慶南女性会付設女性人権相談所、光州女性の電話敷設ハンオルジギ、光州女性人権支援センター、大邱女性人権センター、木浦女性人権支援センターディディム、エビ、水原女性人権の拡大人権支援センターサリム、女性人権ティウム、人権希望カンガンスルレ、全北女性人権支援センター、済州女性人権連帯)売春経験当事者ネットワーク'別れ'、大田'白駒田'、大邱'イェグリナ') [性売買常識をブラックホール]著者
脱炭素が世界的に大きな注目を集めた2021年。年の瀬に行った石油元売り3社のトップインタビューで共通していたのは、急速な脱炭素がエネルギー不足を引き起こさないかという危機感でした。世界的なEVシフトなどによって“ガソリンが要らない時代”は来るのか。石油を売る会社の将来ビジョンに迫ります。(経済部記者 西園興起 五十嵐圭祐)
かつてない危機感
「脱炭素の流れは不可逆だ。想定より、もっと早く石油需要が減少するリスクが高まっている」(ENEOSホールディングス 大田勝幸社長)
インタビューの冒頭、元売り最大手・ENEOSの大田社長が打ち明けたのは、脱石油のスピードに対する危機感でした。
1985年に昭和石油とシェル石油が合併して以降、統合再編が相次ぎ、10社以上あった元売りは大手3社体制に。
しかし、いま世界で進む脱炭素の流れは、石油会社そのものの存在を「否定」しかねない大きなうねりとなっています。
政府は2035年までに新車販売をすべて電動化する方針を掲げています。
金融機関の間では化石燃料の上流開発などから投融資を引き上げる“ダイベストメント”が広がり始めています。
「金融機関が『化石燃料には投資しない』と選別することで、エネルギーの転換・産業の転換を早めていく効果はある。しかし、時間軸を考えず極端に進めれば、社会経済活動になくてはならないエネルギーが不足するという事態に陥るリスクがある」(出光興産 木藤俊一社長)
「1次エネルギーの80%以上を化石燃料に依存している中で、化石燃料を急に絞っていくと価格は暴騰してしまう。おそらく、誰も、そういう世界を望んでいないだろう」(コスモエネルギーホールディングス 桐山浩社長)
「今後、状況によっては石油の需要が落ちる以上に、供給サイドにブレーキが掛かり、価格が高騰するということも考えなければならない」(ENEOS 大田勝幸社長)
脱炭素の動きは長期的には実現すべき目標だが、急な動きはエネルギーの安定供給にひずみをきたし、価格暴騰につながるリスクがある”と3社のトップは、危機感をあらわにします。
何で食っていくのか?
長年、経営の柱だった石油事業からいかに異なるビジネスを展開していくのか。
各社に秘策を聞きました。
インタビューで尋ねたところ、「合成燃料」なるものの開発に着手しているといいます。
「合成燃料の原理は、工場などで排出された二酸化炭素を回収して、クリーンな水素と反応させ、新たな燃料をつくるということだ。いわば、人工的に原油を作るようなもの。通常の石油製品とまったく同じ仕組みなので、船やガソリンスタンドなど石油会社のサプライチェーンがそのまま使える。ラボ(研究所)の段階ではもう技術としてできあがっている。大量に、安く作るためにはもう少しイノベーションが必要だが、自分たちの強みも生かしながら積極的に取り組みたい」
ENEOSは新たなエネルギー分野として水素事業に力を入れています。
燃料電池車向けに、首都圏など47か所に水素ステーションを設け、海外からも水素を日本に効率的に運ぶ新たな技術開発も進めています。
その水素を二酸化炭素と反応させて新しい燃料をつくりだすという新たな技術開発です。
一方、ガソリン販売の業界シェアで3割を占める出光興産は、いまある経営のリソースを将来に向かって生かしていくとしています。
その1つが全国津々浦々にあるガソリンスタンドのネットワークです。
移動式の脳ドッグ
地域密着を売りに、なんとガソリンスタンドで移動式の脳ドッグまで始めたといいます。
「私はガソリンスタンドを“スマートよろずや化”すると言っていて、お客様の利便性向上に繋げるため、介護事業も始めている。この中で、脳ドッグなんかは、なぜガソリンスタンドでやるのと言われているが、地方都市では予約して大学病院に行くということは難しいので地元では喜ばれている。さらに、キッチンカーや地元の野菜の販売など新たな取り組みを始めている。ガソリンスタンドのネットワークを地域に喜ばれるサービスを提供していこうと考えている」
その延長線上で開発を進めているのが小型EVです。
石油元売りがEV開発?最初聞いたときにはどんなビジネスモデルなのか、想像もつきませんでしたが、先を見据えた動きだといいます。
「EVを我々が作って売るのではなくて、ガソリンスタンドを通して、カーシェアリングやサブスクリプション(毎月、一定額で車を利用できるサービス)を展開する。メンテナンスも全部行って、充電する電気の料金も含めて、定額でいつでも使っていいというビジネスモデルを考えている」
さらに、EVのさらなる普及を見据え、次世代の電池=全固体リチウム蓄電池の研究開発も進めています。
全固体型は、電気をためたり放出したりするのに必要な「電解質」が液体ではなく固体。いま一般的に使われている電池と比べて、液漏れや発火など安全上のリスクが少なく、出力も高めることが可能だといわれています。
“スマートよろずや”であるガソリンスタンドを拠点に将来の伸びしろ部分を強化しようというわけです。
社内での激しい議論のすえに脱石油をうたいつつ、新たな分野への投資を拡大しています。
「事業ポートフォリオを変化させようっていうのはずっと考えていて、いまの中期経営改革を策定した2017年に社内で激しく議論した結果、“脱石油”を掲げた。石油会社が“脱石油”でいいのかという意見もあったが、市場がシュリンク(縮小)していくのがわかっているのだから、潔く脱石油をうたって、Oil&Newっていうスローガンを立ててそっちに向かってやっていこうと考えた」
1996年に風力発電専業のコスモエコパワーを立ち上げ、いち早く風力発電事業に取り組んできました。
順調に風力発電の設備を増やしていて、今では電力事業者を含めて、3番目の容量を誇っています。
政府は再生可能エネルギー普及の切り札として、洋上風力発電を2040年までに最大で4500万キロワットまで拡大しようとしています。
「風力発電ってどんどん伸びていく。みんな電力にシフトしていくのに、その電力がクリーンになっていなかったら話にならない。EVで使う電力だって化石燃料で発電すれば、決してクリーンとは言えない。洋上風力は今は着床式だが、どんどんどん沖に出て行く形になる。現実的な解は風力だと思う。もちろん、風況調査から始めて、実際に動くまでものすごく長い時間がかかる。ただ、着々と事業を進めてきているので2030年代の中頃には、経常利益で300億円から400億円ぐらいになると思う」
「大手3社の市場占有率が高いので、独禁法上はこれ以上石油業界の再編はない。ただ、独禁法が関係ない再エネや風力の世界では、自由に絵が描けると思っている」
「エネルギー供給事業者として、必要な需要に対して用意できるエネルギーをしっかり供給しようとすれば選択肢は広がる」
「若手の社員は脱炭素に前向きで、スタートアップ企業とのコラボも進めている。新しいことをやるのに先輩に引けを取っていない」
今回のインタビューを通じて、各社トップは新たなエネルギー、新たな付加価値を提供できれば脱炭素時代もビジネスチャンスをつかめると捉えているのが印象的でした。
脱炭素の流れで「石油の世紀」が完全に終わるわけではないと、トップたちは強調しますが、自らが認めるように需要の減少は不可逆です。
金融機関やマーケットなどからの視線は厳しさを増す中で、各社のエネルギーへの知見や、製油所やスタンドなどのインフラ、燃料の調達・供給体制を含めたサプライチェーンを「資産」として生かしつつ、新たなビジネスを開拓できるのか。
ちなみに、大阪在住です。いわゆる氷河期世代です。ちょっと身バレ防止のため年代とかおかしくいじってるけど、
自分はIT系というかネット系の仕事してたので、勉強会やセミナーも東京しかなく、
求人情報もWebデザイナー・ディレクターで探すと、当時は大阪:10件、 東京:200件 みたいな感じ。
その大阪5件も、ずっと同じ企業が出てた。常時5件、たまに8件、みたいなそんな感じだった。(記憶だから全然違うかもだけど)
もう大阪にいても無理でしょ。って事で出て行った。
初めていった東京は凄かったし、大阪が東京にはりあってるのがあほらしくなるくらいにレベルが違いすぎた。
戻った理由は、大阪が昔より良くなった。活気が戻った。子育てしやすくなった。と身内や友人にめちゃ言われたから。
そして5年くらい前に戻ってきた。
出て行く前のあの大阪の負の空気感が凄く嫌で嫌で仕方が無かったから。
でもあるときからみんな大阪よーなったで。と言うようになった。
そんなタイミングで子どもも産まれたし、関西良くなったんなら実家近い方がいいねって、
何度か家族で相談し、何度か帰省して調査して話聞いたりしてほんまに良さそうやなってなって帰ってきた。
色々前提が長くなったけど、
東京、大阪である程度を過ごして、今大阪にいる人間からしてみると、表題のことを凄く実感する。
なんなら選挙の時に他の候補とか見てない(都構想の時とかはちゃんと読んでたけど)
でも、ポイントは、維新「が」ではなく、維新「で」良いというところだと思う。維新「が」良いじゃないんだよね。
テレビを牛耳ってるだ、なんだと言われるし、実際そういう面も強くあるかもしれないけど、そういうところじゃないんだよね。
大阪の人は、自分が大阪もう無理だわ。って思って出ていったあの時を知ってるんだよね。
公務員大天国であり大正義、なにしても基本は罰せられない。注意だけ、コネあれば入れちゃうとかね。
そもそも自民党と共産党が共闘するとかって大阪以外でありえるか?って話だしね。
え?公務員めざさんの?なんでなん?あほちゃうん?親戚にいないん?と言われたのは今でも覚えてる。
それくらいに腐ってた。
自分の知人とかは大阪地下鉄に入りたい。と死ぬほど願ってた。入れてなかったけど。今どうしてるのかな。
もっと腐ってたんちゃうかと思うくらいに腐ってた(自分の記憶だとそういうイメージ)
今ほどネットが進んでないから、出てない腐ってたことなんてもっとあったんじゃないかと思うくらい。
そういう時に維新がきた。
色々問題もあるし、自分も維新が絶対良いなんて事は全く思ってないけど、
結果として、はしもとさんになって、大阪が劇的に変わったというのは、大阪に住んでる人は、間違い無く実感してるはずなんだよ。
あの天王寺動物園が、家族連れで普通に行きたい場所になるなんて思ってもみなかった。
遠足で行くとかになったら、まじで?ふざけんなよ。だれやねんこれ決めたヤツ。と言われるくらいに天王寺動物園は糞動物園の代名詞だった。
まさか自分が子どもを連れていくようになるなんて思ってもみなかった。
てんしば公園のあるあの辺なんて、昔は変な謎なカラオケとか家族でいくような場所じゃなかった。
地下鉄で絶体絶命の緊急時以外にトイレ行くという選択肢をとるなんて思ってもみなかったし、
新今宮界隈があんなに歩きやすくなるなんて思ってもみなかった。
新今宮から地下鉄へ乗り換えのために、パチンコ屋の前で寝てる浮浪者の横を通り、
交差点で変な布教活動するおっちゃんに声かけられ無視して逃げながら
恐怖心を抑えて移動してたのが、今は普通に歩けるようになってるなんて驚きでしかない。
そして逆に、維新以前に政治やってたやつらは、本当に糞オブ糞だったという思いが強烈にある。
この辺は維新がうまくやったというのもあるとは思う。裏では色々あったのかもしれない。
けど、結果として、本当に結果としては、そうなってる。
大阪は昔と違ってよーなったなーというのは本当に実感してる。
でも多分これは大阪、もしくは関西じゃない人からしたら疑問でしかないんだろうなと。
コロナで吉村知事や松井市長が度々やらかしたりしてるのを見て、
なんでそんなに支持率高いねんって思うんだろうけど、背景はこういうのがあるからだと思う。
それくらいに、維新以前、維新以後って大阪は変わってるんだよ。
平松大田時代から進めてきたってのもあるのは間違いないんだろうし、
その目が出たのが、維新の時だったとかってのもあるんだろうし
それを維新がうまく利用したりPRしてるってのはあるんだろうけど、
それでも一般人から見たら、維新の時に見るからに圧倒的な結果が出た。
で、これ最近、自民が腐るに腐ってるのに、他が全然支持されない状況になって、
特に立憲民主を見てると、この大阪の逆パターンなんだろうなと思う。
大阪は、維新になって、劇的に良く変わったという成功体験が強烈に残ってる。
大阪都構想が負けたのは、負けても都構想をやらないだけで、維新じゃなくなるわけではないからだと個人的には思ってる。
あれが、もし仮に、勝てば維新で都構想。
負ければ、維新じゃなく自民・共産などの維新以外で大阪府市の運営となかだったら、
維新以前?それは論外。って感じが多いと思う。
あれは、維新が人気というのもあるけれど、それ以外の、維新以外の時代の負が強すぎて、
維新以外は強烈なNOという結果なんだと思うんだよ。
だから最初に書いたように維新「が」じゃなくて、維新「で」いい。になってるんだと思う。
色々維新がやらかそうとも、維新が根強く支持されるのはそういうことがある。
それこそテレビとかメディア牛耳って世論を誘導してる結果だろと言われるかもしれないけども。
で、国政を見ると、これの逆が立憲民主なんだろうなと。
民主党時代、それが良かったか悪かったかというのはおいておいて、
世間一般的な評論としては、(それを自民が誘導したとか色々あるのかもしれないけど)
強烈に負の体験が残ってるんだろうなと。
2番じゃダメなんですかの話なんて、実際にそれをよく読みこめば、
言ってることは全くもって正しいってのはわかるけど多分そういうのはほとんどの人知らないんだと思うし。
で、これ、
大阪は、維新=大成功、維新以外=負の時代を作り上げた となっている。
みたいな印象になってる。
世論というかイメージというか、実際がどうとかじゃなく、そういう印象って残ってるんだと思う。
大阪で、何をしようとも維新が強いってのはこの成功した「体験」をモロに自らしてるからで、
民主の時、政権交代して強烈にダメだったという「体験」をしてる。(実際ダメだったかどうかの是非などはどうでも良い)
実際、大阪にいると、最近の維新での特にコロナ関連における学校関連とかはほんとひどいとは思う。
先生とか学校の関係者はめっちゃ疲弊してるしね。先生に差し入れとかしたいと思うくらい。
でもじゃぁ維新以外でやらせて、維新に危機感もっと持たせろよとなると、
自分もあの当時の大阪はもう無理だ。出て行こうと思うくらいの負のイメージがあるのであんな暗黒に戻るのは無理でしょ。となる。
維新以外にお願いしたいかと言われると、やっぱ無理。ってなっちゃう。
維新、最近おかしいけど、もうちょいがんばってくれ。頼むよって気持ちになってしまう。
時が経てば経つほどそういうのってより強くなってしまうとも思う。
これを払拭しないと、
国政はずっと自民のままだろうなと思う。
1 斎藤 佑樹 投手 1988/06/06 32歳 11年 176cm 77kg A型 右右 群馬 1,250万円
2 杉谷 拳士 内野手 1991/02/04 30歳 13年 173cm 78kg B型 右両 東京 3,500万円
3 王 柏融 外野手 1993/09/09 27歳 3年 182cm 93kg 不明 右左 台湾 15,000万円
4 谷口 雄也 外野手 1992/06/01 28歳 11年 182cm 90kg B型 右左 三重 1,500万円
5 大田 泰示 外野手 1990/06/09 30歳 13年 188cm 93kg O型 右右 広島 13,000万円
6 中田 翔 内野手 1989/04/22 31歳 14年 184cm 106kg O型 右右 広島 34,000万円
7 西川 遥輝 外野手 1992/04/16 28歳 11年 181cm 79kg A型 右左 和歌山 24,000万円
8 近藤 健介 外野手 1993/08/09 27歳 10年 171cm 85kg O型 右左 千葉 19,500万円
9 中島 卓也 内野手 1991/01/11 30歳 13年 178cm 75kg A型 右左 福岡 8,000万円
10 清水 優心 捕手 1996/05/22 24歳 7年 185cm 89kg A型 右右 山口 2,400万円
12 松本 剛 外野手 1993/08/11 27歳 10年 180cm 82kg AB型 右右 埼玉 2,100万円
13 生田目 翼 投手 1995/02/19 26歳 3年 176cm 88kg A型 右右 茨城 920万円
14 加藤 貴之 投手 1992/06/03 28歳 6年 182cm 90kg AB型 左左 千葉 5,400万円
15 上沢 直之 投手 1994/02/06 27歳 10年 187cm 88kg A型 右右 千葉 8,500万円
17 伊藤 大海 投手 1997/08/31 23歳 1年 176cm 82kg O型 右左 北海道 1,500万円
18 吉田 輝星 投手 2001/01/12 20歳 3年 175cm 85kg AB型 右右 秋田 1,030万円
19 金子 弌大 投手 1983/11/08 37歳 17年 180cm 77kg O型 右左 新潟 3,500万円
20 上原 健太 投手 1994/03/29 26歳 6年 191cm 90kg A型 左左 沖縄 1,700万円
21 清宮 幸太郎 内野手 1999/05/25 21歳 4年 184cm 103kg O型 右左 東京 2,200万円
22 鶴岡 慎也 捕手 1981/04/11 39歳 19年 176cm 78kg A型 右右 鹿児島 3,000万円
23 渡邉 諒 内野手 1995/04/30 25歳 8年 178cm 84kg B型 右右 茨城 5,500万円
24 野村 佑希 内野手 2000/06/26 20歳 3年 187cm 91kg O型 右右 アメリカ 880万円
25 宮西 尚生 投手 1985/06/02 35歳 14年 180cm 80kg O型 左左 兵庫 25,000万円
26 淺間 大基 外野手 1996/06/21 24歳 7年 183cm 82kg B型 右左 東京 1,150万円
27 古川 裕大 捕手 1998/06/19 22歳 1年 182cm 88kg A型 右左 福岡 900万円
28 河野 竜生 投手 1998/05/30 22歳 2年 174cm 84kg O型 左左 徳島 1,750万円
29 井口 和朋 投手 1994/01/07 27歳 6年 175cm 78kg O型 右右 神奈川 2,600万円
30 宇佐見 真吾 捕手 1993/06/04 27歳 6年 181cm 94kg O型 右左 千葉 2,400万円
31 村田 透 投手 1985/05/20 35歳 8年 183cm 83kg O型 右左 大阪 1,600万円
32 谷内 亮太 内野手 1991/02/03 30歳 9年 177cm 82kg B型 右右 石川 1,300万円
33 立野 和明 投手 1998/04/03 22歳 2年 181cm 87kg O型 右右 愛知 1,000万円
34 堀 瑞輝 投手 1998/05/10 22歳 5年 177cm 80kg A型 左左 広島 2,800万円
35 西村 天裕 投手 1993/05/06 27歳 4年 177cm 94kg O型 右右 和歌山 1,900万円
36 バーヘイゲン 投手 1990/10/22 30歳 2年 199cm 106kg 不明 右右 アメリカ 13,000万円
37 柿木 蓮 投手 2000/06/25 20歳 3年 181cm 89kg A型 右右 佐賀 520万円
38 石井 一成 内野手 1994/05/06 26歳 5年 182cm 80kg O型 右左 栃木 1,800万円
39 秋吉 亮 投手 1989/03/21 31歳 8年 183cm 88kg A型 右右 東京 5,000万円
40 福田 俊 投手 1996/12/14 24歳 3年 171cm 73kg A型 左左 北海道 1,250万円
41 B.ロドリゲス 投手 1991/07/06 29歳 4年 196cm 111kg 不明 右右 ドミニカ共和国 3,500万円
43 長谷川 凌汰 投手 1995/11/08 25歳 2年 188cm 97kg A型 右左 福井 520万円
44 アーリン 投手 1990/10/08 30歳 1年 183cm 86kg 不明 左右 アメリカ 8,000万円
45 平沼 翔太 内野手 1997/08/16 23歳 6年 179cm 80kg A型 右左 福井 1,400万円
46 田中 瑛斗 投手 1999/07/13 21歳 4年 184cm 78kg A型 右左 大分 560万円
47 鈴木 健矢 投手 1997/12/11 23歳 2年 176cm 78kg O型 右左 千葉 880万円
48 上野 響平 内野手 2001/04/26 19歳 2年 172cm 73kg A型 右右 大阪 530万円
49 公文 克彦 投手 1992/03/04 29歳 9年 173cm 83kg A型 左左 高知 5,000万円
50 五十幡 亮汰 外野手 1998/11/27 22歳 1年 171cm 67kg B型 右左 埼玉 1,100万円
51 石川 直也 投手 1996/07/11 24歳 7年 192cm 90kg A型 右右 山形 4,500万円
52 池田 隆英 投手 1994/10/01 26歳 5年 181cm 85kg B型 右右 佐賀 650万円
53 R.ロドリゲス 内野手 1992/04/17 28歳 1年 183cm 81kg 不明 右右 ドミニカ共和国 4,000万円
54 玉井 大翔 投手 1992/06/16 28歳 5年 178cm 79kg A型 右右 北海道 5,600万円
55 難波 侑平 内野手 1999/05/06 21歳 4年 178cm 81kg B型 右左 岡山 520万円
56 細川 凌平 内野手 2002/04/25 18歳 1年 174cm 75kg A型 右左 京都 520万円
57 杉浦 稔大 投手 1992/02/25 29歳 8年 190cm 90kg A型 右右 北海道 3,700万円
59 根本 悠楓 投手 2003/03/31 17歳 1年 173cm 78kg O型 左左 北海道 520万円
60 郡 拓也 捕手 1998/04/25 22歳 5年 179cm 86kg B型 右右 東京 550万円
61 今川 優馬 外野手 1997/01/25 24歳 1年 177cm 87kg A型 右右 北海道 840万円
62 望月 大希 投手 1998/02/01 23歳 2年 187cm 88kg O型 右右 千葉 790万円
63 北浦 竜次 投手 2000/01/12 21歳 4年 184cm 96kg AB型 左左 栃木 720万円
64 田宮 裕涼 捕手 2000/06/13 20歳 3年 175cm 82kg A型 右左 千葉 530万円
65 梅林 優貴 捕手 1998/03/14 23歳 2年 173cm 82kg A型 右右 広島 700万円
66 万波 中正 外野手 2000/04/07 20歳 3年 192cm 97kg A型 右右 東京 530万円
67 片岡 奨人 外野手 1997/11/16 23歳 2年 184cm 81kg O型 右左 北海道 700万円
68 石川 亮 捕手 1995/07/20 25歳 8年 181cm 85kg O型 右右 神奈川 1,100万円
70 今井 順之助 内野手 1998/05/25 22歳 5年 176cm 91kg A型 右左 岐阜 510万円
91 髙濱 祐仁 内野手 1996/08/08 24歳 7年 185cm 90kg B型 右右 佐賀 550万円
93 樋口 龍之介 内野手 1994/07/04 26歳 2年 168cm 91kg A型 右右 神奈川 520万円
111 宮田 輝星 外野手 1997/12/02 23歳 2年 177cm 75kg A型 右両 鹿児島 300万円
114 松本 遼大 投手 2002/05/17 18歳 1年 187cm 96kg A型 右右 岩手 260万円
115 齊藤 伸治 投手 1998/06/13 22歳 1年 181cm 83kg B型 右右 千葉 260万円
144 海老原 一佳 外野手 1995/09/13 25歳 3年 189cm 97kg A型 右左 東京 360万円
148 高山 優希 投手 1998/05/17 22歳 5年 181cm 82kg O型 左左 大阪 440万円