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はてなキーワード: 共同体とは

2019-05-21

anond:20190521084501

パートナーシップ制度先進運用共同体安定のネガティブ要因になるって認識なのは理解しました。

(たぶん信念からして相性悪いけどしかたないし増田は悪くない)

 

多少横道に逸れるけど、前近代家族観認識のずれの方が気になった。

今となってはそれが極論に過ぎないという批判も多い

お手数だけどこれの根拠があれば紹介請う。自分観測範囲ではE.トッド『家族システム起源』で、人類原始的家族形態核家族だと示したものだけど、これも数年前の書籍だ。

 

古事記情報を求めるなら、近代から見て異様な婚姻エピソードが記されたイワナガヒメコノハナサクヤヒメを出してみたい

実の姉妹が同一の男性に嫁ぐ話で、一方の縁談を断ったことにより厄災が加わるのだが

このエピソードが古くからの多くの人に受け入れられた背景に同様の婚姻システム存在をみるのだけど

 

なお、横増田の「性愛婚姻を結びつけるのが極めて近代的」という話も気になるけど、

もう少し考えをまとめてから

anond:20190520103759

別ツリーを参照してもらうといいんだけど、意外と庶民レベルでは一夫一婦だったんじゃね? と思ってる。古典作品とかね。江戸時代かにフリーセックスだったのは、それこそ「血気盛んな(結婚して落ち着く前の)若者」や「後家」などであって、思うにそういう連中に対してはそれこそ「共同体の安定のため」にフリーにするのが得策だったのだと思うがどうだろう。


俺が言いたいのは、共同体は「共同体の安定」のために自らに適した制度をその都度事後的・後追い的に承認していくのであって、人間社会の本性に関わる部分は特に理論的にこうあるべき」的に作った制度(たとえば元の増田が考える『新しいパートナーシップ制度』的なやつ)ではうまくいかないんじゃねーの? って話。それよりは、現実に広がりつつある同性婚を、(それがどんなに「近代結婚観をなぞった欺瞞的なものであるとしても)後追い的に承認するのが自然じゃね? みんなそんなに一足飛びに「新しい制度」に乗っかる「新しい人間」にゃなれんからね、ってことなんだよ。

anond:20190521084501

横だけど

家族というもの共同体の基礎となっていたというのはそうだと思うんだけど、「性愛に基づいて家族構成する」というのが極めて近代的発想なんだよなあ

anond:20190520203308

(1)「『同性婚を推進すべき』という意見に対する肯定根拠が見えない」という指摘について

増田にならって自分が指摘したいことをまとめると

◦ 現行の婚姻制度共同体の安定の機能のためなるべく「現状を肯定することを前提に」運用する

パートナーシップ制度は「共同体の安定」のために先進的な制度「の導入については慎重を期す」←同性婚は「現状」に沿った形で「現行の婚姻制度」の柔軟な運用により対応する

となる。増田意見とは結構真逆な結論になるよね。つまり増田提案する「新しいパートナーシップ制度」が、極めて近代的発想に基づくもので、それがうまく「共同体の安定」に資するビジョンが見えない、と言いたいわけです。分かりにくくて申し訳ない。


極東ブログ意見は、それこそ「(我々のイメージする近代的)家族はなかった」という話に過ぎないし、引用している本も40年ほど前の本だよね。それこそ「近代見直し」が盛んだった時代の論としてはありがちな意見だけど、その時代意見については、今となってはそれが極論に過ぎないという批判も多い。

いずれにせよ、江戸時代初期までは、日本社会の多数の庶民には、父子の関係は薄く、母子関係はあっても家族はない。

これが極めて極論であることは、たとえば古事記を引いてもいいだろう。ヤマタノオロチに娘を捧げなくてはいけない状態にあった老夫婦アシナヅチテナヅチ)を見たスサノオ大蛇退治をする、というストーリー。この人たちが当時として特異な「家族」として描かれているように読めるだろうか? むしろ普遍的理解される家族・親子の姿として描かれているのでは? あるいは「物語のいできはじめの祖」とされる「竹取物語」ではどうだろうか。「子供の出来ない老夫婦が、子供を拾って家族となる」ところから話が始まるのではないだろうか。宇治拾遺や今昔物語などを調べてみてくれてもいいが、「一対の夫婦がいて子供がいて共に暮らす」というのはむしろ多くの物語で見られる「一般的な『家族』の姿」だよ。

もちろん増田の言う「ひょっとすると近代作品が伝わるにつれて近代にそぐわない婚姻スタイルの話が継承されなくなったのかもしれない」という想像100%廃するわけじゃないけど、それを主張するなら、むしろ「確実に古代から伝わっている多くの本」に描かれたこれらの姿をどのように説明するかについての納得のいく説明必要じゃないかな。

2019-05-20

anond:20190520143902

増田共同体の安定の観点から結婚制度を見ているのはわかった

ただ、今までの議論では同性婚を現行制度に追加して容認する動機は見えなかった

この2本構成で行くというのなら話はわかるし、俺の理想もそんな感じなんだけど

> 少し考えて欲しいのだが、ごくごく一般的庶民が、二人も三人も嫁をもっている前提のストーリーが、古典作品にあるだろうか?

簡単に言うけど名もなき庶民結婚形態を把握するって相当むずかしいぞ

とりあえず日本実態としては

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/10/post-6075.html

地方領主家長として隷属民の家族形成支配していた」が正しいんだろう

これが歴史フィルタを生き残った家族形態なんだけど、今これを再現したい?

 

ちなみに古典作品庶民の複婚のケースでは狂言「鈍太郎」などがある

ひょっとすると近代作品が伝わるにつれて近代にそぐわない婚姻スタイルの話が継承されなくなったのかもしれない

anond:20190520113341

(1)「個人主義自体歴史の中では非常に特異な考え

自分共同体ベースにして考えており、「個人自由のために同性婚を許容すべき」派ではない、というのはご理解のとおり。

現代においてなお「個人」なるもの集団から屹立して成立しているようなタフな社会は到来していないと思う。個人主義者、あるいは単純にネオリベ勘違いしているのはそこのところで、彼らの多くは集団から多大な恩恵を受けつつも「個人自由」を過剰に追求する、要するにただのフリーライダーであり、それを「上手いやり方」だと勘違いしている。みんなある程度読み書きができて理屈が通じてそれほど暴力的でなくてルール従順で…という社会が、どれだけの無償努力によって成立しているか考えたこともないお坊ちゃん達だ。そもそも個人主義というのは歴史的に見ても相当特異なものの考え方であり、次の、その次の世紀にまで引き継がれるスタンダード思想になるとはとても思えない。よって、自分そもそもそこに基盤をおいて考えない。

(2)「制度」が社会現実を反映するという発想こそが近代主義

重婚否定は長い歴史のなかで共同体の安定に役立ってきた」

近代以降しかかめられてないと思う。一夫多妻制の歴史の方が長く、汎世界的にわたっていた

少し考えて欲しいのだが、ごくごく一般的庶民が、二人も三人も嫁をもっている前提のストーリーが、古典作品にあるだろうか?

王様貴族商人、といった「社会的に富と権力を抱える支配層」が妾を複数置くという話はいくらでもある。それをもってあなたは「制度としては一夫多妻だった」と言いたいのだろう。しかしそれはむしろ、妻を複数もつ彼らが「慣習的な一般常識を超越しうる存在であった」ことを示しているに過ぎないのではないか。つまり一般庶民、村や町といった所に住む普通の人々にとって、二人、三人と恒常的なパートナーシップを結ぶことは、むしろ現実的であったことを示しているに過ぎないのではないか? 中国古典にも純愛の話(一夫一婦)はたくさんある。日本の昔話でも、じいさんとばあさんがペアで出てくることは多いが、嫁や夫を複数持つという状態が「常識」であったりすることはほぼない。イスラム世界一夫多妻だろうという声もあるだろうが、イスラム戒律が厳しくない外国に行き、経済的ものすごく恵まれ状態でない限り、結構すぐに嫁から不満の声が上がるというよ。一夫多妻(あるいは多夫一妻)を、民衆の多数の同意の下、安定的運営してきた共同体なんて、むしろ現実存在するのかな? 男女の誕生比率世界の何処でも大きく変わらない限り、簡単破綻するのは自明の理屈と思うけど。

近親婚の話は、上の個人主義の話との関連で、特に補足する必要は無いな。

もっとも、増田の言ってることは十分面白い別にから否定したいわけではなくて、こうして意見交換をするのが思考実験としても面白く思っているので、「あえて」反論している所もあるよ。一応。

anond:20190520102818

婚姻制度共同体の安定に資するべきである」という立場であり、

個人自由尊重し、望むものがいて自分個人が損しないのなら権利を認めたい」という立場ではないのね。

それならそれでちゃんとした考え方だし立論は認めます。俺とは相容れないけど

 

その場合同性婚の許容は本当に共同体の安定に資するか考えてから賛成すればよいと思う。今までこのツリー積極的な賛成の要素は出ていなかったので例があればよろしく。俺も考えを変えるかもしれない

 

以下、気になった点

重婚否定は長い歴史のなかで共同体の安定に役立ってきた

近代以降しかかめられてないと思う。一夫多妻制の歴史の方が長く、汎世界的にわたっていた

これが禁止されたのは個人自由人権利の観点からだ思う(女性の権利が低く抑えられる実績があった)ので

増田の言うような共同体安定の要請ではない

なお俺個人意見といては共同体の安定のために個人権利を阻害するのは嫌なので

一夫一婦制はのこしてもらいたいところ

パートナーシップは好きにするといい

 

・近親婚の否定共同体安定に役立ってきた

共同体の安定のために個人選択否定する必要があるという立場なら問題ない

俺のように個人自由を重んじたい人間場合どう立論すべきか悩んでるだけ

 

増田が考えるほど私たちは「近代的」ではない。

→そこは十分理解してるんで、現行制度差別的であってもなるべく手を加えず、新しい制度を作ろうとしている

anond:20190520102818

共同体の安定維持のための手段として「共同体によるパートナーシップ承認」を用いることが「個人主義人権思想とは相容れないもん」だって話では?

anond:20190520102818

血統を重んじたのは金持ちとか武家とか将軍とかそういうのだし、しか側室ぜんぜんOKだし

江戸時代までフリーセックスだし

共同体の維持に一夫一婦制必要だったかと言われるとそんなことは無いと思うが、

偉い人の権威発揚には一定の効果があったくらいかな。

anond:20190519212542

現行法制下の「結婚」というシステムベースにした考えに拘泥して、逆に全体が見えなくなってるのでは?


結婚前近代的制度」云々というが、そもそも前近代近代」の対立よりずっと以前から婚姻というものは汎世界的に存在しているわけで、「共同体によるあるパートナーシップ承認」が共同体の安定維持のための手段として適切であることは歴史的証明されていると言っていい。だから、現行の社会で、あるタイプパートナーシップ社会的に認知されているなら、共同体の安定維持のためそれを共同体として「公認」するのは何ら不自然なことではない。同性婚を「現行の結婚制度に載せること」と「同性によるパートナーシップ婚姻と呼ぶこと」とは別なことと考えてほしい。そして、前者の困難さは後者否定する理由にはならない。ことの本質はそういうことだと思う。


その観点からすれば、そもそも増田の疑問や反論範囲の狭い問題提起であることが分かる。

たとえば「重婚否定」は、別に男女の権力性に基づくものでなく、単に「パートナーシップ制度自体不安定にするから問題であるとか。近親婚の否定は、むしろそれこそ大人子供権力性による制限や、また、家族制度という(もう一段階上の)社会基盤を不安定にするという問題を含んでいるか問題になりうる。そもそも現代においても、私たちの暮らす社会は「完全な個人主義世界」にはほど遠く、たとえば子供の育成一つとっても、家族という基盤無しに行うことは現実的に考えづらい(言い換えれば、それを実施するには大きな負担が各所にかかる)。増田が考えるほど私たちは「近代的」ではない。同性婚というものが過渡的で不完全なシステムしかないことにはもちろん同意するが、だからといって一気にパートナーシップ制度を激しく「近代化」しても、それは私たちの実感とはほど遠いものしかならないだろう。「婚姻」というシステムから一気に人々と解放するというのは残念ながら空理空論レベルの話だと思う。

2019-05-18

anond:20190518133851

じゃあ政治家にでもなって、その政策推し進めろよ。出来っこないだろ。馬鹿げてるからだよ。現代日本人家族子育てをしたいんだよ。

日本人である前に人類であるから本能に従って子を産み育てる権利がある。それは個体としての権利だ。

同時に日本人として育んできた現行の子育てシステムを守る権利もある。一時の政策によって、長い時間をかけて作った子育てシステムを壊すのは文化破壊である。と、同時に人間として、進化過程で身につけた子育て方法を壊すこととなる。(子育てのような行動が、遺伝に基づくか文化に基づくかというのは一概には言えないが、家族子育てするのがコンフォートと感じるお国柄は地理的に分断された進化でないかと俺は考える)

人類として生きる生物であり、文化に生きる日本人から強制的育児形態を変えるのは、生命現象への冒涜であり、人権侵害なんだよ。

から、家庭か共同体の2択であろうと無かろうと、現行家庭で子育てすることが日本人にとって自然であるのだから、別の方法強制するのは反自然的な行為だ。

そもそも子供を1所に集めて集約的に子育てすることは今までだって行われてきている。ヨーロッパの寄宿学校文化なんかもろにそれだろ。でも日本では流行ってない。それは日本人がそうしたいと思わないからだ。その感情文化でもあるし、日本人的な生物行動だから尊重すべきだ。

国家なんてつまらないものにとらわれていいものではない。

anond:20190518133352

いえ、あなた人類レベルの話をしたので

なにか勘違いされているのかなと思ってお話させて頂きました。

そして、それだけの知識があるなら、家庭と言う閉じた空間に全てを依存する危うさも理解できそうですし、家庭か共同体かの2択ではないということも理解頂けそうですが。

建設的な話し合いをしようとせず、

感情的相手否定罵倒するに終始するのは賢い方の行為と言えるでしょうか?

anond:20190518132549

この国の話してるんじゃないんか?共同体子育てする国があるから日本人が今やってる両親が子育てする馬鹿みたいなシステムは壊してそっちの真似するべきだと?それとも長屋文化の話でもするの?古き良き日本文化強制

トイレティッシュ流すなつったら水に流れるティッシュもありますよとか言いそうだなお前。やっぱり馬鹿だ。可哀想

anond:20190518131943

少なくとも、子供を両親が育てるってのは人類共通文化ではないですよ。

共同体が育てるってケースもままありますよ。

これだから教養が無いやつと会話するのは嫌なんだよな。

anond:20190518002614

子供なんてもともと共同体や親のために産むもんだろ。

現代人の感覚がズレているだけ。

2019-05-16

anond:20190515155913

この発言者はクソだと思うんだよね

ほんのちょっとでいいから。

誰もが自分仕事だけに必死になって“社会”を回していたら、

結果赤ちゃん1人すら育てづらい“社会”を作り上げていた。

それは悲劇だし。それは社会矛盾です。

少なくとも、

自分の出勤の邪魔からベビーカーは乗るな、とふと思ってしま

そんな社会に向かっていたら悲しい。

核家族になって、本来共同体が受け持ってたもの行政などにアウトソースして

共同体他人家族干渉したりするのを忌避した上で

その都合のために【社会】が矛盾なく俺を受け入れろという

社会はお前のママじゃねぇんだよ

2019-05-07

anond:20190507183204

共同体から利益を受けてないKKO共同体のために何を捨てる必要があるのか

KKO共同体から恩恵を受けてるのにそれを自覚すらしないもの、何も捨ない者を憎んでるだけだ

2019-05-04

anond:20190504104043

そうだね。

ギリシャ少年愛なんかはいい例で、

共同体の存続に寄与していたから認められていた。

しろ妙齢なのに男に相手にされないというのは恥ずかしいことだったとか。

anond:20190504101113

そりゃ共同体の存続に不向きだからでしょ

水脈じゃないけど子供産めない連中は生産性がないからね

余裕のない時代にそんな連中を大っぴらに認めてたら絶滅ちゃうんじゃないの

というより絶滅した結果、ホモレズ不寛容集団が生き残ったんでは

2019-05-02

KKO問題真剣に考えてるなら

互助目的とした共同体を、主体性を持って結成する以外の解決手段はないように思える。

言論で何かが変わるとは思えない。

まぁまだそこまで深刻に考えてる人が居ないのかもしれないけど。

俺は大真面目に、宗教ベースとした共同体を作り、平和に滅びつつ、不幸の再生産を防ぐ活動をする他ないと考えている。

2019-04-23

田舎ヤンキー生活満足度って、都心なら年収1500万くらい必要だよな

マジ勝ち組

都心ちょっときれいなマンションに住んで、近所の誰かと普通に話して、子供は二人か三人。それぞれに好きなこと習わせたり、受験視野に入れた塾通わせる訳だ。

周りの家庭は旅行いったりいかなかったりの話を振ってくるし、そこに合わせたりマウントしたりするためにも、そこそこの余暇の過ごし方をさせないといけない。

スネ夫しずかちゃんは実はしずかちゃんの家の方が金持ちなわけで、教育体験って見えないけど一番お金かかる。

そこで翻って田舎カースト高いヤンキー夫婦だよ。教育なんて読み書きと算数で十分。女の子なら専門か高卒男の子も手に職つけさして地元に残す。旅行は車回してみんなでイオン

東京行ったとしても、都市部価値なんてわからん。人混みと建物見て終わりよ。SNS話題になってても「スゲー」で終わり。そもそもSNSは身内の連絡用。バズッたものを見かけはしても、まるで興味なし。根本的な教養と、それがどんな価値を持ってるか知らないから住もうと思わない。

教育つけて都会に送ってやるのも親心だけど、教育つけたらほぼ間違いなく田舎に帰って来ないからね。

地元の窮屈さに気づく。東京に慣れてから地元見ると、ホントにせせこましくて泥臭い。身内で必死に絞り出したしょうもないお祭りなんかよりも、遥かに文化的で華々しい催しが、把握しきれないくらい溢れてる。

多少生活の質が落ちても、命かからないと帰れない。ただ歩くだけで麻薬みたいに刺激が溢れてる。それに慣れたら田舎で、パチンコと車とイオンでダベることに楽しみなんて見いだしようがない。

依存症とおんなじ。

都心でそれなりの幸せ生活をしようと思うと、全てに金がかかる。

自分をまともな人間尊重してくれるグループに入る。もうハードルが高い。それなりのお家賃のかかる所に住む。田舎に置いてきた対人関係やそこに生まれ互助関係を、全部金銭代替することになる。

ただ東京にしがみつくなら安い。たぶん生きるだけなら田舎より安くつく。私は今、夜勤を終えて帰宅就寝から小汚ないアパートで、隣人が絶叫して叩き起こされた勢いでこれかいてる。でもあんままともな生活じゃないな。

でも一度東京暮らし人間が、田舎になんかいけない。

まれ育った奴だって嫌気が差すのに、旅行くらいしかいかん奴が住めるわけがない。

金じゃなく対人関係村社会は回すようにできてる。田舎者も「よそ者はなんだか楽をしてるっぽい」以上のことがわからいから、何となく無視して何となくヘイトをためるだけ。村社会を支える関係に参加させる方法を、本人たちもわからいから、よそ者村社会寄生する不良債権しかない。

都会人が田舎に住むには、職にもよるが相当なコミュ力田舎もんの協力が別途いる。

田舎に昔から住んでたら、そうはならない。イオンにいって帰ってくると、買ったもの家族が知ってたりする監視社会は非常に辟易する。だがその分、言わなくても何をして欲しいか察する人がいる。子供の世話を誰がするでなくても、誰がその情報を持ってるか知ってる。留守の誰かがいつ頃戻ってくるか、聞くこともなく知ってる。

カーストがある程度高ければまぁまぁ利益に与るし、底辺でも選択肢はある。都心に逃げ込む位だが。

都心で1500万、稼げるか?都心人口の何%に可能か、想像するのもキツい。少なくとも5%は切るだろう。

身内に囲まれて、身内の小さな価値観に支えられて過ごす。もちろん自分も支える。共同体比率で言えば、もっとずっと多い。デカイ顔する分、労役負うんだから、負える人数でなきゃいけない。

競争都心で豊かになるよりずっと楽でコスパいいじゃないか

マジ勝ち組

2019-04-20

反証主義からいい加減離れろ

自然科学しか見てないというか、ポパーを盲進しすぎというか……。

科学全体において検証作業のウェイトはそんなに大きくない。自然科学においてさえ検証重要なのは一部に留まる。

科学共同体の中に色んな仮説が蓄積されていけば、積極的検証しなくても長い時間が経てば洗練されていくんだよ。

から科学者の第一仕事はより良い仮説を提唱することで、検証はそのための副次的ものに過ぎない。

医学など自然科学の一部は、未検証理論が応用されると周囲に重大な損害を及ぼすから検証重要だけどな。

2019-04-15

世界だんだん無意味になっている

世界だんだんよくなっているって記事を読んで思ったのだけどそこまで世界がよくなっているという実感がない。ここでいう「世界」とは利便性限定されすぎている。

利便性に限っていえばこの世界先進国ではよくなっているだろう。ユニクロトヨタセブンなど海外労働力フランチャイズシステムによって安く物を売ることができるようになった。今の日本がよくなっているというのはそのギャップに支えられているに過ぎない。その利便性もいつか崩れるだろう。金融資本ITの発達によって日本中国アメリカ後進国になるのは自明だ。その時にいままでの資本構造、とりわけ薄給労働者によって支えられていた供給システムはたちゆかなくなる。

ところで世界がよくなっているというがここでいう世界とは何のことを言っているのだろうか。自由という意味に限って言えば利便性が向上した世界はよくなっていると言えるが人間自由であるというのは哲学的には完全に否定されている。基本的人間環境動物で与えられた名前、与えられた環境によって何を感じるか何を好きになるか何を幸福に思うか「後天的」に刷り込まれ動物である

自由とは前提条件であって必要条件ではあっても意志のものをかたちづくるものではない。日本ではたびたび閉塞感が言われることがあるがこれは自由問題ではなく世界自由であること、その自由ゆえの閉塞であると言えるだろう。

自由であることは人間を苦しめる。以前の共同体ベース社会では人間関係がその共同体の中に組み込まれていたので自らの役割をこなせばよかった。どのように振る舞えば幸福になれるのかがある程度の指針として機能できていたが自由ベースにした社会では人間関係は社会に組み込まれはいない。組み込まれていないとはつまり社会人間関係をつくる場所として「閉じている」ということだ。これを閉塞感という。つまり閉塞感にたいする反論として自由反論になっていない。人は自由ゆえに閉塞するのだ。

世界自由になった。その文明利便性の向上によって。それはいいことだ。よくなっている。しかしその一方で個人選択無限に広がった結果、自由意志できる人だけが自由に生きられるようになっただけでその他の人達、つまり自由を使えない人達は宙ぶらりんのままになっている状態である。それすらも自由であるといえばそれまでだ。しかしなんの共同的な意志をもたず、はたまた自由意志ももたない人達がかなりいるように見受けられる。自由共同体無意味化した結果自由行使できる人だけがまるで自由普遍的概念であるかのようにその重要性を説く。いや重要なのは重要だが自由一般的な人々にとっては意志形成する基盤にはならない。

自由とはその響きの崇高さに反して「結果的に」人を「無意味化」する概念である

2019-04-08

anond:20190407215315

投票しないと怒られるけど、何も考えずに適当投票したら怒られない。

政治への関心や一票の差とかどうでもよくて、共同体への忠誠心が足りないことが怒られる原因なんだろうね。

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