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はてなキーワード: 共同体とは

2018-06-16

anond:20180616171745

内戦で荒廃した国ならともかく明らかにまれてる日本でそんな思考を持つ奴が依存できる共同体などこの世にない

anond:20180616171529

簡単に切り捨てられるものじゃなく、どこかの共同体依存しなければ生きていけないからこそ身の振り方に悩んでるんだろ

2018-06-10

是枝監督の件は多くの人に誤解されすぎ

http://www.kore-eda.com/message/20180607.html

Twitterとか見ると変な部分に突っかかって是枝監督に怒りをぶつけてる人が多い。

多分元の文章をまともに読んでないせいだと思うので、きちんと整理しておきたい。

祝意」ってなに?

一般的には「喜びを祝う気持ち」のことを指すけれど、文脈を見ると

国会参院文科委員会野党議員が「(是枝に)直接祝意を表しては?現場をとても鼓舞する。総理に進言を」と文科相に問いただしているやりとりを目にし、更にその後「林文科相文科省に招いて祝福したいという意向を示した」と伝えられたとNHKニュースで目にしました。

実は受賞直後からいくつかの団体自治体から今回の受賞を顕彰したいのだが、という問い合わせを頂きました。有り難いのですが現在まで全てお断りさせて頂いております

まりどこかに呼ばれて表彰、みたいなことは断るよ、ってだけの話なんだよね。

是枝監督は「おめでとう」を受け入れられない人?

デマ

実は受賞直後からいくつかの団体自治体から今回の受賞を顕彰したいのだが、という問い合わせを頂きました。有り難いのですが現在まで全てお断りさせて頂いております

顕彰の問い合わせ」に対して「有り難い」って書いてあるじゃん

何を勘違いしたのか

から仕送り貰って、大学卒業したり優秀な成績残した時に親からおめでとうと言われた際に「親から言葉は受け入れない」とか言ったら批判されるよね。

からの「おめでとう」を断るのがカッコイイとか、それが許されるのは反抗期まで。 成人でもみっともないと言われるのに、還暦近い人がそんなの言うとか流石に度を越している。

から給料貰っておきながら、国家も歌わず日の丸に敬意を示さないどっかの教員連中も同じ精神構造なんだろうね。いつまで経っても反抗期の子供なんだよ。

ママからのおめでとうを受けたらマザコンと思われママの言う事何でも聞くと思われるのが嫌だから、って感じですかね。


こういう感じで、ツイッター上は変にひねくれた発言が多い。

親と子供関係に例える人なんか特に多いが、その例えは明らかに間違っている。

文化庁は親ではないし、お金の出処は税金または文化庁への寄付であって"親"が汗水たらして得た金ではない)

から何らかの助成をもらっている人間が、公権力批判するのはいけないこと?

まず、「告発目的とした映画ではない」と発言していることは知ってもらいたい。

この「公権力批判」というもの。人によって想定してることがぜんぜん違うんだけど。

公権力のもの否定する」というようなアナキスト思考ならともかく、「社会問題点を指摘する」レベルのことは独裁政権以外なら誰だってやっているよね。

以下の文にあるように、是枝監督が「映画を撮りながら考えていたこと」は「それほど目新しいものではない」。

単身者孤立」とか「自己責任論」とか、多くの日本人がすでにテレビ新聞ネット上で共有している。

助成金もらっているからってこのレベルのことも言ってはならない、なんてことはないはず。

取材の中で「何故社会からこのような“不可視の”家族が生まれると思うか?」と作品の背景としての社会的、政治的状況を聞かれた。その告発目的とした映画ではないことを前提に自分の考えを述べた。あくま私見としてではあるが。今回僕が話したのは「共同体」の変化について、であった。日本地域共同体が壊れ、企業共同体が壊れ、家族共同体三世代が一世代単身者が増えて脆くなっている。この映画で描かれる家族のひとりひとりはこの3つの共同体地域」「企業「家族」からこぼれ落ち、もしくは排除され不可視状態になっている人たちである。これが物語の内側。そして孤立化した人が求めた共同体ひとつネット空間であり、その孤立した個を回収したのが“国家主義的な価値観(ナショナリズム)であり、そこで語られる「国益」への自己同一化が進むと社会排他的になり、多様性を失う。犯罪社会貧困が生むという建前が後退し、自己責任という本音世界を覆う。恐らくあの「家族」はそのような言葉視線によって断罪されるだろう。…ということも話した。これが背景。これは『映画を撮りながら考えたこと』という拙書でも既に述べている考え方である。まぁそれほど目新しいものではないだろうことは自覚しているが。

http://www.kore-eda.com/message/20180605.html

2018-06-09

自分所属する共同体帰属意識を持つ事は別段不思議でもなんでもない事なのに、何故かその共同体が「日本」というだけで拒絶反応を丸出しにしてしまう人がいるというのは一体どういう事なんだろう

2018-06-03

anond:20180603123904

ゲーム自体ルール

勝つために守らなければいけないルールは別物で

後者にまで興味を持てる人はそもそも自分プレイする時間を多く取るし観戦に滅茶苦茶熱心ってことは少ないように思える

観戦に熱心な層はどちらかというとゲーム理論的な手順とかはあまり興味がなくて地下アイドルのおっかけみたいなファン共同体とかそういう感じに近い

2018-06-02

anond:20180602125230

それは楽しいから。楽しむだけなら大義名分は何だっていい。昔の左翼を思い出すまでもない。

社会通用しない中年ネトウヨになるしかなくてかわいそうだが犠牲者もっとかわいそう」などと公正さを無視して

ケア正義つまみ食いした自己正当化をすることだって可能。そこまですら考えてないかも。

とにかく公正とケアに目配りしながらネトウヨと戦うモチベーションを維持するなんて並の人間じゃできない。

修行共同体必要。もはや僧侶と一緒だよ。だからリベラルには学者弁護士が多い。

他方、ネトウヨはすぐになれる。ヒトがまだサル並で他の群れの奴は「迷ったら殺す」を選択していればよかった頃の

マインド現代社会に持ち込んで安易快感を得ている。

2018-05-30

ウマ娘から解放という人類史

https://anond.hatelabo.jp/20180529210858

アニメは見てない。軽くググったが、

ウマ娘って完全に人間上位互換だよね。つまり前史において人類ウマ娘たちの【家畜】で、ウマ娘から解放過程人類史なんじゃない?

 

 

人類前史

 ウマ娘人類ウマ娘優勢の状態相互協力関係を築いていた。

古代文明

 農耕により人類ウマ娘人口生活環境が安定。ウマ娘の高い能力により、富がウマ娘側に蓄えられていく

ウマ娘、富の集積と その高い身体能力戦闘能力から王権確立

 とはいえ、ウマ娘性格は概して穏やかなため支配者というよりは共同体合意に基づく代表者のような王だろう。

王族としてのウマ娘達と半家畜としての人類がセットになった複数の小共同体が移動しながら地球上に生活圏を広げていく。

 ウマ娘信仰する原始宗教発生。ウマ娘エルフのようなモノらしいので、

神そのものというより、神に仕える神官のような立場になり、その立場を独占

この時代から権威憧憬が作中世界の現在でのアイドル(偶像)的活動の源流に。

戦争

 直接戦闘けが戦争ではない。政治的外交的目的を達成する為の手段として戦争が行われる。

王族としてのウマ娘達の為に臣下人類は戦う。(勿論、現実人類史と同じように共依存的)

王族としてのウマ娘達は その高い身体能力を駆使し同共同体人類と協力して戦略拠点を整備。

戦闘前には その走力を生かして敵対ウマ娘達と情報収集威力偵察を含めた駆け引きを行う

直接戦闘随伴する人類役割勝敗人類の数も重要だが、事前のウマ娘達の活躍勝敗趨勢を決め得る。

ウマ娘王族だし、その決定的移動能力戦闘能力は希少で変えが効かないため、直接戦闘には加わらざるを得ない時点で敗勢。

 逆説的に、ウマ娘世界古代戦争

いきなり現代現実世界の航空戦+陸上戦のような戦争形態になると想像する

少数精鋭のウマ娘偵察機,戦闘機で、人類が地上兵みたいな。

▽(面倒臭くなってきた…)後は、現実歴史と同じように統合分裂を繰り返しながら徐々に国家が作られていく

 違うのは常にウマ娘という支配種がいる事。

その走力から情報伝達も支配するだろうから金融さえウマ娘支配するだろう。

変化が起こり始めるのは遠洋航海技術の発展から、これにより人類は大量輸送,移動手段を獲得する

物資独自大量輸送手段を獲得した人類は、必ずしも自国家の支配種であり共依存にあるウマ娘に頼る必要がなくなる

この直前に人類ウマ娘の貧富の格差は極大に達していたため

ウマ娘人類パワーバランスの変化から動乱の時代突入

ここで、遂に火薬発明! 人類ウマ娘の戦力差が大きく縮まる。戦争におけるウマ娘重要性が低くなり

人類主体議会の力が強くなる。元々 ウマ娘達は穏やかな為、自国内の不和が広がるのを良しとせず

議会との調整の上、多くの国が立憲君主制に移行。

そうこうしている内に内燃機関発明! 遂に種としてのウマ娘の優位性は失われた…。

 古代においては身体能力絶対であったため

結果的人類支配種として振る舞わなければならなかったウマ娘達だが、

その生来の温和さもあり、歴史と共に人類への支配,管理は常に穏やかに変化し続けた歩みでもあった。

 

 

しかし、遂に人類ウマ娘の軛から解かれ、生物としては対等に、

太古からの憧れはレースと歌として楽しめる真(心)のパートナーになれたのだ!!!

 

 

▽最悪の敵。そう、他ならぬ人類同士の戦いという対価を支払い続ける事にはなるのだろうが……。

 

 

(アニメ見てないか分からんけど、エルフという比喩があったので、エルフと同等程度に希少な種族であるという前提で書いたわ。)

(疲れた…。)

2018-05-24

栗城史多名誉ある生贄の心情だったのではないか

自分には彼が何を考えていたのかサッパリからなかったし、みんなどう理解すればいいか分かりあぐねている様子だけど、

この断絶は藤子F不二雄の短編ミノタウロスの皿に似ていると思った。

宇宙飛行士主人公が不時着したのは人形生物が牛型の生物家畜にされている星。

その星で出会った祭典での栄誉ある最高級食材に選ばれたヒロイン

主人公はそれを止めようとするが、ヒロインは食べられることを心から喜んで受け入れており、その価値観の断絶を主人公最後まで受け入れられなかった。

個人的にはこの話はインカやアステカの生贄の文化モチーフにしたものじゃないかと思っている。

そして栗城史多と、彼の支持者達のもっていた世界観というのも、これに似ていたんじゃないだろうか。

冒険の共有」を掲げた彼の支持者は口々に勇気をもらったと言う。

雨乞いや豊作を願って神に捧げられた少年少女達も、その共同体の人々に勇気を与えたことだろう。

みんなのために、死ぬ根拠はないけど、死ぬ。みんなはその尊い死を称える。死んで本望だったろうとすら言う。

その価値観はなかなか理解しがたいが、人の弱さが生み出す普遍的システムであるのかもしれない。


だが死の恐怖はそうやっても誤魔化しきれるものではない。

標高6739メートル火山で見つかったインカの生贄の少女は、

豪華な食生活一年以上の準備期間の後、死ぬ前にコカを齧っていたという。

標高7400メートルで一人息絶えた登山家は、その瞬間に、何を考えていたのだろうか?

2018-05-23

おっさん連れの旅行とか自治会隣組が強い田舎なら普通

やらしい旅行じゃなくて普通旅行ね。

田舎共同体馬鹿にしてるはてなーには珍しかったのかな。

2018-05-19

anond:20180519092927

でもさ、よっぽど迷惑人間ってのは、関係を切るしか逃げる方法がないというのも一方であるんだよな。

昔は小さい共同体死ぬまで一緒にいたのだから

今も、迷惑なやつほど情にすがってこちらを苦しめるというのもある。まあ、村社会ボスもそうなんだけどねぇ。

ただ、今は嫌なところからは逃げて縁を切りやすくなったってだけで。その結果、地方衰退につながってるわけだが。

2018-05-18

anond:20180517162500

室町時代の正長の土一揆や嘉吉の土一揆などの、成功した土一揆を見れば、

体制側に混乱がある状態で、戦慣れした人員を迎え入れつつ、数万人規模を動員できれば勝てる可能性があることが分かる。

ただ、そもそも一揆というものは、

一揆いっき)とは、日本において何らかの理由により心を共にした共同体が心と行動を一つにして目的を達成しようとすること

とあるように、かなり幅広い意味を含む言葉である

元増田が言うような、江戸時代の「百姓一揆」などは、確かに農民が中心だが、それにも様々な形態があり、

村長や村役人農民たちを指揮して領主圧政を訴えるものもあれば、

領主とつるんでいる村長や村役人農民たちが襲うものもあった。

また、その手段も、代官のところに押しかけて直訴するだけだったり、

逃散したり、酒屋や土倉を襲ったりと、バリエーションがあったわけで、

農民武器を持って武士と戦うだけが一揆ではないのである

2018-05-16

「辛かったら逃げても良い」「いじめられたら転校すれば良い」というアドバイスについて思うこと

今日はてブを見ていたら「『病むくらいなら逃げなさい』というアドバイス無責任」ではないかという記事ホットエントリーに上がっていた。

それについて思うことがあったので、書かせてもらう。

[参考記事]

https://news.careerconnection.jp/?p=54001

自分は小さい頃からほとんど全てのカテゴリーいじめられてきた。

小学校中学校高校、塾、部活動と。さすがに大学になるといじめはなくなったが、それでも大学生、社会人となった今も友達ほとんどできない。

いじめに対して先生が悪かったとか、いじめてた人が悪いとかいうつもりは全くなくて、むしろ先生は見つけ次第、(今では問題になるであろう体罰も含めて)叱ってくれたし、そうすると一定期間はいじめられなくなる。

でも結局、いじめられる原因は自分にあったから、すぐにまたいじめられるようになるし、先生も同じ人間から全てを未然に防ぐことなんてできない。

最初は「なんで自分だけ」と思っていたけど、だんだん時間が経つにつれて自分に原因があることは分かっていたから、周りが悪いとか一切思っていないし、むしろ平均よりモラルが高い環境にいたから、この程度で済んだのが幸いというくらいに思ってる。

翻って何が言いたいのかというと、少なくとも自分経験則からしていじめられる人は、(「いじめられる人よりいじめる人の方が悪い」といった比較論は理解できるにせよ)多分にいじめられる要素を普遍的に持っていると思う。

そしてそれは、もしかしたら転校するなり環境を変えることが改善される可能性は多少あるにせよ、確率論で言えば環境を変えても同じ目に逢うことも多い。

さらに同じ目に遭った場合、「環境を変えてもダメだった」という経験ますます自分無能感を高めて、それを受け入れるようになり、さら社会不適合になるという負のスパイラルに陥る。

もちろん命に支障が出るようないじめられ方をしているのなら環境を変えたり、引きこもっても良いが、その環境に異常性がないのにいじめられているのであれば、環境を変えることは自分経験則からして一概に正解とは言い難いところがある。

社会で生きている以上、そういったいじめが起こるのはやむをえないところはあるし、その矛先が自分に向いてしまうことは受け入れるという度量は多少必要だと思う。

まして社会人ともなれば、お金を稼いで自立しなければならず、環境自分好みに変えることはさらに難しくなる。逃げてばかりでは生きていけないし、(むしろ現代共同体から省かれても生きていけるという点で幸せであり、)残念ながらそれを受け入れる経験必要なのかもしれない。

では結論としていじめられている人は何をすべきなのかということについて、これといった答えは持っていない。

ソフトウェア用語で「銀の弾などない」という言葉があるように、パーソナライズ化された苦境の中で、それを一括りに取り除ける行動術がないと思うし、その人自身が色々な試行錯誤をして何とか生き延びていかなければならない。

幸い自分は引きこもらず、いじめに耐えながら、勉強だけは人よりできるようにするという意欲を持てたことで、そこそこ良い大学に通っていじめから脱却できたが、仮に勉強すら放棄してしまったらと思うとゾッとする。

結局のところ「辛かったら逃げて良いんだよ」というのは、銀の弾丸を求めている人々の潜在意識に訴えかける良質なコンテンツということで、実用性はさほど伴っていないのかもしれない。

逃げていても誰もが幸せに暮らせる社会を実現したいという志は全く否定しないが、残念ながら自分たちの生きている時代では実現しそうにないし、まずは目の前にあることを一つずつ対処していく他はないのではないのだろうか。

2018-05-15

彼女を作ったり結婚する意味がわからなくなってきた

30手前の男で、男の同僚と2年ほど前からシェアハウスしている。

お互いの生活干渉しあうでもなく、食器洗い洗濯自分のもの自分で、掃除特に分担とか決めず、気になった人が気になったときにやり、洗剤やトイレットペーパーなどの消耗品も、相手が買ったら次は自分が、という程度の分担。ズボラさの度合いが同じくらいなのでそれでうまく行っているし、不満があればすぐに言い合って解消できる関係

時間が合えば一緒に食事をしたり一緒に買い物に行ったり思いつきで休みの日に日帰り旅行みたいなことをすることもある。

これ、お互いに性的に惹かれ合ったら夫婦じゃないの、と思った。今住んでいる国では同性婚が認められているので、法律上結婚したほうが得するんじゃないかみたいなことを真面目に話し合ったこともある。

僕も同居人異性愛者で性欲は人並みにあるし、今まで彼女も何人かいた。

でも、今の僕と同居人関係と、異性のパートナー関係差分てたぶん性的関係だけなんだよね。

性的関係のために結婚する必要あるのか。

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追記

仕事が終わって覗いてみたら思った以上にブコメがたくさんついていて驚いた。

「そういうのもありなんじゃないの」みたいなゆるくて優しい感じのコメントが多くて少しほっとした。

僕の基本的な態度としては、異性と結婚できればそれに越したことはないし、積極的に同性と結婚したいとは思わないし、同性と性的関係を持ちたいとも全く思わない。

でも、今の同居人ほどストレスなく仲良く一緒に暮らせる異性の相手が見つかるともあまり思えない。

「とても気の合う同性」「それほど気の合わない異性」の二択で後者を選ぶとなると、性愛の部分が自分にとってかなり重要なように見えてくるけど、実際のところそんなに性愛にこだわりあるかなあ?というのが、「結婚する意味がわからなくなってきた」というタイトル真意だった。

僕が思っている以上に、性愛というのは実は人間幸福に大きな意味を持っているのだろうか。

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子供はほしいと思うけれど、絶対に欲しい!ということでもなくて、いたらより楽しい人生になりそうだし、いなければいないで楽しく生きられるからいいや、という程度。養子を取ったらというブコメもあったけど、多分僕には向いてない。自分とも結婚相手とも血のつながってない子供無償の愛を注げる気がしない。自分と血がつながっていたら無償の愛を注げるかというと、子供を持ったことがないのでそれすら確信は持てないわけだけど。

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性愛を伴わない同性婚というものが、婚姻という制度趣旨に反してハックするようなものだというのはわかる。とはいえ、ブコメにもあるように最小限の共同体としての婚姻関係と考えれば、別にそれほど不自然なことでもないかなという気もする。

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最小限の共同体として婚姻関係を結ぶとなると、いくつかのブコメで指摘されているように、相互扶助ができるかというのも大事になってくるのかもしれない。現在のところ、インフルエンザとかで外出できない、身の回りのことをするのもしんどい、みたいなときはもう片方が半休取ったりホームオフィスにしたりして、食事を作ってやったり洗濯をしてやったり、その程度のことはする。

でも、病気怪我仕事ができないとか、単に失業したとかで収入がなくなった時、一時的にであれ自分が養ってやるとか、逆に養ってもらうというのはちょっと考えにくい。でもそれは相手が男だからなのかというとそうでもなくて、別に相手が女だったとしても、僕は失業中の彼女金銭的な援助をしたりしてもらったりはしないと思う。結婚して法的にそのような義務が生じればそうするだろうという程度。

anond:20180514122258

絶対になれない。どんな綺麗事を言っても性欲は切り離せない。

からこそ、子供ができたとか、中年以降になると夫婦の仲はどんどん冷えて離婚不倫だってなるのよ。

子育て必要な間や、昔みたいに親同居だったり男女の役割がきっぱり別れていた頃なら、生活共同体として嫌々でも一緒に生活したんだろうけどね。

2018-05-13

anond:20180513215954

少子化対策もあるし、このあたりで一度個人社会との関わりかたを戻してみる必要はあるでしょ。

今みたいな個人主義の先に、共同体としての未来はないよ、多分。

anond:20180513215237

同感。共同体機能として筆下ろしをさせる仕組みがあった方がいいと思うわ

2018-05-11

anond:20180511153100

たぶんそのうちそういうバーチャル共同体ができて、人の属性や知性を可視化して選りすぐる技術確立すればいずれリアルにも顕現するよ。

もー知識人様はすぐ愚民論に走るー

知識人様たちで共同体でも作って賢い社会でも作っててくださいよー

2018-05-06

anond:20180505020057

たぶん肉食獣に襲われるリスクよりも自動車が走り回る現代の方がはるかヤバイんではないか

狩猟採集民の育児集団的に育てるのが基本で、共同体全員で子どもを育てた。

今で言えば親や祖父母が何十人もいるようなもので、親の負担も小さく、安全性も高かったと思われる。

2018-05-02

IZMO(国際残業代満額支払機関)を作るべき

日本が衰退してる一番の原因は「ブラック残業の横行」なのではなかろうか。

若者子供を作らない、車を買わない、これらの原因は、企業ブラック残業により若者時間と金を無制限に吸い上げているからだ。もしも残業代が満額払われるようになれば、出生率は確実に回復する。

KAROUSHIという不名誉英語が作られる事になったのも、残業代を払わなくてもいいことに甘えた経営者たちの杜撰業務管理が全ての原因であるブラック残業は、殺人ニアリーイコールなのである万引き窃盗罪懲役10年以下)であるようにだ。

国会のフワフワとした答弁も、官僚ブラック残業を繰り返すことによって支えられている。もしも残業代が満額払われるようになれば、ダラダラと話を捏ねくり回すような資料を作る時間はなくなるはずだ。

今の日本は誤魔化しようもなく修正資本主義国家であり、その基盤は経済である。その経済が不健全な形で行われるということは、共同体全体の運営が丸ごと不健全状態となっていることに他ならない。

まずは、まずはブラック残業から無くしていこう。そこから日本の全てが始まるのではないだろうか。

だが、今の日本日本だけでそれを行うのは無理だ。この国は本当にだらしのない国で、叱られなければ部屋の掃除もできない子供のような国だ。そこで必要となるのが、日本を叱ってくれる大人に当たる存在だ。

まり国際的権威である


そうして設立されたのがIZMO( International Zangyodai Mangakuyokose Organization通称イズモなのでである。(CV若本規夫

2018-04-24

まずは車が法律を守るべき

法定速度+25km/hぐらいまではメーターの性能から来る誤差かも知れないのでセーフ!オラオラ何法定速度守ってるんじゃ!オカマ掘ってまうど!

路上最中にそう言わんばかりの車に出会いすぎて、それすらも教習所の車相手から躊躇していると聞いて、僕は教習所をやめた。

こんな連中と一緒になって走るなんて怖くて出来ないから。

そして知ったよ。

この国には法律なんて守らないのが当然だと思っている人間があまりにも多く、それはほぼ間違いなく「多数派であるという事実をね。

こんなのはもう国じゃない。

免許を与えてはいけない人間に平気で免許を与え、免許を取り上げなきゃいけない人間を野放しにする。

そして、法律を守らない人間こそが「普通」としてあつかれ、法律を守るものは「異常」として排除され続ける。

こんなもの、もう共同体として成立してないだろ。

なんもかんも政治が悪い。

与党野党関係なく、すべての政治家を一度皆殺しにすべきだ。

2018-04-19

anond:20180419104556

何より、その人格の望む外観を形にできることで、生身よりその人格の人となりは正確に伝わるとも言える。

政治家は、建前部分の仕事、集まって決めることは結局文書に落ちることだけなのだから生身の人間である必然ないのでは。VRなら暗殺リスクもハニトラリスクもないし、地方からわざわざ東京に出てくる必要もない。経費節減にもなると思う。

2018-04-18

anond:20180418175701

家庭内分業が当然だと思い込んで育つと、配偶者と話し合うよりも子供愚痴る方に行くんじゃないかな。

そういう意味でも家族生活共同体多様性もっと許容されていった方がハッピーだと思うんだけどねぇ。なかなか、そうならんね。

2018-04-17

共同体には向かない性格

前々から薄々と気が付いてはいたけど、改めて自分が何かしらのコミュニティには属せない人間なんだと思い知った。

正確に言えば、属せない訳ではない。今までジャンルが違うコミュニティにいくつか属していた。

だがどれも似たような理由で抜けてきた。

その理由は「馴れ合い」だ。

コミュニティに属している以上、各個人意見や発表した事に関して賛否両論はあれど、基本的には賛辞など肯定的意見が多くなる。

それは確かにネガティブ言葉ばかりでコミュニティ殺伐としてギスギスした空気で溢れているのは困るし、

適度な賛辞など肯定的意見和気藹々とした方が物事も進めやすくなるので、そういう方向はいいに決まっている。

しかし、コミュニティとは大なり小なりの規模はそれぞれあれど、年月が経てば経つ程、内輪の空気が強くなってくる。

そうなってくると賛辞の言葉もクドくなり、馴れ合いが始まる。馴れ合いが始まると否定的意見も言いづらくなる。

それだけならまだいいが、私にとってその馴れ合いという行為を見かけてしまうのが、とてつもなく気持ち悪く感じてしまう。

毎度繰り返される似たり寄ったりな話。その話は何回目だ。その愚痴は前も聞いた。傷の舐めあいを毎回身内同士でやるのはなんの役にも立たない。

ほぼ毎日繰り返される何の生産性もない話。

そんなやり取りを見たくもないし聞きたくもないが、コミュニティに属している以上その場にいれば嫌でも耳に入るし目にも入る。

そういう理由でどのコミュニティも、気持ち悪さで心が限界を迎え、逃げ出すように属していたコミュニティを抜け出していた。

コミュニティに属することによって得られる事は確かにあった。情報技術知識など得る事ができた。

今でも気になる未開拓ジャンルがあるし、開放的空気があるのでそのコミュニティに属せばスタートダッシュを決められそうなぐらい、情報のやりとりが出来るのかもしれない。

だが、どのコミュニティに属した所で、最終的には精神ダメになりそうになってボロボロになるんだったら、もうどのコミュニティに属さない方がいいのかもしれない。

周りの者にどんどん追い抜かれながらも、後ろの方でノロノロと一人で地道にやり続けるのが精神ダメージが少なく、楽な生き方なのかもしれない。

でも結局の所、世間的に見れば後ろ指を指しつづけられるのはコミュニティに属せない私の方なのだろう。

どこにも属さないで一人で生き続けるというのは、余程の能力を持った者か、とてつもない努力をして成功した人でも無い限り、そういう世間の風当たりを感じながら生きるしかないのだろう。

2018-04-10

日本人

法の厳格な運用が出来ず、なし崩し的な現場判断で慣例的な運用しかできない。

そのくせに、表向きにはモラル努力可視化することばかり重要視する。

コンテンツのものに金を払うという意識など、そもそも日本人にはなかったのではないだろうか。そのコンテンツアクセスすれば共同体承認されうるチャンスを持てる(アクセスしなければ承認されない)といういわば義理のような感覚で、アクセス料としてコンテンツに対価を払っていたのではないか

今そのアクセス料が未だに生きているのはライブやグッズにおいてだ。インターネット上にあるコンテンツは、インターネットにすでにアクセスしている以上、インターネットへのアクセス料のみで本来手に入れられるべきものだ、という感覚日本人にはとりわけ強いような気がする。

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