「共同体」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 共同体とは

2021-05-07

「自浄作用がない」とかい理不尽以外の何物でもない罵倒が幅利かせてる“界隈”に誰が居たいですかって

形式上所属してるけど内心どうでもいいと思ってるような共同体差し出して代表面して謝罪する、はた迷惑卑怯謝罪オナニーがしたいなら自分だけでやっててほしい。本当に。

2021-05-06

個人属性で括るのではなく一人の人間として見ろ」とほざく癖に、嫌いなコミュニティ共同体としての責任を取れだの自浄作用がないだののたまうのが大好きなみなさん

2021-05-05

anond:20210505090303

ネット工作なんて何もしてねぇだろ

する気がねぇからマイクロ共同体志向若者に対してもやウィンという大正解の一手を打てるんだぞ

コロナという追い風もあったが改憲勢力はきっちり拡大しているのが理解できんのか?

2021-05-04

弱者男性マップ自分

自分語をすると個人人生的には B-2-1 + α って感じかなあ。

共同体技術待望

A-1-1-6

A-1-2-3

A-1-4-2

実践

A-1-4-3

A-2-3-3

A-2-3-4

A-2-4

救われることはないだろうけど それなりに楽しく余生を過ごしたい派。

非モテどうしがシェアハウス技術に期待して暮らす」みたいなイメージ理想にしている気がする。

+最低限の身だしなみ・社会性・コミュ力

じっさいアキバには今時「ステレオタイプオタク」って減ったからね・・。

ただ死屍累々を見ると年収400で弱者自称するのは無理がある気もする。

経済自立できているが、社会資本恋愛資本に乏しい当事者、といったところか。

からワイは人生攻略法に沿って「カネを使って社会資本恋愛資本を獲得すべき」なのだろうな。

年齢的にもう遅いとは思うけど(アラフォーになってしまたた

弱者男性定義がよくわからない。

それぞれ自分の思う定義で書いてて話がかみ合わない。

社会経済的影響から弱者位置になった人と想定して書いてる人もいれば、女叩きをする人と想定して書いてる人もいる。

その二つが重なる人もいるだろうけど、重ならない方が多そうな気がする

・・・

マップ気づいてなかった。すごい。

自分社会経済的影響から心理的孤立が高まっている派で、その対策共同体重視派だけど、恋愛結婚否定派で友情重視派。

恋愛結婚家族資格定義や機会が厳しすぎて、選別に漏れたり途中で脱落したりする数が多すぎて少子化が進んだ。家族共同体くらいに定義をゆるめて友情も含めて幅広い人と親しく継続的に付き合えたらいいし、その中で子ども育ててもいい気がする。話が逸れた

2021-04-30

https://anond.hatelabo.jp/20210430222126

どちらもだろう

要は「社会から」あるいは言い換えると「共同体構成する自分以外の他人の大多数から弱者であると認められたいんだ

補填や救済はその結果でしかない

anond:20210430153829

明治以前の話な

明治以前なんて幕藩体制なわけだから、藩という単位での共同体もあったわけだ

そういうの壊したから、代わりに姓による家族制度が必要になったんじゃねーの?

anond:20210430160508

代わりにボランティア活動とかで地域共同体に参加してるだろ

今の日本でそういう地域社会子供の頃から馴染める環境があるのかね?

転勤ばかりの子供とかどうなる?

夫婦同姓は明治から始まったか伝統ではない

から別姓で良いとか言ってるけどさ、昔はどこどこ村出身みたいな明確な帰属意識があっただろ

現代人間って共同体とか帰属意識ってもんを軽視し過ぎだと思うんだよな

そういうのがないと人間アイデンティティ確立できなくておかしくなると思うんだが

離婚した家の子供がおかしくなるのとか、転勤が多い家の子供がおかしくなるのとか、そういうのが関係してると思うんだよな

在日の人が不便だから通名を使いつつも、自分たち祖国の姓名を使うのだって、そういうアイデンティティ確立のためだろ

そういうのリベラルは言ってきた癖に、日本の事になると途端に忘れるの何なのかな?

会社とかだって、昔は終身雇用でその会社人間ってのが一つの共同体だったわけだ

そういったもんを次々破壊して、個人主義脆弱な個になったら、それこそ強いものの言いなりになる人間しか育たんと思うんだがな

人との繋がりが煩わしいからって、何でも個になれば自由みたいな風潮いい加減やめろよ

社会おかしくなってる一つの原因だぞ

2021-04-29

anond:20210429185152

世界国民を守らんで。

弱ければウイグルのように共同体ごと生贄にされるだけ。

2021-04-19

anond:20210419175229

別の共同体から女を略奪するしかないけど、インセルにそれが出来るとも思えないし

インセルボコ・ハラムみたいな組織で女を分け与えて貰えるだけの地位に就けるとも思えない

あい組織弱者男が他の男から尊重されて人道的な扱いされてるとも思えんしな

anond:20210419174228

インセルの願いってボコ・ハラムみたいに別の共同体から女を略奪することでしか達成し得ないもとだと思うけど、あくまで女に選んでもらいたいしあわよくば好意もほしいし家長になって種馬としてちやほやされたいって感じなのが健気で可愛いとこだよね。そのままの君たちでいてくれ……

anond:20210419170928

女をあてがえ論者って女性人権無視共同体復活とか家父長制復活とか威勢のいいこと言うけど、じゃあお前、そうなったとしてインセルは女の肉親たちから女を引き出すことできるのか?ってなる

向こうの父親や兄だって変な男や価値の低い男と親族関係になりたくないだろうし、自分利益のためにもなるべく条件のいい男に嫁がせたいだろう

そういう家族保護からあぶれた女を狙うのかもしれないが……

あてがえって言う割にはその方法あいまいで、謎の国民マッチングシステムとか謎の世話焼きおばさんが都合のいい縁談を無から沸かせてくれるとかそういうゆるふわなのを想像してるのかな?ってなる

anond:20210419083057

共同体に対する貢献が幸福になるための要件であり、その貢献のあり方を規定するのが政治思想なんだから政治思想に対する批判アイデンティティに直結するよ。それは当たり前。

2021-04-17

anond:20210417230709

共同体文化なのに、競争社会から仕組みだけ輸入してるから仕事捌ける人に皺寄せが行くのは今は仕方ない。責めるべきは経営者だと思う。

器大きくして引き続き背負ってもらうか、環境を変えてもっと競争の激しいところで頑張ってほしい。

2021-04-16

サンデルの言ってる論理って実現が難しくね?

サンデル格差否定しているわけではなく金持ち共同体で生きているんだから、たくさん納税して貧乏人を助けて格差を減らしていこうってことだと思うんだけど、

  1. 税金が必ずしも格差是正に使われるとは限らない
  2. 貧乏人が必ずしも福祉を求めているとは限らない(アメリカ弱者男性福祉よりトランプを求めた)
  3. 税金いっぱい取られることを良しとする人は少ない→抜け道を考えたり、貧乏人を乞食あつかいして差別が生まれ

と言った感じで実現性が無い気がする。

やっぱ、個人自由で思いっき活動させるか、国の強力な統治のもと管理するかの2つしか無いと思う。

せいぜいそのマイナーチェンジくらいしか無いんじゃないかな。

あと、最近流行りの能力主義批判も誤解を生みやすい考え方な気がする。

受け取る側によっては教育格差を生むから悪、ってならないかな。

反知性主義になって、最悪ポルポト化しそう。

能力主義批判って絶対コントロールできないよね。

底辺能力に対するルサンチマンは深いか教育は悪レベルで叩くだろうし、上級市民はそんな野蛮な底辺を見て「やっぱ能力って大事」ってなりそう。

サンデルの言ってることって、すげー頭が良くて、すげーいい人で、すげー理性的な人しか実践できないよね。

そんないい人世界中に数えるくらいしかいないと思う。

完全に絵に描いた餅。

2021-04-15

anond:20210414203433

そもそもネット民共同体主義は相性が悪すぎるんや。

共同体主義国家以下の数々のレイヤーでの共同体の合議や自然合意形成による「共通善」に重みを置くことで、構成員のより善い生を目指していくってのが概観だけど、ネット民共同体大嫌いやんけ。PTA消防団に対する態度見てれば分かるやろ。

密接概念(特に欧米では)だから一緒くたにされやすいけど、自由主義批判というより個人主義批判がより強いと思うけど、ネット自由主義以上に個人主義が礼賛されがちだからな。

2021-04-12

anond:20210412104410

1,子供を作り子供教育する

2、共同体の維持や発展に協力し文化文明を発展させる

 

この2点で「人間」は成り立ってるから増田の中にはすでに降りてるやつが沢山いそう

2021-04-10

anond:20210410094758

あれは実際のところ自死ではなく腹をくくった少子化対策だ。

綺麗事を言おうが多産してくれる集団でも招き入れない限り共同体が保たない。

日本こそその覚悟はあるのか。

まぁ弱者男性論はフェミニズムと同じで国家共同体社会の話も絡むから難しい

ようするに結婚してる男女や、シングル女性を生かすために弱者男性国家(つまりそれを構成する国民)に事実上奴隷のように扱われているっていうのが問題点から

社会保障福祉ってのは基本的男性を働かせて税金を取って2者に振り分けるってのが基本構造になってる。

なので男性ホームレスが増えるし、自殺者も男性の方が多い。

家父長的な国家としては当然っちゃ当然なんだけど

アメリカヨーロッパ北欧も基本は同じ。

北欧なんかは婚姻してない男性お金婚姻してる男女に事実上振り分けてるっていうデータ出てるしね。


上昇婚批判はこういう事情はらむ。

女性産む機械であれば男性は働く機械

なので弱者男性論は基本的労働に纏わるもの議論の骨子になる。

男性にとって婚姻に纏わる話ってのは基本労働とセット。

から結婚解体して税金を振り分けないようにするってのはリベラル的に正しいっちゃ正しい。

でもそうすると今度は国家が維持できなくなるのではってのが保守的には正しい発想。

子供が生まれなくなるからね。

複雑になりすぎて対処が難しい。

まぁ社会問題はなんでもそうだと思うけど。

2021-04-09

anond:20210409054247

これをざっと読んでみて、アドラー心理学人生の目的共同体への貢献だといっていたのをなんとなく思い出した。

アラフォーくらいになるといい意味で言えば多面的ものを見られるようになるし、悪い意味で言えば狸になるので一方的ものの考え方から何かを激烈に批判することができなくなるとは思った。

2021-04-08

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

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