はてなキーワード: 賛否とは
柳原白蓮(1885年10月15日 - 1967年2月22日)、本名は燁子。
大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。
1910年11月、上野精養軒で燁子と九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門との見合いが行われた。
燁子は当日、それを見合いだとは知らされていなかった。
伝右衛門は50歳、親子ほどの年齢差・身分・教養ともあまりに不釣り合いであり、
地方の一介の炭鉱主が「皇室の藩塀」たる伯爵家から妻を娶るのは前代未聞のことで、「華族の令嬢が売物に出た」と話題になった。
異例の結婚に新聞では、柳原家への多額の結納金や媒介者への謝儀、宮内省への運動資金など莫大な金が動いたことが書き立てられた。
背景には貴族院議員である兄義光の選挙資金目的と、一代で成り上がった伝右衛門が後妻に名門華族の家柄を求めたことがあったと見られている。
翌1911年2月22日、日比谷大神宮で結婚式が行われ、帝国ホテルでは盛大な披露宴が行われた。
『東京日日新聞』では結婚式までの3日間にわたり、2人の細かい経歴などを書いた「燁子と伝ねむ」というタイトルの記事が連載され、“黄金結婚”と大いに祝福された。
燁子は遊廓に入り浸ることの多かった伝右衛門に病気をうつされ大きな屈辱となり、夫婦の間の亀裂は深まった。
そんな歪んだ結婚生活の懊悩・孤独を燁子はひたすら短歌に託し、雅号「白蓮」の名で、竹柏会の機関誌『心の花』に発表し続けた。
1917年暮れ、福岡鉱務署長・野田勇に炭鉱主から贈収賄が行われた疑いで大規模な検察の調査が入った「筑豊疑獄事件」が起こる。
1918年4月初頭、野田夫人の友人である燁子は贈賄側の証人として出廷した。
公の場に現れたことで話題となり、『大阪朝日新聞』は4月11日から「筑紫の女王燁子」というタイトルで10回にわたる連載記事を載せ、大きな反響を呼ぶ。
この連載記事がきっかけで「白蓮」が燁子であること、「筑紫の女王」という呼び方が全国的に知られるようになる。
1919年12月、戯曲『指鬘外道』を雑誌『解放』に発表する。
これが評判となって本にすることになり、打ち合わせのために1920年1月31日、『解放』の主筆で編集を行っていた宮崎龍介が別府の別荘を訪れる。
龍介は7歳年下の27歳、孫文を支援した宮崎滔天の長男で、東京帝国大学法科の3年に在籍しながら新人会を結成して労働運動に打ち込んでいた。
新人会の後ろ楯となったのが吉野作造ら学者による黎明会であり、『解放』はその機関誌であった。
両親共に筋金入りの社会運動家の血を引き、時代の先端を走る社会変革の夢を語る龍介は、燁子がそれまで出会ったことのない新鮮な思想の持ち主であった。
別府に2晩宿泊し、打ち合わせを終えて日豊本線に乗る龍介を、燁子は小倉まで見送った。
その後、事務的な手紙の中に日常の報告と恋文が混じる文通が始まる。
燁子の上京の機会は伝右衛門に同行する春秋2回で、京都などで限られる逢瀬の中、2人は頻繁な手紙のやり取りで仲を深めた。
やがて龍介の周囲で燁子との関係の噂が広まり、華族出身のブルジョワ夫人との恋愛遊戯など思想の敵として、
1921年1月に龍介は『解放』の編集から解任され、4月には新人会を除名された。このことは燁子の心を一層龍介に傾かせた。
燁子は秋の上京の際に家出を決行する準備のために、伝右衛門のお気に入りで博多花柳界で名高い芸妓であった舟子を、
自分の身代わりの人身御供として舟子を伝右衛門の妾にしたのである。
龍介は新人会時代の仲間である朝日新聞記者の早川二郎や赤松克麿らに相談して、燁子出奔の計画を練り、決行した。
1921年10月20日、伊藤伝右衛門は夫婦で滞在していた東京府日本橋の旅館「島屋」から、福岡へ帰るために車で東京駅へ向かい、
妻・燁子は親族を訪問する予定で東京に残り、伝右衛門を見送った。しかし、燁子はそのまま日本橋の旅館に戻らず、行方をくらませた。
22日、大阪朝日新聞朝刊社会面に「『筑紫の女王』伊藤燁子 愛人宮崎法学士と新生活?」と失踪の第一報が伝えられる。大阪朝日の単独スクープであった。
伝右衛門は福岡へ戻る途中で立ち寄った京都の宿「伊里」で、22日朝刊の報道を知って驚愕する。
その頃の燁子は東京府下中野の弁護士・山本安夫の元に、伊藤家から伴った女中と共に匿われていた。
山本は龍介の父・宮崎滔天の友人であり、子供の頃から親しい龍介に相談を受け、燁子の身柄を預かっていた。
22日夜、山本は新聞各社に燁子の居所を連絡し、記者が押し寄せて取材が行われ、23日朝刊には記者に対応する燁子の写真が掲載される。
朝日のスクープは、姦通罪を逃れるため、龍介が新人会の仲間で友人の赤松克麿や朝日新聞記者の早坂・中川らに相談し、
マスコミを利用して世論に訴え、人権問題として出奔を正当化するために仕掛けられたものだった。
女から男に宛てて、新聞という公器を使って縁切りの宣言を行うという前代未聞の出来事に対し社会的反響は大きく、
大阪朝日24日夕刊には、5百余通の投書が殺到した事が書かれ、世間を大いに揺るがす事件として受け止められた。
柳原家や燁子が身を寄せた山本家には多くの賛否の手紙の他、脅迫まがいのものも届いた。
10月24日に福岡に戻った伝右衛門は親族会議を開き、友人の炭鉱主らも同席する。そこで宮崎龍介・赤松克麿らの思想的背景が問題となる。
伝右衛門ら炭鉱主は当時頻発していた米騒動やストライキに神経をとがらせており、彼らによって労働争議の標的にされる恐れがあった。
また姦通罪で訴える事は、今上天皇の従妹である燁子を投獄する事でもあり、宮崎側に関与する事は避け、問題は柳原家と伊藤家の両家の間のみに絞られた。
11月1日夜、東京丸の内の日本工業倶楽部の一室に伊藤・柳原両家関係者が招集される。
この席で燁子を伊藤家から正式に離縁する事が決められ、伊藤家に残した燁子所有の調度品や衣類・宝石類を柳原家に託し、
燁子名義の土地・家屋・株券などは名義を変更して伊藤家に返還する事などが決められた。
11月2日、仲介役の奥平伯爵が築地精養軒で新聞通信社に燁子と伝右衛門の離縁を発表し、3日付の新聞に掲載される。
事件からわずか10日後、伊藤家側は極めて寛大な処置で迅速に身を引いた。
伝右衛門は一族に「末代まで一言の弁明も無用」と言い渡し、「上京して姦夫姦婦を二つに重ねて四つに叩き斬る」と息巻く地元の血気盛んな男達にも「手出しは許さん」と一喝した。
福岡天神町の銅御殿落成の翌日、11月27日に伝右衛門と燁子の離婚が成立する。
駆け落ち騒動の最中に生まれた長男・香織と共に宮崎家の人となった燁子は、それまで経験したことのない経済的困窮に直面する。
弁護士となっていた龍介は結核が再発して病床に伏し、宮崎家には父滔天が残した莫大な借金があった。
裁縫は得意であったが炊事洗濯は出来ない燁子に代わり、姑の槌子が家事と育児を引き受けた。
燁子は小説を執筆し、歌集も出版、色紙や講演の依頼も引き受け、龍介が動けなかった3年間は燁子の筆一本で家計を支えた。
この頃、吉原遊廓から脱出した花魁の森光子が宮崎家に駆け込んで助けを求めている。
その後も娼婦の救済活動は続けられ、1928年にも吉原から子持ちの娼妓が宮崎家に駆け込んでいる。
この活動は暴力団に狙われる危険なものであったが、燁子にはかつて伊藤家で舟子ら同性を
身代わりの人身御供にした罪の意識があり、娼婦の救済はその罪滅ぼしもあったと見られる。
1944年12月1日、早稲田大学政経学部在学中の長男が学徒出陣し、
翌1945年8月11日、所属していた陸軍・鹿児島県串木野市の基地が爆撃を受けて戦死した。
龍介の手厚い介護のもと、娘夫婦に見守られ歌を詠みつつ暮らした穏やかな晩年であった。
1967年2月22日、心臓衰弱のため西池袋の自宅で死去した。81歳没。戒名は妙光院心華白蓮大姉。
遺骨は長男と共に神奈川県相模原市石老山の顕鏡寺に納められた。
主人公がゲーム会社に入社するアニメ がんばるぞいで有名 すっと入ってくる見やすさとドラマ性があっていいね 俺は仕事嫌いなんだけどもし仕事好きだったらもっと高順位なんだろうな
●19位 ご注文はうさぎですか
●18位 キルミーベイベー
女の子と殺し屋と忍者のギャグアニメだよ おもしろい 賛否あるけど最後の方の泣ける回が泣ける
貧乏と腹黒と胃袋ブラックホールの日常を描く 実は貧乏が主人公で、貧乏の成長日記みたいなところがある オープニングとかエンディングでたくさん喋るのすごくいいよね
お嬢様主人公の日常を描く きんモザと世界が繋がっている 十五分アニメっていいよな ちょうどいい こういう日常系アニメらしいきららアニメって最近減っちゃって悲しいよ
●15位 恋する小惑星
地学部アニメ 楽しいやら切ないやらで脳内ぐちゃぐちゃになるわ 俺は情報なんだけど地学専攻しとけばよかったって真剣に思った これ見て望遠鏡買った
●14位 GA 芸術科アートデザインクラス
美術科アニメ わちゃわちゃしててたのしい ひだまりスケッチよりマニアックな話が多くて美術わからなくてもなんとなく楽しい どうして私が美術科に!?(すごく面白いのに3巻で打ち切りになってしまった伝説のきらら漫画)とアニメの土俵で戦ってほしかったよ どっちが勝つかな
主人公がチアをやるアニメ 応援っていいね これ見てチア始めることはなかったけど 応援を真面目にやるようになったよ
主人公がビーチバレーやるアニメ スポーツものだね 超おもしろいし泣ける オタクはもれなく大城あかり推しになる ワクワクシークヮーサーだね
女の子数名の日常を描く 日常度が高い たまに切ない 「ハミングガール」いいよね 次の角で振り向きながらバイバイ
主人公がある日突然まぞくになる 第二期絶賛放送中 じつは2期をやるきららアニメは少ない 激レアなきらら2期を見逃すな 非日常度の高いきらら漫画ってどうしても日常系としての楽しさは薄れちゃうけどまちカドまぞくは非日常と日常を両立していてすごい セリフの言葉選びのセンスがすごい だからエンディングの作詞を作者がやっちゃってるんだけどそれもすごく良い 原作もいいよ これ見てまぞくになった
●9位 あんハピ
不幸な運命を背負った女の子らの日々を描く わちゃわちゃしてて楽しい いいことなくても友達と一緒にいれば毎日楽しい的なのって日常系の本質だよね
●8位ひだまりスケッチ
美術科の女の子数名の日常を描く 2期をやるきららアニメは実はかなり少ない 4期までやったひだまりスケッチは超すごい 演出やテンポ感が独特で見ていて全然飽きない おもしろすぎる
●7位 きんいろモザイク
イギリス人数名と日本人数名の日常を描く アニメなのにテンポが4コマ漫画と同じなの凄い 基本賑やかで楽しいんだけど アリスがイギリスに帰省しちゃったりすると俺も寂しい気持ちになって、多分登場人物はもっと寂しいんだろうなって思ってしんみりする 原悠衣先生の次回作に期待
●6位 けいおん
軽音楽部の女の子の日々を描く もうこれ俺の感想いらないだろ けいおんが名作なのはごはんがおかずなのと同じくらい当たり前 聖地巡礼してたらいろいろ思い出して涙出てきたことある
●5位 こみっくがーるず
漫画家の女の子らの日々を描く バリ泣ける 8話で神田川くらい泣いた 4話の最後は阿武隈川くらい泣いた 琉姫さんがお化粧するシーン、お化粧してるだけなのにすごい引き込まれるよね メンタルヤベえけどもうちょっとは頑張れそうなときに見るともうちょっと頑張れるアニメだよ。メンタルやばいときに見てほしい 今日はそれだけおぼえて帰ってほしい
●4位 ゆるキャン
キャンプ好きな女の子らの日常とキャンプを描く きららアニメが積み上げてきた伝統を新次元のアウトドアアニメに昇華させていてすごい 原作もいいけどアニメは構成がヤバいね まちカドまぞくの作者も言ってたけど志摩リンが永遠に野クルに入らないのがいいよね みんなで伊豆行くのに志摩リンだけ原チャだもんな 真剣に見ると実は志摩リンはかなりやりたい放題してるんだけどゆるキャンの世界では許されていて、それを見ているなでしこ達もやりたい放題を始めるのが良いね ゆるキャンの世界ではなにやっても許される、パスタ折っても許される これ見てキャンプ始めた
●3位 スロウスタート
中学浪人した女の子の日常を描くアニメ 主人公のメンタルがミジンコですごく共感しちゃう 上の階に住むニートのお姉さんとの魂の交流を描いた4話が好き 白糸の滝くらい泣ける 8話もいい 主人公は序盤でそれほど苦労せずに主人公グループを形成するんだけど それとは別に自力で友達を作るのが8話 雲場池くらい泣ける 留年なり浪人なりニートなりしたことある奴は見てほしい そういう経験があれば多分刺さる そういう経験があるからこそ全然刺さらない奴もいるけど 主人公に幸せになって欲しい 主人公に焼肉おごりたい これ見てる皆でクラファンやって主人公に焼肉おごりまくろう 海に行く予定だった日に雨が降っちゃって主人公が悲しくて泣いちゃうシーンがあって(自分でも理由はよくわからなくて不思議なんだけど)そこで嬉しい気持ちになる そう思いながら見ていたら主人公の友達が主人公の居ないところで「さっき主人公が泣いてるの見て不思議と嬉しくなった」って口走っていて、俺もみんなも主人公のこと大好きなんだなあって思って嬉しかった...
親の再婚で姉妹になった2人が釣りするアニメ 前期アニメ バリ泣ける これ見てフライフィッシング始めた 原作読んで内容わかってたそれでも泣けた 11話で横須賀湾くらい泣いた 泣いてそこで釣りしたらマグロ釣れて草 姉妹二人が主役なんだけど妹のほうの幼馴染キャラに吉永恋っていうのがいてそいつの人気が主役を差し置いてバリすごい 吉永恋最高 吉永恋を教祖とする宗教団体を作れば誇張抜きで本当に10人くらいは入信しそう スローループは命と家族と狩りと線と輪と海と変化がテーマだよ これだけテーマが多いと雑になりそうって思うじゃん?ならないんだよなあ こいつらは全部繋がっとるんだ 輪で繋がっとる とにかくスローループは泣けるし温かいしキャラが可愛いし釣りしたくなるしストーリーのすべてに意味がある ストーリーのすべてに意味があります 最近原作6巻が出て、これまでのストーリーの見方が大きく変わるような衝撃的な真実が明らかになって話題になっていたんだけど スローループはストーリーのすべてに意味があるから俺は6巻が出る前から真実に気づいてたよ(マウント) 原作6巻には姉のほうの幼馴染[土屋みやび]が出てきて吉永恋と戦うよ 光の吉永恋に対して闇の土屋みやびといわれています アニメ化される前に原作読んで、なんちゅうもんを読ませてくれたんや...って思って これアニメ化したら絶対絶対流行っちゃうだろって思ったけど別に流行らなかった お前らホント見る目無いよね バーカ あほ
●1位 ゆゆ式
女の子3人の日常を描くアニメ 最高 きららアニメの最高峰で日常系アニメの最高峰 ゆゆ式にはイベントがほとんど無い 他の日常系アニメは[日常系]って言いつつ文化祭に行くなどのイベント回があるじゃん ゆゆ式にはそれが無い 文化祭の描写はあるけど「そういえば文化祭楽しかったね」「激辛メニュー食べて楽しかったね」のような会話のみで終わる 激辛メニューのようなイベントは日常をもっと楽しくするためのスパイスにすぎないのだ ゆゆ式は言葉がクセになるよね カルパッチョってバロメーター?とかゼブラゼブラーとか破魔矢!とか、言葉がクセになるから作中の会話をポンポン思い出せるね ポン大臣だね ボケのゆずことツッコミの唯と、それを見て笑う縁の3人の掛け合いがすごく楽しい 俺がゆゆ式を見てるときの楽しさは縁が笑ってるときの楽しさと同程度なんだよなあ... ゆゆ式の面白さは初見ではわかりにくい けどある日突然視点が縁と同じになって縁と同じタイミングで爆笑できるようになる 頭蓋とられて脳みそいじられてるみたいでちょっと怖いね 脳からのやつだね
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これはシン・ゴジラを踏襲した手法で特撮愛を形にした点で共通しているが全くアプローチの異なる映画だ。
シン・ゴジラはゴジラという存在を借りて庵野樋口が好き勝手再構築した映画
シン・ウルトラマンはウルトラマンという作品を庵野樋口が再構成した映画だ。
なので観る人がどういうイメージを持って観に行ったかによって捉え方が全く変わるだろう。
ウルトラマンを元に再構築して欲しかった人にも肩透かしになっただろう。
そしてウルトラマンを今に蘇らせて欲しかった人には最高の映画になったと思う。
シン・ウルトラマンは原作となったウルトラQからウルトラマン最終話までを120分に押し込んだ映画だ。
これは本当に構成が上手い。情報量が多く展開が早いため120分があっという間で下手をすると振り落とされてしまう。
怪獣製作する上での裏事情をうまく解釈し直し生物兵器としたのは素晴らしい。
隊員の巨大化やちゃぶ台を挟んだ駆け引き(これはウルトラセブンだが)などウルトラマンの各エピソードを拾い一つの流れに組み込み、ゼットンの再解釈は思わず唸らされた。
そこか!そこでウルトマンのあのシーンを挟むのか庵野このやろう!!wwと思わず笑ってしまった。
だからこそ、ファンでなければ面白さが伝わりづらいという弱点がどうしてもあると思う。
予備知識なしに見る人はどこに収束しようとしているのかわからない。
シン・ゴジラには物語の冒頭から終幕までゴジラという明確な敵役がいたが、シン・ウルトラマンは何度も事件が起こりそのたび敵が変わるからだ。
自分はウルトラマンをしっかり観たことはないが一応メフィラス星人やゾフィー、ゼットンなどを知っていたのでなるほどこうきたかと思ったが、それすらない人にはどこが物語のクライマックスになるのかわからないだろう。
なので賛否が起こり評価はおそらく大きくバラつく。ある人には最高、ある人には今ひとつ。そういう映画だ。
シン・ゴジラはゴジラというテーマをベースに日本社会を描き出したので特撮ファン以外にも開かれた映画になったが、シン・ウルトラマンはウルトラマンに愛がある人に受け入れられるストライクゾーンの狭いものになるのではないか。
また、シン・ゴジラはシリアスに物語が進むからこそ笑いになっているところがあったが今回は全体的にコメディ的に味付けがされていてそこを良しとしない人もいるだろう。
ほとんどの人には
「シン・ゴジラのウルトラマン版を期待したのにそうでもなかったなー。」
カメラワークは広角レンズが多用され物陰から見ているかのような構図が特徴的だった。そしてカット割が多い。
禍威獣パートをは人間視点で、人間ドラマパートも小人や透明人間になって複数人で観察しているような感覚だった。
もしかしたら映画を見ている我我も外星人としてこの地球のいく末を観察する役割を与えられていたのかもしれない。
巨大化した美人キャリアウーマンはこれは新い性癖きたなと思ってしまった。普段酒に酔っ払って路上で寝ているのが仄めかされたのもとても良い。メフィラス星人と神永が公園のブランコで対話をしているシーンは「薄い本になりそうだな〜」と思った。
役名は明かされなかったが竹野内豊がおそらくシン・ゴジラの赤坂と同じ役で出ている。これはシン・ゴジラの世界とシン・ウルトラマンの世界がマルチバースであるということだろう。
そうしたのもゴジラ、ウルトラマンと大人の事情で同じところに立てない作品の両作品への庵野の愛を感じる。
じゃぁなんで斎藤工は戦車に乗ってないんだとなるが、まぁ斎藤工もマルチバースで巨大な敵と直接戦っているということで笑
ウルトラマンでは田舎や都会で戦うことはあってもミニチュアが大変な工場というのはなかなかなかったのではないか、夕暮れ近い工業地帯での巨人の肉弾戦は庵野が一番観せたかった絵だと思う。
おい増田、要所要所に嘘を混ぜるのはやめろ。地金が出るぞ。
>とはいえ、強姦の結果としての妊娠出産まで強制するのはプロライフ派の大多数にとっても本意ではない
ローvsウェイドの司法判断が覆された場合、保守的な22州で、速やかに中絶禁止州法が法律化される見込みだ。そして、そのうち半数の11州ではレイプと近親相姦を例外的に許可する緊急避難条項が含まれていない。レイプだろうと近親相姦だろうと、6週目以後の中絶は犯罪になるだろう。「強姦の結果としての妊娠出産まで強制すること」がプロライフ派の大多数にとって「本意でない」なら、そんなことになるわけがない。
そもそも増田の主張からすれば、「レイプによって生まれる子だったら中絶してもよいのだ」という結論は到底導けないはずだ。
①男女双方が妊娠出産に到る可能性についても含め合意のもとでなされた性交による妊娠
②妊娠を望んではいなかったが合意のもとでなされた性交による妊娠
この3つのパターンで、妊娠した胎児の人権にどう差が付くというのか? 親が誰だろうと、妊娠に到る経緯がどうであろうと、子の人権の多寡軽重には何ら関係がない。とにかく生んでもらって社会的にケアすべきだ、ということに当然なるはずだ。だが、この件についてだけは「性的被害の記憶と結果が多大な負担と共に長期化し、心身ともに女性を生存レベルで危険に追い込むことに他ならない」という、母親の心身の危機への配慮みたいな話が持ち出され、しかも母の「心身の生存レベルでの危険」なる抽象的概念の保護が、子の生存権を上回るかのように設定される。場当たり的で卑怯な取り繕いだ。
米国のキリスト教右派(福音派右派、南部バプテスト派など)はそんな姑息な誤魔化しは使わず、堂々と「強姦でも中絶禁止だ」と主張している。だから22州のうち半数が、強姦に関する緊急避難条項を盛り込んでいない。
ちなみに米国のプロライフ推進派の内輪で、中絶禁止の倫理的指針をめぐって議論になることが多いのは、レイプよりもむしろ近親相姦のほうだ。(彼らの聖書理解においては)レイプは聖書に反しないが、近親相姦は(中絶と同じく)聖書に反するからだ。つまり堕胎と近親相姦は聖書の教義同士の衝突だから議論が紛糾するのだ。このことひとつ取っても、プロライフが「人権原理」を重視する人々ではなく宗教右派によって駆動されている運動だということがわかる。
>私は、強姦案件での中絶は合法、それ以外は違法、とするのが妥当だと思うが、その妥当な落としどころが「女性の身体権の絶対性」主張派とは築くことが出来なかったがために、より人権原理的な立法措置が、アメリカやヨーロッパでも徐々に取られつつあるのが現状である、と言う認識である。
ここまで一回も出てきていない「ヨーロッパ」という言葉が(あたかも中絶禁止が先進国の潮流であることを印象づけるかのように)唐突に顔を出すが、EU27ヵ国のうち中絶を法的に禁止しているのはマルタとポーランドだけだ。
https://ifura.net/abortion-in-europe/
マルタでは国民の98%近くがカトリックと言われ、2011年まで離婚する事は違法でした。ヨーロッパで人口妊娠中絶に最も厳格であるマルタでは、例え母親の生命や健康状態に危険が及ぶ可能性があったり、胎児異常の可能性が高い場合、近親相姦、望まない妊娠(強姦など)他であっても一切の例外は無く、中絶をした本人や補助をした人(医師など)は、最長3年の懲役が科される(マルタ共和国刑法第241条他)があります。
ポーランドでは2020年10月22日に憲法裁判所が下した、「胎児異常でも、中絶する事は違憲」との判決により、実質的にほぼ全ての人工妊娠中絶が禁止されています。ポーランドでは強姦、近親相姦、母親の生命及び健康にリスクがある場合のみ、人口妊娠中絶が認められます。
つまり宗教保守が圧倒的に強い国での旧弊な法制と、近年になって右傾化と保守回帰が進んだ国での反動的な法制化だ。米国もまた〈点〉としてのリベラルな都会を、広大な〈面〉としてのコンサバティブな田舎が取り巻く二重国家だ。そして、後者の田舎で保守回帰と反リベラルが進んだ結果としての、プロライフの再炎上なのだ。
こういう事実をわかっていて(増田はわかっているはずだ)、どうして「より人権原理的な立法措置が、アメリカやヨーロッパでも徐々に取られつつあるのが現状である、と言う認識」に到るのか。本気で書いてるなら増田は相当頭がおかしいが、本心ではないのだろう。とりあえず読み手を騙せればいいと思って、適当に書き飛ばしている。
アメリカでも欧州一部国家でも、プロライフを推進しているのは主に宗教保守派(福音派・南部バプテスト派・保守的カトリックなど)と、必ずしも宗教的背景を持たないが宗教保守と連携する保守的政治勢力(トランピスト・銃規制反対派・反連邦主義者・白人優越主義者・ネオナチなど)だ。彼らの大多数は「リベラルによる社会破壊の陰謀」を食い止めるための象徴的問題として中絶マターを扱っている。
※米国のプロライフ派の中にはConsistent life ethic派という比較的中道的な宗教運動もあり、ここはとにかく人命尊重という倫理を徹底し、死刑反対・暴力反対・安楽死反対・薬物濫用反対・戦争反対・難民救済・人種差別反対・マスク着用推奨など、「人が死なない」ことを基本原理とした運動を展開する中で中絶反対という立場を取っているが、上記に列挙した方針を見ての通り、「人命尊重」を追求した結果リベラル的な色合いも強くなってくるため、プロライフの主軸である宗教右派とは折り合いが悪く、プロライフ運動の中ではほとんど力を持っていない。
もし本当に「人権原理」を重視する層がプロライフを推進しているなら、彼らは同時にLGBTの人権なども容認・擁護していてもおかしくないはずだが、実際にはプロライフ推進派の大多数は、苛烈にLGBTを批判し、セラピーで「回心」(reparative therapy)させ、時には法的に禁止しようとすらしている。BLM運動についても、当然批判側に立っている。だからこういう皮肉めいたコラム(「あれれ〜? プロライフの人達が黒人の人権について無関心だったりBLMを陰謀論扱いするのって何かおかしいよね?」)↓が成り立つ。
https://loyolamaroon.com/10029377/oped/pro-life-means-supporting-the-black-lives-matter-movement/
ちなみに米国には、中絶を実施する医療機関や医師に対して暴力やテロ行為を行うArmy of God(神の軍隊)というクリスチャンの団体があり、中絶を実施するクリニックを爆破したり、炭疽菌だと言って粉末を送り付けたり、医師を誘拐・殺害したりしている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Army_of_God_(United_States)
こんなことは、望まない妊娠の中絶に対して賛否どの立場を取るかに関わらず、プロライフ/プロチョイスの議論の初歩であって、米国での中絶禁止について解説しようとする増田が知らないはずがないのだ。知ってることをあえて書かず、嘘も交えて、事実とは違う印象を与えようとするのは本当に良くない。中絶禁止を擁護するのはいいが、真正面からやれ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a87455898b4e6a18ea847ca649cc13ce9bceb2de
岸田首相の在任中の憲法改正について、男性は「賛成」53%、「反対」30%で賛成が過半数だったのに対し、女性は「賛成」30%、「反対」33%で、女性の方が改正に慎重な傾向がうかがえる。年代別では、30代以下で「賛成」が5割に達したほか、すべての年代で「賛成」が「反対」を上回った。
前提としてこの文章は「女オタクの推しの騒動に対するお気持ち表明長文」ですので、嫌な方はお読みにならないことをお勧めします。
先日私の推しであった神尾晋一郎さんと石原千尋さんの同棲熱愛報道がFRIDAYに掲載されました。
その時私は「やっぱり彼女いたか〜、まあ年齢も年齢だし当たり前だよな、応援しよう」というリアクションでした。嘘です、正直言うと40歳男性の交際相手が25歳というのは若干キモいな、という思いは過ぎっていました。ですがそれも当人達の自由ですので、それも含めて祝福しようという気持ちでした。
○いわゆる匂わせ等の写真がSNSに上がっていること(お揃いか同一の服、帽子、指輪を身に着けた写真)
○神尾さんのやっている番組で出したグッズの柄が石原さんの実家の猫の絵?加工写真?であったこと
○神尾さんのコラボグッズのコートを発売前に石原さんが身に着けSNSに写真を上げていたこと
等がわかってきました。
知れば知るほど「なかなかやらかしてるなあ」と思いはしましたが、この手の騒動は正直どこの界隈でもよくあることではあるので、もやもやしながらも笑って流す気持ちでいました。
ところがそれからまた数日して、「某配信者に別の女性からも神尾と交際していたと暴露が来ているらしい」と噂が流れました。
その為放送を確認していたところ、やはり石原さんとは別に、もう一人21歳の女性インフルエンサーとも交際しており、LINEでのやりとりで4/18まで会っていたということが暴露されました。(FRIDAYの発売は4/22)
そのインフルエンサーは不明ですが有名らしく、その配信にも出てもらいたかったと配信者は言っていたのですが、正体がバレるとまずいとのことで断られたそうです。
私は個人的にその某配信者に良いイメージはなくそれまで放送を拝見したことはなかったのですが、今まで全くの虚偽を取り上げたことはないとのことで、その件に私はとてもショックを受けました。
匂わせ自体、「芸能人なら交際を隠してほしい」という願望もオタクのわがままであって、一人の人間であるなら交際に舞い上がってやってしまうこともあるだろうとそれまで考えていました。それもかなり自分を押し殺してはいますが、推しへの要求として必須ではないと思っていたのです。
ですがこの暴露があってから匂わせや、ポーチの件、コートの件にも疑問が湧いてきました。
そして私と同様に、これらの神尾さんや石原さんの行動に疑問を持つ人が増えてきました。それに連れ、神尾さんを擁護する声も釣られて大きくなっていき、しまいには野次馬のような大して神尾さんを知らない、知ってるけど推してはいない人達から「リアコが勘違いして彼女に嫉妬している、神尾さんたちを叩くのはおかしい」と言われるようになってしまいました。
それについて私は、リアコだからとかじゃなくて、推しが誠実な人じゃなかったことに幻滅するのってそんなにおかしいのか?擁護する人達や野次馬にきもいとか言われなきゃいけないのか?と憤りを感じてしまいました。それに、仮にリアコだった方たちが本当にショックを受けていたとして、それは批判されて然るべきなのでしょうか?
匂わせは百歩譲って舞い上がってたにしても、ファンの好意で買ってくれるグッズを彼女の実家で飼っている猫柄にするのは不誠実ではないか、それでファンが喜ぶと思っているのかと疑問に思いました。
仮に記念になるグッズに彼女の要素を入れて思い出にしたい等の勘違いをしてたにしても無神経だし、発売前のコラボグッズを彼女に譲渡するなら「写真を公開しないでほしい」とかフォローを入れとくのが社会人だと思うし、これらの私の不満が「オタクきもい」と叩かれるほど非常識なことを言ってるつもり全くないです。
神尾さんが社会人として、(これは分類が賛否あるので仮にですが)「公人」として間違ったことをしているとは思わないのでしょうか。
最初のFRIDAYが4/22、石原さんは即日ファンへのメッセージを出していましたが、神尾さんは今日まで騒動諸々に対して全くのノーリアクションです。その間にも神尾さんの配信が何度もありました。
始めは説明や謝罪をしてほしいと思わなくはなかったです。ですが、声優界では不倫すら謝罪があったりなかったり、社会的制裁を受けることは殆どありません。某鈴木さんも先日から復帰しているようですし、どんな騒ぎがあっても良くて謝罪があるのみです。というか、謝罪があれば良い方です。
「勝手に誠実だと理想像を押し付けてた」と言われればそれまでかもしれませんが、こっちが誠実だと妄想していたのと、神尾さんが実際には不誠実な人間である事実は結果として切り離されるべきではないでしょうか。それにガッカリして怒りを覚えてしまうことが、そんなに筋違いなのか?私はそんなことはないと思っています。
「芸能人だって人間だし息抜きしたい瞬間もあるだろう」、に二股浮気も含れますか?彼女と同棲してた、ガルバでイキってた、までくらいがオタクが文句を言う筋合いのない許容範囲じゃないですか?(ガルバの件はSNSでの話ですが)
私は「神尾さんを擁護してる人達や、これからもファンを続けようとしている人達は目を覚まして一緒に神尾さんを叩いて謝罪を要求しましょう!」と言いたいわけではありません。
ただこれらの疑問を持つことが、オタクの勘違い、きもい、と叩かれることには少々納得がいきません。それこそ「神尾さんを叩かないで!」と言われるのは筋違いです。そもそも叩いているというより何もかもが疑問なのです。
どうか疑問を疑問だと言うことをほうっておいてはくれませんでしょうか。神尾さんを素敵な人だと勘違いして応援していたことを、後悔させていただけないでしょうか。
以上が私のお気持ち表明でした。ここまで読んでいただいた方がもしいらっしゃいましたら、ありがとうございます。乱文大変失礼いたしました。
最近このニュースが話題になった。ツイッターでもトレンド入り。
城北公園 スタバが出店断念意向 静岡市整備事業、住民反発受け(あなたの静岡新聞) - Yahoo!ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718673101226131522/
ttps://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1058273.html
この件に関するもう少し詳しい記事はこれ。
市民が反対?スターバックスが公園への出店断念 どうしてこうなった…方針変更の背景は【静岡発】(FNNプライムオンライン(テレビ静岡))
ttps://www.fnn.jp/articles/-/352807
ブコメにあったがレッドデータブック絶滅危惧種2類に指定される希少木で名物のなんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)をカフェ予定地から移植する予定だとか。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4718673101226131522/comment/yas-mal
ttps://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1056029.html
そりゃ市民は反対するわ。
大型ハード事業 「ハコモノ」整備に賛否【22年度静岡市予算案㊤】
ttps://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1027714.html
この田辺市長は今時はやらないハコモノ行政を強引に推し進めようとしているのである。
住民投票を要求されたり監査請求されているのは城北公園スタバ問題だけではない。
清水庁舎(清水区役所)の移転問題。これは庁舎老朽化を理由としたもので分からなくもない。
しかし移転先を当初津波浸水想定区域の清水駅東口(清水港側、つまり海の隣)としたことで市民から反対運動がおこる。
ttps://www.chunichi.co.jp/article/99227
区役所跡に移転する予定だった病院が今度は区役所移転予定だった清水駅東口へ移転する計画へ
ttps://www.chunichi.co.jp/article/168967
ttps://www.asahi.com/articles/ASPD573M0PCWUTPB004.html
当然反対運動がおこる。
ttps://www.at-s.com/news/shittoko/992624.html
桜ヶ丘病院の建設工事入札が不調…円安や資材の高騰が影響か 来年度中の開院に『黄信号』 静岡・清水区
これhttps://synodos.jp/opinion/society/27932/
とかあれhttps://anond.hatelabo.jp/20220425213225の話。
ヤンマガも日経も、一つの広告にあれだけ詳細な意識調査をかけることは滅多にないんじゃないろうか。
個人的にかなり面白かったので、ぐだぐだ語ってみたい。しかし、エグい調査やで…。
まず、最近よく無断転載されてるあのグラフ、田中氏の記事でいうと図4。
批判的な意見の者は主に40代~50代の女性に多いことが目立つ。「更年期のヒステリックしわわオバサンが巨乳たわわ美少女に嫉妬」な構図を読み取りたくなるのも分かる。
だがせっかくの調査、他の数字も味わってみよう。様々な決定要因のとこね。
例えば、既婚者。
全体だと5.2%、女性のみだと6.5%ね。男性は、女性ほど結婚の有無が意見に影響しないことが分かる。
「加齢で劣化して男にモテなくなったオバサンがけしからん肉体の美少女にムカついて叩いてる」が真実なら、未婚女性のほうが批判派は多くなりそうじゃないか?しかし逆。
まあこれは、年齢が上がると既婚者が増えるだけの事なのかもしれない。ただ、他の変数の影響は解析の際に調整されてるはずなので、年齢・性別に関わらず、配偶者のいるほうが広告に批判的だと言えると思う。
田中氏は理由を不明としてるけど、増田もわからん。誰か思いついたら教えて。未婚男性が肯定的で、既婚男性は批判的な傾向に安直すぎる理由をつけてしまいそうになるので。
中高生の娘の有無。田中先生、中高生の息子の有無も聞いてくれたらよかったのに!読んでるマンガとか違いそうだし。
統計的に有意でない(意見に対して中立的な変数)ということで薄く塗られているものの、数字は、全体だと2.0%、女性のみでは-1.3%だと分かる。娘を持つ男性は、娘を持つ女性より若干広告に批判的かもしれない。偶然かもしれないが。
何だろうな、これも。男親「俺の娘をそんな目で見るな!娘!お前もお前だ!はしたない!」女親「まあまあ、好きな格好しなさいよ。あたしだってミニスカ履いてたもの」の差か?謎。
年齢。全体だと1.3%、女性のみだと2.8%。
2.8%は小さいように思えるが、20代と50代では30歳の違いがあるので、その差2.8×3=8.4%となりかなりの大きさとなる。
全体だと、30歳差でも1.3×3=3.9%。大きくはないように思える。男性のみを考えると、年齢要因は更に低くなる。例のグラフ(図4)を見ても分かる、面白い現象だよね。
で、これ……解釈に悩むやつ。中高生の娘に限らず、子供の有無は意見に関係ない(と田中氏が書いてる)。が、女性の意見には年齢が関係する。
増田としては、「女性が歳を取ると若い女の子が可愛くてたまらなくなる現象」https://togetter.com/li/1875379 かなと考えている。男性の意見に年齢があまり影響しないのは、ぶっちゃけ、自分が何歳になっても、女子高生を性欲の対象として見てるからかなと。庇護・養育の対象ではなく。ぶっちゃけ過ぎたが。
図2と図3に戻ってみる。いくつか参考意見を挙げて、賛成か反対か聞いたやつね。
7つの意見に対する賛否の割合のグラフが図2と図3で、図2は全体(n=3154)、図3は女性のみ(n=1585)。女性は全般的に、平均より批判的なんだな、そうか。ふーむ。男性はどうなの?
って疑問出ない?増田は出た。なので、計算してみた。手で。表計算使える人はやってみてー。てか検算してくれると嬉しい。
意見 | そう思う(女) | 思わない(女) | そう思う(男) | 思わない(男) | そう思う(全体) | 思わない(全体) |
1.男性目線のいやらしさを感じる | 45.6% | 43.9% | 22.5% | 68.2% | 34.1% | 56.0% |
2.新聞広告としては不適切 | 34.8% | 50.5% | 14.7% | 71.8% | 24.8% | 61.1% |
3.女子高生を性的に扱っており問題 | 32.1% | 54.8% | 13.8% | 74.7% | 23.0% | 64.7% |
4.はっきり言って不快 | 23.5% | 64.8% | 5.8% | 83.1% | 14.7% | 73.9% |
5.性的な要素はあるとしても問題ない範囲 | 52.1% | 36.7% | 64.2% | 25.8% | 58.1% | 31.3% |
6.女の子が可愛くて素敵 | 50.4% | 38.1% | 64.7% | 24.8% | 57.5% | 31.5% |
7.全体として表現の自由の範囲 | 46.8% | 41.4% | 63.5% | 27.9% | 55.1% | 34.7% |
様々な観点から聞くことで、女子高生を性的に扱うことへの問題意識や「表現の自由」の捉え方が読み取れて楽しい。「不快」だけが不適切と考える理由ではないことや、男のエロ目線の感じ方に性差が大きいことも分かる。
広告を問題視する女性は多くとも4割未満でも、広告にエロ目線を感じる女性は45.6%と、感じない女性43.9%を少し上回ることも分かる。
田中氏の調査と記事は、興味の焦点がはっきりしてる。主に、たわわ広告への女性の反応と、批判しているのはどんな人かを焙り出すためにデータを解析・解釈してるよね。まとめの段落にある
分かりやすい。
反面、男性の反応と、問題視しない人はどんな人かということにはたぶん無関心なので、記事の文章には反映されてない。
男性の反応は上にちょこっと書いてきた。では、たわわ広告を問題視しない人はどんな人に多いのか?この調査結果から読み取れるのは、さっきの引用の逆の人、
未婚者、自分では絵や漫画を描かない人(非クリエイター)、痴漢に厳罰は求めない人、フェミニズム反対者……だよね。
この調査記事が面白くてエグいのは、男性の透明性・無徴性を明らかにしていることだと思う。男性こそが普通で、標準で、色がついてない。女性だけが反応を注目され、「気にしすぎ」「頭おかしい」とジャッジされる。女性の反応が社会の基準なら、男性は「鈍感すぎ」と言われるのに。
男性は何歳になっても自分の欲望に無自覚でいられる。エロ目線に脅かされず、自分がエロ目線を向けてることに気付かずにいる。
男性の9~14%しか問題視できず、22.5%しかエロ目線に気づかず、5.8%しか不快に感じない「萌え絵」をうっかり使ったら、女性の45%がエロ目線を感じ取り、23.5%が不快に思い、18〜38%が不適切だと考える。
ネット民は別に、若者に人気の「萌え絵」が分からない老害おばさんぷぎゃーしてウンコ投げてればいいんだよ。
ヤンマガもダメージないと思う。読者層の若い男性とカーチャン世代の女性の意見がそもそも合う訳ない。
けど新聞は?ファミレスやデパート、飛行機や電車、銀行や病院、役所や警察や赤十字は?
「わめくのはババアだけだから放置でいいよ。若い女の8割はスルーしてくれるし、男はみんな、あって当たり前のもんだと思ってる」ではやってけない業種がこの調査結果を見て、これから「萌え絵」との距離をどう測っていくのか。
どっちにかはしらんけど。
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2022/04/26 23:43 はてな記法使えなくて凹む。気力ができたら直すかも
2022/04/27 0:15 リンクミス修正した。記法は諦めた。各自脳内補完たのむ。脚注で、ツイッギーの巻き起こしたミニスカブームのこと書きたかった…
「月曜日のたわわ」を人々はどう見るか
https://synodos.jp/opinion/society/27932/
『更年期のしわわ』という差別的ニュアンスを含む表現を肯定したいとは思わないけど、なんらかの調査において、たわわのアンケートと男女逆で「40代男性で賛否に大きく偏りがあった」という結果が出たら、はてなの主流意見は確実に「聞くに値しない老害ホモソーシャルの偏った意見」という風な受け取り方になるだろうし、平気で『しわわ』程度の侮蔑表現が飛び交うだろうことは想像に難くないよなぁ……。
侮蔑表現はともかくとして、偏った層の歪んだ意見として解釈されることに関しては実際妥当な判断だと思うし。
それが女性になった途端、「経験に基づいて問題に気が付くことができるようになったから」とか言い出して偏りと歪みを直視しないのはギャグにもならないでしょ。
PFUの高級キーボード、Happy Hacking Keyboard(HHKB)だが使い方を間違えている人が多い
一応、Fnキーを押しながら使うことはできるが非常に使いにくい
なぜこんなことになっているか、というと、そもそもプログラマー(ハッカー)は基本的に矢印キーを使わないからだ
Vimの人はhjklでのキー移動、EmacsはC-BPNFでのキー移動
シェルを使う場合もEmacs風にキー移動できるしショートカットを使うので基本的には使わない
ちなみに知らない人も多いがTwitterもVim風のキーバインドで移動可能
Macの人は例えばメモアプリなんかがEmacs風のキーバインドで移動可能
Windowsを使う場合もアプリなんかでキーバインドを入れ替えて矢印キーを使わないようにする
こんな感じで矢印キーを使わない人が多いから、矢印キーが無くても問題ないのだ
のではなく
「ハッカーが矢印キーを使わないからHHKBには矢印キーが無い」
ということだ
矢印キーはホームポジションから離れた場所にあるため、使うためには一旦ホームポジションから指を離さなければならない
一度話してまた元に戻るという、このコンマ数秒レベルの遅延が鬱陶しくて仕方が無い
なのでホームポジションに指を置いたままキー移動したい、という考えに至っている
とはいえ、全く矢印キーを使わないかというとそういうわけではなく、そりゃたまには使わざるを得ないし使った方が早い場面もある
なので矢印キーを右下の空いてるスペース(通称、猿が辻)に置いておけばいいし、HHKB Liteだとそこに矢印キーがある
なぜそれでも置かないかというと、そもそもが持ち運び前提のキーボードであって、少しでもキーを減らしたい、という哲学があるからだ
はっきり言ってしまって持ち運ばないならRealforceを使えば良く、HHKBを利用する利点は持ち運び前提であるという一点だけと言っても過言では無い
これの大きな理由は、昔はサーバルームでの作業のようにキーボードを繋いで利用するような使い方が前提であった、というのもあるがそもそもの哲学によるところが大きい
アメリカ西部のカウボーイたちは、馬が死ぬと馬はそこに残していくが、どんなに砂漠を歩こうとも、鞍は自分で担いで往く。馬は消耗品であり、鞍は自分の体に馴染んだインタフェースだからだ。
和田先生のこの談話に代表されるように、キーボードは人間がコンピュータと関わるうえで重要なインタフェースであるという設計哲学がある
なのでキーボードはコンピュータに備え付けられているものではなく、持ち運んで自分の好みのものを使う、ということを推奨している
そのためにもキーボードは使いやすさや打鍵感だけでなく持ち運びやすさを重要視してバランスの取れた設計を目指している
その結果、矢印キーを排除するデメリットよりも、排除することで得られる持ち運びやすさのメリットの方が大きいと判断したのだ
左右の猿が辻があるお陰で持ち運びしやすいというのも使ったことがある人なら分かるポイントだと思う
この辺りは賛否あると思うが、馬の鞍であるという哲学に基づけば、PC毎にHHKBを用意したり、自宅と会社で2つ置いている、などは使い方として間違えている
全く同じキーボードであっても、物理的なモノが違えば慣れ親しんだものではなくなってしまうだろう
キーボードを生涯のインタフェースとするなら1つのHHKBを持ち運び使うということを体現して欲しい
ただ最近はBluetooth接続が増えたことや、HHKB BTの出来が良くないことなどもあるため、複数持っている人も多いとは思う
ちなみに、BTモデルには充電池が内蔵されておらず電池駆動なのも生涯使うことを考えているのだろうと思う
これはHHKBに限らない余談になるが、キーボードの裏面にある足は基本的に出さない
手首に角度を付けるよりも水平の方が使いやすいのは人体の自然な原理だ
なぜあの足が付いているか、というと実は「キートップを見やすくするため」だ
なのでHHKBの無刻印モデルに足が付いている理由は全く理解できないし、HHKBを使うような人がキートップを確認するとは思えないのでそもそもいらない
とはいえ、昔から足を出して手首に角度を付けてタイピングすることに慣れてしまっている人もそれなりにいるだろうから
自分の好みで出したり引っ込めたりすればいいとは思う
ゴールデンカムイ作者の「単行本でめちゃくちゃ加筆する」宣言について「本誌派には未完成品を読ませるつもりか」って言われてるようだけど、
そして、それに対して「何が問題なの?」「単行本で加筆があるのは当たり前」って反論されてるようだけど、
反論している人はたぶんゴールデンカムイの単行本21巻が発売された当時(2020年3月)やその前後のいきさつを知らないのだろうと思う。
というわけで、当時~その後に何があったのかということを自分が知っている限りで説明してみようと思う。
自分一人の説明では足りないかもしれないので、補足がある人は遠慮なく補足してほしい。
「ゴールデンカムイ」全話無料公開&原作者・野田サトルの直筆メッセージも
https://news.livedoor.com/article/detail/21961052/?_clicked=social_reaction
ゴールデンカムイがあと3話で完結、しかも最終話が更新される日まで全話無料公開という企画が発表された。
で、作者が発表した直筆コメントの「単行本でめちゃくちゃ加筆する予定」という文言が物議を醸している。
今までのゴールデンカムイのあれやこれやを知っている人からすれば「またか…」「相変わらず本誌派を馬鹿にしやがって」となり、
最近ゴールデンカムイにハマった人からすれば「単行本で本誌の内容に加筆されるのはよくあることだし、何が悪いの?」
「単行本で加筆されたからって本誌版が未完成ってことはないでしょ」となり、両者の間には温度差がある。
確かに、雑誌連載されている漫画が単行本化する時に作者が作画や台詞などを加筆修正することはよくある。
特に週刊連載なら、本誌掲載時にはどうしても粗くなってしまった絵や多少のミスを修正したりするのはある程度仕方ないと思う。
だが、ゴールデンカムイの加筆修正はそんなレベルではないのである。これから説明しよう。
ゴールデンカムイの単行本での加筆修正で一番騒動が巻き起こったのは、おそらく単行本21巻だと思う。
ヤンジャンアプリのコメント欄やツイッターが大荒れし、離脱する読者も相次いだ。
具体的にどこが大きく変わったのかというと、21巻の最後に収録されている211話「怒りのシライシ」だ。
樺太から北海道へ帰ってきたヒロインのアシリパが物語のラスボス的存在・鶴見中尉と初めて正式に対面する重要な話だが、
この話の7~15ページ目の範囲はほぼ全て単行本での加筆修正部分である。
つまり、
・鶴見が暗号解読に必要なキーワードを吐かせるために地下にアシリパを幽閉する計画を語るシーン
なぜ作者がこれほど大幅な修正をしたかというと、上記のシーンがなかった本誌掲載時には、
鶴見と会う前のアシリパが「(鶴見が)どんな男かはひと目見ればわかる」と話す
→鶴見の顔を一目見たアシリパが、一瞬の隙を突いて突然空に矢を放って逃げ出す
という流れになっており、「せっかくヒロインと鶴見中尉が対面したのに会話なし?」「『ひと目見ればわかる』って何がわかったのか?」
それにしても、これほど重要なシーンを単行本で加筆したのはやりすぎだったのではないだろうか。
いくらラスボス的存在のキャラとは言え鶴見にほぼ一方的に悪を押し付け、ヒロインのアシリパは悪くないことを強調するような加筆にはだいぶ否定的な意見も多かった。
そもそも、ある漫画のファンが本誌を買う一番の理由は単行本派よりもいち早く先の展開を知りたいからだろう。
つまり、それだけその漫画を楽しみにしているコアなファンということだ。本誌を読んでそれを元に考察記事を書く人も少なくない。
だが単行本でこれほどの加筆が行なわれてしまうと、せっかく本誌を読んで単行本派より早く先のストーリーを知ったとしても無意味になってしまう。
考察記事を書いていた人は、書き直さざるを得なくなる。本誌を買うメリットがあまりなくなってしまうわけだ。
(ゴールデンカムイに考察記事が少ないと嘆いている人も見かけたが、単行本での大幅な加筆修正があることも考察勢が減っていってしまった大きな原因の一つだと思う。)
しかも、上記のことがあったときのゴールデンカムイは当然無料公開中ではなかった。
本誌派の読者は本誌と単行本、それぞれにお金を払って違う展開を読んだことになる。
その後の単行本でも21巻レベルでこそなかったものの、やはり本誌で批判された部分を単行本で加筆修正する・
あるいは批判があったわけでもないのになぜか加筆修正するという行為は繰り返され、そのたびに読者の間で論争が起きた。
21巻以降、もともとエグみのあるネタが多かったこれまでと比べても人を選ぶギャグやエピソードが増え、やはり賛否両論が沸き起こった。
具体的には、
(多くの人のトラウマになった話。これまでの動物を食べるシーンと違い、数日を一緒に過ごしたシマエナガを食べようとする際の杉元の表情が恐ろしい)
(様々な殺人犯が登場してきたが、子供ばかりを狙う殺人犯はいなかったため拒否反応を示す人も多かった。
ちなみに本誌では25巻に出てきた少年の飼い犬・タローが惨殺され、上エ地が少年の首を絞めようとするシーンももっと長かったが、
本誌の時点で残虐すぎると批判が殺到したためか単行本ではカットされた)
・精〇探偵
(他の人も言っているが、さすがに液体描写はやりすぎだったのではないか。
下品すぎると言って脱落した人や、本気でショックを受けていた宇佐美ファンも多かった)
(これまでもモブキャラの死体を使ったギャグはあったが、登場してからある程度時間が経ち、ファンも付いていた房太郎の死体が車から飛び出すギャグには賛否あった。
房太郎の死の直後、白石が「大阪房太郎(正しくは大沢房太郎)」と名前を間違えるギャグにも不謹慎だと非難の声が上がった。このギャグは単行本で削除された)
などだ。
「作者が自分の漫画で何を描こうと自由じゃないか」という反論もあるだろう。
でも、読者は何も単なるわがままで上記のような描写を批判したのではないと思う。
ゴールデンカムイは(作者がそれを望もうが望まなかろうが)今やアイヌ文化を扱った代表的な漫画としてメディアで取り上げられている作品だ。
せっかくアイヌ文化に興味を持って漫画を読んだ人がエグすぎるネタを拒絶して読むのをやめてしまったら元も子もない。
ただでさえ姉畑やラッコ鍋などの時点で受け付けなかった人もいたのだから、それ以上に過激なネタは控えるべきだったのではないだろうか。
「こんなヤバい漫画を展示した大英博物館や、観光客誘致に使っている北海道、心広すぎw」
作者と編集部は、アイヌ文化を描いている漫画で悪趣味なネタに走ったことを真剣に恥ずかしいと思った方がいい。
・14巻では七人のアイヌ殺しの謎を知るウイルクが、19巻ではキロランケが死んでしまい、「本当に謎は解けるのか?」と不信感を持った読者が多かった。
結局27巻で鶴見の口から過去の真相が明かされたが、この間に離れてしまった読者もいた
・暗号解読に刺青が24枚必要という設定だったはずが、いつの間にか24枚全部なくても解けるとキャラほぼ全員が知っていたということになる(読者に全く説明はなし)
・物語の当初からキャラたちが求め続けていた黄金がようやく見つかったが、黄金の半分が北海道の土地の権利書の購入に使われてしまっており、読者の感慨も半減してしまった
・謎多きキャラ・尾形が金塊争奪戦に参加している目的は初期から伏せられたままだったが、304話にしてやっと明かされた目的は政治的なものではなく、個人的な動機に過ぎなかった
・鶴見が黄金を求める本当の理由が最新話(現時点で312話)になっても曖昧なままになっている。また、部下の月島を騙した事件の詳しい真相も不明なまま
などが挙げられる。
21巻以降こういう重要な謎がなかなか解決されないまま、いまいち意味があるとも思えない回想シーン
(例えば25巻の「上等兵たち」や28巻の杉元の過去など)をやっていたので、ストーリーが停滞してしまったと思う。
数年単位で漫画を追っていた身としてはキャラたちの変化も気になる。
良い方への変化なら成長と受け取れるが、どうもキャラが悪い方へばかり向かっている気がする。
・主人公の杉元は戦闘能力が高いだけではなく、初期にはとっさの機転で危機を回避したりとクレバーな面も目立ったが、最近ではほぼ戦闘力(というか暴力)一辺倒のキャラになった。
28巻の回想で士官候補生たちに急に喧嘩を売ったり勇作をビンタしたりするシーンがあったが、初期の杉元はここまで野蛮ではなかった
・以前のアシリパは自分の父が姉畑を脱獄させたのかもしれないと気にしたり、偽アイヌ村でたくさんの敵を殺した杉元のことを地獄に落ちるのではないかと心配したりしていたが、
今では父親のしたことや杉元の殺人について気にする描写がなくなった
・白石は戦闘力こそないものの脱獄(脱出・侵入)の腕前はピカイチという設定だったが、サッポロビール工場編、五稜郭編、蒸気機関車編のいずれでもその腕前を生かせていない
・尾形は冷徹で皮肉屋なスナイパーだったが、だんだんと生い立ちの問題が強調されはじめ、最後には精神錯乱状態に陥って自死という悲惨な結果を迎えた
・月島は鶴見の忠実な側近として登場したが、徐々に鶴見への不信感を抱えたキャラという設定になり、最終章に入っても鶴見について行くのかどうかはっきりしないキャラになった
・鶴見や土方は以前はもっと大物めいたキャラだったが、北海道を日本から独立させて新しい国家を作るという壮大な目的に達する気配が少しもないまま、
土方は死亡・鶴見も杉元に倒されるのでは?という展開になっている
他にもあるが、ざっとこんなところだろうか。
ゴールデンカムイはキャラクター人気も非常に高い作品だ。このようなキャラの変化について行けず、読むのをやめてしまったという人を何人も見かけた。
無料公開で一気読みした人にとっては、上に挙げたようなことはどれも些細なことかもしれない。
だが何年も作品を追いかけ、キャラを応援してきた人にとっては違うのだ。
「キャラのファンがキャラに夢を見すぎただけ」という意見もある。確かにそういう面もないわけではないと思う。
でも、ゴールデンカムイのキャラグッズを購入していた層はそんな「キャラに夢を見ていた」タイプのファンだったのではないだろうか。
ストーリーを壊さない程度に、ファンが最後まで応援したくなるようなキャラを描き切ることはできなかったのか。
特にそのキャラのファンというわけではなくても、どんどん魅力だった面を失いかっこ悪くなっていくキャラたちを見ているのは忍びなかった。
作者が自分で考えたキャラの魅力を把握していないかのような様子には理解に苦しむ。
とまあ、思いのほか長くなったが大体このようなことがあって数年来の読者は少しずつ去っていった。
そして、単行本での大幅な加筆修正や癖のあるギャグにも肯定的なファンばかりが目立つようになり、
あまつさえ作品に対するネガティブな感想を排除するような攻撃的な読者が増えていった。
「人が去ったと言ってもそんなに多くないんじゃないの? ネットではこんなに人気だし…」
「読むのをやめた人がいても、無料公開でそれ以上に新規の読者も入ったんじゃない?」と思う人もいるかもしれない。
でも事実、ここ数巻のゴールデンカムイの初動売り上げは下がり続けているのだ。
匿名掲示板・5ちゃんねるに「コミックランキング売り上げ議論スレ」というスレッドがある。
オリコンチャートの漫画単行本売り上げランキングに載っている売り上げ部数(電子書籍は除く)を元に、
その単行本が発売後およそ1ヶ月程度でどれほど売れたか(=初動売り上げ)をまとめているスレッドだ。
もちろん発売日から日にちが経ってもその漫画を買う人はいるし、電子書籍で買う人もいる。
でも、「紙の単行本を発売日後すぐに買う」人の数はその漫画にどのくらい根強いファンが付いているかというある程度の目安になる。
ゴールデンカムイがアニメ化した後の15巻から追える範囲で初動売り上げの推移を見ていくと、
(一番右端の矢印は、前巻から売り上げが上がったか下がったかを表す)
15巻 29万 1580部 ‐
16巻 32万 3995部 ↑
17巻 26万 7279部 ↓
18巻 29万 5117部 ↑
19巻 26万 2729部 ↓
20巻 25万 4168部 ↓
21巻 23万 9891部 ↓
22巻 22万 5296部 ↓
23巻 21万 9403部 ↓
25巻 22万 3234部 ↑
26巻 20万 8601部 ↓
(全話無料公開後)
27巻 20万 5874部 ↓
19巻以降しばらく初動売り上げ部数が下がり続け、3期放送後の25巻で少し上がったが、26巻からはまた下がっている。
注目すべきは、去年の全話無料公開後に発売された27巻は初動売り上げが上がる…かと思いきや下がったことだ。
電子書籍で買った人が多かったともとれるが、それにしても単行本の売り上げが下がるという事態は普通なら考えにくい。
「無料で読んだ結果それで満足してしまい(または思ったよりもつまらないと感じ)、単行本を買うまでもないと判断した人が多かったのでは?」
「何度も無料公開を繰り返したことで、お金を払って読んできたファンとしては馬鹿らしくなって愛想を尽かしてしまったのでは?」
そう思ってしまう。
ゴールデンカムイの累計発行部数は、28巻までが発売されている現在で1800万部だそうだ。
「そんなものなの? もっと売れてると思ってた」という声を見かけたが、確かにネット上でかなり話題になっている割には発行部数が少ないと感じる。
このくらい話題になっていれば、本来なら発行部数が3000万~5000万部くらいは突破していてもおかしくなさそうである。
これまでの経緯を見るに、作者や編集部は初期からの読者の意見を蔑ろにして、単行本での大幅な加筆修正があることを売りにし、
人を選ぶギャグを増やし、謎解きや伏線回収を疎かにし、多くのファンが付いているキャラたちの整合性をとることにも気を遣わなかった。
それで以前からの読者が離れると、そのたびに無料公開をおこなって新規の読者獲得に躍起になってきた。
売り上げを伸ばしたいなら無料公開よりも、以前からの読者の意見や漫画のストーリーとキャラクター、
そして何よりアイヌや北海道という作品のテーマをもっと大事にした方がよほど良かったと思う。
今回の無料公開で公式は「狂った犬の様に伴走(はし)れっ!」というキャッチコピーを使っている。
ゴールデンカムイが本当にアイヌの人々に寄り添っているなら、このキャッチコピーを選ぶことはなかっただろう。
一年ほど前、日本テレビの番組「スッキリ」でアイヌと犬をかけたギャグが炎上した時、ゴールデンカムイ公式は特に抗議の声を上げなかった。
アイヌ文化を漫画のネタとして都合よく消費はしたいが、厄介ごとには首を突っ込みたくない。ざっくり言うとそういうことではないのか、と疑ってしまう。
https://www.asahi.com/articles/ASP8V575NP8VUCVL00C.html?iref=pc_extlink
今回の全話無料公開を受けて、「すごい大盤振る舞い!」と喜んでいる人をたくさん見かけるが、一方でこう思っている人もいると思う。
「少し前にも全話無料公開したばかりなのに、大丈夫なの? 何かウラがあるのでは?」
あなたの勘は正しい。
恐らくは減った分の読者を少しでも取り戻そうとして、または最終回に向けて何となく盛り上がってる感を出したくて、
今回の全話無料公開を打ち出したのだろうと個人的には推測している。
最終回の後には「ゴールデンカムイ展」が開催されるが、そこに1話が本誌に掲載された時からの読者は果たして何人くらいやって来るのだろうか。
かく言う私も最初のアニメ化後にゴールデンカムイを読み始めた勢で、今の読者の中では古参にあたるのかもしれないが最古参ではない。
概ね樺太編(21巻くらい)までは、多少の疑問がありつつも楽しんでいた。
でもその後の展開は上記に書いたような疑問続きで、どんどん読むのが苦痛になっていき、実際に何度か読むのをやめてしまった。
それでも結局戻ってきたのは、せめて結末がどうなるのかだけでも知りたかったからだ。
(かつての面白さが戻ることはないだろうし、失望するだけだとはわかっているのだが。)
それほど、以前のゴールデンカムイはストーリーにもキャラにも魅力があった。
ともあれ、ここまで来たからには残りの2話も読むつもりだ。
あれほど素晴らしかった作品がなぜこんなことになってしまったのか、本当に残念でならない。
何か事情があるのなら切実に知りたいと思っている。
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/utoro-arson-hatecrime
では、どこで情報を入手していたのか。尋ねると、「ヤフーニュースのコメント欄です」と語った。
「無料でニュースを読めるヤフーをみていることが多いので、コメント欄も目に入りやすかった。投稿には反応も多いし、コメントに対する賛否の評価もみられるので、ある意味、偏りのない日本人の反応を知ることができる場だと思っていました」
「主観ではない客観的な正しい情報を知るために、こうした評価のあるものは大いに参考になるのです」
さらに被告は取材に、「左派」の報道機関は「朝鮮半島側に偏った報道」を続けていると口にし、「ヤフコメ」こそが「客観的」だと強調した。」
読めば読むほどヤバいなこれ
「再エネの主電源化」: 太陽光、洋上及び陸上風力の変動性再エネ(以下VRE)を主力電源にすることで、電力分野においての低炭素化の達成。バックアップ電源としての化石エネルギーの利用は排除しない(調整力の問題から100%脱炭素は不可能のため、後で理由は説明する)
「小売自由化」:全ての消費者は、参入障壁の低い電力市場に参加した小売業者から自由に選択して電気を購入する。競争原理により消費者は低価格な電力を選択、もしくは証書つき電力を購入することにより非化石価値などの付加価値も購入できる。市場への入札は基本的に電力の限界費用で行われる(現行ルール)。これは達成済み。
「安定供給」:化石燃料市場の動向および天候や気温の条件に関わらず、発電サイドの問題(燃料制約、電源不足や天候不順など)での停電は起こさない(注意:配送電に起因する停電は災害などの理由から0にはできないので、ここの定義には含まない)
大手電力:自前の大規模電源を有する電力会社(JERA、関西電力などといった旧一般電気事業者、ENEOS、東京ガスなども含む)
新電力:大部分を市場で電力を購入して消費者に供給する小売事業者
「再エネの主電源化」「小売自由化」というものを両立する場合、少なくともこの先10年ー50年の短中期においては「安定供給」を日本においては完全に達成するのは不可能であるということ。
理由を説明していく。ただし「再エネの主電源化」を達成しない選択肢は国際的かつ政治的に今後取り得ないので、「安定供給」と「小売自由化」をどの程度のバランスで守るかということを考える材料を提供したいと考えている。まずは今の方向性を維持する場合を考える。
- VREはインバータ電源(直流→交流への変換を伴う)のため電力系統に大規模に導入すると電力系統が慣性力を失い、火力、水力、原子力などの同期発電機脱落時の大規模停電のリスクを高めるため、蓄電設備がない場合は出力抑制が必要
- 付言するが、蓄電池+VREも近年では価格競争力を持ち始めている(ただしあえて蓄電池のコストを負担しようとする者はいないだろう)。また2022年からFIP制度というのが始まり、再エネを市場価格+プレミアムで買い取る制度ができる(インバランスにはペナルティも課される)。この場合では再エネが発電できない、電力価格の高い時間帯に売電するインセンティブを生むため、アグリゲータやFIP対象の発電事業者が蓄電池コストを負担するモチベーションにつながる。一方で資源価格が上がっている現状で蓄電池の資本費を回収できるかは不透明
- この二つは国を超えたレベルの広域な電力系統が存在しない日本で特に顕在化する。
- ネガワット、DRは何れも短期間の電力の過不足への対応技術のためいずれも一日から1ヶ月の長期間のVREの変動には対応できない
- あくまで安定供給に向けた金銭的なインセンティブでしかなく、100%の保障を行えるメカニズムにはならない
- ただし、出力抑制が起こるような先週の土日の東北電力、四国電力管内の例には電力を活用する観点から重要
- VREが安い時間帯に水素を作ってkwが不足する場合の火力発電の燃料とするという発想
- 電気分解で90%、コンバインドサイクルを利用する場合でも高位発熱量基準で熱効率40%程度が限界なので全体として見た時に結果として3割ー4割程度のエネルギーしか利用できないため、ファイナンスの面から達成が難しい
- 発電に利用するならCCS付き水素を利用する方が現実的だが、将来的なタクソノミーを考えると採掘に関係する資産が座礁資産になる可能性が高いという筆者の予想
- 加えて重要なのが、火力発電の燃料、特にLNGは大手電力にとって長期契約するインセンティブが失われるため(長期による電力需要を見通せず、余った場合にはLNG転売損を招く)スポット調達がメインになるが、スポットは割高のため、VREが使えない時間帯のさらなる電力価格高騰の常態化を招く
- スポットは常に入手できるとは限らず、加えて無駄な国富流出の要因になり、経済安全保障の観点から政府も手を打つべき問題
- 結局VREの統合コストが2030年でも原子力に比べて割高なのはこれらの理由による
- 2024年度より容量市場が設置され、電源(kW)を取引できるようになった(すでに取引は開始されている)が、様々な理由から現在の市場価格では既存設備は維持するのは可能(難しいものも多いが)だが新設するには安い値段に落ち着いてしまっている。結果的に現在の市場設計では中長期的な将来の容量を担保できない。
- 既に2024年の九州電力管内の落札結果は供給信頼度が低く、管内の電源容量不足を示唆している。
- 発電設備の資本費を市場に負担させるシステムが必要ではあるが、新電力側からすればメリットが皆無なので難航するのは目に見えている
- 容量市場についても経過措置で取引価格が下がる仕組みになったことからほぼ期待できない
- 現状では再エネの主電源化は遠い目標なので脱炭素および電力価格の安定を目指すなら活用せざるを得ない
- 電力の完全脱炭素化を達成するには将来的にはSMRなどの調整力を備えた原子力発電所が必要不可欠だが...
- 利点
- 同期発電機であり大規模電源でもあるため電源として単純に優れている
- 限界費用は再エネと同様0、福島での事故を加味してもまだ既存原発の再稼働コストは安い
- 燃料費は発電コストの15%程度、かつそのうち加工コストが半分程度なのでウラン価格が費用に占める割合が低く、経済安全保障に資する
- 欠点
- 既存の原発に調整力を担わせるのは経済的理由から難しい(技術的には可能だが...)
- 事故が起こった時の恐怖感から賛否が分かれ、利用のための政治コストが高い上に政治家はそれを払おうとしないので期待できない
- 安全対策及び特重施設設置の問題から東日本大震災から止まっている原発については迅速な再稼働は期待できない
1. 価格面で起こること
現状の市場システムでは燃料調達のスポット市場への依存を促す仕組みになっており、資源価格の上昇がより厳しい形で市場に跳ね返る。そしてそれは最終的に一般の消費者が負担させられる構図が出来上がっている。特にエネルギー価格は逆進性があるため、低所得者への支援は必要不可欠。
2. 脱炭素面で起こること
VREの導入はこれからも進んでいくだろうが、主力電源化を進めるためにはVREの変動をカバーできるシステムが必要。蓄電池は有力な候補だが、主力電源化に必要なレベルの蓄電池導入のコストを誰が負担するのか決まっていないため、不透明と言わざるを得ない。このままでは長期的な変動はともかくとして、短期的な天候の変化にも対応できず、春や夏でも晴れた日には出力抑制が常態化するのに夜間や荒天の日には火力発電所がフル稼働する日常が迫っており、電力の脱炭素化は遥か遠い目標となる。
3. 安定供給面で起こること
中長期的なバックアップ電源を保障するシステムが今の日本には存在しない。現状が進行すると3/22のような需給逼迫警報が特に冬の時期に日常化しうる危険性がある。小売事業者に適切に発電設備の資本費を負担させる仕組みおよび長期的な発電事業者の収入を保証する仕組みが必要。安定供給は破綻に近づいている。
と、ここまで書いてきたが結局再エネの主電源化を妨げているのは制度設計のまずさとしか言いようがない。FITは再エネ導入に大きな役割を果たしたが、野放図な開発を招き、加えて電力系統の不安定さを招いた。パネル設置者が固定価格で買い取ってもらえる一方でそれによって増大した再エネ賦課金と安定供給維持のコストは広く国民が負担するハメになるのでまさに外部不経済としか言いようがない。理念が間違っているわけではないのだが、安定供給と再エネの柔軟性確保に誰が責任を持つのかはっきりすべきだった。つまりこれらは政治の責任であり、政治コストを払わなかった政治家の責任である。最も現実的選択肢としての(特重施設設置期限の延長による)原発再稼働も政治コストの高さから誰もやろうとしない。票にならないことを政治家がやりたがらないのはわかるが政治家の失策のコストを国民が払い続ける現状はおかしい。参院選の後からでも日本の電力の未来に責任あるビジョンを示す政治家が現れることを期待したい。