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はてなキーワード: 倫理的とは

2019-04-25

ブサイクいじり

10年ぐらい前の芸能界だとブサイクいじりってやつが全然普通に行われていたけど、ここ何年かでそういうのをだんだん見かけなくなっていって最近全然見なくなった。

例えばバラエティ番組なんかだと芸人ブサイクぶりはいじって当たり前みたいな風潮だったのが、いつの間にやらそういうの倫理的ダメだよねみたいな風潮になっていた。

かつてブサイクであることを売りにしていた人たちもいまは全然そんなことしてないし、ブサイクいじりをしていた側もそんなことやったらダメだよねみたいな顔をしている。

ブサイクバカにして当たり前。ブサイク人権はない。そんな時代がようやく終わりつつあるのかもしれない。

ようやくこういう時代が来てくれたんだなあという安心感がある一方で、少し複雑な心境でもある。

子供の頃にさんざんブサイクいじりをされてきた自分からすると、小学校に上がる前に今みたいな風潮が出来上がっててほしかったなと思う。

そうすれば自分自分の見た目を不必要なほど卑下して、どうしようもない劣等感に苛まれることもなかったのかもしれない。

どうしようもない後悔だけど、これからの子供たちにはそういうのと無縁に育ってほしい。

2019-04-23

[]4月23日

○朝食:なし

○昼食:おにぎり

○夕食:マクド

調子

むきゅー。

仕事が忙しかった。

久々に残業もさせられた、辛い。

昨日も書いたけど、体の調子が良くない。

寒気がするし、関節が痛い。

ただ、熱はないから、風邪ではなさそう?

なんにしろしんどい

コマスター

アルセウス目指してマンスリーポイント貯め、今日まで450Pt貯めた。(あと550pt)

ふうせんとゴツメがないと、デッキの幅が狭まるなあ……

期間限定アイテムなので、次の開催の時までにはちゃんイベント参加しよう。

プレイヤーパスを買うのを忘れないように。

○アイなんとかマスターシンデレなんとかガールズなんとかライトなんとか

コミュを全て解放した。

百合百合じゃないかってのは、よく彼女を語る際に話題になるのだけど

僕としては、彼女百合百合じゃないかはともかくとして、お山登り恋人とした方が倫理的に良いと思う派なので

今回のシナリオ彼女が、自身がそういった特定パートナーを探すことに何かしらの抑圧を感じているのではないかなあ? とか考えてしまった。

アイドル増田ーを書くと、特定匿名掲示板URLが貼られ、その反応を特定ブログにまとめられ、特定ブログは、はてな距離が近いから睨まれたらどうしよう? と不安だったので、ずいぶん長いこと彼女二次創作というか小話というかを書いていなかったけど

今回のこのコミュを読んで、また書きたくなった。

タイトルは「一回の放送で二千万円稼ぐ女」で。(ラブエールのあのエピソードは円ではないよ)

2019-04-15

anond:20190413114026

 私は現役東大生だが、

 「現役東大生だが、上野千鶴子祝辞ゴミだと思う」(https://anond.hatelabo.jp/20190413114026)に反論を試みたいと思う。

 ここには上野氏の祝辞https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html)がほとんど引用されていないので、論旨が追いづらいかも知れないが、読んでくださる諸氏にはご容赦願いたい。

 以下、引用中略は[……]、上野から引用は「」、上記はてなから引用は四角い枠と “ ” 、私自身の強調は[]で示した。



ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?

 この後に述べられている通り、「医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、何らかの説明が要る」。そして平均としては確かに1程度である女子医学部にだけ特別に入りにくい)ので、他の大学より遥かにマシだとはいえ、このデータには読み解くべき何かがあることになる。


↑ここまでの話をまとめると、私立医学部ではどうやら不正入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大医学部問題[……]で、東大入学式祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?

 東大は(権利問題として)特権的学府ではなく、他の最高学府と並列の、ただの[大学]だ(事実問題は置いておいて)。だから、他の大学の話は、東京大学という固有名において確かにそれだけ関係が薄いし、しか大学であるという点において強く関係している。他の大学との交渉も避けられない状況、そして例の不正が、入学試験という、どの[大学]にもある制度於いて発生した不正である、ということに鑑みると、やはり他大入試不正無関係であるとは言えないだろう。


↑ここ統計データを示せよ。なんで女子差別されてる話は具体的な数字しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字さないんだよ。

 これは、追記

https://anond.hatelabo.jp/20190414151912

により推察されているとおりだと思う。


↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。

 女子学生偏差値のほうが上だというのは、東京大学受験者を母集団とした時の偏差値のことで、偏差値正規分布性差はないというのは、母集団を全体とした時の話である。そのくらい、現役東大生なら読み取りましょう。


↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。

 大学進学率の男女差の原因分析は、統計一本では不可能だ。たしかに、その差が統計的に有意かどうか示されていないのは穴かも知れない。原因が性差別によるものだということも、根拠は示されていないのもそのとおりだ。だが、それは先にも指摘したように統計のみによる分析ではない。他の統計フィールドワーク社会学的な先行研究などを踏まえて、より厳密な研究において慎重に示されたものだろう。それが省略されたものだと読むのが適切だろうと思う。

 まあ、なにか根拠を示して欲しいとは思うが、そこは論文を読めということを世論誘導しているのだろう()


↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。

 そう……彼女はここに於いてことごとく結論を省いているのだ。それを私が補うこともできようが、それは実に恥ずかしいのでしない。とにかく、その空隙はみな、彼女の策略だと読むことができる。……できる、というのが曲者であり重要で、テクスト読解における著者の意味論的意図をどう扱うかという問題に繋がるのだが、とりあえずここでは、そのように[読める]ということはそのような解釈を受け入れて良いと言うことでもあると述べておこう。


↑てか普通に考えたら 第一女子安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ

 ここは正直、言っていることがよくわからない。第一及び第三を原因として第ニは導き出される、ということを言いたいのだろうか?それを指摘すれば丁寧だったかも知れないが、特に指摘する必要はない。

 ここで示されているのは、①女子安全志向(ゆえ男子と比べ偏差値的の高い人が東大受験する)、②女性比率が二割以下であり、偏差値の高低に性差はないため、男子と比べ(略)、③女子男子より四年生大学進学率が低く、大学受験自体への逆風がある、ということだ。追記にある、③への疑問はもっともで検証必要かも知れないが、大学進学をdiscourageする気風がある中で尚、東大進学を果たす人の集団がそうでない人の集団に比べ優秀であると推測するのはそう不自然なことではない。

 東大の「1.03」という数字不正の影を見るかどうかはわからないが、少なくとも医学部女性を入れにくくする何か(不正に限らず)が働いている、と疑いを抱く読み解きはおかしものではないだろう。


↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。

 確かに論理的にはそこからそれは導き出せないが、これは論理的な筋を追う文章ではなく、レトリックとして、別の事例に於いてしかし同様の自体が起こっていることに結びつけ、全体の帰結を引き出している、ある種の帰納的な修辞だ。繰り返すように、これは論文ではなく演説である


↑どうやって?

 差別に満ち溢れた社会の中頑張って勉強してきて。


↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?


 確かに画一化。まあしかし東大男子が全体の傾向として異性にアトラクティヴなものとして映るというのは間違いではないように思う。


↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?


 男子大学生は東大生であることに誇りを持っていることは傾向として否定できないと思いますけどね。

 統計的傾向は個人説明し切ることが出来ないが、かと言ってそれ自体否定できるものではない。

 そもそもここでの画一化は突然ではない。初めから、男女という、大きな別々の傾向性を持つ、二つの、緩やかな集団の話をしている。



〜同様のため中略。極めて不毛。〜



↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ[……]が正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。

 [どのように]見られているか明確に言わない、というのはやはり演説的(というか普通意味で)レトリックであろう。文学於いて、全てゴテゴテ説明したら品がないし衝撃を薄めてしまうのと同じかと思われる。

 高学歴男性批判なのだから、『彼女頭が悪いから』における見方一定価値を置いていることは明白であるし、“性への圧”をかけていることを批判しているのだから、その抑圧的な側の“性への圧”になるのは当然だ。“圧”をかけねば批判できないのだから


男子サークルって書き方からして完全に男子悪者にしてるけど他大学女子競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能だってあるだろ。性差別か?お?

 そのような事例は、全体の傾向からして少数派である判断たからだろうという反論と、他大女子がそのような行動をしているというのならば、やはり女子勉強が出来ると魅力が減るという偏見存在証明することになるという反論の二つが想定できる。


↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?

 原因ではなく、東大於いて性差別が存在していることを、別の形での表出を例示することで補足的に示している。

 “時代性が交絡するようなデータ”というのが何を指しているのかよくわからないが(学部などの学内女性比率データと、学部長などに女性が極めて少ない上東大総長に女性がいないことを示すデータ、という2つがあることか、それぞれのデータが何年度の調査であるのか示されていないということなのではないかと思う)、両者は比較されていないので、双方共に有効データであれば問題なし。


↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。

 これも文意がうまく取れなかった。

 上野氏の話の内容が“祝辞で喋る”のにふさわしいかどうか、というのであれば、個人スタンスによると思うので割愛。私の意見結論だけ言えば、全く問題ないと思う。……少しは気の毒と思うけれど。素朴な親御さんにとっては。


↑これ普通に気になるな

 気になりますよね。


↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれ環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。

 闘ってきた、ということは事実記述。恵まれ環境がそれを支えてきたかどうかとは別の問題。もちろん、その闘争も、努力のみならず、阻害しない環境が最低限整っていたというのは間違いないと思う。


↑冒頭で不正がある話したの私立医学部だけだろ。

 不正入試だけではなく、大学における女性差別という[がんばってもそれが公正に報われない社会]がある、という話。


↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?

 傾向は個人説明しない。

 加えて、それでも、努力が[東大合格]という結果に対しての最低限、報われる環境という必要条件を満たしていたことは、観測選択効果により論理的に明らかである


↑これはまあそういう意見もあるよね。

 そうですね。


↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?

 学問の話だけではない。普段生き方価値観の話だろう。

 第一ブラックホール観測は、恵まれない人々を貶めない。むしろ間接的にではあれ勇気を与えることもあろう(嫉妬深いポスドクを苦しめるかも知れないが……)。

 この言葉は決して、能力の使途範囲積極的規定しようとするものではない。「弱者」を貶めるために使うな、と言っているのだ。そうしなければ、差し当たり何に使っても構わない。「弱者」を助けるため[だけ]に使えなどとは言っていない。

 そして、ここは確かに難しいところだが、社会的「強者である東大生が持つ、大きなリソースが「弱者」に分配されれば、社会状況は良い方向へと一歩進むだろう。そのためにも、その力を「弱者」のために使ってほしいと、[お願い]しているのだ。命令でも、べき論でもない。これは[自由意志]に訴えるしかないのだから


結局東大生弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?

 おそらく全ての人は、あるところに於いて強者であるとともに、また別のところでは「弱者である。絶大な権力を持つ政治家社会関係の多くの場面で「強者」だが、病院に行けば脆弱身体医者晒しいるかも知れない。東大女性だって社会通念に於いてはそれが負の属性であるかもしれないが、知性を持つという事実於いて強者」でもある。「弱者」というのはここでは女性という属性のことだけではない。みなが持ち、みなが足蹴にする可能性のあるものだ。


↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?

 [「弱者である]ということは差別を受けるということと等価ではないだろう、当然。分かるよね?

 ……付言するなら、「弱者である自己否定否認して「強者」に成り上がることだけがこの社会に生きる唯一の道だというなら、それは極めて殺伐とした恐ろしい世界だということだ。相対的に見て、ある能力に乏しい存在であるということは、[悪]を意味しない。そもそも能力の優劣自体も、極めて価値論的な事態なのだから


総評として、全称記号任意記号恣意的混同によってデータ自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。

はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点から評価のつもりでも、科学世界を脅かすありふれた権威主義愚か者集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。

 統計根拠を一々述べ立てるアジなんざ、アジとしての役割を果たすわけないのだ。全称命題存在命題とを断りなく混在させているのは事実だが、どれがどちらかというのはきちんと読み解けば理解できるものだし、そこで意味されている内容も至極真っ当なものばかりだ。根拠が常に明示されているということが学問第一条件ではないし(科学方法論に於いて絶対かも知れないが、それでも初めは根拠の見当たらないところから探求はスタートするのである)、目の前に立っている人間がいつも親切に根拠を示してくれると思うなら、それは歩行器に頼り切って自分は歩けると錯覚してしまっている憐れな赤ん坊しかないだろう(そんな自意識的な赤ん坊はいないけれど)。

 それに、学問営為実践と不可分であるような領野などいくらでもある。工学社会実装を常に見据えてあるだろうし、医学看護学臨床心理学などは常に目の前に他人がいて、それにどう働きかけるかという視点がなければ成立しない。クローズドスキルだけでは学問は成り立たない。倫理学者が、平気で己の立てた操に反しているならば、それこそ非倫理的だろう。厳密にいうならば、程度の差こそあれすべての学問日常接続しているはずなのだそもそも、このスピーチ学問的に水準以上の盤石さの上に成り立っているものだと思われるわけだし。

 権威主義を警戒する姿勢は全く健全ものであるが、目先の手触りのザラツキに神経を逆撫でされて走り出してしまうのはいただけない。きちんとテクストを読み解いてから非難に当たるべきだろう。そのようなあり方こそが学問的な……という以前に、真摯姿勢による対応だと思われる。

2019-04-10

anond:20190410005437

テーマに絡めることを諦めて、中途半端エピソードにしておけば「人間が歪めた動物について考え」るかというと、そういうものではありません。

そうでない理由はないでしょう。その可能性に委員会は賭けたんです。アプリノータッチアニメのみのファンなのですが、これが”動物ファースト”の理念だったりするのでは? あるいは実際は制作が高尚な態度を持っていなかったとしても、視聴者にそれを示そうとしたとか。作品のゴールが、売上やエンタメ作劇論でいう面白さ以外にあるとしたら、けもフレ2が失敗だったのかさえまだ判断できないでしょう。

キュルルちゃん人類の罪を贖罪するプロットを書いたつもりはないのですが

すいません。アイデアの語を選んだのが誤解を招きました。「一般的な作劇として...そこに意味を持たせるわけです。キュルルが人類の罪深さを知って、それを贖罪しようとするとか」について言ったつもりです。

俺は、ビーストは死んでないと思います。 → 最終的に死んでるか死んでないかは、別に、どうでもいいんですよ。

俺も生死は問題視していません。けもフレ2作劇の方向性がみてとれる判断材料として取り上げたつもりです。

それでビーストが大暴れするので気持ちいいわけです。 → ビースト側の考えや動機意志が全く見えないので、ビースト感情移入しようがなく、大暴れが気持ちよくもない

そうでしょうか。意思のない怪獣が大暴れするとか… 観念的な代理役がアクションを行う作品はあると思います

初見面白いと思ったからこそ、見返して伏線を捜すわけで、つまらない作品を、わざわざ見直し伏線を捜したりする人は少数派です。

もし制作者がネット考察班を動かしたいのなら「初見でわかる範囲面白い」と感じさせる必要があります

必要がある”とまで言える理由がありますか。俺のようなネット考察班が表立って声を上げにくいのは、養護即悪の空気があるからです。

仮にキュルルが、悲劇トリガーではあっても、本人に無責任・悪意はなく、年相応と理解されるのであれば、そんなキャラクターが海に落ちても、爽快感は生みませんので、それはそれで作劇として失敗です。

海に落とすことで爽快感を引き出したいのなら、キュルルが酷いやつと感じられる必要があります(そして主人公が酷いやつと思われたら、作品への好感度が下がります)。

同意できないです。倫理的責任描写不快さは別の概念です。悪意を持って暴虐を奮ったにもかかわらず、視聴者不快感を与えない描き方はありえるとおもいます図書館来館時の博士の蹴りがその例で、あそこで引っかかる観客はあまりいないでしょう。不快感を与える行動をしたヤツが酷い目に遭うのが気持ちいいわけです。ところでキュルルちゃん評価下落はある程度は、けものフレンズ全体として問題ないのではないでしょうか。売りたいのはサーバルカラカル・ペパプといった動物擬人化キャラクターでしょう。人気アンケートをやったらけもフレ2が生み出したイエイヌは、かばちゃんサーバルと二位を争えるレベルの人気になるのでは。

1,2で共通する「フレンズ軍団セルリアン」シーンである以上、視聴者共通性を捜しま

フレンズ軍団との戦闘とはいえ、前回の戦闘とは作中の時間も離れているし共通するギミックなどもないです。前回を経験たかばんちゃん博士などの振る舞いを見て「おお、前回の教訓を活かして戦っている!」と観るのはあり得るでしょうが演出上の共通性を積極的に探す理由はないでしょう。

けもフレ2では現実的な厳しさを書いたのではないでしょうか。→「伏線的な設定が明らかにならないことで現実的な厳しさを描いた作品」は「伏線処理に失敗した、いいかげんな脚本」と区別がつかないんですよ。

区別がつかないのはそのとおりだと思いますしかしもともとのお話は”悪意”かもしれないが”無能説明がつく”だったでしょう。どちらでもあり得るわけです。「いい加減な脚本ではない」と説得はできませんが、「現実的な厳しさを描いた」で説明可能と申し上げています視聴者の悪意説を推していますが、確かに、退屈だったから説にも説得力を感じました。実態は両方なのかもしれません。

「また会おうね」「約束だよ、かばちゃん」。これは通常のドラマであればどちらかが旅立つときに言うセリフではないでしょうか。でもこの後は両者ともパーク内に留まるわけで、これは作劇的にはおかしいといえるのでは。「遊びに来てね」「行くよ… 絶対」などのほうがふさわしいように思います素人でも秒で思いつき、しかも尺も取らず演出も変わらない。制作無能では説明するのは厳しくないですか。けれども現実世界をみてみると、友達同士で時間距離が一時間とかでも億劫になってしまってずっと疎遠。これは多々あるわけです。パーク内でもパトロール仕事もあるし研究あるしキノコも集めなきゃだし、会えなかもしれない現実がありうる。けもフレ2ではフィクションを離れてパークの現実を描きたかった。

けもフレ2も最初からスギスしていたわけでなく、センちゃんアルマーさんの実態ジャングルメンバーなど、段階を追っての開示になっているとは思います → 段階を追って開示するのではなくて、一番最初から「今回のけもフレ2は、前回と違うぜ、ギスギスだぜ」ってやらないといけないんですよ。途中からスギスしたらかえって混乱します。

ポスター的な告知絵(なんていうんでしたっけ?ああいうの)は楽しそうにしてるサーバルカラカルですが、あれを例えばカラカル腕組みさせるとか… そのような感じでしょうか。でもそれはどれほど効果があるのでしょう。

クライマックス戦闘を、わざわざテンション抑えて緊張感が高まらないようにして退屈に仕上げたら、それは「優しい世界」ではなくて「盛り上がりにかけたつまらない作品」です。意図的ものではなく、制作側の技術リソースが足りなかっただけでしょう。

そうでしょうか。けもフレ1の最終戦リピートする視聴者はそんなに多いと思わないです。そのため前期では戦闘の期間を一話くらいに短く収めた。今期では長くして多くのフレンズ交流を絡めた代わりに、緊張感を抑えたのでは。ホテルでのパンダの振る舞いやペパプへの妄想など、戦闘中にさえ気を抜ける掛け合い漫才が入ってきます

エンタメドラマ的には失敗。そのご意見には納得できました。これはエンタメドラマではなく… ミステリを目指したと考えるのはどうでしょうバラエティ漫才ミステリの間の子です。視聴者タイプを A.漫才で和む B.ドラマを楽しむ C.考察する の3つに分けて考えて、A,C を重視したためにBへのフォローが疎かになってしまったのでは。各話と全体の両方の流れをカバーしているのも難度を上げた原因でしょう。リソースが潤沢にあれば、あるいはすべてのタイプを救う事ができたかもしれません。

辛旨カレーだった店が、看板そのままで甘口カレーを出したら来た客は混乱しますわな。

アニメ料理に例えるのに躊躇はないけど、それぞれで想像しているものが違う。これを面白いと思いました。でも看板にハッキリ”優しい世界”ですと書かれてはいなかった。観客側の受け入れられる間口が狭すぎるのが問題かと申し上げています(その狭さを作った責任が観客にないとしても)。

2019-04-08

anond:20190408001920

キリスト教価値観ではキリスト教徒の侵略天命から倫理的問題がないんだ。彼らはキリスト教の使命を普遍的倫理と名付けて使っているから、普遍的倫理に照らせば問題がなくなるんだよ。

2019-04-07

anond:20190407170010

性的暴力が悪なんであって近親姦自体は悪じゃねぇんじゃねぇのって言いたいだけですよ

倫理的にとかは中世乙だし、遺伝的にどうこうとかだったら避妊なりしてれば問題ないし、遺伝情報に問題があったら存在してはいけないって話なら結局中世乙って話だし

近親婚自体がすべて瑕疵なく成立してるかって言われたらしてないでしょうって感じもするしそこはどうでもいいですね

2019-04-05

anond:20190405151926

どこを読んでそう思ったか知らないけど、自分不特定多数性交渉を持つことが倫理的問題があるとは微塵も感じてないよ。

ただ、妥協の仕方が違うだけでしょ。

anond:20190405003645

「そうに違いない!」と決めつけられてあなた結論押し付けられましても感ですね。

要するに「複数人間と肉体関係を持つの倫理的けしからん!!」という感情があって

「そういうやつはふしだらな自分エクスキューズとしてくだらん理論を持ち出したんだ!!」

しか言ってないし、そうではない可能ももちろんある。もちろんエクスキューズとして

そちらの言うようなことを考えて行動している人もいるだろう(そういう場合はなんだかんだと浮気して破綻するだろうけど)。

批判にもなってないなあ。テレビにガミガミおじさんですね。

2019-04-04

田舎花魁コンテストが開催される

花魁道中に対してはポリコレ批判があるけれど、寡聞にして今までに炎上したものを知らない。

花魁道中に対するポリコレ批判というのは、現在倫理的基準では管理売春人身売買が認められる遊女称揚するような取扱はおかしいだろうというもので、私はその批判に対する有効反論を知らない。

花魁体験的に写真撮影して楽しむもの京都など観光地にあるのだけれど、ポリコレ批判はそこまで届くべきではないと考えている。それは個人的な楽しみの範疇に収まるから

ただ、花魁道中に関しては行政が行っているものもあり、大きな批判になればそれを上手く避けることは難しいと思う。

創作の中で遊女を取扱い称揚するような描写があっても問題ないと考えるが、そこに行政が加わるのであれば話は変わるだろう。

現在行われる花魁道中はifの世界架空創作だと言い逃れることは出来るけれど、少なくとも歴史的には存在しているのだから過去存在した花魁創作上の花魁区別するような創作が加わる必要があると思うが、それはないように思える。

というのも、花魁道中は乱れた成人式で見られるような着物を着崩したような花魁風ではなく資料にある花魁再現したようなものが多い。

(あの着崩しは花魁ではなく夜鷹だと成人式になるとTwitterで指摘されるけれど、想像上の花魁風とする方がましだと考えている)

花魁道中の中には禿(かむろ)と呼ばれた子供を利用するものである

大人ならともかく、子供まで巻き込むのはさすがに止めるべきだと思うのだけれども、私のちからでは止めることが出来ないので、どうにか炎上しないものかと考え、ここに書いた。

花魁道中ならともかく、地元花魁コンテストというというものが開催されるらしく、いくら田舎とはいえ誰も止めなかったのかと思うと薄暗い気持ちになってしまう。

2019-04-03

anond:20180606184013

これ。

犯罪にあたる行為そもそも倫理的にやってはいけないと思っている人には、増田のような考え方をする人は得体の知れない危険人物のように見えるのだろう。捕まるリスクがなかったり、そもそも法がなかったりしたら何をしてもいいと思っているのか。こいつは損得の問題さえクリアすればやらかすんじゃないかと。

ただ、法的なもの倫理的ものをわけて考えると、増田のように損得勘定犯罪を犯さないって見方は何も間違ってない。刑罰目的を、犯罪リスクをつりあげて合理的な人が犯罪を犯さないようにすることだと考えたら、その目的がきちんと果たされた例ってことになるんだろうな。

anond:20190403112053

だって規約

倫理的問題がある低俗有害下品行為他人嫌悪感を与える内容の情報を開示する行為ポルノ売春風俗営業、これらに関連する内容の情報を開示する行為

禁止、ってなってるし。

2019-03-29

まれて初めて春にムラムラした。恐くなった。

よく、小学生の頃に「春になると変な人が出るので気を付ける様に」と先生大人から指導を受けたけれども、社会人数年目にして漸く春にムラムラする実感を得て、その恐ろしさを知った。

それまでは、通年ムラムラしていた為になぜ春になると多く変態が出没するのか解らなかったし、怪奇現象の類すら思っていた。あるいは、日本風土病的な、統計学からみて、日本人の特徴なのかなと、勝手自己完結してあまり深く考えもしなかった。

けれども、社会に出て、それなりに酸いも甘いも嚙み分ける年齢になり、どん底を味わって、ついには二次障害で鬱になってしま処方箋にまでお世話になるようになり、通年ムラムラとは縁遠いものとなってから、変わった。それまでは、先述した通り、潜在的むっつりスケベだった筈が、全く性的想像もしなくなり、勿論ムラムラも無く、至って品行方正な?生活を送っていた。

恋もしなくなった。

時々、身体を欲したくなるけれども、季節を感じて欲情するなんて事はなかった。

それが、つい昨日。春めいた風を感じて、生まれて初めてソワソワした。新生活の始まりに対する期待と不安の入り混じり、なんて類ではなくて、ダイレクトにムラムラに直結した。

師弟愛的に絶対にない」と思われる相手想像してムラムラした。倫理的なタガが外れると、こうも想像上とは言え性的になれるんだなと自分が恐くなった。人としてあり得ないし、尊敬し、憧れて、大事にしたいと思っていた人との思い出を都合よく性的オモチャに出来てしまった自分に、終わってるな…と思った。

同時に、小さい頃に先生大人から変質者の存在に警戒する事の本質的意味をようやく理解できたと思う。自分意思とは無関係に行動してしまう人もいて、タガが外れた本人にはどうしようもなく、そんな本人を相手に小さい子どもは勿論、学生若者達にとっては「警戒するしか術がない」のだと、加害者被害者双方共に哀しい事実なのだと少し感じた。

少し感じた、というのは、決して変質者、つまり加害者には同情する事ではないし、言い訳無用だと思っているから。

話を戻すと…春にムラムラする事って性を刺激してとんでもない事になるのだな…と思った。これが、恋愛だとか建設的な発情であれば、生理現象なのだろうけれども、私の場合は…。倫理的にあり得ない人に対してでさえ、ムラムラしてしまたことに、ショックだった。鬱は治ってなくて寧ろ悪化しているのかとか、世間比較して自分QOLがあまりに低くて春の新生活を皮切りに焦っておかしくなってしまったのではとか。

それまで性的対象ではなかった相手に春によりムラムラしてしまった事って、皆もあるのだろうか。それとも私だけなのだろうか。

2019-03-20

anond:20190318185826

そこまで倫理的常識的に変なこと書いてないのに、当てはまってないってだけで男の人が発狂しているのがよくわかるね…よく釣れているね…

2019-03-19

息子とセックスしています

うちの息子は典型的な引っ込み思案で、子供の頃からいつも私の後ろから離れない子でした

特に人と合うときなんかは顕著で、話しかけられてもうつい向いたまま何も話さな

周りから見たら可愛げのない子供かもしれませんが、そんなところが私にとっては非常に可愛くもあります

今は19になりましたが、いまだにその性格は色濃く残っています

当然、恋人なんかは出来るタイプの子ではありません

しかし、当然性欲はあるわけで小学生卒業したあたりからパソコン履歴にはアダルトサイトを覗いた形跡があり

どうやら真夜中に起きて自分でしているようでした

本来高校生になれば彼女の一人でも出来て、大人経験をするものですがそれを出来るタイプではなく

欲求を持て余す姿は少し不憫に思うようになったのです

そんなある日、昼間に掃除をしようと部屋を開けると息子がまさにパソコンの前で自慰の真最中でした

驚きましたが正直やはりかわいそうな気持ちが勝ってしま

ママがしてあげようかと声をかけたのがきっかけです

確か17の時だったと思います

私が二十歳のときの子供なので、私が37です

はっきり言って、私は顔もスタイルも周りの同年代女性とは比較にならないほどきれいだと思います

胸も垂れてないし、お尻も上がっていて橋本マナミさんのようなスタイル

顔は深田恭子さんに良く似てると言われます

性的な魅力に関しては、息子の同級生に負ける訳ないんです

案の定息子も最初は嫌がる素振りを見せましたが、私が実際に手を施すと抵抗することはありませんでした

それからと言うものほぼ毎日セックスしています

倫理的問題はあろうかと思おますが、お互い楽しめる幸せ毎日を過ごす以上に大切なことはないです

もし子供がいるお母さん方が息子の性欲を不憫に思われているなら、是非参考にしてみてください

埼玉とか南京とかアウシュヴィッツとか

なんか見てると言語の壁に近いものを感じる。

埼玉はまあどうでもいいんだけど。

南京とかアウシュヴィッツが無い、捏造って言ってる人って結局今言われてるような、って意味で言ってるのがほとんどに見える。

でもそれを受けてありましたって人はそれ自体の有無として憤ってる場合が多いように思う。

原爆捏造って言われたらどう思うかって言い方をしてる人も見たけどあー捏造って言ってる人の話通じてないんだなって思った。

どっちが正しいとかじゃなく客観的に。

だって見てたら捏造って言ってる多くの人の言い分はどうも実際の罪より大きな罪だと騙られているって理不尽さを前に挙げたものでそれに対しての反論としてはあんまりよく分からない。

アメリカだって原爆5発落としたとか1000万人が死んだとか空襲は敵国日本を憎み殲滅する意図で主に民間人を殺す目的レジャーのようにやったとか言われたらまあ普通に捏造だそれは違うって否定するんじゃない?って思うし。

国として主張してる、とする事に対して大きく離れたり証拠が精査されていなかったりバイアスがかった想像が含まれていそうな事ならって意味で。

捏造派が主張してるのはそういう事なんだし。

捏造派の立場や展開する言い分が正しいって事じゃなくて是非とか証拠の有無とか信用性とかじゃなくあくま論理構造立場の話として。

感情面の事なんて反証し様なんてないけどそれでもそれは違うって言うと思うし実際アメリカさんも南京虐殺じゃないって言ってる人がよく言うやつと同じように大空襲民間への攻撃問われて事前に逃げろってビラ撒いたし軍に関連するかしないかなんて分かりようがないんだからって言ってるわけで。

当然復讐意図で行われたものだって人もいるけど。

からってその違うって否定アメリカが当時民衆を殺した事を何とも思ってない証拠だって言うのは飛躍してるなと思う。

殺人で5人殺した奴に10人殺したって言ったらそんな事実ない捏造だ、って反省してようが元々の罪を認めてようが言うだろうしそういう話だと思う捏造派が言ってるのは。

繰り返すけどそれが正しいって話じゃないよ主張の論理の話。

でもそれに対して憤り、悲しむ人はその否定は全ての否定だって捉えたり人を殺す事自体の恐ろしさを説いたり殺したって事実に向き合うべきだっていうような事を言ってる。

そこで言うなら加害側とされる方が確実な証拠反論として出せないならそこを違うと否定するのは倫理的傲慢である、とかそういう類の話だと思うんだけど。

あるところで認知バイアス的。

ただただ噛み合ってないなって思う。

証拠とか証言とかそれぞれが実際どうかとかじゃなく外野から見てて言い分がキャッチボールドッジボールどころか相手の頭高く遠投し合ってるなって印象。

相手ボール取れないから目端で追いながらこれがあなたの投げたボールですってポケットから自分ボール出して相手に投げてる感。

個人的には中国とかドイツとか日本とかユダヤとか埼玉とか高須とか関係なく、実際それをやったのなら中身が違っても否定するな、その違うって主張はやった事を認めてないのと同じだって論は意味分かんないなって思うけど。

実際の証拠があろうと無かろうと本当に10人殺してようと5人だろうと関係なく発想自体に法倫理的に引いてしまう。

けどその否定であり自身の正しさの主張ってその要素自体に中身関係なく被害者感情は煽られ傷つけるものなんだそれは酷い事なんだこれ以上何を傷つけようって言うんだって考えは理解はできる。

でもやっぱりそれが理不尽だ公正でない確実な証拠がない事なら語るべきではないって言い分も分かる。

語るべきでないとする事に対しての100%やってない、は100%やった、と程度は同じだと思うけど。

遠投してないでキャッチボールすればいいのにって思う。

わざと取れない方向に投げてる人も多い気はするけど。

2019-03-10

ポリコレって結局戦前回帰だよな


エロはだめ、倫理的に振る舞え、女は露出するなってただの戦前じゃん。

ポリコレって結局戦前回帰だよな


エロはだめ、倫理的に振る舞え、女は露出するなってただの戦前じゃん。

怒る時とかに感情的になられるのが嫌って

嫌になって反省出来ないとか逆に同じレベル以上に感情的じゃん

聞く度???ってなるんだけど

しか中高生とかならまだしも普通に仕事してる同じ年齢くらいの人が若い世代代表みたいにしてそういうの言ってて本当に凄い嫌なんだけど

もし自分に原因があって相手が怒ってる状態理性的でいるより感情的になる事が問題解決の妨げであるとか問題解決を優先すべきだって言うのなら、原因である自分こそ理性的であるべきで相手感情的になってようと関係ないし、というか相手の怒りはむしろ進んで思考材料とすべきだし、原因から筋道辿って自分に何かしら不備があったのなら自戒として改めたりそれを口にするなり何なりすればいいだけの話じゃん

そこでうるさく言われて嫌な気分になったら反省とか出来ないでしょ、ってなるのは自分こそ超感情優先で動いてるじゃんって思う

だって怒られてる内容/論理じゃなくてその声の大きさや怒られてるって事実自体が嫌なわけでしょ

理性では少なくとも何か自分が悪いって事は分かってんのに感情面でそれを否としてるって事なんだから感情的じゃん理性とは真逆じゃん

声荒げないのが理性的勘違いしてんのかなって思う

自分がやった事への責任やその代償、自分が変わらない事での自分や周囲への影響より感情面優先させて意思決定すんのは普通に感情的人間だよ

しか反省出来ない、って表現ってそういう自分の行動が原因になってこれから起き得る、今起こったのと同じような問題の影響の責任までその相手にあるってそういう言い方なんだよね

あんたがそうやってこっちの気分悪くさせて反省出来なくしたからまた同じ事起きるかもねってそういうの

相手感情相手が周囲へ配慮する、影響考えるその気持ち人質に取った一種の脅しだよね

そういうのをそこまで自己分析言語化も何もしないまま自覚ないまま口にしてる

ていうかそもそも問題解決のための理性的論理問題によって影響が及んだ側の感情対象人間であるなら引き離すべきものじゃないし、引き離したって大方何の解決にもならないって散々言われてる事だし

実際相手感情的な面を新たに問題の原因だと定義して自身への影響面で同じ事を繰り返さないようにだとか反省するために一定状態以上の気分の維持が必要なのにって主張してるわけでしょ

感情面の尊重を求めてる時点で問題解決過程感情的であるべきでない、って主張は矛盾するよね

その定義の仕方自体、元を辿れば自分が原因であるって部分を無視してて相手感情的になるのは自身が原因だとしても嫌だけど自分相手感情的になるのは別にいいっていう超自己中心的自分勝手な話だけど

たぶんそれが問題解決における近道だと思ってるから正答だと思ってて、だから矛盾自分勝手さも関係無いって思ってるんだと思うけど

結局その近道って問題の発生から解決における道筋においての近道で、間にある自身が原因になった事での影響とそれを訴える側から意見への受容って部分を勝手にすっ飛ばしてて、影響あった側が飛ばすのは分かるけど原因作った側がそれいらないよねホラ近道じゃんって言う傲慢さのやばさたるやって感じだよね

問題起こした人間が怒ってる相手に対して感情の出し方もその範囲問題解決方法もこっちで決める、こっちが機嫌損ねるような事言ったら反省なんてしないってそう言ってんだもんやっばいよ

原因に向けた怒りや悲しみの発露って言うなれば相手への訴え、手段としてのその責任への代償を求めるに至った事への倫理的説得性の補強行為なわけで、それがあったら反省できないとか言うの逆に笑っちゃう

感情的になる事が逆に説得力を欠く事になるって意見は分かるし、実際解決方法として用いる分の手段のはずの感情をぶつけるそれ自体目的なっちゃってる人もいて、そこの部分に辟易するのも理解できるんだけどでもそれはあくま論理に対する説得性に関しての部分で、その原因が引き起こし感情に関して自体とそこへの責任否定するものではないんだよね

正論だどうこう言ってる人はそこを同じ感情って部分で混同してると思う

ていうか何で混同できるんだろう違和感無いのかな

教育の場だと感情に対する責任教師相手のものからは問われない事が多いからその意識をそのまま社会出てまで当て嵌めちゃってるとかなのかな

学校なら授業料払って学ぶ権利を得ていて法的にもまだ人として未熟だとされてる以上、学校側もあるところでそれを職務としてそこで問題解決する場合に原因となった人間への対応として説得性の部分や当人理解反省が優先される方法を取って行くべきって主張はある意味正解ではあるとは思うけど

それが特異な環境である事を理解しないままそういう関係感を社会に出てまで引き摺ってるのだとしたら勘違いも甚だしいなって思う

学校でも生徒間の問題感情面の責任についてむしろ言及される傾向にあると思うけど基本的にそこで怒られる状況があるなら第三者である教師にって場合ほとんどだからそこを分けて別のもの認識してて自分問題を起こして影響を及ぼした相手当事者意識を持って感情面の責任も含ませ自分を責めるって状況自体理解できてないのかもしれない

実際どうかは知らないけど

普通に考えれば解ると思うんだよね

問題があってその原因が自分にあるならそこにはその責任と代償が伴うっていうのは当たり前だし

その原因に対する責任においての再発防止策のひとつ安易だけど自省するって事でしょ

自分がやった事で相手が怒っててその相関性常識的ならそこで引き起こされた相手感情面の問題にも少なから責任は発生するっていうのも普通の事だし

その責任の代償として露にした感情を受ける事を相手側がこちらに求める権利は当然あるし責任に対して受け入れる義務もあるって主張も理解できるじゃん

その原因作ってそういう状況にしたのは自分で、そのせいで相手に発生した権利を認めないって意味わかんないし

別にその権利行使された結果そこでうるせえわって思うのも大袈裟なんだよって思うのも自由だけど少なくとも感情を出す事を相手が代償としたんならその選択の自由を原因作った側が制限する、制限出来る権利があるって思ってるのはほんと頭おかしいなって思う

説得力を欠くって問題がもしあったとして、それは問題を追求する過程でのやり方の話で問題の影響に対する責任への代償とは別の話なわけだし

そもそも問題の原因とされる事が不服でありその説得性という面で納得が出来ないので責任も無く代償も必要ないって言うなら解るけど、反省すべき事だと自覚がある上で問題解決方法が気にいらないか責任は取らない、それは責任に対して代償を求められたからって意味わかんないんだよね

その状況で相手感情的になってる理由理解せずそれ自体非難するのって責任放棄、もしくは責任を認めない、理解してないって表明だし、それじゃ反省する気なんて起きないっていうのは同じく責任を認めない、理解してない、その上それ自体責任まで相手押し付けものって話なわけでしょ

自分が何言ってるかも解ってないのかなって思う

感情的になる事自体否定的だ自分感情なんだから原因が別にあっても自分コントロールすべきってスタンスならそれはそれで理解も出来るけど、でもそれならやっぱり相手が怒ってる事で自分が気分悪くなった責任自分で追わなきゃ矛盾するじゃん

ていうか問題解決の折に感情的な面を材料として捉えないのは逆に理性的にと言いつつ感情的主観的に忌む対象排除しているというだけで全然理性的でも何でもないんだからそういうのは中学高校生ぐらいまでにしといて欲しいって思う

そういう事言う人ってたぶん凄い主観的共感性低めだから分かんない部分があるのかもしれないけど立場変えて一度どういうもんか想像してみればいいのになって思う

クッソ嫌いな奴のやった事のせいで自分や大好きな人や大好きなキャラが怒ったり泣いたりしててその原因作った本人が何でそんな感情的になんの?声でかいし気分悪いし反省する気もなくなるわって言ってる姿思い浮かべてもその通りだなって思うのかな

映画とかでそんな場面あったら普通にヘイト集めるためのシーンだなって感じだけど

その人が言う通り反省して貰うために気分を損ねちゃいけないから怒るとか泣いて責めるなんてそういう自分達の気持ち二の次にして気を使ってあげないとって思うの?

反省できずに同じ事が起こったらそれは自分達が悪いなって?

泣いてる子に対してこの人の気分を害したお前のせいになるよって?

だったらそれは逆にもういっそ凄いねって思う

自分やらかし場合相手感情的になる選択権利勝手にどうこうする根拠には全くならないけど

結局自分が原因にも関わらず相手感情的な訴えより自分の気分を優先するっていうのはただ自分相手の事なんて、相手自分の行動でどうショックを受けたか、傷付いたかなんてどうでもいいってだけで、諭してくれないと、なんてそもそも何かやらかしたのは分かるけど何が問題理解してない、どう思ったかは言っていいけど感情的表現するのはやめてくれ、でも自分は嫌だと思って気分悪くしたら態度に表れるし反省できないよ、なぜなら感情的表現するからってそういう話でしかないと思う

やっぱりただ自己中なだけだよ

自己なのは自由だし自分人生だし自分人間関係からどうでもいいと思うならそれでいいけど

怒る声苦手だしそういう性格から悪いの分かってても怒られると良い方には行かないんだよって言うならそういう人もいるからって思うし否定しないけど(それでも責任に対する代償は負えよって思うけど)、その良い方に行かない原因が自分性格じゃなく相手人間性にあるって思うのはやばいしその歳でそこを理解できてないのもやばいなって思う

自分が言ってる事もやってる事も普通な事でむしろおかしいのは相手だって思ってる感じが

20年近く生きてて自分の事何にも解ってないじゃんって思う

解ってないのは仕方ないけど解ってない事ぐらい自覚しなよって思う

自分自分が何でそう思うか解ってないのに相手問題あるって根拠なく疑いないのってすごい人としてやばいじゃん

相手によって、立場によって変わるような自分の偏った極々感情的問題正論理性的だみたいに思い込むのはやめた方がいいと思う

ていうかそれをその年代常識みたいな顔して言うのをやめて欲しい

全然理性とは真逆の反応だし超主観的自分勝手傲慢正論でもないし矛盾しまくってて馬鹿みたいだから

ほんとに

ポリコレって結局戦前回帰だよな

エロはだめ、倫理的に振る舞え、女は露出するなってただの戦前じゃん。

anond:20190310111150

まあ結局はそれか

一人一人に倫理的にどうこうとか言っても意味ないし「違法から」の一言でいい

法整備されてないならされてない方が悪い

anond:20190310090454

文章が下手だと思ったが、ググったら正解出てきたな。

俺が一番変だと思ったのは、19世紀後半の倫理的課題説明する例として、なぜか「経頭蓋磁気刺激法」が取り上げられていること。

直後に「それだとミクロ的事例が溢れる」的な記載があるのだから、無数に例があるということになり、それを取り上げればいい。

あえて現代的な治療法を例に上げているところが最高に意味がわからなかった。

それ以外にもいろいろ文句があるが、ここが俺の中で最も下手糞指数ピコーンと上がったところ。

文章理解させる気ないだろ、と思った。

anond:20190309020555

このレスについて

横田です。増田意見が難解だったので、意訳しました。下記スタイル対訳しています

原文

訳文

対訳

運用問題がないって認識下でなされた警察のその判断とそこに基づいたあくまで罪であるとしたからこその行動を罪ではないって視点から倫理性の面で語るのってよくわからないなと思う

誤認逮捕冤罪可能性なんかの議論でならわかるけど

警察が罪である判断したことに対して、"倫理性の面" (後述) から、罪にはならないって主張しているのがよく分からない。

誤認逮捕冤罪ってことなら分かるけどさ。

ラクガキ器物損壊として万引き窃盗いじめ暴行とする時に対応する警察はそれを罪だとして行動するわけだけどその一連の流れに対して親とかがそれは罪じゃないって言い分で子供の将来性がとかただのいたずらで補導なんてって子供への倫理的な面から非難してたとして一方的に展開される罪じゃない論の上のその自論は違和感がすごくてそれは実際罪かどうかとか警察対応妥当性がって話じゃなくて単純に警察が法に則ったとするそこに対して罪じゃないとしながらその根拠は示さず行動の結果や動機や影響のみを持ち出して非難するその感じが何かズレてるように感じるから元増田論理には同じような感じを受けた

例えば、落書きなら器物損壊万引きなら窃盗いじめなら暴行として警察対応するよね?

このとき補導された子の親が「子供の将来がー」とか「ただのイタズラなのにー」って感じで "倫理性の面" から非難するのって、違和感がすごくない?

上記行為が罪には当たらないって主張したいんなら、子供への影響を持ち出して "倫理性の面" に訴えるんじゃなくて、罪には当たらないと考えるその根拠を言ってほしいわけよ。

元増田論理も、この親の論理と同じようにズレてる気がするんだよね。

それが罪だと定義されるならそこでの警察側の動機所詮付随事項でしかないしノルマだろうが上司への点数稼ぎだろうが罪になるんだって大義があるからこそ与えられてる権力行使が許されるわけなんだから一番大きなそこをひっくり返してないのに罪として扱っているからこその言動自体やその影響をそうではないという前提で問う意味ちょっとわかんないなって思う

ノルマのためにー」とか「上司への点数稼ぎのためにー」とかっていう動機警察側にあったとしても、それはただの付随事項でしかないんだよ。

動機が何であれ警察権力行使したのは、それが罪である定義されているから。

なので警察批判したいんなら「ホントにそれが罪である定義されているの? 」って部分を問うべきなんじゃない?

そこをひっくり返さずに、罪には当たらないという前提で、警察コメントとかその影響について論じるのってちょっとからない。

その権力行使における妥当性への配慮ってだけならわかるんだけど罪でないのだから単なる人権侵害しかないってやるにはわからない

「罪にはなるだろうが、運用問題があるだろ」っていう主張なら分かるんだけど、「罪ではないか人権侵害」って主張してるのが謎。

本来そこやるなら運用への認識問題とその理解意識の低さによる結果引き起こされた影響、同じ事が起こる懸念警鐘とその責任って流れだと思うけど問題視するのが補導した動機適当性や対象の選び方ってのもちょっとわかんないなって思う

運用問題があるだろ」ってことを主張するにしても、触れるべきポイントがちとズレてないかい?

本来なら、問題のある運用によって引き起こされた事象、同じことが起こる懸念責任所在、という流れで論じるべきだと思う。

それなのに、補導した動機適当性、対象の選び方(中学生を選んだ)ってのを問題視するのはちょっと理解できない。

いたずらに対する見せしめでもこれが殺害予告とか爆破予告なら補導もしゃあなしなんだから中学生だとか警察側の動機じゃなく罪ではないんだって部分を展開しないままじゃモラル向上の晒し者にされるためだけに行われる人権侵害って論理は成立しないと思う

もしこれが殺害予告とか爆破予告のイタズラだったら補導もしゃあなしでしょ。

中学生からとか警察側の動機がとかじゃなく、このイタズラが罪に当たるかどうかをまず考えるよね。

そこを考えずに、モラル向上の晒し者にするという理由だけで補導されたか人権侵害、っていう論理は成立しないと思う。

警察側はあくまで公僕としての責務において罪となる行為モラル向上の意図でもってって言ってるんだからそもそも見せしめ晒し者にするためだけに補導したのではない、そうなったのは当人が法を犯した結果であるのだから当然である、というスタンスだし実際罪になるのであれば晒し者になったのも自業自得な面があるとは思う

と言っても警察側は、モラル向上の意図補導したのであって、晒し者にするという理由だけで補導したのではない。

結果としてそうなったのは当人が法を犯したかである、というスタンスだし、実際に罪になるのであれば自業自得な面があると思う。

そこの運用おかしいとするなら説得力を持たせた客観的にどうおかしいかの話が前提として必要でそれがないと正直万引きキッズかばバカ親と言ってる事変わんなくなっちゃうと思う

この運用おかしいと主張するのならば、どうおかしいのかの説明必要で、それがないと万引きキッズかばバカ親と言ってる事は変わらなくなる。

子供なのにただのいたずらで補導なんて大の大人が狭い部屋で子供相手に酷いいじめられたらどうするの受験に影響したらって言ってるのと変わらない

子供のイタズラなのに補導なんて、取り調べまでするの、学校いじめられたらどうするの、受験に影響したらどうするの、って言ってるのと大差ない。

罪は罪でしょって話じゃなくてなぜ罪ではないか罪とする警察解釈のどの部分がどのようにって根拠が示されないままそれを事実として論理を展開する感じが同じ印象

訳注:この文章は難解だった。間違ってるかも)

単に「罪は罪でしょ」と言いたいわけじゃない。

罪に当たるとする警察解釈のどの部分がおかしいのかの根拠を示さずに論理を展開する感じが、バカ親と元増田って同じだよね、と言いたいのだ。

そこでの警察側への動機批判警察組織における問題点への指摘でしかないわけで罪か罪じゃないかとはまた別の話だし

警察側の動機への批判は、警察という組織問題点を指摘しているだけで、罪か罪じゃないかとはまた別の話だし。

その動機によって罪でないものが罪とされたのだと言うなら余計にどの辺りが罪でないのか補導家宅捜索について警察の言い分のどこがどうおかしいのかは前提に必要な気がする

警察側の動機によって罪でないものが罪にされたのだと言うのなら、どの辺りが罪でないのかの説明が、余計に必要になる気がする。

それに、補導や家宅捜査についても、警察側の言い分のどの辺りがおかしいのかの説明必要な気がする。

からこそ交通違反言われた坊さん達はそこを示すため衣を動き辛いと定義する事への反証として動きまくったわけだし

からこそ、僧衣を着たまま車を運転して交通違反を切られた坊さん達は、罪には当たらないことを示すために、僧衣が動き辛いとする定義への反証として動きまくったわけだし。

中学生補導した警察が正しいとかじゃなくて論理の展開の仕方がなんか意味わかんないというかブッ飛んでんなって思った

中学生補導した警察が正しい、と言いたいわけじゃなくて、論理展開の仕方が意味分かんないというかブッ飛んでんなって思った。

増田

勝手に意訳してゴメンね。間違って解釈してるところもあると思う。

できれば次投稿するときは、もう少しだけ、おれら側に歩み寄ってくれると嬉しいです。

増田意見、納得する部分があるから

javascriptって難読化できるんだけど、増田も何か意図があってそうしたのかしら)

ちなみにおれは、兵庫県警はすげぇ恥ずかしいことをしたと思うよ。ま、理屈は組み立てられないけど。

2019-03-09

anond:20190309205947

そのような内容をうまく妊婦やその家族に伝えることこそが産科医に求められていることだと思います

ただし、「障害児(者)を差別するのか」という論調に対する説明が難しいところでありますダウン症などの出生前診断に関する倫理的議論共通するところがあります

anond:20190309201657

そのようなケースに、「せっかくできた生命の灯を消すような選択誘導するとは何事だ!」という人もいれば、「難しい状況の妊婦に冷静な判断を促す提案ができている」という人もいます

倫理的に難しい問題に当たった際は常にそうで、一定の指針が必要になると思います

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