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はてなキーワード: 倫理的とは

2017-09-22

正直なところを告白しよう。福島第一原発津波破壊され、放射能汚染されていると聞いた時、真っ先に奇形児が多発する情景を想像した。

それはおぞましい光景だろうが、同時に好奇心を満たす光景にも違いなかった。

気持ち悪い、でも見たい。正常なのが異常なのだ。そういう国になって行くと思った。

人間になりきれなかったまがい物で世が溢れると思っていた。倫理的尺度が緩められると思った。でもそうはならない。放射能汚染被害は言うほどでもなかった。双頭の烏、多脚の虫、花、そういうものが増えると思ってたのに。勿論これは願望ではない。しかし、遺伝子配列おかしくなってしまった化け物のような物体を見たいという欲求は誰でも抱いている筈だ。震える程、クリーチャーのようなそれを見たい。

2017-09-20

詐欺まがいの会社登録するサイト

って何かないかな?

なんかサービスを使う前に、そのサイト検索してヒットすれば、被害者から情報が見れるようなやつ。

例えば、今話題になってる「鍵のレスキュー呼んだら11万円取られた」ってやつも、

https://anond.hatelabo.jp/20170918194630

Rセキュリティって会社をそのサイト登録しておけば、検索することで被害者情報を閲覧できる仕組み。

他にも最近だと「父がJ:COMに騙されていた話」

https://anond.hatelabo.jp/20170917183554

JCOMも糞みたいな会社だ。

俺も昔、日本通信SIMとセットになったAndroid端末を買ったんだけど、安く通話できることをウリにしたようなやつ。

でも通信速度が激遅なのと、発した音声が遅延して相手に届いたり、こっちに届いたりで会話が成り立たない。

そんなゴミ販売しておいて、クレーム入れたらそんなことは知らんで悪びれる様子もなかった。

から、その詐欺まがいの会社登録するサイトがあったら、間違いなく「日本通信」という会社登録するだろう。

PCデポもこういうサイトがあったら、もっと被害を食い止められたよね。

ソシャゲ会社倫理的やばいところだらけだから、もしそんな会社もも倫理的にまともなやつがいたら、そういうサイト内部告発すればいいと思う。

そもそも消費者庁とかさあ、何の仕事してるの、おまえら??

消費者センターとか、クレーム入れても何も対応しないじゃん。

北朝鮮ミサイル打ち込まれて、誠に遺憾〜っていうレベル

エンジニアの皆さん、世のためにそういうサイト作ってください。

akutokukigyo.com的な。

私はそういうの疎いんで無理です。

詐欺まがいの会社登録するサイト

って何かないかな?

なんかサービスを使う前に、そのサイト検索してヒットすれば、被害者から情報が見れるようなやつ。

例えば、今話題になってる「鍵のレスキュー呼んだら11万円取られた」ってやつも、

https://anond.hatelabo.jp/20170918194630

Rセキュリティって会社をそのサイト登録しておけば、検索することで被害者情報を閲覧できる仕組み。

他にも最近だと「父がJ:COMに騙されていた話」

https://anond.hatelabo.jp/20170917183554

JCOMも糞みたいな会社だ。

俺も昔、日本通信SIMとセットになったAndroid端末を買ったんだけど、安く通話できることをウリにしたようなやつ。

でも通信速度が激遅なのと、発した音声が遅延して相手に届いたり、こっちに届いたりで会話が成り立たない。

そんなゴミ販売しておいて、クレーム入れたらそんなことは知らんで悪びれる様子もなかった。

から、その詐欺まがいの会社登録するサイトがあったら、間違いなく「日本通信」という会社登録するだろう。

PCデポもこういうサイトがあったら、もっと被害を食い止められたよね。

ソシャゲ会社倫理的やばいところだらけだから、もしそんな会社もも倫理的にまともなやつがいたら、そういうサイト内部告発すればいいと思う。

そもそも消費者庁とかさあ、何の仕事してるの、おまえら??

消費者センターとか、クレーム入れても何も対応しないじゃん。

北朝鮮ミサイル打ち込まれて、誠に遺憾〜っていうレベル

エンジニアの皆さん、世のためにそういうサイト作ってください。

akutokukigyo.com的な。

私はそういうの疎いんで無理です。

2017-09-15

映画ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避でよろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまったかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

「100点である理由」としては大きく2つ。

まず「予告編で期待される要素が全て入っている」。無垢主人公ダイアナの島での生活スティーブとの出会い、「外の世界」への出発、人間社会との交流、第一次世界大戦の泥臭い戦争描写、圧倒的な戦闘シーン、ど派手なCGバトル。主人公ダイアナの衣装替えもアマゾン戦闘服マント姿→1910年代のヴィクトリアンはいったロンドンファッション→鮮やかな青のナイトドレス神の子戦闘服と飽きさせない。

そして「アメコミ映画ありがちなダメダメ要素を極力入れないようにしてある」。とくに3点「主人公の不幸描写に力点をおいたヒーロー誕生秘話」「クリフハンガーの繰り返しによるピンチ感の陳腐化」「取ってつけたような絶対悪敵役」の排除には成功している。そういう意味では、既存作品の悪いところがよく研究されているのだ。これは簡単なことじゃない(アメコミ映画はこの3つの罠によくハマるのだ)。

要約すると、よくできている。期待通りの作品だ。

一方で「100点でしかない理由」としては「取ってつけたような批判回避策」、「人物描写の底の浅さ」だろうか。

主人公ダイアナスティーブ自分たちの定めた使命を果たすためにチームを結成して第一次対戦の最前線に向かうのだが、そのチームは「絶海の孤島で育った主人公の女戦士ダイアナ」「イギリス軍諜報部に協力中のアメリカ外征軍大尉スティーブ」の2名を中心としているのだが、それ以外の参加者が3名いる。

フランス領モロッコ諜報員サミーア(おそらくイスラム系)」「ネイティブ・アメリカン密輸業者で通称酋長」「スコットランド人の酔いどれ狙撃チャーリー」この三人なかなか個性豊かで好感がもてるにはもてるのだが、「イギリスvsドイツ塹壕戦」にたいしてイギリス陣営でこれを主人公チームにするのは、いかにもPC的な取ってつけた感があった。

それを言うと映画冒頭のアマゾン族が暮らす絶海の孤島にも、白人だけじゃなく黒人アマゾンが配置されてたりして「こんな風に色のバランス取っとけばいいよね」的なそれを感じる。

この種の気遣いがあるのはもちろん良いことなのだが、それが気遣いの要素を超えていない、多様性テーマに対して踏み込んでないという部分があったせいで、浮いて見えてしまっている。またそれに対応するドイツ軍が通り一辺倒な描写で(つまりは白人集団なので)片手落ちに見えてしまう(ドイツ下げをしたかったわけじゃないだろうに)のも気にかかる点だった。

総じてエンタメ作品として秀作ではあるけれど、秀作止まりというのが個人的評価である

無垢子供ダイアナ

たぶんこのPC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思う。ただ、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

重ねていうけれど、これは減点部分だという話ではなく、加点はなかったという話だ。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上の可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナの人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性だからといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間は正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語のテーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族や地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化も歴史も言語には含まれているからで、そこに理解無くしては言語の意味を理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語のキーなわけだから、理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識も教育も倫理や人間について理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性が監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈でフェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉のスティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーロー神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ軍大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双の戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的に人物の内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本も俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会に奉仕しようとした時、そのモデルが軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍に密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗の権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台をマスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会や政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令を無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナがあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブの関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪なものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界に失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争は人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争の責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女の戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間が迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブは戦闘能力の関係上そこには関与することができない。しかし人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナの戦闘能力やスティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘を放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線の部隊は凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的な義務があったわけではない。戦争の悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為の責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ。

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブは大尉だからおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全な生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブの人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

2017-09-14

anond:20170912220109

日本国憲法のいう内心の自由は、「国家国民の内心を侵してはならない」というルールであって、私人間には適用されないという判例が出てるんですよ。

ので、「内心の自由があるから、心の中で差別をして良い」という法律はないし、ただし一方で、「心の中で差別をしてはいけない」という法律もない。

学生運動をするとかデモをするとかになるといろいろな法律条例があるけど、個別具体行為が発生しない限りは法的に何か起こることはないかと思われます

別の問題として「内心の差別倫理的にどうなのか」とかはあるけど、それは哲学とか歴史とかそっち方面話題だと思う。

追記:

表現の自由」と言った権利を主張する人もいるようだけど、権利があったとしても権利の衝突があった時に公共の福祉観点から権利制限されうるので、権利があるからと言って正当化される問題ではないとは思う。

2017-09-09

anond:20170908230300

アホちゃう

まず家族制度的にアウト。金のある一族相続税回避の為に近親相姦偽装結婚をするようになる。税制を抜本的に変える必要が出てくるし、家族内での個人自由を大幅に制限する結果になる。

そして倫理的にもアウト。家族内にはいまだに権威がある。権威を利用した性虐待が横行してるのに近親相姦OKにするとか性虐待合法化みたいなもの。ありえない。

2017-09-05

結局Wantedlyって上場するの?

DMCA砲こと、Wantedly砲で有名なWantedly

いきなりもう会社として倫理的問題あることが指摘されていますが、こんな状況でも日本って上場できちゃうの??

もしできるんだったら、オレオレ詐欺ビジネスでどっか上場してくれよ。

2017-08-31

https://anond.hatelabo.jp/20170830204145

この手の話、最初課題設定がだいたい間違ってるよね。

「誰も殺すべきではない」で考え始めるのはいいけど、考えていくと「状況によるから答えられない」って状況になるじゃん。

一段下の課題設定を年齢別でも地域別でも宗教別でも、はたまた状況別や観点別(倫理的観点刑法観点など)でもなんでも分割してみて、もうちょい話を進めて欲しいな。

反例を上げるだけなら無限に生まれて単なる時間無駄だよ。

2017-08-25

https://anond.hatelabo.jp/20170813190958

日本世界最大の食糧輸入国であり、金額ベースでは世界輸出入される食糧の1割を食い散らかしてるんだよ。

地球人口のたった1.7%にすぎない日本人が1割も独占しているなんて、倫理的に許されないだろ。

現代日本人の食文化水準を落とすことはできないから、日本人人口を減らすしか対処のしようがない。

ちなみに、世界では、およそ7億9,500万人(9人に1人)が、健康活動的生活を送るために必要かつ十分な食糧を得られていません。

途上国では人口12.9%が栄養不良です。

サハラ砂漠以南のアフリカでは、4人に1人が栄養不良です。

2017-08-24

自分を激安バーゲンしたい

この間25歳になっちゃった女。

なんとなく真面目、というか特に何もなく生きてきた。

けど今何かが爆発しそうで自分をめちゃくちゃにしたい。

めちゃくちゃのぐしゃくしゃになって、最終的に30歳くらいでぽっくり死にたい

倫理的には正しくないんだろうか。

でもなんか馬鹿になりたいんだよね。こんなこと考えてる時点で馬鹿な気もするけど。

めちゃくちゃの内容はご想像にお任せします。

2017-08-23

https://anond.hatelabo.jp/20170823133010

それと、未成年に外見だけで告白する男性、って倫理的にどうなの?したり顔であんたは私の何を知る?

男女逆ならどう思うのかな?

https://anond.hatelabo.jp/20170823131956

問題なのは面識無い大人から接触される機会が制服を着用しているだけで格段に増える事。誰にも共感して貰えず、抱え込むしか無いという事。

その善意か悪意だか分からない物を抱える大人から遠ざかる術を学校教育では教えて貰えないって事。守る筈の大人制服という記号だけで年下の人間に好意を抱き不必要に接触してくる事。

言及していないが二例目、三例目に関して貴方はどう感じたのですか?

それと、未成年に外見だけで告白する男性、って倫理的にどうなの?したり顔であんたは私の何を知る?

https://anond.hatelabo.jp/20170823114549

「ずるい」は、「ずる=インチキ」をした時に使える言葉です。

から、運や努力で何かを得た時には使えません。

違法なことや、倫理的問題のあるインチキをした相手に言いましょう。

2017-08-20

富裕層移民労働者の敵である

471 名前番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイWW 9316-RCbB)[sage] 投稿日:2017/08/20(日) 18:07:58.17 ID:RaaIrtcT0

富裕層労働者の敵だよ

でも移民も同じくらい敵なんだよ

国の外から次々いくらでも入ってくる連中が団結の外から代替可能労働力になる

ただでさえ弱い立場底辺から中流労働者は団結すら許されなくなる

490 名前番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイWW 9316-RCbB)[sage] 投稿日:2017/08/20(日) 18:12:04.51 ID:RaaIrtcT0

富裕層を恨むのはやめろってなんだよ

余剰労働を貧民から吸い上げてるだけの分際で偉そうな口を叩くなよ

殺されないだけマシだと思うような目に会わせないとダメ

555 名前番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイWW 9316-RCbB)[sage] 投稿日:2017/08/20(日) 18:27:23.96 ID:RaaIrtcT0

低所得層公的扶助を使わずに救済するには労働者供給のもの制限して、団体交渉による圧力低所得層価格交渉力を高めるしかない

移民とその背景にあるグローバリズムはこの両方を破壊する

富裕層知識層はその非代替性を特権として移民奴隷をこき使い既存低所得労働者移民と最低レベル生活まで際限ない競争を強いられる

それに反発した既存労働者を殴り付けるための暴力装置ポリコレ棒であり、ポリコレ棒で底辺をぶん殴りながら富裕層は悔しかったら富裕層になれと嘲笑する

これが倫理的に正しいと思うんならそいつとは一生相容れないと思う

http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1503213256/

2017-08-18

そんなんは前提なんだよばかやろう

ここまではネタだすまん

おまえは当たり前のこと言ってるだけだが意外に理解されてない感じがするな

すべての倫理的正当性ってのは、なにかを盲目的に真としなければつくれなくて、

一般的には、多くの人が信じてることや、宗教的倫理感、

お前の言う通り「実在する人」「自分から観測できる人」などの環境

これらをふまえつつパワーゲームを行った結果、

結論めいたものがつくられている。

差別はいいけど区別必要」とか言ってるやつを見ると反吐がでる。

(いや、それはそうなんだけどよく考えもしないでフレーズだけ言ってるやつも多い)


個ではなくてグループに対してなんらかのラベルを貼った時点で

区別が生じ、区別はすなわち差別の根源となる。

そこに境界なんてもんはない。


あるグループにはそこに属する者の帰属意識連帯感が必ず生じるし、

そのグループ対する最適化がおこなわれるから


たかも「理想の何か」があって、

「こうするべき」みたいに大上段に言ってるやつは

学がないことを露呈していて恥ずかしい。


例えば、人とその他の種族を別個に考えて良い理由

存在しないけど、存在するかもしれない身長1mmの人間とかに配慮しなくていい理由


そこに明確なものはなくて、結局のところ、そのグループがどの程度の勢力か、

長い年月をかけて構築された倫理観パラダイム、それにより

それぞれがどんな心象ももつか、

そんな曖昧なことで決定される。

からこの問題は、互いにこういった背景を理解して、

意見交換をしていかなければならないし、

実のところパワーゲームなので、

声をあげたほうが強くなる。


でもな、

増田(いや、よくしらんが)やオレのような、

系の外から考える人間は、

変化をもたらせないないんだよ。


変えていくのは、盲目的に主張するアホ共だ。

(変革者の全員がそうだって話じゃなくて、変化の大部分はそういう人間によって

つくられている)


# まぁ結局、日本教育自体が何か絶対的な正しさがあるような前提で

# つくられている(「こうすべき」を押し付ける)傾向が強いか

# ってところが大きいと思っているので、個の責任ではないんだろうけど。


レスしろよ!

https://anond.hatelabo.jp/20170817200113

https://anond.hatelabo.jp/20170816182415

高齢化は仕方なくない。

財政圧迫を抜きにしても、今のやみくもに機械や薬漬けで引き伸ばす命のあり方って倫理的にも問題あると思う。

そういった極限状況においては死ぬ権利はあるべきだし、今の高度医療時代にこそ安楽死必要

https://anond.hatelabo.jp/20170817225450 を読んで。

最初に要約しておくと、私もかつては助けてと言えない人間でしたが今は言えるようになってハッピーです、という自慢かつマウンティングしかない話です。

私もかつては助けてと言えない人間だった。どんな塩梅かというと例えばレポート課題試験範囲を聞き漏らした時に、誰に尋ねることもできず最悪な成績を取っていたというくらいには助けてと言えない人間だった。

当時を思い返すと、他の人の目を気にしすぎていて自分というものがなかったな、と思う。自分は困っているのに、困っている自分ということを周りに知られたくなくて何も言えないまま。困っている自分は変な自分で、周りに変だと思われたくないから素直に困っていることを表に出せなかった。もし自分というものがちゃんとあれば、周りに変だと思われることなんて気にしないで自分が困っていることを主張できたのにな、と思う。

そんな私にも転機が訪れる。

当時の私は病気だったり無職だったりと不幸のどん底で、そして何より自意識過剰に悩まされていた。自分の中にいるもう一人の自分が、常に私を責め立てるのだ。

「今お前はこう考えたが、それは違う視点から考えるとこのようになり、それは倫理的に正しくない考え方だ。だからお前は間違っている」とか、「今お前はこの人の発言を好ましく思ったが、それはこのように考えるととても傲慢な考え方であり、お前の性格の悪さを表している」とか、「今この人がお前を褒めたがそれはこう考えると皮肉交じりのお世辞であることは明らかで、素直に喜んだお前は読解力が足りない」といったように何事も悪い方へ悪い方へと解釈して、だからお前はダメなんだ、と締めくくる、よくわからない自意識自分の中にいたのだ。

ものすごく嫌な性格で常に自分に悪意を向けている何者かが自分の心に住んでいるのは、正直死にたいしか言えない状況である

もしこの悪意ある何者かが他人だったら、その人物から逃げればいい。でも、それが自分だったら逃げようがない。その上、この何者かは自分の行いではなく考えそのもの否定してくるので、本当に逃げ場がなかった。何もしてない無職であっても考えないことはできないからだ。

毎日この、視点を変えすぎて誰もそんなことまで考えねーよ的なところまで深読みをし、その上自分を一番傷つける解釈採用するという謎プロセスを踏む自意識に悩まされ死にたいと思い続け、ついにTwitterにその苦しみを漏らしてしまった。正直ただの独り言のつもりで、誰も理解しないしスルーされるだろうと思っていたのだけれど、でも違った。私の悩みをちゃんと理解した上で、「あなたは生きてていい」と言ってくれるフォロワーさんがいた。

その時点で私は号泣なんだけど、このフォロワーさんは加えて悩み相談ぐらいは乗りますよ、と声をかけてくれた。私はそこで、多分人生で初めて、ものすごく素直に「助けてください」と言うことができたのだ。

それからいろいろなことを考えた。その中で、私の人生には今まで何人も助けの手を差し伸べてくれている人はいたのに、私は等身大自分を見せたり裏切られたりすることが怖くて色々と疑いすぎてしまい、結果その手を払いのけてばかりきたのだな、と気づいたりもした。

でも、あのフォロワーさんの言葉不思議と何も疑わずに受け止めることができた。そして、人の言うことの裏を読みすぎたりせずに素直に受け取ることは大事なのだと言うことに気づくことができた。

加えて、人の言葉を受け取る素直さに気づくことができたら、今度は自分感情を素直に言うことの大切さにも気がついた。それまでは自分を良く見せたいあまりに飾った感情を演技することしかしてこなかった。困っている時も困っていないふりをしながら、でも心の中では困っていることに気づいてくれと思っていた。でも、素直に言わないことをわかってくれと思う方が傲慢だとわかった。

そうして二つの意味での素直さを手に入れたら、私を苛み続けてきた過剰な自意識は消えることになった。人の目が気になって自分というものがないという悩みも解消された。全てが良い方向に回り始めたのだ。

ちなみに例のフォロワーさんとは、そのあと実際にお会いしたりしてお付き合いすることになった。その関係の中で、この二つの素直さを実践していった。

実践の中で守った決まりごとは二つ。彼の言葉を疑わないということと、察してちゃんにならないということだ。

こうやって素直になっていたのが良かったのと、彼自身が素晴らしい方だったというのもあり、過去のおつきあいと比べてものすごく心地いい関係を築くことができた。

そして結婚をし、今に至る。

本当に助けてと素直に言うことは大事だと、私は人生を通じて実感している。

2017-08-17

バージニア州事件

あの事件先進国格差問題の中心がむき出しになった感じあるよね。

白人至上主義者っていうそ呼称翻訳がもうあんまりよくないと思うんだけど、とにかく集会主催した(表向きの)トランプ支持者たちは、おそらくほんとうの意味での貧困ではない。ピックアップトラックに乗って集会に駆けつける程度の財は持ってるってのもそうだけれど、世界的な基準で見れば、アフリカ飢餓者のような意味での絶対的貧困ではない。下手をすれば、地球規模で見た場合、彼らの生活の裕福さは上位10%以内に入っている可能性すら有る。アメリカに住んでいて、家があって、公共教育を受けていて、健康で、職があるというだけで、人類幸福な上位陣であることは間違いない。

でもそんな事実は彼らの気持ちを何ら慰めないんだよね。

彼らは彼らの狭い視界の中で無視されていると感じていて、もうその、感じていると言うだけで、彼らの内面世界では真実なのだから他人がそれに対してできることはあんまりにも少ない。彼らの嘆く貧困はおそらく地球規模で見たら取るに足りないもので、飲水にも困っている荒廃国家児童のほうが確実に救いを必要としているけれど、彼らはもうそういう比較にはうんざりしている。

でも、彼らがそういう児童より先に救われなければならない倫理的理由正義)は、ない。

それは彼らもわかっているから、闘争で(選挙多数派を押さえて自分たち意見を優先させようという、ある種の闘争だ)自分たち意見を通そうとしたし、それはある意味成功した(事に少なくともいまはなっている)。つまり「俺が殴られるのは絶対イヤなので、俺は他人を殴る。他人気持ちは俺にはわからんし、おまえに何か言いたいことがあれば俺を殴ればいい、俺のほうが強いけどな」という宣言だ。

そこに有るのは、「他民族主義」vs「白人主義」みたいな今見えてる対立よりもっともっと根深い、「数比べ(選挙)だろうが実際の武力闘争だろうがテロだろうが、手段は何であれ、勝ったほうが正しいという世界観」vs「彼我の立場を交換しても成立する倫理を守り最大多数の納得を追求する世界観」という対立だ。その対立こそが分断なんだと思う。

たぶん、日本も、そのとば口に立っている。この世界観の衝突から誰も逃げることは出来ない。

反戦教師ノイジーマイノリティ

もう最近の話ではないけれど、

東京メトロPRキャラクターデザイン所謂萌え絵に変わったものが発表されて

それが炎上した話があった・・・よね?

しか萌え絵なんかに対して嫌悪感を示す人は一定数いるだろう。

それを批判するつもりなんて毛頭ない。

僕が言いたいのは、

果たしてわざわざクレームを入れる必要があったのか」

という事である

著しく倫理的でないとか、

重たい心理的苦痛を与えるとか、

そんなものがあるわけでもないのになぜ排除を求める必要があったのか。

大学の頃、反戦平和講義を受けていた。

(別に興味があったわけではなく、取得単位関係)

基本的大学講義とも思えない陳腐な内容であったし、

自身サボりがちであったから、

講義の内容なんてほとんど頭に残っていないけれど、

1つだけ頭に残っている思い出がある。

その回の担当講師は、アメリカ人反戦派の男性だった。

平たく言えば人類の多くは反戦派だろうけど、

この人は世間一般に比べると強硬派だった。

講義の中で、その講師は一つのエピソードを話した。

内容としては、

サバゲーサークルのビラを撤去させた」ということだ。

反戦からどうやってビラの撤去というゴールに繋がるのかというと、

彼曰く、

『銃のような人殺し武器兵器を遊びで用いるのが許せないから』だそうだ。

確かに、PTSDという言葉が有名なように、

たとえ本当に殺傷能力が無いとしても、

ただ形を模しただけのエアガンモデルガンを見ただけで

著しい心理的苦痛が巻き起こされるような人はいる。

しかし彼にそんな症状はない。

「嫌い」というだけだ。

彼は「嫌いである」故に、

何の罪もない学生の作ったビラをわざわざ撤去させたのだ。

僕の大学では、サークルのビラは掲示板以外での掲示が許されていない。

それ故に、ビラが目に入る場所なんて決まりきった、ごく一部の場所に限られている。

それならせいぜい前を通りかかるときだけほんの少し目をつぶればいい話だ。

ビラは彼一人の意見によって撤去されたという。

一方、ビラを作成したのはとあるサークルで、複数人学生が関わっていることは明らかだ。

しかも何の落ち度もない。

彼のやったことはあまり力ずくではないだろうか。

平和主義であるのに、自分意見のみで相手を捻じ曲げるとはこれいかに。

CMだってしょっちゅう内容の変更や放送の中止がある。

もちろん一般的に見てもアウトなないようもあったとは思うけど、

その多くは、あのアメリカ人講師のような、

所謂ノイジーマイノリティに殺されたものが多いんじゃないだろうか。

世の中には思ったより多くの人間がいる。

自分が気に入らない物にも、それを好きな人はいる。

気軽に排除を求めるべきではない。

自分の好きなものがこの世から消えたらどうする?


P.S.

そういうクレームを受ける企業側としては、

やはり客商売である以上迎合する必要に迫られると思う。

からこそ僕らの方が、そういう暴力的否定排除をしないように努める必要があるんじゃないだろうか。

2017-08-16

僕と認知症祖母

地元に帰ると基本的祖母に会いに行く。

しかし住んでるのは、家は家でも老人ホームだ。

僕は老人ホームに行くのが嫌いだ。

正確に言えば、『認知症の進んだ祖母のいる老人ホーム』に行くのが。

今年で96歳。

あと1年半ほど生きていれば、大正昭和平成、そしてその次と、4つの時代を生きていることになる。

10年前までは普通に一人暮らしをしていたけれど、ある日偶然足を骨折してしまった。

年のせいでなかなか回復せず、やっと治った頃には筋肉の方が衰え、どんどん動けなくなった。

これじゃ一人暮らしはもう無理だということで親戚の家に移ることになった。

最終的に、介護する余裕のある伯母(祖母からすりゃ娘)の家に住むことになり、割と裕福な家庭だったので段差を無くしたり手すりをつけたりするようなリフォームなどもしていた。

しかし伯父と伯母も70過ぎで、どちらかと言うとそろそろ介護される側だ。

だんだん余裕がなくなり、近くにある老人ホームに移ることとなった。

それ以前にもデイケアでお世話になっていた所なので安心ではあった。

しか他人ばかりの、自分で好きに出来ない施設に送られるというのはどうにもモヤモヤするものがあった。どうにもできなかったけど。

1年ほどは普通に過ごしていた。

でも、老人ホームに入り2年目になったあたりでボケ始めた。



確か大学2年生の夏休みだろうか。

車椅子にこそ座っているが、至って元気そうな姿を見て安心した覚えがある。

僕の顔も名前も覚えていた。

でも、ちょっと舌が回っていないようだったし、母と祖母の2人にしかからないような話をしていた様子だったので、僕は横で微笑むしかなかった。

祖母はしきりに

『伯母夫婦が私の貯金勝手に使っている』

という旨の話をしていた。

僕は

『世話をしていたとはいえ、勝手に使うのはなあ』

と、少し伯母夫婦に不信感を覚えた。

僕はバカだった。

足腰以外は至って健康だと思っていた祖母は、既にボケていたのだった。

だって、2人にしかからない話をしていたのではなく、優しく話を合わせていただけでしかなかった。


次の帰省で会いに行った時、

残念ながら症状は進行していた。

僕の顔を見て、

『〇〇かい?(別の孫の名前)』と言った。

正直、親戚の家に移った8年程前から半年に1度ほどしか会っていないし、仕方の無いことだと思った。

この辺りからは杖を使って歩くこともダメになっていた。

車椅子から職員に肩を抱えられベッドに移る姿は悲しいものだった。

この時は、話している途中で僕のことを思い出したようで、すると

タンスにお菓子仕舞ってあるから出そうね』と言って立ち上がろうとして、隣にいた職員に止められていた。何度も。

もちろんタンスにお菓子などない。

その時、祖母の頭の中では、自分はまだ自由に動けて、僕はまだ小学生くらいの小さい子供だったのかもしれない。

切なくて涙がこぼれた。

感動映画とか、ドラマとか、漫画とかを読んでも基本泣かない人間なのにだ。




そして今回。

まり帰省出来る金がなく、1年ぶりの帰省となってしまった。

僕は大学卒業して社会人になった。

祖母の中では僕がどう映っているかからないが。

もう、祖母が僕のことは露ほども覚えていないことを覚悟して向かった。

顔を合わせると、

『どちらさまですか』と言われた。

娘と孫だ。

前までは名前を言えばなんとか思い出せていた。

しかダメだった。

僕はむしろスッキリしたのかもしれない。

その後も、ずっと祖母は見知らぬ人間と話すように、敬語を使い続けた。

しかし、途中から

『見覚えのある方ですね。どこでお会いしましたっけ?』と繰り返すようになった。

中途半端希望的な言葉を言われ、ここまでこらえていた涙が出てきた。



すこし話はズレるが、

僕は日本一泣ける歌はPV込みで

ミドリカワ書房の『恍惚の人』だと思っている。

僕の祖母もこの歌の歌詞みたいに、

一番関わりのある(面会に来る)伯母の名前だけを覚えている。

でも、自分の娘だということはよく分かっていない。


僕はこれからも、祖母と顔を合わせるたびに泣いてしまうだろう。

そして、きっと祖母が死んだときは、それほど泣かないのだと思う。

理由は、はっきりと言うのはあまりに非倫理的であるように思われるので

心のうちにとどめておきたい。匿名であってもだ。

親孝行 したいときには 親はなし」

こんな言葉があるけれど、今では亡くなるのではなく、

無くなってしまうのだ。記憶が。思い出が。

寿命は延びたかもしれないけど、やはり五体満足である期間は短い。

子供の作文の締めくくりみたいになるけど、

やはり親も先は長くないし、出来ることは今のうちにしなきゃいけないなと思った。

2017-08-12

倫理的リスキー」という概念

犯罪被害者を嘘つき判定する人ってSNSでよくいるよね。たとえば「財布盗まれた!」っていうツイートに「はい嘘松〜」とリプライしたりする人。

さっきは「うちの猫が知らない人に暴行されて殺された」とツイートした人に「状況が怪しい。お前が殺したんだろ」みたいなリプライ複数付いていた。

で、こういうふうに、被害を主張する人に対して不十分な情報に基づいて嘘判定・自演判定して、そのことを本人に言うのって、倫理的リスキーだと思うんだよね。

財布の例で言うと、もし「財布盗まれた!」発言が嘘である場合、「はい嘘松〜」は真実を暴く正義の行いということになる。しかし、もし「財布盗まれた!」発言が本当である場合、「はい嘘松〜」は無駄被害者の傷に塩を塗る悪の行いということになる。つまり、「はい嘘松〜」は一定確率で善でもありうるし悪でもありうる。が、与えられた情報のもとでは確定できない。そういう意味で、倫理的リスキー

はてブコメントでも、倫理的リスキー発言をする人はいる。ある女性レイプ事件報道されたときに「証言が怪しい。嘘だろ」みたいなコメントがいくつかあったのを覚えている。

じゃあ倫理的リスキー発言は、結果が確定する以前にはgoodなのかevilなのか。どうなんでしょうね。憶測で人を悪と決めつけるのはなんとなくevilだと思いますけど。

2017-08-11

https://anond.hatelabo.jp/20170811171959

コレだな。俺的にはこの意見全面的に支持する。

 言っちゃナンだが社会倫理的規範だとか風紀的影響なんてのを"誰も期待してない"んだよ、この人に。ww

権威だとか言っちゃうのは映画やり始めてからの生まれなんだろうけど、ツービートの頃から世間の手本になろうってつもりはないと思う。

 もしかしたら女性を不幸にしない不倫ってのも(金があればw)あって、それをやってるのもあるのかもな。この人はその辺の話は綺麗事ごまさないしね。

それと後はタニマチだかケツモチだかもあるのか知らんけど、そういうのは週刊誌すら書かないからねぇ…。元増田ガチ不倫が悪いもので根絶したいと思ってるなら、女の側も金や強さに靡かないようならないと無理だよ。結局、他人下半身ネタに盛り上がるのなんて全部マウントなんだから、気にしない方が楽に生きられると思うよ? 余計なお世話かもしれないけど。

教養倫理感に相関関係はあるのか?

中卒の知人がDeNA入社した。

まあ学歴はどうでもいいけど、思考が浅くて、エンジニアとして以外のことはてんで無知。もう無教養の塊。

そしてDeNA入社ときた。

DeNAといえば、倫理度外視、もう社会存在していいのかどうか問われるべき企業といっても異論はないと思う。

自分だったら絶対入社したくない。

そしてふと思ったんだ。教養がある=倫理的素養がある、という図式が成り立つかどうか。

因果関係がないのはあきらか。頭はいいけど、詐欺を働くやつ、頭はいいけどソーシャルゲーム業界にいて、何も感じないやつ。

でもかの孔子教養とは、学とは道徳であると、言ったような言ってないようなうろ覚えだけど。

少なくとも相関関係存在するんじゃないだろうか?

そこの諸君、どう思う?

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