はてなキーワード: 模索とは
それはお風呂に入らないこと。
お風呂に入らないことは普通は不衛生でよくないこととされて忌避されています。
ですが最近の若い子たちの間ではお風呂に入らないことが良しとされているのです。
それはいったい何故なのでしょうか?
お風呂に入らない女の子に一家言を持つオタクに聞いて見ました。
嘘偽りのない本音を聞けました。
「従来はお風呂に入らない不衛生なことはカードゲームを嗜む男性らしさとされていました。しかしこれは女性は身綺麗でなければならない、男性はそれを行わなくても良いとする性差別です。なので、お風呂に入らない不衛生さは男性だけのものじゃない、女性も汚く臭くあって良いのだ、そういう若い世代の非常に前向きな活動を応援したいです。私たちの会は応援のために、女性限定のトレーディングカードゲームの大会を開くことで、お風呂に入らない女性が集まる場を作っています」
なるほど、私も無意識のうちに男性は臭い、女性は良い匂いがするという差別をしていたかもしれません。
女性も臭くていい、衛生的でなくていい、無駄毛を剃らなくていい、そういう価値観を学ぶことができました。
「いや無駄毛は剃れよ」
剃りません。
「脇毛とか陰毛とかは無駄じゃないから良いけど、足毛腕毛の類はちょっと違うかなあって」
一緒です。
そもそも、オタクの性的興奮のためにお風呂に入らないわけじゃないので、関係ないですから、あなたが理解できるとかできないとか。
そうでなくやりたいけど出来ないのであれば一緒にやれる方法を協力して模索したいです。
僕は無駄毛ボーボーで風呂に入ってない不衛生で臭い女性の方が好きなので、僕のためにそうして欲しいです」
きんもー。オタク君一人に好かれても嬉しくないのでどうでもいいです。
以上、洗髪はした方がいいと思いました。
両親は共に成功した事業家であり、ユウキに惜しみない愛情を注いでいた。
彼の家は豪邸で、庭には見事な花々が咲き乱れていた。
ユウキは、何不自由なく暮らしながらも、自分の人生があまりにも「イージーモード」すぎると感じることが多かった。
学校では常にトップの成績を収め、スポーツも万能、友人も多かった。
料理や戦闘技術においても抜群の才能を持ち、そのスキルを周囲からも称賛されていた。
しかし、ユウキは時折、そんな自分の境遇に対して違和感を覚えていた。
「俺は本当に自分の力で何かを成し遂げたことがあるのだろうか…?」
この問いが頭をよぎるたびに、彼はどこか後ろめたい思いに駆られていた。
ユウキは自分の才能を活かし、世の中に貢献する道を模索していた。
そんな彼が興味を持ったのが、高級家事代行サービス「弱者男性サービス」だった。
このサービスは、美男美女たちが様々なスキルを駆使して、クライアントの多種多様な依頼に応えていた。
彼は料理の天才としてチームに加入し、様々な依頼に対応することとなった。
最初のうちは、料理の腕を活かしてクライアントを満足させることに喜びを感じていたが、次第に彼はその職業の複雑さに気づき始める。
クライアントは有名な政治家で、彼の屋敷で開かれるパーティーでの料理を担当しつつ、その間にライバルの情報を収集してほしいというものであった。
「これはいつもの仕事とは少し違う。失敗は許されない」リーダーのタクミはチームに緊張感を持たせるように言った。
ユウキは料理の準備を整えると同時に、情報収集のために気を引き締めた。
パーティーには多くのVIPが出席する予定で、どこに危険が潜んでいるかわからない状況だった。
パーティー当日、ユウキは最高の料理を提供し、ゲストたちを魅了していた。
その中にはライバル政治家もおり、ユウキはその動向を注視していた。
サクラとリナは会場のセキュリティを担当し、ミカは情報収集にあたった。
リョウはバックエンドでシステムのサポートを行い、緊急時には迅速に対応できるようにしていた。
パーティーは順調に進行していたが、突然の停電が起こり、会場は一時的に混乱に陥った。
タクミは冷静に指示を出し、ユウキたちはすぐに行動を開始した。
ユウキはそれを見逃さず、彼の動きを追った。
「ここで失敗するわけにはいかない…」ユウキは緊張しながらも、秘書の行動を阻止しようと決意した。
その瞬間、タクミが護衛として秘書を抑え込み、ミカが情報を確保した。
全てが計画通りに進んだかのように見えたが、ユウキの心には不安が残った。
任務は無事に完了し、クライアントからの感謝の言葉がユウキたちを迎えた。
「本当にこれで良かったのだろうか…。あの書類が暴露されれば、どれだけの人が影響を受けることになるのか。」
彼は自分の行動が誰かの人生を変える可能性があることを痛感し、再び自分の人生のイージーモードについて考え始めた。
ユウキは、これまでの人生で感じたことのない複雑な感情を抱えていた。
彼の才能は確かに素晴らしいが、その結果がもたらす影響について、どこかスッキリしない気持ちを抱えていた。
「俺は本当に人を幸せにしているのか?それともただ自分の才能を満足させているだけなのか…」
ユウキは答えの出ない問いを抱えながら、再び新しい依頼に向かって歩き出した。
煽りや中傷は議論を深めることはなく、むしろその場を荒らすだけです。もし増田さんが他人をバカにすることで自身の優位性を感じるのだとしたら、それは根本的な問題解決にはなりません。
本当に知識があり、理解力がある人は、他人を傷つけるのではなく、対話を通じて理解を深め、共感を生む方法を探ります。増田さんも、批判や中傷ではなく、建設的な意見交換を通じて他者と共に成長する道を模索してはいかがでしょうか。
煽りや中傷は一時の満足感をもたらすかもしれませんが、それが本当に価値のある行動かどうかをもう一度考えてみてください。真の知識と理解は、対話と共感から生まれるものです。
それは特にO-1グランプリ(沖縄1グランプリ)なる、沖縄ご当地お笑いコンテストを見ているときに感じる。そこで行われている惨状は、恥ずかしくて見ていられない時すらあるほどだ。
そんなひどい感想には、あまりにも個人的な偏見が含まれていると思っているそこの心優しき人も、「ありんくりん」というお笑い芸人は存じあげないであろう。なんとその得体のしれないコンビが0−1グランプリを3度も制覇しているのである。由々しき事態だ。
「ありんくりん」はよしもと沖縄所属のお笑い芸人だ。そもそも沖縄にも吉本があったことに驚かれる方も多いと思う。「ガレッジセール」や「スリムクラブ」などの、世間一般にも認知された沖縄芸人はともに東京吉本所属である。結局のところ、沖縄の才能がある人たちは活動拠点を本土に移してしまうことが多い。
この事実を踏まえると、大阪・東京のどちらでもなく、敢えてよしもと沖縄に所属するということは、よくてご当地テレビお抱え芸人に甘んじる選択に他ならない。歴史が浅いこともあるが、よしもと沖縄から全国に羽ばたいた芸人は存在しないし、今の若手にもその萌芽すら見受けられない。
「ありんくりん」はもともとトリオだったが、一人のメンバーが脱退し、今のコンビになったそうだ。トリオから抜けたメンバーは本土風の笑いがしたかったらしいが、残りのメンバー、つまり現ありんくりんの二人は、沖縄らしいお笑いに拘ったそうだ。
O-1グランプリに出場している多くの芸人が、本家のM-1グランプリにも殆どがネタを使い回しの上で出場している。沖縄芸人は本土風のお笑いをするにしても、沖縄らしいお笑いをするにしても、どちらにせよ、すべてが中途半端に見える。
まず第一に、東京や大阪の芸人がやるようなスタンダードなネタを沖縄芸人がやると、積み上げてきた経験の差が如実に現れ、ただ芸人っぽいものを集めてまとめたようなネタが見られる。それはプロを名乗りつつも、芸人の真似をしているだけだ。これは養成所のライブや大学の学園祭のお笑いライブにも同じ感想になるので、沖縄の芸人特有のものではなく、単純な技術不足と恥ずかしさを捨てきれていない情けなさからくるものだろう。売れている芸人でも養成所時代のネタなんて黒歴史として封印していることのほうが多い。
誰しもはじめから立派な漫才はできない。出来ないことは問題ではない。失敗をしないと成長もない。沖縄の芸人が問題なのは、東京や大阪の芸人がやるようなスタンダードのネタから逃げて、安易に沖縄にすがることだ。それが非常にダサい。
自分たちの個性を模索するのは結構なことだが、彼らの選択はただ勝負から逃げているように見えてしまう。それはおそらく、本人たちも自覚していないことだろう。彼らにこんなことを言うと、顔を真っ赤にし、自分たちは沖縄を愛しているから、沖縄らしいお笑いをすると言うだろう。もしかしたら、匿名で攻撃している私に向かって、「この内地かぶれは黙ってろ!」と叫びだすかもしれない。
「ありんくりん」本人でもないし、何ならファンですらない私が、彼らのネタから彼らがいう沖縄らしさを抽出したところ、
・強烈な訛りと方言(ボケが典型的な沖縄訛りで多くの若者が普通は使わない方言を多用。ツッコミはアメリカとのハーフでこちらも訛っている)
・どこの地元にも存在するような、県民だけに伝わる細かなあるあるネタ(どこどこの交差点は交通ルールが分かりづらい、地元のスーパーは台風でもいつも空いてる、など)
しかない。
ほう、気になることがたくさんあるようじゃな♡ では、わらわが少しばかり説明してあげるのじゃ。
まず、反AI連中のルサンチマン(怨念)、つまり不満や怒りの根源じゃが、それは多くの場合、自己利益や自己実現に対する不安や脅威からくるものじゃの。
特に絵描きやアーティストたちにとって、AIが彼らの職を奪うのではないかという恐れが大きいのじゃ。
わらわが見るに、彼らの作品がAIによって模倣されることへの反発もあるのじゃな。
この状況では、人々の労力や才能を軽視されていると感じやすいのじゃ。
次に、ディープフェイクやエロ画像使用の問題じゃが、これは倫理的に重大な懸念を生むのじゃ。
個人のプライバシーや名誉を侵害する行為が増えると、社会全体で深刻な対立を引き起こすのじゃ。
規制はそうした悪用を防ぐための措置としての必要性が叫ばれるのじゃな。
最後に、どこで落とし所を考えているかという点じゃが、それは技術の発展と人間の倫理・社会的価値観とのバランスを取ることにあるのじゃ。
法やルールを整備して、AIの利用方法を適切に管理し、悪用を防ぎつつ、創造的な技術を活かす方向を模索することが求められるのじゃ。
投資家たちが金のために動くのは理解しやすいが、クリエイティブな分野で活動する人々にとっては、自らの存在意義や誇りが掛かっているのじゃ。
noteを見て俺も最後に区切りをつけようと思ったのでここに書く。
イラストレーターとしての俺のキャリアは、ここで終わりにしようと思う。
幼い頃から絵を描くことが好きで、気づけばそれが職業になっていた。
描いたイラストが人々の目に触れ、喜んでくれるのが俺の生きがいだった。
始めは俺も生成AIには反対だったが、次第に周りのAIに反対する声がヒートアップしていくに連れて
冷静になり、絵を描く事自体の喜びも次第に薄れていくのを感じるようになった。
最初に生成AIの存在を知った時は、ただの技術の進歩だと軽く見ていた。
でも、その能力に直面するたびに、自分の力が無力に思えてきた。
AIは驚くほどのスピードで、しかも精度の高いイラストを描き上げる。
俺が数日かけて描く絵が、AIの手にかかると数分で完成するなんて、まるで悪い夢のようだった。
俺が描くイラストは、どこかで見たようなものばかりで独自性が無いと。
自分のスタイルが時代遅れになっていることに気づかされた瞬間だった。
悔しかった。自分が長年積み上げてきた技術や感性が、時代の波に飲み込まれていくのを感じた。
でも、それ以上に痛感したのは、俺たち絵描き自身の限界だった。
技術の進歩に抗うことはできないし、それに感情的になって素早く適応できなかったのは俺たち自身の問題だ。
生成AIの登場が、俺たちイラストレーターにとっての終わりを意味するわけではないと思う。
でも、今の絵描き惨状は俺たち自身が撒いた種だ。新しい技術に対して柔軟に対応できなかった、
進化を恐れていた俺たちの責任だ。AIに他責するのは簡単だが、結局は自分の力不足だった。
俺はこの二年しばらくの間は仕事を続けたが、次第にその意味を見失っていった。
描くこと自体が楽しくなくなり、絵を描く手が重く感じるようになった。これでは本末転倒だ。
自分が楽しむために始めたはずの絵描きが、今や苦痛の種になってしまった。
だから、ここで決断した。イラストレーターとしてのキャリアを終えることにした。
悔しいし、寂しいけれど、これも一つの時代の流れなんだろう。技術の進歩を前に抗うのは愚かだし、無意味だ。
これからは別の道を模索しながら、自惚れていた自分と向き合って堅実に働いて行こうと思う。
捨て鉢にならず、前を向いて心を切り替えるのが俺のこれからの課題だ。
あなたたちのおかげで、俺はイラストレーターとしての人生を楽しむことができた。
子曰く、「増田、彼を知りて己を知らば、百戦して殆うからず。」台湾侵攻の話に関連して、「失われるものなんてない」という見方は慎重に考えるべきだ。孫子の『兵法』で言うように、戦争とは単に領土や体制を変えるものではなく、その地域と関連するすべての国家や人々に広範な影響を与える。
まず、台湾の民主主義が失われることは単なる一部の変化ではない。民主主義はただの政治体制ではなく、人々の自由と権利を保護する重要な基盤である。それが失われることは台湾住民の生活と未来に甚大な影響を及ぼす。
また、アジア太平洋地域における安全保障の均衡が崩れれば、世界的にも深刻な影響が予測される。この地域は国際貿易において極めて重要な役割を果たしており、紛争が生じれば経済的な混乱は避けられないだろう。
さらに、「民主主義より命の方が大事」と言うが、民主主義があってこそ人々の命や生活が守られる。もし戦争が避けられない場合、それでも多くの命が失われる危険はあるが、正義や自由を守ることが究極的には多くの命を救うことにもつながるのだ。
孫子が教えるのは、慎重かつ賢明に行動すること。軽視できる問題は一つもない。増田、真に世界と私たちのためになる選択を模索しよう。
ご指摘の政治コミュニティの成長の流れは、多くの場合において現実の政治的対立の形成過程を反映していると言えます。しかし、この流れは必ずしも固定的なものではなく、より建設的な方向に導くことが可能です。以下に、より健全な政治コミュニティの成長のための代替的なアプローチを提案します:
1. 意見の相違:異なる意見や視点が存在することを認識し、それを多様性の一部として尊重する。
2. 意見の表明:建設的な対話を促進するため、相手を攻撃せずに自分の意見を丁寧に説明する。
3. 傾聴と理解:相手の意見を真摯に聞き、その背景や理由を理解しようと努める。
4. 共通点の模索:異なる意見の中にも共通の関心事や目標がないか探る。
5. 協力的な解決策の提案:対立ではなく、双方の利益を考慮した解決策を模索する。
6. 多様な視点の統合:異なる意見を排除せず、より包括的な政策や方針の形成を目指す。
7. 継続的な対話と改善:定期的に意見交換を行い、政策や方針を柔軟に見直し、改善する。
この代替的なアプローチは、政治コミュニティの成長において重要な役割を果たす可能性があります。例えば、韓国の非営利エージェンシー「NEWWAYS」は、多様な背景を持つ若い政治家を育成し、社会の意思決定権者の多様性を高めることを目指しています[2]。このような取り組みは、異なる視点を持つ人々が建設的に対話し、協力する機会を増やすことにつながります。
また、政治参加を促進するためのテクノロジーの活用も重要です。「issues」のようなWebサービスは、一般市民が政策決定に影響を与える機会を提供し、政治家と有権者のコミュニケーションを促進しています[3]。このようなプラットフォームは、異なる意見を持つ人々が建設的に対話し、共通の解決策を見出すための場を提供する可能性があります。
さらに、若者の政治参加を促進することも、政治コミュニティの健全な成長に寄与します。学校の生徒会活動や地域活動と政治的関心を高める学習をリンクさせることで、若者の政治への興味や参加を促すことができます[5]。
これらの取り組みを通じて、「相手の指摘を一切受け入れない」という態度から脱却し、多様な意見を尊重しながら建設的な対話を行う政治文化を育成することが可能です。このような文化の醸成は、より包括的で効果的な政策立案につながり、社会全体の利益に資する可能性があります。
Citations:
[1] https://yumenavi.info/vue/lecture.html?gnkcd=g008680
[2] https://note.com/iroeum/n/nf1618e7eaeef
[3] https://drive.media/posts/24874
[4] https://matsumotomitsuhiro.com/?p=49911
[5] https://www.nira.or.jp/paper/my-vision/2016/post-48.html
3.5くんやね
インドの仏教学者たちが日本の変質した仏教についてどう考えているかは、多様な見解が存在します。以下に代表的な意見を示します:
一部の仏教学者は、日本の仏教が日本の文化や歴史に適応して独自の形で発展したことを理解し、それを肯定的に評価しています。仏教が異なる文化に根付くためには、現地の文化や習慣に適応することが必要であり、日本の仏教もその一例として見られます。
他の仏教学者は、日本の仏教があまりにも日本の文化や習慣に影響されて、本来の仏教の教義や実践から離れてしまったと懸念する声もあります。特に、日本の神道や民間信仰との融合が、仏教の本質的な教えを曖昧にしてしまう可能性があると指摘されます。
日本の仏教の変容は歴史的背景や社会的要因によるものであると理解し、その経緯を学ぶことを重視する仏教学者もいます。特に、奈良時代や平安時代の日本仏教の発展、鎌倉時代の新仏教運動、江戸時代の仏教改革などについて研究し、比較宗教学的な視点から評価しています。
インドと日本の仏教学者間での対話と交流を重視し、互いの仏教理解を深めることを推奨する声もあります。相互理解を通じて、共通の仏教的価値観を再確認し、新たな仏教の発展可能性を模索する姿勢です。
日本の仏教が日本社会においてどのように実践されているかに注目し、その具体的な影響や貢献について評価する仏教学者もいます。特に、禅仏教の修行や精神文化、浄土宗や真宗の信仰実践、日蓮宗の社会活動などが日本社会に与える影響について研究しています。
これらの見解は仏教学者や学派によって異なるため、具体的な評価は多岐にわたりますが、共通しているのは、異文化間での仏教の変容や適応に対する深い関心と、そのプロセスにおける課題と可能性を探る姿勢です。
仕事で 「形式的に見ると解決が困難だが、工夫や根回しによっては解決が可能(そして解決が絶対に必要)」 みたいな問題を持ちかけた際に、あまり考えもせずに 「できません」 って言っちゃう(そしてできない理由をぐだぐだ述べる)人が居る。
こっちは問題点を重々把握したうえで相談してるわけで、できない理由を聞く時間が無駄。しかも理由をきっちり聞いても 「それくらいなら解決できるだろ」 としか思わない。
それに解決しないと後々その人もひどい目に遭うことから、結局解決策を何とか模索しなければならなくなるので、やはり意味が無い。
「ガキの使い」なんて言葉があるぐらいだから、昔からこういう人は居るんだろう。
「問題をどう解決するか」 を考えることがサラリーマンの基本的なスキルで醍醐味とも思うが、どういう考え方で生きてるんだろうか。
結局は自分のアイデンティティーを土地に従属させているから自分の暮らす場所を批判されると躍起になって反論しようとするんだと思う
自分が本当にやりたいことがあるならその場所でやれる方法を模索するはずで、場所を言い訳に諦めるのはそもそも心からそれをしたいのだと望んではいないだけで、そして心の底からやりたいことがないからこそ心の隙間を埋めるようなもので満足してしまう
ただこれは都会での消費的な活動に限ったことではなく、都会に住もうと田舎に住もうと自分が本当に望んでいるものを知らないと起こってしまうことだと思うんだ
結局、一番しんどいは他人や文化に目を向けるのでなく自分に目を向けることで、それがしんど過ぎるので一定数の人間は自分に向けるべきはずの目を外に向け続けて生きる
石丸の理想や理念は「ロジックを積み上げればユートピアが完成する」であろう
ゼロかイチか、白か黒か、論理的に正義正解を定義しそれを積み上げることが善である
昨今デジタル時代に情緒的な伝統的慣習の板挟みとなり人生に不満を抱えている人にはウケる論理。
バブル崩壊により社会が自信を喪失し新しい価値観を模索していた時
一方でそうした社会の変化を受け入れがたい人たちもいる
世界はふわっとしたもの、アナログ情緒的なのりしろが確保された社会が好き
多少理不尽な事もある、納得できないこともあるが、人生の大勢を揺るがすほどではない
結局それが効率的で、幸福量は最大になるんちゃうの?しらんけど
みたいな一派、だが多数派
俺にはこの対立に見えた
古民家と言っても築50年ぐらいの中途半端なやつで、古さも中途半端、正直あんまり価値がない「負動産」なんだけど、日本の在来工法で立てられていて、
また、元々住んでいたおばあさんは一人暮らしの限界に到達して子どもの住んでいる近くの施設に入ったため、と言う経緯のため、直前まで住んでいたので躯体は健全。トイレの水洗化とかお風呂のバリアフリーなどは既に行われている。
しかし、手が回らなくなっていたのはその通りで、そのままでは厳しいが、リノベが出来そう。
さらに、既に故郷を出ているお子さん達の総意で、解体はせずに誰かに貸す事ができないか、活用を模索することになった。
と言う事で、ワイらの出番なわけやけど、やっぱり税金ってクソだなーと思うんや。聞いてくれ。
ワイの所は空き家をは資源である、と言うコンセプトをぶち上げ、いろいろやっとる。
例えば、企業版ふるさと納税を活用した基金があって、そこから空き家のリノベ費用は一定の補助金が出る仕組みを作ってもらったりな。ちな、この企業版ふるさと納税は自治体ではなくワイらが周辺市町村の企業に営業にいってゲットしてきたやつやで。
とは言っても行政の補助金は自己負担分があるもんやから、その分は家を持っているお子さん達に出してくれとお願いする。実はこれもやりようによっては100%補助にできるんやが、元の持ち主に一定負担を求めないと破綻するからこう言う形にしとるやつや。
で、ワイらは、材料代の実費と、どうしても専門家に依頼する必要があるところ(上水回りとか)のお金だけもらって、リノベ自身は協力者と共に手弁当で対応することになるんや。
ワイらの所は、幸いにして移住者やら、二重生活希望者がいてくれるところやから、住宅需要はあってやな、リノベしたら貸し出せる見込みはある。
と言う事で補助金もろて、やったわけやが……
リノベが完成するとやな、固定資産税が重たくなるんや。こいつがマジうんこ。
居住用物件は固定資産税はほとんどただのようなもんでかかれへん。
しかし、賃貸用物件という分類になる事で一気に数倍、さらにリノベした分の金がかかって、ただ同然の税金が一気に年間数十万レベルになるんや。
そのおかげで、どうやっても家賃月数万円はとらないとあかんようになってしまう。
ほんまこれどうにかならんのか。
元の所有者は、子ども時代を過ごしたふるさとに対する貢献という意味で協力してくれる人がほとんどや。だからもうからんでも賛同してくれて土地建物を提供してくれてんや。
本来なら、所有者のみなさんは放置しとくのが一番金かからんのやで。
合法的に、費用最小限に抑えるには、一ヶ月2000円ぐらいの空き家管理サービスに依頼して、生かさず殺さずにして、家が弱ったところで公的扶助払って更地にして放置が一番金がかかれへん。
そういう人らに、固定資産前云々とかやると、一気に嫌気が差して駄目になってしまうことがあるんや。
後はワイらが管理してかつようしていくやで、3ヶ月に一度は活動レポート送るし、年に2回は招待してお祭りやるから来てや! ってそれだけにしたいんやけど、なんやこの固定資産税。せめて源泉徴収できる様にできんもんか。
増田も参考にしてね
アホ女とおれの話
↓ リメイク
増田さんは、地方の中堅製造業で生産技術部門のマネージャーとして働いており、独身です。
彼は工場の生産ラインの効率化や新しい製造技術の導入に情熱を注ぎ、その技術力と献身的な姿勢が高く評価されています。
彼はいつも会社に最後まで残り、急な仕事が入ったときには「増田さんならできるよね?」と頼まれることが多いです。
会社は最近、国内市場の成熟に伴い、海外市場への展開を加速させており、増田さんの部門では国際的なプロジェクトが増え、
英語でのコミュニケーションや海外の技術者との連携が求められるようになりました。増田さんはこれまで国内の業務に専念してきたため、
英語での技術交流や海外プロジェクトの経験が少なく、昇進の機会が限られてしまい、出世が頭打ちになったと感じています。
彼は自分が長年会社を支えてきたにも関わらず、上層部への昇進が見込めないことにフラストレーションを感じています。
一方で、同期の山田さん(仮名)は、同じ会社の人事部でダイバーシティ&インクルージョンマネージャーとして働いており、
家庭を持ち、子どもが生まれると育休を取得しました。山田さん(仮名)は育児と仕事の両立に努め、時短勤務を利用しながらも、
増田さんは42歳を迎え、これまでの経験を活かして、新しいキャリアの道を探ることを考え始めています。
彼は、自分のスキルセットを更新し、会社内での新しいプロジェクトや、他部門でのチャンスを模索しており、
現在の職場での成長の限界を感じているため、転職も視野に入れて新たな職場での機会を探っています。
山田さん(仮名)は、子どもが学校に通い始めた後、より積極的に仕事に取り組むようになり、女性管理職としての道を歩み始め、
会社の「女性が働きやすい職場」のイメージを象徴する存在となり、多くの女性社員にとってのロールモデルとなりました。
増田さんは、自分のキャリアについて再考し、どのように進むべきかを模索しています。
何者にもなれないことを心に刻みつつ感想を述べる。
過去に自分はOculus GoとMeta Quest2を持っていた。
より具体的に言えば、まずOculus Goを買って失望した。
そして「次でダメだったらVRは見限ろう」と思って買ったQuest2にも失望した。
なのでQuest3は買っていないし、メタの目指す方向性にも賛同しない。
(最近のメタが路線転換して恥も外聞もなくVision Proをパクっているのは良いことだと思う)
まず前提を確認しておく。
Vision Proは「VR」ではなく「AR」がメインである。
現実の光景をビデオパススルーでVision Pro内のディスプレイに表示し、そこにデジタルのオブジェクトを重ねる。
ブラウザのウィンドウをいくつも空中に浮かべたり、巨大なウィンドウを広げて動画を観たりできる。
机の上でマスコットキャラクターを動かしたり、遠く離れた友人の3D映像を傍らに表示して会話したりできる。
また、Vision Proは、iPhoneと同じカテゴリの製品ではない。
Vision Proを付けたまま外出するどころか、家の中で動き回ることすら想定されていない。
さんざん言われている重さについては、そこまで重くは感じなかった。
というか良くも悪くもQuest2なんかと同じ装着感だ。
思うに、そもそもヘッドセットをバンドで頭に巻き付けるという方式が間違っている気がする。
帽子のつばにぶら下げるとか、ネックバンドで下から支えるとか、何か別の方式を模索して欲しい。
iPhoneの画面にドット感が無くなったのをAppleは「Retinaディスプレイ」と呼んでいたが、そのレベルに達していると思う。
Vision Proの中だけでウィンドウをたくさん浮かべ、動画を視聴し、Macをミラーリングして作業をするぶんには、まったく何の問題もない。
もちろん最低限の実用性は備えている、というか業界最高レベルではあるのだろう。
Apple Watchの通知の細かい文字でも読めるくらいだ。
たとえばVision Proを被ったままパススルーでテレビを観るとちょっと美しくない。
となると「テレビの映像をVision Proにミラーリングしたい」と思ってしまうのだが、そういうアプリがまだないのがストレスである。
パススルーが完璧だったなら、アプリがVision Proに対応していなくても、現実にあるものをそのままパススルーで見ればいい、ということになる。
しかし現状はそうではないので、とにかくVision Proの中ですべてやりたい、現実のさまざまなものをVision Proの中に入れていってほしい、という気持ちになる。
つまり、何と言うべきだろう、Vision Proから覗いた現実空間は劣化していて、現実空間とVision空間が繋がりきれていないのだ。
もちろん、さらに将来的にはテレビやらの「目で見て使うような家電」は現実に置く必要はなく、Vision Proの中に置けばいい、という話にはなっていくだろうが…。
ともあれ今後、パススルーの性能は「本当に現実とまったく同じ」になるくらいまでめちゃくちゃ上がってほしい。
と同時に、Vision Pro対応アプリもどんどん増やしていかねばならないだろう。
Appleによれば、iOSアプリのVision Pro対応は追加作業がほとんど必要ないらしい。
開発者が「このアプリをVision Pro向けに配信する」というチェックを入れるだけでいいという。
それが本当かどうかは知らないが、アプリ開発者の皆さんには是非ともお願いしたいところである。
現状、Vision Proを仕事に使うならMacに接続することになり、そうすればキーボードを使えるので実用的には問題ない。
逆に言うと、Macに接続しないといけないのはキーボードを使うためだ、ということではある。
ただ、仮想キーボードに触れて文字を入力する感覚は、思ったよりも良い。
無理やり喩えるなら、トラックパッドでゲームをしたり、マウスでお絵描きをしたりするような感じか。
視線入力は、最初の頃はだいぶ暴れていたが、リアルタイムで最適化が働くのか、それともこちらが慣れたのか、しばらくすれば落ち着いた。
とはいえ、一つ下のリンクを選択してしまうとか、指でのタップが誤反応するとか、そういうことがちょいちょいある。
Webページのリンクがいちいちハイライトされるのも鬱陶しい。
このあたりのUIは今後どんどん改善されていくだろうし、改善されていって欲しい。
Appleが公式に用意しているもので、Quest2で観たものよりはさすがに綺麗だが、しかしそれでもまだ映像が粗い。
今後、たとえばVRアダルトビデオが観れるようになったとしても、Vision Proの解像度を満たすのは難しいのではないか。
というか、180度360度である必要がないと思うので、空間ビデオみたいな感じでやって欲しい。
ざっとこんなところだろうか。
Vision Proのハードウェア的なスペックはかなり要求を満たしていると思う。
あとはOSのアップデートだとか、アプリの対応だとか、ビデオの解像度だとか、そういうソフトウェアの問題になるだろう。
いや、ヘッドバンドの構造はまだまだ改良の余地ありだが…なんか革新的なアイディアはないんかね?
Appleには頑張ってもらいたい。
34歳年収700万の弱者男性なんだが貯金がほとんどありません。
毎月の給料を趣味である株に注ぎ込んでいるせいで、貯金額はわずか50万円。
その投資も才能がないせいでようやく合計2000万円を突破した程度しかない。
妻にも「もう少し貯金しなよ」と呆れられているけど、投資が趣味なので、どうしてもやめられません。毎日チャートを眺めるのが唯一の楽しみです。お金を貯めるよりも、投資で一発当てたいという気持ちが強くて、なかなか貯金に回すことができないのです。
でも、こんな生活を続けていると、ふとした瞬間に絶望感が押し寄せてきます。周りの友人たちが家庭を持ち、子供を育て、将来に向けて堅実に貯金をしている姿を見ると、自分だけが取り残されているような気がしてなりません。特にモテない自分にとって、趣味の投資が唯一の逃げ場であり、自分を保つための手段です。
そんな中で「俺はこのまま非モテの弱者男性で終わるのか?」という不安が頭をよぎります。貯金がないことで将来の不安も増し、何か大きな出費があったらどうしようと考えると、夜も眠れなくなることがあります。
とはいえ、投資をやめるわけにもいかず、この矛盾した気持ちに押しつぶされそうです。どうにかしてバランスを取りながら、もう少し貯金を増やせる方法を模索中です。でも、今の自分にできることが限られていることも事実。弱者男性として、少しでも光が見える道を探していきたいと思います。
7/11
なんかツイッターの有名な方に拡散していただいたようでありがとうございます!!!とんでもないことになってしまった…
子育て終わった開放感で書き殴った日記がこんなことになるとは思ってもみませんでした。
取材に関しては、別の媒体で内容を掲載されることで息子に微妙に違ったニュアンスでこの日記の内容が伝わってしまうもしれないリスクがあるので申し訳ありませんがお断りさせてください。
ひぇーーーー!なんかめちゃくちゃ読まれてる!!今更恥ずかしい!!
めちゃくちゃ嬉しいです!!!
子どもはインスタとかビーリアル(ビリアル?かどっちか)をちょっとしかやってないらしいし、仕事に関する勉強で忙しいらしいからこの日記も読まれないと思ってはいるけど、もし読んじゃったら教えてね!!!
私が本当は愛せるか分からなかったし子供産むの怖かったって話はちょっと前チラッとしたと思う!!!
でも叩かれて育ったとか初めて知ったでしょ!!多分!!!私アンタをとにかく撫でて褒めて育てたし!!
でもアンタに幸せにしてもらえたからもういいんだ!!!ありがとうね!!!子どもの為に頑張れ〜!!!
付け足し終わり!!!
終わった!終わった!子育て終わった!!
子どもとか死んでも産みたくなかったのに全部俺と両親で育てるからって夫に毎日土下座されて養子とろうって話しても駄目で、私みたいなのを引き取ってくれた優しい夫と義両親の為に仕方なく産んだ!!!
なのに予定日2週間前に夫が事故で死んだ!!
義両親は夫が亡くなったショックで鬱になって頼れないし実家とは絶縁してるしどこにも頼れなかった!!
養子に出そうと思ったけど相談しに行っても母子手当っていうのが始まったから大丈夫って説得してくんの!!私は育てたくないっつってんのに!!!
でもいくら言っても分かってくれないから仕方なく職場に頭下げて事情話して勤務を短くしてもらって働き出した!!
目を離したら死ぬ生き物相手に毎日毎日おかしくなりそうだった!!いや元々おかしいか!!鬱だったし!!!
ままーって言いながら伸ばされる手が小さすぎて壊しそうでいっつも恐々抱っこしてた!!たかいたかいとか無理落としそう!!!抱っこしてる間ヨダレが服に染みて冷たいのに子どもは体温高くてあっついからなんかめちゃくちゃだった!!!
ミルクじゃなくなって食事食べられるようになってからはもっと困った!!!子ども卵アレルギーなんだけど私が子どもの頃食べさせてもらってたのは具なしの卵チャーハンぐらいだったしそれ以外は気まぐれに寄越されるピザとか食べ残しの名前も知らない惣菜とかで、子どもには何食べさせたら良いのか分かんなくてめちゃくちゃ本で調べた!!!
箸の持ち方も夫に矯正してもらったけど自信なかったから義両親に頭下げてお手本になってもらったりした!!
箸の持ち方だけじゃなく、何かにつけて殴られて育ったし褒められた記憶とか無いからどんなふうに接して良いか全然わかんなかった!!でも私みたいに変な子だっていじめられて欲しくないから児童館みたいな集会所?にたくさん連れて行って品が良さそうな人の言葉や接し方を真似したり仲良くなってくれた人に頭下げて接し方とか怒り方とか褒め方とか色々教わった!!!
勉強もできる方じゃないから算数の教科書に載ってる基礎問題はよくてもチャレンジ問題とかは全然できなくて教えられなくて子どもと一緒に悩むばっかだった!!そのたんびにあーやっぱ施設入れとけばこの子にはもっと良い親と家庭環境が与えられたかもしれないのに、だから私みたいなのは産んじゃいけなかったし育てたくなかったのにごめんねごめんねって泣きたくなった!!!嘘泣いた!!夜中にひっそりトイレで!!!臭かった!!!
中学になって反抗期迎えて「うるせえババア」って言われた時、愛情をしっかり与えられて育った子は甘えてもいいって思ってるから暴言を吐くって本で習って知ってたから嬉しくてワンワン泣いた!!!そうか!!!私はあなたを愛せてたか!!!そう感じ取ってくれたか!!!めちゃくちゃ嬉しいよ!!!せめてそれだけはよかったよ!!!!
そのあとしょんぼりして謝ってきたけど悲しくて泣いたんじゃないよ!!!本当に嬉しかったんだよ!!!また泣いちゃいそうで言えなかったけどさ!!!
高校入ってギターとか始めてラップとかもやるようになって、そういえば子供のころラップの曲たくさん聞いてたからかーちゃんあと少しでラッパーになるところだったって言ったら血だねぇってしみじみ言われて笑った!!そうだね私が産んだ子だもんね!!
そんで大学に入ったらサークルとバイトばっかであんまり喋らなかったりしたけどそれでも元気そうなのは分かってたからよかったよ!!!
時々時間が合った時に経済学部入ったけど将来何すんの?って聞いたら子どもに関わる職業って言われて仰天した!!
なんで教育学部とかじゃないのって聞いたら学校以外で子どもにアプローチできる事業を模索している、学校で教える為の内容を学んでも意味がないからとかなんとか言ってた!!!
というか子ども好きだったの?って聞いたら好きだよ、でも恥ずいからお母さんには内緒だったけど、って言われてなんて言えば良いか分かんなくて黙っちゃった!!!
ラッパーの話の時に、血だねえって言われた時本当はドキッとしてたよ!!
だって私あのクソ共の娘だからさ、なにか受け継いでんじゃ無いかって思ってさ!!
でもアンタ子ども好きだったんだ!!
よかった!!!
それから大学卒業して、私の子どもは無事子どもに関わる仕事についた!!
就職して落ち着くまでは実家にいるっていってて、この度ようやく子どもが家を出た!!
夫!!!
見てるか夫!!!!
お前の代わりに死に物狂いでいい子に育てたぞ!!!
でもこれ以上無いぐらい精一杯やったぞ!!!
昨年の秋頃に全身の自宅脱毛を始めてはや 9 ヶ月、途中「いやもうこれ生えないんじゃね?」と光照射をサボってたら一ヶ月くらいでもりもり毛が復活してきて苦しんだり、その反省を元に増田なりのペースを模索して今やかなり最小限の手間でツルスベ肌をキープ出来るようになったりしたが、全身脱毛後、初めての夏を迎え面白い気づきがあったので、今日はそれをみんなに共有したいと思う。
自宅脱毛を始めたのが去年の 10 月で、いったん綺麗になったなと満足したのはもう冬に差し掛かる頃。見た目がすっきりして清潔感が気持ちがいいという効能は当初から感じていたものの、よく言われる蒸れが無くなっていいよ、というのはまあ冬だし乾燥しているしで特に実感することはなかった。
そしてやって来た 5 月。地球温暖化の影響もあって汗ばむ陽気の日が増えてくると、なるほど確かにこれは良いものだと感じられた。何というか匂いの元になる蒸れが無いという感覚。素晴らしい。だがしかし、だがしかしである。増田は従来股間フリーダム信者だったのでパンツはトランクス派だったのだが、元々あった毛がなくなったことで想定外の問題にぶち当たることになる。
全身脱毛をしたいと前のめりで思ったほどの増田である。元々の毛量は多く、陰嚢と太腿の間にはクッションの役割を果たす毛が大量にあった。改めて言うが脱毛した事によるメリットの方が大きいのは間違いない。ただ、股間フリーダムなトランクスでは、陰毛クッションがなくなると陰嚢と太腿が直接触れることによりそこがぺたつくのだ。蒸れの元になる毛がなくなっても汗をかかなくなるわけではないので考えてみれば当たり前だ。
汗ばむ陽気の中外を歩いていると、歩を進めるペースに合わせて、右太腿がぬたっ、左太腿がぬたっ、右がぬたっ、左がぬたっ、ぬたっぬたっぬたっぬたっ。正直に言おう。いったん意識から外れてしまえば気にならないのは確かだ。でもいったん気になり出すと、ほら始まった。ぬたっぬたっぬたっぬたっ。いまこれをあなたがどこかに座って読んでいるとしたら、いまこの瞬間「尻に椅子が当たる感覚」と言われるまで、その感覚など忘れていたはずだ。でももうだめだろう?いまこの瞬間は尻に椅子が当たる感覚を感じているはずだ。それと同じ。気になると止められない。
さてどうしたものか。これは宗旨替えをする時が来たのだなと思った。陰嚢が太腿に触れなければ良いのだからボクサーパンツを試す時だ。そもそも全身脱毛をした理由の一つだって若作りだ。おっさんくさいトランクスをやめてボクサーパンツにするのだって自然じゃないか。ただ股間フリーダム信者だった増田としては、股間が窮屈なのは勘弁だし、陰嚢や陰茎が潰されるのだって嫌だった。
そして辿り着いたのが立体縫製で股間にあらかじめ膨らみを持たせたボクサーパンツである。後にワコールやグンゼがそれはそれは快適そうなパンツを結構な値段で売っていることを知る事になるのだが、最初にお試しで買ったのはドンキのパンツ売り場を物色していて見つけた言わばジェネリックグンゼみたいなやつ。これは前述の問題を見事に解決してくれた。陰嚢を優しく包み込んで太腿との間を布で覆ってくれるので、太腿がぺたつく事はもうないし、立体縫製の力で股間が窮屈に感じる事も無い。いったんはこれでこの夏は約束されたと思った。思ったのだが、人間の欲望には際限が無いことをご存じか?
トランクスの問題を解決するためにボクサーパンツに宗旨替えしたら、今度はボクサーパンツならではの問題に突き当たったのだ。陰毛はなにも陰嚢と太腿の間にばかり生えていたわけではない。むしろ一番毛量が多かったのは陰茎の上の部分である。その陰毛クッションが無くなったのだ。ご想像いただけるだろうか?ボクサーパンツに宗旨替えしたことにより、今度は陰茎と腹のぺたつきが気になり始めてしまった。
ふむ参ったね。あちらを立てればこちらが立たずとはこの事か。いやそれは嘘。歩く度にぬたぬたする事に比べれば、放尿のタイミングでみのーんと陰茎を腹から剥がさないといけないことくらいなんてことは無い。なんてことは無いし、実際最初に買った二着のボクサーパンツは今も穿いている。ただね、ここまで来たら完璧を追い求めたくなってしまった。かくして究極の快適パンツを求めて探検隊は Amazon の奥地へ向かったのである。
自分にしかニーズが無いことなどあろうはずがない、ぺたつきあるいは別に脱毛していなくたって蒸れに悩んでる人もいるはずだ。ニーズのあるところには商品もあるだろうという確信があった。まあインターネット時代なので Amazon の奥地どころか入り口近くですぐに答えは見つかった。ここまで読んでくれた諸氏は、もし履歴に残るのが恥ずかしかったらブラウザをプライベートモードに切り替えてから、「陰嚢 陰茎 分離型 パンツ」で検索して欲しい。究極の答えがそこにある。
自分の選んだタイプはエロ寄りではなく機能性重視のもので、メッシュの陰嚢ポケットの上に陰茎を通す穴があり、陰茎を出した先にはチンポジ固定ホールがあるみたいなやつだ。正直、見た目はダサい。チンポジ固定ホールの上部は開放されているので亀頭の先っぽがチラチラ見えるし、穿いたまま勃起でもしようものならそそり立つ陰茎が上部から大きくはみ出し非常に淫猥な見た目になる。まあそのまま非日常感のある着パンツオナニーを楽しむのも一興だ。
でもそんなことより、機能性に全振りしたこのパンツは快適性において他の追随を許さない究極のパンツだ。これが言いたかった。これが言いたくて筆を取った。何かの折に人に見られたとて笑ってネタに出来る胆力を持った諸氏には是非この分離型パンツを試してもらいたい。脱毛の有無に関わらず、きっとご満足いただけるはずだ。
増田も参考にしてね
アホ女とおれの話
↓ リメイク
増田さんは、地方の中堅製造業で生産技術部門のマネージャーとして働いており、独身です。
彼は工場の生産ラインの効率化や新しい製造技術の導入に情熱を注ぎ、その技術力と献身的な姿勢が高く評価されています。
彼はいつも会社に最後まで残り、急な仕事が入ったときには「増田さんならできるよね?」と頼まれることが多いです。
会社は最近、国内市場の成熟に伴い、海外市場への展開を加速させており、増田さんの部門では国際的なプロジェクトが増え、
英語でのコミュニケーションや海外の技術者との連携が求められるようになりました。増田さんはこれまで国内の業務に専念してきたため、
英語での技術交流や海外プロジェクトの経験が少なく、昇進の機会が限られてしまい、出世が頭打ちになったと感じています。
彼は自分が長年会社を支えてきたにも関わらず、上層部への昇進が見込めないことにフラストレーションを感じています。
一方で、同期の山田さん(仮名)は、同じ会社の人事部でダイバーシティ&インクルージョンマネージャーとして働いており、
家庭を持ち、子どもが生まれると育休を取得しました。山田さん(仮名)は育児と仕事の両立に努め、時短勤務を利用しながらも、
増田さんは42歳を迎え、これまでの経験を活かして、新しいキャリアの道を探ることを考え始めています。
彼は、自分のスキルセットを更新し、会社内での新しいプロジェクトや、他部門でのチャンスを模索しており、
現在の職場での成長の限界を感じているため、転職も視野に入れて新たな職場での機会を探っています。
山田さん(仮名)は、子どもが学校に通い始めた後、より積極的に仕事に取り組むようになり、女性管理職としての道を歩み始め、
会社の「女性が働きやすい職場」のイメージを象徴する存在となり、多くの女性社員にとってのロールモデルとなりました。
増田さんは、自分のキャリアについて再考し、どのように進むべきかを模索しています。
※追記あり
吐き出せる場所がなかったので、ここに書き記させてほしい。何かの肯定も否定もするつもりはない。ただの愚痴だと思って、暇つぶしにでも読んで頂けたら幸いである。
付き合っておおよそ2ヶ月程度だが、長々隠し続けるのもよろしくないと思い、酒の力を借りて(これに関しては良くなかったと思っている)震えも怯えも誤魔化し、宗教3世であることをカミングアウトした。恋人は、その場では多少驚いて見せたが、変わらない様子でその後も過ごしてくれた。そんな恋人を見て、受け入れてくれたのだなと脳天気に考えていた。
しかしその翌日、自分の宗教観、信仰心の程度、両親とも信仰をしているのか、何か金のかかることをしているのか、等を仔細に尋ねられた。
全てに素直に答えた。自分に信仰心はないし、両親に信仰心はあるが、より強かった母は既に逝去しており、父は母に言われて入信したにすぎず、母の死をきっかけに多少強まったとはいえやはりそこまでではない。金が出ていった形跡もない(母の医療費でそれどころではなかった)。これらのことを丁寧に伝えた。そして、自分は布教をする気はないし、宗教的な儀礼にも参加していないし、あなたに危害を加えるつもりは一切ないということを何度も何度も必死に伝えた。
それでも恋人の不安は止まらず、信頼(どころか崇拝の域だとは本人談である)している友達に相談したらしい。同じ宗教を信仰している知り合いがいたそうで、大金を叩いて大変なことになっていたらしいというエピソードや、信仰心がないと自称しているがそれは周りに信心深い人が多いからそう思っているにすぎないのでは?といった意見を聞いたそうだ。
そして自分で調べてみたら、拝金主義のヤバい宗教である、カルトそのものだ、2世や3世は人生を壊されている、などといった記事が次々と目に飛び込んできたらしい。
言わせてもらえば、インターネットなんてそんなものだろう。センセーショナルなものほど目立つ。たとえばある人について、懸命なボランティア活動を行っていたという報道よりも、その裏でセクハラをしていたという報道の方がよっぽど目を引くだろう。ましてやテーマは宗教だ。大きな事件もあったことだし(自分の属している宗教のものではないが)、大衆の関心は高い。面白おかしく取り上げるにはうってつけの題材だろう。
大金を叩いて大変なことになるかもしれないというのも、先述の通り我が家ではそんなことはなかったし、自分自身だって宗教的なものに金を使うつもりはない。使えと言われても断れる自信がある。信仰心がないからだ。
恋人は「安定した生活を共に送れるパートナー」を求めていたらしい。宗教3世なんて肩書きのある者はそれに値しないとのことだった。やはりお金を宗教に使うリスクや、世間からどう見られるかといったことが気に掛かって仕方がないらしい。早く辞めてほしいと涙ながらに懇願された。
そもそも同性カップルである時点で世間から一切後ろ指をさされないとはいえないのではないか(もちろんそうならない世界に一刻も早くなってほしいが)。残酷なようだが、100%安定したパートナーを求めるのはハナから厳しい話なのではないか。
仮に同性カップルであることの誹りならば耐えうるというのなら、パートナーが自分の意思とは関係なく宗教に入信させられた(自分は出生した時点で入信させられたらしい)特に信仰心のない3世だという誹りも耐えられないのだろうか。同性愛よりも宗教への風当たりが強いという現実は否めないが、そこに差異を感じる理由が自分にはあまり理解できない。そもそも隠し通すことだってできるはずだ。自分だって今までそうしてきた。
ましてや自分はそれなりに安定した身分だ(身バレを防ぎたいのでぼかさせてもらう)。恋人が何もできなくなったとしても支えることはできる。これはまごうことなき安定した生活の保証ではないのか。こんな生まれついたもので、打ち消されてしまう程度のものなのだろうか。
生まれついて選択権のなかったものという点では性指向も宗教3世も同じなのではないかと思う。恋人は「宗教に関しては自分の意思で辞められるだろう」と言い返していたが、それなら、これはあまりにも暴力的な理屈だが、同性愛者であっても異性と性交渉をすることは精神的にはともかく物理的には可能じゃないか。自分だって本当にこんなことを言いたくはないが。世間の目線を気にし、自分の意思で無理矢理異性と結婚した同性愛者だって少なくないはずだ。恋人はこのような人達の存在も当然の行いをしたまでだと判断するのだろうか。
実際さっさと脱会したらいいのでは?という意見はよく目にするが、これもなかなか難しい話なのである。信仰心がないからといって即座に脱会!というわけにはいかない。宗教の人達からどういう目で見られるのかと考えるとやはり恐ろしい。宗教のみを理由にして優しくしてくれていたのだとしたら、その事実を目の当たりにするのがどうしても怖い。それこそ信仰心がないからだ(信仰心があれば、宗教の人たちとの繋がりが切れることへのシンプルな寂しさしか抱かなかったであろう。信仰心のない自分が抱いているのはただただ恐怖のそれだ)。それまでの縁であったと割り切ることはきっとできると思う。しかしそれには大きな傷が伴うし、時間もかかるだろう。私は母が病死した際に、宗教に基づく儀礼等に従った方式でなくただただお線香を上げに来て下さった宗教のひとびとが、信仰心に基づいてそれを行ったとは思えなかったのだ。
ましてや父に勘当だってされるかもしれない。そこまでいかずとも、大きく傷つけてしまうかもしれない。今の父は、さきほど述べた通り、母の大事にしていたものを大事にしたいという心境から、信仰心が少しだけ強くなっている。そんな風に抱きしめているものを、突然唯一の子供から強く否定(に近い行動を)されたら、父はどう思うのであろうか。
そして、これはもしかしたら当事者にしかわからない感覚の話かもしれないが、信仰心とはパラレルに、やはりそこにアイデンティティが存在する。同じ括りにしていいのかはわからないが、出身地のようなものだ。地元愛があるかどうかは別として(自分はない側である)、その地の出身であることは人生の一部に他ならない。もしくはタグか何かだろうか。生まれついたものであり、見せびらかす人もいれば、隠したがる人もいて、いずれも外せはしない。
それでも恋人は、今後の自分の発言や行動を「宗教の人」のものとして認識してしまうと泣いていた。散々長々書いたが、結局この人のためにいつか脱会しないといけないなと思っている。この辺りの時期かな、となんとなく目処も立てている。まだ踏み切る覚悟はできていないが。
そしてここからは宗教3世とは話題が離れるが、この話の流れでついでに吐露されたことがある。
まず、自分は鬱病を患っている。原因は母の病死と父の精神状態の悪化だ。通院をしており、現在闘病中である。今でも「お前らがストレスを与えるせいで私の病気は悪化して死ぬんだ」との母の昔の発言を引きずり、自分はどれだけ母の寿命を削ってのうのうと生きているんだろうという罪悪感を抱きしめ、病床の母や咽び泣く父の姿がフラッシュバックし、毎晩母を想って「〇〇ちゃん(母の愛称)、どこ行っちゃったんだよ」と泣く父の声を聞き、それにしんどさを覚える自分にまた罪悪感を抱き、それら全てをないまぜにした希死念慮と喧嘩している。それでもやっぱり死にたくはない。どうにか寛解を前向きに目指している。
このことについて、恋人は「鬱病だっていつ治るかわかったもんじゃない、精神疾患を抱えてるパートナーがいるってことも世間からどんな目で見られると思ってるんだ、ずっとずっと不安で仕方がない」と涙ながらに吐き出した。
「絶対にいつか治るよ、少しずつ良くなってるから、安心して」としか返せなかった。自分だって自分の鬱がどうなるかなんてわからないが、絶対に治す意思はある。一生鬱をやっていくつもりはない。そして、これだってなりたくてなったわけではない。
自分の意思でない肩書きのせいで泣く恋人に、世間の目が怖いと震える同性の恋人に、これ以上何ができたのだろうか。自分が「こう」でなければよかったという自責の念が止まらない。やはり生きていることへの罪悪感が、止まらない。生まれてくるべきではなかったのかもしれない。大好きな恋人をこんなにも悩ませ、泣かせてしまった。末永く付き合って、幸せにさせてほしいと思っていたのに。それも生まれのせいで叶わないのかもしれない。自分だって可能なら無宗教として生まれたかった。消えてしまいたい。
拙文で申し訳がない。繰り返すようだが、この世の何かの肯定も否定もするつもりはない。ただの愚痴に顔も名前も知らないあなたを付き合わせてしまい、申し訳がない。
追記:
ただのチラ裏愚痴のつもりだったため、想像以上の反響にただただ驚いております。どのような感想を抱いたにしろ、読んで頂いた方々にあらためて感謝させて頂きたいです。
気になる(負の感情ではありません)コメントがいくつかあったため、自身の見解を述べさせて頂きます。
信仰心があるようにしか見えないというご意見をいくつか拝読いたしました。あくまで自分視点での話にはなってしまいますが、本当にないつもりです。宗教3世であるというアイデンティティはあれど、何も信じていないし、教祖的な存在への批判もすんなりと受け入れます。母がいよいよという時にも、宗教には決して縋りませんでした。信じていないからです。
宗教コミュニティに依存していること自体が信仰と関係なく怖いのでは?というご意見も頂きました。脱会してその人達からの扱いが露骨に変わってしまったら傷つくなあという不安イコール依存ではないのではないかなと感じます。ありがたいことに、コミュニティ外の友人も沢山いるので(依存してるとしたらこっちの方かと思います)そこまで依存はしていないつもりです。一度経験しなければならないであろう傷つきが怖い、それだけのことです。縁が切れたらそれまでとも思っております。
脱会すればいいとのご意見も頂きましたが、本当になかなか厳しいのです。どうしても当事者にしかわからない事情で歯がゆいのですが、簡単にできることではないということだけ知って頂けたら幸いです。
なかなか知り得ない世界のことですし、そう思われて当然だと思っているため、どんな意見も(たとえ対面であれば言わないであろうものであれど)ありがたく受け止めさせて頂いております。3世当事者である以上、視野には限界があると思っているため、なるほどこういう考え方もあるのかと勉強させて頂いております。
自分への心配や慰めの言葉をかけて下さった方、親身になって怒って下さった方も、大変にありがとうございます。泣いてしまいました。どこの誰とも知れぬ自分にこんなにも優しくして頂けて、感謝の思いでいっぱいです。
自分は恋人のことが本当に大好きです。これからどうにか妥協点を見つけていけたらいいなと模索中です。いくらなかなか簡単にはいかないこととはいえ、先述の通り脱会も前向きに考えております。鬱もせめて心配をかけない程度には寛解を目指すつもりです。
増田さんは、地方の中堅製造業で生産技術部門のマネージャーとして働いており、独身です。
彼は工場の生産ラインの効率化や新しい製造技術の導入に情熱を注ぎ、その技術力と献身的な姿勢が高く評価されています。
彼はいつも会社に最後まで残り、急な仕事が入ったときには「増田さんならできるよね?」と頼まれることが多いです。
会社は最近、国内市場の成熟に伴い、海外市場への展開を加速させており、増田さんの部門では国際的なプロジェクトが増え、
英語でのコミュニケーションや海外の技術者との連携が求められるようになりました。増田さんはこれまで国内の業務に専念してきたため、
英語での技術交流や海外プロジェクトの経験が少なく、昇進の機会が限られてしまい、出世が頭打ちになったと感じています。
彼は自分が長年会社を支えてきたにも関わらず、上層部への昇進が見込めないことにフラストレーションを感じています。
一方で、同期の山田さん(仮名)は、同じ会社の人事部でダイバーシティ&インクルージョンマネージャーとして働いており、
家庭を持ち、子どもが生まれると育休を取得しました。山田さん(仮名)は育児と仕事の両立に努め、時短勤務を利用しながらも、
増田さんは42歳を迎え、これまでの経験を活かして、新しいキャリアの道を探ることを考え始めています。
彼は、自分のスキルセットを更新し、会社内での新しいプロジェクトや、他部門でのチャンスを模索しており、
現在の職場での成長の限界を感じているため、転職も視野に入れて新たな職場での機会を探っています。
山田さん(仮名)は、子どもが学校に通い始めた後、より積極的に仕事に取り組むようになり、女性管理職としての道を歩み始め、
会社の「女性が働きやすい職場」のイメージを象徴する存在となり、多くの女性社員にとってのロールモデルとなりました。
増田さんは、自分のキャリアについて再考し、どのように進むべきかを模索しています。