はてなキーワード: 重要とは
日本人は増田のような昭和の根性論振りかざすやつが多すぎて気持ち悪い。どこの原始人だよ、まじで。
そんなだから利益の上がらない無益なビジネスで溢れかえり長時間労働でしか生き残れない会社と人間だけになってしまうんだ、このレッドオーシャンの塊のような創造性ゼロ国家、日本は。
一生懸命働くのは重要じゃない、賢く働くことが重要なんだ、大企業はそういった手段を持っているところも多いし、どこに否定される要素がある?まあ日本は未来ないから大企業すら潰れてゆくけど。
A.じゃあオバマさんはふさわしかったの?軍事行動ガンガン、ビンラディン殺害作戦イエーの人だったよ?個人的には別に嫌いじゃないけど。
北朝鮮関連に絞ったって、金大中さんでももらえたんだからトランプだってもらってもいいでしょ。もらえんだろうけどな。
Q. それに素直に従う安倍って骨の髄までアメリカの犬なんだな。
A.アメリカは最重要同盟国で、認めようが認めまいが五分上がりの兄貴分ですよ?
こんなくだらねえこっちの懐が痛まない頼まれごとぐらい「sure!(ニッコス)」でいいでしょ。
受賞に成功しようが失敗しようが笑われるのはトランプで日本じゃない。
「仲いい国の首脳に自分から推薦頼んでた」って記憶されるだけ。
安部が憎い人は良くも悪くも安部が世界からすっごい注目されてると思いすぎてんだよ。
「マクロンさんが頼まれてトランプを名誉賞に推してました」ってニュース見ても何も感じないしウンコしたら忘れるでしょうに。
Q.日本国民、安倍さんに、「日本を代表し、敬意を込めて」トランプさんをノーベル平和賞に推薦することまで委任してたんだなぁ…
A.こんな予算も閣議決定も要らないローコストのヨイショすら独自判断しちゃだめなら宰相が書きの使いになっちまうよ。
日頃からくだらない論点で批判してるから横で聞いてる人も耳がうんざりして、
本当に重大な批判論点の時に「またなんか言ってる」ってインパクトが下がっちゃうんだよ。
Q.えっそういうことなの? ムンジェイン説ではなくて? 何が真相でも、なんか隅から隅までしょうもない話。
A.というかムンジェインさんは去年の内に自分から「トランプ大統領に平和賞を!」ってゴマすってたのに
そこをシカトして安部さんに連絡するアメリカ政府はやっぱり、今の韓国に距離を感じてるのかね。
もっと言えばムンさんが持ちかけた「北に譲歩して平和実現して平和賞」という線をつかう気は無い。
Q.サンモニでも言ってたが「私をノーベル平和賞に推薦して」と海外の元首に依頼するような者に、そもそもノーベル平和賞の受賞資格はない。
A.これが一番言いたかったけど、ノーベル平和賞なんてそんなたいした賞ではない。常に政治的な悪臭の漂うゴミみたいな賞だ。ノーベル賞の恥さらしだ。
そんなにたいしたやつが受賞してるのか過去の受賞者一覧を調べてみることを薦める。
池田大作が受賞しまくってるよくわかんない賞と知名度以外の差なんて無い。
あとサンモニを智者の箴言みたいに捉えてるなら脳の病院行った方がいい。
その後揺り戻しがあって、現在はどちらかというと左派よりの人間。
全然耳は痛くない。
むしろ「何言ってんだ?」と呆れている
はてブでずばずば指摘されているような現政権の酷さをわかってない。
イメージで考えている。
もう日本は仕方ないのかもしれない。
一切というのは違うが、そういうえばそういう方針だった。SPEEDIも公開しなかったね。
でもだからといって、二度と政権に戻さないという有権者の大多数の判断が、
今の政権の腐敗に繋がっている。
立憲民主党が、民主党はここがダメだったから必ず改善します、ってマニフェストにすればいいのか?
そんなんじゃ無理だろう。
政権交代はごめんだというなら、さっさと自民党内で政権交代してくれないか。
桜田五輪・サイバーセキュリティ戦略本部担当大臣の、競泳・池江璃花子選手の白血病カムアウトに対する「がっかりした」発言が非難を浴びた後、桜田の立ち取材の発言全文とやらをメディアが流したタイミングで、「ほら、実は桜田大臣はそんなにヒドいことを言っていない」「発言を切り取ったマスゴミを真に受ける情弱乙www」などと言って憚らない連中が、当初に桜田発言が報道されたタイミングで非難をしていた人たちの中からも掌返しのように出てきているのが興味深い。
結論から先に言えば、お前らのその狭苦しい情強ランドでせいぜい楽しんでろ、ってところだ。掌返し、はあ、宗旨替えですかそうですかと。
全文とやらを読んでみても、「がっかりした」というたった6文字の発言からは不快感、あるいは病的と言ってよいほどのボキャブラリの乏しさを見る以外にない。じゃあ、情強・掌返しの皆さんは、自分が白血病に限らず難病持ちだとわかったときに偉い人から「がっかりした」と言われる場面を想像してみろよ。
あるいは、ちょっと話を変えてみよう。ワーキングウーマン()のあなたは、勤務先でも重要な戦略の担い手として活躍している。今まさに、来年のゴーライブを控えたプロジェクトでチームリードを任されている。そんなあなたが、妊娠に気づいた。誠実をモットーとし、かつその誠実さのために今の地位を築いてきたと信じているあなたは、直属の上司にそれとなく妊娠を報告した。そのとき、上司が「がっかりした」と言ったとしたら、あなたはどう思う?
人間だから、ましてや立ち取材だから、多少は不注意なワードも出てくるだろうとか言っているあなた、大臣を何だと思ってるんだ?我々庶民は、「末は博士か大臣か」と比喩されるくらいの立場の人間に、そんな素人臭さを期待しちゃいないし、ましてや期待してはいけない。
大臣に同情して見せることで、実は俺は大臣に伍する人材()なのに未だこんな地位に留まっているんだとでも言いたげな、ルサンチマンにしか見えない。
桜田がサイバーセキュリティ戦略本部担当大臣のクセにPCを使用した経験がないということが、前に話題となり、非難を受けた。でも、一部にはたとえPCを使わなくたって大臣としてできることがあると、桜田を擁護して見せる人がいたものだ。じゃあ、そんなときに桜田ができることとは何だ?それこそ、適切な言葉を使ってゴールを国民に示してあげることじゃないのかね?
意識の高い()連中が「マスゴミ」と言って憚らない集団が、恣意的な情報操作をすることが多々あるのは否定しない。でも、そういうマスゴミの後出し情報で我意を得たりとふんぞり返って見せる連中だって、要は等しくマスゴミに踊らされているということ。五十歩逃げたか百歩逃げたかで競い合ったという故事と、基本的には変わらない。だったらみんな同じ穴の狢で仲よくすりゃいいのにねえ、何なんだろうこの今の日韓関係みたいな不仲ぶりは。
やばいな。
今、やらなきゃいけないことと、後でもいいことの優先度がつけられない。
タイミングを間違えなければ、たぶん、深夜帰宅でも、嫁を納得させられる方法はあった。
ただ、タイミングが過ぎてしまえば、同じことをやったとしても無駄だ。
物事は、うまくいくタイミングがある。タイミングを過ぎると同じように誠意を尽くしても全く無駄なんだ。
それに気付けてない。
ただ、放置して無策に時間が過ぎるのを待って、手遅れになって選択肢を失っただけだ。
増田は、そうではないと思いたいが、
仕事にも同じことがある。
どうしても、今やらなきゃいけないことと、後回しにしてもどうにかなることがある。
うっかりすると、そのどちらも、同じように重要な事のように見える。
もっとがんばると時間がなくなって、自分と相手が本当に今やらなきゃいけない時間もなくなってしまう。
うんち
みんなもっとカジュアルにうんちを楽しむようになる予感がビンビンするね。
注意点を挙げると、うんこではなく、うんちだ。
いや、それは些末な問題かもしれない。うんこミュージアムの例もあるし。
とにかく、うん(ち|こ)が醸し出すほんわかした雰囲気が重要なのだ。
うんちが来る予測は、いろんなものを柔らかく表現してきた近年の流れにも合致する。
「クソだな!」「クッソうまい」みたいな刺々しい表現が、うんちによってキュートなアトモスフィアを纏う形でオーバーライドされる日は近い。
「多角的な視点から分析を試みる」とあるが、客観的なデータが一切なく、
「ではないか」「と思われる」「興味深い」と主観的で一面的な感想に終始しているため、
内容に一旦疑問を持つと、それ以上読み進めることが難しい。
「関係性消費」についても下調べが不足している。
最低限、日常系以外のコンテンツとの「関係性」の比較・検証をし、内容の客観的な違いや売上、言及数などのデータがないと、この仮説は成り立たない。
また、腐女子にとって「関係性」が重要だというジェンダー比較が出てくるが、なぜ現在の日常系は腐女子からではなく男性向けから出てきたのか。
・同じくバーチャルYouTuberの人気も「関係性消費」だけで説明できるのだろうか?
前段となるニコ生やUstreamやYouTuberなどの動画配信、また声優ラジオなどの類似コンテンツの調査・比較は少なくとも必要。
また、キズナアイ登場時は、関係性よりも単体のコンテンツとして人気だった印象があるが、その変遷も調査しデータとして述べる必要がある。
全体的に最も信憑性に乏しい段。
「ホモソーシャルな絆」がキーワードのようだが、「腐女子は扱う創作物の特性上セクシャルマイノリティに対する理解が深く」という文言があるが、単なるイメージでしかない。
「BL研究家」を名乗るものがマイノリティへの差別意識を吐露し、またそれに追従するBL愛好家たちが炎上した件が有名である。
逆にホモソーシャル的な絆を強めるためには「攻撃対象」を用意することが有効という事例もある。
主観的な意見だけで不用意に書かれているので、要調査の上で客観的なデータを伴って修正する必要がある。
また、旧来の男性おたくが少女漫画と親和性が高かったという事実も、本稿では重要なポイントになるのではないだろうか。
全体としてデータ不足が顕著。
英語の本を読んでいて気づくことに、フィクションとノンフィクションでは出てくる語彙の頻度が結構違う。
市販されている単語帳はノンフィクションを読むときには役立つが、小説に頻出する語はあまりカバーされていない。
例えばnostril(鼻孔)は小説だと頻出するが、SVLでは12(最上級レベル)である。
■学校教育法 第3条、第8条及び第142条の規定に基づく「大学設置基準」
第十四条 教授となることのできる者は、次の各号のいずれかに該当し、かつ、大学における教育を担当するにふさわしい教育上の能力を有すると認められる者とする。
↓
Fランの学生が学ぶ意味から理解する必要がある高等教育に適さない学生であるのことは問題ではあるが、同じくらい教育を放棄する教員も大問題
↓
国立研究開発法人とは、日本の独立行政法人のうち主に研究開発を行う法人で、個別法によって定められたもの。
独立行政法人通則法の一部を改正する法律(平成26年法律第66号)によるもので、2015年(平成27年)4月1日より施行された。
科学技術に関する試験・研究・開発にかかわる業務を5~7年の中期的な目標・計画に基づいて行う。 https://www.jst.go.jp/link/agency.html
■改正前の研究開発法人はこうだったら良いよね懇談会(平成22年) :文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/gijyutu/015/gaiyo/1292055.htm
○大学にはないような独創性、国際性、自由度を強く保障する研究体制を構築し、人材の厳格な評価、国際公募の実施を行うべき。一方、若手人材に対する助言機能の充実、また彼らに雑務をさせないことなど、研究開発法人には優秀な次世代エリート研究者を育成するシステムが科学技術振興国との差別化の観点で必要。
○研究開発法人は、民間企業の研修員を受け入れることなどにより、研究開発関係者の育成に対して積極的に貢献するべき。
○研究開発法人には、科学技術を国民につないでいくこと等の重要な機能がある。
○若手研究者がいきたがるような、輝くような研究開発法人が必要。輝いているところには資金も集まる。いい人材を引っ張り合うような競争、売りを作り出すようにすることが必要。
バミューダトライアングル ~カラフル・パストラーレ~(以下バミューダ)というアニメが放送中だ.元ネタがいろいろあるらしいが,知らなくても楽しめる.私は楽しめている.とても良い日常系アニメであるし,物理化学的な示唆にも富んでいる.
一方で,一般の視聴者の評評価は必ずしも良くはない.理由として,絵がさほど美麗でないことと,ある描写が多くの人に受け入れられないことが挙げられる.
バミューダは,人魚の少女が田舎の町で様々な経験を通して成長をしていく物語だ.登場人物は人魚であるから,舞台は海中だ.
ところが,バミューダは,舞台が海中であるにもかかわらず,水が登場する.海中でお茶を飲んだり,風呂に入ったり,水槽を構築してアクアリウムをおっぱじめたりする.お茶からは湯気が立ち上る.海中であるにもかかわらず液体を扱う様は,我々の一般常識からは非常に奇妙な描写に映る.
この描写があるため「制作陣はこんな矛盾にも気づかないのか」「ヤバすぎる」「幼稚園からやりなおせ」という声は根強い.しかしながら,海中の水はしつこいほどに頻繁に登場する.何人ものプロフェッショナルが長期間仕事として向き合った結果作り上げられた作品に,そのようなミスが致命的なミスがいくつも残されているとは考えにくい.海中で水のように振る舞う物質は,制作陣からの何らかのメッセージであると考えるのが自然である.
そこで,物理化学的な視点から,バミューダに現れる「海水中の水」について考察することとした.
人魚という,人間の常識から考えれば非科学的な存在が登場する本作である.海水と思われている物質が地球の海水と同じ成分ではない可能性は十分に考えられる.しかし,ここでは海水として描写されている流体が地球の海水に類似した成分(無機塩類の水溶液)だったとしよう.
a,海水に溶解しない
d,粘度が十分に低い
これらを満たす物質は無数にある.
1,ハロゲン化アルキル
サスペンス映画で大活躍するクロロホルムは水にほとんど溶解しない.また,密度は1.48g/cm3であり,海水に対して沈む.透明であるし,海水と屈折率が異なるし,粘度も極めて低い.したがって,クロロホルムが海水中で水のように振る舞うことは十分に考えられる.親しみやすいクロロホルムを例に出したが,クロロホルムのアナログである四塩化炭素やジクロロメタンも同様に振る舞うだろう.他にも,ハロゲン化されたアルカン(炭化水素)は水よりも比重が重い場合が多いので,同様に振る舞うだろう.地上では常温で気体になる物質であっても,海中では水圧の影響を受けて液相を保つ場合が考えられる.多くのハロゲン化されたアルカンは水よりも比重が大きいため,a-cの条件を満たす可能性は十分に考えられる.また,湯気に関しては,高温のハロゲン化アルキルが海水に溶解する際の濃度変化による屈折率の変化だと考えることができる.
2,イオン液体
イオン液体は常温で液体の塩(エン)である.水やエタノールやガソリンのような通常の液体は電荷(静電気のようなもの)を持たない分子から構成されるが,塩(エン)であるイオン液体はそうではない.塩(エン)は,分子ではなく,分子がプラスの電荷(静電気のようなもの)をもった陽イオンと,マイナスの電荷を持った陰イオンから構成される物質だ.親しみのある塩の例として,塩化ナトリウムや水酸化ナトリウム,重曹などがある.このような身の回りの塩は,プラスとマイナスの電荷がお互いに強く引っ張り合うため,どれも融点が数百度と高い.100年前までは,塩(エン)は常温では個体であると考えられていた.一方で近年注目されているイオン液体と呼ばれる物質は,塩であるにもかかわらず室温で液体である.蒸発しない,燃えにくい,電気伝導度が高い等の特異的な物性を示すため,バッテリーなどへの応用が期待されている.
イオン液体の多くは水よりも比重が大きい.また,アルキル基が長い,電荷が非局在化されいるなどの理由から疎水性が高い一部のイオン液体は極めて水に溶けにくい.塩濃度が高い海中ではなおさら水に溶けないだろう.
液体を見ると水だと思ってしまうのは,人間に特有の固定観念だ.人魚が登場する世界では,そのような固定観念は完全に排除する必要がある.そこで,海水だと思っていた物質が,実は海水ではない流体であった場合を考えよう.
気圧の関係から,メタンが液体として存在する惑星は多い.メタンは燃焼してしまうと考える人は多いが,大気に酸素を含む惑星はそれほど多くない.生命の星である地球はともかく,多くの惑星で,大気の主成分は二酸化炭素やメタン,水素,ヘリウム等の単純な物質である.バミューダの舞台もそのような惑星かもしれない.メタンの海を有していれば,メタンに溶解しない水はまさしく水のように振る舞うだろう.また,メタンと混和しない有機溶媒は無数に存在する.海がメタンで,海の中の水がそのような有機溶媒である可能性も指摘できる.
バミューダの惑星の大気圧が1気圧前後だったとしても,有機物の海が存在する可能性は十分にある.例えば,地球においても石油は液体として存在する.海が石油のような炭化水素で構成されていたとすれば,メタンの場合と同様に,海水の中の水の存在が説明できる.その場合,5話で登場した海中で降る雨の存在も説明することができる.また,ひじきを干す描写は,ひじき中の水分を石油様の物質に拡散させていると解釈することができる.
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以上の考察から,「海中なのに水が登場するのはおかしい」という指摘は,人間世界の固定観念に囚われた視野の狭い発想であるといえる.作品理解の観点から,バミューダの惑星が地球とは異なる環境の天体である可能性を視野に入れることは極めて重要である(実際,あの星は地球ではないらしい.元ネタを知らないのでわからない)
バミューダトライアングル ~カラフル・パストラーレ~は,dアニメストア等で配信中である.今期で一番おもしろいので,是非視聴しよう.
私自身にも偏りはあるかもしれないので右派寄りとされてる人間とあえて言っておく。
その上での所感だが、左派系とされるブコメは右派をただ馬鹿にしたり、滅ぼしてしまおうとするネガティブで攻撃的なブコメが多いのに対し、右派系とされるブコメは左派に対して文句はあれど助言を含んだポジティブなものが多いように思う。
ポジション的に左派を攻撃するのは右派と端的に受け止めてしまうのかもしれないが、助言するという事は育って欲しいという本心あってのことで、今の自民一党が突出している状態を憂いているから出るものだと思う。少なくとも私はそうだ。
左派は平和や反差別、弱者の味方など看板は立派なものだけれど、その立ち振る舞いは看板に甘えた己が正義を振りかざし他者を攻撃するばかりになってないか。
話し合いが重要と言いつつ他SNSでも左派系の即ブロックが目立つように思う。
その乖離が一般的に不信感を増大させ、一切の信頼を失っている。
先日の「悪夢のような民主党政権」と言うのを首相が言うのは確かによろしくなかったが、一切受け入れず反発して現政権批判に向けるのもよろしくなかった。
耳が痛いとは思うものの、左派の失策もしっかり受け入れ、自省し、先に向けて生かしていくべきだと思う。
支持率は正直だ。https://www.tv-asahi.co.jp/hst/poll/graph_seitou.html
2016年の都知事選で鳥越氏を担いだこと、宇都宮氏を攻撃した事の総括もなく、何事もなかったかのように過ごしている事を、私は見ている。
家族に捨てられた。
いつも通り深夜に帰ったら離婚届が置いてあったよ。
嫁は専業、帰ると起きてていつも不機嫌だった。
最初は嫁に愛情とか感謝とか口にしてたが、声をかけると怒り出すから話すこともなくなった。
忙しい大事な時期だと言っても聞きはしない。
得意先にペコペコして上司の気まぐれに付き合って部下のメンタル気にかけて調整して、家庭では家族の顔色伺い。
無理して上機嫌に振る舞えば不満、怒れば口論。
正直離婚届みてホッとしたよ。
嫁の口座に貯金振り込んでそのまま離婚届提出して、次の週には引っ越した。
嫁たちは嫁の実家帰ってたし、俺はそもそも荷物らしい荷物ほとんどなかったしな。
思い出すのは子供の冷えきった表情ばっかりだ。
養育費に余りある金額だしたが、正直あんな顔してみられるなんて思うと怖い。
もう会いたくない。
良い年したおっさんがガキになにをビビる、と思うんだが心底怖いんだ。
おしめも替えたお風呂も入れた、一緒にちょっとした外食したり、母親に内緒でアイス食べたりもした。
でもそんな子がゴミを見るように一瞥して、部屋に戻る姿は夢に出る。
家族の時間はもちろん大事だが、会社はホントに重要な時期だった。
疲れたとよく言ってたが、じゃあ休んでれば良い。俺は自分のことできる。
オブラートに包んで何度も言ったし、直接的にも言った。
無駄だった。
俺が遊んで帰ってきたとでも思うのかと何度も言ったが、どうにも受け入れられないようだ。
疲れて深夜に帰り、嫁の愚痴を聞いてると明け方近くになり、少し仮眠とってそのまま仕事だ。
眠りたいと言ったら不機嫌で疲れた。
先月誕生日だったんだが、そこに合わせてな。
「パパへ」とあり、子供の字だ。
情けないと思うだろうが未だに開けないでいる。
恨み言なのか、別れの言葉なのか、元嫁に言われて金の無心かも知れない。
ホントに怖い、無理だ。
でも捨てられない。少なくとも俺は愛してたつもりだった。
読めないまままだ残ってる。捨てたい。
こんな反応あると思わなくて慌ててる。
腹が立つのも、文を読めないバカもいるが、本人たちなりの誠意だと思っとく。
手紙を一応読んだ。
省いてたが、離婚して数年経ってる。
その間の近況報告と、誤解をして邪険に扱ったことへの謝罪があった。
誤解の具体的な内容は書いてない。
金の無心はなかった。
色々なことに謝ってた。
両親の不仲を放置したのことを繰り返し繰り返し謝ってた。
何してんだろな俺は。
連絡して、会う約束できたよ。
大きくなってんだろうな。
本稿では、現在の「ファン/オタク」が「関係性消費」を志向するようになってきているという事象を踏まえ、その内部の「男オタク」と「女オタク」のジェンダー格差や、関係性消費の今後について多角的な視点から分析を試みる。なお、本稿においての「オタク」は、二次元三次元を問わずある作品・概念・グループなどを愛好すると自認している人々のことを指すポジティブな言葉として用いる。拡散し多様化するオタク文化は2次元と3次元の壁を超え、全体像を画一的に語るのはほぼ不可能なため、ジャンルやジェンダーに関する詳細については各部で詳細を補完したい。
「日常系」は広大なオタク市場の中でもかなりの割合を占める作品群だ。基本的には複数の女性キャラの日常生活を描写した4コマ漫画が多く、それを原作としたアニメは2010年代以降各クールに2~3本は放映されている。基本的にドラマティックで壮大な展開や激しい戦闘を行わない、いわば反「セカイ系」カルチャーともいえるだろう。源流としては美水かがみ「らき☆すた」(2004)や、なもり「ゆるゆり」(2008)などが代表的なものとして挙げられるだろう。00年代初頭から現代まで増加傾向にある「日常系」は、現在も各メディアで売れ続けている。この背景には、やはり弛緩した日常風景の一瞬・ごく短いセリフや1コマのシーンの行間を読む関係性消費への志向への高まりが一因であると思われる。日常系の「物語性のなさ」は、逆に巨大な「行間」を生み出し、そこにオタクが各々関係性や物語を想像して消費することができるからなのではないだろうか。
関係性消費について、2,5次元舞台での「リアリティの担保に参加しつつ、舞台裏も消費するファン」や、「タカラジェンヌの四層構造」(東 2015:96-98)*1 で取り上げられた「各レイヤーを横断し、その要素を複雑に融合させながら関係性を消費するファン」は非常に興味深い。これに似た位相にあるコンテンツに、「バーチャルYouTuber」が存在する。「バーチャルYouTuber」とは、2D/3Dの二次元的アバターを現実の肉体の動きとシンクロ(トラッキング)させ、そのキャラとしてゲーム実況や雑談配信などを行う人々の事を指す。そもそも「YouTuber」の動画には前提とされる物語や世界観はなく、その動画単体でも楽しめることが前提とされており、多くのバーチャルYouTuberも同じく、上記の「日常系」にも通ずる他愛もない放送を行っている。しかしここにおいて重要なのは、「日常系」を「実在の人物が演じる」ことがコンテンツとして確立し、今流行していることである。難波優輝は「Vtuberの鑑賞の構成要素は、パーソン、ペルソナ、キャラクタという三つの身体に分けられる。そして、ペルソナとキャラクタ画像がつねに重ね合わせられ、かつ、パーソン/キャラクタとペルソナの層がそのつど関係づけられながら、装われるペルソナが鑑賞者の鑑賞の対象になっている」(難波 18:121)*2 と論じ、これを「Vtuberの三層構造」と名付けている。
そしてバーチャルYouTuberは、電子の肉体によって軽々と他のバーチャルYouTuberとの関係性を構築する。コラボ放送などでみられる仲睦まじい様子を、鑑賞者は「Vtuberの三層構造」を横断し、「彼/彼女らのパーソンのレイヤーでの関係性」が見え隠れする片鱗をSNSや動画において意識しながら鑑賞しているのである。また、バーチャルYouTuber側も当然「パーソンを消費される」ことに対する意識を持っているため、現実世界でパーソン同士が実際に会い、その時食べた飲食物の画像を投稿する、それに対して「パーソン・レイヤーにおいても継続される強い関係性」を読み取れるようになる、といった事象もあった。これはまさにタカラジェンヌの四層構造における「芸名の存在」におけるパフォーマンスと相似であり、その表象が3DCGやVR機器の発達によりさらに「オタク」向けに変化(美少女・美少年だけに限らず多様化)したものではないだろうか。「日常系」と「関係性消費」の拡張であり、またジェンダーと次元の攪乱への大きな手掛かりとなるムーブメントだと考えられる。
つまり、「実在の人物が裏に存在するという事実に裏打ちされた生々しい日常系・関係性」が、液晶内のキャラクタバターと動画配信という形態の手軽さにより、オタクの関係性消費への志向は次元を超えてさらに加速していくと予想できる。
・関係性消費における性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)の無意味さ
前章で関係性消費への志向がさらに高まると予想したが、本章ではオタクのジェンダー格差について女性向けジャンル・男性向けジャンルという分類の持つ意味合いやその内部の消費形態に差異があるのだろうか。
もちろんHL(異性愛)文化を扱う少女マンガ・少年マンガにおいても恋愛・友情・ライバルなどの相関図は存在するが、メインとなるカップル男女の恋愛関係がメインに据えられることが多い。一方BL/GL文化ではそれ以外の登場人物の関係性をより深く読み込み二次創作に落とし込む、あるいは理想の相関図を一次創作で描き出す。今後どんどん規模を増していくであろう関係性消費においては、性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)は無意味になっていくのではないだろうか。しかしここではあえて、わざわざラベリングされている「腐女子」と「百合男子」という言葉の意味合いについて掘り下げ、BL/GL(同性愛)ファンの文化それぞれの特徴から考察してみたい。
女性オタクの人文学/社会学的研究に関しては、特に「腐女子論」か「ジェンダー論」による先行研究が数多くある。その中でも数多く散見されるのは、「主体的な女性の性的欲望の解放」といった視座からの言説であった。特に「腐女子論」と「ジェンダー論」を組み合わせた言説では、「自らの女性身体が侵されない安全な領域において、性的な表象を消費するためにやおい文化は発達した」といったものも存在する。しかし、現在においてこれらの言説に私は違和感を感じる。勿論そういった側面も確かに存在する(した)と思うが、現在の日本の混沌としたオタクカルチャーの中で女性オタクの中から腐女子だけを切り取って上記のように論じるのは既にごく限られた一部の事例においてしか適用されない理論であるように思う。
今あえて「腐女子」を論ずるならば、私は「腐女子同士の関係性」に目を向けたい。腐女子であることによる世間からのマイナスイメージを払拭しようとしたり、イベントやSNSでの趣味やスラングの共有による特殊な連帯が、このコミュニティでは無数に形成されている。やおいコミュニティの特殊性について東は、「やおいを好む女性たちは、一様に異性愛から疎外されているわけでも、異性愛を拒絶しているわけでも、異性愛を欲しているわけでもない。彼女たちはただ、異性愛を排除したところで成り立つ、女同士のホモソーシャルな絆がもたらす快楽を求めているのである。」(東 2015:236)と述べている。さらに、腐女子は扱う創作物の特性上セクシャルマイノリティに対する理解が深く、またホモソーシャルな絆から発展し、腐女子同士が交際していることなどもよく小耳に挟む。シスターフッドやレズビアン連続体、ホモソーシャルな関係性を含んだ腐女子コミュニティは、作品上においても現実世界においても強い「関係性」を追い求めている集団なのではないだろうか。
では次に、GLを愛好する男性オタクについて考察してみたい。残念ながら、男性オタクの先行研究は数多くとも、その内容は美少女キャラクタへの欲望やコミケでのゆるやかなホモソーシャルな交流などになり、「百合男子」単体にスポットライトを当てたものは見つけられなかった。なぜなら、GLというコンテンツは受け手のジェンダーによって大きくその意味合いが変化してしまう場合があるからである。そして男性のGL愛好者は、「美少女キャラクタへの性的な消費」という使い古された言説の中に含まれ見えなかった存在であり、その消費の仕方は齊藤によって「腐女子との比較でいえば、男性おたくの『萌え』にとっては、関係性のプライオリティはそれほど高くない」(齊藤 2009:154)*3 と評されていたのだ。よって、ネット上でGLを愛好するファンは「百合厨」「百合豚」などと呼称され、その性別は限定されていない。これはGLというジャンルを男性だけが消費することに対することが上記の齊藤の言説のような文脈を帯びてしまうことに対する対策と、実際にファンの男女比がほぼ半々であるため、両方の理由によるものと思われる。逆説的に考えれば、「腐女子」という呼称が流行ったのはBLというジャンルを女性が消費することを蔑視されることに対するアンチテーゼとして、BLファン当事者たちが自らをそう名乗ったことに起原するのではないかとも考えられる。
また、百合厨コミュニティにおける異性愛忌避の姿勢は、腐女子コミュニティのそれに比べてはるかに厳格なものに感じられる。先に述べた「男性による女性キャラクタの性的消費」とは違うことを宣言するために「百合男子/厨」を名乗った男性オタクたちは、腐女子のようにホモソーシャルな絆を構築することはなく、二次元三次元を問わずして異性愛的な欲望を抑圧されるようになった。この構造は腐女子のジェンダー論に見られた主体的な性消費の解放とは真逆の道を辿っており、非常に面白い点だと思っている。
こうして述べてきたように、同性愛コンテンツのファンの構造は非常に複雑で特殊なルールの基に成立している。しかし、上記の性的欲望を抑圧される百合男子に関しては、百合というジャンルの男女比がほぼ同じであることに大きく由来するだろう。つまり、「同性愛コンテンツを扱うにあたり、そのファンは異性愛を忌避しなければいけない」といった暗黙の了解のようなものがオタクの中で存在しているということである。これに関しては、創作物と消費者のセクシャリティは隔絶して考えるべきであるという立場をとりたい。そして、特殊な連帯がプラスにもマイナスにもなり得るBLファン界隈と、ジェンダー問題に揺れるGLファン界隈は、第一章で述べたバーチャルYouTuberの関係性消費をモデルとして再構築されつつあると考えている。バーチャルYouTuberの関係性消費は、非常に複雑なジェンダー攪乱が日常的に行われている。パーソンがシス男性、ペルソナがシス女性、キャラクタがシス女性のキャラ同士の「絡み」は、GLともBLともタグ付けをすることが難しい議論になってくる。しかし、その関係性に惹かれるファンはキャラクタとパーソンのジェンダーを軽々と越境し、その複雑な「関係性」を消費することができるようになるのである。これに似た現象はアニメ・漫画においても進んできており、創作物と受け手のジェンダーが必要以上にファンを語るうえで関係づけられることも少なくなっていくのではないだろうか。
【続きと参考文献リスト】
フォン・ブラウンの功績は大きい
彼はプラネテスに登場する科学者のように、戦争がどうとか、人命がどうとかは考えない、ロケットの研究だけに興味のある人物だった
倫理観や道徳観、横並びの同調圧力を無視し、ただ距離を、推進力を求めるという姿勢に素晴らしさを感じる
同時期に米国ではTVの送受信機による誘導型ミサイルの開発に取り組み、実現までさせている
ナチスの本拠地を叩く作戦に実験的に使用されたが、不運にも失敗してしまうが、成功していればナチスは大打撃だっただろう
この功績は現在も活きている
しかし、無線技術、暗号、数学、戦場での衛生維持、計算機など、米国が取り組んでたものにナチスは大して力を入れていない
米国はWW2参戦において、これからは戦争は科学力が征するということに重点を置き、多くの研究機関が作られ、軍需産業、軍産複合体の基礎となった
多様性を否定したことで、米国にはないジェット推進技術、ロケット技術を達成した
核はその結果である
もちろん、空飛ぶ円盤のような無尾翼機のような失敗プロジェクトも多い
それは予算を打ち切るシュレッショルドを決めている
そして、日本はどうしようもないほど駄目だった
日本にはナチスのような集中と選択も、米国のような全方位的科学立国への野望もなかった
それどころではなかった
空襲に怯え、教師や町内会長が教育勅語や竹刀で軍国主義を唱え、精神論と体罰があり、学徒出陣天皇万歳だった
今一度原点に返り、我々は軍需産業を再開するべきに思う
ただ、政治家や役人のような上側と、市民の多くが愚かなのである
来るべき戦争に備え、もちろん商売としても、全方位的な科学の発展はこれからも必要である
科学がすべてではないが、数学的モデルで社会をシミュレーションすることも重要だし、資源がないのだから知恵で勝つしかない
米国や中国の後追いではなく、彼らが注目しない分野にもチャンスがありうるだろう
趣味として楽しむのもいい
[津田大介氏が語る『ダウンロード違法化議論の経緯』と『ダウンロード違法化の約束と反故の歴史』](https://togetter.com/li/1319239)を読んで気になったので
議事録はこちら(http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/rokuon/index.html).
## [平成19年第2回(2007年4月16日)](http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/020/07042414.htm)
(津田委員) (増田中略) あと、もう一つやはり重要なのは、30条の外に違法複製物をするというときに、録音録画に限るのか限らないのかという問題も結構重要だと思っていて、インターネットの利用の実態というのを考えると、よいか悪いかというのは別として、インターネットのWEBページ上には、いろいろな雑誌とかほかの例えばオフィシャルサイトに掲載されているアイドルとかタレントの写真というのはどんどんブログとかにコピーされてアップされたりするわけですよね。それはやはり許諾はほとんどとっていない、ある意味、違法作成物ですから、そういったタレントの画像を自分の壁紙にしたいからパソコンに保存してということというのは日常的に行われていますし、例えば僕がどこかWEBの媒体に寄稿した記事とかというのも参考資料として使われるためにパソコン上に保存されて、それが印刷されてみたいなというのもあるわけですよね。
そういうときにやはり、それが全部違法複製物、違法サイトの複製というので、いわゆるキャッシュという一時的蓄積ではなく、明確に自分のパソコンに保存するというときに、そういったものがもうブログとかでカジュアルにある意味そういう著作権侵害というのが行われている利用の実態があるわけですから、そういったものが全部この30条の外に置かれることによって、カジュアルな犯罪者というのが増えてしまう可能性というのは非常に大きくなるのですね。
そういったことを考えると、もともとこの委員会は音楽と映像の補償金というある意味小さな話をするところだったと思うんですけれども、もうちょっとネットの広範な利用実態にすごく大きな影響を与える可能性があるので、それは十分慎重な議論をしなければいけないのかなということと、当然この30条の外に置くというのは、海賊版ですとか違法な状態等を何とかしたいという、そういった意図があるのかと思うのですけれども、でも、それであれば日本というのには送信可能化権があるわけですし、アップロードした人を摘発するという運用で十分なのではないのかなという気がしていて、やはり画像とかテキストというのは本当にネットではカジュアルにコピーされますから、そういう意味ではそれがやはり犯罪という形になってしまうと、私的複製の外になってしまうということになりますと、エンドユーザーに無用な混乱を与えることになってしまうのではないかなという懸念が1個あります。
## [平成19年第5回(2007年6月15日)](http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/020/07061916.htm)
津田委員) (増田中略) その30条のところに関して言うと、やはりいろいろな問題はあると思いまして、どうしても海賊版からの私的複製とか違法配信からのダウンロードを規制したとしても、家庭内の複製行為を取り締まることは実質的にはほとんどできないですよね。物事すべてそういった形で法改正の目的として家庭内の違法からのコピーをソースにしたコピーを取り締まろうということ、実際に取り締まれなくても抑止効果があるのであろうということであっても、じゃ実効性としてどれだけ意味があるのかという議論は当然あるでしょうし。僕はそこで大きな問題になるなと思うのは、ユーザーの側で自分が接している著作物というのが、利用許諾のもとに提供されたものなのか判断する手がかりというものがないという。特にインターネットみたいなデータ中心のものであると、これが違法なものなのか、これが合法的なものなのかというのはわからないまま、自動的に機械がコピーしてしまっているというところがあるわけで、そういった違法なものがコピーしているかしていないかということがユーザーにとってわからないという意味では、それが違法なものからコピーすることは違法になってしまうのだよということが前提になってしまうと、常に不安な状態でユーザーはインターネットというのを利用しなければならなくなると、そういった意味の悪影響というのはすごく大きいなと。
いろいろな議論がある中で、情を知って行なってというところで、そのコピーに関しては違法にするというような規定も、そういった制限規定みたいなのを用意するみたいな議論もあったと思うのですが、これ自身が利用者保護に役に立つかというとまた疑問もあって、結局ユーザーからしてみれば、情を知ろうが知るまいが、結局結果としてできるコピーというものは同じものになりますし、そうなったときにその辺は司法判断でどうにでも認定できてしまうのかなという問題がありますし。いろいろな権利者団体の方というのは大体インターネットの犯罪ですよということはよくキャンペーンも行なっておられますから、そういう意味ではユーザーが情報を知る機会というのは非常に増えているという考え方もありますし。
あと、もう1つ大きな問題としては、今「知的財産推進計画2007」のほうでもありますけれども、著作権法違反の非親告罪化ということがその検討項目として入っていて、これとセットで組み合わせたときに違法なダウンロードのものが30条の外になってしまうというときに、本当にいろいろなものが著作物に対して論じたり研究したり楽しんだりということが、インターネットを使うこと自体が常に何か犯罪行為に近くなってしまうというような意味でのエンドユーザーに対してインターネットが楽しめなくなってしまうという、そういう意味で悪影響というのはすごく僕は懸念されています。
話を多分その立法目的のところの話に戻していくと、何でそういった30条の外に置くのかという話の目的としているのはもちろん海賊版対策ということだと思うのですよ。海賊版対策というところで、でも、今の現行法で海賊版対策はできないのかというと、それはそんなことはなくて、当然日本には送信可能化権というのがありますし、海賊版をばらまく行為自体も基本的には禁止されているわけですから、本来海賊版を規制したいのであればその送信可能化権と海賊版頒布のそれを禁止というところで、そこで対処していくというのが本来の筋道ではないのかなと思います。やはり著作物を守るための保護が日本は甘いのではないのかという意見も多分あるかと思うのですけれども、ただ、やはり罰則という意味ではこの前の著作権法改正で5年以下から10年以下になっていますし、非常に罰金というところも上がっていますよね。そういう中で世界的に見ても水準というところでは非常に厳しい著作権保護の水準になっているというふうに僕は考えていて、そういうところでさらにそういった強化を、特にエンドユーザーに対して影響が大きい30条の変更を行って、また強化をするということはやはりその本筋からも外れているし、エンドユーザーに対してのすごく萎縮効果というのが大き過ぎるというところがあるのかと思います。
僕が最後に思うのは、この議論を持っていてユーザー的に極論的に言うと、今回の文化審議会の議論でこの30条を変えるのか、それとも補償金を残すかというもし二択なのであれば、おそらくエンドユーザーはある程度補償金があることによってユーザーが自由にコピーできるのだったら補償金があったほうがいいだろうと。そうじゃなくて、インターネットとかの自由にコピーができなくなってしまうみたいな、そういう可能性がある、インターネットを使っているだけで犯罪になるかもしれない。しかも、それが非親告罪化されて、いつの間にか自分が犯罪行為にわからないうちになっているかもしれないということ、そういったものの萎縮効果、しかも、それがよくわからないうちに法改正が進んでいるというのは、非常にエンドユーザーに対しては問題が大きいのではないのかと思います。幾つか論点ありましたが以上です。
(川瀬著作物流通推進室長) 委員、少し誤解をされていると思いますが、私ども前期の小委員会から今期にかけて30条の見直しの議論はいろいろな意見を頂戴しておりますが、その中で現行法は私的目的の複製に関しては、それが30条の範囲かどうかにかかわらず罰則の適用は除外しております。私どもとしてはその流れから言うと罰則の適用はないのではないかという資料は出させていただきました。
それに対して私どもの理解では、罰則を適用する必要があるという意見は1件もなかったわけですから、その自然の流れから言えば当然今回違法サイトからの複製について30条の適用範囲を外すとしても、特に罰則の適用が必要だということであればまた別ですけれども、今の審議の流れから言えば同じように罰則の適用がないということになると思います。ということですから、まだこの委員会の結論は出ていませんから、今の時点で言明するわけにいきませんけれども、今までの委員会の審議の流れからいえば罰則の適用は排除するという流れになると思います。
(津田委員) まさに本当に、それはインターネットというメディアの特性というのがおそらく今までの著作権ビジネスと相いれない部分というのは多々あるというか、インターネットというのはやはりネットというのがコピーを前提にした新しいメディアであるから、ゆえに従来の著作権法と齟齬が出てきているというのが、今こういった問題のおそらく根本的なところにあると思うのですけれども、仮にその罰則がないままいって、でも違法状態というのばかりが増えていくといったときに、それはユーザーにとってどうなのか、それが本当に正しい状態なのか。であれば、もともとそういった法改正をして、罰則がなくても違法状態ばかりが増えるという法改正をすることにどれだけ実効性があるのかという意味で、そのところの根本的な議論というのはする必要があるのではないかなと僕は思います。
## [平成19年第6回(2007年6月27日)](http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/020/07062817.htm)
## [平成19年第14回(2007年11月28日)](http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/020/07112907.htm)
違法サイトからのダウンロードに関して3点ほど意見を述べたいと思います。
まず、1点目は対象著作物の範囲に関してでございます。著作権分科会におきましても、ゲームソフトやビジネスソフト等のプログラムの著作物についても対象にという意見がございました。これにつきましては、著作権法でも随所に一般の著作物と異なる規定を置いているところであります。つきましては、被害実態が明らかであり、迅速な対応が必要な音楽、映像といった私的録音録画に関しまして、まずまとめていただいて、プログラムの著作物に関しては別途検討が適当なのではないかと考えます。
2点目は利用者の保護、善意者の保護に関してでございます。このパブリックコメントを見させていただきますと、違法サイトからのダウンロードにつきまして、これを違法とすることの反対理由といたしまして、一般のユーザーが知らないうちに、気づかないうちに犯罪者となるとか、損害賠償請求を受けるといった恐れが指摘されているわけでございますが、この中間整理でも明らかなとおり、インターネットの利用の萎縮効果を招かないように、利用者の保護の観点に立った手当がされているところでございます。
具体的には違法サイトからのダウンロードは罰則の対象としない、損害賠償請求についても「情を知って」等の要件を満たした場合はじめて責任を問われるということになっているわけでございます。これに対し、反対意見の中には中間整理の内容が必ずしも正確に理解されているとは思えないようなところが見受けられますので、特にここは重要なところであると思いますので、国民あるいは一般ユーザーに対してきちっと理解していただくような周知活動といったものが必要なのではないかと考えております。
3点目として(増田中略)
この30条のところでいうと、今、生野委員から必ずしも正確な理解に基づかない意見が多いのではないのかというお話があったんですが、例えば9ページの日本俳優連合さんの意見で言えば、抑止力として使うために早急に罰則規定を法定すべきであるという意見もあって、その権利者さんの望むところは法的な保護強化をという声があって、そういった状況と込みに今までの著作権法がどのように変わってきたのかという歴史的な経緯などを踏まえた上で、ユーザーがそういったところまで心配した上での反対であると。そういった文脈も込みでの反対の意見が多いということだと思っています。
もう1つは、今、生野委員から録音録画は切り分けて早急に対処すべきではないのかというご意見がありましたけれども、すべての著作物を30条で適用していただきたいという意見はパブリックコメントでもありますし、著作権分科会でもあったということは、著作権法30条の問題を考えるときに非常に大きな話であると思うので、私的録音録画小委員会で全部話し合うことが果たして正しいのか。ちょっとツウマッチな問題なのではないかなということがあるときに、パブリックコメントでもありましたけれども、30条から外すことはどうなのかということを一から根本的に議論するべきではないかという意見に僕は賛成で、それは私的録音録画小委員会ではなくて、これより上の法制小委員会とか、もうちょっと大きなテーマを扱うところで議論すべきではないかなという気がいたします。
## [平成19年第15回(2007年12月18日)](http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/020/07121906.htm)
ありがとうございました。
もう時間を過ぎておりますけれども。特に一般人のダウンロードの問題ですが、ここは著作権の審議の場ですから著作権しか見ておりませんけれども、知的財産一般に関係しておりまして、例えばニセブランド、これを外国から買ってもってきた場合どうかとか、それを日本で使っている場合どうかとか、一般人を知的財産とどう絡ませるかというのは非常に大きな問題です。したがって、これは非常に大きな問題ですが、それは置かれているその問題ごとに解決していくしかないと思います。
一番大事なのはやはり利用者の保護であり、不意打ちをくらうということがないという配慮が必要でしょう。情を知ってとか故意という要件が入るので、それは恐らく一番大きな利用者保護になるでしょうし、実際の訴訟を考えてみますと、警告をするといったって警告するときはダウンロードは終わっていますから、合法なダウンロードは警告で違法になることはないわけですね。ずっと継続的にやっているような人に対しては警告の意味があるかもしれませんけれども。そうなると余り訴訟としてどれぐらい使えるかという問題の疑問はあるのですけれども、先ほどどなたかおっしゃいましたけれども、違法にすることによる国民の意識の変化は期待できるかもしれませんし。
恐らく一番大きな問題は、You Tubeのような投稿サイト等、あれいくら違法な投稿を削ったってまずなくならでしょう、絶対不可能なんですけれども、ああいうものを合法のほうに取り込んでいくかという場合、ダウンロードを違法としておくことは意味があるのかなとか。そういう広い意味はあろうかと思いますけれども。恐らく個々の国民がこれでひどい目に遭うということは多分ないだろうと思います。刑事罰もついておりません。アップした人には刑事罰が科せられますがダウンロードには刑事罰がついておりませんので、まあこれに関しては一般のユーザーはそれほどひどい目には遭わないだろうという感じはしております。
おわり
あの、応援を目的にしたスポーツってのがなんかモヤっとするんだよな
まぁプロとかでハーフタイムにベンチにいないのに応援してどうすんの、という気にもなるし
仮に客席を盛り上げるためなんだったらスーパーボールみたいに歌でも歌ってりゃいいんじゃね?とは思う
それを始めたらチアの応援のチアが必要になってそのうちメモリがオーバーフローするがな
そりゃ応援される側は笑顔じゃ無いと元気出ないけど、それを採点するってなんかおかしくね?
笑顔って人それぞれなのに、笑顔が不細工だと減点されんのおかしくね?
まぁ剣道で一瞬早いほうが勝つ、ってのがもはや剣術とはかけ離れた競技になってるってのと似てるかもしれんけど
なんかモヤっとする
誰が競技にしようとか言い出したんだろうか
なるほどそういうことか、チョコケーキだよ。娘は混ぜたりチョコ割ったりするだけだよ。溶かしたり焼くのは嫁だよ。全部やるわけないじゃん。