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はてなキーワード: 試験とは

2018-10-14

IT的な技術よりもやる気をコントロールできる技術がほしい

から何もかもが継続できない。

資格取得の勉強とか、アプリ開発とか、小説執筆とか、何かを成し遂げようと思ったことは幾度となくあるけど、何一つ大きな何かを完遂できた試しがない。

今年もなんたらスペシャリストかいIPA試験受けようと云千円も試験料払ったのに現時点でほぼ無勉状態からまあ試験日当日にバックれかますつもりだ。

ちなみに半年前は受けなきゃなーとか思いながらも申込みすらサボった。

アプリ開発だって藤原竜也ツールレベルの細かいのは何回も完成させてるが大きなのはほぼコケてる。

企画はいろいろあったんだよ。決済機能付きの技術投稿サイト。2chAPI実装した専ブラなしでも使用に堪えうる今風UI掲示板対立煽りながら漫画アニメ作品を格付けさせて2つの作品間の優劣をハッキリさせるサービスetc

環境作ったりテーブル設計してマイグレーション走らせてAPI部分だけ作ったけどフロントエンド技術習得作業が止まったり

企画に対して仕様が練りきれなかったり、単純に飽きたり、まあ理由はいろいろあるけどやる気が足りないっていう理由がまあほぼ独占してる。

今は英語勉強を始めたくてとりあえず単語アプリの開発をしてるんだが開発の方に飽きかけてるせいで英語勉強も始まる前に終わってしまいそうだ。

こんな自分ダメなのはわかってたからまず俺はタスク管理法というのを調べたよ。

Todoアプリはどんなのがあるのかとか、みんなどんな感じでタスク管理してるかとか、タスク管理法のプロマネ向けの書籍を読んだりもした。

そんで俺は平日の終わりに休日にやるべきことを、休日の終わりに平日にやるべきことをタスクとして洗い出してTodoアプリ登録するようにした。

ポモドーロテクニックっていうのを使って(超要約すると25分仕事→5分休憩を4回やって30分休憩、っていうのを繰り返すタスク管理テクニック)

25分の作業を1タスクとして、できるだけ細かく、そして無理のない範囲タスクを洗い出すことにした。

作業の中には勉強とか開発のものだけじゃなくて例えばSteam積みゲーを25分間×3回かけて崩すとかアマプラドラマ何話まで見るとか、そういう遊びのタスクも含めて管理するようにした。

んで今はというと遊ぶ方のタスクだけ前半で綺麗に消化されて2ヶ月くらい前に登録した開発用のタスクをまた来週平日分のタスクとして繰り越そうとしている。

成果としては積みゲー消化がやけにスムーズになってしまっただけ。アレだよ。某Youtuberの『時間足りなかったので1分追加しまーす』ってのを人生の中で延々と繰り返してるんだよ。

ぶっちゃけどんなに緻密にやることをTodo管理しようとしても友人からの『マリカーやろうぜ!』のLINE通知があれば何もかもが崩れてしまう。

いや、そんなもんなくても崩れてるんだろうけど。いやだって勉強よりゲームアニメって楽しいじゃん。

唯一長年続けられてるものといったら日課的な部屋の掃除DS脳トレゲーム筋トレくらい。

生産的なことは何一つやれてねえ。

ぶっちゃけこういうのって脳みそレベルである程度決まってそうな感じするから単純な精神論行ってても仕方がない気がするんだが、

もうちょっと何か自分を追い込むような方法ってないのかなぁ。なるべくお薬とか以外で。

そろそろ人生的に転職エージェント相談したり転職ポートフォリオとか作らなきゃあかん時期なんだけど、このままじゃ転職すらままならねえぞ。

平成最後の年にFAXを初めて使った話

いやまさか自分がこの歳で使うなんて思ってもなかったよ。しかも今年だけで二件

まず一件目は、ある資格試験を受けるためインターネットから申し込みをしたんだ。本来なら、受験前に受験票が送付されてくるのだが、何らかのミス自分のところに送られて来なかった。

受験票が無いと受験出来ないし受験料も振り込んでるもんで、仕方ないか試験の4日ぐらい前に、運営本部電話したわけだ。

まぁその結果、受験票の再発行ってことになったんだけど、その再発行がまさかコンビニFAXだったんだわ。

電話でそのまま受信番号聞いて、コンビニ機械に打ち込むだけだったんで、特に苦もなく、スンナリ無事受験出来ましたよっと。でもメールpdf送付じゃダメなんかなぁとは思ったな。まぁウチの場合プリンター無いんで結局コンビニ行くんですけどね…

もう一件は、仕事出張行った時の話。

前日移動で出張先に行ったんだけど、自分が出発した後で、客先への紙の提出書類が増えたんだわ。

パソコンが要らない出張だったもんで、セキュリティの都合上パソコンを持って行かず、メールも受け取れず。仕方なしに会社からホテル宛にFAX資料を送ってもらったんだわ。(幸いセキュリティ的に問題ない資料だった)

何だろねFAX、一生縁のない存在だと思ってたのに。

世の中理不尽だよね

大学試験カンニングした人と普通に勉強して受けた僕の点数が同じなんてね。

anond:20181014001928

あと、宅浪だったら尚更

増田含めネット遮断したほうがいい

試験日と試験会場以外

受験生にとって

有益情報は、ネット上には存在しない

教科書問題集過去問模試

( あれば、予備校テキスト )

とだけ向かい合え

現役時より上の結果出したいなら

もう増田には来るなよ!

2018-10-13

anond:20181013221849

DHA効果については健康な成人を対象とした試験があまり無いようなので何ともかんとも…

ただ水素水と同レベルというのは言いすぎでは?

https://hfnet.nibiohn.go.jp/contents/detail32.html

自分はなにかを成し遂げないといけないと思っていた

偉人伝とか発明家の話をよく読んでいたからか、自分特別存在でなにか社会的に意義のあることを成し遂げる人間だと思って生きてきた。

この状態自分をAとする。

色々あって、最近霧が晴れたように自由自然体で過ごせていて、この状態自分をBとする。

AとBで考え方の特徴をあげてみる。

【A】

他人感情に影響を受ける

完璧でないと無価値と感じる

意見否定されると自分自身が否定されたと感じる

沈黙が続くと自分が盛り上げないといけないと頑張って喋る

他人から裕福であると見られたい

言葉の裏の意味を考える

他人支配しようとする

傷つきやす

周りから尊敬されるための目標を立てる

優位に立ちたい

なんでも知っておかないと気が済まない

その場に自分より優れた容姿の人がいると卑屈になる

怒りを感じやすく溜め込み爆発する

恥じることが怖い

悪い状況を想像してストレスを感じる

社会的成功しないといけないが何をしたら良いかからない

【B】

他人感情他人のもの

自分そのままで価値があり唯一のもの

意見否定されると自分自身が否定されたわけではない。視野が広がるので理由を聞かせて欲しい。

沈黙が続いてもそのまま。興味がわけば質問する。

裕福もいいけど清潔感第一

言葉はそのまま受け取る

自分自由で居たいか他人にも自由でいてほしい

その場で起こってないことで勝手に傷つかない

自分が好きでやりたいことの延長戦目標がある

人間順位はつけれない

本当に知りたいことに時間を使う

自分史上最高の容姿を目指し自分で満足する

怒りは言語化しその場で伝える

恥じたところでみんな他人にそんなに興味ない

起こってないことを勝手想像してストレス溜めない

社会的成功しなくていい素直に生きて死ねたらいい



こうしてあげてみると、すごく楽になったなと思う。毎日が楽。体調も良くなった気がする。

でも、AとBで、変わらないこともあるのであげておく。

共通

物事の成り立ちを知るのが好き

1人の時間が好き

服や化粧品が好き

基本的仕事は好き

変わったきっかけは、一度ひどい鬱状態になったので無理しないように心がけながら過ごしたのと、正社員登用試験

試験というか、正社員にふさわしいか見られる期間があって、自分のやりたいことをあげてそれに取り組む姿勢審査されるんだけど、改善点はあげられるのにやりたいことはとってつけたようなものしかあげることができなかった。

じゃあ自分のやりたいことってなんだろうって考えだしてから、どんどん変化した感じ。

結局正社員にはなれなかったんだけど、変わるきっかけになったこ試験については感謝してる。

周りやネットでも、Aに近い状態で苦しんでる人をよく見るんだけど、そういう人たちにも、私みたいにちょっとしたきっかけが訪れればいいな。

2018-10-12

anond:20181012144629

自分かと思った。

たった今、[サトシの原子炉]試験的に投稿し始めたところだから、もし増田小説投稿するということに興味があったら見てほしい。

2018-10-11

日本臨床心理学における査読論文価値

anond:20181009215657

心理学について書こうと思ったら、お一人書いてくださった方がいたので、そこで「特殊」とされていた臨床心理学について書きます

臨床心理学系の大学院博士号を取って、現在大学で臨床と研究をしています

論文事情を書こうと思ったら、背景にある臨床心理学事情になりました…。そして「日本の」と書いたのは、日本の固有の事情もあるためです。

はじめに

臨床心理学における研究は、おおよそ以下の3つに分けられます

 1:ブコメであったような、症例報告から始まってランダム対照試験まで行くという医学疫学的な研究

 2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究

 3:その他の調査研究ちょっと大雑把ですがゆるしてください、そして私のメインはここです)

少々雑な括りで、中間位置する方や例外もままいることを踏まえ、あくまでも概要を述べているということを踏まえたうえでお付き合いください。

論文事情

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 では心理学論文事情として以下の順序を挙げていらっしゃいました、

 査読付き英語論文>>>>査読日本論文>>査読なし日本論文(いわゆる紀要査読有り紀要も含む)

これは、1と3を自分研究領域にしている臨床心理学者にもほぼそのまま当てはまりますし、海外でも同様です。

そのため、競争が激しい業界院生さんだと、Predatory Journalに投稿しているケースも残念ながら見ます

特殊なのは、「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」を中心としている人たちです。

この方々の多く(全員ではありません)は、場合によっては「論文」というものを軽視すらしていますし、査読論文の数も非常に少ないです(大学に勤めている以上、建前で「論文書かないとね」と言ったりはしますが)。

これは分野外の人からはよく見えないため(もちろん業績調べればわかります)、中々ややこしい問題です。

私の観測範囲ですが、下手にこういう人たちが多い大学就職しようとしたり、あるいは就職してしまったりすると、論文業績が多い人はかえって冷めた目で見られたりすることすらあります

このような信じられない断絶が臨床心理学の中にあるので、業界からはわかりにくいのです。

ちなみに「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちの業績に対する意識は人文系に近く、私も完全にはよくわかりません。ただ少なくとも、英語査読論文を無条件でありがたがったりはしません。

しろ”深みのある”事例研究理論検討が尊ばれ、そうしたものに特化した特定学術雑誌論文や、あるいは書籍などを重視する印象です。

業界事情(長いです)

なぜ学問を行う場である筈の大学において、こんな断絶が起こるのでしょうか。

つの要因は単純に「世代」です(繰り返しますが大雑把な区切りです)。

世代によって何が違うかというと「臨床心理学に対する考え方」が違います

もっと具体的には「エビデンスを重視するか否か」の違いです。

エビデンスを重視しないなんてバカ?」と思う方も多いと思います

私も7割同意しますが、これにはこれで事情があります

先ほど書きましたが、2の人たちが重視するのは事例研究です。

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 には、「事例研究には物語以上の価値はないのでは」とありました。

「そう見えるのは仕方ないだろうな」と思う気持ちと「物語価値過小評価しすぎですよ」という両方の気持ちを抱きます

なぜかと言えば、「クライエントの人生」を理解しようとすれば、どうしても「物語」というフレーム必要になるからです。

古典的な臨床家(心理療法をやる人)は、クライエントの人生全体を見ます

クライエントが訴える問題(やる気が出ないとか、落ち込むとか)を全てと考えるのでなく、むしろ人生における氷山の一角と捉えます

そして、クライエントの人生をそのものを見つめ、その人がより良く人生を歩んでいけるよう、どうにかこうにか支援をしていくわけです。

(「大きなお世話」「思いあがるな」と思われる方もいるでしょうし、下手すると実際にクライエントにとっても大きなお世話になります

その人の知能や症状の程度、パーソナリティなどを数値化して客観的に捉えることは心理学の得意技ですが、それでその人の人生全ては捉え切れません。

人生というものを捉えようとした時、どうしても物語必要になります

もちろん、物語ですから完全に同じ事象再現されることはまずありません。そのため、厳密な「エビデンス」はそこから得ることはできません。

ですが、だからといって物語意味がないわけでもありません。

物語から自分は何も学んだ覚えはない」という人がいたら、それは物語意味がないのではなく、恐らくその人に学習能力がないためです。

物語を蓄積していくことで、我々は人間に対する理解をより深いものにしていくことができます

そのため、日本臨床心理学者は「エビデンスなんかいらない」というよりも、「物語を蓄積してくしか、やりようがない」と思っていた部分もあると思います

またもう少しフォローしますと、単に物語を乱立させるのでなく、蓄積された様々な「物語」を体系づける理論の構築自体は脈々と行われてきました。

それが、「2」の後ろ半分「それを踏まえた臨床論的研究」です。

フロイト精神分析なんかは、今でも理論精緻化され続けていて、それはそれで読むと非常に面白いですし、人間理解に大いに役立ちます

というわけで昔の臨床心理学は、多分に人文的というかアート的な学問領域でした。学んでみると非常に面白いのですが学問としての欠点もたくさんあります

最たる点が、多くの方が既に感じていらっしゃる通り、物語性を重視するあまり客観性エビデンスをあまりに軽んじてしまたことです。

 ◆

しか1990年代の後半頃でしょうか、「認知行動療法」と「エビデンス重視」の立場が、アメリカから日本へ本格的にやってきました。

心理療法の一つである認知行動療法エビデンスを非常に重視します。

例えば「うつ病」ならば、患者抑うつの程度を測定し、「認知行動療法を行うと抑うつの程度が有意に下がる!」みたいな研究バンバンやるわけです。

当時の学会の様子は今でも覚えていますエビデンス重視の方々は「それエビデンスあるんですか?」と、どこかの誰かのようなセリフを旧来の臨床心理学者に容赦なく投げつけ、大変気まずい空気を作り出していました。(別に悪いことではないですが)

残念ながら旧来の臨床心理学者はそれに真っ向から反論することができません。なぜなら、実際の所エビデンスは無いからです。

ただし、客観的エビデンスが求められる研究では、「客観的に扱える要素」しか扱うことができません。

そういう「客観性」では捉え切れない人間の心を探求していったのが、これまでの臨床心理学だったはずです。

ですから多くの人にとって、「エビデンス」というものが極めて底の浅いものに見えたという部分もあると思います

実際私もそう感じる部分はありました。確かにエビデンス大事だけど、余りに機械的人間の心を扱いすぎていないか?と。

それって、本当に臨床心理学が目指していたことだっけ?

とはいえ、旧来の臨床心理学者がその文学性に浸りすぎ、客観性過小評価していたのは間違いないと思います

エビデンスに対して「人生の深みをわかっていない」「客観性が全てではない」と言っても、インチキしか聞こえないでしょう。

要するに、物語偏重し、エビデンス全否定する姿勢は間違っていますが、エビデンス偏重し、物語全否定するのも同様におかしいと、私自身は思います

そういう微妙バランスというか面白さが臨床心理学の中にはありますし、どちらも人を支援する上では大事視点だと思います

 ◆


まぁその後は各学会大学内で、明に暗に色々な小競り合いがあって、現在は昔よりもだいぶ両者が折り合いつつある雰囲気です。

一つは、純粋な「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちが減ったという単純な理由です。大御所の多くが高齢化し、以前よりはだいぶ比率が少なくなりました。

逆に、認知行動療法がだいぶ浸透した結果、若い世代では認知行動療法が専門外でも、エビデンス重視の考えは馴染みのあるものになっています

また、認知行動療法の人たちも”表面的な”エビデンスが全てではないという姿勢の人が増えてきました。

また、個人的にすごく大事だと思うのが、実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

これによって、「エビデンスが全てではない」と意地を張らなくても良くなってきたのだと思います

結局、エビデンス否定するのではなく、自らエビデンスを出すことで (とはいえ研究殆ど海外ですが)、問題は解消されつつあります学問としてこれはとてもよいことだと思います

 ◆

つい最近中室牧子さんとかによって、教育業界エビデンス視点を持ち込む動きがありますが、同じように、日本臨床心理学にもエビデンス視点を持ち込もうという動きが20年程前にあったのです。

エビデンスに対する考え方の違いは、人間理解に対する考え方の違いであり、それが論文業績に対する考え方の違いにもつながっていたという話です。

これを読んでみて、改めて「臨床心理学ってクソだな」と思った人もいるかもしれませんが、こういうゴタゴタも乗り越えつつ、少しずつ学問としてブラッシュアップされていっている臨床心理学が私は大好きです。

長くなってしまいました、すいません。

おまけ

長くなったついでで恐縮です。

https://anond.hatelabo.jp/20181011091532 「再現可能性が4割」の部分に

https://anond.hatelabo.jp/20181011091734 「びっくりするほど信用できない学問だな てか学問かそれ 」というコメントを見かけましたが、これ心理学だけの問題じゃないんですよ。

Natureが少し前にいろんな研究者に調査しましたが、理系領域だって再現性は決して高くありません。

https://www.nature.com/news/1-500-scientists-lift-the-lid-on-reproducibility-1.19970

しろ追試をちゃんとやって、どれが再現できるか否かをふるいにかけ、学問を発展させようとする態度こそが科学的だと私は思います

anond:20181010164531

元増田には届かねえだろうなとも思いつつ銃器大好きなので自分の備忘として書き散らかしておく

結論:銃マニアは超めんどくさいので、銃の知識がいらない演出を目指せ

ただでさえ、銃器世界は奥が深い。奥が深いということはその裾野も広い。鉄道趣味と一緒であまりにたくさんのジャンルがあるので、ちょっとでも演出にほころびがあると、奴らは目くじら立てて指摘してくる。(というより自分が目くじら立てて指摘してる現在の状況がそれ。)

なので、目指すべきは、銃の詳しい人から見てこの演出アリですか?ではなく、ただ鉄砲から火を吹かせるだけで、違う部分の演出で見せるべきだ。

最もいい例が「メキシカン・スタンドオフ」。ググれば出てくるがお互い銃を突きつけあって身動きが取れない状態だ。

まりに大量に使われているけれども、それだけ使い勝手がいいということ。

緊張と緩和がストーリーの起伏をつくるのだから使っておいて損はない。

さらに言えば、後頭部にゴツって硬いものが当てられたらそれだけで緊張感がみなぎるはず。でもそのときだってどんな銃が当てられてるかわからない。

極論してしまえば、引き金を引くだけで、人を殺せる弾が出るってのが銃の意味であり、それ以上でもそれ以下でもない。

もちろん、「銃を大切に扱っている」「銃器に詳しい」などで登場人物の人となりを暗に示すこともできるけれども、

別にそれがギターであってもいい。

ただ、物語においては銃とはただ人を殺せるものとだけ認識しておけば、あなたが書きたい物語に銃を配置する意味を見いだせるはずだ。

ここから添削

具体例を出してる演出に対してつっこむよ

弾切れ演出

めっちゃありがち。だけれども、自動拳銃レンコンみたいなのが見えないやつ殆どリボルバーじゃないやつ)って装弾数7+1発みたいに書かれるように、マガジン=弾倉 の中に弾入れても、チャンバー=薬室にも弾が入るんだ。

7+1だと、マガジンに7発、チャンバーに1発。合計8発撃てる。でもそこからの弾切れから新しいマガジンを入れると、マガジンには7発しか入ってないから7発しか撃てない。そういう意味で、弾切れ演出リボルバーなら映えると思うけど、今だと数え間違いする演出のほうが多い気がする。

ちなみにチャンバーに装填されないと銃は撃てないんだけど、ただでさえ銃を撃つときは緊張するから、暴発を防ぐために初弾は装填しておかない一般人殆ど

銃を打つ前にスライドガチャンってやるのはチャンバーに初弾を装填してる。じゃないと撃てないからね。

あと、自動拳銃の弾交換=リロードって速さ人めっちゃ速さ。Youtubeとかでリロード 速さみたいに検索するとめっちゃ出てくるし。

競技オリンピックでやってるの以外にもめちゃくちゃたくさん団体があって、そういうところが大会ビデオ流してるので、速さにビビるのもありかもね。

他にも、リボルバーってリロードめんどくさそうに思えるけど、スピードローダーってのがあってそれつかうとまた鬼のように速いので見てみるといいよ。

特に知らない人にとっては自動拳銃ってすごい弾数少ないので、調べだしたらまずそこに驚くかもね。

マシンガンバッテリー

ないよ!例外もあるけどないよ。

まず、連続で発射される銃は大抵の場合銃弾火薬が爆発する力で動いてる。

  • 1.バネじかけで銃弾のお尻を叩く
  • 2.火薬が爆発する
  • 3.火薬の力で弾が発射される
  • 4.残った火薬の力で、いろんなからくりが動いて次の弾が装填される
  • 5.同じく残った火薬の力で、いろんなからくりが動いて、次のバネじかけが叩ける状態になる
  • 6.バネじかけが勝手にまた銃弾のお尻を叩く

てなってる。

なので、バッテリー必要ない。

んだけど、上のサイクルが止まることはよくある。とくに弾づまり=ジャム

何が弾づまりしてんのかというと薬莢で、そこの中に火薬が詰まってんだけど、薬莢は発射されないんだね。

上のサイクルの4で残ったままの薬莢を取り出すんだけど、からくりだけあって、ちょっとしたゴミタイミングのズレで出てこないことがある。

すると、次の弾が装填されずにサイクルが止まってしまう。

ジャム演出はよくあるので、使ってみてもいいかもしれない。

元のブコメにもあったけど、例外ミニガンターミネーター2シュワちゃん建物から馬鹿みたいに撃つやつ)やチェーンガン(戦闘機についてたりするやつ)は、電気の力とかで上の4,5,6をやってるのでバッテリーがあるよ。

それ以外にも、競技銃とかで、エレクトリックトリガーっていって電気の力で、弾のお尻を叩くやつもあるよ。あんまり競技銃詳しくないからわからないけど、あれもバッテリーあるんじゃない?

よくある銃演出

思いつくままによくある銃の演出をつらつら

セーフティーがかかったままですよ

・ただ取り出しただけなのに「チャッ」って音がする

二丁拳銃リロードをどうするか

散弾銃で装填するとき銃口上向き

ベルリンクつけるとき、蓋を叩く!!

MP5ボルトハンドルを叩く!!

カンフーの達人は相手のもった銃を即座に分解できる

・弾の種類が違うので共有できない

ジャッキー・チェンは銃を撃つとき必ず目をつぶる

冷めた銃演出の思い出

ダイ・ハード2

SAO シノンさん、ガバメントセーフティーは2つありませんよ…グリップセーフティはあるけど。

MGS3で語りだすスネークさん(俺のリロードレボリューションはアリ)

好きな銃

M1911A1 ジョン・ブローニングさんすげえぜ。ただただメカとして美しい。

・ルガーP08とボーチャードピストル トグルアクション気持ち悪すぎて好き。金カムで出てきたので読むようになった

・Boberg XR9 これも動きがキモい拳銃におけるバレルの短さをこうカバーする?

他のもっと詳しい増田に語ってもらいたいこと

だれか以下の話題で語ってよ…

速攻でブクマするから

・わかりやすいブローバックとショートコイル

CARシステム

・実録!都心在住でスキートはじめました

・猛度試験とはかうだ。(俺は爆薬博士だでも可)

オリンピックでました

とか

2018-10-10

就活ルール撤廃ってことはさ

試験の時下剤入りドリンク配ってもいいってこと?

2018-10-09

anond:20181009213215

国際査読雑誌否定なんかしてないよ。制御実験ができない人文社会科学を、アホだアホだって攻めたって意味ないぞ。RCT(ランダム比較試験)のような手法もでていることだし、お金糸目をつけなければ、(いわゆる)科学に近づけることは可能だよ

まーた金の話か

 意味不明なんだよ。東大生が難しい試験に通ってるから脳ミソが使えるのは分かる。

しか昭和じゃねえんだから、必ずしも凄い奴が金を持っている保証はないし、金自体

凄くない。内容も機能もない。東大生知識が使えないと突破しない難関入試に通った

頭脳があるから凄い。じゃあ金は何が凄いのか?さっぱり分からない。

ノースコリア大学聖書を燃料に飛ぶICBM(大陸間弾道ミサイル)を開発

化石燃料がそろそろ底をつく、次の燃料はどうすれば――

この度云飛(ノースコリア大学グレートフルデッド校教授)ら研究チームが着目したのは世界中に6千トンもの埋蔵量があり、さらに年々数トン単位で増加しているという、聖書

経済制裁ガソリン不足にあえいでいる北朝鮮にも、特殊ルートから輸入された聖書があり、正確な埋蔵量は調査中だが、国内からの利用に限れば数十年は持ちそうだという。

云飛らは「聖書固形なので取り扱いが簡単」と語る。

現在試験飛行が終了し今年中に実戦投入を目指すという。

なお、アメリカトランプの燃料化を目指した。

口だけの新人

「私がスキルアップできないのは資格がないからだ!」

ちゃんとやり方を教わってないからだ!」と

ぎゃーぎゃーうるさい新人がいて

しわかった!と

上司へ向けて私がプレゼン

晴れて会社

受験費用負担してくれることになった

受験12月頭、じゅうぶん間に合う難易度試験

私「受けていいってよ!頑張ってね!」

そいつ忘年会幹事なんで今回は辞退します。来年は受けます。」

うう~ん?????????

能力差別はいいのか?

個人的能力主義的傾向が好きではない。

なぜなら、自分は何も出来ないからだ。

大学試験やら容姿だったりで「自分らしく」と言う名の結局は能力差別につながるものが起きている。

結局自分らしさというのはヒエラルキーの上位であることだったりするものである

いかにも平等であるように装って、どこかヒエラルキーがあるものが世の中には多すぎる。

資本主義を称賛する人は多い。

自分の周りでも批判しているタイプ人間ほとんど居ない。

しかし、地球温暖化などの問題を見るにどうにかしないと不味いだろう。

なぜ、称賛するのかと言えば「一見、チャンスがあるように見える」という話だろう。

学歴がなくとも金持ちになれるチャンスが有るというようにだ。

しかし、IT界隈のスタートアップでは大手が独占していたりして上手くいかないなどという話が出てきていたりする。

ただ、一瞬だけ夢を感じ取れるというのが魔力なのだろう。

それが無くなった瞬間に崩壊したりするのだろうか。

2018-10-08

英語検定必要性がわからない

その場で会話を3往復させれば10分もあれば分かる事だよね

あい言語の検定試験意味って何なん

腕のきずあと

10年前にカッターで切った時のきずあとが自分の腕の内側に残っている。

とは言ってもよほど注意しなければ気づかない程度だし、実際誰にも指摘されたことはない。

でもまさか今日まで残り続けるとは思わなかった。

この10年の月日を思う。

リストカット一種なのだろうけれど、どこまでも賢しい私は手首ではなくて七分袖で隠せる場所を切った。

某A大二次試験身体検査で両手首を見られた時は、それが図らずも功を奏した。

その場では分からなかったけれど、後からあれはきずあとがないかチェックされていたのだと思った。

それをすり抜けてしまたことに何とも言えない気持ちになった。

大学に入って、現代思想熊谷晋一郎さんの連載で鷲田清一さんとの対談を読んで、あれは記憶の痛みを知覚の痛みによって解放するための行為だったと知った。

今もまだ私の記憶は痛む。むしろ痛い記憶は増えた。

しかし私はカッターを手にしていない。

それは他の行為を見つけたからかもしれないし、記憶から逃げているからかもしれない。

成長しているのか退行しているのかあやふやなまま、私はこの腕と共にある。

2018-10-07

anond:20181007225206

聞いてることは簡単なのに、問題文がもったいぶってから試験の残り時間少ない時にこの問題見て、落ち着いて問題文読める人と問題文難しそうで途中で諦めて他の問題行っちゃう人と分かれそうだね

2018-10-03

全ては手に入れられなかったけれど

僕はQUEENファンなのだが、I WANT IT ALLという曲が好きだった。この曲の、特にブライアンメイのソロの部分~Not a man for compromise and where’s and why’s and living lies~「妥協したり、場所理由のために生きたり、偽りの人生を生きるような男じゃない。だからこそ全てを賭けて何もかも手に入れてやる」・・・そういう歌に、当時15歳の僕はひどく感銘を受けた。何度もこの歌を繰り返し聞き、辞書の側面にこの歌詞を書き込んだ。そして人生に夢も希望目的意識も無い偏差値45の私立高校生だった僕は、人生目標として独学による早稲田大学合格を打ち立て、何を思ったか高校中退してしまった。校風が合わないこともあったが、自分を追い込み、それこそ全てを賭けるに相応しいと思ったのだ。しかし高い意識目標とは裏腹に自堕落受験生活。元々要領が悪く遅々として進まない独学に焦りを感じ、代ゼミ社会科目の単科でリズムをなんとか維持するも、現役は全落ちし、一浪の果てに偏差値50の私大法学部しか引っ掛かからなかった。しかし、(方法方向が間違っていても)それなりに努力していた僕の姿を見ていた父の言葉は優しかった。「もう1年やってみるか?」泣きながら自宅の窓から外を眺めていた僕はその優しい言葉にとても惹かれたが、自分学歴面のハンデや就職時年齢を考慮して、今後受験を続けては人生へのリスクが高すぎると判断し、コンプロマイズ(妥協)の道を選ぶことになる。偏差値50の私大へ進むよ、と答えた時、僕のI WANT IT ALLは終わり、僕の心は死んでしまった。

早稲田だろうと滑り止めだろうと、どの大学に入ったとしても、大学へ入った時点で偏差値呪縛やしがらみから解き放たれて大学生活を充実させるべきなのは間違いない。今では心からそう思うし、妥協して腐っている新入生には、偏差値呪縛から解放されて人生を楽しんで欲しい。しかし僕にはそれが出来なかった。話しかけてくれる数少ない人達好意を踏みにじり、常に孤独を選んだ。そして心が1度死んでしまうと、頭が何かを理解しようとすることを拒否してしまうのだ。高い教科書を何冊も買い読もうとしても、講義いくら受けても、言葉言葉の間に繋がりが見いだせず、混乱しか引き起こされなかった。次第に大学へは通わなくなり、1日のほとんどを自室から出ずに過ごすようになる。1度も大学へ行かないまま2年前期が終わったとき、僕は「ヨシ、もう死のう。友人もいない、勉強もできない、頭も死んでいるし、どうせ妥協した人生だ。僕の負けだ。もう死のう。」と思い立ち、同じ旨の遺書を書き置きし、身辺整理してから実家を出た。家族迷惑がかからないどこか遠くで自殺しようと、ひたすら電車を乗り継いだ。電車が止まれ路地公園で凍えながらうずくまり、朝になるとまたひたすら電車であてもなく遠くへと揺られた。九州へたどり着き死に場所を探していたときの事だ。ある駅のマクドナルドで座っていると、隣に明らかに知的障害のある若い男とその父が座った。その父は、食事をしている我が息子に愛しそうにカメラを向け、楽しそうに、笑顔写真を撮り出したのだ。その親子の姿に私は衝撃を受けてしまった。なんという父親の愛だろう。もし僕に障害のある息子が産まれたら、この父親の様に心の底から息子を愛せるだろうか。そこにあるのはただひたすらな無条件の愛だった。自分の両親顔が浮かび、次の瞬間僕の目からは涙が止めどなく流れ、いてもたってもいられずすぐに席を離れた。泣きながら公衆電話を探し、実家架電した。「今から帰るよ。ごめん。」と。自宅へ帰ると泥のように眠った後、今後のことについて話した時も父は優しく「もう大学は辞めるのか」と尋ねてきた。僕はもう迷わずこのまま通う事を選んだ。大成功けが人生では無い。あの親子のおかげでそれを本当の意味理解し、心の再生は近づいていた。大学では相変わらず孤独だったが、それからは全ての講義に欠席せず、聴講したのを録音して更に講義録を作り、試験対策も死に物狂いでやった結果、本当にスレスレで4年で卒業できた。留年が無く卒論必須ではない法学部からこそだったと思う。しか就職活動は完全に捨ててバイトサークル等もせず、卒業だけを目指していたので、卒業して無職になってからは、今後の人生方向性は定まらず、これにも困りきってしまった。なにしろ受験大学勉強だけしか知らず、その他は中学生時間が止まっているのでやりたいこと、人生目標なんてものは無い。呂律は回らない、言葉は詰まる、人生経験は何一つ無い。そのため就職活動は困難を極めた。臆病で説明会面接で行った会社インターホンを押せずに帰ったりもした。結局数社説明会を受けたりボロボロ面接をしただけでやめてしまい、困った事になったなと思いつつも1年ほどダイソーの釣具で海釣りばかりしていた。けれど何か人生軌道修正をする糸口が欲しいと思い、就職活動の練習のために一般教養科目だけで受験できる公務員試験受験した。これがトントン拍子に進んでしま採用されることになり、現在はもう5年が経とうとしている。面接相手が、実際の職場で会うことはまず無い公務員試験だと、堂々と話すことができたのだ。それに法学部出身故の法律素養が意外と仕事や昇進で役に立ち、年齢的には結構早く昇進もさせてもらっている。何がどこで繋がり役に立つかは、なかなかわからない。確かに僕の人生妥協の先にある人生だが、これは妥協や敗北ではなく、小規模な成功と換言できるのではなだろうか。大大大勝利だけに囚われて孤独で苦しい人生から抜け出せなくなるより、戦略的人生スライドさせていくことも、ひとつ人生としてはありなのではないかと思った。

2018-10-02

anond:20181002033349

ねえ今自分に向けてる言葉、教え子が試験に落ちてもそういう考え方するの?

落ちた

教採に落ちた。8回目だ。

30代後半。倍率の低い小学校

試験内容は、論文模擬授業面接

論文模擬授業はいつもよりよかった。

面接がいつもより悪かった。面接が例年並なら受かっていた。

もうどうしたらいいのか分からない。

講師として働いている。

周りの講師仲間の後輩はみんな受かっている。

自分けが取り残された。


自分は間違っている。

自分は向いていない。

自分価値がない。

いろいろなことを思う。


ここまで、やってきた、自分の考えなんてすべていらないものだったんだ。

そんな風に思えてくる。

受かったら結婚しようという人も多い。

自分は受からず、何も手に入れられない。

幸せも安定も仕事も手に入らない。


本当は初任になって、研修を受けて、もっと学校で働けるようになりたい。



でも、全部これまでの自分が悪いんだと思う。

そういう考えになる。

性格も悪いんだと思う。

自信もないんだと思う。

もう情熱が消えていっている。

こんな自分が「やりたい」ってだけで子どもに携わっていっていいとは思えなくなってきている。

「お前は携わるな」だから落ちているのだと思ってしまう。

本当に自信の灯が消えてなくなってしまいそうである


過去の行いが人格や人相をつくっているのだろうか。

からダメなんだろうか。

正しく生きられなかったから、幸せになれないのだろうか。




ちゃんと学んでこなかったから。

進路を選択してこなかったから。

他人を大切にしてこなかったから。

そういうことのツケなのだろうか。





こんなに相応しくないって烙印を押されているのに、明日からどういう顔をして子どもに会ったらいいのか分からない。

教採10回を目処にやめるか。

もうやめるか。

教職10年を目処にやめるか。

迷うなあ。


自分は使えないって言われても貫ける信念なんてあるんだろうか。

こんだけ正しくないって言われているのに。

子ども可哀想だよね。

全体の奉仕者として相応しくない。

あなたは公では働いてはいけない人間です。

もう表に出てこないでください。

そういうことを言われた気分だ。

悲しい。


いらない人間


でも、子どもにとっては、そんなこと関係なくて、必要な身近な大人の一人なのだと思う。

仕事に就いているうちは、責任を果たせるように限界まで頑張ろう。

仕事楽しいかも問い直そう。

職場はつまらないけれど、仕事楽しいかもしれない。

今は、辛いしかかばないけれど。

自分がしたいこと。

もう一度想像してみよう。

それが、学校現場で叶うのかも考えるんだ。

とにかく苦しいし、悲しい、ずっとずっと光が当たらないのは、とても惨めだ。

かに大切にされたい。

そういうことも浮かんでくる。

どうしようもない自分からダメなんだ。

どうすることもできない。

這い上がる気力がない。

次は、何から始めたらいいんだろう。

真剣情熱を向けないかダメなのかなあ。

もっと考え過ぎないとダメなのかなあ。

私は教職に就きたいのか?

就くべきなのか?

どんな人が受かるのだろう。

足りない情熱をもう一度灯せるといいなあ。

博士課程在籍のまま就職社会人ドクターの道 って許されるのか

現在M2で、就職と進学に迷った挙句、答えが出なかったので

「この問題を解くには未知数が多すぎるんだ」と思い、判断材料を集める意味あいで夏の終わりからだめもとで就職活動してみたら最終面接まで進んじゃって、どうしよ~となっている

履歴書とか書いたりSPIとかやったり時事問題調べたり専門試験勉強したりして、あああーーめんどくせーこの時間研究に使いたい と思って、

特に時事問題アプリやってて、プロ野球どこ勝ったとかクソどうでもよくね!?そんなの出すの?と思って一気に嫌になった)

試験当日はとにかく帰りたくてしょうがなかったけど

自己PRを書いたり志望動機(もちろんどこでもいいや!と選んだのではなく、いいなぁと思ったところを選んだ。自分の専攻を生かせるところだったので書きやすかった)を書いたりして、自分を見つめなおすよい機会だったと思う。

ぼくの指導教員はそういうんじゃなかったけど、大学教員の中には進学就職カンケーなくとにかく一回シュウカツしてみなさい!というスタンス人間もいるらしいけどちょっと理由がわかる気がした。

ぼくの実家は超絶貧乏なので、奨学金家庭教師バイト暮らしてるんだけど(授業料は全額免除)、学振がとれなかったらマジで死ぬかもしれない。

ぼくは金持ちになりたいと思ったことはないが、のたれ死ぬのは嫌だなぁと思う。

でも研究は続けたい。でも現実問題としてお金がない。(そして業績にも乏しい)

内定からこんなこと考えてもただの杞憂に終わる可能性もあるが、

このまま博士課程に進んで、社会人になるというのは可能なのだろうか?

世の中の社会人ドクターを見てても、カイシャが薦めてくれたとか、そうじゃなくても入社してしばらくたってからというのが多い。

研究シミュレーションベースなので、パソコンがあればできるやつ(実験とかはない)。

まあぼくの指導教員ダメって言ったらダメなんだけど(まだ言ってない。ドクターに進みたいと言って許可はもらった。シュウカツのことは言ってない)。


ああ~でも会社めしたら学会いけないよなーー僕は何になりたいんだろう。

2018-09-30

発達障害配慮法〜これはSFっぽい何かです〜

203x年、ついに発達障害配慮法が施行された。ここまで、長い戦いだった。

私は発達障害だ。今から20年ほど前に娘が生まれたが、育てるにあたって不注意が何かと多く、これは何かおかしいと思って精神科受診してみたら発達障害だと診断された。

当時はまだまだ発達障害への理解が低く、この診断を受けるまでにも山あり谷ありだったのだが、それは今となってはどうでもいい。

この診断を受けたとき、今まで自分ができなかった多くのことは発達障害が原因だったのだとわかって、ホッと胸をなでおろしたことを覚えている。私自身はできないことでのコンプレックスだらけだったから、本当に救われた気がした。

そして、娘にはこのコンプレックスを受け継がせてはならないと思い、娘も早い段階で発達障害検査を受けさせた。結果、娘も発達障害だったことがわかり、この結果は私の子育てに大いに役立った。

娘にはなるべく出来ないことで心に傷を負ってもらいたくなかったから、娘が苦手だとされた不定形タスクなどはなるべく取り除くか事前にわかるように配慮してもらうため努力した。

この過程で夫とは教育方針に行き違いが生じ、結果別れることになったが、娘のためにはそれで良かったと思っている。

とにかく娘には、出来なくてもいい、ということを大切に言い聞かせて来た。

そして、発達障害講演会などにはなるべく顔を出し、ネットでもブログなどで発達障害当事者目線を発信して来た。それは私に言わせれば戦いであった。

そうして発達障害についての理解はここ20年で段違いに深まり、この度、数年前に国会を通った発達障害配慮法が施行されることになったのだ。

この法律の要旨は以下の点にある。

発達障害は誰もが抱えていてもおかしくないグレーな障害であるから仕事に就く際には全ての人にWAIS-IIIを受けさせその特性に合わせたタスクを振るように配慮すること

たったこれだけだ。たったこれだけのあまりにも基本的なことがこの国にはできていなかった。しかし、それもこれまでだ。

それに、これが今年施行されることには大きな意味がある。今年は娘の就活の年なのだ。そう、私の活動は娘が就職するまでに間に合ったのだ。

私はささやかにこの点を誇らしく思っていた。

娘は教育系の短大に通い、保育士になるために勉強をしている。まだ保育園に通っていた頃に大好きだった先生の影響で、ずっと持ち続けていた娘の夢だった。そして前期で無事に保育士試験合格し、これから憂いなく就活に全力で取り組める。それに間に合ったのが、母として嬉しい。

だが、今日は娘の帰りが妙に遅い。何かあったのか心配だ。電話をしようかどうか悩んでいるとき、娘が帰って来た。

娘は、ボロボロに泣いた顔をしていた。

「どうしたの!?

慌てて娘に駆け寄り肩に手をかけたが、その手は娘に振り払われた。

「お母さんのせいだ」

娘は下を向いたままポツリと言った。

「お母さんがあん法案応援してたから、私は保育士になれない!」

娘はそう激昂した。

「どうしたの?何があったの?」

私は娘の言葉がよく理解できず、ただオタオタするしかなかった。

娘はこう言った。

今日保育士就職試験の結果が返って来たの。今年から発達障害テストを受けるってことになってて、私は昔っからそうだって言われてたからたぶんこのテストでも引っかかるんだって思ってた。でもそれは私にできることの配慮のためだか心配ないよってお母さんは言ってたけど、全部嘘だったよ」

「え?」

子供の頃から私には不注意があるって言われてた。それを乗り越えるために色々工夫して来たのに、就職試験でこの結果じゃ子供を預けることはできないから、私にできる仕事はないか不合格だって

「そんな、ひどい差別……」

差別なわけないじゃん!発達障害者の仕事配慮するってことはその配慮責任を負うってことなんだよ!?それが出来ない人は落とされるのは当然でしょ!?

「でも、あなたには出来ないことがあるから仕方ないじゃない!出来ないことを理由にされるなんて!」

「また出来ないって言った!お母さん、そう言われる私の気持ち考えたことある!?

なにか、ひどく頭を殴られたような一言を聞いた気がする。その言葉は私の心にひどく刺さった気がしたけど、私はとりあえずその痛みを無視した。

娘は続ける。

「私、昔っから出来ないことはやらなくていいって言われることが嫌いだった!私は出来ないから出来るようになりたいのに、お母さんに出来ないのは仕方ないからやらなくていいって言われるたびに私の努力無視されるような気持ちになった……。どうしてあんなに出来ない出来ないって言ったの!?

だってあなたの発達にはデコボコがあって苦手なことがはっきりしてて……」

「苦手なことだって出来たかもしれないじゃん!なんで最初から諦めさせたの!?どうして出来ないことはやらせてはならないなんていう変な法律が出来上がっちゃったの!?それで私は夢が本当に叶わなくなった!」

そこまで聞いて、私は娘の話の論点がわかった。だから、出来る限り落ち着いて娘に話をした。

発達障害っていうのは、どうしても苦手なことがある障害なの。そのことがまだはっきりとわかってなくて、苦手なことをやらなくてはならない社会だった昔、お母さんみたいな人たちはみんな傷ついてた。だから、お母さんたちは自分の子供たちにはそんな思いをして欲しくなくて、出来ないことはやらなくてもなんとかなる社会を作りたかったのよ」

「その結果が出来ないことを決めつけてやらせない社会だなんて、冗談にもならない」

娘の声色がひときわ暗くなった。

そして娘は私の方を見もせずに自分の部屋に閉じこもった。

今でも、娘の押し殺した泣き声が部屋から聞こえてくる。

私は、娘が言ったことをよく考えていた。これから私がすべきことは何か、よく考えた。

そして結論は出た。

配慮理由不採用にする企業は間違っている。この法律はそのように運用されるものではないはずだ。

から、また戦わないと。

まずはこのひどい差別のことを、ブログに書こう。

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