はてなキーワード: カードゲームとは
それはお風呂に入らないこと。
お風呂に入らないことは普通は不衛生でよくないこととされて忌避されています。
ですが最近の若い子たちの間ではお風呂に入らないことが良しとされているのです。
それはいったい何故なのでしょうか?
お風呂に入らない女の子に一家言を持つオタクに聞いて見ました。
嘘偽りのない本音を聞けました。
「従来はお風呂に入らない不衛生なことはカードゲームを嗜む男性らしさとされていました。しかしこれは女性は身綺麗でなければならない、男性はそれを行わなくても良いとする性差別です。なので、お風呂に入らない不衛生さは男性だけのものじゃない、女性も汚く臭くあって良いのだ、そういう若い世代の非常に前向きな活動を応援したいです。私たちの会は応援のために、女性限定のトレーディングカードゲームの大会を開くことで、お風呂に入らない女性が集まる場を作っています」
なるほど、私も無意識のうちに男性は臭い、女性は良い匂いがするという差別をしていたかもしれません。
女性も臭くていい、衛生的でなくていい、無駄毛を剃らなくていい、そういう価値観を学ぶことができました。
「いや無駄毛は剃れよ」
剃りません。
「脇毛とか陰毛とかは無駄じゃないから良いけど、足毛腕毛の類はちょっと違うかなあって」
一緒です。
そもそも、オタクの性的興奮のためにお風呂に入らないわけじゃないので、関係ないですから、あなたが理解できるとかできないとか。
そうでなくやりたいけど出来ないのであれば一緒にやれる方法を協力して模索したいです。
僕は無駄毛ボーボーで風呂に入ってない不衛生で臭い女性の方が好きなので、僕のためにそうして欲しいです」
きんもー。オタク君一人に好かれても嬉しくないのでどうでもいいです。
以上、洗髪はした方がいいと思いました。
「弱者男性は女のいないところで幸せになってください」が言われてたときにも思ったことだがな。
人間は高度な社会性機能を備えた生き物であって、性感開発して自己フィードバックで幸福ホルモンを自由に分泌できるようになったとしても、それに憧れる人はいない。
独りよがりの幸福を達成にするには、自分の社会性をセルフで殺すことが必要不可欠だからだ。
マリオをクリアすれば友だちに自慢できるし、恋人と水族館デートすれば恋人が喜んでくれる、結婚につながれば周りも祝福してくれる。このような承認欲求こそが幸福と、ひいてはそのバーチャル・シミュレーションであるゲームのゲーム性の根幹なのだよ。マインクラフトで平原をすべて畑に変えれば誰かが「すごい」と驚いてくれる。ツリー元の文脈で言うと、真に面白いカードゲームとは、自慢できるカード、局面、戦略を備えたルールとカードセットのことであるといえよう。
2011年頃に遊戯王をしていた人には既知の事実だが、当時の遊戯王はアニメがzexalで環境に六武衆などがいる時代だった
それが優先権
モンスターの召喚、魔法罠カードの発動、効果の発動等がそれにあたる
しかしもっぱら優先権と言われていたのは、モンスターの召喚直後の起動効果の発動だった
というか優先権という言葉はほぼそれくらいしか使われていなかった
2011年の初め頃までの遊戯王のルールでは、モンスターの召喚等を行った直後はターンプレイヤーが優先権を持つルールだった
モンスターを召喚・特殊召喚→ターンプレイヤーは別のカードを発動、という流れが生まれる
ここで召喚直後のモンスターの起動効果をターンプレイヤーは発動することができる
この、召喚と効果発動の間に非ターンプレイヤー(MtGでいうNAP)は行動を挟めない
召喚直後からずっとターンプレイヤーが優先権(プレイの権利)を持っているためだ
優先権を非ターンプレイヤーが得るのは、何らかの形でターンプレイヤーが優先権を手放したときだけだ
では、例えばこれが「ならず者傭兵部隊」などの自身をリリースして発動する起動効果だったら、どうなるだろうか
2:召喚直後はターンプレイヤーに優先権があるため、即座にターンプレイヤーはならず者をリリースして効果を発動
という動きができる
さきほどいったように、1と2の相手で相手が行動することは原則できない
優先権は1が起こってもターンプレイヤーにあり、即座に2の起動効果の発動に移行されるからだ
ならず者の発動によってはじめて非ターンプレイヤーに優先権が渡る
仮に非ターンプレイヤーが「落とし穴」を持っていたとしても、ならず者の召喚直後にターンプレイヤーがリリースしてしまったので、対象にするべきならず者が存在しないことになる
つまり優先権を持っているのに、落とし穴を発動できないということだ
これは特殊召喚でも発生する
たとえば「ダーク・アームド・ドラゴン(ダムド)」が特殊召喚した場合、相手が奈落の落とし穴を発動するよりも先に起動効果を発動できる
相手はダムドの効果にチェーンしてのみ奈落を発動できるということになる(優先権はダムドの効果発動により非ターンプレイヤーに移る)
つまり、非ターンプレイヤーからすれば、除去したいダムドの効果が最低1回は使われてしまうのだ
これの何が問題か
一つはわかりづらいという問題
初心者がこの問題に直面すると、毎回優先権というこの問題でしかみない用語を使うことになる
殆ど手札誘発が存在しなかった時代に優先権が重要な場面は罠カードや速攻魔法だけであり、特にこういった召喚直後の優先権に対してだけ変なルールがあると混乱を招いていた
また、例外的に誘発効果は優先権とは関係ないため、起動効果より先に発動がされる
起動効果と誘発効果の違いが不明瞭だった時代もあって、なぜそうなるかがしっくりこない人が多かった印象だ
これにより誘発効果を使った場合と使わなかった場合で発動できるカードに違いが生じるという、初心者殺しが取りざたされた
スペルスピードが一番遅い起動効果でありながら、召喚直後にとりあえず1回は使えるという仕様が恐らく問題視されたのだろう
当時はエクシーズが登場する前だったが、どう考えても素材をコストにする起動効果が弱いわけがない(当時基準)
ようするに起動効果でありながら使いたい放題で理不尽なルールと認識されていた
召喚直後には召喚直後に発生するカードをチェックする必要がある
つまりいきなり起動効果を発動することはできず、落とし穴や激流葬といったカード、あるいはそれ以外のクイックエフェクトの発生がないかをお互いに確認する必要が出てきた
これにより一度は非ターンプレイヤーに優先権が渡るため、この時点で相手モンスターを処理することができるようになった
召喚成功→召喚直後になにかありますか→じゃあ、激流葬発動します
となる
以前のルールでは召喚直後のカードを確認するより前にターンプレイヤーに起動効果の優先権があったのが、消滅した
逆に言えばそういう場面でしか優先権というルールが使われていなかったことでもある
これが当時の顛末だが、俺はこの優先権の問題はならず者でも優先権でもなく、落とし穴や激流葬といった召喚時に発動できるカードの存在が最も複雑にしていると考えている
なぜなら遊戯王はこのルールを多くの人が受け入れ居間に至っており、問題化していないのだから
けれどこれを見た人は一度考えて欲しい
なぜ「落とし穴など特定のタイミングでのみ発動できる罠カードが存在するのか」ということを
逆にこれが誘発効果なら話は別だ
あるいは「このターンに召喚・特殊召喚したモンスターを対象にする場合はコストが低くなる」というカードならばよかったのかもしれない
別のカードゲームを見ればわかるが、例えばMTGでは召喚に反応するのは誘発効果だ
これは作ろうとしても作れないからだと思われる
そんなカードを作ったら起動効果の優先権よりまえにNAPが優先権を得るタイミングを作る必要がある
そう考えると遊戯王がルール変更したのは、落とし穴などの召喚時に発動できるカードの存在そのものに原因があったと感じる
こういうのをゲーム的に許していたから、わざわざ優先権のやり取りを増やす羽目になった
そう感じているのはたぶん俺だけ
各種効果が発動するタイミングついてはMTGでも何度かルール改定された経緯がある。/ http://mtgwiki.com/wiki/優先権 /現在は割と整理されてるけど、それでも複雑よね。
そうだね
同世代の中では遅くファッション面で自立し、服やら靴やら小物やらを自力で選び始めて早8年、ようやく頭を使わなくても小綺麗にまとまるようになってきた
年数を重ねるごとに似合う服の系統や自分の好みが分かってきたり、手持ちの服が増えたりして合わせやすくなってきている
それで思ったけど、これはソシャゲのキャラ育成やカードゲームのデッキ構築によく似ている
手持ちが増えれば増えるほど、自然と取れる戦略も増えてくる。戦略が増えると様々なシーンに対応できるようになる。今日は暑いし支度がめんどくさいからラフな薄着で行こうとか、今日は気合が乗ってるから髪のセットをしっかりしてオシャレな格好にしてみようとか
それから、自分のしたい格好の系統に応じて力を入れる箇所や抜く箇所についても固まってくる。たとえば自分は靴にはあまりこだわらず、鞄やアクセサリー類の充実を重視している。また髪型はセットしやすいがセットしなくてもそれなりに見えるように切ってもらっている
こういう積み重ねがあると、明日の服装を考える時にだいぶ楽になる。裏を返せば、まったくの初心者だった頃は髪型も小物も服装も全て体当たりでかなりキツかった
最近は服を捨てる前によく似た服を買うことで、お気に入りの型が崩れないようにすることも覚えた。今後は基本ラクできると思うと嬉しいこと限りない
数学というのは草むらをかき分けたらダンゴムシがいるかのように、我々の今暮らしている世界をつきつめるとおのずと数学が現れるみたいなことだと思っていた。
だから数学の問題を解くときに現実の世界から発見を得るかのように頑張って解いていた。それで微分方程式で完璧に進めなくなった。
あれって「この式はこの解き方で解けそうだからあてはめてやってみて解けたらそのままいくけどそうじゃないなら撤退して別の解き方を当てはめて~」みたいなやりかたするじゃん。納得がいかなかった。
違うんだよなー。数学をそれは誤解してんだよなー。
数学はカードゲーム発明して遊ぶようなもんなんだ。まず1種類のルール作ってみて、そっからすごくプレイが発展させられるのおもしろい、みてみて1ターンキルコンボできた!みたいなやつなんだ。
そこでだよ、ゼロで割るの大抵の数学で「やっちゃいけない」とか「定義しない」とかする。
なんでかっていうとそれ許すと何もかもつまんない発展しかさせられないルールにしかなんないんだよね。
つまり18÷0がゼロですって教えた先生は「せんせー、じゃあそうすると1+1は2でありつつもゼロでもあることにできます!」みたいな証明を持ち込まれてキレない度量持ってないといけないんだよ。