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はてなキーワード: 東浩紀とは

2017-10-14

はてサ東浩紀バカにしているけど

なんで自分革命をやらないの?

  

お前らこそ、行動力が足りてないじゃんw

2017-10-13

東浩紀はくだらなすぎる

しかし、それは今回に限ったことではない。

東浩紀がまだまだ叩かれてるなー

やっぱりはてなってマーチくらいの層が多いんだな。

はてな民は頭が良い」みたいなの見かけたりするけど、それくらいの頭の良さかな

あれってハンガーストライキみたいなもんだと思うんだけどな。

ハンガーストライキしてる人に、「人間は食わないと死ぬんだぞ、バカか」みたいに群がってる印象。

東浩紀を叩いて喜んでる層

学歴ってやっぱマーチくらいかな。

Twitterだと東大卒とか彼と同じくらいの人から批判は見ないけど。

いて早稲田とか。

東浩紀積極的棄権はいわばストライキ

東浩紀の呼びかける選挙棄権って、いわばサボタージュストライキの呼びかけだと思うんだよな。

与党もひどいし野党もひどいし、解散に至る流れと解散されてからのゴタゴタはマジでどうしようもない。

政治選挙があまりにも馬鹿げたゲームみたいになってる。

にもかかわらず選挙が行われたなら国民はそのひどすぎるゲームに参加しなきゃいけないとされてる。

なんでそんなひどいゲームへの参加を強制されなきゃいけないんだ?

っていうか俺たちがそのゲームにいやいやながら参加するからゲームが行われるんじゃないか

だったら降りちまおう。参加者がいなくなればゲームは成り立たなくなるだろう。


たとえば企業がひどい経営をして、抗議も無視される時に、労働者がそれでも仕方なく働き続けるようじゃ企業はひどい経営をやめない。

しかストライキをすれば仕事が立ちいかなくなるので、企業は言うことを聞かざるを得ない。ストに対し給料支払いを止めてくるかもしれないが、そこは根競べだ。肉を切らせて骨を断つのだ。

そういうストライキと同じことを政治でもやろう……ってのが東浩紀意図に感じる。


だが、そう、問題なのは、この政治というゲーム国民が参加しなくなっても成り立ってしまうことだ。

一般企業経営ならば労働者サボタージュをすれば回らなくなるのに、国家経営国民サボタージュをしても一向に問題なく回せてしまう。

しろ国家経営者にとってはその方が都合がいいくらいだったりする。


ではどうしたらいいのだ。このひどい政治ゲームに、システムに、組み込まれ続けるしかないのか。そこから逃げ出したり、システム有効な異を唱えることはできないのか。

恐らく、その通りだ。参加し続けるしかない。

このクソなゲームに従ったままで勝ち、それにより状況を変える力を得るしかない。

ロッキーや、カイジのように、八百長じみた卑怯試合と分かっていながら参加し、全力を出し、相手を追い詰め、喝采を浴び――だがロッキーと違い、その上で勝たなければならない。

ロッキーは結局負けて、それでも人間的満足を得たのでしたみたいな感じだったが、それではだめだ。勝ったはずなのに結局儲けをもらえないカイジでもだめだ。

「勝つロッキー」になる必要がある。或いはドニー・イェンが演じたイップマンとか、ノーホーマー・ノーサヴァイヴ編のニンジャスレイヤー

そんなの現実にできそうか? 

さあ……。


いちおう、幾つか抵抗したい人のための案を考えてみた。全部で五つ。

まず、現在選挙ゲームに参加することを甘んじて受け入れた上でのプランは二つ。

第一に、不満のある人間自分出馬するというもの

政治としては本来こうするべき、とかよく見る、

でも政治的既得権益がない人間出馬して勝てるか? 落ちる上に選挙活動費用がかさんで生活ブッ壊れるのでは? 死では?

第二に、ヤバそうな候補者政党に入れて受からせる。共産党とか日本のこころとか幸福実現党とか?

これはストライキに近い。骨を切らせて肉を断つ。ヤバい奴らが力を持てば任期ヤバい政治をされて国民ボロボロになるが、それと引き換えに今の主要政治家危機感を持たせることができる。はず。はずっていうか民主党政権はまさにそういう効果が生まれるはずだったんだけどなんかあんまそうなってないらしいのは何でなんですかね。

それから国家経営にノーを突きつけるプランは三つ。

第三、一般的意味でのストライキをそのまんまやる。ただし超大規模に。国民みんなで勤め先に行くのをやめる。

国家経営国民が参加しなくても回る」とか書いたけどそれは政治的意味で合って、経済的意味でなら国民が参加しないと回らない。

GDP株価も落ちまくって凄いことになり、政治家は焦るはず。みたいな。

第四、子供を作るのを止めるし、引きこもる。はてなで言うところのサイレントテロ

でもこれは効果が出るのがじわじわ過ぎる上に国民にとっても致命的すぎて、肉を切らせて骨を断つっていうか両方ただ死ぬ

第五、国外移住

はてブではしょっちゅう言われる「そこまで不満があるなら国外に行けよ」。

だが実際、これは日本の政治ゲームへの参加を本当に放棄する数少ない方法ではある。

……ぶっちゃけ全部あんまし現実的じゃないね~~~。


まあでも、東浩紀的なスタンスを極力保ったままでやるなら、明らかにアレな政党への投票を呼び掛ける、とかがまだ少しは意味あるかなあ。

それも、ただどこかへの投票を呼びかけるんじゃ、全然意味がないしインパクトもない。

それじゃ選挙に前向きに参加する普通政党支持者と同じように見えてしまって、この選挙自体への抗議であるという意図が人々に伝わらない。

から呼びかけは、たとえばこうだ。

「これはいわゆる普通政治活動ではない。私は○○党を全く支持しない。ここはデタラメ政党だ。自民なり希望なり立憲民主の方がまだマシだ。

だが、その上で○○党への投票を呼び掛ける。これは、最悪な経緯で行われる現在政治選挙への、ストライキとしての投票だ」

みたいなね。

あとマック赤坂とか外山恒一とかみたいなのに声かけ政党つくってこれをやるとか。

東浩紀さん、或いは誰でもいいけど政治うんざりしてる人、次はそういう感じでどう?


「今回の選挙、くだらなすぎる」 投票棄権賛同署名を集める東浩紀さんの真意とは?

http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/09/hiroki-azuma_a_23237074/

これが「国難です」 "600億もかかる政治家人間ドラマ"を見たかったのか?

https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/kita-kokunan?utm_term=.xaDBzvaRb#.gyOXBvM9r

2017-10-12

東浩紀選挙棄権しようじゃなくて「意義のない選挙に疑問を持ち声を上げよう」なのに誤解されててちょっとかわいそうだけど普段のアレがアレでアレだからな…。

2017-10-11

細野が顔になってて

改憲勢力

BIだろ

東浩紀希望の党投票すりゃいい

東浩紀党みたいなもんじゃんあれ

東浩紀ってあの学歴から話を聞いてもらえるんだろうな

筑駒から文Ⅰ

2017-10-03

東浩紀は一体なにをやっているのw

2017-09-28

東浩紀はようやくわかったのかな

てめえ小池ウキウキ投票してたじゃねえかバカ

2017-09-20

東浩紀ヒトラー支持者である

https://anond.hatelabo.jp/20170919140313

選挙棄権するだなんてバカなことを言っているあの人は、いい歳して選挙に一回も行ったことがないか選挙意味すらもわかっていないバカ

あの人は、今回の「選挙棄権発言によって、政治・経済社会その他あらゆる問題について、一切の発言権を失ったこと、すなわち言論人としての自殺、ひいては人間をやめる宣言意味するんだが、本人はそのことにさえ気がついてないくらいにバカ。自ら家畜宣言をするくらいのバカからそういう発言をしちゃうのも仕方ないのか。この先の人生、一生哲学畑でカスミでも食って寝てろ。お仲間と妄想世界永遠にオナニーしてろ。妄想世界ではヒーロー気取りでも、現実世界ではただの家畜だな。

投票に行ったことがあれば、最初に「投票者確認をして投票用紙の受領」、次に「投票先を記入して投票」を行う二段階制なことがわかる。つまり選挙における投票行動は「誰が投票たか」「どの党or誰に投票たか」に明確に分かれており、この2つの各々独立した行為によって成り立っているのである投票先が見当たらないということは、後者の「どの党or誰に投票するか」を表明しがたいということでしかなく、前者の「誰が投票した」かは表明できるのである。それにもかかわらず、あえて放棄しようというのだからバカしかいいようがない。

投票先が見当たらなければ自分立候補するのが民主主義理想なのだろうが、それは現実的には相当に難しいので、白票なり無効票を入れるのが人として最低限の行動である白票無効票は、有効投票よりは意味がだいぶ少ないが、棄権よりは遥かに意味がある。投票が100で、白票が1なら、棄権は0。投票棄権は、政治への完全な不参加、民主主義否定独裁主義肯定だし、為政者家畜として生きることの表明であるヒトラースターリン毛沢東フセインその他数多くの独裁者を賛美信奉し、支持し、独裁国家におけるもの言えぬ国民へと自ら積極的に落ちていこうとする行為である

あんバカが、日本最高学府博士号を取れて、日本言論界有名人らしいから、日本は終わってる。

2017-09-19

東浩紀を叩いてる人達

選挙棄権すると発言してハテブで炎上してるけど、燃やしてる人達って、ネットでよく見る安倍さんを親の仇のように憎んでるような人達なんでしょ?

安倍政権を潰すためなら、民進政権を渡して日本を潰しても構わないってくらい憎んでる人達

東浩紀がこれまでに知性を見せたことなど一度でもあっただろうか?

反語

2017-07-08

けものフレンズ面白さの本質

けものフレンズ』の面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観から抜け出しているところにある。

少し補足すると「抜け出している」という意味は、ある価値観に反発したり、故意に避けたり、過剰に抑圧したりすることではない。一例を挙げると「あんなクズな父親のような人間には絶対にならない!」と考えることはすでに父親の重力に捉えられている、ということだ。

もうひとつの「ガイナックス的なアニメ価値観」は少し複雑だ。細部へのフェティッシュなこだわり、現場いぶし銀技術者ひとつの生物のように有機的に躍動する集団、学校文化と官僚システム/軍組織への熱い礼賛、マスメディアやと民主主義への蔑視……古い世代のアニメオタクの王道ど真ん中の価値観。この価値観の根底には「責任のとらなさ」がある。これについては後述したい。



私自身、『けものフレンズ』は話題になっているのをtwitterで見て、5話くらいから興味を持った後追い組のひとりだ。徐々にハマり、最後にはとても感動した。けれども、しばらくたってもその面白さをまったく言葉にできないことに気づいた。まるで「解」だけが前触れなく控えめに差し出されたようだった。この困惑について、福原慶匡プロデューサーインタビューで語っている。


「皆さんも、なぜ魅力を感じるのか、はっきりとは言語化できてないと思うんです。食べ物でも、なぜかクセになっちゃうみたいなものってあるじゃないですか(中略)というのも、僕が5年前にその感覚を経験しているんですよね(笑)http://a.excite.co.jp/News/reviewmov/20170327/E1490547358865.html

放送終了後、ネット上でいくつか探してみたが「大ヒットの理由」や「エヴァとの共通点」などIQの下がる批評しか見当たらなかった。その清新さや核心について書かれているものは無かった。自分で分析してみてもやはりわからない。一見すると『けものフレンズ』は、パワプロで喩えるなら「オールBでよくわからない特殊能力がたくさん付いている外野手」だ。ツッコミどころがあるようで、よくよく見ていくと隙がない。(あくまでも「一見すると」であり、構成についてはほんとに素晴らしい。監督自身は「怪我の功名」と謙遜するアライさんパートは発明と言っていいぐらいだ)

たつき監督の過去作を見ていくと、クオリティをまんべんなく上げた作品を作るというスタイルは昔から共通しているようだ。『けものフレンズ』では登場キャラクターの紹介とストーリー展開を均等に進め、両者が高いレベルで一体になることを目指したという。インタビュー記事最終話放送直前! アニメを作るのが得意なフレンズたつき監督に『けものフレンズ』の“すごーい!”ところを聞いてみた!!」(以下、「最終話直前インタビュー」)ではこう話している。

「「キャラ先論」「話先論」があると思うんです。そこをまったく同じパーセンテージか、行き来をすごく増やして、キャラ優先なのか、お話優先なのか、わからないレベルでその2つが有機接合できるといいなと考えていました」http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12855680/

ところで、仕事でも3Dアニメを作り、休みの日も3Dアニメを作っているというたつき監督だが自主制作アニメ『眼鏡』発表後の2010年に行われたインタビューでは興味深いことを語っている。ここに一部抜粋したい。

―― アニメはお好きなんですか。

たつき 大学時代に「アニメ作りたいわー!」とか思い出したころからちょいちょい見だしたんですよね。

―― 「すごいアニメ好き」みたいな感じじゃないんですね。そもそもアニメをあんまり見てなかったのに、なぜアニメを作ろうと?

たつき アートアニメみたいなものは学校で見させられていたんですけど、もっと俗っぽいほうがいいなと思って「眼鏡」を作りましたhttp://ascii.jp/elem/000/000/532/532388/index-3.html

本人の発言を鵜呑みにするわけにもいかないが、そう質問せざるを得ないなにかを質問者も感じたのだろう。確かに『けものフレンズ』は熱心なアニオタが作ったアニメという感じはしない。1話の出会いシーンと休憩のシーンが例外に思えるほど性を表現すること行わない。その他ではペンギンの脚やカワウソのケツぐらいだ。もちろん全年齢向けというコンセプトもあるだろうし、動物と人間という認識の違いに厳密に取り組んでいることもある。だが、繰り返し見てもそこに「ほんとはエロくしたいけど抑えよう」や、「萌えを感じさせよう」などという作為が感じられない。肩の力が抜けているというか、監督の視線が別のところを見ているような奇妙な感覚があるのだ。

話題にもなったペンギンの脚については「最終話直前インタビュー」で、こだわったポイントは肉づきであり、それは未だ言語化できていないパラメーターと語っている。やはり焦点が別のところに当てられているようだ。このたつき監督独特の感覚について、チームの中では「ガラパゴス的」「ほどよく鎖国している」「天然」(「最終話直前インタビュー」)と表現されている。

たつき監督の制作に対するスタイルがかすかに見えてきたが、根本的なところ、なぜ面白いのか、なにが新しいのか、どこが違うのかが一向にわからない。繰り返し観ても「サーバルちゃんかわいい」「言われるも!」以外にこの作品を語る言葉は見つからなかった。

そんな時『シン・ゴジラ』についてのツイートたまたま視界に入ってきた。ああ、あの作品は私にとって全然ダメだったな、なぜってあれはオタクのウェーイだったから。だから受け入れられなかった……だからけものフレンズ』は良かったのか。本来なら過去や同時期に放送された作品に触れ、その違いを論じることで導き出すのが正統な論証だろう。だがここでは『シン・ゴジラ』を補助線に引くことでショトカしたい。

シン・ゴジラ』はあの庵野秀明監督による作品だ。詳細は割愛しよう。宮台真司の批判とか概ね同意だ。私がアレルギー反応のような拒否反応をおこしてしまったのは別の部分になる。同作でも、指揮命令系統のフェティッシュともいえる再現、圧縮された膨大な情報量、巨大な生物のようにフル回転する官僚機構がたっぷりと描かれる。ああ庵野秀明だ、ああガイナックスだと感じた人も多いだろう。ただ、結構な面積が焼き払われ、放射能に汚染され、東京の中心で彫像のように固まったゴジラが実写として映し出されるとシニカルな感想も浮かぶ。「想定外の天災」とはいえ主要な登場人物はなんの責任も取らないだろうな、“庵野秀明から”。

ガイナックス庵野秀明に代表される彼らが、凝縮し、エッセンスを取り出し、世に提示してきた価値観。古い世代のオタクの王道ど真ん中の価値観。そこには、新兵器があるなら使おう、ボタンがあるなら押そう、ロケットがあるなら飛ばそう、人類補完計画があるなら発動させよう……後は野となれ山となれだ、という姿勢がその根本にある。責任の取らなさ。それが露出してしまうと、フェティッシュに埋め尽くされた119分はオタクが「ウェーイ!」とはしゃいでいるようにしか見えなくなる。

新しい爆弾が作れるなら作りたい、作ったなら使ってみたい。そういう欲望はギーク価値観として近代には普遍的にあるものだろう。それは責任とセットになっていなければ極めて危うい。『ジュラシックパーク』(1作目)に出てくるでぶが度し難いように。『シン・ゴジラ』の官僚たちは誰一人弾劾されず、断罪されずスムーズに復興へ移っていくだろう。彼らの合理性なら、半減期が2週間なら翌月から暮らすことができるだろう。三権が一体化した効率の良い行政システムを築くだろう。責任を切り捨てたからこそ、フェティッシュの興奮に耽溺できたのだ。棄てられた責任野ざらしにされ担う者はいない。

2000年代2010年代アニメにおいてもガイナックス的な価値観は揺るいでいない。おそらくこんな声が聞こえるだろう。「『ハルヒ』は?『らき☆すた』は?『けいおん』は?『まどマギ』は?『化物語』は?日常系を無視するなとんでもない!“大きな物語”をまだ求めるのか?!」このあたりはもっとその分野に詳しい人の評論を待ちたいと思う。私の見立てでは、それらは(主に女性の)キャラクターについてのフェティッシュを深めたにすぎず、逸脱はしていない。フェティッシュに注力すればするほど与えられた価値観の中での反復行為となり、自らをその価値観の内部に限定させるという結果を生む。そして、目を背けた価値観のもの形骸化しながらもしっかりと保存され、視聴者を貴族的な愉しみという隘路に導く。

もし汲々とした再生産のサイクルの中にどっぷり浸かった人なら、そこから抜け出すには並々ならぬ苦闘と意志が必要だ。たつき監督にはそうした努力は必要なかっただろう。『けものフレンズ』は最初から“できている”。

これは自由の味だ。

ジャパリパークではフレンズたちは当たり前のように責任を持ち、細部へのこだわりは新しい領域に向けられているがそれ自体に耽溺していない。古い価値観を超えるものを作ろうとして頑張った結果やっとできた、ということではなく、初めからそうした問題意識のものが存在していないかのように新しい価値観を持っている。それほどあまりに自然に表現された作品として我々の前に現れた。

可能にしたのは主に3つの要素からなる。「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」。この3つは密接に関係している。「手書きには温もりがある」という言説は否定できないが、大勢が1枚1枚セルに色を塗るという時代ではなく、1人である程度は全部作れる3DCGという環境がたつき監督にとって不可欠なものだったことは想像難くない(実際はirodori時代から分業していたことはブログからも伺えるが、作業量や機材を比較して)。Wikipedia情報によると、彼はサンライズ作品のCGを担当することで商業的なキャリアスタートさせ、以降手がけた仕事は一貫してCG関係だ。これがもし手書きスタッフとしての参加なら、今の形の『けものフレンズ』は存在しなかったし、たつき監督もおそらく従来の価値観に染まっていただろう。

3DCG上で現在主流の2Dの表現をそのまま再現することは難しい。「不気味の谷現象」ではないが、3DCGから2Dアニメに寄せようとすれば違和感が増え、それを克服するためには新しいアプローチ必要になる。たつき監督はレイアウト(構図というよりも画角)の段階からキャラクターの正面を巧みに演出し、同時に正面ばかりで飽きさせないように一話一話を構成することでこの問題に挑んでいる。技術的な分野における刷新、さらに強く言えば断絶。これにより従来のアニメ表現から自然と距離をとることができたことは『けものフレンズ』にとって幸運なことだった。

次にバランス感覚が挙げられる。たつき監督のスタイルにも作品の全てをコントロールしたいという欲望が見える。映像作家としてこうした欲望は一般的ものだ。ただ、「監督、コンテ、演出、シリーズ構成脚本たつき」と商業アニメで網羅しているのは尋常ではない脚本についてはWikipediaの項目を参考にした)。福原Pは、その秘訣はレイアウトからビデオコンテ、セリフ、声の仮当て、声優への細かな演技指導、修正、差し替え、調整という全ての作業をやりつつも「作業のカロリー計算ができる」ことだと語っている。

「そこらへんはプレスコで作ってきた『てさぐれ!部活もの』の経験が活きていると思いますたつき君はその場のグルーヴ感で「これはやったほうがいい」と思ったら作業しちゃうんです。その後のカロリー計算も、しっかりできる人」

http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395

「北風がバイキングを作った」ではないが、繁忙期は1ヵ月ほぼ泊まり込みだったという『てさぐれ!』における過酷な進行がたつき監督を鍛え上げたことは間違いない。余談だが、ファンによるスタッフロールの解析やたつき監督のTwitterでの発言から、『てさぐれ!』2期からirodoriメンバー関西から呼び寄せたようだ。一部で話題になった出来事もこのあたりに遠因があるのかもしれない。閑話休題

福原Pの言うカロリー計算とは、「作業量」と「かかる時間」と「納期まで時間」を正しく見積もることができるという意味だ。結果、各話を見ても全体を通して見てもまったく破綻していないばかりか、各話のバランス、全体のバランスがとても良い。ほとんどの工程にアクセスし、手を入れ、なおかつどこか一場面に片寄っていないということは特筆すべき能力だ。このバランス感覚ミクロの視点とマクロの視点、ミクロの作業とマクロの作業の両セットを備えていないと成り立たないものだろう。シナリオ含め、一貫してたつき監督の思想が反映された『けものフレンズ』。そこでは、「美少女の細部にひたすら耽溺したい」というような偏ったフレームは分解され、ごく抑制の効いたボリューム/表現としてバランスが整った形で配置されることになる。

最後は、アニメばかりを見ていないアニメ監督。これは富野由悠季が公言し宮﨑駿も暗に語る「アニオタが作るアニメはつまらない」という言葉の裏返しであるたつき監督がケニア育ちだったから、というわけではないが本人の発言ではアニメを「ちょいちょい」見るようになったのは大学で「アニメを作りたい」と思った頃からだという。この時点で「東浩紀は『セーラムーン』をリアルタイムで観ていなかったニワカ」とディスられたレベルでのガチのアニオタではないとも言えるが、ここではirodori制作の短編を元に検証してみたい。

1作目『眼鏡』にあるのはメガネ萌え主人公エヴァギミックNARUTOアクションジョジョネタ(格闘ゲーム版)、東方という、既視感のあるオタネタだ。テンポの良さやオチの付け方など評価できるポイントはあるが、お約束というメタ設定(いくら殴られても負傷しない、カエルが空を飛ぶ、怒りで異形化、いくらでも撃てる弾薬など)のあしらい方はごく普通オタク価値観を共有している人向けに作った短編という印象だ。

続く『たれまゆ』では全体的にパステルカラーキャラクターの柔らかい描写に取り組んだことが見て取れる。手描きによる2Dアニメで制作され、架空の田舎の超常的儀式を通して小さな世界が描かれる。しかし、作業コストが高かったのか、合わなかったのかこの後は2D手書き手法は行われていない。

第三弾『ケムリクサ』では再びソリッドな3DCGに戻る。NARUTO風のアクションレベルアップし、設定も作り込まれている。リナちゃんズと呼ばれる5人の可愛らしさと非ー人間ぽさには独特の魅力がある。『眼鏡』のようにネタをそのままネタとして扱うことはなくなり、説明は最低限。たつき監督の作家性の輪郭がはっきり見えだした時期だろう。30分弱の作品にかかわらず、構成やカット割りに無駄がなくかなり洗練されている。しかし、完成度の高さと裏腹に、注目を集めた『眼鏡』よりも再生数や評価は低調だった。ニコニコ動画の過去のコメントを見ると『眼鏡』の軽いパロディのノリを期待する声が多く、制作側としては不本意な結果だったのではないだろうか。ここでは、1作目でふんだんに盛り込んだパロディで注目を集め、2作目では手描きアニメに挑戦。結果、手描きからは撤退し3作目では3DCGでストイックな作品に挑戦したという流れを指摘するに留めたい。

4作目となる『らすとおんみょう』は福原Pと出会うきっかけとなった作品と言われているが、1話を作ったのみで未完となっている。女性のキャラクターの表情はまた一段レベルアップしており、3DCGの中で2Dアニメ表現に歩み寄りたいという制作者の努力が見て取れる。何がこの作品を放棄させたのかは推測でしか語れない。多忙となったためや、異国の魔女と「適当だけど超強い男子中学生っぽい陰陽師(の下請け?)」が子作りするという設定に着地が見出だせなかったのではないかと思われる。現在残された多くの断片からは具体的な落としどころは示されていない。同作はいわゆるハーレムものの構造を取っており、一方でたつき監督の描く萌えはごく控えめだからだ。

5作目となる『のための』はirodoriとして最後の自主制作作品となった駅長さんシリーズ。できあがった時期は前出の『てさぐれ!』の激動を超え、プロフェッショナルとして確立した後になる。正確には『らすとおんみょう』より前に断片的な映像が出ていたが途中に長い中断があり、実質的に『てさぐれ』後に作られたものとみなすことができる。時系列で書くと2012年に2年がかりで『ケムリクサ』が完成。2013年前半に『らすとおんみょう』(1話)。2013年後半から2015年まで『てさぐれ!』シリーズ2016年8月末に『のための』が『駅長さん フル版』(以下、『駅長さん』と便宜的に表記する)として完成した。この作品は5分という短い時間ながらプロの仕事というべきものだ。目が描かれていない駅長さんの動く姿には、これまでに向上した技術が昇華されシンプルな姿で完成している。

ここで「アニオタの作るアニメ」(以下、オタアニメ)の定義について考えてみよう。もちろん厳密な定義などできようもないが、本文章が求める要件は「特定の層だけをまなざしている作品」であり、具体的には「アニオタ視聴者を満足させることを目的とした作品」であるたつき監督は『眼鏡』では明白にオタアニメを目指し、続く『たれまゆ』では本格的に手描き2Dを試み、より迫ろうとした。ここで最初の転機が訪れる。手描きという手法があまりにハイカロリーだったからか、ここでこの方向は放棄された。なろうと思っていたがなれなかったのだ。以降、アニオタ視聴者をメインの観客に据えることはなくなり、アニメばかりを見ていないアニメ監督として本来の姿、幅広い層へアプローチする道を歩むことになる。

ケムリクサ』の段階で3DCGによる手法に迷いはなくなり、削られたカットからも抑制の効いた演出を志向していることが見て取れる。この作品から作風が変わったようにみえるのはテーマシリアスからだ、という批判も予測されるが「ストーリーシリアスになる=オタクに媚びていない」という短絡は採用しない。実際、表向きはオタク向けの作品ではないと装いながら水面下で「今回はこういう感じで行くのでひとつよろしく、へへへ」と、メタ構造(オタアニメにおけるお約束の構造)やメタ構造を逆手に取った仕掛けを差し出すという交渉を行う作品は実に多い。同時に「まったくオタクに媚びてませんよ」という宣言は、冒頭に挙げた父親の比喩と等しく、オタアニメの枠組みから実は一歩も踏み出していない。『ケムリクサ』では前2作であえて“なろう”とした努力が消えている。木の枝が河に落ちるように自然に、観客と交わす密約もなく、反発もなく、媚びていない。ピンポイントに評価される層よりも広い範囲をまなざしている。『眼鏡』よりクオリティは高いにも関わらず受け入れられなかったことは間接的な傍証になるだろう。

『らすとおんみょう』ではその揺り戻しといえる現象が起こっている。ギャグテーマTwitterで発言しているが、いかにもオタアニメという構造(そのままアフタヌーンあたりで掲載されても不思議はない)にチャレンジするも1話を完成させた後に頓挫。理由は色々考えられるが、これまで見てきた通りハーレムものの企画自体がたつき監督に合わなかったと考えるのが妥当だろう。この時期が2度目の転機になる。ある程度スタイルが固まったのだ。それは『ケムリクサ』で表現されたスタイルの延長にありジャパリパークへ続く道だ。キャラクターに瞳を描くことさえ取り止めた『駅長さん』は『らすとおんみょう』の続きは作らないという静かな意思表明とも受け取ることができる。


再び繰り返しておきたいのは「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」この3つはどれかひとつが先立つものではなく、お互いに深く関連しており不可分なものだ。『けものフレンズ』ではこの全ての要素が花開いている。この作品に超絶的な技巧が込められた作画や、ぴちぴちとした美少女あるいは美男子を求めることはできない。あるのはサバンナに向けて開かれたような、開け放たれた窓だ。振り返ると、室内にはエヴァ以降20年にわたる作品がある。時代を代表する色褪せない傑作もあるだろう。でも、もう昔の作品だ。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、清々しい朝日に貫かれた後では、戸惑いつつも思い知らされるのだ。どれだけ偏狭な価値観に縛られていたか。こんなにもこだわっていたものは汲々としていたか。自由とはこういうことだったのかと。

自由の味。開放されるということは、決定的に変わってしまうということでもある。一度開放されたことを理解してしまうと、重さの無いなにかが失われてしまい、二度と戻ってはこない。それを無視して、例えば「エヴァけもフレ」というように馴染みのある文脈に引きずりこみ安心することもできる。「ローエンドなCGでもいいものは作れるんですよ」と心の平穏を装うこともできる。でも、そういうことはもうやめにしよう。『けものフレンズ』はこの20年間潜在的に待ち望まれていたアニメばかりを見ていない監督によって作られたアニメなのだ。その面白さの本質は、ガイナックス的なアニメ価値観とは別の場所に立っていることによるのだ。私はたつき監督の成果に最大限の賛辞を贈りたい。素晴らしい作品をありがとう

ただ、アニメを見る目がこれまでとは違ったものになったことは少し寂しく感じてしまう。世に次々と出てくる新しい作品がどれだけ面白くても、それらが“過去の遺跡の新作”ならばそれだけで手放しで楽しめなくなったからだ。つまり、ちょっとした困難をかかえこんでしまったことになる。でもそんな心配はあまり気にする必要はないのかもしれない。なぜなら、すでに誰かが言っていたようなのだ。困難は群れで分け合えと。

2017-06-24

東浩紀BBQがしたい

東浩紀バーベキューがしたい。ただそれだけ。

はてなというかネットでは東浩紀嫌われてるけど、私はかなり好き。

東浩紀が彼の娘のために始めた「ゲンロンこども教室」という教室がある。こども教室悪名高きカオスラウンジ代表黒瀬陽平や他カオスラのメンバー講師となって子供がいろんなものを作ったりする教室。私は大人だけどこども教室に参加したい。子どもに混じって工作したい。

今日公園BBQやりながら今まで作ったものを燃やすだって。あぁ楽しそう楽しそう。羨ましい。

子どもができたら参加したいと思っているが今のところそんな予定はない。東浩紀は彼の娘の汐音ちゃんのために採算度外視子ども教室をしてるらしいけれど、汐音ちゃんもも小学6年生で来年中学生。汐音ちゃんが中学生になっても成人してもゲンロンこども教室は続けてくれるかな…。

今日東浩紀バーベキューできる人が羨ましい。

2017-06-19

誰も指摘しないけどさ、そこそこ知名度のあるアイドルって男ぐらい普通に警戒すると思うわけ。

それで、今回ばかりでなく今までを見ても普通に泊りに行ったりするわけじゃない?

ってことは、男に対する警戒心が希薄になるくらい日常的に男とお付き合いするっていうことが、普通にある環境ってことじゃない。接待だろうが打ち上げだろうが、打ち合わせだろうが。

それで恋愛禁止とかね、もういい加減信じてる奴馬鹿かと。

学校で考えてみ?体育会系部活マネージャーとかのレベルでこそこそ付き合ってるって。顧問先生に見つからないように。

あと、東浩紀だよ。やってる事はそりゃ立派かも知んないけど、ツイッター世間を知ったような口聞くな、と。みんな頭の中はめちゃくちゃな事考えてるかもしんないけど、普段は真面目に気使って生きてんだよ。

日本人を頭の中だけで考えるとおかし人達だよな。そりゃ多分100年前ぐらいかおかし人達って言われてんだよ。でもな、だからってそんな捨てたもんじゃないって。お前が一人で悲劇ヒーローになってるほど、悪くないよ。望めばキリないのはわかるよ。でもね、君が考える世界にもあんまり希望がない気がするよ。

頭の中とは別の居心地の良い世界があるんだよ。これからはわかんないけどね。

いつだってからないんだけど、日本人の良さは頭で考えてもよくわかんないと思うな。頭は大事だよ。でもそれは道具なの。大事な事は心で決めるんだよ。それが日本人の知性だと思う。君の知性は、正しいよ。正しいけど、嫌いだよ。安いペシミズムに見えてしまうよ。

あとな、太り過ぎだよ。死んじまうぞ?長生きしてくれよな。

みんなさ、なんで一記事に一つの話題なわけ?別に色んな話題があっても良いと思うな。

2017-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20170517093041

東浩紀郵便的云々ではないが、そもそも通じたかどうかは発信者も受信者確認できない。

東と言いう人がどういう文脈でそう言ったのか知らんが

現実に会話や文章のやり取りで自分要望通り他者が動くことがある(逆もある)のに確認できないと言い張るのは強弁じゃないの?

>「言語化できたかどうか」の基準は、本人がそう感じたかどうかでしかあり得ないものなんだ。

東という人のマイルールではそうなだけで他の人がそんな勝手ルールに従う必然性はないように思うが

http://anond.hatelabo.jp/20170516235954

言語化できたかどうかは、通じたかどうかではない。東浩紀郵便的云々ではないが、そもそも通じたかどうかは発信者も受信者確認できない。

言語化できたかどうか」の基準は、本人がそう感じたかどうかでしかあり得ないものなんだ。

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