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はてなキーワード: 不合格とは

2019-01-18

anond:20190118131012

そんな動機で送り出す女なんていないだろ。守ってほしいなら家にいたほうが守ってもらえるわけだし。「わたしを守って」ではなく「お国のために」だよ。

実際、うちのじいちゃん徴兵検査不合格で家にいたから、ばあちゃんは近所の人に妬まれたり羨ましがられたと聞いてる

2019-01-16

入社面接については諦めるけどさ、恋人面接不合格だった時は理由を教えてよ

レポートを書けと言ってるわけじゃない

3点くらいの箇条書きでいいか

次どうすればいいのかわからん

2019-01-15

昭和2,30年代の、「法律なんかアメリカ騙しのウソだよ、決めるのは東大卒で盛り上がるのが先だ」感がなくてクソツマ

 それはあたかドラクエ最初の方で色々社会的意味が込めてあったり、プレステ

最初の方の作品が真に日本人に刺激を与えようと考えられたのと同じで、ゲームにしても

最初は色々と日本の性社会に対して刺激ある意味が込められてあった

法律についても始まったときは、書類はどうでもいい、人間が決めるんじゃというやる気や気合

あったし、戦後20年で日本は本当に活気があって刺激もあった、スリリングだった

戦後20年位は、法律なんかあるわけねwwwwwwwwwwwww決めるのは東大じゃwwwwwwwwwwwww

って感じで公務員大人職業でみんな学校勉強して高級官僚公務員を目指したもんだけど今はそんな活気はない

仕事形式的だし、誰をどこの職務に配置するかなどの決定にも何の意味もないし、司法試験も、正義感のないつまら

文章を書いたら不合格、素晴らしいセンスある答案を書いたら合格という人間性溢れる採用の仕方もしていないし

から何まで的外れ形式的だし趣味もないし、ここ数十年もう書面だけしかみてなくて、面白味も何もないし

クソゲーにも程があるだろ。

2019-01-04

日本は1学年5人の超エリート大学を作るべき

偏差値120、不合格でも国公立受験可能

入学式は全国中継、成績は公式HPで全開示

学費生活費無料、ただし在学中に稼いだ利益大学寄付

全国の大学研究施設入出場可能

成績最優秀者は3年、それ以外は4年で卒業

そして彼らには日本地獄にして欲しい

大学 3年次編入試験の思い出

anond:20190102063518

anond:20190102174908

anond:20190103131014

高校時代

同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。

県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。

自分はというと文化系運動系狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。

親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器練習をしない方が厳しく怒られたし、数学10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しかさない」と宣言されており、真に受けた私は私立すべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学テストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく

これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。

専門に入る

正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテスト免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対かると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベ推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史文化史だけ異様にできた。

学校生活

身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?

専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース翻訳通訳など)」と「海外大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。

なんで大学編入英語学科に属するかというと、ほとんどの大学編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)

授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師日本人講師もいたが、とにかく英語リーディングリスニングライティングスピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEIC学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除しか学費も一部免除特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初TOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラス所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。

残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなもの選択できる)の他、第二外国語小論文対策PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。

大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコース人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。

学生

上記の通り様々なコース人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単テストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。

同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止め私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。

コース人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。

あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。

学費

高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)

本来公立しか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対学費無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境お金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。

編入試験を受ける

編入試験

1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。

3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)

編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつ8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。

面接練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶あいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入チャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICマックススコア出した人もいる。

あとTOEICスコア試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。

試験対策

英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってから英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。

小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人文章センス知識量がモノをいう感じだった。国語世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。

編入試験過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。

面接指導就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。

試験

どの大学小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。

第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかバスからまた電車で移動するが乗換をミス試験遅刻。席に着くために荷物通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろしかった。1週間後には結果が開示され、無事合格

そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。

大学編入

進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。

上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位大学単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)

1年大学ライフ満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークルバイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語資格TOEICスコア700前後英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日面接対策小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。

大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。


色々書いたけどあくま文系の話です。理系編入もっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。

東大京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っから文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。

あと社会人なってから編入大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。

私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。

いよいよセンターが近づいてきて、不安受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。

2019-01-03

東大生に囲まれた話

東大の話が書かれてたのを見たので数年前の自分経験を書く

自分東大受験したけど不合格になって後期試験で別の旧帝大合格して4年間過ごしてた

就職の時に国家総合職(いわゆるキャリ官僚ですね)の試験を受けて運良く試験合格した

流れとしては試験合格したら自分の行きたい省庁を選んで官庁訪問することになる

やり方は省庁ごとに異なるんだけど自分が選んだところは

控室に全員が集められて何人かずつ呼ばれる→それぞれ違う職員と一対一で話をする(ガチガチ面接ではない)

→部屋に戻されて次に呼ばれるのを待つ、ってのを一日中やってた

日中ってのは朝来て終わるのが夜9時過ぎとかそれくらいね

これに合格したら次の回に呼ばれてその次の回では別の人と面接して…を数回繰り返して採用になる

で、これ実際やってみると待つ時間が相当長いから同じテーブルの人と結構雑談してるんだよね

その中で分かったのが同じテーブルに7人中、自分以外の6人が全員東大法学部だってこと

しかも全員が少なくとも2年の時には目指してたとか言うから3年の秋から手を着けた自分とは意識の高さ(悪い意味じゃないよ)が全然違う

なんか自分場違い感が凄いし話せば話すほど自分は浅いなあと思って惨めだった

まあこんな調子なので序盤で不合格、今は別の仕事に就いてる

名前も覚えてないけどあの6人の中で何人採用されたんだろうな

2019-01-02

京大までの受験の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。

元増田と違い中学受験私立とは無縁で、片田舎公立中学公立高校卒業して京大入学した。

中学時代

勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。

一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿私立高に通って高いお金さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。

将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学工学部卒業し、自動車メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。

そんな自分に両親はとても優しかった。自分選択意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。

高校入学受験勉強まで】

結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅から公共交通機関アクセスが最悪だったかである

この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大ゼロ京大が1人いるかいないか旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さなさなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。

1年生の夏、家族京都旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威シンボルである時計台自由象徴する立て看板鴨川百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。

ここに入ろう。自分にはその資質がある。

本気でそう思った。

そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師OB地方でやっている個人塾だった。英語数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。

受験勉強受験まで】

高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立MARCH関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しか学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。

高3になると全国模試ランキング浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタル不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。

高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。

受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるとき不安でやる気を失いかけているとき鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。

試験

京大工学部センター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけがまれた。

私立早稲田慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。

京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝たかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。

当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学試験試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。


ところで、新年を迎えたこから自分の中のルールとして「前期試験不合格連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。

合格発表掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ち掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。

【その後】

入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。


【さいごに】

一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章わたし世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。

http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html

「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対無駄はらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから

恋でもいい。グラウンドの上でもいい。

そして、エンピツを握ってでもいい。

フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。


元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しか自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。

すべての人に受験勉強というプロセス必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。

センター試験まであと少し、全国の受験生に幸多からんことを。

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

2018-12-29

今まで生きてきた私の年表を大まかに作ってみる

物心つく前】

・よく寝る子だった。夜泣きもせず、寝返りもうたなかったため、母親は死んでいるのではないかと私の様子をちょくちょく見に来ていたらしい。

・肉だるまのように太っていた。乳を吸う力がダイソン並みだったため、母親授乳が嫌だったらしい。ちなみに哺乳瓶の穴は秒でミルクを飲み干すため小さくされたそう。

・先住猫が私を自分の娘のように可愛がる。

物心ついた頃】

・鋏を貸してくれと私が言うので母が鋏を貸したところ、いきなりTシャツの袖を切り始めたとのこと。なお動揺して何をしているのか私に問いかけたところ「暑いから切った」と返答されたそう。

洗面所に「パパママらぶらぶ」と書こうとしたところ、「パパママぶらぶら」になる。

保育園時代

三輪車で転けたところに手を差し伸べてくれた男の子に惚れる。

TDLに行く途中父親好きな人を聞かれ馬鹿正直に上記男の子の名を答えた結果、TDLに行けなくなりそうになった。

クラスで気の強い女の子と私は同じ人が好きだったのだが、私のことが気に入らなかったらしく公園で遊んでいる最中ハブられる。ちなみに、その後好きだった子が一緒に遊ぼうとその子を説得して迎えに来てくれたの超嬉しかった思い出(ハッ、ザマァ

小学時代

・変なタイミングテンポが心の中で再生されっぱなしでイライラし続けることになる。

クラスの子呼び捨てにしたところ、「よび捨てにしないでよ!」とキレられる。

流れるプールにて足嵌め浮き輪父親と遊んでいたところ、横転し、死にかける。

写真撮られるのが嫌すぎて先生の自前のカメラを壊す。(悪意はない

運動音痴だったため、大縄大会練習が嫌すぎてトイレ雲隠れ

・この頃からいじめられる頻度が増える。給食当番の子給食がすでに用意されているにも関わらず、給食をとってこいと言われとりあえず取りに行く。ちなみにその後嫌なこと言われたかなんだかでトイレ雲隠れする。性格のいい男の子が迎えに来てくれ(特に仲良くない)多分更にいじめっ子達にガソリン注ぐような形に。

・「こども」という立場を盾にすれば大人は手を出せないことがわかっている舐め腐ったクソガキに育った。

・当時担任になった先生ほとんどに初見喧嘩を売り、言葉制圧される。(よくなかったなあとは思う。

保育園の頃に好きだった男の子アプローチするが反応無し。ちなみにそれなりに頭がよくその子モテ始める、女子の見苦しい争奪戦が始まる。

上記の子と私は給食を食べるのが遅く、昼休みを過ぎてもなお食べていたため、職員室通い常習犯となる。

・2年生の頃通っていた学童がなくなる。仕方がないので両親は学校内の待機所に通わせようとするが、こっそり抜け出し、近くの図書館に通う日々。(または家の鍵をこっそり開けておき、帰っていた。ちなみにエントランスは鍵がないと入れないため、横手にあるごみ捨て場の門をよじ登って侵入

音楽先生と体育の先生忘れ物が多過ぎて嫌われる。(ちなみに整理整頓忘れ物の欄は毎年がんばりましょうだった。

先生に怒られ、「帰りなさい」と言われたので問答無用図書館に向かったが閉館日だった。

・塾に通い始める。宿題をしていかなくて毎度怒られる。

・あまりにも私が勉強をしないので、テレビを親の寝室に退避。寝室に鍵をつけるが、ここで私は簡易なピッキング技術を身につける。

DSが発売される別途の中でどう森nintendogs三昧しすぎて怒られる。

クリスマスには毎年のように時計を送られるが遅刻癖は治らなかった。また、それ以外にもこういう女の子に育ってほしいんだなという親の欲望丸見えなプレゼントが毎年送られてくる。

父親に私のお年玉貯金投資にまわさないかと持ちかけられる。

・今と比較してもかなりキレやすかった父親に戦々恐々としながら過ごす日々。

先生リクガメを他の生き物係もいるなか、私一人で世話をしていたにも関わらずお陀仏させてしまう。なぜかめっちゃ責められる。

テニスやってみる。先生センスいねといわれて辞める。

中学受験してみるもの野球ルールがわから不合格

中学時代

小学メンバーが嫌すぎて異なる区域中学に通う。

・「誰だよ、お前は」というくらい知らない男の子に話しかけられ、知らない男の子自分のことが好きだという噂が流れる。逆に男の子が怖くなり女の子と付き合う。

・またもやいじめられ開始? (当時いじめと思わないようにしてたのでよく覚えてない)転入生の男の子が入ってくると同時に矛先が反れる。

彼女の友人に嫉妬される。「私の◯◯ちゃんをとらないで!」←うるせー◯◯ちゃんは誰のものでもねェ!

彼女の友人、体育の授業にて私をハブる。(本当にキモい

・何故か異様に音楽教師に好かれる。

彼女と幼馴染みに「ハリボ野郎」と例えられる。

・税の作文であまりにも酷い内容を書いたせいで、担任に「お前は俺を舐めてるのか?」と聞かれる。「舐めてないです」と返答し火にガソリンを注ぐ。

入学当初の理科テストで皆の前で先生に褒められたのが恥ずかしくて(褒められたくて勉強したわけじゃないのに的な)勉強をしなくなる。

・同じ絵画教室に通っている女の子の服にふざけ半分で絵の具をくっつけて怒られる。それ以来何年も通っていたそこには通えなくなる。

高校時代

・話のあう、よき友人ができる。(この友人とは今もちょくちょく遊んだりする。

・死と生について悩む日々。「循環」という観点から一応の解を手に入れることに成功する。また、思想の根源・循環について考え始める。

・みんなに嫌われている気がしてどこにもいけない。(ちなみにこれは学校卒業することで解消されたが、しかし母校である高校にはもう行けない。

・あ、高校祝いに虫歯を13本ほど治させてもらった。歯医者には「自業自得自業自得」といわれながら治療された。

彼氏ができる、が初恋の人に告白されたとかで別れを切り出される。いつまでも待ってると言い残し、別れる。(ちなみに去年、最高の形で現在進行形自分のことを私が好いていると勘違いしていた元カレの心を踏みにじってやりました、乾杯

・やりたいことないなら、就職しろ。旧帝国大以上でなければ認めんとの父親のお言葉就職を決意→就職

【近況】

自分が死なないために猫を飼った。

上司に女として見れないと言われる(うるせー!

・未だ、告白される経験zero・未貫通

2018-12-19

2018年に起きたことまとめ

・義父に長年犯され続けて妊娠させられた女性が生まれた子を殺害したこと懲役四年の刑を下される(義父の判決はいまだになし)

集団強姦、八人全員が不起訴

芸能人に襲われた女子高生芸能メディア含む日本中からバッシングを受ける(一方で不正アタックした大学生は「まだ子供だし逆らえないよね可哀想」と同情される)

鳥貴族女性店長盗撮されたが店長逮捕されず。女性への見舞金はたったの一万三千円。

東京医大、北里大、順天堂大女子受験生を減点

北里大「女は手術に耐える体力がないから」順天堂大「女はコミュ力いから」

週刊現代「女の医者はいらない」

東京医大不正で落とされた生徒を追加合格させるも(男子もその中にいた)その内の五人の女子を「定員だからやっぱりダメ」と再度不合格

これはジェンダーギャップ指数G7最下位(110位)になりますわ…

2018-12-14

anond:20181214073501

良薬口に苦し

真実は耳に届かない

年収600に届かない男は失敗作なんだから子供を残すべきじゃないし

600男をゲットできない女もこれまた不合格品だから遺伝子構成につなぐなよ子孫がかわいそうだ

2018-11-28

中学受験シーズンが近づいて

中学受験シーズンが近づいてきた。今年子供が受けた経験から反省も込めて今の時期の心の持ちようや準備できること等について書いておく。

1.子供学力はここから伸びる

 中受でよく聞く「男の子は直前まで伸びる」っての,正直半信半疑で受け止めていたけど我が家については実際この通りだった。息子の学力は秋(11月頃)までサピックス偏差値で言うと50に行くかどうか,一方の第一志望校偏差値は60で10くらい開きがあったんだけど,12月に入ってからようやく息子のエンジンがかかり,そこから目に見えて勉強の質と量が上がってそれと共に理解知識が深まっていくのを感じた。この時期はもう模試は全て受け終わっていたので数字で示すのは難しいが,肌感覚偏差値5くらいは上げたのではないかと思う。受験生全員がそうだと言うつもりはないが,子供目線,特に男の子で考えた場合受験本番が現実的な射程に入ってくるのは残り2ヶ月を切ったあたりからの気がするので,特にまだ100%本気で勉強に取り組んでいないなと感じるお子さんの場合,12月からでも十分学力が伸びる余地はあるので諦めないで欲しい。

2.1月校の受験有益

 どの受験でも言えることだけど,どれだけたくさん模試を受けて試験慣れしているように見えても,入試本番はやっぱり模試とは全くの別物。しかもそれに挑むのはまだ精神的にも発達途上の12歳の子である事を考えると,本命校の受験に先だって練習」校を受けておくことは有益である我が家基本的に「行くつもりのない学校は受けない」という方針で臨んだけど,それでも2月の本命校の前に1月校(都内の中受界隈では有名な埼玉の某校)を受けた。気合いの入った受験生とその保護者達が放つ張り詰めた緊張感と激励に来ている多数の塾関係者から溢れる熱気,そこに有名校ともなればマスコミも集まってきて,入試当日の現場模試では体験したことのない異様な空気に包まれる。自分の子供は肝が据わっていると思っていても,大人ですら平常心でいられない雰囲気本命校の受験で初めて接して呑まれしまい,実力を全く発揮できない可能性は大いにある。そうしたリスクを避ける意味でも本命校の前に1校は受験しておくことをおすすめする。また,上記1.と関係するが,12月からの直前期の勉強でどの程度仕上がってきているか確認する上でも1月校の入試有益である。(2月の受験本番までまだ2週間あるので,最後の弱点補強ができる。)

3.受ける予定のない学校も出願候補として押さえておく

 自分中学受験経験者だが,今の中学受験が当時と大きく違うのは,①ネットによって前日まで出願が可能となり,合格発表までの期間も短くなっている(翌日又は当日の発表が多い),②複数回受験可能学校が増えている,という点。これによって入試本番に突入してから受験結果に応じて柔軟に併願を再考・組み直すことができるというメリットが生じた一方で,受験生メンタルには大きな影響を与える事態となっている。

知らぬが仏という言葉があるように,昔は初日に受けた学校の合否結果が出ないまま2日目校,3日目校と受験するのが常だったので,最初に受けた学校の合否に心乱されることなく,それなりに心の張りを維持して試験を受け続けることができた。今はそうはいかない。初日に受けた学校の合否がその日の夜にはネットで分かる。仮にそこで不合格となっていた場合子供は落ちたショックを引きずって翌日以降の試験を受ける羽目になる。中学受験は同じ面子試験を受け直したら合格者の半分は入れ替わる言われるくらい拮抗した競争であり,そこで合否を分ける一番の要素は子供メンタルコンディションだ。その意味受験の結果次第では最悪の精神状態試験を受けることを強いられるのである。そうして2日目,3日目と不合格メンタル落ち込みの負のスパイラルに嵌まり込んで結果全落ちするケースもある。実際我が家は2月2日の押さえ校(当日夜に合格発表)でまさか不合格をくらってしまい,翌3日に向けて子供メンタルを立て直すのに非常に苦労した。こうした事態を防ぐ観点から,たとえ現時点では受けるつもりがなくても,子供の持ち偏差値から10~15くらい下で前日まで出願が可能な超安全校を2月の受験候補校として押さえておくことをおすすめする。

これから親御さんにとってはお子さんの受験準備に向けて精神的なプレッシャー高まる日々かと思うけど,結果がどうあれ中学受験を親子で乗り切った経験は決して無駄にはならないので頑張って欲しい。

2018-11-07

anond:20181107233119

そうなの?

じゃあ2年間で百人という膨大な人数の合格ラインに達してた女性達の足を切って不正不合格にするような、しかもこの人数でもまだ氷山の一角程度の男女差別国家からとか

anond:20181107164624

まぁ普通に一年前とか2年前に差別して不正不合格にしてたけど入学したいならさせてあげるよって言われても他の大学行った人も多数だろうし入学してもえげつない差別されそうだし嫌だよね

東京医科大学

2年間で不正不合格にしていた人が100人だったらしいけど、入学定員的に全部の生徒の半数程が本来落ちてる人と合格した人が入れ替えられてたんだよね。

長年毎年何十人もの受験生努力を踏みにじって人生狂わせたのに何も罰されない。

しかも他の医大もやってると公然の秘密状態医師達も把握していてだんまり

日本はえげつねぇ。

2018-10-27

吉本坂46メンバーオーディションに納得いかなかった話

吉本坂46をご存知だろうか。

乃木坂欅坂に続く3番目の坂道シリーズにして吉本興行タレント構成されたアイドルグループだ。12月にはCDデビューも決まった。

話題になりそうな要素で構成されたグループだが、びっくりするほど盛り上がっていない。

それゆえ、到底納得できない結果となっメンバーオーディションについても今ひとつ知られていないし、まとめらしきものもない。

結論から言うと私の推し落選したわけで、私怨といわれればそれまでなのだが、経緯を誰かに知って欲しく、ここにまとめる。

私の推しである男性タレント名前は伏せるが、同担であればピンとくると思う)は、自慢ではないがアイドル、という観点では並み居る候補者の中でもトップクラスだったと思う。

ルックス歌唱ダンス文句なしトークにしても吉本の中では霞むが通常のタレントとの比較であれば十分張り合えると思っている。

そんな推し落選した。正直驚いた。

とはいえアイドル別に総合能力で決まるものでもなし、推しより能力的には劣っていても、思いや努力ゆえに推しが負けても仕方ない、そんな候補者もたくさんいた。しかしそんな候補者もまとめて落選した。到底納得できなかった。

最初から振り返ってみる。

推しオーディションを受けているのを知ったのは書類選考結果発表だった。推しはなにもいわずオーディションを受けていた。本業に専念して欲しかった私からすると素直には喜べなかったが、推しが頑張るというなら応援しようと思った。

続く二次選考面接だったらしいが詳細不明推しはここも通過した。この時点で残る候補者は173人。ここまでで落ちていてくれればこんな思いしないですんだ。

続く三次選考。15秒の自分CM作成し、一般投票下位30名が落選推しはちょうど忙しい時期でクオリティが高いとはいえない動画であったが、1週間の投票期間、私は毎日投票したし友人にも協力を依頼した。結果は十分上位と言えるものだった。

このときの1位の得票数が66284票、ボーダーラインが2320票、最下位は547票であった。

https://yoshimotozaka46vote.com/ranking.php

結果をみてもらえばわかるが、かなりの有名タレント容赦なく落ちているし、上位陣には初めて聞いたタレントも多い。ある程度はガチ投票であったと思う。

投票性質上、CMの出来というよりは抱えているファンの数の影響が大きいが、運営はそんなこと百も承知であろう。)

続く四次審査、今度は水着(とはいっても定義は「水に入れる服」だったので何でもありだった)の写真による一般投票で、前回と同様一週間、下位30名が脱落。ここも推しは難なくクリアした。というか正直三次審査と実質同じようなもので、結果も似たり寄ったりであった。

https://yoshimotozaka46vote.com/4thround/ranking.php

ちなみに、数えた訳ではないがおそらく総票数は三次より減少している。明らかに客が飽き始めていた。

この頃、SNS吉本坂の評判を調べると概ね不評であった。老若男女混成、ルックスもよくないとあって坂道シリーズファンからはなぜ坂道シリーズでやるのかという声が挙がっていたし、一歩引いた人たちからアイドルとしてなにをやるつもりなのかわからない、という声が多かった。

また同じくこの頃、吉本坂のドキュメンタリー番組が深夜帯で始まった。オーディションに取り組む候補者に密着し、スタジオコメントを述べるというよくある形式だ。

この番組視聴者からは、少しではあるが「がんばっているか応援したい」という声も聞かれた。

そして問題の五次審査。113名が80名まで絞られるダンス審査であった。

ダンス課題はいまでも閲覧可能である

https://youtu.be/FUKEsJ8YDTw

みてもらえばわかるが、かなり難しい。

経験者であってもある程度の練習必要だろうし、初心者であれば数日間は練習必要だろう。

講習会も開かれていたようで、候補者たちはかなりボロボロになって取り組んでいた。

推し仕事が立て込んでおりあまり時間は取れなかったようだが、しっかり練習して本番に臨んだ。

http://yoshimotozaka46.com/news/26.php

上記がその際のダンス動画である

それぞれのバックグラウンドが違いすぎるため力量に差がでてしまうのはやむを得ないし、それを踏まえた審査になるのも仕方ないと思う。

ただ、みてもらえばわかるとおり、数名本当にヤバい候補者がいる。できるできない以前に練習ほとんどしていないであろう候補者が。驚くべきことに、そういう候補者(端的にいうとベテラン芸人)は軒並み受かっているし、なんなら最終メンバーに選ばれている。

この審査審査員のネームバリューだけは一流であり、超有名バラエティーのプロデューサーが名を連ねている。(前述のURLの最下部に記載がある。)

にも関わらず結果が全く納得できない。踊れている人、必死努力したひと、そういう人たちが簡単に落とされる。

出来レースをしたいのであればこんな難しいダンスにする必要はなかったのではないか必死練習したひとたちはなんだったのか。

この結果は素人目にみても吉本意向が強く出ていることがよくわかる。ぜひ一度見てみてほしい。

ちなみに推しはここも通過した。

そしてついに最終審査秋元康面接である。ここまでくればもう大丈夫だと思った。

秋元康の名を冠する以上あからさまなベテラン贔屓はないだろうと思った。甘かった。

結果発表都内ホールにて行われ、一般向けにも1枚460円で観覧チケット販売された。チケットは十分ほどで完売だったがなんとか入手し、仕事を早抜けして参加した。

最初にも述べたが、推し名前がここで呼ばれることはなかった。呼ばれる名前は有名ではあるが三次四次で上位とは言えない順位、五次ではひどいダンスを見せていた人たちばかりだった。これまでの審査は、推しが費やした時間はなんだったのか。到底許せなかった。

http://yoshimotozaka46.com/news/30.php

ある合格者は壇上で、明日からしばらく海外から活動に参加できない、と笑いながら報告した。

また別の合格者は地方にいたらしく中継だったが、居酒屋でだべっている中の報告であり到底本気は感じられなかった。(本人も合格に驚いていた。)

合格者の発表が終わると、呼ばれなかった候補者は退場となる。悲しくて仕方がなかったが、周りの観覧者をみると軒並み落ち込んでいるように見えた。

私の座った席はかなり前方で、席は整理番号制の自由席だったため発売と同時に購入しないと座れない席だった。つまり私含め、その周囲は推し候補者に残っていた熱烈なファンであったのだと思う。

そんなファンもつタレントたちを落とし、一般に広く知られているタレントを残す、そういう審査だったのだなと思った。それならば書類審査最初からわかっていただろうに。

その後上映された秋元康からVTRは、とてもじゃないが最終選考をしたとは思えない他人事感に溢れたものだった。

そしてその中で伝えられた二期、三期も予定しているというメッセージ。ふざけるなと思った。ここまで全力で参加して落選した候補者によくそんなことが言えるなと思った。

最初からそういう構想で、一期は一般知名度で選ぶ気であったのなら最初からそうしろと。これまでの努力はなんだったのか。

この結果は不合格者たちも納得いかなかったのか、直接的ではないが不満を漏らす人も多かった。それどころかセンターである斎藤司すら不満を表明している。

https://www.oricon.co.jp/news/2121130/amp/

貢献度ってなんだ。そんなの最初からわかりきっているじゃないか

そして前述のドキュメンタリー番組の司会の一人も微妙コメントを残している。

https://twitter.com/Piu_P/status/1031567196642631680?s=09

言及されているイケメンは、勝手ながら推しのことだと思っている。)

結局私がいいたいのは、知名度選考するのであれば、大々的に長い時間掛けてオーディションなんかせずに、最初書類対象外は落として欲しかったということ。こんなの不合格者は文字通り踏み台しかない。推しが掛けた時間を返してほしい。

そんなこんなで、今日も私は吉本坂46の失敗を願っている。

2018-10-21

大学受験失敗、自業自得人生努力できない病

私は大学受験に失敗した。第一志望校に受からなかったとかそんなことではない。受けた大学全て、そう、全落ちしたのだ。

話は高3の4月からになる。同い年の友人が急死した。他の共通の友人は皆悲しんでいる様子だった(当然だ)が、私はその時ひどく冷静でいた。友人たちに対し適度に元気付けるように行動したり、死んだ彼女の分精一杯努力して生きようと意気込んでいた。今思い返せば自分無意識に空元気の状態だったのかもしれない。

そんな前向きな状態は長続きしなかった。夏休み明けから登校拒否になった。原因は分からないが、自己分析すると高校受験の時からの溜まり溜まったストレスが、友人の死をきっかけに爆発したのではないかと思う。それに部活での人間関係受験への不安etc、私の高校生活はかなりストレスフルだったと今改めて思い返す。母親に泣きつかれ父親に蹴られても学校には行けなかった。早期の時点で大学受験は諦め、とにかく卒業を目指すことになった。なんとか出席日数ギリギリ高校卒業することができた。

卒業後、私は学習塾に通い(予備校ではない、この時点でやる気のなさが伺える)大学を目指すことになった。周りに流されるままに。そう、私は一浪の末全落ちしたのだ。理由簡単、全く努力をしていなかったのだ。4月5月毎日ドラクエ7をやっていた。ドラクエを全クリすると今度はひたすらネット動画を観ていた。誰も叱る者はいなかった。親も塾講師も腫れ物に触るように私を扱った。志望校はたった2校だった。どっちも私立だったのでセンター試験すら受けなかった。当時私は大学に行きたい気ではあまりなかった。どうせ行っても上手くいか中退する未来しか見えなかったからだ。私は幼稚園の頃からずっとしくじり続けた。対人面でも勉強面でも。だからまた失敗するんだという固定観念に縛られていた。結果は一方は即不合格、もう一方は補欠候補に入った後不合格。当然の結果である

そして今年の4月からバイトを始めた。週4、5回4.5時間〜7時間働いている。だが仕事中色々思い詰めてしまって集中できない。何を考えているのかというと、何故頑張れなかったのか、底辺でも大学に入っていた方が良かったのではないかもっと早くストレスへの対策を出来たのではないのか、人生この先どうなるのか、などということだ。それから10月から通信制大学をはじめたがもう溜まっている。子供の時から何も変わってない。進〇ゼミや〇会や公〇、全部溜めて辞めていった。無駄にした親の金は一体いくらなのだろうか。

世の中の悩める人たち、安心したまえ。私よりクズ人間はいない。自信を持ってくれ。それしか私に出来ることはない。今日も私は全人類の引き立て役をする。

中学受験学力のみで決まるフェアな戦い←は?

医学部入試女子差別問題がここ最近炎上していますね。

AOや推薦入試にも飛び火しているようですが、中学入試も実はだいぶヤバいですよね。

純粋学力勝負ではなく、家庭環境居住地域なども見られているんじゃないの、というお話です。

題名こちらのサイトをパクらせていただきました。

https://kyushu-chugaku-juken.com/393.html

私が受験したのは某都内女子中高一貫校でした。

制服ダサい割にはコアなファン(?)の多いあそこです。不審者が出没したという話も聞きますね。かわいそう。

結論からいえば不合格だったわけですが、10年以上経った今もいまだに納得できません。

試験自体の出来は、合格ラインを軽く超えていると思われる(算数はほぼ満点、国語記述問題の大意はそこそこ合ってる、理社も悪くない)

模試の成績も常に合格圏内、それどころか上位合格レベルだった

まあ主観的感触しかないし、試験の出来が実はクッッッソ悪かったとか、もしくは1教科名前を書き忘れてたとかはあるかも。

で、なんで落ちたかというと面接のせいだと思うんですよ。

受験生何人かでのグループ面接と、1対1の保護者面接があります

グループ面接では当たり障りのない質問が出て、まあ意思疎通に困難がないかといったところを見ているのでしょう。

コミュ障ではないのでここで落とされたということはないと思います

問題保護者面接

願書と一緒に提出だったか当日持参だったか失念しましたが、家庭環境調査書みたいなやつを提出させられます

志望動機とか親の職業とかを書くアレですね。

(調べたら現在はないんですか???それなら良いんだけど。)

いや子ども入試なのに親の職業訊いてどうするんだよ。お受験じゃあるまいし。

反社の人を除くためかな?

ということで、のちに母からいたことですが、保護者面接でどういうやりとりがあったか

面接官「住所が〇〇とのことですが、合格したらお引越しされてくるんですか?」(実家の住所は都内に通学できるような場所ではない)

母「はい母子都内引っ越してまいります。」

面接官「うちではお子さんの教育上、お父様も一緒に親子揃ってというのが方針なのですが…」(母子父子家庭は論外ってことか?)

曖昧に誤魔化して面接を終えたそうですが、入試合格発表も終わったずっと後にこの話を聞かされて「ごめんね。」と言われたときは胸が痛みました。

入試で問われるのは本人の実力だけではないのだ、と子どもながらにやるせない気持ちになったのを覚えています

まあもう10年前の話だしどうでもいいんですけどね!

その時に味わった悔しさをバネに田舎底辺校から東大に進学して、今はoinの人たちとも仲良くやっているので、恨みは晴らせたかなって感じです。

2018-10-12

anond:20181012130652

アラフォーおっさんだけど、祖父戦争時の話を聞いておけばよかったと後悔している

両方ともも20年前に亡くなった

父方の祖父明治43年、母方の祖父大正8年まれ

両方とも身体的な理由兵役検査不合格だったそうだ

母方の祖母兵役検査不合格不名誉と思っていたこと、祖父の従兄弟南方に出征して亡くなったことを悲しんでいたことを母から聞いたが、父方の話は全く知らない

最後孫の顔を見ても誰かわからいくらいにボケて数ヶ月昏睡してから亡くなった

今になって当時の日本のことを知りたくなっている

2018-10-03

anond:20181003205916

自称が「保守」でも「右翼」でも「国士」でも、いわゆる「愛国心を強く主張し、中国韓国批判する陣営」の人たちは、「昔の日本は立派だった」が共通する基本姿勢じゃないんですか?

大体もうこの時点で滅茶苦茶じゃん

たとえば俺は中国韓国批判するけど愛国心を強く主張したことはない

俺は純粋嫌韓厨なので「嫌韓厨」と呼ばれても吝かでないけれども「右翼」と言われたらハア?だし「保守」とか「愛国者」と言われたらもっとハア~?だ

昔の日本がどうだったかなんてさらにどうでも良い

戦国時代談義は好きだけどな


ね?今目の前にいる俺のことすら正確につかめてないじゃん

俺が相手からじゃなくて、そもそも君のガバガバ概念セットにぴったり当てはまる人なんてどれほどいるか怪しいと思うよ

滅茶苦茶精度の悪いピンセットしか持ってないのに「これで完璧につかめるんだ!」って思ってるからその後の話が全部無意味になってるんだよ

逆の立場で考えてみればわかるんじゃない?

そうやって君について滅茶苦茶な決め付けからスタートする奴の話が有意義なことってあった?


少なくとも「愛国心を強く主張し、中国韓国批判する陣営」が戦前日本全否定して、男女平等人権思想が普及している現代を全面礼讃しているのは見たことがない

そりゃ自分脳内イメージのセット(世間では「偏見」とか「ステレオタイプ」とか「妄想」とかいう)が

自分の考えるような特徴を備えてる(もしくは欠いている)のは当たり前じゃない?

君の話って「私の描いた漫画キャラクターがこういう性格をしている」みたいな話だよ。

それってもはや現実に息づく他人関係ないよね。


あとついでに

男女平等人権思想が普及している現代を全面礼讃しているのは見たことがない」

こんなのそもそも命題ガバガバすぎて話にならないよ。

「これこれこういう現代を礼賛している」って具体的にどういうライン要件を満たす満たさないの判定するのかさっぱりわからない。

しかも「全面」ってつけちゃってるってことは、少しでも礼賛度合いが君にとって不満だったら不合格判定するんでしょ?

そんなの君の意のままじゃん。

ちゃん客観的現実的な判定ラインを考えたことある?ないでしょ。

そもそも思考ガバガバなんだよ君は。


ただ、その陣営の人たちの間でも、その「昔」の範囲はずいぶん人によって異なるみたいで、「昔」と言うなら中世古代まで視野に入れないの? と言うてるわけで

脳内妄想にしたがって捏ね上げた都合のいい特定クラスタイメージを、

さら論理的思考ガバガバな人が、

ああ矛盾してるこう矛盾してるって論じるの、

死ぬほど非生産的無意味じゃない?



脳内国士心配する前に自分のおつむをもっと鍛えたほうがええのでは

老婆心ながら思うのだけど

2018-09-30

発達障害配慮法〜これはSFっぽい何かです〜

203x年、ついに発達障害配慮法が施行された。ここまで、長い戦いだった。

私は発達障害だ。今から20年ほど前に娘が生まれたが、育てるにあたって不注意が何かと多く、これは何かおかしいと思って精神科受診してみたら発達障害だと診断された。

当時はまだまだ発達障害への理解が低く、この診断を受けるまでにも山あり谷ありだったのだが、それは今となってはどうでもいい。

この診断を受けたとき、今まで自分ができなかった多くのことは発達障害が原因だったのだとわかって、ホッと胸をなでおろしたことを覚えている。私自身はできないことでのコンプレックスだらけだったから、本当に救われた気がした。

そして、娘にはこのコンプレックスを受け継がせてはならないと思い、娘も早い段階で発達障害検査を受けさせた。結果、娘も発達障害だったことがわかり、この結果は私の子育てに大いに役立った。

娘にはなるべく出来ないことで心に傷を負ってもらいたくなかったから、娘が苦手だとされた不定形タスクなどはなるべく取り除くか事前にわかるように配慮してもらうため努力した。

この過程で夫とは教育方針に行き違いが生じ、結果別れることになったが、娘のためにはそれで良かったと思っている。

とにかく娘には、出来なくてもいい、ということを大切に言い聞かせて来た。

そして、発達障害講演会などにはなるべく顔を出し、ネットでもブログなどで発達障害当事者目線を発信して来た。それは私に言わせれば戦いであった。

そうして発達障害についての理解はここ20年で段違いに深まり、この度、数年前に国会を通った発達障害配慮法が施行されることになったのだ。

この法律の要旨は以下の点にある。

発達障害は誰もが抱えていてもおかしくないグレーな障害であるから仕事に就く際には全ての人にWAIS-IIIを受けさせその特性に合わせたタスクを振るように配慮すること

たったこれだけだ。たったこれだけのあまりにも基本的なことがこの国にはできていなかった。しかし、それもこれまでだ。

それに、これが今年施行されることには大きな意味がある。今年は娘の就活の年なのだ。そう、私の活動は娘が就職するまでに間に合ったのだ。

私はささやかにこの点を誇らしく思っていた。

娘は教育系の短大に通い、保育士になるために勉強をしている。まだ保育園に通っていた頃に大好きだった先生の影響で、ずっと持ち続けていた娘の夢だった。そして前期で無事に保育士試験合格し、これから憂いなく就活に全力で取り組める。それに間に合ったのが、母として嬉しい。

だが、今日は娘の帰りが妙に遅い。何かあったのか心配だ。電話をしようかどうか悩んでいるとき、娘が帰って来た。

娘は、ボロボロに泣いた顔をしていた。

「どうしたの!?

慌てて娘に駆け寄り肩に手をかけたが、その手は娘に振り払われた。

「お母さんのせいだ」

娘は下を向いたままポツリと言った。

「お母さんがあん法案応援してたから、私は保育士になれない!」

娘はそう激昂した。

「どうしたの?何があったの?」

私は娘の言葉がよく理解できず、ただオタオタするしかなかった。

娘はこう言った。

今日保育士就職試験の結果が返って来たの。今年から発達障害テストを受けるってことになってて、私は昔っからそうだって言われてたからたぶんこのテストでも引っかかるんだって思ってた。でもそれは私にできることの配慮のためだか心配ないよってお母さんは言ってたけど、全部嘘だったよ」

「え?」

子供の頃から私には不注意があるって言われてた。それを乗り越えるために色々工夫して来たのに、就職試験でこの結果じゃ子供を預けることはできないから、私にできる仕事はないか不合格だって

「そんな、ひどい差別……」

差別なわけないじゃん!発達障害者の仕事配慮するってことはその配慮責任を負うってことなんだよ!?それが出来ない人は落とされるのは当然でしょ!?

「でも、あなたには出来ないことがあるから仕方ないじゃない!出来ないことを理由にされるなんて!」

「また出来ないって言った!お母さん、そう言われる私の気持ち考えたことある!?

なにか、ひどく頭を殴られたような一言を聞いた気がする。その言葉は私の心にひどく刺さった気がしたけど、私はとりあえずその痛みを無視した。

娘は続ける。

「私、昔っから出来ないことはやらなくていいって言われることが嫌いだった!私は出来ないから出来るようになりたいのに、お母さんに出来ないのは仕方ないからやらなくていいって言われるたびに私の努力無視されるような気持ちになった……。どうしてあんなに出来ない出来ないって言ったの!?

だってあなたの発達にはデコボコがあって苦手なことがはっきりしてて……」

「苦手なことだって出来たかもしれないじゃん!なんで最初から諦めさせたの!?どうして出来ないことはやらせてはならないなんていう変な法律が出来上がっちゃったの!?それで私は夢が本当に叶わなくなった!」

そこまで聞いて、私は娘の話の論点がわかった。だから、出来る限り落ち着いて娘に話をした。

発達障害っていうのは、どうしても苦手なことがある障害なの。そのことがまだはっきりとわかってなくて、苦手なことをやらなくてはならない社会だった昔、お母さんみたいな人たちはみんな傷ついてた。だから、お母さんたちは自分の子供たちにはそんな思いをして欲しくなくて、出来ないことはやらなくてもなんとかなる社会を作りたかったのよ」

「その結果が出来ないことを決めつけてやらせない社会だなんて、冗談にもならない」

娘の声色がひときわ暗くなった。

そして娘は私の方を見もせずに自分の部屋に閉じこもった。

今でも、娘の押し殺した泣き声が部屋から聞こえてくる。

私は、娘が言ったことをよく考えていた。これから私がすべきことは何か、よく考えた。

そして結論は出た。

配慮理由不採用にする企業は間違っている。この法律はそのように運用されるものではないはずだ。

から、また戦わないと。

まずはこのひどい差別のことを、ブログに書こう。

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