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はてなキーワード: 消息とは

2020-08-13

おっさん35歳、派遣社員として一流企業様の下働きをしている、時給2600円

年収に直すと500万を超えるので悪くないレベルまで引き上げられたと自己評価している

なお自分大卒がないのでここの正社員になりたくて転職サイト検索してもでてこない、架空人物作って大卒にしたら出てくるのにな!!!

さて、そんな派遣なのにリモートOKという無茶苦茶ホワイト企業様でのんべんだらりと仕事したら

正社員から「○○さんって知ってます?」とSlackで聞かれた

よく知ってる、小学校の頃の悪友だ、頭が良く学区で一番上の高校にいった

顔がベビーフェイスで女によくもて大学の頃は家庭教師バイトしながらJKつまみ食いし、催事隠し撮りし、俺に写真を見せつけ「やんっ先生制服しわなっちゃうって言われるのまじやば」とか自慢してくるような男だった、いわゆる「強者男性である

今は自分で作った会社を育てて社員が300名くらいになったらしい、今度その会社転職するんすよ−と正社員様は言ってた。

また別の日、違う人から「✗✗さん知ってます?」と聞かれた

よく知っている、また別の悪友である、友だちになったその日、意気投合して遊びに行ったら「あ、財布無いわ、金貸して」と言ってきた猛者である、仕方ないかトイチで貸した、この頃の俺は漫画知識トイチは高利だと思っていたけど3000円程度では大した事はないと知らなかったアホである

技術力がだいぶイカれており、他の学友はどんぐりの背比べだったがそいつだけは特異なレベルだった

今は業界で割と有名らしく論文投稿やら学会やらで世界を飛び回っているらしい

小中高と 延べ400人ほどクラスメイトがいたはずだが、仕事上で名前が聞こえてきたのはこの二人だけだ

やはり学生時代から頭角を表していたやつは、人生ステージが変わって縁が切れていても消息も聞こえてくる

早速正社員様経由でどちらもからリモワ飲みしようぜ!」と誘われた

だが顔を出すのが怖くてまだ返事を先延ばしにしている

あの頃はどんだけ家庭環境技術レベルが違ってもまだ何者にもなってない学生だったが、今の俺は派遣社員で彼らは業界有名人

今会っても話が合う気しない、話が合わないことを思い知るのが怖い

2020-07-25

ジャンププラスで絶賛連載中のコスプレ少女友情漫画の『2.5次元の誘惑』、先週と今週の2話で「連載してた漫画ネットで叩かれて人気低迷し打ち切られてその後消息不明となった漫画家」のエピソードが描かれてるのだけど、作者の橋本悠=ジャンプ本誌で連続打ち切りされてる池沢春人説があるので、より熱く読める。耳か?耳の描き方をチェックすれば本当に作者が同一人物かどうか分かるということか?そういうメッセージなのか?

 

[第50話]2.5次元の誘惑 - 橋本悠 | 少年ジャンプ+

https://shonenjumpplus.com/episode/13933686331683348286

2020-07-22

anond:20200722104931

他業種の人がPython勉強するとして、何割くらいが長年イット業界でやっていける人材になれるんだろうか

よくわからんスクール転職率98%!とか書いてあったりするけど、その後の消息まではわからんからな〜

2020-07-13

フォロワー消息不明になった話

最近ツイッターで見かけないな、と思って、消えたフォロワー関係してた垢をいろいろ漁った。別垢や、よく話してた絵描きフォローフォロワー欄など。別垢は去年から更新が 無く良いね欄も去年の12月ごろまでのツイート最後だったので、ここには戻ってこないんだなと思った。

(もうツイッターには居ないんだけども)消えたフォロワー身分をぼかすため少しだけ。

消えたフォロワー(以下Cさん) 

擬人化界隈のショタコン 成人女絵描き

Cさんは2ヶ月にいっぺんくらいは垢移行していた人だった。名前もよく変わったし、だいたい新しい垢からフォローが来て「垢バレしたので変えました、また仲良くしてください🙏」といった内容を固ツイにしてた。鍵にしてても何故かよく垢バレしてた。

訳あって、Cさんと他数人でグループLINEでも会話してた。下ネタオンパレードグルで、限界集落に住まう者同士が、ツイッターではさすがに流せないようなエロ絵を互いに描いては盛り上がるという永久機関のようなグループだった。私もCさんに絵を描いて、お礼にLINEの何とかっていうサービスコンビニスイーツのタダ券を何度か貰った。ロールケーキとか。

Cさんはとかくエロい絵を目指していたが、絵柄が一般ウケする感じではなかった(私は好きな絵柄だった)。線画の強弱が弱いのと、「そこそこ手を抜いて描く」ができない人だったので、かけた時間の割に完成した絵があんまりパッとしない人だった。ミニキャラ一人の線画に6時間とかかけてたからな・・・。

ツイッターグループ入らない?と言われ、最初グループに呼ばれた時にちょっと怪しい雰囲気がした。自分グループに入る前の会話は見えないけど、誰かの愚痴だか悪口だかを言っていた途中のような流れだった。

Cさんにはもう神と崇めるレベルで好きな絵描きが居て(以下Rさん)、Rさんはフォロワーが4000人近く、Cさんの推しをよく描いていて今も活動している。ちなみにRさんの描くカプはpixivで30件くらいのほぼRさんだけのカプである。他にもそのカプが好きな人は居るんだろうけど見る専だと思う。

愚痴だか悪口は、このグルには居ないRさんの事だった。CさんはRさんとLINEしているが、ツイッターで他の人にリプ返してるのに私のLINEはさっぱり返してくれない、返ってきてもスタンプ。でもRさんもRさんの描く推しも好きで、めちゃくちゃ好きなんだけど私の事はほとんど見てくれない。もう嫌いなのにどうしようもなく好きで離れられなくて辛い。だいたい愚痴は毎度こんな感じだった。百合か。

Cさんは絵をアップしても反応が無いとか、絵柄に需要無いんだとかいろいろ愚痴っては他のメンバーに慰められるという事を繰り返してた。メンヘラっぽかったが、Cさんへのクソデカ感情とか、絵柄とか、割と自分の事を客観視して見ていた人だったなと思う。

そんな情緒不安定なCさんだったが、LINEグルの音沙汰が無くなってだいぶ経った頃、いつにも増して病んだツイートが数日間続いたと思ったら(また垢移行かな?と思った)、垢を消すと言った。推しは好きだけど辛いからこの界隈を離れると。移行先はどこにも貼られてなかった。それからTLに病んだツイートも、Cさんの絵が流れてくることも無くなった。

LINEグループも、CさんのLINEアカウントも消えている。今はもうCさんが生きているかもわからないが、携帯アルバムにCさんに描いて貰った私の推しの小スカ絵が残っている。当時のLINEグループメンバーに聞けばわかるかもしれないけど・・・。

2020-07-05

つの間にかネットからいなくなった有名人

「「うちら」の世界」の女の子っていつの間にかいなくなったな

言論の道に進めば面白いものが出来るのではと思ったものだが消息はまったくわからない

元気にしているといいのだけど

2020-07-03

泣いた都民

東京都霞ヶ関一丁目に、都民が住んでいました。都民は、九州とも東北とも仲良くしたいと考えて、自分の家の前に、

「コロナじゃない都民のうちです。
どなたでもおいでください。
おいしい雷おこしがございます。
佃煮も用意してございます。」
と書いた、立て札を立てました。

 

けれども、国民コロナを疑って、誰一人遊びにきませんでした。
都民は悲しみ、信用してもらえないことをくやしがり、おしまいには腹を立てて、新宿ロフトを引き抜いてしまいました。

そこへ、数多の泡沫候補が訪ねて来ました。
泡沫候補は、わけを聞いて、都民のために立ち上がりました。



泡沫候補選挙にでて小池対立候補になる。そこへ都民選挙に来て、泡沫候補投票する。
そうすれば、国民たちにも、オリンピックがなくなって喜ぶだろう、と言うのでした。

しかし、それでは都民がまたおもしろ選挙しやがったと思われることを危惧し、しぶる都民無視して、泡沫候補たちはおもしろおかし出馬しました。



計画は失敗して、都政は新・小池都知事が預かることになりました。


こうして、都民はいつもとかわらない毎日と、スケジュール通り来年オリンピックを控えることとなりました。

都民はまた負けたのです。

しかし、平穏な日々につれて、気になってくることがありました。
それは、あの日から消息をたったおもしろおかし泡沫候補たちでした。



ある日、都民は、泡沫候補の家を訪ねてみました。

泡沫候補の家は、戸が、かたく、しまっていました。
ふと、気がつくと、戸のわきには、貼り紙がしてありました。


都民くん、小池都知事たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。


もし、ぼくらが東京にいると、君も支持者だと思われるかもしれません。


それで、ぼくたちは、旅に出るけれども、いつまでも都民を忘れません。
さようなら、体を大事にしてください。泡沫候補代表メロリンQ山本太郎。」



都民は、だまって、それを読みました。二度も三度も読みました。戸に手をかけて顔を押し付け、「ごべんね!ごべんね!太郎ちゃん!」と、なみだを流して泣きました。オリンピックは開かれました。

2020-06-24

泣いた都民

東京都霞ヶ関一丁目に、都民が住んでいました。都民は、九州とも東北とも仲良くしたいと考えて、自分の家の前に、

「コロナじゃない都民のうちです。
どなたでもおいでください。
おいしい雷おこしがございます。
佃煮も用意してございます。」
と書いた、立て札を立てました。

 

けれども、国民コロナを疑って、誰一人遊びにきませんでした。
都民は悲しみ、信用してもらえないことをくやしがり、おしまいには腹を立てて、新宿ロフトを引き抜いてしまいました。

そこへ、数多の泡沫候補が訪ねて来ました。
泡沫候補は、わけを聞いて、都民のために立ち上がりました。



泡沫候補選挙にでて小池対立候補になる。そこへ都民選挙に来て、泡沫候補投票する。
そうすれば、国民たちにも、オリンピックがなくなって喜ぶだろう、と言うのでした。

しかし、それでは都民がまたおもしろ選挙しやがったと思われることを危惧し、しぶる都民無視して、泡沫候補たちはおもしろおかし出馬しました。



計画は失敗して、都政は新・小池都知事が預かることになりました。


こうして、都民はいつもとかわらない毎日と、スケジュール通り来年オリンピックを控えることとなりました。

都民はまた負けたのです。

しかし、平穏な日々につれて、気になってくることがありました。
それは、あの日から消息をたったおもしろおかし泡沫候補たちでした。



ある日、都民は、泡沫候補の家を訪ねてみました。

泡沫候補の家は、戸が、かたく、しまっていました。
ふと、気がつくと、戸のわきには、貼り紙がしてありました。


都民くん、小池都知事たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。


もし、ぼくらが東京にいると、君も支持者だと思われるかもしれません。


それで、ぼくたちは、旅に出るけれども、いつまでも都民を忘れません。
さようなら、体を大事にしてください。泡沫候補代表メロリンQ山本太郎。」



都民は、だまって、それを読みました。二度も三度も読みました。戸に手をかけて顔を押し付け、「ごべんね!ごべんね!太郎ちゃん!」と、なみだを流して泣きました。オリンピックは開かれました。

2020-06-20

陰茎記

https://anond.hatelabo.jp/20200620144901

漏精の怒張は陰茎巨大、珍宝の末年、若くして根を虎棒に連ね、ついで自慰に補せられたが、性、豪快、自ら慰むところ頗る多く、我慢汁に甘んじるを潔しとしなかった。いくばくもなく陰茎を扱いた後は、故山、珍湖に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら自慰に耽った。下吏となって長い男根を俗悪な粗陰茎の前に屈するよりは、巨根家としての名を死後百年に遺そうとしたのであるしかし、性名は容易に揚らず、陰茎は日を逐うて小さくなる。怒張は漸く焦躁に駆られて来た。この頃からその肉棒も峭刻となり、肉落ち亀頭秀で、睾丸のみ徒らに丸々として、曾て壮絶に勃起した頃の最強の逸物の俤は、何処に求めようもない。数年の後、貧窮に堪えず、陰茎の衣食のために遂に竿を屈して、再び東へ赴き、一地方根吏の男根をせんずることになった。一方、これは、己の陰茎に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥か巨大に勃起し、彼が昔、粗根として歯牙にもかけなかったその連中の陰茎を拝さねばならぬことが、往年の性豪怒張の海綿体を如何に傷つけたかは、想像に硬くない。陰茎は萎々として勃たず、異常の性癖は愈々抑え難くなった。一年の後、公用で旅に出、精水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或夜半、急に竿色を変えて寝床から起上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま巨根をとび出させて、闇の中へ出した。彼は二度と戻って来なかった。附近山野を捜索しても、何の手掛りもない。その後怒張がどうなったかを知る者は、誰もなかった。

 翌年、珍擦御史、陳々郡の鎮沈という者、男根を奉じて嶺姦に使し、途に精汚の地に宿った。次の朝未だ暗い中に射精しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に巨大陰茎が出る故、旅人は白昼でなければ、通れない。今はまだ朝が早いから、今少し待たれたが宜しいでしょうと。鎮沈は、しかし、供廻りの巨根なのを恃み、駅吏の言葉を斥けて、出発した。淫月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一本の猛竿が叢の中から躍り出た。男根は、あわや鎮沈に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「あぶないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。その声に鎮沈は聞き憶えがあった。驚懼の中にも、彼は咄嗟に思いあたって、肉棒を取り出した。「その陰茎は、我が友、怒張子ではないか?」鎮沈は怒張と同年に巨根の第に登り、精液の少かった怒張にとっては、最も親しい竿友であった。温和な鎮沈の陰茎が、峻峭な怒張男根と衝突しなかったためであろう。

叢の中からは、暫く返事が無かった。喘ぎ声かと思われる微かな音が時々漏れるばかりである。ややあって、低い声が答えた。「如何にも自分は漏精の怒張である」と。鎮沈は自慰を忘れ、馬並みから降りて叢に近づき、懐かしげに久闊を叙した。そして、なぜ叢から出てこないのかと問うた。怒張の声が答えて言う。自分は今や下半身のみとなっている。どうして、おめおめと竿友の前にわびしい姿をさらせようか。かつ股、自分が姿を現せば、必ず君に侮蔑嫌悪の情を勃させるに決っているからだ。しかし、今、図らずも竿友に遇うことを得て、亀頭の念をも忘れる程に懐かしい。どうか、ほんの暫くでいいから、我が短小な今の外径を厭わず、曾て君の竿友怒張であったこ自分と竿を交してくれないだろうか。後で考えれば不思議だったが、その時、鎮沈は、この超自然怪異を、実に素直に受容れて、少しも怪もうとしなかった。彼は馬並みに命じて行列の珍行を停め、自分は叢の傍に勃って、萎えざる声と対談した。都の巨根、巨友の消息、鎮沈が現在の鎮、それに対する怒張の祝鎮。精年時代に親しかったもの同志の、あの中折れのない語調で、それ等が語られた後、鎮沈は、怒張がどうして今の絶頂となるに至ったかを訊ねた。自慰中の声は次のように語った。今から一年程前、自分が旅に出て精水のほとしりに宿った夜のこと、一回してから、ふと眼を覚ますと、戸外で誰かが我が名を呼んでいる。声に応じて外へ出してみると、声は闇の中から擦りに自分を招く。覚えず、自分は声を追うて先走りを出した。無我夢中で駈けて行く中に、何時しか途は山林に入り、しかも、知らぬ間に自分は中心の手で地を掴んで這っていた。何か身体中に力が充ち満ちたような感じで、軽々と岩石を飛び越えて行った。気が付くと、手先や肘の辺りに陰毛を生じているらしい。少し明るくなってから谷川に臨んで姿を映して見ると、既に陰茎となっていた。自分は初め眼を信じなかった。次に、これは淫夢に違いないと考えた。淫夢の中で、これは淫夢だぞと知っているような淫夢を、自分はそれまでに見たことがあったから。どうしても淫夢でないと悟らねばならなかった時、自分射精した。そうして萎えた。全く、どんな物でも勃り得るのだと思うて、深く萎えた。しかし、何故こんな事になったのだろう。分らぬ。全く何事も折れ折れには分からぬ。理由も分らずに押付けられたものを大きくして、理由も分からずに勃てて行くのが、我々生きもののさだめだ。自分は直ぐに扱きを想うた。しごき、その時、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分中の人間は忽ち姿を消した。再び自分中の人間が目を覚ました時、自分自身は兎の愛液に塗れ、辺りには兎の毛が散らばっていた。これが陰茎としての最初経験であった。それ以来今までにどんな野合をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、淫語も操れれば、複雑な性行にも堪え得るし、性書の章句を誦んずることも出来る。その人間の心で、陰茎としての己の淫虐な行のあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も精無く、嫌らしく、逝きどおろしい。しかし、その、人間かえる時間も、日を経るに従って次第に短小になって行く。今までは、どうして陰茎などになったかと怪しんでいたのに、この間ぴゅっと気が付いてみたら、己はどうして以前、人間だったのかと考えていた。これはいやらしいことだ。今少し経てば、己の中の人間の心は、陰茎としての青姦の中にすっかり埋れて消えて了うだろう。ちょうど、古い男の陰茎が次第に穴に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分過去を忘れ果て、一本の陰茎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても竿友と認めることなく、君を掘り喰ろうて何の悔も感じないだろう。一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れてしまい、初めから今の形の棒だったと思い込んでいるのではないか?いや、そんなことはどうでもいい。己の中の人間の精がすっかり出てしまえば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なくいやらしく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、いやらしく、硬く、切なく思っているだろう!己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ珍長になった者でなければ。ところで、そうだ。己がすっかり人間でなくなって了うまえに、一つ頼んで置きたいことがある。鎮沈はじめ一物は、息をのんで、自慰中の声の語る不思議に聞入っていた。声は続けて言う。他でもない。自分は元来巨根として名を成す積りでいた。しかも、業未だ抜かざるに、この運命に勃ち至った。曾て作るところの男根数百本、硬より、まだ世に行われておらぬ。逝こうの所在悶々早判らなくなっていよう。ところで、その中、今もなお射精せるものが数十ある。これを我が為に伝録して戴きたいのだ。何も、これによって一人前の巨根人面をしたいのではない。棒の大小は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも睾丸に伝えないでは、ちんでもちにきれないのだ。鎮沈は股下に命じ、筆を執って自慰中の声に随って掻き取らせた。怒張の声は叢の中から淫々と響いた。長短凡そ三十本、豪快高雅、淫汁逸物、一見して搾精の才の非凡を思わせるものばかりであるしかし、鎮沈は吐精しながらも漠然と次のように感じていた。成程、搾精の素質が第一流に俗するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於いて)萎えるところがあるのではないか、と。精液を吐き終った怒張の声は、突然調子を変え、自らを慰めるか如くに言った。羞しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己は、己の珍集が超淫蕩精子の机の上に置かれている様を、淫夢に見ることがあるのだ。蒟蒻の中に横たわって見る夢にだよ。嗤ってくれ。巨根家になりそこなって陰茎になった哀れな男を。(鎮沈は昔の精年怒張自慰癖を思い出しながら、哀しこしこ聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐を即席の陰茎に伸べてみようか。この陰茎の中に、まだ、曾ての怒張が生きているしるしに。鎮沈は又股下に命じてこれを掻き取らせた。その棒に言う。

 偶因萎疾成殊類 精根相仍不可逃

 今日早漏誰敢敵 当時声棒共相高

 我為異物陰毛下 君已乗馬気勢豪

 此夕淫山対性月 不成長大但成姦

時に、淫月、光冷やかに、白濁は地に滋く、珍間を渡る冷風は已に暁の近きを告げていた。

やや月刊ブクマカウォッチングニュース2020年6月増刊号

前号 anond:20200615145904


時系列こちらで把握し次第なので何を今更ってのは勘弁してつかあさい

ブクマカ引退情報はてな脱村もしくは404にて発見情報は随時募集中です。



① b:Id:pratto さん、危うく禁句を言いかけて思いとどまるファインプレー披露

ブクマするあらゆるエントリに「中世ジャップランド」「企業不祥事」「嘘大げさまぎらわし」という謎のタグと「な?ジャップノータリンだろ?」というブコメ定型句だったb:Id:pratto さんが、先日某方面から怒られたらしく今までのブクマを全削除したのは上記前号で既報の通り。

その後、普通銭湯大好きブクマおじさんに戻ったかと思われたが、危うくその禁句を言いかけて踏みとどまるというファインプレー披露した。


https://b.hatena.ne.jp/entry/4687210941542572226/comment/pratto

麻生、二階、森元が死んだら、中世ジャッ…日本は変わるかな。早く死なないかなあ。


なお、実に際どいプレーかつスターを稼ぎやす与党政治家悪口にもかかわらず、残念ながらついたスターは三つだけと寂しい結果となった。

ちなみに、現在でも他ブクマカジャップランドという言葉普通使用している為、b:id:pratto さんの必殺定型句である「な?ジャップノータリンだろ?」というフレーズノータリン部分が怒られた可能性が高いのではないかと識者は指摘している。


② b:id:scopedog さん、はてなブックマークを引退する


「誰かの妄想はてな版」というはてな村においてある側面で確固たる地位を築いている id:scopedog さんのはてなブックマークが全て削除されている事が関係者の調べでわかった。

セルクマ」とのブコメと共に更新されるブログブクマページには「scopedogってボトムズの機体名で紛らわしいかidオチンチンdogに変えろ」とブコメされるほど、一部好事家ブクマカたちから熱い視線が注がれていた。

彼のはてなブログはまだ更新が続いており、はてな村を去った訳ではないが、その消されたブコメ群を惜しむ声がはてな村各界から上がっている。


③ b:Id:standup_1973 さん、はてな界隈を脱村する

キュアサンシャインサムネでおなじみ、はてな村の左の方々といつも天高くメタブタワーを築いていた Id:standup_1973 さんが脱村していた事が関係者の調べでわかった。

それ以前からプライベートモードになっており、ブクマカスターを配給していたという情報もあるが、この度はてなアカウントのものが消されていたとの事。

界隈では「あまりメタブタワーを高く築き過ぎて神の怒りを買ったのではないか」との噂があるが、現在裏付けはとれていない。

なお、Twitterプライベートモードのままである


④ はてブ百物語b:Id:avictor さん、突然サムネイルが黒川検事長顔写真になるという怪現象に見舞われる


はてなブックマーク百物語と思われる現象が発生した。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4686980087429703746/comment/avictor

6月11日、21時18分。この記事否定的ブコメをつけた直後、アイコンが突然勝手黒川検事長写真に変わった。何これ?

https://b.hatena.ne.jp/entry/4687273196064410082/comment/avictor

0618またデフォルトアイコンに戻った。



いったい、何があったというのか?まだこの謎は解明されていない。

次は、あなたサムネが、黒川検事長になるかもしれない………。

⑤ 令和のスターレンダー・ b:id:speed_star_99 さん、スターを連打しすぎて通報される

自らのブコメほとんど残さず、他ブクマカスターを連打しまくる「平成スターレンダー」 b:id:kiya2015 さん亡き後、 b:id:speed_star_99 さんがそのid名の通り、新世代のスターレンダーとして名乗りを挙げた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4686247620007398786/comment/HIMOTE_no_MATSURO

https://b.hatena.ne.jp/entry/4684305890856453826/comment/sds-page

https://b.hatena.ne.jp/entry/4685031173353802818/comment/take-it

他多数。URLスパム判定されるので除外。

まりにも連打しすぎて id:take-it さんに通報されるという憂き目にも遭うが、そんな通報ときスター連打は止まらない。また、運営も止める訳がない。連打できる仕様が悪い。

今日も何処かで、スターレンダー。


⑥ b:Id:hurehure さん、b:id:finalvent さんをチンカス呼びして無事404送りにされる

サムネトランプ大統領ブコメほとんどが罵倒だった id:hurehure さんが、強制プレイベートの後にブコメ修正せずに無事404送りとなった。

その直接の原因は、b:id:finalvent さんの「極東ブログ」における以下のエントリで「チンカス個人ブログがなにほざいてる」(要旨)と適当すぎる罵倒ではないかと推測されている。

https://b.hatena.ne.jp/entry/finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2020/06/post-9bb9d2.html

次はどんなidサムネで転生をするのか、関係者からの期待は高い。


⑦ b:Id:aikoku_senshi さん、殺人事件被害者人権蹂躙しつつスター獲得数トップに躍り出る

Id:lacucaracha さんのブログゆとりずむ」の2020年5月はてブスター獲得数ランキングによると、獲得数2位に初登場の b:Id:aikoku_senshi さんがランクインした。

https://www.yutorism.jp/entry/HatenaStarRanking202005

既にいろいろな方のブコメ増田で何度も指摘されているように、 b:Id:aikoku_senshi さんのサムネ画像は元農水事務次官殺害された被害者熊沢英一郎さんの顔写真であり、政治社会カテゴリで極めてはてブ受けしそうなブコメや、初期にスターをつけてるidマルチポストスターの付け合いなどで似たような傾向がある為、id名も含めて大掛かりな釣りなのではないかとの見方が一部でされている。

b:id:HAN_NICHI

b:id:JiminTou_NetSupporters

b:id:mentalost

b:id:net_penis

b:id:HIMOTE_no_MATSURO

b:id:kourei_DouTei

他にもまだそれっぽいのはいくつか散見されるが省略。

なお、スター獲得数1位の b:id:Tucana さんは現在既にはてなから去っており、b:Id:aikoku_senshi さんが5月に最もスターを集めたスターブクマカという事になった。

集計したb:Id:lacucaracha さんも、「うーん...id:Aikoku_Senshiさんが気になるなあ。」と、納得の微妙コメントを残す事となった。

b:id:Tucana さんは確か4月はてブが新型コロナニュースで埋め尽くされた時にそろそろはてなやめるかなとブコメしてたので、遂に去ったか…と感慨深い)


その他ダイジェスト見出しだけ。

b:id:Tucana さん、はてなから去る

b:Id:fubar さん、身を隠す

b:id:zyzy さん、圧倒的zyzy力でzyzy界の絶対王者として君臨を続ける

b:id:yoh596 さん、レッドスターブコメに6連打と大盤振る舞いするもリストでは1つで表示されてしま

b:Id:kasubatashi さん、ブコメで新型コロナでジジババは死ね連呼したあと5月末をもって消息不明になる


ネタを探すと週刊でも行けそうなところが怖い。

2020-06-18

転生したらコロナ禍の時代まで民主党政権が続いていた件

・「中国政府ちゃん対処している」とシナの代弁ばかりするR4

・「中国人排除するな」と喚き続ける陳

・「人から人への感染はない。直ちに影響はない」と言い張る耳たぶデブ

・「コロナウイルスをつけちゃうぞー」と記者揶揄って大臣辞職する鉢呂

・「中国政府が隠ぺいしていると書いたらその社は終わりだ」と恫喝するドラゴン

ドラッグストアマスクを買いだめに走り「俺を誰だと思っている」と行列に横入りする松ジャギ

・「これは俺が歴史に名を遺すチャンスだ」と喜ぶが実際には何もせず「俺に決めさせるな」と怒鳴り散らすアレ

・だから早く○せばよかったのにと言い放つ衆議院副議長

自分が手配した分を全部盗られて茫然とする野党森まさこ議員

ペットボトルミネラルウォーターで沸かした風呂に入る消息不明主席

病院に完全装備()で見舞いに行くEDN

・「なにぶんはじめてのコロナじゃったもので」と弁明する眉毛

病院の無菌室を専有する主席

・「ワクチンプールに貯めて」と宣うガソプー

・市中のドラッグストアを視察してカメラの前で山積みのマスクを手に取るしかめっ面のR4

・市中のドラッグストアを視察して紙おむつを被ってみせるアレ

ボランティアで全国から寄せられたマスクを手前の息のかかった組織に仕切らせるバイ

国内がこの有様にもかかわらず、悠々とアロマのうんちくを傾けるキクタ

・周りがマスク白衣といういでたちの中、宇宙飛行士と見間違えるような重装備のEDN

・「マスク値下げ隊」を結成、隊長川内博史マスコットガール太田和美

・ラ党に責任をおっ被せようとラ党総裁電話をしたが、結局ガチャ切りするアレ

・「全市民対象最後の一人までウィルス検査実施する」と箱妻氏

2020-06-15

日本報復にも耐えられる」韓国与党、年内日本企業資産現金化論(1)

https://japanese.joins.com/JArticle/267019?sectcode=A10&servcode=A00

最近裁判所強制徴用被告企業国内資産売却手続きに入ることで韓国政府の中では「今年中に日本企業資産現金化が避けられず、日本の2次報復措置に備える必要がある」という雰囲気が強まっていると複数消息筋が14日、明らかにした。

まだ外交部公式立場は「現金化する前に最大限日本政府解決方法を探りたい」というが、青瓦台など与党核心部では「現金化以降」に備える必要があるという声がますます高まっている。このままなら結局「現金化→日本の2次報復措置韓国の追加措置」に続き、1965年韓日国交正常化以来55年ぶりに両国関係が最悪の状況を迎える兆しも見せている。

与党の内部事情に詳しいある消息筋はこの日、中央日報に「裁判所が年内日本製鉄の韓国資産強制売却することに対して青瓦台内でもこれを既成事実として受け止めている雰囲気」として「これに伴い、日本の2次報復に備える動きがある」と明らかにした。

また「昨年から現金化以降の)日本の予想される各種経済報復措置検討した結果、日本が使えそうなカードが多くなくその衝撃による波も思ったより大きくないという判断作用している」と伝えた。

政府のこのような判断の背景には昨年日本の「輸出規制」に対する“予防注射”の効果が働いているという。経済産業省が昨年7月1日付で韓国の主力輸出品目である半導体素材・部品の3品目を対象規制したが、体感打撃がそれほど大きくなかったという結論を下したということだ。

消息筋によると、青瓦台経済首席室の主導で産業通商資源部外交部はあの時から日本の各種報復シナリオ検討してきた。

これを受け、他の消息筋は「日本が取られる措置が多くないというのが現在政府判断」とし「1次輸出規制の時のように現金化による追加的な報復も耐えられるという雰囲気がある」と伝えた。

これに先立ち、大邱(テグ)地裁浦項(ポハン)支院は1日、強制徴用被告企業日本製鉄」が韓国保有した「PNR」の株式などを差し押さえるという書類公示送達した。8月初め、日本側が書類を受けたと見なして資産処分手続きに着手することになる。実際、現金化までは差し押さえ資産に対する鑑定評価など多数の段階を経る必要があるが、8月初め以降にはいつでも現金化が可能だ。

同時に、3日産通商資源部は日本の輸出規制問題世界貿易機関WTO)への提訴手続きを再開した。このような一連の措置日本の2次報復措置に「耐えられる」という与党核心部の判断にともなう実行措置という観測も出ている。

2020-06-14

野宿女と人生初のラブホに行った話

わたしは当時26歳で彼女いない歴イコール年齢の売れない芸人であった。

わたしは性行為というものに強く興味を持ちながらもAV特に女性乳房乳房もつれ合いながら重なり合う

キャットファイトを観賞しながら

陰部を布団に擦りつける

いわゆる床オナと呼ばれる行為を日に

三回はしながら日々を悶々と過ごしていた。

わたしは、この状況を打開しようと

同期芸人に教えてもらったマッチングアプリを始めた。

芸人という身分を明かしてはじめたところ、数多くの女性マッチングをし

合わせて20人の女性ご飯に行くことができた。しかし、どの女性とも対面後は

長く続かず性行為はできず終いであった。

焦っていたわたしだったが野宿をしているという女性マッチングをした。

詳細はわからないがお金がなくて

食べるものにも困っているという。

わたしご飯を奢るという名目彼女

会い、あわよくば泊まるところがないのを利用しホテルに連れ込めるのではないかと思いついた。わたしはすぐに彼女上野でのご飯に誘った。

彼女は快諾してくれた。

わたしアポ当日とある番組オーディションだったのだが、なんと合格した。

これは凄まじく幸先がよいと思いながら意気揚々と待ち合わせ場所

上野不忍口前に向かった。

彼女と初めて会ったときマスク姿であった。一体どんな美しい顔がその下に

隠れているのだろうと内心わくわくしながら、一緒に行きつけの肉バルへと向かっていった。

席につくと、

彼女はそのマスクをすっと外した。

正直全くタイプではなかった。

世間的にもお世辞にも美人とは言えないだろう。

ともかく彼女の話を聞いてみることにした。

彼女20歳のとき北海道実家から

家出をし、まず沖縄に向かったというそしてなんやかんやあり、

シンガーソングライターになるという夢を叶えるため、一万円だけを握りしめ無謀にも上京をしたのだという。

彼女ルックスではどう考えても

シンガーソングライター成功するのは難しい。

当然、まともな人間らしい生活はできるわけもなく、

夏は野草を食して公園野宿をして過ごし、寒くなるとドンキホーテ女子トイレで一夜を過ごすこともあるという。

そして、現在は同じくマッチングアプリ出会った男性の住所を借りて

バイト先を探しているらしい。

日本の知られざる闇を垣間見た気がした。

私は彼女の現状に戦慄しながら食事を終え肉バルを後にした。

わたし彼女と歩きながら内心ドキドキしてホテルへ誘う機会を伺っていた。

とりあえず話たいことがあると彼女に打ち明け、人目につかない上野の地下連絡通路に入った。

わたしは震えた声でホテルに一緒に泊まらいかと誘った。

彼女はびっくりした様子であったが

『これから実は、池袋ロッカーにある私物を取りに行かなきゃならないんですぅぅ。だからすみません。』

なんと彼女長期間池袋ロッカー

手持ち以外の全ての私物を預けており、保管期限超過で明日にも撤去されてしまうのだという。

わたしは一瞬ひるんだが千載一遇

チャンスを逃すまいと実は童貞であること、そのコンプレックス彼女に熱く語った。

すると彼女は、

『そんなこと言われたら断れないじゃないですかぁぁ。』

言葉を口にした。

ついに!ついに!ついに!ついに!

長年待ち望んだ時が来たのだ!!

私は早速彼女をつれ事前に同期芸人に勧められたホテルSWEETSに向かった。

彼女はわりとホテルを使った経験があるらしく、わたしエスコートしてくれた。そして生まれ初めてホテルの一室に入ることができた。

しか彼女は部屋の地べたに座りこむと言った。

すみません。やっぱり本番はムリですぅぅ。すみません。』

わたしは確実だと思っていた童貞卒業

危うくなり非常に動揺した。

冗談ではない!わたし童貞

卒業するためにこの場に!上野に!

ホテルSWEETSにいるのだ!私は己を奮い立たせ先ほどより語気強めに言葉を放った!!

『お願いします!!挿れさせてください!!』

と怒涛の勢いで土下座をした。

その熱烈な思いに反し彼女

『やぱり本番はムリですぅぅ。

手とか他なら全然するんで許してくださいぃ。』と彼女土下座し強固なる意思で挿入を拒否するのであった。

わたしは負けてなるものかと土下座をしさら懇願したが、彼女も負けじと土下座をして拒否してくる。

なんだこの女!!わたし最大級の焦りを感じながら土下座を続けた。

しかし向こうも一向に引き下がろうとしない。そんなやり取りを続けている中、

ふと目にした時計をみるとホテルに入ってから1時間近く経過していた。

まずい!このままだとなにもせずに

夜が明けてしまう!!焦ったわたし

とりあえずシャワー彼女に勧めた。

彼女土下座体制を立て直し、

承諾した。わたしエッチをしながらなんとか挿入に持ち込もうと作戦を変更したのだ。

『お兄さんイケメンですねぇぇ。』

風呂から上がった彼女唐突に私の容姿を誉めはじめた。

これから行為をする自分を納得させようと彼女自身自己暗示をかけているように感じた。

そして風呂から上がったわたしは早速彼女とベッドインした。

『このキモチ悪い顔みられるの恥ずかしいから暗くしてもいいですか?』

わたしは顔はこの際、

別にどうでもよいため快諾した。

暗がりの中で、

彼女上半身からその乳房をあらわにした。はじめてみる他人女性乳房わたしはひどく興奮した。

しか彼女パンツを穿いたままだ。

ともはれ、わたし彼女乳房を26年分舐めまわした。彼女は声をあげていた。鎖骨あたりを舐めまわそうとしたところ、

『そこは弱いからいやああ』と

しおらしい声をあげていた。

その声でわたしの興奮は最高潮に達し彼女を強く抱きしめた。

彼女はまたしおらしい声で

『すごい興奮しているのがわかりますうう』と教えてくれた。

彼女はその後パンツを脱がしてくれた。

しか彼女わたしの一勿をみて不思議そうな顔した。

『男の人てその最初ときてみんな

皮をかぶってるんですかぁ。』

わたし言葉を濁しながら

人によると彼女に教えてあげた。

引き続き抱きつきとナメナメを繰り返していたのだが、彼女から急に、

『もう眠いですうう』と申し出があった。たしかにもう時刻は深夜3時を過ぎていた。そう言われたわたしは確かに自分オーディションなどで疲れがたまっていたためその申し出を受け入れてしまった。

わたしたちはそのまま眠りについた。

まり結局わたし童貞卒業すことができなかった。

わたしたちは朝になるとホテル

出発した。

挿入はできなかったがいろいろして

もらったお礼に池袋ロッカーを開けるための二千円を渡した。

そして彼女最後日比谷線の改札まで

私を見送り足早に池袋に向かい去っていった。

本来目的は果たせなかったがどこか清々しい気持ち電車に揺られながら私は帰っていった。

後日、彼女とのラインを開いたところUNKNOWNは退出しました。

との表示があった。

彼女消息は知るよしはなくなってしまった。

バイト面接に無事合格し夢に向かっていまも東京でがんばっているのか。

それとも夢を諦め故郷北海道に帰っていたのか。もしくは。

なにはともはれ、彼女のぬくもりをもう感じることはできないのだ。

私は真夏の昼時に滝のような汗を流し陰部を床に激しく擦り付けながら彼女の身を案じるのであった。

2020-06-10

anond:20200610083219

消息筋」から、彼ら彼女らが変異人工ウイルスの封じ込めに失敗した人為的災害だ!ってゆう、「確たる証拠」を聴かされてるんでしょ。

2020-05-01

金正恩🚀死去

金正恩氏死亡”と韓国メディア各社、脱北者発言を元に報じる

朝鮮日報聯合ニュースなど韓国メディア各社は、北朝鮮金正恩党委員長が「先週末に死亡した」との情報を相次いで報じました。

 先月の総選挙当選した脱北者のチ・ソンホ氏が述べたもので、チ氏はJNNの取材にも情報源は「北朝鮮消息筋だ」と説明。金党委員長が「99%死亡(遺骨1%脂肪99%)していて、後継者問題で複雑な状況となっているようだ」と主張し、今週末にも北朝鮮正式に死亡を発表する可能性があるとしています。一方で、韓国政府は「特異な動向はない」との慎重な見方を崩していません。(01日17:21)

https://www.mbs.jp/news/zenkokunews/20200501/3969190.shtml

COVID-19の影響のため、棺桶ダンスはないと思われます

自由朝鮮ニダ🗽

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

2020-02-23

[]anond:20200223192328

一方、兵庫之助の死体を背負った浮舟は、同じく遊女をしている妹の浮橋のもとに身を寄せた。

浮橋にも愛人の薮中茨之助というものがおり、彼の世話で家を借りてそこで暮らしていた。

ある日、浮舟の夢のなかに不思議な老人が現れ、「白鰻を食べさせれば兵庫之助は治癒する」と言った。

そこで茨之助が白鰻を探していると、川岸百姓たちが集まって騒いでいる。

話を聞けば、白鰻が取れたので売れば十両になるが、他の百姓らは白鰻は神様から逃がせと言うので争いになっているという。

しからばと茨之助は、集まった百姓には一両、白鰻をとった百姓には五両を渡し、半ば奪い取るように白鰻を持って帰った。

それを兵庫之助に食べさせると、すぐさま悪血を吐いて目を覚まし、ひと月もすればすっかり回復してしまった。

兵庫之助は、浮舟を茨之助に任せ、鹿之助を探すために中御門宗教をたずねて京へ上った。

宗教卿へと面会する前に身だしなみを整えねばと床屋へ入ったところ、なんとその床屋は秋宅庵之助であった。

再会を喜んでいる二人のもとへやってきた虚無僧は、何を隠そう高橋渡之助である

この二人は上月城を退去したあと、九郎左衛門暗殺しようと付け狙っていたが失敗し、京まで逃げてきたのだった。

また宗教卿と面会し、皐月早苗之助と会ったことで、鹿之助や古猪之助の消息も知り、兵庫助は大いに喜んだのだった。

さて尼子勝久も、そのころ義輝公の草履取りが鹿之助であることに気付き、

義輝公にそのことを話すと、義輝公・松永弾正はともに驚き、早速、鹿之助を呼び寄せた。

鹿之助は「松永弾正から将軍尼子再興の奏上をしてもらおうと仕えていたのだ」と述べ、涙ながらに尼子再興を訴えた。

松永弾正は感心して、あらんかぎりの軍兵をもって助力しようと約束し、義輝公も松永弾正に勝久の補佐を頼んだのであった。

そこで鹿之助は、兵庫之助に「浮船は京に呼び寄せたほうがいいだろう」と言ったので、

兵庫之助は、茨之助のもとに向かい、浮舟・浮橋を京へと送り、茨之助とともに再び鹿之助と合流した。

ここに尼子勝久山中鹿之助のもと、横道兵庫助や大谷古猪之助らも集い、

松永弾正の三千の兵は陸路から、鹿之助たちは将軍から借りた三千の兵を率いて海路から富田城を目指して出発したのである

ところが、御座船の錨が不思議と重くて持ち上がらないというので困っていたところ、

南蛮鉄の徳蔵」という大力無双の者が一人で引き上げてしまった。

なんという大力無双かと勝久や鹿之助が驚いていたところ、

そこに近づいてきた一艘の小舟から、男がひとり船に乗り込んできた。

怪しい奴とばかり徳蔵が、引き上げたばかりの錨を振り回すと、向こうの男もその錨を掴む。

互いに錨を引っ張り合うも、双方負けず劣らずで決着がつかない。

鹿之助が男の顔をよく見ると、まさしく海に身投げしたはずの早川鮎之助であった。

鮎之助は淡路の岩屋に流れ着き、そこで世話をされて回復したので漁師をしていたところ、

鹿之助の挙兵を聞いて駆けつけてきたということだった。

また鹿之助が、徳蔵の素性を聞いたところ、父は大友家に仕えていた武士だったが、その父が死んだあと浪人していたが、

海賊を退治したことで褒美として船を貰い、それで商売をしていて、このたび尼子の御座船となった次第と言う。

それならばと鹿之助は彼を召し抱え、「荒波錨之助」という名を与えたのだった。

2020-02-18

アンパンマンバイキンマン裏金を渡している可能性を調査していた記者消息を絶ち30日が経過しましたので公開捜査に切り替えます

最後に目撃されたのは2020年1月30日カバオくん宅の井戸の近くです

情報を求めます

2020-02-15

研究者を志して、諦めた俺と諦めなかった人の10年後の現在

俺、地帝→東大院(生物学専攻)

10年前、研究者を志し研究に励んでいた。しかし当時たまたま知り合った先輩(玉木浩貴、自称国立印刷局研究候補)が「博士課程にメリットはなく、正規研究者アカポス)になれない」などと博士課程を卑下した発言を何度も繰り返しており、だんだんと感化されるようになった。結局それなりの研究実績はあったものの、大学院を去り、就職した。

一方で、研究楽しいとそのまま大学院研究を続けた周囲の学生ポスドク人達がいた。

当時は自分選択は最良と思っていた。周りのように、今が楽しいからと厳しい現実を逃避し、なれもしないアカポスに憧れるのは哀れだと思っていた。

そしてそれから10年が経過。現在の状況は次の通り。

大学院研究を続けた周囲の学生ポスドクの今(大学大学院所属研究室で自分より±3学年)>

東北大学 教授

東北大学 准教授

東北大学 講師

東北大学 助教

東京大学 講師

東京工業大学 講師

法政大学 教授

自治医科大学 講師

名古屋大学 講師

名古屋大学 助教(2名)

京都大学 助教

神戸大学 教授

<俺の今>

・某県庁 係長多忙のため体調を崩し退職

<先輩の今>

消息不明(都合が悪くなり無責任に逃亡?)

これらはあくまで俺が大学大学院所属した研究室のみの状況。他の研究室や学会で知り合った人を入れればもっと多くなる。

先輩の当時の論調では、大学院に残った人はその後落ちぶれてゆくということになるが、現実はそんなことはなかったのだ。

かに、俺が大学院を去って最初の数年間は周囲はパーマネント職には就けず、惨めなものであった。しかし、5年経った頃(つまり5年前)にはアカポスをゲットする人が急に増えた。大御所だった教授達が大量に定年を迎え、ポストが一気に空いたからだ。

現在、俺と周囲の人ではどっちが良かったかどっちが上かは一目瞭然。その中には10年前俺よりも研究実績がなかった人も少なくない。先輩の言うことを信じて大学院を去ったことを非常に後悔している。

これから研究を志す者へ言っておこう。

「大切なのは邪念に惑わされないこと。諦めたら負けだ。」

2020-02-07

昨年は韓日了解したとしていたが…韓国外交部長官「輸出規制、我々の望み通りに進まなかった」

https://s.japanese.joins.com/JArticle/262293?sectcode=A10&servcode=A00

韓国の康京和(カン・ギョンファ)外交部長官が6日、韓日軍事情報包括保護協定(GSOMIA)終了猶予決定の後続措置として、日本政府が輸出規制撤回を前提に話し合いをすることにしたことに関連し、「我々の望んでいた(昨年)7月1日以前の状況に戻ったわけでは断じてない」と明らかにした。

長官はこの日、内信記者会見で「昨年11月末、韓国側が日本側と了解事項として講じた(終了猶予措置暫定的措置」とし「我々はいつでも終了効果を再稼働でき、基本的韓国国益に基づいて行使する」と説明した。

韓国政府は昨年8月、GSOMIA終了を宣言し、11月これを翻意する「猶予宣言」をしながら「日本事前協議を通じて輸出規制措置解決寄与する方向で両国間の対話を再開することにした。日本ホワイトリスト安保友好国名簿)復元を含めた」と発表した。しかし、3カ月が経過した現在韓国側が望む方向に状況が向かっていないことを康長官が認めたのだ。

長官は「韓国側が(日本側と)了解事項を発表した時の基本目的(輸出規制撤回)をしっかりと再確認しながら、輸出当局は輸出当局方針に、外交当局外交当局方針に従って協議を続けていく」と付け加えた。

11月のGSOMIA終了猶予発表当時、青瓦台(チョンワデ、大統領府)高位級関係者は「韓日合意した『懸案の解決寄与できる方案で対話』の意味は、輸出規制復元を前提としている」と強調した。続いて「これについては韓日間が了解した」とも述べた。しかし、その後日本メディアから政府関係者伝言として「日本は何も譲歩しなかった」「輸出規制対話に応じない」という報道が出てくるなど、全く違う解釈が出てきて問題となった。

強制徴用企業国内資産現金化も「足下の火」

これに関連し、6日、外交部では金丁漢(キム・ジョンファンアジア太平洋局長日本外務省の滝崎成樹・アジア大洋州局長韓日局長協議を開催した。

韓日は昨年12月に文在寅ムン・ジェイン大統領安倍晋三首相が13カ月ぶりの首脳会談を開催してひとまず最悪の状況は切り抜けたが、依然として平行線を走っている。韓国は輸出規制解除を、日本強制徴用問題解決をそれぞれ要求している。

両国間の交渉内容に精通した外交消息筋によると、この日の局長協議の主な議題の一つには、被告企業韓国資産現金化関連の事項が含まれたという。現時点で韓日関係の「レッドライン」は裁判所押収された日本企業資産強制売却決定だ。

長官はこの日の記者会見で「現金化時点が結局はカギになるだろうが、政府としては司法手続きの一部門に介入する等の時点を予断することはできない状況」と答えた。あわせて「現金化されるというなら、それ以前の交渉戦略と以後の交渉戦略に違いがあるべきだと考える」と話した。

現在日本製鉄など日本企業3社の資産大邱(テグ)地方裁判所浦項(ポハン)支院、大田(テジョン)地方裁判所蔚山(ウルサン地方裁判所の3カ所に押収されて現金手続きが進んでいる。各裁判所日本にある本社現金手続きに対する意見を聞く尋問書を発送したが、日本政府がこの文書企業に伝達しないため、裁判は長期空転状態となっている。

日本は春までには韓国ホワイト国に復帰させる(キリッ

2020-02-05

絵が上手い

2020-01-26

優秀さを受け止められなかった友人

優秀な友がいた。大学クラス出会った。

受験勉強が出来るのはもちろん、読書の幅も広かったり、本筋からズレていく学生ありがちな議論を冷静に指摘したり、飲み会の席ではうまくボケ役になって盛り上げたり。

ただ、こちらは高校までと違って自由大学生活をそれなりにエンジョイすることしか考えてなかったのに、そんな生活違和感を持っているようだった。

2年生の頃、大学を休学して留学するつもりだと聞いた。偉いな、頑張れよと送り出したと思う。

しばらくして帰国した際、外国人恋人を連れていた。こちらは相変わらずの大学生活恋愛も出来ず悶々としていたのに、海外生活経験した姿は輝いて見え、少し妬ましい気もした。

こちらが卒業を前にした頃、学年が下になった友は難しい資格試験ダブルスクールをしていると言っていた。

そんなに留学もして資格も取って、将来何をしたいのか尋ねると、少し照れたように、

「笑われそうだけど、社会貢献がしたい」

と答えた。

別に笑いはせず、さすが大きな問題意識があるんだな、と思い話題になっていた国際NGOなんかの話をした。

その後就職して環境も変わり、連絡は途絶えがちになった。

しばらくして消息を聞いた。死んだと言う。

順調に資格試験にも合格し、あとは卒業するだけだった。

理由は分からない。

ただ、何となく思う。

自分の優秀さを受け止められなかったのでは、と。

試験にも合格し、仕事をこなし、周囲とも上手く付き合い、更に人生ステージを上がっていったことだろう。

しかし、上がるばかりのステージを予期した心は既に疲れていた。

社会貢献がしたい」

と言って照れていたのも、「社会貢献が夢」としか言えない自分に苦笑していたのではないか

自分と同じように、シワと白髪が増えた顔。1020年会っていなくても、昔の友人の今の姿はなんとなく想像できる。

でも、優秀だった友人の「今の姿」は上手く目に浮かばない。

一度だけ恋人に会った時、友が手洗いに行った際に、付き合っているとどんな人間か聞いてみると、子供っぽいところがあると答えた。同感だね、と笑ったことを覚えている。

いつまでも友人は歳をとらない。

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