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はてなキーワード: まれとは

2024-03-19

アイドルファン印象一覧

イベント会場近くの店の一店員による一意見である民度高めなほうから書いておく。

ももクロハロプロ

おっさんが多く、店員への暴言も少ない。わからないことは事前に自分で調べてくれる人が多い。ごくまれに話の通じない(一方的自分の話をする)タイプの人がいる。

AKB坂道

若い男性がメイン層。女性ファン結構いる。比較的うるさいが注意すれば静かになる。カップル学生サークルみたいな男女混合グループ結構いる。男女共に見た目整っている人の割合が高い印象。

KPOP系

10〜30代くらいまでの若い女性が多い。服装や爪までアイドルのような綺麗な見た目の人が多い印象。店のトイレに閉じこもり、スマホの充電やヘアメイクをするなどのイカれた行動をする人が若干存在する。

声優アイドル

若者からおじいさんまで男性が多い。アニメキャラTシャツコスプレなど、やや奇抜な格好の人率が高い。ネット予約の際の印象は一番いい。酒が入ると一番うるさく、閉店ギリギリまで退店しない人が多い。

ジャニ

KPOP系に比べると若者が少ない。特に40代以上の女性は圧倒的にマナーが悪い。物を調べる能力のある人が少なく、電話での問い合わせが多い。ネット予約しかできないのに電話をかけてきて「態度が悪いか電話予約を受け付けろ」クーポン有効期限切れを指摘すれば「わかりにくいか謝罪しろ個別会計をご遠慮頂いてます文字が読めずにレジ前で財布を広げて井戸端会議勝手テーブルをくっつけて席を占領したり、後から来た人は注文をしないままだったり。席の使い方も汚い。うちわやグッズを身に着けて◯◯のファンということがわかる状態でよくそんな行動とれるなと思う。SNSとかやってないんだろうな。

anond:20240319185339

画像検索したらわかった

ガムみたいに紙で包まれてる?のしか知らなかった

anond:20240319185259

あー何となくわかった

ガムみたいに紙に包まれてるやつしか知らなかったわ

うーんけど中は外よりも致命的に何も良さがないんだよな……

外でいけなくても中でいくこともできるのか、、?

自分好きな音楽を奏でると、なぜか心も「心地よいリズムに包まれるな」と安らぎます

anond:20240319182026

何言ってんの?

いかい?

人類祖先を辿っていくと猿だよ

その猿からみんな生まれてきたんだから

みんな他人じゃないんだよ

わかった?

まれからDNA鑑定しても意味なくない?

万が一他人の子だったら終わるだけだし

まれる前にわからないと意味ない。

腹を裂いて確かめしかないけど腹を裂いたら赤ちゃん死んじゃうんだよな

これってシュレディンガーの猫みたいだよね

もう現実人間関係は最低限の最低限でいい。

カワイイ萌え絵に囲まれ死にたい

そんな同じ事考えてる増田多いよな。

カワイイ絵に囲まれ死にたい

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

プロネットワークゲームエンジニアが考えるAPEXのチート

ほぼこれだと思うもの

・件のチートはDebug用にゲームにしこまれものを改変して(つまりテキストなどをゲーム内の別の場所から拾ってきて)使っただけ

 

理由

ツールインストール経路がないため

仮に戦績画面のバッジなどのデータハードコード指定してサーバーからダウンロードさせる方式であり、ダウンロードさせることができるのだとしても、そうしたAPEXの脆弱性+管理者権限で動くEAC脆弱性とAPEXからEAC脆弱性をつく経路の2つが追加で必要

なのでEACはほぼ関係なく安全

そして昔から流行ってるらしいBOTを操る機能上記のDebug機能の一つだと思う

ウォールハックに関してはゲーム内にウォールハックをキャラクター特性として一時的に実現するキャラいるから誰でも5分で再現可能

私がEA開発者だったら1ヶ月で現行のチートほぼ全て防げます

 

なお、意見初見の時から変わっていない

https://anond.hatelabo.jp/20240318162850

https://anond.hatelabo.jp/20240319001847

子育てこんな金かかるの???

子ども産んでみてびっくりしてる。

ミルクオムツもこんな高いの?

ミルクなんか子どもがこんな勢いで飲むなんて、大きい缶もこんなにどんどんなくなっていくなんて知らなかったよ。

子どもを迎えるための準備品もいちいち高かったと感じた。細かいものも次から次へたくさん必要になって買い足してる気持ち

あと予期せぬ出費として、タクシー台や大人の食費もこんなに増えるとは思わなかった。子どもの世話のために消費した、時間、体力、気力を補うための出費がすごく増えてる。

子ども可愛いよ?最高。産まれてきてくれてありがとう。これから大事責任持って育てます

でもうちは二人目は無理かもしれない。少子化進むわけだわ。

調べてないけど感覚で正しいと確信してること

調べないけど感覚で正しいと確信してることってあるよね

自分は切り傷やあかぎれみたいな傷の時に傷周りの皮膚が厚くなると思うんだけどこれを取ってならした方が治りが早いと思ってる

小さい頃でいうと点字ブロックの点々が止まれで棒が進めだなと突然気づいたときがある

この感覚、わりとあるよね

anond:20240319114431

実際それでオーバーランしちゃったとこで崖から転がり落ちるのはやいのやいの言ってたオタクではなくて、当事者とその同業者という巻き込まれ集団だしな

そのへんは車椅子もいっしょか

外野は無傷で無責任ってのが現代のそれらのおもろいとこよなぁ

anond:20240319132521

インフレが進むと、確かに貯金価値は減少し、借金の返済は比較的容易になりますしかし、これが必ずしも「貧民」が喜ぶ結果をもたらすわけではありません。

まず、貯金価値が減少することは、貯蓄を持つすべての人々に影響を及ぼします。これには、中間層富裕層も含まれます。また、借金が返しやすくなるという事実は、借金を抱えている人々にとっては有利かもしれませんが、これには必ずしも貧困層けが該当するわけではありません。

さらに、インフレ物価の上昇を意味します。これは、日々の生活費が増加することを意味し、特に低所得者層にとっては大きな負担となります。したがって、インフレが進むと、生活費の増加により、貧困層さらに困難な状況に直面する可能性があります

したがって、インフレが「貧民」が喜ぶものであるとは一概には言えません。経済状況は個々の状況や社会全体の状況により、異なる影響を及ぼします。それぞれの状況を考慮に入れることが重要です。

anond:20240319131325

そこはワイ的にあんまどうでもよくないのよな

 

結論から書けば、『ゲームチェンジの度に殺りあったり煽りわず、お互いを尊重しましょう』で終わるけど、

やっぱどう考えても、物理生産に携われない人間がそこそこ稼ぐの欺瞞では?って思う

まぁいつかはその辺解決してくれる物も作られるかもだが、それは今日じゃないよね?

 

そんなクソくだならないこと考えている暇あったら、パソコンデフォ時代に生まれたことに感謝して、

自分ができることをしろって言われたらそれはそうなんだけど、

やっぱ、自分自身が早急に必要としていないことをするのって、動機付けがいるよね

anond:20240315115546

星 ① 夜空に点々と小さく光っている天体 ② 「★」「☆」など ③小さな点 ④歳月 ⑤ 相撲で、勝ち負けを示す白黒の丸いしるし ⑥ 九星のうち、その人の生まれ年にあたるもの ⑦ 兜の鉢に打ちつけてある鋲の頭 ⑧ 碁盤の目のうちで、黒丸の打ってある所 ⑨花形 ⑩紋所の名 ⑪ 花火で、光や色を発生させる火薬のかたまり ⑫大体の見当 ⑬ 犯人または容疑者 ⑭ 神楽歌の分類名

anond:20240319123231

親の教育負担を強いすぎてるから

こういうモンスターが生まれるんだろ。

昔は地域社会全体で責任を持って育ててたわけ。

それが無理になった今、まともな教育を施せるのは一部の金持ちだけ。

社会主義国家たる日本終焉を迎え、欧米諸国のような超格差社会へようこそ。

東大卒が平気でオウム真理教にハマってゴリゴリ犯罪犯す国JAPに生まれ

今更、反ワク程度でゴタゴタ言ってんじゃねぇよ

 

なお、これでもアメリカよりはマシな模様

徳島市長と市長選挙に思うこと

4年前、最年少女市長として当選をした内藤市長。この内藤市長が突然の出馬取りやめを発表した。

まぁ応援してくれていた元衆議院議員対立に回り、前回の選挙で2000票程度の差だった元市長立候補している。

また、内藤市長本人の悪評もあり出馬取りやめは妥当なんだろうなと思うけど、なんでこの時期なんだろうか。

予算審議の間に不出馬を表明したのはなぜか。予算執行責任者が不在になることが確定である状況になる。それでも必要からと賛成に回る議員もいる。

しかもこれ、人件費の高騰や住民サービスなどあるとはいえ過去最大の40億をこえる予算らしい。

おそらくはこのまま賛成多数で予算は決まるだろうけど、遠藤氏にせよ福山氏にせよこの予算に縛られて市長を担わないといけない。

慣例通り、最低限の予算を決めて重要な部分は新しい市長が決まってから、となると自分の思った通りの市の方向にならないからやめても傷跡を残してやろうという想いもあったのかもしれない。

が、それなら市長を担いでくれる人たちが気持ちよく賛成をして、一通り議会が終わってから不出馬を表明したらよかったのではないかと思ってしまう。新聞社から問い合わせがあっても「議会最中なのでコメント差し控える」とでもしておけばよかっただろうに、新聞社メール第一報を送ったという。

あと、市議会の様子をぼーっと見ていると市長給与を満額もらっていることをだいぶ批判されている。4年前は給与半額だったかな。それを掲げて市長選を飼って、1年後には元に戻す。市の財源が回復たから、ということだったけど、コロナ助成金で潤った面もあるんじゃないかな。

まぁ、内藤氏の外面の良さから市長給与は半額のままでも十分だったろうに。講演会とかで稼いでくれば月50万くらいはした金でしょうに。

とにかく叩かれる理由を作って炎上を狙っているかのよう。

若い学歴がある、なんか賞を受賞している。などなど持ち上げて、68歳vs72歳で内藤辞退で残念、徳島は終わった、みたいな話も見るけど、若い学歴とかで変わるとか未来が、というも違うなという。

若い市長でも老害市議に取り込まれしまう、もしくは最初からそのつもりで市長になったのかもしれない。

アラウンド70がいいわけじゃないけど、高齢化や市の要職利権にまみれたうるさい爺さんばかりのところに若いからで変えられるものではないんだなという印象。

何期か勤めてれば、という人もいるかもしれないけど、期を重ねるたび利権にまみれていくだけだと思し、共産党をはじめ反対する勢力に対して、親の仇のように話すら聞くことなくなっていく。少なくともそう見える。

政治家には向いてなかったと思う

右往左往している市政は嘆かわしいが、前に進んでいくことを祈る。

健康保険年金の「老人を若者が支える」というのは単なる比喩

anond:20240318163525

こう言う人が勘違いしてそうなのが特に健康保険だけど、健康保険って、使う月だけスポット加入とかは不可能なんで大人しく払っとく方がいいぞ。

また、公的年金も利回りが無茶苦茶よい金融商品なので、iDeCoとかNISAとかの前にこちらを使った方が得。まぁこっちは健康保険ほど致命的じゃないけども。

健康保険でよくある思い込み

健康保険スポット加入できない

若いうちは健康からと未加入、そろそろ医療費が嵩み出すからと加入しようとすると、未加入期間分全額の支払いを求められる。これ結構知らない人多いよな。指摘するとびっくりされる。普通の人は知らなくて好い知識だし。

支払わされるときは、通常遅滞金も含めて払わされる。分割払いなども認められるけど、破産しても支払い義務は消えない。また行政自動的に督促する仕組みがあるからそのたびにリセットされ時効にもならない。

不注意や貧困などのやむを得ない場合では3年前まで徴収というルールにしているところがあるが、未払いの場合無限に遡られる可能性がある。

例えば事故を起こして全身を強打、救急車で運ばれ緊急手術、となった場合、そのままだと手術だけで数百万円の支払い請求が来て、その後リハビリ必要になると標準でも1ヶ月あたり100万以上の請求になる。保険に加入していれば3割負担さら高額療養費制度という一種キャップ制自己負担10万程度で済むが、加入していないと人生詰む。

そうなると加入せざるを得ないが、過去に遡って支払いを求められる。金は無いと居直ったところで、月数千円でもいいから上乗せして払えと分割組まれるのが普通

一方で、今まで全額払った医療費請求権は2年で消滅するため、そのギャップから払い損になる・

一生涯で支払う金額は、一般的な人の場合ほぼプラマイゼロ

ざっくり計算してみるとわかるが、一般的な人の場合、一生かけて支払う健康保険料と、実際にサービスを受けた健康保険料はほぼトントンになる。まぁ当たり前で、そうじゃなきゃ制度が成立しないんだけど。

老人を若い人が支えている、と言うのは、日本健康保険年金制度は積立型ではないと言うことを比喩的に表したものに過ぎない。

計算してみるとわかるが、年金はもちろん、健康保険も一生分計算すると、自分が払い込んだ金額と使った金額がほぼトントンになるようになってる。

また、これから日本経済継続的マイルドインフレしていくようになるとすると、払い込んだ額より自分が受けるサービス額の方が高くなることは確実だ。

公的年金でよくある思い込み

公的年金破綻はまずない

公的値金は、年金収入運用益に従って支払額が決まる仕組みになっているため、破綻する事は無い。

これ基本中の基本だと思うんだけど、公的年金は払っても破綻するから無駄、と未だに言う人がいて、特に若い人でこれを真に受けて払ってない人がいてびっくりした。

年金は払うだけ損、払った額は受け取れない

これ、「現在受け取っている人より下の世代は不利だ」という意味ならその通りなんだが、そう言う話を「年金は払うだけ無駄」って受け取ってる人がいるよう。

だけどこれも間違いで、年金

金がない時は仕方が無いが手続きしないと障害者年金対象にならない

これが結構ヤバイ

健康保険では、手続き無しで未払い期間であっても、後から今までの分の保険料を支払えば保険金が出るにはでる。しかし、年金の方のはもっと厳格。成人の場合障害の原因となる治療が加入期間に入ってないと対象にならない。後から払いますでも無駄

なので、払わないなら払わないで猶予手続きをやっておかないと詰む。

生活保護費年金意味が違うし額も違う

いざとなりゃ生活保護うけりゃいいと言う人がいて、よく「国民年金は満額払っても生活保護費より低い」ことを根拠に払わなくて良いと言う人がいるんだが、生活保護費って、貯金金融資産はもちろん、各種の資産処分するとか自助をやりきった後じゃ無いともらえない。蓄財が一切できない。原則的に、自動車土地建物はもちろん、趣味の品物も換金できるなら全部売り払わないと受給できないケースが多い。

用途限定される。10年前はエアコンすら贅沢品にカウントされていて、購入費が出ないと言う話もあった。

更に額も違う。よく「国民年金を満額支払っても生活保護費より低い」と言われるかが、生活保護費の方は住宅補助などを入れた金額なので、純粋現金支給される金額は低い。

更に住宅補助も公営住宅を想定した金額で各地設定されているため、国民年金だけの人は必ず住民税課税家庭になることから家賃はほぼタダ同然になり、公営住宅に入居する方が使える金は多くなることもある。

なので

と言う状況を自ら望むならそれでもいいけど、と言う世界になる。

色々なところにチャレンジ制度があればいいのに

交通取締りカメラ撮影必須

違反者が不満を感じたらチャレンジ可能

チャレンジ失敗したらチャレンジ権の一定期間停止と追加の罰金警察メリットが生まれるくらいの金額

anond:20240319085041

努力して年収千万に達しても首都圏地主に生まれたヤツがあっけなく抜いていく、共産革命起こんねーかな、それか北朝鮮ミサイル

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