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はてなキーワード: 1990年代とは

2021-05-15

anond:20210515083617

1980年日本オーケストラでは、田舎はドボルジャーク(本人の周りの発音はドフォラーク)、地方ラヴェル東京でデュティユだった。

高卒軍団占拠していると、こんなにも日本人がバカになるという典型例であった。

2020年日本オーケストラでは、田舎バルトーク地方ホリガー、東京でイザベル・ムンドリーだった。

40年たつとバカ日本人でも進化するらしい。(笑)

文化芸術界隈の搾取構造は、教育の不全からきている。

ロシアでは教材費をほとんどかけずにpdf無償にするが、日本ではバカ高いテキスト代を払わされる。

日本人のほうが圧倒的にロシア人よりバカなことに、いつ日本人が気が付くのか見ものである

日本は、1990年代に至るまで、対位法洋書すら全国の本屋に常備しようとしなかった。ここらへんの闇に気が付く人も少ない。

2021-05-12

anond:20210512160612

世代によると思うが1990年代田舎地方都心女子高校生女子中学生の質は変わらんわ。

確実に変わるのは中高一貫お嬢様ガッコだけ。

それ以外は全部一緒。

ただし、2020年代保証できない。

2021-05-06

潰されたブログが真実を語るとき。

https://archive.is/gudachan.hatenablog.com

私はリアルタイムで読まなかったのでわからないが、これは潰されたブログらしい。

しかし、このブログが行った指摘で当たったことがある。それは「東京が、東京以外の地域に手を差し伸べる」ことである

おそらく増田の方々は、リアルタイムではNHK-FMの「午後のリサイタル」を知らないはずである。私も知らない。だいたい生まれていない。その出演の面々を見てみよう。もう、富裕層が勢ぞろいである。

https://www.youtube.com/channel/UCjVP-Pijo1tRkLmgE1ZjXQQ/videos

ここに出演する人たちに、田舎者地方人は一切入らなかったと推察される。今では大学院教授の方々もいる。NHKとはそのような組織だったのだ。恐ろしいまでの東京一極集中で、訛ったら潰すといわんばかりのゴールデンメンバーだ。腕前の怪しい人もいるが、腕前の見事な人たちが帳消しにしている。


それから時代がたって、バブル経済のころになると、「FMリサイタル」になった。このリサイタルは懐かしい。結構聞いたように思う。そのころから田舎地方出身演奏家NHK-FMは手を差し伸べてくれるようになった。関西在住の人間にも出演依頼をしたのだそうであるしかし、このFMリサイタル1990年代に入ると縁故を重視する方針のおかげで、レヴェルはひどく下がっていた。音大生レヴェルでもないよねこれというのもあった。NHK1990年代に悩んでいたはずである。こんな音源電波に乗せて、よく苦情が来なかったものである。そうしたら、放送時間帯は朝の5時になった。5時ならばれないよねって。ネットのない時代はこうしていた。


今その枠は「リサイタル・パッシオ」になったが、南は沖縄から北は北海道まで、とにかく音楽に意欲のある若者を釣る番組に変わり果ててしまった。底辺メジャーが受かってればまあいいかって選考方針なのだろうが、もうクラシック音楽をやる人々がいない。いないのに、どっからでも見つけてくるという方針を続けると、どうなるか?なんと、司会のトークが混じっているのである!音だけかければいいのに、余計なことをするせいで、番組はあまり面白いとは言えない。


もう日本人は国際音楽コンクールの話が一切できなくなった。台湾人にも負けるのだから当たり前である。そのくせ、一切の謝罪がない。こんな民族西洋音楽を渡すべきではなかった。西洋クラシック音楽は、あと20年後苦学するインドネシアミャンマー学生が率いることになるのだろう。暴力が起きれば響きが生まれるはずだが、いじめの多発する日本にその響きはもうない。


となると、NHK-FMが最も素晴らしかったのは「夜の間奏曲」を放送していた時代だったのかもしれない。私はあの番組でかけられたスコット・ロススカルラッティソナタ全集が楽しみだったことを、今でも忘れていない。自由に使えるお金がないので、コンパクトディスクが買えなかったのである電波の入り方も良好だったのでなおさらである

やはり、日本の東京の質は1995年以上にはならなかった。

https://archive.is/LHR2Q

私と同世代人間人生に関する限り、これはぴったりと当たっている。これは私だけではない。私の同級生のみならず、同世代の誰もがこのように証言していた。

バブル経済のころ、氷河期世代は二種ではなく三種に分かれていた。

一つは高卒で終わる人。

もう一つは大卒あるいは院卒で終わる人。

さらに、もう一つは留学先を紹介される人だ。

東京に住んでいる人はいいだろう。なにも悩む必要はない。

田舎に住んでいる人は、友達を一度だけではなく二度(以上)捨てることになる階層が出現するのである

https://archive.is/mvKvt

いまはてな民トレンドなのは田舎から大学とか、田舎から大学院とか、そういう人々である田舎の知り合いが切れた、田舎の知り合いをなくした、などというのはどこにでも落ちている話で、常識範囲である

はてな民にとってもトレンドにならず、5chでも敬遠される話は、友達複数回捨てる人の話である

https://archive.is/pBX4s

大学時代にダベっていた「友達」とは現在ほとんど交流はありません。

この人は高校1年生で池辺晋一郎から「もうこれ藝大入れるよ」と言われた存在から例外だという人もいるかもしれない。しかし、三種に分かれた氷河期世代以降は違う。田舎にいる人は、まず高校受験で地元と切れる。大学受験で出身都道府県と切れる。そして留学先の斡旋国内とも切れてしまい、いつのまにやら英文のCurriculum Vitaeができる。

友達複数回捨てる人が現れて、初めて「近代国家」なのである。こんな局面日本1995年まで迎えることはなかった。日本1990年代に、ようやく近代国家への切符を手にしたのだ。

けれども、切符を買って、列車に乗ってるだけ。まるで魔列車無限列車のようだ。その列車は30年も動いたまま。その列車はかつてはアメリカ人が動かしていたのだろう。これから中国人が動かすことになる。

日本人は、ただ乗っているだけ。それ以上はもう何もできない。列車には次々と異なる人種が乗ってくるのに、会話を合わせることすらできない。

今にインド人に「過積載ですから日本人は捨てますね」などと言われるのだろうか?

2021-05-03

anond:20210503121311

ブスは明らかに少なくなった。

あの、名古屋大阪ですらも。

教育進化したし、食生活も変わり、マナーも変わった。

私の経験上、1990年代で、芸能人一般人容姿が逆転したように感じている。

1980年代素人参加番組とかを見直すと、ほんとブスが多い。

これ良く出せたなってのもいた。

いまそういう人が誰もいないのである

2021-04-27

カスタマイズ

Emacsカスタマイズにハマると幾らでも時間が消えていくと言われていたが、私はC言語でタブ幅の設定をするくらいだった。

Strutsの開発でTomcatプラグインが要ると書いてあったのでEclipseインストールするとか、会社の人からメールで送られたVimの設定をそのままペーストするとかくらいで積極的カスタマイズすることは無く。

IntelliJVisual Studio Codeの無数の拡張機能にも興味が無い。

シェル設定ファイルを頑張るのは時間無駄!という主張に共感したわけでもなく、普通に関心が無かった。

1990年代からコンピューターを使っているにもかかわらず……

しか2021年4月

急に凝り出した。「Emacs Lispっていうプログラミング言語でいろいろできるのか」「Visual Studio Codeマーケットプレイスには同じファイル対象にした拡張がいろいろあるな」と、今更。

なぜ。

でもまあ、設定にハマると際限無いのは実感できた。時間無駄っていう主張の意味も分かった。

ウマ娘二次創作について

お気持ち表明になるとわかってて書く


最近どうやら競走馬に転生してからウマ娘に再転生する系統二次創作流行っているらしいというのを見かけたので、目についたのを読んでみたが

一位を取ったってなんだ、一着じゃないのか

何故舞台1990年代なのに馬が数え年じゃないのか

人を乗せて走るシーンで明らかに鞍も鐙もない状態なんだが、乗り手は凄腕の騎馬民族なのか

ツッコミどころしかなくて集中できない

現代日本の話を書くんなら、まず最低限の知識仕入れからにしてくれ

異世界ラノベじゃないんだから現実と違うことを書いたなら整合性が取れる説明を作中できちんとしてくれ

なろうの文章力とか読解力がよく話題になるけど、こういうの見ると文章力じゃなくてこれはもう小説を書く前の姿勢問題だわ

お願いだからもう少し自分の書こうとしているものを調べる努力をしてくれ

辛い

ウマ娘二次創作について

お気持ち表明になるとわかってて書く


最近どうやら競走馬に転生してからウマ娘に再転生する系統二次創作流行っているらしいというのを見かけたので、目についたのを読んでみたが

一位を取ったってなんだ、一着じゃないのか

何故舞台1990年代なのに馬が数え年じゃないのか

人を乗せて走るシーンで明らかに鞍も鐙もない状態なんだが、乗り手は凄腕の騎馬民族なのか

ツッコミどころしかなくて集中できない

現代日本の話を書くんなら、まず最低限の知識仕入れからにしてくれ

異世界ラノベじゃないんだから現実と違うことを書いたなら整合性が取れる説明を作中できちんとしてくれ

なろうの文章力とか読解力がよく話題になるけど、こういうの見ると文章力じゃなくてこれはもう小説を書く前の姿勢問題だわ

お願いだからもう少し自分の書こうとしているものを調べる努力をしてくれ

辛い

ウマ娘二次創作について

お気持ち表明になるとわかってて書く


最近どうやら競走馬に転生してからウマ娘に再転生する系統二次創作流行っているらしいというのを見かけたので、目についたのを読んでみたが

一位を取ったってなんだ、一着じゃないのか

何故舞台1990年代なのに馬が数え年じゃないのか

人を乗せて走るシーンで明らかに鞍も鐙もない状態なんだが、乗り手は凄腕の騎馬民族なのか

ツッコミどころしかなくて集中できない

現代日本の話を書くんなら、まず最低限の知識仕入れからにしてくれ

異世界ラノベじゃないんだから現実と違うことを書いたなら整合性が取れる説明を作中できちんとしてくれ

なろうの文章力とか読解力がよく話題になるけど、こういうの見ると文章力じゃなくてこれはもう小説を書く前の姿勢問題だわ

お願いだからもう少し自分の書こうとしているものを調べる努力をしてくれ

辛い

子供の頃鉄道マニアだったけど、インターネットで鉄オタが過激になった理由がわかる気がした

西川口駅子供同士が喧嘩になって大怪我ニュースを見ていて、急に理由が腑に落ちた。

自分子供の頃(1990年代)、家の近くで電車を撮っていたけど、珍しい臨時列車写真を撮るのは難しいことだった。

もちろん『鉄道ファン』や『鉄道ダイヤ情報』といった雑誌には臨時列車情報が載ってはいた。

でも、大人鉄道マニアが「○○のスジ(ダイヤのこと)を使って臨時列車が走る」とか「○○○号の機関車が珍しいものになる」といった情報を当日に手に入れて写真を撮っていることを真似するのは無理だった。

そもそも情報を手に入れる手段がなかった。

たぶん、鉄道マニア同士の限られたコミュニティ流通していたのだろう。

子供の財力だと、1冊1000円くらいする鉄道雑誌複数買うのは無理なので、撮り鉄向けの情報に特化した『鉄道ダイヤ情報』ではなく、内容が総合的な『鉄道ファン』を買っていたのも理由かもしれない。

から撮影地に集まる人数というのは(当時でも多いことはあったにせよ)いまに比べればまだ少なかった。

それが、いまではインターネットを見れば無料で珍しい列車情報が手に入る。

たとえば新潟から東京に走ってくる珍しい列車があったとして、新潟人間Twitter投稿したのを見てから東京近辺の有名な撮影地に駆けつけるのはとても簡単なことだ。

インターネット情報民主化されたことで生じた、典型的問題ひとつなのだろう。

2021-04-23

anond:20210423131944

便乗したい。俺も1990年代に見たアニメが忘れられないのに題名が分からず。わかる人いたら教えて。

空に浮遊している島がたくさんあって、そこから滝のようなものも流れてる幻想的なファンタジー戦闘ものだったような気がしておりその世界観に魅入られた記憶

当時としてはこういう世界観のものあんまりなかったような、、、

これくらいの情報しかないけど誰かわからいかな?

anond:20210423181256

1990年代オタク絶対受ける」とは書いてるが、今藤島再起用でウケるとは書いてないと思うんだが

藤島を不自然に褒めてる!に見える人もいるんだなー

2021-04-22

サクラ革命は何故爆速サービス終了してしまったのか

これは完全にキービジュアルのせいだと思います

元々サクラ大戦藤島康介先生キャラクターデザインに据え「1990年代オタク絶対嫌わなさそうなキャラデザ」でそこそこ成功してきたタイトルでした。

1・2

https://sakura-taisen.com/archives/game/psp/chara.html

https://sakura-taisen.com/archives/game/3ps2/chara.html

5(4は1・2・3のキャラ全員なので省略)

公式サイト消えてた。こういう所だぞセガ

リブートの新ではBLEACH久保帯人先生を起用して心機一転2010年代を生きるオタクが好きそうなデザインを打ち出して過去作ほどの評判には届いていませんがそこそこ売れました。

https://sakura-taisen.com/game/shin-sakura/character/index.html

翻ってサービス開始半年サービスが終了するという開発費推定数億超えの大作ソシャゲでは例を見ない速さでサービス終了したサクラ革命キャラクターデザインを見てみましょう。

https://sakura-kakumei.sega.jp

…?
メインヒロインにおかっぱは攻め過ぎでは?

このサクラ革命公式サイトスクロールするとおかっぱの子だけではなく、過去作と同じように多様なヒロインが登場する事が分かります

サクラ大戦シリーズは当時としてもギャルゲー王道ときめきメモリアル並みに攻略ヒロインが多く、歌劇団メンバーに「サブヒロイン」が居ないマルチヒロイン方式でしたから、

の子に目を向けられる導線がもう少しあれば課金が増えたのでは無いでしょうか。

しかし、ユーザーがまずサクラ革命の事を調べようとするとほとんどこのキービジュアルが表示されます

というか、ほぼ確実にこれです。

他のヒロインーの情報を調べるには、まずこのおかっぱの子の「篩」にかかっていく必要があります

これは2020年代を生きるオタクにはかなりの苦行だと思います

また、サクラ大戦シリーズ架空の太正時代である20世紀前半を舞台にした作品ですが、サクラ革命サクラ大戦から数十年後の21世紀舞台としています

何で太正時代より女の子がイモっぽくなってんだよ!!!

御注進:ソシャゲを作られる皆様におきましては前面に押し出すキャラクターデザイン性癖の舵取りには気を付けましょう。増田FGOウマ娘に延べ10万円以上課金していますが、これはゲーム面白さやキャラ性能では無く「性癖」のみに課金しています

ポニーテール良いよね」「素足最高」「スーツ良いよね…(女性ユーザー)」「ええ子やんけ…(ストーリーに堕とされるパターン)」

課金する理由はこれが9割9分です。ゲーム面白さが寄与してる所は1分未満です。

例えば、やっていない方はご存知ないでしょうがパズドラモンストにもけしからん(とオタクが思い込むのに十分な)女性キャラクターは存在エロ同人存在するくらいの世の中です。

というかこれはゲームに限らずフィクション作品における当たり前の話ですが…

2021-04-16

昭和=戦争1990年代平成=2000~2020年代

自分の中の認識はこんな感じ

世間一般にもこんな風に思っている人が多いんだなと最近確認した

本当は1990年頃は平成なのにね

そんな実感ないのは、昭和という言葉が「古い時代」の表現なんだろうね


大昔は何かあると元号を変えていたってのは、時代の移り変わりを明確にしたかたからだと思ってる。新しい時代を迎えるのは新しい元号。古い習慣は古い元号にまとめるってのは、慣習としては悪くないよね。

2021-04-15

anond:20210415103337

子供には5万くらいの工房系の物を買ってやった。

自分1990年代小学生だったんだけどいくら位したんだろうか。

2021-04-14

田原総一朗について

今の若い人は田原総一朗といってもピンとこないかもしれない。しか1990年代から2000年代半にかけて、彼の司会する番組政治的な影響力は半端なかった。彼がいなければ、1993年政界再編小泉政権も、その後の橋下維新なども間違いなく存在しなかった。90−00年代政治田原総一朗抜きで語ることはできない。


田原番組で持ち上げた政治家は、例外くその後に政界に大きな影響を与えている。小沢一郎辻元清美鳩山由紀夫小泉純一郎竹中平蔵橋下徹などなど。お気に入り人物に対して、いかにもな保守派左派を「噛ませ犬」として(亀井静香金子勝など見た目が悪く言葉乱暴人物をわざわざ選んで)登場させて、竹中平蔵たちの説得力正当性を高める手法も非常に老獪で巧みだった。


田原番組で推進した、小選挙区制度の官邸主導政治官僚バッシングとさまざまな新自由主義政策は、日本社会経済を深刻に衰退させたと言ってよく、民主主義も深刻に後退していることは明らかであるしかし彼は反省や後悔は一切しない。小沢一郎他人事のように批判しているかと思えば、パソナ会長として露骨税金を食い物していることがもはや子どもにでも明白な竹中平蔵については、相変わらず番組に読んで熱心に擁護している。90−00年台の政治当事者であったにも関わらず、当事者意識は皆無である。『朝生』も、かつては一流の学者も出演することが多かったが、今は質の悪いネット炎上芸人だらけになっている。


距離のあった安倍政権に対しては批判的だったが、菅政権になって助言役として呼ばれると、一転して好意的評価転向している。丸山眞男の言う「無責任の体系」は、まさに田原竹中にこそ当てはまると言えるだろう。

2021-04-13

anond:20210413195044

許されなかった、でいいと思うよ。

子供世界常識に、触れてはいけません、という妙な縛りが1980年代ごろまであった。

から1990年代から日本落ちこぼれていったのだけれどもね。


今は子供でも丸善イエローブックスを読むだろうし、高校生ならグリーンブックスを読むだろう。

そういうことが、できるとできないとでは雲泥の差だよ。


ネットのない頃、田舎には何もなく、地方だと解法の探求IIで、首都圏だとグロタンディーク代数幾何原論

これが高校生カースト形成していた。

こんなのおかしいだろと突っ込めるようになったのは、21世紀に入ってから

それまで日本ダメだったということなのだがね。

2021-04-12

働く女性・専業主婦・風俗嬢を広く救えるフェミに戻ろう

男女雇用機会均等法(1986)で「女性社会進出」というフェミニズムの具体的課題一定の達成を遂げた後、主流派フェミニズム売れっ子研究者達は社会における女性表象批評男性批判など、より抽象的な男女差別の話に目を向けるようになっていった。それはそれで大事なことだと思うけど、女性貧困というリアルテーマについては結果的に徐々に主流派フェミニズムから言及されなくなった。1990年代には『ふざけるな専業主婦』の石原里紗彼女フェミニストではない)が火を付けた「専業主婦論争」というのもあったけど、このとき専業主婦についてのフェミニズム側の評価ははっきりしないまま下火になってしまった。私見では、当時の主流派フェミニズムでは専業主婦というのは「間に合わなかった人」の扱いだったような気がする。女性みんなが(男性並みの待遇給与で)働く女性になれば、女性生活をめぐる諸課題は解消に向かうけど、いま専業主婦をやっている人達はそれは難しいかもしれませんね、でもシャドウワークにも価値があるんだからちゃん評価しましょうね、みたいな。認めてるけど結果的バカにしてる、みたいな。

女性貧困」というテーマについて地道に調査研究していた女性/男性研究者達はその後もずっといたけど(後述)、そういった人達上野千鶴子小倉千加子のようなスター研究者になることはなかった。当事者の声では、自分の知る範囲だと、専業主婦たちによるオルタナティブフェミニズムの読み解きをしていた「シャドウワーカー研究会」が、そうした主流派フェミニズムに対して同人誌模索舎とかで売ってた)で非常に辛辣な指摘をしてた。最近だと『ぼそぼそ声のフェミニズム栗田隆子もこの系譜に連なるものだと思う。

あと、もうひとつ女性貧困と密に関わるテーマとしてセックスワーカー問題があるけど、これも主流派フェミニズムでは微温的な取り扱いのままだった。SWASH要友紀子さん(『売る売らないはワタシが決める』)ほかワーカーの当事者運動が出てきて、ようやくフェミニズムの界隈でもそれなりの認知を得た形だけど、未だに主流派フェミニズムにとってさほど重視されているテーマとはいえない。特に地方女性支援センターみたいなとこに巣くってる公務員フェミニストは毛嫌いすることも多い。

いまは働く女性専業主婦セックスワーカー、みんなを支えるような「お金労働の話をするフェミニズム」が求められてるんじゃないか。これは新しいフェミニズムというより、伝統的なフェミニズムへの回帰だ。かつて山川菊栄というものすごい女性解放運動家がいた。明治まれで、山川均の妻で、戦後労働省の婦人少年局長をやった。母性保護論争で与謝野晶子平塚らいてうの論争に乱入して歯に衣着せぬ論理的批判で両方ともノックアウトし、ついでにモブ役だった伊藤野枝までボコボコにした驚異のつよつよフェミニストだ。後期江戸文化についても造詣が深く文化史家としても評価されているがそれはまた別の話。このひとはもともと社会主義者だから女性労働問題というのを生涯のテーマにしてきた。戦前家事育児社会化を主張し、60年代日本高齢化社会について警鐘を鳴らし、70年代北欧福祉政策を紹介した。未来学者としても卓越していたんじゃないかと思う。

その彼女名前を冠した山川菊栄賞という賞があった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E8%8F%8A%E6%A0%84%E8%B3%9E 受賞者の研究テーマをみれば、決して社会的には目立たなくても、さまざまなかたちで「社会的に弱くある立場女性たち」に注目して課題を掬い上げる実直なフェミニズム女性学の伝統がみてとれる。声の大きいスター研究者にも山川菊栄精神に立ち戻って、具体的に実践的に女性生活を良くするような取り組みに力を貸してあげてほしい。

あと「弱者女性弱者男性のどっちがしんどい」みたいな議論は、ぶっちゃけ言えば低付加価値寄りの労働者階級が男女でいがみ合ってるだけで、どっちが勝っても勝った側がすごく得するような対立じゃないと思う。抜本的に良くするには、横(異性)から取るより、上(上の社会階級)から収奪されてるものを一緒に取り返したほうがいい。幸いこれからしばらくは働き手は不足し続ける。労働運動の軸では弱者女性弱者男性は協力できる部分もある。ミソジニー持ちのクソ男やそれを再生産する社会構造のことは批判しつつ、それでも「もらってない人間」同士で連帯していったほうがいいんじゃないかと思う。

anond:20210412131854

2021-04-04

 あるアメリカ映画を見た。父親に反発して都心に出た息子が、父の死をきっかけに家業を継ぎに田舎に戻ってくる。会社経営ボロボロ。彼は一発逆転を狙ってトランスジェンダー女性と手を組み新事業を立ち上げ、紆余曲折の末に成功する話だ。

 主人公受け身のお坊ちゃんで、大学卒業後、婚約者が見つけてきた不動産会社就職しようとしている。しかし、父親の死後は彼女の見つけた仕事も、結婚約束反故にして、嫌で捨ててきたはずの家業の再建に奔走する。その上、婚約者に黙って、2人で住んでいるアパートまで新事業担保にしてしまう。主人公たまたま知り合ったトランスジェンダー女性からビジネスアイデアをもらい彼女事業を立ち上げようとするが、従業員にはパワハラトランスジェンダー女性にはモラハラをする。案の定婚約者には振られ、従業員トランスジェンダー女性も離れていく。彼は「俺は世間に認められる男性にはなれない」と悲嘆に暮れるが、献身的な幼馴染の女性の支えや、思い直してくれた従業員たちが戻ってきてくれて、やる気を取り戻す。そして、なんやかんやでトランスジェンダー女性も戻ってきてくれて、事業成功する。

 話としてはシンプル音楽がいいので楽しめたが、万人にわかやすいように「多様性」に切り込むと、こんなもんなのか?と思ってしまう。

 トランスジェンダー女性は、最初田舎町では化け物扱いだが、最後には友人もできて楽しそうにしている。でも、彼女主人公のために尽くした結果が「主人公成功」「ビジネスパートナーとしての自分成功」「田舎町での承認」だとすれば、ペイバックがあまりにも小さい。それに比べると、受け身ボンボンだった主人公は、父親を超えてやる!と勝手に一念発起して勝手自爆して、周りに救われ続けた結果、「ありのまま自分で頑張ったか成功しました!」と言う風である作品を通して、彼自身の学びや成長はほぼない。おまけに幼馴染の女性は、彼のそういう「男らしさ」に夢中になり、2人はラスト恋人同士になる。あまりにも都合がいい。

 「ありのままでいい」「ありのまま自分他者をただ受け入れて欲しい」というメッセージを、シスヘテロ男性でもわかりやすいようにすると、シスヘテロ男性を脅かさない、ひたすら寛大で理解のあるLGBTQのキャラクターと、主人公男性性を失わないことをアピールするための女性事実、幼馴染の女性主人公告白された直後「まだ女性が好き?」と確認している)のキャラクターがいるのかもしれない。

 今日映画1990年代作品リメイクなので、まあ価値観が古くても仕方ないのだろう。ただ、今後日本でもそう言う作品が出てくるのであれば、1990年代をそのままなぞるのはやめて欲しい。

anond:20210404021916

1989年から短大を4年制に改組する動きが始まったんじゃないか

これは「あまりにも短大生が高校の延長程度の知能で、ばかすぎだから」。

なので、4年は机に向かわせるようにしたということ。

1990年代結構短大エピソードは聞いた覚えがある。

anond:20210404013954

横だけど、高等教育進学率を見た場合問題になるのが短大でな。確かに高等教育って括りだと男女差は大きくない、ってのは事実なんだけど、女性場合短大比率1990年代半ばまで大学を上回っていたのよ。

2021-04-01

anond:20210401211647

カレカノのはやった1990年代から、徐々に層の減少は進行していた。

もう少女漫画少女が読まなくなったといわれた。

その次は「少女小説」に向かったがこれもマリみてで終わった。

もう女性ゲームしかしてない。

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