はてなキーワード: 1990年代とは
引き算すれば分かるが1990年代後半に34歳の母の元に産まれてきた。
母の結婚した年齢は32歳で、それまでは遊んでいたと聞いている。
よって、母からの結婚プレッシャーはいまのところない。恋愛しろとは言われているが、結婚はまだ先のイメージらしい。
そんな母のもとで育ったので私のなんとなーくの頭の中のイメージでは「20代は自由の年、30代に入ってから結婚したい人はする」という感じがある。
実際に20代になってみると周りは結婚を意識する子が増えてきて戸惑った。後半に入ると結婚してる子が増えてきてわりと普通にいる。
頭の中の20代のイメージと現実がずれてるから違和感を覚えるけど、それは産まれてきたところの親の年齢の違いなんだとは考えている。
引き算すれば分かるが1990年代後半に34歳の母の元に産まれてきた。
母の結婚した年齢は32歳で、それまでは遊んでいたと聞いている。
よって、母からの結婚プレッシャーはいまのところない。恋愛しろとは言われているが、結婚はまだ先のイメージらしい。
そんな母のもとで育ったので私のなんとなーくの頭の中のイメージでは「20代は自由の年、30代に入ってから結婚したい人はする」という感じがある。
実際に20代になってみると周りは結婚を意識する子が増えてきて戸惑った。後半に入ると結婚してる子が増えてきてわりと普通にいる。
頭の中の20代のイメージと現実がずれてるから違和感を覚えるけど、それは産まれてきたところの親の年齢の違いなんだとは考えている。
無理や。
増田には手に余る。
それが出来ないのは分かるってるけど、したいから自分語りになってしまった訳で。
予想外に多くの人に読んでもらえて嬉しいやら申し訳ないやら恥ずかしいやら……。
「アラフィフの人の意見が聞きたい!」 という気持ちが空回りしてしまいました。
テレビで追悼特集とかも流れているし、引退されてからも幸せで後輩方とも定期的に連絡を取られていた様だし。
id:ftq "23年前は大昔じゃなくて、ちょっと前やで。"
逆に23年後には我々も そこそこ死んでるぞ。
上岡師匠の評伝は複数書籍になってるし。当時も散々 惜しまれたし。亡くなられてからじゃないと書けないよ。
好きな著名人が亡くなったら、こんなモンじゃない?
増田にとっては神格化しているけど、芸能界全体ではそうでも無い事は理解しているし。
その……。増田としては若い人に紹介できる動画が分からんのよね。
短く切り抜かれている動画は面白いけど、上岡師匠の魅力はソコでは無いし……。
かと言って、パペポや一人で語っているのも極端だし。
個人的には 、『さんまのまんま』で、さんまさんと共演しているヤツが一番オススメかなぁ……。
改めて調べてみると
師匠って、現役の時は個人事務所で、更に奥様が社長を務められていたのね……。
凄くない?!
道理で常に覚悟が決まっているし。 スパッと辞められる訳よね。
でも、奥様も凄いわ……。
上岡師匠の8歳下の筈だから。引退時には50歳。40代の時に1990年代の師匠を支えられた訳か……。
願わくば、上岡師匠のインターネットへの評価を聞きたかったかな……。
増田にとっては書いて良かった。
皆さんのお目汚し失礼。
1980年代生まれくらいまでは、世界は何だろうとやりたいことやったほうがいいよね、という感覚があった
忍たまのアニメが始まったころに子供だった世代は、「やりたいことやったもん勝ち」という歌詞も素直に理解できた
そこから10年ほど後ろの1990年代生まれ以降は本当に景気のいい頃の空気を幼少期にも感じていない世代
バブル崩壊後の混乱期に生まれた世代なので、逸脱や失点を恐れる世代になった
会ってない時もつながるのが当たり前で、人の裏表を嫌でも見る世代
今まで以上に失敗が命取りになった
今の若い人たちは、子供のファクターが人生の成功失敗に関わると考えている
だから、若い人以外が全く理解できない「子供がいないことによる成功」「子供がいることによる成功」をことさらアピールする
本当に勝ち負けにしか興味ないんだと思う
これ読んでほしい。
ナンシー関曰く:
「ダウンタウンとウッチャンナンチャンを一緒にしてしまうことは間違っている。 百歩譲って、テレビタレントとして同ランクに並ばせることは仕方ないとしよう。 しかし「お笑い」という表現方法をとろうという人間である点で考えたら、その能力に差がありすぎる。ウッチャンナンチャンは近所の陽気な兄ちゃんである。かたやダウンタウンは 10年の1人のつっこみの天才浜田、笑いの狂気松本ダウンタウンは桁が違うである。 」
まぁナンシー関を知らない/評価していないなら仕方がないけれども、
テレビを見ていて感じた様々なモヤモヤや、ダウンタウンをおもしろく感じたのに
ウンナンはそれほど刺さらなかった理由を、当時ナンシー関は見事に言語化
してくれたので、俺はナンシー関を信頼している。
なので、
「1990年代ダウンタウンはすでにウンナン・とんねるずより格上だった」
現在31歳の人が生まれたのが1992年、3歳だったのが1995年、5歳だったのが1997年。
80年代前半生まれの自分が「発達障害」という言葉を初めて聞いたのって大学生の時だったし
どう考えても2000年以降だった。
1990年代だと「発達障害」って概念は一般には浸透していなかったでしょ。
実際、幼稚園や小学校で教室を走り回るようなうるさい子やおとなしくて引っ込み思案過ぎた子だって
中高生くらいになれば大体は落ち着いてたと思うし
1990年代後半の日本は、バブル崩壊の影響で日本経済が低迷し、社会全体に暗い影を落とした時期でした。この時期には、失業率の上昇や貧困の増加など、さまざまな社会問題が起こりました。また、地下鉄サリン事件やオウム真理教事件などのテロ事件も発生し、人々の不安感を高めました。
このような社会情勢の中で、アニメやゲームなどのエンターテインメントにも、暗い雰囲気の作品が多く登場しました。たとえば、1995年に放送されたアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」は、人類と使徒との戦いを描いた作品で、その暗い世界観が多くの若者の共感を呼びました。また、1997年に発売されたゲーム「ファイナルファンタジーVII」は、環境破壊や戦争などの社会問題をテーマにした作品で、当時の社会情勢を反映した作品として高い評価を得ました。
1990年代後半の「暗さ」は、バブル崩壊の影響によるものですが、それだけではありません。冷戦の終結や阪神・淡路大震災などの大きな出来事も、この時期の社会情勢に影響を与えました。これらの出来事によって、人々は将来への希望を見失い、社会全体に暗い影を落としたのです。
ここでは、1990年代後半の日本社会の暗さを象徴する作品をいくつか挙げてみたいと思います。
これらの作品は、いずれもバブル崩壊後の社会の暗さを反映した作品です。登場人物たちは、失業や貧困、孤独などの問題に直面し、苦悩しています。しかし、これらの作品は、ただ暗いだけではありません。登場人物たちは、困難に立ち向かいながら、希望を見出そうとしています。
1990年代後半の日本社会は、暗い時代でした。しかし、この時代は、人々が希望を見出そうと努力した時代でもありました。これらの作品は、その時代を生きる人々の姿を映し出しています。
当然でしょう。
慰安婦をさんざん食い物にしてきた。
https://www.kibotane.org/our-mission
在日朝鮮人「慰安婦」サバイバー・宋神道さんの裁判過程をまとめたドキュメンタリー『オレの心は負けてない』を見て、ある学生がつぶやいた言葉です。日本軍「慰安婦」問題が日韓の外交課題として浮上した後で「慰安婦」問題を知った世代には、この問題が日韓の摩擦問題としてしか見えていないのだということを、気付かせてくれた言葉でした。サバイバーたちの四半世紀にわたる闘いが、「慰安婦」問題を外交課題にまで押し上げたのだという事実が、すっぽりと抜け落ちてしまっている。宋神道さんをはじめとする日本軍「慰安婦」サバイバーたちの闘いを目撃してきた者として、被害事実と共に、その闘いと、それが獲得したものについて、伝えていかなければならない責任を感じています。
韓国の日本軍「慰安婦」サバイバー・金福童さんは、日韓合意の最大の問題点は「歴史を売ったことだ」と言いました。「慰安婦問題は歴史なんだ。歴史はお金で売ってはいけないものなんだよ」と。
戦時性暴力の被害者が名乗り出て、加害国の責任を問うて国際世論に訴えるという、人類史上初の試みをおこなった女性たちは、二度と同じことが繰り返されない平和な世界をつくらなければならないと、自らの存在をかけて訴え続けました。その姿が、他の戦時性暴力被害者たちに勇気を与えたこと、世界の人権専門家たちの心を動かして重大人権侵害被害者の被害回復に関する国際基準を打ち立てる上で大きく貢献したこと、闘いの過程で自らが変わり周囲の人々を変えていったことも、私たちが記憶し、伝えていかなければならない歴史です。その歴史が見落とされ、あるいは歪曲されたまま、「解決」や「和解」を唱えても、「解決」と「和解」を手に入れることはできません。
日本軍「慰安婦」問題は私たちに多くのことを気付かせ、学ばせてくれた問題でした。その気づきや学びを、さらに多くの人々、多くの若者に伝えていくことで、「慰安婦」問題は「終わらせる」べき問題ではなく、平和な未来を拓く礎となる問題であることを伝えたいと思います。
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表 1990年から日本軍「慰安婦」問題に関わる。1993年提訴の在日朝鮮人「慰安婦」被害者宋神道さんの裁判支援をおこない、2007年にドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』製作。現在、韓国ソウル「戦争と女性の人権博物館(WHR)日本後援会」代表、「YOSHIMI裁判いっしょにアクション」共同代表。通訳・翻訳、語学講師。 "
じっくり実らせよう、一粒の種 旧日本兵によれば、司令部や大隊本部の側には慰安所を設置した。本部を守る配置の200名規模の各中隊には慰安所の「慰安婦」が巡回した。最前線の小隊には慰安所も「慰安婦」の巡回もない。それで、女性を拉致し順繰りに犯し、「合意」と見せかけるため金を握らせた。真摯な反省も再発防止策も示さず日本政府が締結した「日韓合意」は70年以上前、最前線の兵士が編み出した犯罪隠蔽のため金を被害者に握らせた手法と同質だ。
日本政府は「日韓合意」の一条件とした平和の少女像の撤去にこだわる。韓国の若者は厳寒のソウルの日本大使館前にテントを張り、夜中も少女像を守った。釜山の総領事館近くの少女像は若者が資金を集めて設置した。日本の若い世代が韓国の同世代と交流し確固とした非侵略・平和を築く、そんな一粒の種になることを応援したい。
ノンフィクション作家。在日の慰安婦裁判を支える会、戦争と女性の人権博物館日本委員会所属、日本の戦争責任資料センター共同代表。沖縄に残された裴奉奇さんの半生を記録した『赤瓦の家――朝鮮から来た従軍慰安婦』(1987年)をはじめ、在日、日本、インドネシア、中国など日本軍「慰安婦」・性暴力を受けた当事者の人生を記録。
私たちの社会が「希望」という言葉を見失ってどのくらい経つのだろうか。希望の喪失度(という言い方があるとすれば)は、安倍内閣になってから急速に進んでいる。私たちは絶望感と閉塞感に苛まされてきた。そこへ「希望のたね基金」である。私はすっかり忘れていた言葉に再会して、ひそかに心躍らせている。この基金が、若者たちをターゲットにしていることが、とりわけ嬉しい。日本軍「慰安婦」とはなんであったのか、なんであるのかを若者たちが理解するときが来ることで、日本と韓国の関係は大きく変わるだろうし、それは必ずや日本の若者たちに生きるに値する未来をもたらすのではないかと、期待が膨らむ。自分の国の歴史を学んでこなかった日本人にとっては、若者だけでなく、新しい時代に生きる手がかりになるはずだ。
弁護士 2017年5月1日現在 1975年弁護士登録。以後、東京弁護士会及び日本弁護士連合会の両性の平等委員会の委員を、2001年4月よりはNPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」の代表理事をそれぞれ務めている。2004年4月より2013年3月まで、明治大学法科大学院教授。第2東京弁護士会所属。主な著書に「性と法律」2013年岩波新書など。 "
国境を越えて人と人とが直接出会い、直接交流することは、国際関係で最も楽しく、最も核心的な要素だと思います。友達が一人でもできれば、自然に相手国や相手地域に対する関心が生まれてきます。日本で韓国の大衆文化が根付き始めたている現在、関心を持ち始めた若い方々に、一人でも多く朝鮮半島の友達と出会う機会が提供できればという願いを込めて、希望のたね基金の事業におおいに期待しています。
立命館大学文学部教授 / 強制動員真相究明ネットワーク共同代表 専攻は朝鮮近現代史、日韓関係史。主要論著に、「朝鮮における総動員体制の構造」『岩波講座東アジア近現代通史 第6巻』岩波書店、2011年1月(共著)、庵逧由香「植民地期朝鮮史像をめぐって-韓国の新しい研究動向-」『歴史学研究』No.868、2010年7月、などがある。
91年に金学順さんが声をあげたとき、私は大学生だった。当事者が声をあげた以上、解決しないわけにいかない、すぐにきっと解決できるはず。そう楽観的に信じていた四半世紀前の私に言ってあげたい。「甘すぎるよ」と。「慰安婦」問題は、この国のアキレス腱だ。国は力尽くで、この問題を忘れさせようとしてきた。「そうはさせない」と、急所に正面から切り込んでいった当事者と支援者の運動は、どれほど過酷だったことだろう。性暴力被害者が声をあげれば叩かれ、なかったことにされるのは、今も同じだ。だからこそ私は、この運動に関わりたいと思う。女性たちの無念を記憶するために。次世代に声と記憶をつないでいきたい。
作家 1996年、フェミニズムの視点で女性向けセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」を立ち上げる。フェミニズム、ジェンダーに関する著書多数。「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)「毒婦。」(朝日新聞出版)「奥様は愛国」(朴順梨との共著著、河出書房新社)「性と国家」(佐藤優との対談、河出書房新社)他。
「慰安婦」問題は昔起きたことだから自分とは無関係」「国家間の問題だし、日韓合意で解決済み」。そんな声をよく聞きます。日本のメディアやネットでは「慰安婦」問題否定論が溢れ、日本政府が歴史の否定や忘却を後押しさえしています。でも、「慰安婦」問題を真に解決し、二度と戦時性暴力の被害を起こさないためには、「慰安婦」問題の事実やサバイバーの声、そして支援運動の歴史について学び、記憶し、それを継承していくことこそが重要なはずです。「希望のたね基金」の取り組みを通じて日本の若者たちが学んだ成果は、私が住むアメリカなど、世界の若者にも影響を与えていくことでしょう。皆でこの基金を育てていきましょう。
モンタナ州立大学准教授 文化人類学・フェミニズム 日本の社会運動、特にフェミニズムや右派運動の調査を進める中で「慰安婦」問題にも取り組む。共著に『社会運動の戸惑い—フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(共勁草書房)、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)ほか。
セクハラにの定義を歪めて水着までセクハラにしたインチキババア。
理事 柴洋子(しばようこ)
1990年から「慰安婦」問題は過去のページに閉ざされた歴史の一つではなくなりました。さらに金学順さんが名乗り出たことを機に多くの被害女性が名乗り出、日本政府に対して謝罪と賠償を求めました。私たちは彼女たちの勇気に支えられて、それぞれ各国の裁判支援を始めました。私は縁があって台湾の被害女性たちと裁判を通して交流してきました。そして30年近くが過ぎ去った今、台湾の被害女性たちは亡くなり、現在お元気な阿媽は2人です。台湾では2016年にAMA Museumを開館し、阿媽たちの歩んできた道を記憶し、記録するようになりました。韓国は「慰安婦」問題解決運動の先駆者です。ハルモニたちの声は国境を越え、現代の紛争下で性暴力被害を受けた女性たちにも勇気を与えています。日本にいる私たちも各国の被害女性たちの声を記録し、若い世代に伝えていく努力が必要です。しかし、どうやって? そういうときに「希望のたね基金」の活動は、まさしく私たちの希望となるものだという確信に至りました。私自身は模索しながらの参加になりますが、希望の道へ連なることができることを嬉しく思っています。
1990年代から始まった日本軍「慰安婦」問題解決運動が30年目を迎えようとする今なお、被害者が望む解決はなされず、その間に多くの被害者が亡くなられました。日本政府は歴史の事実をなかったことにしたいという欲望を隠そうともせず、「日韓合意」で終わった問題と公言して憚りません。忘れさせようとする権力に対し、サバイバーの生き方に学び、記憶することは抵抗であり、未来への一歩です。誰一人その生を再び踏みにじられることのない、性暴力や人権侵害を許さない社会の実現を共にめざします。「希望のたね基金」の取り組みを通じて次世代へとバトンをつなげ、あるべき社会の未来像を形にする一助になりたいと願っています。
原因は尹美香
映画「主戦場」で日本の若者がみな「慰安婦」問題は知らない,と言っている事に衝撃を受けました。しかし1991年に初めて金学順さんが名乗り出てすでに30年近く経っていることを考えると当時生々しい感動を受けた世代も記憶が形骸化しています。ましてや直接被害事実を聞いた事のない世代はこの言葉を知っていても被害者の苦痛を自分の事として想像するのは大変です。「希望のたね」の活動が,こうした問題に正面から取り組んで下さっていることに敬意を表しつつ,これに参加できることを幸せな事と思っています。
日本軍「慰安婦」制度や日本の植民地支配・侵略戦争は、数え切れない人びとの人権と尊厳を踏みにじった国家犯罪です。これらに対する批判的認識を確立し、真に人権が尊重される社会をつくりだしていくことは今を生きる私たちの課題です。マスメディアやインターネット上では、日本軍「慰安婦」問題に対するデマや、朝鮮半島をはじめとしたアジア諸国に対する不正確な情報が溢れています。こうした中で、若い世代のなかには「何が本当のことかわからない」と感じる人も多いでしょう。キボタネを通じて、歴史の真実を学び、東アジアの人びとと交流を深めていくことは、大きな力となっていくはずです。ともに学ぶ仲間の輪を拡げていきましょう。
私は、戦時性暴力は、戦時という特殊な状況下で起きる特殊な態様のものだと以前は思っていた。しかし、戦時特有の事情もあるにせよ、本質においては、どうもこの社会で日常的に起きている性暴力と地続きのものであるということを、日本軍「慰安婦」だった女性達の言葉と、それに対して向けられる偏見と罵詈雑言に接して、感じるようになった。
逃げられない権力構造下で起きた凄絶な被害がどういうものだったのかを直視することは、この社会から性暴力を無くすために何が必要かという本質的な問いのために避けられないだろう。必死な性暴力告発の声を「あなたは合意していたのに今更何を言うのか」と押し潰す暴力性の背後にあるものはなんなのか見極め、それと闘いたい。これが、不勉強と微力を承知で理事就任の打診をお引き受けした理由である。
弁護士 明日の自由を守る若手弁護士の会(「あすわか」メンバー)。「怒れる女子会」呼びかけ人。取扱分野は離婚等の家事事件、一般民事事件等。性暴力
1990年代→新興宗教が毒ガスを地下鉄の駅に撒く。中学生が小学生を殺して生首を学校に置く。金融機関がバタバタと潰れて自殺者が年間3万人を超える。不景気が終わらない。これからどうなるのか。徐々に窒息していくような不安。躁鬱的な雰囲気。病的なヤバさ。
2000年代→アメリカ同時多発テロ事件。イラク戦争。リーマンショック。冷戦が終わったはずの世界がどこかおかしくなっていく。インターネットの普及が融和よりもむしろ分断を招く。小泉構造改革。民主党政権。なんとかしようとして余計に悪化した。永遠に続く不景気。
2010年代→東日本大震災。反原発。安倍政権。フェミニズム。インターネットが「ファクト」を分裂させ、いずれを信じるかで社会の分断が決定的なものになる。アラブの春。イスラム国。ロシアのクリミア占領。トランプ旋風。ブレグジット。世界が壊れてしまった感覚。
1990年代の感覚だとダウンタウンはあくまでウンナンやとんねるずと並ぶ感じだったよな。
内村や石橋と比べて松本だけ飛び抜けてすごかったとか人気あったとかそんな印象はぜんぜんないんだが。
もちろん当時はBIG3+紳助がそれ以上の存在感で居座ってたし。
2000年代なんかぜんぜんパッとしてなかったイメージだけどな。
なんかビートたけしを目指して映画をつくりはじめて大コケしたり。
下からはナイナイとかロンブーとか出てきて「世代交代していくなあ」と思ったり。
ダウンタウンの冠番組が減って、めちゃイケとかのほうがぜんぜん勢いあったし。
それがいつのまにか「若手はみんな松本に憧れてる」「お笑いの神」みたいな扱いになっている。
いつからだ?
紳助が引退してM-1の顔を松本が引き継いだときに「天下人」の禅譲が行われた感じはするな。
あれが2011年のことか。
2010年代にもなるとBIG3がさすがに衰えを見せはじめたし、
松本がお笑い界のトップに押し出されていった、という格好になるのか。
「吉本」という括りで見ると、番頭格だった紳助が引退して松本が引き継いで、
そうしたら上に残ってるのは権威とかぜんぜん興味ない明石家さんまだけだもんな。
下から来る若手はみんなM-1を目指してるから、その代表者の松本はどんどん権威が上がっていく。
うーん、じゃあ結局は島田紳助のせいってことか。
【日本の議論】JR東日本、電車内の携帯電話「電源オフ」ルール緩和へ ペースメーカーに影響なし(1/4ページ) - 産経ニュース
温水洗浄便座
1990年代には日本の新築住宅で多くが温水洗浄便座を採用することになる。さらにオフィスビルや商業施設、ホテルといったパブリック用途にも採用が広がり、2000年代には住宅/パブリック問わず採用されるのが一般的となってきている。さらに鉄道駅、鉄道車両のような不特定多数の利用がある場所でも、採用例が出てきたほか、和歌山県は2013年に県内の全公衆トイレに温水洗浄便座を設置する計画を発表した。
内閣府の消費動向調査によると日本における温水洗浄便座の世帯普及率は1992年には約14%だったが2000年には約41%、2008年には約68%、2010年には71.3%に達した。
幾ら脊髄反射でコメンテイター気取りをしたいはてなブックマーカー相手とはいえ、幾らなんでも情報操作が酷すぎる。
ロクに調べずに、印象だけで書いたということをこれから示すからぷいきゅあとか見てブヒブヒ言ってねーで演劇見ろ。
>> 特に日本では1990年代以降この傾向がすごく強くなって、映画、TVドラマ、観劇、音楽系のライブイベントなどの娯楽は女性消費者主導になってる。 <<
>>映画は18時以降でもスケジュールを組めるし、スポーツもナイター観戦がある。 <<
セントラル・リーグは見れるけれど演劇は見れない具体的根拠を示せよ。
https://baseball.yahoo.co.jp/npb/schedule/?date=2023-05-15
>>例えば宝塚はこんなスケジュールになってる<<
確かに宝塚大劇場のスケジュールは元増田が指摘するとおりだが、同じ『Lilac(ライラック)の夢路』でも東京宝塚劇場の公演にはソワレもあるぞ。ソワレあったら元増田は観に行くのか?
https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2023/lilacnoyumeji/schedule_tokyo.html
元増田が無知なのか敢えてスルーしたのか知らないが、例えば下北沢ザ・スズナリの公演情報は以下の通り
https://www.honda-geki.com/suzunari/
見ればわかるが19:00開演の公演も沢山あるぞ?
(※注:本多劇場は18:00始まりの公演が多いということは付け加えておく)
例えばイケメンをずらりとそろえる。女性向けのロマンスを強く打ち出す。
といった感じで。
そこには男性が好むような題材はどこにもない。
元増田は今年何本の演劇を見たんだ?あるいは見ずとも公演情報をチェックしたのか?
上記に掲出した本多劇場や、ザ・スズナリに行ったことはあるのか?
知ったようなフリをして、調べもせずに印象だけで語ってんじゃねーよ
幾ら脊髄反射でコメンテイター気取りをしたいはてなブックマーカー相手とはいえ、幾らなんでも情報操作が酷すぎる。
ロクに調べずに、印象だけで書いたということをこれから示すからぷいきゅあとか見てブヒブヒ言ってねーで演劇見ろ。
>> 特に日本では1990年代以降この傾向がすごく強くなって、映画、TVドラマ、観劇、音楽系のライブイベントなどの娯楽は女性消費者主導になってる。 <<
>>映画は18時以降でもスケジュールを組めるし、スポーツもナイター観戦がある。 <<
セントラル・リーグは見れるけれど演劇は見れない具体的根拠を示せよ。
https://baseball.yahoo.co.jp/npb/schedule/?date=2023-05-15
>>例えば宝塚はこんなスケジュールになってる<<
確かに宝塚大劇場のスケジュールは元増田が指摘するとおりだが、同じ『Lilac(ライラック)の夢路』でも東京宝塚劇場の公演にはソワレもあるぞ。ソワレあったら元増田は観に行くのか?
https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2023/lilacnoyumeji/schedule_tokyo.html
元増田が無知なのか敢えてスルーしたのか知らないが、例えば下北沢ザ・スズナリの公演情報は以下の通り
https://www.honda-geki.com/suzunari/
見ればわかるが19:00開演の公演も沢山あるぞ?
(※注:本多劇場は18:00始まりの公演が多いということは付け加えておく)
例えばイケメンをずらりとそろえる。女性向けのロマンスを強く打ち出す。
といった感じで。
そこには男性が好むような題材はどこにもない。
元増田は今年何本の演劇を見たんだ?あるいは見ずとも公演情報をチェックしたのか?
上記に掲出した本多劇場や、ザ・スズナリに行ったことはあるのか?
知ったようなフリをして、調べもせずに印象だけで語ってんじゃねーよ
そもそもリアルタイム系のイベントは女性消費者の方がはるかに多くて、最もわかりやすいものだと映画館は女性客の方が多い。
これは根本的に男性は8:00~18:00は労働に縛られていて、リアルタイムの娯楽を楽しむことが許されていないから。
対して女性は平日の昼間でも娯楽を楽しむことが許されている人が多い。
これは別に女性が働いていないとか言う事ではなく、女性の仕事はパートタイムであったり、専業主婦であったりで時間の融通が利くことが多いから。
1日くらいなら家事を翌日にずらしたりすることがしやすい。要するに女性はフレックスタイムな仕事をしてることが多いわけ。
特に日本では1990年代以降この傾向がすごく強くなって、映画、TVドラマ、観劇、音楽系のライブイベントなどの娯楽は女性消費者主導になってる。
なので、男性にある程度人気のある娯楽は平日でも夜間にスケジュールを組むことができる/やってる娯楽に限られる。
映画は18時以降でもスケジュールを組めるし、スポーツもナイター観戦がある。
こういうスケジュールを組むことでなんとか男性客を引き留めてる。
-----------------------------------------------
‐幕間‐ 35分
※尚、終演予定時間は下記のとおりです。
11時公演 14時5分
13時公演 16時5分
15時30分公演 18時35分
-----------------------------------------------
https://kageki.hankyu.co.jp/news/20230418_005.html
まぁ元々女性向けの演劇だからわかるが、こんなスケジュールで男がどうやって見るんだ?
歌舞伎もそう。
もちろん土日には見れるけど、どうしても客数が限定されてしまう。
しかし男の多そうななんばグランド花月(漫才)のスケジュールは19時スタートの部がある。つまりこれは平日仕事終わりの男の客も捕まえようとしてるのが見て取れる。
https://ngk.yoshimoto.co.jp/schedule/
男向けの演劇の少女☆歌劇 レヴュースタァライトはなんと平日の19時スタートの回がたくさんあるのだ。
https://revuestarlight.com/musical/seiran_bg/
ここから見て取れるのはつまりそもそも主要な演劇は男性客そのものをターゲットに入れてない。
例えばイケメンをずらりとそろえる。女性向けのロマンスを強く打ち出す。
といった感じで。
そこには男性が好むような題材はどこにもない。
男性が好むような女優をメインに打ち出して男性客を取り込むようなこともない。
それによってますます男は遠ざかる。これが演劇に男性客が少ない理由だね。
レヴュースタァライトみたいに男性をターゲットに据えてる演劇はようやく出始めて、それは上で言ったスケジュールを見てもわかるようになんとか男を取り込もうとしてるのがわかる。
話の流れとはあまり関係ないけど、個人的には男性向けの演劇を増やすことで労働者(役者)の側に女性を増やすことができると考えてる。
例えば今回の事件は、今までの騎手なら「八百長やインサイダー防止のため」と一言いえば防げたが、Z世代はそういう1段階の理由付けでは腹落ちしてくれない。「スマホ使っていても、八百長やインサイダーしなければいいじゃん」になってしまうのだ。先述の動画閲覧や、角田大河・今村聖奈の2名による通話もその流れで起きたと考えられる。
「Z世代」というよりも、「『Z時代』(2010年代後半~2020年代前半の日本社会を想定)の発想」という理解の仕方をすれば、なるほど、いい説明だなと思った。
「世代」を限定するのではなく、世代を問わず「時代」の流れだと理解すると、この部分の主張がよく分かった。
Z時代の1つ2つ前の時代(1990年代後半~2010年ごろを想定)は、「納得・理解を得るためには、何か理由を付けてあげる必要がある」と言われていた。だから、何かとつけて、理由や説明になっていない「理由」を添えることが求められていた。
Z時代になって、「〇〇じゃなければいいじゃん」という発想・行動が、世代を限定せずに広がっているように感じる。「〇〇」には、八百長・インサイダーといった不正行為のほか、要は「『あらゆる"全ての"他人』への迷惑」(-に、なっていなければいいじゃん)が入る。
日常生活の中で言えば、たとえば公共の場(電車の中)で「お行儀よくしましょう、静かにしましょう」というマナー・ルールに対して、
・だいぶ昔では、有無を言わさず「静かにしなさい」(そのマナー・ルールはどこから来た?)
・Z時代の1つ2つ前の時代では「他の方への迷惑となるので、静かにしましょう」(一応「理由」が添えられるようになった)
・Z時代においては「『他の方への迷惑になるので、静かにしましょう』と言うけれど、『他の方』って誰?誰が迷惑しているの?そいつは他人に迷惑を掛けていないの?違うでしょ?ならば静かにする理由がないですよね?」(潔白性の追求)
こういう変遷をしているように感じる。また、それは「Z世代」(出生年代を区切られる世代)に限定されず、「Z時代」(出生年代を問わずない)の広い年齢層において起きているように感じる。
もしかすると、「総ひろゆき化」の方が理解しやすい話なのかもしれない。2000年前後の2ch草創期~全盛期の若者(15~35歳)だった世代が20年を経てして35~55歳となり、加えて2010年代後半からのひろゆきを見ている世代(現在の10~30歳)が若年層にも拡がっている。つまり、(全ての人が、とは言わないが、各世代に一定数は存在するという意味で)何等かの形で「ひろゆき」に感化された者が一定数存在する世代が、若年層から壮年層まで広がったことで、「それってあなたの感想ですよね?」という世論を作っている時代が、いまの「Z時代」だと理解できる。
「それってあなたの感想ですよね?」のような言い方をすれば、「『スマホを使ったから、八百長やインサイダーが疑われる。』って、それってあなたの感想ですよね?」となり、それに「証拠はあるんですか?『疑わしきは罰せず』・『悪魔の証明』って知ってますか?」と、ひろゆき論法をすれば続いていくように見える。
来客がキッチンシンクを皿用スポンジで洗いやがった、清潔観念がおかしいもう絶縁だとか、旦那がそれやりやがった、もう離婚考えているとか、シンクをスポンジで洗う事で発生するトラブルは多い。
これは畢竟、ケガレの観念の問題だ。シンクは下(シモ)の範疇になっているのである。
実は日本人のこのシンク=シモの感覚というのは20~30年前に定着したもので結構新しい。それまではシンクは上(カミ)の範疇であり、1990~2000年頃はこれらが混じり合った状態だった。また、調理の現場ではまだシンク=カミだ。
ところで古い国鉄時代の特急などでレバーやボタンを放すと即座に水が止まってしまって手が洗えない洗面台に困惑した事はないだろうか?
シンクというのは元の意は「溜め」だ。水を溜めて使うのがシンク。これとは別に「流し」もあった。これは小学校のプール付属の長いのが判り易いね。
故にキッチンシンクも水を溜めて使う、流しとして使うの二つを兼ねる事が前提になっていた。これは洗面台も同じ。
だからキッチンシンクにも洗面台も水を溜める為の栓が必ず付属していた。
また、1990年代前半までのシステムキッチンのCMでは、シンクに水を張ってそこに野菜をまるごと投入して洗うというシーンがよく登場した。それは清涼感の演出のためであり、つまりはシンクはカミだったのだ。
洗面台ではゴム栓だけではなく、もっと機能的なレバーやノブ式の排水栓が一般化していた。洗面水栓の近くにあるノブなどを引っ張ると水がたまるのだ。
今では洗面台ボウルは手を洗った水受けや歯磨きうがいした後の水の吐き出し受けになってるから洗浄後でも水を張ってそこに顔を付けるという行為はしたくない人が多いだろう。つまりはシモである。
このシンクやボウルに水を張って使うというのは80年代後半~90年代に廃れ、キッチンでもシンクにボウルを入れてそこで洗うというのが一般的になった。
この為に2000年代前半から各調度品メーカーは水溜めの栓とか排水蓋を付属しなくなる。洗面台のレバー式排水栓も廃止された。
こうなると利用者の方のケガレ観念も完全にアップデートされてシンク、ボウルはシモのケガレあるものとなり「皿用スポンジでシンク洗いしやがった、信んじらんねぇ!」となるようになったのである。
一方、プロの調理場の方ではシンクは水溜めのままだ。シンクに水溜めて食材洗うし食器のすすぎもする。カミのままなのだ。
だから皿用スポンジでシンクを洗った人は調理場で働いている可能性もある。汚いという意識が発生しない(排水口の網などは別だ。ここは単純に不衛生だ)。
増田も「気まぐれクック」で金子がシンクに魚置いているのを見て「不潔だな」と思う口だったが、実際に自分でも魚捌きをやるようになると、シンクの中でやらないといけない作業が結構ある。
すると食材をシンクに置くなんてとんでもない!というケガレ意識はなくなった。
特急で多客期や臨時列車などで国鉄時代の電車が来ることがある。
トイレが和式なのも困るが、後に手を洗おうとするとすると、出水レバーやボタンから手を離した途端に水が止まってしまうので両手をすり合わせての手洗いが出来ない。一定時間で止まる装置が壊れちゃったのか?
しかもお湯と水の二つのボタン、レバーがあるが、お湯の方を押すと火傷する熱さで手洗い出来ない。なんだこれ!どうやって使うんだ!?
こういう体験した事ないだろうか?
また、昭和中期の古いホテルや旅館に泊まると、同じように水栓が湯水二つあり、こっちは普通の蛇口で出しっ放しには出来るものの、お湯の方はやはり熱くて使えない。
しかもメインのボウルの他に小さなボウルがある。これは一体どうやって使うんだ…。
これも説明しよう。
例を用意した。
これは戦後すぐに製造or改装された旧型客車の手洗いで、ボタンを押している時だけ湯水が出る、洗面ボウルの右にワンタッチ排水栓がある、メインのボウルの左手前に小さいボウルがあるというこの問題の全入り品だ。
https://twitter.com/ma_mere_loye/status/1642412578201800704/photo/1
小さいボウルがある。水栓は湯/水二つ式だったのを潰して後付け水道管に変更されている。
なんでこうなっているかというと、今の人は手も顔も水を出しっ放しにして手を洗い、流水を掌に受けて顔を洗うだろう。
だが昭和中期までの日本人は流水でそんな事をしなかったのである。ほぼ必ず洗面器のボウルに水を溜め、それを掌で掬い、顔を洗ったのだ。だからお湯と水を洗面台で混ぜて適温にしていた。
昔は冷房も無く窓を開けていたので蒸気機関車の煤煙で顔が汚れた。長時間の乗車も多い。夜行列車も多かった。だから洗面は必須だった。
そしたら歯磨きしたりうがいした吐き出しはどうすればいい?
それが手前の小さいボウルなのだ。ここは吐き出し専用で、痰が残ったりしたら手で水を掬って水で流すのだ。
つまりは洗面台=手を洗うところ、夜行なら歯磨きや洗顔の排水受け、または化粧直しの場という風になったのは昭和後期であり、それまでは洗面台はその名の通りに水を張って顔を洗う場所だったのだ。
因みに洗面器という名もその通りで、水を溜められない流しなどでは洗面器に水を張って手で掬って顔を洗う為の物であった。その洗い方では石鹸で水が汚れるが、そしたら水を交換して2回くらいで洗顔する。
ただ、この洗顔法は昭和後期には誰もやってなかった筈であり、感覚的にも大勢が痰や唾を吐いたり手洗いの排水受けた洗面ボウルに水張って顔洗えるかという感覚だった筈だ。国鉄は融通が利かずに規格化されたこのタイプの洗面台を発注していたが当時から手洗いしにくい不便なものという評価だったと思われる。
だからJRになると今のと同じ、自動水栓や時間水栓に交換されたりした。
そういう訳でシンクや洗面台に対する日本人の清潔感情、ケガレの意識がアップデートされ、それによって水を溜めるという構造の調度品が作られなくなり、それでまた更に清潔感情がアップデートされ、となって来た。
故にシンクを皿用スポンジで洗うと非常識に驚き、古い構造の洗面台は使い方すら判らない、という事になるに至ったのである。
だが調理場ではシンクは未だ水溜めて使うカミのものであるから、そういう従事者が他業種の人と交差するとトラブルになる。
またハードな料理をすると家庭でもどうしてもシンクで食材扱うようになるから感覚は変わる。