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はてなキーワード: 1990年代とは

2017-11-18

anond:20171118112111

それほんと思う

女には2パターンあって、

腰掛けのんびり事務しながら適当結婚して妊娠した後のんびり働くor主婦やりたい

ばりばり働いて出世して、子育て仕事も頑張りたい

のがいる

この2つを別物として扱えばいいのだが、女というひとくくりで扱うからおかしなことになる

1990年代などは後者人間が前者に押し込まれて不平不満を言うので、女性総合職になり働けるようになったが、そしたら前者の人間がいる場所がなくなった

anond:20171118104632

1990年代フェミ社会を変えた部分はある。それが企業の思惑とマッチした、というのもある。

女性賃金が低いままだったら今ほど非婚化は進んでないんだよなー、まぁ政治的に正しくないのでそんな社会には戻らないけどね。

君は女性かな?女性だったとしたら年収300万円台の男性を養う気概あるかな家事の出来ない嫁さんを養ってる男性もいるよ。

政治的に正しくなると少子化は進む。

2017-11-12

今こそ問いたい。SNS青少年保護について。

未成年自殺のキッカケにTwitterが使われてしまった。

これを放置してきた業界団体行政は襟を正さなければいけないし、

ネット利用者も、言論統制がどうだと規制に反対する前に青少年保護のことを考えてもらいたいと思う。

 

 

平成生まれの人たちにはピンと来ないかもしれないが、未成年出会い結構しっかり制限されてきた歴史がある。

簡単に振り返ると、

これらは全て、青少年保護目的として行われてきた。

「面識のない異性交際に未成年を参加させない」ために自治体警察努力してきたのだ。

 

 

しかし、規制内容を「異性交際」と限定してしまったために、

性別関係なくコミュニケーションできるサイト出会い系サイトではないよね」

という言い分で堂々と発展してきた業界がある。

それがSNSである

SNSは今でも簡単未成年との出会いが成立しうる。

これは日本における規制歴史から見ても非常にグレーな状態なのである

 

 

例えば日本事業者は、自社のサービス出会い系サイト扱いされないよう

mixi mobage GREE あたりが業界団体(http://www.ema.or.jp/) を作って対抗していたりもするが

結局は警察からの書込み削除要請が大量に行われてたりもして、実効性に疑問がある。

国産SNSですらこの程度なのだ

業界団体に入ってもないTwitter未成年出会いを防ぐような自浄能力は全く無いように感じる。

 

 

今や未成年に対して「ネットを使うな!」と声高に叫ぶのは不可能に近い。

他方、「死にたい」の声を削除するような統制にもほとんど意味がない。

しかし、今のSNS青少年をきちんと保護できているかというと疑問である

ゾーニング目線でも、利用規制でも、何かできることはないのか。

地方警察生活安全課の中にはタイムラインを日々チェックしていたりするチームもあるそうだが、限界もあるだろう。

2017-11-10

また底辺奴隷と化す日本サブカルチャー

かつては、オタクの道を生きる人々の憩いの場であった日本サブカルチャー

今や、その空間社会底辺アジトと化しています

無理もありません。

私たちは、子供の頃、子供にこんなケシカランものは見せないべきという声も聴かされ、「常に苦しんでいた」と涙ながらに訴える彼らによって、その無垢な心に羞恥の杭を打ち込まれてきました。

それがどうでしょうか?

世間の反応は180度変わっています

アニオタ害悪説は、とある雑誌ゴシップによって広められた作り話でした…。

差別も何も、もともと彼らは社会的地位を持っていませんでした…。

サブカルチャー層のほとんどは、はじめからその道での生活を望んでいた人々であり、そんな彼らに日本殆ど口出しをしませんでした。にも関わらず、ゴシップによってその偏見が植え付けられたのです。

それだけではありません。

日本サブカルチャーは、1950年代から始まっていた事…。

そして、その文化を支えてきたのは左翼であり、かつての作家の多くは、左翼出身者が大半であった事…。

サブカルチャーに対する誹謗の多くが、右巻きによって引き起こされていた事…。

1990年代新興宗教暴徒化は、左派右派による宗教団体の操縦に端を発していた事…。

多くの事実が、彼らの手で歪められ、隠滅されていたのです。

彼らは、日陰者を演じる事によって不都合歴史隠蔽し、「文化性」を掲げる事によって、自らの現実否定してきたのです。

私たちは、彼らの都合の為にサブカルチャーに金をつぎ込み、あたかもそれが日本大衆文化であるようにさせてきたのです…。

この事実が明らかになるに連れ、SNS雰囲気は変わり始めました。

「俺たちは知らなかった!」という驚嘆の声が上がり、サブカルチャー大衆社会からのへの中傷罵倒で満ち始めました。

手駒の様に人材精神性を使い捨てる彼ら。その彼らの戦略には、一つの大きな誤算がありました。

それは、世界大衆事実に気づいた時、サブカルチャーに対してどんな感情を抱くようになるか、計算に入れていなかったという点です。実に、彼らの誤算が、若者サブカルチャー市民から市民へと一変させてしまったのです。

このような経緯を承知している為、私は、サブカルチャーのわかり辛さを理解する事はできます

しかし、それでも私は訴えずにはいられないのです。

現実を見ろ!」・・・・と。

自らの正体を“一般人”というマント羽織ることによっておおい隠し、自らの立場を“リア充”という盾を掲げる事で守り、自らの行動を“木鐸”という装飾を施す事で正当化してきた人々に、誹謗発言を浴びせて何の効果があるのでしょう?

例え誹謗する側に理があろうとも、誹謗発言を行えば、第三者には精神障害者一方的迫害しているようにしか見えません。

これでは、彼らの正体をおおい隠す“一般人”のマントが、より厚みを増してしまうだけです。

リア充”の盾を構え、“木鐸”の剣を奮う者に、中傷弾丸罵倒の投石を浴びせた所で、

サブカルチャー精神異常ぶりは、かくの如き酷きもの」と、その盾をより強固に、その剣をより鋭利にする口実を与えてしまうだけです。

放った無数の弾丸は、彼らの盾を貫く所か、盾を補強する鋲にしかなりえません。

投げ付けた投石は、彼らの剣をへし折る所か、刃を磨き上げる砥石しかなりえません。

サブカルチャー過激ぶりが進行するほど、彼らの「一般人」という名の武装は強化されてしまうのです。

事実、彼らは右派を味方に付け、サブカルチャーの居場所を潰す事に成功しつつあるのです。

今後、サブカルチャーが“現実を省みない行動によって”彼らを助け続ける限り、

我々は、世界から精神異常者という汚名を受けながら、既に蝕まれ社会の中で、未来自分たち奴隷としての道を歩ませる事になるでしょう。

もし、それを憂うならば、どうか暴走を止めて下さい!

2010年代ってどのように呼べばいいの

1990年代なら「90年代」「ナインティーズ」なんて呼べばよかった。その次の2000年代はまだ定着できてはいないけど「ゼロ年代」「にせん年代」が妥当なところだろう。

じゃあ今の2010年代は何と呼ぶのがふさわしいのか。今までの流れからすれば「10年代」だろうけど、10という数はどうも軽くていけない。10s(テンズと呼ぶのか?)も同様に軽い。「2010年代」とすれば確実に伝わるがこちらは何とも長い。

年齢層のボリュームゾーン前世紀に偏る当面は、「21世紀初頭」なんて言い方で括られるのかな。

2017-11-01

「なぜか最近になってアニメリメイク企画がやたら増えた」って嘘だよな

1. アニメの数そのものが増えた

2. 「自分たちが知っているアニメ」のリメイクが出てきた

の合わせ技にすぎない。

1990年代にも2000年代にも「昔の名作アニメ」のリメイクはたくさんあったし。

2017-10-28

Ray'z Music Chronology」発売記念ランキング

2017年10月14日(土曜日)に、「Ray'z Music Chronology」が無事に配達されました。

いい機会なので、レイシリーズ楽曲ランキングをまとめておこうと思います。

今まではこういうことをやると、ランキングに入った曲を全て聞くためにはいくつもアルバムを揃える必要があったわけですが、これからクロノロジーひとつ買えば全て揃いますからね。これは買うしかないですね。

注意事項

購入したのが「通常版」のため、Disc11は聞いてないので、選考からは外されています。なぜ特典版ではないかというと、購入手続きを面倒がって後回しにしていたら売り切れていたからです。その程度なのです、はい

ランキングといっても、データを集計したり投票を募ったりしたわけではく、ひたすら私が独断と偏見により順位をつけていきます。ひとつ順位一曲とは限りません。明確な上下を決められない場合、複数曲が入ることがあります。また、同率の場合に後ろの順位を下げるやつ(たとえば1位に2曲入った場合、次の曲が3位になるやつ)はやりません。あれは同率が例外の場合はうまくいきますが、本ランキングでは多用するので、数字が穴だらけになって意味不明になりそうなので。

音楽用語の使い方は適当です。

1位:

女の子にはセンチメンタルなんて感情はない (Raycrisis - アルバム版)

はい最後ループですね。

メロディもさることながら、音色が素晴らしい。突き抜けるような寂寥感。あの寂しい感じは、フォルクローレに通じるものがあるような気がします。そういえば rayons de l'Air でも民族楽器がフィーチャーされていました。

レイシリーズで最も「永遠」を感じる曲です。

2位:

The Fates × Dooms Day (Rayforce - Rubbing Beat)

はい最後ループですね。

破滅する運命に向かって突き進んでいく荘厳な感じがして、エモいです。エモすぎて死ぬかと思いました。

それと、ラストちょい前にコイン投入音がするのがよいアクセントです。ラスボスを倒す前に全機なくなってコンティニューしたとか考えるとまた一段とエモいですね。

この曲の構成は1位の曲と似ている気がします。開始からしばらくはビートの反復が主体で、途中に一回劇エモなメロディーを挟み、またビート主体になり、最後に劇エモメロディー無限ループに入り、フェードアウトして終わり。ということで、自分の中でこの二曲はシリーズになっています。

3位:

生命の風が吹く場所 (Raycrisis - アルバム版)

1位と2位の曲は最後の盛り上がりが一番ですが、この曲は盛り上がる箇所が多いです。

この曲には強烈な「飛翔」のイメージがあり、レイシリーズで最も「高度が高い」曲です。飛翔感というのが重要で、高度が高いといっても宇宙空間まで行くと浮遊感が出てきてしまいます。大気圏内にいて、それで一番高度が高い、というのがポイントです。

この曲が似合うといえば、なんといっても空中ステージボスですね。

4位:

Vit-Symty (Raycrisis - rayons de l'Air)

レイシリーズの終わりを過去形で感じる曲です。もう終わってしまった、と。

5位:

Slaughter Hour (Raystorm - Neu Tanz Mix)

悲壮感はあるのですが、ゲーム設定やタイトルから、人がワラワラいてデスゲームをやっている光景が想起されます。悲しげだけど賑やか、という。

プレステレイストームプレイしているとき、この曲聞きたさに面セレで何度も選んでいました。1分30秒あたりから始まる曲のサビとゲームの進行のシンクロ具合がとても好きです。

6位:

Möbius (Rayforce - アルバム版)

50秒から始まるサビの部分が好きすぎる。

ところで冒頭のほうで「クロノロジーひとつ買えば全て揃います」と書きましたが、あれは嘘です。クロノロジーに入っているこの曲の音源は、セガサターンレイヤーセクション」用のマスターテープと、レイフォースの基盤なわけですが、私が一番いい音だと思うのは「Ray'z PREMIUM BOX -BEYOND-」のアルバム音源のやつです。はい。というわけでビヨンドも買いましょう。やや出費は増えますが、レイシリーズ楽曲は出会って以来ずっと私のプレイリストで現役なので、あなたも今後ずっと聞き続ければ元はとれます、誤差のようなものです。

Quartz (Rayforce - Rubbing Beat)

真っ暗な空間で水晶(クォーツ)がRayの光に照らされてキラキラしているような、そんなイメージ

アンビエントを基調としつつ、5分15秒あたりや7分10秒あたりに派手に盛り上がる部分があるのもよいです。

Metaphor (Raystorm - アルバム版)

レイシリーズで最も「巨大さ」を感じる曲です。とても巨大なものと対峙しているような、かつ、浮遊感のあるイメージ。まあ、つまりはレイストーム4面ボスです。

特に高音のパートは、自分の能力の極限まで搾り出すような緊張感があり、バトルBGMの白眉ですね。

安置 -Antithese- (Raycrisis - コンシューマー版)

レイシリーズの終わりを進行形で感じる曲です。終わる、終わってゆく、と。

ゲームの進行的には「聖母マリアよ、二人を何故別々に」であるとか「童話の消えた森」の方が後なのですが、なぜかこっちの方が終わりを感じます。この曲はプレステアレンジモード流れるので、ノーマルモードからプレイしていった場合に、はじめて聞くのはこっちの方が後になりますから、それもあるかも。

そして、レイシリーズで最も「暗い」曲です。他に暗い曲としては「彼女の目的」もありますが、あれは光の無い暗さで、こっちは心理的にも暗いです。4分6秒付近の、ピアノのデン↓デン↓と下がっていくのなんかもうどん底ですよ。

コンヒューマンのためのレクイエム、といったところでしょうか。

この曲を初めて聞いたのはプレステレイクライシスプレイしたときですが、ちゃんと聞き込んだのは「Ray'z PREMIUM BOX -BEYOND-」を購入したときで、その際、これに歌声が乗ったら良さそうだなあ、と思って歌詞を考えたりしました(出来が良くなかったので削除しましたが)。もしも公式に歌がのるならビヨンドみたいに BETTA FLASH がやるだろう、と思っていたので、クロノロジーでまさにそれが実現すると知ったときは震えました。ひょっとして私は TAMAYO 氏の楽曲を聴き続けることにより、氏との思考シンクロニシティを獲得したのではな(以下略)。

7位:

The Fates (Rayforce - アルバム版)

Intolerance のプロトタイプのように感じます。個人的レイストームレイフォースの順に触れたので。

ところでアルバム上では「The Fates」「Doomsday」「Q.E.P.D.」の並びなわけですが、この三曲はなんだかクラシック音楽っぽいなと感じる部分があります。

Intolerance (Raystorm - アルバム版)

レイシリーズで最も壮大な曲です。

Ray'z BEYOND

レイシリーズ楽曲には「アーバンで退廃的なムード」を強く感じるものがあります。アーバンと言っても、都会の中にいるのではなくて、都会を遠くから眺めているような、それも黄昏に、という感じです。なんのことかわからない方もいるかと思いますが大丈夫です、私の中でもフワっとしています。なんというか、この曲のような雰囲気ですよ。

8位:

G (Rayforce - アルバム版)

はい。この曲も「アーバンで退廃的なムード」ですね。

Cracking! (Rayforce - Rubbing Beat)

ジャジーですよね。この曲のような、ベースがドゥンドゥンいってる感じは好物です。

Ribbing Rubbing Mix (Rayforce - Rubbing Beat)

おー、テクノだ、って感じですね。

複数の元曲のオイシイ部分が詰まっているお得な一曲

Origin (Raystorm - アルバム版)

レイシリーズゲームプレイしていて、最初に衝撃を受けた音楽はこの曲でした。まだスタート画面なのにすげえの来たぞ、なんだこれ、と。

Hard Number (Raystorm - Neu Tanz Mix)

普通にゲームプレイをしていると絶対に聞けないところでなんかとんでもないことになってるぞ、と、衝撃を受けました。ステージクリア後に次はどこへ行くのだろうというワクワク感を増幅させたような曲。

クロノロジーのロングバージョンではこれまで無かったパートがあって、それもポイント高いですね。

女の子にはセンチメンタルなんて感情はない-B (Raycrisis - アーケード版)

A,Cについては概ねアルバム版に取り込まれているわけですが、このBの後半のループは跡形もなくなっています。聞けてよかった。

アルバム版を聴いてきた経験が長いので、このバージョンは何か、歌謡曲カラオケバージョンを聞いているような肩透かし感がありますね。

安置 -Antithese- Ray Dream Version

クロノロジー新曲であり、まだ自分の中で消化できてないので、暫定的にこの順位です。(と書いてて、ふと「消化できたと言い切れる曲などあるのだろうか?」という疑問が湧いてきましたが、さておき。)

7分33秒あたりは「むーにゃにゃー」って歌っているように聞こえるのがちょっとかわいい

9位:

Into Darkness (Rayforce - アルバム版)
Atrocity (Rayforce - Rubbing Beat)

Metaphor とは違った巨大さを感じる曲です。巨人がズンズン近づいてくるみたいな。

曲のタイトル見てると、アストロシティ1990年代代表するゲーセン用の筐体)を思い出します。

Origin (Raystorm - Neu Tanz Mix)

ジャジーですよね。

Intolerance (Raystorm - Neu Tanz Mix)
Ceramic Heart (Raystorm - Neu Tanz Mix)

一番好きなのは、3:55付近からはじまる「ラーラー」の部分です。

10位:

Penetration (Rayforce - Rubbing Beat)

初めて聞いたとき「原曲の音を変えただけのようなものか」と思ってました、すみませんでした。

アルバム最後の曲がフラッシュフォワードしていたり、レイストームメニュー操作音みたいな音が聞こえていたりと、小ネタ面白い

Slaughter Hour (Raystorm - アルバム版)

ずっとノイタンツ版を偏愛していましたが、ビヨンドボックスで改めて聞いてたら、やっぱりいい曲だなあと。

Endless Stairs (Raystorm - Neu Tanz Mix)

明るい曲調なのですが、「楽しい遊びの時間は終わりだよ、もうお家に帰りなさい」感があって、寂しくなる一曲です。セラミックハートよりもエンディング感があるような気がします。

Dead Air (Raystorm - Neu Tanz Mix)
Formless living bodies (Raycrisis - rayons de l'Air)

アコースティックな曲はこれまでにもありましたが、フラメンコを踊ってる現場で録音しているような趣があり、意外な場面でレイ楽曲を使ってるなあという驚きを疑似体験できて面白いです。

11位:

Coeur de Ceramique (Raystorm)

セラミックハートアレンジバージョン。通常版よりもこちらのピアノの方が好みです。

冒頭のほうで「クロノロジーひとつ買えば全て揃います」と書きましたが、あれはやはり嘘で、このバージョンレイストームの通常アルバムしか入っていません。iTunes普通に売ってるので入手難易度は低いです。買いましょう。

Geometric City (Raystorm - Neu Tanz Mix)
ラベンダーの咲く庭 (Raycrisis - アルバム版)

レイシリーズで最も「アーバンで退廃的なムード」の曲です。また、最もアーメンブレイクな曲です。

彼女の目的 (Raycrisis - アルバム版)

最も「深さ」を感じる曲です。まったく光のない深海のような。

The Models (Raycrisis - rayons de l'Air)
Blood and Tide (Raycrisis - rayons de l'Air)

12位:

Cracking! (Rayforce - アルバム版)
Destructive of Power (Rayforce - アルバム版)
司教は言った「それは奇跡じゃない」 (Raycrisis - アルバム版)
ふたつの液体 (Raycrisis - アーケード版)

アルバム版においては、ラスボス曲の前座だなあという感じで印象が薄かったのですが、アーケード版はまるで印象が違います。

レイクライシスの設定的に、ダイブしていたのが現実の近くまで浮上してきて、心臓の鼓動とか医療機器の発する電子音が聞こえてくる感じがします(コンティニューするとまた潜っていく)。ビヨンドムービーでも医療機器電子音が鳴ってたりしてましたね。

.BULE -地球に棲む日- (Raycrisis - コンシューマー版)


はい。以上です。これ以降をやると大半の曲を入れることになってしまうので、ここまでです。

いかがだったでしょうか。「あの曲が入ってないのおかしいだろ」という感想を抱かれたかもしれませんが、これは私のランキングですからね、仕方ないですね。あなたも自分のランキングを発表しましょう。待ってますよ。

それにしても、客観的ランキングなぞ端から諦めていますが、主観的ランキングとしても正確なのか自信が持てません。「この曲、本当にこの順位でいいのだろうか」などと考えだすとキリがないですね。まあ、極論を言えば序列をつけること自体不可能といえます。みんな違って、みんなRAY。ですが、それを振り切ってあえて順位を決めてしまう、そんな蛮勇を振るうのもまた、RAYと対峙する一つの方法だといえるでしょう。

レイシリーズ三部作なわけですが、音楽的にはレイフォースレイクライシスの方が近い印象があります。ストーリーの連続性もさることながら、 RUBBING BEAT が出たのは NEU TANZ MIX よりも後というのも影響しているかもしれません。

ランキングで何度か出てきた「アーバンで退廃的なムード」の曲は、レイストームには無いと思っています。

クロノロジーを聞くにあたり、レイシリーズは、面クリア型のシューティングゲームであり、自機が戦闘機ラスボス人工知能、というのは押さえておきたいところです。

音楽が作られる背景には、たとえば宗教の儀式のためであるとか、祭りで踊るためであるとか、戯曲の劇伴であるとか、クラブで踊るためであるとか、そういった理由がある場合がありますが、本作の場合はそれがビデオゲームだということです。

クリア型のシューティングゲームは、いくつかのステージ(面)で構成され、ステージの中はさらに「道中」パートと「ボスパートに分かれます。

道中は概ね固定時間で終わり、ボスは倒すまで続きます。(概ね、と書いたのはコンティニュー仕様によっては少し延びるからです。全機失うと、ゲームポーズしてコンティニューするかどうか尋ねられますが、このときBGMは止まらないゲームもあります。)

なので、ゲームプレイしているときは、道中の曲はいつも同じ場所で終わり、ボス曲は何度もループする、ということになります。

曲が短かったりステージが長いと道中曲でもループするのですが、そうでない場合は曲の後ろの方が聞けないため、サントラを買って聞くのが楽しみになります。(まあ、聞けている部分であっても、ゲーセンだと音が鮮明に聞こえないのが普通なので、サントラで聞きたくなるものですが。)

レイクライシスのBGMは道中とボスシームレスに繋がっているので、Disc8のアーケード版は、道中は固定時間ボスループ、というのが顕著ですね。

なぜ戦闘機なのか――その特権

近現代の戦場においては、機械が主役です。人間は生身で存在できず、機械のアシスト必要です。

人を戦場へと運ぶ兵器のなかで、戦闘機特権性を持ちます。人間との関係性が、他の兵器と違うのです。

まず、兵器にとって人間は部品でしかありません。戦艦潜水艦航行させるには多くの人手を必要とします。主役は兵器であり、人間は兵器を下から支えるモブでしかありません。

誰も搭乗している敵兵を殺そうとは思っていません。目的は敵の兵器破壊なのですから。人が死ぬのは機械の巻き添えを食ったときです。民間の船や飛行機ではありえないような危険運用を求められるため事故も多いでしょう。

人間は兵器の都合によってすりつぶされ死んでゆくのです。

しかし、単座の戦闘機兵器と人が一対一なのです。そう、単座であるというのが重要なポイントで、爆撃機には複数人で乗りますし、戦闘機でも複座のものもあります。

人間が機械に奉仕させられる戦場において、戦闘機パイロット関係は対等に近い。そういう意味で、戦闘機にはロマンがあるというわけです。

過去において、ロマンといえば剣でした。兵器としての剣は決して最強だったわけではない。にもかかわらず(いや、であるが故に?)、力の象徴となっていました。銃の時代になって以降も、文化として継承されています。現在、剣のような象徴性をまとっているのが戦闘機なのです。

フィクションにおいても戦闘機(と剣)は他にない存在感を放ちます。(ここで具体的な作品などを論じるのは、キリがないのでやりませんが。)

レイシリーズにおける戦闘機は、ロックオンレーザーというオーバーテクノロジーを搭載した唯一無二の存在です。

クリア型のシューティングゲームプレイヤーキャラクターは、唯一無二の存在でなければ務まりません。敵キャラクターとの武装非対称性が顕著ですから対戦格闘ゲームやFPSなどは、逆に敵と味方のキャラクター対称性がありますね)。

なぜ人工知能なのか――軍隊のキャラクター

クリア型のゲームでは、ステージクリアするたびに難易度は上昇します。

難易度の上昇にともない、対決する敵のスケールも大きくなってゆくことが求められ、その到達点がラスボスです。こいつを倒せば敵勢力は瓦解する、というスケールの敵でなければラスボスは務まりません。

現実においては、国家の最高責任者といえどもただの人であり、いくらセキュリティが厳重であってもゲームでいえば2面あたりで登場するような通常兵器しかありませんし、倒したところで国が滅びるわけでもありません。

そこで人工知能です。人工知能ならば、ゲーム難易度と敵スケールの頂点であることに説得力があるような気がしてきます。

剣を携えた戦士と神や悪魔、に替わる神話的なモチーフとしての、戦闘機に乗るパイロット人工知能

レイフォースレイクライシスは、主要キャラクターとして認識できるのはパイロット人工知能だけであり、非常に個人的ストーリーだとみることができるでしょう。一方でレイストーム個人キャラクターは用意しておらず、モブの人がたくさんいる印象があり、そのへんが「アーバンで退廃的なムード」の有無に出ているのかもしれません。(ビヨンドムービーは、複数の作品の設定が混ざっている感じがして面白いですね。)

戦闘機を強く感じる曲といえば「生命の風が吹く場所」です。前述のとおり「飛翔」のイメージですし、ゲーム記憶から「翼」も思い浮かびます。

The Fates」「Intolerance」はラスボス曲なわけですが、この二曲には壮大さや聖性があり、ラスボスへの畏怖の念をかきたてるようになっていると思います。一方、「安置 -Antithese-」は、畏怖よりも滅んでゆくところに重きを置いている気がします。ラスボス終焉レイシリーズ終焉が重なって、とても物悲しい気分になります。

 

最後に。

レイシリーズの音楽は、私の胸の中で決して消えることのない光です。

クロノロジーにより、その輝きはより強くなりました。

今またこうして新作が出たことに感謝します。

2017-10-10

1980~90年代世界的なAnime規制について

うろつき童子っていうエロ漫画がある(明確に成年漫画である

これのアニメ版が原因で1990年台に日本製アニメ英国で退潮した事件があったらしいんだけど何か知ってる人いる?


1990年代は第三波フェミニズムの勃興やあまりに強大になりすぎた日本との貿易摩擦日本アニメの隆盛と合わせて

日本だけでなく世界的な規模で日本アニメに対する風当たりが強くなった感じがしてるんだけどこの辺の流れを日本だけじゃなくて世界的な視点からまとめられる人いないかなぁ。


ドラゴンボールセーラームーンが生まれ時代でもあるんだけど。

なんかアニメが強くなりすぎて各国のテレビを独占してしまったのと合わせて色んな国で規制が強まったのではないかという線で見てる


フランスなんかは宮崎勤事件を明確に持ち出して批判した政治家がいたらしくて同じく(自主?)規制が強まった流れがあるらしい。

http://cenecio.hatenablog.com/entry/2016/09/29/164511


フランス日本製アニメが強すぎてクォーター制度が導入された

https://togetter.com/li/177504


オランダとかでは遅れて2000年に入ってからドラゴンボール流行ったらしくてその辺も規制の影響があったのでは・・・、逆に香港ほとんどタイムラグなかったみたいだけど(香港ちょっと騒がれたらしい。影響薄かったらしいけど)


まぁ調べてるって言っても興味本位でちょろちょろ見てるだけなんだけど。

しかし、クールジャパンとか言って自分から外に出そうとしてる今と違って、適当に売りまくってた過去時代文化侵略とか言われるのは皮肉すぎるな。

2017-09-22

anond:20170922152750

ポリコレアメリカで言われ始めたのは1990年代

日本で「ポリコレ」が流行るのは2016年

ただし保母保育士に改められたのが1999年看護婦看護師に改められたのは2002年で、

まり左翼は昔からポリコレにもとづいて運動を展開してきていた。

どちらかというと「右翼ポリコレという言葉を見つけてやたら連呼しはじめた」が正しい。

2017-09-15

まあ冷静に考えるとただの性病患者がイキってデモだの国際会議だのやってて

被害者でありなんか偉いってことになってた1990年代あたりってやっぱどこか異常だったんじゃねというのは思う

2017-09-12

北朝鮮国民飢餓に苦しんでいるというのは20年前のお話だよ

anond:20170912210731

北朝鮮20世紀末に大飢饉に襲われ多くの餓死者を出した。その頃は日本メディアでも頻繁に報道され、我々の北朝鮮イメージはその頃で固定されてしまっていると思う。元増田もそのイメージのままなのではないだろうか。

北朝鮮だってその後手をこまねいていたわけではなく、年々農業生産能力を向上させている。2006年核実験の頃には輸入や援助が完全ストップしても何とかなるくらいには回復していたらしい。

農業生産量については国連に素直に信じて良いのかわからない数値が年1回報告がなされるだけで謎に包まれている。1990年代飢饉以前は単位面積あたりで見ると、世界で最高に生産性の高い国を上回る量を報告していた。飢饉になってからは援助を引き出すために一気にその量を減らした。そして今はまた実際よりも多い量を報告していると見られている。そういう研究衛星からリモートセンシングなどを使って韓国シンクタンクが行っている。その分析結果の報道英語圏でもめったにないし、日本では多分全く無いのではないだろうか。日本語では救う会ホームページが一番詳しかった。

一昨年の春、北朝鮮での旱魃報道日本でも割とされていたが、その年は後半が豊作で、通年で見たらまあまあだったという。後半の豊作の報道日本国内で全く無かった。去年も春先に旱魃が発生していたが、その後どうなったか報道は見ていない。

農業生産量の改善については金正恩になってから特に改善が著しいらしい。もともとたいして工夫されていなかったので灌漑用の池を作ったり、肥料流通を良くしたりしただけでかなりの改善が見られるという。あと金正恩は農家が収穫の一定割合自分のものにできるようにしたとかで、農家のやる気を引き出しているのだそうな。

2年前、韓国シンクタンクは全国民を養うのに十分な生産量には1割ほど足りないが、輸入が全量ストップしても困るほどではないという感じの見立てをしていた記憶がある。中国から肥料の輸入が止まると困るかもしれないという分析もあったかも。

さすがうろ覚えうろ覚えでこのエントリ結構間違ってたので詳しくは
最新ニュース

2017-09-09

非寛容になる覚悟を持て! ~割れ窓理論実践しよう~

なぜ割れ窓理論なのか

割れ窓理論とは、1982年アメリカ心理学者ジョージ・ケリングが考案した理論である。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。

日本における様々な社会問題は、いじめ問題貧困による問題などを見ていく限り、小さな問題が大きな問題につながっているケースが多い。例えば貧困問題は、福祉システム税金システムの不備という小さな問題が平均所得の下落を引き起こし、最終的に絶対的貧困者の生活苦体感貧困率の増加に繋がっている。

例えば日本の三大疾病のひとつである癌は、初期の段階で放置しているとやがて少しずつ悪化し、最終的には生命危険に至る。だから、どこの保健機関も「癌は早期発見し早期に治療せよ」というのがスローガンになっている。

では、割れ窓理論が実際にどのように活用されてきたのか?一番有名なものニューヨーク市治安改善である1980年代治安危機を感じた当時のニューヨーク市軽犯罪を徹底的に取り締まることを徹底した。最初は強い反発もあったが、次第に軽犯罪取締りの強化に伴い中規模犯罪や大規模犯罪発生件数が減少し、現在ではニューヨーク市アメリカもっと治安のよい都市位置付けられるようになった。ニューヨーク市成功事例を受けて、日本でも7大都市圏を中心に軽犯罪減少キャンペーンが展開され、現在犯罪件数は毎年のように過去最少を記録するようになっている。

ブラック企業貧困問題

ブラック企業貧困がまかり通るようになったのは、富や労働力の再分配が不十分であることが原因である富の再分配とは、税制の改造や富裕層自助努力によって富の一部を貧困層中流に分け与えることを指す。すなわち、消費税システム日用品公共インフラには非課税にし、贅沢品にはなるべく高い消費税(10%程度が望ましい)を課すように改善することや、脱税取締りの強化を行わなければならない。もちろんこれは政治家官僚モラルが善良であることを前提としている。

ブラック企業に関しては、人事が体力・メンタル的に仕事面で合わない人間採用しないようにする、労働力最適化する、長時間労働抑制する賃金システムにするといった複雑な改善必要になってくるだろう。それ以前にゆとり世代さとり世代といったメンタルモラルに欠陥のある人間に対する啓発や再教育なども必要となるが…

右傾化極右問題

現在ホット話題になっているのがまさにこれだろう。人種差別歴史修正主義反知性主義の台頭を野放しにしてきた結果が現在安倍政権であり、欧米における右傾化がある。これに対しては人種差別歴史修正主義反知性主義に対して知識層が批判非難し続けることで鎮圧させることが重要だ。

2017年9月8日東京京橋twitter本社前におけるデモ話題になったが、まさにこれも割れ窓理論に基づく運動であるSNSにおけるヘイトスピーチに対する粛清行為は、ニューヨーク場合における軽犯罪の取り締まりに相当する。これを政治の場面でも活用すべきではないかと思う。

鉄道迷惑施設問題

現在日本人には鉄道=迷惑施設というイメージが定着しており、そのためか鉄道趣味1990年代2000年代に比べてかなり下火になっている。鉄道利用者モラルの低下も叫ばれているが、この大元問題インフラ老朽化などにあるのではないか

地震対策鉄道故障トラブルによる定時率低下が叫ばれるようになってから人身事故(鉄道自殺)や痴漢犯罪社会問題化されるようになった。解りやすくいえば、安全対策防災対策が不十分の、老朽化した鉄道車両鉄道施設が野放しにされることにより、鉄道会社が注意を払っていないと認識した悪徳利用者鉄道自殺痴漢行為引き起こしている。

この問題については、完全な結果を出すことは難しいのかもしれない。何せ日本世界的に見ても珍しい、鉄道会社都市企業化かつ多様化している国だ。しかし、大幅な改善可能であろう。きちんとホームドアを設置する、監視カメラを設置する、鉄道インフラ更新する…こういった地道な努力をすればよい。

国民低能問題

氷河期世代ゆとり世代さとり世代の台頭以降、日本人低能ぶりが露見する自体が多発している。学力の低下、政治意識の低下、娯楽中毒…挙げていけばきりがない。

彼らに対する対策学力政治意識、適度に娯楽と向き合うことの大切さや大変さを学校等で学ばせることにある。日本人学習能力の高い人種であるといわれているので、人種性に合わせた教育を行えばよい。もちろん、違う人種に対してはその人種に合った教育法で教えさせるべきだ。

2017-08-27

学生諸君就職バスに乗り遅れるなよ

https://anond.hatelabo.jp/20170827105358

安倍政権努力(?)によって日本の景気は「普通」になってきているが、この政権自体あと何日持つかわからない。いや、いつ倒れてもおかしくない状態だ。

安倍が倒れればむしろ景気はよくなる(景気回復が加速する)という声もあるが、悪くならないという保証もない。

景気が悪くならないうちに就職するんだ。さもなければ1990年代後半~2001年大学生みたいな苦味を味わうことになるぞ。

いい加減、学生ローンをどうにかしてくれよ

今日本では国民借金の増加について議論が繰り広げられている。特に現在問題になっているのは学生ローンすなわち奨学金である。長引いた不景気に伴う就職難や収入不安定階層高学歴化によって自己破産する家庭が出現している。日本政府日本学歴社会化を待ち望んでいるが、奨学金ローンによる弊害を知った庶民高学歴化(高校卒業後の進学)を諦め、景気の自然回復(とはい不況から普通になっただけだが)による有効求人倍率の上昇や企業努力などによる働きやす環境の整備などもあって、早期就職選択する若者が急増している。これは政府にとって痛い現実だ。世界経済社会成熟に合わせて学歴社会が進むのが当たり前(北欧韓国がその例)だが、日本学歴社会化は減速している。(日本大学現役進学率は1990年代不況以降上昇し続けてきたが、2010年代に入ってから減少に転じた。)これは日本社会成熟させるに当たって解決せねばならない問題だ。

そこで、私は、ローン式の学生奨学金制度順次廃止して、給付式の奨学金に移行させる、学生奨学金改革提案したい。その前提として、人口増加率の減速に合わせた学校の整理を行わなければならない。具体的には底辺の私学に対する閉校勧告公立学校の整理で、学生ローンの原因となっているランニングコストの削減を図る。一般的に、日本では高偏差値学校ほど志望倍率や学生人口が多く、低偏差値になるにつれて倍率や人口が少なくなる傾向がある。欧州教育インフラ成熟がうまくいっているのは、まず大学絶対数が少ないために、公的機関によるランニングコスト負担が軽減されているかである底辺校は切り捨てられる流れにし、学生ローンでまかなっていた教育コスト負担公的に行える土壌になればよい。ついでに、加計学園のような底辺校新規開設も止めさせるべきだ。底辺校粗製乱造公共にも学生のためにもならない。そういう学生浪人して別の大学を志望するなり、大学進学が必要なければ高卒就職する方がよい。大体日本学歴社会なんて韓国よりは100倍ましなのから

なお、今ある学生ローンについてだが、私が教育界隈を司る大臣役人であれば、徳政令によって債権債務を帳消しにすることを考える。「自己責任」という意見もあるだろうが、大学学費ローンは住宅ローン並みと同じくほぼ一生付き合わされる重い負担である。その負担を軽減したほうが、経済復興の加速や若者の消費意欲の向上にも繋がるのではないか。私は国公立大学卒業した中流の上の家庭出身だが、それでも元大学生としての経済的な痛みは理解できている。もし、地方自治体レベルでもいいか選挙政治シンポジウムに参加する際には、是非とも日本学生ローン問題について取り上げてみたいと思う。


とにかく、学生ローンというのは日本社会にとって喫緊課題であるので、次の国会自治体議会において取り上げられればと思う。いや、選挙ときに争点にされなければならないレベルになっているのではないかと思う。しかしながら、私は公務員として働いており、娘や息子も今年受験して来年公務員になる予定があるので、民間人のように政治思想自由に語れないという不自由さもあるのだが……。

2017-08-26

学歴の頭に「最終」が付いてしま日本おかし

学歴の頭に「最終」が付いてしま日本おかしい。

俺はバブル崩壊途中の1990年代前期に、専門学校卒業で、まあまあの大企業系列会社専門職で25年働いている。

俺と同世代は、いわゆる「団塊ジュニア世代」であり、人数がメチャクチャ多く、受験競争が熾烈で、進学校から日東駒専に行く時代だった。

そして、社会に出る頃にバブル崩壊があり、急速に就職戦線悪化していた。就職氷河期世代でもある。

俺と同年代大学に行った奴らは、俺の年よりも更にキビシイ就職状況に見舞われた。この急激な下り時代だったら、高卒で早めに社会

出たほうが、いわゆる大企業への道はあった。

別に大企業が良くて、中小企業が悪いなんて、そんなステレオタイプ馬鹿げている。

何せ、あの三洋電機も消えたし、シャープ東芝も傾いた。世の中、何があるかわからない。

だが、俺は基本的勉強が好きだったので、大学には行きたかった。いまでも行きたい。しかし、日本では40歳を超えた中年には大学の門を

広くは開けていない。社会の仕組み上も。

転職する際に、20代ならまだしも30代以降で、学歴が見られる事があるのには、本当に馬鹿げていると思う。

人にもよるし、様々だが、単に大学に行ったという事実だけでは、その人がどれだけの知識能力、潜在力を秘めているかなど、わかるわけがない。

大学に行ってロクに勉強をしなかった輩は大勢いる。

学歴と、世代間格差話題には、コンプレックスもあって、過敏になる。

学歴価値を見出すなら、大学入学歴だけを見る風潮は払拭しないとだめだろう。大学中退者は、本来は「高卒」なんだよ。

本当、おかしな国だよ。








https://anond.hatelabo.jp/20170825220828

2017-08-19

自由の女神は緑人

1990年代白人黒人かとの議論となり、双方にそれらしい理屈が上がったため、意見の一致をみることは無さそうであった。しかし、結局のところ像の色が緑であることから「緑人」ということで議論は終息している[要出典]

まさかピッコロハルクの仲間だったとは。でも最初は銅色だったんだよなぁ…?

大仏も緑人か?

2017-08-16

https://anond.hatelabo.jp/20170816010539

日本では、古くから文系系のオタク勢力が強く、全国でも最も左翼的文化がまかり通っているそうです。キモヲタ社会問題になった1990年代もありました。

文系系のオタクというのは、「文化社会を担う」と言って実際は「文学芸術サブカル化」を生み出します。そういった文化運動が長く続いた結果、いわゆる「オタク率」が高くなっている形跡があります

大学時代の旧友の説です。

管理教育と校内暴力1980年代から30年以上経ち、当時の教育を受けた世代が既に30代~50代になっています昭和50年からオタク生産されているとすれば、父・子の二代に渡ってオタクという家庭があっても不思議ではありません。そういった筋金入りのオタク若者オタク社会原動力になっていると考えてはどうでしょう

2017-08-15

https://anond.hatelabo.jp/20170815074955

あーなんか「セックスを推奨してるように読める」だけじゃなくて全体的に話が印象ありきになってるな

こちらがそちらが一番聞きたい部分にちゃんと答えられていなかった、ってのは認めるけど

そちらの

現状の教育が過剰に忌避してるとは思えない。

あんたが具体的にあげた項目は性行為作法以外全部現行の教育現場でやってるって言ってるじゃん。んでそれは流行りの同意プロセスと似たような話だと思うんだけど、コミュ力ありきで察しろみたいな記事しかないけど教育現場でどう教えるつもりなのかが俺はしりたい。

実践的な性教育って教育範疇超えちゃうよね。

このへんの発言も単なる主観の域を出てないよね。少なくとも「実践的な性教育教育範疇を超える」という増田理屈自分にはピンとこない。このまま話し合っても平行線になるし、自分意見の論拠となるデータをちゃんと提示しあって「なにを拠り所にしてそう考えるか・そう主張するのか」を踏まえ直すべきでは?

まずこちから先に提示するけど

自分意見形成過程で見聞きした情報、ないし見聞きした情報と同種の内容が掲載されているサイト。とくに「現状の性教育が不十分である」とする論拠、それから後で書く増田の「実践的な性教育セックス講習ではない」の根拠ととなっているのは1と5。

1ははてブでもホッテントリに上がるくらいブクマがついていたからもしかすると増田も読んだかもしれないけれど、この記事の中に「1990年代は熱心だった日本性教育」という項目があり、次のように書いている。

1990年代は熱心だった日本性教育

 実は、日本学校教育現場でも性教育に熱心だった時期はあった。「性教育元年」と言われた1992年からの約10年間がそれだ。1980年代エイズパニックきっかけとして、「エイズ感染予防のためにも性教育必要」と言われるようになり、学習指導要領改訂。「理科」や新たに始まった「保健」を通じて小学校段階から「性」を本格的に教えるようになった。

 流れが変わったのは、2000年に入ってからだと言われる。

きっかけは、厚生労働省所管の財団法人母子生協会が中学3年生向けに作成した冊子「思春期のためのラブ・アンド・ボディBOOK」の回収騒動だ。冊子にはコンドームの装着方法ピルの紹介などもあり、2002年頃、国会で「中学生の性行動をあおっている」といった激しい批判を受けた。冊子は結局、全面回収されてしまう。

 この当時、国会地方議会マスコミを主舞台として「過激性教育学校でまん延している」「教室性交渉方法を教えていいのか」といった批判が激しくなり、「性教育元年」と呼ばれた動きは教室から姿を消した。

 ここを読めば、現在性教育についての内容が行政の取り組みの段階から過去教育と比べて後退的であるということが分かる。また3の記事でも00年代初頭の性教育へのバッシングについての言及があり、ここでも同様の見方を取ることが出来る。

 「性教育の不十分さ」の可能性については増田自分とそれほど意見が違っていないようだから、ここはそのまま承服してくれるだろうと思う。

 次に5について。これは日本オランダアメリカタイといった実践教育を行っている国との教育内容の比較で、この中からオランダアメリカの部分を引用する。

オランダでは~(中略)~思春期を迎える前の時期から性は食事睡眠と同じように日常生活の一部であり、ごく自然で当たり前のことだと教えられます小学校によっては高学年でバナナを使って実際に避妊具を被せる実習を行うこともあるようです。

~(略)~

このように、オランダ若者は性に関する十分な知識を身につけているため、10代の出産率と中絶率が世界の中でも極めて低くなっています

アメリカでは大きく3つのパターンにわかます

○「総合性教育セクシュアリティ教育)」…性を生物学心理学社会学など多角的にとらえて1人の責任ある人間としていかに行動するかを教え、避妊妊娠中絶同性愛否定しません。

○「禁欲教育」…結婚まで性交せずに禁欲生活を送ることがいか重要かを教える教育です。

○「総合性教育禁欲教育プラスしたもの」はどちらか一方に比重が置かれる場合があります

(強調部分はいずれも元サイト準拠)

これ以外のタイでも、これらと同様に単に性機能避妊方法と言ったごく狭い範囲に教えるのではなく、対人関係人権視点と言った多角的目線で“性”を捉えることを重視している、といったような記述が成されている。

 それで、この1と5を踏まえて言えるのは、まず日本性教育世界はもちろんのこと“過去日本にさえ”遅れているということ。また、これだけ行き遅れている状態性教育についてのカリキュラムを多少なり進展させたところで、それが踏み込みすぎになることはあり得ない、とも言える。

 また、コンドーム仮想利用まで教育にとり入れることを容認しているオランダ出産率、中絶率の低さから言っても「踏み込んだ性教育が、乱れた性風紀を生み出すことと直結することはない」というのも明らか。これで自分

セックスという行為存在自体肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」

が単にセックスを推奨するものではない、ということを理解してもらえると思う。

 そして最後増田の言う性教育には限界がある、という主張に対する反論として、先に引用したアメリカ性教育についての文章(抜粋なのでできれば元サイト文章も)を読んで欲しい。

 アメリカ場合特殊で、「同性愛避妊中絶」といった部分までひろく教えるところ、現状遅れているとされる日本さえ先進的に見えるくらいにガッチガチの「反中主義禁欲主義」を掲げるところと、州によって性教育カリキュラムに天と地ほどの差がある。つまりこれは性教育過程で教えるべき知識・教えるべきでない知識」「性教育限界がどこにあるのか」というのは、単に教育者側・行政者側の主観によってしか取り決められていないってこと。

 ともすれば、性教育限界説なんていうのは単なるまやかしで、本当に拠るべきは「性教育限界がどこにあるのか」なんていう主観いくらでも変わるものではなく、「実施した性教育が、実社会にどのような結果をもたらしたか」のはず。そしてその「踏み込んだ性教育実施した結果」は、オランダのそれを見れば分かるように、充分に好意的に捉えていいものになってる。

 はじめの増田記事自分含めたくさんのブクマが集まったのもこの増田のはじめに書いたように

実践的な内容に踏み込めば踏み込むほど、教育とはかけ離れていく

教育とかけ離れれば、それはもうセックス講習

っていう、主観しかない「実践的な性教育セックス講習と同義」「実践的な内容に踏み込む教育とは違うものになる」という理屈立てをさも自明の理であるかのように書いたからなんだよね。

で、自分含めみんなその理屈立てがそもそもおかしいことに気づききれないまま

コンドームを使いましょう

避妊薬を使いましょう

くらいまでならまだ教育範疇だけど

どちらもない時はシックスナインしましょうなんて言いだしたらもう教育はいえない

の部分に突っ込んで、「オーラセックス知識必要」「オーラセックスの話になる意味がわからない」といったように、概ね「踏み込んだ性教育をするべき」という意見にまとまっているはずなのに、各発言にばらつきが出てしまったわけだ。

それで、この辺の話を踏まえたうえで改めてトラバ言及するけど

元増田でも言ってるんだけど

実践的な性教育って教育範疇超えちゃうよね。じゃあ、結局性教育ってどうすればいいんよ

ってのが俺の趣旨なんだけど、言いたいことだけ言ってる感すごくない?

 まず自分質問をする前に、増田自分でさんざん挙げている「教育範疇」というものについて定義する必要がある。明確な定義けがなされなければ増田意見は単なる主観の域を出ないし、主観ありきの出発点で話を始めている以上、そのレールに乗ったまま自分が何か意見を挙げても増田が「それは教育範疇じゃない」と言えばそういうことになってしまう。これはこれまでのトラバ増田が「どう読んでもお前の意見セックスを推奨しているとしか読めない」と主張した、またそう主張し続けることができたことから言っても明らかだ。

 しかしながらそこで「教育範疇とは何か」を定義づけするにしても、先に挙げたアメリカオランダといった他国性教育の例を見れば明白なように、教育者行政者側の視点いくらでも変わり得る「教育範疇」に絶対的基準などないし、もし絶対的基準というものがあるのだとすれば、その基準にもとづいて性教育カリキュラムを制定すればいいわけで、増田の「性教育には限界がある」という主張は成立しなくなる。

 ただ、こう書いて「煙に巻いただけで、さんざん自分質問したことには答えてくれていない」と言われるのは嫌だから元増田

コンドームを使いましょう

避妊薬を使いましょう

くらいまでならまだ教育範疇だけど

どちらもない時はシックスナインしましょうなんて言いだしたらもう教育はいえない

 ここの部分を例に挙げて自分意見を述べておく。

 自分主観と、これまでに引用した記事の知見に拠るなら、妊娠リスク回避しつつ性的快感を互いに感じ合うというのは未成年に依らず性的機能を保持しているあらゆる男女で行われていることだし、別に自分オーラセックス存在を例示するのは何も問題があるとも思わないし、自分はそれが「教育ではない」とは思わない。

 ただ、オーラセックスでも性病感染リスクはあるわけで、「そうするようにしましょう」とまで言うべきだとも思わない。原則として「妊娠したくない(させたくない)、妊娠しても出産できない状況下では、妊娠リスクを伴う性交渉は最大限避けるように努めるべきだ」としつつ、避妊手段や口淫などの性器同士を直接触れ合わせずに性的快感を感じ合う手段を例示する(実際にそういった手段を行うかの判断は生徒側に任せる)のが理想的だと考える。

 どうだろう、増田意見に沿うかはさておいて、ひとまず確かな一意見提示として読んでもらえたなら幸いだけど。

2017-08-16 14:29追記: 全体的にタイプミス意見として明瞭でない部分があったので、論旨は維持しつつ一部文章を手直しした。なんか返信もらえなかったけど、それはそれとしてひとまず読んでくれたのならよかった。

2017-07-09

https://anond.hatelabo.jp/20170708061336

あなたの目に入ってなかっただけでその前から百合って言われてましたよ

百合男子」が連載されていた百合姫前身百合姉妹刊行されたのが2003年だけど、その時には「百合」で中身が伝わるくらいにはオタク一般用語にはなっていた

ファンロード隠語「やさい(やおい)」の時にもわざわざ「くだもの」と対語が発明セットにされていたくらいで、1990年代時点でも「薔薇百合」の概念オタクの間では共通認識だった

2017-06-17

https://anond.hatelabo.jp/20170617015020

IT化が進められようとしていた1990年代にも似たようなこと言ってる人がいたなあ…

2017-06-14

エロゲ流行ったのは2000年代前半のアニメが停滞期だったから説

90年代末。

アニメドラゴンボールが終了。セーラームーンも終了。ガンダムはXで休止。勇者シリーズも終了した。

神坂一あかほりさとるアニメからはほぼ撤退した。

エヴァのあと、次なる大ヒットを出せないまま、平日夕方アニメ枠は縮小していく。

ビバップウテナlainなどは現在でもカルト的な人気を誇るが、決してエヴァに並ぶヒットとは言えないだろう。

またアニメ原作供給源たる漫画業界でも、週刊少年ジャンプが暗黒期を迎えていたのがこの時期だった。

2000年代前半。

夕方から深夜への移行期ということが大きいのだろう、オタクあいだで話題になった作品が圧倒的に少ない。

ONE PIECENARUTOBLEACHの新ジャンプ御三家を除けば、あとはガンダムSEED攻殻機動隊SACくらいではないか

ハルヒらきすたけいおんギアスマクロスF禁書目録化物語……

2000年代アニメと言われて思い出すような作品ほとんどが後半のものである

この1990年代から2000年代前半という時期は、まさにエロゲ全盛期に当てはまる。

雫が96年、ToHeartが97年、 ONEが98年、Kanonが99年。

そしてデータによれば、2004年ごろからエロゲ市場は縮小の一途だという。

このエロゲの衰退はラノベに取って代わられたからだという意見も聞くが、

ラノベの本格的な流行2006年涼宮ハルヒの憂鬱のヒットまで待たねばならない。

一方で、深夜アニメの放映本数が急激に伸びはじめたのは、まさに2004年ごろなのである

http://www.videor.co.jp/casestudies/research/tv/2013/images/04_2_2.png

やはりアニメオタクコンテンツ王者である

エヴァによって目覚めたオタクたちが、アニメの停滞から一時的エロゲ雪崩れ込んだが、

やがてアニメは復活し、それに伴ってオタクたちもアニメに帰還した――

という仮説を立てたので誰か検証してください。

2017-06-01

著作権法改定の噂

ネットでの書籍データコピー問題でついに国会が動きだしたという。漫画小説ユーザーも苦言を呈するほど、確かに規制の厳しさには鬱陶しく感じるかもしれないが、この件は別の課題もあると思う。それは日本法律時代錯誤である

アメリカなどのネット業界にとって日本著作権法の壁の高さが邪魔なのはそもそもネット上でのコピー行為に対する規制がきつすぎること。外国では広告料や利用税の設定で対応しているというが、オタクの大多数としては違う意味迷惑と言うところがあるんじゃないか

これは、1980年代から1990年代観光列車日本各地で広まった頃に、その観光列車の本数の多さや運賃の高さが固定利用者数の減少、バスなどに客が流れることにより渋滞の原因になるなどして迷惑だと非難され最終的には衰退した時と同じパターンを感じる。だがそれを排除してしまうことは、企業努力での公共市場の持続という目標矛盾する。

周知のように出版バブルアニメバブルなどはあったにしてもそれらの市場は失速しているし、印税主体著作ビジネスも先の騒動流通ルールの変化でおそらく今まで通りのビジネスが成り立たなくなってたぶん沈静化する。ほっておけば著作者目線での法律改悪を呑み込むことになるだろうね。

今の法律必要なことは法律近代化である。つまり現代社会状況を踏まえた上での法律に作り変えなきゃいけない。今の日本を見ていると、それが顕在化しすぎて不便極まりない。

2017-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20170522072925

まさに、ブルマーについて「なぜそれが使われてきたのか」という研究出版された。

おそらく制服についてもほぼ同じ論理で読み解けると思うので一読を勧める。

ブルマーの謎 〈女子身体〉と戦後日本

http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-3410-0

女子体操着であるブルマーは、ブルセラブームを契機に批判を受け、1990年代半ば以降に学校現場から急速に姿を消した。消滅社会的背景はこれまでも断片的には語られてきたが、では、腰に密着して身体の線があらわになる服装が、なぜ60年代に一気に広がり、その後30年間も定着・継続したのだろうか。

地道な資料探索や学校体育団体企業への聞き取り調査を通して浮かび上がってきたのは、中学校体育連盟存在だった。そこから、中体連の資金難、企業との提携などのブルマー普及の背景を解き明かす。また、受容の文化的素地として、東京オリンピック女子体操が与えたインパクト戦前から続くスカートの下の2枚ばきの伝統などとの関連も検証する。

ブルマーは導入当初から性的まなざしさらされてきた。にもかかわらず、学校現場ブルマーが存続してきたのは、ブルマーをはく女子身体女子修身教育の幻を見る戦前回帰派と、美と健康を見る戦後民主主義派とが思わぬかたちで共謀していたためではないかと指摘する問題提起の一書。

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