はてなキーワード: 1990年代とは
マホガニー、大豆、金、水力発電は、地球の敵!ヴィーガンはどうお考えで?
1960年代以降にはアマゾン縦断道路や横断道路が次々と建設され、アマゾン開発が本格化し始めました。
道路に沿ってまず木材伐採業者が入り、マホガニーやイペーなどの商業価値のある木を切り出しました。
裸地となった森の跡地に農地が次々と開かれていきました。
1990年代以降、アマゾンは、輸出用大豆栽培のための大規模農業開発地へと変貌をとげました。
アマゾン南側のセラード地域で1970年代後半から始まった大豆開発が大成功と評価された結果、「大豆開発前線」がアマゾンへと北上を続けたからです。
「法定アマゾン地域では農場面積のうち80%を森林として残さなければならない」という法律がありますが、
それはほとんど守られていません。ほかにも、巨大水力発電所の建設や金鉱山開発などの国家規模のプロジェクト、
蠅の王
この世の美しきものすべて
時には克明な現実主義によって、時には想像力を書きたてる手法を駆使するといった、ニュアンスに富んだ作品群を通して、全人類に普遍性を持つアラビア語の創作芸術を形成したこと
張り出し窓の街
弓と竪琴
いつか月曜日に、きっと
1993年 トニ・モリソン(米)
「他者」の起源 ノーベル賞作家のハーバード連続講演録 (集英社新書)
詩趣に富む表現力を持ち 、現実と虚構が一体となった世界を創作して 、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている
白の闇
運命ではなく
故郷の街のメランコリックな魂を探求する中で、文明の衝突と混交との新たな象徴を見出した
わたしの名は赤
新たな旅立ち、詩的な冒険、官能的悦楽の書き手となって、支配的な文明を超越した人間性とその裏側を探究した
来るべきロートレアモン
権力構造の地図と、個人の抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた
楽園への道
稠密で透光性のあるイメージを通じて、読者に現実への斬新な道筋を与えたこと
悲しみのゴンドラ
白檀の刑
2014年 パトリック・モディアノ(仏)
我々の時代における苦難と勇気の記念碑と言える多声的な叙述に対して
戦争は女の顔をしていない
逃亡派
これは多分「ゴーマニズム宣言」で、愛国心によらない”市民活動”をすることで自尊心を満たす自称左派を、本当の政治的信念を持つ左翼と差別化するために「サヨク」と称したことで一般化したんじゃないかな。
「ネトウヨ」「ブサヨ」とかと同世代の言葉というか、ネットで相手の顔が見えない状態で政治論争をするようになった頃に生まれた言葉だよ。
年代で言えば概ね1990年代からポツポツ登場して、ネットがより広汎に普及した00年代辺りから、派生形が大量に発生し始めた。
個人サイトとかが次々閉鎖しちゃって、今では殆ど遡って調べられないけど、当時からそういう表記はあった。
カタカナが差別的な扱いを持っていたのではなく、そもそもは差別化のために生まれた表記。
とりあえず雑にぐぐっとくか
https://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou15/gaiyou15html/NFS15G_html07.html
夫婦の完結出生児数は、戦後大きく低下し、第6回調査(1972年)で 2.20人となった後は、第12回調査(2002年)の2.23人まで30年間にわたって安定的に推移していた。
しかし、第13回調査(2005年)で2.09人に低下し、さらに前回の第14回調査(2010年)では1.96人と、はじめて2人を下回った。
今回調査では夫婦の完結出生児数は1.94人であり、前回調査に引き続き2人を下回った。なお、今回対象となった結婚持続期間15~19年の夫婦とは、1990年代後半に結婚した層である。
各国における実名報道
これに対し、「裁判が確定していないのに、あたかも犯人であるかのごとく報道する」「ことさら名誉を傷つけるような報道をする」など、報道姿勢は疑問視される場合が多々ある。また、近年プライバシー保護などの観点から警察や行政機関等が、「匿名発表」を行うことが増加している。また、社会に大きな影響を与える大事件などの報道では被疑者や被告人の名前が実名報道されることが多いが、あまり社会に影響を与えない小さな事件では匿名報道となる場合がある。実名日本新聞協会はこの問題を調査し、指摘している[3]。
匿名による情報提供者の安全を確保するため秘匿する必要がある場合[注釈 1]
企業名、特にスポンサーとなっている企業に不利益となる場合など
犯罪報道において被疑者が未成年である場合(#少年法61条と実名報道)
犯行時に心神喪失ないし心神耗弱またはその疑いが認められる者の行為は、法的に量刑の減軽または無罪が前提であることから、匿名が原則とされる。(ただし逃亡中など自傷他害の恐れがある場合は実名報道されることもある)
また、実名報道は報道被害につながるとの懸念もある。特に犯罪被害者については1990年代以降匿名での報道を求める声が強くなってきた。これを受けて、政府内では実名報道を制限しようとする動きもあるが、各報道機関は新聞社など各メディア側が責任を持って個々に判断すべきとして、これに激しく反発している。
IT化が進んだ令和の時代に唯一残った「昭和の伝統」の最後の砦という感じだなあ
マスコミにとって一つの権力基盤のように存在しているのかもしれない
対象を脅すこともできるだろうし
かなり闇が深いね
あまりアニメを見ない私だがスパイファミリーがあまりにも面白いのでこれだけ見はじめた。
そんな私が昔のアニメで面白かったのをいくつかピックアップする。
時代的には1990年代までにする。2000年以降はみんなの記憶では新しい方だろう。
ポロンが可愛い。エロスはエロいというわりにそこまででもなかった。原作と比べるとアニメ版は可愛さ重視だった感じ。
そこはクリーミィマミだろ!と言われそうだけど、恋心の甘酸っぱさはこっちの方が好きだった。OPEDも作り込まれていて好き。
OP「ボクらの夢によろしく」は名曲。勝俣州和が居たグループが歌っていたんだぞ!と言ってもわからない人が少なくはなかった。メロディが可愛い。
OPEDが秀逸、あれが夕方に放送されていたという思春期いじめは忘れない。
柔道アニメといえば、やっぱりこれが浮かんでしまう。ミラクルガールは名曲です。
おもしろかっこいいぜ!なんとなく見てしまい、そのまま見続けた作品。これもまたOPEDが秀逸
不遇の作品。魔法少女は売れる!はずだったのに、そこまで熱狂的なファンは居なかった。あ、でも私はかなり好きです。歌も元気になれます。
漫画版は打ち切りもあったが復活を果たし、アニメ版も後半は微妙な感じがあったが、それなりに面白い。
漫画もアニメもなかなかおもしろかった作品。ちち!しり!ふとももーッ!!の回は今もお気に入り。
よくわからない作品。そしてよくわからない間に終わり、よくわからないままゲーム版がアニメの続編という立ち位置になっていた。未だによくわからないがなんとなく気に入っているアニメ。
ゲームでおなじみのバーチャファイター。千葉繁のナレーションがなかったら、あまり見なかったかもしれない。いわゆる愛が足りないぜ。
ノベルがアニメになりました。作画が手抜き…というか、急ピッチで作ったのか、よっぽどケチって作ってしまったのか、様々なところに不満の多い作品。それでも原作が好きなので見てしまう。いわゆる愛は足りていた。
演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能な音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能の概念は、今日例えばパソコンのシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食を強要していると言う点で事実上の演奏不可能の作品である。
今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモス・アルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏が重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例である。クセナキス自身はテレビのインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。
しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単な作品も人間が演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である。
前述の通りポピュラー音楽はクラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。
特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞・作曲 桑田佳祐。アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏は事実上不可能となっている。ソフトウェア用マスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である。
作曲家が演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさらに作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのものは今日では演奏やレコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。
指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力が要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である。演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽の大家の作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストがベートーヴェンの交響曲をピアノの為に編曲したものが存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタは比較的易しい。
超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニが作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏が不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題が引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。
タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲である。ピアノのパガニーニを目指したリストの代表曲である。一般の演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リストが超絶技巧の極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーとレスリー・ハワードが録音を残している。
演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品。しかし現在では、早熟なヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。
は第一楽章がオクターヴの速い動きで事実上の演奏不可能の作品である。解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。
パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲の構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイス・クラスナー独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲者自身は生演奏を聴いていないとされる。
1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエの作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会で一般公開され、色々な同僚作曲家の意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。
チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキーと意見が対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディッティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディッティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。
・客が普通に食ってんのに夫婦同士(店長と店員)がくだらない喧嘩始める(しかも個人店ではなくフランチャイズのチェーン)
・小学校で女子生徒に冗談めかして抱きつく男性教師、男子生徒の局部を(なぜか手の甲で)触る女子教師
・淫行で逮捕されて懲戒免職食らった教師がほとぼり冷めたあとによその学校へ再就職してその後教頭に昇進(しかも公立学校での話)
・高校の運動部で血出るまで、怪我するまで部員を殴る蹴るする指導者が当たり前にいた
・(やった側、やられた側を合わせると)カツアゲ経験率の驚異的な高さ
・課のみんなで風俗旅行(気合入ってるとタイに遠征して幼女買いに行く)
・薄給でいいからとにかく休みが多くて残業少ない仕事に就きたいという価値観がキチガイ扱い
・飲食店のレベルが今じゃ考えられないほど軒並み低く、完食不能なレベルにマズイ飲食店すらそこかしこにあったので外食がギャンブル
・深夜番組でオッパイ平気で出るし発売予定のAVの紹介なんかもしてた(ドラマGTOなんかでは作中でAV流れるシーンもあった)
・精神病院や障害者施設で生きるか死ぬかの虐待が平気で繰り返されてた(そういう闇を題材にした『聖者の行進』というドラマがあり、虐待描写が酷すぎて抗議が殺到したらしいが、現実の事件はこれより全然酷かったという)。
また、精神疾患起因の妄想ではなく、健康にも関わらず陰謀によって精神病院に強制連行され薬漬け&軟禁で人生終了させられた人がマジでたくさんいた。
・反社と強い関わりがある、のではなく反社そのもののベンチャー企業でも上場できた
・過激派の内ゲバでまだ死人が出てたし、革マル系サークルに住み着いた部外者の排除に踏み切った大学学部長が自宅から出た瞬間に角材で滅多打ちにされる事件なんかも
・一般人が被害者の凶悪殺人事件が起きたら芸能レポーターや取材陣が平気で葬式に押しかけてその時撮った映像を夕方のニュースで10分くらい流す
・都心まで20分かつ駅近の下町や湾岸エリアの宅地と、都心まで80分かつ駅徒歩20分の新興住宅地の坪単価が同じだったりした
素晴らしい
全て間違っている
1990年代に営業特金をいきなり禁止したことで企業の利益が激減した
それどころか赤字に転落する事になった
山一証券が潰れた原因にもなった
徐々に規制すれば良かったのに無数の企業の利益を確保していた営業特金を禁止にした結果日本経済は大混乱になった
営業特金をやっておけばとりあえず簡単に利益を上げられた時代が終焉した
福利厚生などが充実していた企業もコストカットをしていくこととなる
このような状況になったにも関わらずろくな金融政策を行わなかったのが政府
減益しているのでリストラも行っていく
あらゆるコストカットを強いられ、人材も正社員という固定費を嫌うようになった
2000年代を迎えると派遣社員だとか契約社員(嘱託社員)など非正規雇用が大幅に増加した
こうして失われた30年が誕生した
政治家の汚職事件などからインフラ整備費用なども削りに削って関連会社が倒産も多くなった
政府は氷河期世代は親の金や非正規で凌げと言わんばかりに何もしなかった
全て政府が悪い