はてなキーワード: 成功とは
先日、フリーランスとして手伝っていた会社が倒産した。この業界で20代後半まで活動してきて、感じることがたくさんあるので、思うままに書いてみたい。
学生時代の私は、「"死んだ目をして満員電車に乗って働く"なんて絶対嫌だ」と思っていた。いわゆる意識高い系で、海外ボランティアに参加したり、地方創生を掲げて学生ながらイベントを開催したりしていた。あの頃、周りの謎めいた大人たちを妙に尊敬していたし、なぜ社会や世界が変わらないのか、本気で嘆いていたように思う。
就活時には「スーツを着て面接なんてダサい」と反抗的な姿勢をとり、仲間とそんなスタンスを共有しながら、迫る社会への不安を分かち合っていた。
それから10年近く経ち、振り返ってみると、自分も変わったなと感じる。大学時代の自分をこうして振り返ると、つい冷笑してしまうし、同じような学生に出会うと、自分が昔嫌っていた皮肉なおじさん的な振る舞いをしていることに気づき、少し恥ずかしくなる。
あの頃の私は、卒業後も「Twitterで話題のWebエンジニアブーム」に乗り、プログラミングスクールに通い、新卒でベンチャー企業に入社して海外で働く――まさに意識高い系トレンドを突き進む、典型的なミーハーだった。今振り返ると、当時の自分が滑稽に思える。
この記事で伝えたいのは、「誰もが成功するわけではない」という、当たり前だけれど大切なことだ。学生時代の意識高い系の友人たちも、今ではその勢いを失った人が多い。ワーホリで海外をさまよう者、鬱で社会復帰が難しい者、愚痴ばかり言う者、死んだ目をして満員電車に乗って働く者――それが現実だ。
また、当時関わっていた大人たちも、学生をうまく利用したい人や、社会の第一線から退いた人が多かった。地方創生も行政にとっては「メリットのないことをやってくれる人材」を求める施策に過ぎず、学生をおだてて地方移住させる行政職員を見ると、なんとも言えない気持ちになる。
「スタートアップで上場して億万長者になる」という夢物語も簡単には実現しない。私が関わった3社も、事業整理で撤退、コロナで身売り、倒産と、どれも悲惨な結末を迎えた。資金調達の熱狂が終わり、エクイティの関係で撤退もできずゾンビのように続ける社長たちも多く見てきた。VCが学生をそそのかして起業させる光景にも、時折やりきれない思いが湧く。
「いい加減、俺にも夢を見させてくれ」と叫ぶ過去の自分と、「これが現実か」と冷静に受け止める今の自分がいる。
債権者集会で、髪が乱れ、うつむいたままの社長を見たとき、言葉にできない感情がこみ上げてきた。
そんな中、スモールビジネスブームに乗り、私はのらりくらりと会社を始めた。先日決算が終わり、売上は3000万、年収は2500万ほどになった。ミーハー意識高い系バンザイ。
上か下かというより、ハマる人はハマるよな。ヨウジとかもそうだけど。
○選シリーズも下火になってきたところで投下するよ。
元ネタ1:
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
元ネタ2:
https://anond.hatelabo.jp/20241026213447
最初はファミコンだけで10選を作ろうとしたけど、方針を変えた。なぜならファミコンの初期にはアーケードからの移植作が多く、それらはどちらかというとアーケード作品として評価すべきだからだ。
ついでに他のハードも含めて、同時代のコンピュータゲームすべての中から選出することにした。なおシリーズ物は一作のみとする。ゲーム史のカンブリア紀におけるレジェンド級の作品を見て行こう。
アメリカのアタリ社が開発し、世界で初めて商業的に大ヒットをしたゲーム。コンピュータゲームが一大産業として成立する道を開拓し、これをきっかけとしてアメリカでアタリの時代が花開くことになる。
日本では翌年にタイトーとセガがポンのコピー品を作り、これが日本初のゲームとなった。
アタリのヒット作第二弾。いわゆるブロック崩し。これのリメイク版にあたるのがアルカノイドで、現代に至るまで古典的なゲームの一つとして知られている。
日本ではタイトーとナムコが正規のライセンスを持って生産していたが、それ以外にも日本の多数のメーカーがこれを模倣したようなゲームを作り、のちに日本のゲーム産業が花開くきっかけとなった。
いまでは有名なメーカーが、正規のライセンスもなしにコピー品を作っていたという、大らかな時代でもあった。後にタイトーが、これをもとにスペースインベーダーを作ることになる。
初の日本のメーカーによるオリジナルの大ヒット作であり、日本で初めて社会現象を巻き起こしたゲーム。それまでゲームに縁のなかった日本のお茶の間にまで、コンピュータゲームを知らしめた作品。
日本のアーケード史上最大のヒット作といわれ、喫茶店やスナックのテーブルがこのゲームのテーブル型筐体に置き換えられるほどだったという。
数が減るごとに動きが速くなる敵、敵がこちらを攻撃してくる緊張感、たまに出現して撃ち落とすとボーナスの入るUFOなどアドレナリンの分泌を促す仕掛けが満載で、ゲームの面白さの本質が詰まっている。
単独のゲームソフトではないが、シリーズまとめてランクインとする。
初の大ヒットした携帯ゲーム機で、特に低年齢層を中心に爆発的にヒットした。当時のゲームセンターは不良の溜まり場で子供には出入りしにくく、据え置きの家庭用ゲーム機もあったが値段が高く、
そんな中で比較的安く買えてどこでも手軽に遊べるゲーム&ウオッチは子供向けのゲーム機としてうってつけであった。
横井軍平の代表作の一つであり、シャープと提携して電卓の技術で作られた玩具。この横井軍平とシャープのタッグは、のちにゲームボーイを生み出すことになる。
ナムコの躍進のきっかけとなった作品にして、日本のアーケードの大ヒット作第二弾。
敵の種類ごとに異なる思考アルゴリズム、敵との強弱関係を逆転させるパワーエサ、緊張を緩めるコーヒーブレイクなどゲームを飽きさせない工夫が随所に施され、その工夫の数々は多くのクリエイターに影響を与えた。
日本のみならずアメリカでも大ヒットを飛ばし、日本のゲームが世界で通用することを知らしめた。80年代のゲームの中心地がアメリカから日本に移っていく、その象徴となる作品。
ウルティマと共に、すべてのコンピュータRPGの始祖と言っていい作品。もともと机上で行われていたTRPGであるD&Dをコンピュータ上に移植するというアプローチで生まれた、他のゲームとはだいぶ出自の異なる作品。
ゲームシステムの多くはD&Dに由来しているが、移動画面と戦闘画面の切り替えによって進めるゲーム進行、コマンドを選ぶことで進める戦闘システムなどコンピュータRPGの基本的なシステムが完成されており、
ウルティマと共に、後のドラクエやFFに大きな影響を与えた。堀井雄二も坂口博信もこのゲームをやり込んだという。
スペースインベーダー、ギャラガと続くシューティングゲームの系譜を完成させた作品。初めて隠れキャラを採用した作品として知られ、ゲームにおける「隠し要素」の祖ともいえる。
グレーのグラデーションで描かれた光沢のある敵のデザイン、航空写真のような森、海、道の風景は、真っ黒な背景に簡素なグラフィックのゲームが多かった時代に圧倒的なクオリティを誇っていた。
何度でも繰り返し遊びたくなる仕掛け、背景の物語の神秘性と相まって、多くの人を熱狂させた。
説明不要、宮本茂の生み出したゲーム黎明期の最高傑作の一つである。
その画期性はググればいくらでも出てくるのだが、改めて分析しても同時代の中で突出した存在である。
どこまでも広がる世界の解放感、至るところに隠されたアイテムやボーナスステージ、操作に習熟するごとに感じられる上達の喜び、初心者が楽しみながら悔しがりながら上達できるレベルデザイン、
どこを取ってもオーパーツのようなゲームであり、いまだにゲームの古典的教科書の一つである。
アーケードからの移植作が多かった時代に、この作品は「ファミコンでしか遊べない大ヒット作」であり、これ以降ゲームの主戦場はアーケードから家庭内に移ることになる。(ゲームセンターに風営法が適用されたことも影響している。)
ウィザードリィやウルティマを元に、日本人にはとっつきにくかったRPGを日本人向けに大幅にアレンジして生まれた作品。
これ以前にも日本のメーカーからRPGはいくらか出されていたが、ドラクエの爆発的ヒットを元に、日本独自のRPG=JRPGの市場が開拓されることになる。
とっつきにくい要素を排除するために、元のTRPGにあったリアリティを大きく削ぎ落したりしているため、当時のTRPG界隈などからは批判も受けたようであるが、そうでもしなければこのゲームが国民的作品になることはなかっただろう。
反面、そのあまりにも日本向けに特化しすぎたアレンジが仇となり、海外展開にはあまり成功していない。
ドラクエが生み出した(時におかしな)JRPGの「定番」「お約束」は数知れない。その影響はゲームだけに留まらず、西洋ファンタジーを題材とした漫画やラノベ等にもおよび、今日に至るまでその影響を与え続けている。
宮本茂の最高傑作第二弾。スーパーマリオとはまた違った方向性で世界の広さを表現した、知恵と工夫と探索のゲーム。
このシリーズは極めて神がかったバランスの上に成り立っており、簡単に模倣できる作品ではないため、直接のフォロワーとなる作品はあまり現れてはいない。
しかしゼルダシリーズの魂とでも呼ぶべき、閃きと発見の楽しさは形を変えて多くのゲームに受け継がれている。それはダンジョンの中のちょっとしたパズルや謎解きだったり、アイテムの入手によって切り拓く道だったりするだろう。
近年のインディーズ市場において、ゼルダシリーズから影響を受けたようなゲームが多数見られることからもその影響力の大きさが伺える。
◆◆◆
以降は選外となった作品。
世界初のコンピュータゲームと呼ばれるものの一つ。オシロスコープとアナログ機器で作られたゲームであり、正確にはコンピュータゲームと言えるのかも分からない。
研究所の見学者に大評判だったが、その後忘れ去られ、後のゲームには影響を与えていないという。時代を先取りしすぎた作品。
学生サークルが開発し、商業的に成功した作品。いわば同人ゲームの草分けのようなものである点に着目したい。アマチュアが作ったゲームで初めてヒットした作品といっていいのではないか。
ローグライクと呼ばれるジャンルの始祖となった作品。D&Dから影響を受けて作られた探索ゲームであり、実はウィザードリィ、ウルティマよりも古く、最古のコンピュータRPGの一つに数えてもいいかもしれない。
コンピュータRPGの始祖の一つで、ウィザードリィと共に後のドラクエやFFに大きな影響を与えた。2D見下ろし型のフィールドマップは、このゲームが元祖である。
正直10選に入れたかったが、宮本茂多すぎやろと思って外すことにした。
宮本茂の初のヒット作にして、後に世界的大スターとなるマリオのデビュー作。コンパクトな画面に詰め込まれたジャンプアクションで、後のスーパーマリオにつながるようなアイディアが、すでに多数詰め込まれている。
テキストアドベンチャーの傑作で、堀井雄二の原点。原作はPC版だが、どちらかというとファミコン版の方に着目したい。
コマンドを選んで進めるというファミコン版のスタイルはドラクエの原点ともいえ、このゲームの開発で得た知見はドラクエの開発に大いに影響したことだろう。
最も知られているのはゲームボーイ版だが、最初に作ったのは旧ソ連の科学者である。
ゲームボーイ版の方は「ゲームボーイ史上、もっとも重要なゲーム10選」に選出されているのでこちらはあえて原作をチョイス。純粋なパズルでこれだけ人を没頭させるものは他にないだろう。
光栄の歴史シミュレーションゲーム。この2年前に「信長の野望」が発売されており、歴史シミュレーションゲームとして最初にヒットしたのはそちらであるが、俺は三國志の方を評価したい。
これは歴史のifを楽しむゲームであり、人材登用のシステムによって史実では敵だった人物を部下にするなどして、夢のドリームチームを組むという楽しみ方ができる。
歴史を題材としたゲームでありながら歴史を大胆に改変してもいいという発想が大きな魅力につながり、こうした発想は現在の歴史物のゲームにも影響を与えている。
世界初の体感型ゲームにして、セガの体感ゲームシリーズ第一弾。バイク型の筐体にまたがり、身体を傾けて操作するバイクレースゲーム。
ゲームの主戦場がアーケードからファミコンに移る中で、そのアーケードでしか実現不可能な臨場感が注目された。こうした大規模なギミックは、後にアーケードが復権する鍵の一つとなる。
ドラクエ以前の日本のRPGで大きくヒットした作品。日本のPCゲームで最も売れた作品とされ、ファミコンともアーケードとも異なるPCゲーム市場を先導した。
コナミを代表するシリーズの一つとなった作品。任天堂のメトロイドと合わせ、メトロイドヴァニアと呼ばれるジャンルを形成しフォロワーが多数現れている影響力を評価したい。
セガの体感ゲームシリーズの一つで、リアル系ドライブゲームの元祖。車を運転すること自体の楽しさに焦点を当てたゲームで、ドライブの楽しさが存分に盛り込まれている。
スクウェアの本領が発揮されるのは90年代だと思うのでここに入れるかも迷ったが、初代が売れなければスクウェアが潰れていた、という点で重要な作品。
闇バイトって完全にコロナ禍と自己責任社会の被害者という困窮問題やろ
と、この世代はコロナ禍丸かぶりである。(なお、トー横キッズはホスト問題も絡んでるでまたややこしいが、ホストもこの世代である。)
コロナ禍時にこの世代に対する困窮対策はほぼなく、安倍ちゃんが犬動画を上げたくらいである。また、社会の支援対策だと生活保護があるが、この世代にはまず下りず、桐生市で有名なように水際が公になっただけである。
この世代は、社会への頼り方を知らない、またはしたとしても無視されるという、弱者男性問題と地続きである。
この周りに頼ってはいけない・自己解決しなければならないという空気感は、氷河期世代からあったのだが、
明らかに近代的自我教育が招いた自己責任社会である。なお、このような近代的自我は哲学者フーコーにより幻想だと批判されている。
こういった世代が、自己責任と自己解決の名の下、闇バイトに手を出して、自分の生活のために強盗・殺人に手を出してるのである。
彼らからしてみれば、自己責任の名の下、自己防衛できてなさそうな場所を狙ってるだけである。
まとめると、
さらに、彼ら世代は、少数派であり、投票行動レベルではまず変わらないのである。
これで安彦氏は失敗してアニメから撤退しちゃうらしいんだけど、作画はいいし、なんだろう…
リアルな戦闘車両とか登場する割に、物語がどこか幼い子供向けというか、絵とかキャラとか設定に対して対象年齢が低すぎるというか、
たしか、安彦氏が児童書に描いたのが元になったような話を聞いた気もするし、
あと、ゴーグだけじゃなくて、他の作品も、特に近年のククルスドアンもそうだけど、正直言ってなんかどっか面白くない、つまらない
理由として何と表現していいのか分からないけど、意外と理詰めで作ってない?という気がする
なんかビビッと来ることは誰にでもあるんだけど、その直感に盲目的に狂信的に従って行動するのって難しいわけだよ
例えば、宗教家というか、例えが悪いけどイエスだってそうかもしれないわけだよ
ジャンヌダルクだって病気だったからかもしれないけど、てんかんとはいえ、見た幻覚を信じ切って行動するって難しいと思うんだよね
妄信的、狂信的、どこか狂ってないといけない
でも、安彦氏は良くも悪くも真人間なんだよな、ヤマトの西崎なんて基地外レベルなわけだけど、あれぐらい狂ってたから一度はヤマトを成功させた、二度はなかったわけだけど…
そう考えると、安彦氏に足りないもの、クリエイターに必要なものは一種の狂気なんだろうけど、
そういうのは狂人のふりしてたら狂人になれる、なんてことは実際はそうはなくて、本物の狂人には敵わないと思うんだよね
巨神ゴーグ、すごくいいんだけどね
ボックスが出るたびに、買おうかどうか迷って、でも自分ももう歳だし、金もないし、ボックス買って繰り返し見るかというと疑問だし、
パッと部屋の中を見渡してみても、イクサー1とかゼオライマーのDVDがあったり、ガイナックスの帰りマンとかヤマタノオロチとかあるけど、まあ観ないよね
エヴァの限定ボックスもあるな、でも、あんまり観ないんだよな、寧ろ、ひとり上映会やって断捨離しないとなぁ…😟
話がズレたけど、ほんとゴーグおしいよなぁ
子供の頃、ボンボンとか読んでて、マノンさんのゴーグとか、いかにも悪役というか、サイコガンダムっぽくて、たしかキャノン付いてて、好きだったんだけど、
安彦さんの絵は大好きなんだけどね、なんで物語になると微妙になっちゃうんだろうね
まあ、浦沢直樹もそうなんだけどね
2話以降も書けたら書きたい。
というものだと思われる。
これには幾つか理由がある。
まず、いづみは玲央の店の原価率を調べるシーンが出てくる。
これはおそらく飲食店を経営した経験がある人にしか出来ない発想だろう。
朝子は端島で「銀座食堂」の看板娘をしていたため、おそらく飲食店経営のノウハウが多かれ少なかれあるのだろうと思われる。
次に、朝子は鉄平に片思いしていたが、おそらく最後まで鉄平とは結ばれる事は無かっただろうと予測している。
鉄平はリナの事をこの先想って行くシーンが描かれるのではないかと予想している。
どこか割と金持ちの相手と見合い結婚でもさせられるのでは無いかと考えている。
もしくは、鉄平とリナが結婚したことによって鉄平を忘れるため、
何れにせよ本作にまだ登場していない、それほど重要ではない男性人物と結婚するのではと思われる。
完全なる妄想になってしまうが、その金持ちの旦那に心から愛情を抱けなかった朝子は、
子供達を育てながら何かしらの事業、おそらく飲食関連の事業を立ち上げるのではないかと読んでいる。
その事業が成功し、現在の地位があり、おそらく旦那とは死別したか何かで現在は独り身、という状況ではないのだろうか。
そして、その飲食事業の関連かなにかで、玲央の働くホストクラブを突き止め、
鉄平にそっくりの玲央に声をかけた・・・のでは無いかと思われる。
いづみは玲央を長崎に連れて行き、ちゃんぽんを食べるのだが、ここにヒントが1つ隠されている。
おそらく朝子は飲食事業の出発点として長崎本土に銀座食堂を出店し、今は別の人物が経営しているのではなかろうか。
「うまい、うまい」とちゃんぽんを食べる玲央の横でいづみは「普通よ、普通」と言っていたのでは無いか。
もし、朝子=いづみでなければ、いづみも玲央と一緒に「美味しいわね〜」などという感想を語るはずである。
おそらく鉄平とリナの孫にあたる人物が玲央ではないか、と予想している。
ただし、リナと結婚し子を授かった鉄平は炭鉱の事故で死んでしまうのでは無いかと予想している。
独り残されたリナは幼子を抱え、端島を出たのでは無いかと思われる。
そう、冒頭の海で赤子を抱いたリナが夜小舟で独り島を出るシーンだ。
リナの子供はその後家庭を築き、そこで生まれたのが玲央、つまり鉄平の孫だ。
鉄平の血を引く玲央に端島の歴史を伝えたい、もしくは何かしらの理由でいづみ自身の財産を鉄平の孫に渡すため、
いづみは玲央に「結婚」を持ちかけたのではなかろうか。
さて、最後に大きな疑問が残る。
2話の予告最後の嵐のシーンで、暗くてはっきりとは確認できなかったが、
進平とリナと思わしき人物が見つめ合うシーンが映っている。
配役的にも、斎藤工という大御所を単なる主人公の兄という脇役だけに留めておく訳がない。
いづみが語り出した「あれは何角関係だったかしら・・・」という「X角関係」の中におそらく進平が絡んでくると思われる。
だとしたら、リナが結ばれた相手は鉄平なのか進平なのか、謎である。
以上、稚拙な考察ではあるがどこかに書き残して置きたいと思い書いてみた。
そして、個人的に端島へただならぬ思いを抱えている筆者としてはおそらく一生涯忘れられないドラマとなるだろう。
と、こう書くと過激に聞こえるかもしれませんが、今の私は、確信を持ってこれを言えるようになりました。昔の私は、まるで迷路の中でキャリアパスというゴールを探し求める鼠のように、必死に進むことしかできなかったんです。
大学生の頃、未来は明るく見えていました。周りが言う「立派なキャリア」「安定した生活」が手に入れば、幸せがやってくると信じていたのです。でも、社会に出た瞬間、私はその幻想がいかに儚いものかを痛感しました。理想と現実のギャップに苦しみ、職場の過剰な期待と要求に押し潰されそうになり、次第に自分が自分じゃなくなっていくのがわかりました。そこから鬱病が始まったんです。
この病気は私の世界を変えました。生きている実感がなくなり、ただ「何とか耐えている」だけの毎日が続きました。生きることが苦しくて、死をちらつかせることさえあったのです。通院を続け、薬を飲み、無気力な日々に追い打ちをかけるように、社会は「キャリアを築け」「もっと努力しろ」「もっと頑張れ」と命じてきます。それに従わなければ、何も価値がない、存在する意味がないとさえ思わされていたのです。
けれども、どこかで「違和感」に気づき始めました。なぜ、誰もが同じゴールを目指して、同じように苦しんでいるのか。私たちの生きる意味や価値が、どうして収入や地位で決まるのか。この疑問は頭から離れず、心の中で次第に大きくなりました。
仏教に興味を持つようになったのもこの頃です。仏教では、「今の自分が本当の自分ではない」と教えてくれます。私たちが抱える苦しみの多くが、社会や周囲から押し付けられた「こうあるべきだ」という幻想から来ているというのです。目から鱗でした。
特に「無常」と「無我」という考え方に救われた気がしました。すべては移ろいゆくものであり、私たち自身もまた、固定された存在ではない。自分が「成功しなければならない」「立派なキャリアを積まなければならない」という固定観念から少しずつ解放されるようになったんです。
私がたどり着いたのは「メメント・モリ(Memento Mori)」、つまり「死を忘れるな」という言葉です。人生はいつか終わるものであり、私たちはその終わりを見据えて、今この瞬間をどう生きるかを考えるべきだという視点です。
多くの人は「キャリア」や「将来の安定」に執着し、必死で未来を確保しようとしています。でも、「今この瞬間」が本当に大切だと気づいた私は、そこに人生の意味があるように感じ始めたのです。死ぬことを恐れず、むしろ「いつでも終わらせることができる」覚悟を持つことで、私の中で生きることへのプレッシャーが軽くなりました。
「今すぐ死んだって構わない」というのは、決して自暴自棄の気持ちではありません。むしろ、今ここにいる自分を自由にし、どんな時でも自然体で生きる覚悟を持てたという意味です。
こうした考えに至った今、私は社会と一線を引きながら、自分に正直でいることができています。もちろん、社会の一員として働かなければ生活はできませんが、だからといって自分をすべて犠牲にする必要もないのです。「無理にキャリアを追わなくてもいい」「成果を出さなくてもいい」と言い聞かせ、自分らしい生き方を探すことで、自然と心の負担が軽くなりました。
いわゆる「普通の労働者」である私が、キャリアを追うことをやめて、ただ「ここにある今」を大事にして生きる。それは社会から見れば「やる気がない」ように見えるかもしれませんが、実はその方が、私にとって本当の意味で生きることなのです。
こうして振り返ってみると、鬱病と向き合い、苦しみ抜いた時期があったからこそ、今の私がいるのだと思います。「キャリアパスなんてクソくらえ」と言い切れるようになったのは、社会や他人の価値観に自分を縛られず、自分にとっての「意味」を探す勇気を持てたからです。
もしも、今を生きることに苦しんでいる人がいるなら、少しでも「メメント・モリ」を思い出してほしいと思います。未来ばかりを追わず、今の自分に正直でいること。いつかすべてが終わることを忘れず、押し付けられた生存の重荷を少しでも降ろせるように、生きていくのも一つの選択です。
増田だが、
姓については納得せず、相手に譲った。
逆に、私が譲られるのであれば、相手からすると譲るわけである。
夫といつもこの話題で喧嘩になる(お前の姓を選んでくれるような他の男と結婚すれば?)というのも
私が納得しておらず、夫は現在の姓で仕事でも成功していおり、改姓したくないからである。
選択肢は増えるほうがいい。
それによって増える問題は解消すればいい。
2. モジュラスの計算: N = p * q
3. オイラーのトーシェント関数: φ(N) = (p-1)(q-1) を計算する。
4. 公開鍵と秘密鍵の生成: 公開鍵は (N, e) であり、e は gcd(e, φ(N)) = 1 を満たす整数である。秘密鍵は d であり、d * e ≡ 1 (mod φ(N)) を満たす。
RSA暗号の安全性は、合成数 N の素因数分解が計算的に困難であることに依存している。具体的には、次の問題が考えられる:
N = p * q
ショアのアルゴリズムは、量子コンピュータ上で動作する効率的な素因数分解アルゴリズムである。以下にその主要なステップを示す。
任意の整数 a を選択し、N に対して次の条件を満たすことを確認する:
整数 a の順序 r を求める。順序とは、次の条件を満たす最小の整数である:
a^r ≡ 1 (mod N)
量子フーリエ変換は、状態ベクトルを重ね合わせて次のように表現される:
|x⟩ = Σ(k=0 to N-1) |k⟩
ここで、量子フーリエ変換を適用することで周期性に関する情報が得られる。具体的には、
QFT |x⟩ = (1/√N) Σ(j=0 to N-1) Σ(k=0 to N-1) e^(2πi jk / N) |j⟩
得られた状態から測定を行うことで周期情報が得られる。この周期情報を用いて次の式を考える:
x = a^(r/2) - 1
y = a^(r/2) + 1
これらが非自明な因子である場合、p と q を次のように計算できる:
p = gcd(x, N)
q = gcd(y, N)
ショアのアルゴリズムは確率的であり、成功率は高いものの100%ではない。そのため、誤り訂正技術や複数回実行することで成功確率を向上させる必要がある。
その通り
クソみたいな情報ばかり垂れ流すテレビが未だに昭和時代の馬鹿向けに放送しているのがやきう
アメリカだとやきう専用のチャンネルがあって馬鹿はそれを見ていれば良いのでちゃんと棲み分けが出来ているけど
・子供の姓どうするの?
⇨便宜上どちらかの姓で育てる必要はあるだろうけど、成人後、好きに選べてもよいのかなと思う。国籍と同じように。
例えばパスポートとか身分証とビジネスネームが違って、本人を証明するにあたってかなり不便なことを解消したいとか
あくまでも結婚後も仕事を続けて不便に感じる制度を変えたいと考えてるだけ。
・なんで結婚したいの?
⇨一緒にずっと生きていこうと思ったから。 事実婚にしなかったのは、税制などの都合で。
⇨手続きが面倒なのではない。
クレジットカード、パスポート、免許証、銀行口座、全て本名(というか夫の姓)で、
・むしろ姓にこだわってアインデンティティをそこに求めてる人たちなの?
⇨仮に、結婚して苗字が変わってから仕事で成功して、パートナーの姓で活躍するようになった場合
元増田のような今の20~30代からすれば今の40~50代の氷河期世代から社会保障を減らすことに成功できたら大勝利では?
今から老人切り捨て改革始めますってなった場合、高確率で氷河期世代が最初にギロチンにかけられる世代になると思うんだよな。人数が多くて減らすことによる効果が高いから。
相手の知性を軽く見て、未来が読めない愚か者だと決め付けて上から目線で嘲笑するという時点で
氷河期世代の負け組の絶望がどれだけ深いかを全く分かっていない。
20年ほど前に赤木智宏って人が雑誌に載せた「希望は戦争」という文章に対して説教していた人達と同じだよ。
戦争で一番痛い目を見るのは自分達のような社会的弱者だと言われたところで、そんなのとっくに分かっているけれど
それでも平穏無事に幸福を享受している中間層にも少しでも痛い思いをしてほしいという、社会全体を巻き込んだ自殺願望でしょう。
国民民主党に入れている氷河期世代も多分同じような心情なんだろうと思う。
非正規の敵は正社員じゃなくて経営者や資本家だとか言われても、労働運動で自分達だけが利益や身分保障を享受し、非正規を踏みつけてきた時点で正社員労働者も十分に「敵」だよ。
当の赤木智宏はライターとしての職を得て成功したみたいだけど、そんな人ばかりじゃないんだよ
氷河期負け組の殆どは浮上する事などできず、非正規や無職の底辺のまま這いずり回り、
たまに正社員になれたとしても下の世代よりも低い賃金で貯蓄もできずに苦しんでるんだよ。
勿論結婚や子供なんて到底無理なので、自分達が死んだ先の事なんてますますどうでもよくなる。
それでもまあ、男の場合は若い女と結婚して子供を産ませてワンチャン、という夢も見れるけれど
女の場合はどう足掻いてももう完全に手遅れだならな。そんな氷河期負け組の女に対し、
この意見はポピュリズムへの理解が一面に偏っている可能性があります。ポピュリズムは、「エリート」に対して「大衆」の利益を優先する政治スタイルで、大衆の意向に強く応える姿勢を特徴としますが、その定義は単純に「大衆に迎合する」ことを意味するものではありません。ポピュリズムは、社会に分断を生み出したり、短期的な利益を優先しすぎたりする場合もあり、そうした点で成功と失敗の両方の例が存在します。
ポピュリズムは、エリートを批判し、一般大衆の利益や声を優先する政治スタンスやリーダーシップの形態を指します。定義としては、大衆の感情や不満に訴えることで人気を得ようとする傾向が強いです 。こうしたアプローチは、「国民の声に耳を傾ける」とされる反面、現実的な政策判断を犠牲にするリスクもあります 。
成功例と失敗例
ポピュリズムの成功例としては、アメリカの「ニューディール政策」を行ったフランクリン・ルーズベルトが挙げられます。大恐慌時に大衆の支持を得つつ、経済復興と雇用創出のための大規模な政策を実行しました 。大衆に訴える手法を取りつつも、長期的な経済政策が功を奏し、結果的にアメリカの経済基盤を再構築することができました。
一方、失敗例としては、ベネズエラのウゴ・チャベス政権があります。チャベスは国民の生活改善を掲げ、石油収入を背景に社会福祉政策を拡充しましたが、経済基盤を無視したため、石油価格の下落によって経済危機に陥り、国民生活が悪化しました 。このように、大衆の利益を短期的に優先した結果、長期的には国家や国民生活に深刻な影響を及ぼしました。
意見の中で「大衆に迎合する政治なら大衆にはメリットしかない」という主張がありますが、実際にはポピュリズムが必ずしも「大衆にとってメリットしかない」とは限りません。例えば、短期的な利益を優先するポピュリズム政策が行われると、結果として財政悪化やインフラの老朽化といった長期的な問題が後回しにされることがあります。また、ポピュリズムはしばしば敵対的な二項対立(「エリート対大衆」)を煽るため、社会の分断を引き起こしやすく、これが社会の安定を損なう要因にもなります 。
まとめ
この意見に見られる「大衆にメリットしかない」「民主主義に適している」という視点は、ポピュリズムの理想的な側面を過大評価している可能性があります。ポピュリズムには大衆の声を代弁する力がありますが、それを実行する際の長期的な視野や社会全体の安定を考慮しない場合、深刻な問題や分断が発生することが多々あります。
前回、松丸市長はなぜやる気がなく見えるのか について書かせていただきました。
https://anond.hatelabo.jp/20241028233555
X経由でも約700名の方に閲覧いただけたようで、ありがとうございました。
今日は、市長選の重大論点の1つである、守谷駅前の開発議論について考えてみます。
日々Xで皆さんと交流していると、要するに様々な論点がごちゃまぜになって語られており、
このままだと議論が平行線を辿ったままになると思ったので、まとめました。
一応、一定のデータを集めた上での考察ですが、自分も当事者なので、実感値も交えた話が散見されます。
引き続き、事実・解釈を上手に分けてお読みいただきますよう、お願いいたします。
また、最後にも書きますが、私は自民党員でも松丸信者でもありません。
ただの暇な人ですのであしからずです。
なお、こちらのページの特性上、画像貼り付けやエクセルファイルの貼り付けはできないっぽいです。
まず本件については、以下の3つの論点がごちゃまぜになっていることに留意が必要です。
それぞれについて、細かく見ていきたいところですが、まずはデータを集めてみました。
(1)市民の実感値
これに関しては、守谷市のまちづくり市民アンケートは、論拠のひとつとなるでしょう。
https://www.city.moriya.ibaraki.jp/shisei/gyouseihyouka/1006780/1006785.html
==========
※令和元年→令和2年→令和3年の数字を手集計
ある 5.7→ 4.2→3.8
どちらかといえばない 41.4→ 46.7→48.4
ない 27.7→28.7→27.6
単位は全て「%」
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・守谷市民は、実感値では、75%の方が「駅前ににぎわいがない」と考えているようです。
・毎年 、実際ににぎわいが減っていっている、もしくは市民の意識が高くなっているためにぎわいがないと認識するようになっている、どちらかであることが読み取れます
(2)地価
にぎわいとは若干異なるとは思いますが、地価を見ることで、守谷駅周辺の価値をはかることも重要でしょう
https://www.city.moriya.ibaraki.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/138/suii.pdf
↑本当は他自治体もこういう資料が欲しかったんですが、つくばは塩対応、流山もたらいまわしにされてしまい面倒なので一旦断念しました。
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H25→R6のデータを拾ってきました
1,730/H25→1,730/H26→1,730/H27→1,740/H28→1,770/H29→1,850/H30→1,940/R1→1,990/R2→2,070/R3→2,200/R4→2,400/R5→2,700/R6
ざっとですが、約10年で1.56倍になっていることがわかります。
※単位は全て「百円/m2」 つまり、平成25年は1平方メートルで173,000円なんだそうな
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(3)人口
一旦、以下の通りまとめてみました。※手集計、地獄
ひがし野1丁目+4丁目・中央1丁目~4丁目・百合ケ丘2丁目3丁目・松並青葉の人口推移
https://www.city.moriya.ibaraki.jp/shisei/toukei/1005522/index.html
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ひがし野1丁目+4丁目 1091/H29→1110/H30→1226/H31→1304/R2→1298/R3→1337/R4→1341/R5→1370/R6
中 央1丁目~4丁目 2327/H29→2354/H30→2401/H31→2366/R2→2334/R3→2331/R4→2556/R5→2584/R6
百合ケ丘2丁目+3丁目 4737/H29→4825/H30→4781/H31→4840/R2→4849/R3→4930/R4→4931/R5→5001/R6
松並青葉1丁目~4丁目 1463/H29→2123/H30→2717/H31→2366/R2→2334/R3→2331/R4→2556/R5→2584/R6
※単位は全て「人」
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(4)その他
駅徒歩圏内でこの10年で新たにできたモノやコト(私の記憶の範疇)
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<事実>
市民アンケート:「守谷駅前ににぎわいがない」と感じている人が75%いる
人口:この7年で、ひがし野1・4丁目で1097人→1370人と25%増 百合ケ丘2・3丁目で4737人→5001人と5.6%増 中央1~4丁目で2327人→2584人 と11%増となっています
その他:駅前イベントはコロナ禍も乗り越えて定着、商業ビルやブランチ守谷もオープン等、受け皿自体は増えている状態ではあります。
ただし、ブランチ守谷やダッシュビルでもテナント撤退は続いている状態。
<考察>
人口が増えている。それに伴ってかは不明だが、地価も商業施設の発展も見られている。
駅前での毎月のイベントやブランチでの町内会イベント等、定期的に人が集まるイベントも開催。
ただし、実感値として「にぎわい」は発生していない。
つまり、駅前の開発が失敗しているのかについては、実際として地価も上がっていることからも、
現時点では「失敗していると言い切れない、むしろ経済的には成功している」と考えるのが合理的かもしれません。
※これ、人権に配慮してかなり優しく表現してます。個人的意見は、経済的には成功しちゃってるんだよなぁ・・です。
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そもそも、駅前再開発が必要なのか、皆さんは考えたことはありますか?
気をつけなくてはならないこととして、市のアンケートは「駅ににぎわいがあると感じているか」であって、「駅ににぎわいが必要か」を聞いたものではありません。
皆さんは、「守谷市にとって、駅ににぎわいがあったら良いと思いますか?」と聞かれたらなんと答えますか?
なぜなら守谷駅は、つくばエクスプレスが茨城県に入った最初の駅であり、関東鉄道との乗り換え駅。
そう考えた際に、守谷市にとって駅のにぎわいが、あった方が良いか、なくても良いかと聞いた時に、「なくても良い」と答えるのは、もはや非国民でしょう。
では、問いを変えます。
「「【あなたにとって】駅ににぎわいがあったら良いと思いますか?
駅のにぎわいは、恐らくここでは商業の発展や人流を表しているものと思います。
その上で、守谷駅のにぎわいは、あなたの守谷生活において、良いものとなるでしょうか。
実際にこの質問をXで投げかけると、主に以下のような回答が返ってきます
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・駅では特に滞留しない
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かなりの駅近に住んでいる私でも、上記と同様の考えです。
駅で買い物をする=荷物が多くなるため、駅近くに求めるものは買い物需要ではないのではないかと思います。
もちろん、「守谷市にとっての駅のにぎわい」や「あなたにとっての駅のにぎわい」について集まったデータがないため、軽々しいことは言えませんし、私の実感値レベルで申し訳ないのですが、
「守谷駅のにぎわい」は、実生活におけるニーズとしてはそこまで高くないのではないかなという考えがあります。
※ただし、私や一定の方が、このアンケートを取ると、結果が恣意的なものになることが多分に予想されるため、当方では集計等はしません
人口推移を見る限り、駅近くがあきらかに人口空白地帯になっているワケではない(むしろどこも満員御礼に近い)ことからも、買い物の利便性に乏しいという実態がない、もしくはあっても、転居を検討するほどのレベルではないということは十分に推察されるでしょう。
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にぎわいを「人流」「商圏」ととらえた際の、駅前再開発の必要性について考えてみます。
先ほど、駅周辺に直結している人口が増加していることを記載しました。
そう考えると、行政が手をつけずとも、民間での商業発展は既に達成されている可能性はありそうです。
ただし、やはり市民として「駅前で仕事帰りに買い物をして家に帰る自分」が想像できないのも事実。
実際に、最も利用者のニーズに敏感なコンビニの品ぞろえとしても、守谷駅のファミマでは野菜・タマゴといった生鮮品は置いていなかったと記憶していますし、ファミマで夕飯買って帰った!という体験をした人はほぼいないでしょう。
スーパーマーケット機能としても、東口の守谷コレクション・西口のブランチ守谷で、仕事帰りと思われるお客さんで賑わっている様子はあまり目にしません。(※ブランチ守谷の半額品漁りは別)
実際、twitter(当時)においても一部のユーザーの熱意で守谷コレクションが夕食時に弁当を改札近くで売る様に働きかけ、実際にそのような動きがありましたが、あっという間に撤退したのは記憶に新しいところです。(いやせめて言い出しっぺの人は、日常で買ってtwitterで拡散してやれよ・・・)
西口:コンビニ機能こそ不足しているが、お買い物機能として、中央1丁目側はベニマル・中央4丁目・百合ケ丘はイオン(カスミ)で成立している
東口:コンビニ機能が豊富(ローソン・セブンイレブン)、ブランチ守谷・ヨークベニマル、本町側はストッカーが商圏として成立している という状態が読み取れます。
現状で生活と消費のバランスがとれていることを考えると、守谷駅周辺に新たに商業施設(少なくともスーパーマーケット施設)は必要なさそうだなと考えられると思います。
ただし、買い物ニーズがないというのは恐らく外れてはいないと思いますが、
サービス系の業態(ジムや塾といったサービス)に対するニーズはある可能性があります。
実際、守谷駅は学生の電車通学者が少なくない(実数不明)ため、後述の通り、勉強スペースのニーズはあるかもしれません。
また、ジムに関してもエニタイムフィットネスほか、パーソナルジムやエステが乱立していることからも、サービス系の業態でればペイできる可能性はあるかもしれません。
※現状では供給が不足しているのか等については不明。あえて言うなら買い物以外で頼むぜ、そうしないと失敗確率高いぜ程度の温度感です
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日常使いという点を考えると、中央・ひがし野1丁目や4丁目に居住されている方が、守谷駅の商圏と捉えて良いでしょう。
一方、日常使い以外の点、例えば駅から遠くに住んでいる方が駅に定期的に集まる機会はどの程度あるのでしょうか。
つくばエクスプレス沿線にあるショッピングモールから想定してみます。
・流山おおたかの森SC:1753台
・つくばのトナリエ:4000台
どちらかというと流山や柏の葉よりもつくばレベルの郊外化が進んでいると想定される守谷でも、2000台~4000台の駐車場の準備は必要と考える必要はあるでしょう。
また、商圏外からの流入と考えると、自動車・バス・電車での移動が中心になると思います。
そうなると、市内でもイオン・アクロスモール・守谷テラスとも競合
市外でも上記3施設や、取手でまさに今作ろうとしている広大なイオンとも客を取り合う必要が出てきます。
それらの施設、あまつさえ市内の他施設と客を取り合う必要も出て来るため、駅前再開発においてはかなりの競争力がある施設を考えなくてはなりません。
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そうはいっても、守谷駅前の再開発が必要だととなえる市民はいます。(何人いるのかは知りません。データもないし)
市長候補3名中2名が、駅前再開発について発信されていることを考えると、市民にとっては大きな関心ごととしてとらえているのでしょう。
※今まさに再開発しようとしている新守谷駅周辺はほぼスルーするのに、何十年後にできるかわからない守谷駅再開発について盛んに発信する程度には関心があるようです
かじおか香織さん https://kaori-moriya.com/agenda/
(要約)
・市民の声には不満が多い
・具体的には市の施設(保育ステーション・図書室や自習室・公共施設を整備)を設置、商業施設が連動した再開発を推進する
わたなべ秀一さん https://go2senkyo.com/seijika/136729
(要約)
・若い世代に選ばれる街になるために駅前再開発にチャレンジしたい
・具体的には市の施設(保育ステーション・行政・郵便・図書室・市民ホール)を設置、民間企業とともに再開発を推進する
松丸修久さん https://www.nobuhisa.jp/
前回の記事の通り、松丸氏はハード面で何かを建てます系の主張は特にされない方です(2024.11.1時点)
かじおかさん、渡辺さんとも、駅前再開発の必要性や行政施設の設置によるにぎわい創出を提案されています。
ただし、それによってどういったにぎわいが創出され、市にどのような良い効果が表れるのかについての記載がなく、ここまで論を組み立ててきた当方としては、若干消化不良とみなさざるを得ないです。
経済効果の発揮を主張するのであれば、現在の経済規模→再開発後の経済規模を明記してほしかったというのが本音ですが、
政策の一貫性という観点から見ると、市内全域の交通とも論理を接続しているわたなべさんには、一貫性は感じます。
ただ、現状私が駅前再開発として読み取れているのは、「情緒的価値への訴え」のみです。
日常の利便性や、経済的価値(=私たち個人にとって、何がどう良くなるのか)に関しては、試算の上公表いただきたく思います。
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と、ここまで
に分解することを目的とし、
・上記1.守谷駅前の開発は現在失敗しているかの議論・2.守谷駅前の再開発は必要なのかの議論
について記載して参りました。
ここまでまとめておいてなんですが、私は現状、「守谷駅の再開発は経済合理性は低そうではあるが、情緒的に必要性を訴えている」であると読み取ってしまっています。
こんなことで本当に良いのか。
続けて「守谷駅前の再開発は実現可能なのか」について見ていきたいと思います。
と、ここまで書いて大変申し訳ありません。
なんと、後半記事が文字数制限に引っ掛かってしまい、以降の掲載ができなくなってしまいました。
後半については、以下URLよりご参照ください。長くてごめん。
うちは良好で毎週末。夫側ね。涙ぐましい努力の賜物だけど。
週末、妻はリビングで好きなドラマとか見ててもらって、おれは寝かしつけ。一緒に落ちたり、寝たか?と思ったら起きたり、そういう戦場をくぐり抜け、リビングにたどり着くと妻が寝てたり…。でもそこで怒らない。金曜ならまだ土曜がある。
で、寝かしつけに成功したら二人で飲みながらロマンチックな映画見て、マッサージ。そこからなら持ち込める。
という苦労を何年かしたけど、最近は子どもは勝手に寝てくれるし、妻もなんかよくなってきたらしくて、かなり積極的。でも逆に今度は妻の声が大きくなってしまって子どもが起きないかヒヤヒヤ。こないだは、子どもが学校行ったあとのほうがいいかってことで、朝しちゃったよ。
今回の選挙で選択的夫婦別姓制度に賛成の衆院議員が過半数となったことから、立憲民主党を中心に別姓への改正法案が出される。
しかし、国民民主党が、トリガー条項や税額控除額といった重要政策を自公に呑ませ同じ国会で改正法を成立させることと引き換えに、別姓には反対に回り自公+民民の反対多数で否決される。
自民党は、衆院選に敗北し裏金も封じられた逆境下で、夫婦別姓絶対反対の保守層(日本会議や統一教会あたり)が提供してくれるカネ・人・票への依存をさらに強めており、近付く参院選を前にして保守層からの支持を固めるために何としてでも夫婦別姓を挫折させる必要があったのだ。
その弱みに付け込んで国民民主党は選挙で訴えた政策の実現に成功する。
……これぐらい狡猾に玉木さんが動いてくれたらなぁという願望。
けものフレンズそうか?
放送終了直後は確かになんか凄い気がしてたしたつきは何かを変えてくれるような気もしたけど個人プロデュースアニメが乱立したわけでもなく歴史の一端として忘れ去られたような感じ。成功例ではあるが残念ながら最もとなるほど影響は無かった。
正直普通にコロナ禍で世界的ヒットになりアニオリの時代を完全に終わらせて新たな時代に突入させた鬼滅とか一般が大量についたSPY×FAMILYとかのがまだ納得する。
ホロライブの「五十人以上の個人アイドルが並走する成功物語」と同じ様な感覚を体験できる「よりスケールのデカい立派なことをやっているオタクコンテンツ」って例えばどんなのがあるの?
ラブライブやキズナアイみたいな半架空・半実在の芸能活動家がすでに成し遂げてきた道の延長にある感覚だな
そして同じようなリアルタイムでの成功物語の並走感覚はべつにVtuberでなくとも運営型の覇権ゲームとかでも体験できる
そうしたものと比べると個人を核として展開されるアイドル系芸能の「伏線」のたぐいは割とファン以外には響かない幼稚かつ私的な相互グルーミング主体のパフォーマンスにすぎない
そのことが気になりはじめたあたりでだんだんと疎遠になっていくものだ
もちろん熱中しているうちはその幼稚さを受け入れられるくらいの愛着があるものだし褒めそやしもお約束的なものとして咀嚼できるのだが
よりスケールのデカい立派なことをやっているオタクコンテンツを見つけると色褪せて見えてしまうという寸法
アイドル系というのはその規模ゆえにファン商売に終始せざるを得ない構造から抜け出せず(その閉じコン感を打破するために○○大使だの社会的権威側に進出しようとはするが)