はてなキーワード: 成功とは
お疲れ様。
配偶者の方が成功すればいいけど、失敗したらどうするかだけ考えておけばいいんですかね、こういう場合は。
自分ならまぁ、家事育児を任せることになるから、相手が失敗で鬱病とかにならないようにするのだけやっとくのかな、何するかは調べないと分からないけど。
頑張りましょうね。本当に辛いだろうけど。
便乗34歳童貞増田です。独身男性増田たちがみんなに好き勝手言われているのが羨ましくて投稿。
こういうやつをどう思うか、この先どうなっていくか。みんな好き勝手言ってね。
というのは、半分冗談としても好きになった人を恋をするタイプなので、
また、基本的に自立心が強いため、「恋人がほしい」を理由に行動することはない。
(好きな人ができたら、仲良くなろうと頑張るし、告白もしています。)
あと、好きになる人は大体あとで確認すると既婚者か恋人がいる。素敵なことである。
元気な人。活力があり。自立心が強く、自分の意志や考えがあり、それを言語化できる人が良い。
会話ができる。自分の話をお互い喋り合いたい。
問題があったときに、対話で解決しようとしてくれる。暴力は嫌いである。
創作が好きなので、なんらかの創作活動をしていると尊敬できるし深いところで価値観を共有できて嬉しいかも。
子供の頃から理性的であろうという意識が強く、第二次性徴期に現れる異常な性欲を理性で捻じ伏せることに成功してしまった。
どう捻じ伏せたかは面倒なので省略する。男になることの心身不一致に大分長く悩んだ。
結果として、いかがわしい妄想もしないし、自慰行為をしようとすると嫌悪感で嘔吐しそうになるようになった。
(性風俗は精神的には自慰行為と同じか、それ以上に厳しいと考えている。)
じゃあ、他者に対しても潔癖なのか?というと全くそんなことはない。
これは私の意志の格率であって、他者に適用しようとは思わない。どう考えても自分が外れ値なので。
私が好きになる人は素敵な人なので、健全に恋愛をしていて性経験があるのはむしろ当然である。
つまるところ、恐らく生涯、交際経験がない⇒童貞であるの図式が成り立つ。
好きな人と相違相愛になれれば、そんなに幸福なことはないだろうと思う。
多分一人でもそれなりに楽しく生きていけるだろうが、二人だったらもっと楽しいだろうな。
私は自由であるために、自ら選択した規範がある。代表的なのは「嘘をつかない」ことである。
言わなくていことを言わないこと(はぐらかし)はできるが、YES/NOの質問には絶対に嘘をつけない。
自分の伝えたいことは口に出す。他人には明示しないとなにも伝わらないので。
そもそも素直でいたい。かわいいものはかわいいし、好きなものは好きと胸を張って言いたい。
自己愛は明確に強い。自分が愛おしいし、すごくかわいい。面白いところもいっぱいある!
私が腐らず生きていることが、世界を少し幸福にしていると思う!
さて、こういう奴をどう思うか、今後どうなっていくか、思い思いにかいてね。
お前たちのご意見待ってるぜ!
向上心と幸福度の相関が薄れてきて、向上心を保てなくなっている…。仕事での出世と幸福度の相関が明らかに薄まってきたように感じているからだ。年収がある程度の水準に達した頃から、収入が直接的に幸福に結びつくことが少なくなり、逆に周りとの比較に意識が向きがちになっている。以前は、常に次のステップを目指し、他人との競争がモチベーションとなっていたが、最近はその考え方が自分を幸せにしていないことに気付き始めている。
これまでのキャリアを振り返ると、特定のプロジェクトに集中し、課題を克服して目に見える成果を出せたときにこそ、最も充実感を味わっていたように思う。特に、困難な局面に直面しながらも提案を改良し、関係者との協力を通じて良い結果を得られた経験は、非常に大きな達成感をもたらした。単に昇進や収入の増加では得られない、心からの満足感があった。
今、自分の目標は少し変わってきている。技術や革新が社会にどう貢献できるかを広め、社会全体にその意義を伝えることが新たな挑戦の一部として感じられている。これからの向上心は、外的な成功だけでなく、内面的な達成感や社会に対する影響力に焦点を当てるべきだと考えるようになった。それが、私自身の本当の幸福に繋がる道なのかもしれない。
発達偏りありは医師から聞いた。診断が下りるほどではないらしい
五感の過敏ありで多動気味
アデノイドのドブス
現状はまともに働けていて親友と呼べるほど仲良くはなくても定期的に連絡を取れる友達もいる
ちなみ女対(主に)女の話なので男に当てはまるかは知らん
ここに書いてあるのはだいたい私のやらかしから得た教訓なので「いるいるこういうつまんない女」とでも思いながら読んでもらえれば。
そんなことしたらキモがられて友達が減る。用も話題もないのに話しかけるな。ちなみに話したい気持ちが先行して無理矢理話題や質問を捻り出すのは相手にバレるしキモいだけ。
大抵の場合は好意的な他人に対するテンションとそうでない対象に対するテンションは異なる。色んな人間の声のテンポ、声音、使う語彙、身振り手振りをよく観察しろ。自分に向けられているものの種類で好意の有無はある程度判別できる。
ただし、仕事上の利害関係(教師と生徒、従業員と客など)のある相手にこれを当てはめてはいけない。仕事でやってるだけの可能性が高い。
話しかけるときの鉄板。相手自身について話すのはハラスメントに抵触するおそれがあるが、持ち物ならとりあえず話が繋がる可能性が高い。逆に自分も話題になるようなアイテムを身につけるのもいい。なお自分との共通点を見つけてもがっつくのは厳禁。
つるむ相手は自分の鏡なので「こうはなりたくない」という相手とはつるむだけでそいつの同類と見なされて損する。
特に過去に成功した話やそいつの友達や彼氏の自慢なんか他人は一ミリも興味はない。もちろん全く自慢してはいけないということはないんだがその匙加減に自信がないなら一切するな。
少なくとも私は他人の冗談を面白いと思わない(発達特有の冗談が通じないタイプ)人間なので、面白い冗談を言えるわけがない。面白い人に憧れても無理だから諦めろ。ついでに自虐ネタでウケは取れない。返ってくるのは乾いた愛想笑いだけ。
相手の話に触発されて自分が話したくなることあるよな?でもダメ。差し込むタイミングが分かるまでは基本的に相手が話し終わるまで我慢しろ。
せっかく仲良くなってくれようとした他人を試そうとするな。自分の不安は自分でケアしろ。
自分と仲良くなって相手にどんないいことがある?連れ歩いて自慢できる華やかな容姿、面白いトーク術、そんなもんがあったら処世術とか考えてないと思う。自分が苦痛なく出来ること、興味のあることの中で他人が興味を持ちそうなことを探せ。それを求めてる人間とマッチすれば友達になれるかもしれない。
ちなみに私自身はというと、漫画やゲームに多少詳しいので「次に流行りそうなコンテンツ」と、数回転職して現在ホワイトで働いているので転職相談をネタとして持っている。
colaboは3LDKに女の子を3人住まわせて「タコ部屋」だと炎上したが
やまて会は1部屋に24人住まわせた
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かつて当サイトでは、社会福祉法人やまて福祉会が運営する「やまて寮」(東京都豊島区)という宿泊所が抱える各種の問題について、継続的に取材記事を配信してきた。
やまて寮は、生活困窮者に対して一時的に宿泊場所を提供することを目的とした施設だ。一連の記事を配信した当時、やまて寮は「貧困ビジネス」などと批判を受け、各種の問題点を指摘された。論点の一つとなったのが、劣悪な生活環境だった。このたび当サイトでは、やまて寮の利用者との接触に成功し、現在の状況について話を聞いた。
例えば娘が
「パパ、お話があります、妊娠しました、学校辞めて彼と同棲して育てます、いずれ結婚します」
「バカかおめぇ、堕ろして学校続けなさいボケ、厚労省の調査で17歳妊娠の女子が相手と30歳まで関係が続く確率は4%しかない(嘘)、無理だカス、アホな夢見るなトンマ、今度からちゃんと避妊しろエロ、無責任なチンピラと付き合うなバーカ」
「じゃぁ出ていく、ター君と二人で頑張るもん、自分で責任取るもん」
「いいけど一切の援助はしないよ、生活も子育ても自力でやるんだよ、ママも同じだよ」
「ぷいっ」
で、さ、案の定、出産する頃にはター君バックレ、シンママ、どうしようもなくて戻って来る
「パパごめんなさい、私が甘かったです、パパの言う通りでした」
ここまでは納得してもらえるかしら?おおむね同意を得られると思う
俺酷くないじゃん?自己責任じゃん?娘アホじゃん?
大人が自分で人生の決断をするのだから親とて干渉するような話ではない、好きにすりゃいい。
とはいえ、「自分で責任を取って」もらわんと困るわな、大人なんだから余計
で、話は変わる
それはいいんだが
親父よ、たー君、どーすんの
ヤカンに水入れてお湯も沸かせない親父を誰が面倒みるんですか?
若い頃脱サラして事業起こして、そこそこ成功して好き勝手生きて、事業売却してリタイヤ
傲慢で鬱陶しさ指数240%、口から皮肉と愚痴と説教しか出てこない団塊世代、
喋る内容だけではなく態度も鬱陶しいから100%超えちゃってるの。マジクソ。
これどーすんの、
あなたが生涯の伴侶と決めて責任取るつーて結婚したわけじゃん?
なら責任取れよ、まぢで
親父が死ぬまでお湯沸かしてあげなよ
かーちゃん先に死んでどーすんの、ばっくれか?
家事一通り自力で出来る程度の教育しなさいよ、半世紀も時間あったんだから
周囲の人間に好かれる人間性、立ち居振る舞い、処世術、ちゃんと仕込みなさいよ
なーんもしてないじゃん
散々甘やかしてこーゆー人格に育ったわけじゃん
無責任にも程がある
ちなみに親父は若い頃の不摂生を60過ぎて猛省し今は超健康優良児
誰が面倒みるの?
妹は1000km離れた島に嫁いでる、ばっくれやがった
ガイジンの嫁に、信号機のない横断歩道で蹴っ飛ばしてみてはどうかと相談したらブチギレられた。
で、嫁は、「私が面倒みる!」とかいいだすし、家族愛、結構なこった
キミは親父のクソ面倒臭さを知らない
つても嫁は8年間親父の会社でバイトしてたから嫌というほど知ってるんだが
無慈悲な妹と違い俺は実家からチャリで5分のところに住んでいる
これが裏目に出た
飛び上がったあと、無事に着地することで成功となるので、降りるところに焦点が当たるのか
体操の鉄棒で使われてもおかしくないが、着地で多少減点されるくらいの乱れはあっても大幅原点となる転倒まではそうないから使われないのかな
だから各所のパーツを濃くすることによってメリハリがでるし、カラーでも色が単一すぎるから強調したいポイントに色をつけて特徴づける。彩度も低いから鮮やかにすると目を引くね。
俺はデザインのことなんて全然わからない。だから上の文章も適当なんだけどね。
そういう解説を見たの。でもあそこまで全キャラ暗く色調が統一されているキャラ群を見ると、やっぱりそこにはコンセプトを感じるよね。同じことを何度も言うのはうんざりだ、という程度に共通しているということは共通「させている」ってことのはずだよな。本当に何も考えてないデザイナーならもっとバラバラになってもいいはずなのに。
だから、どう変えれば良くなるか。という解説が見たいのではなくてなぜこのコンセプトを採用したのかの解説。およびそれは失敗だったのか(デザインテーマ自体は)成功だったのかの解説のほうが嬉しいよね。
改善者の改善案も同じ考えで同じような変更ばっかだったから、それって悪い点を良くしたのじゃなくてパワポとかで土台のテンプレートの種類を挿げ替えただけじゃない?思想の違いだけなんじゃない?って感じた。
確かにキャラクターの造形は日本人の俺好みじゃないけど、初めてキャラをいろいろ見て方向性の統一感はあったので、なんかこう、マップや世界観の色合いとあわせたアートデザインだったのかもなと少し感じた。シューティングだからマップに溶け込むよう、わざと目を引きすぎない色合いにしたのかもなって。
…んでもまぁクソださいんだけどね。自分で動かしたくはないけど、相手として出てきたらまぁ倒すべき敵としては分かりやすいんじゃない?相手を雑魚・NPCに見立てるつもりだったのかもしれない。ゲーム中は他人のキャラの方が見る機会多いしなぁ。
そういう全体の「なぜ」に切り込むほうが面白いと思うし、個々のキャラのダメな部分を指摘してもさほど面白くないんだなと気付いた。
その宗教の中でも格の高い役職に属していた母方の祖母は、俺の母にも幼少期から教えを説いたが、曰くその頃は特に信仰が厚い訳では無かったらしい。
寧ろ貧乏な家なのに樒や仏壇なんて買うのは、と口には出さないまでも思っていた時期が大半で、高校を卒業後はすぐ働き、各所に旅行に行くのが趣味だったそう。
そんな中、同じ会社に属していた父と結婚をし、一人目を授かったが、妊娠が半年を迎えようとしていた頃に胎動が消失してしまい、この世に生を受ける事は無かった。
二、三年後に時を経て二人目を授かり、無事出産に成功した、それが俺。
俺は産まれながらにして酷い皮膚炎だった。
当時専業主婦だった母は色んな病院に通っていたが治る事は無く、万策尽きたかと思った所に、ふと実家の宗教を思い出した。
小さな仏壇を購入し、毎日100回、みたいなノルマを設定して祈っていたそう。
すると俺の皮膚炎は、奇跡の様に治って行った。
俺が物心付く頃には、周囲の人間は子供も大人も母と信仰を同じくする人達ばかりだった。
誤解されがちなのだが、こういう集まりは普段からずっと信仰の話をしている訳ではない。
寧ろ世間話がメインで、そういう話が出てくるのはお悩み相談みたいな雰囲気になった時のオチとして「祈りつつ頑張りましょう」の一言程度。
感受性が嫌に高い子供だったから、蝉の死体を見て自分も死ぬの怖いな、と泣きながら集まった日の集まり、ふと気になって「死んだらどうなるの?」と、老婆に聞いた。
曰く、「死んだら死後の世界で成仏して、また魂がもっと幸せになって、現世に戻ってくるんだよ」と答えてもらった。
その時はなんだか、死んでも良いんだ、という気持ちになった。
小学校に進学した後、10人で町内鬼ごっこをしようという話になった。
俺が鬼になり、運動神経は良かったので、5分もしない内に捕まえたのだが、捕まえた相手が鬼ちゃうし!と言って俺の顔面を殴って、逃げ去って行った。
自身の事を全肯定してくれるコミュニティに身を置いていた俺が味わった、初めての理不尽のあの感覚は、今でも忘れられない。
幼いながら、今すぐ消えたいと思った。
不思議と涙も出ずに家に帰り、ぐちゃぐちゃの気持ちのまま台所下にある包丁を取り出して、怖がりながら自分の腹に刺した。
刺し所も強さも死ぬには足りる訳もなく、垂れる血をしばらく眺めていた。なんだかすごい事をしてしまったな、という気持ちになった。
何故包丁を取ったのかという経緯を話せと言われて、鬼ごっこで鬼を変わってくれなかったから、と答えた。
生まれて初めて、物凄い剣幕で怒られ、頬を殴られたのを覚えている。
誰も自分の事を分かってくれないんだという絶望感でいっぱいで、何も言い返せなかった。
ここで違うと言えなかった事が、俺の人生の分水嶺だった様に思う。
今となっては知る由もないが、あの時母親の目には、俺は殺人鬼予備軍にでも映っていたのだろうか。
中学生になる頃には、父親のパソコンでネットを見るのが趣味になっていた。
当時のインターネットの、分からない言葉で喋る、色んな価値観の人の話を見るのが好奇心旺盛な俺にはぴったりだった。
そんな折に自分の宗教を調べると、カルトという言葉が目に付くようになった。
その頃はその宗教内の地域代表みたいな扱いを受け、遠征なんかもしていたが、宗教の家系だといじめられていたのも相まって、そんな扱いや環境に疑心が芽生え始めるのに、そう時間は掛からなかった。
高校生の頃には、反抗期も相まって集まりには行かなくなっていった。
その頃には自分には妹が居て、妹が俺の代わりに宗教面の家の顔になっていた。
部屋に入って来る母親から「産まれなきゃ良かった」と呟く声がよく聞こえてきた。
じゃあ俺じゃなくて、俺の兄貴が産まれてれば良かったのか?と、内省的な俺の中でずっとリフレインしていた。
どんどん不眠気味になり、朝無理矢理身体を起こして図書館かゲーセンに行って寝る生活をしていた。高校にはあまり行かなかった。
学校に行ってない事がバレて、話し合いをするという事になった。
全てが面倒臭くなって、死のうと思った。
海が好きだったので、海で死のうと思い歩いて行ったが、途中で海を見に来たのであろう人に止められ、ズブ濡れのまま家に帰った。
色んなものがフラッシュバックして辛くなって、人生で初めての野宿を決意し、浜辺にあるベンチで寝た。
これがホームレスか、とか、クソ寒いし起きたら死んでてくれねえかなとか思っていたのをよく覚えている。
途中で色んな人と同居したりはしていたが、本当の意味での一人暮らしは初めてだ。
最初はこんな俺でも、一人で暮らせるのだ、やっとあの呪縛から解き放たれたのだと感じた。
けれど実際は日に日に昔抱いていた希死念慮が強まっていく。
言った所で何が変わる訳では無いし、これから先もやっていくなら付き合っていかなきゃいけない感情なのだけれど、俺はその割り切りや、言語化や、付き合い方みたいな物を、少し特殊な生い立ちや環境を言い訳に見ない様にして来たのだと思う。
漫然とした生き辛さみたいなものは、こんな文章を書いた程度でどうにかなるものじゃないと思ってはいるが、いつかなんとかなるといいなあ。
最近は少し気が落ちていた事もあって、内省的な性格が災いして凄く辛くなっていた…ので、今一度振り返る意味を込めてこんな文章を書いてしまった。
それをふと他人に見てほしくなって、色んな反応を貰えて嬉しい、改めてありがとう。
せっかくなので、貰った言及に少し返答をしてみたいと思う。
>家庭環境の割りにはまともそうに見える
昔から凄く(今も)自分がどこかマイナスであるという自覚が凄くて、普通とか、まともとか、そういう人になりたい気持ちが強いので、その言葉が凄く嬉しい。
今もその訓練中だし、それが少し報われた気もする。ありがとう。
>宗教が嫌なら宗教にハマってなさそうなお父さんに助けを求めれば良さそうだけど、お父さんじゃ埋められない何かがあるんだろうか。 お父さんがお父さんとして機能していないから、...
父親は宗教に無関心だったし、キレると手が付けられない人だったし、人として尊敬はしているけど、俺が人間としてそこまで得意ではないタイプの人なので、避けて来たのがある。
加えて父親も幼少期に凄く苦労していた事もあって、子に対してもパートナーに対しても、自分の金でなんでもやっていいよ的な放任主義だった為、助けを求めるという事へのアンサーは、「考えた事もなかった。」
>・宗教3世であることは要素として関係ないこと。ただの親と子の関係の話(=幼少期のストレスとかの話)
これに関しては、もう時効だから言うが幼少期にあった、町内にある自分達とは異教の人達の家を無理矢理引っ越させるよう仕向けるとか、選挙カーをチェイスしてずっと横で爆音の曲を流して音を相殺するとか、イベントの為に男の俺が一ヶ月間ヒールで生活した話とか、色々あって、幼少期の可処分時間がほぼそういうイベント尽くしだったというのもあるんだが、今回は省略させて貰った。
>・冒頭のほとんどを占めるエピソードは伝聞であり、親の態度を考えるに、かなり美化または歪曲している可能性が高いこと(みるみるなおったくだりなど)。
実際俺もその可能性は考えたが、周囲の誰に聞いても(父親に聞いても)その通りだったので、多少の脚色はあるかもしれないが、概ね事実に即していると思う。
タイミングが良かっただけで神の恵みとありがたがれるのだから、良いなあと思う。
>・要するに育った環境ではなく、親の性格の話をしているように思われること
これは本当にそうだな、と感じた。
ずっと親の事を直視するのが怖かったから、宗教というフィルター越しで見ざるを得なかったのだと思う。
多分、それを自覚した今も、俺はフィルター越しにしか見れないと思う。
ありがとう、向き合えてるかは分からないけど、今日も仕事から帰って来て、自分でボロネーゼを作って、いつもより粉チーズを多めに振って、それを食べながらこの返信をしてるよ。
それだけの事が、今はただ嬉しい。
>あー、またひとのせいにしてるー
これは本当にその通りだ、我ながら本当に幼稚だなと思っている。
幼い自分にとって一番の味方だった人が産まれながら他者受容100%のコミュニティに入れてきて、現実がそうじゃないと知って全部ちゃぶ台をひっくり返されたあの瞬間にとても耐えられなかったから、全部宗教のせいにした。
これから先も、今の漠然とした俺の生き辛さ含めて、一生宗教のせいにし続けると思う、親のせいにするよりはよっぽど救われていると思うから。
自分のこういう宿痾みたいなものを、押し付けるよすがとして宗教を選択している時点で、俺も信奉者と大して変わらないのかもな
https://anond.hatelabo.jp/20240909201827
そんなに仕事の話をして欲しいならば俺が少しだけ語らねばなるまい。
会社の都合でインド支部に異動になり、直面したのはこいつらマジで約束を守らないな、ということである。
遅刻は当たり前、嘘も当たり前。それがインド人だ。なんでかというとこいつらは「短期利益のためなら何でもしていい」とガチのマジで思っているからだ。
職場や学校にいたどうしてそんな下らねえ嘘つくんだよってムカつくタイプを思い出せ。それがインド人のデフォルトだ。
なんでかっつーとインドではみんながゆるゆるで事実関係の確認なるものが物理的に行えないからだ。
だから「電車が遅れた」などと言って遅刻されても、本当に電車が遅れているのか確認する術がない。
確認相手のインド人もカスだからだ。真実が霧に消えてしまう国なので、自分の見たもの以外は信じられない。それがインドとかいう地獄だ。
まあ、その辺かなりの競争社会なのもあって失点=即死みたいな文化もあるから可哀想といえば可哀想なのだが、仕事をする上では適当クソ野郎どもの集団と付き合うメリットはマジでない。
弊社もそんなインドに支部を置いたものだから現地人が上手く使えず、日本の駐在員たちが次々と精神を病んでしまい、俺にお鉢が回ってきたというわけだ。
余り細かい事は特定が怖いので書かないが、社会的に大変価値のある仕事である。人の命を救うことに非常に関わりの低い商品を扱う会社である。
つまり、適当野郎どもがいなければ救われた命があったというストレスにみな耐えきれなくなって心を病んでいくのだ。だからこそ、俺はその現地法人チームに規律をもたらす必要があった。
そういうのなら、増田君が適任だろ、という上司の力強い言葉は確かである。俺は規律を産むことにかけては自信があった。
まず、着任時のスタンスとして「聞かずにやるな」と「その程度のことは聞くな」二つの性質を合わせもつことにした。
インド人は基本的にその場を凌ぐためならばありとあらゆる手段を使用してくる。
だから、とにかく、部下の人格を透明にしていくのだ。混乱をもたらし、人情をもって感情を否定していって完璧なソルジャーに仕立て上げる。それが俺の役目だ。
同時に、メンヘラ人格をしっかりと作り上げ、アピールするのも重要である。
インド人は実は人情的である。非常に。なので、人前で俺は泣いた。
「みんなで俺を出世させない気なんだ!俺が嫌いなのか!俺の子供たちはもう終わりだ!」
楽勝だ。子供なんていないし妻もいないが、インド人は家族の事となるとアホになる。根源的に、家族がいないという概念を理解できない。
子供にはマジで甘い。ものすごく甘い。厳しい人が時々見せる優しさにも弱い。プリミティブな情緒で生きるカスがインド人だ(それを計算に入れて小ズルく短期利益を得ようとしてくる知能があることも忘れてはいけない)。
学校で先生がすねて教室からいなくなる、みたいな手法がやたらと効くのがインド人というみじめなアニマルである。
ただしそれだけだと舐められるので、時にマッチョを見せつけることも重要だ。
相手の価値観を破壊し、思想を破壊するためには必要なことである。Aな人間はBなはずだ、という既存概念を壊していくことで今までの人生経験を否定して人生を否定して人格を否定して、透明で使える人間に仕立て上げなければならない。
いや、人間である必要はない。虫のように美しい機能的な存在へと作り変えるのだ。
そういう意味で人間を人間たらしめる、『宗教』という共同幻想は厄介だ。
俺は宗教が嫌いだ。
そもそも思想だの心の拠り所というものが必要ない。思考だけしてくれればいいのだ。
早く人格や個性を捨てて欲しいのだ。インドの土人共の基本感覚は文字通り地球のゴミことヒンドゥーなのだが、こいつを否定するのはあまりにもコストが高い。
まあ基本的には「君の不利益って全部キミの前世のせいだよね。カスみてえな前世だな」ということをひたすら言い続けるのが有効だ。
勿論直接的には言わない。そういう感覚をくすぐるのだ。あとはカーストでプライドも、同様に「くすぐる」。
インドの会社にはカスみたいな下働きのカスども(トイレ掃除だけするやつとか、社内配送だけするカス。こいつらも自分の下の階層の人間を見下しまくっているのでまさにカス中のカスだ)と比べてお前はどうなの?というのをやるのだ。
これはかなりバランスを考えなければいけない。遠回りにやるのだ。あの人の仕事は丁寧だね(それに比べてお前は)といったように。
リボンをデスクにつけることも有効だった。俺は10個のリボンを部下に配布した。
「最低限の仕事をするたびにコイツをとる。これが全部とれたら一人前」というようにするのだ。
勿論、この制度は部下から提案があったことにする。インド人は基本的に人事評価からなにからなにまで共有する家族的な所がある。
それを壊す意味でも、疑心暗鬼を生み出しコミュニティとコミュニケーションの分断を狙っていかなければならない。
「あいつはお前を陥れようとしているぞ」というのをなぜか嫌うのだ。やつらは。常に即物的思考で他人に迷惑をかけまくっているのと矛盾しないのかと思うものだが、とにかくそういうものなのだ。
加えてプライドの高さを利用するためにもこのリボン制度は有効だった。
要は、リボンが取れてないやつはバカだ、という風潮を作るのである。そして、これはみんなの前では取ったり取らなかったりする。状況や報酬に矛盾が生じるようにする。
「あいつは俺に嘘をついているんじゃないか?」という不和を生み出すことで、横の結束を機能不全に陥らせる。
これにはまともなインド人の協力が必要不可欠だった。仮に「クリシュナ君」としよう。彼は優秀で、俺やお前達みたいな一般的な日本人の規律を多少なりとも理解できる男だった。
俺は彼と親しくすることにした。実際にクリシュナ君は仕事が大変できたので、「なんでこいつみたいにできないんだ」というポジションにつけるのにはうってつけだった。、
同時に、排斥される男も必要で、仮に「サイ君」としよう。彼は仕事はそこそこだったが、とにかく嘘をつく癖がひときわ酷かった。だから俺は彼を徹底的に弄った。
髪型を弄り、顔を弄り、趣味を弄り、学歴を否定し、業務を全て笑い物にした。そのうち、俺と一緒にみんながサイ君を笑うようになった。ゴミ共め。知能がねえからイジメなんかするんだ。
と俺は冷静だったが、とにかくそうやって家族集団の意識を、会社のチームに少しずつスライドさせる、そういう手ごたえを感じていた。
同時に成績も無事に上がり始めていた。当然だ。通常の3倍働いているのだから、業績もその分伸びる。だが、俺は個人的にはあと倍は行けるなと感じていた。
家族と飯食うとか、下らねえ趣味だとか、そういう余計な人生をやっている暇があったらもっと仕事が出来るからだ。
徹底的な監視システムも成功しつつあった。基本的にやった業務は全て写真で撮って送れ、俺は見たものしか信じない、というのを大原則にしたのだ。(これは多くの日系企業、現地企業に取り入れられた)
信じられるのは、ルール、規律、成功、そして俺だけでいい。蜂さんや蟻さんのような、何も考えず何も思わず集団のために無意味に命を捨てられる、美しい生命体になるのだ。
だが、混沌に秩序をもたらそうとする真実と愛の伝道師、ライトサイドの権化たる俺はこの後、ゴミカス共から、何故か思わぬ反撃を食らうこととなる。(続く)
の本を読んでるんだけど、男性の話ばっかで女性の成功の話が全然載ってない。
ので、女性でビジュアルシンカー(物体視覚思考)で、こういった仕事やっててそれなりに楽しく(または苦じゃなく)やってるよー、という話が聞けたら嬉しいです。自分自身が仕事の方向性に悩んでるので経験談を聞けたら嬉しいです🙇♀️ちなみに自分は注意欠陥の発達の症状があります。
https://www.bbc.com/news/articles/cx29z3v919xo
同市の軍事行政長官によると、ロシア軍は弾道ミサイルや多連装ロケット砲、誘導爆弾、さらには大砲を使用してこの都市を攻撃しているとのことだ。
ポクロフスクは交通の要所であり、もしここが陥落すれば、ロシア軍はこの地域の主要な補給路の一つを遮断することになる。
そうなるとウクライナはチャシブ・ヤールから撤退せざるを得ず、前線はクラマトルスクにさらに迫ることになるだろう。
これによりウクライナは事実上、クレムリンが侵攻当初から奪取を目指してきたドネツク地域のほぼ全域を失うことになる。
同市の軍政長官によれば、この地域で戦闘に参加している勢力の比率は、ロシアが10対1で圧倒的に有利であるとのことだ。
しかしウクライナのオレクサンドル・シルスキー司令官は、ポクロフスク方面へのロシア軍の進撃を阻止することに成功したと述べている。
第110旅団大隊長のオレ・デチャレンコ中佐は取材に対し、ロシア軍のポクロフスク攻撃の北側前線は確かに安定していると語った。
その代わりロシア軍の攻撃は主に南側に集中しており、激しい戦闘が続いていると同氏は言う。
ロシア軍が占領しようとしているその南方面の地域の一つは、ポクロフスクの南東にある小さな町セリドベである。
「戦闘準備!」部隊指揮官ドミトロは新たな標的の座標を受け取った後、命令を下した。
部隊全員が第二次世界大戦で使用されたアメリカ製のM-101榴弾砲に駆け寄る。
しかしロシア軍の陣地を砲撃すればするほど、反撃を受けるリスクが増す。
そのため砲撃が一回終わるごとに塹壕に避難し、ロシア軍の反撃を待つことになる。
そして遠くで大きな音が聞こえ、彼らは静かになる。
彼らが最も恐れているのはこの兵器だ。
この兵器は壊滅的な被害を及ぼし、砲手たちは身を隠す場所がない。
ドミトロは、クルスク作戦に参加したウクライナ軍をドンバス地方の防衛に使う方が有益ではないかとの質問に対し、曖昧な返答をした。