「代替」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 代替とは

2018-01-21

anond:20180121114722

年賀挨拶

(代替として)年賀状

(代替として)LINEあけおめ

時代に応じて、伝統文化は変わってゆくのが自然。それでいい。

2018-01-20

anond:20180120113041

まず放送枠がないとだな…

 

あとブコメプリキュアあったけど1年ごとに代替わりする作品は「国民的」とは言えない

2018-01-19

anond:20180119200450

そういえば、前にナマズ代替テレビになるんじゃないかと紹介してた

anond:20180119195728

そういえば、前にテレビナマズ代替になるんじゃないかと紹介してた

[]漁獲量昨年比0.6%のシラスウナギ絶滅して何が困るのか、実はよくわかってない

anond:20180118200944


====

以下、前回頂いたトラバ感謝

https://anond.hatelabo.jp/20180118142556

https://anond.hatelabo.jp/20180118145458

====

できればホッテントリでブチ上げてる方々からブクマで主張してほしいですね

2018-01-18

俺はうなぎを食おうと思う

うなぎ絶滅してしまうらしい。今は本気で個体数が激減していて、復活はもはや見込めないそうだ。

それなら俺はうなぎを食おうと思う。


どうせ遅かれ早かれ絶滅するんなら、まだうなぎが残ってる今のうちに食ったもん勝ちだ。

それなら俺はうなぎを食おうと思う。



俺が今店に並んでいるうなぎを買わず拒否たからといって、水揚げされて死んだうなぎが生き返って泳ぎだすわけじゃない。

それなら俺はうなぎを食おうと思う。


これから世の中どんどんうなぎ保護して食わない流れになっていくかもしれない。土用の丑の日うな丼SNSにアップしただけで叩かれる時代だ。SNSに上げるからそんなことになる。黙って食えば誰にも気づかれないだろう。

それなら俺はうなぎを食おうと思う。


表面カリッと中はホクホク、絶妙塩梅に焼き上げられたうなぎ。甘辛いタレにとぷんと浸けて、アツアツの炊きたてめし盛る。上から錦糸卵を少し。うなぎを箸でほぐしてタレの染み込んだめしと一緒に掻きこむとき幸福よ。あの幸福代替品では味わえないな。

それなら俺はうなぎを食おうと思う。

[]漁獲量昨年比0.6%のシラスウナギ絶滅して何が困るのか、実はよくわかってない

2018-01-16

このセクハラ職場

必死に奥様の代替語を考えている。

フェミニストの主張に奥様、主人が差別語というのがある。配偶者様・パートナー様という提案をしていたが文章的にしっくりこない。

2018-01-15

男という正しくない生き物になんか生まれたくなかった

男性の特徴は、政治的に正しくない、現代社会的生活に相応しくない要素を大いに含むので、男性各位はそれを自覚し、己の心身の挙動に綿密な注意を払って調和平和を乱さぬよう生きるべし。


みたいなことを、公的にも私的にもそこらじゅうから言われてるような気になる。

ヒトのオスって、そこまで不快危険で、罪悪感で縛り上げなきゃとても共生したくないタイプの間違った生物なんすかね。


この思考で厄介なのは、ヒトのオスである私にとっても、他のヒトのオスはできる限り近くにいてほしくない不快な生き物だってことだ。

いや、私自身も私の体のゴツゴツした感じ、がさつさ、デカさ、体臭、体毛、声質、闘争性、暴力性、共感性の低さ、性欲、助平心、などが不快しかたない。

から迷惑がられるのが分かる。

どれも厄介な特徴だし、どれだけ大変でもコントロールすべきかもしれない。


私の頭の中の物知りマンもこう言っている。

「君が男性なのが問題なんじゃないし、男性なことを責めているのでもない。だって男性でもエレガントで社会性の高い人は沢山いるのだから

問題は君が社会生活にそぐわないこと。君の社会性が低いこと。性差ではなく個人差として君が駄目なのだ

そうかもしれない

でもこれら悪しき特徴の中に、私が男性に生まれたが故にテストステロンだかなんだかの影響を受けて、半ば先天的に強められたものもあったんじゃないですか。

それを個人差だと、個人責任を負うべき個人的特徴だとするのは、自己責任論みたいなもんじゃないですか。

つーか、男に生まれたせいでも、私が私であるせいでもいいけど、こうなろうとしてこうなったわけじゃないのに、もっとちゃんとしろって言われても不条理を感じる。

男性差別か、迷惑なやつ差別か、どっちかを受けてるみたい。


ところで、男がやたら恋愛相手をほしがるのは、性欲の強さのせいだけでなく承認を求めてるからだっていう話を見たことがある。

それに対して「承認だったら仕事か友人関係で得ればいいだろ、女に求めるな」みたいな批判が来ていたのも覚えている。

でも私はこう思う。

男が仕事や友人だけではなく恋愛相手から承認も強く求めるのは、しばしば暴力的攻撃的で非道徳的で不快社会生活に相応しくないとされる男の性欲を受け入れてくれる人がいる、むしろ歓迎してくれる人がいるということが、男であることの恐怖と罪悪感に許しを与えてくれるからではないか

仕事や友人関係で得られるのは、得意分野への承認だ。

一方、恋愛で得られるのは、己の有害さというコンプレックス部分への許しだ。

この二つは代替可能ではないと思う。

私は童貞で職歴もないから、仕事で得られる承認恋愛で得られる承認が本当に違うかわからないけどねー。


はーーーーきれいな女の子になって女の子と付き合って暮らしたいよーーーーーーーーーー

って書いたのに全然ブクマこないから再投稿する

2018-01-14

キモくて金のないオッサンになりそうな23歳の俺の愚痴

高校卒業して、進路担当先生に勧められるまま地元工場就職して働き始めてからもう6年になる。

23歳になった。

世の中に楽な仕事はそんなには無いのは知っているが、零細企業工場で働くというのは、まぁ、それなりにキツい。

体力勝負だし若い社員が少ないせいで、年配の上司にこき使われる様にして毎日働いている。

若いんだから、という理由でキツい仕事こちらに回ってくる事も多い。

そんなこんなで仕事を終え、家に帰って両親や弟と夕食を食べる。

大学生の弟が今度彼女デートしてくると両親に話していて、青春してんなぁと俺は嬉しくなった反面、こう思う。

んー、なんか俺このままで大丈夫なのかなぁ、って。

インターネットでここ最近所謂キモカネ」という単語を見かける様になった。

キモくてカネのないオッサン

キモいせいで性的な魅力も無ければ、経済力もなく、もう若くない人の事。

三重苦だ。

しかしこういった概念に人を当てはめて、抽象化して判断するのは良くない事かもしれないし、こういう事は個人問題、という意見もある。

だけれど俺は自分自身に対して将来自分がそういった所謂キモくてカネの無いオッサン」という存在になってしまうのではないかという危惧感を抱いている。

うちの会社工場は男ばかりだ。

これは肉体労働系の仕事から仕方がない事で、そしてコレは全く個人意見でその上ちょっと極論的でもあるから一般論としては見ないでもらいたいのだけれど、男というのは視野の狭い生き物だ。

話題に上がるのは大体風俗ギャンブルの話ばかりこれに辟易している毎日なのだがこれに加えて、肉体労働系の仕事ではまず自分の見た目に対して物凄く無頓着になる。

まずヒゲを剃らなくなる。ヒゲを剃るために早起きしなくてはいけないぐらいなら伸ばして週一で剃るぐらいが丁度良い。

そして次に顔を洗わなくなる。

うちの工場粉塵が舞うので人によってはマスクを着用して作業するが、そうすると顔を晒す事が飯を食う時と昼の休憩中ぐらいしかないので、誰も見ないなら良いだろうと、俺のような自堕落人間は考えてしまうのだ。

そうすると、キモくてカネのないオッサンの「キモい」という条件が完成する。

不潔にしてる奴はキモいのだ。

コレに関して言えば殆ど反論余地は無いだろう。

そして次の問題はカネだ。

カネは大事だ、命の次に大事ものだ。

これが尽きれば即ちオマンマ・エンプティで即餓死である

カネを自らの欲しいものと交換して得られる幸福感というのは、得てして他人から自分への愛によって得られる幸福感の代替と成りうるので、これを欠かしてはいけない。

うちの会社は金払いが悪い。

俺達は金に飢えたマネードッグスなので金払いさえ良けりゃどれだけこき使われようとも納得出来るのだが、うちの会社社長というのは安く労働力をこき使おうとしやがる上変な所で見栄っ張りなのだ

社長が「ウチの会社一部上場したぞう」とドヤ顔で言ってきた時は、これで俺たちの給料も上がる!とまだ若い同期や先輩達と喜んだものだったが、社長がしたのはまず自分のダサイ型落ちのスポーツカーを真っ白の高級ベンツと取っ替えた事だけである

彼は日本法治国家である事に感謝すべきだ。

もし日本が法に縛られていない無法地帯の荒涼たる大地であったならば「白は血が映えるから良い色だよね!!」と叫んで、マチェテを振りかざす気の触れた俺と対峙する事になったであろうから

それはともかくとして、こういうことがあるのを踏まえた上、6年間も働いているのに未だ昇給しない事も考えると「全く金のない」という事にはならないだろうが、「同年代中年男性と比べて」金のないオッサン、という事にこのままではなりそうである

そして最後の条件、「おっさんである

老いからは誰も逃れられない。

全ての人間が生まれ落ちた瞬間に、死に向かって歩き出す。

やがて訪れるその瞬間まで人々は悲しみを味わい喜びを噛みしめるのだ。

その様子はまるで狂乱の渦に巻き込まれていくパレードの様で、誰ひとりとしてその宴の列を抜け出す事は出来ないししてはならないのだ。

俺もいつか年老いおっさんになる。

だがなっていたいのは、自らをキモくて金のない中年だと自称して悲しみに暮れるおっさんではない。

俺はモテなくてもいいし、特別金持ちでなくても良いから(ポップコーンドリンクを買って映画館映画が見れて、楽しみにしていた新作ゲームを躊躇なしに買えるぐらいには金が欲しいけれども)ユーモラスなおっさんでありたいのだ。

自己肯定感、これが一番大事なんじゃないだろうか。

支離滅裂怪文書の様になってしまったけれども、自己肯定感さえ持っていればキモカネおっさんから抜け出せると信じていたい。

例えそうじゃなくても、常に成りたい自分想像して努力が出来ていければ良いと思う。

自分で言うのも何だが、まだ若いのだから今の内から色んなことに目を向けて頑張っていければ良いと思う……。

大前提

(1)Unlimited Blade Worksルートをやっていれば、キャスタークズキを殺す可能性はゼロで有ることは言うまでもなくわかるはず。キャスターはこのルートでもクズキのことを自分の命より大事に思っている。

(2)まず、クズキとキャスター関係特殊キャスタールールブレイカーを使って元マスターを殺し、自力で顕現しているはぐれサーヴァント状態クズキは魔術師ではないためマスター契約もしていない。そのため、令呪のつながりがなく、キャスターにはマスターである葛木の異常を察知することが出来ない

この歪な状態を間桐臓硯に狙い撃ちにされる。

殺害の経緯。

(1)まず臓硯は柳洞寺を監視し、クズキが結界の外(学校)にいて、かつキャスターが隣町に出ているときを狙う。

(2)条件が満たされた状況で、蟲を使って魔術耐性がない葛木を蚊のような蟲で攻撃

武術においてはサーヴァント並に強いクズキだったが、蟲魔術耐性がなく、油断していたためにあっさりやられる。間桐臓硯は魔術でクズキの意識を掌握。さらに蟲がクズキの心臓と入れ替わる。つまり実質的クズキはこの時点ですでに死亡している。

(3)操られたクズキは結界内に戻り、キャスター工房破壊

(4)隣町から戻り、異常に気づいたキャスターは、クズキが操られていることを察し、彼を救おうとしてクズキを拘束した上でルールブレイカー使用する。しかし上で述べたように、すでにクズキの心臓は蟲が代替している状態ルールブレイカー使用たことにより蟲が消滅してクズキは死亡する。キャスター自身も、そしてそのタイミングでやってきた士郎セイバーも、キャスターが自らクズキを殺してしまったと誤認。

(5)直情馬鹿の上に「主君への反逆」にトラウマがあるセイバーは、瞬間的に頭が沸騰し、話も聞かずにキャスター絶対頃すモードになって襲いかかる*2。ろくな備えもなく精神的にも支えを失って自暴自棄になったキャスターはあっさりセイバーに討たれる。

(6)頭に血が登ったまんまのセイバーキャスター死体消滅確認せず立ち去ったので後々非常に厄介なことになる

男という正しくない生き物になんか生まれたくなかった

男性の特徴は、政治的に正しくない、現代社会的生活に相応しくない要素を大いに含むので、男性各位はそれを自覚し、己の心身の挙動に綿密な注意を払って調和平和を乱さぬよう生きるべし。


みたいなことを、公的にも私的にもそこらじゅうから言われてるような気になる。

ヒトのオスって、そこまで不快危険で、罪悪感で縛り上げなきゃとても共生したくないタイプの間違った生物なんすかね。


この思考で厄介なのは、ヒトのオスである私にとっても、他のヒトのオスはできる限り近くにいてほしくない不快な生き物だってことだ。

いや、私自身も私の体のゴツゴツした感じ、がさつさ、デカさ、体臭、体毛、声質、闘争性、暴力性、共感性の低さ、性欲、助平心、などが不快しかたない。

から迷惑がられるのが分かる。

どれも厄介な特徴だし、どれだけ大変でもコントロールすべきかもしれない。


私の頭の中の物知りマンもこう言っている。

「君が男性なのが問題なんじゃないし、男性なことを責めているのでもない。だって男性でもエレガントで社会性の高い人は沢山いるのだから

問題は君が社会生活にそぐわないこと。君の社会性が低いこと。性差ではなく個人差として君が駄目なのだ

そうかもしれない

でもこれら悪しき特徴の中に、私が男性に生まれたが故にテストステロンだかなんだかの影響を受けて、半ば先天的に強められたものもあったんじゃないですか。

それを個人差だと、個人責任を負うべき個人的特徴だとするのは、自己責任論みたいなもんじゃないですか。

つーか、男に生まれたせいでも、私が私であるせいでもいいけど、こうなろうとしてこうなったわけじゃないのに、もっとちゃんとしろって言われても不条理を感じる。

男性差別か、迷惑なやつ差別か、どっちかを受けてるみたい。


ところで、男がやたら恋愛相手をほしがるのは、性欲の強さのせいだけでなく承認を求めてるからだっていう話を見たことがある。

それに対して「承認だったら仕事か友人関係で得ればいいだろ、女に求めるな」みたいな批判が来ていたのも覚えている。

でも私はこう思う。

男が仕事や友人だけではなく恋愛相手から承認も強く求めるのは、しばしば暴力的攻撃的で非道徳的で不快社会生活に相応しくないとされる男の性欲を受け入れてくれる人がいる、むしろ歓迎してくれる人がいるということが、男であることの恐怖と罪悪感に許しを与えてくれるからではないか

仕事や友人関係で得られるのは、得意分野への承認だ。

一方、恋愛で得られるのは、己の有害さというコンプレックス部分への許しだ。

この二つは代替可能ではないと思う。

私は童貞で職歴もないから、仕事で得られる承認恋愛で得られる承認が本当に違うかわからないけどねー。


はーーーーきれいな女の子になって女の子と付き合って暮らしたいよーーーーーーーーーー

2018-01-13

文章、注意を削ぐあれこれ

文章を読んでいると、本筋ではないところで読む気が削がれてしまうことがある。

例えば、句読点の打ち方。句読点が、大量に、存在すると、読む気が、削がれる。こんな、過度では、ないにしても、なんか、多すぎると、感じると、そこばかり、注意が、向いてしまい、内容が、頭に、入ってこない。

私は気にしたことがなかったが、最近漢字が続くと読みにくいとということも聞いた。変換出来る限り漢字平仮名に変換された文章は読み難い。ということらしい。句読点の打ち方や助詞の不使用文章が下手という問題もあると思うが、言われてみれば読み難い気もする。

言葉の間違いも読む気を失させる。うる覚えで正しくない言葉を使われると、その言葉を目にしたときに、脳内勝手に「間違ってる」というツッコミが働いて、注意が削がれる。よく分からない言葉は、使う前に調べるか、代替表現採用していただきたい。

論理的意味不明文章もあるので、それについても書く。さらに、そんなに真剣に読む価値のある文章なんて少ないから、注意をしながら読もうと思う。

今後ポリコレやらフェミやらに目つけられて近いうち消えそうなもの



まだまだありそう

2018-01-12

anond:20180111174433

てっきり大震災のおかげで原発神話に終止符が打たれるかと思ったら「稼働させないと電力が!」

どんな先進国ももはや原子力発電所は「発電施設として妥当ではないし検討する価値も無い」って段階になってるのに(中国韓国除く)

まだ原発利権の言うことを信じて稼働を支持する国民に目まいがする

未だに福島原発の処理も済んでないしメルトダウンしたのもそのまんまなのに

そもそもコストにしたって廃炉と燃料廃棄でトントンどころか石油やすより大赤字なの知らないってどうなの

除せんコストでこれはもうコスパがいいなんて口が裂けても言えなくなったわけで

というか安全に捨てる場所すらないっていう話にもならない状況なのにまだ廃棄出すのって

正直日本人は全員死んだ方が日本にとっては正解だと思ってる

原発に関してはもはや賛否両論かいう段階じゃない

事故った時点で廃炉一択代替するエネルギーを早急に開発して設置していかないといけない段階

事故ったのは甘かったからとかい意見馬鹿すぎる

原発以上にミスったらダメなことってあるのかっていうことをミスってるようなレベルにまで安全管理が低下した国に

これから先何十年の安全管理が万全を期して行うという想定をするほうが甘すぎる

そもそも原発に関する事故福島だけじゃない、過去にも「甘すぎる」ミスがあった結果がこれ

新しい日本人アメリカ人クローンで作ってもらいましょう

東京のど真ん中に原発作れば関東平野に住む人間も実感として理解できるんだろうか

関東大震災が起こっても関東平野人たちは福島の再体験できないからそのあとも原発稼働を支持することになる、もったいない

どれだけ小型でもいいからなんか放射能汚染につながりそうな施設を一個でもいいか都心に作ってほしい

2018-01-10

いっそ姓なんか無くしゃいいんだ

姓は世帯を大体区別するための記号なんだから、概ね同じ世帯人間が同じ姓を使わにゃ意味が無い。

例外は今も含め常にあるけど例外と言える範囲を別姓の人が超えたら最早姓の意味が無くなる。

だったらもう姓自体廃止すりゃいい。書類諸々を名前管理する事自体が古い。今は生体認証だってマイナンバーだって代替手段いくらでもある。

姓の存在自体時代遅れって事だな。

2018-01-09

社畜の原点は部活にあり!?

部活は、昔の軍隊教育代替品。

日本戦争で負けて、国民軍事教育を施せなくなった。

 

日本義務教育は、経済界意向をくんで、体育会系学生ビシバシ鍛え上げて、企業歯車となる戦士(優秀な労働者)を育成しなければいけない。

ブラック部活ブラック企業を支える組織構造なのだ

2018-01-08

ビットコインユースケース

ビットコインとは何か、という記事が注目を集め始めているが、もっぱらビットコイン投機性に対してのみ注目を集めていて、どういう実利があるのか・無いのかという話に踏み込んでいる記事が少なすぎると思う。

ビットコインが役に立つ状況と、その前提条件について、素人なりに思いつくところを書いてみる。

 

(1)海外への送金手段として

普通に銀行口座を使って高額のお金を送金しようとすると、それなりの手数料がかかる。安くても2%、5%以上取られるケースも多い。

これに対して、日本ビットコインを購入し、海外ビットコインを送り、送った先でビットコイン現金化すれば、銀行手数料を払うよりも安上がりになる可能性が高い。

 

但し、ここで問題は、送金元となる国でビットコインを売ってくれる人が居る事、そして送金先でビットコインを買ってくれる人が居ることだ。送金先があまりにも小国マイナー通貨だったりすると、上手くいかない可能性がある。

 

さてここで、海外送金について最も切実な需要がある国はどこかといえば中国である中国は、お金海外に送金したり持ち出したりすることに関して非常に厳しい規制がある。一方、中国からアメリカ日本に送金したいという需要は莫大にある。この問題に、ビットコインは風穴を開けている可能性がある。

   

ビットコインに関しては、中国の方が良くも悪くもずっと進んでいるし、現実問題として中国ではビットコインに切実な需要があるのだ。

 

ただし、これには前提条件がある。中国ビットコインを購入し、それを日本日本円に換金したい場合日本ビットコインを購入してくれる人が必要だ。ではどうやって日本でのビットコイン購入者を増やすか。ビットコインには現状、市場操作価格操作)に関する規制が無い。中華マネーをもってすれば、日本の小さなビットコイン市場操作することなど朝飯前だと思わないか

 

 

(2)タックス・ヘイブン代替手段として

ケイマン諸島パナマなどが、租税回避地として騒がれたのは去年の話だ。これに対して、各国の税務署が協力し合って対策を講じ始めている。つまり放置しておくと莫大な徴税を受ける可能性のある金持ち企業世界中ごろごろ居るという事だ。

それで、代わりになる新たな租税回避手段が、あれやこれや模索されているわけだが、そこでビットコインが注目を集めている可能性がある。ダメもとでビットコインを購入し、結果としてビットコインが無に帰したとしても、どうせ放置しておけば徴税されるお金だ。上手くいけば値上がり益を得られる可能性もある。最終的にはビットコインにも税務署の手が入るだろうが、ケイマン諸島パナマよりは後のことになるだろう。

 

 

(3)例えば麻薬販売代金の送金手段として

海外への送金の手数料が高かったり、色々な規制が入ったりする理由の一つは、それが犯罪によって得られたお金である可能性があるためだ。なので、ここには常に監視の目が光っている。これを免れる手段として、ビットコイン有効だ。今のところ。あとは説明する必要は無いね

 

 

上記の3つの例では、いずれも巨額のお金が動く。ビットコインバカげた高騰を説明するのには十分では無かろうか。

ビットコインは優れた技術かもしれないが、それが高騰している理由は、必ずしも褒められる理由では無い可能性があるということを認識してほしい。

 

一般市民が手を出すのは、十分な法整備が行われ、金融庁税務署公正取引委員会などの監視の目が光るようになってからでも遅くないよ。

 

2018-01-07

ポルノ批判するのなら風俗批判しろ



エロ本とかAVなんて風俗代替でもあるんだから

規制するのなら風俗の方が先だろ

セックスワーカー批判することになるから

リベラル的に言及できないのかなと勘ぐってしまうね

いち宝塚ファンとして悩むこと。

anond:20180106164019

私も結論が出ていないけど、ブコメトラバの誤解をいくつか正したくて書く。長くて申し訳ないけど。

まず、宝塚音楽学校日本人しか入れない、これは間違い。

宝塚では劇団員のことを「生徒」と呼ぶ。

中国系韓国系の生徒が占める割合はそれなりに多いし、トップスター上りつめた生徒もいる(発音問題がないことが前提条件だとは思うけど)。

 

アメリカを中心とした欧米諸国出身の親をもつ、いわゆるハーフの生徒もそれなりに多い。むしろ舞台映えする頭身バランスはかなり好まれている印象がある。

ただ、相当顔の濃い生徒や東アジア東南アジアルーツを持つ生徒はいるけど、黒人の生徒が入ったことは今までにない。

それが1000人が受けて40人しかからない選抜過程問題か、日本人口バランス問題か、宝塚歌劇を好む層の問題かはわからないけど、実際この先どうなるんだろうね? とたまに思う。

ものであれば、必要に応じて舞妓さんのような白めのドーランを塗る。

フランスものスペインもの日本ものドーランの塗り方がすべて違うのが宝塚のやり方である。それはおそらく、生徒の肌色が白〜黄色であることを前提としている。

さて、宝塚ラテン・ショーの「黒塗り」は、どちらかというと日焼けした肌の色、褐色の塗り方であって、今回のブラックフェイス議論からは少しずれてくると思う。明らかに「黒塗り」という名前が先行して誤解を招いている。

個人的に、通称「黒塗り」をしたタカラジェンヌラテン風の衣装に身を包み、舞台で目をギラつかせながら踊り狂っている姿を見ると、日常のすべてのことを忘れられる。めっちゃかっこいい。

この文化がなくなることを、私は個人的に望んでいない。

今回元増田が投げかけた宝塚のショーでの「黒塗り」は、日焼けした、褐色の肌をセクシーものとして消費する目線に基づいているけど(このへんは補足を読んでほしい)、小麦色の肌をしたラテン系色男という、(宝塚歌劇の描く)ヨーロッパイメージに基づいているために、差別的文脈かというとかなりのグレーゾーンにある、というのが個人的所感。

そしてラテン系といっても、スパニッシュ風のダンスがある程度で、全体としてのショーの仕上がりはかなり無国籍風だったりする。宝塚歌劇が描くのは結局は非現実だ。

長々書いてきて結論がなくて申し訳ないけど、私は、万国さまざまな時代舞台にしたショーや芝居を上演することで、美しい夢の世界を見せてくれる、宝塚歌劇を愛している。一回3500円で見る宝塚歌劇は、私のとるにたらないこの人生を支えてくれている。

風と共に去りぬ」で黒人奴隷を演じるにあたって、かなり色の濃いドーランを塗るといったことは、もうやめたほうがいいのかな……と思う。ブラックフェイスという議論があると知った以上。

ただ、宝塚では様々な国や時代物語を演じられる、舞台となる時代や国に合わせて、さまざまな化粧のあり方がある、それが夢の世界演出をある程度支えている。

そのこと自体はどこかで守られてほしいと思っている自分がいる。

風と共に去りぬ黒人奴隷の黒塗り(じゃあ、ホワイトウォッシュは……?)や「〜ですだ」という口調はアウト、ここには同意しても、ラテンショーの上演や、インド映画宝塚化するにあたって、肌を褐色に塗ることを否定されると、反発したり戸惑ったりするファンは多いと思う。

それは、宝塚歌劇が常に新しい演目に挑戦して、様々な世界舞台を作り上げていくことそのものを揺るがしうるから。

宝塚歌劇演出家代替わりしていくにつれて、観客がノーをつきつけるような描写が減りつつあることは感じている。

今後観客がどう考えるか、宝塚の中の伝統欧米諸国日本規範整合性をどうとるかだと思う。


【補足】

ここからの話はかなり込み入っている。

宝塚のショーの「黒塗り」は、ラテンイメージだと述べたので少しずれるんだけど、黒人差別文脈ではなく、むしろ褐色の肌をエキゾチックものとして消費する、オリエンタリズム問題文脈に近い危うさをたたえているかも、と思うことがある。自戒をこめて。

(1/9追記:つまりセクシーと思ってるからOKとは一概にもいえなくて、私は宝塚の黒塗りが好きだけど、本当に本当につきつめて考えれば、どんな肌色を美しいと思い、逆にどんな色をそうでないと無意識に考えるのか。これって個々の社会文化的規範とも関係のある、きわどい問題だと思う。宝塚が悪いわけではなくて、一般論として)

私も専門家ではないので誤りがあったら申し訳ないけど、オリエンタリズムとは、かみくだいていうと、「実体に基づかない、西洋に都合の良い勝手イメージを押しつけて消費し、それを東洋の後進性とむすびつけていくような考え方」のことだ。

たとえが貧弱で申し訳ないけど、よく古い映画絵画に出てくるエキゾチックオスマン帝国ハーレムとか、アラブ美少年イメージ

そうしたものエキゾチックものとして描くことが、どこかで東洋を劣ったものとして位置づける差別意識につながっていき、それが西洋東洋特に中東)に対する植民地支配正当化する装置としてはたらいた。

それを問題にしたのがエドワード・サイードをはじめとする学者だ。

日本もその「東洋」に属することは間違いなくて、ゲイシャだのなんだのというイメージ押し付けられているわけだけど、日本クリエイターが他の国々に対して、無自覚オリエンタリズムに基づくイメージを投げかけていることはままある。

宝塚歌劇なかには、ショーの一場面などでオリエンタルアラブ風の演出を好む演出家がいるので、やめるべきとまでは思ってないけど、遠い先に問題になるかもしれない、とは思っている。肌色問題というより、あまりにも典型的オリエンタリズム再生産だとして。

ちなみにこうした場面が、ショーの一場面として上演される場合は、その場面だけ化粧を変える時間もないし、大体洋風の色白メイクだ(ブコメで突っ込まれていたけど、私はこういう演出に関して、色白メイクからOKとは思っていない。ぶっちゃけ肌色関係なく、あーまた演出家趣味でこんな場面か、とたまにうんざりするだけだ)。

上で述べたとおり、今度アラブなりインドなりを舞台にした物語を上演するときに、メイクをどうするかという問題も今回浮上したし。

完全なポリティカルコレクトネスを実現することは多分不可能だし、何がポリティカルコレクトネスに反するか、コンセンサスをとることも難しい。ここで書いてきたのは、宝塚以外の場所でもありうる話。

ただ、宝塚歌劇というか、ある文化無意識に立ってる価値観について、個人としてちゃんと考えてみたかった。

2018-01-06

anond:20180106122415

しろパートからこそ、企業側にしてみたら育休取らせるメリットがある。

パートは入れ替わり激しいから、元々パートを大量に使ってるような業種ならわざわざ育休代替要員を用意しなくても

他のパートを雇う→育休者が復帰する頃にはどうせ他の人が辞めてるから人材過剰にならない、と言う事も多いだろう。

というか今は人材不足だしな。

主婦パート子供用事で休むのも最初から前提になってるから、他も皆同じで出産後だからそいつけが特別使えないという事もない。その代わり給料安いわけで。

まり正社員育休のような「代替要員で埋めにくいから残った人に負担がかかる」

復職後も子供の熱だ行事だで休みまくる癖に正社員として他の休まず働く人と同じ給料を持って行く」と言うデメリットが少ない。

2018-01-03

おせち料理おいしくない

保存のために美味しさを犠牲にしてるんでしょ?

おめでたい年始になんでそんなもん食わなきゃならないんだ。テンション下がるわ。

恵方巻きとか流行らす前におせち代替で美味いもの企画して流行らせてくれよ。

なんで日本人って妙に質の低い笑いに飢えてるの?

ダウンタウン黒塗り問題とかさ

芸人(名前失念)の、女の嫌よ嫌よは好き とかさ

ホモホモ男もそうだけど、

笑いの質としては、代替しうる案よりもとりわけ面白いわけでもないじゃん?

 

ここら辺の差別チックな笑いは、既に戦後テレビ界で手あか付くほどやって来てさ

そんでここ数年で、暗黙の了解超えラインが上がってきたわけだけど

そこまで危険を冒してこの手の懐古的笑いを取る必要も無いでしょ?

やらなくてもいい笑いで誰が傷つくんじゃ、娯楽としてあり得ないと思うんだが

 

そして芸人に限らず、日本漫画アニメドラマってやたらギャグシーン多いよね?

洋ドラ洋画見ると、ウィットに富んだ皮肉を挟むくらいで

あと引かないさらっとした感覚があるのに

日本ギャグは常にウェットで、しつこい、くどい  門切り型の表現も好きだし

ハッキリ言ってあっても無くてもいいような要素ばかり

萌えアニメギャグで心から笑ったことあるか? あれを不細工キャラがやってても

おまえら笑えるか? 可愛さ補正で質の低いギャグを美化してるだけだろう

 

人間は飽きっぽい生き物で、常に新しい形の笑いを求めてる

差別チックで古典的、しつこいくどい、低レベルお笑いといい加減決別すべき

続・年賀状はいらない文化なのか?

anond:20180101070125

意外に伸びててびっくりしてるんだけど、ブコメ見てると賛否両論って感じかな

年賀状肯定的人達は俺と考え方が近いのだと思う

まり一応知り合いという程度の人との繋がりを維持するのに年賀状有用って考え方

それに対して年賀状否定的人達の考え方を大きく分けると2つに分けられると思う

①今の時代年賀状の様に紙、つまり物理媒体を使った通信年始あいさつをする必要なんてないという考え方

年賀状を出さない事で失われる程度の繋がりなど人生不要という考え方

考え方は人それぞれだから反論という訳じゃないけど①、②共に思うところはある

まず①の方

俺も将来的には葉書封書での年賀状はなくなっていくと思ってる

ただ、メールLINE、各種SNSなどが年賀状代替を果たせるか? というとちょっと疑問がある

手間がかからなすぎるかなって気がする

お歳暮なんかもそうなんだけど、あなたのためにこの程度は手間をかけましたってのが結構大事だと思うんよ

あくまで俺の経験則に過ぎないんだけど年一回の年賀状と同じ程度の人間関係メールで維持しようとすると、3ヶ月に1回くらいはメールのやり取りが必要になると思う

SNSだったらもっと短期スパンでの定期的なやり取りが必要なんじゃないか

メールにしてもSNSにしても、メッセージのやり取りをするツールとしては年賀状をやり取りする相手より親密度が高い人向けって感じがする

もちろん将来メールを送ることが今、年賀状を送るのと同じくらい手間をかけてると感じる価値観が主流になる時がくるのかもしれない

でも今はまだそうじゃないと思う

個人的には今後、年賀状代替していくサービス電子年賀状的なものになるんじゃないかと思ってる

スマホタブレット年賀状パラパラめくるように見れて、返事を書くのもそのままスマホタブレットでできる

あいうえお順などでソートもできて、職場の同僚や同級生などのタグをつけての管理もできる

一枚一枚手書きでも書けるしテンプレートイラストを引っ張ってきてお手軽にもできる

手作りスタンプを取り込んだり、写真を貼り付けたり、おみくじシールキャラクターイラストを貼り付けることもできる

そういう紙の年賀状をそのまま代替できる様なサービス

作るのにそれなりに手間がかかって、なおかつ更に手間をかけようと思えばいくらでもかけられるサービス

多分、すでに似たようなサービスはあるんだろうけど年賀状代替するほど普及してるとは言えないと思う

年寄りでも簡単に使えるか? っていうとそうでもないところあると思うしね

それに普及したらしたでスパムメールみたいな悪質な広告ウイルス感染源にされたりといった事への対策必要になってくるだろう

から今はまだ紙の年賀状の方が面倒でない面もあると思うんよ

②についてはホント価値観は人それぞれって話になっちゃ

ただし、ただめんどくさいとかい理由年賀状一枚で維持できる人間関係を捨てちゃうのはもったいないかなって思う

言ってしまえばコネとか人脈って呼ばれてるものってそういう緩い繋がりのことだと思うんだよ

人生の中でそういう緩い繋がりに救われる事ってたまーにある

そういう時の為に手間を投資してると考えればそこまで大損してるって訳でもないと思うよ

あんまり打算ばかりで考えるのもアレだと思うけど、緩い繋がりを維持してて損することってあんまりないよ

2018-01-02

結局さ、文句を言うだけ言うけど代替案や対策方法は全く考えてないよなぁ

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん