はてなキーワード: 人生とは
俺は別に暮らしてて面倒は全く見てないし増田の家ほどには困窮してなかったので(それでもまあ親が失職したりはしたけど)偉そうなことは言えないけど、俺自信は割とエリートな世界にいるので周りの家庭環境の良さとのギャップで死にたくなるのはある。兄弟揃って東大あたり出てて弟はどっかの企業で研究者やってて〜みたいな会話が普通にあるんだよな。なんだこの人生の差はと思うね。
身が固い二十代前半女とかゴミだぞ。
若い間はボーナスステージなんだから、場所選んで外見と経験とテク磨いて高年収イケメンを捕まえろ。
ここからの人生はステージが落ちる一方。25過ぎたら目に見えて会える男のランクが落ちるから、あと数か月の間にとっととカードを切れ。
育ちが悪い事がコンプレックスすぎて、自分が育ちが悪いって気づいた高校以降から品行方正クソ真面目にしか生きてない。トイレも座ってするようになったよ。箸もペンも持ち方を徹底矯正したよ。
結果生まれたのは32歳限界童貞オタクにすらなれない愛を知らないモンスター。そんな自分にも誇れることが1つだけあるんだよ。
今まで、本当に悪いことしてない。荒れた中学だったが自分は万引だの喫煙だのの犯罪をしてない。高校以降は言わずもがな。まあ親に未成年飲酒させられたくらいはあるが。
で、クソ真面目になって、24で大学院出て気づいたのは、真面目に生きることのメリットは「真面目に生きられること」しかないってこと。真面目に生きてたってご褒美なんてないし、無理して大学院行って育ちを隠そうとしたって、与えられるものは奨学金という借金で、勝ち取れたのは学部卒で働いてても同じ給料の職だけ。まあいい経験だったけどな、科学的アプローチの大切さは学べた。
でもいいんだよ。何も世間様に恥じることはしてない。失敗も後悔も私的な恥も多いが、ずっと善く生きてきた。奨学金も今年の夏ボーナスで完済だ。コロナでボーナス吹っ飛んだから1年伸びたが。何一つ恥じ入らないといけないことはしていない。せいぜい恥じ入らないといけないのは増田に非モテ関連で愚痴言ってストレス解消してるくらい(なんでモテないってだけで人格否定されなきゃならんのだ、くらいで、女性叩きは一切してないよ!マジで!)。
ずっと独りだし、最近孤独が辛すぎるけど、どうにか善く生きることは続けたい。自分の価値観での「善」のうち、9割はたぶん独善だし、他人から見たら惨めで不幸せで生きてる意味ないような人生かもしれんが。クソみたいな実家周辺のように生きるなら、惨めで結構だ。不幸でも構わない。生きてる意味ないのは君もだろう。どうにかして善く生きてやる。
自分も似たような感じで、今回の件で犬山たまきのアンチになったわ。
元増田との大きな違いは、こっちは別に元々ファンでもなんでもなかったってことだな。
あと、貯金もそんなにない。
タチが悪いのが、あの女はもともと人脈(笑)キャラのせいで、ファンじゃない俺のところまで勝手に情報が入ってくるところだ。
まぁ、別に今まではそれでもよかった。
ファンでこそなかったが、別にアンチでもなかったし、純粋に大した興味がなかった。
推しと絡む機会があったときだけ、ちょっと覗いてたくらいのもんだ。
それで、今回の件だよ。
界隈が大盛り上がりで、大した興味のない俺のTLにまで勝手に現れて、夢を掴んでおめでとう的な空気を撒き散らして行きやがる。
相手はイケメンで、億っていう年収があって、自分は美人で、社会的にも成功していて、実に計画通り人生順風満帆ですってアピールをガンガンしてきやがる。
ファンでもない俺の前でな。
こっちだって毎日必死こいて生きていてんだよ。それでも全然人生なんてうまくいかねぇ。
そんなところに現れて、おめでたムード蔓延させやがって、これで妬むなって方が無理だろ。
俺より幸せな奴は許さない、とは言わないが、俺の観測範囲に入ってきて俺より幸せアピールする奴は許せねぇ。
皆が彼女を祝うのなら、せめて俺はひとりだけで呪っておくわ。
わたしは人生ではじめてこの種の問題に出会ったのは高校のときでしたが、その前に中学でですね、水泳の教師で数学をやっていた小泊という先生が
平成9年に黒板に整数論の基礎みたいな文字を書くんですがね、生徒はみんな小泊先生をバカにしていて、筆記用具をわざと床に落として授業妨害したりといった
状況でした、わたしは、平成6,7年に、公立小学校に、平成8,9年に公立中学にいましたが、初等幾何も整数論も教わってないんですよね
高等学校に入ってから教科書で、メネラウスの定理とチェバの定理というあまり魅力のない定理だけ真面目に教えられましてね、確かにこの定理も平面幾何のやばい定理なんですが
証明とかは難しすぎて見えない、しかしセンター試験には出るということで必ず計算の仕方をやらされました
それで、整数論の問題は、大学受験準備である程度こなしましたが、平面幾何の問題は、ほとんどの証明が難しすぎて、考えてもどうせ手が動かないし解けたことがないですね
図を書いたらなるほどそういう定理があることは分かるんですが、証明はできたことがない。なぜかというと、平面幾何の問題は、証明自体が著しく難しいので
エルデシュは子供が好きで、子供のことを、イプシロンと呼び、おばさんが怖いと言って、おばさんのことをボスと呼んでいた
エルデシュは孤高の数学者で、パンツとシャツをバッグに詰めてどこそこを放浪し、他人の家に入って行って、数学をしませんかなどの人生を送ったという
文系の学生が平成時代にもっと醜いことで楽しんで遊んでいたのに対して、そういうのを犠牲にして特別な学校で頭が爆発して東大理系いって
学部でそういうくそつまらない数学勉強して人生何か楽しかったのか
せっかく持っていた爆発マンコの感情を全て、大脳に回したわけだから、さぞかしつまらん人生だろう
それもまた人生。
まあ流石にセンターレベルなら才能無くても時間さえ突っ込めばできるようになると思う。代入の概念を理解できない知的障害レベルとかだと難しいけど。そうでないならなにか根本的なところに勘違いがあるのではないか。
健常者個人にとって障害者を助けるインセンティブって結局は『保険』でしょ。
自分や自分にとって大切な人、あるいは将来生まれてくる自分の子供なんかが事故や病気で障害を負った時、今度は自分が助けてもらえるようにするための保険。
『障害者を助けることが当たり前の社会』を作ることは、自分が障害者になった際の助けに繋がる。
だから逆に言えば、自分の人生に対して守り通さなきゃいけないと思える程の価値を感じていない人や、大切な人間がいない人、自分に子供ができる未来を想像できない人にとっては、障害者福祉のインセンティブは低くなる。
あとは単純に余裕のない人にとっても。
どんなに保証充実でも明日の食費や家賃にすら困っている人は生命保険には入らない。
それと同じ。
だから俺は自分が将来、不具になったりする可能性に備えて余裕がある時は福祉に協力するようにしたいも思っているし、逆に余裕がない時は躊躇いなく無視して良いと思っている。
国家や社会は弱者の救済を義務とすることにはなっているけど、個人に具体的な義務はないんだから、なんて言うかそのくらいが適切な距離感じゃない?
自分はプログラマで、フォロー/フォロワーは同じような人しかいないんだけど、
PC版非ログイン時の右サイドバーに表示されているおすすめツイートと、
にも関わらずそのようなアカウントが自分のおすすめとして表示されて、
あたかも自分と関係があるんじゃないかと思われる可能性があるので非常に気持ちが悪いんだが。
最近、botっぽい嬢アカウントがフォローしてきて、何件かのこちらのツイートに無差別にいいねされたことがある。
気持ち悪すぎて即ブロックしたけどなんでこんなことが起こってるのが本当に意味がわからない。
プログラマ系の人と、ライブラリの公式アカウントしか表示されないので、
何かしらのバグかなにかなのかなあ。
「音を立てるほど勢いよく啜るのは、麺に汁が絡んだ状態で口に運ぶためだ。物事には理由がある。その理由を無視して、従来のやり方を抑え込む方が愚かだ」
「えー、でもそれを気にする人がいるってのは分かるでしょ」
「個人の気にする気にしないレベルで是非を求めたら社会は回らん。何が正しいか間違ってるかも分からず何もできなくなる」
こういった法律に縛られない、慣習的な何かを俺たちは漠然と“かくあるべき”と思っている。
だからこそ、その“かくあるべき”を常識だとか文化だとか、作法という言葉で簡潔にまとめられるんだ。
「理屈が伴っているかどうかが重要なんだよ。米を炊く時だって、研ぐ段階から軟水を使うだろ」
「え? 米を洗う時にも市販水って勿体なくないすか」
「米は洗ったり研いだりする際にも水を吸うだろ。本当に勿体ないと思っているなら、最初から最後まで水道水を使えばいい」
「あー、なるほど」
「お前アレだろ? 座って用を足せと周りに言うくせに、流す時に蓋しないタイプだろ」
「逆だ、逆」
しかし、こういったルールの“延長線”を誰がどのように引いているのか、そして妥当なのか。
実際には誰も把握していなくて、共有できているかも怪しかった。
なので話を掘り下げようとするほど墓穴にハマりやすく、誰も出られなくなってしまうわけだ。
それでも概ね見解は一致していたから、さして険悪にはならなかった。
「そりゃあ似非マナーとか、古臭いルールは無くなってもいいさ。でも、全てがそうじゃないだろう。箸の持ち方だって変わらない」
だけど話題が箸の持ち方になった時、なんだか雲行きが怪しくなってきた。
切り出したのは俺だったが、これは七面倒なことになると言ってから気づいた。
この時、ラーメンを食べている彼らの手元は三者三様だったんだ。
「えー、箸の持ち方くらい自由でいいじゃん」
「そりゃあ、まあ、ちゃんと持てた方が行儀は良いかも知れないけどさ」
「箸の持ち方ひとつで窮屈になる社会が良いとは、とても我は思えん」
「オイラ、この持ち方でも支障ないし」
「お前の持ち方は、さすがにクセがありすぎる」
「えー! “箸の持ち方くらい自由でいい”って、さっき言ったじゃん」
俺みたいにちゃんと持つべき派、多少なら構わない派、どんな持ち方でもOK派……
それを直すべきか、指摘するべきか等など。
皆その持ち方で、食事を数え切れないほど行ってきたんだ。
つまり、この議論は人生の一部をかけているに等しいといえ、それ故にみんな必死だった。
東大か?
東大なら入ったあと進振り戦争があって受験の延長みたいなもんだから、遊びたいならレベル下げて素質だけで周りを倒せるくらいのとこに行って無双しつつ遊ぶのが人生的にはいいと思う。
一つは解脱者と呼ばれる連中だ
30年代に登場した副作用の少ない強力な性欲減退剤や精神安定剤を自らの意思によって服用し、甲斐性といった性役割から降りて趣味や仕事の世界に生きている。
といっても彼らに出世欲は湧かず、生活や趣味に最低限必要な金銭しか稼ごうとしないものが多い。
自らを、性欲奴隷から解放されて人生を謳歌し、真理を探究するものと称しているが、実態は誰からも求められなかった苦しみの末に薬を服用した逃亡者たちがほとんどである。
政府が事実上の一夫多妻制とみなせる独身税の設立や母子家庭の支援強化といった制度制定が追い風となり、
気持ち悪くて弱い男が恋愛市場から退場することを求める女性の主張はもはや隠されず社会にて声高に叫ばれるようになったため、逃げざる負えなくなったとも言える。
彼らは確かに苦しみから解放され穏やかな顔をしているがどこか目に陰りが見えると言われている。
二つ目は”妄”目者と呼ばれる連中だ
大古から男たちは妄想にある理想的女性の偶像を崇めていたが、ついに現代ではテクノロジーの粋を集めて女性の妊娠機能以外のほとんどを代替できるサービスや商品が実現されていた。
最も一般的かつ人気のあるサービスは、仮想人格を主体として顧客の生活にシームレスな憩いを与えるものだ。家ではヒューマノイドや台所のロボットアームに宿り、直接触れ合いながら充実した性生活を送ったり、”愛妻料理”を楽しむことができる。
外出先や勤務先ではXRグラス上に完璧な偶像に宿った仮想人格が現れ、取り留めない会話をしながら外食や旅行を一緒に楽しむことができるだけでなく、通勤や仕事休憩中にさえ彩を与えてくれる。
本人たちは幸せそのものだが、傍から見れば虚空と話し心を通じあわせている姿は異様である。既に彼らの心は現実世界にはなく、自らを受け入れいなかった社会や人間に対して目を閉ざしてしまった。
しかし、見たいものだけを見るには金が要る。最新のソフトウェア及びハードウェア技術を寡占する巨大tech会社たちにサブスクリプション方式で少なくない金額を払い続けられる、盲目で居続けられる者は一部の稼ぎのいい上位職者や技能のある者に限られた。
また、稼いだ金銭で仮想人格を一定期間呼び起こすことしかできず、サブスクリプションが切れた後の悪夢に耐え切れず解脱者となる者も少なくない。
意味はそのままで男性の上位2割がこの上位者に当たるが、明確な認定基準などというものはない。
生まれてからずっと解脱者や盲目者に逃げるまでもなく自然に他人を愛し愛され、幸せを享受できていることに気づいて初めて自分が上位者だったと知るのである。
よって女性たちは上位者をあくまでも普通の男の人と認知しているが、解脱者や”妄”目者からは種付け馬と揶揄されている。
恋愛や婚活市場の男は上位者しかおらず、先ほど述べたように事実上の一夫多妻制が実現されていたため、女性たちは本能の赴くまま優秀な遺伝子を手に入れ、解脱者や盲目者も収めた税金で不自由なく子供を育てた。
浅い。
ランダムやお見合いでマッチングされた相手でも、その人と一緒に良い人生を過ごしていこうと思うなら、マッチング相手に好かれるよう外見も整えるだろう。
まあ、自分は弱者男性の有効な救済策がパートナーをあてがうことだとは思っていないが。
弱者男性の問題は、甲斐性などフェミの言う「有害な男らしさ」レースに参加しなかったらかえってフェミから叩かれるという救いのなさにある。弱くても(強いふりをしなくても)攻撃されず、尊厳を毀損されずに生きていける社会が理想。
生まれつきのアトピー性皮膚炎だった。今はかなりマシになって、割と気楽に暮らせているが、子供の頃は症状がひどくつらいことは多かった。
特に苦労したのが食物と衣類だった。食べ物の話は省略するとして、着るものは基本肌触りの良い綿のものしか着られなかった。それでも首周りが非常に敏感で、襟がついたものなどがほぼ無理だった。首に布が触れているとすぐにかきむしって首が赤くなってしまう。
小学校は田舎の公立だったので、制服等はなく、着るものは特に苦労はしなかった。
問題が始まるのは中学校からだった。同じく田舎の公立の中学校だったが、もちろん制服があった。制服というのはたいてい綿生地ではない。そしてうちの学校は男子は学ランだった。学ランというのは、中にYシャツを着た上で、詰襟の学生服を着るものである。当然こんなものは着られなかったので、入学前に校長との話し合いがあった。
端的に言って、クソだった。校長はこちらが何を言っても「私服登校は認められない」「代替のものを用意してほしい」「ただし見た目は同じものにしてほしい」それしか言わなかった。そもそも首に襟が触れるのが無理だと言っているのに、見た目を同じにしたら実現不可能だろうが。
といっても親としては仕方がないので、制服を作っているメーカーに行き、着られる素材で制服をオーダーした。Yシャツも特注した。
それでも無理なものは無理なので、私はYシャツの上の方のボタンを開けたり、Tシャツを着たりして、学ランも第1ボタンとか第2ボタンまで開けていた。
学ランが制服だった人はわかると思うが、たいていの学校で学ランの第1ボタンを開けていると怒られる。なんで怒られるのか、だれも理由を説明できなかったが、とにかく怒られる。生徒指導というやつは、理由も説明できないことで怒ってくるので最悪であった。こちらがアトピーの話をしても、それをわかった上で「ルールだから」と強制してくる。
小学校の頃はおとなしい方の男子として生きていたけれど、こうなってしまうと完全に周りからは不良として扱われた。ので、もうおとなしく真面目に過ごすのは止めた。
まず、毎週火曜日に実施されていた朝礼を、卒業まで全部サボることにした。どうせ校長の話くらいしかされないわけで、もうこの校長が俺の人生に何らプラスの影響を及ぼすとは到底思えなかった。朝礼が8:30から始まるので、火曜は8:50(授業開始時間)に登校した。朝礼に遅れて、8:35くらいに体育館に走っていくと生徒指導に怒られるのだが、最初から行かなければ誰にも怒られなかった。
次に、教師がいるところで遊んでいるとすぐにボタンを閉めろと怒られるので、保健室登校をするようになった。教室に居場所がなかったわけではない。が、それでも休み時間等に見つかって怒られるので、逃げた。幸い保健室には本物の不良等がいたので、そこで怒られることはなかった。また、保健室の先生はこういうことで怒ってこなかった。むしろ気が合ったのでいろんな話をした。
保健室や用務員室によく行くようになると、そこにもともといた不良や、教室に馴染めなかった人とも結構仲良くなった。ここで仲良くなったやつとは今でも付き合いがあるくらい。
授業はそれなりに出ていたけれど、授業中に服装について注意してくるのは、生徒指導や限られた教師のみで、そのときにどうこう言ってくる人は多くなかった(事情を察してくれる先生もいた)。
そんなわけで、本当に最初のころは辛かったけれど、後半2年くらいは適当に過ごしてなんとか乗り切れる程度の生活をしていた。
受験シーズになった。田舎の県立高校はだいたい中学校と同じく制服が存在する。この絶望的な制服縛りをもう3年やるのは勘弁だったので、どうしたもんかと思っていたのだが……。
私は高専というものを知ってしまった。高専は大体の場合制服がない、私服登校が許可されている。ただし専門分野がえらく限られ、そもそも入学時点で学科を選択する必要がある。
が、あまり悩む必要もなく学科は即決し、受けることにした。学校見学に行くという話をしたら、後ろの席のやつが「高専って偏差値高いぜ?お前入れると思ってんの?」と言ってきたので、無視した。
そうだよね、第1ボタン開けて保健室登校して朝礼サボってる遅刻魔が、そんなにいい学校行けるとは思わないよね。と思ったけど面倒なのでこれ以降、同級生に進路の話を一切せず「ニートになる」と言っておいた。
幸いにも、理科と数学だけが異様にできたので、「たぶん大丈夫じゃね」という言葉を塾の先生からもらえた。
その言葉の通り、大丈夫で普通に合格した。中学校の同級生は、未だに私がどこの高校に行ったか知らない人がほとんどだろう。
一応校則もあるらしいのだが、言われたのは「校内で喫煙をしてはいけない」「校内で飲酒をしてはいけない」ということだけ。入学初日から茶髪金髪は普通にいる。
制服の呪縛から解き放たれた私は、元通りおとなしく過ごすことができて、心穏やか。
授業は若干ハードではあったけれど、同級生はどんどん留年していくけれど、幸いにも即決した専門分野にえらくハマって、学校が死ぬほど楽しかった。特に4年、5年は毎日24時過ぎまで学校にいた。
その後は「スーツを着ないで就職する」という難題が待っていたのだけれど、それは別の話。
最近は流石にアトピーの人も増えただろうし、学校もこういう前例がいっぱいあるだろうし、柔軟な対応をしてくれると信じたい。
だが、昨今のブラック校則の話を見ていて、もし現代に自分が中学生だったら乗り越えられなかったかもしれないと思った。私はたまたま運良く平和な不良生活ができて、その後も特に困ることもなかったけれど、万人におすすめできることでもない。
ただ、あの頃の自分と、もし今同じようなつらさを抱えている人がいたら伝えたい。教師に怒られるのは面倒だし、そのときは嫌だろうけど、お前の皮膚は一度かきむしったらその後もかゆいし、血は出るし、完全に元通りに回復するまで1ヶ月以上かかる。そして怒ってくる教師は、俺のアトピーの悪化とそれに伴う将来について一切何も面倒を見ないし責任も追わないだろう。だから気にせず校則なんて破れ、お前の皮膚のほうが全然大事だ。怒られても血は出ないし、回復に1ヶ月を要するようなことはない。
かつて私は、ある創作分野で自分の作品をいくつも作り、ネット上に公開していた。
高校生ぐらいからその活動をはじめ、大人になって仕事を始めてからもかなりの期間、趣味として創作を続けていた。
しかし時が経つにつれ、私は自分の衰えを徐々に感じるようになっていった。
作品を作るための根気や体力が続かなくなった。
感性も衰え、自分の納得するアウトプットを出すのが難しくなった。
時代の流れに取り残され、自分の作品が時代遅れになりつつあるのも感じていた。
そんな中でも、私は残った力を振り絞るようにして自分の最高傑作となる作品を完成させた。
それは高校時代から構想していたもので、自分の集大成と呼べるものだった。
若干時代遅れの作品ではあるものの、作品はおおむね好評だった。
そこで私は、引退をすることにした。
作りたいものは作り切ってしまったし、もうこれ以上続けても過去の作品を超えられる見込みはなかった。
衰えたままずるずると続けるよりきっぱり辞めたほうがいいと思った。
過去の作品は一定期間の後に全部削除した。これは自分の未練を断ち切るためだ。
ネット上のアカウントも削除し、私の過去を示すものは何もなくなり、私はただの人になった。
これまでは帰宅後や休日は常に創作をしていて、やることが何もない日などなかった。
創作をしなくなって、休日に何をすればよいか分からなくなった。
新しい趣味を始めようと色々手を付けてみたが、何をやっても続かなかった。
次第に、何をやっても虚しさを感じるようになった。
こうして私は虚無になった。
私の人生の一番楽しい時期は終わり、あとは余生が続くだけなのだ。
楽しみはせいぜい、こうして増田に何ともいえない文書を吐き出すだけだ。
この長い余生を、この先どうやって生きていこうか。