はてなキーワード: 問題とは
自分のこと食わせるだけでも精一杯で、結婚なんて考えられないよー
相手の収入が不安だっていうなら私の収入できみごと養うから安心して! って言いたい
好きな人と暮らして、申し分ない収入、できたら配偶者になにかあったときに自分が問題なく支えられるくらいのお金が得られて、それでもしできたらペットも飼いたい
いちいち「山上の目論見どおりにしてはいけない!」とか名前を出して統一教会の問題と山上をつなげて語るほうが山上の英雄度が上がってよっぽど目論見どおりでは?名前を出すなよ名前を。テロ対応の基本じゃないの?
山上がどうとか言わずに、ふつうに今俎上に上がっている統一教会の手法の是非、政治家が関わることの是非を問いなさいよ。
そもそも山上の目的は売名とかではなくて基本的には私怨と逆恨み(故安倍氏が広告塔になっていたかに関わらず逆恨みには違いなかろう)なわけで、別に統一教会の問題を追及したところで目論見通りではなかろうよ。
そりゃあ統一教会がぶっ潰れてくれたら山上も嬉しいだろうけど、殺人者が世界平和を願ってたからって世界を平和にしちゃいけない道理はないだろ。
客のために無料で公衆無線LAN(無料Wi-Fi)をサービスしてあげたい。
光回線(自前契約)→終端装置(自前契約)→FortiGate(設置保守委託)→スイッチ(設置保守委託)→サーバ(設置保守委託)→基幹業務端末(全部有線、設置保守委託)
隣の同業他社が無料Wi-Fiを提供しており、電波が少し漏れ届いている。
その同業他社に許可を得て、こちらでも「無料Wi-Fiドゾー」している(!)
弱い。つながりにくい。スマホに扇マーク出てもネットに出られない。
設置位置をめっちゃ工夫しとりあえず安定して使えるようになった。
新しいの買ってもらって再度設置したが、相性が悪いらしくうまくつながらない(機種選定失敗)。
FortiGateの設定変更してポート開けてもらえば済むんじゃないか…?
そもそもその意義がわからんのやわ。ネット接続に金が要るの当たり前ちがいますのん?
「ここは無料Wi-Fiもないんか!今どきサービス悪いな!情報格差や!」って怒って帰った客もいたらしいけども。
ていうかていうか、無料Wi-Fiに期待してる人って「恥ずかしいサイト見てんのバレたかな」「パケットキャプチャされてるかも」とか、そういうの考えへんわけ?タダより怖いもんはないでっせ?
もちろん当社ではそんなことまでしていないが、せめてアクセスログ(接続時間とマックアドレスとアクセス先と切断時間くらいか?)はとっておいておかないとマズいと思う。現状そのへん全くダメダメだからなぁ…
何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ。
清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口をTwitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので
「うまい人びとは、前に書いた辞書的定義や約定的定義や明確化定義や理論的定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます」
と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。
続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセル・カルチャーってなんだろう」を書くかは未定。
つまり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが、最後の方は全体をまとめている。
本来、全体まとめの前に他のPartの検討を書くべきだが、途中で力尽きている。
とはいえだいたいPart1の検討とほとんど同じものを繰り返すだけ
を先に見ていることが前提。
の説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。
1998年 国際大学協会(IAU)声明「学問の自由、大学の自治と社会的責任」による定義です。
「学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者、教員や学生が、倫理的規則と国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由」
人びとがその言葉をどう使っているかを国語辞典の載っているような形で説明している。
「一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」
「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」
世間一般の用法という文脈なわけですから、当然、スライドの引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、
同じく 辞書的定義 が与えられようとしているものと解釈されます。
実際に与えられた定義を見てみましょう。
ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります。
と非常に具体的な形になっています。
世間一般の用法として紹介される割には、議論のあり得るところで
「こういうのは多数派も少数派もない、学問の独立って話なんですが、多数派からの圧力は特に抵抗しにくいので」
というふうに説明するほうが世間の認識とあっているように思える。
とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部からの圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書的定義のままだと受け取ることもできる。
ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います。
「現代の誰かが主張している「学問の自由の侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生が定義していると読める箇所を、少し文言を修正の上、抜き出します。
見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生のブログで挙がっている
「中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全な外科的処置である」
などと同じ形式となっている。
ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、
中絶の例ならば、中絶の 辞書的定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、
清水先生は、この文脈での「学問の自由の侵害」とは 辞書的定義 の学問の自由の侵害とは全く異なるものだと論じていることです。
(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリックの解説なので
どう辛いのかについては、「批判対象の曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)
これらは学問の自由の侵害の定義として読むことができるものであり、
先に導入された説得的定義「社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。
ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書的定義)」学問の自由ではない、という論証。
しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。
先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書的定義と認めました。
逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生の独自見解です。
すなわち、この時点で辞書的定義として導入された学問の自由という概念が
「学問の自由を〜と私は定義します!」という約定的定義へとすり替えられているのです。
一旦まとめると、
「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、
「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的な定義の中に紛れこませる(定義のすり替え)」
学問の自由とは
「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの」
まさに、
「うまい人びとは、前に書いた辞書的定義や約定的定義や明確化定義や理論的定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます」
そのものですね。
この一節は憲法学の理論を援用しているため、少し強引ですが理論的定義を示したものとも言えるでしょう。
実際、この定義を根拠に「学問の自由の侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し
これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。
なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、
要は憲法学の理論「憲法は原則としては国家権力を監督するものであり、私人間効力の議論も私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。
権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、
そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。
ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、
正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で
直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります。
ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。
清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、
書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、
Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。
ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセル・カルチャー」の事例が話されているのですが
これも抽象的な定義の操作に時間を割いていて、具体的な文脈はほとんどない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。
詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、
これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセル・カルチャーってなんだろう」に譲り、
当記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります。
清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、
とりあえずここは論点にせず、清水先生の解説をそのまま採用します。
ABORの主張は、
「ナチスの政治哲学の擁護であるとか、あるいは進化論の否定であるとか、 そういうものを学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」
「ナチス肯定論文を学問の自由で擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?
むしろ、何が相手だろうと自由であると肯定する、過激な自由論者ほど否定する内容です。
「大学でナチスの擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか。
まとめると、
最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論の余地のないことしか言っていません。
じゃあなんで議論になるのか。
清水先生の立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が
清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります。
このちょうどいい2人については講演では全く触れない。
特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、
「ちょっとわからない」「詳しくない」「法律の専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」
との返事。
「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく、「詳しくない」。
訴訟の原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば
この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。
またこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで「学問の自由では擁護できない」例が一つ持ち出されました。
せめて「酷いセクハラ・パワハラを長年犯してきた超一流哲学者が大学から追放されたことを、学問の自由で擁護することはできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。
要はABORの例と同じ構造ですよね。
文脈がわかるくらいきちんと解説のある具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しか出さない。
それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書的定義は決して行わないようにして、
何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。
何やったのか当時の反応を含め記憶が曖昧なので内閣支持率を元にトピックスを書きだした。
先月末に同様の記事を書いたが今月大幅に支持率が下がったので追記して記載。
前月と比較して7%以上内閣支持率の増減があったときのみ書き出した。
最初は5%増減で書こうとしたけど時事を調べるのが面倒で無理だった。
トピックス以外の雰囲気を掴む為、次のようなものも合わせて記す。(適当に作った)
内閣支持率の出典
記録用。
https://hatena.zendesk.com/hc/ja/requests/new?ticket_form_id=360000613172
詳しい内容 →下記の記事を削除してくださいと記入
問題が発生したページのURL(オプション) →消してほしいURLを記入。
しかし昨今の議論を見ていると政治とつながりのある宗教=統一教会といった図式が出来過ぎ う ている気がする。
当然、日本にある宗教は統一教会だけ ち じゃない。他にもたくさんあって、統一教会よりも教員の数が多い宗教だってある。
だからこそ政治と宗教のつながりについて懸念するのであれば、それは統一教会以外の宗教の の 政治との関わりも考えるべきではないのか?
あの ね ような痛ましい事件によって想起された政治と宗教の問題。熱が高まっている今にこそ、考えるべ こ きことではないのだろうか?
日本の政治を、日本の未来を憂うのであれ は ば、統一教会以外の宗教が政治に与えている影響につい か ても考慮するべきではないかと思う。
わ 安部さん亡くなった事実は変わらない。しかし、その先の日本を良くするも悪くするも生きて い いる人間である。
だからこそ私たちは今できることをする い べきではないだろうか?政治と宗教の関係性を明らかにする。それこそ、今の我々がなすべき課題な よ のだから。
はてブって実名垢でない限り、匿名つってもアカウントを漁れば過去の発言を見られるし、それなりにブコメとの整合性が問われるよな。言ってみれば「発言した責任」を問われる立場でもある。その問われる場がはてなブログだろうとヲチスレだろうとツイッターだろうとな
また一方でidという固有識別記号があり継続した運用実績がある以上、個別の人格を有していると言える。例えば5chなんかの匿名同士で「死ね」「殺す」の応酬は言及対象への特定可能性が無いので問題にはならないが、例えば増田でid誰々を殺すと明言したら、それは殺害予告と言えてしまう
そういった立場の非対称性が、はてな匿名ダイアリーの"サービスの匿名性は、特定の対象を攻撃する目的に使われるべきでない"って部分のキモなんじゃないか? 要は、この"匿名"ってのはアカウントidが固有識別記号となっているブコメと、それが表示されない増田の対比における後者により重点が置かれてるんじゃないかってこと
確かにブコメで批判が過熱していって集中砲火になる部分はあるにせよ、言うて発言者が明確でない以上は批判は内容に関するものであるわけで(邪推して人格や内面を押し測るものもあるかも知れないがidが出ない以上は想像の域を出ない)それは増田を使う上での受忍限度の範囲内じゃないかな
俺だって精一杯書いた増田を嫌儲に転載されてケチョンケチョンに貶されたことあるけど、ネットに文章を公開した以上はしゃーないと割り切ってる
そこで提案なのだが、そうやってイキってるブクマカをはてなブログ(はてなでのidがバレるのが嫌なら別のサービスでもいい)やnoteなんかで晒してみるのはどうだろう?
上記は、あくまでも"はてな匿名ダイアリー"での約束事に過ぎないのだから、そこを離れれば特に制約なんてない筈だ。少なくとも、俺はスッゲー読みたい
弱者男性ぼく「今日は女の人生がいかにイージーなのか女性に話を聞いてみたいと思います。脳内女性さんよろしくお願いします」
脳内女性「そうですね……例えば女は無能でも結婚して男に寄生して生きていくことができますよね。もし結婚しても子供も産まなければいいし家事もやる気ないから楽なもんでしょう?あと浮気されても許すだけでいいですしね」
脳内女性「はい。それに女の敵であるブスやデブは整形手術すればだいたいなんとかなりますしね。しかも美人であればあるほどモテるのでさらにイージーになりますよ!」
弱者男性ぼく「なるほどー!では逆に大変そうなところってありますか?」
脳内女性「うーん……生理とかでしょうか?毎月血が出るなんて本当にめんどくさいですよね。あと生理前はイライラしたり急に泣き出したり情緒不安定になったりするのも嫌ですね。あ、あとは出産ですね。あれも痛いし苦しかったです。特に帝王切開した時なんか死ぬんじゃないかと思いました。それに子宮筋腫になったら最悪だし……それから……(延々と続く)」
弱者男性ぼく「ちょっちょっと待ってください!もう十分わかりましたから!!ありがとうございました!!」
・女には生理があるけど男は月に1回射精できればOKなので問題なし
・妊娠すると出産まで数ヶ月かかるのでその間は仕事ができないので、産休育休を取れば実質収入ゼロでも余裕で生活できる
・生理前になると情緒不安定になる人が多いけどそれもホルモンバランスの問題だから仕方がない
・育児は殴って言うことを聞かせればいいだけなのでベリーイージー
・自分の子供を殺す母親だが、これは子育てよりも自分の楽しみを優先するからであり当然の権利である
といった感じだった 要するに女に生まれさえすれば人生勝ち組だということだ
脳内女性「男は仕事を辞めたらホームレスになるけど、女は働かなくても生きていけるところがサイコーです。私は男に生まれなくて良かったなーって思いますよ」
弱者男性ぼく「うわあああああああああああああああああああああああああああああずるいずるいずるい!!!」
脳内女性「妄想の中ですら暴力に走るの?そんなんだからダメなんだと思うよ」
脳内女性は僕に向かってそう言った後、「それじゃあまたね」と言って消えていった。
くやしいよ😭
2018年の話。ドレイクの新作リリース予告のことなんだけど。
https://www.forbes.com/sites/ogdenpayne/2018/04/16/drakes-new-album-scorpion-to-be-released-in-june/
https://www.instagram.com/p/BhpENZcnJMK/?igshid=YmMyMTA2M2Y=
2018年の6月にリリースするよというお知らせだけど、6月28日リリースと解釈しちゃった。当時、Twenty Eighteenが何を意味しているのか分からなかった。
そもそも知識がないから自分が誤訳していることにも気づかなくて、得意げに友人に話して、誤訳を指摘されても何が問題なのか分からなかった。噛み合わない会話を数分した挙げ句、相手が諦めて話を切り上げた。
ようやく自分のミスに気づいたのは去年のこと。2021年をTwenty Twenty-one と発音していることにたまたま気づいた。
んー、問題はそこじゃなくて統一みたいのがいっぱいあるのになぜ統一だけ叩いてるのかってことだと思う。
FP2級、宅建、測量士補取ってたら、不動産屋なら普通に就職できたんじゃないの?なんで派遣でフォークリフト作業やってたのかわからん。
性格的に問題があったのなら大学進学できたとしてもいずれ人生詰むだろうし、親が自己破産してもしてなくても結果は同じだった気がする。
・セックスレス以外は問題ない夫婦(俺たちは子供を育てる同僚だと思っている)
・増田の出張帰宅後、家族全員コロナに感染(俺のせいじゃないはず)
・妻は帰省を断念
・「子供たちの休み中は会食や接待を控える」という約束を反故しに、結婚式への参加を独断決定(披露宴は会食じゃないという認識)
・妻から披露宴の出席は取りやめるか、出席するなら5日間ほど帰宅しないか、どちらかを選べと提案を受け、泣く泣く欠席する
・その後も不機嫌な態度をとる増田に妻ブチ切れ
・子供と暮らせないのは悲しいなぁ(建前)
・「バツイチ」じゃカッコ悪いし、社会的ステータスが落ちるのは嫌だなぁ(本音)
・妻は子供つれてお友達とショッピングモール行ったけど、俺は休日も子供を見る気はもちろんないし、一人優雅に家で増田みてまーす!明日も自由時間たっぷり!
子供を育てる同僚じゃなかったっけ?
Google が検索エンジンを作って普及しきった後ですら、日本では検索エンジンが合法かどうかグレーだったからな。
合法だと明確になった頃には完全に検索市場は Google に押さえられたあとだった。
むしろ日本を発展させることのできない法や道徳を作り出してる政府や社会がダメだ。
米国のようにブラックリスト方式で違法性を定めるようにしないと、日本では新しいことは何をやっても違法になってしまう。
なお、今では総務省や経産省が法律のグレーゾーンな部分についての相談窓口を開くようになったから多少ましにはなってる。
https://www.meti.go.jp/press/2022/04/20220426005/20220426005.html
でもな、30年遅いんだよ!!
披露宴があることを知っていたにもかかわらず直前でキャンセルさせたのは完全に嫁の嫌がらせと読んだが。しかし理詰めの夫を心底嫌っている嫁の気持ちも分からないでは無い。
こういった話の時は良くブコメでこのような事が言われる。
夫は論理的であり妻は感情的で会話にならない。女はヒステリーを起こす。などなどだ。
妻は私に対し、自分(妻)を悪者にするな。悪いのはお前だろう。コロナになっても看病は私(妻)に押し付けるくせに。披露宴をやる人間、それに出席する人間、どちらも非常識なのに私を悪者にするな。
実際増田もそのように読み取れるように「怒鳴り続け、最後は泣いてしまった」と感情的になり会話にならなかったかのような文章を書いている。
私が都道府県をまたぐ1泊の出張に行き、出張から帰った翌日の夜から咳が出るようになった。
咳が出るようになった夜を「1日目」とすると、2日目の朝に上の子が39℃近い発熱をし、私も身体がだるかった。
私は、出張翌日も上の子とは接していない(深夜に帰宅し早朝に出勤した)ことや、私よりも上の子の発熱が早かったことから、私と上の子の感染経路は別と考えている。
オミクロン株は潜伏期間が約3日。しかしこれは平均であり1日で発症が約9%、2日で発症が約30%、3日で発症が53%だ。
子供と増田で発症のタイミングが逆になることはありうるし、出張前に感染している可能性もある。
妻は私に対して「子ども達の夏休み中は、接待や会食を控えて欲しい」と言い、私は当然のことだと答えた。
「接待や会食」に、結婚披露宴は含まれていないというのが感情論以外の何者でもない。
百歩譲っても、結婚披露宴が会食に含まれるか否かの合意を取らなかったのはお互いの落ち度だ。妻の落ち度ではない。
この場合、妻としては「控えるという約束をしたのになぜ披露宴に行く気なんだろう?また私に負担をさせるつもりなのか」とイライラしているだけの可能性があり
当日まで我慢したのは「夫への期待」または「夫への嫌がらせ」と考えられる。
これをもって合意しているとは断定できないし、妻が論理的ではないと断定はできない。
お互いのコミュニケーション不足だ。
ここでも妻は論理的ではないというミスリードを仕込んでいるが、披露宴とショッピングモールではリスクが違う。
そもそも増田も「テーブルにパーティションが置かれた状態でマスク会食は感染確率は低い」と言っている。
ショッピングモールは披露宴より食事の時間が短く(そもそも食事するかも定かでは無い)、場所も広い。
どちらが良い悪いの問題ではなく、私はこの先も、このようなことが起こることに耐えられる自信が無い。
家族で感染したことで妻が「このようなことが起こることに耐えられる自信が無い」と思い会食を控えてと相談したのだろう。
逆に増田が「耐えられる自信が無い」体験をすると妻のように論理的に相談せず
冷静に喋っている=論理的ではない
米国では Aaron Swartz みたいな天才を逮捕しようとして結果自殺に追いこんでしまったということで社会から大きな批判が出た。
結果的に米国では天才の邪魔をする法律の方が間違ってる、というのが社会全体の合意なんだろう。
ちなみに Aaron Swartz が生み出したものは RSS や Reddit などがある。
自殺につながったプロジェクトだって、論文誌のペイウォールによる論文の囲い込み問題に一石を投じて preprint サーバーへの投稿を一般化する流れを作った。
そう言われていたし、俺も異論はなかったので身構えていた。
具体的には根回しによるスケジュールの確保だ。
うちは共働きだし、頑張って事前に時間を取れるようにしていた。
でも、いざ自分が子供が産まれ、育児をする立場になるとわかった。
イージーだこれ。
会社で、誰にでも出来る簡単な仕事を振られる時と同じストレスを感じる。
なにせ、大抵の問題はググると出てくるし、本読めば書いてあるし、
顧客から深夜に電話がかかってきて、スリーコールで出なきゃ怒鳴られるなんて当たり前だし、
風呂の中でもスマホを持ち込んで電話対応するのが当たり前の俺にとって、夜泣きする子供の世話なんて入社1年目の使えないやつがやるレベルの仕事に感じる。
だってそうだろ?
仕事ってのは、何のやりがいもなくて、それでいて責任は死ぬほど重く、結果が出ても評価されない。そういうもんだろ?
俺は自分の仕事が人のためになると感じたことはないし、やりがいなんて偽善的なことを言うやつは死ねばいいと思う。
その点子育ては健康的に我が子が育つわ、少子化とか、社会的にも意味のある行為だわで、
やりがいの塊すぎる。吐きそう。
言葉は通じないけど、顧客に比べたら悪意がないだけマシというレベルではない。
何の打算もなく笑顔を向けてくる存在と付き合うとか、こちらから金払わなくていいの?というレベルである。
体力的にもイージーすぎて、家事も全部やらせてほしくなる。というか、子育てはタスクが少なすぎる。
ということで、上司に仕事を増やしてくれ、とか妻に家事をもっとやらせてくれ、
上司には「育児はみんなの人生の休憩時間だから」と笑われてしまった。