はてなキーワード: ゲラとは
何がダメって、あの瞬間のスタジオの空気が明らかに岸田の声をおもちゃにして遊んでる感じになってるところだろ
AI音声のポテンシャルを測るっていう意図じゃなくて、なにか際どいこと言わせて笑いを取ってやろうって雰囲気で、みんなでゲラゲラ笑いながらやってる
じゃあユーモアだから無罪、政治風刺だから無罪と言い繕えるかというと、それもキツい
言わせた内容が「秋解散です」からの「明日解散です」って、何のひねりもないだろ
スタジオの出演者は「ヤバイっスよ〜〜〜w」って大盛り上がりだけど
おでんツンツンや醤油差しペロペロと同レベルで、単に「ちょっとヤバイことやってみたw」というだけの面白さ
https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-20609820110414
日本政府は国民に対し予測不可能な事態に備えるよう呼び掛けるべきだと強調した。
>ゲラー教授は、地震学者が現在使用している予知器などは、差し迫った地震を予知するには不十分だと指摘。
「理論的には一両日中に地震が起きると予知しようとしているが、私の考えではこのシステムは科学的に完全ではなく、中止されるべきだ」とし、
「(地震の予知は)無益な努力だ。不可能なことを可能であると見せかける必要はない」と切り捨てた。
>同教授は「予知できる地震はない。これは鉛筆を曲げ続ければいつかは折れるのと同じことだ。それがいつ起きるのか分からない」と指摘。
地震は予知不可能であることを率直に国民に告げる時期が来たとし、日本全土が地震の危険にさらされており、地震科学では特定地域でのリスクの度合いを測ることはできないと述べた。
「われわれは(地震を予知するのではなく)想定外の事態に備えるよう国民と政府に伝え、知っていることと知らないことを明らかにすべきだ」と提言した。
俺はホストやってたけど、人間的に騙しまくるのは無理だったので辞めた。
まずホストに来る女は全員病んでる。必ず病んでいる。初回というのがあって金額が安いので「物は試しに」などと言う輩もいるが、基本的に何かしら心に闇を抱えていることが多い。それを「ホストに来さえすれば解決する。こっちは客だぞ」と思っていることが多い。
色んなホストで初回ばかり来るやつは初回荒らしと言われる。こういうやつは基本わかる。まず金を持っていない。金を持っていないのにも関わらず頼み慣れている。観光のような形で来るやつらだ。こういう相手には基本的にホスト側も全力で行かない。ゴミ客のような扱いでとりあえず義務的にやる。
ホストは女の金を見ている。服装から風俗嬢か、一般人かなどを見ている。一般人で1人で来るヤツは比較的狙い目だ。普通は1人でホストになんか来るわけがないからだ。友達がいない・繋がりがないことを証明している。
ホストは、ブサイクな女の方が心置きなく騙せる。なぜかというと「お前みたいな女をまともに相手してやってるだけ感謝しやがれ。鏡見たことあるのか?」という感情が湧くからだ。だから金は等価交換だと認識する。したがって、悪いことをしているという感覚が無くなる。また、相手の性格が悪ければ悪いほどそれを感じやすくなる。良い女(良い女などホストには来ないが)に近いほど、罪悪感が湧く。
基本的にホストも全員病んでいる。まともな男はホストなどしない。ゲラゲラ笑っているように見えていても、1人で家でずーんとなっていることがある。これは結構な人たちがそうなる。平気そうにふるまっていても、自分の感情と真逆のことを言うのはストレスなのである。「好きだ」「愛してるよ」「本気だよ」とずっと言わなければいけない。「お金がたまったら辞めるよ」と、ずっと真逆のことを言わなければならない。ずっと一緒にいれば家庭環境や辛かったことなどもわかって情も湧いてくる。それを覚えてなければ客ではなくなるから正確に覚える。つらい、つらい、こんなにつらい、あなたのためにつらい思いをしてるんだよ、わたしを助けて、というサインを黙殺して、自分が生きるために女の人生を搾取する。
「俺はこんな酷いことをした」「俺なんてこんな酷いことをしたよ」というのが武勇伝のように語られる。武勇伝のようでいて、ストレスを発散している。客がクズだからだ。俺たちがこんな酷いことをするのは客がクズだからである。金はその対価だ。ありがたく思え。どうして俺が悪いと言われなければならないんだ。俺は救ってやってるんだぞ。
どれだけ言葉を取り繕っても現実は変わらない。「本当は好きじゃないんでしょ」と言う言葉に「好きだって言ってんだろ!!!」というキレ気味の言葉で返す。自分でも本当はどうなのかわからない。生活のすべては女のために尽くすためだけに存在することになる。月曜日はこいつ、火曜日はこいつ、水曜の午前はこいつ、水曜の夜はこいつ、木曜はこいつ、金曜はこいつ、土曜はこいつ、日曜はこいつ……
誰がどうなっているか覚えなければならない。間違えることはできない。絶えず監視されている。メモる。しかしメモも見られる。携帯は必ず漁られる。女はずっと自分が本当に愛されているかどうか不安なのである。女は女で「私が一番愛されてる」と言う。私が一番彼のことをわかっていると言う。誰も本当のところはそのホストをわかってはいない。ホストはただの集金マシンで、客は金蔓である。旬も短い。若さを搾取されている。生きるために仕方なくやっている。ホストは、ホスト自身が幸せになるためにやっているのだ。女を幸せにするためではない。女性不信になる。まともな恋愛をしようとしても、ホストのテクニックがちらつく。こうすればなびくというのがわかる。モテようと思えばモテるが、真にモテているわけではなく、ただ言い寄って来られ、無尽蔵の愛を要求されているだけだ。そんなものはない。
胃も壊れる。酒ばかり飲むからだ。酒は、飲まなければいけない。客が高い金を出して買った酒だ。こぼせば最悪になる。
キラキラした世界ではない。順位を上げるために売掛金とかいうのを作る。要はあとで自腹を切るということだ。ナンバーワンなどになると箔がつく。「ナンバーワン出して」という、ナンバーワンばかり狩る女がいるからだ。こういう女は金を持っていることが多い。痛客ほど金を持っている。初回なのに意味不明に酔っ払った状態で来るガキほど、意味不明に風俗で働いて精神状態がマッハになっていることがある。
俺は性病は2回なった。店に来る女だけじゃなく、自分で開拓しなければいけない。死ぬほどヤッた。ナンパしてそのまま路上でヤるとか、ナンパしてネカフェに行ってヤるとか、声掛けしていけそうだと思ったらキスするとか、そういうことを別にやっても問題ないような感覚になってくる。自分でもなぜモテていたかわからないが、とにかく俺はモテるのだという謎の自信があった。一般人になった今は誰にも言っていない。ホストをやっていたことすら伝えない。
金を多く得ている人々は、風俗に行かせることに慣れていた。風俗に行かせるのは「風俗に行ってくれ」と言うわけではない。ホストが困っているのを暗に示す。だんだん気軽に会えなくなってくるのだ。これはわざとやっている。それでもホストは必死に "時間を作って" 会いに来てくれる。ホストは「ほんとごめんね…会いたかった……」と言う。女は寂しくなる。ホストはそうやって頑張って会いに来てくれるのだから、少しならお店に行ってもいいかなと会いに行く。「来ちゃった」と言う言葉に、ホストは「ごめんね。 "ありがとう"。でも無理はしないでね」と言う。これは "無理をしろ" という意味だ。客は、店に行ってもお金を払わなければまともに相手をされない。そして別の女がシャンパンを頼む。「◯◯さんからシャンパンいただきましたー!!!」などと言われコールが始まる。そうすると担当がそちらの客のところに行く。
「あいつか。あいつが苦しめているのか…!!!!!! 私の彼を苦しめているのはあいつか!!!!!!!!!」
そして金を作らなければならないと思い始める。客は最初は風俗に行くことなど考えない。一生懸命働く。足りなくなる。貯金も底をつく。風俗ぐらいしかないと考え始める。冗談めかせてホストに言うのだ。「お店にあんまりいけないし風俗に行こうかなー……なんて」と。ホストは怒り狂う。「お金は確かに助かるけど、風俗になんていかなくていい!!!ごめんね…俺がちゃんと会いにこれれば…」と。これは "風俗に行け" という意味だ。
だんだん本当に会えなくなっていく。私の彼が、苦しめているあの女のものになっていきそうに感じる。風俗に行く。しかしひとたび風俗に行けば、もう取り返しがつかない。
「なんのために私は風俗にまで行ったのか」
あとはひたすらコンコルド効果である。金を貢げば貢ぐほど、あとに引けなくなる。誰に何を言われようが辞めることはできない。もう「辞めなよそんなホストなんて」という友人の言葉は耳に入らない。むしろ友人は敵になる。「この有象無象らは私のことを理解してはくれない。どれだけ私が苦しんでいるのかわかっていない」となる。もはや愛がほしいのではない。意地である。止められない。ホストもホストで、止められない。
ホストは客に別の客の悪口を言う。「愛してる」と言ったその次の日に「まじであのブスのせいで最悪」などと別の女に愚痴り、その女にも「愛してる」と言う。それを全員にやる。「俺は苦しめられているのだ」と思っている。事実苦しんでいる。女は「私と一緒にいるときぐらい休んでなよ」と言う。これは決して「休んでいい」という意味ではない。いい女・優しい女でありたいのだ。ホストは「いや、せっかく会えたんだから一緒にいたいよ」と言う。「休ませろ」という意味だ。こういうやり取りが限界まで続き、「私のためにこんなに無理してくれるなんて、私は本当に "愛されている" んだなあ」ということを実感する。そして携帯を確認するのだ。無尽蔵の愛を要求し、確認する。
タダで女を獲得するのは比較的容易だ。しかしお金が絡むと段違いに難しくなる。実証するには、彼女に「ほしいものがあるから5万円ちょうだい」などと要求してみればよい。相当な抵抗をされる。「なんでそんなことをしなければいけないの」「はあ?結局金目的ってこと?」というようになる。お金で買えるすべてのものがライバルになる。セックスというのは安いものだ。
こんな状態で大量に稼げるホストというのはどこか割り切っている。客の人生を抱える気でもいる。どちらかといえば嫌ってほしいのだ。ホストは辞めておけ。愛がわからなくなる。そして、クズの仕事である。
一人暮らしの俺の部屋に中学の同級生のアバッキオがやってきた。ムーディー・ブルースで俺の普段の奇行を勝手に再生され、二人でゲラゲラ盛り上がる。
その話を聞いたテレ東のプロデューサーが、アバッキオをスカウトし始まったのが「アバ、ついて行ってイイですか?」。アバッキオが街の人々に直接交渉し、家について行ってムーディー・ブルースで外では見せない家の中での行動を再生するこの番組は大いに人気を博し、後に映画化するにまで至る。この活躍によってアバッキオは蛭子能収に負けず劣らずの人気者になったのであった。
ちなみに、同じテレ東で放送されたドラマ「フィッシング・マンモーニ・ダイアリー」は釣り友達のおっさんの正体が組織のボスだと知ってしまった主人公のペッシが殺されたため、2話で終了した。
別に持ち点に限りがあるわけでは無いのでゲラは全てのコンビに3点入れても良いし、イロモネアの客みたいな人は1点入れれば良い。公平性を保つのであれば合計点の発表は2組終わった後でも良いが、100人の合計なので自分の1点で何かが変わることは無いので特段問題は無い。
NHKのオンバトは各コンビに対して持ち点1しか無いのでよりシビアな採点だったことを思うと今回のTHESECONDの採点はごく一部の層にウケたところで余り意味が無い公平性の高い審査方法だと思う(4割が3点でも6割が1点だったら全員2点に負ける)
ただ、実際の結果を見ると圧倒的に2点が多いので審査員の意識は『面白ければ3点、普通なら2点、つまんないと1点』という加点方式でない形になっているのかもしれない。ここはスタッフの説明等が必要だし、芸人側はよほど間違えなきゃ全員2点は確実なので如何に3点を増やすかに戦略が絞られる。
フィギュアスケートのような基礎点にプラスアルファな意味での採点であることを審査員にもっと啓蒙しない限りは次回以降も同じことが起きるし、それが無理ならまだM-1のような審査員の採点の方が問題は起きにくいと思う。
最後の配信での言葉が「(なんで配信してるんですか?)配信が好きだから みんながコメントしてくれるから そういうことだから」で終わる配信者の鑑みてえな最後だった無職飲んだくれヨボヨボハゲジジイ
あと何年かは生きるんじゃねえか、だなんて思っていたけど、いやぁまぁ、想定より早く亡くなってしまったな。
でもそこに配信っていう魔がやってきて、その魔に誘われるままにとんでもない配信を幾つも作ってきた
よくよく考えたら、普通に生きるってのも真っ平らな道ではないからな、凸凹道の凹凸をデッカくしたり小さくしたりするのが配信で
それを視聴者達がクセエだのハゲだの隠居しろだの言いながら眺めていたのが配信という魔だった。
ある種、救いなんだよな
金くれっつったら百円でも投げてくれるんだもの
そして、その言葉の後に『もうやめ、やめるよ もう やめるよ うん、ほんと ちょっとさ これで配信はぁ 別にぃなぁんもぉ…くせ クセ…ミ…くせぇ…クセエ野郎がぁ…』と言っていたので、本当に配信活動(というか死期を悟っていて人生)自体はそこで終わるつもりだったんだろう。多分『もうこれで配信やめても別に後腐れはないよ』って言いたかったんだと思う。
何が後腐れだとは思うけれども、まぁそういう迷惑な人があの人達配信者という人達だし
だから、これからも救いようのない人たちは配信などをして救いようなく暴れて、救いようなく小銭でこき使われて、それでもそんな暗がりの中を照らしてくれるコメント達を有り難がりながら眠るように亡くなっていっていいんだと思う。
素晴らしい道筋を作ったものだ、それは加藤純一やもこうにはもう出来ないことだから
本当の意味での底辺配信者はやはり最後まで配信というものを楽しんで死ぬべきだから、人生に齧り付きで行った趣味で、人生の大半を配信に捧げたのだから
そこに言葉をくれる奇妙奇天烈な奴らがいてそいつらとニヤニヤ過ごせただなんて素敵な事だと思うよ。
何かを勘違いした人は『だから配信者の真の姿をちゃんと見るべき!』だなんて言い出すかもしれないけど
見に行って、クソと思って、変なコメントして、ちょっと揉めて、ああもうこんな奴の配信見るものかと思いながら、また次の日にちらっと見に行って、全然コメントなくて、全然コメントなくて草ってコメントして、またキレられて、そういうくだらない繰り返しが本当の配信者とリスナーの真の姿なんだよ。
ただ暴れて女とヤッて酒飲んで警察の世話になって揉めて揉めて揉めて揉めてなんてのは、人間の底辺の、人間が底辺になった時によく発生する部分で、僕らが歩く時にぶつかる膝から下の部分の話でしかないから。
でも人生とかいう奴は膝から下でしか呼吸ができない生物とも、腰から下に顔が付いてるような生物とも、胸でしか世界を見れない生物とも、頭の上から理解ってるように見ていてそのくせ何にもわからないまま死んでいくえらそうな生物ともぶつかり時に肩を組むものだから
そう考えると配信者の真の姿ってのは『面白いと思ったコメントがスベってキレられてるけど、配信者はそんなに気にしてないし、むしろ何もないよりは助かってる』って姿なんだと思う。
これからも底辺は続く、俺たちの生活は何も良いことが起きず、何も上昇せずにひたすら泥と酒とゲロの中を泳いで生きる。
時々足元が見えていない奴のために罠を作って引っかかってる様を見てゲラゲラ笑う。
そして偉そうに講釈を垂れた後に自分も同じトラップに引っかかり暴れ出さんばかりにキレて誰も見ていないところで静かに反省する。
その実単に酒飲んで生きたいだけだったりしたあの人の姿は
多分俺の中で徐々になりつつある反面教師の姿として
一生残り続けるんだろうなぁ。
追記:誤字を見つけたのでコピペして再投稿しようとしたら、冒頭に「編集」って入っちゃったので恥ずかしくなって消したのをココに記します
本当に誰も見に来ないので、何をこんな時間の無駄になることを…と思う一方で、好き放題やれていいなと思っているのだが
他の大きなYoutuberや配信者とくらべると、なんでこんなことも自分はできないんだろうと思っていることが出てきた。
それは雑談がものすごく下手だということ。ゲームのキャラクターきっかけで喋れる雑談がまったくない。
これは自分のいわば妄想力や感受性、感じてから言葉にする力が死んでいるからだと思う。頭が鈍いともいうだろう
喋れても多少の雑学とストーリーを整理することだけで、そこからの雑談ができない。感想がないのか?と自分でアーカイブを見ても思う。
他の人たちを見れば、キャラに共感したり、ない話で盛り上がったりしている。そのなんと感受性の豊かなことか。
一方自分はというと、自分の下手なプレイを「下手だなー!」と言ったり、ストーリーについていけなくてなんだよーって言ってしてゲラゲラ笑っているのだ。
こんな配信、まかり間違っても流行るわけもない。俺一人だけが楽しんでいる極小の身内配信だ(もちろん恥ずかしいの配信しているなんて言っていないので、身内は見てないのだが)
自分の頭のにぶさ、口数の少なさを多少なりとも良くしたいのだが、どうしたらいいのだろうか。
ジャニーズへの性暴力を知りながらジャニオタを続けるのもまた犯罪だ… なる言説をみかけた。
なんと驚くべき事に、この増田で。
えぇ………
ひょっとして今のはてなユーザーって、まさか、低能先生事件のことを知らないのか。
知ってて助長論を信奉してるならそもそもその増田も書けないはずだよな?
嘘みたいに聞こえるけど、この場所にはかつて殺人鬼がいたんだよ。
犯行終了後、出頭の間にXは「はてな匿名ダイアリー」に、自分に批判を行った他のユーザー達を対象とした「最後の書き込み」を行った[注 2]とみられる。
この書き込みはインターネット上で他の利用者から「ネット弁慶」「『低能先生』に人を殺せる筈がない」と言われたこと[10]などを受けた内容で、「おいネット弁慶卒業してきたぞ。改めて言おう。これが、どれだけ叩かれてもネットリンチをやめることがなく〈中略〉俺を『低能先生です』の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ」などと書き込まれており、東京の「はてな」本社に向かおうとする計画だったが断念したこと、書き込みをした後「自首を行う」としたことが述べられていた[2]。
いや待てよ🤔?
『テロきっかけで原因を見直すのはテロ助長じゃない』理論も今のはてブで流行してるが、みんな特に事件後にネットリンチを反省したりもしてなかったよな。反省なんて全然無かったし炎上という名の社会的制裁は変わらず続いている。
年の離れた親戚のお兄ちゃん。
小さなわたしから見ればずいぶん大人だったけど、お兄ちゃんにとってわたしたちはおなじ子供で、同等に扱われるのが嬉しかった。熱烈な恋心、なんてものじゃない、わたしはただお兄ちゃんのことが大好きだったし、憧れていた。
お兄ちゃんの部屋は、わたしには手の届かない素敵なものであふれていた。パンクロック、オールドハリウッド、フレンチカジュアル。それらを憧れの眼差しで眺めていると、ときどきお兄ちゃんがこう言う。
「それ、気に入ったんならあげるよ。俺もう使わねーし」
お兄ちゃんのものを持っていると、同級生たちにくらべて自分がすこし大人になったような気分でいられる。
互いに成長して、一緒に遊ぶことは減ったけど、それでもたまに会えば、私たちはいつも仲が良かった。お兄ちゃんはお土産がわりにと、会うたびにわたしに何かくれる。そういうときのお兄ちゃんは得意顔でかならずこう言う。
「おまえ、こういうの好きでしょ」
ものすごく趣味のいいものもれば、どうしようもなく下らないものもあった。
どんなにヒドいものでも「ありえない!」とふたりでゲラゲラ笑えれば、それで良かった。
お兄ちゃんのお嫁さんになりたいなんて、子供っぽい恋心を抱く年ではなかったけれど、それでも、わたしたちの関係がこれから変わってしまうことはすぐに分かった。
でも照れくさいからニヤリと笑ってこう言うの。
bye bye my sweet darlin
さよならしてあげるわ
2016年に大学を卒業して、新卒で入ったところが若手はセミナーや講演会にドンドン行ってこい方針の会社だったので、社会人1,2年目の頃は学ぶ意欲半分、仕事サボりたい欲半分に色んなところに行きまくってた。
せっせと足を運んだところで、偉い人たちの話を聞いても大学出たての自分には何を言ってんだかよく理解できなくて、受講報告書に何を書くべきか悩み、いつもウンウン唸っていた記憶がある。
そんな中でも唯一「これは!」と思ったものがあって、あるベンチャー企業社長の講演で「めちゃすごいスパコンを開発して、不労社会を目指してる」という話。
なんて素晴らしい理念だ!といたく感動し、帰社してから同僚たちにも「最高にクールでホットなベンチャーがあったぜ!」と吹聴しまくったのだが、少し後にその社長は詐欺で捕まっていた。信じていたのに、悲しい。
まあ社長が詐欺で捕まった話は置いておいて、そういった講演会に行くたびに耳にしていたフレーズで「シンギュラリティ」という言葉があった。
社会人になる少し前からそういう概念があるということは知ってはいた、が、正直、都市伝説のようなものだと思っていた。ノストラダムスの大予言みたいな。それの現代版。
セミナーや講演会に行く度、日本を代表するような企業の役員の口からシンギュラリティという言葉が出て、それを当たり前のものとして扱っていることが違和感で仕方がなかった。みんな関暁夫になっちゃったの?って思ってた。
ちょうどその頃あたりから、人工知能がどうとか、深層学習がどうだとかが当たり前のようにテレビなどのメディアでも目にするようになった。
新発売の電化製品の売り文句はどこもかしこも「AI搭載!」だった。良いものもあったが、素人目にもお粗末だと分かるものに対しても何でもかんでも「AI」と名付けられていて、まあ所詮は人類にできることなんてこんなもんよな、冷ややかな目で見ていた。
しかし、自分が鼻くそほじりながらポテチ食ってYouTubeを眺めている間に、世界の技術者たちはガチでそこに向かって進んでいたらしい。
DeepLを初めて使った時、翻訳の精度はともかく、機械ってもうこんなに違和感のない日本語を作れるんだ!と感動した。
エキサイト翻訳で再翻訳してゲラゲラ笑っていたあの日が懐かしい。もう15年以上も昔のことだったか。
そしてBingAIやChatGPT、あといろんな画像生成系のAIもよく分からんがとにかくすごい。今まで自分の観測範囲になかったからか急に現れたように感じたけど、技術がドカンと一気に進化したように思えて、なんかもう恐怖すら覚えた。
これから世界はどう変わっていくんだろう。あの社長が言っていたような社会に、本当になるのかな。シンギュラリティは本当に来るのかな。
そういう奴でも、東日本大震災みたいに人がたくさん死ぬイベントの慰霊だと、大半は、一応、黙とうしたりするんだよな。なぜ、マスク外すことが、そういう場でゲラゲラと死者を笑い飛ばすことと同じことだという事が理解できないのだろう。やはり、人間じゃないのではないか?
1年前の時点で、「マスクをしていても、50センチ以内の距離で20~30%の確率」で相手を感染させると書いてあるぞ?
混雑した電車内でマスク外して、もし自分が感染してたら、周りの3人のうちの1人には感染させるってことだ。自衛すればいいっていう問題じゃないってわかる?相手がマスクしてても感染させるんだよ。たくさん報道されてるのに何で見てないの?基礎疾患持つ人間が生きようが死のうが関係ない、東日本大震災みたいな大量に人が死ぬ事件があるときに、ゲラゲラ笑って「運が悪いやつが悪い!人の不幸は蜜の味!」みたいな悪意に満ちた考えが心の奥底にあるから、マスク外そうとするんじゃないの?
これだけ報道されてて、見てないってことは大人だったらあり得ない。マスクを外すという事は、「基礎疾患者が死んでも構わない、周りの人間が死んでも構わない、迷惑な人間に生まれてきたやつが悪い、そいつらを抹殺できる自分はえらい」というような、いつかあった障碍者施設の連続殺人の植松聖みたいな精神を心の奥底に持っている人間だから、電車の中で外しても構わないと思えるんだと思うよ。
https://www.sankei.com/article/20220202-5NUB7XGLYJKKNEIPO2OUDSQ6SM/