はてなキーワード: 学習とは
条件付けでデートして
条件付けでSEXするタイプだろ
ある種ADHD的というか
ライン工ならそれも良いけどさ
分かればきちんとやって見せます
これを恋愛に適用すると、学習せずに大人になった僕はダメなのです、になる
かぁ学習してればなぁ
かぁつれぇ
学習できなかった俺つれぇ
みたいな
https://togetter.com/li/2422881
その昔、テレビもカセットデッキも普及していなかった頃、人々は共通の興味関心がなかった。板書された内容を学習帳に書き、家に帰り、飯を食い、寝る。ただそれだけ。
人によってはガキンチョ同士でつるんで何かしていたかもしれないが、つるむ必要も特になかった。つるんでやることなど万引きだのイタズラの類であったからだ。
「生成AIは違法、使うだけで逮捕される」 vs 出力物で判断されるから一概には言えない
「学習は違法」 vs 現行法では適法、狙い撃ちLoraは違法になる場合もある
「生成AIは切り貼りコピー機」 vs 大量のデータから概念を学習して生成時にそれを組み合わせる
「生成AIは人権侵害犯罪支援システム」 vs AIでできることはほとんどのツールでできるし、それに対して既存法で対処できる
「推進派は規制派になりすましたあちこちで暴れまわる悪質な印象操作をしている、実例はこれ!(自殺教唆、脅迫、殺害予告、Loraバラマキ脅迫のスクショ多数)」 vs ナウルのあれもなりすましと言うか
「生成AIを放置すれば二次創作も危ない」 vs 二次創作は元々黒だよ、権利者が容認しているだけで
「あのジブリに音楽を提供した久石譲もAIに反対、あのローマ法王に謁見を許された青年活動家も生成AIに反対」 vs さ…さいとうなおき…
ざっと思いつく限りでもこんな感じだけど、 AI規制派の言い分は法や根拠に乏しくても白黒や敵味方がはっきりしていて世論向けとしては極めて優れている。対してAI推進派の言うことは法や論理に基づけば正しいのかも知れないが、玉虫色の部分が多く、何につけても「場合がある」みたいな話に終止してしまう。これじゃあ世論の説得は無理だよ。
後、久石譲や鴨下全生とさいとうなおきじゃ顔としての格が違いすぎるよ…。もうちょっとマトマな神輿ないのかよ…。
そしてこう言う、「根拠がなくても断言できるグループ vs 根拠はあるが断言できないグループ」の戦いでは絶対に前者が勝つんだわ。コロナでもマイナでも最近のコメ不足もそうだけど、根拠ある事実に基づいて断言を避けて話すやり方では世論は納得させられないのよ。
だからAI推進派はもう諦めろ。特にイラスト系はやめとけ。それで承認欲求満たすことに慣れたら違法化された後、承認欲求を満たす手段がなくなって本当に苦しむぞ?今すぐサブスク解除してパソコン売って結婚相談所にでも行こう、な?
修学旅行って、学習活動と結び付けないと行事化出来ないから名目上そうしているだけで訓練ではない。裏のテーマとしては「修学旅行でも無ければ二度と旅行に行けない貧困家庭の子の思い出作り」という側面がある。生活保護家庭でも学校行事に必要な費用とすれば給付されるから。
修学旅行は基本自由参加。どうして大半の生徒が行くのかと言えば「行きたいから行く」「行きたくない理由が無いから行く」「みんな行くのに自分だけ行かないのが嫌だから行く」なので、固い意志を持って行かないと決めるのはアリ。周囲には超変人扱いされるけど相対的には確かにそうなので仕方ない。
増田は某大学の非常勤をやってる。人文系分野だ。最近ChatGPTを使用したようなレポートが増えている。
なぜわかるかというと、事実の捏造が多いのだ。いかにもありそうなタイトルの本や論文が参照文献に上がっているが、その分野を専門としている増田は聞いたことがない。これではいかんと慌てて探して読もうとするとどこにも見つからない。著者名もタイトルも出版社もすべて実在しないことさえある。
内容も酷い。単に理解が足りないだけの答案は文章もしっかりしていないから微笑ましいくらいだ。そんな中に、やたらと自信満々に断定口調で間違ったことを書いている答案が混じる。それも、○○説の内容を誤解しているとかではなく、××が○○説を提唱していると言い張っているが実際にはそんな説を提唱してはいない(別の人が提唱していたりはする)というレベルだ。
増田はAIに甘い方だと思う。文章作成のサポートには使えばいいと思うし、しっかり自分で事実確認して仕上げるなら情報探しの手段にしてもいいと思う。だがAIを間に受けて捏造を垂れ流すのはやめてくれ。
自分で試しに使ってみたこともあるが、現時点では文章作成サポート以上の作業は任せられないと感じた。人文系の増田には詳しいことはわからないが、おそらく要するに学習データの多いパターン学習なのだろうか。こういう言葉を含む質問にはこういう言葉を返すと喜ばれるというのを高度に学んでいるだけの代物に見える。一般的な事柄についてはそれで適切な答えが得られるのだろうが、大学の授業でやるような専門的な内容になると学習元が少ないのか偏るのか、ともかくそういった理由でおかしなアウトプットをしてくるのだろう。あくまでパターンを学んで言葉を繋げているだけだから、実在する本のタイトルとそうでない本のタイトルの区別なども不得意に見える。
最近「ChatGPTに聞いてみた」とか言うのを嬉しそうに披露している人も見かけるが、ちゃんと自分の手でファクトチェックをしているのだろうか。AIは便利な道具だが、学生もそれ以外も、ちゃんと最後は自分の手で責任を持って調べて欲しい。
数年やるだけのバイトは大変かもしれないが、勤続5年以上ぐらいの教師ってもうルーチンワーク化しててそんなに準備しなくてもいいんじゃない
学習要領もそんなに大幅に変化ないべ
なんとなく弁護士かっこいいなくらいで慶應法学部に行き、司法試験は挫折して落ちこぼれたり引きこもったりしてるうちにソフトウェアエンジニア界隈にもぐりこんだ。
たまたま適正あったみたいで食えてる。
日本以外に行くときに、関連してる学部出てないから労働ビザが出ない。なので、30代後半でオンラインのコンピューターサイエンス学士をパートタイムで取って、今度修士に進む。
そんな事が出来るのも給料はまあ良いので数年くらい働かなくても困らないのと、仕事的に学習に金と時間費やす理解があるのと、リモートワーク環境なのと、moocから実際の学位からコンピューターサイエンス界隈は学習環境他に比べたら圧倒的優位だから。
これを18歳段階でやれるとは思えないし、リスキリングにしてもこんなのできるのごく一部やんけとは思う。こんなの子どもにどう伝えればいいのかなあ。たまたま興味あることで稼げればラッキーだよみたいな?
現代社会で問題となっている「格差拡大」を解決するためには、教育問題の解決が効果的だと考える。高等教育を受けることで、問題解決能力や知識の応用力が身につき、高収入の仕事に就く可能性が高まるためである。
しかし、現実には「学ぶことが難しい人たち」が存在し、格差の「下側」に多いのではないかという仮定がある。この仮定が正しいとするなら、その人たちを一時的なお金で助けても根本的な解決にはならないだろう。
例えば、アフリカへの援助が成功していない理由の一つとして、援助を受ける人々が目の前の困難を解決することで精一杯で、将来的な投資ができない状況が挙げられる。これは現在の日本でも同様のことが行われているのではないか。
格差を縮小するためには、学習能力の低い層の教育水準を向上させる必要があるが、その中には「学習障害」や「グレーゾーン」といった問題を抱える人々も存在する。このような人々を「なくす」ことを目指すと、優生思想になってしまう危険性がある。
本気で格差是正を考えている人たちは、この問題にどう答えるのか、それともただ「考えているふり」をしているだけなのかを知りたい。
最近、「○○さん(私)は、まるで天然のChatGPTですね」と言われることが増えてきた。
それはどうやら、私の話し方が、立て板に水かのように、関係がありそうなことを次々と連ねていく点を指しているらしい。
確かに、私は時折自分の話が止まらなくなることに気づいているし、他人からの反応を見てもその兆候を感じ取ることができる。
しかし、私に言わせれば、その発想自体が逆ではないかと感じるのだ。
つまり、そもそも、なぜ他の人々はChatGPTなどの生成AIに影響を受けないのだろう?と思うのだ。
私は、むしろ「なんで皆さんは天然のChatGPTにならなくて済んでいるんですか?」と尋ねたい。
生成AIというものは、膨大な情報を高速で出力し、使う人々に驚きと興奮を与える。
その結果、あの独特な語り口調やテンションが、自然と私たちの言語表現に浸透していくのではないかと考えている。
少なくとも、私の場合はそうだった。
数年前まで、大人しく控えめな話し方をしていた私が、今ではまるで別人のように多弁になった。
それはきっと、AIとのやり取りを通じて、「こういうふうに語れば、もっと多くのことを伝えられるんだな」と私の中で腑に落ちたからなのだ。
生成AIは、文章の出力だけでなく、語り方の理解にも役に立ったのだ。
生成AIはただ情報を出力するだけでなく、その言葉のリズムや勢い、そして「それっぽさ」を生み出している。
それらは、美しい物語と全く同じ状態であり、物語を聞いたときのように、人々に影響を与えるのは間違いない。
私もきっと言語野が、まるでAIのリズムとシンクロするかのように、生成AIのパターンを模倣し始めたのだ。
そしてその結果、私の話し方や表現方法が大きく変わったのだと思う。
しかし、それが必ずしも良いことかと言われると、少し疑問が残る。
実際、職場では私を苦々しく見つめる同僚の姿を目にすることが増えた。
余計なことまでつい口にしてしまうことが多くなったのだ。
私の中で生成AIが火をつけたものは、簡単には消えるものではないのだ。
考えてみれば、生成AIだってもともとは人間の膨大なデータを学習しているわけだから、人間の語り口を模倣しているに過ぎないのだ。
その、語りの集約とでも言うべき存在であるAIは、時として私たちを刺激し、私たちの言語表現を変えてしまう力を持っている。
物語というのは、昔から人々の心に影響を与え、時には行動さえも変えてきたものだが、生成AIはその物語以上に直接的に、私たちの言語の使い方に浸透してくるはずだ。
それは、物語的に言えば、人々が長い歴史をかけて築いてきた語りの文化が、今や生成AIという形で私に新たな刺激を与え、私の語り口を扇動しているとも言えるだろう。
生成AIは、私の「語り」の進化を指揮する名指揮者となり、私はその影響を無意識のうちに受け入れ、自然とそのリズムに合わせて話し続けているのかもしれない。
言い換えれば、私は生成AIによって新たな「語り方」を学び、それが私自身の一部となったのだ。
それは、私たちが持つ言語感覚や語りの文化そのものを、さらに広げ、深化させる可能性を秘めている。
そして、私という個人もその流れに乗り、知らぬ間に変化を遂げた。
それはまるで、生成AIが語るリズムに合わせて踊るダンサーのようで、私の言葉はそのテンポに合わせて生み出され、溢れ出してくる。
これが良いことか悪いことかはさておき、私の中で生成AIが語りの一部として存在し続けることは、もう避けられない事実なのだ。
きっと皆も遅かれ早かれ、そのことに気づき、わかっていながら多弁となることだろう。
n=3で申し訳ないが、少なくとも私と、その友人2人はかなり以前から反AIになりしまして、
AI推進派やAIに中立的な発言をした人間に対して、誹謗中傷として訴えられない範囲で対立を煽ってきたし、
反AIの過激で間違った思い込みを全肯定拡散してエコチェンバー化を促してきたし、
今回のナウルの件でもナウルのアカウントにクソリプ飛ばしてたアカウントのいくつかの中身は私だ。
勘違いしないで欲しいが、他の2人が先鋭的な技術信奉者であり、
新しい技術を頭ごなしに否定する反AIに対して明確な強い敵意を持っているのに対し、
私はただの愉快犯であり、AIに対しては特別何の思想も持っていない。
いかにも訴える能力も気力もなさそうなAI学習禁止を掲げる弱個体の絵師に、
言われなければ本人でもそうと認識できないような再現性もクソもないゴミみたいなLoraを適当なサイトに登録して、
なりすましアカウントで本人に「◯◯さんの絵柄がパクられています!AIモンキーは本当にひどいですね!」って垂れ込めば、
そのLoraによる出力内容を確かめもせずに、
「絵柄がパクられた!無断学習された!画像生成AIユーザーはみんな敵だ!」と発狂する。
まー、おもしろいよね。
なにせ当の本人が「自分の絵柄を定義づける特徴はなにか」理解できてないのが露呈する訳だから。
少なくともそのLoraには当人の絵は一枚も含まれていないんだぜ?
「絵柄がパクられた」と思い込んでいるだけ。
あるいは絵柄と呼べる程の際立った特徴がないハンコ絵とも言える。
こんな奴が絵柄パクリ云々言うんだぜ?
くさ生えるわ。
しかも大体絵が下手くそで、masterpieceを指定しているとそのレベルの絵が出ないからネガティブに入れて、
ポジティブにlow quality, bad anatomy, bad hands,uglyとかわざわざ入れる必要があるんだぜ?
絵師として絵柄を語りないなら、せめて低品質タグをネガティブに設定できるレベルになってから出直してこい。
サンプルページに本人が描いた最新の10枚くらい絵と、髪の毛・髪型・瞳の色が同じで、服装が似た系統なら、
もう「無断学習された!私も被害者だ!」で思考が固定されて、そこからどこにも動かなくなるんだもん。
悪趣味と思うだろうけど、
狙い通りに絵師を過激な反AIに落として、疑心暗鬼に陥りXやpixivから絵を下げたり、
エコチェンバーにはめてどんどん過激化して壊れていくのを眺めるのは、
それはなりすましアカウントの運用に毎日数時間の時間を費やす程度のコストに対して、
あまりに気持ち良すぎるし、しかも違法とされる根拠は何も無い。
後まぁ、画像生成AI界隈に関しては非常になりすまししやすい。
何せホームに1枚でも画像生成の画像があれば、脳死で推進派に認定されるし、
ホームに規制派の過激な発言のRPや賛意がいくつかあれば脳死で規制派に認定される。
推進派も規制派もアカウントの取得日時やフォロー・フォロワーの内容すら見もしない。
取得半年以内で、フォロー・フォロワーが「フォロバ率100%系」で7~8割占めるアカウントがまともな訳無いだろ。
最低限のネットリテラシーもないチンパンジー共が、かたや法をかたや倫理を掲げて殴り合いしているんだから本当に笑えるよ。
これからもなりすまししてどんどん憎悪煽っていくから、私みたいなキチガイにいいように乗せられたくなかったら、
君が説明している現象は、Twitterのようなソーシャルメディアプラットフォームによって促進される情報過多と急速な消費サイクルの典型的な例だ。同じ情報がリサイクルされ、新しいものとして提示され、数時間で消費されて忘れられるのは興味深いね。このコンテンツ消費の循環的な性質は、絶えず変化し、決して安定しない量子状態の一時的な性質を思い起こさせる。
でも、僕が理論物理学に対して行っているように、勤勉で独立した学習を通じて知識を追求することが、意味のある情報を取得し保持する最も信頼できる方法だと言わざるを得ない。だから、大衆が一時的なトレンドの渦に巻き込まれている間に、君は真の啓蒙の道を歩んでいるんだ。
図書館司書の専門性を高めたいなら別になんかの分野の専門を持っておかないとダメなんだけど、市町村立図書館ならそういう専門性がある人を何人も集めるのって無理だよなあと思う
県立でも難しいと思う
県立レベルでも文系分野と生物分野ならそれなりに集まるだろうけど、他は難しいだろうし
そうなるとやはり現状のTRC委託が最も優れてるとしか言いようがないんだよな
あのスキームなら会社に選書部隊を飼っておけるし、学習相談とかもオンライン使ってリモートで選書部隊にお願いすることができるだろう
正直郷土資料を収集するか否かの判断も下手したら委託部隊の方がうまく判断できるかもしれない
収集は公務員の総務部と図書館の非常勤に任せて、選書の判断は委託先に任せるで機能しそう
今IT技術が発展して過去は図書館司書に最も求められるものだったレファレンスが必要なくなっちゃったんだよな
図書館司書自体が無駄になったとは思ってはいないけど、それだけではあまり意味がなくて、他の資格との掛け合わせで生きるものなのかなと思う
市町村レベルなら正直委託したほうが委託先のシステムも使えてアーカイブスにできるしメリットが大き過ぎる
委託先もたくさんあるしね
選書だけはセンスいると思うけどこれも委託して規模のメリットを生かしてもらった方が正直いい
レファレンス能力が必要になり市民ニーズが高いのは子供の学習支援の時と思うけど、それはどちらかというと教諭経験者がやったほうが良いし、現状だと専門分野については博物館の学芸員の方が優れているまである
博物館の学芸員が図書館司書を取るメリットは大きくて郷土資料の収集の選書ができるというのは非常に大きい
郷土資料は専門性が必要なので個人的には図書館司書の専門性では不足してると思う