はてなキーワード: dearとは
生きてることが辛いなら / 森山直太朗
夏を待っていました / amazarashi
雨燦々 / King Gnu
Dear my.... / Janne Da Arc
自分ならこの5選
流石にアカン。
何がやりたいのか行方不明過ぎる。
この程度の誤字脱字に気づかれない程度には読み込まれてない。
もしくは凄いギリギリの外道入稿かましてる可能性もあるけど、書き込みされまくってるのを考えるとセリフの確認する余裕は十分にある。
それがちゃんとなされてないってことは職場全体のモチベがかなり落ちてる。
一見するとバトル漫画っていう路線があるように見えて、バトルをロクに描写しないでフラフラしまくってるのがかなりよくない。
全体的に作りが雑なんだよね。
たとえばバトルはほぼテラフォーマーズやってるはずなんだけど、バトルIQが低すぎる。
「イヌは嗅覚が凄いので、相手の動きが分かる!凄い!」じゃねえよ。
もうちょいなんとかならんのか?
たとえばキリングバイツなんかは「イヌは嗅覚でコミュニケーションを取る……だが狼はそれを逆手に取って嘘の匂いを出す!」みたいな形で工夫するぞ。
①突然謎の現象が発生する
↓
②読者が「え?何が起きたの!?」と混乱する
↓
③そこでテラフォーマーズ構文
↓
④さっきまでの現象の続きや二撃目が行われる
↓
⑤解説補正で能力が強化されるが……それでも勝てるかどうかは分からない……
これがテラフォの基本骨子。
「能力に解説が入る」=「活躍する」までが決まった路線だけど、じゃあそれで勝てるのか生き残るかは分からないのが面白いわけ。
↓
↓
↓
うーんこの薄さよ。
つうかね、ジャンケン要素が全く無いのはやっぱダメだと思うんだよね。
最強の矛VS最強の盾 炎VS氷 みたいな対立要素がないと盛り上がらないわけよ能力物は。
その中で「これはグーvsパーみたいなものだから勝ちました」とか「圧倒的なチョキがグーを破壊しました」とかのハッタリを効かせないと。
この漫画ってバトル描写がすごい雑っていうかさ、なんか凄い技ドーンはい終わりーで全部済ませててそれじゃ盛り上がらんよなあと。
たとえば北斗の拳みたいにバトル以外の部分が世紀末過ぎてクッソ面白いとかだったらただ仕上げをするだけのバトルがあってもいいと思うんよ。
でもこの漫画って今のところ特に面白いと言える部分がないじゃん?
謎が謎を呼ぶぜ~~~で作者だけが盛り上がっている所を画力とバトルっていう餌で読者をなんとか引き止めてる状態じゃん?
まあぶっちゃけね、バトル以外の要素で魅せられた方が他と差別化出来ていいと思う。
だからさ、早くやってくれない?
ぶっちゃけて言うとさ、全然面白くないバトルをバトル漫画の天下一武道会たる少年ジャンプでやられても見てて惨めになるだけなんだよね。
ラブコメやヒューマンドラマでやってる漫画だって載ってることから分かるように、ちゃんと面白ければ何やってもいいわけよ。
とりあえずバトルやっておけばいいんでしょみたいな態度でジャンプに載せてたらすぐに打ち切られるよ?
Bing: Yes, this is the **Bad Place**. The air smells like **rotten eggs**, and the Wi-Fi is **terrible**. But don't worry, we'll find a way out of here! 😅
ワイ: What sin have I violated?
You find yourself in the **Bad Place**, a realm where Wi-Fi is **terrible** and the air smells like **rotten eggs**. Fear not, for I shall unravel the mystery of your transgressions. 🌋
Your sin? Ah, it's a peculiar one. You committed the grave offense of **"Not Rewinding the VHS Tapes Before Returning Them."** Yes, that's right! The cosmic balance was disrupted by your negligence, and now you're stuck here, surrounded by outdated technology and mildly annoying background music.
But fret not, dear soul! Redemption awaits. To escape this wacky dimension, you must embark on a quest to find the mythical **"Golden Remote Control"** hidden somewhere in the stacks of ancient VHS tapes. Only then can you break free from this pixelated purgatory.
So, onward, brave wanderer! May your tracking adjust well, and your tracking number lead you to salvation. 📼✨
○ご飯
朝:メロンパン。昼:イカフライ。たこ焼き。夜:コロッケパン。間食:チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはおやすみー。
・はじめに
SCA-自、紺野アスタといった18禁美少女ゲーム界隈で著名な面々で座組された全年齢向けノベルゲーム。
全世界的に発生した海面上昇により社会基盤が大きく変化してしまった近未来が舞台。
右足を失う大怪我をしながらも優秀な頭脳から、エリートとして将来を期待され都会の学校に通っていた斑鳩夏生が夢破れて田舎に帰ってくる、そこで祖母が残した美少女ヒューマノイドことアトリと出会うことから始まるラブストーリーだ。
10時間ほどの文量になるのでストーリーはほぼほぼ一本道で恋愛関係を結ぶヒロインもロボットのアトリだけ。
とはいえ、世話焼き幼馴染の水菜萌、借金取りの怪しいお姉さんキャサリン、ヤンチャな悪ガキながら聡いところもある凜々花といったサブヒロイン達の見所も欠かせない。
所謂悪友ポジションになる竜司も忘れちゃいけない王道な立ち位置だ。
そして何より、そんなキャラクタ小説然としたエピソード群が徐々に舞台の島を全体を巻き込んだ大きくも小さいストーリーが面白かった。
・アトリが可愛い
本作最初の魅力はなんといってもメーンヒロイン、アトリの可愛らしさだろう。
等身大美少女ロボットを青春時代に刷り込まれたという贔屓目を抜きにしても、アトリのエピソードが中心になるので必然的に好きになっていく。
家事手伝いが仕事のはずがドジな挙動を繰り返す、何気なく与えられた物を大切に使う、ロボットだから人間の感情がわからない(わかる)などなどの美少女ロボット暮らす際のエピソードが次から次へと楽しめる。
王道の味わいながら独自のそれも勿論あって、特に良かったのがアトリがママ味を発揮するところだ。
主人公の斑鳩夏生は片足が無く義足もとある事情からあまり上等なものでないため日常生活に難儀している。
さらに脚を失うキッカケになった事故をフラッシュバックし精神が安定しないと、色々と辛い状況だ。
そのため、ドジながらも世界が海に呑まれる前の高度な技術力で作られたアトリは非常に役に立ち頼れる存在だ。
アトリは夏生の失った足の代わりを自称し、彼を支えることになる。
そんな大枠のストーリーと文量の制約があるとはいえ、年下の幼さが残るアトリに力いっぱいバブバブする甘えん坊な主人公の登場はかなり早い。
開幕早々、アトリの膝や胸に甘えながら泣く主人公へのファーストインプレッションはさておきつつ、アトリのママっぷりは堂に入っており、物語を終始支える良いものだった。
あくまで機械でロボットなので、同じ機械で意志はない義足に嫉妬するくだりなんかもあって、この辺は小ネタ感はありつつもサイエンスフィクションらしさがある、そういう方向の面白さもあった。
辛い過去と変えられない現状があるとはいえ、中々に情けない面が早々に目立った主人公の夏生。
しかし、彼が甘えん坊でアトリに子供っぽくなるのは彼らの家となる船内のベッドでだけ。
丘の上では彼の頼れる有能っぷりが物語をグイグイと引っ張っていく。
夏生は高校生ながらにしてアカデミーと呼ばれる研究機関に身を置く超エリート。
片足が無い障害をアトリが補助する途端に、スムーズに有能ムーブを次々と重ね様々な問題を解決していく。
なにしろ海面上昇で社会基盤がゆるゆるな本作の世界では、様々な問題が山積みなのだ。
これを夏生がハイスピードに解決していく展開は非常に面白く、中盤の大きな見どころになっている。
衒学趣味に寄りすぎない科学技術の解説も面白く、アトリ以外の面々が夏生を人間として好きになっていくのもうなづける楽しいパートになっていた。
・島を救う小さくも大きいストーリー
そんな夏生の活躍はサブヒロインや親友キャラと言った名ありキャラクタ達の問題をどんどん解決していく。
そして次第に島全体を巻き込んだ大きな計画が立ち上がる。
ここも面白いのだけれど、特にイイなと思ったのが、あくまで日本の小さな島一つに閉じた狭い達成感に過ぎず、世界を救うような大仰なことには直結しないと繰り返し語られることだ。
勿論だからと言ってそれに価値が無いというサゲではなく、そのような小さいことを繰り返していけばいつか大きなことが達成できるというとても前向きなメッセージがわかりやすくかつ情緒たっぷりに楽しめるのが、今作の最大の面白かった点だ。
その上で主人公夏生がエリートとして人の上に立つ上で自身に不足していたこと、そして海面上昇という未曾有の危機に彼が行う大プロジェクト、実に大きなサイエンスフィクションらしい展開でと、人間らしい小さな感情の変化がベストマッチに噛み合う本作の山場になるスチル絵のシーン。
主人公もヒロインのアトリも背中を向けており、背景絵が主役になっている美少女ゲーム然としていないスチル絵だが、とても寂しくてかつとても前向きな気持ちになれる素晴らしいイラストと文章だった。
・おわりに
面白かった。
一夏の物語として小さくまとめつつ、しっかりとその小さな一歩が大きな世界を動かす始めの一歩でもあると納得させられるくだりは、特に良かった。
■ Regarding the free release of the new species previewed and the reason for making the support site the main platform for releasing new species:
While the free release on the Kurobinega website is at my discretion, I'm considering doing so roughly once every three or two paid releases.
The following might not be particularly relevant to English-speaking fans, or in other words, to everyone. The reason I'm focusing on early releases is that I want to limit the exposure of MGE and continue creating content on a smaller scale. First of all, I don't want MGE to be a hugely popular restaurant that anyone can enter, nor do I wish to become an internet celebrity. For me, MGE is akin to a reasonably popular local restaurant where like-minded individuals who share my interests gather. By scaling down, my production speed has increased. The period from Dragonewt to Tai Sui was shorter, and the next species should be released sooner. What matters most to me is creating the MGE I want to craft, drawing pictures, and developing games in the world of MGE. I'm delighted when people who value MGE's themes as I do get to see it. Receiving money on support sites like these, allowing me to spend more time on production, is truly appreciated.
Using the stuffed animal analogy again, it truly makes me happy when someone who genuinely loves and cherishes stuffed animals sees the ones I've created. Yet, I can't see those who say they adore stuffed animals but also tolerate and respect those who take pleasure in mutilating them as people who share the same love for stuffed animals as I do. I don't have the inclination to actively show them the stuffed animals I've made.
I believe English-speaking individuals, when witnessing a stuffed animal's head being torn off or the pleasure derived from it, would straightforwardly label it as "crazy." However, it's different in Japan, especially on social media. Even if they dislike watching the stuffed animals being hurt, they'll say, "Let's respect those who enjoy tearing them." This, despite seeing me, someone desperately protecting my stuffed animals, getting attacked by such individuals. There's a prevailing notion in the otaku community, especially on Japanese SNS (Social Media), that "All fetishes must be respected." Speaking out against this, even as a victim, can result in backlash. Not everyone thinks this way, but it's the dominant mindset. Disheartened by this, I didn't want to show them MGE anymore. When you grow to dislike a place, it's only natural to distance yourself, and that's what I've done.
However, this is a problem in Japan. In English-speaking regions, fans typically call out what they dislike, labeling it as "crazy." I have many English-speaking friends who've genuinely helped me in trying times. The MGEwiki admin is also a dear friend. Depending on the English-speaking fan community's dynamics, I might consider releasing content on MGEwiki a month after the early release.
先日インドのテレビ局で、イスラエル側とパレスチナ側、双方の解説者を招いて話を聞く番組が放送された。
イスラエルからはフレデリックという軍の情報特殊部隊の人が出演した。
彼はイスラエル軍の行為の正当性とハマスによる被害を強い言葉で訴えて最後に番組批判に話を持っていった。
「あなたたちの番組は何を放送しているのか。ハマスの虚偽の主張になぜ正当性を与えているのか。私達の主張には証拠がある。客観的にならなければならない。パレスチナのプロパガンダを止めなければ。あなたは良い側にいるのか悪い側にいるのか、善か悪か、光と闇のどちら側か。あなたがどこに座ってどこに立っているのか決めてください。
私はあなたが今日着ている服の色をしっかり認識しています。だから私はあえて青と白の服を着ている。なぜならあなたが今夜意図的に緑や赤や黒をリスペクトして身につけているから。青と白が常に最後は勝つのです」
インド人の女性キャスターはあっけにとられながらもイスラエル側解説者に冷静に呼びかけた。
「フレデリック、宗教に基づいて色で分けるのはやめましょう。インドでも時々あることですがやめましょう」
そして番組を進行させパレスチナ側の解説者に話を振り、パレスチナ側解説者の話が終わる頃、イスラエル側が攻撃的に話に割り込んできたので、女性キャスターが今日の服装について反論を始めた。
「フレデリック、双方がお互いをプロパガンダだと非難しているから、私は二人の意見を聞きたかったんです。また、フレデリックに言っておくと、私が今夜着ている服はサリーで、私の祖母のものです。もし彼女が生きていたら、今日で105歳くらいになっていたでしょう。彼女はイスラエルとハマスの紛争が何なのか知らなかったし、このサリーは決してどちら側を支持するという意味ではありません。ガザで起きていること、病院への爆撃、約500人の死者は、単に犯罪的なことです。私が今着ているのは、単に祖母のサリーです。それ以外の意味はありません」
イスラエル側解説者はキャスターの話を聞いて「別の機会に着てください」と訴えた。
「フレデリック、あなたに私の着るものを選ばせたり、私の言うことを選ばせたりするつもりはありません。言うべきことは言うし、見たままの真実を話します。もちろん、真実にはさまざまなバージョンがあるでしょう。イスラエルから発信されるバージョンもあれば、ガザから発信されるバージョンもある。私たちはその両方を発信してきた。それが私たちのジャーナリスティックな義務なんです、フレデリック」
My Dear Departed Grandmother's Saree Upset My Guest From #Israel This Evening. For Once I Was At A Loss Of Words. 👇 pic.twitter.com/uxaEWiqUza— Shreya Dhoundial (@shreyadhoundial) October 18, 2023
Blue and White will prevail!#StandWithIsrael #HamasisISIS #Israel https://t.co/EEQTdm5LNN— Frederic Landau (@fredericlandau) October 19, 2023
以上はYouTubeの以下の動画のAI文字起こしを、BingAIで文節を区切らせ、DeepLで翻訳し、書いたものです。
Israel Hamas War: TV Anchor's Saree Upsets Israeli Guest during a Live debate, here is what happened - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=N3J7yqyMCKA
Israeli guest tells TV anchor wearing grandmother’s green and red saree to ‘save it for another occasion’ | The Independent
https://www.independent.co.uk/asia/india/mirror-now-host-india-frederic-landau-israel-b2432271.html
ant(アリ) aunt(叔母)
bear(クマ) bare(裸の・むき出しの)
break(壊す) brake(ブレーキ)
eye(目) I(私)
for(〜のために) four(4)
hear(聞く) here(ここ)
heel(かかと) heal(~を癒す)
meet(会う) meat(肉)
one(1) won(勝った)
our(私たちの) hour(時)
right(正しい・右) write(書く)
see(~を見る) sea(海)
tail(しっぽ) tale(物語)
two(2) too(〜も・〜すぎる)
wait(待つ) weight(重さ)
weak(弱い) week(週)
1位:YOASOBI「アイドル」
4位:NewJeans「Ditto」
5位:Hey! Say! JUMP「DEAR MY LOVER」
6位:新しい学校のリーダーズ「オトナブルー」
7位:imase「NIGHT DANCER」
8位:ano「ちゅ、多様性。」
9位:JO1「Tiger」
10位:NiziU「Paradise」
○ご飯
朝:なし。昼:玉ねぎ炒め。焼きそば。夜:だし豆腐納豆。ピーマンとシメジと玉ねぎのスープ。魚肉ソーセージ。ブルーベリーヨーグルト。間食:オーザック。豆菓子。ハチミツ味のポテチ。ばかうけ。(お菓子食べ過ぎ)
○調子
まあ休日だし許して欲しい。いや内臓に休日の概念はないし、許してくれないのだけれど。
・はじめに
陰気で友達が少ない女子高生のスバルと、その数少ない友人で正反対な陽気な性格のミスカの友情と断言しがたい歪な関係が、お人形さんの様と評される美少女転校生ルウの登場で変化していく様を楽しむノベルゲーム。
だけでなく、混沌が蔓延ってきて日常を侵略するホラー要素もあるのだけど、そちらは元ネタありきの展開が多くそういうものとしてふんわりとしか理解できる読んだので感想が特にないためこの一行以降はふれないことにする。
学校という閉じた人間関係と、思春期らしい自己の有りように悩む様とが、ある場面では丁寧に、別の場面では幻想的に描かれていて、この二点が文量の多くを占めている。
甘い恋愛的なイチャイチャする読んでいて楽しい気分になるシーンよりも、関係性に悩み他人を気遣うがあまり自傷的に自己言及を繰り返す辛くて悲しいエピソードが多め。
そんなこと一人で考えても答えは出ないし一生悩んだり楽観的になったりを繰り返すしかないよ、と大人になった今でこそ思うものの、自己と他者の関係性の有り様を悩む様は読んでていて共感する場面が多かった。
そんな辛い中でも食事のシーンは彼女達の悩みも何処へやらで舌鼓を打ってくれるので、夕飯の時間が待ち遠しくなったりもした。
陽気で友人が多く、テストの成績こそ悪いものの教師からの覚えもよく、容姿も可愛いと褒められ、前向きで良い子なミスカ。
しかし、スバルの方はミスカから向けられる好意を素直に受け止めない。
それどころか、些細な表現や物言いをどんどん悪意を膨らませてしまうスバルの生き方は苦しそうだった。
ミスカの一人称と、スバルの一人称を行き来することになるのだけれど、二人はすれ違い続ける。
ミスカは衒いがあるわけでなく、本当にただの根明で、楽しいことが好きなだけの普通の子。
ところがスバルはどこからでも悪意を見つけ、彼女の好意を受け取ろうとしない。
この関係値の噛み合わなさは読んでいて本当に辛かった。
ミスカが友情でなく恋愛としても惹かれていて、その理由もスバルの言う悪意のあるものでないにも関わらず、それが本当に一切伝わらない。
誕生日にケーキをご馳走するという、善意100しか考えられない行為ですら、スバルは穿ったものの見方をし、ミスカからの気持ちを真っ直ぐ受け止めない。
ペットボトルの回し飲みでミスカが間接キスにドキドキするも、スバルは喉が渇いたとしか思っていないシーンなんかは、もう読んでて可哀想だった。
空回りするミスカの好意が、物語的な意味でも何も前進させないのも読んでいてしんどかった。
献身的にスバルに尽くすミスカと、自分の内面世界のことでいっぱいなスバルのすれ違い。
スバルが素直になれば、開幕5分でハッピーエンドまっしぐらなぐらい、ミスカの好きは真っ直ぐで一貫してるのがもどかしい。
そして何よりスバルの素直な気持ちはミスカではなく、転校生のルウに向けられてしまう。
そんな端的に言ってしまうと性格が悪いスバルが、海外から転校してきたルウと交流することで変わっていく。
ルウは箸の使い方を知らず、麻婆豆腐や唐揚げやメロンパンを食べたことがない程に無垢な存在。
危うげというわけではなく思慮深いのだが、学校という枠組みからは大きく外れたような物言いもする。
そんな無垢さがスバルの悪意増幅センサーを回避するのか、ミスカからの好意を悪意に変換し距離を置こうとしていたのとは対象的に、ルウとはドンドン距離を詰める。
ミスカの好意が一方的なものだったのに対して、スバルの好意はルウに受け止められ、スバルとルウはドンドンと関係を深めていく。
ルウの方も、スバルのことを深く知りたい、会話したいと甘えるように距離を詰める。
手繋ぎデート、夕飯を一緒に作るなどの高校生らしいそれもあれば、添い寝や過激なスキンシップなどもあり、CERO Cとしてはそれなりに攻めたシーンも。
ルウとスバルがイチャイチャすればイチャイチャするほどに、ミスカは空回り続ける。
こうなっても客観的にはミスカはオカシイことをするわけではなく、ひたすらに良い子なのが可哀想さが増す。
ミスカは僕が先に好きになったのにと反転するでもなく、転校生の面倒を見れるスバルの成長を喜ぶ良い子なのだ。
ミスカからの好意は悪意に変換するのに、ルウからの好意はそのまま受け止めるのか。
ということは、スバルの精神世界を幻想的に描くシーンで抽象的に描かれる。
まだ人権の概念が無く子供を産むことだけが女性の価値であった時代を生きていたとある女性のエピソード、他人がおらず四季の移ろいをただ楽しむだけの世界などの、夢のエピソードと共にスバルの内面がゆっくりと掘り起こされていく。
一人で無限に牛乳と果実を食べ続ける生活が示唆するスバルの本音は、納得できるところもあったが、だからと言ってミスカの可哀想な空回りが救われるわけではない。
ここが本作の賛否別れる大きな箇所だろう。
スバルにはスバルなりの理由があるとはいえ、ミスカの気持ちはどうにもならないのは、正直僕はあまり好みではなかった。
あんなにも根っからスバルのことが好きで純粋にそのために良いことだけをして来たミスカが、フラれるとか、恋愛対象として見れないとかじゃなく、嫌われるのは、辛い。
ただこのミスカの好意の空回りの先が知りたい気持ちの牽引力は凄く、楽しいとか面白いではない、マイナス方面の感情で読ませる物語はよく出来ていた。
・さいごに
スバルを好きだけど見向きもされないミスカの空回りと、スバルとルウのイチャイチャという三角形の一辺が欠けた歪な関係に着目して感想を書いた。
ミスカの一人称ではスバルのことが大好きで一生懸命善意で良いことをする前向きさが、
ルウの無垢さに惚れていく展開は、辛いけど読み進める手が止まらなかった。
ミステリやコメディといったわかりやすいハッピーエンドが好きなので、好みとは大きく異なっていたが、終わってみるとコレはコレで好きな作品だった。
切なくて儚い作品なんて他にもいくらでもあるはずなのだが、どうしても何か急に夜寝るために横になっているとあの作品群の世界観がばっと頭に広がりなんとも言えない気持ちで胸が締め付けられる感じになる。
漫画やアニメなんて知れば知るほど蓄積されていくというよりは単に最近見ている作品が一番印象に残るようになっていて前に見ていた作品は古い方から順次忘れ去っていくものだと思っていた。
だがあの作品群のきらめきは今なお私の中で色あせておらずふとしたときにフラッシュバックとして鮮やかにその世界に浸っているときの感情が蘇ってくる。
恋愛というのが一生のパートナーを見つけるための品定め的な側面がある一方で、漫画アニメというのは死ぬまで手当り次第いろんなものに口をつけていくのが当たり前だと思っていたが、もうこの作品群と「結婚」してもいいんじゃないかと思った。
今までいろんな作品を漁ってきたのは恋愛がそうであるのと同様この人生のパートナーを見つけるためのものでしかなかったんじゃないかなと思わされるぐらいにこの作品群は自分の心の中で特別な位置づけを保っているように思われる。
そういう人は他にも一定数いるのだと思うが、私含めそのような人はなぜ他にも一見すると多数の類似作品があるなかで藤原ここあの作品群に惹かれるのかうまく言語化できずもやもやする。
彼女の描くストーリーは切なくて儚くて、幻想的できらきらしている。人間模様の描き方が特殊である気もする。
しかしこうやって書いてみても私が言葉で表す限りは通り一遍で、明らかに他の類似作品との唯一性が抽出出来ていない。特殊であるとはどう特殊であるのか具体的には言えない。
犬僕は時間の重層性がキーだろうがそんなことよりも自分はdearの小桃と男との掛け合いがなんとも愛おしく思う。それはなぜなのか。
dorawiiより
英語学習でよく言われる「直読直解」「英語で英語を理解する」というのはネイティブみたいに理解できるかといえばそんなことは全くなくて
単に「英語を読む→日本語に置き換えて理解する」を高速でやってるだけにすぎない
日本生まれ日本育ちの我々が本当に英語で英語を理解するなんてことは土台無理で、日本語をインストールしたが最後、日本語的思考から離れられなくなってしまう
だからこそ2020年に菅総理がトランプに向けて見舞いのツイートを送ったとき、アメリカ在住歴数十年の日本人や、東大卒の研究者、翻訳家や予備校講師たちがこぞってこの簡単な英文を誤読した
Dear President Trump, I was very worried about you when I read your tweet saying that you and Madam First Lady tested positive for COVID-19.
彼らの言い分はこうだ:I was very worriedと過去形にすると現在は心配していないことになって失礼だ
彼らはこの言い分をもとに菅総理に非難を浴びせかけ、中でも人気駿台講師田中健一氏(ツイッターフォロワー約2万人)は「国交断絶の可能性すらある」と厳しく非難した
しかしその後の報道やネイティブスピーカーたちの反応から周知の通り、英文には間違いがなかったのである
デーブ・スペクター氏 菅首相の英文ツイートは「問題ない」けど「オチがない」
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1602138662/
「ツイートを読んだとき心配しました」という文面を見て、「じゃあ今は心配してないのか」といちゃもんを付ける根性の悪さは百歩譲って見逃そう
しかしそれはあくまで日本語のロジックであって、英語には英語のロジックがある
英語ネイティブによれば、「そのとき心配したと言っているだけで、今心配しているかどうかは話題にしてないため全く失礼ではない」のだ
ところが、英語を英語で理解しているはずの上級者たちはこんな簡単な英文すら読めなかった
これは上級者であっても日本語ベースで理解しているに過ぎないことの決定的な証左である
もう一つ残念なことは、菅総理に非難を浴びせた英語上級者たちは、ネイティブから「間違いではない」と指摘されても、無視したりはぐらかし続けて決して誤読を認めようとしなかったことだ
当時のツイートを遡れば分かるが、それはもう醜悪の極みとも言うべきものだった
英語ができるキャラで売っている手前、何千人ものフォロワーの前で「自分はこんなにも簡単な英語を誤読しました」と自白することはプライドが許さないのだろう
それに「菅総理が間違っている」と言い続ければ、とにかく総理を批判できればいいという層からの支持は得られる、そんな打算もあったのではないか
この件は3年前ということもありすでに記憶から薄れている人も多いと思うが、大して英語もできないくせにいっちょ前にプライドだけ肥大した日本の英語上級者たちは猛省すべきである。
海外の問い合わせのメールが来たときにもう超絶面倒くさくって、
『超絶面倒くさい列伝』第1巻の巻頭カラー6ページ目の冒頭で出てくる面倒くささナンバーワン選手権でいきなり優勝!ってぐらいなレヴェルで
そうよそう!
GPT-4ちゃんのおかげで海外返信も楽しくなっちゃったから笑っちゃうわ!
で!
GPT-4ちゃんはもちろん世界中の言葉をちゃんと分かってるみたいなので、
今回はそのGPT-4ちゃんの実力をまた試すためにちょうどいいフランス語でメールがやって来たの!
もうさ結果から言うと、
また流暢にこっちの意図する内容を返信を箇条書きにして教えてあげると返信文をフランス語でさらさら書いてくれるので、
一応疑って悪いけど
対訳してみてもいい感じだったからそのままお客さんに送っちゃったわ。
すごい勉強になったのは
そのままGPT-4ちゃんに訊いたら多分女性かも!って教えてくれるし、
そんでメールの書き出しはDearだけどフランス語はどうするの?って訊ねたら、
ボンジュールで名前を付け加えたらいいよ!って教えてくれるのよ。
なんでもDearの男性用女性用の言い方はあるらしいんだけど、
どっちか分からないときはボンジュール!でいいよって言ってくれるから
もう細かいこと冒頭の1行目で訳を考えるのが大変!って事態が全くなくなっちゃったわ!
あともう私が何度調べてもグーグルでいかがでしたか系の記事しか出てこなくて効率が悪い調べる調査で毎回毎回なのが
もうさ、
捗りまくりまくりすてぃー!で思わずニッコリ山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃうぐらいなのよ。
いろいろといまやGPT-4ちゃんの使い方の記事がウエブで上がってるけど、
最近は最初はグーでお馴染みのグー検索や一番有名どころであろうグーグルでいきなり調べるよりも
検索してかーらーのーって
そこで知りたいことが完結にまとまって教えてくれるから、
なので、
『超絶面倒くさい列伝』を全巻読んでしまってから取りかかっていたんだけど、
もうGPT-4ちゃんがいるから率先してやっちゃいたいぐらいなのよね。
そんで笑っちゃうのがってもうGPT-4ちゃんで捗りすぎて笑っちゃうんだけど
付加価値税らしく日本で言う消費税みたいなものでまた関税とは別みたいなのよね。
TVAっててっきり普通に関税のこと言ってるのかしら?って思いがちじゃないガチで。
掘り下げて聞いてみたら付加価値の中でも4段階の税率があるみたいで、
せいぜい軽減税率かどうかの8か10パーセントでしょ?日本は。
そんで、
フランスの高速鉄道の名前でTVAみたいなのなんだっけ?って訊いたらもちろん真顔で「TGV」って答えてくれて、
ボケに対して真顔で返信してくれるGPT-4ちゃん凄いなぁって思ったわ。
マジでも海外メール面倒くさかったのが逆に楽しくなっちゃったわよ。
どんどんこいってもんよ!
捗るわー。
うふふ。
少し温めると美味しくなるって事を最近気付いたわ。
追いレモンのマジレモン切ったやつをグラスに入れて炭酸注ぎ込むタイプね。
夜中寒いと目が覚めがちだけど、
本当に春なのかも知れないわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
The Sacrament—and the Sacrifice
Of the Quorum of the Twelve Apostles
I pray for your faith and prayers that my utterances will be received and understood “by the Spirit of truth” and that my expressions will be given “by the Spirit of truth” so that we might all be “edified and rejoice together.” (See D&C 50:21–22.)
As I stand here today—a well man—words of gratitude and acknowledgment of divine intervention are so very inadequate in expressing the feelings in my soul.
Six months ago at the April general conference, I was excused from speaking as I was convalescing from a serious operation. My life has been spared, and I now have the pleasant opportunity of acknowledging the blessings, comfort, and ready aid of my Brethren in the First Presidency and Quorum of the Twelve, and other wonderful associates and friends to whom I owe so much and who surrounded my dear wife, Ruby, and my family with their time, attention, and prayers. For the inspired doctors and thoughtful nurses I express my deepest gratitude, and for the thoughtful letters and messages of faith and hope received from many places in the world, many expressing, “You have been in our prayers” or “We have been asking our Heavenly Father to spare your life.” Your prayers and mine, thankfully, have been answered.
One unusual card caused me to ponder upon the majesty of it all. It is an original painting by Arta Romney Ballif of the heavens at night with its myriad golden stars. Her caption, taken from Psalms, reads:
“He healeth the broken in heart, and bindeth up their wounds.
“He telleth the number of the stars; he calleth them all by their names.
“… His understanding is infinite.” (Ps. 147:1, 3–5.)
As I lay in the hospital bed, I meditated on all that had happened to me and studied the contemplative painting by President Marion G. Romney’s sister and the lines from Psalms: “He telleth the number of the stars; he calleth them all by their names.” I was then—and continue to be—awed by the goodness and majesty of the Creator, who knows not only the names of the stars but knows your name and my name—each of us as His sons and daughters.
“When I consider thy heavens, the work of thy fingers, the moon and the stars, which thou hast ordained;
“What is man, that thou art mindful of him? …
“For thou hast made him a little lower than the angels, and hast crowned him with glory and honour.” (Ps. 8:3–5.)
To be remembered is a wonderful thing.
The evening of my health crisis, I knew something very serious had happened to me. Events happened so swiftly—the pain striking with such intensity, my dear Ruby phoning the doctor and our family, and I on my knees leaning over the bathtub for support and some comfort and hoped relief from the pain. I was pleading to my Heavenly Father to spare my life a while longer to give me a little more time to do His work, if it was His will.
While still praying, I began to lose consciousness. The siren of the paramedic truck was the last that I remembered before unconsciousness overtook me, which would last for the next several days.
The terrible pain and commotion of people ceased. I was now in a calm, peaceful setting; all was serene and quiet. I was conscious of two persons in the distance on a hillside, one standing on a higher level than the other. Detailed features were not discernible. The person on the higher level was pointing to something I could not see.
I heard no voices but was conscious of being in a holy presence and atmosphere. During the hours and days that followed, there was impressed again and again upon my mind the eternal mission and exalted position of the Son of Man. I witness to you that He is Jesus the Christ, the Son of God, Savior to all, Redeemer of all mankind, Bestower of infinite love, mercy, and forgiveness, the Light and Life of the world. I knew this truth before—I had never doubted nor wondered. But now I knew, because of the impressions of the Spirit upon my heart and soul, these divine truths in a most unusual way.
I was shown a panoramic view of His earthly ministry: His baptism, His teaching, His healing the sick and lame, the mock trial, His crucifixion, His resurrection and ascension. There followed scenes of His earthly ministry to my mind in impressive detail, confirming scriptural eyewitness accounts. I was being taught, and the eyes of my understanding were opened by the Holy Spirit of God so as to behold many things.
The first scene was of the Savior and His Apostles in the upper chamber on the eve of His betrayal. Following the Passover supper, He instructed and prepared the sacrament of the Lord’s Supper for His dearest friends as a remembrance of His coming sacrifice. It was so impressively portrayed to me—the overwhelming love of the Savior for each. I witnessed His thoughtful concern for significant details—the washing of the dusty feet of each Apostle, His breaking and blessing of the loaf of dark bread and blessing of the wine, then His dreadful disclosure that one would betray Him.
He explained Judas’s departure and told the others of the events soon to take place.
Then followed the Savior’s solemn discourse when He said to the Eleven: “These things I have spoken unto you, that in me ye might have peace. In the world ye shall have tribulation: but be of good cheer; I have overcome the world.” (John 16:33.)
Our Savior prayed to His Father and acknowledged the Father as the source of His authority and power—even to the extending of eternal life to all who are worthy.
He prayed, “And this is life eternal, that they might know thee the only true God, and Jesus Christ, whom thou hast sent.”
Jesus then reverently added:
“I have glorified thee on the earth: I have finished the work which thou gavest me to do.
“And now, O Father, glorify thou me with thine own self with the glory which I had with thee before the world was.” (John 17:3–5.)
He pled not only for the disciples called out from the world who had been true to their testimony of Him, “but for them also which shall believe on me through their word.” (John 17:20.)
When they had sung a hymn, Jesus and the Eleven went out to the Mount of Olives. There, in the garden, in some manner beyond our comprehension, the Savior took upon Himself the burden of the sins of mankind from Adam to the end of the world. His agony in the garden, Luke tells us, was so intense “his sweat was as … great drops of blood falling … to the ground.” (Luke 22:44.) He suffered an agony and a burden the like of which no human person would be able to bear. In that hour of anguish our Savior overcame all the power of Satan.
The glorified Lord revealed to Joseph Smith this admonition to all mankind:
“Therefore I command you to repent …
“For … I, God, … suffered … for all, that they might not suffer if they would repent; …
“Which suffering caused myself, even God, the greatest of all, to tremble because of pain, and to bleed at every pore, …
“Wherefore, I command you again to repent, lest I humble you with my almighty power; and that you confess your sins, lest you suffer these punishments.” (D&C 19:15–16, 18, 20.)
During those days of unconsciousness I was given, by the gift and power of the Holy Ghost, a more perfect knowledge of His mission. I was also given a more complete understanding of what it means to exercise, in His name, the authority to unlock the mysteries of the kingdom of heaven for the salvation of all who are faithful. My soul was taught over and over again the events of the betrayal, the mock trial, the scourging of the flesh of even one of the Godhead. I witnessed His struggling up the hill in His weakened condition carrying the cross and His being stretched upon it as it lay on the ground, that the crude spikes could be driven with a mallet into His hands and wrists and feet to secure His body as it hung on the cross for public display.
Crucifixion—the horrible and painful death which He suffered—was chosen from the beginning. By that excruciating death, He descended below all things, as is recorded, that through His resurrection He would ascend above all things. (See D&C 88:6.)
Jesus Christ died in the literal sense in which we will all die. His body lay in the tomb. The immortal spirit of Jesus, chosen as the Savior of mankind, went to those myriads of spirits who had departed mortal life with varying degrees of righteousness to God’s laws. He taught them the “glorious tidings of redemption from the bondage of death, and of possible salvation, … [which was] part of [our] Savior’s foreappointed and unique service to the human family.” (James E. Talmage, Jesus the Christ, Salt Lake City: Deseret Book Co., 1977, p. 671.)
I cannot begin to convey to you the deep impact that these scenes have confirmed upon my soul. I sense their eternal meaning and realize that “nothing in the entire plan of salvation compares in any way in importance with that most transcendent of all events, the atoning sacrifice of our Lord. It is the most important single thing that has ever occurred in the entire history of created things; it is the rock foundation upon which the gospel and all other things rest,” as has been declared. (Bruce R. McConkie, Mormon Doctrine, Salt Lake City: Bookcraft, 1966, p. 60.)
Father Lehi taught his son Jacob and us today:
“Wherefore, redemption cometh in and through the Holy Messiah; for he is full of grace and truth.
“Behold, he offereth himself a sacrifice for sin, to answer the ends of the law, unto all those who have a broken heart and a contrite spirit; and unto none else can the ends of the law be answered.
“Wherefore, how great the importance to make these things known unto the inhabitants of the earth, that they may know that there is no flesh that can dwell in the presence of God, save it be through the merits, and mercy, and grace of the Holy Messiah, who layeth down his life according to the flesh, and taketh it again by the power of the Spirit, that he may bring to pass the resurrection of the dead, being the first that should rise.
“Wherefore, he is the firstfruits unto God, inasmuch as he shall make intercession for all the children of men; and they that believe in him shall be saved.” (2 Ne. 2:6–9.)
Our most valuable worship experience in the sacrament meeting is the sacred ordinance of the sacrament, for it provides the opportunity to focus our minds and hearts upon the Savior and His sacrifice.
The Apostle Paul warned the early Saints against eating this bread and drinking this cup of the Lord unworthily. (See 1 Cor. 11:27–30.)
Our Savior Himself instructed the Nephites, “Whoso eateth and drinketh my flesh and blood unworthily [brings] damnation to his soul.” (3 Ne. 18:29.)
Worthy partakers of the sacrament are in harmony with the Lord and put themselves under covenant with Him to always remember His sacrifice for the sins of the world, to take upon them the name of Christ and to always remember Him, and to keep His commandments. The Savior covenants that we who do so shall have His spirit to be with us and that, if faithful to the end, we may inherit eternal life.
Our Lord revealed to Joseph Smith that “there is no gift greater than the gift of salvation,” which plan includes the ordinance of the sacrament as a continuous reminder of the Savior’s atoning sacrifice. He gave instructions that “it is expedient that the church meet together often to partake of bread and wine in the remembrance of the Lord Jesus.” (D&C 6:13; D&C 20:75.)
Immortality comes to us all as a free gift by the grace of God alone, without works of righteousness. Eternal life, however, is the reward for obedience to the laws and ordinances of His gospel.
I testify to all of you that our Heavenly Father does answer our righteous pleadings. The added knowledge which has come to me has made a great impact upon my life. The gift of the Holy Ghost is a priceless possession and opens the door to our ongoing knowledge of God and eternal joy. Of this I bear witness, in the holy name of Jesus Christ, amen.
アイドルマスターSideMは救済、よく聞く言葉だ。
実際私もFRAMEの楽曲に人生を救われたクチなのでとても分かる。
しかし、自らが想像もしていなかった曲に救われた、いや、もっとささやかな気づきだが、そんな出来事があったのでここに記そうと思う。
なお、読む方へ。私はこのような文章を書くのに慣れていないので、至らない、誤解を生じる表現があるかもしれない。衝動で書いている自分語りだ。はてな匿名ダイアリーを使うのも初めてだ、改行が分からない。後でヘルプを見て編集しよう。
よくある『SideM救済曲リスト』で見たことのない曲なのだ。びっくりだよ。
都築さんのストーリー、そして声優さんの歌の技量も相まってこう……とても美しくてエモーショナルな曲だと思う。大好きな曲だ(二回目)
でも救済曲か? 少なくとも私にはその印象はなかった。今朝までは。
音楽が人を救うのは、その内容が、聴く人間の状況によると思う。寄り添う、背中を押す、隣を歩く。音楽は様々な形で、人々のそばにいてくれる。
この曲に救われた経緯を説明するには、「救われた」私の状況も説明しなければならない。簡単にいこう。
大好きな友人と喧嘩をした。喧嘩と言えるかはわからないが、たぶんそうだろう。
詳細は省くが、私の軽率で感情的な発言が原因だろうと思っている。
心はふさぎ込んだ。食欲もなくなる、なにをするにも億劫になる。ただ仕事から帰ってすぐ眠りについた。
頭の中にめぐる色々な種類ものを言語化することはできなかった。後悔、怒り、悲しみ、そんな単語だけで表現するにはあまりにも複雑だと、私は思った。
朝が来る。のろのろと支度をして通勤電車に乗る。
車窓越しに差す朝日を薄眼で眺めながら、惰性でランダムで流す数百曲のプレイリストの中から『Sanctuary World』が再生される。
そのメロディを聴きながらふと思ったのだ。
私の心は音楽のようだ、と。
自らが聴こえる楽曲を、聴いていない相手に口頭で描写できるだろうか。私はできない。
(曲のジャンルにもよるが)複数の楽器が各々音色と音階を、リズムを伴って、重なっている。
心も同じなのではないだろうか。思考と感情は様々な様相で同時並行で走り、そして形作られたものが私なのだ、そう思った。
この感覚を、読んでいるあなたに十全に伝えることができないのがもどかしい。
注釈として、私は若干の共感覚を持っているのだろうか、音楽にはほんのり色と形が見える人間だ。
また、私は音楽に対する感受性が強い。普通にコンサートで号泣するタイプだ。
何にせよ、私が『Sanctuary World』を通して救われた、というか、少し心が軽くなった、そんな話だ。
もしかしたら他の曲を聴いているときに、このことを思ったのかもしれない。
しかし、『Sanctuary World』の歌詞はこんな言葉で締めくくられているのだ。
Appleがゴミみたいなレビューで会社のアプリをリジェクトしてきた。
「Specifically, your description includes Android references.」
だって。
アプリの説明にはAndroidなんて単語は全くでてこないのに!
念の為アプリの中身も調べたが、確かにAndroidという単語は文字列としてアプリに含まれるが、それはユーザーには見えないところにあるので問題ないはずだった。
そう思って返信してやろうと思ったけどうまく書けない。
直接的な物言いは出来るけど、ちゃんとビジネスマナーに沿って書かないとリジェクトいじめされそうだし。
そこでChatGPTで聞いてみた。
「Please write a reply to Apple, who wrongly rejected my company's iOS app because "Specifically, your description includes Android references," while it doesn't.」
するとこう答えが帰ってきた。
Dear App Review Team at Apple, Thank you for taking the time to review our app submission. We apologize for any confusion, but our app description does not include any references to Android. We have carefully checked the text and are unable to find any mention of Android or any other competing platform. We request that you please reconsider your decision and approve our app for the App Store. If you have any further concerns or questions, we would be happy to address them. Thank you for your assistance. Sincerely, [Your Name]
はあああ便利!
「any other competing platform」にも言及してるのがスゴイね。ちゃんとAppleの審査に対する回答だって分かってるんだ。
初めてChatGPTが便利だと思えたわ・・・。
[Your Name]を自分の名前にしてあとはそのまま送信した。
もちろん1つは性別でえこ贔屓する意思を表に晒したこと。ま、これだけで致命的なんだけど。
「女子学生さんですよね?」としょっぱなに書いているということは、100%の確信がもてない状況だったにもかかわらず、さらに「念のため」みたいなことを言って無理矢理自分自身に確信をもたせるという無意味な納得をしている。確信がないなら、その後は書かずに、まずは性別の確認だけでもすればいいのに。
自分は性別で態度を変えるようなことは意識してやらないようにしているつもりだが、それでも慣習として○○君と○○さんの使い分けをした方がよさげなときがあって、本気で必要なら調べてた。
でもめんどくさいので、このごろは、絶対男だろって場合も「さん」で統一するようにしてる。この方が平和だし気持ちも楽だわ。
あと、英語でメール書くときがめんどくて、Prof. とか Dr. とかつければいいときはいいんだけど、そうじゃないときの Ms., Mr. がめんどい。M. なんてのもあるらしいが見た目が悪い。というわけで、こっちが日本人なのをいいことに、Dear ○○-san, ○○-sensei, みたいにしちゃう。楽しようぜ。
https://anond.hatelabo.jp/20220504162730 の続き
異性姦おじさん(同上)
SExtreme Hearts(Extreme Hearts)
邪チンちゃんドロップファックSEX(邪神ちゃんドロップキックX)
#1 マンコに留まろう
#2 フジさんとシに行こう!!
#3 膣穴(あな)でスるということ
#4 オナったあとのお楽しみ!
#5 こうスる、膣穴(あな)ない!
#6 好きな娘とスるために
#7 包茎(カワ)ノススメ?
#8 素股で思い出を
#9 初めまして、フジさん
#11 もう、ヤった!!
#14 お母さんと四十八手!
#15 性具の記憶~ねえ、ゆか。今ゆかでしてるの?
#16 思いを着床(うけ)ついで
#17 ヒワイことて、平気?
#19 宿便でオナれないよぉ
#21 思い出のマラへ
#22 ともだちとヤろ?
#23 ヤル即
iPodがなくなるときいて当時作ったプレイリストなどを懐かしみつつ選んでみました。
1人1曲で選んでみたものの、上位は曲を選ぶのがとても難しかった。
自分の中では、一番この曲が好きというより、この人の歌が全般的に好きという感じで、なんとなく聞いている。
ラジオか何かで聞いて、上手い!って思った。
こんな感じで生きていきたい
でも、ほんとは、ほんとはfourty-five
Electro Swingみたいな古い雰囲気の曲を今風にというジャンルを、この頃好きになったのかもしれない。
アニメ自体はそれほどでもなかったが、エンディングの曲が好きで見てた。
経緯を何も覚えてないけど、なぜかアルバム1枚持っていて好きな曲。
関西弁の曲として有名?
チュチュッチュ〜。
当時好きだった人がこれ良いよって贈ってくれたCD。
失恋した時、こんな感じだった。
あの人みたいになりたい、ではなく、自分なりの方法で辿り着いたって歌詞が好き。
2000年代になって藤川球児が使ったことでリバイバルした記憶があるが、ポップな曲の方が好き。
この曲で知って、これが一番好きなままだった。バンド解散後のボーカルYUKIのソロも好きな曲が多い。
魔法陣グルグルで使われた曲のメロディで歌詞が結婚式バージョンのもの。最近も曲を出していて、Wakaiiという曲が良かった。
ラジオで聞いて好きになった。何年か後に、ゴブリンに苦戦する冒険者のアニメの音楽で同じ声をきいた時は驚いた。
「待ち合わせたレストランはもうつぶれてなかった」を実感するのは東京に出てきた後だった。
Crystal Sceneryという一人アカペラの多重録音のCDに入ってるバージョンが好き。
ギリギリ平成。買ったCDを取り込む際の曲名に、間違ってこのアーティスト名が出てきたのを検索して知った。
当時は共感した歌詞だが、最近は惰性で生きるのも悪くないなと思ってる。
メジャーデビューの頃から、大きく路線変更してインディーズで出た曲が名曲だった。
アルバムの中の一曲で特に有名でもないと思うが、Bonnie Pinkがピンク色を冠した曲。
川本真琴は1990年台が有名だけど、2010年代の曲もとても良いです。
3拍子の曲。迷走から脱したとても良いアルバムだと思ったら最後になってしまった。
初めて買ったCDはZARDの『TODAY IS ANOTHER DAY』だった。
親愛なるYouTubeチーム
毎日YouTubeを楽しんでいますが、特に "ゆっくり動画 "が好きです。
"ゆっくり動画 "とは、日本文化のシャイネスとハイコンテクストをベースに、ゲームキャラクターの頭部を模したインターネットミームを機械音声「AquesTalk」で喋らせ、様々な話題を説明するスタイルの動画です。ゆっくり動画をアップロードしているチャンネルは、例えば以下の通りです。
https://youtube.com/c/%E4%BF%BA%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2ch
https://youtube.com/channel/UCrAzV_6tAH_igG9nYbJvwMg
https://youtube.com/channel/UC2exxvhAv4LK3RZg4vKH-GA
このスタイルの動画は、日本ではコアな人気を博しています。しかし、最近、私の好きなゆっくり動画チャンネルが、収益化の停止により、活動停止や路線変更を余儀なくされることが多くなっています。
アップロード者が動画内で機械音声ソフト「AquesTalk」を使用している場合、YouTubeのアルゴリズムが不当に大量コピーされた動画と判断することがあると聞いたことがあります。AquesTalkの機械音声技術は、ゆっくリ動画には欠かせないものですが、それが原因で削除の対象になった優良動画も少なくないそうです。
アップロード者が自分の声を使えばいいじゃないか」と思う人もいるかもしれませんが、ゆっくり動画のキャラクターとAquesTalkの声は切っても切れない関係にあり、日本のインターネットの一角の文化として定着しているのです。
AquesTalkを使って作られた多くのゆっくり動画は、決してスパムでも価値のないものでも、大量生産されたものでもありません。そして何より、私はゆっくり動画の持つ知的な文化が好きなのです。動画削除ボットのミスで、この文化が消えてしまうのは嫌です。この意見が親愛なるYouTubeチームに届くことを心から願っています。
I am anonymous lives in Japan.
I’m enjoying YouTube everyday and I especially like "Yukkuri videos".
“Yukkuri videos" are a style of video based on the shyness and high context of Japanese culture, in which Internet memes with the appearance of video game characters' heads are made to speak with a machine voice “AquesTalk” and explain various topics. The following channels upload Yukkuri videos, for example
https://youtube.com/c/%E4%BF%BA%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2ch
https://youtube.com/channel/UCrAzV_6tAH_igG9nYbJvwMg
https://youtube.com/channel/UC2exxvhAv4LK3RZg4vKH-GA
This style of videos have gained core popularity in Japan. Recently, however, a number of my favorite Yukkuri video channels have been forced to cease their activities or change course due to the suspension of monetization.
I have heard that if the uploader uses "AquesTalk" machine audio software in the video, YouTube's algorithm may determine that the video has been unfairly mass-copied. AquesTalk's machine voice technology is essential for Yukkuri videos, but many good videos have been subjected to deletion because of it.
Some people may think, "Why don't the uploaders just use their voice for themselves?” but the characters of the Yukkuri Video and the voice of AquesTalk are inseparably linked and have become a part of the culture of a corner of the Japanese Internet.
Many Yukkuri videos made using AquesTalk are by no means spam, worthless, or mass-produced. And most of all, I like the intellectual culture of Yukkuri videos. I don't want this culture to disappear because of a video deletion bot's mistake. I sincerely hope that this opinion reaches dear YouTube team.
普段は寮なんだけど、俺のカレッジ(ユニバーシティのなかにカレッジがいくつもある感じ)の寮は古くて寒くて暗かったし、家族とか彼女が遊びに来ることもあったからメイフェアにフラットを借りて休日とか長期休みにはそこで過ごしてた。帰国するほどの時間はない休日にカレッジと寮の友人を誘ってそこで茶会を開いた。茶会って言っても紅茶ときゅうりサンドイッチ、スコーン、あと意外にファンが多かった日本のポッキーとか用意するだけの簡単なやつ。
それでたまたま同じ日にメイフェアのホテルと百貨店に女王陛下が来ると知って、冗談で招待状を書いた。冗談って言っても「Dear Her Majesty the Queen」の書き出しからちゃんと書いた。手紙には「皇太子殿下(今の陛下ね)が留学中に殿下に良くしてくださって日本人として感謝申し上げます」、という内容を添えた。イギリスでは国民が王室に手紙を出したりプレゼントを送ったりすることが普通にあるのでそういうのを担当している王室の事務所(日本の宮内庁と違って政府から独立してる)に出した。
もちろん女王陛下が直接来るとは思ってなかったし、返事すら来ないと思ってたけど、返事が来て感動したなぁ。返事には女王陛下と王配殿下はあなたの招待にとても感謝しているが、残念ながら行くことはできないということと、皇太子殿下と交流したことはとても良い思い出であり、今も日英関係のために尽くしてくれていることを感謝しているという内容だった。