はてなキーワード: 子供とは
○選シリーズも下火になってきたところで投下するよ。
元ネタ1:
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
元ネタ2:
https://anond.hatelabo.jp/20241026213447
最初はファミコンだけで10選を作ろうとしたけど、方針を変えた。なぜならファミコンの初期にはアーケードからの移植作が多く、それらはどちらかというとアーケード作品として評価すべきだからだ。
ついでに他のハードも含めて、同時代のコンピュータゲームすべての中から選出することにした。なおシリーズ物は一作のみとする。ゲーム史のカンブリア紀におけるレジェンド級の作品を見て行こう。
アメリカのアタリ社が開発し、世界で初めて商業的に大ヒットをしたゲーム。コンピュータゲームが一大産業として成立する道を開拓し、これをきっかけとしてアメリカでアタリの時代が花開くことになる。
日本では翌年にタイトーとセガがポンのコピー品を作り、これが日本初のゲームとなった。
アタリのヒット作第二弾。いわゆるブロック崩し。これのリメイク版にあたるのがアルカノイドで、現代に至るまで古典的なゲームの一つとして知られている。
日本ではタイトーとナムコが正規のライセンスを持って生産していたが、それ以外にも日本の多数のメーカーがこれを模倣したようなゲームを作り、のちに日本のゲーム産業が花開くきっかけとなった。
いまでは有名なメーカーが、正規のライセンスもなしにコピー品を作っていたという、大らかな時代でもあった。後にタイトーが、これをもとにスペースインベーダーを作ることになる。
初の日本のメーカーによるオリジナルの大ヒット作であり、日本で初めて社会現象を巻き起こしたゲーム。それまでゲームに縁のなかった日本のお茶の間にまで、コンピュータゲームを知らしめた作品。
日本のアーケード史上最大のヒット作といわれ、喫茶店やスナックのテーブルがこのゲームのテーブル型筐体に置き換えられるほどだったという。
数が減るごとに動きが速くなる敵、敵がこちらを攻撃してくる緊張感、たまに出現して撃ち落とすとボーナスの入るUFOなどアドレナリンの分泌を促す仕掛けが満載で、ゲームの面白さの本質が詰まっている。
単独のゲームソフトではないが、シリーズまとめてランクインとする。
初の大ヒットした携帯ゲーム機で、特に低年齢層を中心に爆発的にヒットした。当時のゲームセンターは不良の溜まり場で子供には出入りしにくく、据え置きの家庭用ゲーム機もあったが値段が高く、
そんな中で比較的安く買えてどこでも手軽に遊べるゲーム&ウオッチは子供向けのゲーム機としてうってつけであった。
横井軍平の代表作の一つであり、シャープと提携して電卓の技術で作られた玩具。この横井軍平とシャープのタッグは、のちにゲームボーイを生み出すことになる。
ナムコの躍進のきっかけとなった作品にして、日本のアーケードの大ヒット作第二弾。
敵の種類ごとに異なる思考アルゴリズム、敵との強弱関係を逆転させるパワーエサ、緊張を緩めるコーヒーブレイクなどゲームを飽きさせない工夫が随所に施され、その工夫の数々は多くのクリエイターに影響を与えた。
日本のみならずアメリカでも大ヒットを飛ばし、日本のゲームが世界で通用することを知らしめた。80年代のゲームの中心地がアメリカから日本に移っていく、その象徴となる作品。
ウルティマと共に、すべてのコンピュータRPGの始祖と言っていい作品。もともと机上で行われていたTRPGであるD&Dをコンピュータ上に移植するというアプローチで生まれた、他のゲームとはだいぶ出自の異なる作品。
ゲームシステムの多くはD&Dに由来しているが、移動画面と戦闘画面の切り替えによって進めるゲーム進行、コマンドを選ぶことで進める戦闘システムなどコンピュータRPGの基本的なシステムが完成されており、
ウルティマと共に、後のドラクエやFFに大きな影響を与えた。堀井雄二も坂口博信もこのゲームをやり込んだという。
スペースインベーダー、ギャラガと続くシューティングゲームの系譜を完成させた作品。初めて隠れキャラを採用した作品として知られ、ゲームにおける「隠し要素」の祖ともいえる。
グレーのグラデーションで描かれた光沢のある敵のデザイン、航空写真のような森、海、道の風景は、真っ黒な背景に簡素なグラフィックのゲームが多かった時代に圧倒的なクオリティを誇っていた。
何度でも繰り返し遊びたくなる仕掛け、背景の物語の神秘性と相まって、多くの人を熱狂させた。
説明不要、宮本茂の生み出したゲーム黎明期の最高傑作の一つである。
その画期性はググればいくらでも出てくるのだが、改めて分析しても同時代の中で突出した存在である。
どこまでも広がる世界の解放感、至るところに隠されたアイテムやボーナスステージ、操作に習熟するごとに感じられる上達の喜び、初心者が楽しみながら悔しがりながら上達できるレベルデザイン、
どこを取ってもオーパーツのようなゲームであり、いまだにゲームの古典的教科書の一つである。
アーケードからの移植作が多かった時代に、この作品は「ファミコンでしか遊べない大ヒット作」であり、これ以降ゲームの主戦場はアーケードから家庭内に移ることになる。(ゲームセンターに風営法が適用されたことも影響している。)
ウィザードリィやウルティマを元に、日本人にはとっつきにくかったRPGを日本人向けに大幅にアレンジして生まれた作品。
これ以前にも日本のメーカーからRPGはいくらか出されていたが、ドラクエの爆発的ヒットを元に、日本独自のRPG=JRPGの市場が開拓されることになる。
とっつきにくい要素を排除するために、元のTRPGにあったリアリティを大きく削ぎ落したりしているため、当時のTRPG界隈などからは批判も受けたようであるが、そうでもしなければこのゲームが国民的作品になることはなかっただろう。
反面、そのあまりにも日本向けに特化しすぎたアレンジが仇となり、海外展開にはあまり成功していない。
ドラクエが生み出した(時におかしな)JRPGの「定番」「お約束」は数知れない。その影響はゲームだけに留まらず、西洋ファンタジーを題材とした漫画やラノベ等にもおよび、今日に至るまでその影響を与え続けている。
宮本茂の最高傑作第二弾。スーパーマリオとはまた違った方向性で世界の広さを表現した、知恵と工夫と探索のゲーム。
このシリーズは極めて神がかったバランスの上に成り立っており、簡単に模倣できる作品ではないため、直接のフォロワーとなる作品はあまり現れてはいない。
しかしゼルダシリーズの魂とでも呼ぶべき、閃きと発見の楽しさは形を変えて多くのゲームに受け継がれている。それはダンジョンの中のちょっとしたパズルや謎解きだったり、アイテムの入手によって切り拓く道だったりするだろう。
近年のインディーズ市場において、ゼルダシリーズから影響を受けたようなゲームが多数見られることからもその影響力の大きさが伺える。
◆◆◆
以降は選外となった作品。
世界初のコンピュータゲームと呼ばれるものの一つ。オシロスコープとアナログ機器で作られたゲームであり、正確にはコンピュータゲームと言えるのかも分からない。
研究所の見学者に大評判だったが、その後忘れ去られ、後のゲームには影響を与えていないという。時代を先取りしすぎた作品。
学生サークルが開発し、商業的に成功した作品。いわば同人ゲームの草分けのようなものである点に着目したい。アマチュアが作ったゲームで初めてヒットした作品といっていいのではないか。
ローグライクと呼ばれるジャンルの始祖となった作品。D&Dから影響を受けて作られた探索ゲームであり、実はウィザードリィ、ウルティマよりも古く、最古のコンピュータRPGの一つに数えてもいいかもしれない。
コンピュータRPGの始祖の一つで、ウィザードリィと共に後のドラクエやFFに大きな影響を与えた。2D見下ろし型のフィールドマップは、このゲームが元祖である。
正直10選に入れたかったが、宮本茂多すぎやろと思って外すことにした。
宮本茂の初のヒット作にして、後に世界的大スターとなるマリオのデビュー作。コンパクトな画面に詰め込まれたジャンプアクションで、後のスーパーマリオにつながるようなアイディアが、すでに多数詰め込まれている。
テキストアドベンチャーの傑作で、堀井雄二の原点。原作はPC版だが、どちらかというとファミコン版の方に着目したい。
コマンドを選んで進めるというファミコン版のスタイルはドラクエの原点ともいえ、このゲームの開発で得た知見はドラクエの開発に大いに影響したことだろう。
最も知られているのはゲームボーイ版だが、最初に作ったのは旧ソ連の科学者である。
ゲームボーイ版の方は「ゲームボーイ史上、もっとも重要なゲーム10選」に選出されているのでこちらはあえて原作をチョイス。純粋なパズルでこれだけ人を没頭させるものは他にないだろう。
光栄の歴史シミュレーションゲーム。この2年前に「信長の野望」が発売されており、歴史シミュレーションゲームとして最初にヒットしたのはそちらであるが、俺は三國志の方を評価したい。
これは歴史のifを楽しむゲームであり、人材登用のシステムによって史実では敵だった人物を部下にするなどして、夢のドリームチームを組むという楽しみ方ができる。
歴史を題材としたゲームでありながら歴史を大胆に改変してもいいという発想が大きな魅力につながり、こうした発想は現在の歴史物のゲームにも影響を与えている。
世界初の体感型ゲームにして、セガの体感ゲームシリーズ第一弾。バイク型の筐体にまたがり、身体を傾けて操作するバイクレースゲーム。
ゲームの主戦場がアーケードからファミコンに移る中で、そのアーケードでしか実現不可能な臨場感が注目された。こうした大規模なギミックは、後にアーケードが復権する鍵の一つとなる。
ドラクエ以前の日本のRPGで大きくヒットした作品。日本のPCゲームで最も売れた作品とされ、ファミコンともアーケードとも異なるPCゲーム市場を先導した。
コナミを代表するシリーズの一つとなった作品。任天堂のメトロイドと合わせ、メトロイドヴァニアと呼ばれるジャンルを形成しフォロワーが多数現れている影響力を評価したい。
セガの体感ゲームシリーズの一つで、リアル系ドライブゲームの元祖。車を運転すること自体の楽しさに焦点を当てたゲームで、ドライブの楽しさが存分に盛り込まれている。
スクウェアの本領が発揮されるのは90年代だと思うのでここに入れるかも迷ったが、初代が売れなければスクウェアが潰れていた、という点で重要な作品。
※「そういう話じゃねえよ」と思われそうな話
https://x.com/fstora/status/1852193110509654171?s=46
メンタルヘルス休職からそのまま産休に入った同僚に対して、うつ病なのにセックスしたのかと思った人のポストが流れてきた
この人の気持ちもわかるのだけど、医者としては「セックスしてないかもよ」と言いたい
いや、そういう話じゃないんだけど…と言われそうだけども
・妊活をしている、ということは人には言いづらい
・妊活は想像の100倍(大袈裟ではない)メンタル病む うつになる人大量
これは本当に自然妊娠できる人や子供欲しくない人には想像できないかもしれないが、明るい人が妊活で壊れるのを何度も見てきた
・仕事をしながらの妊活はマジでキツいので休職する人も多い 時間や体力やストレスの問題
・休職してやっと妊活が落ち着いてできる、セックスではなく辛い病院通いを続ける
みたいな流れの人がたくさんいるんだよね
「休職して妊活!?!?」みたいに思う人の気持ちも本当に分かる、妊活したことない人には子供ができない辛さや妊活のえげつなさは分からなくて当然だから
でもこういうパターンもあるというのをちょっと頭に置いておいてほしいなと思う
しかし、仕事を押し付けられる側の怒りも十二分に分かるのでなんとも言えない
とりあえず働いてる人みんなお疲れさまです
子供が熱を出して早退したりする時に、「仕事の代わりはいくらでもいるけど、親の代わりはいないんだから」って言われるとモヤモヤする。
大前提として、この言葉は育児しながら仕事してる人間に対して最大限の配慮を伴ったものであり、感謝してるし、言った本人にとやかく言う気は全くない。
でも、モヤモヤする。それって「私はあなたの子供の『親の代わり』はしませんよ」という表明じゃないか。
なんとなく、私はうす〜〜〜〜く広く、全ての人の親でありたい、という気持ちがあるんだと思う。
この気持ちは、めちゃくちゃな家庭環境で育ったことが起因していると思う。
いろんな人が、薄く広く「親の代わり」をしてくれた。
小学生の頃、私の家の状況を心配して優しく見守ってくれていた友達のお母さん。
高校の頃、保健室に入り浸っていた私の話を聞いてくれた保健の先生。
新卒の頃、どうしようもない新人だった私を育ててくれた周りの人たち。
親が教えてくれなかったこと、教えられなかったことをいろんな人から学んだ。
それでなんとか今、こうして社会的な生活を送ることができている。そういう気持ちがある。
だから「親の代わりはいない」という表現に納得ができないし、逆に「仕事の代わりはいくらでもいる」というのも、しっくりこない。たぶん仕事で関わる人に対しても「薄く広く親」の意識なんだろう。今この人のプラスになるために何ができるか、考えて仕事しているから、「代わりがいる」と言われると残念なのだ。
玉ねぎ、牛肉、マッシュルームなど茶色い具材だけを煮込んだクリームシチューのような料理
姉に名前を教わるも言いづらいため舌足らずな子供の頃はうまく言えなかった
北方の一部の地域でよく食べられており別の地域ではあまり知られていない
幼少期の懐かしい味として昨日の夢に出てきた
さらに言うと、選択的労働...だったはずなのに、仕事してないんですか(笑)みたいなのは何なんだ?
外で働きたい人が外で働いて、家にいたい人が家にいればいいと思うんだが、最近は外で働くの当たり前みたいなことになってない?
人間には向き不向きがあるし、ライフステージによってやりたいことも変わると思うんだけれど。
最近の子は歳をとっても十分な社会性を身につけず幼い子供が増えたと思うけれど、保育園に預けて働くみたいなのが増えた結果だろうなって思う。
多分、社会が子育てのために自分の人生を使うってことを許してくれないんだろうなと。
あと、選べることってそんなにいいことなのとも思える。
選択的結婚、選択的子育てが実施された結果、結婚も子育てもぜいたく品になってません?
みんなが当たり前のように享受していた時代、たいして珍しくもないので、それに伴って起きるライフイベントもお互いさまって感じだったと思う。
結婚すれば自分の意志ではどうしようもないことが起きるようになるし、子どもがいればそれはなお加速される。
行き詰まった社会では
進化をやり直して、どうにか
無意識にね
昭和の経済成長期には誰もがさっさと完成した変化しない大人になる方が利益があった。
今はそんなものになっても価値がない。変化できる子供で居続けて成長を模索することが生き残りに必要なことだよ。
インターネットで性行為をする=大人になったみたいに考えている人たまに見る。これについて自分なりに考えてみた。
昭和くらいまでのお見合いでみんな結婚して子供授かってが当たり前の社会だと、ほとんどの人は大人になるしか選択肢がなかった。大人にならないと生きていけない環境だった。けど、最近では精神的な成熟を十分でなくとも生きて行ける。現代には大人にならないという選択肢も生まれてしまった。これは人類史を見ても社会全体がその流れにあるのはかなり特殊と言えそうだ。一部の貴族や王族の中では起こっていたであろうが。
今は精神が成熟してなくとも子を持つ人も多く、逆に精神的な成熟をしているのにもかかわらず子がいない・欲しくないひとも多くいる。なんでだろう。
昔は「大人(精神の成熟)になったら性行為をしても良い。そして子供を授かろうぞ」というような価値観だった。それが変に残って現代では性行為が大人の象徴の一つになってる。
大人になるとは、どういったことだろうか自分なりに考えてみた。
・価値観の違いの認め合い
・柔軟性
・責任感
などだろうか。
それは現代的な倫理観で見た場合こうなっただけで、昭和とかだとまた違うものだったかと思う。
では、なぜ大人にならない選択肢を選ぶ人がいるのかを考えてみた。
・面倒くさい、怠惰
・成熟するには必ず深く思考したり葛藤したりある程度ストレスによって学習するためそれを避けてる。
・周りの環境
・大人になったと思い込んでる
・成熟しなくても生きていける
でも、この選択肢で生きている人も悪いとは思わない。新しい生き方が生まれたんだ思う。自分の言っている精神の成熟だってただの価値観の押し付けかもしれないしね。責任感とか怖いもん自分も含めて。難しいね。
選択的夫婦別姓が現実味を帯びてきたからか、また反対派がいつものテンプレ反論を垂れ流してるな。
ネットはもちろん、リアルでも会ったことあるけど、反対派ってホント、私からするとキチ◯イとしか思えないんだよ。姓を変えるのめんどくせ、ってだけの話に「家族の絆が壊れる」「子供がかわいそう」「制度を変える事務コストはどうする」「見慣れた世界が変わってしまうのが怖い、と主張する権利はある」「同姓婚をした人間が見下される」とかなんとかかんとかぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃガタガタガタガタと屁理屈こねやがって。全員まとめて溶鉱炉に叩き落としてやりたい。生きてる価値がないゴミカスどもめ。
わかる
俺も子供の頃に両親が離婚して母が余計な気きかせたせいで父の苗字のまま母に引き取られた
いつか自分を愛してくれる女性と同じ苗字になれたならとても素敵なことだとは思っていたけど、まあ当然そんな相手はいなかった
終わり
僕のただ一人の親友が、かつて僕に言った言葉が頭の中に響いた。酒を飲みすぎたり、食べすぎたり、交通事故を起こしたり、あるいは、とてつもない災害に巻き込まれたりしたりして死ぬ人はたくさんいる。けれど、なんだか死にたいから死ぬ、ということができるのは、自分の命の手綱を握りしめることのできる大人だけだ。大人だけが、親のエゴとか、世間の義務から解放されて、自己責任と無関心のど真ん中に落ちていくことができる。だから、電光掲示板の自殺者の名前さえ、どうでもよくなるんだ。みんな耳をふさいで、聞こえてくるのは、誰が言ったのでもない誰かの言葉。自殺した子供はきっと、心が大人になってしまったんだろう。大人になりすぎた子供は、生死の境すらも一息で超えてしまうほどに、歳を取り過ぎている。
あちこちオードリー最新回でノンスタ石田さんが番組前半に「仕事よりも家族優先」の話をしていて(前回出演時に言い切っていたこと。というか「豊かさはここ(芸能界)には無い」という名言)
後半で「テレビ業界での天下取りを諦めていないビスブラ原田と話してて、もし、自分が原田と同じ思いでやってきていたら、違った世界を見ていたかも(テレビで天下取ってたかも)」という話をしていた
正直、ノンスタならば今からでもMCとして昇り詰めることが出来るのではないかと思う。二人で
子供はいつまでも手元には居ないけど、芸人としての仕事はもっとずっと続くことを考えると、今からシフトチェンジもありじゃないかと思う
確かに子育ては今しか出来ないから、可能な限り全力で向き合って幸せを享受したいというのは分かるけれども
芸人としての野望が今更頭をもたげたということは、そういう気持ちが芽生えてきたってことなんだから無碍にしないでやってみればいいんじゃないかと思う
人の人生ながら、そんなふうに感じた
才能あふれる人だからテレビに出ずっぱりになって他のことが出来なくなるのも辛いかもしれないけどね
そしたらまた方向変えればいい(そうすっと「テレビ出まくってたのにいきなり消えた」とか言われるだろうけど)
これで安彦氏は失敗してアニメから撤退しちゃうらしいんだけど、作画はいいし、なんだろう…
リアルな戦闘車両とか登場する割に、物語がどこか幼い子供向けというか、絵とかキャラとか設定に対して対象年齢が低すぎるというか、
たしか、安彦氏が児童書に描いたのが元になったような話を聞いた気もするし、
あと、ゴーグだけじゃなくて、他の作品も、特に近年のククルスドアンもそうだけど、正直言ってなんかどっか面白くない、つまらない
理由として何と表現していいのか分からないけど、意外と理詰めで作ってない?という気がする
なんかビビッと来ることは誰にでもあるんだけど、その直感に盲目的に狂信的に従って行動するのって難しいわけだよ
例えば、宗教家というか、例えが悪いけどイエスだってそうかもしれないわけだよ
ジャンヌダルクだって病気だったからかもしれないけど、てんかんとはいえ、見た幻覚を信じ切って行動するって難しいと思うんだよね
妄信的、狂信的、どこか狂ってないといけない
でも、安彦氏は良くも悪くも真人間なんだよな、ヤマトの西崎なんて基地外レベルなわけだけど、あれぐらい狂ってたから一度はヤマトを成功させた、二度はなかったわけだけど…
そう考えると、安彦氏に足りないもの、クリエイターに必要なものは一種の狂気なんだろうけど、
そういうのは狂人のふりしてたら狂人になれる、なんてことは実際はそうはなくて、本物の狂人には敵わないと思うんだよね
巨神ゴーグ、すごくいいんだけどね
ボックスが出るたびに、買おうかどうか迷って、でも自分ももう歳だし、金もないし、ボックス買って繰り返し見るかというと疑問だし、
パッと部屋の中を見渡してみても、イクサー1とかゼオライマーのDVDがあったり、ガイナックスの帰りマンとかヤマタノオロチとかあるけど、まあ観ないよね
エヴァの限定ボックスもあるな、でも、あんまり観ないんだよな、寧ろ、ひとり上映会やって断捨離しないとなぁ…😟
話がズレたけど、ほんとゴーグおしいよなぁ
子供の頃、ボンボンとか読んでて、マノンさんのゴーグとか、いかにも悪役というか、サイコガンダムっぽくて、たしかキャノン付いてて、好きだったんだけど、
安彦さんの絵は大好きなんだけどね、なんで物語になると微妙になっちゃうんだろうね
まあ、浦沢直樹もそうなんだけどね
ほっそい家に生まれて奨学金に頼ってなんとか専門を卒業して働くことになった、幼い頃から周りの人と合わないことが多く子供ながら友達をガキだなぁと思って過ごしてきた
社会人になり田舎の中小企業と上場企業で働いたが社員の意識の低さが異常だった、他人を敬うことを知らないスラム街で育ったような人達が多くいた
そんな環境な嫌気がさして日本を代表する企業のグループ会社に転職することにした、なんとか面接を突破して内定をもらうことができた
面接の時の自分に対する対応がいままで経験したことがないくらい丁寧で驚いた、それによりこれまで接してきた小中高専門の同級生や職場の一部の連中は知的障害レベルの頭であることがよく分かった
たまたま貴族院議員が先祖にいる家系だったので自分は地頭がいいのかもしれない、現代になっても農民や程度の低い武士商人の家系は本当に大したことがないんだと思ってしまった
何人かで一緒にプレーするソーシャルゲームで、とある人がシステムの仕様をほとんど把握していて、バグを利用する技も持っていて、それでいてミスもなく、相手が初心者でも上級者でもピッタリ動きを合わせてくれる。
どれだけ練習して、どれだけ研鑽したらそこまで行くんだという感じで、ただひたすら感動した。上手いだけではなく、研究しているだけでもなく、あそこまで優しいプレースタイルにできるものなのか。この人と組んだ全員が自分が上手くなったように感じていると思う。
本気でゲームに頑張ってみようかなと思って色々と研究したけど、頂点が見えて心が洗われた気がする。あらゆる面で敵わないなって思う。
ゲームは子供に付き合ってただけの趣味だったけど、本業でこれぐらいの気持ちで頑張ってみようかなって、心の底から思えた気がする。
夫婦別姓の話しになるといつも思う。
夫婦は別々でも結局子供はどちらかの姓になり、やっぱり見た目として子供と同じ姓のほうになんとなくグルーピングしちゃうし、子供と別姓でもいいと思う男女もそんなに多くないんじゃないかと。夫婦の姓をどっちかに寄せることにしたら子供も自動でそっちになるけど、相手の姓になるのは嫌という譲歩ができない夫婦が子供の姓を「ゆずる」ことがスムーズにできないことは少なくは無いだろう。みんなはそんなこと無いと言いまくるだろうけど実際は絶対ぽろぽろでてくる。人間だもの。賢くないもん。しかも成人の二人の問題から子供を巻き込んだ3人の問題になる。
このように夫婦だけは真ん中にしても、最後は子供がどっちか左右に振れてしまう。
チンコとはみなさんご存知の通り、男性の股間中央部に鎮座している。
けど、実生活のチンポは左右どちらかに偏っている。二股の下着のどちらかにチンポを差し入れないといけない。
チンポは中央に居ない。どこかの部族のコテカでもつけない限りは。
そして男性は永遠にこの中途半端に座りが悪い、中央からずれたチンポのポジションに悩んでいるのである。
朝起きたとき。椅子に座ったとき。町を歩いているとき。リラックスしているとき。眠る前。
男はなんとなくチンポのポジションに違和感を抱き、それとなくチンポジを修正するんだ。
物事を割り続けても中央などない。ぜったいどちらかに傾けなければならないときがある。
チンポジのように居心地が悪いことになるときはあるんだ。あるんだよ。
どうかチンポジを直視してほしい。君たちはちゃんと最後の始末を考えているか?コテカをつけるような強制的な解決に持ち込もうとしていないか?
ときには立ち止まり、視点を下に向けてみて欲しい。羅針盤がどちらを向いているか。この状態は快適か。理想だけでは割りきれない切実な問題がそこにはあるんだ。