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2018-01-16

今日多々良川

晴れ

涼しい寄りの寒い

水位低いけど川底は見えないくら

分水位30cmくらい?

久しぶりの日光が水面に照り返して逆光がまぶしい

サギなし

カモ1

甲羅干しの亀7

池内ブロックに点在して亀たくさん

今日久しぶりにいい天気だしね

カモはいいかなと思ったら亀池内ブロック根本をつついてエサ探してるやつが一羽だけいた

黒いカモ、多分クロガモだと思う

昨日なんとなくカモの種類調べてたら多分これかなって

こげ茶とかじゃなくてほんと真っ黒だから

[] #47-4「嫌煙の仲」

この失敗を踏まえ、タバコについてより広く定義された。

これでタバコはなくなる……とはいかなかった。

定義されても、その度に企業わずかな隙間を抜けて新たなタバコを作り出したのだ(厳密にはタバコという名称ではなく色んな名前がつけられていたが、みんな普通にタバコと呼んでいた)。

そうすると自治体は新たにタバコ定義を加えたり変えたりする。

企業企業でその度に新たにタバコを作り直すというイタチごっこがしばらく続いた。

最終的に自治体企業のもの圧力をかけることで、この流れは沈静化する。

だが、この頃になると世論の流れが大きく変わりつつあった。

こういったタバコの中には、煙が出ないので他人に害を与えないものも多くあった。

それらまで禁止にすることに疑問を抱く人たちが、非喫煙者からも多く出てきたのだ。

そもそもタバコを吸わない人たちが禁煙法に賛成していたのは、副流煙による健康被害や紙巻きタバコ特有のキツい匂い理由としていたのが大半である

吸わない大衆にとっては分かりやす理由がない以上、全面禁止を声高に訴える意義が別段なかったのだ。


そして取り締まり問題もあった。

ちょっとそこのあなた、それタバコじゃないの?」

「いや、タバコじゃない」

「けど、その筒はパイプのように見えるけど」

「これはパイプじゃなくてポエプ。煙はフィルターによって有害でもないし、無臭から匂いもつかない」

「え?……だったらいいのかな……あ! そっちのあなたは違うでしょ」

「いや、これ単に寒いから白い息が出てるだけ」

度々起きたタバコの再定義に組員が対応しきれず、ロクに取り締まれなかったのだ。

そして、この頃になると喫煙行為は、歩行者信号無視くらいに有名無実化していた。

自作で“タバコっぽいもの”を密かに楽しむ人が増え、時にはそれを売り叩こうとする者までいたのだ。

当然、そんなことが裏で起きているのを苦々しく思っている人も多い。

その中でも特に眉をひそめていた層は自治体……ではなく元タバコ組合だ。

そもそもタバコ販売は、地域で競合が起きないよう組合で決まり存在していた。

それが禁煙法で丸ごとなくなったのをいいことに、私腹を肥やす人間に対して元組合の者たちは不満を募らせていた。

そうして元タバコ組合は一念発起し、秘密裏再結成される。

「サクリム組合」の誕生だ。

市場に出回る粗悪品は排除し、よく出来たタバコを作っていた者は組織に引き込んだ。

当然、「サクリム組合」の統制を快く思わないタバコ販売人も多かった。

そういった者達で立ち上げたのが「シューリンガン互助会」だ。

こちらは烏合の衆の集まりで、過激派が多いこともあって黒い噂が絶えない。

このため「サクリム同盟」とはしばしば小競り合いが発生し、そこに自警団が介入した日には収拾がつかないことも珍しくなかった。

結果として、禁煙法をきっかけに治安まで悪くなってしまったのだ。


そしてその二つの組織の争いは、いよいよ大規模なものへと発展しつつあった。

マスターの店で、俺たちはその様子を遠巻きに眺めるしかなかった。

社会を回すためにルールがあるのに、そのルールのせいで乱れるなんて皮肉なこともあるよな。有害もの禁止にするという点では、決して悪法というわけでもないのに」

マスターたちは談笑していたものの、俺は心のうちに焦燥感を抱えていた。

こうして今の状態を静観しているのは危険だと思ったのだ。

ハトタカの争いも、鳥に関心のない人間からすれば同じ動物同士の戦いでしかない。

あの二つの組織の争いが激化し、表面化すれば事態は更に悪化することだろう。

マフィアの抗争じみたことが起きて、一般社会にまで波紋が広がる可能性がある。

「何とかして止められないものでしょうか」

「それは構わないが、あの二つの組織をどうこうしても根本的な解決にはならないだろう。その場しのぎにしかならない」

もっと別のアプローチ必要ですな」

「それって、つまり……」

禁煙撤廃とか、だね」

かに禁煙法がなくなれば、以前のようにタバコ組合が公に活動できるから統制しやすくなる。

だが、禁煙法を撤廃するなんて可能なのだろうか。

禁煙法に分かりやすい利害がある以上、撤廃することにも相応の利害がなければ政府は動かないと思うのだが。

事態を収拾するという名目だけでは弱い気がする。

「ま、ちょうどいいタイミングだろうな」

タケモトさんたちはゆっくりと立ち上がった。

その動きには焦りも迷いもない。

何らかの打算があるのだろうか。

(#47-5へ続く)

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

頭はそれなりに器用なんだろうに、物事基本的根本的な理解が抜け落ちてるような

そういう人がいることを知った

器用な分、こじれるとなかなか厄介なタイプだったりする

戦略が大外れでも戦術レベルごり押してくる

器用な分、変に勝ってきた分、指摘しづらい

周囲の人間にとってだけではなく、本人にとってもそういう器用さは厄介なんじゃないだろうか

間違いを早期に正す機会を逃してしまい、気づいたら手遅れになっていそうだ

2018-01-15

怒り

どうしようもなくムカついたりイラつく事柄があって、それは理由とかはどうでもよくて単純にそう感じてしまうことだから仕方が無い、という側面がありますよね。

感情理由をつける場合解決手段模索する時のみそれが適用されると考えれば、とにかくどうでもいいからムカつく、と簡潔に述べていればその事についてはこじれずに済むと思っています

例えば相手が、それ考えは間違いであり、こちらにもこちらの理があるので正せ、というのであれば、両者共々折れるか戦うかするわけなんですけどそこで戦う事を選んだ場合理由必要になってくるわけです。

あくま平和解決若しくは健全事態収束、双方の納得を考えた場合必要不可欠になるもの理由であって、その内容が不健全であったとしてもどういった経緯で不快感情を感じてしまうのかを道筋立てて説明できなければならないと考えられます

現象には原因が必ずあり、それは感情にもハッキリとあることだと思うのです。

全てを説明する必要はない、相手がわからないのが悪い、と言ったコミュニケーションの隔絶、対話に対する拒絶等は片一方の確定的な「折れ」として扱うことが出来ます

現象によるストレスの発生にプラスしてもう一つのストレスを生むわけですがこれには相手ストレスを与え、行動の抑制を促す効果を期待して行う事が大きく、いわゆる野性的な威嚇とも言い換える事ができると思います

こういった野性的な威嚇はそこいらでよく見かける事ができます。様々な事柄を包括したコンテクスト押し付け等の不透明ルールに基づいた他者排他する行動は非常に労力が少なく、かつ成功したモデルケースが多ければ多いほどこの「野性的な威嚇行動」を選択する機会は増して行くと思います

そういった「野性的な威嚇行動」をより多く取るようになった人がモデルケースの少ない個人的かつ普遍的ではない嫌悪感を抱いた時にも「野性的な威嚇」の選択をとってしまうのではないでしょうか。つまり先程述べた通りの対話の拒絶が起こるわけです。

相手にみてとれる「対話の拒絶」状態は片方の健全事態収束を望む者にとっては、地獄に落とされたような気分の落ち込みを与えます。また、拒絶された側も相手を拒絶する「野性的な威嚇行動」に移るケースが多いと感じます。水掛け論、論点のすり替え相手が折れるまで続く無意味かつ徒労を感じる罵倒応酬、これらは全て威嚇行動です。

先程述べた「威嚇行動」と別の平和解決とは、結果的に全てを無に帰す事を目指す行動です。また労力に見合った結果に終わる事は、現象における規模によって変動していくと考えられます

また、解決とは折り合いを付ける場合にもそう呼びます。つまり現状に変化は無く、両者が状態を飲み込む事で解決とする結果です。これには不完全な箇所が多数あり、根本的な原因の解決が済んでいない状態ではありますが、原因の所在が明らかになっている状態にあります。両者に認識齟齬はあるはずですが、自身改善を促し問題の起きるキーのものを消化する可能性をもたらしてくれます

私が言いたい事は、話す気が無いように取れる一方的かつ単純で攻撃的な発言を見るとクソむかつき倒してしまうし目にすると気分を害するので消え失せてくれダボ共、くたばれ糞袋人間ゴミ世界中の全てありとあらゆる生命ある物質から愛と称される施しをうけること無くすみやかに死を受け入れ、余生を享受する暇もなく地獄無限落下し続けるその様はまるで薄汚い腐った豚の腸、見た者は顔面蒼白になり路端で嘔吐あわや蛙の如く胃ごと吐き出す始末、阿鼻叫喚地獄絵図、百鬼夜行悪鬼羅刹魑魅魍魎、南無三、神様仏様、織田無道様、御心のままにどうか私をお助けくださいませ、永遠に続くかと思われた地獄の果てに待つは地獄、これが無限地獄なのかと気づく頃には自失呆然五里霧中意識は散り散りになり脳のシナプスは煙をたちあげ体は爆発四散雲散霧消あっぱれ、さようなら現世さようなら天国永遠とは苦しみの中に見つけたり、想像を絶する、人智の外から来たような苦しみを味わってほしい。よろしく。

anond:20180113160120

まりにも、自分経験リンクする内容だったので

アドバイス……なんて偉そうなものではなく、もうちょっと別の考え方もあるよーって伝えたくなって筆を取りました。

わたしコミティア編集さんと知り合い、商業仕事をするようになった漫画家です。

今はほそぼそと連載を7年ぐらい続けているので

コミティア編集出会った同人作家がその後食っていけない」ということは

全部が全部そうでは無いということだけ、覚えておいてください。

えっと、自分のことを書くと作家寄りになってしまうので、編集さんがどうして商業漫画家にならないかスカウトするかについて

わたしなりに考えたことを書いておきます

編集はなんでコミティア作家を探すのか

私の知っている編集もみんな、新人作家コミケではなくコミティア作家を探しています

コミケのほうが何十倍も規模が大きいのになんでだろう?と思ったのですが、

コミケ二次創作が中心のイベントです。

誤解を恐れず言えば

イチから、いや、ゼロからキャラ世界ストーリーを組み立てるという漫画に不可欠な能力

まるっとなくても、絵が上手ければ(画風が可愛ければ)なんとなく人気になることができる世界です。

そこから商業成功する人はあまり多くはないのが現実です。

まりあなたに多くの編集が声を掛けてくるのは、あなたが絵柄だけではなく、

あなたしか表現できないキャラ作りや世界作り、ストーリーテリング評価されているからだと思います

まり悲観せずに、そんなファンの人がいることをまずは純粋に喜んでいいと思います

なんで、「編集者の人はプロになることが、単行本を出すことが、連載をすることが、正解だといつも話す。」のか

これは、編集者作家を儲からせることでしか作家還元できない仕事からです。

トーン一つまともに貼れず、ネームセリフの指摘でセンスの良い言葉を一つも出すことが出来ない才能がない編集者

(あえて、きつい言葉を使いましたが、わたしセンスが素晴らしい編集にあったことは一度もありません。そりゃ、作家よりセンスあったら自分が描きますよね)

にとって、唯一作家還元できるのが、お金を儲けさせることだからです。

もちろん、そうじゃない編集もいると思いますが、世の中の全ての編集担当作家に「儲かってほしい」と思っているはずです。

逆にそうじゃない編集は私は信用できません。

先輩作家の方々が、いい話として編集さんと二人三脚成功してきた話をすることがありますが、あれは、過ぎ去ったからこそ言える美談です。

作家が考えた作品の根幹(セリフ世界観ストーリー)について自分コントロールしようと口うるさく言ってくる編集さんは、基本的にハズレでしょう。

編集仕事作品を売って、作家に儲かってもらうのが仕事であり、面白い作品を作るのが作家仕事で、お互いに甘えてしまうと良いことがないと思います

あー、なんか支離滅裂なっちゃったわたしアスペって言われるかも……

まり最初の疑問に対する答えは

彼(彼女)らは、そうやって作家を儲けさせることでしか作家の役に立てない存在からです。

なんで宣伝してもらえないんだ!

>でも、悲しいことに新人漫画なんて、ろくに宣伝もされない。公式SNSアカウントですら、宣伝されないから、まったく意味がない。出すメリットなんてなにもない。

宣伝する仕事をしないなら、出版社になんの利用価値があるんだろう。あのアカウントなんのためにあるんですか?私にはわからない。

これについては、ちょっと編集部不信症になってしまって、誤解している気がします。

商業誌は、「載るだけ」で宣伝になっています

実際、わたしも当時はまーったくの無名作家。おそらく、増田さんより全然知名度なかったです。

でも、雑誌に載れば、その雑誌の読者数千人規模で目に触れる機会が生まれます

無名わたしでも、読み切り、連載としていくうちに、毎回数万冊の単行本書店に並ぶようになるんです。

もちろん、公式SNSアカウントでは、看板作家宣伝で忙しいでしょう。

でも、雑誌に載るだけで、増田さんの想像以上の宣伝効果があるのを覚えておいてあげて下さい。

商業けが漫画を描く生き方じゃない

最後わたしの考えを。

この記事を読んだ時、わたし勝手ですが「増田さんの中でもう答えが出てるじゃないか」と思ったんです。

商業お金を設ける漫画です。一部の人面白がられるだけでは、続けていけない世界です。

根本的にコミティア作家真逆世界だと思っています

から、それがしたいだけなのなら、断れば良いのです。

自分の描きたい物を描きたいように描いて、それで食べていける」

なんて幻想です。

売れている漫画家さんこそ、自分のやりたいことと、世の中が求めていることをバランスして表現しています

まり、「自分我慢することで売れるようにする」んです。

嫌でしょう?

それなら、コミティア作家をやって、気に入ってくれたファンとのささやか世界幸せ漫画を描く。

これが、いちばん楽しいと思います

でも、おせっかいですが、でも。

商業で、うまくバランスが取れたときは、本当に楽しいですよ。

もちろん、2ちゃん増田悪口書かれたり、嫌なこともいっぱりありますけどね。

今日多々良川

くもり

寒い涼しいの間

水位低い(川底が結構露出してる

サギなし

甲羅干しの亀4(亀池の手前側のブロック

そこそこ大き目のやつでみんな首伸ばしてた

カモ9羽くらい(黒いやつ

亀池の中をエサ探しまくってた

露出してる川底の上を歩き回って地面つついたり、浅い水面を泳いで亀池のブロック根本つっついたり

カモがいるせいで亀が手前のブロックしか甲羅干しできてない感じだった

露出してる川底は確かにエサの虫みたいなのがたくさんいそうではあるけど、

狭い亀池がなんかめちゃくちゃ忙しくて騒がしくなってた

2018-01-14

自己肯定感を高める薬ってないのかな。

不安な気分を和らげる薬は飲んでるけど、効いてるんだかどうだかわからん

人に何かを褒められても、それが純粋には信じられない。

自分が認められるわけなんてない」という思考根本根付いてしまっている。

自分はせいぜいレトルトカレーでさ、気楽に手に入るからまるで良いように見えてるだけでさ、

あなた方は高級ホテルカレーを食べてないだけですよ?みたいな。

いからこんなの相手にしてないで早くいいもん食えよ、って。

根気よく褒めてくれた人はいたけどさ、結局は自分が潰れるか相手が潰れるかばかり。

どんどん遠ざけてしまって、周りからいなくなっていく。

でもなにか人恋しさのようなものも感じている。

自分でもなにをどうしたいのかもうわからん

もう自力じゃまともになれん。誰か助けてくれ。

童貞つらい男やめたい

性的な強さというものがある場合童貞というのは弱い存在だと思う。

はじめての彼女ができてしばらく経った。

彼女のことはほんとに大好きだし、お互いにやや依存傾向がある程度には想い合っている。

しかし、彼女と過ごした半年ちょっとの中で、ぼくには少しばかりトラウマになったことがある。

からすればほんとに些細なことだろうと思うのだが、「〜くんってたまに童貞っぽいこというよね」といわれたこである

このときぼくらは、ちょっとしたエロ話のような雑談をしていたのだ。

そして笑いながらこう言われ、ぼくは突然のことに面食らい、あからさまに落ち込んだ。

男にとって、童貞をいじられることほどみじめなものは無いと思う。

なぜなら童貞は誰に言われるまでもなく恥ずかしいものだと思ってるし、男として性的にみじめな存在だと自覚しているからだ。

ハゲみたいなもんだと思うが、改めていじられるのは本当に辛い。ただでさえ劣等感という自分の刃で傷ついているのに、他人の刃でも刺されるからだ。

それに、童貞というのはほんとにどうしようもない。恋愛のものが難しいものだと思うし、いくつになってもエロ漫画を読むのが楽しかったりするように、どんなに性交渉経験を重ねようが童貞っぽさは無くなりきらないものだと思う。

誰でもかつては妄想を本分とする中学生だったのだ。

しか彼女にいわれるというのがまたこたえるところで、彼女はいわば、童貞卒業に関わるあらゆる決定権を有しているといっていい。なにせ、初めての彼女なのだから

そのときすでに、一緒の布団で寝たり、ちょっとしたイチャコラはする程度にはなっていたので、あとは時間問題とでもいうところだったと思う。

しかしこのとき童貞をいじられたのをほんとに引きずっていて、男性として力がないことをとても恥ずかしく思う。

彼女とナニをしたいとも思うが、不慣れな醜態を、こともあろうにこの世で一番そんな姿を見られたくない相手晒すのかと思うと、しない方がマシな気さえしてしまう。

いっしょにいられれば、そんなことしなくともいい。性的なことに関心を持つと童貞ゆえに必ず醜くなってしまうくらいなら、いっそお互いにかこつけて品を保っててもよいではないか

童貞でいると、童貞でいてはいけない気持ちでいっぱいになる。

事実童貞ですら童貞バカにする世の中である。味方などいないのだ。

ぼくは選択肢が2つあると考える。1つは、めげずに男を磨くことだ。

セックスに慣れて、なんなら筋肉も多少はつける。髪型服装ももっと男として性を感じるようなものにして、彼女のいう色気とやらを出してみる。

時間はかかるが根本的な解決になる気もする。

しかし、これは過酷な道だ。

いってみれば、ゼロからスタートだ。

ぼくは彼女含め、いろんな女性高橋一生に似てると言われる。

すると、フワッと盛った髪型や、ニットのセーター、黒縁の眼鏡などが似合う。僕自身、そういうやさしげな風貌が好きだ。

でも、彼女いわくそれはだめらしい。

髪型ひとつとっても、もっとおでこを出して色気を出すべきらしい。

白いニットではなく、黒い服装をするべきらしい。

髪を刈り上げてジェルで固めるべきらしい。

ちょっと趣味個性的な部分もある彼女だが、要はもっと男性的な部分をプッシュした方がいいということらしい。

しかし、ぼくはそれが嫌だ。

男っていう性別自体むいてないんじゃなかろうか。

人としての自分には誇れるところもある。しかし、男としては恥ずかしいところしかない。

彼女はもう知ってるが包茎だし、童貞だし、彼女いたことなかったし。

専門学校美術勉強一生懸命やっているのはいいけど、そういう性的ステータスに関してはおろそかにしていたのだ。

でも、ぼくは魅力的な男性になるより、優れたクリエイターになることが遥かに大事だったのだから、仕方がない。

しかし世の中的には、自分の生まれ持った性に見合わないことははずかしいことらしい。

そこで考えるのは、2番目のプラン

男を捨ててしまうことだ。

女になりたいわけじゃない。男でも、女でもない人間になりたい。

男らしくあることを求められると、反動でそう思ってしまうことが増えた。

であることが理由で、劣等感を抱いたり、バカにされたりするくらいなら、いっそ性別に左右されない人間になりたい。これは切実だ。

陰茎も陰嚢もとってしまいたい。

100万くらいあればできるらしい。

でも別に女性ホルモンは打たない。女性という性で勝負したいとも思わないからだ。

ぼくは人として、あるいは職業人として評価されたいとは思うが、性的評価されるのはいやだ。結果がわかっているからだ。

マイナスを取り返すのにどれだけかかるのか。

夢を追いかけて過酷勝負が待っていることがわかっていながら、今になって男も磨くようなこともしなければならないのか。

子どもの頃、体育の授業が大嫌いだったのと似ている。

でも義務教育を終えたいま、評価する人間がいなくなった途端、運動は好きだ。ランニング楽しいし、友達バドミントンをしたときも、楽しかった。

でも、体育でいい成績をとる努力なんて、絶対にしたくなかった。

努力が嫌ならいっそひとりでいろとでもいうのか。

性を捨てるなら愛も捨てろというのか。ぼくはこれはわがままではないと思う。愛し愛される喜びは、一度味わったらけして捨てられない。そしてそれを捨てないがために、ぼくは男を捨てることさえ厭わない覚悟だ。

二人とも子ども絶対にいらないという考えなので、仮に結婚するにしても問題はない。

でも彼女は、「そういう手術は死ぬリスクもあるからやめてほしい」という。

彼女要望にこたえるのにも慣れつつあるが、ぼくは自分容姿生理現象から感じる男性らしさを、今日もちょっぴり憎んでいる。

彼女にはなんでそんなに憎むのか理解できないらしいが、ぼくはやはり憎い。

ぼくは男っぽくなりたいんではなくて、人としても容姿の面でも、美しくなりたい。

でもおっぱいが欲しいわけじゃないし、声を高くしたいわけでもない。

男性に恋をするわけでもない。

男としてどうかというバイアスをかけてみられたくないだけなのだ

自分男性であることが恥ずかしい。彼女ができてなおそうなのである

ぼくにはもっとやるべきことがある。

それは男を磨くことではない。

anond:20180114170545

内心の自由があるから頭の悪いお前がいくら不快に思おうが罪にはならない

実際にはわかる形で不快を示したとしても別に罪にはならない

不快をわかる形で示すというのは、端的に言って容姿差別・年齢差別コミュニケーション弱者パーソナリティ障害者差別であり

お前が不快に思うというのはそもそも根本的にはお前の性欲由来の感情であるので

その不快感を表に出した時点で、お前はお前の性欲に従って他人を傷つけることになり

それは性欲丸出しで迫ってくるスケベジジイ道義的に全く同一の行為である

anond:20180114135938

それ俺の父親と同じパターンだ。

(俺の父親は60で定年前ね)

未来の息子としてアドバイスするなら、

家族ことなんか真面目に考えずに

手抜くぐらいで周りの家庭と同じぐらい

ってことかな。

あんたのプロフィールが分からないので何とも言えないけど、根本の原因は奥さんとあんたの実家間の問題であることが多いよ。

軽度知的障碍者の来店を拒むことはできるのか?

俺がよく使うスーパー名物客がいる。

一見すると、どこにでもいそうな外見の人物なのだが、明らかに軽度の知的障碍がある。俺は詳しくないのでどういった症状なのかわからないが、誰が見ても「あぁ」とわかる。

その人は入店一番「またきたよー!」と大声で言う。

手近な店員さんを捕まえて延々と自慢話をする。「昔アイドルやっててさぁー」とか。

店員さんが近くにいないときレジの人に、レジが混雑しているとバックヤードにまで入っていく。

俺はその人をずっと観察しているわけではないのだが、どうやら半日以上店内で店員さんに一方的に話しかけているようだ。

俺がいつ行ってもその人はいる。

お、今日は珍しくいないなと思うと、入り口から元気のいい声が聞こえてくる。

で、やっかいなのが、その人はある程度の知能はあるということだ。こんな言い方をするのはよくないんだが。増田から書けることだ。

まりレジがほかの客でいっぱいの時は話しかけない。俺のような強面のゴツイ奴がそばにいると店員さんへのマシンガントークが少しおさまる、など。軽度の障碍があるのは誰にでもわかるけど、完全に「別世界の人」というわけではない。話は通じるし、受け答えも明瞭だ。

だが、恐ろしく面倒な人物だ。

俺みたいな奴を恐れるが、店員さんや子供のような立場の弱い相手には極めて横柄にふるまう。そういう狡さはある。

以前、店員さんが「申し訳ありませんがお客様…」と会話の応対を切り上げて仕事に戻ろうとしたことがあった。

その時、その人は店じゅうに響く大声で「何こいつ!店員なのにお客さん無視するとかありえなくねぇ!?」と叫んだのだ。その後も延々と大声でその店員さんに罵倒を繰り返した。俺は全く反対側の売り場にいたのだが、それでも内容が聞こえるくらいすごい声だった。これはさすがにまずいだろうと俺の唯一の取り柄の強面を生かして事態収拾に向かうと、先に店長さんが到着していた。

そこで店長さんはクレーム対応王道、平謝りで事態を何とか収めようとがんばっていたのだが、相手相手なので一向に沈静化しない。バックヤードで話を聞こうとするも、火に油を注ぐばかり。最終的に、店長さんは最敬礼のまま延々と罵倒を受けるような状態になった。土下座こそしていないが、あれは似たようなものだろう。

さすがに見ていられないので、二人のいるところに押し入り、そこにあった棚の商品を選ぶという行動をして二人を引きはなしてみたんだが、最敬礼店長罵倒人の間にはいって女性シャンプーを選び続ける元相撲部という状況は長続きしない。唯一商品名を覚えているラックススーパーリッチを手にして精いっぱいの威圧をかけてその場をあとにするしかなかった。まぁそれで少し沈静化したみたいだからよかったが。俺は坊主頭だし彼女も奥さんもいないんだけどな。すげぇいい香りだぞラックススーパーリッチ

で、そんなこともあって表題の件を疑問に思ったんだよ。

ネットでたまに見る、「悪質クレーマーに『お前は客じゃない、帰れ!』と一喝するかっこいいお店」の話があるけど、それは軽度の知的障碍者に対して行っても喝采を受けるものなのか?店は客を選ぶことができる、というのは確かにその通り。しかし「別世界の人」ほどではないが極めて面倒な軽度障碍者排除できるのか?

俺はこの問題は「障碍者聖人化」が根本にある気がしている。

健常者が「障碍者共存できる社会」を目指したとき、その想定される障碍者は「別世界の人」なんじゃないか

健常者に極めて近いけど通常の対応ができない相手を想定しているのだろうか。

俺の近所のスーパー場合は、もう利用客も(おそらく)店員さんも「あいつにはもう来ないでほしい」と一致しているだろうから、「お前はもうくるな」で済むかもしれない。…いや多分、絶対に済まずに毎朝店の前で座り込みをしそうだけどな。まぁそれも排除してしまって解決!ってなるのかもしれない。

しかし、そうなるとその先は「障碍者座敷牢に入れて外に出さない」みたいな社会になってしまうだろう。

こういうの、どうすればいいんだろうな?

[] 『時計じかけのオレンジ』は何が凄いか

機械じかけのオレンジって何が凄いの?

https://anond.hatelabo.jp/20180113204136

ここで書くこと

時計じかけのオレンジ』は凄いけど、聖書を読まない日本人にとってはピンとこないテーマを扱ってるので、「何が凄いの?」という疑問が生じるのももっともだ。という話を書く。

時計じかけのオレンジ』のテーマは何か

時計じかけのオレンジ』のテーマは、キューブリック監督曰く、以下の通り。

本作のテーマは、自由意志問題関係がある。もし善悪選択ができなくなれば、私たち人間性を失うのではないかタイトルが示すように、時計じかけのオレンジになってしまうのではないか



それってどういうこと?

この説明を読んだとき、多くの人はもっともらしい顔をして「ふんふんなるほどね」と思うのだけど、その実ぜんぜん分かっていない。何故かと言えば、説明中の「自由意志」という言葉意味が分かっていないからだ。

自由意志」というのは実はキリスト教専門用語だ。それなのに「自由」と「意志」は何となく分かるからキリスト教が分からない日本人も分かったような気分になってしまう、困った術語だ。

じゃあキリスト教における自由意志って何よ?という話になるが、これはその定義自体がもうメチャクチャ議論になる。

だがここでそんなところに深入りはできないので、ここでは簡単に”①神が、②人間に、③その運命を左右する選択をする機会を、④与えたこと”と定義する。

この定義ふつう日本人が見たとき、「①神が」というところを置いておけば「はあ?そんなの当たり前じゃん」と思うだろう。だがキリスト教徒にとってこの定義はひじょーに座りが悪い。

なぜ「自由意志」は座りが悪いのか

原因は大きく2つある。

1. 1つは、上の意味人間自由意志が認められるとしたら、神さまは人間に悪を行う選択肢をも与えたということになってしまうからだ。

これはもう一見してヤバい。この世に悪(犯罪行為ブラック企業利権の独占等々)がはびこっている根本原因は神さまにあることになる。

すると、全知全能の神さまが何でそんなことをしたの?という疑問が生まれ、最終的にはホントは神さまなんて居ないんじゃないの?/そんな神さまなら要らないよ、という疑問に行き着いてしまう。これはヤバい

2. もう1つの原因は、聖書にはこんな記述もあることだ。

神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさら栄光をお与えになりました。(ローマ書第8章30節)

これはどういうことかというと、神さまは、人間のうち誰が救われるかを、前もって決められているということだ(いわゆる予定説)。

これは上述した意味での自由意志と相性が悪い。なぜかというと、人間がその自由意志に基づいて信仰を持ち、(悪事を働かず)善行を積み続けたとしても、神さまの救済リストに入っていなければ救済されないということになるからだ。これでは何のために自由意志が認められたのかが分からない。

さらに、この予定説推し進めると、ある人が信仰を持つか否か/悪事を働くかどうかも、神さまの救済ノートにあらかじめ全て書いてあるということになる。ここまで行くと、人間自由意志全面的否定される(!)という説まで成り立つことになる。

これを踏まえて、改めて『時計じかけのオレンジ』のテーマは何か

以上の点を踏まえて、最初引用したキューブリック監督言葉を再読すると、以前より意味が分かるようになっているのではないだろうか。

本作のテーマは、自由意志問題関係がある。もし善悪選択ができなくなれば、私たち人間性を失うのではないかタイトルが示すように、時計じかけのオレンジになってしまうのではないか

要するに監督は、「(上述したような)観念的な議論から視点を変えて、もし仮に人間自由意志がなかったら実際のところどうなるの?」と問題提起しているのだ。

本作において主人公アレックスは、ルドヴィコ療法(目を強制的に開かさせれて残虐映像を見せ続けられる)を受けて、あらゆる「悪」が行えない身体となる。つまり自由意志が奪われる。

ルドヴィコ療法を受けたのち、アレックス出所する。悪事が行えなくなった以上、彼は「善良」そのものだ。

善良な彼を見て、映画の観客は安堵しても良さそうなものだが、実際にそうはならない。生気を失い、最終的には自殺にまで追い込まれる彼の姿を見て、観客は不安を感じるのだ。

そしてラストシーンで、アレックスはルドヴィコ療法を解除する治療を受け、再び悪を行える身体に「回復」する(=自由意志を取り戻す)。

他方、邪悪な男に戻ったアレックスを見て観客は、「ああよかったよかった」と安堵する。

しか映画が終わって映画館を出てみると、更生した犯罪者が再び犯罪者に戻るさまを見て安堵するというのは一体どういうことなのだろう?という疑問が湧いてくる。これでは何が何だかからない。

ここで観客は、(悪を選択することも含む)自由意志がなければ、人は人間性を失ってしまう、ということに気付かされるのだ。

まとめ:『時計じかけのオレンジ』は何が凄いか

キリスト教徒が1千年以上も議論してきた自由意志問題について、これまでに無かった視点から議論を展開したのが凄い。

・それなのに衒学的な映画に堕することなく、上質なエンターテインメントに仕上げ、興行収入2600万ドル以上も稼いだのが凄い。

タイトルがかっこいいのが凄い。

・この映画がよく分かんなかった人も凄いと言ってるのが凄い。

キューブリックの顔が凄い。

・ここまで書いてきて実は俺はそんなに『時計じかけのオレンジ』が好きじゃないのが凄い。

anond:20180114095411

欧米は大局を見て精神的支柱破壊宗教観などエネミーの根本的なところを崩して乗っ取りしようとしているけど

日本人ははっきり証拠が残る戦果を出した人以外を評価しないか目的もみみっちくなりがちな感じ

友人の黒人曰く感覚的に日本人黒人差別してないのを分かってるらしい

ちょっと乗り遅れたけど

黒人に黒塗りが差別かどうか聞いてみた

ちなみにアメリカまれアメリカ育ちな

結局はやられる相手によるそう

アメリカ白人が黒塗りかましてきたらムカつくし差別だが、日本芸人がやってるのを見ても何も感じないとさ

それに感覚的に日本人黒人差別してないと感じるのは、黒人普通に異性にモテるから

ご存知の通りアメリカでは白人黒人カップル結婚するのは結構少数派だ

白人から生理的嫌悪されてるのを感じることがしょっちゅうだが日本ではそれがないと

この生理的嫌悪されてるってのが差別での根本的な悪意だそう

日本に住んでる他の黒人外国人同士で結婚するんじゃなく日本人結婚する人が多い

から感覚的に黒人差別してないのを分かってるとのこと

ただ、以上に珍しがられるのはうざったいらしい

東京ではそんなことないが観光地方に行くとガキにスマホ写真取られるんだとよ

2018-01-13

結局中国が一番賢いと思うんだが

人権自由制限するのは現代の潮流に逆らうけど

確実に世界覇権を握る存在にまで上り詰めつつあるじゃん

どんなに落ちぶれても絶対に這い上がってくる

根本的に賢いだけじゃなくて常に争いの中で栄枯盛衰してきただけあって現実を良く理解してる

そういった歴史的な蓄積があるってのが何より大きい

ちゃんと敵味方の区別をして、敵の敵は味方だという賢さも備えてる

絶対自分たちが損する選択肢を取らないし妥協しない

個人尊重しないから常に国が勝てる戦略を取れる

アメリカはまだ挫けたことが一度もないから、もし挫折したときが怖いが

中国は負けても絶対に負けて終わらないことが歴史的証明されてるように思える

回り回って結局は中国が一番賢いんじゃないか

機械じかけのオレンジって何が凄いの?

アマゾンプライムでもうすぐ見れなくなるらしいから見たんだがつまらなすぎて1時間見たところでやめた。

こっから面白くなるんか?

今のところ一番面白かったのはチンコオブジェ

追記:

お前らが煩いからもう1時間半ドブに捨ててきてやったぞ。

まあ後半はそこそこ楽しめたから前半ドブに捨てた時間ちょっとは取り返せたかな。

全体で見ると悪くない映画ではあるわな。

だけど前半の1時間がつまらなかったのは紛れもない事実だ。

最後まで見ないで文句言うなと言う意見はあるだろうが、半分まで見てつまらないってのは映画として相当酷い。

これが映画館だったら寝てたかも知れんし出ていってた可能性もある。

お前ら本当に雨に唄えば歌いながら暴力ふるってるシーンがそんなに面白かったのか?

あんものを楽しめないことを「センスが悪い」や「教養がない」と言うのなら、俺はそんな連中になら「教養センスもない」と思われて何一つ構わねえよ。

だがな、そいつらの言う「センス」や「教養」が絶対的だとは一切思わねえ。

そいつらの考える狭い価値観範囲にこっちまで迎合するつもりはねえってだけの話だ。

何でそう思うかって言うとな。

娯楽作品面白いと感じれるかどうかなんていう「好き嫌い」の世界に「センス」や「教養」って単語を持ち出す時点で、根本的に何かを勘違いしてる連中だからだよ。

もう一度言うぞ。

娯楽を楽しめるかどうかの話にくだらねーマウントを持ち込むんじゃねえ。

文化が穢れるんだよ。

適齢期なのに誰かに愛されたいとも思わないし、

特定の誰かを好きになることもないし、

自分意見他人にわかってもらいたいとも思わないし、

ていうか何らかの意見を持ってるのもメモリ無駄遣いだから根本的なところ意外は持っていたくないし、

社会自分能力を見せ付けたいとも思わないし、

周囲の期待にも応えたいと思わないし、

ぷかぷか雲のように生きることは穏やかで気に入ってるけど、

20代後半でこんな状態になって残りの人生どうするのと思う。

あ、年代に応じた生き方があるというのも幻想だったのか。

ガキ使「笑ってはいけない」がつまらない

浜田黒人問題はとりあえずおいておくとして、最近根本的に「笑ってはいけない」がおもしろくない。

実はここ数年ちゃんと観ていない。

全く見ていないというわけではないのだが、以前の情熱を持って観られていない。

 

以前はテレビにかじりつき、息を潜め、不意に腹を抱えて、時には転げ回って笑ったりしていたのたが、

最近は流し見て、たまに笑ってたまにすごく笑う。それだけの番組になってしまったのだ。

年を取ったせいかな、最近仕事が忙しくなったせいかな、などとぼんやり考えていたのだが、今年やっと原因が分かったため記しておきたい。

 

あれ最近、「笑わなければいけない」が3割混ざっているだろう。

 

ここ最近の笑ってはいけないの数々のネタには「びっくりする」や「すごい」や「意外」、果ては「この人がこんなことをやってくれるなんて恐縮だな」や「こんなにがんばってます」なんてものまで

「さあ、笑ってどうぞ!」、「さあ、笑ってあげてください!」とばかりに出されている。

それにつられたダウンタウンまで笑わなきゃとばかりに笑う。

今年はそれが特に顕著だった気がする。

 

あれ?こんなんだったっけ?

この番組おもしろさってそんなところだったっけ?

 

違う。

まず、あの5人の、人が仕掛けてきた笑いなんかに絶対に笑ってやるものかという強い決意の上に、なおかつつらい罰ゲームがあるため心底笑いたくないと思っている雰囲気

そしてその雰囲気に引き込まれ、一緒になって笑いを我慢する我々視聴者

その虚をついて笑わせにくるネタ

面白くなければ容赦なく笑わない。

面白くても笑わない5人。笑わない視聴者。笑ってしま視聴者

おもしろネタ

つい笑ってしまう2人。つい笑ってしま視聴者。今のはそんなに面白くないだろ?と誇らしげに首を傾げる視聴者

おもしろくもないネタ

しかし緊張の糸が切れて思わず笑ってしま松ちゃん連鎖的に笑い耐性が低くなっていく4人。不毛につぶし合う5人。それを見て笑い転げる我々視聴者

 

あのヒリヒリする緊迫感からまれ沈黙と笑いとそのバカバカしさが相乗効果を生み出し「笑ってはいけない」が「笑わずはいられない」となるのがあの番組の本当のおもしろさだったのではないだろうか。

 

それが今や、

ネタが出される→出演者笑う。我々笑う。

ネタが出される→出演者笑う。我々笑う。

ネタが秀逸→出演者すごく笑う。我々すごく笑う。

ネタいまいち→誰かしらは笑う。我々笑う。

という、何のうねりもひずみも緊張感もないものがただ長時間続く番組となってしまっているのだ。

 

まりすべてが完全に平らに丸くなってしまった。

ここまで書いて気づいた。

ああ、これがマンネリか、と。

 

私自身はマンネリというものに対してそこまで否定的ではないし、まあ見れば見ちゃう面白いよ?

ただ、これほどまでにマンネリと相容れないコンセプトの番組はないだろう。

このままでまだまだ続けていくことはできるだろうが、後で「魂はとっくにしんでたなぁ」ということにみんなで気づくことになりそうだ。

 

これ、実は本人たちもすでに薄々気づいてはいるのではないか勝手に思っている。

 

そして思い上がりではあるが、仮にこの文章松本さんが読んだとしたら、覚悟を持った最後の一回をやってスパッとやめるはずだと思っている。

浜ちゃんも「あんたがそう思うのであればそれは正しい。」と言ってやめる段取りを取り始めるはずだ。

少なくともごっつをやっていた頃のダウンタウンであればそうだったのかな。

 

 

なお、その際にはぜひとも「最後の」的な情報煽りは一切無しで、我々に対して出演者製作者・局の全員で勝負に来てほしい。

https://anond.hatelabo.jp/20180111135207

色覚異常補正レンズインチキか否かということで揉めているが、まず、医療器具として医療保険対象では無いということが何を意味するかは大人であれば解ると思う。

ついでに、目が色を識別する原理について、色弱の人も普通の人も少し勉強してほしい。

 

とりあえずWikipedia

錐体細胞

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%90%E4%BD%93%E7%B4%B0%E8%83%9E

 

何が言いたいかというと、注目してほしいのは、「人間錐体細胞 (S, M, L) と桿体細胞 (R) が含む視物質の吸収スペクトル」というグラフ

普通の人でも、緑を感じる錐体細胞(M)と、赤を感じる錐体細胞の受光特性(L)は、ごく僅かしか違わないということだ。

大部分が重複してしまっているので、これを色覚異常補正レンズ補正する事は難しい。かといって、完全にムダとも言いきれない。

 

緑と赤の錐体細胞の受光特性は、ごく僅かしか違わないのに、なぜ普通の人は赤と緑をしっかり明確に識別できるのかということは、おそらく脳内で複雑な処理をしているからだろうと色々な推定が為されているが、はっきり「これだ!」と解明されている事はごく僅か。だから色覚異常補正レンズで少し補正しただけでも、結果的に予想以上の効果をもたらす可能性も否定できない。脳内信号処理のもんだいまで絡むとなると、解らない事だらけなのだ

 

ポイントは、「普通の人手も、緑と赤の錐体細胞の受光特性は、ほんのちょっとしか違わない」ってこと。今日はこれを覚えて帰ってほしい。色弱の人が、健常者と何か根本的に大きく違っている訳じゃない。ほんのちょとの差でしかない。ここは本当に声を大にして言いたい。

 

色覚異常補正レンズは、原理的に、残念ながら望みは薄い。が、かといって「完全にインチキ」と証明できるほどの根拠が揃っている訳でもない。少しでも役にたっている人が居ることも事実。過度な期待はせず、ダメモトで試してみる、ぐらいの感覚がちょうど良いのだと思う。

[]1月12日

○朝食:カニカマ

○昼食:オムライス定食オムライス味噌汁サラダコーヒー

○夕食:箱助六(豪華な助六、いなり、巻き寿司海苔の)、巻き寿司(葉っぱの、いや葉っぱのて語彙がない)、鯖押し寿司エビ、卵、アナゴ、といなりと巻き寿司以外もたくさん入ってて超うまかった、舌が肥えてしまいそう)

○間食:サプリメントマルチビタミンミネラル)二粒

調子

はややー。

仕事はちょいなちょいなと適当にそれなりにこなした。

来週からは忙しくなりそうなので、気合いいれよ。

ポケモン情報整理

名探偵ピカチュウの完全版が発売決定。

話が超途中で終わってたので、これは嬉しいけど、もっかい同じ話をやるのタルいね

さらに、Amiiboも発売。

基本的ポケモンは「あくタイプ」と「あくタイプに関連するポケモン」を収集対象にしているんだけど、

名探偵ピカチュウポケモンとしてというより、キャラクタとして好きなので、これは購入したいな。

なんかドタドターとここ数日で情報が舞い込んできたな。

から発表されてたのも含めて、少し整理すると、

コマスターメガミュウツーがXとY両方追加予定。

ポッ拳ギルガルドカメックスが追加予定。

アベマで本編の対戦番組が始まる。

15日発売のコロコロに本編でのアルセウス引換券。

3DSクリスタルVC

3DS名探偵ピカチュウの完全版。

なんだか忙しくなってきてテンションあがるぜ!

3DS

ブランチパニック

料理作って提供する系ゲーム

これ、フラッシュゲーとかで古くからあるイメージだけど、ジャンル名とかあるのかしら。

今日は6面までプレイ

低価格なのでちゃっちいゲームかな? と思いきや、ボイスもあるし、キャラクタアニメーションするし、軽めのストーリーもちゃんとあるし、ボイスもあるし、ボイスもあるしで、割とリッチに思えた。

あと、根本的に「ものをおぼえる」が苦手なタチなんですが、こういう料理作って提供する系ゲーム食材位置を覚えるのはあまり苦じゃないんですよね、得意ではないけど。

ポケとる

サクラビスジュゴンワニノコシキジカ(秋、秋だと思うメインの622)を捕獲

捕まえてないが66匹。

2018-01-12

自分に合った勉強法を知ろうという話

大学二年後期、定期試験やばい

一年次や二年の前期もやばいやばいと言いながら試験に臨み、ギリギリのところで単位を取得してきたが、今回は特にやばい

かつての私はコツコツ勉強するタイプであった。課題が出ればその日のうちにこなし、授業で出された演習問題はこまめに解くようにしていた。私はもともと地頭がよくない。大学受験問題暗記で乗り切っていた。根本的なところは何も理解していない。講義を聞いただけでは微塵も理解できない。しかし、その後には必ず時間をとって、たとえ自分の頭で考えてもわからない内容でも、復習に努めた。

しかし、次第に周囲の影響を受けるようになり、期末の時期に過去問だけ解けばいいや、と思うようになった。実際、それで乗り切れてしまった。

そして来たる二年後期、なぜかこれまで全く興味のなかった読書にどっぷりとハマった。どうせ授業を聞いてもわからないという考えから、授業中もひたすら読書に耽っていた。自分の専攻する内容とは何ら関係のないものばかりだ。

私がいま思うのは、日頃からの復習をしておくべきだったということだ。二年前期まではそれなりに頑張っていた。考えてもわからないとはいえど、この過程を経ることによって、期末の勉強スムーズに進んでいたのは明らかだった。しかし、今期は日頃の復習を全くしていない。授業の内容はますます高度になっていき、ノート過去問を見ても何のことだかさっぱりわからない。

友達もいないのに周囲の影響なんていうのは自分でも滑稽に思えるが、とにかく私は周りに流されてしまった。単位なんてのは過去問を解くだけで取れるもの、と考えるようになってしまった。しかし私には過去問を解くだけで単位を取る能力はなかった。これまで単位を取得できたのは、わずかながらの日々の復習とこれまでの積み重ねによるものだったのだろう。現時点でその積み重ねは途絶えてしまった。宙ぶらりん状態である

結局、私に合っていたのは日頃からの復習を怠らない勉強法だったのだ。周りの彼らは直前に一夜漬け過去問を解いてエナジードリンクを飲んで臨めば単位が取れてしまうのかもしれない。しかし、私は試験前に一夜漬けなどしたことがないし、毎日時間以上の睡眠を取らなければ次の日には全く頭が働かない体質だ。直前に詰め込むのは苦手であったし、コツコツ身につけていくのがこれまでのやり方であったはずだ。しかし、周りができるなら自分にも、という安易な考えからこの習慣を壊してしまった。自分のことは誰よりもわかっていたはずなのに。

自分に合った勉強法無意識のうちに身についていたのだ。しかし私はそれに気づかず、自ら手放してしまった。自分のことは自分しかからない。周囲との違いを認識し、自分のやり方というもの発見しておくべきだったのだろう。

定期試験まで二週間弱、こんなことを考えながら、今期の履修科目を一から辿っている。

今日多々良川

粉雪のち晴れ

水位低い

川の真ん中あたりの川底が露出してる

寒い

サギカモなし

甲羅干しの亀1

・・・

かと思ったら違った

甲羅干しの亀1は合ってたけどカモが3だった

なんで間違えたのか状況メモ

サギとカモはいつも亀池の外にいる思い込みがあったから、まずそこにいなかった時点でいないと考えた

(ここんとこずっとカモ見てなかったか今日もいないだろうという思い込みもあった)

次に、亀池のいつものブロックと違うところにいつもより小さめの亀が1匹甲羅干ししてて、ああ今日は亀1だけかと思った

でもよく見ると亀池の奥の方のブロックが動いてる?

亀がアクティブに動いてるのか?

亀がブロックにのぼろうとしている?

と思って気になって止まってよく目を凝らしてみると、亀じゃなくて3匹のカモだった

また亀池内にカモが侵入していた

黒だかこげちゃだかのすんごく地味な色のカモ

カモたちは亀池内ブロック根本あたりをしきりにつっついてエサを探してた

釣りでも岩陰とかに魚いるっていうけど、カモが探してるエサも同じように、

水中に隠れてるブロックの陰とかにいたりするのかもしれない

でも、カモが騒がしくエサさがししてるから亀がブロックの上に上がれなくなってそう

カモ久しぶりに見た

完全に余談だけど「多々良川」って入力するの、やけにせわしなくなってしまってもどかしい

全部に母音のAが入ってる&左手だけで打たなきゃだから

anond:20180112081223

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