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はてなキーワード: 俎上とは

2024-03-06

混乱が深まる「マチ★アソビ」に何が起こった? 「唯一無二」だったイベントの今後に懸念 | マグミクス

https://magmix.jp/post/215445


飯泉嘉門 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E6%B3%89%E5%98%89%E9%96%80


特段アンチオタクでもねぇ後藤田の倅がなんで? と思ったけど飯泉との確執が原因じゃねぇかなぁと。(後藤田倅のWikipediaには特に書いていないので、飯泉の方を引っ張る)

飯泉県政で安定的に成果の中で「花だけある(枯らしても問題ない)」事業をぶっ壊すのは、シンボルの首狩りとしては正しいわけで。

んじゃ、元に戻るの、って話だが政治家は執念深い蛇のようなものなので、飯泉の色が付いているもの拒否するでしょう。

まり、これで終わり。というのが俺の予想。


角川様でも担いで、名前も変えて、飯泉の成果じゃなく後藤田の成果にして「経済効果が上回れば」形を変えて生存できるけど、経済効果が下回れば「そもそもの役目は終わっている」で二度と俎上に上がらなくなる。

そういうのが政治ってもんです。

2024-02-28

anond:20240228004738

実行可能か否か、というよりも解決策として妥当もの議論俎上にあがっているか否かが今は問題だと認識している

現状、政策として実行されている様々な少子化対策はどれも的はずれなものが多い

であれば代替になりうる案を提示するだけでも意義がある

2024-02-27

anond:20240227134109

それらの基本的人権を実現するために参政権請求権がある

参政権の中に選挙権があり

選挙権が奪われればその人の人権が危うくなる

実際に選挙投票の実行が難しい障碍者人権問題はよく俎上に上がる

例えば目が見えない人は点字投票するが開票作業は公開で行われるので

もし当該区に点字投票が一票しか無ければ記名投票同義になるなどの問題が挙げられる

(それを嫌って投票に行けないなどの訴えがある)

 

まあそもそも選挙権を奪うってこと自体平等権に反するよな

2024-02-21

原発汚染水

正確には処理水だ、人体には影響ない、自然界にはもっと強い放射線

このような理屈を垂れる人がいる、ひろゆきとかひろゆきとか

 

アホ過ぎてもうね

 

汚染水俎上にのせようとしてる連中の主張は、原発やめろだ

 

原発で得られるエネルギー事故が起きた時の損失を比べれば「理論的」にもはや原発の維持はあり得ない。

彼らはそう主張している

だが、推進側は依然として「原発事故は起きない」と主張する

いや起きましたやん

議論にならない、話にならない

そもそも議論にも乗ってこず、のらりくらり逃げ回り、時間が経過し大衆が忘れることを待っている。

案の定それが成功している

 

から戦う材料汚染水を使っているだけだ

奴らを無理やり土俵に引きずり込む手段にすぎない

 

それとこれとは別の議論と言うが

そもそも最初議論を避けているのは原発推進側で

ここできれいに決着がついて、では次の議論、とはなってない

ここを彼はスルーするのよね

論理的俯瞰的物事を考えられない人

事象を細分化枝葉末節屁理屈を積み上げるだけ

個々には正しいようにみえて全体では合成の誤謬が起きる

 

でも今どきはこういう軽くてわかりやすいのが流行ちゃう

2024-02-15

ルックバックの映画化について思うこと

⚫︎『ルックバック』が漫画としてよく出来ていることはまったく否定しないが、反逆コメンテーターエンドウさんの作者が事件当日に上げた放火魔地獄に落ちる漫画本質的には同じだということには自覚的でいたほうがよい。

⚫︎放火魔漫画過去作の再掲だったが、まだ現場鎮圧すら終わらない状況で思わせぶりなキャプションをつけて投稿されたもの事件風刺意図がないとするのは無理筋である。『ルックバック』も同様に、あの日付けにあのストーリー掲載した時点で議論俎上から逃れる道はない。

⚫︎実在事件を扱った作品は『ルックバック』だけではないとの反論が発表当時散見されたが、『ルックバック』の場合、作者と事件距離感特殊である事件について作者が共感感傷を寄せすぎている。おそらく第三者として事件咀嚼せざるをえない無力を嘆く意図があるのではと推察する。

⚫︎主人公戯画化された危険精神病者を成敗する(妄想をする)というスカジャパ“チック”な核がエモやら創作賛歌やらで巧みにコーティングされているため、受け手によって論点がブレがちで、ややもすれば本職のクリエイターすら無批判に歓迎していたりする。技術的な面に重点を置いて語る者はこの限りではないが、例の事件への追悼だとして賞賛する者は氷水入りのバケツに頭を沈めた方がよい。

⚫︎特にクリエイター界隈では極めてセンシティブな素材を扱うのだから、作者もそれなりに慎重になっているのかと思えば「(アニメ化が)楽しみです」ときて、もう何も分からなくなった。「未消化なものを消化」できたら次は他人の手に作品を預けて更なるコンテンツ化を許すのか。事件関係者が未だ苦しむ中で何を「消化」したというのだ。

⚫︎いや、アニメ化された途端に強い当事者性を帯びる可能性があるのか。ほとんどの役職を一人で担う中で原作担当までするのは難しかろう。有りものネームバリューを借りるのは仕方がないのか。

⚫︎作者は次作『さよなら絵梨』でキャラの口を借りて「受け手の心を揺さぶるならば作り手も傷つかなければフェアではない」といった主旨の主張をしているが、作り手も一緒に傷つくなら受け手を巻き込む無神経が赦されるわけではないのではないか

⚫︎今一度強調するが、この話は『ルックバック』の作品としての質を懐疑するものではない。とても上手い漫画であることに疑いの余地はない。

以上、SNSで呟こうとしたものの、厄介な人に噛みつかれそうでやめた散文をここに投げる。

2024-02-10

anond:20240210041231

メリットデメリットを数え上げるのが不毛ってのは分からなくはないけど、それでもメリットデメリットを討論の俎上に挙げて今の時点ではどちらがより良い制度なのか検討しないと何も先に進まないじゃん。

内縁夫婦でも不利がないようにって言うけど、夫婦や親子は優遇しようって観点があって、その事務作業のために戸籍があって家族単位が同じ苗字だと便利ですねって話だと思ってるから、なんか話が捻れてるように感じるよ、それ。

2024-01-31

anond:20240131120930

この違和感に気づかずに

「これを同列に見るのは歪んでる」って言えるの、はてなブックマーカーの才能だと思う

原作者意向を最重視するのであれば、それに抵触しかねないアレコレは同様に俎上に挙げられるべき、というのを理解した上で自分だけは助かろうという魂胆なのだろう

このブックマーカーたちの生態がほんとうにきもちわるい

  

なおブコメはしね

2024-01-16

anond:20240116003349

善にはいろいろ種類がある。

お前が重視してるのは、「平等」という善徳だ。

 

Aさんが救われているのに、Bさんが救われてないことがある。これが許せないだろ? ズルいじゃんだって

そう言う考え方は、実際ある。

現代リベラルへのかなり有効な、反論できない批判、弱点でもある。"かわいそうランキング"とかスラング的に言われているのがそれだ。助ける側が助ける相手を好きに選んでいるんだよね。お前の言う通りなんだ。よくないことが起きてしまっているんだよ。「平等」は無視されている。しばしば議論俎上にもあがっている。

 

でも、じゃあ平等ってを目指したいと思ったお前は、何をするか?

目の前の相手を助けず見捨てる、「非道」という悪徳を成してしまうんだな。

これは間違っているよ。だって悪徳じゃないか

 

善にはいろいろあって、悪にもいろいろある。しかも同時に同じ行為に発生し得るということだ。

しかもだ。『罪と罰』が言うように、善と悪が相互に打ち消しあって、大義の前に小悪が許されるとは、俺は思わない。けどそれにしたって、おそらくお前の行為では達成できないであろう「平等」という善に対して、確実に達成されている「非道」の悪徳は、ちょっと大きすぎるんではないかね。リスクリターンがあわないよ。

 

から俺は、やはりお前は目の前の人間を助けるべきだと思う。

「優しさ」という善徳を達成するべきだ。

その上で、「平等」かどうかという観点は、お前の手の届く範囲について考えるべきだと思う。お前自身が、障がい者KKOも分け隔てなく助けるならば、それでいいじゃん。それで平等だ。たまたまお前の前に現れなかった奴は平等に救われたりしないわけだが、それは運だったという観点で、あるいみ平等と言えるじゃん。

 

目の前の人だけを助けるんだよ。

お前んちに来たら、老犬にも子犬にも餌をやれ。

社会全体で、属性で選ばれた人を助けるんじゃなくてね。

これは現代福祉問題への、おそらく唯一の回答でもある。かわいそうランキングを作らないこと。

2024-01-09

anond:20240108235945

続き

苦情処理委員勧告

2022年4月県民からの申立を受けて、2023年8月30日苦情処理委員が県教委へ提出したもの

県民の申立についてと、これを受けて苦情処理委員調査に基づいて県教委へ勧告した内容が記されている。

平成13年勧告

勧告書には、平成13年度(2001年度)に同様の勧告があった経緯についても記載されている。

これに対する当時の県教委の報告書における「今後の方向性」は以下のものであった。

教育委員会としては、 将来にわたって共学化を進めていくという立場に立ちながらも、 本県の数少ない別学校は、 多くの県民の強い支持があること、 各学校主体性尊重する必要があることなから、 早期に共学化を実現するという結論には至らなかった。

女子差別撤廃条約とは

女子差別撤廃条約

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/josi/index.html

女子差別撤廃条約は、男女の完全な平等の達成に貢献することを目的として、女子に対するあらゆる差別撤廃することを基本理念としています。具体的には、「女子に対する差別」を定義し、締約国に対し、政治的及び公的活動、並びに経済的及び社会的活動における差別撤廃のために適当措置をとることを求めています

条約は、1979年の第34回国連総会において採択され、1981年に発効しました。日本1985年に締結しました。

条約全文

https://www.gender.go.jp/international/int_kaigi/int_teppai/joyaku.html

勧告根拠としている箇所は以下。

10

締約国は,教育の分野において,女子に対して男子平等権利を確保することを目的として,特に,男女の平等を基礎として次のことを確保することを目的として,女子に対する差別撤廃するためのすべての適当措置をとる。

(c) すべての段階及びあらゆる形態教育における男女の役割についての定型化された概念撤廃を,この目的の達成を助長する男女共学その他の種類の教育奨励することにより,また,特に,教材用図書及び指導計画改訂すること並びに指導方法を調整することにより行うこと。

内容についての所感

勧告要旨の1点目について、確かに条文では男女共学奨励しているが、その目的は「教育の分野において,女子に対して男子平等権利を確保すること」とある

半世紀前の世界女子教育機会が限られていた時代の条文であり、県内外に共学別学さまざまな選択肢がある現代埼玉県において、この条文を根拠目的が達成されてないと主張するのは無理があるように思う。

勧告要旨の2点目について、管理職教職員の男女格差是正必要だが、共学化に結びつける論拠には乏しい。

男女別学との因果関係はあるかもしれないが、この目的で共学化を主張するのは論理が飛躍している。

他にも勧告の詳細では他県の状況などを列挙しているが、いずれも共学化の主張を補強するに足るものではないように思う。

市民団体「共学ネットさいたま」(清水はるみ代表

埼玉県高校の共学化を推進する団体

埼玉県男女共同参画推進センター主催するイベントに毎年出場しているらしい。

紹介文を見るに20年以上の歴史があるようだ。

第21回 With You さいたま フェスティバル出展参加団体紹介

https://www.pref.saitama.lg.jp/withyou/event/report/r4/21th_fes_dantai02.html#kyougaku

代表者氏名 清水はるみ 会員数 100人 所在地活動拠点) 鶴ヶ島市

2001年9月私たちは「埼玉県内のすべての公立高校男女共学に」をめざして、「共学ネットさいたま」を設立しました。

2000年3月に「埼玉県男女共同参画推進条例」が施行され、「男女混合名簿使用」と「別学校の共学化」を求める市民からの苦情申し立てがなされたのを契機に、共学化の運動を推進していく市民運動母体として、様々な活動に取り組んできました。


前述の平成13年勧告が契機だという。

WebサイトSNSアカウントなどは存在しないようで、どういう論拠をもって共学化を推進しているのかはわからなかった。

10月12日に提出したという要望書も見つからず、公開されていないと思われる。

団体名・代表者名で検索すると、ジェンダー平等の各種活動への賛同者として登場しており、苦情処理委員への申立者と同じ論拠で共学化を推進しているように見受けられる。

他に共学化推進の活動をする団体情報は見当たらなかった。

浦和高校同窓会意見書

12月1日大野知事日吉教育長に提出されたもの

7項目に渡って勧告書の問題を指摘し、主にダイバーシティ観点から別学の意義を主張している。

5番目の項目では勧告書の矛盾恣意性を指摘している。

女子別学を肯定するのか否定するのか、文脈が判然としない記述である

勧告書の共学化勧告は、私学にも向けられる内容であり、少なくとも触れられて然るべきである

しかし、本勧告書はこの点に目をつぶる。私立の別学までは関知しないという姿勢だろうが、首尾一貫しない主張に見える。

7番目の項目は簡潔に一文のみで、勧告書の無茶な主張を一蹴している。

最後に、埼玉県高校管理職教職員格差等については、県教育行政問題であり、今回の共学化とは趣旨を異にするものである

内容についての所感

勧告書の問題点を指摘し、別学の意義を理路整然と説明しており、おおむね納得できる内容に思える。

ただ部分的には根拠に疑問があり、特に6番目の項目はやや感情が先走っているようにも見受けられた。

別学出身者とりわけ男子は、社会に出ると、定型化された男女の役割という概念から抜け出せず、社会生活に支障を来す、あるいは四囲に悪影響を与える等、問題が生じるとでもいうのであろうか。もちろん、そのような調査結果などはなく、そのような実情にもないというのが一般人感覚であろう。

今日においてこそ、高校教育における別学の有用性が認められ、再評価されるべきである。別学の存在意義は誠に大きいものといわなければならない。

オンライン署名

12月20日に開始。発起人は浦和高校関係者在校生卒業生とそれらの保護者)有志とあり、県内の別学・共学の高校がずらりと参画メンバーに名を連ねている。

この署名趣旨は以下の2点のようだ。

現在1月8日)時点で1万5千を超える賛同者が集まっている。

Change.orgサイト内とX上で賛同者のコメントを見ることができるが、対象の別学在校生卒業生以外にも、共学出身者や県外出身者など広い層から賛同を得ているようだ。

内容についての所感

特に2点目の情報公開については強く賛同するところだ。

賛同者のコメントの多くは当事者および社会への影響を懸念するものであり、理知的ものであるように見える。

特に関係者以外からコメントは実感のこもった真摯ものが多く感じた。

一方で首を傾げるコメントもそこそこ見られるのが気になった。

勧告書の内容や経緯を誤認しているもの卒業生個人的な思い出のみを根拠感情的に反対を叫んでいるものなど。

中には何故かLGBTQやフェミニストを敵視・蔑視対立を露わにするものもあり、ナンバースクール出身品位矜持もないものかと残念に感じた。

そもそも議論の出発点や経緯が共有されてないようにも思えるので、署名説明勧告書と意見書リンクでもあればいいのにと感じた(今回私がこの記事を書くことになった動機)。

全体所感

勧告書の主張は根拠に乏しく、到底賛同を得られるものでないように思える。

しか勧告書が提出され議論俎上に載せられた以上、正しく議論が行われるべきである

浦和高校同窓会の提出した意見書、およびオンライン署名活動は意義あるものだと思う。

署名が受け入れられて議論が公になり、理性的で公正な判断がなされることを願うばかりだ。

また今回の運動は他県の共学化にも影響することとなりうるので、特に他県別学校関係者にも注視してもらいたいと思う。

2023-11-14

ボーカロイド音楽論」(ぱてゼミ)は何故あまり批判されないのか

追記そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。

【背景】

 東京大学東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義Twitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判ツイートはヒットしない(Twitter検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評Amazonレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。

 本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。

【本論】

まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。

1. 媒体:現地で行う音声形式講義では記録に基づく批判が困難であるという点。

2. 受け手資質講義対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しか批判に割くだけのリソースを持っていないという点。

3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。

4. コミュニティ:この講義ボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティ形成する役割を同時に担っており、コミュニティ批判との相性が悪いという点。

以下、これらの点を順に見ていく。

1. 媒体

 書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったかである

2. 受け手資質

 この講義は主として東京大学教養学部学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点から検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義のもの大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである

3. 内容

 ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。

 まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである

「テマティスムは、作家メッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ作家作品の細部から作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマ抽出し、作品価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)

さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師提唱している。以下に書籍抜粋を示す。

「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)

「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)

 つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。

 もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、

①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること

個別楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること

③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること

であるしか書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚思考俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能からである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。

4. コミュニティ

現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバム作成ちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティ積極的提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体マイノリティたる若者鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかコミュニティ形成するとはそういうことなである

最後に】

 「ボーカロイド音楽論」の講義書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしま未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。

追記:何故もっと批判されるべきなのか】

 強い言葉で言えば、

「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」

である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配杞憂であってほしいが)。

 筆者がこの講義書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。

1. タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。

2. 「思考俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考必要なぱて講師感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。

3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的しか思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。

注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンス書籍利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体利他行動も、種や遺伝子主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身生存繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないかである。(遺伝子自然選択対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択対象として観察可能ものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。

2023-11-10

anond:20231110091138

バブルの崩壊女性社会進出を遅らせた」という話なら議論俎上に上がる余地はあるけど。

様々な要因がある、複雑でばらばらな動きからまれ事象を、一つの統一された意思のもとで起こされたものである単純化して「理解ちゃう」のが陰謀論なんだよね。

anond:20231105175837

世の中は「完全週休2日カレンダー通りの休みベースで動いている

そういうカタギの商売の人が沢山居るんだろう(済まんが誰かデータ見つけてくれ。探すの面倒)

から「完全週休3日の前に完全週休2日を徹底しろ」という議論すら俎上に載せられることが無いんだ

斯く言う自分は非カタギ商売であり、先日久し振りに「連続した二日間の休み」を頂戴したとき

人間(の大人特に老い人間)は矢張り2日連続で休まないと休んだ感じがしないもんなんだな」と思った

恢復度が違うんだよね

はー

カタギの商売に戻りたいなあ(カレンダー通りに休んでいた頃は、その有り難みなぞ感じてはいなかった)

もう戻れないけど

つーか、完全週休3日ね

まあ、出来るところはやればいいんじゃあないの

そういう職場に勤められるか否かは本人次第だし。「そうじゃない勢」が「ずるい」というのはお門違いだ

毎週3連休しかったら、その職場就業出来る様に努力するしかない

増田が言う通り「完全週休2日すら成立していないのに3日とは何事だ」と思うけれども

「世の中は平等ではない」ということを忘れている

というか仕事形態は色々あり、「職業人総てが同じ様に休む」なんてのは不可能

もしそれを可能にすると、色々なサービスが止まる。ヨーロッパみたいな感じになるぞ。日本人はそれに耐えられるのか?

まあ、徐々に「そういうもんだ」と慣らしていくしかないが

そう出来るなら或いは「日本における完全週休3日」は可能かもしれんがな

それか、「賃金は下がるけど就業する人数を増やして、みんな順繰りに3連休取る(だからみんなが決まった曜日休みにはならないが、完全週休3日は可能)」とかもありかな

どっちにしろ何かしらのデメリットはあるだろうね

2023-11-02

日本4.0」の記事とそれに対するはてな村の反応を見た上での私見

概要

https://coralcap.co/2023/11/japan4-0/

上記記事と、それについたブコメを見て思ったことを適当に書く。

記事ブコメについて

上記記事は「経済活動の総量は減ったとしても、人口当たりで考えれば豊かさを向上させることは出来るはずだ」という趣旨だと思うんだが、

経済活動の総量が減るだろ、何言ってんだ」みたいな頓珍漢なブコメが大量に星集めてるの見て悲しい。

ただ悲しい。

記事の内容について

日本他国比較してどうなのか」という観点しか見ていない感じなので、著者は都会に住んでる人なんだろうな、という感じがする。

日本経済活動の総量が減るということがどういうことなのかを理屈ではわかっていても実際どうなるのかを肌で感じたことが無いんだろうなと思う。

「都会に限った話」という条件で語るなら筆者の意見妥当性のある内容だ。

人口が半分になろうとも、首都圏大阪近辺、地方大都市あたりは豊かさをより感じられるように変化させていくことは可能だろう。

その代わり、地方は末端から徐々に壊死していく。そこに対する提言は一切記事に書かれていない。

日本全体でどれだけ「平均的な豊かさ」が従来以上のものなったとしても、壊死する地方に住んでる人間の豊かさは2倍どころか、現状以下になることは明白だ。

そもそも著者の視界に入ってない事について私が推測で語っても何も意味がないのでこれ以上の言及は避ける。

議題を俎上に乗せるためにまず自身の考えを公開するという点は非常に素晴らしいと思う。

でも、ここから先にたどり着く議論の先には「都会VS地方」という結論のない戦いしかないように思う。

切り捨てられる側からしたら、移住した先により豊かな暮らしが待っていたとして、その豊かさをそのまま受け入れられるわけではないということは分かってほしい。

豊かな都会の理屈だけで日本全体を論じるのは大雑把すぎる。

でもいずれ、この「正解のない問題」に対する答えを出す時期は来るので、罵り合いにしかたどり着かないとしても議論を始める価値はある。

個人はその問題が表面化する前にあの世に逃げるので、どんな意見を出そうと大した意味はない。

俺たちの残す負の遺産を背負わされる若い世代のみんな、申し訳ない。

けど、俺も日本全体から見捨てられた世代から大目に見てほしい。

2023-10-25

仁藤夢乃さんはトランスジェンダー問題についてとてもクレバーである

現在インターネットフェミニストトランスジェンダーの扱いをめぐって大きく2つに割れているのは、トランスフェミニズムに関して興味を持つ人ならばよく知っているだろう。

フェミニズム的な主張をするこのアカウントトランスヘイトも主張しているので、RTしないようにと呼びかけられる光景もしばしばある。

そして学者活動家などの記名で活動しているフェミニストについても、トランスアライと反トランスで分かれている状況にある。

特に学者などを見るとトランスアライの方が多いようだが、千田有紀や先日話題になった牟田和恵など、有名な学者でも反トランス側に立つ例も見られる。

さて、今一部の界隈である意味一番有名なフェミニストとなっている仁藤夢乃さんだが、氏はトランスに関してどのように述べているのだろうか。

…これについては実は「何も言っていない」のだ。少なくともネットなどで確認できる範囲では、トランスジェンダー単体について何も言っていない。

LGBT」全体で見ても、少なくともここ数年はたまに別団体活動について言及したりする程度のようだ。

もちろんそれ自体問題があるとは全く思っていない。人がどのような関心を持ち、どのような社会活動をするかは完全に自由だし、

自分が仁藤夢乃さんの活動する問題領域に対して強い興味関心を持っていないように、仁藤さんも別の社会課題についてはそうするのは当然だし、現実的リソース問題は常にあるのだから

そしてそれだけではなく、自分は仁藤さんのこの姿勢はとてもクレバーだと思っている。

何故なら、仁藤さんの周りには反トランストランスアライ双方の人士がいるからだ。

トランス代表としては、日夜トランスヘイトを発信しているAPP研https://twitter.com/appjp_kokusai代表中里見博や、

男性身体に恐怖を感じる女性配慮せよと主張したり韓国のTERFが出版した書籍翻訳出版している北原みのりなどが挙げられるだろう。

一方トランスアライは、「トランスヘイト絶対〇〇マンであることを宣言したり、「女性スペースを守る会」の滝本太郎に敗訴したりした(https://note.com/sws_jp/n/nfb6cadfe4cca神原元などが挙げられる。

たこうした記名の有名人だけではなく、colabo支持を明らかにしているアカウントでも、反トランストランスアライの双方に分かれているのが見られる。

こうした反トランストランスアライ双方に囲まれている状況の中、仁藤さんがトランスジェンダーについて特定立場を示さないことは、とても有利に働いていると言えるだろう。

トランスジェンダーによる女性スペース利用に関しては「女性シェルター」も問題俎上にあげられており、トランスジェンダーを受け入れない姿勢を示したシェルター運営者が非難されたりしている中、

仁藤さんの団体運営するシェルタートランスジェンダーの利用についてどのような方針を取っているかは若干気になるところではあるが、そんなことは些細な問題なのだろう。

女性支援という「シングルイシュー」のためには小異を無効化する姿勢を取るのは実にうまく、さすがだと思う。

anond:20231025105122

そもそも育児弱者論の俎上に載せてはいけないのでは?

弱者救済とは別軸で発生している補助金なのでは?

2023-10-18

anond:20231017101239

少なくともColaboは検証され乗り越えた。

暇空はまだ俎上にすら上っていない。

2023-09-12

anond:20230912113301

単純に、潮目が変わって叩きやす女性が目立つようになったかジャニーズ問題女性に全部押し付けて逃げ切ろうってミソジニー雰囲気を感じてしまう。

あなたから見てそう見えるだけで、他の多くの人は、ジャニーと妹が死んで影響力が弱まり世界全体の人権意識が高まりBBCが大きくこの問題を取り上げたので潮目が変わったと見てるんだよ。ブコメにあるように社長が甥(男性)でも同じことが起きていたと思うよ。

なので、あなたが主張してる内容に対して他の人は、前提となる認識があまりにも突飛な方向にずれていて議論が出来ないと感じると思うよ。

もちろん、この問題で騒ぐ人の中には、当然ミソジニー思想の持ち主もいて、先日の山本なんとかのように女の問題矮小化する輩もいるのは事実

自分は、今ジャニーズ問題俎上に上げないといけないのは

・ テレビ局など大手マスメディア忖度体質(意思決定者の多くは男性

・ 人権意識が低いスポンサー企業意思決定者の多くは男性

 ⇒タレントスポンサー希望すれば個人契約に切り替えるなどの対応を、ジャニーズ事務所も認めて欲しい

・ タレント個人ではなく、ジャニーズ事務所自体擁護するようなジャニーズファン(多数は女性

だと思うよ。

2023-09-11

anond:20230910212804

世論形成したいどっかの団体バイトと本当のゴミしかいないサービス記事をまともに議論俎上に上げようとされるのうんざりするよね

2023-09-09

anond:20230909163247

陰謀論ってのは、なんらかの有名な出来事や状況に関する説明で、根拠の有無にかかわらず「邪悪で強力な集団組織)による陰謀が関与している」と断定したり信じたりしようとするもの全般だろ?お前があげた事例は正当な疑義からそもそも陰謀論ではない。”

ここまではおっしゃる通り。

で、俺が言いたいのは、正当な疑義すらも「陰謀論」だとして議論俎上にもあげようとしない人たちが一定数いるよね、という話だ。

コロナの例でより「陰謀論めく」疑義に、ウイルス人工説がある。これも実はそれなりに科学的根拠があるが(この辺りとかhttps://note.com/hkakeya/n/nbe3e810568b5)、ほとんど無視されている。個人的には人工説には半信半疑だが、オープン議論すべき価値があるとは思う。

 

陰謀論批判攻撃するために恣意的に事例をピックアップしてるだけだろ。“

陰謀論批判、というのが実際の陰謀論あなた示した上記定義での陰謀論)だけでなく、諸々一緒くたに批判(というより否定無視)してるんじゃないか、ってことを言ってる。一緒くたにしないあなたからは、恣意的な事例のピックアップに見えるのかもしれないが、実際に「陰謀論」で片付けられて議論もされない有意義疑義というのはあると思うよ。

anond:20230909143149

自分ものを考えずに「陰謀論」で片付けてる人をしばしば見るのは確か。

また、過激荒唐無稽なことを言い出してる人だけに目を向け「これだから陰謀論者は」と言って思考停止安心する人たちも多い。

字義通りの意味での「陰謀論」はまともに取り合うに値しないかもしれないが、

ワクチン安全性というリスクに対して効果というベネフィットが(全世代で)上回ってると思えない

とか

トリチウム処理水について、そもそも東電の発表したデータを信じられない(そもそもメルトダウンしてないと言ってた人たち)

とか

いくらでもしっかり俎上にあげられるべき議論ですらも「陰謀論だ」と耳を塞ぐ人たちがいる。

完全に自分より下に見ることができる荒唐無稽陰謀論馬鹿にして、「自分大丈夫、弁えてる、頭いい側」と思い込んでる人の愚かさと醜さは手に負えないものがあるね。

2023-09-08

anond:20230908140212

「偏り」の意味がズレてまっせ

俎上に載せてるのは党派性の偏りであって個人の興味じゃないよ

2023-09-04

anond:20230904022727

ジェンダー美術作品とを巡っては会田誠作品炎上というか話題になっていましたので、そうした文脈でこの作品や道近代美術館の対応を眺め、論ずる方が多い様に感じます

一方で、コメントを消してしまった様ですが、会田誠作品田中作品との非関連性を述べる増田がこのツリーにくっついていた様です。

重要なことは、ジェンダー観点から作品を見ることもできるでしょうし、そうじゃない文脈作品を見ることも可能だろうということです。

そしてそうした議論担保されているってのも重要と思っています

増田コメント消えてしまって残念なのですが、増田ですらこうやって意見を述べて反論する様な仕組みが担保されています

道近美の対応はこうした仕組みすら撤去してしまいました。これは、道近美がなぜ作品を展示で取り上げ、なぜあのようにSNSで紹介したかという議論をも撤去したに他なりません。

こうしたことが今回残念だったと思います

なお、美術ジェンダーに関しては『美術手帖】などで何度も俎上となる話題で、こうしたことからも道近美の理論武装余地とうか素地というかはあった様に感じています

2023-08-22

一切性的眼差しを控えた男とは

男らしさから降りると称して一切性的まなざしは控えるつもりがない

ニセモノばかり

anond:20230822044701

って、性的眼差しを控えた男をフェミニストが称賛してるんですけど、アホちゃうかと思いますね。

実際、執着を断ち悟りを開いた釈迦は女人を排除してきたし、仏教女色を断ちながら女性排除してきた。よく批判俎上に上る「女性器呼び」も、もともと、女性に対して性的欲求を持たないゲイの間で使われてた隠語でしょ。

要するに、男性が、女性に対する性的まなざしをしなくなると、女性劣化オスとしてしか捉えられなくなり、ミソジニーが炸裂するんですわ。

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