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2018-10-19

横山由季子「ブロックバスター展は善か、悪か」を批判する

 美術手帖で連載中の「シリーズ:これから美術館を考える」の第6回、横山由季子(金沢21世紀美術館学芸員)による「シリーズ:これからの美術館を考える(6) ブロックバスター展は善か、悪か|MAGAZINE | 美術手帖」。一読して何が言いたいのか理解し難かったが、それもそのはず、書いている本人が考えがまとまらないと言っているのだった。

まとまらない考え、逡巡をそのまま書いてしまいましたが、現状を共有することで、今後の共催展、ブロックバスター展について考えるきっかけになれば幸いです。

https://twitter.com/blanche1002/status/1051094298815430659

 「考えまとめてから話せ、バカ」で済む話ではあるけど、一部好意的に受け止められている様子もあり、少しこだわってみたい。

 まず、かなり気に食わないことの一つに、ブロックバスター展について「善か、悪か」と問うている点がある。「善悪」というのは倫理道徳的価値判断であり、展覧会評価をするにあたってはなじまない言葉である。「是非」でよかったはずだ。にもかかわらず、横山は敢えて「善悪」という強い言葉を用いた。その理由は推測することも可能だが、不要から止めておく。ただ、私自身は「善か、悪か」という問いに答える気にはならないし、また応じて「ブロックバスター展は悪だ」と言っている人がいたら異様だと思う。些末な問題ではある。しかし、筆者の立ち位置や考え方が無意識に出ているように見受けられる所、注意を要する点である

 次。筆者はタイトルで「ブロックバスター展は」と議論対象提示する。そして文中で「ブロックバスター展」の定義を明確に行う。ここまではまったく素晴らしい。だが、なぜか横山は文中でブロックバスター展以外についても語り出してしまう。こんなわずか短い文章にもかかわらず、その対象を固定することすらできない。大丈夫なのか、この人?

 実際に対象になっているのはブロックバスター展と共催展である。前者も後者の一部だが、このうち60~70万人ほどを動員したものを指すと定義している。もちろんそれ以上動員した場合も含まれるのだろう。また、共催展以外でこの規模の動員は不可能と考えられる。すなわち、60万人以上の動員を記録した展覧会ブロックバスター展だと言っていい。明確だ。

共催展のなかでも、とりわけ規模が大きく大量動員が見込まれものは「ブロックバスター展」と呼ばれる。ブロックバスター展の基準について100万人以上の動員としている記述もあるが、近年ではさすがにそこまでの来場者を集めた例はないので、ここでは60〜70万人規模の展覧会ととらえることにしたい。広報会議メディア担当者と話していても、60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚がある。

 共催展一般共通するものであるならば、わざわざ分ける必要はない。だが、60万を越える規模になると、単に量の違いではなく、質の差が出るようだ。「60万人あたりがひとつ分水嶺になっているような感覚」というのはそういうことだろう。ならば、「ブロックバスター展」と呼び分けることに意味が出るわけだ。

 しかし、結局筆者が俎上に乗せるのは共催展一般であって、ブロックバスター特有問題についての指摘はわずしかない。筆者は読者にブロックバスター展のみに絞って考えて欲しいのか、それを含めた共催展一般について考えて欲しいのか不明である。というよりも、筆者自身の中で、その程度のことすら整理できていないのではないかと思われる。

 そんな筆者横山が共催展やブロックバスター展の「現状」についてどのように認識しているか批判的に捉えているか文章引用しつつ細かく見ていこう。

ブロックバスター展はその華やかな話題性によって、普段美術館に足を運ばないような人が展覧会を訪れるきっかけをつくり、美術裾野を広げているという側面もある。そのいっぽうで、やはり集客のために打ち出される広報の数々は「イベント」としての側面を強調するものであり、一過性の消費で終わってしまうのではないかという危惧がつきまとう。

 一過性の消費の何が悪いのかさっぱり分からん人生は短い割に、世界はあまりにも豊かだ。誰しもが、美術とがっぷり四つに組んでいる暇があるわけではない。すべてのことに入れ込むことはできないわけだ。学芸員成るほど美術真剣に取り組んでる横山も、例えば音楽とか、芝居とか、映画とか、ほかのジャンルに関しては一過性の消費で済ませていたりするわけでしょ? 美術に対してそういう態度をとる人たちを批判する権利なんかないわな。

そして現場学芸員は、採算性と学術性を両立させるという大きな矛盾に直面することになる。

 ブロックバスター展やそれに準ずる共催展に足を運ぶ人の多くは、作品を見に来ているのね。有名作に心踊り、傑作に胸を打たれに来てる。学術性とか、正直無くても構わないとすら思っている。

最近ではメディア側も展覧会事業にこれまでになく採算性を求める傾向にあり、10万人を動員する小規模の企画を年に何本も実施するよりも、大量動員が見込めるブロックバスター展を1本開いたほうが、労力的にも資金的にも報われるという事情もあるだろう。

 共催展の数を減らして、ブロックバスター展に集約していると読めるけど、事実なのか?

あくまでも組織としては採算性が優先されることになる

 当たり前なのでは。

ここで、そこまでの費用をかけてまで、海外作品を借りてくる必要があるのかという問いが生じるだろう。国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ。実際に、近年では国内の所蔵品を中心に見ごたえのある展覧会が多く企画されている。

 ブロックバスター展や美術館展など、学術性の低い展覧会批判する人って、だいたい欧米によく行っていて、そこで十分に作品を見ている人なんだよね。だから、そういった展覧会が名作や有名作を持ってきているということ自体意味を見いだせないわけだ。でも例えば、今後10年間、海外所蔵の作品を見ることを一切禁じるって言われたら、我慢できるの? できないでしょ。できないなら「国内美術館にも豊かなコレクションがあり」とか言って欲しくないよね。子供仕事で忙しい人、貧乏人、障害者、老人。誰しもが気軽に海外に行けるわけではない。そういうところにブロックバスター展の意味の一つがあると思うんだよな。弱者に優しいという点を鑑みれば、筆者の問いかけに「ブロックバスター展は善である」と答えることも可能かもしれない。

共催展の広報において差し迫った課題は、いかにして若者展覧会に足を運んでもらうかということである。とりわけブロックバスター展を支えているのは、バブル期以降の大型展に足を運んできた50代以上の世代であり、メディア側も確実な集客を見込んで、この年齢層に的を絞った広報戦略を立てることが多い。しかしながら、このような目先の集客ばかりを求める広報が続くようであれば、美術館展覧会未来はそう長くはないであろう。

 若者じゃないから分からないけど、どっちかというとやはりブロックバスター展の方が若者リーチしていて、それより規模の小さい共催展に問題がある気がするけどなあ。今なら例えばフェルメール展とルーベンス展。

近代美術の延長線上に現代美術位置づけ、両者を結びつける作業は、やはり美術館が担うべきものである。そして、村上隆草間彌生などの知名度と人気を誇るごく一部の作家を除いて、メディア現代美術展に出資することは考えにくい。美術館が主導して近代美術現代美術をつなぐ展覧会企画したり、現代美術一般へと浸透させる持続的なプログラムを行うための体制づくりや予算が求められる。

 これはブロックバスター展や共催展の問題じゃないよね。美術館学芸員が怠けていたからこういう状況になったんじゃないの? 「国内美術館にも豊かなコレクションがあり、それだけでも十分に展覧会は成り立つ」んでしょ。美術館主催粛々とやってればいいのでは。

数十万人の来場者を想定したブロックバスター展の場合、あまり大胆な切り口を提示することは難しく、個展であれば年代主題ごとに画業をたどるようなオーソドックス構成となりがちだ。先行研究調査をふまえた新たな視点を、カタログ論文作品解説のなかで示すことはできても、展覧会構成全体に反映するにはいくつものハードルがある。とりわけオルセー美術館ルーヴル美術館からまとめて作品を借りる場合は、これらの美術館学芸員が監修を務めることが多く、そのことによって企画自由度が低くなるという側面もあるだろう。

 そういう学術性は不要なんだって。単にいい作品を持ってくればいいの。学術性を発揮したいのであれば美術館主催の展示でやればいい。それでは自分能力が十分に生かされないと感じるなら本場の美術館就職してください。あと、日本学芸員よりオルセーやルーヴルの学芸員の方が信用できるから、その場合は口出さなくていいよ。

オルセー美術館には各所蔵作家の膨大な資料が集められており(ルノワールだけでざっと50箱以上はあり、フランス語だけでなく、英語イタリア語ドイツ語スペイン語、そして日本語や中国語韓国語資料網羅されている)、それを日々リアルタイム更新していくドキュメンタリストたちがいる。学芸員は彼らの協力を得て調査研究に勤しみ、その成果が展覧会に反映される。この蓄積こそが、オルセー美術館の、さらには今日における世界的なフランス近代美術の人気の礎なのである。これは一朝一夕に実現されるものではなく、長期的な視点に基づいた、たゆまぬ歴史化の作業の賜物といえよう。

 日本フランス絵画についてオルセーと張り合う必要なんかないよ。自国美術研究環境が貧弱なこと(いろいろ話を聞くに相応の事実だろう)については悲しむべきことだけど、西洋美術基本的に横のものを縦にしてればいい。もちろん立派な研究をなしとげれば敬意を表するが、俺達のブロックバスター展を研究発表の場として利用してくれるな。

 私はブロックバスター展やそれに準ずる規模の共催展を楽しんでいるのだ。それを学芸員風情の浅薄な考えや安っぽい使命感によってぶち壊さないで欲しい。日本に居ながらにして傑作や有名作を鑑賞することができる。これだけでブロックバスター展は素晴らしいものなんだ。ということを学芸員玄人気取りに理解してもらいたいのだが、なかなか難しいのかもしれない。

2018-10-17

anond:20181017173409

いや増田勘違いがあったなら増田の主張にも誤りが出てくる可能性があるのでどうでもよくはないです。

申し訳ないんだけど増田が何を言いたいのかよくわかんなくなってきた。

「『個人選択の結果の服装』って言い方」がどう勘違いなのか、「然るべき文脈」が一体どういう文脈を指すのか、またその「然るべき文脈」において3D現実洋服の違いがどう問題になってくるのか、申し訳ないけど自分にはちょっとよくわからない。

あと遡るが

まり、「人間の扮装であることを理解しつつキャラとして設定も尊重されてる」

って部分が

法的な扱いや、社会問題文脈では「人間の扮装であることを理解しつつ」までは共有されても、法的に「キャラとして設定も尊重されてる」わけではないってことだ。

からキズナアイだって社会的問題俎上に上がった時に「キャラとしての設定として魂があって中の人人権尊重される」という言い分は無理があるって結論になる。

なにかおかしいところあるか?

この部分も「法的に『キャラとして設定も尊重されてる』わけではない」ことがなぜ「『キャラとしての設定として魂があって中の人人権尊重される』という言い分は無理があるって結論になる」のかちょっとよくわからないです。なにが「だから」なのか。

付け加えるとキズナアイ場合は設定上はAIなので「キャラとしての設定として魂があ」るのかは怪しい。

基本的Vtuber界隈では「魂」って言葉はむしろメタ的な文脈で用いられるワードから

anond:20181017163556

法的に「キャラとして設定も尊重されてる」わけではないってことだ。

法的にキャラ設定を尊重しろなんて誰か言ってるの?

未成年Vtuberは法的に未成年として扱うべきだ」「キャラとしての独立した人格を認め人権を与えろ」って、

少なくとも自分は見たことないが。

Vtuberの「魂」って要するに、Vtuber中の人はいるけど基本的公表はしていないから、そこらへん配慮して「中の人」や「中の人人格」を比喩的表現した言い回しなんだけど

もしかして文字通り捉えてた?

そもそも彼女の「人格」が議論俎上に上がったのは

発端の弁護士やら騒ぎ立てた人らが当初中の人への配慮を欠いた形でバッシングをしたためだと記憶してるんだが。

例のフェミの人たちはキズナアイへの敬意が欠けてたよ

https://anond.hatelabo.jp/20181005144508

anond:20181017110545

そうだろ?そのとおりだろ?

まり、「人間の扮装であることを理解しつつキャラとして設定も尊重されてる」

って部分が

法的な扱いや、社会問題文脈では「人間の扮装であることを理解しつつ」までは共有されても、法的に「キャラとして設定も尊重されてる」わけではないってことだ。

からキズナアイだって社会的問題俎上に上がった時に「キャラとしての設定として魂があって中の人人権尊重される」という言い分は無理があるって結論になる。

なにかおかしいところあるか?

2018-10-11

anond:20181011194820

男性ジェンダーロールから解放されればいいのに、それを言い出さないのはなんでだろうね?

仮説1:男性ジェンダーロールは抑圧的ではないため解放必要を感じない

仮説2:男性ジェンダーロールは非常に抑圧的で解放概念俎上に上ることがない

個人的には仮説2だと思う。

2018-10-05

男性スーツ姿にエロを感じる

朝の通勤電車に乗ると、エッチな格好の男性が沢山いて「うわーい!」となる

前にnekoraさんが「満員電車に興奮するのは鉄オタと痴漢だけだ」と言っていたけど

私もスーツ姿の男性と密着できるから好きだ

この時期は涼しくなってきてクールビズも終わったか上着を着てるから尚更たまらない

また、職場で稀に力仕事(掃除にために机をつったり、荷物を運んだり)があるのだけど

その時に上着を脱いでシャツの腕を捲ってたりするとその場で鼻血が出そうになる

合わせ技アウトで性的搾取といわれても仕方ないんじゃないかな。


ってならない?

この「合わせ技アウトで性的搾取といわれても仕方ないんじゃないかな。」という概念? 万能すぎない?

正直、森羅万象にこれを適応させられるとしか思えないんだけど

でもこういうのって、こうやってそれが森羅万象に当てはまるかどうか関係ないのかな?

一世の中に存在するすべての物事をこうして俎上にあげて、多数決を取るしかないの?

なんか違和感あるなあ

だって

世の中すべての人がおいしいと思う食べ物も、すべての人が不味いと思う食べ物もないわけでしょ

ウンコですら食べる人がいるわけで

"萌え絵性的搾取される"を考える

思考過程メモです。雑多な点は御容赦を。

前置き

落ち着いた頃合いなので掲題の語の意味について考えてみたい。(と書き進めていたがまた盛り上がっているようだ)

そもそも性的搾取される」という語の頭に「萌え絵で」は結合するのか?という日本語的な疑問はあるが、まずはこの用語自体が示す意味を考えたい。

性的搾取される」とは

まずは後半部分について考えてみたい。

安易イメージだが、たとえば「多額の借金を背負ったため風俗で稼ぐ」といった状況を指すと解釈する。

その原因の理由関係なく、性というプライベート領域に対して実質的自己決定権を持てない状態(=本来自分自身が持つべものを不当に奪われる)を「性的搾取される」と表現するのはイメージとしても理解できる。

よって、

 例文:「私は性的搾取されている」

違和感は無い。

(補足)ただし

 例文:「AV女優性的搾取されている」

はいわゆる「主語が大きい」に該当する不特定多数表現で認められない。「日本一を取って目標が無くなった」という言葉を残して引退した女優までをも「被害者」と括るのは余りに失礼というものだ。

萌え絵性的搾取される」とは

前項の理解ベースにすれば多少はイメージが……と思ったのだがやはりまだ難しいため順番に考える。

萌え絵で」とは

まず「萌え絵で~」の「で」は動作作用手段方法材料などを意味する格助詞である。言い換えれば「萌え絵を使って~」となる。

萌え絵を使って」搾取するのは誰か

ここからが難解である。たとえばここで「男性全て」が搾取なのだとするのはあまり乱暴というものだろう。

では出版社だろうか?

性に関する書籍は多くの出版社が発行し、利益を上げるのだから可能性はある。しかし巻き上げているのは金銭であり、支払っているのは購入者だ。また、出版社自身非難されるケースは目立たない(主にオタク男性非難対象となるケースを観測する)。

絵の描き手だろうか?

男性男性らしく、女性女性らしく描くことが非難されるのだとしたら誰も絵を描くことはできまい。また描き手についても直接非難されるというケースはあまり見られないように思う。また描き手には女性も多く、後述の通り何を搾取するのかという疑問が生じる。

萌え絵を好むオタク男性だろうか?

描き手でも無く、出版当事者でもない、一消費者に過ぎないオタク男性槍玉に挙げられるケースが多いので挙げたが、ここに至るロジックはどのようなものだろうか。

搾取されるのは誰か

これもまた難解である

当該用語に関して「当事者は私だ」と発言した女性いたこから萌え絵を見た女性個人」が搾取された者(当事者)だと解釈するのが自然と思われていたが、中には「この女性キャラは嫌がっているのにセクハラされている。これは性的搾取だ」という用法もあり、「萌え絵キャラクタ自身」が当事者とする考えもあるようだ。順に検討したい。

性的な何を搾取されたのか(パターン1)

萌え絵を見た女性個人」は萌え絵を見ることで、性に関する"何か"を搾取されたということになる。

だが当事者は当然、萌え絵を見たが為に性を切り売りする労働に就かされてはいない。よってそれに類するような感慨を指すものと思われる。

しかし繰り返すが、当事者であることろの萌え絵を見た女性個人は特段"何もされてはいない"のだ。

何もされてはいないが「搾取された」と謳う、ここにこの用語理解を妨げる最大の要因があるのではないか

性的な何を搾取されたのか(パターン2)

パターン1のような感慨に至る原因の思考実験も兼ねる。

性的な部分を"強調"された(なお一般論として絵は特徴を強調する)絵を見ることで、絵のキャラクタへ自己投影し、自らが不本意に辱められている=性的な要素を搾取されたと感じる(冒頭のイメージに近い状況と認識する)ことから、「萌え絵性的搾取される」と形容された説はどうだろうか。

絵のキャラクタの人権にまで思い至らせる豊かな発想力は大切にして頂きたいが、自己他人(人ですら無く、絵だが)の境界認識がまず必要では無いかと考える(ちなみに作品キャラクタが自我自己を持つことに興味関心があるのであれば Re:CREATORS あたりがお勧めです)。

ここまでのまとめ

心情として、「不本意にも性的労働従事するようなイメージで自らの性を搾取される」ことを指すものだと推測したが、これが「萌え絵を見る」ことで引き起こされるロジックの解明が必要と考える。

またその原因として、オタク男性が(恐らくは)搾取する側として定義される点も不明である。なお需要供給観点、即ち「オタク男性存在するから彼らが好む不埒萌え絵が量産され、良心女性を傷付ける」とする桶屋理論はあまりに短絡的であり、オタク男性は全て滅ぶべしの結論に至るのみでいうまでも無く時間無駄である



余録

キズナアイ性的搾取、以前に性的なのか

幾度も繰り返されてきた議論vtuberも参戦(被害)とは、隔世の感がある。

性的では無い」といえば「オタク感覚麻痺している」と返ってくるのもまたテンプレだが、たとえば自分ゲーム等の影響でレーティングについては下記の認識を持っている。

  R18:モザイクが登場する・性的行為の直接表現

  R15:乳首は見えるが行為は間接表現に留まる

  全年齢:乳首は見えず(描かれず)行為は婉曲的な表現(俗に言う朝チュン

これに照らせばキズナアイは全年齢表現であり、それ以上でも以下でも無い(アクション映画だと思って家族全員で見てたら唐突に濃厚なベッドシーンが出てお茶の間を凍らせるハリウッド映画こそきちんとレーティングして配慮頂きたいぐらいだ)。

胸の形が、上目遣いが、と言われてもそんなエロ目線で見ることができるのは根本的に視座が異なるためで相互理解不可能と考える。オタク受けしかしないキャラクタを人前に出すなという主張であれば起用した企業に言うべきだが、起用した企業がそのキャラクタのファン対象とした企画を立てたのならば「不満を持つ人達対象では無い」で終わる話だろう。

ゾーニング万能論について

これを唱える人は世の中には「良い表現」と「悪い表現」があり、両者は明確に区別分別可能であると思っている節がある。

このため「悪い表現」をゾーニングすれば「良い表現」だけが残り、世界平和になると考えているようだ。

ゾーニングして「悪い表現」が消えれば次の「悪い表現」が見つけ出されて消え、清く美しくなっていく世界をお望みとは世も末である

男性器を強調された表現を見たらどう思うのか?

性的搾取議論におけるテンプレの一つだが、個人の好みによる感情以外は特段どうも思わないケースになるのではないか

というのも、多くの男性男性性器を"息子"と称していることからも、男性基本的に"息子"には寛容であると思われる。

そういえば男の娘ふたなりジャンルは一体どちらの性を搾取しているのだろうか?という疑問に気付いたが俎上に乗ったことはあるのだろうか。

2018-08-24

anond:20180824025540

頻発しないワンタイム出来事は、それこそツイッターなんかに書き込まれたりとかで話題俎上に乗りやすものだ。

キチガイ扱い上等じゃあないか。やってみる価値はあろう。

2018-08-03

anond:20180803122320

大卒女は勘違いしてる、なるほど、はい差別〜。

最初から話が差別から始まってるので議論俎上にも上がれませ〜ん。

2018-07-31

anond:20180729172747

小児性愛者は、小児性愛行為合法化せよと主張しているのではない。」

LGBTとしても、そのように主張している訳では無い。ではどこからそんな話が出て来たかというと、同性婚話題が出るときに常に小児性愛が引き合いに出されるから

この時に引き合いに出される小児性愛というのは、「小児性愛行為を実行する人」のみが引き合いに出される。「実行しない人」はそもそも俎上に載らない。

どういう事かというと、同性婚の話では「同性婚するLGBT関係を持つ人)」の話題なのであって「同性婚しないLGBT関係を持たない人)」の話はしてない。だからここで引き合いに出される小児性愛は、行為をする人(関係を持つ人)のみになる。

これは逐一言及されない前提だから混同する人が出るのは仕方ないかもしれない。分かりにくいし。

2018-07-27

自分仕事がわからなくなる問題

権限と、業務範囲曖昧に決定されてる会社だと

自分がどこまでやるべきか分かんなくなる

(端的に言えば責任範囲責任って書き方は嫌いだけど)

 

ただこういう組織では、上司もそれを理解していない

でも上司理解させると無尽蔵にタスクが増えていくから部下は何も言わない

 

たぶん全てを俎上に上げて要る要らないを判定し、業務フロー改善する機能組織にあれば良いんだろうけど

無いといつまでも漫然とした感じになる(というか大体の会社はそうだ)

2018-07-20

アニメ界隈が好きな理由

グロアニメ流行ったり

ちびっ子でも楽しめるアニメ流行ったり

中二くさいアニメ流行ったり

老人がカッコイアニメ流行ったり

勧善懲悪ヒーローアニメ流行ったり

道徳的アニメ流行ったり

ホモ流行ったり

レズ流行ったり

エロエロアニメ流行ったり

色気ゼロ無骨アニメ流行ったり

壮大なアニメ流行ったり

すごく小さな出来事フォーカスしたアニメ流行ったり

理詰めのアニメ流行ったり不条理アニメ流行ったり雰囲気アニメ流行ったり

正直だったり

気取ったり

ゴミクズだったり

正義だったり悪だったり女だったり男だったり生き物だったりロボだったり巨人だったり菌や虫だったりリアルやらファンタジーやらSFやら殺人やらスポーツやら春夏秋冬24時間365日1秒から100世紀まで

 

全部ひっくるめて俎上にあげて、ひたすら「面白い面白くないか」で判断してるのが好き

狂気じみた一貫性

2018-07-10

anond:20180710100233

便利不便じゃなくて産業問題ほうがはるかに大きいが、それを論じるのはネット民には難しいので、どうでもいいようなミクロの部分ばかりが俎上に上がる。

自転車置き場の議論と一緒。

2018-06-18

anond:20180618082056

窮鼠はチーズの夢を見ると俎上の鯉は二度跳ねるを読もう

2018-06-04

anond:20180604141807

ではなぜ「禁止国内LGBTテロリストとして扱われること」にこだわるのか理解できない。

ロリコン法律違反からダメ」みたいな幼稚な言説を退けるため。

「内心でそう思うだけなら違反ではなく、現実モデルとしない二次元であれば違反ではない」ということになっている。

そこが「法律違反しない範囲」だ。

二次元性愛者」と「ロリコン」は両立することはあるが、

必ず両立してるわけじゃないので、何の救いにもなってない。


LGBTとの違いは、同性愛者は大人同士で互いの合意有効であるのに対し、

ロリコン必然的相手が「未成年」となり、意思決定能力に欠けるために「合意」が得られないからだ。

さんざん書いたので略すが、「それは証明されてないし、証明不可なことだ」


そのような社会的合意があるという説明をしているだけだ。

「なんで未成年はそういう扱いなの?」などとさらに遡っていけば

人類法制史を語ることになり、俺にはその全てを説明する時間能力もない。

このくらいで勘弁してほしい。

これが説明で着ないのに、「ロリコンは悪」とはとても言えないんじゃないかね?

あと、「社会的合意」はLGBT差別前科が示す通り、万能、常に正しいわけではない。


反対があれば社会に訴え、賛同を集め、国会俎上に上げて、法律を変更することができる。

民主主義国家であれば、あらゆる成人にそれを成す権利が与えられている。

増田で書いてることに対して、「国会に云々」言ってるやつはココがどこか理解できてるのか?

あと、「私が国会云々しない」ことは、「私の論が間違ってる」ことを意味しない。

議論の中に書くにはあまりにも無意味文章






あなた、上から超えらそーに書いてるけど、

「そう決まってる」「決まってるから変えにいけ」だけで、

まさに典型的議論ができない」人。

おまけに「これは説明で、意見ではない」とかツッコミ対策するチキンっぷり。

よくもまぁ、偉そうに「議論ができない」とか書けたもんだよ。

anond:20180604131335

区別してるよ。

寧ろ、どこから区別してないと読んだの?

ではなぜ「禁止国内LGBTテロリストとして扱われること」にこだわるのか理解できない。

「こういう状況においてこういう立場であればこういう意見になる」という何の意見の表明でもないただの説明に、

「あらゆる状況でそうだって言うんだな?」とか「おまえもそれが正しいと思うんだな?」みたいな反論を延々としている。

ようにしか見えない。こちからは。

ロリコンには、「法律違反しない範囲」が現実には存在していないという点で、LGBTのそれよりも悪質だと気付く。

とりあえず現状の日本においては、

「内心でそう思うだけなら違反ではなく、現実モデルとしない二次元であれば違反ではない」ということになっている。

そこが「法律違反しない範囲」だ。

これは何の意見の表明でもないただの説明だ。

俺が「そういうロリコンであれば許す」と主張しているわけではない。

そのような社会的合意があるという説明をしているだけだ。

LGBTとの違いは、同性愛者は成人同士で互いの合意有効であるのに対し、

ロリコン必然的相手が「未成年」となり、意思決定能力に欠けるために「合意」が得られないからだ。

これは何の意見の表明でもないただの説明だ。

俺が「未成年には意思決定能力がない」と主張しているわけではない。

そのような社会的合意があるという説明をしているだけだ。

「なんで未成年はそういう扱いなの?」などとさらに遡っていけば

人類法制史を語ることになり、俺にはその全てを説明する時間能力もない。

このくらいで勘弁してほしい。

とにかく、社会はそういう仕組みで動いていて、多くの人がそれを許容しているし、

反対があれば社会に訴え、賛同を集め、国会俎上に上げて、法律を変更することができる。

民主主義国家であれば、あらゆる成人にそれを成す権利が与えられている。

から増田が「ロリコン」について訴えるのは良いことだし、

ロリコン擁護実名ではしづらいというのも確かにそういう問題はあるのだが、

匿名でもいいからやってほしいし、やるべきだ。

でも「どうせおまえもロリコン非難するんだろ?」「どうせ理由もなくロリコン迫害するんだろ?」

みたいな小学生が拗ねたような書き込みはやめてくれ。

ちゃん論理立ててロリコン擁護してくれ。

2018-05-26

野球部サッカー部日大問題についてどう考えているのか

野球には、わざとデッドボールを投げる行為はある、

それに対する報復行為もある。

サッカーなら『削りに行く』なんてしょっちゅうだ。

こうした行為俎上に載せられないのはなぜなんだ?

普通な類似ケースとして話題になってもよいはずなのに。

お前ら、都合よく口をつぐむなよ。

2018-04-23

anond:20180423021012

福山雅治からであろうがイヤな人はいるよ。

イケメンなら何もかも許されるわけでもないのに勝手に僻んで、こういう福山に対するセクハラ普通にしてくる。勝手俎上にされる福山もたまったもんじゃねーわな。

2018-01-23

“彼は保守ではない。反左翼というだけ”

nao0990nao0990 “保守ではない。反左翼というだけ” かなりの数のネトウヨ論壇に当てはまりそうな表現だな。

2018/01/22 リンク Add Starfirstbento32irbs

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/198183


いやいやいや、

そもそもサヨの人達勝手に「ネット右翼」呼ばわりしてる人達ほとんどは一度も保守とか右翼とか自称してねーだろ。

しろ彼等はたびたび「自分保守右翼志向してなくて、ただサヨに問題を感じてるだけ」って自分から言ってるじゃん。

でもそれだとサヨの人達的には都合が悪い(彼等は人をチェックするのは大好きだけど自分自身俎上にされてチェックされるのはとんでもなく不当なことだと思ってる)ので「いいや俺達に文句を付けるのは右翼なんだ」っていう虚構押し付けた結果、少しでも気に入らないとか自分不愉快存在をなんでもかんでもネトウヨ呼ばわりするようになって、どんどん自らの知能を落としてるんじゃん(陰謀論レッテル批判を封じ込めるようになったら知能の維持は不可能)。


一周回ってきたら「あいつらは反サヨではなく右翼」という自分達の都合の為の虚構虚構だったことも忘れて「保守ではない。反左翼というだけ。ネトウヨの正体看破!」って、痴呆でも始まってんのか。80近くまでボケずに頑張った西部邁をダシにボケててるんじゃないよ。

2018-01-13

女性モテたい男は迷惑行為セクハラ行為を繰り返した方がいいのだと思う

実際のところ女性俎上に上げる男というのはそんな奴ばっかだから


女性向けアンケートがよくいうNG男性トップが「店員に高圧的・タメ口」だが、数的に言ってそんな人間滅茶苦茶少数派だ(地域差があったらごめん)。

しか女性は「NGな男性ときかれるといつもそれをトップに上げる。

これはNG度合いが高いというより、よく視界に入る、つまり女性はそういう男に注目するということ。


https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/951765345030742016

ここでいう「肩を叩く」「お茶に誘う」(どっちも結構図々しくウザい感じに、というニュアンスだろう)も同じだ。

ウザい感じに肩を叩かない男の方が圧倒的に多い。

しか女性話題にするのは常に肩を叩く男の方だ。


女性の目は常にそういう男の方へ向いている。

肩を叩かない男のことを「あの人は肩を叩いてこないね」等と話題にすることはない。

であれば、そういうテストステロン的なウザい行動を繰り返すというのは

女性の目を集めてモテるために限れば結局最適な行動なのだろう。


Q.「女性モテたい男ほど女性に嫌われるようなウザい行動をするのはなんでか?」

A.「結局そうするのが一番モテるから


そういう意味で、マクロに捉えるなら

高圧的・セクハラ的ウザ男性とそれにクレームを付ける女性というのは

単なるちちくり合いコミュニケーションをしているといってもいいだろう。


無関係人間には心底ウザい。

anond:20180111072916

『[翻訳] ドヌーヴ「女性口説く権利」 全訳』を掲載された方が、"la liberté d'importuner"を「ウザがられる自由」とお訳しになったのはなかなかの技だと思うのですが、惜しいことに、この全訳はかなりの数の誤訳を含み、その結果、多くの箇所で、原文の文意を正しく伝えていません。

 以下、大急ぎで、主だった誤訳箇所を列挙し、元記事http://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html)の正確な読み取りに基づく改訳を提案しておきます。「✖」で誤訳箇所を示します。「⇒」でその部分について、正確であろう訳文の例をを示します。ご検討ください。

✖そのことがマッチョ侵害行為保証することにはならない。

⇒また、女性に対する慇懃な振る舞いを女性を傷つける男性優位の態度と見なすのは間違いです。

✖正しく意識されるようになった。

意識されるようになったのは正統なことだ。

プロフェッショナルのせかいにおける性暴力だ。

職業生活の中での性暴力だ。

✖いわゆる普遍の名の下で、

⇒誰にとっても善いのはこういうことだと勝手に決めて、

✖実際、報道メディアソーシャルネット上で、#metooが巻き起こしたのは密告と、個人個人に抗弁の余地や弁護の余地を与えることなく、性暴力加害者と同じ俎上糾弾することだった。

事実、#metooを通して、報道メディアソーシャルネット上に密告と公の場での告発キャンペーンが発生した。犠牲になったのは、性暴力加害者たちとまったく同じ俎上に乗せられ、抗弁の余地も弁明の余地も与えられない人びとだった。

✖「豚野郎」たちを屠殺場へ送り込むこの熱狂だが、女性が自立することを手助けるには程遠かった。 実際には性の自由の敵、宗教的過激主義、最悪の反動主義者に利益をもたらすことになってしまった。この反動主義者は、実質的にはヴィクトリア朝モラルのもとで、女性を「別扱いな」存在とみなし、女性保護することを求めながら大人の顔をした子供とみなすのだ。

⇒「豚野郎」どもを屠殺場へ送り込もうとするこの熱病は、女性自律的になるのをいささかも助けない。それどころか、実際にこの熱病から利益を得るのは、性の自由の敵たち、宗教的過激主義者たち、最悪の反動家たち、そして、実体論的な善概念とそれにともなうヴィクトリア朝風のモラルの名において女性一種「別扱いの」存在と、大人の顔をしていながら子供のように庇護されることを求める存在と見なす人びとなのである

ミケランジェロ・アントニオーニ映画欲望』を「女性差別」で

ミケランジェロ・アントニオーニ映画欲望』を「女性蔑視」で

✖「女性として振舞うことのトラウマに苦しんでいる」ことを

⇒「女性登場人物たちが被ったトラウマ」を

✖「スイスで提出されている法案

⇒「スウェーデンで提出されている法案

✖「やりりたいこととやりたくないことに」

⇒「してもいいと思うことと、するのはいやだと思うことに」

中指を立てる自由

⇒人の気分を害する自由

彼女給与男性平等に支払われるように注意しているべきだ。しかし、地下鉄痴漢にあっても、それが犯罪からといって、トラウマを植え付けられたと感じる必要はない。

彼女彼女給与男性平等に支払われるように注意することができる。しかし、地下鉄痴漢にあっても、痴漢行為犯罪と見なされるからといって、一生涯続くトラウマを植え付けられたとは感じないでいることもできる。

✖評判だおれだったとさえ考えてもいい。

さらには、大した出来事ではなかったと考えることさえできる。

女性としての私たちは、自分たちが、力の乱用を超えて、男性たちとセクシャリティへの憎しみという顔をもったフェミニストになることを認めない。

私たち女性として、権力濫用告発することを超えて男性たちとセクシャリティへの憎しみとして表れるフェミニズムに強い違和感を覚える。

✖ウザがられる自由無しでは上手く働かないと私たちは考える。

⇒ウザがられる自由が男たちの側にあってこそ意味を持つと私たちは考える。

✖そして私たちは、このウザがられる自由にどう応えていくかを知らなければならない。性的な獲物の役割に閉じこもる以外のやり方でだ。

⇒そして私たちは、このウザがられる自由に対して、獲物の役割に閉じこもる以外のやり方で対応する能力を持っていなくてはいけない。

子供を持つことを選んだ人々のために、

私たちのうちで子供を持つことを選んだ者について言えば、

✖娘たちが気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなどなく、自分人生を精一杯生きるために十分教育されて自覚を持つことが適切だと考えている。

自分の娘たちが、〔性について〕気後れさせられたり罪の意識を感じさせられたりすることなく、人生をのびのびと生きるのに十分なだけの知識を得て意識的になるように育てることこそ適切だと考えている。

✖たとえそれが辛く、生涯残る傷を残すものだったとしても、身体を傷つけられる事故にあった女性尊厳を傷つけられないし、傷つけられるべきでもない。

女性身体に関与するアクシデントは、必ずしもその女性尊厳を傷つけるわけではなく、ときにきわめて辛いものであっても、そのアクシデント理由に当該女性を終身犠牲者のように考えるのは必ずしも適切なことではない。

以上。

2018-01-03

大隅良典先生2019年参議院選挙に出て欲しい、という話

以下、高校受験を控えた中学生正月勉強サボって書いた妄想文のようなもの
誤情報・誤認識に基づいた記述が多々想定されるので、くれぐれも「その通りだ」などとは思われぬよう。

1、ノーベル賞を受賞しても国家予算は決められない

大隅良典先生は、オートファジーなる現象発見2016年ノーベル賞を受賞された。
その後、いくつかのメディアなどを見ていると、大隅先生
・独創的な発想に基づく研究の推進
・若手研究者支援など人材育成の充実
などを提言されている。

しかし、この影響は極めて部分的ものにとどまると思う。
まり、今後も独創的な研究支援は増えないし、
若手研究者研究環境生活環境は悪劣なまま維持される。

なぜなら、「科学技術振興予算は今後、増えない」から
(ごまめの歯ぎしり河野太郎代議士ブログ参照)
https://www.taro.org/2017/01/%e8%ac%b9%e8%b3%80%e6%96%b0%e5%b9%b4%e7%a0%94%e7%a9%b6%e8%80%85%e3%81%ae%e7%9a%86%e6%a7%98%e3%81%b8.php

科学技術振興予算の内訳を組み替えるにしても、
すでに奪い合いの激しい中で、目に見えた結果の出にくい
上の二つをどこまで拡充できるかには疑問がある。

もしも予算を増やそうなどと思ったら、公民教科書ではないが
概算要求政府案→予算審議→予算成立
という国家予算プロセスの中で、負債の返済や、
増え続ける社会保障費などとともに俎上に載せた上で、
予算成立までこぎつける必要がある。

どちらにしても、研究者という存在限界
大きく超えているように思い、いくら愚考してみることにした。

具体的には、
研究者国会議員になることで科学技術振興予算を増やせないか
ということだ。
多分、ノーベル賞学者知名度なら参議院議員になれると思ったので、
2019年選挙もそう遠くないし、勝手に考えてみた。

2、象牙の塔からの発信ではなく議員として予算委員会

いきなり乱暴議論だが、上記予算プロセスを経て、
平成29年予算政府案どおり成立した」らしいので、
http://www.mof.go.jp/budget/budger_workflow/budget/fy2017/
政府=研究者ならば問題解決する気がする。お手盛りで決められるかもしれない。
当然そうはならないが。

では立法、つまり国会から研究支援法のようなもの提案することは可能だろうか。
これもなかなかハードルが高く、参院ならば10
(予算がらみなので20名以上?)集めないといけない。

おそらく、まず初めにできることと思われるのは、
予算委員会発言する事のように思う。できれば議員として。

予算審議の公聴会における公述人でも良いではないかと言う考えもある。
しかし、それでは足りないと考えている。

五年前くらいに災害対策特別委員会京都大学教授
内閣官房参与の方が日本災害対策インフラ問題について、
公述人として熱く語っていた。
しかし、地方インフラ悲惨さが変わる気配はない。

まり、考えの正しさだけでは足りない。
国民理解を得られている、という事を示さないといけない。
やはり選挙を経て、国民の信任を受ける必要がある。

しかし、わざわざ著名な学者でなければならないのだろうか。

3、果実をもぎ取った人の説得力必要

結論としては、著名であることは何より必要であろうと思われる。

国民に対し研究重要性を訴える事は、誰でもできる。
しかし信頼を得るには、担保となる実績が必要だろう。

研究の種が花開き、果実をもぎ取る季節までは、
気が遠くなるような時間がかかる。
蝉の一生ではないが、ほとんどの時間は日の当たらない
地中生活といっても過言ではない。研究者にとっては、
その生活楽しいのだが、たぶん理解されない。

広い人々に訴え、信頼を得るには、
その手に確かに、たわわに実った果実必要だろう。

現状、日本科学技術の振興をやめつつある。
他の先進国との競争に負けつつあり、新しい研究の芽吹くことのない、
研究の土壌として貧しい国になりつつある。
Nature Indexについての記事話題になったのは記憶に新しい。
https://www.natureasia.com/ja-jp/info/press-releases/detail/8622

これでいいのか、このままでいいのか、
ということについて述べるのは、あまり意味がない。
悲しいことだが、国民が選び議論した結果だからだ。

それでも保険会社子供に夢を聞けば、
学者」は高い人気がある。
彼らが果実をもぎ取ることができる未来
このままだと日本という国からは着実になくなっていく。

衰退しつつあることが現状である以上、
現状維持は衰退の維持である
わかりやすいところでいうと、
大学院博士課程には、もう学生がいない。

愚考はいえ、著名な研究者の国政進出を願いたくなるほどに、
現状は深刻で、喫緊対応を要すると思う。

4、別に大隅先生でなくてもいい

現実的なところでいくと
政府内閣国会が突如科学振興に目覚めて予算方針法律が変わる
法律閣議決定された予算基本方針などに逆らって
 勇敢な予算編成が組める官僚が出現する

もう少し現実的には
研究者が大挙して霞ヶ関に大々的に陳情に行く
(パブリックコメントって効果あったのだろうか)
国会議員積極的に働きかけ理解を求める

しかしこれらの効果限界があるように思われるので、
研究者国会議員になる
短期的には最も有効である気がしてしまう。
中期的には研究者が中心となって小さくても良いので政党化すると良いと思う。

長期的には
科学振興が選挙における関心事になる
ことが良いように思うので、
少しずつでも科学者象牙の塔から出て、
地域イベント飲み屋に繰り出すべきではなかろうか。

研究者という生き物が国民に、さらには国会議員にきちんと理解されるようになれば、
研究者象牙の塔ならぬ地中暮らしで満足なのだから
大隅先生など著名な先生を国政に引っ張り出す必要もなくなる。

以下の文などを読むと、すでに飲み屋には
大隅先生をはじめとした研究者がたむろっている気がしてならないが。
http://www.jscb.gr.jp/jscb/contribution/contribution.html?vol_id=223&no=9&id=28

以上、あまりの散文に目眩を覚えつつ、間違って投稿ボタンを押すことにする。

2018-01-02

反出生主義の論理的誤謬

反出生に限らず、この手の誤謬は非常によく散見される。

  • 「何のために生まれてきたんだろう?」
  • 「俺の人生には何の意味があるんだろう?」
  • 「そんなことして何か役に立つの?」
  • 人間存在はこの世界にとって善なのか?」

これらの疑問はどれも共通の誤りを含んでいる。

それは、「人生を外側から見なければ答えを出しようがない」という点である

意味がある」とか「役に立つ」という言葉について

これらの言葉は、「対象をとる」言葉である

まり、「何にとって」意味があるのか、「何の」役に立つのかという目的語を定めなければ意味が定まらない。

意味が定まらないということは議論俎上にさえ上げることができない。

たとえばドラクエをしている人に

と聞けば、

レベルを上げるためだ」

と返ってくるだろう。

ところがこの答えは「ゲーム」という狭い枠組みの中の話でしかない。

レベルを上げることは強い敵を倒すために意味がある。

→強い敵を倒すことはシナリオを先に進めるために意味がある。

シナリオを進めることはゲームクリアするために意味がある。

となって、それ以上は辿れない。すなわち「スライムを倒して何の意味があるのか」という疑問には、

ゲームクリアするうえで】という限定指示が暗に付属していると解釈せねばならない。

これがもし「【人生において】何の意味があるのか」という疑問だったならば、

ゲームを楽しむことで人生満足度を上げるため」

とでも答えないといけない。答えが変わるということはすなわち元の疑問が全く違う疑問に変わっているということだ。

ところで冒頭に上げた疑問のうち、

  • 「俺の人生には何の意味があるんだろう?」

これはいったい、「何にとって」なのか?

他人にとって」、ならば、まだいい。

厳密には、「他人人生に対して何か満足度を上げるようなことができるのだろうか?」という疑問になる。

これは疑問として成立する。

しかし「俺にとって」ならば、これはおかしな話だ。

「俺の人生意味」なんていうのは、「俺の人生」が一度終わってみないと確定しない。

しかし、「俺の人生」が終わっているということは、「俺」はもういないということである

いない対象にとってどんな意味があるかという疑問は、疑問として(語用論的に)成立していない。

一応、死後の世界存在仮定すれば、その疑問を持つことは可能であるが、

神ならぬ我々には死後の世界の詳細がわからない以上、その疑問には「絶対に回答できない」。

絶対に回答できない疑問は、やはり疑問として成立しない。

反出生主義について

反出生主義のキモは、

という主張にある。

かいことを言えば、効用関数とかリスク選好度はどうなんだとか色々突っ込むところはあるのだが、それよりも最も重要なのが、この主張は

ということだ。

言うまでもなく、この比較は、「人生を外側から見なければ評価できない」ことの典型的な一例である

まれ場合と生まれない場合評価を、期待値で測るのか、期待効用原理で測るのかはたまた他の方法なのかは反出生主義の主張からは読み取れない部分だが、

いずれにせよ彼らは「生まれない場合評価フラットゼロである」ということを前提としている。

ここがクリティカルな誤りだ。

我々は人生内部のことしか検知できないため、そもそもまれない場合評価をすることができない。

いわば、生まれない場合評価はNullであり、Nothingであり、#N/Aである

死後や生前世界存在しない場合評価値が存在しえないという意味#N/Aであり、

それが存在する場合、正当な結果を知りえないという意味#N/Aだ。

#N/Aとの比較結果は当然#N/Aであり、前提が成り立っていないことがわかる。

(追記)

これに対する言及です(忘れてた)

anond:20171230111228

2017-12-24

山本弘批判はどこが的外れなのか

https://togetter.com/li/1182893

 

シャワーはあるけど、コンドームはない(代わりにスキネ草がある)

コトが終わった後、「シャワーを浴びて」という文章に、思わず突っ伏して笑った。あるのかよ、異世界シャワーが!?

世界を描くにあたって現実世界と違う文化小道具を出してそれを表現するのは効果的だ。だからJKハル』においては書き出しでコンドームが草だということにハルが草を生やしている。

 あたしがこっちの世界に来てまず一番ウケたのが避妊具が草ってことで、「やべ、草生える」って爆笑したら、「生えませんよ」とマダムは真顔で言った。

「スキネ草も知らないの? もうかれこれ30年も前に錬成されてこの辺じゃどこの薬草屋にも売ってるけど。ずいぶん田舎から出てきたのねえ」

 スマホどころかネット電話も、そもそも電気もねぇ車も走ってねぇの世界の人によりにもよって田舎呼ばわりなんて、東京のみんなマジごめん。都市辱だよね。

避妊具が草という異世界文化が示され、ハルが「草生える」という日本スラングで応じる。するとマダム田舎者扱いされてしまう。異世界より文明の進んだ東京から来たというのに! この異世界現実世界文化が二度にわたって対比される冒頭は、普通に読めば相当ウィットに富んでいると思うが、しか山本はここを無視してシャワーがあるというだけで異世界想像力に欠けていると文句を言う。難癖もいいところであろう。

 

「異世界現実世界と変わった世界でなくてはならない」という不思議な信念に囚われているのは山本弘の方

問題書き手の側が、「異世界現実世界と変わらない世界でなくてはならない」という不思議な信念に捕らわれてるってことなんだよな。そんな意味のない縛りをはずしたら、もっと自由な話が書けるはずなのに。

「そんな意味のない縛りをはずしたら、もっと自由な話が書けるはずなのに」と言いつつ、他作家をそんなマイルールで縛ろうとし、不自由を強いてくるのは何なんだろうか? 自分勝手自分作品にそれを課していればいいだけであって、それをもって「想像力貧困小説」だと他作家作品批判するのは筋が悪すぎる。

山本は「わざわざ異世界に行く必要ないんじゃね?」と言うが、『JKハル』が異世界に行くのはもちろん理由がある。

ひとつは、「過酷男尊女卑世界東京JK娼婦となってサバイブする」というシチュエーションのためだ。これを現実世界でやろうとすれば両親の存在児童養護施設といった社会的セーフティネットを何らかの形で消化しないといけないし、ハルは18歳未満なのでソープで働けないという問題クリアしないといけない。自らウリをやるか非合法施設で働くとかそういう話になるが、そんなことを話の俎上にあげれば『JKハル』の主題からどんどん離れていってしまう。『JKハル』が描こうとしている話をやるためには誰もハルを助けてくれない異世界に放り出されるのが手っ取り早くかつ妥当なのだ

理由はもうひとつある。それは『JKハル』が異世界生モノへの批判と愛を内面化したメタ小説だという点だ(と書くと、「異世界生モノ馬鹿にしているのか」とか「異世界生モノメタったなろう小説はいくらでもある」とか怒り出すやつがいるが、別にそういう話はしていない。『JKハル』もまたメタ世界転生の要素をもった作品で、その消化の仕方が独特だというだけである)。これは読めばわかるし、既に指摘した感想なり論考がネットにあるため詳しくは解説しない。

 

JKハル』におけるセックスは抑圧や一方通行的なコミュニケーション象徴として描かれている

せっかく異世界なんだから魔法を使ったすごいセックスとか、非ヒューマノイド型のモンスターとのセックスとか、いくらでも突拍子もない想像力あふれるセックスが描けるだろうに、何でこんなつまんない当たり前のセックスばっかりなの?

これこそ山本弘の「想像力貧困」で、かつ『JKハル』が描こうとしているものをまったく理解できていないことを自ら告白する一文であろう。

JKハル』を読めば誰もが当たり前に理解することだろうが、あの作品別に魔法を使ったすごいセックスとか、非ヒューマノイド型のモンスターとのセックス」を描こうとしていない。そんなことを言い出してしまうのは戦国時代タイムスリップする話は常に現代兵器を持っていくべきなどと言うぐらいおかしな話であって、別にそういう話があってもいいが、全ての作品がそうあるべきと言ってしまうのはただの暴論だ。

JKハル』におけるセックスは、暴力的で抑圧的で一方的コミュニケーション象徴である男尊女卑の行き過ぎたあの世界で、多くの男性客はハルを含む娼婦暴力的セックスをする。実際に暴力を振るわれることもあるし、もっと屈辱悲惨なことさえ起こる。しかハルあの世界の女性たちは挫けず前向きに生きていこうとする。あの作品セックスが描かれるのはそういう意図から発したものであって、かつその構図を純化して描くための異世界でもあるのだ。

また、ここで言明しておきたいが、男は常に悪者とかそういう話ではない。

JKハル』が批判なのは他者理解しようとせず一方的コミュニケーションを取ってしまう者であってそこに男女の区切りはない。

物語の序盤では話を聞こうとしないシスターハルがめんどくさそうな態度を取るし、何よりハル自身が、もうひとりの主人公とも言える千葉に対して無理解であり、そのことを別の女性キャラクターに指摘されるくだりがある。『JKハル』が主人公女性をひたすら称揚し、男性であるというだけで批判する話でないことは、念のためここに付記しておく。

 

SF」や「異世界ファンタジー」にかぎらず、かくあるべしと古典を持ち出すのはただの老害である

もともと現実逃避のはずの異世界転生小説が、なぜ現実から逃避しようとしないのか?

いつ異世界転生小説現実逃避小説であると決まったのか。またそうであったとして、異世界舞台現実と戦う小説を書いてはならない理由はなにか。

SF」の古典に未知なる想像力を描いた作品があることは疑いようのない事実だが、それをもって「SF」は常に未知なる想像力を描くべきというのは暴論だろう。

また、未知なる想像力を描いた「SF」や現実世界とは違う異世界描写をした「ファンタジー」が素晴らしいというなら作品で訴えてこそ作家ではないのか。それを広く世に示す作品が書けず、あまつさえ他人作品の狙いや意図理解せずに古典的名著を棍棒にしてただ殴りかかるのであれば、山本には小説家としての矜持能力がないと言わざるをえないし、作家としての筆を、今すぐにでも折ったらいいのではなかろうか。

 

それにしても、一方的コミュニケーション批判的な視座を持つ『JKハル』に対し、作品理解しようとせずマイルールを押しつける山本弘は、作中2話に出てくるモブおっさんそっくりで、非常に皮肉が利いている。

2017-12-22

https://anond.hatelabo.jp/20171221192338

“「批判はあるけれど、一方でOKとされている」なんて事例は、この現代社会存在しない” いや、それが大半でしょ。その上で、多様性として受け入れるものもあれば、セクハラのように排除すべきものもあるって話かと

こういうブコメがサラッと出るの、さらに少しでも星がつくの、怖気が走るよな。

自分が楽しむものは「多様性」として受け入れて、自分が嫌なものは「セクハラ」と切って捨てるわけだろ?

男向け二次ポルノ排除したら、BL排除されたってショック受けてた女子も居たが、当たり前だろって話なのに、こうして「BLはたよーせー」って思ってる輩が多いんだよ。

ブコメの人がそうだと言いたいわけじゃない、けどBL排除にショック受けた女子は似たような感覚だったはずだ)


もちろん、「本当に酷くなったら排除」という人もいるだろう。

けど、この理屈おかしいんだ。

社会的影響力」ってな言葉で、それを助長するからと、本来だったら「たよーせー」レベルの酷くないものまで、排除されるだろ?

けど、こうして俎上に上げると、酷くないものは守られるんだって主張しやがる。

自分の口から出てる言葉も、まともに検証できてないんだ、こいつらは。

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