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はてなキーワード: 俎上とは

2019-12-08

フェミニズムによる表象批判問題点

小宮友根氏による「炎上繰り返すポスターCM…「性的女性表象」の何が問題なのか」

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68864?page=2

のこの部分、

このように、「表象を作る」という行為に目を向けると、そこでどのような女性観が前提にされているのか、その行為は他の行為出来事とどんな関係にあるのかといったことが考えられるようになります表象は誰かが作り、その意味特定歴史的社会的文脈のもとで理解されるものなのですから表象の「悪さ」について考えるときにも私たちはそのような視点もつ必要があるのです。

もちろん特定表象がどのような文脈のもとで理解されるべきかは議論対象となりうる事柄ですが、差別的女性観を前提にしたものを作れば、女性差別の歴史と現状に照らしてその表象理解される可能性が出てくるのは当然のことでしょう。

分かりにくい書き方をしているが、よく読めば「女性の置かれた歴史的社会的文脈(前段)の前では、個々の作品文脈(後段)など議論に値しない」という本意しか読み取れない。

女性の置かれた歴史的社会的文脈」、「個々の作品文脈理解」の両方を俎上に載せずして、その作品が「差別的女性観を前提にしたものであるかどうか、判定できるわけがない。

他者の「差別的女性観」を読み取るという、最大限のフェアネスが求められる議論を、「女性には"累積的な抑圧経験"があって、絵柄だけでもそんな風に理解されることもあるから、注意して」と締めるから、「お気持ち」だと揶揄されるんだよ。

「個々の表現について、様々な観点から差別的女性観』の存否を問う」以外に、表象批判議論はあり得ない。

2019-11-23

青織さんは「自分意見を徹底的に秘匿し、議論俎上に上げないことで批判を逃れる卑怯者」ではあるのだが、別に「言いたいことが何もなく、ただ引っ掻き回してほくそ笑んでるだけ」ではないだろう。しかしそんな風にレッテルを貼られるのは卑怯者に相応しい末路ではある。

左のsaebouと右の青織はやり口がそっくりだけど、そろそろ愛想尽かした人も多いんじゃないだろうか。あの人たちとは議論しない方がいいよ。議論にならないから。

2019-11-18

世の中には、他人物事批判するときに限って、現実フィクション区別がつかなくなる人、二次元三次元区別しなくなる人、文化実用を同じ俎上にあげてしまう人がいる。

結局の所、怖いのだ。そうした無自覚混同に至るのは、自分理解の乏しい分野が伸長してくることが恐ろしく、脅威に感じられるという、無知ゆえの恐怖に他ならない。

ほとんどの場合、その恐怖は杞憂である人類総体は、一人ひとりが認識しているよりもはるかにまともであり、良くオーガナイズされた動きをする。創発のようなものだ。

だいたいのアクティティは、門外漢が取り沙汰し介入せねばならぬほど悪辣ものにはなり得ない。

バランサーはどこにでも存在する。外野からはそれが存在しないように見えていても。

その領域内独自ルール自然発生し、なんらかの形の自主規制に基づいて、守るべきライン形成されていく。それは動的であり、だからこそ発展していくものだ。

海外の(観光客からみると)おっかないエリアであっても、そこに住み日常を営んでいる人たちがいるのと同じように。過度に干渉したりケチつけたりすべきではないのだ。

世の中のあらゆる人々や物事は、多くの側面を内包している。その側面一つ一つごとに発展の度合いも方向性も異なる。

そのうち一側面の要素を一つの尺度で「ひどく拙く粗野だ」と詰って発展段階を批判したとしても、その主体価値がそれだけで毀損されることはない。

けれどもそれが可能であるかのように誤解させ、一事が万事のように誘導し、その主体のものを潰そうと息巻く人々が、事あるごとに出てくる。

それは、前述のように恐怖からくるのだが、同時に、疲れているのだろう。疲れている人がたくさん居るから、そのような一つの現象を生むのだ。

世の中が多様になりすぎて、受け入れるだけのキャパティを超えてしまった人たちの、許容疲れなのではないか

疲れている人とそうでない人とでは、その視野認知能力も噛み合いようがない。それが理論の屈折と、議論の非建設性を増長することになる。

この「許容疲れ」の解消こそが、21世紀課題だと私は思っている。モダンでありながら生きやす社会のために。

今までは、そのキャパティ物質的(経済的)にも精神的にも余裕のある成熟した人でないと拡張できなかった。

それをテクノロジー拡張できるのではないか

単にインターネットを通じていろんな立場の人の声が聞ける・読めるようになった程度では、人々の意識の器は拡張されなかった。

しろ、一気に大量のタスクを渡されたせいで混乱しカリカリと殺気立っている人、のような状況に陥っている。

インターネットがより意識の低い一般大衆に浸透すればするほどその傾向が強まってきたように感じられる。半端に意識を高められ、排外排斥および他責思考が強まっている格好だ。

これは過渡期的な、一時的現象だろうか。いや、そうではないだろう。

おそらく、インターネットハイパーテキストの先にはソリューション存在しない。

情報通信の分野の中にはあるだろうが、まったく異なるプロトコルによる情報摂取体系の普及が必要になるだろう。

多面的でファジー意識を、負荷なく脳に取り込む――可能ならば他人の脳そのものリンクして、認識統合する――

仮にそれをHCTP、ハイパー・コンシャス・トランスファープロトコル、と呼ぼう。

それが実現したとしたら、どのような形で運用されるだろうか。

ドラえもんなら、岡部太郎なら、あるいは長門有希なら、その答えを知っているだろうか。

2019-11-17

哲学黄昏

http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/time/note.html

サーバメンテナンスみえないっぽいけどめちゃくちゃ面白いね。いまさらだけど。

谷村先生は本当にまじめな先生だな、と思う。

メタな話をすれば、哲学者側は最先端物理学者との対談で自分の論に箔をつけて業績にできるめったとないチャンスで、対する物理学者側は正直こんな本が出ても業績としてたいして価値があるわけでもなく、無難お茶を濁しても誰も何も言わないだろう状況へこのガチファイターの投入である。(ほめてる)

流血覚悟、魂をこめた渾身の右ストレート

そしてこの叫びである

https://twitter.com/tani6s/status/1193542355975950336

https://twitter.com/tani6s/status/1193542463169810432

谷村先生人間味が感じられるツイートお気に入りである

心の哲学が何を問題にしているのか、とか全然興味なかったけど、おかげさまで浅いなりに理解できたし興味も出てきた。谷村先生が頑張らなければひっそりと専門書の棚に気付かれることなく置かれてるだけだったかもしれない本だったかもしれず、関係者谷村先生感謝しすぎてもしすぎることはないんじゃなかろうか。

ところで谷村先生が指摘した部分というのは、理系研究者人間であれば多かれ少なかれ感じていたが言語化するのがためらわれた結果、これまで表面に上ってくることのなかった問題のように感じる。

学生の頃、人文系研究室卒論科学研究室卒論とを同じ発表会で見る機会があったけど、科学系の教授の人文系の発表への容赦ないツッコミを思い出した。

用語定義しろ立論にしろ結論を導く論理しろ君たちあまりに緩すぎないか?というのが共通する雰囲気だと思う。

科学が発達していなかった昔、哲学科学がまだ扱えない領域を先んじて論理の力で掘り起こす役目を担っていたと個人的には思う。(谷村先生の期待もこういうものではなかっただろうか。)

だが色彩論でのゲーテニュートン批判とか、時間論でのベルクソンアインシュタイン批判とか、科学哲学に先行して真理を掘り起こした結果、取り残された哲学が宙ぶらりんのままになる状態19世紀以降は顕著になってきたんじゃねえかと思う。まあ哲学のことはよくわからんのでアレだが。

ベルクソンアインシュタイン対話翻訳ネットで拾って読んでみたが、ベルクソンが長く理解しにくい文章で考えを述べる一方、アインシュタインは明晰で短い文章でバッサリと切っていて既視感がすごい(語彙力)

今、AIとか脳科学研究が進んで、心に関する諸問題哲学ではなく、科学俎上で実際に解決される可能性が高くなってきたと思われる。

意識ハードプロブレムとかも、哲学からの「まだまだ科学に扱えないものがあるんだよ!!」という断末魔叫びのようにも感じられる。

だが科学は進む。

意識問題も脳というハードウェア上に構築されたニューラルネットワーク状態空間として科学領域に取り込まれ哲学領域はまた一歩小さくなっていくのだ。

地動説人間の住む地球宇宙の中心ではなくなったように、進化論人間が神に作られた特別存在ではないことがわかったように、有機物生命作用なしに合成できることがわかったように、意識もまた特別な何かではなく、我々自身哲学的ゾンビなのだということを認めざるを得ない瞬間が必ずくるだろう。

キリスト教根底にある思想最後まで魂の特別性に拘泥するかもしれないが仏教だと五蘊皆空と思えばどうということもない気もする。

まとまらず終わる。

2019-11-06

anond:20191106141957

白人によるブラックフェイスアジア人によるブラックフェイスじゃ問題は全く異なるのに、白人価値観アジア人断罪されてもなぁ、という話ではある。

黒人を散々差別してきたのは白人であって、日本人を同じ俎上に乗せること自体白人中心主義の賜物だろうよ。(日本人人種差別とは無縁だというわけではなく、日本は「黒人差別」なんかよりも中国韓国フィリピンブラジル琉球アイヌ辺りへの偏見を克服すべきだろう。)

2019-10-28

anond:20191028120537

いま議論俎上に上がってるのは常に「アウトになるくらい性的かどうか」でしかないんだよ。

性的だけどアウトではない」範疇ことなんて議論になってないの。

性的なことを否定してるオタクとかアホかと

性的だけどギリギリ適切な範囲ですよねって理屈で戦えよ

最初にそこが論点だよねって言ってんだけど

それ認めてなんか解決しますか? フェミさんが満足しますか?

フェミさんの満足がゴールなの?

フェミさんのことばっか見てるアホが多すぎるのがオタク陣営の致命的な部分よな。

anond:20191028115337

いま議論俎上に上がってるのは常に「アウトになるくらい性的かどうか」でしかないんだよ。

性的だけどアウトではない」範疇ことなんて議論になってないの。

から「アウトじゃなくとも性的であることは認めようよ!」みたいな冷静ぶった提案意味はないの。

それ認めてなんか解決しますか? フェミさんが満足しますか?

オタクもこれでシコってることは認めてます」みたいな材料にされるだけだよね。

2019-10-26

オタクvsフェミの話がまだまだ続くようなら

あの『紅一点論』の話を軽くでいいから一度総括しておくべきなのかな、とか思う。

評論としては「伝記を叩くのがメインだったはずなのに、見事なまでに前座藁人形だったアニメ特撮しかまれなかったお気の毒な本」ぐらいの評価関の山で、

そのアニメ特撮編も「ああ、頑張って視聴したけどさっぱり頭に入ってこなかったのね」ということだけがが伝わってくるトンチキな代物なのだけども。(なお、伝記編は輪をかけて薄っぺらい)

要するに、「マンガみたいな文体テレビまんがを評論俎上に上げた」ことだけが評価点の本。

もともと「身近なところにこんなに女性差別が!」という話をぶち上げる上で、差別主義者であろう読者のみんなが安心してフェミニストと一緒になってぶっ叩いて差別できる対象としてアニメを選んだはずなのに、

アニメ評論できる」という実績だけが金字塔になってしまった、そんな本。

一般人フェミニストは同じ差別主義者としてわかりあえる!という理想()のもとに書かれて、そして見事に裏切られた本。

2019-10-24

ミサンドリストへの向き合い方が分からない

ミソジニストブクマカ即非表示にしてるし、ミソジニストツイッタラーも即ミュートにしている。話を聞く必要を感じないというか、何のメリットもない気がするというか、話の通じる相手だと思っていないから。

こういうことをしているのならば、はてなツイッターで目にする強烈なミサンドリストも同じように無視するべきなんじゃないのか、という気がするのだ。

恐らく彼女達は今までに男性から何か大変な被害を受けたことがあって、そうなっているのだろう、とは思う。でも、話が通じる相手ではないという気がしている。

しか犯罪被害者やその家族の手記を読んだ時、私は彼らに共感し同情する。その気持ちに寄り添うべきだと思う。レイプ被害者が男性恐怖症になったとしたら、それも仕方ないことだし、それを切り捨てて良いとは思えない。

でも私はミソジニストはあっさりと切り捨てている。何のためらいもなく。もしかしたら女性に虐められて女性恐怖症になったのかもしれないけれど、大体の人はモテなさ過ぎて拗らせたんだろうとしか思っていない。

はてなホットエントリにはよくミサンドリストブログが上がってくるけれど、議論俎上に上るべきなのか疑問に思っている。でも自分が気にならないことだからといってマイノリティ気持ちを無碍にするべきでもないよね?なんというか線引きが難しい。

2019-09-30

何でお前らはいつも理屈の構築に詰まると「ぐぐれ」って言うの?

「お前が何を情報ソースとしてどういう理解でそれを正としているのか」が議論俎上に上がってるのにぐぐれとかお前それ「逃げ」やぞ。

お前がググった情報と俺がググった情報ぶつけるんが議論って奴やろが…

2019-07-26

「終わりなき日常の終わり」とかいう終わってるコラム

アニメなんてなくても生きていける。

そう論じるのは簡単なことだ。

だが

人間そもそも不完全なものであり、合理性のみで人生を全うすることは難しい。

それが出来る人間もいようがその数は決して多くない。

アニメに限らず、ゲーム、酒、タバコ、異性、ギャンブル、車、ゴルフ音楽アイドルスポーツ観戦、特撮映画小説

多くの人間一見生産ものにひと時その身を浸して癒やしを得、日々の暮らしにおける心の糧にしているものだ。

まずこういったもの批判をすること自体禁酒法時代アメリカ天保の改革風俗取締令のようなナンセンスさがある。

すでに多くの批判が寄せられているが、大阪芸術大学純丘曜彰教授の例のコラムの改稿前のものを長くなるが引用し、思うところを述べていきたい。

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終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌

純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

/夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。/

まりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファン豹変し、本人を襲撃。アイドルアニメは、そのマーケットクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。

もとはと言えば、1973年手塚プロダクションの瓦解に始まる。同じころ、もう一方のアニメの雄、東映労働争議で多くの人材放出。かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメ製作ノウハウはあっても、資金的制作能力に欠けており、広告代理店テレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働常態化していく。

そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理製作進行が破綻して打ち切り。にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。しかし、サンリオ資本キティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおマンガ翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。

このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーション前身が稼働し始める。そして、その後のアニメ業界大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守映画オリジナルストーリーうる星やつらビューティフル・ドリーマー』。SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。

アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSFさらにはもっとタイト大人向けのものもある。

にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。

もっと言ってしまえば、京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった。学園物、高校生サークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。天性の善人とはいえ社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。

なぜ学園物が当たったのか。なぜそれがアニメの主流となったのか。中学高校は、日本人にとって、最大公約数共通体験からだ。入学式修学旅行学園祭卒業式教室体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。もっと上だ。学園物は、この中高の共通体験以上の自分個人人生空っぽな者、いや、イジメ引きこもりで中高の一般的共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。それは、いい年をしたアイドルが、中高生ガイ制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタアラサーアラフォーファンを誑かすのと似ている。

夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなものだ。

『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメ主人公は、のび太カツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。こういう連中に残された最後希望は、自分永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。

起業する、選挙立候補する、アイドルタレント芸人になる、小説マンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ

いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。

まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。もう学園祭は終わったのだ。休もう。番組も、映画も、穴を開けて休もう。あれだけの京アニ惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事待遇業界のあり方、物語方向性ファンとの関係見直しあらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。

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京アニは学園ものだけ」という言説に対し、傷痍軍人女性戦後を生きる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の存在意義が改めて燦然と光り輝いているという事実劇場版企画されており以降もシリーズ化されればそれはもう「学園ものだけ」という批判にはあたらない、はずだったのだが…。

また京アニオリジナルの源流をたどればMUNTOという異世界ファンタジーもあり、今後何が飛び出すか、その可能性は無限に満ちていた。

日本オタク作品の大半が確かに学園ものなのは事実であるが、それは世界観の説明が容易であること、多くの視聴者経験していて没入しやすいこと、といったアドバンテージがある、いわば「手堅い」ジャンルゆえ。

京アニは決して裕福な会社であったとは言い切れないし、またアニメ業界自体流行り廃りが激しく、そんな中で一定収益を手堅くあげる選択をとっても批判されるいわれはあるまい。

エンドレスエイトがいまだに物議を醸す存在であるのは事実だが、話題性が1期よりは希薄になりがちな2期ハルヒを「語る」上で大きな要素になっているという点では意義のある存在ともいえるのかもしれない。

終わりなき学園祭としてひとつ象徴となった「ビューティフル・ドリーマー」、

うる星やつら漫画版で約9年、アニメ版で約5年もの長きに渡り「途切れることなく」続いた学園ものであった記憶もあって、ことにアニメに対して古い感性人間ほど「終わりなき青春」を延々続ける印象もあるが、

近年の製作ペースは1クール12話、月にならせば3ヶ月ほどのスパン基準で、シリーズが続いても2クールか長くても4クールあたりが殆どで、1年を通して続くことはもはや一部の例のみで、1クールないし2クールベースの途切れ途切れの発表ペースになっている。しかうる星が3年を超えて学生生活を描き続けたのに対し、妥当時間経過とともに終わり即ち「卒業」があるのも近年の特徴。

しかアニメファンは常にコンテンツ新陳代謝さらされる中で、コンテンツの完結を一区切りとして、同じ制作会社からといって次に提示される新コンテンツを必ず追い続けてくれるとは限らない。

1期で好評だったシリーズ物の2期ですら、1期以上に人気を得るのは実際難しい。

そしてこの御仁が憂うまでもなくアニメ自体卒業していく人間も確かに存在する。

そういった熾烈なレッドオーシャンで波間の泡のように浮いては消えていくのがアニメ制作会社非情なる現実

そんな熾烈な世界にあって健気に誠実に作品を作り続け、また大きな落ち込みもなく良質な作品供給できる会社を存続させてきた、業界良心の要石のような会社京アニであって、それはこういう批判俎上に上げるべき存在ではそもそもない。

事件からかねがね用意されていたであろう「ぼくのかんがえた日本アニメ概論」をここぞとばかりに持ってきたのだろうが、世界的に見ても比類なきほど理不尽な、そして悲惨事件に対して論じるにはあまりにも適さない代物であったと言わざるを得ない。

このケースは犯人特性も含めて極めて異常であり、安易因果応報的論説にははめ込めないほどの歪さ不条理さがあるのだ。いやしくも大学教授を名乗る立場にふさわしくない浅薄さであったと言わざるを得ない。

この御仁が禄を食んでいる大阪芸大は早くからサブカルチャーに特化した今やオタク御用達大学であり、辺境にありながら高い人気を持ち続けているのはそれ故もあるのに、そこからオタク批判をすること自体、あたかも親の庇護を受けながらヤンキーやってるイキリ中学生のようであり甚だ滑稽でしかない。

オタクにイキって食う飯は旨いか

まぁ一方で確かにアニメ作りすぎなのは事実であるが、それは業界全体レベルの話であり京アニを論って言う話ではない。それは数を作らないと食えないという業界構造にこそ問題があり、是正されるべきものであるのは論を俟たない。だが、かつて勇名を馳せた会社ですら粗製乱造ものも見受けられる中、ひとつひとつ作品を売れる売れないに関わらず本当に誠実に作ってきた会社を取り上げて言うことではない。まして「麻薬の売人以下」とまで蔑まれるいわれはない。

あとアニメうる星はその後綺羅星の如く多くの俊英を生み育てる土壌になり、アニメ産業及びアニメ文化嚆矢ともなったという意味で意義深い作品であり、とりわけビューティフル・ドリーマーアニメ制作班の若き野心とオリジナリティに溢れた傑作であったことも付け加えておく。だがそれに内包されている批判精神は今や一周回って定番になってしまい、それをもってアニメ批判オタク批判をするには「今更感」で一杯で陳腐化していることも。


最後

人的物的、そして心理的にも大きなダメージを負い再起すらも危ぶまれる中、これからの再起を表明した八田社長京アニには、深い敬意を表しつつ、事件前に比肩する制作体制を整えるのはおそらくまだ時間がかかるであろうとも、その行く末を見守っていきたいし、微力であれ力添えもしていきたいものである

そして、亡くなられた方のご冥福と、負傷された方のご快癒をお祈りしつつ、件のコラムのような浅はかな批判論を払拭する新たな可能性に満ちた作品群を期待したい。それがいつになろうとも。

2019-07-17

https://anond.hatelabo.jp/20190716122944

全く違うな、キモカネおばさんがキモカネおじさんよりも冷遇されている事を問題視するのもフェミニズムだ。

キモカネおばさんは男に生まれていても人生詰んでた?違うでしょ。

キモカネおじさんはネットで大騒ぎされ同情され俎上に上がってるじゃん、つまり同じように醜く無能でも、男は男というだけで下駄を履かされているんだよ。

「同じくらいの能力ルックス階級」であっても、男は女よりも上に扱われている。それは別にエリート男性エリート女性比較だけでなく、無能底辺男性無能底辺女性との比較においても当てはまる事だ。

その自覚が全くないから、自分達を「男」の中に入れるななどという被害者面した発想ができるんだ。

2019-06-15

瞑想してるときやばい顔になるはず

はてなでも瞑想はよく話題になるし、自分も興味あってたびたび試すのだけどなかなか期待していたようなところまでは行けなかった。

意識俎上に載せるものを限りなく小さくするというコンセプトはわかりやすいのだが、実際にはなかなかうまくいかない。

これは何か根本的に間違えてるんではないかと考えて思い当たったのが、あのみんながよく思い浮かべる瞑想の本の表紙にありそうな涼しそうな顔。あれが先入観なんじゃないかと思った。

そもそも意識俎上に何も載せないということは人間性が限りなくゼロに近づくということだ。

あんなに理性的きれいな顔をしているわけがなく、きっと相当やばい感じの顔になっているはずではないか、ということでその方向で試してみたら前より全然うまくいった気がする。

ちょっとした発見だったのでみんなにも聞かせたくなった。ぜひ試してみてほしい。

2019-04-28

anond:20190427223747

公平に税を取るとか受益者から税を取るってのは正しい態度なんだけど一方理想論でもあって、現実システムは今のところそうなってない。なんでなってないかというと、徴収コストとか捕捉率の問題があって、クリティカルに担税してもらうのが難しいから。

消費税なんて逆進性があるし税の中ではかなり筋が悪いものだと個人的には思うのだけど、なんでこれが現在日本議論俎上に有り、世界各国でも税の柱になっているかといえば、国という領域の中で逃れようがない行為が消費行動で、補足しやすいからという一点につきる。要するに絞れるやつから絞るという話なので、公平感とか、受益者とか二の次三の次なのだ消費税=取り立てしやすい税。消費税にそれ以上の利点はない。

よく「富裕層からもっと金を搾り取れ」って気安い意見がでるけれど、これって有効度がかなり低い。捕捉率は低くて徴収コストは高い。海外資産現金以外や資産移植のことを考えれば、正確にガッツリ徴収するコストは非現実的だといえる。高所得者富裕層意味が違うことを考えればなおさらだ

高所得者課税するのは割と簡単なので、高所得者のことを金持ちと呼んで、富裕層と誤認させて庶民の溜飲を下げさせるという方策はありうる。実はこの方策副作用大きいわけだが)

そういう前提知識を置くと「ツケにしておく」というのが、どれだけ無理筋かわかると思う。逃げやす実装なわけだからね。

から現実制度でもめったに見ない。どっちかっていうと「とりあえず取り立てておいて、免除が決定されたら払い戻し」のほうがありうる(還付金という名称ですでに幾つかのシステム実装されている)。

2019-04-21

ネット上のフェミが言う「女」に私は含まれます問題

ツイッターを中心に日々インターネットを見ているだけの

市井の人間のたわ言なので軽く読んでほしい。



私は女だ。そこそこの学歴も持っていて、会社員

昨今世の中を騒がせている#metooにまつわる女性らと大体同じ世代で、20~30代。

おそらく同じような感性で、同じような考えを持って生きてきたはずだ。



ただ、いつも思うのだ。

metooで、女性のあたりまえの権利を主張する人たち。

彼女らの主張が代表しているはずの「女」に、私は含まれているのか?



女性権利を主張する人たちの言う「女」が

ただ「生物学上の女性性」という意味ではないことは理解している。

「女」という役割ジェンダーとしての「女」という意味

被害に遭いやすく、女性というだけで正当な評価を得られなかったりする。

女の全てを平均化した、一般的女性像(そんなものがあればだが)は

きっと一般的男性像よりも確かに不遇なのだろうと思う。



話は変わるが、「レンタルなんもしない人」が、女性にはつとまらなかったりつとまったり

というような文脈でここ数日炎上していた。

きっかけはひとりの女性ツイートで、要約すれば

女性は女という特質上、レンタルなんもしない人は務まらない」という内容だった。

被害に遭いやすいし、性的サービスを求められやすいし、危険



しかに、一般的女性像はそうかもしれない

ツイートを発信した女性も、そういう一般的女性像にあてはまる人なのかもしれない。



でも、その女性像に当てはまらない女もいる。

例えば、生殖機能のなくなったおばあちゃん

例えば、平均的な男よりも断然強い肉体を持っている女。

例えば、顔や体的に全く女性としての魅力がない人(本当にそうかはわからないけれど)。

例えば、乳房も膣も無い女。

例えば、LGBTの人もそうかもしれない。体は男。心は女。



そういう人たちは「レンタルなんもしない人」本当にできませんか?

そもそも「女」を考えたときに、こういう人たちのことを

一切想起しなかったのではないですか?



私は上の例には当てはまらないけれど、

正直に言って、物凄く女性的魅力が無い。

男性から言い寄られたこともなく、言い寄ると向こうから強くお断りされてしま人間だ。

もちろんmetoo糾弾されているようなセクハラも受けたことが無く、

これから先もあるかはわからない。

女だからといって職にあぶれたことはないが、

おそらく見た目のせいで職にあぶれたことはある。

それは女性からではなく、単に見た目が悪いからだ。



から私も、なにもしないだけなら、女性であっても務まるのではないかと思っている。

そう思ったときに感じるのは、じゃあ私は何なのかということだ。

生物学上は女性。でも、ネット上の自称フェミが語る「女」からは疎外されている。



「女」を政治俎上にあげるとき

移民」「黒人」「高齢者etc.政治俎上にあげるのと同様に

特殊な例を省いて一般化しなくてはならないのはわかる。



ただ、フェミニズムの根幹は、弱者弱者のまま価値を認められるということにあるのではないか

フェミニズムの内部で、平均ではない女性を(弱者ではないかもしれないが)無視して

一般的女性像のみを語るのはいかがなものだろうかと思う。



私たち「女」を語るときに、一般的女性像にあてはまる女を語るのではなく

平均化していないすべての「女」の存在

心のどこかに感じていてほしい。



私たち「女」は、という語り口で持論を述べ始める前に、

自分が「女」と女性を切り分けることで、そこから漏れしまっている人、

まりは「仲間外れにしてしまっている人」が居ないか

ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。



ブサイクのたわ言だとか、性的被害に遭ったことのない幸せ人間の言えることだとか

そんな風に思われるかもしれないけれど。

2019-03-24

anond:20190324131518

ワンチャン狙い」という相手価値観否定してモノ扱いしてる

ここのロジックが全く分からん。全き人間をモノ扱いすることと、相手の「ワンチャン狙い」を解釈することとが同一の俎上で扱い得る論拠を示せや。つくづく生き恥さらしてるなあアンタ。

2019-03-11

anond:20190311193204

俺もそう思うんだけど、同性愛者さんたちはそうは思ってないらしいぞ。つまり議論俎上には(悲しいことに)上がってる

自分たちの「愛」とやらを証明するためにわざわざ税金を使ってもらえるつもりらしい

anond:20190311192749

いや、結婚子供を持つための制度だろ。

当たり前すぎて議論俎上にも上らないくらいの。

2019-02-24

anond:20190224200500

でもその戦い方の結果稀代の悪法がまさに国会審議の俎上にのってしまった事については何の反省や振り返りもないんですよね分かります

フェミ自称リベラル文化庁を動かしたというストーリーの方が口当たりもよくて自分達の団結力も高まって自尊心が満たされるんですよね分かります

2019-01-26

anond:20190126121440

雑談では具体的に生活については答える気はないですすみません

貯金があるならキモくて金のないおっさんじゃないだろなど言い掛かりの道具に使われるだけで私にメリットが何もないのです

具体的なキモくて金のないおっさんを救済するための政策論などが議論俎上に上がった場合などに

キモくて金のないおっさん生活サンプルケースが必要になったらその時は書くと思います

2018-12-13

anond:20181213134338

18禁指定されていればこういう俎上には上がらないでしょ。

2018-12-09

anond:20181209150522

利害調整男です。収入は私の方が多いですね。もちろんそれも割愛した細かい条件に入れるべき項目でしょう。

95%(でしたっけ)のカップルが夫の姓を選んでいるのは、収入の面の話もあると思うけど、そもそも女が姓を変えるのが当たり前すぎる文化なので、そのような意向があっても女からは主張しない、女が主張したところで検討俎上にも上らないというのが、現状ではないでしょうか。

2018-12-07

anond:20181207112241

贔屓と評価は分けるべきだと考えるのでどの様な文脈であれ贔屓を俎上にあげるのは間違いだと思っている

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