はてなキーワード: からとは
うちの嫁さんがとてもおしゃべりだ。
だいたい女のひとっておしゃべりだよね。
何をそんなに話すことがあるんだろうってくらい
べらべらべらべらとまくしたてる。
って言ってくる。話しかけてきたのはそっちやん。。。
しかしこんな他愛のない話でもSNSでするのはタブーになりつつある。
なぜかっていうと出るんだよ。
「すべての女性がおしゃべりなわけではない」とか
「N=1の話をされても」とか、つっこんでくる指摘おじさんおばさんがさ。
どうやら彼ら彼女らは2行目の「だいたい女のひとっておしゃべりだよね」
が気に食わないらしい。でも言わせてくれ。
うるせえよ。
そんなの当たりめえだろうがよ。
こっちは最大公約数の話をしてんだよ。
嫁さんを含め俺がいままで出会ってきた女はだいたいおしゃべりだったし
世間のイメージもそうだろうがよ。もちろん中にはそうじゃない女もいたよ。
だからなんだってえのよ。あらゆることに例外はあるでしょうよ。
世の中はひろい。
これはさすがに断言できるだろうって事柄にも必ず例外はあるはずで。
たとえば「水って美味しいよね」って話にすら
「女性はおしゃべり」って話と「水って美味しいよね」って話は
ぜんぜん違うのに比較されても。。。っていう比較するなおじさんおばさんね。
あのさあ。例ってそういうもんじゃん。
「まるで馬みたいな馬ですね」なんて話しても意味ねえだろ。
別に俺は「すべての女がおしゃべり」じゃないと駄目だなんて思ってないし
べつにそうでなくていいとすら思ってるよ。
じゃあ2行目要らないよね。わざわざ書くなよって話になるんだけどさ
あんたらお笑い芸人のあるあるネタにもいちいち「こんな例外がある!」って指摘してるのか?
おめでたいこった。
https://youtu.be/yMjEecrgAO0?si=6bhPzEdlheFiwavj&t=354
こいつワッと集めて売るだけなんだからチョロいもんよ
あいつら俺がイメージしてた「漁師」「漁礁者」って感じじゃ全然なかったわ
めちゃくちゃ稼いでて羽振りええというか。
豪邸ってレベルじゃない家とか建ててるし
案の定ちょっと調べたら外国人の実習生コキ使ってるってわかったしなんというか悪どい。
中国が日本以外の国に禁輸措置で圧力かけてた例なんかいくらでもあったんだからカントリークラブ?カントリーリスク?としては十分想定可能な範囲内では。
周りにちゃんと溶け込めてる
でも入社以来何年にも渡り同期飲みも部署の飲みも任意参加なら1度も参加していない(実質強制参加の歓送迎会も必ず一次会で帰る)様子を見るに、
うちの人間関係なんぞ彼にとっては三軍以下の鼻くそ程度のもんでしかなく、会社の人間が知りえない一軍レベルに重要なコミュニティが何個もあるんだろうなと察してしまう
でも、彼ほどではないにせよ、同じく標準的レベルを大きく上回る顔面をしててコミュ力もある女性の同僚がオッサン社員の男芸者状態になって喜んでるのはマジで意味不明だった
まさに今の自分のことで青ざめた。
新社会人女です。
好きな人が急に冷たくなった。最初は順調に通話やデートを重ねていたけれど急に相手の態度が変わった。
最初は相手からデートや通話の誘いがあったのに、今はほとんど連絡がない。おそらく原因は私が一度相手に好き好きアピールして好意を匂わせたこと。卑怯な行為だったと思う。
まあ戦時中や戦後すぐの頃は、中国や北朝鮮の工作員が日本に潜入して破壊工作をするのも「ゲリラ」扱いやったっちゅうことやね。
そのあとの過激派左翼も自分たちの活動を「これはテロではなく戦争なんだ」っちゅうて「ゲリラ闘争」とか言っとった。
せやから今も警察には「テロは対人・ゲリラは対施設」みたいな独自の用法が残ってたりするんや。
ただ「テロ」「テロリズム」という言葉は戦前から使われていたから「ゲリラと呼ばれていたものがテロに変わった」わけやないで。
予算規模と言われるとそれまでだが、冷静に考えるとよくわからない
ある原作(小説でも漫画でもよい)があり、それを映像化しようと考えた時、
映画・劇場アニメよりも尺が長いTVドラマ・TVアニメはより原作を忠実に再現する、精緻に映像化できるはずである
そのため、予算を抜きにしたあくまで制作フォーマットで考えると、
長尺のTVドラマ・TVアニメが映画と比較して下扱いになるのはよくわからない
原作者にとっては変な編集がなされる映画よりもドラマ・TVアニメ化の方が嬉しいということはないんだろうか?
視聴者から見ても2時間の濃密な体験ができる映画と比べると、1クールや2クールで作品世界をゆっくり楽しむ楽しみ方もあり、どちらが上とは一概に言えないはずだ
推しの卒業は辛いことは辛いが、推しが決めたことなので、一ファンとしては彼の選択を受け止めて、喪失感とうまく付き合っていくだけだ。
それは同担フォロワーの新垢作成のお知らせだったのだが、それがその卒業した推しのファンアート(FA)を描くための垢であった。
卒業に際して、そのVは卒業後のFAについて配信内で言及していた。
「卒業後、自分のFAは控えてほしい(特に彼が抜けるグループのFAを描くときは)」
私は英語ペラペラ人間ではないので細かいニュアンスは誤っているかもしれないが、少なくとも私はそう解釈した。
態々別垢を作ってFAを描こうとしている者がいるあたり、大まかには合っているものとして話す。
この時、私が思ったのは「彼の意に反して、これからもFAを描くのか?」である。
付き合いの長いフォロワーではあったが、その行いにはじっとりとした怒りのようなものを覚えた。
態々配信内でそれについて言及したということであれば、それは彼にとって大切なお願いの一つだろうと認識していたので。
ファンとしてそれを踏みにじるような真似はするべきではないと。
一方で推しの卒業を受け止めきれない気持ちもわからなくはない。
私自身、Vに沼るきっかけとなった推しが卒業して約1年経つが、受け止めきれたかなと思う今でも月に一度は喪失感をぬぐい切れない日があるし、定期的にTwitterでFAやツイートを検索したりもするし、果てには度々夢の中に出てきて卒業が嘘かと混乱する朝を迎えることがある程度には引きずっている人間だ。
だから、推しが卒業する喪失感への対策で、いくら彼が望まない行為だとしても、自分を守るための一つの方法なのかと思わなくはない。
長くても猶予は3か月ほど。一切の配信もなく、お知らせ一枚で終わってしまう場合もある。
昨日まであった日常は、次の日には非公開という形でなくなってしまう。
幾ら猶予があって身構えていたとしても喪失感は想像の数倍のダメージを与えてくるし、自身の生活が壊れることもあるだろう。
そうならないよう、自分を守るためにもリスナーはそれぞれの方法で喪失感を受け入れていかねばならない。
一方でV側は卒業後について考える必要がある。卒業後はどんなことが起ころうとも卒業した本人には一切コントロールはできない。
それが自身だけでなく、周辺の関係者たちに悪影響が出ることは誰しも望んでいない。
そのために「お願い」という形でファンの行動に制限を掛けることが必要になることもあるだろう。
結局、私はそのフォロワーの別垢をフォローしに行く気にもなれず、かと言ってこんな楽しくはない話を他の誰かにもできず、ただただ推しの卒業に付随したこの問題について未だに折り合いをつけられずに生きている。
が主に挙げられてると思っている
前者は最近はASDとADHD、その併発型で分けられる事は大分増えたけれど、その内部ではやっぱり相変わらず一括りにされている感じ。
ADHDと一括りにされる中でも、その症状って多岐に渡るし、それらが併存している人もあれば一部しか当てはまらない人だっているじゃん。
全部を「発達障害」に括るじゃなくて、例えば不注意症とか感覚過敏症とか多動症とかに分類するんじゃ駄目だったんだろうか。
自分の場合、不注意や感覚過敏はあっても、物静かでおとなしくて多動傾向は全然ないので、ADHDと括られるには違和感あるんだよなー
私は子供の時から授業中の他の生徒達のお喋りが本当に駄目で、テストの成績は良かったけれど学校の人間関係は全く上手く行っていなかったし
その後就職してからも同様の状態で、周りがうるさすぎて耐えられず首になる事を繰り返している
で、小中学校時代に授業中に騒いでいたようなクラスメイトが、普通に仕事して家庭を築いて成功しているものだから物凄くやるせない。
で、後者も前者にある意味連動していて、「発達障害」に括られる特徴が発現するか否かって、やっぱり環境に依るところが大きいとしか思えないんだよ
全部が全部先天的だなんて思えない
スケジュールに余裕がなくマルチタスクを強いられる職場だったらミスが増えたり
オープンオフィスだと聴覚過敏で苦しむけれど個室なら快適だったり
仕事から帰宅すると、嫁が戦場のメリークリスマスを流していることがある。
そういうときは決まってビーフシチューなんだけど、その理由は知らない。
でもこういう話って、よくあることだと思う。
自宅に近づくと音楽が聞こえたんだ。
それから嫁のビーフシチューを食べた。戦場のメリークリスマスを聞きながら。
女だけど今までミシン目なんて気にしたことなかった…もしかして結構イラッとする人多いの…?カーペットクリーナーとかなら支障でるからわかるけどまっすぐ切れてたら支障なくない!?毎回切るときにミシン目気にするのストレスじゃない!?
ここ数年周囲で出産の報告をきくと、日本に生まれてくる子どもがかわいそうに思えてくる。
親は自分含め4人の兄弟全員大学まで卒業させてくれたけど、ひとまわり下の世代に生まれていたらきっと無理だったと思う。
高校生で日本大震災がおきて、「いまは一番底をつい時代だからあとは上るだけ。未来はもっとよくなる。」と言われたけど
底をついたあと、10年以上かけて底が抜けてしまった国で、どうやって子どもを育てる気持ちになるんだろう。
お散歩で「おともだち」と手を繋がないといけないのが心底気持ち悪かった。
自分と同じくらいの大きさの人間に湿ったベタベタした手で触られるのが嫌だった。
また2歳か3歳だっただろう周りの子どものよだれや高い体温の気持ち悪さはいまもはっきり覚えている。
小学校に入学して数日で将来学校の先生には絶対なりたくないと思った。
せっかく大人になったのに不愉快な子どもに囲まれるなんてどうかしているし哀れだと思った。
毎年子ども関連の寄付をしているし身近な人に子どもが生まれれば贈り物を贈る。大人だから。生まれてきたことがかわいそうだから。