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はてなキーワード: 科学史とは

2019-05-11

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2019-03-19

「この科学者がいなかったら発見されていないであろう法則」とかって

 科学史上の発見で、「この科学者がいなかったら発見されていないであろう法則事実理論」みたいなもの存在するのかという話

 たとえばニュートン万有引力とか、ダーウィン進化論とか、アインシュタイン相対性理論とか、個人的には、もし彼らが生まれてこなくても、後にだれかが同じ発見をしたんじゃないかと思うわけですよ。科学を表す言葉に「巨人の肩の上に立つ」ってのがあるけどまさにその通りで、ノーベル賞レベル天才だってみんな膨大な先行研究の上に一つ積み重ねた個人に過ぎないから、他のだれかでも同じ発見はできたんじゃないかと思うんだけど

 そういうのが通用しない異能みたいな科学者っているの?先行研究を何段も飛ばし天才的な閃きで重要発見をした科学者っているんだろうか。その個人がいなければ間違いなく現代でも未発見だろうっていう法則とかってある?

2019-01-26

例のルーベンス批判ってホイッグ史観なんじゃない?

https://tbyml.com/2019/01/25/coping-with-misogyny-in-art-history/

ココらへんとか見ると、あれコレってホイッグ史観なんじゃない?っていう疑念が湧いてくる。

ホイッグ史観が何かと言うと19世紀イギリスホイッグ党自分たち歴史の正しい側に立っており、

歴史とは進歩的な我々と遅れたあいつらの戦いである(もちろん勝つのは我々)という歴史である

そのために当時の価値観などを無視して現在価値観過去の人物等を評価断罪するのである皇国史観などもホイッグ史観の影響を受けている。

ホイッグ史批判科学史においては重要位置を占める。

なぜかといえば我々は科学の答え合わせを知っているのでどうしてもその観点から間違った科学者と、正しい科学者という二分論に陥ってしまったという過去があるからだ。

美術史についてはよく知らないがコレを読む限りではこれホイッグ史観なんじゃね?という気がする。

2019-01-08

anond:20190108175549

くその通りだ。

理系は「科学史」を軽視し過ぎる。

偉大な科学者科学史ストーリーこそが本当に面白いってことをもっと判ってもらいたい。

2018-10-09

anond:20181009234414

実際その疑問があるのでパラダイム論を言い出した科学哲学界隈では

「まあ科学史を見渡せばそういう解釈ができる現象もあるけど科学の営みのメインでは無いよね」

ぐらいの扱いになってるんだが、ぱっと見で分かりやすいので他分野の先生たちはこの言葉を使いがちなんだ。

2018-08-20

anond:20180820124912

そういう素朴な疑問や驚きを持つことは、何かを学ぶとき動機付けとしてとても大切なことです。

科学万能主義現代にあっては、科学歴史的に如何に今のような地位を築いてきたか分かりにくくなっているから尚更でしょうね。

個人的には、山本義隆科学史に関する著作(「熱学思想の史的展開」とかあたり)をおすすめします。

熱学思想の史的展開〈1〉熱とエントロピー (ちくま学芸文庫):Amazon.co.jp:本

進歩主義のホイッグ史観いか過去歴史を眼差す視線を曇らせるかが分かると思いますよ。

2018-02-05

マッドサイエンティストの事例が知りたい

最近闇の科学史などにめちゃくちゃ興味がある。

anond:20180205025330に悪の科学者がいないと書かれているが、悪の定義は難しい。

科学史の闇なら事例がたくさんある。


スタンフォード監獄実験

ナチス優生学

ロボトミー手術

ドクターデス 安楽死

など。

科学者たちは悪いことをしてやるぜゲヘヘヘと実験をしていたわけではなく、

どうなるのか知りたい!知りたすぎる!とか人を救いたい!という純粋な思いか科学スタートさせている。

だんだんエスカレートしていくのだ。

いかいか倫理的判断されるが渦中にいるとだんだん倫理の線引きがずるずると緩くなっていってしまうのだろう。


他にもこういう事例があったら知りたい。

フランケンシュタインの誘惑は全部見ている。


(マッドサイエンティストは狂った科学者の意で書いたけど表現が適切かはわからない。)

2018-02-01

ほら、あるじゃないですか。

文明の遅れた世界転移した主人公現代日本知識でウォースゲーみたいなやつ。

あの感じで、18世紀イギリスタイムスリップした主人公

フロギストン説とカロリック説をメタメタに叩きのめし

科学史の失われた100年を取り戻すみたいな話、痛快だし勉強にもなるしいいと思うんですよね。

誰か書いてみません?

2017-12-09

イノベーション利権」の勃興

今にして思えばSTAP細胞事件典型的だったと思う。妄想(ゆめ)を語る研究者に対する人々の期待がバブルのように膨らみ、マスコミ業界紙はそれをさらに煽るべくショーアップする。結果として、彼らの下には多額のカネが集まってくる。

結局、そのバブルは弾けて水泡に帰した。しかし、本来科学研究などというのは失敗してナンのものであり、提案された成果の追試が成功せずに認められないことは珍しくない。STAP細胞も、そのような失敗した研究の一つとして粛々と科学史の闇の中へと消えていく程度の話であったはずだ。

しかし、現実には有名研究者であった副センター長の自殺という衝撃的な結末を迎えた。何が、彼をそこまで追い込んだのか?

翻って今回の場合齊藤氏とその技術者チームが開発したスパコンはGreen500で四位という立派な成果を出したのであり、その技術力は虚像ではない。だが、その発言が非常に危ういものであったことはすでに指摘されている。

齊藤委員

(中略)

次世代スーパーコンピュータ必要性は、もう釈迦に説法であるかもしれないが、さまざまな手法による省エネルギー、そして新エネルギーであり、最終的にはエネルギーフリーに持っていく。小型熱核融合といったところには核変換の機能付与されるため、資源問題が大きく改善解決されていく可能性がある。

食糧問題というものも、植物工場のあり方次第で大きく変わってくるということや、衣食住がその次のフリーになるというようなところも議論としてあり、続いては安全保障軍事議論もここに含まれてくる。やがて保有するスーパーコンピュータ能力が国力という時代が非常に近づいてきているのではないかと思う。

http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/2030tf/summary_281003.pdf

夢を語るのは良い。だが現実には何が起きたか。おそらくは、彼の描く楽観的なビジョンに対して次々と舞い込んだ多額の助成金が、後ろ暗い勢力を引き寄せる結果となり、最後は食い物にされた。それが、今回の件の実態なのではないか

(追記:四億円だけの話をしているわけではないよ。)

同じく委員会に参加していた「東ロボくん」などのプロジェクトで知られる新井紀子氏は、今回の件についてこうコメントしている。

マクロパラメータが痛んでるときに、最後ブラックボックスであるイノベーションにかけて一発大逆転を狙うと必ず無理がたたってインパール作戦になるので、現実直視し、エビデンスに基づいてコツコツ修正するように、と言ったのに…。 経産省にも責任があると私は思う。

https://twitter.com/noricoco/status/937902064104980480

この指摘は非常に正鵠を射ていると思う。今や、この国のあらゆる人々が一発逆転を期してユメを語る人間にカネを託すようになった。言い換えれば、経済が停滞を続ける状況下において、ブラックボックスは最もカネになる存在となったのだ。

このことは、昨今の政治スキャンダル様相が変わったことと大きく関係していると思う。前世紀と比べて、我が国ではハコモノ利権は相当に厳しくなった。これは、有権者の目が嚴しくなったこともあるが、マクロ経済環境が停滞した結果、そもそもバラ撒くためのカネがないということもあるだろう。

一方で、昨今に取り沙汰されている政治スキャンダルを振り返ってみると、全て「教育」構造改革」「イノベーション」に関するものだ。繰り返そう、ブラックボックスはカネになる。子供の中にも先端技術の中にも無限可能性があり、そこに対する投資は無条件に正当化される。

既存利権の伸びしろが無くなった今、ブラックボックスに対する期待をカネに変えて配る、すなわち「イノベーション利権」の構造こそが、この国の政治最先端の姿なのではないか

2016-12-13

[] @ariga_prdgmmkr 有賀暢迪(科学史の人)


自分たちtwitter文句垂れるだけで何もしなかったのに動いた人に対しては感謝とかないんですね.

すごい.

自分の属してるコミュニティに対してtwitter愚痴しか能のないひとが多いから世の中良くならないんだよ.

少しはSEALDsとか若者手法に習ったらどうなのか.

とりあえず恥を知った方が良さそう.

http://anond.hatelabo.jp/20161212195726

2015-06-22

クラスタの繋がりはキチガイ抑制には繋がらない

福島の現状について非常識なことばかり言う人の中に、特定の何某を趣味にしてる人がいるとたまに

「周りもこいつをいい加減何とかしないと、その趣味に興じてる人全体がそんな奴だって思われるぞ」

みたいなご意見を見かけることがある。

確かにその通りだよねーっと思うし自分もそういう人にはいい加減にしてほしいと思ってるんだけど、

じゃあ何かたしなめる意見そいつに言えるかっていうとまあ無理。ごめんなさい無理。

趣味で人が集まる時って大抵その手の話はタブーで踏み込まないし、そんな相手に直接言ったらこっちが何されるかわかんないし。

その手の変態って声がでかい人が多いから自分のことをどこで何て言われるかもわからない。

もし相手が趣味の集まりキチガイ発言をしてくれれば追い出せるかって言うとそうでもなくて、

高々タブーに触れたくらいのことだから周囲の人が少し距離を置くようになるだけ。

まあやり過ぎれば多少は問題視されるだろうけど、あくまで敵失に頼ってるだけだし、

たしなめる人がいたとしてもそれで少し収まるかと言えばそんなことも無い。

それくらい柔軟性がありゃ最初からキチガイになんかならない。

あと、この手の人って往々にして趣味とか学歴の類を「理知的自分」を印象付けるための飾りにしちゃってることがあって、

飾りだから趣味会合とかにも殆ど顔を出さずそもそも直接会うこと自体難しい。

Twitterなんかやってると割とマトモそうな学者フォローしてたりもするんだけど、あくまで飾りだからそういう人のツイートとかたぶん読んでない。

以前自分と同じ趣味で、福島じゃ放射能で大量に人が死んでるけど隠ぺいされてるみたいなことばかり呟いてた人が

http://togetter.com/li/837471

この和算科学史に詳しい学者さんをフォローしてて、

少しはマトモになるのかなと期待してたけどここ5年間で大して変わってない。

科学史っていろんなジャンルの人が見るしなんか賢い感じもするし、

本業の人は座学だけじゃ厳しいだろうけど既存の知識をそのまま披露するだけの知った風なことを言う素人にとっては飾りに使うのに持ってこいな感じ。

あ、科学史やそれに注目する人がそういうのを飾りに使ってるという意味じゃなくて、これも一部の変な人の話ね。話がずれたけど。

2015-02-24

趣味サークル団体図書館業務を担う「科学史家」と復興イベント

東日本大震災が発生してから半月ほど経った頃である。或る趣味サークルサイト上で、被災地を元気づけるためのプロジェクトを立ち上げるという告知があった。内容は、趣味に関する書籍を集約して被災地の各地で無償配布すると共に、募金海外サークルメンバー日本に招待し、子供たちに様々な芸を見せて心の平穏を取り戻す一助となろう、というものであった。このサークル団体東京を中心に活動しており、地方にも幾つかの支部があって(東北には無い)、全体としては数百名の会員で構成されている。

当時、私は知人を何名か津波で喪ったにも関わらず、自分としては動くこともできず歯がゆい思いでいた。そこで、このイベント賛同し、大切にしていた書籍を何冊か団体に贈った。この団体と私の関係一方的もので、単にサークル機関紙を購読しているに過ぎなかったのだが、「自分と同好の人々が運営するサークルでそのような活動をしてくれるのならば、何某かの縁もあろうからそれに任せよう」と思ってサークルに託したのだ。後に、保管場所が確保されない状況下で古書を送る行為問題について色々と知り後悔したが、恥ずかしながら当時はそこまでの考えに思い至らなかった。当時は自分も何かの拍子で突然死亡する怖れが頭から離れず、死んだ場合は所有している書籍が活かされぬまま捨てられるということを恐れていた。そこで、所持していた書籍の多くは近所の市民図書館にも置いてあるのでそれを読むことにして、いつでも本を読みたいという若い子の手元に本があった方がいいのでは、と考えていた。書籍を送付後、サークル団体代表から書籍被災地での活動のために有効に利用させていただく」との返信があった。

サイトの報告によると、2011年4月最初活動があったらしく、趣味サークル内の数名と海外サークルメンバー数名が宮城県沿岸部にある数か所の避難所に赴いたようである東北縦断するイメージだったので、宮城県のみに限定した活動であったことに若干の違和感を覚えたが、その後も幾度か被災地へ向かうようであり、「落ち着くまでは様子を見ようという判断なのだろう」と思っていた。

この活動について違和感以上に不信感を抱いたのは9月頃だったと思う。その団体では例年8月に大きなイベントがあり、海外サークルメンバーが何名か来日するため、そのメンバーらと共に再び被災地へと出向いて活動したという報告が機関紙上でなされた。だが、その下に「なお、送付された書籍のうち入手が困難な貴重な書籍については、団体運営する有料の図書館に納入した」と書かれていたのである(この図書館というのは避難所地域図書館に納入したという話ではなく、団体が所有する蔵書を団体東京事務所において有料で読むことができるサービスのようである)。

これには目を疑った。最初の告知にはそのような記述は無く、代表から手紙にもそのような記述は無かった。これでは震災に乗じて個人の貴重な書籍サークルが吸い上げた格好になるのではないか。しかも具体的にどういう書籍を何冊納入したのかという記述も無い。貴重な書籍図書館に納入したというのに、閲覧する権利のある側にその内容を示さないというのはおかしな話だ(無理やり擁護する見方をすれば、一般的にこの手のプロジェクトにおいて自分史が持ち込まれ場合が多々あり、そうした配布しづらい物を自身図書館倉庫代わりに納入したという線はあり得なくもないのだが、もしそういうことがあったのだとしても何らかの説明は欲しいところだ)。そして、活動先は相変わらず宮城県のみであり、岩手県でも福島県でも活動していなかった。

宮城県での活動というのは、このボランティアイベント参加者の一人が宮城県内の教育機関に務める人物らしく、それ以外の地域においては土地勘が無いのかも知れないと思っていた。しかしその機関紙には、当団体とは別の団体組織に属する福島県サークル震災後の自身活動について述べた寄稿を寄せていたので、「寄稿を載せるくらいならばその団体メンバーにも声をかけて福島県で合流して一緒に活動をすればいいのではないか」とも思った(福島の人々に案内の負担を強いるのかということもあるが、そもそも既に宮城県内に在住する人物を連れて活動しているのだから福島県内の人を連れて活動することにさほど躊躇する理由は無いように思えた)。宮城県東北で最も津波被害の大きかった地域であるということは重々承知しているが、図書館の件とあわせて、「被災地に赴くと言いながら宮城県のみというのも少しおかしいのではないか」と若干訝しく思い始めていた。

少し話は変わるが、2011年10月ごろだったろうか。私は当団体活動に関わっている主要なサークルメンバーブログを幾つか覗いていた。そこで、サークル団体において有料図書館運営管理に携わっているという或るメンバーブログが目にとまった。

そのブログにはクリストファー・バズビー氏やアーニー・ガンダーセン氏の名が載っていた。ブログ記事を遡ってみると、LNT仮説に基づいて「福島県では年間千人が癌で死亡する」「トータルでは6桁もの人が死ぬ」などの記述があった。福島県だけではなく、当時千葉県で見つかったホットスポットについても、その周辺で7000人が死ぬと書かれていた。ブログ記事の日付を見ると2011年6月中旬ごろであり、まだまだ情報錯綜していた時期ではあったものの、ブログの内容は怖れによって混乱しているという様子ではなかった(LNT仮説に従ったとて、ガンが発生する人数の予防的な見積もりであって、ガンの発生が100%死に直結するという話ではない筈だ)。ツイッターアカウントもあったので見てみたが、「福島廃県」「日本核武装を目指している」などの字面が踊っていた。

この人物は機関紙上において度々評論を行っていたため、名前だけは知っていた。東京在住で、東京大学大学院において科学史科学哲学を専攻していたらしい(名前検索したところ、在学中に科学技術社会論若手の会に参加したこともあったようである)。また、サークルの有料図書館運営管理に携わるほか、海外メンバー通訳書籍翻訳作業も担っている。どうも他の主要メンバーからサークル入会当初から知的存在として一目置かれていたようで、未だにこの人物の評論サークル誌に載っていることを見ると、その状況はあまり変わっていないようである

ボランティアイベントの報告によれば、そのメンバー名前イベントスタッフの中には含まれていないため、この人物は被災地には訪れていないのだろう。しかし、有料図書館での管理業務を考えれば、貴重書の選別には関与していた筈である。また、仮にそのメンバーイベントに深く関与していなかったにせよ、ブログツイッターで垂れ流される内容やサークル内での立場を考えると、そのイベント活動に何等かの口添えをしている可能性は十分考えられ、イベントメンバー海外メンバーを連れながらも東京により近い福島県には訪問していないという事実個人的に気になるのである。この活動に全く関与していなかったにせよ、被災地のためと銘打った活動をする団体がこの人物の主張をどう考えているのかという疑問は残る。

2012年にもこの団体は同様のイベント活動をしたようであるが、結局今までに宮城県以外で活動したという報告は無い。何故それ以外の県に行かないのかという理由も明かされていない。「こちらが勝手東北縦断するようなイメージ想像していただけだ」と指摘されればそれまでなのだが、協力する側としては、被災地活動すると宣言していた以上、宮城県以外でもこのサークル団体活動することを期待した上で書籍を寄贈したのではないか(募金の一部については額が提示され、育英会に納入されているようである)。

はいえ、未確認なことも数多く、単に私の邪推だと指摘されればそれまでであるため、増田として具体的なサークル名や人物名を明かさずにここに述べた。愉快ではないが、こちらとしても寄付金書籍の使用用途サークルに任せた面もある。目論見には具体的な訪問先について特に記載は無く、書籍の利用方法も「子供に配布するなど」という風に書かれていたうように記憶しているため、最初から宮城県内のみで活動するつもりだった、あるいは有料図書館書籍を納入するのも有効な利用方法の一つだ、と言われてしまえば元も子もない。

件のメンバーはその後も、宮城県石巻市でのがれき処理の背景には巨大利権が絡んでいるとのブログや、甲状腺調査で嚢胞の数が異常に多く見られているというヘレン・カルディコット氏の主張を掲載したブログ不正選挙についてのブログリンクなどをツイートし、先の選挙において安倍首相福島入りをしていないというフェイスブック記事までリツイートしていたりする(なんでも福島水田の前で会見をした首相の影が不自然で明らかに合成なのだそうである)。先日のISISによる人質事件においては、日本において大政翼賛会形成がすでに始まっていると述べている。残念ながら、ここまでではないにしても、彼以外にもこの団体においてそうした主張に近い人物は何名かおり、先日も東海地方の支部で活動する人物がどこぞのブログの「福島県農産物安全ではない」というリンクツイートしていた。百人に一人くらいはこういう人はいるのだろうとは思っていても、少々心配するくらいにはこうしたものを目にする。福島県在住のメンバーがこうした主張を目にした時にどう思うのだろう。私としては混乱時に古書を贈る行為については恥じ入るところだが、敢えて述べれば、もし団体の中枢にこのようなメンバーがいることを事前に知っていれば、贈る前にもう少し検討しただろうとは思う。震災からもう4年近く経過している。周囲の人々も、もう少し目を開いて物を見て、自分で考えてもらいたいと思う。

2014-06-27

変人たちの受け皿

昔、大学一般教養講義で変な先生がいた。

この先生は、常に声が裏返っており、目は焦点があっていない。話も脈絡がない。

見るからに危ない人であり、正直、怖かった。


確か、科学史科学論という講義だったと思うが、面白そうなので取ったが意味不明な授業だった。

内容はほとんど覚えていないが、少なくとも科学に関することは何も言ってなかった。

野球の話や最終日だけ来たら単位はあげるとかそんな話ばかりだったと思う。

ということで授業にでたのは3、4回だった。


突然休講になったこともあった、というか先生が来なかった。

翌週、野球試合かなんかで授業どころではなかったことを明かしてくれた。


そして、最終日のテストの内容は、自分の死に方、この人は本当に大丈夫かと思った。

20個くらい黒板に死に方の候補を書き、それを選んで回答用紙に番号を書くだけ。

基本は80点で選んだ死に方によって加点される方式であった。切腹を選んだら90何点かで合格した。


当時ですら大学って変なところだと思ったが、今だったらこんな講義やったら問題になるんじゃないか?

この先生はクビになるかもしれない。

なんか、こういう変人たちの受け皿がどんどん無くなっていっている気がする…


こういう変人たちは、大学にいられなくなったらどうなるんだろうか。

まともな社会では相手にされないだろうし、引きこもりまたは犯罪者になる、それか自殺するくらいしか道はないんじゃなかろうか…


これらを減らすために政府は躍起になるが、まず変人たちの居場所を作ってやることが重要だと思った。

2014-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20140607220610

ライト兄弟複葉機までの距離と、複葉機からオスプレイまでの距離

どっちが遠いんですかね。

距離が遠かろうと近かろうとやっている人間は必至に苦労をしているし

ライト兄弟以前に挑戦して、失敗して名前が残らなかった多くの挑戦者もいるし

横には成ってしまうけれども、比較するようなものじゃないと思う。

科学史から、スタティックに歴史を評価しているといえば聞こえはいいが、そこに関わった人間の気持ちはまた別だろう。

2014-03-12

小保方晴子操り人形にすぎない

画像流用、博論序章丸パクリで、日本科学史大事件になることが濃厚になってきた小保方論文だが、そもそも何故このような人物が生き残れていたのか不思議に思う人は少なくないはずだ。

特に早稲田大学博士論文でのコピペは、小保方晴子一人が責任を負うような性質のものでなく、指導教員等、小保方の周りにいる人間たちの問題である

このことから、むしろ再生医療無知でかつ、剽窃の禁止等の科学作法に興味がない小保方を使ってなんらかの意図を通そうとした集団がいると疑える。


では、この意図とは、そして集団とは何なんだろうか。それは、山中伸弥によるiPS細胞発見によって研究資金がiPSに流れることを嫌った人間たちであろう。

小保方が、大和雅之のアドバイスに従って再生医療に興味を持ったのは山中氏らがiPS細胞発見を公表する2006年時系列的に山中氏の公表が先であったか

小保方のテーマ変更が先かは定かではないが、少なくとも公表より前に、大和雅之の耳にはiPS細胞の実現可能性は耳に入っていたであろう。

そして、その大和の前にやってきたのが、小保方であったはずだ。


ひたむきで出世意欲があり自己顕示意欲がある小保方の性質は、大和雅之、早稲田大学関係者にとって最高の素材であったと言ってよいだろう。

文科省から資金がiPSに流れてしまうことが確実な情勢の中、彼らはそれを押しとどめるべく小保方に誤った研究材料研究作法を教え込んでいく。

小保方も疑問に思う日があったのかもしれない。しかし、彼らについていくことで得られたのはハーバード留学20代でのプロジェクトマネージャーという餌であった。

科学者矜持善意では食っていけない。栄誉と金を前にして小保方のそれは無力であった。


予想以上にNatureに手こずらされたものの、2014年に公表されたS(ス)T(タ)A(ッ)P(プ)細胞発見は、小保方の影にいる者たちの意図が通じた瞬間でもあった。

iPS細胞一辺倒であった報道姿勢ものの見事に変わり、iPSのデメリット喧伝された結果、山中がいくら反論しようともiPS細胞助成への態度は明確に変わっていくことが予想される

(癌化のリスクがあることを誰が言い出したか調べるとさらに分かりやすい)。


それで小保方を操った人間たちの意図は十分に果たせたのだ。一般国民にとって、小保方の異常な剽窃データ不正使用癖は、小保方個人に問題があったと思わせることが出来るだろう。

いくら、研究者がこうした教育しなかった指導教員のせいであるといっても、その主張はとどかない。

あとは、しらを切ったり、タイミングよく小保方バッシングをすれば小保方を操った人間たちは、免罪であるベル研の時のように)。


小保方に使った金は高々数千万円だろう。これにより、計り知れない利益を得たものが分かりやすく固まった形で存在する。

小保方晴子操り人形に過ぎないだろう。


院生とはそれこそ多能性を持った存在であり、まともな指導者がまともに指導すれば、剽窃などしない研究者に育っていくものである

その指導放棄どころか、逆に利用し、「若い」、「女性」を使った手口にも卑劣さを禁じ得ない。

2014-02-27

学校で役に立つことを教えろ、ねえ…

まあ、読み書き算盤といわれたような、50音と漢字の読み方、足し算引き算掛け算割り算はできないと困るなあ。

今みたいな文学入りの国語はやめちゃっていいや。そんなものより、説明書の読み方書き方を教えるべきだと思う。テクニカルライティングな。

社会科は何県の名産が何でなんてどうでも良いから法律とその活用の仕方(区役所市役所県庁警察裁判所弁護士の使い方と商用契約の結び方)を教えるべき。

歴史は「何があったか」を全部捨てて「どうしてこういう流れになったか」に重点置いてほしい。あともっと科学史を。

数学もっとみっちり。高校物理高校微積分のへんな分離はもっと融合して欲しかったと思うけど今どうなってるのかな。

英語なんてやめちまえ。大学からやれよ。

料理はひと通り、日曜大工もひと通りできるだけやったほうがいいな。

音楽美術はいらん。滅びよ。

体育、なくしていいよ。スポーツなんていらない。そのかわりに徒手格闘ナイフ格闘を教えて下さい。現実に役に立つから

2014-01-31

リケジョという差別用語を生み出した大隅典子はid:kasokenの爪の垢を煎じて飲め

kasoken

大隅先生尊敬している方です。でも割烹着女性の発生生物学伝統というご意見には納得できない。女性白衣を着ることを許されなかった、とい可能性もあるかと。科学史家の方の検証望みます。 2014/01/30

リケジョという差別用語を生み出した大隅典子はid:kasokenの爪の垢を煎じて飲め

2013-05-17

ニセ科学小考

科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程が、実は全然世間に知られてないってことが(あるいはその認識がないことが)、ニセ科学跋扈する背景にあるんじゃないかと思えてきた

現在日本で観察されるニセ科学が言ってることは、「最先端科学から間違ってるとは言えない」ってことよりもむしろ「ある程度すでに分かっていることから考えてもこれはおかしい」と思われることが多い。

まりニセ科学というのは、ある程度科学者コミュニティ内でのコンセンサスが得られている事柄に反しているのに、それを無視して「科学的」な知識である標榜することだとひとまず僕は理解している。

科学的」であればすべて正しいと考えてしま市民(非専門家)の"性質"を巧みに利用して、「主張」を信じさせようというところに、ニセ科学の罪がある。

後出しですが、ここまで何度か使ってきた「科学的」という言葉を僕は「科学者コミュニティの中での精査の繰り返しによる確かさの増大によって、ある一定の確かさが保証されている」みたいな意味で使っています

科学は正しいことを言っている、という素朴なイメージは間違ってはいない。実際、理科教科書に載っていることは一般的な意味ですべて"正しい(確かだ)"。今日科学文明を見ればなんとなくわかる(ただしこれは価値判断を含んでいる)ように、科学は"信用できない"わけではない。

ただ問題なのは、「科学から正しい」になってしまうことだ。つまりつのまにか、科学的なこと(数式とか専門用語あるいは科学者の肩書など)が言われていればそれは正しいのだと思い込んでしまう。ある意味科学への信頼の表れでもあるのだが。

実際そう考えるのは無理もないことだと思う。学校理科教育は当然"正しい"ことしか教えられないからだ。教科書の中の科学はすべて正しいんだから、"すべての科学(とそれっぽいもの)"は正しいと考えるのはまあ自然である

しかしこれでは見過ごされるポイントがある。教科書の中の科学でさえ、最初からまったく正しかったわけではないということだ。残念ながら普通理科の授業(初等、中等、もしかしたら少なくない数の高等教育でも)では時間の制約上、そういうことに言及されることはない。事実事実として(初めからそうであったように)教えられる。むろんこれは間違ったことではない。学校教育宿命かもしれない。

科学が今のような強固な体系を持っている理由のひとつは、科学が広い意味で積み重ねの産物であることだ。それもただの積み重ねではなくて、数えきれないほど多くの科学者による検討実験による再現性のチェックなどを経たものだ。学術論文をはじめ科学的知識はピアレヴューや引用反証とそれに対する反論なんかの積み重ねで、ある水準の確かさを保っている。

この、科学の正しさが積み重ねられたものであるという認識が、世間には意外とないんじゃないかと思うのです。これはつまり、いわゆる"通常科学"とよばれるもの認識、に近い。

こういう科学の"裏側"みたいなものはあまり世間では語られないような気がする(実際、日本では科学高等教育を受けた人でさえ学部なら4年生になってはじめて(すこしだけ)わかるようなものだろう)。それで科学事実科学事実として生まれる、みたいなイメージ固定化されたら、"科学ベール"をまとった主張をすんなり信じてしまうのは無理もない。相手がそれを逆手にとって、初めから騙す気でいるならなおさらだ

教育の力は大きい。すくなくとも義務教育は全国民が受けるのだから理想論ながら、理科教育科学の多く(ここは大事ですね)は積み重ねの営為によってその確かさ正しさを増してきたのだという認識を育む教育であるべきだと思う。そして"通常科学"におけるその過程もっと積極的に教えるべきだと思います。要するに科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程科学の裏側がもっと世間に知られることが大事なのではないかと。

科学的」だから正しい、という前提が世間にあるために、「科学的」なものの"絶対化"が促進され、その権威に付け込んでニセ科学跋扈する。そしてニセ科学を批判するために科学言葉を使うと、社会科学のなかの対立だと見なして、科学全体に不信感を持つ。さらにこれによってニセ科学に「(ニセ科学を批判している)科学は常に正しいとは限らない」という言い訳を与えている。科学の妄信的権威化の前では、ニセ科学は光に対する影のようなものだ。

まず社会が前提とすべきは、科学の知識の多くは積み重ねによってより正しい(確かな)ものになっていく、さらにいえば、いまこの瞬間もそうなっていっているという認識ではないか。より実践的な意味重要なのはニセ科学は単に科学的な誤りというだけではなくて、現在日本ニセ科学のすべてが、科学者真摯な積み重ねを無視・拒否していることです。しかし、こういった認識はまだ一般的でないような気がします。

もちろん、科学的真理というものがあるとすれば、それは科学者コミュニティの中の多数決で決まるというものでは決してない。単に時間が解決してくれるものでもない。時には、そのとき科学ではまったく説明のできない問題が生じ、"ただの積み上げ"だけでは科学の正しさが保証されない場合もある(というか何度もあった)。しかしながらニセ科学クーンの言う"危機"の発端ではないだろう。むしろ"通常科学"のなかで淘汰されるべきものだ。

ニセ科学という影に対峙するためには、むやみやたらな科学の絶対化は止めるべきだ。しかし、「じゃあ科学の相対化!」という(お決まりの)流れになるのではなくて、まずは世間にある静的な科学観をもうすこし現実にそった動的なものにかえていくべきではないだろうか。科学教育科学コミュニケーションの出番はここにあると僕は思うのです。

そのためには、たとえば理科教育科学史科学哲学科学社会学エッセンスを加えてみるだとか、また理科時間に拘らず、国語社会科時間科学という営みのエッセンスを振り分けてもいい。あるいは実際の研究前線を知っている博士号教員を増やすだとか、そういうやりかたもあるんだろうと思う。

科学の楽しさ素晴らしさを知ってほしい!っていう理科教育はもちろん素敵である。いっぽうで、科学とはどういう営みなのかということを誠実に教えること、あるいはいっしょに考えていくことは、科学のもたらす"正しい"知識を教えることと同じくらい大切なことではないだろうか。"科学という営み"についての観点も含めて、"科学リテラシー"なのではないかなと思うのです。

2012-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20121201003841

いや科学史人類生殖パターンは何の関係もないし。

そもそも不老不死自体がips細胞技術の発達の延長上にあるんだからその意味分からんロマンが付け入る隙なんかないよ。

2011-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20111216141301

要求するだけなら、実は簡単なんです。例えば、私は耳から聞き取ることが苦手です。だから、「指示はメモメールなど、目に見える形で頂けると助かります」と申し上げることは出来ます。ただ、「ボイスレコーダーを隣に置いて仕事をし、指示を上手く聞き取れなかったときレコーダーを聞き直しながら仕事をしてもいいですか?」でもいいと思うのです。また、私が思いつかないだけで、他に配慮して頂ける方法もあるかもしれない。

言うだけ言えばいいんじゃねそれ全部…

 その中で、どんな配慮がいい?と尋ねられても……申し訳ないですが、それは私には分からないですメモを渡す方が都合のいい職場もあるでしょうし、メモを渡す余裕のない職場かもしれない。どんな配慮が出来るかは、職場によりけりだと思いますから

それはあんたの「言うだけ言う」を受けて職場が考えることじゃね…

また、これは純粋に、他の方からのご意見を聞きたいと思っていることですが、

貴方が面接側の立場だったとして、一方的に「ああして欲しい」「こうして欲しい」と要求ばかりする求職者を採用したいと思われますか? 

どうして欲しいかからない人よりはニーズ述べる人のほうが入れ易いんじゃね…

例え障害を理由で要求しているにしても、自分からの譲歩を見せないように見える求職者を、

譲歩するとかしないとかは

互いのニーズすり合わせる段階で(入社した後で)考えることじゃね…

 だから、私は障害については出来るだけ説明するようにしており、

具体的な配慮については「実際にやっていかないと分からない」と答え、

事前資料から意図的に具体的な欲しい配慮例は書きませんでした。

意図的だろうとなんだろうと

具体的なことが何にも書いてない&聞くと口ごもる人は採用しづらいよね…

それって「私との連絡は全部テキストベースにして欲しい!ここは譲れません!」よりずっと採用しづらいってわかってる?

後者はただのリスクで、前者は予測不能のデンジャーだから



 貴方が私の立場なら、どう返答されるでしょうか。

私が貴方なら、自分のして欲しい具体的なことを思いつくだけ最初に全部言います

内容は広く、言葉としては簡潔に

その際の細かいコツとしては

>「指示はメモメールなど、目に見える形で頂けると助かります」と申し上げることは出来ます

>ただ、「ボイスレコーダーを隣に置いて仕事をし、指示を上手く聞き取れなかったときレコーダー

>聞き直しながら仕事をしてもいいですか?」でもいいと思うのです

こういうのはあまり良くない

あなたとしては誠実に様々なオプションを示しているつもりであっても、

口頭で聞いてる相手はなにか、扱いきれないほど膨大で煩雑なことを言われてる気になる可能性はある

例えば「指示はテキストベースで頂きたい」であれば

貴方が言っていたこと全てを含みながら簡潔で、相手も聞きやすくなります

なんでもないような感じに広範な事を要求するのが大事


あるいは、面接官の立場だったとして、

どう返答されたらわかりやすいものになるでしょうか。

面接官の立場としては、まず何より

あなたの障害に対して必要なコストが「自分達に対処可能なものか」について気にしてると思います

あなた自分の障害についてわかってる範囲で「こういうことが必要ですよ」と言えばいい

もっと言えば「それなりの便宜は必要ですけど、あなた達がコントロール不可能なほどの事は何もありませんよ」

と示してあげればいいだけ

まず、私の中では、

障害者=怒られない、は存在しない。また、障害者=必ず配慮されるべき者……ではないような気がする。

そもそも、間違えた部分は、注意されるべきだし、怒られるべきだと思う。指摘されなければ、間違いは分からないのだから

理不尽なのは、『何故』怒られるのかが『分からない』こと。なぜなら、『分からない』ままだと、『直す』事が出来ないから。そして、直す方法を考える手段がないまま、『直せ』と言われるのは、流石に理不尽だと思う。

ただ、それを説明するのは難しい。なぜなら、これまでの人生で口にした時は『言い訳』としか取られなかったから。

ーーと、その辺の所をぐだぐだ説明した(注:たしか、このあたりで泣き始めた)ところ、

あなたのこれは悪いけど面接という限られた時間、限られた目的フォーマルなシーンでは真面目すぎるし深すぎる

相手がそういう話を求めてなかったのはその場に居なくてもわかる

貴方にとっては障害が日常であるからそりゃ障害についての考察は深く深くなるだろうけど

相手はその道の初心者だと言う事を貴方の方から配慮しないといけない


他の面接の例にするなら

「在学中に〇〇の研究をしたそうですが、どんなものですか」って聞かれたとして

その会社と関連性のある部分だけダイジェストにして簡潔に喋るよね

その研究科学史上の深い意義や本質とか、それやってるとき自分史とか、研究完成間近に愛犬が死んだドラマとか、

そういうのは面接では悪いけどノーサンキューだよね




>「普通の人なら、間違えたら『違うやろ』って叱れる。でも、障害者の人を叱ることは出来ない。

>なぜなら、障害が原因で間違いを起こしていたとしたら、それを叱るのは理不尽でしょう? 

>それならば、そもそもその向かない仕事はしてもらわずに、出来る仕事をしてもらえばいい。

>でも、貴方のように目に見えない障害で、何を配慮したらいいかからないと、こちらもどうもしてあげられない。

>だから理不尽に叱ることにも繋がってしまう」

貴方はどう思いますか?、と聞かれたものの、私は最初「どう思う?」の『どう』の意味が分からなかった。

何が質問であり、疑問なのかすら分からなかったのだから

例えば

真剣なご懸念をいただきありがとうございます

 仰るとおり、私の障害は一目で見てわかるようなものではなく、ご心配趣旨はわかります

 そこで私は本日自分の障害のある分野を簡単にまとめたレジュメを持参いたしました。

 これに目を通していただくことで、私の障害の傾向やパターンのようなもの

 障害のない皆様にもご理解いただけるものと考えております

 どうぞよろしくお願いいたします。」

と述べれば

相手の質問が不明瞭なままでも話の流れはこっちの都合に沿って進むし

相手もそれに沿って会話を続行するよ


「どう思う?」っていう質問は確かに指示方向が広範で、あまり真剣に考え出すと意味がわからなくなる

そういう質問の仕方をする人は、慌ててるか、頭が悪いか、どっちにせよ混乱してる

私はそういう時は全部自分の都合のいい方向に回収して自分の演説おっぱじめちゃうしそれで得をしてきた

ただこれが貴方に真似可能なテクニックなのかよくわからない


ぱっと見ると貴方には「図々しさ」と「相手の立場を読む心」と「適当さ」が足りてないように見える

過去に「図々しい」とか言われた事があってその反動でそうなってるの?

それとも昔からずっと今の調子なの?

もし後者なら自分の考えや要求はどんどん言った方がいいと思う

ただし深いレイヤーは避けて、浅く浅くね

2011-09-12

Togetter天動説のおはなし

斬新な定義で笑いを誘ったまとめ「http://togetter.com/li/186846から発展したまとめ「http://togetter.com/li/186951」にて

天動説地動説の問題(天動説は、現在では正しい)は、科学史ではよく言われることです(もう飽きました)。たしかあのNHK!でもやってた。

などとほざきやがるので検索してみた。

まず見つけたのがハックルさんの記事。http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081105

たぶん地動説のことは誰でも知ってると思うが、天動説もまた誤りではないというのは、意外と知らない人が多いのではないだろうか? この前テレビを見てて、そんなことを思った。

NHKに「爆笑問題のニッポンの教養」という番組があって、爆笑問題の二人がホストとなって、毎週さまざまな学者先生と侃々諤々の議論を交わしている。この前それを見ていた時に、たまたま天動説の話が出てきた。それは、天文学者である小山勝二との対話でのことだった。

その中で、爆笑問題太田光が何かの比喩として天動説地動説を持ち出してきた。そうして、天動説を「誤ったもの」、地動説を「正しいもの」の例えとして論を進めようとしたのだけれど、そこで小山に「いや、天動説だって正しいんですよ」と否定され、その比喩はすぐに取り下げざるを得なくなった。

そうして太田は、今度はまた別の話題に話を転換したから、彼が「天動説もまた誤りではない」ということを知ってたか知らなかったかは分からなかったが、それでも、それを知らない人は意外と多いのではないかと、その時に思わされたのである

地動説天動説は、どちらが正しいとか間違っているという問題ではない。いや、とても厳密に言うと(それは主に美意識的な意味で)そういう問題になるのだけれど、とりあえず科学的には、そういう問題にはなってない。地動説天動説も、どちらも科学的に説明できることなのだ。

長々と引用したけど、彼がこれを書くに至ったのはNHK番組、『爆笑問題のニッポンの教養』のようだ。

なんだってー!マジでやっちまったのか?と番組名を検索

http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20080325.html京大SP

あーこれは確かに11月再放送やったのを見てた記憶がある。でも天動説云々言っていたかは覚えていない。誰か覚えてる人いないかエロイ人。

2011-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20110811100710

27 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/07(木) 07:34:16

素人童貞>>>>>童貞は間違いないと思う

童貞は認めたくないみたいだけど、やっぱ大分違うぜ

31 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/08(金) 18:39:37

これ等式記号だろ。素人童貞の方が童貞より偉いって

意味なんだよな。その後で、大分違うってどんな演繹

だよ。違いを知ってるから偉いって意味なのか?

だったら、どう違うか相対的な整合性を仮定しなきゃ

まったく意味がないよな。

人間ゲシュタルト感覚にまで及ぶ言及をするわけだから

個人的な経験則は無効だぞ。

ハイゼンベルグの不確定性理論とか知らないんだろ。

まあ本格的なバカみたいだから簡単に設問すると、

風俗オナニーよりなぜ気持ち良いのか、

科学的に証明しろ。

但し、射精する時の感覚絶対値と仮定する。

32 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/08(金) 20:21:41

偏差値40台な感じでお願いしま

33 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 21:39:53

>>31

僕はその問題に少しだけ詳しいので知っていることを説明しま

あなたもご存知の通り、

風俗オナニーよりなぜ気持ちいいのかという設問は長らく論争の的でした

いまだに決着していないといってもよいその議論は

とりもなおさず生命とは何かということの定義あるいは自己複製へのイデオロギー確信

ついての実在論的なアプローチ歴史でもあります

世界中科学者研究者がこの人類に残された究極にして最後の謎、

洞窟の奥底にひたすら隠し通されてきた輝くべき聖杯を目指して

暗い闇の中を手探り状態で開拓しはじめたのが今から70年程まえです

話は少し長くなりますがやはりこの辺りから始めることにしま

一見、簡単に見える真実こそ証明するのが難しいものです

34 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 22:25:11

今 私の手元には一つの論文があります

著者はサイモンプライマー、題名が「断片の創造性にかかる自己複製への影響の解釈」という

当時まだまったくの無名だった生物化学者が記したものです

この科学論文が英国科学研究機構に提出されたのが今から71年前のこと、

当時この論文にはさほど科学的に重大な発見が記されているとは思われていませんでした

そこに書かれていたのは、自己複製の連続性つまり人類生命誕生における

遺伝子決定に関してたんぱく質が影響をおよぼす断片的な創造性の思想的な解釈でした

それはDNAの2重螺旋構造セントラルドグマとした当時のある種流行とも呼べるテーマでした

この全体としていささかインパクトにかける無名の生物学者が書いた論文

たった一行それはあまりにもさりげなくしかし後の科学にとっては非常に重要示唆が挿入され

それをあくまで直感的に解釈するプライマー言葉が短くしるされていました

それが以下、

「  素人童貞>>>>>童貞

 私はこの等式記号がただちにオナニー快感を否定するものではないことを承知するが

  さしあたって風俗での射精との関連についての演算的なゴールであることを定義するものであること

  を証明するための帰納的な一歩であることをここに記す」

でした。

ここに風俗オナニーに関する科学史の始まりとそして同時に終末が同時に記されたのです

あるいは当時この示唆はあまりにも大胆な飛躍ととられたのかもしれない。

しかし、このほんの小さな一陣の風の前に

一人の研究者が現れることで科学史は大きなうねりを持ち始めるのでした

37 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 22:41:12

意味はわからいかもしれませんけど、まだ始まったばかりですから

最終的に風俗オナニーよりなぜ気持ち良いのか科学的に証明するところまで

行くのにあと300レスは必要なんだしその頃には分かるんじゃないかと思います

38 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/08(金) 23:00:36

ごめん終わらせちゃっていい?

挿入の快感オナニーはないから、でFA

39 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 23:05:39

天才だなお前

46 :31:2008/08/08(金) 23:30:56

ちょっと待ってくれ。

確かに俺は科学的に証明することを求めた。

それはあくまでスレットのタイトルである

素人童貞が聴く音楽」をユニタリ同値的な公理

演算するためだ。人間オスが射精に至るまでの

線形方程式、例えばハミルトン方程式のようなもの

証明できれば、精子時間依存であり、勃起ベクトル

時間発展しないことの証明になると考えたからだ。

>>37がやろうとしていることは生命科学だよな。

まり精子たんぱく質合成から始まって、

大脳辺縁系の性中枢にあるA10神経が駆動してから

勃起射精に至るまでを、DNAのふるまいで解読

しようというわけか?それを300レスで?不可能だろ、常考

おまえがやろうとしているのは疑似科学だ。

風俗オナニーより気持ちがいいという公理

捏造することもできない。

せいぜい南京大虐殺のような物語を書くぐらいか

47 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/08(金) 23:58:58

>>46

君が>>31で設問したんだよ

風俗オナニーよりなぜ気持ち良いのか、

科学的に証明しろ。

>但し、射精する時の感覚絶対値と仮定する。

僕はそれを証明しようとしてるだけだし

それを疑似科学だとか言うならそもそも君の設問がナンセンスだってことになるよ

それに僕はオナニーでの射精から得られた精液から得られた微量のゲノムDNAサンプルと

風俗での射精から得られた精液から得られたゲノムDNAサンプルのRCA解析の結果を2次元下で

モデル化することで余剰次元素粒子標準の不明点は切り離せると考えてるし

あくまで演算的に設問を証明しようとしてるわけだから可視化力学的性質だけで

検出できない微小なプロセス物理的な効果も無視されるのがふつうだ。

君の考えていることとはベクトルがまるっきり逆だと思う

射精メカニズムを解析するのではなく射精された精液に含まれるDNAのふるまいによる

観察結果がおのずと回答を導くんだ。だから300レスで十分に証明可能なんじゃないか

48 :レッペリ ◆LiWT5qNyJI :2008/08/09(土) 00:07:58

間違えたPCRでの解析だ。RCAじゃヒッグス機構階層性問題の内部対称性が示せない。

超対称性を取り入れた標準モデル拡張性の大きな強みは、粒子とスーパーパートナー

双方から仮想の寄与があるとき超対称性によって仮想フェルミオンと仮想ボソンそれぞれの量子補正

実現できるてことになるから。とにかくRCAじゃなくてPCRでの解析を比較します。

49 :名無しさんお腹いっぱい。:2008/08/09(土) 00:24:32

読んでて頭が割れそうだ。

2011-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20110723020141

最近Googleリアルタイム検索やめちゃったから、さがすの難しくなりましたね。

ところで、その科学史家さんは、

自分原発について語ることのバイアス」についても言及していますし、

無自覚というわけではありません。

 

うそう、で、おはなしはリスク受容なんですけど、

産総研の方がこのようなことをおっしゃっていました。

https://twitter.com/ooousta/status/73902902917337088

「安全」とは、リスクゼロのことではなくて、「受け入れられないリスクがないこと」。そのレベル(=何をもって安全とみなすか)については社会合意で決め、一種の約束事にする。放射線リスクでは、このプロセスを経ていないので安全を定義できない。現状の混乱の原因はここにある。

たとえば、自動車農薬等の化学物質の安全性に関しては、

歴史もあり、免許規制があり、リスク存在体感的でありました。

日常的に交通事故や、食中毒、薬の作用副作用などというという形で経験する)

まり、我々に身近な安全性のトピックスでした。

原子力に関しては、確かに規制運用ルールはありますが、

核兵器という悲劇もあり、神話化され、

「身近ではないが、恐れるべきもの」という社会的な評価が形成されました。

合理が得られていないという問題ばかりか、

ヒューリスティックという認知バイアス存在し、

これが事態をさらにややこしくしているように思います

 

このような混乱がもたらす問題を

端的にあらわすのが、おっしゃるような、

リスクを受容しないことによるリスクですね。

 

ちょっと、本題からそれてしまいましたが、

特に理学工学関係者は、ポジションを持っていたとしても、

科学精神を失わないように、常に自分を律していなければならない。

そのようにして、社会一般からの「信」を、保ち続けなければならない。

というような当たり前の話でございました。

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