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はてなキーワード: 模試とは

2018-02-19

受験にことごとく落ちている なんとなくそんな気はしていたけど、受験番号をいれたりして合否をネット確認するくだりがそろそろ怖くなってきて、毎回動悸がすごいんだ

勉強はしていた していたけど早い時期から頑張れていたわけではなかった やろうとして、自習室にいって、何も頭に入ってこなくて、帰った 朝から夜まで本当に集中できたのなんか冬からだ 明らかに足りなかった わかっていた

指定校の人たちが羨ましいと思うけど、彼らは定期テスト毎に努力をして、いい成績を取ってたからそりゃ報われるべきだよなぁと、当然のことだと思った だって一年の頃からずっと彼らはがんばってたんだ

一般からいいやと開き直る私とは違って

まあまあい高校に行って、だからまあまあい大学にいけると思った アホだからいから そして彼らに加え、一般受験成功した人たちまでインスタグラムに復帰した

あぁ、そうだよね みんなきっと私より何倍もがんばってたよね

それなのに人気のあるところばっかり受けるからこうだ、こんなザマだ

そんな私も早い段階から塾に通ってた そのお金と あと沢山の受験料…今のところ全部落ちているのに それらのお金申し訳なかった ママパパごめん。本当に

こんなクズ受験生をいつも優先してくれていた 試験の時のお昼も毎回手作りのお弁当を持たせてくれた 模試の時は何も感じていなかったその優しさも、落ちまくっているいまでは、アルミおにぎり油性ペンで描かれたかわいい顔をみるのがつらくてつらくて仕方なかった こんなにつらいんならコンビニで買えばよかった

ほんとはこんな落ちるやつのために早起きしてお弁当なんか作らなくていいよ とか、色々謝りたかったけど、そんなのたぶん言いながら泣くなーと思って、それこそ両親にとってもつらいことだと思ったから、泣かなそうな自信がついたら色々言うんだ

全部私が悪い ちゃんと、もっと勉強しなくてはいけなかった そのときからわかってたはずのこんなかんじの現実は、実際こうして向き合うと本当に苦しい

私は好きなアイドルが一人いて、今までにも何人かいたが、改めて考えてみると彼らはみんな真っ直ぐな努力家だった あ〜〜自分と反対の人を好きになるんだなという気づき

そして最近はそんな推しをみるのまでつらい 正しくがんばってる人を見るのが辛かった 真っ当に生きたいと思った

ほんとは消えて無くなりたかったけど、そうなったときいちばんつらくなるのは両親で、周りからも腫れ物に触れるみたいに扱われて、娘の自殺という大きな重荷を彼等に背負わせるのって今以上にヤバイと思って まずお金を返したかった 私にかけてくれた、無駄になってしまったお金を そのためにちゃんといいとこに就きたいと思ったけど こんな大学じゃそんなんむりで

親が大学名を聞かれた時に 気まずそうな顔で その名前をいうのを想像するのが耐えられなかった

私もだ バイトとかはじめて、バイト仲間に聞かれるんだ どこ大学?そしてあ〜〜そうなんだ、、みたいな感じで ちょっと内心バカにされるんだ 絶対やだ絶対やだ

から、どうにかしたい あほみたいなプライド

浪人できないから、仮面浪人しようと思ったけど 私はできるのか こんな私に

でこんな書いたけどまだ試験が残っている アホみたいな倍率の だからこんなことしてないでまだやらなきゃいけない でもつらすぎて しかも誰にもいえないから書いた ごめん ごめん

2018-02-18

駿台市谷校舎と河合塾麹町校どちらに通うべきか?

医学部専門校舎とそれ以外の校舎の違い

麹町の某講師が仰ることには、こういった医学部校舎より小さい校舎の方が合格率が良いとのこと。

また、医学部校舎は多浪がかなり多いです。言い訳に聞こえるかもしれませんが自分は多浪するのは当たり前な気持ちになり普通に多浪してしまいました。(現実には難関大学は現役一浪ほとんど)

こういった校舎はできる人は確かにたくさんいますができない人もたくさんいます

現役で受かってもおかしくないような学力ある人には地方校舎じゃ刺激が足りないかもしれないです。

逆に現役で箸にも棒にもかからなかった学力の人は時間かけて市ヶ谷に来るより近場の校舎の方がおすすめできます医学部校舎は割と放任的です。

◯寮について

どちらも寮費は結構するせいか私立医学部受ける人が多いということを頭に入れておくといいと思います。実際の人数までは把握してませんがどちらも男子寮合格率が良くて女子寮は良くない印象があります

クラス分け、コースについて

駿台市谷校舎

ハイレベル公立医系

100人も余裕で届かない人数。スーパーより認定基準が低いがぶっちゃけ認定試験受ければスーパー認定取りやすいのでSF下位とハイレベル下位は似たり寄ったりであるクラス内の学力差が大きい。下はマーチにも余裕で引っかからない(SF下位同様)がクラス全体として見るとSFより医学部に受かる印象。

スーパー公立医系

土曜日に演習するかセンター演習するか何もないかのチョイスができるがそれぞれでクラス別になるわけでなく学力順に上からSA SB SC SD SE SFの6クラスある。前期は4月プレースメントテスト(英語数学国語)によって分けられ、後期は前期の間に受けた模試の素点の合計(国語が入ることに注意)によって分けられる。

講師の質は年度によるが大まかに言ってSASB>SC>SD>>>>>SE>>SF

SD以上に入りたいところだろう。市谷校舎に講師の質は一番良いところだと言える。

SA鉄緑出身者が多く一番騒がしい説がある。

河合塾麹町

駿台は入ってから分けるのに対し河合塾は入る時に分かれるイメージ

ハイレベル公立大医進コース

人数少ない。自分の知ってる人はことごとく私立薬学部歯学部に行きましたが中には医学部受かる人もいるらしいです。英語数学無印テキスト

トップレベル公立大医進コース

トップレベルアドバンスサクセスクリニックの英数の成績でクラス分けされます。上のクラスXDハイパーに劣らない学力だとか。慶応医科歯科受かった人何人かいました。

アドバンスは人数が少なめですがそれ以外は多め(と言っても市谷よりはずっと少ない)

英語数学はTテキスト固定。理科サクセスクリニックの成績によりそれぞれ無印かTテキストになる

ハイパー公立医進コース

認定基準が高い。英数Tテキ。理科ハイパー専用のテキストサクセスクリニック受ける必要性はあまりないのかもしれない。数理必修であとは選択制のため安い。規定以上選択たかったら追加料金払えば可能。人数多い。

プレミアム公立医進コース

数学SEG講師でそれ用テキストハイパーと違い全科目必修。人数が少ない。

カリキュラムテキストについて

駿台(スーパー)

理科は通年で全範囲が終わる。A〜Fまで全員同じテキスト(後期の物理はD以下で一部異なる)。

全体的に東大受験対応できるカリキュラムであり(東大コースほとんど使っているテキストが同じ)、文系科目はセンターを超えた内容を含む。

河合塾

ハイパー以外の理科は前期で大体の範囲をやり、後期で難度上げたものに取り組む。

国語センターレベルまで。前期の最初の方とかめちゃくちゃ簡単だったりする。後期は全てテスト演習。

数学は5つあるうちの1つの授業が後期はテスト演習になる。

指定席駿台vs自由席河合塾

自由席自由だけどなんだかんだ座るところが決まってきて固定席になります

指定席は1週間ごとに席替え。隣の人と仲良くなっても席替えして疎遠はよくある。

どちらも予備校アピールしているが個人的には決め手になるようなものではないと思う。

◯50分授業の駿台vs90分授業の河合塾

90分あると文章一つ終わりますが50分だと終わらず週を跨ぐので非効率的に思えました。

数学テキスト

駿台の方が(受験の)基礎ができる前提でできている印象。自習問題結構難易度高いものがある。

河合塾のTテキスト自習問題などで教科書レベルのものまで入っている。よっぽど基礎が危うい人以外はTテキだけで基礎固められると思う。

河合塾チューターvs駿台担任

河合塾の方が良く言えば面倒見が良く、駿台放任的。河合塾の方が強制的面談ぶちこむ。

奨学金

河合塾の方がずっと大盤振る舞いです。駿台には期待しない方がいいです。

◯講習

駿台の講習を受ける河合塾生はよく聞くが逆は聞かない。駿台の方が宣伝が多い。

総括

学費を安くしたい人→河合塾ハイパー

地方公立医学部志望→河合塾トップレベル

すでに学力が高く旧帝大首都圏狙い→駿台スーパー河合塾ハイパー(プレミアム)、トップレベルアドバンス

未履修科目がある→大手予備校の授業では下のコースでも基礎からやるといえ既習前提。頑張ってついていける人はいることにはいるが個別指導宅浪の方が合っているかもしれない。

2018-02-06

10年来の鬱とADHD傾向が改善した

 今年で28フリーター


 幼少期(小学校の低学年頃)に脳に疾患が見つかって、以来十年近く投薬治療をしていた。

 また、高校の頃からずっと鬱を患っていた。頭の中が鉛のようになって自由に動けなくなる。生活の上でそういうことが多々あった。


 ADHDも併発している。破壊的な過集中を経て朝まで眠れないことが多かった。

 バイトシフトにはちゃんと遅刻せずに行く程度の社会性はあったけれど、やはりと言うべきかミスが多く、恐らく責任者も俺のことを発達障害者として認識していたみたいで、指示を出す時も俺にだけ妙に細かい明確な指示を出してくれたりした。それはそれでありがたかったのだけれど、時々ヒスを起こされることとなった。自分が主原因になっていることは分かっていたから、どちらかと言えば申し訳ない気持ちの方が強かったけれど。


 現役で地方駅弁大学入学して、卒業が近くなってから資格試験講座に通っていた。で、途中から引き篭もるようになる。

 一応何とか大学卒業できたけれど、定職に就くことはできなかった。


 自分は、根本的に人生ディシプリンというか一種の訓練期間だという固定観念を持っていて、それと同時に、より効率的自身を訓練できる人間がより優れた人間なのだという価値観を持っていた。だからと言うべきか、高校時代は朝5時に起きてジョギングを繰り返していた。

 恐らくその頃が、自分学力ピークになっていたと思う。

 確か当時の全国模試総合偏差値は70を超えていたはずである

 でも、そういう訓練が破綻を来たすのは思っていたよりも早かった。

 何年も日課にしていたジョギングが、高校生活半ばに突如として億劫になったのが始まりで、それ以来上手く眠ることができなくなったのだ。

 その頃から学力の減退も生じていて、自分自分コントロールできない感覚に苛まれるようになっていた。志望校ランクを一つ落として、何とか国立大学合格することはできたものの、今にして思えばあれが自分人生の最盛期だったのではないかと思う。


 大学に入ってからは、過密的な訓練期間と白痴のように生活崩壊する期間を繰り返すようになった。訓練期間には、暇があればジョギングに出かけ、膨大な量の学術書に当たった。また、複数語学習得を目指し大学ゼミを幾つも掛け持ちしていた。そして、大抵はそのような訓練期間は三ヶ月と持たずに破綻し、再び自分コントロールできずロクに睡眠も取れない白痴のような生活が始まるのだった。

 俺はそうやって訓練期間が破綻する度に、自分計画の建て方や訓練の方法に恐らくは問題があるのだと考えていた。実際、その考えにはある程度事実に沿う部分もあって、当時の俺はその自分が打ち立てた訓練方法の細部を限りなく修正し続ける作業に集中することとなった。そして、その細部を修正したトレーニング理論に基づく何ヶ月かの訓練タームを集中的に実施し、そしてその訓練タームの後には、訓練タームよりも更に長い破滅的な破綻の期間を迎えるということを繰り返していた。そのような生活大学卒業してからも戻らず、そんな具合に二十代の半ばを迎えた。


 何かが間違っていることには気付いていたけれど、何が間違っているのかはもはや分からなかった。考えつく限りの細部には工夫を凝らしてきたつもりで、主に食事における栄養バランスの調整には念入りという以上に念入りになった。卵、バナナ、木綿豆腐牛乳納豆青魚、葉野菜。こういうものバランスよく摂るようにしていた。でも、自分自分コントロールしているという感覚はついぞ訪れることはなく、相変わらず愚にもつかない趣味に熱中しては朝を迎え、疲弊しきった精神バイト先に行き、そして週末は48時間家に引き篭もって過ごすことも多くなっていた。


 いわば、この辺りが人生の暗黒期だったと言えるだろう。むしろ、そう言わずして何と呼べるのだろうか? もし他に呼び方があるとすれば誰か教えておくれ。


 さて。

 結論から言えば、この生活は現時点でかなり改善している。

 いわゆる躁鬱の躁期に入っただけの可能性も有ると言えば有るのだが、しか実証的に体系的に改善を目指した結果として、根本的に自己コントロールしているという感覚が数年ぶりに戻ってきたので、そこに関してはある種の信頼を置いている。


 原因というべき原因については既に見当がついていて、つまりそれは脳に対する血流の低下である身体におけるありとあらゆる不調や、自身コントロールを掌握できていない感覚殆ど場合、血流の低下に基づいているのであるADHDや鬱の改善に血流を効率よく増やす有酸素運動有効であることはとっくに知られていることで、つまり結局は脳の血流の有無が自己コントロール能力の有無へと繋がっているということなのだ。これを改善する為の様々な手段を講じ続けてきた結果、その中で極めて有効もののみが残ったので、それらについて以下に紹介していきたい。


 シンプルながら散歩ADHDや鬱の克服に大変役立つ行為である普段自転車原付で移動する距離を、例えば自転車原付を手で押しながら移動することで、とにかく歩く歩数を増やすことに集中した。iPhoneヘルスメーターも一応活用しており、実際に散歩した分の歩数が如実に数値として現れることにはかなりモチベーションを刺激されることとなった。


 腰の尾てい骨の下に柔らかいタオルを敷いた上での足の上げ下げなど、身体を横にして安定した状態にした上での筋トレは圧倒的に脳への血流を増やすことができる。これで週末の鬱傾向が随分と改善している。なお俺は心肺能力に二十代の半ばからかなり不安を抱えるようになったため、そこまで負荷を掛ける筋トレ実施していないが、自分の体調と相談しながら負荷を増やしていくことが肝要であるようだ。


 ドストエフスキー夏目漱石などといった純文学が望ましい。これらを読む際に脳に鋭い拒否感(としか呼びようのない感覚)が走る人間ほど、読書はうってつけの鬱・ADHD改善法となると俺は思っている。大抵の場合活字を読んだ際に訪れる決定的な拒否感は、脳に対する血流が急激に増えることに由来しているのである。そのように活字に対する拒否感が生じる際にはそっと目を閉じて、左前頭葉辺りに意識を集中してみると、はっきりと自分の脳への血流が増大している様子を感じることができると思う。特に、血流を増やす為には身体を横たえた状態でいることが望ましいのだけど、当然屋外や座った状態での読書も随分と効果を発揮する筈である。また、外国語の読解などもこの読書カテゴリーに加えておく。


  • 絵を描くこと(普段行わない趣味を行うこと)

 基本的に鬱の人間は、日々変化に欠ける生活を送っている場合が多い。

 同じパターンというか、悪い意味で安定しきった生活を送っていることが多いのである

 すると行動の多様性や、積極的な行動への意志が驚くほど抜け落ちていくという事態に遭遇した鬱持ち・ADHD持ちの人間は非常に多いのではなかろうか。というわけで俺はどちらかと言えば趣味としては読書文章を書くことに取り組むことが多く、空間的に物事を把握しそれを描写する絵などにはあまり集中力を払わないことが多かったのだけれど、これがどうやらいけなかったらしい。最近は、漫画イラストを模写したりだとか、積極的に絵を描く時間生活の中に設けるようにしている。ファミレスハンバーガーショップなどに行った時にサッと手帳を取り出して、軽く文章やそれに付する絵を描いたりすることも日課となっている。

 ここで言いたいのは、必ずしも絵を描くことが鬱やADHD改善に役立つといったことではなく、同じ行動パターンや同じ行動に固執することが如何に脳に悪影響であるかということなである。なので俺は最近文章を書き、絵を描き、詰将棋を解き、読書をし、と、とにかくやる事を一つに限定せずコロコロと変えることを意識して生活するようにしているのだ。

 鬱持ち・ADHD持ちにありがちな思考の切り替えや行動の切り替えが上手くいかない人間には、是非絵やその他普段行うことのない趣味を増やすことをオススメする。


 上で書いた通り、卵や牛乳青魚といったナチュラルフードが脳のパフォーマンスに影響することは学術的に証明されて久しい(と俺は思っている)。これはもう殆ど記述する必要性がない事実だが、しかし敢えてここに記述するからには、そこには当然ながらそれなりの理由がある。

 つまり、俺のような鬱・ADHDの併発した人間には、料理を行う際にとある事柄が圧倒的なハードルとして持ち掛かってくるということなである。つまりそれは、そう、料理煩雑さや億劫である

 基本的に鬱傾向やADHD傾向を持った人間はありとあらゆる行動に億劫さを感じるもので、よほどその行動に高い利益や見返りが見込めない限りは、その行動を行いたくないと思うものなのである。そういった面から言って、料理は味よりも栄養価と手間の少なさを重視するように俺は心がけている。準備や片付けの手間をできるだけ減らすために、単に塩焼きにしたり茹でるだけだとか、できるだけ工程の少ない料理(というか殆ど調理)で済ませられるようにしている。

 また、週末になれば殆ど外食で済ます

 脳に一定以上の煩雑さや負担押し付けないことが、ADHDや鬱改善の要点である。時にはサボることも非常に重要だ。


 追記。瞑想効果あると思う。瞑想時に、個人的には脳への血流が如実に感じられることが多く、恐らく脳に対してかなりポジティブ効果が起こっていると思われる。

 読書の後など、脳に負荷を掛けた際にその情報の整理や休憩の為に、短めのカジュアル瞑想を行うことがある。これもまたオススメ


 など


 こんなところだろうか。

 思い出し次第追記を行いたいと思う。


 今年に入って、文学小説の脳に対する効能が非常に大きいことに気付けたのは重要発見だったと思う。読書の際に襲ってくる倦厭感がむしろ血流の増大と関わっていることに気付けたのは、自分としては非常に大きな発見だったと思っている。というわけで、かなり重篤な症状持ちの人間としては、以上のような改善法を進める次第である

 上では書かなかったが、俺は重篤インターネット依存症持ちでもある。

 しかしその依存症もこの数ヶ月で劇的に改善した。俺という人間は、言うまでもなく長所よりは短所欠点の方が随分多く付きまとう人間であるからには、そんな人間にすら効果がある対処法は、恐らく全人類的に効果のある対処法となっていること請け合いである

 是非とも、皆さんにも実行してもらいたい。

 自身病癖を繰り返すようで悪いが、やはり疑いなく、「よい訓練こそが、よい人生なのだ


 それでは。

2018-02-02

高校の頃、隣の家の家族のところに女子大生が移り住んできた。正しくは大学院生なんだけど。その夫婦の姪にあたる人で、院生になったのをきっかけに、より学校に近いそこへやってきたとのことだった。当時うちの母とお隣の奥さんは一緒に今でいうホームパーティみたいなものをやるくらいすごく仲がよくて、当然のように俺にも紹介されて挨拶した。高3の春だった。

しばらくして、受験生なのに全く勉強しない俺を不安に思った母親が「塾へ行こう」とパンフレットもって切り出してきた。家では全く勉強しないでゲーム三昧だったけど、学校ではそれなりに真面目に授業を受けていたので成績はまあまあ良くて、だから大学学力に見合った難しすぎないところに行こうと思っていて、塾なんてまったくやる気がしない。ずっと拒否っていたら、またしばらくして母が隣の家の女子大生を連れてきた。「バイト探してるっていうから、この子家庭教師してもらうことにした」ふざけんなと思ったが、もう家に上がっている彼女を追い返すわけにもいかいかと思いしぶしぶ勉強を見てもらうことにした。自分の部屋は汚すぎて入れられなくて、その日はリビング数学課題を見てもらった覚えがある。結局そのまま家庭教師として勉強を見てもらうことになった。

その人はすごく頭がいい上、人をその気にさせるのがすごくうまい人で、調子に乗った俺は家でもきちんと受験勉強をするようになった。成績も少しずつ上がり始めて、当時の志望校では少し目標が低いんじゃない?と担任にも言われるようになった。話も面白くて、週2回の彼女の来訪を心待ちにするようになり、模試でいい評価を取ると即メールした。

そんなこんなで、彼女を好きだと思うようになるのに時間はかからなかった。よくある話だ、高校生が少し年上の大学生に恋をする。(院生だけど)あまり読んだことないけど少女漫画の設定そのまんまみたいな状況すぎて、いやちょっと勘違いしちゃってるだけだろ、と必死にその気持ちに抗ってみたりしたけれど、もう会ってしまうとそういうの全部どうでもよくなって、少しでも成績上げて喜ばせたいと思ってしまうから秋ぐらいにはもう諦めた。

そしてその人が通っていた難関大学志望校を変えた。両親も担任も、そして彼女も喜んで応援してくれた。一層勉強に身が入り、必死勉強した。


次の春、晴れて俺は彼女の後輩になることができた。学部は違ったが、ものすごく嬉しかったし、ようやく同じ土俵に立てた気がした。当然そんなわけはないんだけど。向こうはその大学内でも屈指の偏差値を誇る理系学部院生で(院生から学部おかしいか)俺は文系比較偏差値が低い方だ。

それでも毎日なんとなく嬉しくて、タイミングがあった時は一緒に登下校したり、学食で一緒に飯食ったりした。夏休みに入る少し手前、初めて二人で出かけた。向こうはどう思っていたかしらないけれど、デートのつもりで誘ったか約束をしてからその日までずっとそわそわし通しだった。親にバレるのが嫌でわざわざ駅で待ち合わせて、彼女が行きたいと言っていた水族館に行って食事をして、お互い家に帰ってからメール告白した。「ちょっと表出て」って喧嘩吹っ掛けられるみたいな返信が返ってきて、それからマンションエントランスで話して、付き合うことになった。


それから彼女卒業するまでは本当に楽しかったし、俺も彼女に見合う大人の男になろうと必死だった。プレゼント背伸びして、百貨店に売ってるようないいアクセサリーを用意したり、デートでもなるべくお金出させたくなくて、少ないバイト代を精一杯はたいて奢ったりした。結局最終的に割り勘くらいになるように向こうに調整されていたけど。喧嘩しても大人ぶって先に折れて謝った。嫌われたくなかったというのもある。

冬が過ぎ、また春がきて、彼女就職して隣の家を出ていった。移り住んだアパートはうちから1時間近くかかるところだった。

学生の頃に比べると、格段に会える日が少なくなってしまい、些細なことでの喧嘩が増えていった。それでも最初の1年くらいは、彼女の家に泊まりに行って手料理を振舞ったり振舞われたり、ちょっと遠くへ旅行へ行ったり、何とかその壁を乗り越えようとがんばった。どうしてもその人を手放したくなかったから。大人な振りをして、ずっと背伸びし続けていた。

それがダメになったのは付き合って1年と少し経った頃、俺が大学2年の冬だった。

箱根に泊まり旅行にいって、旅館で夕食を食べているときだった。もうほとんど覚えていないような些細なことで、ふっと怒りがこみあげて、その勢いのまま机を殴りつけて怒鳴ってしまった。言った瞬間にすぐ我に返った。しまったと思った時には彼女は萎縮しきった顔で「ずっとそうやって我慢させてた?」と問いかけてきた。何も返せなくて、その日はもう会話もなくなって、朝起きたら彼女はいなくなっていて、携帯には「別れよう」というメールがきていた。

本当に大好きで大切な人だったのに、ずっとずっと彼女に見合う「大人な男」になりたくてなりきれなかった。悔しいのと情けないのと喪失感とごちゃごちゃになりながら一人で帰って、それからしばらく大学にもいかず家に引きこもってずっとオンゲをしていた。無心でレベル上げしていてもすぐに彼女のことがちらついた。もうしんどくてたまらなかった。

それでも時間は過ぎて行って、大学の成績通知を見ていい加減家を出なければと思った。単位結構取り落としていた。それからまた大学バイトゲームの繰り返しを毎日毎日やって、気づけば就活生と言われる年になった。

就職フェアみたいなやつに同期と出向き、彼女就職した会社ブースを見つけた。彼女がいないことを確認して(そもそも研究職だからいるわけないんだけど)説明を聞いてそのままエントリーした。運よく選考が進み、そして内定を勝ち得た。

そこで流石に一度我に返った。こんなストーカーじみたことして、どう考えてもおかしいしやばいそもそも入社してもし社内ですれ違ったりしたらなんて声を掛けたらいいんだ。もう一度会いたいとは思うけれど、向こうはもう俺のこと忘れてほかに相手いるかもしれないし、年齢的に結婚している可能性もなくもない。内定はあともう1社あった。期限は迫ってくる。悩みに悩んで俺は彼女に連絡を取ることにした。我ながらどうしてそうなったと今にして思うのだが、その時は考えすぎて頭が完全に煮詰まっていた。

電話番号は幸い変わっていなかった。電話で全部話した。まだ忘れられないこと、まだ好きなこと、それから同じ会社を受けて内定が出たこと、今行こうかどうしようか悩んでいること。付き合っていた頃の俺とは全然違って、本当に情けなかった。いや、付き合っていた頃だって決してちゃんと決まっていなかったかもしれないけど、それでも精一杯ずっと物分かりが良くて包容力があって大人な俺を演じ続けていたから、それはもうキャラ違うレベルだったと思う。彼女は静かに全部聞いた後、「うちはまあまあ大手だし、労働環境も悪くないから来るなとは言わないけれど、もう一社とよく比較して考えて」と言ったあと、「私のことは気にしないで」と言った。

突き放された気がした。それが余計悔しくて、勢いで「わかった。じゃあそっちの会社に行く」と即答した。するといつかみたいに「ちょっと表出て」と言われた。もしかしているのかと思って慌てて家の外に出たが、だれもいない。「どういうこと?」と聞いたら「そのまま駅まで行って、〇〇駅まで来て。私も今家出た」と言って電話を切られた。マジかよ。時間はすでに22時過ぎだった。〇〇駅は彼女の最寄り駅じゃなくて、うちと彼女の家の中間あたりで、付き合っていた頃よく一緒に飯に行ったところだった。こんなに長い30分があっただろうか。走って駅までいって、電車に乗っている間も落ち着かなくて、ずっと立ったままだった。電車から飛び降りて改札を出て、きょろきょろしながら電話しようとしたら、同じく携帯を片手に小走りで改札を抜けようとする彼女と目があった。


そんな彼女明日結婚します。

2018-02-01

一生進級できない

大学生です不登校になってしまった

去年の今頃もそうでテスト期間に重い昼夜逆転と軽い引きこもりを起こして単位を全部落として留年している

無理矢理起きて登校を試みてもなぜか教室に入れないし図書館で寝てしま

別に学校生活で嫌なことがあるわけでもないツイッターで作ったオタクたちとの交友関係もあり孤立もしてない

まだ入学してから一度も単位を取ったことがないのでこの留年が一生続くんだろうなという気がしてやまない

病院に行けという話もあるがフットワークがそう軽ければこんなに困ってない

腰が重い

心配してくれる(後輩だった)同級生の「テストたか?」に対して嘘ついちゃうのが本当に情けなくて不甲斐ない

こんな不良債権にドボドボ学費融かしてくれる親の顔が見られない

むしゃくしゃして下宿で叫んだら薄い壁をドンドン叩かれてまだ深夜だったなと我に帰る

学問がやりたくて進学したのに学生に向いてなかったって自虐ネタももう笑えなくなった

労働も試したがどうにも身体に合わないし牛丼からも土方からも逃げてしまったしもうすぐ採点バイトからも逃げるだろうな

実家に帰ってニートをやることくらいしか生存手段を見いだせないがその逃げ道があるだけ幸せなのだろうか否

実家を出る前両親は主に俺の扱いでいがみ合っていたし盆と正月以外に居住してはあの幸せな家は壊れる

生活全般に苦手で部屋は臭い

俺も臭い

多分もう5日シャワー浴びれてない

何もわからなくなったので前に飯を食ったのが何時間前なのかツイッターを見ないと確認できない

干し忘れて何回も回すから洗濯物も臭い

去年はこれに加えてインフルと思しき体調不良があった

今年はまだマシだ否

登校できてないのにマシもクソもあるか

何を言いたいのかもわからなくなってきた

何もわからない

件の友人に助けを求めろという話もある

プライド邪魔なのである

そんななので先生単位をせびりに行ったり再テストを頼んだりもできない

他人に何かをお願いするのが怖い

有効なふうに「助けてくれ」を言うのが気恥ずかしくてだめだ

変にプライドは高い

高校までの18年間勉強は得意なつもりだった

定期テストは無対策壊滅だが模試の点数は無対策クラス上位」をしていた

中学担任には「絶対にお前を許さないし絶対に推薦入試は受けさせてやらない」と言われた

楽だった

テスト勉強をする習慣がなかった

苦もなく第二志望に現役合格した

大学入学して模試がなくなった

大苦手な学内テストだけになってしまった

俺が得意だったのは入試パズルだけだった

大学生活が上手くいってない大学生はいつまでも入試の話ばかりしている

生活が上手くいっていないアカウントはいつまでも非生活の話ばかりしている

どこで間違えたんだろうな

どこで道違えたんだろうな

はいつまでもインターネットで何をしているんだろうな

大学卒業したあとのことも何も想像できない

生活に向いていないし詐欺強盗でもしようかな

これをここに書いて俺は増田に何をしてほしいんだろうな

読者のこと何も考えてない本当に不親切なエントリーだな

諸兄ありがとうございます

もう一生進級できる気がしない

追記

少しずつやっていきます

ありがとうございます

2018-01-24

anond:20180124102921

俺は短期記憶が平均以下のADHD傾向なんだけど

(90強なので話すと少し頭が悪そうな人の印象、80切ったら障害)

その分を、長期記憶で補っているらしく

言語系が120超えしている。

から模試現代文偏差値が毎回70代後半だった。

学歴問題ないけど、就活面接は苦労したなー

2018-01-18

生きているのがしんどい

生きているのがしんどいと思い始めて、多分だけど15年とか経っている、ちょっとした消えたがりの散文が、つらつらと下に書いてある。

時間がある人はちょっとだけ読んでほしい。そして何か、少しでも意見が欲しい。いろんな考えが知りたい。でも、かなり怖い。

いや、読むのは時間を持て余した人だけでいい。かなり端折って書くけれど、15年くらいの時間を書いていく。きっと恐ろしく長くなる。なんか流行りだからここに書いたけど、きっと読む人は片手ほどで、その中でコメントを残す人を期待するのも間違っているんだろうけれど。なんてったって散文だし読みにくい。

でも、誰でもいいから話を聞いてほしい。私かうすればよかったか、これからどうすればいいのか。無責任で構わないから教えて欲しい。

初めて消えたいなと思ったのは5歳くらいだったと思う。6歳だったかもしれない。

親の都合で転園してきた先で同じ園の女の子に仲間はずれにされた。

ぼんやりしか覚えてないけど転園する前も、仲良くしていたのは女の子ひとりと男の子ひとりだけだったから、昔からまり好かれるような子じゃなかったんだろう。多分、すごく生意気子供だったから。

みんなが可愛いお姫様ごっこセットをつかって、私はなんか地味な、柄のないスカートだけ渡されて、「それもお姫様から使えばいいじゃん」って。キラキラの、可愛い模様がついたフワフワのスカートを我が物顔でつかいながら、私に言うのだ。

先生が「順番ね」と注意をして、真ん中くらいの順番を手に入れたけど、気づいたら割り込みされて最後になっていた。

私の順番は回ってこなかった。

その時に、私はここにいてはいけないんだなと思った。いる価値がないというか、いる事の方がおかしいと言うか、そんな感じ。転園してきた訳だから、仕方ないけれど。それで、早くここから消えてしまいたいと思った。

その時、唯一できた友達は、多分友達じゃなかった。

あれ持ってきて、これ持ってきて。何かを持ってこないと仲間に入れてあげない。そういうことを言って来る子だった。パシリにされていた。

でも、パシリでもすれば一緒に遊べたから、喜んで従った。あまりいいこととは言えない。けれど、一人で積み木で遊ぶよりずっとマシだった、消えなくてもいいと思った。頼られているのだと錯覚した。

小学校に上がって、ランドセルを買い与えられた。普通赤色じゃなくて、少しくらい、ワインレッドランドセル

母親はなんでピンクとか真っ赤じゃないのって言われたけれど、ワインレッドが可愛かった。ランドセルの蓋の裏が、赤系のチェックでとっても可愛かった。気に入りだった。

パシリはまだ続けていた。というか、パシられることが普通だった。

小学生になって、一緒に登下校をするようになった。

なんで変な赤色なの?って笑われた。

それを「可愛かったから」と言ったけど、それは可愛くない!こっちが可愛い!と言われた。多分、その子達に「センスがない」という判定を受けたんだと思う。

パシリにされてて、さらセンスもない。なんとなく流れで、みんなよりも立場が下だった。

ジャンケンランドセルの持ち合いをした時、他の子が負けたらみんなで持ち合いっこするのに、私が負けた時だけ全部持たされて、持つ距離も長かった。挙句、置いてかれた。前に進んでも誰もいなくて、置いていかれたんだと泣いた。おうちも少しだけ離れた同級生の重いランドセル5つを持って、道の真ん中で泣いた。泣いて数分たったら、なんだか自分のことが惨めになって、どこか誰もいない、遠いところに行きたくなった。結局はその子たちが戻ってきて、どうにかなったけれど。

小学2年生になって、夏休みで転校した。どことも知らないところだった。でも、一番長く住んでいたし、今の友達大学友達を除いて全部小中高で一緒に過ごした子だ。それまでに比べてとても恵まれていて、いい友達だと思う。一人一人が唯一無二の友達だとおもう。

でも、友達がいても、残りの4年半はいじめられて過ごした。

最初は多分「遠いところから変なやつが来た」っていう理由それから訛りが違う。あとは真面目ぶってる。オタク父親の見ていた深夜アニメを一緒に見ていた。デ・ジ・キャラットとか、ギャラクシーエンジェルとか。今でも大好きだ)であること。あと態度が生意気。たぶんこの生意気って言うのは、生意気だという子の都合が悪いことを「誰にも言うな」と言われても担任にチクッたからだと思う。自分あんまりにも理不尽だと思ったことは黙っていられなかった。多分、そういう意味では「いい子」ではなかった。

でも、石を投げられて先生に報告したら睨まれるって、おかしいじゃん。石投げる人の方が酷い。チクった私が悪いのか。

多分悪くは無いんだけど、こどもの世界ではご法度だっただけ。けれど、それがどうしても辛かった。おかしいと言ったら「お前の方がおかしい」と言われてすごく辛かった。ここにいたくないと思った。

親に「ここの学力は低いんだから、90点以上取らないとダメだよ」と言われた。頑張って100点とっても褒められなかった。周りからは「勉強もできるっていう自慢か」と妬まれた。

言っておくけど1番を取れたことは無い。せいぜい10とか20とか。自分ではすごいと思った。100人近くの1020って凄いじゃん。って。でも親にはそれじゃダメときつく言われた。ちょっと点数が下がったらお小遣いを減らされた。

生きているのがしんどかった。でも頑張らないと、価値がないと思った。

中学に入って、小学校の時みたいな勉強をしていたら、順位が真ん中よりも下の、後ろから数えた方が若干早い場所になった。その時に「さすがにやばい」と思って、塾に入りたいと言った。一人でする勉強限界を感じていた。

下がった順位を元に戻したら「当たり前だ」と言われた。

中学では部活に入っていた。周りはみんなキラキラしているのに自分だけ見ずぼらしく感じた。部活に入ってすぐ、どうしてかレギュラーに選ばれた。自分初心者で、周りには小学校の時から続けていた人がいたのに、自分担当に人がいないからという理由レギュラー入りした。初心者なりに練習した。練習中、何度も泣きそうになった。でも自分が頑張ることがこれからに繋がるとおもった。最後までやりきったあとに残ったのは「初心者なのにレギュラーに選ばれた変な人」だとおもう。若干避けられてたし、自分も周りにどう接していいかからなかった。ここで必要とされていないとさえ感じて、練習サボりがちになった。先輩からは、嫌われていたと思う(練習をサボったから当たり前だ)。同級生からもよくは思われていなかったと思う。

部活同級生から「〇〇先輩はあなたと同じように生徒会もやって部活もやって成績もいいのに、なんであなたは同じことが出来ないの」と言われた。生徒会が忙しくて休みがちになっていた。そんなの言い訳だと怒られた。それでも暇を見つけて部活に行っていた。それでも怒られた。今消えてしまえば楽だろうけど、消えたら迷惑をかけるなと思って、最後まで頑張った。意地汚く残り続けた。高校進学は「〇〇高校の□□学科じゃないと、ご飯作らないから」と言われた。当時、高校授業料無償化されていたから、ご飯を作らないになったのだろう。端的にいうと「親の希望に添えなかったらお金は渡さないし育てないから」といわれたのだ。必死になって、どうにか合格した。合格したけれど、自分学力じゃ、高校勉強は厳しいなと感じた。もう一つの学科自分レベルに合っているとおもった。でもそこでは絶対ダメなのだという。辛くなるんだろうなと感じたけれど、それでも合格したのだから通うと決めた。

高校に入って、それなりの地位をもてたと思う。部活は変わって、生徒会には入り続けた。その部活がいわゆるパソコンをいじる様なもので、関連分野で色々頼られた。今度はパシリみたいなのではなく、よく巷で話題になる「絵をかけるならちょちょいっと描いてよ」の類でもない、本当の意味での「頼り」だった。

得意分野を持つということは自分自力で立つことのできる力であると、その時感じた。普段だったら近寄れない、スカートを曲げて薄く化粧をした、クラスの人気者と話せる。そういう立場をその時手に入れた。

多分、高校生の時が一番、生きていて楽しかったと思う。みんなが私のことを知っていた。それに対する恐怖もあったけれど、決してマイナスではない視線は「自分はここにいていいんだ」と思える自信に繋がった。

大学は推薦で入った。センター前に決まって、受かるとは思わなくて、とても喜んだ気がする。

クラスメイト合格を伝え、「あの〇〇か!?」「嘘ついてるわけじゃないよね!?」と言われながらも喜んでくれた。学校先生もとても喜んでくれた。自分の妹も、私よりも喜んで泣いてくれた。

母親合格たことを報告したら、おめでとうよりも先に「お金がかかるなぁ」と言われた。

正直なところ、大学に進むことについては消極的だった。高校に入った直後は専門学校に入りたいと思っていた。でも父親は「進学するより働け。進学するなら国立じゃないとだめだ」と言われた。だから専門学校を諦めた。中学生の予想通り高校勉強はつまづいてしまって、学科では後ろから数えた方が本当に早いくらい、勉強はできなくなっていた。どれだけやっても勉強が伸びなかったから、早い段階で部活シフトチェンジした。そんな経緯があったから、大学は行かないで高卒で働くかなとなんとなく思っていたら、母親が「高卒で働くより大学に行ってほしい。私立じゃ学費は出せないけれど」と言ってきた。これに逆らうとまた何か言われるんだろうなと思って、とりあえずやるだけやってみることにした。でも、勉強はできなくなっていたから、模試はどこも最低判定。ただ、推薦でチャンスがあるところがあったから、一かバチかで受けてみた。これでダメなら学力じゃ到底叶わないから、就職をしようとおもった。部活の成績がよかったから、それで受けた。

そうしたら受かった。奇跡だと思う。なにかの間違いじゃないかと思ったが、それでも受かったら嬉しかったのに、おめでとうもなく「お金がかかるなぁ」しか言われなかった。

誰が国立に行ってほしいと言ったのだと、その時は悲しくて悲しくて仕方がなかった。

こんなの傍から見たら「親の言う事しか聞いていないからそうなる」と思うのだろう。私もそう思う。

けれど、高校受験の時に「お金さないよ」といわれ、大学受験に「国立しか認めない」と言われ、受かったら「お金がかかるなぁ」。反抗するなら自立しろ、親に頼るな。

それでは何をすれば良かったのだろう?

奨学金は申し込まなかった。心のどこかで受からないなと思ったし、親の収入などの関係で、ほんの少しだけ規定より上回っていたから受かるわけもなかった。し、なんとなく大学に入れても、やめてしまうかもしれないなと思ったのもある。とにかく奨学金は取らなかった。だから親に学費を払ってもらうことになる。お金がかかるのは、百も承知だった。

でも、まさか合格おめでとう」よりも先に「お金がかかるなぁ」だなんて。なんだか悲しくなった。受けるのをやめた方が良かったのではないかと後悔した。

何より、ひたすら「お金がかかる」とい割れるのが嫌で、消えてしまいたくなった、なんのために頑張ったのだろうと、ひたすらに悩んだ。

大学に入るまで、そして入ってからお金がかかると言われた。言われ続けた。

大学に入ってしばらく経った頃、仕送り勝手に減らされた。1万円も減った。バイトをやりながらも結構ギリギリで頑張っていたのに、なんの前触れもなく減らされた。

なんで仕送り勝手に減らしたの?せめて減らすなら前もって言ってよと親に言った。そしたら、「元々この金額だったでしょう?」といわれた。頑張って節約しながらも生きていたのに、あたかも「余分にお金をねだっている」風にされたのがひどく苦痛だった。

その年の夏、節約しなきゃとおもい、電気代をとにかく節約した。外に出るようにしたり、電気をつけなかったり冷房をつけなかったりした。

その月の電気代は1,500円もしなかった。

純粋に、自分すごいとおもった。

こんなに節約頑張ったよ!と母親にいったら、「もっと節約できるでしょ」と言われた。

電気をつけず、テレビもつけず、パソコンもつけず、ご飯はまとめて炊いて冷蔵庫に保管して、一瞬だけ電子レンジでチンする。冷蔵庫も止めてしまうと食べ物が保管できないから。そんな最低限だったのに、もっとと言われた。

馬鹿らしくなった以上に、親から私は「ただただお金のかかるダメな長女」だったのだろう。お金がかからなければかからない方がいい。そんな認識だったのだろう。

こんなに頑張っても文句を言われることに、自分が生きている意味とはなんだと問いたくなった。

答えは出なかったから、ただただ消えたくなった。

どう生きていてもお金がかかると言われて、生きているのがしんどくなった。我慢するのがバカバカしくなった。

バイトはしていた。学校に慣れるまで、夏休み前後から始めたいといったら、それでは困ると言われて5月くらいから始めた。バイト先の先輩に厳しくされて、辛いと嘆いたら「みんなそんなもの」と取り合ってくれなかった。辛かった。

そういうことも含めて、たまにTwitter愚痴を呟いていた。愚痴をいうと今まで仲良くしてくれた人が、なんでも話せた人達が「自分の方が辛い」と言い始めた。自分の方が不幸合戦が始まって、私の「つらい」が軽くあしらわれた。次第に愚痴を言えなくなった。私だけ「辛い」が軽くあしらわれるのが辛かった。

頑張って大学に通った。頑張ってレポートを書いても単位が取れなくて、好んでとったパソコン系の授業を始め、授業に出ると頭痛が激しくなったり、気分が悪くなったりした。1年間くらいだったと思う。でも、お金をかけてもらっているから行かないといけないと、頑張った。

しばらく立って新学期になった。自分の妹が私立大学に入った。

母親は、私立入学するのを許したらしい。

どうして?という気持ちがすごかった。父親が許したのかという疑問もあったのだが、早々にほかの選択肢を諦めた私とは違って、妹は頑張って説得したんだなと思ったら、それは認めてあげるべきだと思った。合格たことは喜ばしいことだし入学も喜ばしいから、合格おめでとうと、素直に伝えた。

しばらくして、父親入学を許していないということが分かった。それで父親に「お前も加担したんだろう」と責められた。私は何も知らなかった。

なんで私が責められているんだろうと、つらくてつらくて。消えてしまいたいと思った。私から奪われた仕送り1万が、妹の入学金や学費になるんだなと思うと、なんとも言えない感情が湧き出てきた。

しばらくして両親が離婚すると言うことを伝えられた。どう思うと聞かれて、私が何か言ったところで何か変わるの?と答えた。冷たいなとも思ったが、私は私でそれどころじゃなかった。

学校に行けば嘔吐頭痛を繰り返して、正直もう限界だと思っていた。

しばらくして父親から伝えられた。

離婚とともに破産すると思う。妹の学費や母方の生活費は払えなくなるが、お前の学費生活費だけは出してやるからな」

素直に喜べという方が無理だ。体調不良等でまともに単位も取れなくなっていったのに、どうして喜べるのか。それが決め手になって、学校に行かなくなった。休学届けを出して、今はアルバイトだけやってる。

両親から連絡が来るだけで胃が痛む。学校に行けない自分社会に出てもやっていけるとは思えない。大学友達とは疎遠になっているとおもう。ただたまに道ですれ違って、名前を呼んでくれて、元気?と声をかけられると、いい人と友達になったなと思う。同時に、こんなダメ人間友達でごめんねとも。

高校までの友達は「そのまま社会に出てもやっていけるよ」という。でも、日本会社というのはおおよそブラックだと思っているし、そんな所に行ってしまったら自分は生きながら死んでしまうのだろうと思う。きっといまのオタク趣味もままならない。二次創作をする時間もなくなるだろう。そうやって仕事に謀殺されて、私は私でいられるのだろうか。

そこまで考えて、今までの人生の中で、私が私でいた瞬間とは何なんだろうと思った。

私とはいったい何なんだろうか。

私が生きている意味とは。

なんでこんなに必死になって生きているのか。

辛いという言葉は、私の方が辛いで潰されて、楽しいことなんか二次創作を始めとしたオタク趣味ばかりで、そのオタク趣味すらも、今じゃ疎外感を感じている。自由に慣れていたはずのSNSは、現実と同じように苦しいものになっている。

辛いと思うことも軽んじられ、ひたすら金がかかるといわれ、遊びに行くと贅沢だお母さん達は頑張ってあなた仕送りをしているのにという。

私はなんのために生きているのだろうか。

こんな生活、生きているというのだろうか。

ただ呼吸をして、心臓を動かして。ただそれだけ。

生きているのがただただしんどい。早く死んでしまいたいとすら思う。でも死ぬお金がかかる。親が困る。周りも困る。

ある日母親に言われた、「お父さんはあなたを生んだ時に『なんで生んだ』といったのよ」と。

母親はそれを私に伝えて、何がしたかったんだろう。

必死に育ててくれてありがとうと言って欲しかったのか。

ひたすらお金がかかると言われて育って、なぜ生んだと言われたと言われる。

「なんで私のことを産んだの?」とは言えなかった。「産まなくてよかったのに」とはもっと言えなかった。言ってやりたかったけど、それを言ったら家から追い出されると思ったから。

私は「そう」とだけ返したのを覚えている。いつ、こんなことを言われたのかなんて、細かい年は覚えていないけれど、そういうことを言われたということだけは鮮明に覚えている。

私は

どうすれば良かったんだろう。

何をすればもっと前向きになれたんだろう。

何をすれば「頑張ったね」と言ってもらえるようになるんだろう。

毎日生きているだけでも精一杯なのに、もっともっとと周りはいう。頑張ることが当たり前。

でも、私はまだ頑張ってないんだと思う。恵まれているのだ。奨学金を借りずとも大学に行けたのだから。好きなことをやれているのだから

世界一不幸だと思うな。世の中にはもっと不幸な人が、辛い人が沢山いる。

みんなそう言う。私のつらいという気持ちを無いものとして。みんなそういうのだ。

生きていることの何が楽しいのだろう。

生きるなんて、辛いだけじゃないか

早く誰か、私を殺してほしい。

金だけかかって、だれの期待にも応えられない私を早く殺してくれ。

生きているのがただただしんどいということすら認められない世界なんか、壊れてしまえばいいのに、世界はそれを許さない。それなら。私を早くこの世界から追い出してほしい。

早く私を殺して欲しい。早く殺して。早く。こんなに辛いのに、世界は生きれという。お前はまだマシだと。

何がマシなのかちっとも分からない。生きているのがしんどい

大学受験

最後模試E判定で、先生志望校ランク下げろよって言われて、多少凹んだけどそんなの本気にしてなくて、まあそんなこと言っても何とかなるでしょって思ってて、過去問で8割超えたこともあって、喜んだのも束の間、センター失敗して、そこでやっとほんとに私だめなんだあ、って思って、先生にもそろそろちゃんと考えろよって釘刺されて、そりゃ有名な私大から難しいのはわかってるけど、でも本気で行きたいのも事実で、周りから何度も何度も止められて、厳しいとか、危ないとか、挑戦するだけ無駄とか!わかってるよ、私なんかじゃ受からいかもしれないよ、届かないかもしれないよ、それでもやらせてよ、いくら笑われてもいいから、受ける自由を奪わないでよ、描く夢を土足で踏まないでよ、努力無駄だって言わないでよ、それぐらい行きたい、行きたい、大学に行きたい!憧れるのはもう嫌だ。夢だなんてもう言わせない。そのために涙も不安も忘れて勉強する。だから合格したい。


書き終わったら疲れた。受かっても落ちても、またここに報告する予定です。読んでくれた人ありがとう。それじゃあ勉強してきます

2018-01-16

anond:20180115220235

日本義務教育は、従順社畜を育成する工場

経済界要請に応じて、企業歯車供給することが役目。

教師の言う事を聞く生徒を育てて、上司の言う事に従う社員を育てる。

内申点は、生徒を教師に従わせるための仕組みだった。

2018-01-15

東京都の「不登校中学に復帰するな」こんな指導をしなきゃいけない現状を知ってほしい。都民ファースト公明党都議会自民党などの皆さん

学校に行きたい中3生に「学校に行くな」と指導する辛さ

皆さんは、長期欠席からの復帰を望む中3生に「学校に行くな」と指導することができますか。

この辛さが分かりますか?

東京都のある公立中学3年生の話です。

温厚すぎる性格が災いしたのか、イジメが原因によって、一時期、学校にいけない状態に。だから内申点は著しく低いものでした。

でもこの子勉強がすごくできる。塾で受ける模試で、偏差値70オーバー。将来の夢は大きく科学者

中学2年生の時、地元の難関校、都立国立高校文化祭で見たクラス演劇に感動。

地元で最難関の都立国立高校に進学したい。そこでもう一度、リセットして再出発をしたい。」

今までだったら、このような生徒であっても、都立進学校に行くことができました。

それは、特別選考枠といって、募集定員の1割を「内申点を見ないで当日の筆記試験得点だけで決める」という枠があったからです。

この枠のおかげで、学力はあるけれども、病気、ケガ、イジメ……様々な事情学校に通えない時期があった中3生の多くが救われてきました。

不登校オール1の内申しか付かなかった生徒が、都立最難関の西高校合格したという例は伝説として語り継がれています

もう何年も前の話だけれども、この実話が、どれだけ多くの生徒達に勇気希望を与えてくれたことか。

私立中学校の数が日本一多い東京都。さまざまな事情から外部の高校受験希望する生徒も東京にはたくさんいます

そういう生徒は、外部受験意向学校に伝えると、嫌がらせのように内申点を大きく下げられたりすることがあります

残念なことですけれども、事実です。

でも、特別選考枠があったおかげで、救われてきました。

舛添前知事時代に突然廃止 多くの人達批判をまったく聞かず

それが、舛添知事の時に、突然に廃止された。理由は、「入試制度が複雑になりすぎる」「あってもなくても同じ」とかだったと思います

この制度がなくなった今、東京都内の多くの生徒達が本当に困っています

東京都には、本当に様々な生徒がいるのだ。内申点がなくても、卓越した能力を持つ中学生がたくさんいます

そういった生徒を一様に排除したのが、特別選考枠の廃止です。

ある生徒は唖然とし、廃止を知らなかった人の中には、泣き出す親子もいました。

東京都教育委員会電話をしてみました。困っている生徒がいるのだと。

反応はこうです。「現行の制度ではこうなので、仕方がない。」と。

では、救う手はあるのか。一つだけあります

それは、中学校には一切通わない、ということ。

たとえ中学校に復帰できる状態になっても、絶対に復帰しないということです。

なぜかというと、1度でも学校に行ってしまうと、その時点で、学校内申点が付いてしまます

内申点がついた時点で、終わりです。もうあなたは、学力相応の都立高校へ進学はできません。

1度も学校に行かなければ、内申点は付きません。判定不能です。こうなれば、高校側は内申点を除外して合否判定をしてくれます

舛添前知事特別選考枠を廃止した結果、今、東京都内では、実力相応の都立高校への進学を希望する生徒に、

中学校絶対に登校するな。1度でも登校すると、都立高校へ進学できなくなるぞ。」

指導しています

中学校に行きたいよね。復帰の意欲もあるもんね。

でもね。ダメなんだ。君は勉強ができる。だから都立進学校へ行って、たくさん勉強して、大学へ進学してほしい。

君が中学校に1度でも通った瞬間に、内申点が付いて、君の進学への道はすべて閉ざされるんだ。

ごめんね。ごめんね。

皆さんで東京都意見を出してほしい 都民ファースト公明自民、皆に声を届けたい

本当にひどい制度です。

そして、その制度を、都民ファーストの会公明党小池都知事は未だに継続しています

みなさん、ぜひこの現状をぜひ拡散してください。広く知ってください。

小池都知事都民ファーストの会の皆様、都議会公明党自民党共産党、だれでも構いません。

この状況が早急に変えられることを願います

ちなみに、都教委の意見箱はこちらです。

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/mail.html

センター試験地理って

基礎知識思考力で解ける良問多いよね。

自分理系地理あんまり勉強してなくてセンター模試だと最高でも60点代だったけど、センター本番の問題だと過去問も本番も8割以上取れてた。

そういう意味ムーミンのはすごくセンター試験らしい設問。

世の中受験シーズンなので

自分の頃のことを思い出した。二次試験で後期まで不合格で(後で前期は不合格Aと知りあーあとなったが)東京まで出て予備校に通うこととなった。

田舎にいてもだめだなと思ったからでこれは間違ってなかったと思う。大手予備校に入ったが、通学1時間ぐらいだったっけな。

予備校の寮には主となってひとがいてやべえなこのままと思った記憶がある。現に何浪もしわたしのあとにも何浪したので予備校に通えばいいというものではない。

予備校に通いだして危険なことが一つ。

可愛い女の子イケメン男の子、それも共通目的 大学合格にめざすこと がある人間が集うのだ。

新鮮な経験である。非常に危険である。疑似大学生活のように思ってしまう。

先に結論を言おう。

つきあったり遊んだりしてた人、ほぼ全員第一志望に不合格であった。

6月ともなると仲の良いグループができる。あほらし。

遊びに行ったりパーティーしたりしてたけど、おまえら受験生でそれも少なくとも一回失敗しとるぞと。

中学生の頃から仲の良い友人と一緒に行ったが、その友人はそっちのグループに行ってしまった。

嫉妬と思われてたみたいだが、勉強しないとやばいぞと伝えたくて色々言ったけどわかってなかったな。

ちなみに彼は第一志望には落ちました。

そのグループの中でも適度な距離をもってたひとはうまくいっている。

だが、地方男子校出身者とか舞い上がるに決まってるじゃないか

ライバルだと思ってたヤツがどんどん堕落していくのは見ていて辛かった。その彼は2浪したところまでしかきいていない。

グループちょっと参加してみたけどどうも馴染めなかった。

リア充への嫉妬なんだろうけど、自分にはもうあとがない・このままではやばいという危機感ばっかりで辛かった。

でもそのおかげだと思う。

浪人一年間は一番勉強したと思う.勉強か近くのまちの散歩と好きなラジオ聴くだけだったとはっきり言える。

そうしないと第一志望に通らないと思う。反論はあるだろうけど。

浪人なんてしても大したことはないと思う.でも脱するのはかんたんではない。

友人たちとは疎遠になったけれども、ここで距離をおいてよかったと思う。

受験生諸君に言いたい。ほんとに勉強だけしとれ。大学でたのしいことできるから。と

あと予備校に板書を写しに行くな。メモにして理解に努めろ。予習して問題を解いていけ。

きれいなノート合格の近道なんてない。読んで理解したつもりでももきっと問題は解けない。

自力で解けて初めて意味を持つ。

得意な科目なんてなくてもいい。苦手な科目をつくるな。

計画なんて建てなくてもいい。ひたすら目の前の問題を解け。

S台の東大実践模試問題の質が違うこともあるしかならずしもいいベンチマークではない.結果は出なくても大丈夫

しろ全国模試のほうが東大に近いと思うほど。標準模試全教科結果をだせればそれでいい。

調子とか相性とか意味のわからない言い訳をするな。それが実力だ。

神頼みするな。それはお前の努力がその程度の行動で変化するなんてことを意味する。

努力したやつはきちんと結果が出るからそれのみ信じろ

素直になって勉強しまくれば結果が出る。

志望の理由なんて崇高なものはいらない。行きたいから行く。それでいい。

ぜひ頑張ってもらいたい。

行きたい大学に行けば好きなことできると思うから騙されたと思って必死勉強してほしい。

くれぐれも友人作って遊びになんて行くなよ。そいつライバルからな。

しんどい

家では母親ルール

22歳になった今もそう

私はもう世間では自分で考えて行動する「大人」なのに

未だに私は母親支配下にいる

「家にいるなら家のルールに従え、嫌なら出ていけ」って言うけど

出ていこうにもその手段は与えず結局家にいるしかないようにさせる

私が遊びでもなんでも楽しそうにしてるとだいたい文句つけて辞めさせる

勉強してたってPCいじってれば「遊ぶな」って言うし

私が稼いでる金の使い道なんて私がどうしようと勝手でしょ

「遊びすぎ」「今まで散々遊んだでしょ」ってそれなに基準?それを決めるのは私だけど

遊ぶことってそんなにいけないこと?中高生でもないのに遊んでないで勉強しろって?

ダメものダメ」がうちのルールなんだよね

理屈理論なんて関係ない、全部母親基準

そういや怒られるときにそれがダメ理由言われたことないな

からそうだけど褒めてくれたことないよね

難しい模試で満点とっても「こんなので浮かれるな」

中学生カラオケ禁止高校生映画館禁止

部活いじめられて泣いて帰ってきても何も言わず相談すればろくに話も聞かず「お前が悪い」

かに挑戦しようとすると「できるわけない」

何も手伝ってくれなくていいから「頑張って」って一言くらい言ってほしかった

それでも挑戦して、たくさん勉強して、それを仕事にすることもできた

文句は言わなかったけど不満そうにしてた

私を否定して何がそんなに楽しいのか

母はどうしたいのか、何を考えてるのか全然からない、わかれそうにない

あと2か月で卒業から友達と離れる前にたくさん遊んでおきたいのに

また私を家に縛り付けようとする

部屋にこもって暇そうにしてると「やることないの、だらだらすんな」って言うし

私の周りが寛容な親の人ばかりなのかな

私もうなんで生きてるのかよくわからない

2018-01-14

anond:20180114132222

放課後集まって、

その日の復習やったり

次の日の予習やったり

する感じか、

苦手な科目は先輩に教えてもらったり

得意な科目は後輩に教えたり

そして、統一模試で各学校順位を競うのか

なにこれ、かなり良いじゃん

どうして俺が学生時代なかったの?

文部科学省役人ってアホなの?

6年間運動部やってたけど、何も役に立ってないよ?

2018-01-09

anond:20180108141730

ブックマークコメント見た。ありがとう

そういう、春分の日過ぎてからゆるっと動くのもアリなんだなあ。

なんでも親が先回りしてやるものでもないよなあと思う反面、

もし4年間住むとなるとコストも通い勝手も良い方がいいよなあと思ったりもするので葛藤

自宅外な志望校が、今住んでるところよりも明らかに規模の小さいマチなので尚更そういう心配するよ。

センター4日前、模試に行ったよ

2018-01-06

anond:20180105224147

この増田に乗っかって言わせてもらう。

俺は高3のころ医学部を志望していて、現役の時失敗して1浪、今は理系の非医学部に通っている。

現役の受験前はそりゃもうピリピリしていて、周りの成績や自分の判定や合否ラインばっかり気にしていて、

2chTwitter医学部受験者がこれ見よがしに貼る模試の成績表を見たり、知恵袋教えてgoo医学部志望者が「今の成績がこれくらいなんですけど、○○大の医学部どうでしょうか」とくだらない質問をしているのを眺めたりしていた。

今振り返ってよく考えると、俺も本当に医学部に行きたかったわけじゃないんだなあと思える。

自分の成績が医学部通用するか試したかっただけ。

この増田見て、久しぶりに受験のこと思い出して、ネットで成績貼ってる奴の何人が医学勉強したいと思ってるんだろうって考えた。

成績に振り回されて医学部に行かなくてよかったんだなあ、って思えた。

ちょっと学歴コンプあったけどほんの少し救われたような気がする。

2018-01-04

模試でD判E判を連発していた国医に推薦で受かってしまった

模試でD判E判を連発していた国立医学部に推薦で受かってしまった。

あえて国立医学部とまで書いたのは、普通国立医学部の推薦では順当に頭のいい人が受かるものから。推薦で受かった人は大抵一般でも受かると言われている。

しかし、一般で受からないような人間である自分がなんの因果か受かってしまった。

正直嬉しい気持ちはとても大きい。でも、それ以上に不安が大きい。

未来の同期は自分よりずっと頭がいいに違いない。自分より頭のいい高校医学部志望の同級生は、自分とは違う大学の推薦を受けて落ちてしまい、今頃必至にセンター対策をしているに違いない。

それに対して自分は、センター試験を受けねばならないか課題として与えられた問題集をしてはいものの、点数は下がっていくばかり。基礎がどんどん抜けていくのだから当然である

もう受かっているから頑張ろうという情熱も湧かない。大学に入ってからの為に先取り勉強をする気もない。後ですればいいじゃないか、と考えてしまう。こんなところでだらだらと文章を打っているのが、やる気のない証拠だ。

ただ冬休みを浪費してしまった。

大学合格するということは大学側が選んでくれたということだから自分にはその学科で学ぶ素養があるとみなしていいのかもしれない。しかし、一度こんなにだらけてしまった人間が、その後懸命に努力して人の命を預かる仕事ができるのだろうか。

不安は大きい。でもだらだらとスマホを離せない自分がいる。そしてその不安意味も無く文章にしている今。

明日から頑張ろう。頑張る同級生に失礼だ。でもそう思うことすら失礼なのかもしれない。受かったからには遊んでもいいのかもしれない。そう自分に甘い自分がいる。

頑張らないことは悪いことなのか③

https://anond.hatelabo.jp/20180104004215

↑これの続き

大学院コンプレックスを思い出させる闇の場所

さて、大学院に入った。大学院にはそこそこ期待されて、鳴り物入りで入った。

ここでもまた、いろんな先生方、同期からあなたはすごいねーなんでもできるのねと出来て当たり前攻撃だった。

家族にそれをされるのはなれていたが、その攻撃家族からうけるのは小学校以来でとても困惑たことを覚えている。10年経って、成長したと思っていたけれど、対外評価はあの時のままなのかと、泣きたくなった。

私の褒められたい病がここで顔を出すことになる。そして、大学四年間心の奥底にしまわれ存在も忘れてホコリを被っていた妹へのコンプレックスを見つけ出してしまうのである

その箱を明けてしまうことになってしまった出来事が3つある。(前の記事からナンバリングうまく行ってないとか言わないでください、めんどくさい)

1つは、妹から言葉である。何がきっかけだったか全くわからないが、姉貴は頑張ることが嫌いなのかと言われた。よりによって妹から。妹にしてみれば、そこそこ要領の良い姉がテキトー生活を送っているのが我慢ならなかったらしい。おめーが元凶じゃボケ

2つは、教員から言葉である。「あなたは、良い人だし、仕事もできるし、研究室のみんなも評価してくれてるけど、何か突出したものがないと外部に評価されないよ」と。ほんとそれ自分でも痛いほどわかってるから言わんといてほしい。あとはオブラートに包まずにつまんないよねと言われたことがある。その時父に昔模試の成績表を見ながら、全部の教科そこそこできてるんだけど何か秀でたものがないんだよな。つまんないんだよなと。こいつらほんとなんなんだ。オールラウンダーの何がいけないんだ。クソが。

3つめ。投稿した論文が通らなかった。大学院に入ってから誉めそやされていた私は、18歳までの人生で学んだ評価されない星の下に生まれたことを完全に忘れていた。論文が通ると思っていた。蓋をあけてみれば、ギリギリ通らなかった。そんでもって同期が通った。この事件で私は完全に評価されない星のもとに生まれてきてしまたことを久々に思い出し、コンプレックスの箱を開けてしまったのである

開けてしまったあと、一ヶ月ぐらい引きずったのだが、ひとまず箱は閉じることができた。だが、大学院では、自分は一人で頑張って何も手にできないのに、周りに助けられて、自分が手に入れられないものを掴み取っていく人間を見る。

結局、周りの援助を受けられないなか一人で苦しみながら頑張っても手にできないものを、周囲の大きな援助を受けた人間が掻っ攫って行くと知れば、そんなことが何回もあれば、頑張る気持ちは失せるというものではなかろうか。

頑張らないことってそんなに悪いことなのだろうか。

2017-12-23

恋愛セックスもしたことがない27才無職精神病患者の僕は、世間から馬鹿にされても仕方のない存在なのだろうか?

僕は27才の男性。今までの人生の中で異性と恋愛をしたことがない。また、風俗を含めてセックス経験も一切ない。

何でこうなったのか自分でもよく分からない。小学校中学校高校大学と、全て共学の学校にいたが異性に対して恋愛感情を抱けなかった。

もちろん、異性に好意を持つことはあったが自分の中で恋愛感情に発展することがなかった。大学生の時には女性の人数が男性よりも多いサークル所属し、女性の友人も少なからずいた。しかし、知人、友人という関係性が恋人という関係性に変質することは遂になかった。

大学を出てからはしばらく東京で働いていたが、持病の双極性感情障害悪化し、2年前から寂れた田舎実家で療養している。とは言うもの病気はそこまで重症ではなく、今は炭酸リチウムを1日2錠だけ飲んでいる。

僕は子供の頃から感受性の強い性格で、他人感情に極めて敏感だった。常に周囲の反応が気に掛かり、叱られたり、注意されたりする度に、心が病んでいった。完璧主義の面がある一方で、興味の対象が移ろいやすく、1つの物事を長期的に成し遂げることが困難だった。

実は高校の頃にこの病気発症し、高校1年生の時点で留年し、そのまま退学している。家で引きこもりながら、高認を取り、大学受験をした。はっきり言って、受験勉強は何もしなかった。いや、「しなかった」と言うより「出来なかった」に近い。とにかく長いスパンで、計画的勉強を続けることが苦手なのだ。塾も2,3ヶ月で辞めたし、予備校通信教育もまったく続けられなかった。今でもそうなのだが、机に向かって集中力の要る作業を長い時間続けることが、本当に難しい。一方で移動中の電車自動車の中や、テレビCM時間と言った細切れの空いた時間に、英単語を覚えたり、読書をしたりするのは問題がなかった。その傾向は今でも変わらない。

大学受験の時は暗記科目がまったく分からず、ほぼ白紙回答だったと思う。それでも、受験先が低偏差値の所だったので一発で合格できた。今でも基礎学力自分にないことに強いコンプレックスを持っている(学歴コンプレックスはあまり強くないと思う)。

とは言え、高校1年までの成績が悪かったわけではない。小学校中学校の頃は成績は良かったし、高校地元で評判の進学校に通っていた。数学は苦手だが語学、暗記科目は得意だった。高校の時に模試県内上位に入ったこともある。まともに学習行動ができない性分だったので、なぜ自分の成績が良かったのか、未だに分からないでいる。

最近は昼間でも寝ていることが多く、自分磨きもできていない。何度かハローワークに行ったが、受付でパニックになってしまい、何も出来ずに帰ってしまった。ひきこもりの人が集まるような場所が近くにあり、10回ほど通ったが、この1年はご無沙汰になってしまっている。皆、定職を持っていて、無職自分が惨めに思えたからだ。そこから事務的メールはしばらく続いたが、今年の春先にはそれも途絶えた。

唯一、まともに出来ていることは、夕食を家族振る舞うことだ。簡単料理だけではあるが、夕食は毎日私が作っている。鍋物煮物、炒め物、パスタの中から2,3品調理し、両親と3人で食べている。得意料理カレーライス麻婆豆腐。これからは魚料理にも挑戦して、レパートリーを増やすつもりだ。

両親は共働きをしているが二人とも正社員でないので、収入はきわめて低い。このままの生活で私や両親の将来が大丈夫なのかと不安になる。母は「将来の当てがあるから心配するな」と明るい調子でいつも僕を慰める。しかし、貯蓄もなく借金だらけの我が家のどこに当てがあるのだろうか?何度尋ねても具体的な答えはない。うっすらとした不安ぼんやりとした日常の中で少しずつ重なっていく。

最近童貞いじりや精神病患者ひきこもり生活保護受給者へのバッシング世間流行っているようだ。僕のような存在世間から馬鹿にされ、見捨てられても仕方のない存在なのだろうか?この一年程は、家族精神科医スーパーコンビニ店員以外と会話したことがない。何でもいいから僕に対する誰かの反応が欲しい。このままだと気が狂いそうだ。

anond:20171222232340

おれも受験生の時、そうだったよ。

からなんぞポケモンやり始めたりしてな。

同級生がメキメキ模試順位を上げていく中で、おれは「勉強しなきゃナ」と思い続けて

でもなんとなくポケモンやっちゃってた。

あれから10年経ったけど、集中力が続かないのは変わらない。

やっぱ大した大学には行けなかったけど、持ち前の要領のよさでそれなりに存在感出してたわ。

1%パースレーションと99%のインスピレーションで生きてきたわ。

それでもまあ、なんとかグダグダ生きては来れてるし、いっかぁと思ってるわ。

そんなのやだなと思うならば、まだ間に合うから東大に行ったほうがいいよ。

2017-12-13

模試の成績優秀者を卒業させなかった高校処分違法」 最高裁が初判断

 業者実施する模擬試験で優秀な成績を収めていたにもかかわらず、高校定期試験ボイコットしたために、卒業認定が得られなかった宮崎県延岡市の元生徒が、国を相手取り、卒業認定義務付けを求める裁判を起こしていた事件上告審判決が、13日、最高裁第一法廷であった。大谷直人裁判長は、判決理由で、「現在高校の設置目的大学受験進学の予備校」「高等学校学習指導要領有効性を失っている」「模試で成績が優秀な生徒を卒業させなかった校長処分裁量権の逸脱」と述べ、卒業認定合法とした福岡高裁宮崎支部判決を破棄し、生徒が所属していた高校学校長に、生徒に対する卒業認定義務付ける判決を行った。

 生徒は、平成26年、宮崎県延岡市宮崎県延岡高校に3年生として在籍。駿台ベネッセ共催模試河合塾東進予備校模試で上位の成績を収め、現役で東京大学理科Ⅰ類に合格した。しかし、「高校定期試験は役に立たない」として、定期試験ボイコットしていたこから卒業認定が行われず、東京大学入学できなかった。

 生徒は、「模試の成績優秀者を卒業させない高校処分は不合理」として、国を相手取り、卒業認定義務付けを求めて宮崎地裁提訴したが、一審は、「定期試験合格しない生徒の卒業を認めない校長判断違法はない」と判断控訴審である福岡高裁宮崎支部も一審の判断否定せず、控訴棄却されたため、生徒が上告をしていた。

 生徒側の弁護士の話。「最高裁判断現実合致しており、至極もっとも。裁判所から満額の回答が得られたことはうれしい限り。晴れて生徒も志望大の東京大学入学できることとなった。まことに喜ばしい限りだ。」

2017-12-12

田舎から「外」に出るのは男であるべきなのか

最近、深夜に起きているとよく流れているCMがある。それがこちら。

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キリン 午後の紅茶』「あいたいって、あたためたいだ。17冬」篇

https://www.youtube.com/watch?v=n2ii6Vyv5ME

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最初何気なく聞き流していて、「きれいな声だな」とか「スピッツの曲だっけな」とか、ふわっとした感想しか持っていなかったのだけど、よくよくCMを見てみると妙な違和感を覚えた。何だかこう、脳裏がざわつく感じがしたというか。

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CMの流れとしては、以下の通りだ。

・夕暮れ時。田舎の駅で電車を降りた女子高生が、ホーム自販機午後の紅茶ホットミルクティー)を買う。そのまま帰り道を歩く。

・歌いながら帰り道を歩くうちに、星の見える夜になる。立ち止まって、空を見上げる。

東京のどこか。高架を走る電車を見上げる、厚着の純朴そうな青年が映る。片手にはスーツケース

・再び女子高生。星空の下のあぜ道でスピッツ「楓」のサビを歌い続ける。

女子高生が鼻をすするカットの次には、青年が「会いたい」と呟くカット

・「あいたいって、あたためたいだ」のキャッチコピーとともに、商品の大きな画像。ここでCMは終わる。

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シーズン的には「大学入学きっかけに地元を出る青年と、彼を田舎から見守る女子高生」を示唆していると思う。「楓」のサビは「さよなら 君の声を 抱いて歩いていく」だが、映像からすれば「さよなら」して「抱いて歩いていく」と宣言しているのは女子高生だし、「君」のフレーズで映るのは東京に降り立った青年だ。とすれば、二人の境遇はそう考えるのが妥当だろう。

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CMの終盤、歌声けがフェードアウトして「会いたい」と呟く青年の声に被さるくらいの勢いで「あいたいって、あたためたいだ」のキャッチコピーが続くことでノスタルジー演出したいのだと思うのだけど、私はそう受け取ることができなかった。おそらく冒頭で述べた「違和感」のせいで。

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その違和感を簡潔にまとめるとすれば、「別に男だけが田舎から『外(敢えて都会とは言わない)』に出るわけじゃないじゃん?」ということになる。

※ここでは「女子高生は後輩であり、青年のほうが先に大学生になったのでは?」という単純な疑問はここでは置いておくとする。論点から逸れてややこしいから。

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何故そう思うかって、私自身が「田舎から『外』に出た女」だからだ。「外」に出て、もうすぐ3年ほどになる。

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私の出身とある田舎で、田んぼと畑と幹線道路に囲まれて育った。このCMに出てくるほどの田舎ではないが、まあたぶん「田舎」と形容して差し支えないだろう、くらいの田舎。どのあたりが田舎なのかと訊かれればいろいろと答えられそうだけど、特筆すべきは「保守的で閉鎖的」なところだと思う。

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それを自覚したのは高校生の頃だった。元々県外への進学を希望していた私は、模試で記入する志望校欄に地元大学を頑なに書かなかった。けれど、当時の担任は「第5希望でも第6希望でもいいから『とりあえず』××大学地元国立大)か△△大学(隣県の国立大)って書いとけ」と再三念押ししてきた。

最初不思議に思っていたが、周囲の友達志望校を訊くと、決まって「『とりあえず』××大学か△△大学かなあ」と返ってきた。その答えには男女差がなく、受験期になると滑り止めの私立がどこか訊いても県内私大短大名前を返されることが多くなった。

そもそも地元国立大信仰が強い傾向があって、それもある種のムラ社会の名残のようなものなのかもしれないけれど、だからってみんながみんなして目指す必要なんてなくない? というのが私の持論だった。模試にも進路希望調査にも地元国立大名前最後まで書かなかった。

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その後、私は第一志望ではなかったが県外の大学へ進学が決まり地元へは長期休み年末年始だけ帰省する生活が続くこと、1年と少し。「成人式出る?」「同窓会出る?」といったLINEが送られてくる季節になっていた。中学校単位で開かれる成人式と、高校同窓会。どちらにも出席はしたが、金輪際同窓会には行かないなと思った。単純に「合わない」と感じたからだ。

私が県外の大学に行くことは仲の良い友人たちくらいにしか伝えてなかったとはいえ、それ以外の「それなりに仲は良かったが連絡をしていない」人や、「元クラスメイト」ぐらいの人たちに会うたび、「いまどこにいるの?」と訊かれ続ける。「○○大学ってところ」と愛想笑いで答えるのにも骨が折れた。

久しぶりに会ったのだから普通質問だと思うかもしれないが、そうじゃない。田舎は閉鎖的だ。普通に暮らしていれば、どこかで知り合いに遭遇するのだ。ましてや大学生地元大学に通っていれば誰かしら中学高校同級生に会うだろうし、電車通学をすれば遭遇率はさら高まる。だから、この「いまどこにいるの?」は「『最近見かけないけど』いまどこにいるの?」という意味だ。何だこの怖い質問。そう訊いてくる人たちは大抵××大学か△△大学、もしくは県内私大に通っていて、「外」に出た人は一クラスでも片手で数えられるくらいだった。

それぐらい、田舎(というと主語が大きいが少なくとも私の地元場合から「外」に出る人は少ない。田舎保守的からだ。

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「外」に出た人間が偉いとか、田舎から出なかった人間が偉くないとか、そんな話をしているわけではない。ある友人は県外の大学に進学して馴染めずに今期休学を選んだし、彼女母親地元から一度も出ずに働いている。そんなのは人それぞれだ。

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感情に任せて書き殴っているせいで言葉がまとまっていないが、「『外』に出て勉学に励むのは男で、女は田舎に残るものだ」みたいな安直ジェンダー観を当該CMから受信してしまってどうにもならなくなってしまっただけだ。そんなわけない。「外」に行くのは女だっていい――――いつの時代発言みたいなこと言ってんだろう。勉学にジェンダー差なんて必要ないのに。

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全然上手くまとまらなかった。時間時間からか頭が回ってないのかもしれない。

これだけ書いたけどCM彼女歌声は好きです。

無気力人間記憶を辿る

最近仕事をやめた。

8時間労働と1時間の休憩、少しの残業と1時間通勤、それと出社準備の1時間

合計11時間が週5日あるのに耐えられなかったからだ。

一月に16万円ほどもらっていたが、溜まっていく一方で何に使えば良いかもわからなかったし使う気力もなかった。

人達給料をもらってエンジョイしているのに自分はどうもそれが不可能だった。

どうしてこんな人間になったんだろうか

自分記憶を改めて整理したい

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保育園時代

ほとんど記憶がない、踊りを披露する場があってそのときに着た衣装がとても寒かったこと、保育園に新しい園庭ができたこと、その園庭に蜂の巣ができてしばらく使えなかったことは覚えている。

小学校時代

3年生になったら強制的部活に入るのだが、習い事があるので入部を拒否した、しかし1年経って周りとの疎外感を気にされたのか強制的に入らされた覚えがある。

自分には合わないと言い続けたが辞めることが出来なかったので、習い事の日を多くした記憶がある。

体育や運動行事はとことん苦手だった、よく貧血で倒れていた、ヘラヘラしながら誤魔化していたが、実際はなんで自分はこんななのだろうと思っていた。

この頃から体育や体を動かすことが苦手になったと思う。

暗記するテストが苦手だった。10個の漢字を暗記して書く問題はいつも4個ぐらい間違えていたと思う。これで暗記が嫌いになった。

厳しい先生が居た、よく怒って棒で生徒の頭を叩き授業放棄する先生だった。待ってる時間は退屈だった。

美術の授業は苦手だった、何を書けば良いかからないし思った通りに絵を書いていくことができず苦痛だった、特に版画は最悪で居残りでなんとか仕上げさせられた。

友達関係はまあまあ良好だったような気がする、地元では珍しくPCネット環境を持っていたのが大きかったと思う。

PCのやり過ぎで親に何度も怒られた、その度にPCを取られていたのだが、自分友達を繋ぐものが取られて居るような気持ちで非常に辛かった。

中学校時代

この時も厳しい先生が居た。自分は字が汚いことでよく怒られていた。どんなに時間を掛けて書いても何も褒めてくれないので怒られるギリギリの字で出すようにしていた。しかし日によって怒られたり怒られなかったりしたのでもうどうでも良くなった。

部活吹奏楽をやっていた。練習ときはまあまあ上手い方だったと思う。肺活量の問題か音が小さいとよく注意されていたが適当に誤魔化していたと思う。

コンクールの後に反省会をするのだが、本番が終わると何も覚えていなかったので適当なことを言っていた。

音楽で歌う事があったのだが皆と音程が合わず口パクで歌っていた、大きな声で一人ずつ歌ってと言われたときは最悪だった。記憶から消したいぐらい。

木材で何かモノを作る授業があった、皆はうまく組み立てていく中、自分全然釘が刺さらず遅れすぎたためボンドでくっつけていた思い出がある。

普通の授業は良いのだが、体育音楽等が苦痛でついに不登校になった。

親や先生には理解されないだろうと思いながらもそれとなく言ってみたが良い反応が得られなかったのでとにかく行きたくないで押し通したと思う。

学校から厳しい先生が自宅に来て「なんで来ないの」とか聞かれてたけどお前に答えるわけはないだろって思ってた。

中卒は厳しいからとりあえず高校に行こうと言われたので教室には行かず勉強をして、自宅に一番近い高校入学した。

高校時代

普通に合格した。英語絶望的だったが…

特進クラス入学しないかという案内を受けた。部活に入らなくてもいいのは魅力だったが、放課後に補修があるというのでお断りした。

一瞬だけ部活に入った、同学年の人がほぼ居なかった上女子ばかりだった、1年目は雑用しかできないらしい、毎日ランニングして基礎トレーニングで終わったので1週間ほどでバックレた。

普通勉強は出来た方だと思う。歴史とか社会とかの暗記系は苦手だったがそれでもまあまあ出来ていた。しか英語絶望的だった、1年生の頃はまだなんとかなっていた。

2年生になると同時に自分は特進クラスクラス分けされた。補修が無理やり入る、課題が今までよりも多い、非常に辛かった。

数学教師も字に厳しい人だった。普段はある程度丁寧に書くのだが、定期テスト時間がないので適当文字になる、それに全てバツを付けられた。

数学は得意だったのに一気に嫌いになった。

模試の結果、英語さえできれば東大ラインが見えるとのことで英語教師がよくせっつきに来るようになった。

補修の回数も増えた、授業中当てられる回数が増えた。英語の苦手意識が高まっていった。

長期休みも補習があった。

合宿があった、朝から晩まで勉強だった。

嫌になった自分は2年生の途中でまた不登校になった。

また中学と同じ言い訳をした、担任にも学年主任にも平気で嘘がつけるようになって自分進化したなぁと思った。

単位制の高校だったので留年か出席かを迫られた。

から中退ではどこにも就職できないぞと言われた。

自分は退学を選んだ。

高卒認定を受けた。

専門学校時代

高卒認定かつ自分の体力で就職できるところがなかったし就職する気も無かったので、地元情報関係専門学校に行くことにした。

自分はわりと詳しいこともあり知ってるところも多かったし勉強は楽に出来た。

専門学校だけあって就職についてのサポートは充実していた。

自分は今までPCを触ってきたこともありなんとなくプログラマーになりたいと考えていた。

しかし具体的な会社を決める段階になると、本当の自分が働ける職場が無さそうな事が分かってきた。

先生説明する中で一番楽そうな会社に入ることにした、そこは8時5時で残業殆どないらしい。

筆記テスト小論文面接を受けた、適当な受け答えをしていたら内定を貰うことが出来た。

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本当のことを言って周りに相談していたら自分はどんな人間になってどんな人生を歩んでいたんだろうか。

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