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はてなキーワード: 模試とは

2018-09-13

anond:20180913143949

短文トップランカー 兼 予言者の俺を呼んだか?

現文は偏差値70ぐらいの高校で校内1位取ったな、模試も70以上が平均で1回81出したことがある。小論文は何回かお手本で掲載された。書類選考の通過率は9割越え、精神科IQテスト言語関係だけ突出して高い数値。

でも、安心してくれ、舌が追いつかないので喋りは糞下手、仕事評価微妙

2018-09-11

ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた

 小中は公立を出た。田舎に育ったので、レベルの高い公立校に行けない子がいく、レベルの低い私立高校を出た。で、適当に入れた私大入学した。その間、一切勉強しなかった。いや、一度だけ中3の一月に焦って受験勉強をした。もちろん間に合わず志望校は落ちた。が、少しだけ遅れて成果が出た。高1の夏の全国模試偏差値70を全科目で超えた。その後、全く勉強せず、遅刻サボりを繰り返して何とか卒業した。

 大学受験は家から一番遠いという理由だけで、大学を選んだ。入れた私大偏差値はたぶん50くらい。今は少し上がったらしい。

 中学の成績がいつも真ん中あたりだったので、自分偏差値50あたりの、いいかえれば「普通の人」だと思っていた。大学を出たあと、仕事を少しして、海外大学院を修士だけ出て、いま旧帝大博士課程にいる。その間、趣味でつくった文章編集者の目に止まるなどして、急に、環境が変わった。周囲の社会階層が上昇していって、いまは、いわゆる上級国民ばかりになった。友人たちは教授医者弁護士官僚大企業役員の子弟で、就職先は公官庁大企業ばかり。英語は出来て当然で、みなドイツ語フランス語もできる。ぼくは語学が苦手なので英語しか出来ない。あとはせいぜいギリシア語ラテン語辞書を使って読める程度だ。

 博士課程にいるが、学振に落ちたので、翻訳仕事などをして日銭を稼いでいる。先日、単身赴任から帰ってきた友人にあった。月収100万超の彼は飲み仲間で、バカ話をしては呑んで終わる間柄である。その中で、社会資本やら教育格差の話になった。なんとかしたいと思いつつも、何をどうすればいいのか分からない。

 大阪底辺中学校生徒の家庭教師をした友人いわく「家に本がない」子も多いと聞いた。当然、本棚もないのだろう。その家の子は、親からスマホの従量欲しさに殴られて、端末を取り上げられたこともあるらしい。

 大学全入時代というが、実際には、半分の人の選択肢しかない。偏差値など、その半分の中での曖昧な目安にしか過ぎない。しかし、そこに象徴される社会的分断は、想像しているよりも大きなものなのだ。たとえば「ラフマニノフ」と聞いて、ぼんやりとでも芸術関連のことばだと気付くか否かは、どうしても環境に寄るのではないか、と小説家の友人が言っていた。そうかもしれない。そういえば、ラフマニノフは一枚も持っていない。

 ぬるいオタクでもあるので、趣味仲間にはいろんな人がいる。それはすごく楽しい。同時に、恥をかくこともある。ネット仲間の知り合いで初めて会った人が「工場勤務です」というので、研究開発だろうと思って話していたら「ライン作業です」と言われてしまった。自分想像力の無さを恥ずかしく思った。

 親はよく「金がない、金がない」と言っていた。小4のとき引っ越してきた友人の家は金持ちだった。ずっと連絡していないが、誰もが知るPCサプライメーカー社長だった。また父親の友人に、趣味クルーザー釣りに連れていってもらったことがあった。父の友人には、ニューヨークの画商や官僚がいた。彼らに比べれば「金がない」という意味だったのだろう。たしかバブルの頃に、毎週、生け簀のある料亭で食べていたし、家にはマッキントッシュ真空管アンプが数台あった。祖父現金で、さらっと一億用意するのを見たこともある。ごく幼い頃の記憶だ。

 ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた。無論、何が普通かなどわからない。ただ努力をしないまま、適当大人になった。結果として自分が貧しくなることは覚悟していたが、それ以上に、社会崩壊していく速度のほうが速かった。社会資本がなんちゃら、教育資本がうんたらかんたら。ニュースで見かけ、たまに出会う、自分の「普通」とは違う人々について、チャラチャラと考える。何とか人の役に立てるようになれないだろうか。答えは出ない。

2018-09-08

社会資本教育資本が何ちゃらチャラチャラ

 小中は公立を出た。田舎に育ったので、レベルの高い公立校に行けない子がいく、レベルの低い私立高校を出た。で、適当に入れた私大入学した。その間、一切勉強しなかった。いや、一度だけ中3の一月に焦って受験勉強をした。もちろん間に合わず志望校は落ちた。が、少しだけ遅れて成果が出た。高1の夏の全国模試偏差値70を全科目で超えた。その後、全く勉強せず、遅刻サボりを繰り返して何とか卒業した。

 大学受験は家から一番遠いという理由だけで、大学を選んだ。入れた私大偏差値はたぶん50くらい。今は少し上がったらしい。

 中学の成績がいつも真ん中あたりだったので、自分偏差値50あたりの、いいかえれば「普通の人」だと思っていた。大学を出たあと、仕事を少しして、海外大学院を修士だけ出て、いま旧帝大博士課程にいる。その間、趣味でつくった文章編集者の目に止まるなどして、急に、環境が変わった。周囲の社会階層が上昇していって、いまは、いわゆる上級国民ばかりになった。友人たちは教授医者弁護士官僚大企業役員の子弟で、就職先は公官庁大企業ばかり。英語は出来て当然で、みなドイツ語フランス語もできる。ぼくは語学が苦手なので英語しか出来ない。あとはせいぜいギリシア語ラテン語辞書を使って読める程度だ。

 博士課程にいるが、学振に落ちたので、翻訳仕事などをして日銭を稼いでいる。先日、単身赴任から帰ってきた友人にあった。月収100万超の彼は飲み仲間で、バカ話をしては呑んで終わる間柄である。その中で、社会資本やら教育格差の話になった。なんとかしたいと思いつつも、何をどうすればいいのか分からない。

 大阪底辺中学校生徒の家庭教師をした友人いわく「家に本がない」子も多いと聞いた。当然、本棚もないのだろう。その家の子は、親からスマホの従量欲しさに殴られて、端末を取り上げられたこともあるらしい。

 大学全入時代というが、実際には、半分の人の選択肢しかない。偏差値など、その半分の中での曖昧な目安にしか過ぎない。しかし、そこに象徴される社会的分断は、想像しているよりも大きなものなのだ。たとえば「ラフマニノフ」と聞いて、ぼんやりとでも芸術関連のことばだと気付くか否かは、どうしても環境に寄るのではないか、と小説家の友人が言っていた。そうかもしれない。そういえば、ラフマニノフは一枚も持っていない。

 ぬるいオタクでもあるので、趣味仲間にはいろんな人がいる。それはすごく楽しい。同時に、恥をかくこともある。ネット仲間の知り合いで初めて会った人が「工場勤務です」というので、研究開発だろうと思って話していたら「ライン作業です」と言われてしまった。自分想像力の無さを恥ずかしく思った。

 親はよく「金がない、金がない」と言っていた。小4のとき引っ越してきた友人の家は金持ちだった。ずっと連絡していないが、誰もが知るPCサプライメーカー社長だった。また父親の友人に、趣味クルーザー釣りに連れていってもらったことがあった。父の友人には、ニューヨークの画商や官僚がいた。彼らに比べれば「金がない」という意味だったのだろう。たしかバブルの頃に、毎週、生け簀のある料亭で食べていたし、家にはマッキントッシュ真空管アンプが数台あった。祖父現金で、さらっと一億用意するのを見たこともある。ごく幼い頃の記憶だ。

 ずっと自分は金がない普通の家の人だと思っていた。無論、何が普通かなどわからない。ただ努力をしないまま、適当大人になった。結果として自分が貧しくなることは覚悟していたが、それ以上に、社会崩壊していく速度のほうが速かった。社会資本がなんちゃら、教育資本がうんたらかんたら。ニュースで見かけ、たまに出会う、自分の「普通」とは違う人々について、チャラチャラと考える。何とか人の役に立てるようになれないだろうか。答えは出ない。

偏差値基準に考えるアホがいるの?

その地方模試偏差値60取っても

全国模試だと偏差値55とかだったりする

母集団能力に左右されちゃうから偏差値ってあんまり意味がないよな

2018-08-31

全国統一防災模試って何だよ

馬鹿にしてんのか?

災害で遊ぶな

人が死んでるのだぞ

2018-08-09

低能消滅装置で消えるはてなブックマーカー

https://anond.hatelabo.jp/20180808164408

まずタイトルしか見えてない奴。

代表

sangping 連打したら何回目まで生き残れるかな?(1回目で死ぬパターン

知能指数運動能力社会貢献度など、総合的に人間能力を数値化」

「満30歳になった全人類を判定して、一定能力を持たない人間社会ゴミとして処分」と書いてあるのだから

最初の一回目は30歳以上の全人類ではあっても、生涯に一度のみ消滅する可能性があるだけだという設定なのは理解できていいはずだろう

また、ある母集団から平均未満を消して減った後の母集団から平均未満を消せば~、等と言ってないのは明らかでしょう

現に理解してるブクマカはいる。

death6coin IQって相対的に出すんじゃなかった?ISQ100未満を消したらIQ100以上からIQ100未満にする人が生まれて全滅?(増田のいうとおり満30歳に一回だけの選別ならそうはならんか・・)/自分増田に括弧内まで読まれいるか不安

ちゃんと読みましたよ。

余談ではあるが

(今後更新されない)過去統計データを用いて、各項目の評価点と年齢によってIQ評価をするならば、母集団が変わった所で評価は変わらない

仕組みについて詳しい訳ではないが、IQテストはその様な仕組みになっていなくてはならんだろう。

模試偏差値の様に、一回ごとに母集団から偏差をだすような検査では、時間をまたいだ結果の比較など出来ないし

任意タイミング任意個人IQ検査が行えず、発達障害治療などに影響が出る

「連打」など、起動ボタン複数回押す事を想定していたり、IQに拘っていたり、という様な誤認をしているブックマーカー消滅するだろうな

理解力のない奴

代表

udongerge いや最後まで読んでもタイトル以上の情報はなかったけど。

追記に反応しているので最後まで読んでくれた事には深謝するが、タイトルしか呼んでない馬鹿という言葉上記の「IQに拘らず、総合的な評価によって生涯に1回だけ判定される」という意図

読めてない事に対する追記であることは、あえて説明を追加しなくても人によっては分かっている様だ。この反応は理解力のなさを証明しているだろう。

ブルーカラーIQ低い系のコメントをした奴

代表

Androtest この世のブルーカラー仕事は全てロボットがやってくれると思ってるホワイトカラーの人かな? 50年後くらいならわからないけど……今そのボタン押したらブルーカラー仕事を嫌でもやらなくちゃならなくなるぞ

知能指数運動能力社会貢献度など、総合的に人間能力を数値化」と言ってるのだから、農工業水産業畜産業従事者はポイントが高いという事は分かるはずだ。

実際、それを理解しているコメントもある。ブルーカラーは頭を使っていない、という固定観念は頭の悪さの証明だろう。馬鹿では伝統工芸士は務まらない。

俺が想定しているのは、人事総務、会計営業広報などのモノを生産創造/開発/研究しない仕事従事している人の中で能力の劣る奴だよ。

役満

blueboy ゴミ掃除人・建設土方・外食産業……などの人がいなくなり、この世はゴミだらけ、公衆便所は臭くて、建設工事中で中止、昼食は弁当持参が必須……となる。/押す人が千人いれば、半減が千回。計算すると人類絶滅

真っ先に消えていくだろう。南無。

雑感

俺のIQに関するコメントや俺が消えるだろうという類のコメントは、それ自体はなんとも思わない。そういう反応が人間としては普通だろう。

消えていく人を慮るコメントは、人間力が高くていいと思う。そういう人は知能が低くても生き残って欲しいと思える。

星新一や他のSF作品に例えるなど別の話を連想したり情報提供している人は、発想が豊かで良いと思う。

あと、愛がゆく、は隠れた名作だと思うが、知らない人が多くて驚いた

父親が作者のファンだったもんだから、幼い頃に読めた俺は恵まれていたのかもしれない

hinaho 増田ってIQいくつなの?そもそもIQって気軽に測れるものなのかな

WAIS-Ⅲなどで検査をする事が出来る。有償ではあるけど気軽に出来るよ。

信じなくてもいいが、俺は中学生の時で147あった。

現在アラサーで、IQに見合っているであろう学歴職業年収だろうとは思うが、もう少し上手くやってる奴もいるだろうね。

人を育てるのって面白い

今教えてる子の模試の結果がどんどん良くなっててめちゃ楽しい

自分が指示した通りの勉強法で結果出るのは、自分テスト攻略してた頃よりもさら楽しい

ゲーム的楽しさがあってかつお金にもなることって、リアル世界にも色々あるんだな〜。

他にも探してみよ。

2018-08-03

医者になれなかった(元)女子ぼやき

はじめに

大学(※1)の医学部入試問題について、どうしてもぼやきたくなった。

あくまでも個人意見ではあるが、随分と乱暴意見だとも自覚しているので、その所予めご了承ください。

あと、これは個人の雑感なので、読み易さは期待しないで下さい(※2)。

最後に、二重括弧で脚注付くって言うからせっせとつけたけど何故か脚注付かないので、手打ち脚注を付けました。もしもミスを見付けても、この間抜けについてはどうか(鼻で)笑って許して下さい。

※1:伏せる意味は欠片も無いが、様式美だと思ったので付けた。他意はない

※2:(意訳)クソ長ェ意味の無い文章が続くけど素人感想文だから許して下さい

増田について

ごく普通田舎(※3)生まれ田舎育ち。

基本的には親戚含め概ね一般家庭であるが、父親とイトコと義大叔父とがそれぞれ医者という、何故か不思議な縁がある。(※4)

タイトルの通り、本人の性別は女で、そして医者では無い。既に女子と名乗る年齢は過ぎたので、(元)女子コメント一言

※3:七大都市圏外に生息。県庁所在地ではあるが、当県には新幹線が通っておらず、未だに女子は親元にいて当然、みたいな思考がまかり通る程度の田舎

※4:何故か世代ごとに一人医者がいる。所謂、偶然の産物

ニュース(※5)についての感想第一声)

「まぁ当然じゃない?何で叩かれてるの?」

※5:伏せる意味は欠片も無いが、様式美だと思ったので付けた。他意はない(二回目)

増田医者になれなかった理由

入試を受ける許可が降りなかった』ので『医学部受験が出来ず』に『医者になれなかった』『元女子である

因みに偏差値は何とか足りてた。まぁ何とか、レベルだったのでもしかしたら国試に受からずに医者になれなかった未来もあるかもしれないが、そこは今は割愛する。

入試を受ける許可が降りなかった話

ただの自慢だが、高校二年の頃までは、随分と増田の成績は良かった(※6)。

高校一年までは、まだどうなるか分から模試の結果にも志望校にも何も口を出さなかった親が、二年最初模試の結果を渡した時、初めて話し合いの場、というものを設けられた。

結論から言うと、増田はその話し合いを経て『医学部を受けない』事を確定した、という話である。(※7)

事の次第はこうだ。

その模試の結果が返って来たその週末、『模試の事で話したい事があります』と親子三者面談が行われることとなった。

滅多に家に居ない父親がわざわざ昼から家に帰って来ての三者面談であったので、非常に緊張もしたし、内心『エライコッチャ』と思った。

先の通り、まだその頃(※8)は別段叱られる様な成績を取っていたと思っていないので、何故呼び出しを受けたのか分からない、という混乱もあった。

「こないだの模試の事なんだけど」と、母親が口火を切った。

「この志望校は、どういうつもりで書いたの?」

その時まで、得点偏差値といった所について怒られるものとばかり思っていたから、返答が「へぁっ?」という間抜け極まった返事になった。この面談が何の為に行われているのか、全く理解が追いつかなかったのもある。

娘の間抜けな返答にに、両親は特に叱るでもなく、母は言葉を重ねた。

増田あなた医者になりたいの?」

母の指先が示していたのは、志望校の欄に書かれた、地元医学部の欄であった。

「いや、そういう訳では…」

それまでのほほんと『まぁ今の偏差値ならこの辺りの学部書いとけばいいだろ』と志望校を書いていた増田は、母親言葉で『自分が本当に医者になりたいのか』という事を初めて、真面目に、考える事になった(※9)。

我が家勤務医であったので『実家病院を継ぐ為に、何が何でも医者にならなければならない』という家庭の事情も無ければ、『パパみたいにおいしゃさんになるのー!』みたいな可愛らしい夢も無く、『医者になりたいのか』という問いに悶々と悩んだが、すぐに答えが降って湧いて出る訳も無い。

いつまで経っても(※10)返答をしない増田に、母は再度口を開いた。

「じゃあ先に、私達の意見を、聞きなさい」

うろうろとテーブルの片隅に置かれていたコップの辺りで彷徨っていた視線をふっと上げると、母の強い視線に当てられた。残念ながらスローモーションにならなかったが、それでも随分と怖い顔をしていると思った。

「定年まで勤める覚悟が無いならば、医学部受験は認めません」

それまでずっと黙っていた父親は、やっぱり黙っていたけど、母の言葉追従する様にうんうん、と首を縦に振っていた。

※6:大見得を切った。自慢して歩ける程良くは無かったが、教師や親から叱られる程悪くも無かった

※7:(意訳)クソ長ェ意味の無い文章が続くけど素人感想文だから許して下さい(二回目)

※8:何の反動か知らないが、この話し合いの後一切勉強をしなくなったので、その後当然成績は真っ逆さまに落ちた。高校二年の頃まで、と書いたのはそのせいであ

※9:人生舐め過ぎである

10:とはいえ、今考えても三分も経っていない。カップラーメンは待てても娘の返答は待てないらしい

医者になるには、という話

両親の主張は、主に二点であった。

借金と返済の問題

医学部、それも国立医学部に入る、という事は、日本国民から借金をする(≒投資を受ける)と同義である

これは防大についても同じ事が言えるが、極論、医学部学生というのは『将来的には国益になる』と信じられているから、通常よりも多く『投資を受けている身分である

原資は何か?当然、国民血税である。その投資を受けた以上は、医者になったならば、労働を通して国民へ返さねばならない。

医学部に入って6年、専門を決め、安定した独り立ちをするまで更に数年。

10年近く投資を受けるのだから、同一年数は働かないと、その投資に見合った返済が出来たとは言えない。

最低でも46歳、そこまで働く気がないなら、税金泥棒になるのだと自覚しろ、と締め括られた(※11)。

資質問題

『どこでも眠れる』『すぐに眠れる』『すぐに起きれる』『寝溜めが出来る』の何にもかすっていない増田には向いていない。増田はどれも欠落しているか資質が無い。とばっさり切られた

何を想定しているか?無論、当直時、あるいは緊急時即戦力として対応出来るか否か、という事である

尚、緊急時には『有事』も含むからな、国立大卒なんだから当然、とも言われて、己の命の使い方も本気で考える羽目になった。

11:据わった目で『国益』という単語が出た時に、九州女性の腹の括り具合怖ェ、って思いました(感想文)。尚、両親は特定の党も支持していなければ、右の話も左の話もした事が無かったので、余計ビビりった

試みた細やかなる反論と、切り捨てられた回答

・私よりも成績の悪い医者が生まれるかもしれない(※12

→最低限の国資を通った以上、四十歳半ばで辞める優秀な医者よりも、定年まで働く普通医者の方が国益に勝る

看護師女性が大半だけど回ってる

→総数比を考えろ。数が少ないという事は、医師一人に対しての負担看護師比率分だけ上がると自覚しろ

別に定時で帰れる様な小さな病院に勤めれば良くない?例えばアルバイト医師(※13)とかさぁ

→甘 え ん な 阿 呆 (※14)

12自分がドベの成績で国試に受かるかもしれない、という思考を持たない愚かな小娘の僅かばかりの抵抗

※13:その当時、我が家の父は副業で日勤のアルバイト医師もしていたのでそういう発想に至ったのだが、若い頃はアルバイト医師として当直ばっかりしていた為、余計家に帰って来れなかったそうである。そりゃ人が居ない時間を埋める為のアルバイトであるんだから当然である

※14:地雷を踏んだ

終始大半を黙っている父親と、それを取り巻く家族の話

さて、以上の話は全て母親が話をした。

父親はずーっと『そうだぞ』とか『お母さんの言う通りだ』とか、合いの手しか入れなかった。

口下手、というのもあるが、彼は『父親ではない』というのが大きな理由である

一行で起こったこ矛盾であるが、彼は『生物学上における父親であるが『家族構築関係上における父親』でない、という人なのである

私が幼い頃、まだ医局という所は随分と力があり、若手医師の勤務先は医局の鶴の一存で決まる様なレベルであった。ペーペー医師である父は一週間の大半は家にいなかったし、弟は帰ってきた父親父親だと理解出来ず、抱かれた瞬間火の点いた様に泣いた、という古典的エピソードである程、家に帰ってこなかった。

ペーペーを脱しても主流医師でない(※15)父は、時には単身赴任も交えながら、随分と家から遠いあちらこちらの病院転々としていた。

結局、父親我が家根城に出来る様になる頃(※16)には子供達は反抗期を迎え、ちっとも父親として接していなかった父親は、子供とどんな話をして良いのか分からない、という状態に陥っていた、そんな時期がこの事件の頃合いである。

所謂、『仕事人間家族と関わって来なかったお父さんが定年を迎え、家族との接し方が分からない』という状態になっていた為、結果娘に何と言えば良いのか分からなかった、というやつである

彼がそうなった原因の一つに『田舎医者が少ない』という点がある。

圧倒的に『全体数が足りて無い』が故に、『一人当たりの当直数が多く』なり、またそういう人数が少ない病院ばかり転々としていた(※17)のも相まって、父親はいだって住まい病院です』みたいな生活を送っていた(※18)。

たまに家に帰って来て『今日はお父さんが帰ってきたから、家族四人で外食に行こう!』となっても、たった二時間もしない食事最後に彼のポケベル(※19)がけたたましく鳴り、家族団らんが解散になった事は数えきれない程あった(※20)。

当然、盆暮れ正月関係無く、少なくとも我が家帰省冠婚葬祭も含め父親を交えて一泊二日以上の旅行に行った事が無い(※21)。

そういう訳で、我が家は常に『母子家庭』と同等であった。何せ基本的家族行事に、父親はいだって居ないのである入学式卒業式も発表会も、父親がいた記憶が無い。

幸いにして母親専業主婦ではあったが、代わりに田舎ならではの『旦那(=増田父親実家の面倒』を見るという仕事はあり、最近流行り(?)のワンオペを当時より当然の如く強いられてきた。

別段その事については特に思う事は無かったそう(※22)だが、そういう母を間近に見ていながら『私の仕事の穴を他の人が埋めてくれれば良くない~?』みたいなニュアンス発言を娘が行った(※23)のは、流石に看過出来なかったらしい。

という事で、此処からは若干説経と、あと当初の想定通り偏差値について幾ばくかの説経が入ったので、ここで一端幕を降ろす。

※15:と父親本人が言っていた。本当の所は知らない

※16:医局の力が弱くなってきた事と、勤務先について本人の希望を汲んで貰える程度には中流層に入った頃合い

17:「していた」のか「させられていた」のかは、今はもう分からない

※18:一度だけ父がインフルエンザに罹った時に、『入院していい?』と聞いたら、師長さんに『(いつも病院生活してるんだから、)病気先生の面倒まで見たくありません』と断られ、そのまま家にいた母親に迎えの要請電話が来た(実話)

※19:少なくとも、私が小学校を上がる頃まではポケベルが主流であった

20とある店に行くと、なぜか謀った様に毎回毎回鳴るので、仕舞いには弟と『今日ポケベルが鳴るか鳴らないか』という賭け事(掛け金:翌日のオヤツ)をやっていた(※現金の絡む賭博行為違法です)

※21:いわんや海外旅行をや

※22:父と結婚するにあたり、ワンオペ育児を行う事になると重々言い含められ、了承の上の結婚だった、と後に語る

23自分の穴埋めをしてくれる人(=他の医師)を全力でバックアップする人間(=その医師家族)に対して軽視し過ぎであり、礼を失した態度である、というお怒り

後日談

その後、別日ではあったが、もう一度話をされた。

その時に言われたのは、

増田が本当に医者になりたくて且つ子供も欲しいなら、孫(=増田の子供(※24))が一人で留守番が出来る年齢になるまでは私がフォローする。私の体力が追いつかなくなったらシッター代も出す。だからそれも踏まえた上で、自分が『医者』になりたいのか、『母親』になりたいのか考えろ

・ただし、その場合増田就職は(地元)県一択になるだろうから、そこを前提に考えろ

田舎から出ていきたいと思うなら、専業主夫になってくれる男性結婚か、或いは子供を持たない夫婦二人暮らし選択する事になるが、家事労働を金で買うかのどれかだが、そういう考えに賛同してくれる相手は数が少ないと心得よ

医者になる幸せと、(増田)の人生幸せ(※25)と、よく考えてから志望校は決めなさい

そういう話をされ、『そこまでして医者になりたいか?』と考えた結果、以降増田志望校から医学部名前を書かなくなった。

24:結果として、母親の想定年齢を超えても増田は一人身だし当然の様に孫も産んで無い為、このくだりを書きながら無駄な気苦労をさせてすまない…、という気持ちで一杯である

※25:生活力の無さを見抜かれた上での発言であり、別に子供を産むことを推奨はしていない。30歳を超えたある日、電話口で母に『孫いなくてごめん』と謝ったら『子供なんて、居たら居た形の幸せがあるし、居なきゃ居ない形の幸せがあるんだから比較も出来ないし、(母)に謝る事ではない』と叱られた。本当にすみません

第一声について

此処まで書いてこんな事を言っても信じて貰えないだろうが、別段増田は『女性医者になるな』と主張したい訳ではない。

ただ、医者になりたいのであれば『自分が誰に投資をされたのか』という事を忘れないで欲しいし、その投資に対して最低限ペイをする気が最初から無いならば、その道は他に譲ってくれないだろうか。(或いは、現場医師ではなく、研究職といったルート選択するとか、兎角ペイを出来る道筋を立てて欲しい)

そして、医者の総数が少ない以上、途中で辞めてしまう優秀な医師よりも定年まで働いてくれる平々凡々な医師の方が有難い、と思う程に、医師の少ない地域があるのだ、という事実に少しで良いから目を向けて欲しい。

産休・育休をしても尚女性医師が長く働ける職場を、と言うならば、お互い様精神で、男性医師だって同じ様に休ませて欲しい。女性医師休みは認めろと声高に叫ぶならば、同じ様に男性医師にも同じ期間だけ育休を取得する権利を声高に叫んでくれ。

女性妊娠出産するから優遇されて当然でしょ!』ではなく、女性であろうが男性であろうが同じ様に当直を行い同じ様に休みを取り同じ様に昇給して同じ様に家族との時間を持てる様にと主張して欲しいだけである

が、現状、当然比較論ではあるが妊娠出産を機に投資に見合ったペイもせぬまま医者を辞める女性は多く、その穴埋めを男性医師が当然の如く行っている以上、男性下駄を履かせたり、女性を少なく取ったりしたって『当然だよなぁ』と思うのである

少なくとも、医者になりたいし母親にもなりたいの!と思うならば、実家フォローパートナーフォロー(※26)/民間(例:シッター)のフォローなど、両立出来るだけの道筋を立てられるかどうかを、一度考えてみて欲しい。

※26:我が家場合は『奥さんに丸投げ=パートナーフォロー』なので、真面目に女医を成立させるならで自分の代わりに家庭を全て回してくれる人を探す案をおすすめしたいし、現状それで男性医師の家庭は回っているのだから女性医師が真似ても上手く回る例なのでは?と本気で思っている

当該の迫害されている女性医者(或いは医学部志願女性)では無くて、けれど『女性差別だ!』と怒れる方へ

まずは一人一人が己の健康を顧みて、医師負担を減らす事で、医師仕事量の総数が減り、結果男女共に産休・育休を取りやすくする事を目指しませんか?

具体的には

・無茶なアルコール飲酒をしない(急性アル中患者を減らす)

・無茶な運転をしない(交通事故患者を減らす)

・日々歩く、と言った最低限の健康管理を行う(成人病リスクを下げる)

・(今のシーズンだと)熱中症予防をきちんと行う(急患の数も減らし、重篤熱中症患者を出さない)

予防接種を受ける(風疹騒ぎ、よもやお忘れではあるまいな…?)(※27)

健康診断を受ける(数年に一度脳ドッグオプションを付けたり、市町村区フォローしてくれるガン検診を受けたり、早期発見早期治療を目指す)

みたいな。

少なくとも、そういうフォローの仕方もあると思うので、ご一考頂ければ幸いです(※28)。

※27:予防接種については、医学的に受ける事も出来ない人(例:妊婦風疹ワクチン)もいるのだから、少なくとも飛沫感染・蚊を媒体にした血液感染系の予防接種医学的に問題が無いなら受けて欲しい。接触型感染である子宮頸がん、みたいな類のワクチン医師家族相談の上自己判断で良いと思うけど、少なくとも不可抗力他人うつしてしま可能性があるならば、皆で予防する、というのは基本的な事ではないか

28:これ、医者に限らず例えばサービス業に対しても同じだと思うのですが。と申し添えておく。お金も払わずサービスだけを求めるのを止めて、サービスに見合った対価を払うか、或いは対価を払いたくないのであればサービス求めないとか。まずは等価交換が基本でしょう?

おわりに

この間、実家に帰ったら父親にぼそりと『(増田)を医学部にやれば良かった』とか言われた。

オメェ、あの時散々反対したじゃねーかよ。と殴ろうかと思ったけどやめた。

属性医者』をようやく辞める事が出来た彼は、ようやく『属性父親』の練習を始めたばかりであり、目下家族との対話練習中なのであり、まだまだ足りない日本語(※29)をフォローし、行間を読む日々は続きそうである

※29:我が父は日本語も下手だし自力で読解出来ない文字を書く為、転々

2018-08-02

裏口入学東京医大入試女子の点数を一律減点

さっきテレビでやっていたが裏口入学を調べていく過程で判明したらしい。

筆記試験の点数は女子を一律減点し、二次試験小論文男子の半分以下しかさなかった。

医大合格者の女子男子を上回った次の年に女子合格率が激減それから横ばいだったとか。

75.2%の女医育児の主な担い手をやっているので医者として男より役に立たないと言う理由らしいが受験生に知らせもせずあまりにも酷い話だ。

コメンテーター女医模試の上位に女子が多いし、医大志望も多いのに女子が少なすぎておかしいとずっと前から皆言っていたとコメントしている、裏口試験捜査過程で判明しただけで全国的医大はこの男女差別を行っているのかもしれない。

2018-07-24

模試受けてみればわかるけどさ

平均的な高校生って全然勉強してねえのな

2018-07-20

10年ほど、実家を燃やす計画を立てていた。

10から20代にかけて、およそ10年間、「実家放火して親を焼き殺す」計画を立てて過ごしていました。

本気でした。警察本部に売っている「捜査幹部必携」という専門書も入手して、焼死の際の事件性の有無の判定基準まで学びました。

刑務所には入りたくなかったのです。現代火災現場検証では油が出火もとであればすぐに反応が出る、例えば首を締めて殺した後に火をつけたとしても、肺の中に煙が入っていない(呼吸をしていないから)ことで事件性はすぐに明らかになる、といった内容が載っていました。難しいな。何回も計画を練り、材料を燃やして検証し、でも、実行には移せずにいました。

物心ついた頃から虐待を受けていました。貧困家庭でした。年収200万円の5人家族。その中には、血の繋がっていない人も何人かいました。

思い出したくもありません。口減らしにと、真夜中の山奥に車で連れて行かれそのまま放置されたこともありました。パチンコ狂いの義父が負けて帰ってきて、私のゲームボーイを取り上げて遊びながら私をサッカーの球に見立てドリブルしてきたこともありました。

食べ物はありませんでした。砂糖に一滴の水を垂らしてレンジでチンすると水飴になるのでそれを食べていたのですが、バレて砂糖を隠され、近所の猫のカリカリを食べました。あれは不味かったです。ハムスターの餌の方が美味しかったです。植物だとツツジの花がほんのり甘くて美味しいと思いますスミレの花も味が薄いので悪くないです。

ある時のドリブルで腰の骨が折れたことがあります。ベッドで動けない私を見た母親は、髪の毛を掴んで綱引きのように引っ張り、私はベッドから転落させられた末、殴られました。ちょうどお盆のことでした。他の家族は私を置いて旅行に行ってしまいました。私は這いずり回りながら、砂糖を探して食べました。帰ってきた母親に折れた腰のまま土下座をして、ようやく医療機関に連れて行ってもらいました。私の足は今も一部がしびれたままです。

紺色の服と白い服しか持っていませんでした。当時流行していた「ベティーズブルー」といった鮮やかな色の衣料とは無縁で、惨めでした。義父は自分が稼ぎが少ないのが気にくわないのか、常にコンビニ店員やガソリンスタンド店員タメ口命令していました。かわいそうな、あわれな大人だなと思いました。

長女でした。何度か「父親」が代わり、下の兄弟が増えていき、一番最初父親に顔がよく似ている私はことごとく除け者扱いされました。

抱っこされた記憶があまりありません。おかげで、25歳ごろになるまでは、交際した男性にも「触らないで!」と要望していました。なにしろハグの仕方が分からないのです。手を繋ぐのも怖かったのです。

自宅では、他のきょうだい名前で呼ばれる中、「ゴミ」と呼ばれていました。劣等感の塊でした。小学3年から自殺未遂しました。

数回やってもなぜか生きています。きっと、覚悟がなかったか死ねないのでしょうけれど。

そんな日々で、唯一自尊心を満たしてくれたのが、学校テストの点数でした。良い点を取れば、認められる。認められたい。なんでも良いから。なんでも良いから認めて欲しい。だから、狂ったように勉強しました。河合塾主催模試上位者ランキング名前が載りました。トイレでも、お風呂でも、ご飯最中勉強していました。

志望校に落ちました。「ちょっとだけ頭がいい方」くらいの、赤本を一度も解いたことがないような滑り止めに進学しました。

その時も本格的に自殺未遂しましたが、死ねず。その学校に通い始めました。

しかし、なんにせよ、実家から脱出できたのは本当に大きかったです。

都内家賃4万円のアパートを借りました。保証人欄には、今は行方の知れない実父の名前を書きました。奨学金は容易に掛け持ちできました。機関保証給付です。アルバイトは3箇所ほど常勤で入り、当時規制がなかった日雇い派遣案件をこなして生活費に当てていました。

ちなみに4万円のアパート、壁が薄くて、外で住人が階段を上がる音がするたびに、かつて母親がそうやって暴力をふるいにきたとき足音を思い出してしまいしばらくは安眠できませんでした。

もともと家に居場所がなかったため、学校ではずっと社交的で行動的なキャラクターを演じ続けていました。表面的な友達がとにかく多いタイプでした。親友はできませんでした。

それが功を奏してか、大手マスコミ内定を取ることができました。

初任給が、かつて私が育った家庭の2.5倍ほどありました。

5人家族で200万円だったのが、1人で500万円です。

お金の使い方が分からないので貯蓄してばかりですが、ずっと入れなかったファミレスの「ジョナサン」などに行くようになりました。

付き合いの宴席も多く、クレジットカードはあっという間にゴールドになりました。

そんなさなか、私はある病気発症しました。

PTSD

心的外傷後ストレス障害とも呼ばれるこの病気は、辛かった日々が急に頭の中でフラッシュバックし、同じような苦痛を感じる、というものです。私は毎晩、義父にドリブルされる夢や、母親から階段で突き落とされる夢、10代の私が苦労して貯めたアルバイト代を母親が奪い取って美容整形に行って顔が変わって帰ってきた時の夢、そんなものばかりを見ました。

次第に不眠になり、虐待関連のニュースでも吐き気がするようになりました。マスコミ勤務でそれは困ります現場では頓服を飲みながらかなり無理をしています。この無理ができなくなった時、私は職と社会的地位を失うと思います

10代の時は貧しくて憎かった。20代就職し、富を得ても病気で常に苦しめられた。だから元凶実家を燃やしたい。ずっと、ずっと思っていました。

実家を燃やしたい」から「どうでもいい」に変わったのは、最近のことです。

私は発病から5年以上が経過しました。一生病気と付き合って行くと思います。そんな中で、憎しみと怨念を抱きながら暮らして行くのは、もう疲れました。

そう、疲れたんです。

幸いにも今、「あなたから話せる情報なんだけど」と仕事に役立つ情報提供してくれる人も増えています結婚はしていませんが(結婚話は、元彼との間で一度でました。親の話などが出てくると、とたんに受け付けなくなってしまって、衝動的に別れを告げました)、結婚もありかな、と少しずつ考えることができるようにもなっています。今の生活を守りたい。それだけ、それだけなのです。

故郷役場に行って、あの家庭の戸籍から私の名前を抜いて分籍しました。頼る家族はいません。正真正銘、ひとりです。

精神疾患を患った我が身のみが頼りです。

これで、よかったんですよね?

2018-07-17

遂に私も小特免許をとった話

どうでもいい増田だけど、今日久々に運転免許試験を受けに行って、小特免許をとった。中型限定ゴールド免許をわざと失効させて(バカ)ぷらぷらフリーダム(すぎた)を謳歌していた私だけれども、また公安委員会に捕捉されに行った。官憲は恐いところである。なにせ免許証の写真犯罪者のようにばかり写ってしまう。山田まりや美人には写れないのではないか

ともかく、かつて二俣川原付免許をとったときは同室の小特受験者に羨望の眼差しを向け、その後日、普通自動車(当時)の免許もとってしまたから「もう一生小特はとれない」と泣いて諦めていた日々。その日が遂に私にも来ようとは! とは!!

小特はロマンだ。フルビットを目指す人々の登竜門である

いや、こっち雪国なんで、これで小さな除雪車だったら運転可能になるんでいざというとき助かるんだなこれが。

それに、三輪自転車上位互換版として、小型特殊活用して買い物に行きたい! 生活道路タラタラ自転車並み(いやそれ未満じゃないか?)で走っていたらめっちゃ福祉感!(近頃たまに見かける、実際)

ちなみに、普通自動車免許とかをいきなりとろうと思っている人(学科試験受けたことない人)の模擬試験としても最適だと思う。原付技能講習があるので高価だし面倒だが、小特は学科だけ。いずれにせよ、普免受ける前に小特と原付で2回学科試験を受けてみてもよいと思う。原付模試代わりに受けた人間が言うけど、オススメ。超オススメ。で、「何あの人、ウッソー」とか後ろ指さされて大人気になる可能性あり。

それにしても知ってはいたけどまた改めて見たけど、普免の学科に落ちる人、けっこう多いのねー。合格ラインが厳しいもんね、運転免許試験って。

2018-07-09

anond:20180709091337

そんなことはないよ、増田君。君が自分は出来ないと、そう思い込んでみるだけ。

模試受けてみようか? それで本当の自分を確かめようよ。

2018-07-05

恋愛は少なくともメンヘラとは両立できなかった話

 本文をうっかり読んでしまうのは時間無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。

 これは一人のクソ女の自分語りだ。

 多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクション小説好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。

 文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。

 特に意見アドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。

 そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。

 石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。

 それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう

 さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。

 私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレ中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。

 親に無理矢理突っ込まれ進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。

 結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試きれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校受験して合格した。

 妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。

 彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。

 彼は誰にでもそうする人間だ。

 そういう人間を私は好きだと思った。

 高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。

 彼は時折、家族が留守にしている放課後休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車こいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。

 彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。

 たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だから地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。

 いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。

部活大会模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。

 関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。

 私は学校へ行けなくなったというより、身体が動かなくなった。

 鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校卒業も危うくなった。彼のメール無視し続けた。友人たちのラインブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。

 音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センター保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。

 高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。

 私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像はるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室卒業式をやってくれた。

 さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。

 私は全くもって元気では無かった。

 恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。

 人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。

 そういうことでお付き合いは継続されることになった。

 彼は大学入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。

 私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死家族説明し、ひたすら精神科に通った。

 彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。

 彼はサークルが忙しかった。理系から男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。

 私達はあまり会わなくなった。

 彼は学業を、私は治療を、お互い頑張っていた。

 彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。

 色々なことがあった。

 死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。

 私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。

 退院してからはまた酒を飲んで眠るだけの生活をした。

 そんな状況を医者は許さず、私は精神科閉鎖病棟入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。

 入院生活幸福だった。

 看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。

 母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。

 少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。

 これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。

 あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。

 閉鎖病棟入院したことがあるレッテル付きの私は母から罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。

 そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。

 母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。

 彼はおめでとうと言ってくれた。

 新調したスーツきれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達

 私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。

 アルバイトもはじめた。友達徹夜で飲み明かしたりした。

 しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。

 主治医からストップがかかり、休学する事になった。

 私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。

 大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。

 そういえば私は彼とセックスしていなかった。

 呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。

 セックスすることでそれを清算できると思った。

 セックスする前に私は酒を飲んだ。

 薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。

 彼が取ったホテルで私は彼と昼間からセックスした。

 こんなもんか、と思った。

 彼は別にセックスたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。

 その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかたからだ。彼と話すのは楽しかった。

 それが数ヶ月前のこと。

 それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。

 なんだかひどく億劫で、気の許せる女友達しか話したくない。

 精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠規則的になった。

 兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。

私の生きる価値は無くなった。

 ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。

 終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。

 翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟一人暮らしをしている家に転がり込んだ。

 それから紆余曲折あり、結局兄弟仕送りで私は生活している。兄弟大学に行き、私は自分兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。

 もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。

 今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。

 彼と連絡を取っていない。

 これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。

 私は多分もう駄目だ。大学は妹宅から距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。

 こういう駄目な人間恋愛などしても彼に何の得も無いだろう。

 だから自然消滅であってもさよならを言っておきたい。

 もう恋愛感情がどういうものなのか思い出せないのだ。

 自分異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・

 彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛かいフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。

 友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。

 さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学夏休みの期間を調べている。

 でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。

 こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。

 生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。

 そろそろ死んじゃおうと思っている。

 メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。

 恋愛には向いてなかった。

 多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。

 罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。

 参ったなあ。

 

2018-07-02

頭の良い子に出会えない

当方30代前半の男。最近周りのプレッシャーに負けて半年くらい前から婚活的な事をしているのだが、どうもしっくり来る相手出会えない。少々語弊のある表現になるが、「知的レベルが低くて話が合わない」 とでも言おうか。例を挙げると、ワールドカップ話題で、コロンビア南米にある事を知らなかったりとか些細な事ではあるのだが、絶妙話題の「深さ」が合わないのだ。

さて、少し自慢になるが私は婚活をする上ではそこそこ条件が良いと思われる。地方進学校から中堅国立を経て、一部上場企業に勤務して10年ほどになる。身長は175cmあり、フルマラソンを完走できる程度に体も鍛えている。女性とお付き合いした経験ちゃんとある(2人)し、タバコも吸わない。もちろん借金は無い。

そんなわけで、どうして普通に話のレベルの合う頭の良い子と出会えないのかとなんとも言えないモヤモヤを感じていたのだが、気づいてしまった。ある条件がものすごく高望みになっている事に。その条件とは私が一番重視していた頭の良さだ。

今思えば私が20代半ばまでに出会った女の子地元大学同級生だったり、会社の同僚のツテで知り合った子の学力大学で言えばだいたいMARCH/地方国立クラスだった。そしてこのレベルの子たちとは普通に話が弾んでいた。少し気になって、このクラス学力の子が男女比半々のクラスでどの位の割合になるのか、玉石混合の田舎公立中学を例にして大雑把な推計になるが考えてみた。

まず、大学受験学力正規分布になっていると仮定する。MARCH/地方国立と言えば偏差値55くらいのイメージ。ざっくり上位30%くらい。上から6番目くらいに頭の良い子に相当だ。まあそこまで高望みでは無いかな。

ふと気付いた。大学偏差値あくま予備校模試を受けている生徒が母集団になる。ということは…アラサーくらいの日本の1学年の人口100万人として、比較対象受験者の一番多い進研模試(40万人)とする。この世代の4年生大学進学率をざっくり50%として、模試基本的大学進学予定者しか受けないこと、全員が毎回受けないことを考えれば進研模試受験者はほぼ学力上位50%包含している推定できる。と言うことは、進研模試偏差値55(上位30%)は母集団を変えると偏差値60相当(上位15%)、そして、進研模試MARCH偏差値は…まさかの65越え。あれ、記憶の中にあるMARCH偏差値と違う。受けてた模試が違うのか。この値で公立中学校換算するとクラスで一番頭が良い子よりもレアになるぞ……

なんと言う事だ。なんということだ。容姿で例えるとクラスで一番かわいいレベルの子を狙うのが高望みだというのは容易にわかる。しかし、MARCH/地方国立クラス学力がある子を狙うのはそこまで高望みでは無いと思っていた。が、大雑把な推計で見積もった結果思い知らされたのだが、頭の良い子を求めるのはそれ以上に高望みだったのだ。なんということだ。どうりで婚活で頭の良い子に出会わないわけだ。

残酷事実を知った今は、頭の良い子に囲まれていた20代半ばまでを思い出して絶望に打ちひしがれている。なんということだ!なんということなのだ!

anond:20180702143139

アホも全部ひっくるめた模試だと偏差値70。

ちなみに東京千葉神奈川埼玉にある偏差値60くらいの進学校は平均層でも現役では日大にもなかなか受からない。 

早慶なんてそれこそ現役縛りだと0〜2人くらい。

2018-06-20

若手俳優にはまった話

毎日学校に通い、テスト合格するために必死勉強し、気付いたら夜で倒れこむように眠る生活を何年も続けている。私の通ってる学校は厳しい。不器用な私はテストプレッシャーから自殺を考えることもよくあった。今死んだら楽になれるのかなと深夜の風呂上がり、髪を乾かしながら考える毎日テストって何年受けても慣れない。ある夏の日、映画を観に行った。夏休みに入っていたから、少し余裕があった。コメディ要素も、魅せる要素もある豪華セットみたいな映画だった。どのキャラクターもかっこよくて、面白くてスクリーンに夢中になった。私はあるキャラクターに惹かれた。彼は大人気なキャラクターだとあとでインターネットを調べて知った。気付いたらそのキャラクターを演じている俳優さんについて必死に調べていた。誘惑するような、とき哀愁を感じる美しい目に夢中だった。私は若手俳優についてあまり知らない。バラエティ番組番宣で来るような大人気な俳優さんは知っていても恥ずかしながら彼のことは知らなかった。インターネットを見ると彼は大人気な俳優さんらしく、まとめやファンが語る掲示板がいくつかあった。かっこよくて美しいだけでなく、人柄もいいらしい。平日は勉強に打ち込み、休みの日は加入している動画配信サイトで彼が出ている映画ドラマを観る日々が続いた。

なにかに夢中になることはときに良い効果もあるらしい。必死勉強した模試の成績が良くて、努力が報われる快感に味をしめて、ますます勉強に打ち込めるようになった。

美しい顔立ちと高い演技力を持つ彼はますます活躍の幅を広げ、テレビ雑誌露出も増えた。彼の活躍マイペースに追いかけながら、勉強を頑張っている。ファンレターとかはうまく書けないけれど、匿名のこの場にひっそりと言葉を書きたい。死にたいと思うこともあの頃に比べたら随分と減った。彼には体に気を付けてお仕事を頑張ってほしい。俳優という仕事を選んでくれてありがとう

2018-06-18

anond:20180615111555

今更だけどその「頑張ってない先生」ってどういう判断

自分の話でいうと「60分の模試を60分で解ける人」は頑張ってない腐ってる人間で、「60分の模試を90分で解ける人」は頑張り屋さんで腐ってない人間なの?

なんか、一昔前のヤンキー漫画の「エリートクズで、落ちこぼれの俺たちは人情派」みたいな考え方ね。

2018-06-15

anond:20180614164910

その「頑張っている先生に習いたい」って思ってるのがまずおかしい。

そう思ってる事が過剰に頑張ってる人を増やしている原因になるってなぜわからない。

努力美徳としている文化が、時間外に働いてでも頑張れば評価されると、いつまで立っても要領が悪い人間時間外勤務をやめさせない原因を作るわけ。

 

例えば60分の模試を、60分で全問解ける容量のいいヤツと、30分オーバーして90分かけて全問解けた奴、どっちのほうが成績が高い。当たり前だけど前者だろ。

から「次は60分以内に全問解けるようにしよう」って後者は思うわけ。

でも、仕事になると、残業の仕方で90分かけて全問解けた奴のような働き方をするやつがいるわけ。そしてなぜか、後者のほうが手当がついて給料が高いし、褒められる。だからいいことをした気になる。

からいつまで立っても自分能力改善することなく90分かけて全問解くようになり、90分がスタンダートになっていく。そして60分で問いてた容量のいいヤツは60分で解ける問題を要領の良さを活かして90分のペースで解くようになる。そして総ブラックおしまいだよ、おしまい

2018-06-07

息子の学校に行った人の話を見て

今でも時々、卒業した高校へ行く。

自分でも高校へ行きたい理由がわからなかった。それだけ嫌な記憶しかなかなかったから。

でもお前たちが認めなかった俺はこれだけ立派になったぞと主張したかったのだと思う。

奴らは成果ではなくプロセスを重視した。

どれだけテスト模試で成果を出してもプロセス(提出物や授業の態度)が間違っていたら評価されなかった。

評価されなかったけれども、その高校の中で最後まで成績は上位に居続けた。

最後には高校の実績のために受験料と交通費高校負担して行く気もない大学をいくつも受けた。

大学卒業して外部の大学院に受かったとき高校へ報告しに行った。

就職したとき高校へ報告しに行った。

就職後、博士課程を修了したとき高校へ報告しに行った。

その後もたまに高校へ行って近況を報告している。

就職してからは成果しか問われなかった。

僕がどれだけ頑張ったかなんて顧客には関係ない。顧客価値を与えられたかけが全てだ。

一年目のときに衝突した15歳上の仕事のできないおじさんがいた。彼は役職としては僕より上だけれども、今や指揮系統は僕が上だ。

彼が仕事ができない理由が、上に立ってすぐにわかった。彼は仕事完了要件プロセスしか見ていない。仕事完了するのは所定のプロセスを終えたときではない。製品顧客の期待を満たしたときだ。

結局、最終的に評価されるのはプロダクトが全てではないだろうか。

もちろんプロセス品質プロダクトの品質に影響を与えるけれども(ISO14001もそう言ってる)、でもそれだけで十分とか、それが全てだと思い始めると本質を見失っている。

世の中の教師自分の思う正しいプロセスが全てである押し付けるべきではない。

正解には様々な方法でたどり着ける。そして正解にたどり着くための、各個人にあった方法提示するのが教師の役目なのではないか

元増田(元が消えていて引用できないが)の息子は教師が思う正しいプロセス押し付けらた被害者しかないんじゃないか

2018-05-17

[]イジメSOS

最近模試は、解答欄に「助けて!」と書けば、部外者通報してもらえるらしい。これ本当なの?

https://twitter.com/beronchosan/status/996586033503334400

いま中高生対象とした模試の採点を行うバイトをしてるけど、解答欄に 「いじめられています。助けて下さい」 みたいなことを書いた場合は 「誤答」じゃなく 「要報告の情報」として分類することになってるから 悩みがあるけど誰にも相談出来ない中高生は空欄を積極的活用していこうな

2018-05-01

底辺校出身田舎者が、東京に来て絶望した理由

これらの記事話題になっているので田舎出身の私の事をここに書いておこうと思う。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55505

私は今年で30才を迎える正真正銘東北田舎底辺校出身都内勤務の人間である

私の両親は共に高卒父親土木業、母親スナックママという家庭に育った。

勉強しろと言われたことは人生で一度もなく、部活動アルバイトをして早めに社会勉強しろといって育てられ、中学生の時から新聞配達をはじめ、高校に入ってからコンビニスーパー引越し屋アルバイト等をしながらお小遣い自分で稼いでいた。

テスト赤点であっても宿題をやらなくても怒られることがなく、お小遣いが貰えなかったため自分アルバイトし、また勉強を疎かにしてバイトを増やしても怒られない家庭だったので、お小遣いが欲しかった私は勉強はまったくせずアルバイトに精を出し稼いだお金ゲームに費やして過ごした。

さらに遡ると小学校低学年の時に分数計算でつまづいていた私は家で父親宿題を見てもらおうとしたが「わからいからオレに聞かないで」と一蹴された事もあった。

さてそんな環境で育った私が高校三年生を迎えた時に進路について考える必要性がでてきた、周りの友人に話を聞くとだいたいが就職するか専門学校に進学すると言い、大学に進学すると答えるものクラスに1、2人くらいだったと思う。

私も友人同様、当時ハマっていた漫画ゲームの影響で車関連の専門学校に進学しようと思ったが家庭の環境がちょうど悪くなっていた時期でもあり進学するのが厳しかったため進学をせず、また就職するわけでもなく、アルバイトして貯めたお金東京上京フリーターになった。

そこで一番最初に知り合ったバイト仲間は予備校生だった。

私は当時、専門学校自分が就きたい職業専門性を磨くという場所でとても大切な場所だと思っていたのに対し、大学に行く意味というのが全くわからなかった。

大学に行っても中学のように相変わらず”将来役に立つとは思えない”5教科を勉強する場所と思っていたのだった。

そこで、そもそも大学に行く意味がわからない私が、その大学に入るために1年ないし2年かけて大学に入る勉強をするという予備校生出会ったのだから私にはとても衝撃的な出来事だった。

しかし、それからそのバイト先で出会うさまざま大学生と仲良くなるにつれ自分の考えがおしかった事に気づかされていく。

そのバイト先では東大生慶應生、早稲田生、明大生と、日本で上位に位置付けられる大学生達と出会い、仲良くなり、彼らの頭の良さ、教養の高さ、人間性、将来目指している(自分とはまるで縁のない)職業、育ちの良さを目の当たりにしてしまったのだった。

また彼らと話していて大学というのがどういう場所想像することができ、その中で私がショックだったのが、彼らには当たり前のように配られている弁護士官僚新卒大企業に入るというエントリーチケットを私は持っていないという事だった。

もちろん全員が夢叶うわけではないが、そもそも私は今のままではそのエントリーチケットすら持っておらず彼らとは全く別の人生を歩まないと行けないんだという事実にその時初めて気が付いたのであった。

そもそもそれまではそんな職業に就く人や、目指す人が自分と同い年にいるという事をまったく想像すらできなかったのだ。

医者弁護士は元より大企業で働くサラリーマンですらどこか異世界の話、自分とはまるで縁のないものと思っていたのだ。(プロ野球選手芸能人を思い浮かべればわかりやすいだろうか?)

彼らは小中高と勉強をしてきて、当たり前のように塾に通い、進学校入学し、予備校に入り模試を受け、入試を受けいい大学に入る。

これらが彼らの周りでは至極当たり前のことで、彼らにしてみれば私の方が異端児だったのだ。

その時19才の私は、例えるならレースをしていてスタート地点から1/3程度進んでから貴方が走っているのはコースではないのでコースを外れた地点まで戻ってレースに戻って下さいと言われているようなとても理不尽感覚に襲われた。(コースアウトしていたのであれば、コースを外れたその瞬間に教えてくれないとあまり先行者と差がつき過ぎて追いつく事ができないよと)

私の場合スタートした時点で明後日の方向に走ってしまたかスタート地点をグルグルと回っていたのだ。

そして世の中の仕組みを教えてくれなかった両親や生まれ育った田舎を恨むようになった。

誰も世の中のルールを教えてくれなかった、知ってさえいれば努力ができたはずだと涙する事もあった。

間はだいぶ端折るが、その後私は一念発起し世間一般ブラックと呼ばれるような待遇零細企業就職し、自分学費を捻出し国立の夜間大学へ通い、無事卒業し、転職をして最終的に東証一部に上場している業界大手企業に勤める事ができた。

私はまだ人生のやり直しが聞く時期に、たまたま運良くバイト先でそういった人たちと巡り会うことができ、気がつき、努力ができた為、今はそれなりに普通暮らしを送ることができているが、もしそういった気づきが今だになければ30才の今フリーターを続けていた可能性もある。

こんな経験をしてきたから思うのだが、

世の中には私が若かった頃と同じような境遇の人が沢山いて、そういう人たちに勉強してこなかった自分が悪いんじゃんと一蹴することは簡単だが、そもそも勉強の意義を知らない人は勉強するはずもなく、単に怠けて努力しない人とは違うということである

そして私は宝くじに当たったのと同じように運良く気がつくことができた為、そこから脱出できたのである

もし全員が生まれた瞬間に同じカードを配られていたとしたら、それをどう使おうが(または使わないか)は個人勝手だが、はなから配られたカードが違うのでは理不尽である

人生というのは往々にして理不尽ものだが、せめてその理不尽が少しでも縮まるのであればそういう世界の方がいいと私は思う。

田舎と都会の情報格差が少しでも縮まればいいなと私は思うのである

2018-04-23

リズと青い鳥」を見た

以下ネタバレ

 

 

 

 

 

最初、おっ百合百合しいなwktk

序盤、希美先輩と鎧塚先輩がなんかギャル童貞コミュ障みたいやな

中盤、希美先輩が束縛系毒親に見えてくる

終盤、おっ鎧塚先輩が希美先輩から独立!?

最後、結局元鞘かーい

 

まぁ、鎧塚先輩の気持ちわからんでもない。

友達いないコミュ障から初めてできた友達依存ちゃうよね。

でも、友達が全部とか大学の進路を友達が行くからでなんも考えずに決めるってかなりヤバい依存度激高。

 

新山先生と続く第三章の演奏のシーンでは鎧塚先輩が希美先輩を送り出すこと、別れを受け入れるって流れだったように見えたんだけど、そのあとで鎧塚先輩が「希美が全部だ、音楽始めたのも、音大行くのも、全部希美がそうするからだ」って言っちゃう

で、そのあとに希美先輩は模試勉強、鎧塚先輩はオーボエ練習のシーンが入って進路が分かれることを暗示させるんだけど、鎧塚先輩大丈夫ちゃんと進路分かれること理解してる?一人で生きていける?って思っちゃった。

結局あすか先輩の慧眼のとおり希美先輩は吹部戻らなかったほうが鎧塚先輩にとってはよかったんじゃねーかなー。

後輩には慕われてたみたいだし、夏紀先輩もでかりぼん部長もそれなりに気にかけてたみたいだし。

 

あとは、鎧じゃなくて剣崎さんがかわいいとか久美子と麗奈は相変わらず百合百合しくて大変よろしいとか鎧じゃなくて梨々花ちゃん後半出番なくて寂しいとかなんでプールのシーン飛ばしたしとか夏紀先輩とでかりぼん先輩いっつもいちゃいちゃしてんな大学まで一緒かよとか葉月サファイアちゃんハッピーアイスクリームだけかよとかというかハッピーアイスクリームとか知らなかったよググったら80年代にはやったとか書いてるしなんで知ってるんだよとか色々あったけど、全体的な感想としては鎧塚先輩の将来が心配です。

 

あ、演奏シーンは相変わらずよかった。

音楽素人なのでどう良かったか聞かれても答えられないけど。

第三章の部分、最初、久美子&麗奈最後のをそれぞれ聞き比べてみたいなぁ。円盤買うかなぁ。

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