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2021-05-03

大学

情報系の学科に入った。高一の時から情報系のところしか頭になかった。プログラミングができたら就職には困らないだろうという算段(コミュ力がないので)。

情報の人”になる決心をした、はずだったのにもうそんな決心は吹っ飛んでしまった。

でも、今になってみると文学部にも理学部にも入りたい。いい意味での変態が居そう(実際twitterで見かける両学部の人は面白い)だし、私は人間本質について知りたいと同時に宇宙とか素粒子についても知りたい。(理系大学生は全員相対性理論とか難しい物理をやると思ってたのに、理学部物理学科しかやらないそうだ。悲しい。よびのり見るしかない…)

変人を求めて大学に入ってきたはずなのに、周りには楽単かどうかで一喜一憂して、なんとなく中国語ドイツ語を選び、キラキラ運動部に入るような器用に生きる人しか居ないような気がする。もしかしたら変態を隠しているだけなのかもしれないけど。(私は対抗心で一番人気のないロシア語を選びました)

正直、今の大学に受かったこ自体模試の成績からいって奇跡からありがたく思って必死に生きていくしかないんだけどさ…

いやー、でも美学とか言語学とか量子力学とか認知科学とかも面白そうだし、しかし一方でコンピュータのものについても知りたいし…でも分子生物学面白そうだし、でも大学生になったからにはロシア文学を読んだりレミゼを一気読みしたりもしたいし…

あっちこっちやりたいことがあるのに、やろうと思ったことをちゃんとやり切る能力が皆無だから全部中途半端に終わる。(高校の時にプログラミング勉強してたつもりだったけど、初心者用の一冊目の本で飽きるを繰り返した、結局費やした時間に対してなんもできんのに気づいて悲しくなってる)

何やっても例えば物理だったらNewton雑誌)以上に詳しくならん気がする。

結局何者にもなれないまま大学卒業するのかもしれない。何者にもならないまま大学卒業後も生きていく自信がない。

マイナーな分野をやって、ちょっとできるようになっただけでみんな褒めてくれるっていうのを繰り返したせいかもしれない。中学時代勉強がこれでしたね。

承認欲求を満たすコスパ追求しすぎた。

2021-04-29

中学校の段階で入試義務付けた方がいいんじゃねえかな???

そうすれば学校に来ても授業中は寝て放課後になったらバイク暴走し夜になったら後者の窓ガラスを割るような連中がいる学校と、そういう人間の数がぐっと少ない学校の2つにぐらいは分けられるでしょ。

聞きかじった知識中学受験を語るアホはすぐ見落とすんだが、マジで一部の公立中学校民度終わってるからな?

そこに行きたくないからって理由私立中学を受験せざるを得なくなった子供の多さたるや。

中学受験動機として最大のものは、無受験で入れる学校レベル民度)が酷すぎることに対して絶望なのよ。

そこを理解しろってアホに言ってもしゃーないんだけど、そういうアホがいることは置いといて、この問題解決方法お受験しか無いってのは大きな問題だ。

勉強ができる人間からしたら、将来に絶望してアンパンを吸うだけの装置になったやつらと同じ空間で授業受けてもソイツらが逐一アホな質問したり、授業外ではソイツらの反社行為に巻き込まれていい迷惑

落ちこぼれからしたって、小学校で習ったことを覚えきれてない人間なんていない前提で進む授業なんて意味不明で、寝るか荒らすかしかなくなって不良の道に進む以外なくなってしまう。

まりね、誰も幸せにならないのよ。

中学受験偏差値55程度なんて、小学校テストで全部100点取れるだけでも受かるレベルで、そんなのは受験してないグループの中にもゴロゴロいる。

でも、彼らは受験してないってだけで偏差値取らせたら30や20になりそうな落伍者と同じ空間に閉じ込められるわけ。

逆に落伍者からしても、そういったさっさといいとこの私立にでもいっちまえばよかった秀才くん・天才くんと比較対象にされて必要以上にクズレッテルを貼られるだけ。

みーんな不幸なのよね。

中学校受験なんて不要!!!」ってのは完全に間違ってるね。

逆だよ。

「全ての中学校受験義務付けよう!!」が正しい。

つーかさ、絶対権力者でえばりちらしてるだけの教師がノリで作ったお手製テストに向けて勉強するよりは、受験とそれの途中経過として受ける全国模試に向けて勉強するほうがやる気出るっしょ。

小学校教師の作るテストなんて「授業で印象に残っている思い出をかけ」で教師ゴマすったら点数がボーンと跳ね上がるようなしょーもない代物じゃん……。

あんなんでいい点取ることにゴールポストおかれたらマジメに勉強する気なんてなくなるわ。

受験の良い所は、それなりにまともなレベルテストによって正しく学力が測ってもらえる所にもあるのよね。

2021-04-21

センター9割取ったけど駅弁大学の授業についていけなかった話

小学校の頃は勉強に関しては困ったことがない。

テストは大体100点だった。

ただ友達付き合いが壊滅的に下手で、中学に入ったこから学校に居場所がなくなり、年単位不登校になった。それはここでは省略する。

高校からは真面目に登校し、友達もできて、勉強も遅れを取り戻すことができた。

高3になり、大学受験に向けた模試では毎回旧帝薬学部が狙えるレベルだった。

緊張して臨んだセンター試験は9割。正直、自分スゲエと浮かれた。

旧帝薬学部が十分射程範囲に入るのだ。

でも待てよ、と立ち止まった。

もし落ちたらどうなる?

そう、自分自主勉が嫌いなのだ

学校や塾で授業を聞くのは苦ではないが、一人で勉強するとどうしてもすぐネットに手が伸びて1時間時間が溶けてしまう。

コツコツ一人で机に向かうことが本当に苦手だった。

からもし浪人すると絶対ネット漬けになり、ダメになってしまうという確信があった。

選んだのは合格確実な地元国立駅大学の非薬学部

親元から遠くなるのに不安を覚えたから、地元から出なかった。(これは正解だった。のちに引きこもりになり生活習慣も精神的にも不安定になったので毎週実家に帰って会話する相手がいてかなり救われた)

当然合格し、駅弁大学入学。どうやら50人以上の学科入試の成績が一位だったようで、表彰もされた。

入学するとオリエンテーションサークル勧誘で異性からたくさん話しかけられた。

新入生の女ならちやほやされて当たり前なのだが、こんな私でもリア充になれるかも?と少しだけ夢を見させてもらった。

しかしその少し後に、私は衝撃を受けた。

教授講義で話してる内容がまったく理解できなかったのだ。

どこがわからないのか考えても、一から十まで全部としか言いようがない。

からないところがわからない、お手上げ状態である

何せいきなり理解不能な単語概念が当然のもののように出てきて、それを前提にどんどん講義が進んでいく。

その専攻は高校では好きな科目だったはずなのに、しょっぱなから高校までで習ったことは嘘です。本当はこうなっています意味不明説明)」と打ち砕かれる。

極めつけは実験科目で、実験器具を目の前にして何をどうしたらいいのか教科書を見てもまったくわからず固まってしまい、「あ、これ無理だ」と確信してしまった。

授業にもついていけないし、人間関係も、最初同級生と仲良くできたものの一歩踏み込んだコミュニケーションが取れずに徐々に距離ができていった。

次第に私は大学に行かなくなった。一人暮らしアパートに引きこもってネットゲームに明け暮れ、昼夜逆転生活を送るようになった。

土日や長期休みには実家に帰ったりアルバイトをしたりして、そこでだけ人と会話できた。

当然、単位が足りず留年確実になった。

このままではいけない。なんとかしなければと学生支援センターのあたりをブラブラ歩いていると、入学後でも専攻が変えられることを知った。

これだ、これしかない。

私は文系学部試験を受けた。普通入試と似たようなもので、英語小論文があったと思う。

無事に合格し、心機一転、同じ大学で二度目のキャンパスライフスタートした。

この学部でも専門科目はわけがからなかったが、前の専攻とは違ってまだ理解の糸口がつかみやすかった。

また文系マンモス学部なので講義で人と関わることはほぼなく、かつ編入生という明確な立場の違いがぼっち安心材料になって、余計なストレスを抱えずに勉強できた。

あとはここで躓いたら二留か最悪中退するしかなくなるので、授業も試験も頑張るしかなかった。

幸いなことにその学部卒業要件がゆるく、ゼミはあるもの卒論すら不要だった。また、私が選んだゼミはゆるさで有名なゼミで、ぼんやりとしたテーマでなんとなく発表する程度で許されたのも運が良かった。

かくして引きこもりぼっち大学生は、一留したものの専攻移動という手を使ってなんとか卒業までこぎつけたのだった。

ちなみに授業と並行して資格試験学内講座も受けたが、そちらは教えるプロ試験突破目的とした講義をしてくれるので非常にわかやすく、自分が得意だった大学受験までの「お勉強」と似ていた。

そのため資格試験の方は余裕で合格し、無事に就職できた。

大学卒業して長いこと経つが、いわゆる優等生の方だった自分大学でなぜあそこまで躓いたのだろうとたまに考えることがある。

1.大学講義をするのは研究プロであり高校までの教えるプロとは異なるということ。

2.高校までの参考書パラダイスと異なり、底辺大学生に一から理解してもらうための参考書が乏しいこと。(当時の私も一生懸命探したが自分の専攻では見つけられなかった)

3.高校までは「AはBのためCになる」のようなシンプル絶対事実をいくつも積み重ねて理解を深めていくが、

 大学ではAからZやそれ以上のあらゆるパターンが先に出てくるばかりで絶対事実に辿り着かず、「結局確実に言えることは何なの?どこから覚えたらいいの?」と地に足がつかないままどんどん先に進んでいくこと。

 (よく考えたらお勉強ではなく学問研究世界なので当たり前である

など色々あるが、結局、答えの用意されたお勉強が得意だっただけで、答えのない学問を追究すること、つまり大学進学自体そもそも向いてなかったのだろう。

高校までのお勉強大学で学ぶことは全く異なるということは全高校生に知ってもらいたいと思っている。

ここまで読まれた方は、私は発達障害だと思うかしれない。診断は受けてないが傾向があることは自覚している。

しかし「高校までの勉強が余裕だったのに、大学の授業が全く理解できなかった」という話は発達障害界隈でもあまり聞かない。私だけなんだろうか。

2021-04-20

私をフィクションにするな

フィクションキャラクター定番属性の一つに『極端な低身長天才』というものがある。

実年自体が周囲より低い場合もあれば同年代にも関わらず異様に身長が低い場合もあるが、どちらの場合も非現実的存在フィクション性の高い存在としてキャラクタライズされているケースがほとんどだ。

何故非現実的存在として扱われるのか。フィクションと異なり現実日本教育制度は年齢主義であり、優秀な生徒の飛び級存在しない事も理由の一つとして挙げられるだろう。しかし、本質はおそらくそこにはない。

天才』『極端な低身長』という属性がそれぞれ独立している状態なら「身近にはいなくても、一つのパラメータが極端なだけなので現実の延長線上で想像がつく」が、『天才かつ極端な低身長』ともなると「極端なパラメータ複数あるので人となりを想像出来なくなる」、これが本質ではないだろうか。

ゆえに、フィクション性を纏わされる。謎のひみつ道具を持ち歩かされ、こんな事もあろうかと用意周到が過ぎる人物にされる。

だが、私はそのようにフィクションを纏わされる『極端な低身長天才』達に、親近感を覚える。

何故なら、私がそうだからだ。

私は極端な低身長だ(った)。

「成長ホルモン分泌不全低身長症」、これが私の健康診断票にいつも書き込まれていた病名だ。

症状は文字通り。原因は分かっていないらしい。

治療法も、成長ホルモン製剤の注射という対症療法的な物だ。極度の低身長という症状が明確に現れないと発覚しないものから身長一般的範囲に盛り返すまで時間がかかった。故に少年時代チビショタだった。治療を終えた今でも、身長は低く童顔な方だ。

毎晩の成長ホルモンの皮下注射というものは、子供心に結構辛かった。自分けが遭わされる不条理というものと隣り合わせで育ったものから、随分世の中は不公平ものだと絶望してしまった。

あと注射をしていたケツと太ももが心なしかデカくなった。安産体型ショタだぞ、抜けよ。

そして、私自身これを自称するのは鼻について好きではないが、少なくとも周囲から評価総合すると、私は天才だそうだ。

個々人の積み上げた好奇心歴史研鑽努力と熱意を不可視化し、天からギフトなどと矮小化する天才という単語はこの世で最も嫌いな単語なのだが、はてさて秀才ではつよそう感がイマイチ足りないので仕方なく天才という単語を使う。

3歳の時には、お遊びでジグソーパズルを裏面を向けたまま完成させて大人を驚かせたそうだ。私自身、出来そうだと思って挑戦し実際に成し遂げて満足した記憶がある。

看板から成分表まで活字があれば何でも読み込む子供で、よく迷子になっていた。漢字自然に覚えたため、小1の時点で小6の教科書漢字含め読めていた。

大人しくさせるために買い与えられたマンガ百科事典国語辞典の類は、それはもう食い入るように読み込んだ。寝食を忘れて読み込んだ。寝食忘れの自己最高記録は、確か留守番中に叩き出した27時間連続だったか中国の8日間絶食読書兄貴には敵わないが、中々な記録だろう。勿論それが健康に悪いことも理解していたので、以降は気をつけるようにしたが。

全国模試でも算数理科で何度か1位を取った。満点なのだから当然同率1位だ。中高以降は恩師のおかげで現代文も得意になったので数学現代文物理経験した。

そんなんだから、大した勉強もする事なく通学圏内最高峰、数十年東大学者首位開成中学校に受かった。なんか受かったから行くわ!wが正直な感想だった。

真剣受験勉強をしていた、しか活字中毒などの変態性はなかった学友が残念ながら麻布東邦まりで(勿論これも十分凄いのだが)、この時に適性の無い者へも無意味な苦難を強いる学歴社会への明確な嫌悪感を覚えた。

開成同級生は大きく3タイプに分けられた。勉強する事が大好きで大好きで仕方がない変態と、私のように勉強は好きでも嫌いでもないが活字知識にのめり込む気質のある変態と……学歴の威光に取り憑かれた愚かな親の犠牲者となった、凡人だ。

学歴主義を刷り込まれた凡人達に、私は恐怖と憐れみを感じた。真面目に勉強した事もなく学校や塾も寝がちだった私にとって、青春を擦り潰して校外でも毎日8時間勉強するという価値観理解出来なかった。

そこまでして一体、一体何になるというのだ。毎日1時間、1ヶ月ほど勉強するだけで適当資格は彼らなら余裕で取れるだろう。職に困らないために学歴を取る、なんてのはおよそコストとリターンが釣り合っていない。

私は彼らが怖くて、大学は全く関係ない某美大学歴パンチで進学した(ここを詳細に書くとマジで特定されそうなので勘弁してくれ)。そもそも私の夢自体漫画家とかゲームクリエイターとかのクリエイター方面だったし。

私が開成に通った途端に学歴に取り憑かれた金だけしかない親には美大進学は猛反対されたが、教育虐待警察に駆け込むと脅したら反対しなくなった。中高当時に親から受けていた拘束を思えば、実際駆け込めば成立していただろう。

ここまで見て分かるように、私の『極端な低身長属性と『天才属性に、一切の因果相関関係はない。だからこの属性が偶然重なる確率は非常に低い。

開成中学合格者数は一年ごとに400人弱、当時の小6男児日本人口約60万人で割ると1500分の1。そこに成長ホルモン分泌不全低身長症の15000分の1を掛けると2250万人に1人となる。ちなみにそこに、『開成高校から私の行った美大にいく変人』の数、大体3年間……1200人に1人ぐらいらしい?を掛けると270億人に1人だ。地球人口こわれる!

2250万人だか270億人だかはもう大差ないし、スキーn級とか小4?だっけ?で夏富士登山完遂(同級生の平均よりも遥かにちっこい身体でだぜ!すごくね?)とか付け足せばいくらでも数字を伸ばせるのでもうどちらでもいいが、まあとにかく私は客観的に見れば超激レアキャラだという事になる。オラッ喰らえ世界に一つだけの花パンチ

ただ、これらは全て私の大事アイデンティティの一つだ。私にとってのそれらは見たことのない激レア属性ではなく、いつも自分自身と隣り合わせのアイデンティティだった。

どんなに希少な属性が重なっていようが、偶然の悪戯が起こればSSRキャラクターはこの世に生を受けてくる。アフリカの貧しい子供達にもたまたまマックにいた桜蔭JKにも想像を及ばせられない、二つ要素が違うだけです〜ぐ想像出来なくなるインターネッツ愚か者共に嘘松呼ばわりされようとも、激レア属性たまたま重なった私は今ここに間違いなく存在している。マックにも行くし高校生時代時代遅れな価値観のオッさんに物申した事もある。喝采ってほどじゃないけど周りの人本当に拍手してくれるんだね。

だというのに、ロリショタ天才達は常にフィクション上の、架空存在として扱われている。

ならば、ここにいる私は一体何なのだ

私はフィクションなのか?匿名増田ですらない、完全なる架空存在なのか?

有り得ない嘘松だけの存在として、想像力の埒外にいなければいけない存在なのか?

ただのゲームきな子供だった私はここに、この世に存在してはいけない存在なのか?

なあ。答えてくれよ。

長くなったが、言いたい事は一つだ。少しの想像力を働かせてほしい、これに尽きる。

そこの道を歩いているくたびれたオッさんは、もしかしたら自由研究で賞を取った事があるかもしれない。そんなちょっとたかもしれない運転が、他者への敬意を払う第一歩となる。勿論何も前提無しに他者歴史人生に敬意を払えられれば、それが一番だ。

空腹を感じた時には、アフリカの貧しい子供はいつもそれ以上の飢餓に苦しめられている事に思いを巡らせてほしい。そして思い出した時にでも、コンビニ募金にお釣りを入れてくれればいい。

レア属性天才や奇才たちと接しても、更なる激レア属性の……私含めた疾病や障害を抱えた天才や奇才たちと接しても、たまたま希少な属性を引いただけの、ごく普通のありふれた存在として接してほしい。

本人が殊更に主張しているケースでも無い限り、恐らくわざわざ言い出したりはしたがらないはずだろう。傷に触れないであげてほしい。天才たちは目立つこと、特別扱いによる疎外にもういい加減ウンザリしているだろうから

というか私の知人の天才たちは大体皆そうだった。そして私もそうだ。もう、奇妙奇天烈見世物小屋人外として扱われるのは沢山だ。

目の前にいる相手雲の上の存在ではなく、マリオポケモンが好きだったり、でんぢゃらすじーさん爆笑したりしていたかもしれないただの人間だと思って接してほしい。

フィクションの箱に押し込んで、相手を遠ざけることをしないでほしい。ロリショタ天才を、フィクションだと思わないでほしい。

私をフィクションにするな。

私をフィクションにするな。

私をフィクションにするな。

2021-04-13

学校臨時講師辞めた

ノート一生懸命取る生徒が多いけど、ノート書くよりも内容頭に入ってる方が重要から

ノートとして書くべき内容はプリントとして配布して、話を聞きながら内容を理解記憶の定着に集中してくれと言って授業やってた

当たり前だけど、生徒の成績は外部模試の結果は偏差値が平均で5~10上がった

けど、塾じゃないからその学校指導指針に沿ってやってくれと言われて鬱陶しいから辞めた

指導指針が糞だから生徒の成績伸びないのに学校って本当アホだな

2021-04-10

学歴ロンダをした者だが、何か問題があるだろうか?

私はそれなりの有名私大から有名国立大学院に学歴ロンダリングした。

研究の道に進みたいと思うようになったからだ。

元いた私大大学院に進んでもよかったが、やはりとりわけ理系では、国立優位なことは認めざるを得ない。

さて、人間、上昇志向があるのはよいことだ。

貧乏だった人が裕福になることを目指し、何か問題があるだろうか?

立場が弱かった人が権利を主張し、責められることがあるだろうか?

いや、ない。むしろ何もせず怠惰である方が恥ずかしいとされる世の中だ。

しかし、学部から異なる大学院に進む話になると、学歴ロンダリング!!!と喚き出す人間存在する。

なぜ。。。

どれも努力した (そして今後もするだろう) という点で、本質的には同じはずなのに。

しか面白いのが、学歴ロンダリングを叩く人々は、中々の割合地頭信者なのだ

彼らの言い分は大抵こう。

大学入試問題 (特に数学物理) は地頭がよくなければ解けないが、大学院入試簡単で誰でも解けるからバカなお前でも入れる裏口入学のようなものだ!



少し自分語りをしたい。私は大学に入るまで、勉強というものが嫌いだった。

多少賢い方だったので、小学生時代学習塾で受けた模試でよく冊子に名前を連ねていた。中学受験を勧められていたが、家庭の事情地元公立中に進んだ。

小中と勉強しなくても学校テストの点はよかったので、勉強しない癖がついた。好奇心は強い方だったと思うが、私は怠惰人間なので、目先のゲームの方や部活の方にばかり気持ちが寄った。

その後進学校自称進学校の半ばくらいの高校に、そして某私大に進学した。私はやはり怠惰だったので、高校受験大学受験もさして勉強はしなかった。

勉強嫌いは治らなかったが一般受験というもの経験してみたかったので、大学受験は推薦などは取らず一般で受けた。

高校受験は舐めてもなんとかなったが、流石に全国規模の大学受験は思うようにはいかず、諸々の大学不合格を貰い某私大に進んだ。

勉強関連で大した失敗経験がなかったので、困らないくらいの学歴は手に入るだろうというバカな考えがあった。まあ正直今でもそう思っているし、有難いことに一応はそうなった。

この某私大一般的に M*RCH と同程度か超えるくらい難しいところだと思う。ネット上では M*RCH は 3 ヶ月!などと暴論をかます人がいるが、私に言わせればまだ甘い。M*RCH も某私大も 0 ヶ月だ。

そしてこの某私大は、私の感覚的に、研究員になれる最低ライン大学なのである。この大学合格していなければ、恐らく研究の道に進もうとは思わなかっただろう。

もっとも、出題によっては、M*RCH にも落ちたりした。運のよさだけが取り柄である

念のため付け加えると、上記をみれば明らかなように、私は学歴などには大して興味はない。大学受験努力できた人の方が、人として私よりも圧倒的に優れていると思う。努力した人をバカにする意図はない。

また、自分を稀代の天才などと思っているわけではない。だいたい研究の道に進めば自分より優秀な人なんて山ほど出会うし。入試だって東大 0 ヶ月を主張する者さえいる。

この某私大で、転機が訪れた。大学勉強楽しいのだ。なんということだろう。

私は情報系の学生である小学生の頃にゲームを改造するという形で情報技術に興味を抱き、高校まで趣味プログラムを弄っていた。

高校までの授業は、特に普通科高校などでは、まずやっておけば間違いない (悪く言えば当たり障りのない) 教科ばかりで構成されている。生徒が卒業後どの分野にも進めるように組まれているのだから当然だ。

大学研究機関であり、かつ専門教育を行なう機関なので、高校までとは毛色が違う。

大学講義研究は私の興味に合致した。このまま進みたいと思うようになった。楽しいから仕方ない。この後の進学までの流れはどうでもいいので省略するが、結果、学歴ロンダリングの道を選択した。

自分限界を感じて諦めるかもしれないが、それならそれでも構わない。ロンダロンダ煩くされるなら、院の名前は出さず某私大名前だけで生活してみせよう。学歴自体にはさして関心がないのだから

少し話が逸れてしまったが、したがって、

大学入試問題 (特に数学物理) は地頭がよくなければ解けないが、大学院入試簡単で誰でも解けるからバカなお前でも入れる裏口入学のようなものだ!

に対する私の答えはこうだ。

大学入試神格化しすぎ。解こうと思えば誰でも解ける。地頭とか関係なし。大学院に進もうと考えるような人なら尚更

地頭」で能力の伸び方は変わるかもしれないが、上限は関係ないと思う。

現役 MARCH 全落ち 1 浪東大の人とか知ってるし。なんなら多浪高学歴 YouTuber とか何人もいるし。

逆に、浪人して俗に F ランなどと呼ばれる大学に行った人も知っている。でも彼らも伸びが遅いだけで、特別知能で劣っているのではないと思っている。

もちろん言うまでもなく、難関大学合格する人は凄いです。私にはできなかったことなので、その賢さと努力は素直に尊敬します。

これを読んでくれているみなさんには、大学院に進む者の中には大学で目覚め研究者を志した者もいることを忘れないで欲しい。

まあ確かに、確かに東大生を主張していた人が学歴ロンダだったら、あれ?って感じるのはわかる。明らかに元いた大学を隠しまくってたら私もうーんって思う。わかる。

全く誰から批判されない人など居ないので、批判したければ常識範囲ですればいい。でも、主語を大きくしてロンダは全て悪!は間違っている。

例えば気に入らない中国人がいたとしても、すべての中国人バカにすべきではないだろう。

中国人採用しない!とか発言して東大から解雇された某最年少准教授の例とかあったじゃん。

なんだか、人を叩いて気持ちよくなりたいタイプの方々が、若い芽を摘んでいるだけな気がしてならない。

しかもそれが割とスタンダードな考え方なことに、失望を隠せない。

前述の某最年少教授処分にあたってそれとなくロンダバカにする反応をしていた東大教授さえいたし。

プライドがあるのは結構だが、選民思想はいかがなものだろうか?

18 歳で頑張ったかそれ以降で頑張ったか区別、そんなに重要だろうか?

2021-03-25

推薦で医学部受かって医者やってるけど

正直学校勉強家庭教師付けて高得点とってただけで

受験組の模試とか偏差値50ぐらいで50切ることも結構あった

多分、親が金持ちから寄付金とかも出してたんだろうな

国家試験も大変なの分かってたから相当前から国家試験予備校行ってた

ただ周り見る限り国家試験より医学部受験の方がずっと大変みたいだね

受験偏差値50でも金さえあれば医者になれる

親に感謝だわ

2021-03-22

俺と庵野秀明関係

高2まで大阪芸大模試のアレに書いてた

確かベネッセのやつでお前は漫画家に向いてるみたいな結果が出てろくに絵すら描いたこともなかったのに芸術系を目指したため

特に大学とか知らなかったけどパンフレットかなんか見て近いし芸術か…と思って書いた記憶がある

偏差値42ぐらいだったからそのFランですら最低の判定(EだかF)だったけど

今は早稲田を出てIT企業をやってる

エヴァだな

たことないし興味もないけど

Wiki大阪芸大出てるみたいなの見てより見る気が失せた

2021-03-17

知的障害って治るの?俺多分治ったっぽいんだけど気のせい?

大学生になるまで話や歌の内容を理解することができなくてゲームをやってもクリアできなかった

人生クリアできたゲーム三本ぐらい(ポケモンとか、攻略本通りにやっだゲームとか)

他は100時間とかやるけどストーリーとか全く理解できないかレベル上げてステージ解放するだけ

勉強に関しては底辺校だったか勉強しなくても半分ぐらいには入れたけど記憶が薄れてくる頃には抜けてて模試とかでは偏差値42とかだった

 

高校3年から大学受験に目覚めて初めて教科書を読んだ

最近ふと俺は障害者だったんじゃないかと感じるようになった

からまともだったけど勉強しなかったか高校生になっても右左がわからなかっただけか?

実際周りも俺のことだけは君つけて読んでたし明らかに障害者に対する対応をとっていた(尼崎ながら)

なぜ昔の俺は誰がどう見ても知恵遅れだったのか?

2021-03-15

anond:20210315200724

もともと1点 模試が足りなかったんだ。万が一 しんがっこうに落ちたら その可能性が進学校ルートわずかにあった。

自分では進学校にあがっても、中程度。それがわかった。

結果論 偏差 値50±5の道を選んだ。

anond:20210315131214

医学部男女差別がある事って医学部受験者の間ではずっと暗黙の了解だったか

今更両親は何とも思わないと思うよ

そもそも模試結果なんかで兄妹間に圧倒的な差がある事だって分かってるだろうし

兄は認めたがらないかもしれないが

2021-03-14

追記母親養育費請求しなかったせいで大学に行けなかった

追記。今までずっと漠然と不満に想い続けたことを言葉にし、区切りをつけたいと思って増田を書いた。

小さい頃から常に、うちは貧乏なのだと思い知らされながら生きてきた。母や祖母が、他の親がしてくれるようなことをしてくれないことにずっと、子どもらしい、幼稚な不満をずっと抱えていた。中学生ぐらいになって、だんだん母の苦労や世の中の「仕方なさ」みたいなもの理解出来る様になってきても、どうしてもその不満は消えなかった。どうして俺だけ、と考えないようにしても考えずにはいられないのに、それを口にすることの無意味さもわかっていた。嫉妬や幼稚な不満への対処法は、そういった負の感情を出来るだけ抑え込み、「仕方ない」と自分に言い聞かせて現実を受け入れること以外になかった。

大学に行けなかったことを残念に思っている。今更行きたいとも思えない。高3のあの時から何年も、行きたくても行けず悩み続けていた頃のことを思うと悔しい。

大学に行けなかったのは「母のせい」ではきっとない。母が父親養育費請求していたとして、みんな言う通り、父親は払わなかったんじゃないかと思う。きっと1番悪いのは無責任父親だ。でも、払われなかったとしても、母が養育費請求したという事実だけでもあったらよかったのにと思う。

島の外のどこにいるかも知らない父親に、どんな感情を抱いても仕方なかった。手当の額も、母子家庭のあり方も、政府や世の中が決めたことで、自分達には仕方ないないことだった。でも、母だけは仕方ない存在であってほしくなかったと未だに思うのは甘えかもしれない。

母には、何を言っても仕方ないと思う。母は視野が狭く頑なだ。自分の考えたくないことは考えない。島ではそういう人間でいた方が生きやすい。世間的に見てもあまり頭の良い人ではないんだと思う。でも、気配りができて集団に溶け込むのがうまい仕事を辞めて余裕ができてからは近所付き合いも良好だ。

父親みたいな人間を恨むより、たった20万に感動したほうが幸せだと思う。

でも、そんな母を残念に思う自分もいる。自分と同じ怒りをほんの少しでもいいから持っていて欲しかった。20万で許さないで欲しかった。

ずーっと、金がなかった。暮らすのがやっとの生活で、大学受験を目前にし、やっと貧乏を抜け出せると思ったの矢先に現実に引き戻されてさらなる貧乏で。貧乏が辛かった。

父親が俺の養育費を払わないことを、俺に貧乏させるのを許す人間でいて欲しくなかった。

 

 

本文

 

10数年前の話だ。

母子家庭だった。生まれた時から父親は居なかった。

母は俺を妊娠した経緯について語らなかったが、俺は中学に上がる前には、親戚やご近所さんなどからの噂話からだいたいのことを知っていた。母は専門学校に通っていた頃に避妊に失敗し、彼氏に逃げられたらしい。そして1人で産むと決意し、実家(離島でど田舎)に帰ってきた。

田舎だったから、そういったことはかなり噂された。「増田くんのお母さんは……ねえ?」とうすら笑いを浮かべながら言われたこともある。自分以外にも、片親家庭はいくつかあったが、それでも居心地の悪さは感じた。

当然のように、学もない母と仕事もない田舎で、うちは貧乏だった。祖母の僅かな年金母子手当とスーパーパート家族3人で暮らしていた。建てた時は立派だったんだ。大工だった曾祖父さんが建てたんだとたびたび祖母に自慢された家は、台風で半壊した後ろくに修理されておらず、ボロくてとても恥ずかしかった。

俺が10歳の頃に、父親がひょっこり母に会いに来たことがある。本土にいた頃の母の友人の友人を辿って、連絡先を得て会いに来たらしい。ある日学校から帰ったら知らない男がリビング自分のコップを使って麦茶を飲んでいた。俺の父親だという男はいかにも育ちが悪そうな、ピアスをつけたスーツの似合わない男だった。

そのとき俺は既にそいつ妊娠した母と、お腹の中にいた俺を追いて逃げたことを知っていた。その意味はまだきちんと理解していなかったが、いい感情は持っていなかった。男は、今は結婚して子供もいると言って写真を見せてきた。「ほら〇〇くんの兄妹だぞ。かわいいだろう?」と猫撫で声。男の子女の子で、3歳?と1歳だったと思う。小学生の俺には、怖そうな見た目なのに子煩悩丸出しな男が奇妙で気持ちが悪かった。父と息子の感動の再会なんてことになるはずもなく、その男はその日隣町のホテルに一泊して、島を離れた。

から聞いた話では、子供を持つようになって過去の行いに反省し、謝りに来たらしい。元ヤンキーにしては立派なことなんだろう。母は当時それに感動していたらしい。「俺も家族があるからこれぐらいしか出せないけど」と20万円包んでくれたらしい。

中学卒業して島を出る日に、そのお金を見せられた。島にも高校はあったが俺は本土高校に通った。同級生より少し勉強ができたからだ。祖母は金がかかるから島の学校に通えと言ったが、母や担任の説得あって島を出ることができた(祖母年金の一部は俺への仕送り代になった)。

本土高校の側には、島や遠方から学生の住む下宿があった。昔は賑わっていたという下宿だったが、当時から既にガラガラで、オンボロだった(今はもうないらしい)。例の20万円は高校入学新生活スタートに使った。高1の冬に、そのお金の残りから抜いた諭吉友達バッセンに行った覚えがあるから、全部は使わなかったんだろう。まあ、20万円はそうやって高校1年のうちに使い果たした。

進学校で周りも勉強に打ち込んでいたお陰で、高校生活殆どはうちが貧乏であることは忘れて過ごせた。一部の模試受験料を捻出できなくて諦めたことはあるが。忘れもしない3年の冬、母に胃がんが見つかった。奨学金を借りて大学に行く予定だった俺の予定は見事に砕け散った。正直その頃既に母の頃はあまり好きではなかった。それでも、知らないふりするわけにはいかなかった。普通に「なんで今なんだよ」とめちゃくちゃムカついた。いっそ治療がいらないぐらい進行してろよとも思った。

仕方なく、高卒本土で働き始めた。島から近い港の仕事だ。母の癌治療は2年で終わった。手術と抗がん剤治療を終え、再び働けるような体力はなかったが、一応治ったのだった。それでやっと、3浪したのだと思って受験に精を出そうと思っていた矢先に、祖母が倒れ介護必要状態になった。母子手当も母の収入もなく、祖母の少ない年金でやってくのは無理そうだった。仕事先で正社員にならないか?と持ちかけられていたのもあって大学進学を諦めた。

良い職場だったし、仕事も気に入っていた。今は同業他社転職したが、収入大卒と遜色ない。もう大学進学への未練もさほどない。

ただ最近になって、異母兄妹の兄の方と偶々飲む機会があった。大卒だった。それも自分の行きたかった学部だった。妹の方は海外大学に進んだらしい。どうやらあのピアス男は自分の子供には金をかけたようだった。家族旅行の話なんかもチラリと聞いたから、なかなか余裕があったようだ。

うちが母子家庭貧乏に苦しんでる間に、そう思うとかなり複雑な心境だ。

避妊に失敗したのも仕方がない。1人で産むと決意したのも怒っちゃいない。稼げないのも頭が悪いのも責めるつもりはない。ただ、どうして父を逃したのか。認知させなかったのか。養育費請求しなかったのか。そして、のこのこ謝りに来た父を何故ほいほい許し、たった20万円で逃したのか。腹が立って仕方がない。養育費は俺の権利だった。母には俺の代わりに養育費請求する義務があった。今まで父親の方も金がないのだと諦めていたが、あったじゃないか。母がきちんと養育費請求していれば、18歳からの俺はあんなに苦しまずに済んだろう。

もう遅いし、今更母に何か言う気にもなれない。悲しきかな、基本的に話が通じる人ではないのだ。

からここに吐き出す。どうか子供養育費はきちんと請求してくれ。きちんと払ってくれ。親戚や友人にそういう親がいるなら説教してやってくれ。

俺の言いたいことは以上だ。

2021-03-04

日本人イスラム教徒を誤解している」という誤解

イスラム教めぐる佐賀県内の不適切模試 教徒受験 衝撃受ける】

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210204/k10012849051000.html

>「衝撃的でがっかりイスラム教テロを勧める宗教ではない」

いや、なにいってるの・・・普通にイスラームってテロを推奨してますからね(イスラム原理主義ではなくイスラム教自体の話)

イスラム恐怖症」って単語があり、日本人イスラム教徒を誤解している!みたいな言説が多いですけど、普通に誤解じゃないでしょ。

悪魔の詩訳者殺人事件

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A9%A9%E8%A8%B3%E8%80%85%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

ここ読めば分かりますけど、「イスラム最高指導者が直々に暗殺命令して」「謝罪撤回もせず」「支援財団は数億円の懸賞金を立てて煽り立てる」って宗教なのに何が誤解なの???っていうね。

肯定的に思ってほしいなら少なくともこの件に謝罪してからの話ですけど、戒律からして不可能から「誤解」が解けることは絶対にないです。

思いつくままに地方高校生日常を書いてみよう。どのくらい「嘘」認定される?


図書館には、背表紙まで張り替えて紙の色まで変色した熟語本位英和辞典豊田実増補版があった。誰も読もうとしなかった。


ゴムサンダルみたいなのを履くことになっていたが、ひどいデザインだった。


図書館で、Z会を無言で解く先輩。


図書館冷房が急に故障し、「熱い」「暑い」「はぁは」と小声で高校生のうめき声が聞こえる。


文芸部員は減る一方。


部員文化系には全く集まらなくなり、廃部を余儀なくされる。(これは進学校の話です!)


体育会系部活も実に中途半端で、初戦負けではなくとも二回戦負けか三回戦負け。


応援団員としてバスに乗り込み、バスに乗った先で野球試合しかし、観客が応援団員以外誰もいない。


校舎をはじめとして、諸設備老朽化がひどい。


まだジーニアス英和辞典プログレッシブ英和辞典が主流になっていなかった。(たまたま当たった教師英語力が低かったと思われる)


複素数が数Iにあった時代、脱落者は7割。歯を食いしばって、その7割のうち、半分はなんとか受験時には国公立レヴェルまで回復したようだった。もう半分は助からなかった。


中学時代にいたあからさまなブスは、どこの空間でも見かけない。ただし、かわいい子というのもいなくて全体的に色気がない。


近場に予備校がどこにもないので電車で25分以上かける同級生。(電車から降りてどうせ歩くので、最速でも30分はかかる計算


模試の採点ミスを平気でする河合塾。(抗議が通って点数の訂正があったらしい)

2021-03-03

マーチにも落ちる人間だったのに早慶首席になれた

運良く早慶の某文系学部首席に選ばれた。これが何かに直接役立つことはないだろうけれどやはり嬉しい。

私みたいな馬鹿にも首席を取らせてくれるこの大学のこの学部に受かって本当に良かった。

思い返すと本当に、何故受かったのだろうと感じるような受かり方だった。やはり受験ロト6。(マークシート場合)

元々高3の夏まではマーチ指定校推薦で行こうとしてた。(高校偏差値が高くなかったので早慶指定校推薦はなかった。)今思うと本当にやめて良かった。夏にオープンキャンパス行って通学時間長すぎると思ったのと、本当に早慶じゃなくて後悔しないか不安になったので、結局やめた。

浪人して早慶目指すつもりだったのと、学校通って宿題やるだけで疲れる人間だったか受験勉強全然できなかった。予備校にも行ってない。受験勉強と言える勉強をし始めたのは高3の冬休み入ってからだった。学校休みに入ったのと、一応で受けるセンター試験の結果を学校に報告するときにあまりにも点数が低いのは恥ずかしいと思ったからようやく基礎から勉強を始めた。といっても、その時ちょうど新しいソシャゲをはじめてしまったりとそれほど頑張れたわけではない。

寝不足センターを受けた。勉強不足と頭の悪さで国語は6割を切る始末だった。その後燃え尽きて一週間はほとんど何もやらず。その後ぼちぼち少しだけ勉強した。どうせ来年が本番だしと、始めたばかりのソシャゲバレンタインイベを完走するなどした。

その後模試感覚マーチを2,3回、早慶を2回だけ受けた。私は小テストにも一々気持ち悪くなるほど緊張する人間だったのだが、「どうせ落ちるし。お試しお試し。来年がんばろ〜」みたいな感覚で受けたのが功を奏し、緊張や焦りは抑えられた。しかしそれでも勉強不足。普通にマーチに落ちた。知ってたことなのであまりショックでは無かった。受からせてくれたマーチは1つだけだった。

その後1,2週間があき、早慶受験。はじめに受けた方は赤本すら買っておらず過去問すら解いていない。「ここにいる人たちにとっては大事な日なのかな〜私はお試しお試し」と物見遊山感覚受験。一応は真面目に取り組むも、英語でかなりの長文を書く問題が出され、めんどくさくなって放棄した。ここは落ちた。

そしてその次に受けた学部が私が何故か受かり、何故か首席をとれた学部だった。なぜだか忘れたけどここの学部赤本は一応買っていて、一周くらいならしたような気がする。問題平易な方だが合格点は高めの学部という感じだった。前に受けた学部とは違って、ここのは一応最後まで真面目に取り組んだ。模試気分だからこそ緊張せずに解けたが、それでもバカ勉強不足の私には難しかたから、まさか受かってるとは思わなかった。マークシートで運が炸裂したのだろうなと思う。(マークシート記述混合)

そうして思いがけず早慶に受かって、浪人もすることな予備校にも行かずに何故か早慶入学模試高校実施の以外面倒で受けなかったような人間なのに。受験って運の要素強すぎるのだなと感じた。

その後ちゃん卒業できるのかも危ぶみながら学生生活が始まった。高校偏差値は低いし真面目に勉強取り組めない人間だしマーチにも落ちるし、過去問等の入手もコミュ障ぼっちなので高難易度単位取れないのでは?と思いながら授業情報雑誌にらめっこ。

長くなったしここら辺で終わる。GPAとるために個人的したことなどやる気が出ればまた書くかもしれない。

とりあえず思ったのは、GPA取るのにあまり地頭必要ないということ。過去問とかもあるに越したことはないが、無くてもA+はくるということなど。文系だけかもしれないが。

自己満備忘録でした。

(追記)

首席(学部事務所の方曰く総代という言い方でした)に選ばれたのは学部の成績がトップだったからです。最終的にGPA約3.9でした。

卒論は…ゴミの塊ができました。

2021-03-02

”上の下”の謙遜

ひどすぎるお気持ち文章です。

私はおそらく、“上の下”くらいの人間だ。

大抵の事柄は上手くできる。

素人に混じれば超人扱いの特技もある。過去模試の成績などを参照するなら、世間一般的に頭は良い方だろう。

親に褒められたり、再会した友人に凄いと言われたり、ネット上で反応をもらえたりすることも少なくない。それは純粋にうれしい。

ただ少し問題がある。

謙遜”という行為が素直にできないのだ。

私が育った環境は、いわゆる“上の上”に位置する人間で溢れかえった環境だった。

学校にせよ、習い事にせよ、同じクラスには全国レベルがいる。私が知らないだけで、隣のクラスには世界レベルすらいたんじゃないかとも思う。

天才と一括りに言ってしまうと努力している人に申し訳ない気がするが、いわゆるそういう天性の何かを持ったような人たちが集まる空間で育ってきた。

その環境文句はない。(ないならこんなの書くなって話だが)むしろ感謝している。実際それでたくさんの素晴らしい友人を持つことができたのは事実だ。

そんな人たちと確かに同じ空間で学んで育ったけれど、私は天才ではなかったし、あとから天才になることもできなかった。

学校劣等感を覚えることはなかったと言えば嘘になる。嘘にしかならない。毎日感じていた。全くわからない長文を瞬時に理解できる友人、簡単に数式を立ててのける友人、簡単に筆者の意図を読み解ける友人。私よりできる人しかいないような空間で、ひどい点数を取り続ける。

親は私が落ち込んでいるとよく「あの学校でこのくらいなら十分だ」と言っていた。

たとえば中学の同期に会うと、「あん学校に行くなんて」「すごいね」という言葉が飛んでくる。私は曖昧に笑うことしかできなかった。

私は下手に負けず嫌いなくせに、自己肯定感が低いとてつもなく面倒なタイプ人間だ。

そんな私があの環境で育てば自然と「私は全然凄くない」というお気持ちがでてくる。

それでも世間は私を凄いと言う。

実際私が自分学歴を「ぜんぜんです」と否定したら、冗談抜きで相手にキレられるだろう。私としても申し訳なくて言えない。本当に素晴らしい学校だったから。

だとしても、私は自分を素直に誇れない。誉め言葉を受け取れない。

すごいと言われたことのあるものは全部私よりできる人が周りにいた。誉め言葉を受けとっても脳内に浮かび上がるのはその友人の顔だ。

以前までは即座に謙遜していた。

「そんなことない」「私なんてぜんぜん」「私よか凄い人いっぱいいるし」

本心なのは間違いなかった。その謙遜相手に失礼だったと最近やっと理解できたレベルで私は愚か者なのだから。ただ理解してしまたから、今は解決法が見つかるまで曖昧に流すようにしているが。

もう一度言うが、環境や友人に不満はない。一切ない。あるわけがない。恵まれていることも分かってる。贅沢な悩みなんだろうとも思う。

でも私は馬鹿から、誉め言葉を素直に受け取るためにはその分野で実際に頂点に立つしかないんだと思い込んでしまう。

私は“すごい”のか?

仮に“すごい”としても、“もっとすごい”人が隣にいるから、称えるのは私じゃなくてそっちだよ。

ちなみに友人を妬んでるつもりは一切ないのだが……この性格なので否定はできない。

ただその人はいつも努力していたし、その絶対量は私より確実に上だ。だから当然のことだと考えているつもり。

ここまで書いておいてなんだが、私は自分が何を言いたいのかすらよくわかっていない。

ただ気持ちを吐き出したいだけなんだろうが、言葉をまとめることすらできないような凡人以下の存在だ。

でも私が自分卑下すると相手に失礼な態度をとっていることになる。

小心者なので、自分ミスを犯したとき予防線も欲しいから余計傲慢になれない。

なんでこんなくだらないことで悩んでしまうのか。原因は私の言葉の受け取り方だとわかっているのに、自力で治せないあたりやっぱり私はダメ人間だ。

完璧超人にでもなりたいのか?と聞かれそうだが、なれるんならなった方がいいと思う。

なれないとわかっているのにこう考えてしまうところも愚かだと思う。

上には上がいる。そんなの当たり前だ。本当の頂点に立つ人がそう身近にいるはずないこともわかってる。実際私が天才だと思っている人もトップレベルなんだろうが、きっとトップではないのだろう。そう思うと本当に虚しくなってくる。そう思う自分が虚しい。

最初から最後までひどすぎる文章だったが、もし対処法知ってる人がいて、教えてくれる親切な人がいるなら聞きたいからここに投下しておく。

私のような面倒くさい輩のまとまりのない文章最後まで読んでくれてありがとう

子供のころ、両親共働きで帰りも遅くて、地元公民館にあった図書室に入り浸ってたから色々小学生で読んだら不味そうな本とかも読めて学校図書室より面白かった

公民館イメージ地域によってバラバラみたいだけど、基本毎日9〜19時くらいまで開館してて、事務所にいつも何人か職員の人がいて、老人がカルチャー教室とかで集まったり地域会合とかがあったり、ちょっとしたホールがあって演歌歌手のどさ回りがあったりする感じのやつ

子供向けの本のコーナーは全体の1/4、郷土資料とか図鑑とかが1/4、あとは娯楽小説とかのハードカバーって感じだった(文庫本漫画は確かなかった)

佐藤ラギのギニョルとか、当時意味からないなりになんかヤバいものを読んでる…と思ってたりしてめちゃくちゃドキドキした

高校生になると市の大きな図書館が高校から歩いて30分くらいにあったからそこでも毎週上限まで借りて、高校図書館は文庫本が多めだったからそこでも毎週上限まで借りて、めちゃくちゃたくさん小説を読んでた。

新書とか論評とかは全く興味なくて今に至るまで読んだことがない。あれだけ流行ってたバカの壁とかも読んでない。

高校図書館は毎年貸出冊数の表彰してくれてて三年間毎年図書カードをもらってたし、国語テスト模試の成績だけはいつも良くて、現代語の小説しか読んでないのに古文漢文小論文も苦労なく解けてた。

大学ではオタクになって、生活費を削る勢いで商業BL小説漫画を読み漁った。

それなのに就職したら全く本を読まなくなった。文庫本一冊読みおわるまで集中力もたなくて何度も中断して結局よみかけの本がたくさん棚にある。

その代わりにずっとTwitterみてる。いろんな人の本当かどうかわからない呟きも小説みたいなもんだな〜と思うとダラダラと何時間でも見てられる不思議

あれだけ本読んでた私が本読まなくなるほど高負荷の労働をそれなりにこなして、趣味にも家庭にも力入れられるとか世の中の人どうなってんだろな…偉すぎる

実際に高負荷だった新卒で入った会社を辞めて、楽な方に楽な方に流れてきて、月の残業10時間未満の仕事に就いてるけどそれでも土日は布団でゴロゴロしてるとすぐ終わるし、平日も20時に帰宅して飯風呂即布団みたいになるし…

まとめると、本に簡単アクセスできる環境で育ててラッキー多読してる分国語の成績は良いけど他の教科の勉強してないかトータルするとバカの部類、労働は体に悪い

2021-03-01

2.5流の大学を出て大手企業に入った自分を許せないでいる

数年前に四年制大学卒業した。名を佛教大学という。

いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。

大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトサークル活動であっという間に過ぎていった。

記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。

こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業入社できた。この業界では一流とされている。

会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。

私自身を殺したい。

子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。

大学回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学レベルの低さを。

志望していた企業説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。

うすうす分かっていた。

学際サークル所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。

どうして私はあの時、浪人選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。

あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。

もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。

朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去自分に鞭を打つ。

こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。



もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。

まらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……

エピソードひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェント見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。

その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。

課題というのは、転職希望リスト履歴書職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである

「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」

先輩が椅子腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。

昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。

納期は設定しない。ゆっくりやれ。でも、勝負からな」

勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。

「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。

私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。

でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。

4日後、私たちは小会議室に呼ばれた。

部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。

彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。

「こいつの見てみ」

こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。

「お前も」

先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。

……整然としていた。業界職種、特技、資格学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。

私は「彼」の方を見た。彼も、視線と体をこちらに向けた。

「参りました!」

芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。

「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」

そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。

「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」

声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。

「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」

彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。

「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」

ほら、やっぱり。

もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。

先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。

先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。

先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。

しかった。涙が出そうになった。手と指でごまかした。

彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。

行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手食事はできない。

彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分意思を実行する力に欠けている。

甘えたい私に負けて、自分自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。

これから自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。

私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。

転職できる可能性順だ。社内にある過去転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランクほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。

クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。

なので、優先順位は、①学歴、②社会人経験特に新卒で入った会社)、③希望する業界職種企業名になる。

学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。

②も大事だ。どんなレベル会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測やすいこともある。

③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。

この時、私が見た転職希望者の中に、佛教大学卒業生がいた。

詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。

結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。

その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。



今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。

『嘘』を吐かれたからだ。

講義とか、就職関係行事などで、大学先生事務職から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。

とある文学部先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験合格して法務省採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業必要単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。

とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学学園祭ではパヒュームダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。

私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校先生だった。

見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部先生から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。

相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学先生が、どうしてはるか下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。

すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。

大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格おかしい人が多かった。

常識のない人

健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会部活支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。

精神的に幼い人

講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人レベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。

人格おかしい人

事情により略。ごめんなさい……

大学卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織所属したことはなかった。

大学だけでなく、中学高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。

数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。

高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。



このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。

学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。

私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流である認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。

飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ち抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。

嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分自分を許せない気持ちになる。

どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?

何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。

シロクマ先生ほか、有名なブロガー記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我生まれる。

私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。

今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、1.3倍ほどの開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。

満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去自分を許せないんだと思う。

最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。

だったら、この、昔の自分が許せない気持ち感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。

ここまで聞いてくれた人、ありがとう

公共の場愚痴をこぼしてごめん。

涙が止まらないんだ。

昔の私に、いつか言ってみたいことがある。「諦めないでくれてありがとう」って。

2021-02-18

anond:20210218185448

「これ、2006年くらいにはてな村統一模試で見た」という感覚が強すぎて、

私は何周目かのデジャヴループにハマってないかの方が気になってムカつくどころの騒ぎじゃない

2021-02-12

anond:20210212183046

最高記録は模試県内3位だったけど、クソ田舎の3位とかよく考えたらゴミだったわ🥺

2021-02-11

みんななんで自閉症とか自称したがるの?

ン年前、会社員のころうつ病休職したら精神病院に連れていかれてテスト(WAIS-Ⅲ)受けさせられた。結果自閉症と診断された。

少なくとも自分高校時代(2007.4~2010.3)のころから親や周囲の人から自閉症だなんだと周囲から言われ続けてきた。

しか自分自閉症だとは到底思えない。エビデンスも知能検査だけである

3時間程度の知能検査を受けただけで自閉症認定され劣った人間の枠に入れられることは、正直憤懣やるかたない。

自閉症向けの支援施設に何度か無理やり連行されたこともあるが、はっきり言って自尊心がへし折られて泣きたくなった。

自分は五体満足であり、成育歴をみても「自閉症だよね」というエピソードには乏しい。

自分アスペだということは周りには隠している。そんなことを周囲に吹聴しても何の得にもならないからだ。

たまに診断書必要となってもらってくるのだが、診断書に踊る「自閉症」の3文字を見るたびに陰鬱な気分になる。

多分誤診で本当は自閉症ではないとは思いたい…

 

一方SNS特にTwitter)を覗くと「私は自閉症です」みたいに自称している人を大勢見かける。何が目的なのかはわからない。

自閉症というのは負の属性であり、少なくとも差異ゲームの道具やブランディングツールではない。

自閉症コミュニケーション問題が生じやすい(と一般的には言われている)ことから特にSNSのようなコミュニケーションツールでは忌避される属性のはずである

自閉症の症状を個性だと歪曲する人も散見されるが、障害個性というのはおためごかし以外の何物でもない。

自閉症成功した人も中にはいる。そういうのは自閉症から成功したのではなく、それ以外の特技があったか成功したのである

日本人の○○さんはすごい、だから日本人自分もすごい」と何ら変わらない論法だ。

結局自閉症であることを自称することの意味が分からない。

 

【補記】自分自閉症だ!とこじつけられた行動

かにもいろいろあるけどまあこんな感じ

2021-02-03

埼玉の「滑り止めの星」としかご縁がない場合進学すべきか (追記あり)

在校生親の私見です。

2月になったにも関わらず埼玉の「滑り止めの星」についての情報をご覧の方には、他の中学とご縁がなかった際に進学する価値のある学校か、という点がひとつ気になるところと思います私共入学して過ごしてきたものの、これはちょっと・・・判断高校から外に出る親子です。ありがたいことに次のステップに目途が立ち、子ども本人からもこれを共有してほしいということで書いてみました。2月に志望中学合格を確保された方、おめでとうございますこちらに上位の志望で合格された方、以下は読む必要のない文章です。在校生の皆さん、人間評価軸は試験の点数だけではありません。どうかうまく生き延びて。

まず初めに

強調しておきたいのは、今在籍している多くの生徒さんたちは本当に賢い、良い子たちで、ここの大学受験勉強至上主義教育さらしておくのはもったいない子たちです。もう少し良質な教育を与えてあげればきっと様々な面でもっと伸びるはずだった子たちだと感じます。おそらく、宣伝が上手ということに加えて、首都圏中学受験過熱受験者数がかなり増えた結果こちらにまで比較的質の高いお子さんが回ってくるようになったのかもしれません。

皆さんが受験して中高一貫校に求めるものは何でしょう?

学業以外も充実した時間を過ごして」「大学進学実績も悪くない」というのがその最大公約数でしょうか。これらを満たすかのように外部向けにアピールされている内容と、実際の状況とは実感として乖離している印象です。

前者についての私見

中高一貫校に対して一般的に想起されるイメージとは異なります

教師の中には生徒を点数でしか評価しない方が少なくありません(婉曲表現です)。

部活についても本当は推奨していないことを生徒に対して明言する方もいらっしゃいます

文化祭等の学校行事についても準備はミニマムで、時間をかけることは歓迎されません。

学校生活全般の余裕が、1日の生活でも、年間のスケジュールでも、かなり少ないです。また、試験の結果が悪い子は、質が微妙な補習・追試の繰り返し(追追試もあります)で、気がついたら次の定期試験が始まってしまい準備が追い付かない、ということもあるようで低学年からとにかく試験に追われます中高一貫の、高校入試がないメリットを生かしていない印象です。

後者についての私見

これほど試験対策的な勉強ばかりさせられているのにこの程度の進学実績なのか、と感じます。また、(いろいろなところで他の方も書いてらっしゃいますが)東大クラスさらにごく一部の進学実績がその数字のメインで、それ以外は実質「ベット」扱いです。平均的な進学先はMARCH未満です。そもそも東大や国公立医学部に行きたいならもっと効率の良い王道学習法があります

・ 与えられる宿題課題が精選されておらず量ばかり膨大で、生徒たちは悪い意味で「慣れて」しまって解答を写したり、アプリ数学問題を解いたりしています。また、提出した課題教師側のチェックがザルです。正誤や意味理解無視してとにかくこなす、埋める、という悪習が身に付いてしまます

教師にはトップ校のリタイヤ教員もいるにはいますが、モチベーションが低いのか、微妙です。先生方は朝の駅から誘導(ガードマンがわりに使われています)や、膨大な補習授業で疲弊しており、本務のはずの授業の創意工夫の質やパフォーマンスは高いものではありません。また、教師間のいじめに似たことも生じているようです。

定期試験模試クラス平均が芳しくない場合クラス連帯責任としてクラス全体に非常に厳しい言葉指導がかけられます。これは本当によくないことで、平均を超えている子供たちのやる気をそぎ落とします。なお、中学での成績が悪いと高校進学時に「野球の強いグループ校」への転出を強く薦められるとのことですが実態不明です。

アルファベット3文字略称の、夜遅くまでやる校内の予備校的なシステムがありますが、質は高くなく、受講はお勧めできません。せめて良質な教育を、と中高一貫校向けの都内の塾まで通おうにも開始時間に間に合わないのが実情で、大宮あたりのマスプロ系の大学受験予備校に通うのがせいぜいです。それでも根性都内の塾に通っている子もいますが。

ちなみに、見切って高校から転出する際もバトルしなくてはいけないのが実情です(内申も期待できません)。それでも敢えて出る方が少なくないのは他の中高一貫校とは一線を画すのではないでしょうか。東大クラス以外はあっさり放流されるという話も聞きましたが分かりません。

もちろん以上は実体験と伝聞とに基づいた完全な私見です。

ただ、たまたま私自身も中等教育に深く関わり、他校の最新の状況も知る立場であり、かつ縁があって同学年・他学年の生徒さんや親御さんたちの話をたくさん聴取した実感からも、ある程度の方が同じように抱く感想では、とも思います。また、学校側はかなりかたくなで、インターエデュで学校側への改善提言スレッドを立てた方が、結局高校から外部に出た気持ち、今ならとてもよく分かります

私共まさかそれはないだろう、学校宣伝するような良い点もしっかりあるのでは、せっかく合格した学校なわけだし、と思って我が子を進学させたのですが実際に子供と共に実情を体験して、教材や指導内容、授業の実際を精査してきて非常に身に沁みました。

もしこちらに進学されるならば

通学時間がdoor-to-doorで1時間未満で(駅から重い重いリュックをしょって歩くと晴れた日でも15分はかかります)、かつ6年間受験勉強至上主義で質より量のスパルタ教育を好まれる親御さん、お子さんでしたら合うはずです。類似スタイル学校関西に一部ありますが、都内近辺ではこちらだけのスタイルと思います。それ以外であれば落ち着いた地域公立中学から高受する方が心身の発達には良いと感じます麻布蹴りでこちらに来た子がいる、と学校はおっしゃってましたがその子メンタルが本当に心配です。与える教育真逆真逆です。また、都内どころか神奈川千葉から通っている方もいらっしゃいますが、そこまですると長時間拘束されるこちらの学校では通学で1日が終わってしまます。もちろん各ご家庭の価値観によるとは思いますが。

なお、1時間未満、と書いたのは授業時間ルーズな傾向があり、例えばホームルームを終えた土曜の下校も13時過ぎということはざらで、14時ごろになることもあるためです。また、前出の「校内の予備校的なシステム」を利用するためにも遠すぎるのは厳しいです。学校から駅までで寄り道が禁止されているために、地元からみると単なる「駅と歩道の混雑の原因」扱いで、地元住民の方や商店から敵視されているのは生徒の皆さんがちょっとかわいそうです。

さて、皆さんが受験して中高一貫校に求めるものは何でしょう?埼玉の「滑り止めの星」にそれはありそうでしょうか?

追記

学校最寄り駅から教室まで」は20から25分だそうです。なお、今春から快速が最寄り駅に停まることをポジティブにとっているのは学校側だけで(宣伝材料になるからでしょうか)、生徒からすると電車が来る間隔が広がるのでかえって迷惑、だそうです。試験の点数を基軸に教師先導で東大クラスv.s.その他のクラス教師v.s.生徒、といちいち分断をあおる仕掛けが組み込まれているわりに、ほとんどの生徒は肩を寄せ合うモルカ―のように健気に頑張っていますが、中にはその仕掛けを真に受けてガチで見下す生徒が出てしまっているのは残念なことでした。極端な例ですが、卒業生による職業紹介の際にその卒業生が某旧帝出身と聞いて素で「ザコじゃん」と卒業生本人に言ってしまった子がいたそうです。毎朝唱和させられる内容(Wikipedia学校紹介ページ参照)には意味が無いようです。

2021-01-30

心の捻くれた浪人生自己崩壊してるって話

昨日久しぶりにYouTubeオススメに出てきた林先生動画を見た。受験生に一ヶ月前に必ず話すことというもの

https://youtu.be/G4GB2dXL-5A

林先生の話の内容はざっくり言うと

受験前の一ヶ月頑張るかどうかが人生を決める

一ヶ月頑張れなかった奴は受かろうが落ちようが自分は一ヶ月も頑張れない人間なんだという思いを持って生きてかなきゃいけない

一ヶ月頑張れる奴は一年頑張れるしそうゆう奴は10年、一生頑張れる

こんな感じ

自分努力しているのだろうか、他人より努力しているのだろうかみたいな事をよく考えるのだけれど、一つの答えに辿り着く

自分は多分本気で残り一ヶ月努力出来ない  

ここまではよく考える事なのだけど、昨日は新しく考えることがあったから残しておきたい

そもそも自分短期集中みたいなのが苦手だ。テスト前日に寝ないで詰め込むみたいな事は出来ない。コツコツとやっていくタイプで、身につくまでに時間がかかる。現役の時も4月からセンター直前まで半年以上成績が全く動かなかった。(伸びなかった理由勉強方法だったり他にも沢山あるのだが) 努力なんて自分のものさしでしか計れないものだけど、目盛が狂ってる気は前からしてる。そういった自分性質理解し、言い訳にして生きてゆく。出来ない事を諦めて熱量を変えずに勉強する。現役でセンター試験後e判定で突っ込むと決めても、死に物狂いで勉強するなんて1日もしていなかったと思う。

いつから自分限界勝手に低く決めつけて、本気で取り組むことが出来なくなってしまった。だからあと一ヶ月も必死勉強なんてできずのんびり今までの積み重ねを信じてやってくしかない

と思ってた

だが最近もっと大きな理由が表面化してきた。

多分自分はこれ以上傷つく事を異様に恐れている

短い人生の中でも失敗はよくあった。自分のせいで負けて終わった部活のこととか、死ぬほどくだらないミスをして落ちた受験の事とか、もっとさな事でも、他人に話せばそんな事かよと言われるようなものバカみたいに重く引きずる癖があった。そしてそういった経験の裏には自分なりの努力があった。親は自分を良くも悪くも努力する人間に育てた。

ただ、努力すればするほど「失敗」「敗北」を強く感じるだけだった。そうした経験を嫌というほど重ね、それでも高望みをして、大した才能も無いことに気付かないフリをして努力する。結局最後に満足するような結果は残らず、とは言っても自分で考えてやってきた行動への後悔はあまり無く、変えられない過去からひたすら何が悪かったのかを探し続ける。無闇に過去を掘り下げても、その過去は悪いイメージしかならない。

そうやって過去をどんどん腐らせて、消えなくなっていく。努力→失敗という法則が出来上がってしまって良いイメージが湧かない。未来の良い想像をすることはしょっちゅうあるんだけれども、むしろイメージすることでそれは絶対叶わなくなるのではないかとさえ思い始めた。

そうして段々努力を薄めるようになってきた。今年は自分で「頑張っている」と思わないようにしようと行動してた。ストレスを与えないように日曜はゆっくり休み予備校が閉まる時間までは勉強しない。帰りの電車勉強せずにスマホをいじってる。そうした妥協をすることで「自分はまだ勉強出来る」という余裕を作り出し、辛さを軽減していた。そうやってきたことで正直今年の一年精神的には安定していた。去年以上勉強時間を割いてきたが、辛くはなかった。

しかし、残り一ヶ月になった今、受験の終わりが見えてきて、その先を想像した時に何も残らない気がしている。よくネットだったり合格体験記なんかに浪人地獄だったけど良い人生経験になった」とか「あの一年自分人間として凄く成長した」みたいなことが書かれている。それは上手くいったかから言えることなのでは?なんて思いつつ、一ヶ月先を想像したときに、自分がそんな達成感や成長を感じているとは思えなかった。

去年から志望は変えず、模試はずっとa判定。家族の中でも今年は受かるだろうというムード流れる一年かけて定着させたその雰囲気は、合格という自分にとってハードルの低い目標を薄れさせていったし、合格の喜びもきっとないだろう。そのあと推薦入試に落ちる。なんとか切り替えて勉強、判定が良く出ている自分共通テストボーダーなんて全く意識しなかった。自分目標を決め、その目標に本気で達成できると思っていた。だが本番終わってみれば、大ミスはするしもっと取れると思っていた教科の点数も低い。おまけにボーダーセンター全然変わらない。頭のいい大学を目指しているわけではないので、第一志望は受験出来そうだが、問題はそこじゃない

自分の中では

推薦、共通テストミスという下らない過ちで自分の力を発揮できないまま終わったこから不完全燃焼

ミスをする人間などもはや受験生としてどころでは無く社会に出ていく人間として致命的なのではないかという将来への不安

難化すると言われていた共通テストで点数が伸びず、判定も悪い。でもボーダー模試と比べてだいぶ上がっている。周りは伸びている。結局自分はこの一年で対して学力が伸びていないのではないかという絶望

何度も落とされた(明らかに自分が悪いが)大学への(超個人的な)イメージは今のところ圧倒的にマイナスであり、もうあのキャンパス行きたくないとまで思っている。やりたいこと、学びたいことを考えても答えはその大学しか出てこないのに、今年せっかく戦えるレベルまで来たのに、何故かあの大学行きたくない

第一志望に行きたくない

からもし今年受かることが出来ても、自分は喜べない気がする。落ちたとしても、何も感じないだろう。そして今年一年への思いも何もない。空白の一年。ただ社会に出ていく上での何か大きな問題点が表面化してきた一年

そうやって考えているうちに先が見えなくなってしまった。今シンプルに何の迷いもなく目指す先がない。

あと一ヶ月頑張って、というか頑張る意識を持つべきなのか。努力は必ず精神をすり減らす。そして合格しようがしまいが達成感はない。それでも努力するべきなのか、将来「あの時は頑張ったな」と美化できる日が来るのだろうか

思った事をひたすら書き殴っただけの芯の通ってない文章になっているが別に読む人間もいないし問題ないと思う。こんな事を話す相手もいるわけがいからなんとなく呟きたかっただけ

もし読んだ人間がいるなら意見だったり批判だったり残していってほしい。自分の言いたいことがこの文章から伝わっているとは思えないが、自分客観視できてない気がするからしてほしい。自分がどれほど馬鹿無意味で浅はかで下らない事を考えてるのか分からせて欲しい

推し、燃ゆ」を読んだ

高校二年生の冬、推し出会った。

「実はね、わたし最近○○くんにハマってて」友人にそう打ち明けると決まって「なんで今更?」と返された。私の推しは、あまりにも有名だった。

けれど、そんなことを聞かれてもわからない。推しとの出会いは運命だった。あの日、ほんの一瞬、画面越しに目が合ったあの瞬間、頭の中で何かが弾けた。私の意思とは関係なく目が否応無しに彼を追ってしまう。あの日の彼はブラックホールのようだった。それまでの私が知る彼とその日の彼は何かが違った。

その日から人生が変わった。

この本の主人公あかりは、推し出会った時の私そのものだった。

あの時の私も推し生活の全てだった。

部活が終わると一目散に家に帰って推しが出ているテレビ番組を見た。お年玉をはたいて買ったライブDVDを、時間があれば何度も再生した。CDが発売される月は友達との遊びを我慢してどうにかその費用を捻出した。推しのために、生きていた。すごく楽しかった。

けれど、幾ら推し推している時間楽しいからと言っても、私にも "私の" 生活がある。

気づけば高校三年生になっていた。志望大学はどこで模試の判定は何で偏差値は幾つで… その頃からクラスメイト自分のことを "ジュケンセイ" と呼び、周りも私たちのことを "ジュケンセイ" として扱った。私もとりあえず、自分のことを "ジュケンセイ" と呼ぶようになった。

けれどいつまで経ってもやる気は出なかった。正直、自分の将来なんかよりも推しの方が大切だった。大学受験は刻一刻と迫っているのにも関わらず、推しに縋って勉強から逃げた。大学には落ちた。自業自得だと思った。自分のことを "ジュケンセイ" だと呼ぶことは出来ても、 "受験生" にはなれなかった。

「折角、良い高校に入ったのに。」

気を使って言わなかったけれど、きっとみんなそう思っていたんだと思う。「地頭が悪いわけではないのだから頑張ればそれなりの所に行けるのに、どうして頑張らないの?」担任には遠回しにそう言われた。本当にその通りだと思う。頑張りたいとは思っていた。でも、推しの方が大切だった。何で頑張れないのか、自分でもわからなかった。

推し出会って一年が経った。周りがみんな所謂「良い大学」への進学を決める中、なんて自分ダメ人間なんだろう、と自分自分に落胆した。推しに縋って生きていたそれまでの自分を心底殴ってやりたかった。

推しに縋って生きた先に待っていたのは、社会歯車に組み込まれた「わたし」の凋落だった。

しかった。このままで良いわけがないこともわかっていた。人間とは不思議もので、自分にラベル(私にとっては地元で一番の進学校に通う勉強が出来る子)が貼られると、そのラベル通りの人間になろうとするらしい。"良い大学に行くために"浪人をした。高校三年生の時よりもちょっとだけ、頑張った。ラベル通りの人間にはなれなかった。

結局、滑り止めとして出願した今の大学に拾って貰った。首の皮が一枚繋がった。私は、あかりにならずに済んだ。(と思いたいだけなのかもしれないが)

気づけば推し出会って二年が経っていた。

現実世界の私は、もう本当に、どうしようもなかった。

こんなにも自分怠惰堕落しているのに、親が私の事を見捨てず変わらず接してくれることが苦しかった。なんでこんな自分出資をしてくれるのか、わからなかった。リターンなんて何も無いのに。この先必ず廃業すると分かりきっている企業の株を親に買わせているようで、辛かった。自分詐欺師にでもなったかのような気分だった。

推し出会って四年が経った。

未だに私は推しのことは相変わらず大好きだし、推しに縋って生きていたあの時と同じように狂ったように愛を叫んでいる。けれど、何かが違う。

大学生になった。

詐欺師から普通人間になりたくて、必死にもがいた。辛い、もう辞めたい、と周りに弱音を吐きながら何が何でも良い成績が欲しくて必死に授業に喰らい付いた。二年前、私がなれなかった "受験生" になったかのような気分だった。気がついたら死ぬ気で喰らい付いた授業で優秀作品に選ばれていた。やっと人間に近づけたかもしれない。そう思った。

推し、燃ゆ。

こうなっていたかもしれない私の、話。

私の推し今日も変わらず画面の向こうで笑顔を振りまいている。そんな推しをぼーっと眺めながら今日も私は目の前の課題に取り組む。

私の背骨はいつの間にか、推しから現実生活に変わっていた。

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