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はてなキーワード: 模試とは

2018-07-17

遂に私も小特免許をとった話

どうでもいい増田だけど、今日久々に運転免許試験を受けに行って、小特免許をとった。中型限定ゴールド免許をわざと失効させて(バカ)ぷらぷらフリーダム(すぎた)を謳歌していた私だけれども、また公安委員会に捕捉されに行った。官憲は恐いところである。なにせ免許証の写真犯罪者のようにばかり写ってしまう。山田まりや美人には写れないのではないか

ともかく、かつて二俣川原付免許をとったときは同室の小特受験者に羨望の眼差しを向け、その後日、普通自動車(当時)の免許もとってしまたから「もう一生小特はとれない」と泣いて諦めていた日々。その日が遂に私にも来ようとは! とは!!

小特はロマンだ。フルビットを目指す人々の登竜門である

いや、こっち雪国なんで、これで小さな除雪車だったら運転可能になるんでいざというとき助かるんだなこれが。

それに、三輪自転車上位互換版として、小型特殊活用して買い物に行きたい! 生活道路タラタラ自転車並み(いやそれ未満じゃないか?)で走っていたらめっちゃ福祉感!(近頃たまに見かける、実際)

ちなみに、普通自動車免許とかをいきなりとろうと思っている人(学科試験受けたことない人)の模擬試験としても最適だと思う。原付技能講習があるので高価だし面倒だが、小特は学科だけ。いずれにせよ、普免受ける前に小特と原付で2回学科試験を受けてみてもよいと思う。原付模試代わりに受けた人間が言うけど、オススメ。超オススメ。で、「何あの人、ウッソー」とか後ろ指さされて大人気になる可能性あり。

それにしても知ってはいたけどまた改めて見たけど、普免の学科に落ちる人、けっこう多いのねー。合格ラインが厳しいもんね、運転免許試験って。

2018-07-09

anond:20180709091337

そんなことはないよ、増田君。君が自分は出来ないと、そう思い込んでみるだけ。

模試受けてみようか? それで本当の自分を確かめようよ。

2018-07-05

恋愛は少なくともメンヘラとは両立できなかった話

 本文をうっかり読んでしまうのは時間無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。

 これは一人のクソ女の自分語りだ。

 多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクション小説好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。

 文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。

 特に意見アドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。

 そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。

 石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。

 それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう

 さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。

 私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレ中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。

 親に無理矢理突っ込まれ進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。

 結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試きれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校受験して合格した。

 妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。

 彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。

 彼は誰にでもそうする人間だ。

 そういう人間を私は好きだと思った。

 高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。

 彼は時折、家族が留守にしている放課後休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車こいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。

 彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。

 たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だから地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。

 いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。

部活大会模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。

 関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。

 私は学校へ行けなくなったというより、身体が動かなくなった。

 鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校卒業も危うくなった。彼のメール無視し続けた。友人たちのラインブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。

 音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センター保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。

 高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。

 私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像はるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室卒業式をやってくれた。

 さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。

 私は全くもって元気では無かった。

 恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。

 人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。

 そういうことでお付き合いは継続されることになった。

 彼は大学入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。

 私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死家族説明し、ひたすら精神科に通った。

 彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。

 彼はサークルが忙しかった。理系から男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。

 私達はあまり会わなくなった。

 彼は学業を、私は治療を、お互い頑張っていた。

 彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。

 色々なことがあった。

 死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。

 私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。

 退院してからはまた酒を飲んで眠るだけの生活をした。

 そんな状況を医者は許さず、私は精神科閉鎖病棟入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。

 入院生活幸福だった。

 看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。

 母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。

 少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。

 これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。

 あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。

 閉鎖病棟入院したことがあるレッテル付きの私は母から罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。

 そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。

 母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。

 彼はおめでとうと言ってくれた。

 新調したスーツきれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達

 私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。

 アルバイトもはじめた。友達徹夜で飲み明かしたりした。

 しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。

 主治医からストップがかかり、休学する事になった。

 私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。

 大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。

 そういえば私は彼とセックスしていなかった。

 呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。

 セックスすることでそれを清算できると思った。

 セックスする前に私は酒を飲んだ。

 薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。

 彼が取ったホテルで私は彼と昼間からセックスした。

 こんなもんか、と思った。

 彼は別にセックスたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。

 その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかたからだ。彼と話すのは楽しかった。

 それが数ヶ月前のこと。

 それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。

 なんだかひどく億劫で、気の許せる女友達しか話したくない。

 精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠規則的になった。

 兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。

私の生きる価値は無くなった。

 ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。

 終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。

 翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟一人暮らしをしている家に転がり込んだ。

 それから紆余曲折あり、結局兄弟仕送りで私は生活している。兄弟大学に行き、私は自分兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。

 もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。

 今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。

 彼と連絡を取っていない。

 これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。

 私は多分もう駄目だ。大学は妹宅から距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。

 こういう駄目な人間恋愛などしても彼に何の得も無いだろう。

 だから自然消滅であってもさよならを言っておきたい。

 もう恋愛感情がどういうものなのか思い出せないのだ。

 自分異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・

 彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛かいフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。

 友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。

 さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学夏休みの期間を調べている。

 でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。

 こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。

 生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。

 そろそろ死んじゃおうと思っている。

 メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。

 恋愛には向いてなかった。

 多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。

 罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。

 参ったなあ。

 

2018-07-02

頭の良い子に出会えない

当方30代前半の男。最近周りのプレッシャーに負けて半年くらい前から婚活的な事をしているのだが、どうもしっくり来る相手出会えない。少々語弊のある表現になるが、「知的レベルが低くて話が合わない」 とでも言おうか。例を挙げると、ワールドカップ話題で、コロンビア南米にある事を知らなかったりとか些細な事ではあるのだが、絶妙話題の「深さ」が合わないのだ。

さて、少し自慢になるが私は婚活をする上ではそこそこ条件が良いと思われる。地方進学校から中堅国立を経て、一部上場企業に勤務して10年ほどになる。身長は175cmあり、フルマラソンを完走できる程度に体も鍛えている。女性とお付き合いした経験ちゃんとある(2人)し、タバコも吸わない。もちろん借金は無い。

そんなわけで、どうして普通に話のレベルの合う頭の良い子と出会えないのかとなんとも言えないモヤモヤを感じていたのだが、気づいてしまった。ある条件がものすごく高望みになっている事に。その条件とは私が一番重視していた頭の良さだ。

今思えば私が20代半ばまでに出会った女の子地元大学同級生だったり、会社の同僚のツテで知り合った子の学力大学で言えばだいたいMARCH/地方国立クラスだった。そしてこのレベルの子たちとは普通に話が弾んでいた。少し気になって、このクラス学力の子が男女比半々のクラスでどの位の割合になるのか、玉石混合の田舎公立中学を例にして大雑把な推計になるが考えてみた。

まず、大学受験学力正規分布になっていると仮定する。MARCH/地方国立と言えば偏差値55くらいのイメージ。ざっくり上位30%くらい。上から6番目くらいに頭の良い子に相当だ。まあそこまで高望みでは無いかな。

ふと気付いた。大学偏差値あくま予備校模試を受けている生徒が母集団になる。ということは…アラサーくらいの日本の1学年の人口100万人として、比較対象受験者の一番多い進研模試(40万人)とする。この世代の4年生大学進学率をざっくり50%として、模試基本的大学進学予定者しか受けないこと、全員が毎回受けないことを考えれば進研模試受験者はほぼ学力上位50%包含している推定できる。と言うことは、進研模試偏差値55(上位30%)は母集団を変えると偏差値60相当(上位15%)、そして、進研模試MARCH偏差値は…まさかの65越え。あれ、記憶の中にあるMARCH偏差値と違う。受けてた模試が違うのか。この値で公立中学校換算するとクラスで一番頭が良い子よりもレアになるぞ……

なんと言う事だ。なんということだ。容姿で例えるとクラスで一番かわいいレベルの子を狙うのが高望みだというのは容易にわかる。しかし、MARCH/地方国立クラス学力がある子を狙うのはそこまで高望みでは無いと思っていた。が、大雑把な推計で見積もった結果思い知らされたのだが、頭の良い子を求めるのはそれ以上に高望みだったのだ。なんということだ。どうりで婚活で頭の良い子に出会わないわけだ。

残酷事実を知った今は、頭の良い子に囲まれていた20代半ばまでを思い出して絶望に打ちひしがれている。なんということだ!なんということなのだ!

anond:20180702143139

アホも全部ひっくるめた模試だと偏差値70。

ちなみに東京千葉神奈川埼玉にある偏差値60くらいの進学校は平均層でも現役では日大にもなかなか受からない。 

早慶なんてそれこそ現役縛りだと0〜2人くらい。

2018-06-20

若手俳優にはまった話

毎日学校に通い、テスト合格するために必死勉強し、気付いたら夜で倒れこむように眠る生活を何年も続けている。私の通ってる学校は厳しい。不器用な私はテストプレッシャーから自殺を考えることもよくあった。今死んだら楽になれるのかなと深夜の風呂上がり、髪を乾かしながら考える毎日テストって何年受けても慣れない。ある夏の日、映画を観に行った。夏休みに入っていたから、少し余裕があった。コメディ要素も、魅せる要素もある豪華セットみたいな映画だった。どのキャラクターもかっこよくて、面白くてスクリーンに夢中になった。私はあるキャラクターに惹かれた。彼は大人気なキャラクターだとあとでインターネットを調べて知った。気付いたらそのキャラクターを演じている俳優さんについて必死に調べていた。誘惑するような、とき哀愁を感じる美しい目に夢中だった。私は若手俳優についてあまり知らない。バラエティ番組番宣で来るような大人気な俳優さんは知っていても恥ずかしながら彼のことは知らなかった。インターネットを見ると彼は大人気な俳優さんらしく、まとめやファンが語る掲示板がいくつかあった。かっこよくて美しいだけでなく、人柄もいいらしい。平日は勉強に打ち込み、休みの日は加入している動画配信サイトで彼が出ている映画ドラマを観る日々が続いた。

なにかに夢中になることはときに良い効果もあるらしい。必死勉強した模試の成績が良くて、努力が報われる快感に味をしめて、ますます勉強に打ち込めるようになった。

美しい顔立ちと高い演技力を持つ彼はますます活躍の幅を広げ、テレビ雑誌露出も増えた。彼の活躍マイペースに追いかけながら、勉強を頑張っている。ファンレターとかはうまく書けないけれど、匿名のこの場にひっそりと言葉を書きたい。死にたいと思うこともあの頃に比べたら随分と減った。彼には体に気を付けてお仕事を頑張ってほしい。俳優という仕事を選んでくれてありがとう

2018-06-18

anond:20180615111555

今更だけどその「頑張ってない先生」ってどういう判断

自分の話でいうと「60分の模試を60分で解ける人」は頑張ってない腐ってる人間で、「60分の模試を90分で解ける人」は頑張り屋さんで腐ってない人間なの?

なんか、一昔前のヤンキー漫画の「エリートクズで、落ちこぼれの俺たちは人情派」みたいな考え方ね。

2018-06-15

anond:20180614164910

その「頑張っている先生に習いたい」って思ってるのがまずおかしい。

そう思ってる事が過剰に頑張ってる人を増やしている原因になるってなぜわからない。

努力美徳としている文化が、時間外に働いてでも頑張れば評価されると、いつまで立っても要領が悪い人間時間外勤務をやめさせない原因を作るわけ。

 

例えば60分の模試を、60分で全問解ける容量のいいヤツと、30分オーバーして90分かけて全問解けた奴、どっちのほうが成績が高い。当たり前だけど前者だろ。

から「次は60分以内に全問解けるようにしよう」って後者は思うわけ。

でも、仕事になると、残業の仕方で90分かけて全問解けた奴のような働き方をするやつがいるわけ。そしてなぜか、後者のほうが手当がついて給料が高いし、褒められる。だからいいことをした気になる。

からいつまで立っても自分能力改善することなく90分かけて全問解くようになり、90分がスタンダートになっていく。そして60分で問いてた容量のいいヤツは60分で解ける問題を要領の良さを活かして90分のペースで解くようになる。そして総ブラックおしまいだよ、おしまい

2018-06-07

息子の学校に行った人の話を見て

今でも時々、卒業した高校へ行く。

自分でも高校へ行きたい理由がわからなかった。それだけ嫌な記憶しかなかなかったから。

でもお前たちが認めなかった俺はこれだけ立派になったぞと主張したかったのだと思う。

奴らは成果ではなくプロセスを重視した。

どれだけテスト模試で成果を出してもプロセス(提出物や授業の態度)が間違っていたら評価されなかった。

評価されなかったけれども、その高校の中で最後まで成績は上位に居続けた。

最後には高校の実績のために受験料と交通費高校負担して行く気もない大学をいくつも受けた。

大学卒業して外部の大学院に受かったとき高校へ報告しに行った。

就職したとき高校へ報告しに行った。

就職後、博士課程を修了したとき高校へ報告しに行った。

その後もたまに高校へ行って近況を報告している。

就職してからは成果しか問われなかった。

僕がどれだけ頑張ったかなんて顧客には関係ない。顧客価値を与えられたかけが全てだ。

一年目のときに衝突した15歳上の仕事のできないおじさんがいた。彼は役職としては僕より上だけれども、今や指揮系統は僕が上だ。

彼が仕事ができない理由が、上に立ってすぐにわかった。彼は仕事完了要件プロセスしか見ていない。仕事完了するのは所定のプロセスを終えたときではない。製品顧客の期待を満たしたときだ。

結局、最終的に評価されるのはプロダクトが全てではないだろうか。

もちろんプロセス品質プロダクトの品質に影響を与えるけれども(ISO14001もそう言ってる)、でもそれだけで十分とか、それが全てだと思い始めると本質を見失っている。

世の中の教師自分の思う正しいプロセスが全てである押し付けるべきではない。

正解には様々な方法でたどり着ける。そして正解にたどり着くための、各個人にあった方法提示するのが教師の役目なのではないか

元増田(元が消えていて引用できないが)の息子は教師が思う正しいプロセス押し付けらた被害者しかないんじゃないか

2018-05-17

[]イジメSOS

最近模試は、解答欄に「助けて!」と書けば、部外者通報してもらえるらしい。これ本当なの?

https://twitter.com/beronchosan/status/996586033503334400

いま中高生対象とした模試の採点を行うバイトをしてるけど、解答欄に 「いじめられています。助けて下さい」 みたいなことを書いた場合は 「誤答」じゃなく 「要報告の情報」として分類することになってるから 悩みがあるけど誰にも相談出来ない中高生は空欄を積極的活用していこうな

2018-05-01

底辺校出身田舎者が、東京に来て絶望した理由

これらの記事話題になっているので田舎出身の私の事をここに書いておこうと思う。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55505

私は今年で30才を迎える正真正銘東北田舎底辺校出身都内勤務の人間である

私の両親は共に高卒父親土木業、母親スナックママという家庭に育った。

勉強しろと言われたことは人生で一度もなく、部活動アルバイトをして早めに社会勉強しろといって育てられ、中学生の時から新聞配達をはじめ、高校に入ってからコンビニスーパー引越し屋アルバイト等をしながらお小遣い自分で稼いでいた。

テスト赤点であっても宿題をやらなくても怒られることがなく、お小遣いが貰えなかったため自分アルバイトし、また勉強を疎かにしてバイトを増やしても怒られない家庭だったので、お小遣いが欲しかった私は勉強はまったくせずアルバイトに精を出し稼いだお金ゲームに費やして過ごした。

さらに遡ると小学校低学年の時に分数計算でつまづいていた私は家で父親宿題を見てもらおうとしたが「わからいからオレに聞かないで」と一蹴された事もあった。

さてそんな環境で育った私が高校三年生を迎えた時に進路について考える必要性がでてきた、周りの友人に話を聞くとだいたいが就職するか専門学校に進学すると言い、大学に進学すると答えるものクラスに1、2人くらいだったと思う。

私も友人同様、当時ハマっていた漫画ゲームの影響で車関連の専門学校に進学しようと思ったが家庭の環境がちょうど悪くなっていた時期でもあり進学するのが厳しかったため進学をせず、また就職するわけでもなく、アルバイトして貯めたお金東京上京フリーターになった。

そこで一番最初に知り合ったバイト仲間は予備校生だった。

私は当時、専門学校自分が就きたい職業専門性を磨くという場所でとても大切な場所だと思っていたのに対し、大学に行く意味というのが全くわからなかった。

大学に行っても中学のように相変わらず”将来役に立つとは思えない”5教科を勉強する場所と思っていたのだった。

そこで、そもそも大学に行く意味がわからない私が、その大学に入るために1年ないし2年かけて大学に入る勉強をするという予備校生出会ったのだから私にはとても衝撃的な出来事だった。

しかし、それからそのバイト先で出会うさまざま大学生と仲良くなるにつれ自分の考えがおしかった事に気づかされていく。

そのバイト先では東大生慶應生、早稲田生、明大生と、日本で上位に位置付けられる大学生達と出会い、仲良くなり、彼らの頭の良さ、教養の高さ、人間性、将来目指している(自分とはまるで縁のない)職業、育ちの良さを目の当たりにしてしまったのだった。

また彼らと話していて大学というのがどういう場所想像することができ、その中で私がショックだったのが、彼らには当たり前のように配られている弁護士官僚新卒大企業に入るというエントリーチケットを私は持っていないという事だった。

もちろん全員が夢叶うわけではないが、そもそも私は今のままではそのエントリーチケットすら持っておらず彼らとは全く別の人生を歩まないと行けないんだという事実にその時初めて気が付いたのであった。

そもそもそれまではそんな職業に就く人や、目指す人が自分と同い年にいるという事をまったく想像すらできなかったのだ。

医者弁護士は元より大企業で働くサラリーマンですらどこか異世界の話、自分とはまるで縁のないものと思っていたのだ。(プロ野球選手芸能人を思い浮かべればわかりやすいだろうか?)

彼らは小中高と勉強をしてきて、当たり前のように塾に通い、進学校入学し、予備校に入り模試を受け、入試を受けいい大学に入る。

これらが彼らの周りでは至極当たり前のことで、彼らにしてみれば私の方が異端児だったのだ。

その時19才の私は、例えるならレースをしていてスタート地点から1/3程度進んでから貴方が走っているのはコースではないのでコースを外れた地点まで戻ってレースに戻って下さいと言われているようなとても理不尽感覚に襲われた。(コースアウトしていたのであれば、コースを外れたその瞬間に教えてくれないとあまり先行者と差がつき過ぎて追いつく事ができないよと)

私の場合スタートした時点で明後日の方向に走ってしまたかスタート地点をグルグルと回っていたのだ。

そして世の中の仕組みを教えてくれなかった両親や生まれ育った田舎を恨むようになった。

誰も世の中のルールを教えてくれなかった、知ってさえいれば努力ができたはずだと涙する事もあった。

間はだいぶ端折るが、その後私は一念発起し世間一般ブラックと呼ばれるような待遇零細企業就職し、自分学費を捻出し国立の夜間大学へ通い、無事卒業し、転職をして最終的に東証一部に上場している業界大手企業に勤める事ができた。

私はまだ人生のやり直しが聞く時期に、たまたま運良くバイト先でそういった人たちと巡り会うことができ、気がつき、努力ができた為、今はそれなりに普通暮らしを送ることができているが、もしそういった気づきが今だになければ30才の今フリーターを続けていた可能性もある。

こんな経験をしてきたから思うのだが、

世の中には私が若かった頃と同じような境遇の人が沢山いて、そういう人たちに勉強してこなかった自分が悪いんじゃんと一蹴することは簡単だが、そもそも勉強の意義を知らない人は勉強するはずもなく、単に怠けて努力しない人とは違うということである

そして私は宝くじに当たったのと同じように運良く気がつくことができた為、そこから脱出できたのである

もし全員が生まれた瞬間に同じカードを配られていたとしたら、それをどう使おうが(または使わないか)は個人勝手だが、はなから配られたカードが違うのでは理不尽である

人生というのは往々にして理不尽ものだが、せめてその理不尽が少しでも縮まるのであればそういう世界の方がいいと私は思う。

田舎と都会の情報格差が少しでも縮まればいいなと私は思うのである

2018-04-23

リズと青い鳥」を見た

以下ネタバレ

 

 

 

 

 

最初、おっ百合百合しいなwktk

序盤、希美先輩と鎧塚先輩がなんかギャル童貞コミュ障みたいやな

中盤、希美先輩が束縛系毒親に見えてくる

終盤、おっ鎧塚先輩が希美先輩から独立!?

最後、結局元鞘かーい

 

まぁ、鎧塚先輩の気持ちわからんでもない。

友達いないコミュ障から初めてできた友達依存ちゃうよね。

でも、友達が全部とか大学の進路を友達が行くからでなんも考えずに決めるってかなりヤバい依存度激高。

 

新山先生と続く第三章の演奏のシーンでは鎧塚先輩が希美先輩を送り出すこと、別れを受け入れるって流れだったように見えたんだけど、そのあとで鎧塚先輩が「希美が全部だ、音楽始めたのも、音大行くのも、全部希美がそうするからだ」って言っちゃう

で、そのあとに希美先輩は模試勉強、鎧塚先輩はオーボエ練習のシーンが入って進路が分かれることを暗示させるんだけど、鎧塚先輩大丈夫ちゃんと進路分かれること理解してる?一人で生きていける?って思っちゃった。

結局あすか先輩の慧眼のとおり希美先輩は吹部戻らなかったほうが鎧塚先輩にとってはよかったんじゃねーかなー。

後輩には慕われてたみたいだし、夏紀先輩もでかりぼん部長もそれなりに気にかけてたみたいだし。

 

あとは、鎧じゃなくて剣崎さんがかわいいとか久美子と麗奈は相変わらず百合百合しくて大変よろしいとか鎧じゃなくて梨々花ちゃん後半出番なくて寂しいとかなんでプールのシーン飛ばしたしとか夏紀先輩とでかりぼん先輩いっつもいちゃいちゃしてんな大学まで一緒かよとか葉月サファイアちゃんハッピーアイスクリームだけかよとかというかハッピーアイスクリームとか知らなかったよググったら80年代にはやったとか書いてるしなんで知ってるんだよとか色々あったけど、全体的な感想としては鎧塚先輩の将来が心配です。

 

あ、演奏シーンは相変わらずよかった。

音楽素人なのでどう良かったか聞かれても答えられないけど。

第三章の部分、最初、久美子&麗奈最後のをそれぞれ聞き比べてみたいなぁ。円盤買うかなぁ。

2018-04-15

東大文1楽勝で受かるつもりでいる

タイトル通り。高1で初めて駿台模試を受けて、英数国偏差値76だったときからずっと。

そろそろみんな頑張ってて抜かされるだろうな、ああ勉強しないとと思いつつ模試を受け続けて、高3になった今までずっとA判定しかたことない。

一回Bでも取って見ればやる気にもなるんだろうが、こうもAばかりだとやる気も起きない。

今日も一日増田を見てYoutubeを見て過ごした。

その癖に、いつかずっと地道に勉強してきた人に抜かされることには怯えて。

うそう受かるもんじゃないことも、何浪もしてずっと入りたがっている人がいることも知ってる。でも、自分大丈夫なんじゃないかという甘い考えがぬぐえない。

こんなこと誰にも言えなくて、ひそかに苦しい。アリとキリギリスの話を3日に1回は思い出す。

甘い考えをどうにか叩き直したい。予防注射みたいに、手遅れになる前に軽めの挫折経験しておきたい。

それも甘い考えか。

2018-04-09

クソ女だから

別に男になりたいわけでもないが心底自分性別絶望している。

歴史小説育ちだから男性社会に、女性より強い体に憧れ続けてここまできてしまった。

所謂男尊女卑思想がこびりついた挙げ句の「男になりたい」みたいな考えを持っている残念な女だ。

私は女子中を出て共学高校に進学しているが、高校では女子に馴染めず半年ボッチを決め込んで、夏休み明けに「この模試の上位にいる奴なんでここに?」と話題になったお陰でようやく勉強ばかりしていた男性陣に馴染むことができたため、ボッチを卒業できていた。

高校では半ばからスラックスを履いている。スカートに抵抗感があったから。

私は男になりたいわけではないと思うが、冒頭の通り、自分性別絶望している。

自分はとても生理が重いと思っている。

今年は高3になり受験がある。

だがこの春休みを通しても、ずっと女性生理現象の節目が訪れる度に起き上がれない・怠い・頭が働かない・熱っぽいと体調不良目白押しで正直うんざりしている。

世の中の働く女性は本当に偉いと思う。

私は一週間血液垂れ流しという状態自分吐き気を覚えるし、それが終わるなり訪れる排卵日に倦怠感と腹痛で文字通り倒れるし、生理前はノロ級に腹を下し、生理中は生理痛と倦怠感で死にそうになり、そしてまたすぐに排卵日。

こんなのが50歳くらいまで続くなんて私は一体どうやって受験勉強をし、大学に通い、就職できるというのか。

世の中の女性普通に耐えていることに、私は耐えられそうにない。

今休学してもきっと治らないのだから、もし学校をやめてしまえば生きている意味がなくなりそうだ。

婦人科にはかかっているしピルも鉄剤も各種サプリメントも服用しているのに、一向に良くなる気配がない。

世の中には不治の難病を抱えながらも前向きに生きている人がいるというのに、私はなんて軟弱な人間なんだろう。

みんな偉いなぁ。

卵巣を残せばホルモンバランス問題ないらしいし、控えめに言って子宮を切除したい。

子供以前に結婚できるかもわからないのに、こんな意味不明の生理現象と付き合っていける自信がない。

受験以前に高校卒業さえできなかったら一体私はどうやって生きていけばいいのか。

しかしたら鬱になるかもしれない。そうなるくらいならとってしまった方がいいような気がする。

望む中性にもなれるし。

なんだか疲れてしまった。

時間寝付けなくて今一気にこれを書いた。

今日から学校だ。

体調崩してたので宿題全くできていない。

全てが勉強したくないだけに聞こえるから自分でも嫌なんだ。疑ってかかられたらもう学校をいさぎよく辞めるつもりでいる。

こんなんで通い続けたところでなんの生産性もない。浮いた学費でさっさと女として機能しない体を手にいれられるなら、大学進学は諦めても、健康的な身体就活に望める。

疲れはてたクソ女の妄言

2018-04-03

彼女けが大学に行く

からクソ雑魚浪人生の身ですが、繰り言をどうかお許しください。


僕には高校2年の夏から付き合ってる彼女がいる。

同じ部活同級生で、付き合う前からよく一緒に居てニコイチなんて言われてた。

たまにケンカもしたけれど、付き合ってからもずっと仲良しで、だいたい毎日一緒に登下校してたし、LINE毎日欠かさなかったし、夜は電話もしたし、休みの日はしょっちゅう遊びに行ったりご飯食べたりしてたし、記念日写真を集めて手作りアルバムなんか作ったりした。

からもちろん受験期は勉強もずっと一緒にしてた。塾も同じ所、自習室図書館でもいつも隣や向かいの席に座って勉強するような、そんな大好きな彼女だ。

大学生になっても当たり前にずっと二人で付き合っていたかたから、もちろん同じ大学を志望して(学部は将来やりたいことが少し違って別だけど、理文は一緒だ)勉強に打ち込んでた。地元大学じゃなくてちょっと遠い都会の大学を選んで、そうすれば進学したら一人暮らし、お互いの家に泊まったりしていっぱい一緒に過ごすのもいいねサークルも一緒に同じの入ろっか、同棲続けて大学卒業したら結婚ちゃう!?なんて、夢物語で盛り上がったよ。

それなのに、フタを開けてみれば、彼女だけ大学に受かって、僕は落ちた。

合格発表だってつのパソコンに二人で顔近づけて、一緒に見たんだよ。緊張するね、でも受かってるよね、大丈夫だよね、なんて言って、せーの、でボタンクリックしたよ。番号探したら僕のだけ無いんだ。結果が出たとき彼女は素直に喜べなかっただろう。僕だって信じられなかった。模試の判定だってBくらいは安定してたし、本番の手応えも全然悪くなかったから楽観視してた。それなのにまさか落ちるなんて。何で落ちたかからなかったし、僕だけ落ちたという事実彼女と離れてしまうという事実に目の前が真っ暗になった。

僕は彼女と別の大学生活するなんて正直有り得なかったから、すべりどめは考えてなかった。わけがからなかった。泣いた。嘘だろと思った。寝て起きたら全部夢で、本当は二人とも受かってたんじゃないかとも思った。それくらいショックだった。彼女絶望に暮れる僕を励ましてくれた。1年くらい平気だよ、待ってるからLINEだってするし、大丈夫だよ、と言ってくれたけど、志望校を蹴って僕と一緒に浪人してくれはしなかった、当たり前だ。

彼女は3日前、春から大学生になるために引っ越していった。

僕は予備校入学する手続きをした。

僕たちは離ればなれになった。

僕は1年間勉強し直して、彼女と同じ学部を再び志望し、彼女の後を追う。

彼女はどのサークルに入るのだろうか。

髪を染めたり、化粧がちょっと派手になったりするかもしれない。

クラスにもサークルにも男子がたくさんいるだろう。

彼女可愛いから、誰か狙う奴が出てきてもおかしくない。

そいつらとは毎日顔を合わせるだろうに、彼氏である僕は会えない。

僕が彼女に会えるのは1日に1回から1ヶ月に1回に減ってしまった。

彼女は1年間、ちゃんと待っててくれるだろうか。

信じてないわけじゃないけど、彼女引っ越しから毎日LINEの量が減った。

入学の準備や初めての一人暮らしに慣れるのに忙しいらしい。

なんでこんなに心がざわざわするんだろう。

会いたい。会いたい。

早く次の春が来ますように。

受験勉強、頑張ります

anond:20180402210147

いやなんか適当なこと言ってすみませんでした。

おれは理系大学院卒業しているんですが、受験では親もホント大変だったと思いますお疲れ様です。

大学をどうやって選ぶかって、生徒によって本当にケースバイケースだと思うんです。

男女でも違うし、頭の出来とか興味の対象とか生活力があるのかとか親の脛の太さまで、様々な要素があると思うんです。

そして幸福大学選択とは、生徒が有意義生活をできるかどうかだと思うんです。在学中もそうだし、卒業後もです。

んで、学校や塾の教師が誤りを言っているとは思いません。彼らも四大を卒業していると思いますし、ホント一生懸命考えてくれてると思います

ただ、彼らだって大学の全てを熟知してるわけじゃ全然ないのも間違いないんです。大学だって1回しか入ったことないと思います

そして自分の出た大学自分の出た学科以外のことなんか、大抵わかんないと思うんですよ。少なくともおれ自身は、他人説明できるほどわかりません。

しか教育系って特殊ですからね、教員養成卒業した教師は、教師のことしかからないのは当たり前です。それ以上を求めるのは酷かと思います

少なくともおれの高校担任数学のこと以外何にもわかってなかったです。

まりね、お子さんがどういう人物になりたいのかによって、相談する相手が違うと思うんですよ。

教師になりたいなら教師に聞くのがいいと思うし、エンジニアになりたいならエンジニア相談すべきです。

こういうこと言うと大学職業訓練校じゃねーぞとお叱りを受けるかもしれないんですが、現実問題として本人の強い意志がない限り(あったら失礼)職業で考えるのがマ無難でしょう。

 

なんか難しいこと言ったような感じになってしまったんですが、とはいえ、大学学部出たくらいで運命決まっちゃうわけじゃ全然ないですからね。

何かの専門家になるんだったら大学院行くべきだと思うんですが、そうでなければどこの大学行ったって似たようなこと習うと思います。多分。

そして大学院行くにしても、大学院選びで考え直すチャンスあるんで、国立大学に限れば大学学部選びは全然決定的な要素ではないはずです。要は入学後に当人が何するかにほぼ完全に依存します。

おれは大学では勉強ばっかりしてたんですが、本人が勉強する気がなかったら勉強しないまま卒業することになるし、

勉強する気があったら学部なんか全然関係なく勉強することは可能なんです(と、今は思いますが、高校生の頃はそんなこと思いもしませんでしたしやり方も知りませんでした)。

勉強は沢山はしなくても卒業できればまあいいと思うんですが、興味沸かないと卒業さえ地獄だと思います

モラトリアムも悪くないと思いますが、連日増田に書き込まれ就活生の阿鼻叫喚をみると、それはそれでまあ楽じゃないようです。

大学生活をどう過ごすかは、完全に本人の希望次第です。これが日本大学のいいところだとは思います

あと私大行く連中は結局ぼんぼんなんで、なんも考えてないです。考えてないけど、何とかなる連中です。そして学生同士で遊ぶにも金銭感覚が違うと大変らしいです。

おれはもっぱら独りで遊んでたんでよくわかりませんが。

 

おれも高校の時は模試では点数はよかったんですが、あんまり勉強しなかったので第一志望の大学には入れなかったんです。でもまあ今は納得してますし、満足しています

おれは高校の頃は神経質で下痢ばっかりしていましたが、いまは大学なんか適当でいいぜと思っています

知りたいことがあったら、大学近くの飲み屋で管巻いてる学生に一升瓶与えれば何でも喋ると思います冗談です。

なんか長々書いたんですが、上記のことは全て嘘なんで、ネット情報を鵜のみにせず、信頼できる人に相談することをお勧めします。

お子さんの幸運をお祈りいたします。

2018-03-18

飽き性を直したい

この間、半年ほど続けてきた千字文が完成した

みんな千字文って知ってる?

簡単に言うと、一文字ずつ違う漢字を千文字書く書道のことだ。昔は漢字勉強にも使われてたらしい。

普通短期間で集中して仕上げるものらしいけど、あいにく自分時間が取れなかったため1日510文字ずつ書いてた

はじめた理由割愛するが、千字文とか、最初はただでさえ飽き性なのに続くと思わなかった

しかし完成したのである


今でこそわかるが、続いた理由は明白で、

「成果が目に見えてわかるから

これに尽きる

たとえば勉強とかだと、一体自分にどのくらいの知識が身についているのかがわかりにくいため挫折やすいが(模試テストに辿り着く前に挫折するタイプなので)、

千字文自分がどのくらい書いたのかが簡単にわかるため続けやすいのだと思う

文字とか書いただけで達成感あるし、こんなに書いたならここでやめるのはもったいないよなあという気持ちが芽生えるたのだ



こんな感じで、すべての物事の成果が目に見えてわかるといいのになあ

そしたら続けられそうだ

2018-03-13

高校数学は訓練

高校数学ができるかできないかは訓練の問題、つまりいくら練習を積むかの問題だと思っている。

訓練というのは問題を解くトレーニングを想定していて、それは例えば次のような感じ。


教科書レベル問題から初めて、慣れてきたらチャートみたいな少し難しめの参考書を解いていく。

チャートレベルだと大体は初見では解けないかちょっと考えて分からなければ模範解答を読む。

つの単元をある程度解いたら一度戻って2週目に入る。2回めからは出来るだけ模範解答を見ないで頑張る。

それでもわからなければ模範解答を見る。これを3,4週やる。


これで大体できるようになる気がする。取り立てて特徴のない方法だし、結構な人が無意識のうちに行っている方法だと思うが、

高校時代に周りでこれぐらいの量をちゃんとやった人は程度の差はあるが皆成績上位だった。


自分より数学ができる人たちの存在に打ちのめされたようだが、何に対して打ちのめされたかが気になる。

それが「テストの成績の差を見て」なのか「そのような人たちの頭の回転の速さ、思考の深さに生で触れて」なのか。

推測になってしまうが恐らく前者なんじゃないのかと思う。塾で生徒が前に出て発表とかはあまり無さそうなので。


ここから仮定の話になってしまうが元増田が前者に打ちのめされたものだとして話を進める。


授業中寝てばかりいる奴が自分より良い点数をとっているのをみて絶望するのは分かる。

実際そいつは賢いのだろう。しかしそういうやつも全く勉強せずに解けるわけでは無い。

高校数学の内容は数学的にはものすごく古い内容ばかりだが、それでもそこらの秀才が独力で思いつけるような代物ではない。

高校生が2次方程式の解の公式や、三角関数加法定理を思いつくのはまず無理だ。

要はそういう奴もきっちり勉強はしている。もちろん人よりよっぽど少ない労力で深い理解をしているのだろうが。


ただ実のところ、そのような良くできる奴の存在は大した問題ではない。

高校で学ぶ数学範囲には明確な制限があり、理解の程度は筆記試験で測られる(最近はそうでない場合も増えてきたが)。

そのテストをある程度解けるようになればいいのであって、すごくできる奴より良い点数をとることは必ずしも要らない。

そしてある程度解けるようになるには訓練を積めばいい。

また筆記試験は満点という天井があるから凄いできる奴と差がつくにしても限界があって凡人には有利だ。


色々書いたが、進路選択がもう終わっているのなら言っても仕方のないことだな。

俺は学部から京大にいて数学研究をしている大学院生だが、京大に来て本当に良かったと思っている。

最近自由の学風にも陰りが見えるけれど、研究環境は本当に充実している。

数学けが理由で進路を狭めてしまうのは勿体ない。

今の試験がどうなっているかはあまり知らないし、高2にはまだ早いかもしれないけど

京大過去問を解いてみたり京大オープンとかの模試を受けてみるといいと思う。

最初から無理だと決めつけて見もしない人が多いけど京大問題は案外解ける。

私文コースから公立を受けてはいけないということはない。

高校にいるときは分かりにくいが、高校なんて卒業したら次の日からもうほぼ無縁の通過点。

必ずしも高校提示する枠組みで受験を考えることはない。

大学受験システムは単純なんだから自分がどうしたいか選択したらいい。


外野から焚きつけるようなことを言うようで申し訳ない。

もう心が決まっているのなら無視してくれ。

anond:20180307150402

京大じゃないけど高3の夏の大学模試E判定から国立文学部に滑り込んだ者参上

あと2年もあるなら頑張った方が絶対後悔しないよ

数学は諦めてはいけない。

anond:20180307150402

数学は諦めてはいけないし、諦めたらいつまで経っても後悔し続けることになる。

自分語りだけど、私は算数小学生の時から苦手だった。中学受験したクチだけど、迷わず算数の配点が少ない中学を選んだし、結局最後まで算数が足を引っ張って志望の中学には落ちた。

中学に入ってからも、数学は常に赤点ギリギリラインだったから、中2ぐらいから、週1で個人指導の塾に行って、ずっと面倒を見てもらっていた。それでも全然成績は伸びなかった。

高校に入った当初は、潰しが利くという理由理系を目指していたけれど、数学が伸びる気がしなかったのと、社会が得意だったのと、何が何でも理系というのもなくなったので、高2の文理選択文系を選んだ。

そしたら、私以上にみんな数学ができなかったのと、これまでの続けていた努力が腑に落ちたのか、突然数学の成績が上がった。赤点ギリギリから学年1ケタ(文系は学年で150人ぐらいだったか)にいきなりジャンプアップして、何より自分が一番結果を疑った。

しかし、まぐれではなくて、そこからは目に見えて数学が安定した。楽しいから勉強する、勉強するから成績伸びる、成績伸びると楽しいという好循環。センター模試IA/IIBともに満点がデフォルトになった。

そこで、数学の配点が高い大学を目指すことにした。京都大学であるしかし、前期不合格英語が壊滅的だった。このとき、私は私文なのに英語不要という陸の王者大学合格していて、結局後期試験受験せずに(当時、京都大学も前期後期制だった)そちらに進学することにした。

陸の王者での生活は楽しかったし、おかげで人脈が広がったのは事実だけど、しかし、私が大学入試関係する仕事に就いたのと、昨今、東大生京大生がテレビでフィーチャされているのを見ると、あのときノー勉でもいいから、後期試験も受けるべきだったと今でも思う。

長くなったが、元増田に伝えたいことは2つ。

1.数学特に高校レベルまでの数学絶対諦めるな。どこかで突然腑に落ちる瞬間ができる。だからそれを信じて続けてほしい。私文で数学できれば覇を唱えられる。

2.自分意志で辞めていいのはやりきったときブラック企業だけ。特に自分自分意志でやってきたことをやめるには、それまで費やした時間と同じぐらい時間をかけて理詰めで考えること。

元増田がここで数学諦めるのは心底もったいない新学期にはまた新たな気持で数学に取り組んでほしい。

anond:20180307150402

本題からずれてしまうし、ほんとに余計なお世話だと思うんだけど、国立への進路変更きく前提で、文系科目が本当にできるならまだ諦める必要ない。文学部なら可能性ある(他の文系学部はわからないし、京大理系に行きたいのであってどこでもいいわけじゃないというなら、ごめん)。

10年前の話だからそれを割り引いて聞いてほしいけど、高2の秋に進研模試数学偏差値65、高3の夏の京大模試数学20点、本番のセンター試験数ⅡB60点だった自分から。塾のテストとか、普通に最下位だったよ。模試数学20点でもA判定出るよ(自慢にきこえたらごめん)。

京大文学部の2次、英国社6割5分とれるなら、数学が3割でも多分合格者平均点くらいとれる。4割なら余裕で平均超える。

英国数、苦手でも嫌いな科目がないなんてすごいことだと思う。増田は、周りの優秀なひとや校風のせいで(というか増田高校で教えてる数学、相当難しいと思うから余計悪循環になってるんだと思うよ。基本を大事にしたほうがいい)、自分がだめだと思っているかもしれないけど、まだ諦めることないよ。

最後に、文章から伝わってくる増田の素直そうな性格をみていて、受験勉強最中も、どこかはわからないけど大学に行ったあともたくさん悩むだろうけど、いい落としどころを自分のなかで見つけてほしい、と思った。

さんざん上で余計なこと言っといてなんだけど、「〜大・〜学部じゃないと意味ない」みたいな発想も結構危険

私は入学後、人間関係の変化や自分の描いていた理想とのギャップについていけずに、苦しい日々が長いこと続いた。自由校風の名のもとに学生放置プレイ正当化されていると思ったし(本当に優秀なやつは独学するってか)、周りの人間知識議論マウントとりあう頭でっかちに見えて、これなら京大学者なんて十年にひとりの母校の同級生のほうが、よっぽどみんな面白くて優しいやつらだった、と思った。当時の自分他人とのコミュニケーションのやり方がめちゃくちゃだった、とも思うけど。

高校時代やりたいと思っていた学問も、実際に専攻してみるとすごくギャップが大きくてきつかった。そういう意味では、自分高校時代に志した好きなことをやるんだという思い込みが、進路変更邪魔をした。

これが自分のやりたいことで、これが自分の居場所だと思える場所にたどり着くまで、長い時間がかかった。

どこの大学理想とは違うところはたくさんあるから、最終的に大事なのは自分がどうするかだなって思う。好きなこと大事にしつつ、あまり思いつめないほうがいいよ。

2018-03-09

勉強なんてしなきゃよかった

私はただのゲーム漫画アニメが好きな、好きなことには熱中するよくいるオタクだ。

成績も、中学入る辺りまでは特に何も言われたことなかったし親が話題したことだってなかった。

中学入ってからだってようやくできた友達と好きなアニメで盛り上がって楽しむようなオタク趣味満喫していた。

ただ、しばらくしてその唯一の友達がその地域の難関高校に入ると宣言した。

私は思い出した。彼女アニメが好きだけど秀才だった。

成績とコミュ力のある彼女のおかげで私はスクールカーストから免れていたらしい。

両親はそれを知って、多分順位が下から数えた方が早かった私に発破をかけるつもりで言った。

「このままじゃ彼女と離ればなれになるよ。あんなに良いお友達大事にしなさい」

小学生の時ぼっちで本ばかり読んでいたせいでいじめられていた私はもうあの頃に戻りたくなかった。恐怖から必死勉強した。

成績が低かったうちは簡単順位は上がった。

先生の覚えがよくなって色々話してくれて褒めてくれるようになって、より勉強するようになった。

模試合格圏内に入って、その友人が自分のことのように飛び跳ねて喜んでくれたのが今でも忘れられない。

無事同じ高校に入ってしばらくは友人の他にもやや話せる人が増えてきて楽しかった。

でも面談担任にこの成績なら難関国公立を狙えますよと言われて、聞いた母がおかしくなった。

漫画を読んでいると何をしているの!と勉強を促すようになった。

漫画アニメゲームをすることは悪いことになった。

大学受験が近づいて、その友人もアニメ漫画封印した。話すことが学校の授業の難しい話になっていって、ついていけず話せることもまだアニメしかなかった私はいらないものになって、その友人は別の友人とずっと話しているようになった。

最初よくわかってなかった私はそれでも彼女にかまってしまたから、彼女に私のいやな点をたくさん挙げて縁切りをされた。

彼女は親の言うとおり頭の良い正しい人だから、全部自分が悪いんだと自分を責めるようになった。

わたしは、大事にしなければいけない友人を失ってしまった。もうこの先友達なんて一生できないんだと思った。

あの頃テストの点数成績だけが自分肯定してくれる気がした。でも、全然あがらなくなった。

ゲームアニメ漫画もやめて、勉強だけして受けたテスト全然だめで、嘘つきっておもった。

私がだめな理由を私が好きなもののせいに、友人親先生みんなしてきたのに。

日中すごく眠くなって、弁当とかの匂い吐き気がするようになって、明確に体がおかしくなってきた。

拒食や自傷癖がでるようになって、唐突に暴れたり、ひたすらぼうっとしたりするようになって保健室通いになった。

保健室先生、みんなから評判悪かったらしいけど、あんたの親おかしいから何が何でも家をでるべきと私には言っていた。親は正しいと思い込んでいたからそれは大分びっくりだった。

両親は私がほんとうに壊れたとわからなかったらしくて、あちこち連れて行っては次の日また呆然としている私にあれだけやったのに、と怒った。まだ成績の良い私を取り返せると思っていたそうだ。

結局受験までに回復せず、親や先生希望より偏差値の低い、実家から遠い大学になんとか入り一人暮らしを始めた。

結局その大学もうまくいかなくて退学したけど。

面接で、あの大学ですか、すごいですねえ、よく頑張ったんですねえと言われて泣きそうになった。そんなことを言ってくれる人が、あの頃いれば良かったと思った。

国公立大学しか認めず授業料偏差値について散々口を挟んでヒステリーを起こした両親は、塾をサボり月謝を着服した弟を情報専門学校に行かせた。どこにも行き場がなかったからだそうだ。

それを聞く度、思い出す度、じゃあ、私はなんだったんだろうと思う。

あんなに勉強なんてしなきゃよかった。

今でも中学高校あたりの楽しかった時期の、クラスメイトたちといるときの夢をみる。

あっちが現実だったらなあとまだちょっと思ってしまう。

ただの昔語りだね。嘘ももちろん混ぜてるから、これと同じような人が身近にいてもその人私じゃないから、迷惑かけないであげてね。ただどうしても、どうしたらよかったんだろうってやるせない気分になるのを誰かにわかってほしかっただけだから

そうだ、友達はあの後何人かできたよ。私が話に詰まっても気まずい空気にならない人が。

年を取る度に、子供の頃恐怖していた「良い成績とって良い大学出て新卒で良い会社いかなきゃ人生終わり」の外で普通にしまずに暮らしている人がいるってわかった。でも勉強はそこそこならさすがにした方がいいとはわかってる。

ただ、がむしゃらに勉強をしてる子を見る時、頑張れと言うのに戸惑ってしまうんだ。

受験に落ちたよ

大学受験、失敗。第一志望も第二志望も全部ダメだった。

高学歴女性に憧れてた。慶應ガールとかワセジョとか、その響きだけでかっこいいんだよな~。ワセジョになりたかったんだけどね。

早慶とかマーチとか、名前は聞いたことがあって。でもいざ自分大学受験となるといまいちイメージが掴めなかった。でも目の前には課題があって、ただただ課題をやっていたらどんどん偏差値が上がって、目指せる大学が変わってくる。容姿とかステイタスとかが関係ない世界だんだん惹かれていって、初めて模試早稲田50%が出たときはほんっとうにうれしかった。それからそれを維持しようって思うようになって、常に勉強に全力投球。それがとても心地よかった。

なんだよ。試験問題そこそこできたと思ったのに、周りはもっとできてたじゃねーかよ。落ちたよ。

はっきり言ってどうして落ちたのかよくわかんない。本当にわかんない。人生で初めての自分自身でやる受験だったから、頑張り方とかやり方がわからなかったのかもしれない。

進学先は女子大になった。すっごく悔しい。あん大学行きたくないっていう気持ちがある。気持ちをそろそろ切り替えなきゃいけないんだけど、嫌だなぁ~。これじゃあ小学校から大学までず~~~~っと女子校じゃん。新しい空気を吸いたかったのにな。

落ちたら塾に呼び出しされた。何だろうなと思えば、「女子大モテる。」だってさ。

小学校から女子校大学もその女子大ならすっごくモテる、顔がいい(笑)から結婚もどうのこうのとか。

これが呼び出してまで塾長のする話かよ。

今まで容姿だけは褒められてきた。その容姿だけしか褒められないのが嫌で変わろうと思って頑張ってきたのに、なにそれ。ますます大学に行きたくなくなった。

浪人するにしても、もう学費振り込んじゃったからな~。親にも迷惑だよ。

何を書こうと思ったのか忘れた。もう嫌だ。大学なんて行きたくない

顔なんて老けたとき価値がなくなる。今のところ顔しか価値がない私はそのときすべて失うことになる。学歴もないし、あ~あ。もう本当に顔しか価値がないんだろうな。どこに行ったってそういうことだ。割り切らなきゃな。でも嫌だけど。

もうなにもわかんない

2018-03-07

数学から逃げた

京大に行きたかった。

月並み理由だが、オープンキャンパスに行った時にその学風に惹かれた為だった。

毎年数人京大合格者を輩出する中高一貫校に通っていたし、上位の成績だったため、

難関大学はい不可能ではないだろうと思い上がっていた。

挫折を知ったのは中3の時だった。

数学の授業(確か三角関数だったように思う)で、みんながスラスラと解いてみせる問題を、私は解くことができなかった。

何度説明されても今ひとつ飲み込めず、理解するのに時間を要した。

結局、テストまでに応用問題を終わらせることができなかった。

テスト勉強於いて初めての失敗だった。その時のテストはいつもより20点近く低かった。

高1になって数学は難しくなり、勉強時間の6割近くを数学が占めるようになった。

高1の数学先生はとてもフレンドリーで、何度も説明を求める私に優しく砕けた口調で教えてくださった。

その先生と、割いた時間のお陰で中3の時に比べて成績は安定していたが、周りに比べると瞬発的な理解力やセンスが足りていないのは明らかだった。

そして、得意な英語国語勉強に割く時間が減ってしまったために成績が落ち、自習室利用のためにも塾に通うことを選んだ。

塾では、学校の「そこそこの良い成績」は全く通用しなかった。

高校受験を勝ち抜いた公立の生徒や、

授業全て寝ているのにセンス問題を解いてしまえる天才

中学受験の時からずっと勉強を怠らなかった秀才

私よりも頭がいい人なんてごまんといた。同級生に。県内に。こんなに近くに。

分かっていたはずなのに衝撃を受け、自分努力不足を悔いた。

私はまさに井の中の蛙だった。

結局、塾の数学テストの成績ランキングに私の名前が載ることは1度もなかった。

高1終わりの進路選択、私は私文を選択した。

塾に行ったことで、漸く数学を諦める決心がついたのだった。

偶然見つけた某私大学部に興味を惹かれたこと、得意だった英語国語を深く学びたいからだというのもあったが、

京都大学以外の国公立大学に全くと言っていいほど興味が持てなかった。

からと言って不合格になったとき浪人する覚悟もなかった。

私たちの次年度から大学入試制度改革が行われること、私の性格的に浪人が向いていないことが主な理由だった。

公立至上主義の我が校では国公立選択した者だけ進路選択と同時に志望校の提出・面談を行うことが課せられていた。

京大以外の学校を書くのは無理だと思った。

私にかける国公立大学はなかった。

先ほど、高1最後期末試験が終わった。

数学先生に提出した課題ノートが返却され、余白にいろいろなメッセージが書いてあった。

3教科受験からと言って楽な訳じゃないとか、今回のテストケアレスミスしてたよとかお小言めいた言葉もあったけれど、どこか温かいものだった。

結びに、「数学しかったね、大好きだったね。1年間ありがとう」と書いてあった。

それを見て涙が止まらなかった。

私は数学が好きだった。

大好きだったのだ。

何度もなんども苦しめられて、意味がわからなくて苛立って泣いた日もあったけど、数学が好きだった。

だけど、どんなに好きでも圧倒的なセンスを持つ天才には敵わなかったし、

かなり時間をかけて取り組んだ模試数学偏差値が、殆ど対策をしていない英語偏差値を超えることもなかった。

敵わないし、足りないのだと気づいてしまった。

自分選択をしたのにもかかわらず、

「私文って楽でいいな」「俺も数学から逃げたい」

冗談交じりに友人に言われるたびに、泣き出したい気持ちでいっぱいになる。

きっと後悔していないのかと聞かれると嘘になる。

でも自分選択が間違っているとは思わない。

なにはともあれ、もう私は前に進むしかない。

ここからドラマティックに進路希望調査を奪い返すこともできないし、

独学で受験レベル数学をやることも私はしないだろう。

私は、大好きで大の苦手な数学から逃げることを選んだのだ。

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