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https://toyokeizai.net/articles/-/420053
「29歳元アイドル」会社員になって痛感した無力 「忙しいふりをするスキルだけが身についた」
この記事、芸能活動を辞めてコネで会社に入社したら、仕事を与えられず社内ニートになってしまい、それに耐えられず、結局、1年で会社を辞めたという話。
似たような話は、障害者雇用でも良く聞く。
障害者雇用で入社しても、仕事を与えられずに、社内ニート。居づらくなって結局、辞める。
「社内ニート」と聞くと、ブラック労働で疲弊している社畜のみなさんは、桃源郷のように羨ましく思うかもしれないが、実際はとても辛い。
まわりは忙しくているのに、自分はやることはない。暇。まず周りの社員から白い目で見られる。
常に仲間外れにされている状態。周囲とコミュニケーション取ることも難しくなる。
何もやることがないのに通勤しなければいけないのもすごいストレスだし、職場についても針の筵。
海千山千の芸能界でそこそこ活躍していたようなメンタルの強い人ですら、耐えられないものなのだ。
追い出し部屋では、生産性のある仕事がまったく与えられない。コピー用紙の枚数をひたすら数えるとかそういう仕事をする。
社内ニートであることそのものに耐えられないというより、社内ニートに対する周りの人たちからの扱いに耐えられなくなる。
じゃあ、なぜ社内ニートが発生するのかというと、需要のないところに入ったから。
だが、コネ入社や障害者雇用の場合、仕事の有無に関係なく採用されて、むりやり職場に席を作られるかたちになるので、仕事が与えられず、ただいるだけの人になったりする。
分かり合いたいと思うけど私たちは単なる同僚。
けどそんなこと直接言ったらおかしい。
仕事帰りに2人で喫茶店に入って話をしている途中でそのことに気がついてしまって、言葉が続かなくなった。
一方で、話し合う前から話し合う選択肢を相手に与えないのも無礼ではあると思う。
でもお互いが求める関係性のずれを認識して、私が勝手に申し訳なく思って黙ってしまったことを彼に説明するのは変。
喫茶店を出てからの帰り道、表情が消えた私の顔を彼が心配そうに覗き込むのが怖かった。
彼からしたら、比較的表情豊かで言葉数の多い私が言葉を発さなくなり、目から光が消えたのは怖かったと思う。傷つけたと思っただろう。
だけど私はまっすぐと彼の方を向くことができなかった。
体の向きを変えて、彼と反対側にある中吊り広告を見たり車窓を眺めたり。
彼からすれば、目も合わせてくれない、口も聞いてくれない。
「テンションめっちゃ低くない?」と言わせたり、たくさん話しかけさせたり、謝らせたり。
こんなつもりじゃなかったのに。
この関係性のズレを放置したら放置したでめんどくさいけど、正そうとすると拗れると思う。
そもそも、正すってどの方向に?職業として、社会人としての正しさを求めたら、私は想いを無かったことにすることしかできない。
本音を言えずに会話して、もっと話したいのに時間だけが過ぎていく。表情が固まっていく私と向き合いながら、戸惑った顔で氷で薄まったカフェオレだった液体をストローで吸う彼を眺める時間はどこか虚しかった。
もう潮時なんだろうな。片思いを続けるのも。本音で接してくれる彼に対して、これ以上想いを隠して接するのはもう難しくなってきた。本音で接してくれる人に対しては本音で接したい。だけどそれをするともう迷惑がかかる。
それと同時に、想いを伝える時期ではないというのも分かる。
また話そうとか、話せば考えもまとまるかもと彼は言ってくれるが私が引っかかっているのは仕事に関してじゃないんだ。あなたとの関係についてなんです。あなたとの関係について自分の考えを整理するために彼の時間を使うのは違う。本当にごめん。
3歳から母子家庭となり、叔母が我が家にやってきた。こういう状況で育ててくれた母親には本当に感謝してる。
叔母は5歳児くらいの知能はある。顔の表情や発言内容、声から一発で知的障害を抱えてるとわかる。
身だしなみに無頓着で風呂や衣服は家族が気をつかえど、口臭が酷く何か言葉を発した数秒遅れて周囲に腐敗臭が漂う(歯医者に月1行ってるのに)。顔の表情筋は死んでおり頬が垂れ下がり、声は甲高く耳障りに響く(話す内容は幼稚)。背中が曲がり背虫になっている。
誰かの助けがないと生きていけないはずなのに、祖父母は叔母に何も教えなかった。
人と上手く接する術を教えなかった。
世話されて当然という状況で育ったからだ。5年前に死んだ祖父母は医者に叔母が20歳には死ぬと言われてたし可哀想だったんだろうな。
叔母は「誰かと一緒に生きていく」ができず「世話されて当然で生きていく」しか知らない。
叔母が祖父母の仏壇に手を合わせることはない。毎週、俺が仏壇の花を買ってきて変えてることを知らない。命日を知らない。
仏壇に出して下げた後の御膳やおやつは食べていいことは知ってる。
先日、叔母が母の財布から無断でお金を抜いていたことが分かった。誰かと一緒に生きていくために必要なはずのピースが1つまた欠けた。
叔母に「人の財布からお金をとる意味分かってるのか?」と聞いた。
「〇〇くん(俺の名前)の財布からはとってないもん」と返答があった。
彼らだって望んでこうなったわけじゃない!!
この子に気付かされることが沢山あるんです!!
弱者に寄り添って生きていこう!!
さくらーふぶーきのー!!
サライーのそーらへええええええええ!!!!!!!((
みんなで素敵な社会にしていこうね。
暇なのに忙しいふりをするスキルだけが身についた。ニッチなスキルコレクションにまた仲間ができた。
自分の無知や能力の無さを痛いほど自覚したあとで、恐怖を感じるのはむしろ選択肢が広すぎると感じる場合なのではないだろうか。
私のように潰しの効かないことを一生懸命にやってきた人は、どうにかそれの延長線でやっていって伸びた先でまた枝葉を伸ばし、少しずつできること、やりたいことを増やしていくことがいいみたいだ。
普通に生きていると、そこまでドラマティックなことは起こらない。飛び石のようなやり方は私には合わないみたいだとわかっただけで、会社員経験は大きな糧
そりゃそうだよ。
女に限らず、人間が一度手に入れた権利を、はいそうですかと手放すわけがない。
完全な個人競技であっても道具や会場は使いまわしてるわけで(例:棒高跳びの棒、滑り止めの粉、10秒前に誰かが吐いた息がまだ空気中に残っているコース)。
特に運動なんて体に無理をさせるわけだから一時的に免疫力が落ちる。
なんで平気な顔してまだ続けてるのか不思議でならない。
スポーツ選手だけが暮らすスポーツ選手特区が作られてその中で完全に隔離されて暮らすとかでもない限りは許されるべきじゃないことだと思う
自分はただスレ主から聞いてもないのにスチ違い言う輩が納得できんだけ。
長文御高説がオナニーっていうなら
https://anond.hatelabo.jp/20180320195213
何百もブクマもらってる反響の高さからしてオナニーとはいえんだろ。
荒らしたつもりない。
飼っているタブンネがまた子供を産んだ。「また」というのは、前にも勝手に外で交尾をして子供を産んできたことがあったからだ。
その時しっかりとうちではタブンネは一匹しか飼えないんだぞ、と注意したんだがなぁ…
結局、その時産んだ子タブンネは俺の友人が引き取ってくれた。そして、今回産まれた子タブンネもその友人が引き取ってくれるということで話が付いた。
「ミィミィ、ミミィ!」
「チィチィ!」
しかし困ったことにタブンネがなかなか子タブンネを渡してくれない。
前にも子供を取られたからだろうか「こんどこそはぜったいに渡さない!この子は私が育てるんだもん!」とばかりに子タブンネを抱き締めて俺を睨み付けてくる。
子タブンネの方も「ママからはなれるのいやだよぅ!」とタブンネのぽってりした腹にキュッと縋り付いてとても離れそうもない。まったく、困った奴らだ…
そこで俺は友人に相談した。友人は策を考え、ゾロアークを俺に貸してくれた。
家に帰った俺はさっそくそれを実行した。
まずはタブンネに強力な睡眠薬入りの木の実をやって眠らせ、別の部屋に移す。
「ミクゥ……ミィィ……」
タブンネは口の周りに木の実のカスをつけてぐっすりと眠っている。これなら隕石でも落ちてこない限り当分は起きてくることはないだろう。
俺はゾロアークをボールから出し、眠っているタブンネに化けるように指示をした。
ゾロアークはすぐにタブンネに化けてみせた。さすがにそっくりだ、見分けがつかない。
そしてそのタブンネに化けたゾロアークを子タブンネの元へ向かわせ、対面させる。
「チィチィ♪」(あ、ママ!どこにいってたの?)
子タブンネは嬉しそうにゾロンネに駆け寄ってきた。どうやら本当のママと勘違いしてくれたようだ。
「チィ!チィチィ♪」(ママ、おなかしゅいたよぅ!おいちいおちちちょうらい♪)
「チィチ~ィ♪ チッ!?チピィィィ!!」 ドスッ
そしてそのまま子タブンネを壁にたたきつけた。俺はその様子をビデオで撮影する。
「チィ…チュィィ……」(うぅ…いたいよぅ…ママきゅうにどうちたの…?)
子タブンネはぶつけた箇所をさすりながら涙目でゾロンネに訴える。
そんな子タブンネを無視してゾロンネは子タブンネの尻尾に手をかける。
「チィ!チィチィィ!!」(いたいっ!ママやめてよぉ!しっぽをひっぱらないでよぅぅ!!)
ブチッ!
「ヂィィィイ!!」
そして、自分の尻尾が抜けてしまったことに気が付いて大きなショックを受けていた。
「チィィ…グスッ、チェェェン…」(わたちのだいじなだいじなしっぽが…グスッ…いつもかわいいねってママもいってくれたのになんでぇ…)
「ミッ?ミミィミッ、ミィ!?」(あれ…私はいままで何を…?あっ、ぼうやがたいへん!!)
自分の尻尾を両手で抱いてえぐえぐ泣く子タブンネを見て、ゾロンネは急に我に返ったような演技を始めた。
「チ、チィィ?チィチィ…」(ママ?いつものやさしいママにもどったの?)
「ミッミッ、ミィ!」(ああっ、ぼうやごめんね!いますぐママがいやしのはどうをしてあげるからね!)
子タブンネはホッとしたような顔をしてゾロンネに自分の千切れた尻尾を渡し、クイッと尻を突き出した。
いやしのはどうでくっつけてもらおうとしているらしい。
ゾロンネは両手を前にかざし、そこから子タブンネの大きさに合わせた小さな波動を放った。
「ヂピャァァァァアア!?」
ただしそれは、優しいいやしのはどうではなく、邪悪なあくのはどうだった。
「ヂィィ…ヂュピィ、チュピィィ……」(ママ…ひどいよぉ…わたちなんにもわるいことちてないのにぃ…)
「チィヤアアアァァ!!」
痛みで動けない子タブンネは真っ黒になり、ボロボロと崩れ落ちていく尻尾を泣きながら眺めているしかなかった。
「ミィ~ィ…」
「ミッ、ミィ、ミィィ!」(あぁっ、ずい分長い間寝ちゃった!ぼうやお腹すかしてるだろうなぁ)
タブンネはすぐに子タブンネの元へ向かった。しかしそこでタブンネが目にしたのは、尻尾を無くし、全身痣だらけになって部屋の隅でプルプル震えている子タブンネだった…
「ミィィイイ!?」
そのあまりにひどい姿に悲鳴をあげるタブンネ、子タブンネはタブンネを見ると、より一層怯えだした。
「ミィミィィィ!?ミッミッ!!」(どうしたのぼうや!?一体何があったの!?)
ボロボロの子タブンネに駆け寄り、抱き上げてやろうとするタブンネ。
しかし子タブンネは「ヂィィッ!!」とその手を払い除けてタブンネから逃げ出す。
「ミッミッ!」(ぼうや、どうしたの?ママだよ?)
「ヂィィーー!チギィーー!!」(いやーーっこないでぇ!こっちこないでぇ!!)
「ミミィ、ミィィ?」(どうしちゃったのぼうや…ホラ、いやしのはどうしてあげるよ?)
タブンネが子タブンネに向けて両手を前にかざすと、子タブンネはさらに大声で泣き叫び、失禁までした。
眠りから目を覚ましてみれば、いつも「チィチィ」と甘えてきていた我が子からの拒絶…
「タブンネッ!」ドスッ
「ミヒィッ!!」
俺はそんなタブンネを怒鳴りつけて腹を思い切り殴った。
「……ミィ?」
やはりタブンネはまだ訳が分からない様子だったので俺は「とぼけるな、これを見ろ!」と昨日撮影したビデオを見せてやった。
「ミィィィ!?」
タブンネが驚くのも無理はない、そこに映っているのは子タブンネを虐待する自分の姿なのだから…
「まったく、よく自分の子供にあんなひどいことができるよな…」
「ミッミッ!ミィィッ!ミィィッ!」
全く記憶のない虐待にタブンネは必死にフルフルと首を振って否定する。
「まだとぼけるのか!?ここに映ってるのは間違いなくお前だろっ!?」ガッ
「ミィ、ミィアィ!ミヤァァ!!」
俺はタブンネの頭を掴んで画面に押し付ける。タブンネは目をつぶって首を振り、否定を続ける。
「じゃあ何で子タブンネはあんなに怯えてるんだ!? お前は何でもすぐに忘れるよな、昔っからそうだ!
食い物を食べ散らかすなと言っても食い散らす!トイレの場所を教えても辺りかまわず垂れ流す!
一匹しか飼えないと言っても勝手に子供を産んでくる!挙句その子供を虐待したことまで忘れるのかっ!?そんな奴に母親の資格なんてないっ!!」
「ミェェェェェーーン!!」
タブンネは泣き崩れた。
翌日、俺は友人に子タブンネを渡した。
母親にひどい虐待をされたこともあり、子タブンネはタブンネから離されても何の抵抗もなかった。
タブンネも、自分には母親の資格がないことを理解したようで、友人に優しく抱かれる子タブンネを虚ろな目をして見詰めているだけだった。
当然俺がこっそりゾロアークの入ったボールも渡したことには気付かなかった。
あれ以来もうタブンネは子供を産んでくることはなくなった。それ以前に部屋に引き籠るようになっていた。
一か月後、俺は友人に子タブンネはどうしたのか訊いた。
「ああ、うちのボーマンダの餌にしたよ、あいつ前に子タブンネ食って以来大好物になってたからな」
大好きだった母親に虐待を受け、やっと解放されたと思ったら餌にされた子タブンネはさぞかし良い味を出しただろうな、と思っていると家の中からタブンネの悲鳴がきこえた。
そういえばあいつ耳が良かったっけ、まぁどのみち母親の資格をなくしたあいつには関係のない話だがな。
おわり
我が国の法学部はもう相当前からタテマエだけでもともと相当前から何も信じる価値もないといわれていたことです。特に警察は戦後30年は
信頼されていたらしいですが、昭和54年からだめになった。しかし民間経済だけは活発で風情よく続いていた。平成に入ってからも経済経済の大連呼で
多くの人が金の亡者になっていた、平成8年に巨大文豪の加藤周一が、これからは拝金主義だけが残った挙句に、それもなければ、やれることをするという思想だけが
信じられるといいましたが、それすらなくなった
平成時代が凄かったのは、社会貢献したり、一発凄いことをした人に金ががっぽり入っていて、タテマエしか残っていなくてもやりがいがあったからです、まだ金が信じられていた
しかし平成18年に安倍晋三になってから、誰も信じていない法律が金もうけのシンボルのホリエモンを逮捕したり、また頑張って東京大に入って電通にまで入社したのに
こういうランキングは「偉大」だとか「名盤」とかいったフワッとした基準で選ぶから良くない。だからどうやっても、独断と偏見が混じった「好きなアルバムランキング」になってしまう。
このような類のアルバムランキングに独断と偏見が混じってしまう理由は、ランキングを作る上で必要な音楽やそのバックグラウンドにまつわる教養が、作成者に不足しているからだと思われる。
特に、元増田のような自称音楽好き素人ランキングではその傾向が顕著である。元増田は色々と御託を並べてはいるものの、
・度々「影響力」という言葉が出てくるが、それは具体的に何を指し、どのように測っているのか
などといった点で不明瞭で、これでは選考が理にかなったものであるか第三者は判断できない。
「日本音楽史上の最も偉大なアルバム20」と銘打つのならば、同じ選考基準で誰が選んでも同じ結果になるような普遍性を持つランキングを目指すべきである。しかし、そういった配慮が一切なされていない元増田のランキングは、所詮「独断と偏見で選んだ好きなアルバムランキング」である。
元増田は『日本人は音楽センスが乏しく、既存のランキングには問題がある』と論じている。しかし、このランキングも個人的なフィーリングで選んでいるにすぎず、元増田は自身が見下す「音楽センスの乏しい連中」と同類であると言わざるをえないのは、何とも皮肉なものである。
もし、アルバムランキングのような試みをしたいのであれば、「数百年後、数千年後に残したいアルバムリスト100選」とかにしたらどうだろう。何百年後の学者たちが、今の時代の文化、歴史などを研究する上で有益となるアルバムをリストアップする。より具体的な理由づけがしやすくなるし、リストにすることで偏見が入る余地を狭くすることができるだろう。
生まれつきのアトピー性皮膚炎だった。今はかなりマシになって、割と気楽に暮らせているが、子供の頃は症状がひどくつらいことは多かった。
特に苦労したのが食物と衣類だった。食べ物の話は省略するとして、着るものは基本肌触りの良い綿のものしか着られなかった。それでも首周りが非常に敏感で、襟がついたものなどがほぼ無理だった。首に布が触れているとすぐにかきむしって首が赤くなってしまう。
小学校は田舎の公立だったので、制服等はなく、着るものは特に苦労はしなかった。
問題が始まるのは中学校からだった。同じく田舎の公立の中学校だったが、もちろん制服があった。制服というのはたいてい綿生地ではない。そしてうちの学校は男子は学ランだった。学ランというのは、中にYシャツを着た上で、詰襟の学生服を着るものである。当然こんなものは着られなかったので、入学前に校長との話し合いがあった。
端的に言って、クソだった。校長はこちらが何を言っても「私服登校は認められない」「代替のものを用意してほしい」「ただし見た目は同じものにしてほしい」それしか言わなかった。そもそも首に襟が触れるのが無理だと言っているのに、見た目を同じにしたら実現不可能だろうが。
といっても親としては仕方がないので、制服を作っているメーカーに行き、着られる素材で制服をオーダーした。Yシャツも特注した。
それでも無理なものは無理なので、私はYシャツの上の方のボタンを開けたり、Tシャツを着たりして、学ランも第1ボタンとか第2ボタンまで開けていた。
学ランが制服だった人はわかると思うが、たいていの学校で学ランの第1ボタンを開けていると怒られる。なんで怒られるのか、だれも理由を説明できなかったが、とにかく怒られる。生徒指導というやつは、理由も説明できないことで怒ってくるので最悪であった。こちらがアトピーの話をしても、それをわかった上で「ルールだから」と強制してくる。
小学校の頃はおとなしい方の男子として生きていたけれど、こうなってしまうと完全に周りからは不良として扱われた。ので、もうおとなしく真面目に過ごすのは止めた。
まず、毎週火曜日に実施されていた朝礼を、卒業まで全部サボることにした。どうせ校長の話くらいしかされないわけで、もうこの校長が俺の人生に何らプラスの影響を及ぼすとは到底思えなかった。朝礼が8:30から始まるので、火曜は8:50(授業開始時間)に登校した。朝礼に遅れて、8:35くらいに体育館に走っていくと生徒指導に怒られるのだが、最初から行かなければ誰にも怒られなかった。
次に、教師がいるところで遊んでいるとすぐにボタンを閉めろと怒られるので、保健室登校をするようになった。教室に居場所がなかったわけではない。が、それでも休み時間等に見つかって怒られるので、逃げた。幸い保健室には本物の不良等がいたので、そこで怒られることはなかった。また、保健室の先生はこういうことで怒ってこなかった。むしろ気が合ったのでいろんな話をした。
保健室や用務員室によく行くようになると、そこにもともといた不良や、教室に馴染めなかった人とも結構仲良くなった。ここで仲良くなったやつとは今でも付き合いがあるくらい。
授業はそれなりに出ていたけれど、授業中に服装について注意してくるのは、生徒指導や限られた教師のみで、そのときにどうこう言ってくる人は多くなかった(事情を察してくれる先生もいた)。
そんなわけで、本当に最初のころは辛かったけれど、後半2年くらいは適当に過ごしてなんとか乗り切れる程度の生活をしていた。
受験シーズになった。田舎の県立高校はだいたい中学校と同じく制服が存在する。この絶望的な制服縛りをもう3年やるのは勘弁だったので、どうしたもんかと思っていたのだが……。
私は高専というものを知ってしまった。高専は大体の場合制服がない、私服登校が許可されている。ただし専門分野がえらく限られ、そもそも入学時点で学科を選択する必要がある。
が、あまり悩む必要もなく学科は即決し、受けることにした。学校見学に行くという話をしたら、後ろの席のやつが「高専って偏差値高いぜ?お前入れると思ってんの?」と言ってきたので、無視した。
そうだよね、第1ボタン開けて保健室登校して朝礼サボってる遅刻魔が、そんなにいい学校行けるとは思わないよね。と思ったけど面倒なのでこれ以降、同級生に進路の話を一切せず「ニートになる」と言っておいた。
幸いにも、理科と数学だけが異様にできたので、「たぶん大丈夫じゃね」という言葉を塾の先生からもらえた。
その言葉の通り、大丈夫で普通に合格した。中学校の同級生は、未だに私がどこの高校に行ったか知らない人がほとんどだろう。
一応校則もあるらしいのだが、言われたのは「校内で喫煙をしてはいけない」「校内で飲酒をしてはいけない」ということだけ。入学初日から茶髪金髪は普通にいる。
制服の呪縛から解き放たれた私は、元通りおとなしく過ごすことができて、心穏やか。
授業は若干ハードではあったけれど、同級生はどんどん留年していくけれど、幸いにも即決した専門分野にえらくハマって、学校が死ぬほど楽しかった。特に4年、5年は毎日24時過ぎまで学校にいた。
その後は「スーツを着ないで就職する」という難題が待っていたのだけれど、それは別の話。
最近は流石にアトピーの人も増えただろうし、学校もこういう前例がいっぱいあるだろうし、柔軟な対応をしてくれると信じたい。
だが、昨今のブラック校則の話を見ていて、もし現代に自分が中学生だったら乗り越えられなかったかもしれないと思った。私はたまたま運良く平和な不良生活ができて、その後も特に困ることもなかったけれど、万人におすすめできることでもない。
ただ、あの頃の自分と、もし今同じようなつらさを抱えている人がいたら伝えたい。教師に怒られるのは面倒だし、そのときは嫌だろうけど、お前の皮膚は一度かきむしったらその後もかゆいし、血は出るし、完全に元通りに回復するまで1ヶ月以上かかる。そして怒ってくる教師は、俺のアトピーの悪化とそれに伴う将来について一切何も面倒を見ないし責任も追わないだろう。だから気にせず校則なんて破れ、お前の皮膚のほうが全然大事だ。怒られても血は出ないし、回復に1ヶ月を要するようなことはない。
「会社は業績不振と同時に手切金だけ渡されてリストラされたし、友人家族兄弟は連絡もよこさん。何故じゃ、こんなに長生きしたワシが悪いわけがない
おお、そうじゃ。世の中でじぇんだぁだの環境だのいって暴れちょるリベラルや出羽守のせいじゃ
マスゴミを読み耽って世間を騒がしおって。彼らを排除すれば安部首相、菅首相が日本を救い、嫁もできてハッピーになれるに違いないんじゃ」
お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。という言葉が、自分の身体を上から下に駆け抜け、僕はそれで、頭から血が抜けていったように感じた。その言葉は、ある意味では間違っていなかった。けれど、間違っているといえば、全面的に間違っていた。
目を凝らしても見えてくるのはパソコンの画面と荒れ果てた部屋しかない。右手の小指と薬指がその付け根にかけて少し痺れている。特にキーを叩いていたわけではない。パソコンの画面をつけて、何をしようかと思っていただけだ。すると、僕に言葉がやってきた。それは僕が望んだ言葉ではなかった。この暗い部屋は、僕が望んで生まれたものだった。この荒れ果てた部屋は、僕がどうしてか生み出したものだった。あの言葉は、ただ、とても嫌いな言葉だった。
望む、望まないなんてことを考えたことはほとんどなかった。あるといえば、望まないことばかりだ。いろんなことが嫌だ。特に、望むことは何よりも嫌だ。自分が何かを望んでいると思うだけで気分が悪くなってくる。自分が何かを望まなければ生きていけないのだとしたら、死にたくなる。何も望みたくない。何も望まれたくない。そうして僕はこの場所を作った。僕が今望んでいること? それには答えられない。ただ一本の煙草が吸えたらいいと思っているだけだ。それが望みなんて大きなものに含まれるのだとしたら、今すぐにでも僕は首を吊ってやる。セブンスターのソフトは残りわずかだ。一本取り出して、口に咥えた。火を付けずにパソコンの画面を見た。
さっきまではTwitterのホームが映っていたが、僕はもう少し孤独になりたくて、ウインドウを閉じた。デスクトップ画面には、雑多なファイルが、まるでこの部屋みたいな雑駁さで並んでいる。それの後ろには描かれた美少女(アニメの美少女なのかどうかはわからない。インターネットで見つけた、絵の美少女だ)が憂鬱げに体育座りをしている。彼女の右手には安全剃刀が持たされている。左腕にリストカットの痕はない。安全剃刀は文字通り安全なのだ。少女の足元には薬瓶が転がっていて、その転がる移動を堰き止めるように、本が置いてある。フェルナンド・ペソアの本らしい。表紙の白い部分には血痕のようなものが伸びている。
灰を落としてみると、煙草の1/3はなくなっていた。僕は考えごとをする前に、なにかと準備運動が必要みたいだ。考えるべきことというのは、僕の身体を駆け抜けて行った言葉についてだ。
僕は「望む」なんていう大掛かりなものが嫌いだ。望むとも、望まざるとも、嫌いなものは嫌いだ。だが、そこにばかり注目していては次の文がわからない。次に進む。すると、それがあらわれているという。
それがあらわれている。それはお前が望んだものだ。
というのであれば、僕はわかるような気がする。まずはじめに「あらわれ」があって、その説明、あるいは定義づけがされる。これは、わかる。あると思う。いや、あるべきなのだ。自分がいまどうして存在しているか? こうして暗い部屋で、食事に使って洗わないままで転がっている食器や、ゴミの類いが転がっている、この雨戸が閉められた部屋で、僕の身体は、パソコンは、煙草は、まず、「ある」。そして僕がその「あらわれ」を何らかの形で受け取る。受け取ったものには、それ相応の制限がある。それが説明であり、定義でもある。こうして抽象化すれば、わかる話だ。話がわからなくなっているのは、そこに「望む」という言葉が出てきているからだ。煙草を灰皿にすりつぶした。
「こうしていても埒があかない」
そう呟いた。こう言ったところで、あの言葉が離れていくわけでもなく、これから行動をとったところで、あの言葉が離れていくわけではないだろう。精々気晴らしにはなるだろうが、自分の中にある嫌悪感がぢくぢくと膨れていくか、いつの間にか消滅しているか、そのどちらかだ。経験的に、後者の方がよくあることだ。いつの間にか消滅するには、原理的に時間が必要だから。
家を出ると小雨が降っていた。庇の外に左手をかざすと、ほんとうに細やかに、少ない量の水が手のひらに当たった。深い青空は全国的に深夜であることを告げていた。振り返って家に鍵をかけてから、僕は肺にあるどんよりした空気を深い青の空気と入れ替えた。まるで僕の肺が一つの世界になっているみたいに青い深夜だった。その世界は二つあった。そのうちのどちらかに、隣部屋のお風呂の匂いが流れ込んできた。歩き出した。傘はいらないだろう。煙草とお菓子を買ってくるだけだ。
思った通り、雨ざらしの階段はそれほど濡れていなかった。足を滑らせる心配はなさそうだし、きっと降りはじめてすぐなんだろう。階段を降っていくと、
「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」
という、声がした。言葉ではなく、声がしたのだ。階段を降りている感覚が薄れて、ゲシュタルトが崩壊してしまった。階段を構成する線と線の繋がり、それがなす直角と、段差、線の全てが空白もしくは混沌の世界に放り込まれた。ポケットに入れていた鍵は、僕の拳から飛び出すことなく、音を立てることもなかった。目を閉じた。「うわあ」と思った、その頃にはもうすでに階段の一番下まで辿り着いていた。でも服は汚れてしまった。階段から転げ落ちたのだ。頭の裏、腕の曲がらないところ、脚の曲がるところ、何より腰が傷んだ。それから遅れて左手に妙な感覚があった。座り込んだまま、左手を開いてみると、家の鍵を強く握りすぎたからか血が出ていた。鍵に何かキーホルダーをつけていたわけではないから、純粋に鍵で傷ついたのだ。親指の付け根に小さな切り傷が付いていた。思ったより血が出てくる。なんとなく、右の人差し指と中指でそれを拭い、右の頬に付けてみた。この、なんとなくの一連の動きは、シネマスコープの中に映し出されているといいな、と思った。身体中が痛かったけど、おもしろかったから、よかった。僕は立ち上がることにした。雨は本当に少しだけ降っている。
ここからコンビニに行こうとしている。それなりに汚れてしまったが、仕方がない。自転車を見た。自転車に乗って行こうか、いや、この程度の濡れ具合で滑って転んだのだ(たとえ変な声が聞こえてしまったからといえど。またあの変な声が聞こえないとも限らない)、大事をとって、あと気晴らしのために歩いていくことにしよう。自転車を金網越しに見た。僕は歩いてコンビニに向かう。決めたからだ。ぶらぶらさせていた右手を鼻の前にかざして、匂いを嗅いだ。鉄くさく、砂っぽかった。これでコンビニに向かおうとしているのだから、笑えてくる。いや、これは気晴らしにすぎない。コンビニ店員も、適当に事情を察してくれるだろう。コンビニ店員は本当に飲み込みが早いから、わかってくれるはずだ。
そんなことを考えていると、下には列車が通る小さな橋に辿り着いた。水色の塗装ははげかけているが、子供が手すりで遊んでいて怪我をするほどではない。おしゃれみたいに朽ちている。その下では電車が通る。橋の真ん中に辿り着いて、ここから落ちたら死んじゃうだろうと思った。いや、生きちゃう? 電圧注意と書いてあるから、落下して骨が折れたり、死んじゃう前にびりびりっと身体が破壊されてしまうかもしれない。それにいま僕は濡れている。電気はよく通ることだろう。でも、痛そうだ。さっきの落下でさえ痛く、血を流してしまったのだ。僕というのは風船みたいに壊れてしまうときには、弾けるように壊れてしまう。そして、壊れてしまうと、びっくりするし、うるさい。毎度この橋を通るとこんなことを考える。死ぬことはないだろうとは思うが、死んでいいかもしれないと思う。そして、橋の真ん中で線路を眺めるのをやめ、先に進もうと体勢を変えると、昼間子供達がよく遊んでいる公園が見えてくる。深夜の公園だ。いやらしいことを考えないわけではない。でも、重要なのは、いやらしいことを考えたその時には、もうすでに水色の手すりから離れて、コンビニに向かって歩きはじめていることだ。
公園に面した道路を進むとコンビニがある。だからコンビニに向かうまで、橋の上、橋の下り、道路、と少なくとも三つの視点から公園を眺めることになる。意図して見ないときもあるが、この場所から見た公園をその時に考えてしまっているから、大体いつもみているようなものだ。道路に面している側には遊具はない。公衆トイレがあって、それを二本程度の灯りが照らしている。公衆トイレはほとんど立方体の形になっていて、二つの光源から伸びるそれの姿は、三つの視点、どこからみても美しい。道路から見たとき前景に公衆トイレがあると、その後景にブランコがあって、その間くらいに滑り台がある。ジャングルジムと砂場は公衆トイレに隠れてしまう。
今日こうして家を出てきて、コンビニに向かっているのだけれど、いつもは見かけない、変な影が三つの視点全てにあらわれているのを見た。人影というには小さく、あまり動いていない。でも横に長いわけではないから、犬や猫の類いではないと思われる。霊でも無さそうだ。霊に影があったら、僕はその霊と仲良くできるだろう。
よくわからないその影は少し揺れているだけで、歩いたりしている様子ではない。ブランコ周辺でただ揺れている。こういうのはあまりない。不審な影を見かけることはよくあるが、それはその人物が不審だから影も不審に見えるのであって、影が独立して変な雰囲気を纏っているのはなかなかない。それに、徹底して影の主が見えてこないというのも、変な話だ。影しか見えない。特に怖がることはなかったが、
「変だなあ」とは思っていた。そのまま、コンビニへ向かった。
その前に、円柱状の灰皿に吸い寄せられていった。右ポケットには忘れずにセブンスターのソフトと、ジェットライターが入っている。ジェットライターは素晴らしい。片手で着火できるというだけで、なんだかカッコいい感じがする。喫煙にかっこよさを求めたことはないけれど。客観的にそう思う。絵になるというか。
セブンスターを咥えて、右ポケットからジェットライターを取り出して、先端に火を付ける。ゆっくり吸う。強く吸うと美味しくない。けれど今は若干の湿気があるから、どちらにしろ美味しいのかもしれない。
煙草を吸っていると、気分がいい。家から出てすぐ深夜の空気を吸ったように、身体の中の空気を違う空気で入れ替えているように感じる。手軽に自由を手に入れてるような気がする。これが自分の望んだものなのだと言われたら、認めてしまうかもしれない。この一本の煙草が僕の自由に繋がっているなんて、ちょっと詩的だ。けれど……
お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。
これはどういうことだったんだろう。
こと?
あれははじめ、「言葉」として僕の身体に降りかかってきた。「言葉」が身体を貫くような感覚は、実はよくあることでもある。だからそれはいい。問題はその「言葉」が「声」になって聞こえてしまったということだ。「声」になって聞こえたということは、誰かがそれを喋ったのだ。あのとき、僕の近くには誰もいなかったから、僕の「言葉」が「声」に聞こえてしまった(?)ということなのかもしれない。つまり、幻聴のようなものだ。幻聴ということは、幻? 幻には思えなかった。なぜなら、まずはじめに「言葉」が降りかかってきたからだ。幻にふさわしいのは、何の予兆もなく、何の脈絡もない「声」が聞こえてくるということではないのだろうか。あるいは、僕を貫いた「言葉」は「幻の声」を予知していた、とか。ファンタジーじみてきた。同時に自分は精神的におかしいと思われる(思われてしまう)ことを毛嫌いしていることに気づいた。言葉に則して物事を判断している。まるで、そうしないと生きていけないように。セブンスターは半分になっている。そうしないと生きていけないということは、僕は「言葉に則して物事を判断することを望んでいる」のかもしれない。それのあらわれとして、部屋があんなことになっているのかもしれない。数日間シャワーの浴びていない自分がいるのかもしれない。言葉に則して物事を判断することを望むというのは、ここまで代償が必要なんだな、とひとりごちて、笑った。口から煙草の煙が飛び出た。
コンビニでは煙草とお菓子を買った。煙草はいつものセブンスター。お菓子は適当にチョコ、なんだか寝付きが良くなるらしいチョコがあったからそれと、イカのゲソを買った。ゲソを買うとビールに手を伸ばしそうになる。でも僕はビールはあまり好きではないから、好きなのはゲソとビールという組み合わせだけだから、やめることにする。結構そこで戸惑う。けど、ビールは自分には必要のないものだ。煙草とチョコとイカのゲソは、自分に必要なものだ。
帰り道、公園が見えてきた。あの影はまだ居るだろうか? 僕としてはいないほうがいい。帰りは行きと違って、目に入ってくる視点が二つなくなっているからだ。橋の下りと、橋の上では、振り返らない限り公園の姿を捉えることができない。公園の姿を素で確認できるのは、今、この公園に面した道路でだけなのだ。だからこそ、ここでしっかりと、あの影がまだ居るかどうかを確かめる必要がある。そうしないと、公園を背にしてからが怖い。
立方体の公衆トイレが二つの光源に照らされて伸びる影の先には、ジャングルジムがあり、わずかながらジャングルジムの影も砂場に広がっている。幾何学的な影は、砂場の凹凸に習って、あまりユークリッド幾何的ではない形になっている。ブランコにはあの小さな影はなく、滑り台にも影はない。灌木を含め、公園全体を見渡してもあの小さく、揺れていた影は見当たらなかった。僕は一安心して、煙草を口に咥えた。少しだけ、雨が強くなってきた。火をつける。
とりあえずは安心てところだろう。もともと霊とかは考えていなかったから、特に恐れることはなかったのだけれど、一応だ、一応の確認は必要だと思ってだ。それから公園から目を離して歩いてみた。なぜかまた右手の小指と薬指が痺れてきた。コンビニで買ったものは左手で持っている。右手は煙草を吸うために放っている。それにしてもあの影はなんだったんだろう。影があるのだから、影の主はいるのだろうが、僕はそれを見ることができなかった。するとやはり、影は独立したまま存在し続けるのかもしれない。僕の中でも。世界の中でも。
「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」
という声があらわしていたものは、僕の考えていたように、ものごとの素朴な存在を認めろ、ということなのかもしれない。だからこそ、影にはその元があるとは考えなくて良いし、「声」そのものも、「言葉」のように独立したツールとして、その元を探る必要はないのかもしれない。だが。
そうしたことを伝えるのであれば、やはり「言葉」に留めておくべきではなかったのだろうか? 「声」でこのことを伝えるというのは、そのものが矛盾しているからだ。通常のものの考え方ではたどり着くことができない。「声」には人を必要とするという考えは、どれだけ複雑な回路図だったとしても、確かなものだからだ。僕はそう思う。「声」が独立して、僕に警鐘を鳴らしていたというのは、考えられない上に、警鐘ですらない。現状の説明を、何か「声」を使って説明する必要はどこにあったのだろう。必要? では「言葉」で表す必要はどこにあるのだろう。普遍的で、使いやすいのがキーなのだろうか。それが必然に関わっているのか。でも、こうしてみると「声」も「言葉」も大差ないように思える。すると、なぜはじめに「言葉」があり「声」が生まれたのか、が問題なのかもしれない。僕はあの言葉から逃れられていない。いまだに考え続けている。もうすぐ橋を渡り終えるというのに、家に帰ってもずっと考えてしまうのだろうか。橋の下り階段に足を付けると、
「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ!」
明らかに声がした。それもあのときに感じた「声」ではなく、方角があり、ちゃんとした輪郭を持った声だった。だが、どこか浮世離れしている。それでも僕はびっくりした。何しろ深夜なのだ。僕は振り返った拍子に咥えていた煙草を落としてしまった。湿っていた地面に落ち、火が鎮む音がした。そこから煙が立ちのぼった。雨が止んでいた。
「お前がどう考えても何も変わらないが、お前はなぜか望むことができる。お前はそれを否定しているだろうが、それは、お前が望むことができてしまうことに勘づいていたからだ」
橋を上ってくる音が聞こえる。人にしては軽い音だ。
「お前が何かを望んでいたとしても、それが叶うことはまれだ。まれということは、叶うこともある。お前はそういう能力を持っているのだ」
橋の上に立って僕を心持ち見下してきたのは、高校一年生くらいの少女だった。それにしては身長が小さいし、逆光だからか影しかみえない。
僕は思ったことを言った。
「でもそれって、僕以外の人にも言えることじゃないですか?」
なぜか敬語が出た。
「そうなの?」
「たぶん」
影の少女はため息をついた。マジで……と呟いていた。僕は聞き逃さなかった。
「お前が考えていることは、実は大切なことだ。これ以上ないくらい大切なことだ。あまりそういうことを考える人はいない」
「わたしにもくれ」
それにしてもこいつはなんなのだろうか。深夜に高校一年生くらいの少女と一緒にいて、通報とかされないのだろうか。僕は影の少女に煙草を渡すために近づいたが、影の少女は、「少女」になることはなく、影の少女を保っていた。なんなのだろう?
「ありがとう。今日は煙草が美味しい日だ。君が思ったことだよ」
「そうだったかもしれませんね」
「だが、お前には足りないものがある」
「なんでしょうか?」
そこで少女は本当に長く時間をあけて、煙草を吸った。とても長い時間だったが、次に出てくる言葉がわからなかったから、僕は待っているという気分ではなかった。僕も僕で煙草を吸っていたのだ。
「お前は実は求められて、存在している」
「え?」
「お前はそれを拒絶している」
「そうかもしれませんが……」
「お前は求められているから、存在しているのだ。お前が求められなくなったら、存在しなくなる。死ぬとはまた違ったものなのだがな」
「わたしはお前に求められて存在した。類を見ないほどひねくれたやり口だったがな」
そういって影の少女は僕の手を取った。左手の血は止まっていて、傷になっていた。影の少女が、その手をぎゅっと握ると、傷はなくなった。影の少女は、影の少女にふさわしく、とても冷たい手をしていた。
「お前の考えていることは基本的に正しい。が、まずい考えでもある。それを警告しに来た。お前には知ってもらうことがひとつだけある。そのために来た」
そう言うと、影の少女は地平線の向こう側に指を差した。何も見えない、と言うと、耳を澄ませ、と言われた。それに従って耳を澄ませていると、軽く、高いが地鳴りのような音が聞こえてきた。信じられないだろうが、線路中に列車が猛スピードで走ってきている。どの列車も見たことがない。ここは新幹線は通ってないだろうが、新幹線と同じくらいのスピードで走っている。だからか、電車にも見えない。謎の列車が猛スピードでこちらに走ってきている。深夜なのに。どういうことなのだろうか。
「お前に足りないものは」
影の少女は、橋の手すりに立った。そこで、影の少女は少女になった。制服を着ていた。白いパンツが見えた。胸は小さく、確かにあった。ショートヘアだった。見覚えのある子だった。だが、会ったことはない。会ったことはないが、見覚えのある子だった。可愛い。少女は煙草を咥えたままだった。
夜が静まりかえっていた。少女が決然と橋の手すりに立って僕を見下しながらも、夜空にはたくさんの星がきらめいていた。青い深夜は地平線見渡す限りに広がっていた。少女は僕を哀れむように見ていた。空間が張り詰めていた。それを揺らす列車の轟音。少女がふらっと動いた。
「圧倒的な喪失だ」
制服の少女は橋を飛び降りた。少女が地面にたどり着くころに、列車は飛び込んできた。衝突する。血が流される。さっきまで話していたあの謎の影は少女で、彼女は飛び降り自殺をした。僕が手を伸ばした時点で、少女は見えなくなっていた。なにもかもわけがわからない。僕は止められたかもしれなかったのに、影の少女から少女になったところで驚いて、何もできなかった。もしかしたら、なにもするべきではなかったのかもしれない。彼女は僕が求めたから存在したのだ。だが、彼女は自ら消滅することになった。ということは僕は彼女の自殺を願ったのだろうか。彼女の Permalink | 記事への反応(0) | 11:49
今の中国見ても左派ってやはり「日本が悪い」なんだよ。これから考えるに、中国政府も、アメリカや日本が反中だからこんな態度を取らせたのだと思ってるだろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4701367223904813442/comment/quick_past
もし対中外交を優先するのであれば、日米韓の結束をアピールしつづけて、容易に手を出せない事を見せつけねばならないんだけど、日本だけがそれを乱してたよね?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4701367223904813442/comment/uchya_x
そりゃ恋愛とか結婚だけが幸せではないけど、「車椅子の人はバリアフリーの所だけ行けばいいじゃん」っていうのと同じわけで
ソ連がこけたのは「アメリカと手を切って鎖国した」からで、共産主義でこけたのではなかった。
そんな超大国と手を切るような馬鹿な真似をする人間が、勝利するわけがない。
結婚もしてないし女性とお付き合いした経験もない。学生時代の栄光もなければ仕事で活躍したりもしてない。そして今コロナで職場を追われその日暮らしをしている
いやいや、悪いだろ。「悪くない」と考えるハードルが低すぎる。これで悪くないなら餓死しても悪くねえよ。
この増田の記述が清々しいものであることは重々理解している。他責しないから人柄がよく見える、それはわかる。いい人だと思う。
でもその「いい人」は結婚せず、女性とおつきあいせず、一人で静かに人生を終え、次世代に続かない。
「いい人」が子供を遺せない理由が明確に書かれているし、穿って見れば、「毒親」が発生するメカニズムすら読み取れる。
毒親になるような、他責思考で、悪くない人生だったと自分で思えない、「良い人ではない人」だけが、この増田のように満足せず、女を「入手する」ことができるからだ。
こういう人格の良い人に子供を作らせろよ。それができるのはてめえら子宮持ちだけだろ。
なんで「良い人」ではない奴と呑気に恋愛してんだ?
なんで「良い人」であるこいつに
って書かせて平気なんだ?
なんであまつさえ、その状況でこいつを絶賛できるんだ?
お前らは、金を持っていながら募金もせずにアフリカの子供たちを無神経に心配してる偽善者のカスと何が違うんだ?
絶賛するならこいつに子宮をくれてやれ。次世代にこいつの遺伝子を遺させろ。
自分のせいで幸せの再生産が止まってんのに、都合よく忘れてスカッとサワヤカな空気感じてんじゃねえよ。罪を認識して加害者として神妙にしてろ。
毎年何チームも監督がシーズン途中交代するJリーグや、たまに監督が「休養」と称して途中交代することがあるプロ野球などでは、監督交代後にチームの成績が良くなることが多い。
これは何故かと言うと、この監督は交代が近いと選手たちから思われるようになると、選手があまり練習や試合で本気を出さなくなる。交代が近い監督に対してアピールしても意味ないからだ。当然ながら試合には負け続け、監督交代につながっていく。
で、いざ監督が交代すると、それまで試合で手を抜いていた選手たちの態度が一変し、練習や試合でめいっぱい新監督にアピールするようになる。その結果成績が向上しやすい。
つまり、交代前後の監督の手腕にはあまり関係が無い。もちろん交代前の監督がロクに戦術や約束事やシーズン通じて戦える体力を仕込めないダメ監督である事も多いのだが、いくらダメ監督から普通以上の監督に変わったとしても、週に1~2試合あるJリーグやほぼ毎日試合があるプロ野球で、そんな短期間に戦術や約束事や体力を仕込めるわけがない。
要は監督交代によってモチベーションが思いっきり変わるから、成績が良くなるのである。これが「監督交代ブースト」の仕組みである。
ただ、この監督交代ブーストはあまり長期間は続かない。交代後の監督の「本来の監督としての能力」によって成績が良くなったわけではないから、その監督が翌年も留任すると、意外と結果が出ないことも多い。
またシーズン序盤に監督交代した場合も、短期間で息切れしていることも多い。これはシーズンインまでに選手層と体力・戦術面で良い準備が出来ておらず、それを1年間ひきずったためである。2012年のガンバ大阪が好例だ。
またまた、そもそもの選手の能力が低い場合も短期間で息切れする。1984年のヤクルトが好例だ。
今年はJリーグで序盤の監督交代が相次いでいるし、野球もベイスターズがそろそろ監督交代の頃合いだ。しかしどちらも選手能力やシーズン前の準備に問題があったとみられるから、監督交代してもあまり状況は良くならないだろう。
30ウン年も生きてきて、今更だとは自分でも思う。
自分はとてもケアレスミスが多い。それは昔からだ。もうこういうものなのだ、と思っていたし、周りの人達も大なり小なり似たようなものだと思っていた。
最近ミスが多いように感じるのは、周りの人達と一緒に仕事をしだして、やっと自分の異常さに気がついたからなのか、最近特にポンコツになっただけなのかはわからない。
人が簡単に乗り越えられることが、自分にはできない。ゆっくり時間をかけて、準備しても必ず抜けがあるし、災害レベルが事故レベルになるだけで、結局うまくできていない。
メモに書いて、忘れないように腕にも書いて、それでも忘れるんだぜ。クズだろう?会社が可愛そうだよな、こんなポンコツに給料払ってんだから。