はてなキーワード: 入試とは
ついつい大阪大学と京都大学の違いっていうブログをくりかえしみてしまう。そうこうしているうちにランチタイムだよ!!これってやらかしだよね。
京都大学は、1897年(明治30年)日本で2番目に創設された帝国大学です。一方、大阪大学は、1931(昭和6年)年に大阪帝国大学として設立された日本で6番目に創設された帝国大学です。
このため、昭和の始め頃は東北大や神戸商科大学の方が評価が高かったそうです。
京大は国が必要性を認めて創設した官立大学です。阪大の創設は財界の陳情に始またが、政府は、「近くに京大があるのに必要ない?」という冷淡なもので、寄付を募り理学部を国に寄付することで、元からあった大医大と統合し帝大を付与してもらいました。初代学長には長岡博士が就任しましたが、嫌がる博士を「週に一日でもいいから」と無理やり大阪まで引っ張ってきた。空から俯瞰すると、国が必要性を認めて設立された京大は学舎が美しく整然と配置されて(京大は重厚で格調高い雰囲気にあふれるキャンパスを持ち、花時計と前に聳える楠の木で有名)が、阪大がたこ足大学で建物の配置が規則性に乏しく、雑然としている。手狭な石橋キャンパスは合併で学生があふれ、さながらブロイラー養殖場のようです。校歌もありません。阪大は、「それって、私立なの?」「両方合格したら、当然早大だよね」と関東での知名度は0。大阪の大学というなら、関関同立の関大や、マグロや相撲で有名な近大の方がはるかに知られています。
公務員就職はさらに弱く、国家公務員総合職試験合格者数では10位にすら入らない弱小派閥です。地元でも幹部職員は京大卒が多く教員採用試験ですら補欠合格となり春先まで悩んでいる人も少なくありません。
理系の場合、京大の不人気学科と阪大の人気学科が重なる程度の差があります。最大幅で見ると、京大工情報と阪大理系の最下位学科の差は偏差値で7.5にも達します。
このように大差があるので、阪大合格者が浪人しても京大に合格するのは難しいです。
阪大の合格点は非常に低く、工学系の不人気学科では47%で合格。理学部で数理2教科入試という軽量入試をしていた時期もあります。
トップ校は北野ですが、校区内の阪大には目もくれず京大に大量合格します。阪大に入学するのは2番手の豊中以下が多い、他の地方旧帝大であれば、諸般の事情で地元に進学する人がいるでしょう。
「なんで阪大なん?」
京大に入れない者が入学する大学。眩しい京大の陰に隠れた日陰者。卒業間際になって京大との社会的評価の差に愕然とし、「あの時もう少し頑張っておけば良かった…」という声を聞いてま。
早稲田大学の看板学部、政治経済学部の入学者に占める一般入試の割合が年々下がり、'09年度では、わずか39.9%。他学部も、法学部32.6%、商学部39.8%といずれも4割を切っている
定員1200(入試定員460 付属高校推薦400 指定校推薦160 AO入試160 帰国子女入試20)
http://www.admissions.keio.ac.jp/fac/adms_data.html
同志社はもっとひどいがなぜか教えてやろう。20年くらい前までは、同志社附属中学では「親が同志社」が優遇されるのが当然だった。それで入試をクリアできるくらいの勉強はできるけど親が反社すれすれの育ちが悪い連中がくるのを防いでたんだが、「差別だ!」って大騒ぎされて、入学試験だけで入れるようになってしまった。その結果いろんな連中に入り込まれ奴らが仲間を引き入れ、この体たらく。慶応のハンドも性犯罪で捕まってる奴も、昔の基準では入れなかったんよ。
最近思うが、社会人になってしばらくしてから何らかのやらかしをするのは慶応大卒が多いように思う。あまりいい噂を聞かない。
慶応大卒や在学中の普通の人には本当に申し訳ないが、そう思う。もちろん自分は慶応大卒の素晴らしい人たちもたくさん知っているので、全員が全員そうだというわけではない。一部のおかしな奴らが出張ってきているのだろう。
しかし、今までうっすらと感じていたのが最近顕在化し表層意識に上がってきて、確信レベルになった。
完全に偏見であるため統計をとったわけではないが、昔感じていた「慶応」という雰囲気はもはやなく、GMARCHどころか日東駒専あたりに感じている。話の内容のレベルも低く、幼稚である。
そのため「慶応卒です」と言われても「学力が高いのだろう」とは全く思えない。そうではなく「頭がいいと思い込んで驕り高ぶっているけれど、そんなにでもない」というふうに見えて、まず嫌なイメージを受ける。
つまり「学力は日大レベルだけれど、プライドは慶応」というような印象を受ける。そのため、日東駒専と比較するのはかえって日東駒専に失礼かもしれない。
少し調べたが、慶応大の受験科目はかなり偏っている。まあ別に他大学もそうで、慶応大も昔からそうだと思うが、「英語ができる」という点でかなり通過できることが多い。
参考情報として、記事の最後に入試情報を転記しておく。見たい人だけ見てほしい。
入試情報を見ると、どの学部でも合格最低点が60%付近であるが、これはどこの大学でもそうであるから特にこれ以降言及しない。
慶応大学は、基本的に英語科目がかなりの位置を占めている。もともとは福澤先生が漢学ののち蘭学、蘭学から英語に切り替えて学び、海外で学ばれたあとに慶應義塾を創設された流れから、英語が尊ばれているというのは理解できる。
そして世界をリードするような存在を鍛え上げるというような精神でこれまでやってきた大学なのだと思う。
しかしながら、しっかりと英語ができるような人材はもういきなり海外に行ってしまうような時代になった。「なった」というより、とっくの昔にそうなっていた。国内の経済学部でMBAを目指しにいくというよりも、すぐにでも海外でMBAを取りたいのだ。その海外のMBAにも影が差しているかもしれないがそれは今回の話ではない。
「慶応というのは頭がよい」というブランドが確立されていたため、こうした受験科目等を見ると、そのブランドを手っ取り早く手に入れるにはかなり穴場になっているように思う。そして「私立最高峰」のようなプライドがあるためなのか、非常に嫌な人間が多い大学だなと考えている。「俺/私は、頭が非常に良い」と驕る雰囲気を感じるのだ。自信があるというよりも、人を見下す態度が凄まじいのである。他の私立大学や国公立大学卒にはあまり無い共通性である。
これは、以前であれば問題は無かったのかもしれない。そのプライドに見合った学力・努力・精神があるため、多少のわんぱくは許容されていた。しかし、その驕りはそのままに、学力と精神だけが落ちてきているのではないか。
驕り高ぶっている人を見ると「慶応っぽいな」と思う。そしてそれが当たっていることが多い。
つまり、「英語はある程度できるんだけれども、海外留学できるほどではなく、他の科目はよくわからない。でも人からはすごいねと承認されたい」という人には「慶応」というブランドは魅力的なものに映るらしいのだ。特に今の子どもたちの親よりも少し上の世代や祖父母世代にとってはそうだ。少子化もあるのかもしれない。
慶応というブランドを作り上げてきた人たちが少なくなってしまい、ブランドへのフリーライダーの数が閾値を越えてしまったのかもしれない。ブランドが食い尽くされたように思う。
随分前からジョークとして「おれ、ケーオー!」などのように少し小馬鹿にされてネタとして使われることがあったが、徐々に「おれ、ケーオー!」しか無いのではないか、と思うようになってきた。
見ていてこちらの方が恥ずかしくなる。
今はまだいいのかもしれないが、そのうち「慶応か……慶応は英語ができるだけで無知なんだよな……プライドは高いし……」とされて、他の私立大学にその座をドンドン奪われるのではないかと思う。
「1万円札だけが好きな人が行く大学」のようになっているようで、福沢諭吉先生が好きな自分としては残念な気持ちだ。
もちろん、自分のことをルサンチマンや学歴コンプレックス保持者だと笑ってもよい。そういうところも、慶応っぽいのだし。
https://passnavi.obunsha.co.jp/univ/2370/subject
https://www.keio.ac.jp/ja/admissions/docs/tokuten2023.pdf
合格最低点: 205(58.5%)
合格最低点: 266(63.3%)
合格最低点: 247(61.7%)
省略
合格最低点: 290(58%)
合格最低点: 257(64.2%)
合格最低点: 246(61.5%)
合格最低点: 294(58.8%)
合格最低点: 169(48.2%)
高校野球で甲子園に行ったからといって、「自分には小説家の才能がある!」「自分は漫画家デビューできるはず」と思う人はいないと思うけど、
東京大学の入学試験に通ると、「自分は東大に合格したから、小説家になれるはずだ」「東大に合格したのだから、漫画家になれるのは当然」と思いこむ人が一定数いるのはなぜだろう。
東大を順調に卒業してエリートコースを歩んでいる人は、そういう勘違いをする人はほとんどいないが、何かの事情で中退したり就活失敗したりして、人並みの東大卒になれなかった東大関係者が小説家や漫画家目指しがち。
東大の入試に、小説家や漫画家としての才能を問う要素は全くないのに、「東大合格=天才=俺はすごい」の誇大妄想が爆発しちゃうんだろうね。
人事担当者として、そのような東大卒(東大中退)が応募してきたら、書類審査を通して、面接で思いっきり圧迫面接して落としている。
まあそれが本人のためだから。
自分への戒めというか、感覚を忘れないようにするために書かせてほしい。前にも流行った話題だと思うけど。とある実況者界隈の切り抜きみてコメント欄に書き込もうと思ったけど、あまりに隙自語だし場違いだなっておもったからこっちに書く。
かいつまんでその切り抜きの内容書くと、
○とある実況者Aが両親が夜出掛けるたびに夕食代として妹と二人分で五千円もらってた。←それに対して実況者B·Cが「多くない?!」と反応
○実況者Aの実家が金持ちって話に移って、大学時代の勘違いで奨学金は貰えるものだと思っていた、借金じゃん誰が借りるんだって思った話をすると、実況者B·Cは「いやみんな借りてるよ?」と反応
○実況者Aの妹さんはさらに過保護にされており、一人暮らしだったがバイトするより家に帰って来てほしいと両親から仕送りが増やされた話と、帰省のための新幹線の定期代も親が払っていた。
○実況者Aは自分の家が金持ちだとはしばらく思ってなかったが、実況者B·Cはそれに対して終始「金持ちじゃん!」「普通じゃないよ!」的な反応
多分細かい部分は違うけど大まかにはこんな内容で、自分も最初は笑ってたけど見返したらあんまり笑えなくなった。あんま大きい声では言えんし新幹線定期の下りとかはスケール違いすぎてあれだけど、奨学金や妹さんのバイトの下りはわりと似た価値観だったことを切り抜き見て思い出したから。
高校生〜大学生なりたてのころの奨学金のイメージ、頭がよかったら国とか大学とかが「お前もっと頑張れよ!」ってくれるお金、って感じだった(多分そういう奨学金も実際あると思う)んだけど、説明会行こうとして利子とかの話を聞いて初めて、「えっ返さなきゃいけないの?!」と知ってまず驚いたし、説明会は授業終わり残って聞いてくみたいなスタイルで、「じゃあめんどいからパス」ってすぐ思ってたら授業終わったあとわざわざ残る子が予想より多くて「大学費用足りない人って意外と多いんだな」ってことに次驚いたし、大学で仲良くなった自分と同じ“““普通”””の家庭の子だと思ってた友達が奨学金借りててまた驚いてしまった。その時初めて四年制の私立大学に通うことになっても奨学金の話なんて家では一切でなかった、普通だと思っていた自分の家のこと「中流の少し上くらいの家なんだ」と自覚したのを思い出した。
妹さんのバイトさせないで仕送り増やした下りも正直心当たりがあるというか、自分も親に遊びに行くと言えば充分お小遣いもらえたし、欲しい服とかも頼めば買ってくれたし、そういう生活のためにお金が欲しかったわけではなかったけれど、「社会勉強にやっておきなさい、合わなければ辞めていいから」って親に言われたのと「バイトしておかないと就活のときに書くこと減るぞ」って先輩から言われてなんとなくで始めたのを思い出した。私は実家暮らしだから一人暮らしの仕送りない分お小遣いある方なのかな、と軽く思っていたけど、同級生の中には実家暮らしでもバイトして家にお金入れなきゃ大学通わせてもらえない子もいたし、そのバイトをしなきゃいけないせいで授業出席危ういみたいなことも聞いて、上からで申し訳ないけれど心底気の毒に思ったのがめちゃくちゃ鮮明に蘇った。
思えば高校時代にもセンター試験の自己採点をクラスでしたあとで、「公立無理かもしれない、お母さんは私立でも大丈夫だよって言ってくれたけど…」と言って泣き出した片親の子をみんなが励ましてるの見て正直(泣くほどのことか?そんなに学費キツイなら入試とか頑張って奨学金もらえばいいんじゃない?)、って軽く思ってしまったけど、別にそれその子の家が片親だからとかじゃなくて、自分は公立はマストではなくて選択肢の1つって感じだったけれど、公立じゃなきゃ通わせられないって家もあるんだとその時気づけばもう少し違った心の持ち方があったかもしれないと思う。
話が逸れたけど、別に自分の家は特段に金持ちとかそんなではなく、それこそ都内のタワマンが〜とか高級車が〜とかそんな家じゃなくて、あくまで地方都市基準ではあるけど、それはそれとして私の中で親が子供の学費出してくれるのは当たり前のことだと思ってたし、公立だと親孝行だけど、私学でも悪くて「お金の掛かる子でねぇ(笑)」扱い程度、大学行かない選択肢はなかった。それが“普通”の家だとまだ心のどこかで思ってる自分がまだいる。実況者B·Cが「俺たちが普通だよ!」って強めに言ってるところで、ああやっぱり自分は普通じゃなくて物凄く恵まれてた方だったんだなぁ、と再確認して、同時になんか怖くなった。今あんまり他人の年収とか家庭環境とか学歴とかあえて訊かないくらいには大人になったけれど、いつかどこかでポロッと自分の“普通”に照らして話してしまいそうで怖い。
自分への戒めというか、感覚を忘れないようにするために書かせてほしい。前にも流行った話題だと思うけど。とある実況者界隈の切り抜きみてコメント欄に書き込もうと思ったけど、あまりに隙自語だし場違いだなっておもったからこっちに書く。
かいつまんでその切り抜きの内容書くと、
○とある実況者Aが両親が夜出掛けるたびに夕食代として妹と二人分で五千円もらってた。←それに対して実況者B·Cが「多くない?!」と反応
○実況者Aの実家が金持ちって話に移って、大学時代の勘違いで奨学金は貰えるものだと思っていた、借金じゃん誰が借りるんだって思った話をすると、実況者B·Cは「いやみんな借りてるよ?」と反応
○実況者Aの妹さんはさらに過保護にされており、一人暮らしだったがバイトするより家に帰って来てほしいと両親から仕送りが増やされた話と、帰省のための新幹線の定期代も親が払っていた。
○実況者Aは自分の家が金持ちだとはしばらく思ってなかったが、実況者B·Cはそれに対して終始「金持ちじゃん!」「普通じゃないよ!」的な反応
多分細かい部分は違うけど大まかにはこんな内容で、自分も最初は笑ってたけど見返したらあんまり笑えなくなった。あんま大きい声では言えんし新幹線定期の下りとかはスケール違いすぎてあれだけど、奨学金や妹さんのバイトの下りはわりと似た価値観だったことを切り抜き見て思い出したから。
高校生〜大学生なりたてのころの奨学金のイメージ、頭がよかったら国とか大学とかが「お前もっと頑張れよ!」ってくれるお金、って感じだった(多分そういう奨学金も実際あると思う)んだけど、説明会行こうとして利子とかの話を聞いて初めて、「えっ返さなきゃいけないの?!」と知ってまず驚いたし、説明会は授業終わり残って聞いてくみたいなスタイルで、「じゃあめんどいからパス」ってすぐ思ってたら授業終わったあとわざわざ残る子が予想より多くて「大学費用足りない人って意外と多いんだな」ってことに次驚いたし、大学で仲良くなった自分と同じ“““普通”””の家庭の子だと思ってた友達が奨学金借りててまた驚いてしまった。その時初めて四年制の私立大学に通うことになっても奨学金の話なんて家では一切でなかった、普通だと思っていた自分の家のこと「中流の少し上くらいの家なんだ」と自覚したのを思い出した。
妹さんのバイトさせないで仕送り増やした下りも正直心当たりがあるというか、自分も親に遊びに行くと言えば充分お小遣いもらえたし、欲しい服とかも頼めば買ってくれたし、そういう生活のためにお金が欲しかったわけではなかったけれど、「社会勉強にやっておきなさい、合わなければ辞めていいから」って親に言われたのと「バイトしておかないと就活のときに書くこと減るぞ」って先輩から言われてなんとなくで始めたのを思い出した。私は実家暮らしだから一人暮らしの仕送りない分お小遣いある方なのかな、と軽く思っていたけど、同級生の中には実家暮らしでもバイトして家にお金入れなきゃ大学通わせてもらえない子もいたし、そのバイトをしなきゃいけないせいで授業出席危ういみたいなことも聞いて、上からで申し訳ないけれど心底気の毒に思ったのがめちゃくちゃ鮮明に蘇った。
思えば高校時代にもセンター試験の自己採点をクラスでしたあとで、「公立無理かもしれない、お母さんは私立でも大丈夫だよって言ってくれたけど…」と言って泣き出した片親の子をみんなが励ましてるの見て正直(泣くほどのことか?そんなに学費キツイなら入試とか頑張って奨学金もらえばいいんじゃない?)、って軽く思ってしまったけど、別にそれその子の家が片親だからとかじゃなくて、自分は公立はマストではなくて選択肢の1つって感じだったけれど、公立じゃなきゃ通わせられないって家もあるんだとその時気づけばもう少し違った心の持ち方があったかもしれないと思う。
話が逸れたけど、別に自分の家は特段に金持ちとかそんなではなく、それこそ都内のタワマンが〜とか高級車が〜とかそんな家じゃなくて、あくまで地方都市基準ではあるけど、それはそれとして私の中で親が子供の学費出してくれるのは当たり前のことだと思ってたし、公立だと親孝行だけど、私学でも悪くて「お金の掛かる子でねぇ(笑)」扱い程度、大学行かない選択肢はなかった。それが“普通”の家だとまだ心のどこかで思ってる自分がまだいる。実況者B·Cが「俺たちが普通だよ!」って強めに言ってるところで、ああやっぱり自分は普通じゃなくて物凄く恵まれてた方だったんだなぁ、と再確認して、同時になんか怖くなった。今あんまり他人の年収とか家庭環境とか学歴とかあえて訊かないくらいには大人になったけれど、いつかどこかでポロッと自分の“普通”に照らして話してしまいそうで怖い。
世界史の特徴、特に日本史との最も大きな違い。それは、平均点レベルまで到達するのに時間がかかることである。
日本史は覚えたことが得点に直結する。古代のことなら古代の内容が分かれば得点できる。
だが、世界史は違う。
古代ローマのことを覚えただけでは設問のほとんどに答えられない。
例えば入試では「古代ローマの民主制と比較して現代の民主主義を考える」みたいな技能・思考を必要とする問題が出題される。ローマを覚えてもすぐには得点にならないのだ。
つまりこれは、「暗記しただけでは勝てない」ということを意味する。そして、平均点に到達するのに大きな労力がかかる。
さらに言うと、そこまで労力がかかるとなると、モチベーション維持が大変である。
とすれば、受験に備えるためには以下の条件を満たす学習を進めなければいけない。
①用語を覚えることについて
1.最低限の語句を
2.モチベが落ちる前に
3.素早く覚えきる
→「ポエニ戦争」「マグナカルタ」「則天武后」「資治通鑑」などの語句を古代から近現代まで各地域ごとにひととおり知っている状態、空欄補充ができる状態にする
②流れを押さえることについて
1.覚えた語句を
3.関連づけて理解する
→かなりざっくりした言い回しになるが、「十字軍において、最終的には聖地を奪回した状態を維持することはできなかったが、その過程でイスラームとの接触を通じてもたらされた文物や価値観は後のルネサンスにも影響した」という感じの理解。その中で人物ほかもう少し具体的な用語を付与していく。サラディン、インノケンティウス3世、ラテン帝国、アンティオキア、とか。
ここで問題となるのが、どちらにどれくらいの時間を割くのか、という点だ。しかし、当然ながら時間は有限である上、理解を「定着」させる為には②により多くの時間がかかる。
つまり何が言いたいかというと、①を終わらせて初めてスタートラインに立てるのであり、そこまでの作業を迅速に終わらせられないような人間は受験世界史の勝負の舞台に立てないから諦めろ、ということだ。
さて、先述の作業の期間の目安が二週間つまり半月であり、そのために最も有効な問題集のひとつが「スピマス」である。
詳しくは以下のサイトより。
https://www.yamakawa.co.jp/product/03077
しかし、いきなりこんなものに取り組んでも何も意味がわからないだろう。
受験期までにちゃんと通史を学べる恵まれた高校はそう多くないだろう。そこで、先述②より先にまず把握しなければいけない最低限の「流れ」を把握するのに最適なサイトがある。
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/sekaishi/
20分×40回で800分。受験勉強へのトータルの時間を考えれば大した量ではない。
用語は決して多くなく、これを見ただけでは知識量としては受験に通用しない。あくまで流れを掴む用途なので、躍起になってちゃんとしたノートを取る必要はない。
各回のラストで内容を要約してくれる。それを見てなんとなく雰囲気が掴めればいい。
これらを高校の夏休みが始まるまでに終わらせられないなら受験世界史にはスタートラインにたどり着くこともなく敗れることだろう。
しかし、今の時期、5月末に始めて6月15日までに終わらせられればまだ間に合う。
それから1ヶ月かけて基本的な問題集に取り組み、夏休みに共通テストの過去問に取り組むことができれば、9月には個別の入試の対策ができる。
そうすれば、よほど偏差値の高い大学でないかぎりはまず通用するレベルに行き着く。
受験生達の健闘を祈る。
皆さんの多くは、高等学校で「世界線」を学習したはずです。大学入試の科目として「世界線」を選択した人も多いでしょう。ですから、ちょうど数学の定理や物理の法則のように、高校生が世界中で同じ世界線を学んでいるのだと信じているのではないでしょうか。しかし、実はそうではありません。
世界線という名前の科目は、日本や中国など東アジア諸国に特徴的にみられ、欧米や中東などでは単に「歴線」と呼ばれる科目しかありません。また、大筋は同じだとしても、国によって、教科書の内容は微妙に異なっています。世界線は、決して一つではないのです。なぜでしょう。
世界線の理解は、自分たちの生きる世界をどう認識するかということ、すなわち世界観と深くかかわっているからです。現代世界でも、人々の世界観は同じではありません。まして、過去においては、地域や時代によって様々な世界観があり、従って、世界線の理解の仕方も一様ではありませんでした。この講義では、現代と過去における多様な世界観と世界線理解を紹介し、皆さんが高校で学んだ世界線がどのようにして成立したのかを解説します。これは、世界線を生み出す歴線学という学問の歴史を俯瞰してみせる連続講義です。また、この機会に、現代の私たちにふさわしい世界線理解はどのようなものかを一緒に考えてみましょう。
ABC予想の検討に当たっている天才数学者、ペーターショルツ教授(30歳)が解いた、 国際数オリの幾何学難問
ユークリッド平面の任意の凸多角形Sを想定し、 各辺に面積が最大の三角形を割り当てる。三角形の面積の総和はSの2倍以上になることを示せ。
驚愕: 21世紀に入ってからもまだこんなに美しい定理が発見されるのか? 誰がこんなものを発見したのか?
証明法 : 補完定理か、ベクトルを用いた別解法。特に後者は理解できない。
問題点 : ろくに数学の特訓を受けていない日本人の誰がこんな問題を解けるのか? 灘高校の人も解けない? 解ける人は絶滅
問題の意味だけなら東大受験生でもできる。 しかし、東大生の界隈では、誰も解けない。 → 東大入試に出ても 誰も解けない可能性
ただの悪口であって、入試制度を理解してるしてないとかの問題じゃないやろ
「ガイジは増田に来るなよ」って言われたら「平均以下の知能でもインターネットを使って増田にアクセスできることを認識していないのはアホ」みたいなこと言うんかお前は
東大の得点設計って英語にしろ他の科目にしろ一科目くらい極端に苦手があっても合格できるくらい寛容だからな
東大入試を考えたこともない人が「どうやって東大入ったの」って無知なことを言うのはまだわかるけど、東大生なのに極端な点数で合格できる入試だって認識してないのはそっちのほうがアホなんじゃなかろうか
いや違う
リベラルに必要なのは「強すぎる共感性」だと思う。頭の良さではない。
リベラルが究極的にしたいことは
「どんな立場の誰に生まれてしまっても不当な気持ちを抱えなくて良い世界」だ
在日に生まれてもロシア人に生まれても日本人に生まれても「なんでこの国籍っていうだけで罵られるの?」などをなくしたい。
現在の性別・国籍・職業だけに有利な世界にしたいのは保守だよ。
日本人に生まれたんだから日本だけが優遇される世界がいいにきまってんだろ、
自民がやってること。
で、今ネット上のフェミニストは「私は女だから女が得する世界にしたい」の人が確かにかなり多く混じっている。これは本質的には保守だ。
そうではない。
女に生まれても男に生まれても給料や雇用や入試の得点で不当な扱いをうけない世界にしたい。
男に生まれただけで「体売ればその取引考えないでやってもいいけど死ぬまで一度も言われないで済む」みたいな不当をなくしたい。
同じように
男に生まれただけで泣くな、稼げ、暴力に耐えろ、だってなくしたい。
特定の「生まれるときに選べない」属性に関わる問題は世界にたくさんある、
ただなかでも緊急性が高いのが、賃金と雇用に関わることだろうということで
(統計で性別による偏りも証明されており、過去法律で医者や弁護士にはなれないなど実際にあり、何十年も是正したいのにできていない、生活に直結する不平等)
甘えた根性というが、出産というデバフや性被害に対してのリスクを軽視していないか?
男女別定員制度を設けている日本の教育制度が女子にどういったお膳立てをしてるのか教えてほしいね。
無知に甘えてるのはお前みたいなモラ男だな。
教育の話もしていない。
医学部の話もしていない。