はてなキーワード: デジタルとは
これは弥助問題の元ネタ論文でも何でもない可能性が高いので,論文をちゃんと読んでください。
っていうか,こういったテーマについては,藤田みどり『アフリカ「発見」――日本におけるアフリカ像の変遷』(岩波書店,2005年)っていう研究書がちゃんと出ているので,ネット上でかしましい皆様におかれてはまずはそういった文献もあたってみてください(ちなみに,この研究書のもとになった博士論文は国立国会図書館デジタルコレクションで読めます)。
注をよく見てみましょう。おや? 日本語の文献が引用されていませんね。日本語の文献を引用せずに日本史研究ができるんでしょうか? これは問題ではないのですか?
はい,問題ありません。なぜならこれは,タイトル「アジア人と黒人のあいだでの人種と人種観の利用――日系・アフリカ系アメリカ人の場合」からも分かるように,日本史の論文ではなくアフリカ系アメリカ人を主題にした論文だからです。
これはどう読んでも,アメリカの黒人の日本人観および日系人との関わりについてカリフォルニアを中心に調査した論文,つまりはアメリカ黒人の歴史に関する論文であって,ロックリー氏や岡氏がこれを読んでいないと断言することはできませんが(誰しも専門分野外の本や論文を読むことだってあるでしょう),わざわざこれを「元ネタ」にするなどということはとうていあり得そうもないことです。彼らがこの論文を参考にして立論しているのでは? などというのは,馬の心肺機能に関する研究が『ウマ娘 プリティーダービー』を参考にしているのでは? と言っているようなものです。ジャンル違いすぎるわ! あとドリームジャーニー引けなくて凹むわ! っていうか今回のLoHは千直だから荒れそうって言ったの誰だよ! ふつうに安定して英雄譚取れたから拍子抜けしたわ!
こういうときは注を見て,どんな文献に基づいてこの話をしてるのか? っていうのをチェックするんですよ。弥助が出てくる部分の出典は,第一にMichael Cooper, comp. They Came to Japan: An Anthology of European Reports on Japan, 1543-1640 (Berkeley: University of California Press, 1965)っていう本の66ページで,これはまあ当時のヨーロッパ人が日本について書いたものをまとめて英訳した,っていうやつですから,多分日本語でも同じコンセプトの本はあると思うのでそれを探せばいいでしょう。第二は,Gary P. Leupp, Images of Black People in Late Mediaeval and Early Modern Japan, 1543-1900, Japan Forum 7, no.1 (1995)っていう論文で,ペイウォールの向こうに行ければ読めます(https://doi.org/10.1080/09555809508721524)。要するに,著者のデイヴィド・ライス氏(カリフォルニア大学バークレー校所属)は日本語読めないので,英訳された史料や英語で書かれた論文を典拠にして,本題に入る前のマクラとして弥助についてちょろっと書いたということでしょう。
仮に彼が日本史の研究者なら日本語を読めないのは問題外ですが,論文の内容から察するにあくまでアメリカ黒人史の研究者なので,それならまあ日本語の論文読んでないのも仕方ないかなという感じ。なんだろう,アーサー王伝説そのものについて研究するなら,古い時代の英語とかウェールズ語とかの史料が読めないといけないけど,「日本人がどんなふうにアーサー王伝説を受容したか」という研究なら,『Fate/stay night』が読めれば十分で,アーサー王については日本語の本を参考にしてても構わないじゃないですか。この論文もそんな感じです。
なので,ふつうの日本中世史研究者が,この論文を典拠として用いることはまずないです。だって普通に考えて,こんなの典拠にならないっしょ? 中世ヨーロッパ史の研究者が論拠として『Fate』を参考にするなんてあり得ると思います? そりゃ絶対あり得ないとは言えないけど,そういう蓋然性が薄い推測をわざわざするならもっと直接的な証拠(本の中でこの論文を引用してるとか)を持ってきてもらわないと……
(もちろん,最近は中世ヨーロッパ史の研究者が日本におけるヨーロッパ表象の研究に手を出していたりするので,そういう研究で『Fate』を史料として用いるのは全然あり得るっていうかもうやってる人はいたはずなんですが。そのへんの研究動向は,たとえばhttps://doi.org/10.34382/00003197とかhttps://doi.org/10.34382/00003198とかの論文を読んでもろて……あ,話がズレた)
この論文,表象の研究としてはまあ手堅いので,弥助論争に巻き込まれて変な受け止められ方をするのは気の毒だと思いました。ただそれはそれとして,日系サイドの話もアフリカ系の新聞に基づいて書かれているきらいがあるので,論文のタイトルから「アジア人」「日系」を外して黒人についての論文だと明確化するか,あるいは日系人についてもちゃんと彼らの出してた新聞を読み込んで「日系から見たアフリカ系」を調査しないとダメなんじゃないかなぁ,とは思います。まあ,当時の日系人が出してた新聞って日本語で書かれたやつがいっぱいあるので,単純に読めないのかもしれませんが,だったらなおさら「これは2つのマイノリティについての話です(キリッ」と謳うんじゃなくて,「これはあくまで黒人史の話でっせ」という断りを入れた方がよいような。日系人の歴史は黒人史の添え物とちゃうねんで。
ちゃんと読むっていうのは,この論文のテーマは何で,どういう史料を使っていて,という,基本的なことを確かめながら読むことです。そうすれば,どれが話のマクラに過ぎず,どれが本題なのか,っていうのがわかって,「アメリカ黒人史の論文が日本中世史研究者の元ネタだったんだよ!」なんていうアホな主張をすることもなかったはずなので。
本記事を開いていただきありがとうございます。
前提となるイラストレーターかかげ先生の炎上を巡る騒動について、資料として簡単に共有させて頂きます。
概ね把握されている方は飛ばしてください。
本題に入る前にひどく長くなってしまいました、申し訳ありません。
彼個人については、私もあまり良い印象を抱けませんでしたので、やや乱暴な纏め方になってしまっているかと思います、ご容赦ください。
私が雑考したいのは、一連の騒動を追う内に頻繁に目に入ってきたフレーズである「かかげ先生の添削動画を見ているのは『本気』で絵が上手くなりたい人たち」は真か、という点です。
結論から言えば「そういう人もいるが、恐らくあなたはそうではない」というのが正直な考えです。
結論から言ったはずなのによく分かりませんね。順を追ってお話させていただければと思います。
では、そもそも「本気で絵が上手くなりたい人の行動」とは、どういった行動なのでしょうか?
「毎日毎日毎日毎日デッサンとクロッキーと模写を繰り返し、親に土下座でもなんでもして作業環境を一式整えて技術書で理論や技法をデジタルも含めて学び、毎日毎日毎日毎日デッサンとクロッキーと模写を繰り返し、親に土下座してでも専門的な学習ができる環境で添削してもらう」。
端的に、それが私の思う『本気』です。
更に覚悟が決まった人ならば専門の教育機関で勉強し、毎日毎日ノウミソを煮ながら作品制作に勤しむでしょう。
そこまでやってようやく画業の卵に成りうるのです。
もちろん環境的な要因もありますし、それが出来ないから本気ではないとは言いません。
しかし、絵にせよ、スポーツにせよ、勉強にせよ、仕事にせよ、『本気』とは大なり小なりそういうものです。
「やるべき事をやっているか」と言い換えても良いかもしれません。
それができているか否かは、きっと自分が一番良くわかるはずです。
真剣に向き合えば、「やったつもりになっている」というのは自分でもわかってしまうものですからね。
「自分はやるべき事をやったし、最低限の基礎に関しては習熟している」。
そう胸を張れる人ならば、かかげ先生の動画を見るのは非常に参考になると思います。
一家言あるだけに、かかげ先生の動画は「見栄えを良くする」「バズりやすくする」「いいねを貰いやすくする」という点に置いて非常に参考になります。
「今このキャラの二次創作を描いても伸びない」という余りにも明け透けすぎるアドバイスもありますが、なりふり構わず本気でやる上で必要なアドバイスである事に私も否やはありません。
かかげ先生に添削を依頼する方たちの水準は他の添削動画と比べてハイレベルに見えますし、モチベーションも高く、糧になるか、あるいは良い思い出になるでしょう。
繰り返しになってしまいますが、「かかげ先生の添削動画を見ているのは『本気』で絵が上手くなりたい人たち」とフレーズは、一連の騒動を追う内に頻繁に目に入ってきました。
そう言っている方々のアカウントのメディア欄を全て確認した訳ではありませんし、安易なレッテル貼りになってしまうのであまり言いたくはないのですが、あえてハッキリ言わせてもらうなら「やるべき事をやっている」とはとても思えない人達が非常に多い。
もし『本気』で絵が上手くなりたいのなら添削動画なんかを見ている場合ではない。
そういう方たちが、本当に多い。
これもぱっと見の主観になりますが、平均して年齢層も低く見えました(先だっての例に学生さんを想定した理由でもあります)。
なぜそういう方々が多いのか。
私も明け透けに言ってしまいますが、かかげ先生の動画は「本気でやってるつもりにしてくれるから」です。
かかげ先生の辛口、あるいは暴言と言い換えても良いですが、その口撃はファンサービスであり、むしろ糖衣なのです。
かかげ先生はデッサンが狂った絵を添削する時に「複雑骨折してる」「化物になっとるやん」「この絵は伸びへんよ」等々の言葉を使って、逐一「こうする」という訂正を行います。
私が思う辛口です。
「デッサンが出来てませんね、次」
終わりです。
適当なだけに思われるかもしれませんが、これは実際、合理的なのです。
そもそもデッサンが狂っている絵を逐一直した所で、その人のデッサン力が向上するわけではないからです。
言い換えるなら「根本的な基礎となるデッサンが狂っている以上どれだけ作品を直しても無駄です。評価する基準に達していません。出直してください」と暗に言われている訳ですね。
端的な事実の指摘というのは、下手な罵倒よりもよっぽど心を抉ります。
それと比べれば、なるほど、確かに「かかげ先生の辛口は愛のある辛口」「関西人なら分かる」という評価があったのも頷けます。
個人的には「関西人は毎度毎度テメーらの文化が全国に通じるモンと思い込んで当然のように全国ネットに脳死で流し込んでくるけど何で高々47都道府県のうち2府4県周辺しかないクソローカル文化にそんな影響力があると思ってんだクソ土人共が関東関西じゃねえよ全国ネットあんだから関西以外:関西で分かれるの理解して弁えろカス」とも思いますが、そこは一度置いておきましょう。
かかげ先生は本当に巧みな点は、まさにそこなのです。
意識的にやっているのかはともかく、「この動画を見ているあなたは本気でやっていますよ、正しいですよ」と思わせる雰囲気作りが非常に上手い。軽快な関西弁も一助を担っているのでしょう。
それが時に「オンラインサロンっぽい」とも揶揄される独特の空気感の正体です。
本当は薄っすら自分が「やるべき事」をやっていないのに気づいているし、
しかし、面白くもないデッサン模写クロッキーを毎日あらゆる娯楽を犠牲にして数時間繰り返すだけのモチベーションもない。
もっと単純にイキりたい、背伸びをしたいと見てもいいかもしれません。
そういった方々にとって、暴言じみた辛口で叱る動画は福音に見えるでしょう。
「こんな辛辣な動画をあえて見ている自分は『やるべき事』をやっている」と自分を誤魔化せるからです。
断言しますが、何にもなりません。
そういう方がやるべきは鉛筆を握ることで、動画を見ることではありません。
辛口の添削動画を見て何か成し遂げた気になるのは、例えるならサウナのようなものでしょうか。
私はサウナが好きでよく行くのですが、不思議なもので全身から汗を吹き出しながらサウナ室を出るとひどく何かを成し遂げたような心持ちになるのです。
その後に水風呂に浸かる時などは自分が苦行僧になった気さえしますし、外気浴の心地よさは今までの苦行の報酬のようにさえ思えます。
そうして整った帰りは心身がリフレッシュされて、健康になった気がします。
全て勘違いです。
健康になりたいのならば毎日運動して食事制限を行い酒を減らして煙草を絶ち規則正しい生活をすれば良いだけの話です。できやしません。
それなのに「サウナとは自分が気持ちよくなりたいから入るのだ」という自覚を忘れてしまう。
下手な例えで申し訳ありませんが、辛口の添削動画を見る時の怖さはそこにあります。
もしこれを読んでくださっている方の中に感ずる所があった方がいらっしゃるならば、その方に言いたいのは見ただけで自分が上等になれた気がする何かがあったならばそれは単なる勘違いであり、あなた自身の成長にとって害であるということです。
絵が本気で上手くなりたいなら、やるべき事は先程も申し上げた通りですし、 「人を描くのって楽しいね!」など、優良なサイトは世の中に沢山あります。
修了するのは中々高いハードルですが、もし本当に『本気』で絵が上手くなりたいのなら是非ご一考ください。
そして、ここまで長々と説教じみた話を繰り返しておきながら最後にちゃぶ台を返すようですが、絵を描くという事を趣味として楽しむことは何も悪いことではありません。
今は描けなくとも、20年後30年後に描けるようになればそれで良いというのが絵の良いところです。
何かを表現したいという意欲があるならば、たとえそれが趣味であったとしても『本気』に繋がると思います。
楽しんでください。
最後に、2009年の書き込みな上にやや畑違いではありますが、古のコピペを貼って締めさせていただきたいと思います。
どこの馬の骨とも知れぬオジサンの何の根拠もない雑考(というより半ばお説教になってしまいましたが)に長々とお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
よう、ニートども!
元気か。
今日はオレ様がお前ら腐れ豚でもアニメーターになれる方法を教えてやる。
鉛筆が無いやつは画材屋か文具店かホームセンターかスーパーで買ってこい。
ネット通販は駄目だ。
今すぐ買え。
Bを買え。
消しゴムは買うな。
必要ない。
紙はA4のコピー用紙だ。
これも手元に無い奴は今すぐ買いに行け。
用意ができたら描け。
すると手が慣れてくる。
緊張もほぐれる。
ウォーミングアップは終わりだ。
次に模写をやってもらう。
他の本では駄目だ。全く駄目だ。
消しゴムは使うな。
失敗した線を残したまま描き進めろ。
決して小さな絵を描いては駄目だ。
肩を動かして描け。
全身で描くんだ。
この模写が一冊分終わったらアニメーターになれる。
間違いない。
この模写が一冊分終わったらアニメーターになれる、というのは嘘だ。
理屈はその後でいい。
注文して買ってもらう。
その他の本は一切読まなくていい。
『ディズニーアニメーション生命を吹き込む魔法―TheIllusionofLife―』
も良書だが、
『アニメーターズ・サバイバルキット』は2~3日あれば読める。
もう一度読み直せ。
ただし今度は模写をしながら読め。
全ページ分の模写だ。
この再読&模写の作業が終了する頃にはありえないほどの自身が付く。
騙されたと思ってやってみろ。
ポイントは、教科書は『アニメーターズ・サバイバルキット』のみに
絞るということだ。
多少の違和感もあるだろうが、
勉強はまだまだ続くが、順番は守れ。
そうすればお前もアニメーターになれる。
上に挙げた2冊の模写が終わったら、『アニメーションの本』を注文しろ。
この本には、近藤善文が作った練習課題が載っているから、それをやれ。
2冊分の模写を終えた奴なら必ずできる課題だ。
だが、何の勉強もしていなくても、
そういう天才もいるが気にするな。
必ずだ。
巻末にある動きの実例集が役に立つ。
値段も安い。
動きの基礎が分かってきたら、今度は絵の練習をしてもらう。
絵は上手ければ上手いほどいい。
練習をしすぎるということはない。
たぶん、これはもう持っているだろう。
だが、持っていても、
全ページ分の模写をやった奴はそんなにいないだろう。
やれ。
ここで色々な本に手を出して、
この本を模写すると、
“あ、人間と~、動物って~、同じ~じゃん~”ということが分かるはずだ。
今のところは『やさしい人物画』で学べる内容で十分だ。
あせってマグの本に手を出すな。
この概念の形が定まったのはいつ頃のどんな作品群によってなのか
世界征服を目的とした組織で自分がまず最初に思いついたのは仮面ライダーのショッカーだな
こういうときニコニコ大百科にだいたい独自研究がまとまっているから助かる
おっと、仮面ライダーとサイボーグ009のどちらも石ノ森章太郎の作品じゃないか
じゃあ「石ノ森章太郎の作風に影響を与えたものは何か?」のような路線で掘っていけば何か見つかるかもしれないな
ファンタスティック・フォーに登場するヴィランのドクター・ドゥームも世界征服を目的として掲げている?
ドクター・ドゥームの方が早いが……
ファンタスティック・フォーを読んだことないんだよな
判断できない
しかし興味深いな
確かドクター・ドゥームってのは何かの組織の首領みたいな感じではないんだったか
ヴィラン個人で掲げる世界征服と悪の組織として掲げる世界征服という違いがあるのだなあ
サイボーグ009(というか石ノ森章太郎)が影響を受けている可能性がある作品として007シリーズがあるか
いるわ
スペクターですね
さて、これの初出は?
なんかこの時代らへんって世界征服をもくろむキャラクターが登場する有名作品が沢山誕生しているんだな……
冷戦下のスパイ小説とかが世界征服をもくろむ悪人キャラクターの源流なのかしら
ナチスの崩壊の1945年あたりまで遡れるかも、という勘がある
当時の人にとって「世界征服」はフィクションではなくREALに起こりうる危機という感覚があったのかしら
核戦争による終末はREALの感覚があったかもしれないけれど世界征服はREALだったのかNOT REALだったのか
こういう「当時の人がどのような意識でこれを読んでいたか」という肌感覚を知ることができたらなあ
石ノ森章太郎の自伝だかルーツをたどるみたいな本は予想通りあるみたいだな
国会図書館デジタルコレクションで「世界征服」で検索するとだいたい1890年~くらいの資料が見つかる
けれどモンゴル帝国の世界征服だったりナポレオンの世界征服だったりどこぞの国が世界征服をもくろんでいるので我が国も富国していこう(←これ正しく読めてないかも)みたいな文脈での用例になる
あー、「世界征服という単語がREALからフィクションでの出来事となったのはいつか?」というテーマにもできるのか
横道にそれた話→現実の話で「世界征服」と言ったとき、「世界」が「地球全土」とか「地球上に存在するすべての地域」とかを意味していない場合がある
石ノ森章太郎はSFの人だから海外SF小説に源流を探しに行くのも面白そうだ
宇宙人による地球侵略も隣接ジャンルだけれど……探す範囲が広範になってしまうな
エンタメとしてフィクションの題材に用いられるような類の陰謀論ネタで歴史が古いモノが何かないか一応見ておくか
ある程度調べたら日記にまとめるか
一旦ここまで
Unicode artは、Unicode文字を使用して作成されるテキストベースのアートフォームです。ASCII artの発展形とも言えます。以下にUnicode artの主な特徴を簡潔に説明します:
1. 使用文字: Unicode文字セットを使用するため、より広範囲の文字や記号が利用可能です。
2. 表現の幅: 従来のASCII artよりも豊かな表現が可能で、より詳細な絵や模様を作れます。
3. 多言語対応: 様々な言語の文字を組み合わせて作品を作ることができます。
4. 互換性: Unicode対応のシステムであれば、ほとんどの現代的なデバイスで表示可能です。
5. 用途: デジタルアート、テキストメッセージの装飾、ウェブデザインのアクセントなどに使用されます。
╭∩╮(ಠಠ)╭∩╮
これは、Unicode文字を使用して作られた顔文字の一例です。さらに詳しい情報や、より複雑な例を知りたい場合は、お知らせください。
Claudeくん、あのさぁ……
デジタル庁「えw鯖建てるのメンドイっしょw」
うる星とおそ松さんは影をパステルカラーやビビッドカラーにしていて配色が今時感があった
絵柄自体も現代風に寄せてはいるが当時のレトロさも活かし、色でオシャレさを演出
ラムちゃんは旧アニメでは一貫して緑髪だが、原作では構造色で見る角度によって色が変わる
新アニメは基本は緑にしつつも色んな色に変えていて、その柔軟さはデジタル作画だからだろう、現代でリメイクした意味はあった
原作そのままではない、旧アニメに寄せたわけでもない、今時のナウでヤングな印象もない、中途半端だ
最近は留美子絵というか80年代・90年代風が一周回ってリバイバルしている
らんまはうる星路線で色でオシャレさ出すかと思ったがそうでもなく、なんだかうすぼんやりした配色
うしおととらは尺がなく圧縮されすぎた話は不評だったが、キャラデザはコテコテに古(いにしえ)!で良かった
らんまの中途半端で魅力に欠けるデザインは、フルーツバスケットを思い出す
フルバは原作の初期後期で絵柄がかなり変わり、後期ですらも今見れば古臭く、作者たっての頼みで原作を無視した絵柄を要求した
そのため、髪色髪型服装などのデザインはそのままに、絵柄は完全に別物になった
今度はぬ〜べ〜だってさ。
結局デジタルってド派手なエフェクト使いまくって一見作画凝ってるように見えるけど、実際あんなのCGで簡単に使い回して何も凝ってない。
凝るべき人間の描写は背景越しの遠景でエフェクト盛って誤魔化す。もしくは顔面ドアップで作画コスト軽減。
アニメーターに金払いたく無いならアニメなんか作るんじゃねえよ。
無駄に声優ばかりゴリ押して人気声優!豪華声優!レジェンド声優!なんつって声優ばかりをフューチャーするけどアニメ作ってんのは声優だけじゃねえんだよ。
視聴者ナメられすぎだろ。とりあえずみんなが知ってる声優出して作画は他のアニメの使い回し、エフェクト盛って誤魔化す、OPはTikTokでバズるようなスメル曲にすりゃあ良いと思ってんだろ。
朝食: コーヒー
昼食: スパイシーモス, ポテト, はちみつレモン入りジンジャエール
文庫サイズの聖書がほしいと思ったが、文語訳しかなかったのでしかたなくそれを購入
私の設定したなんちゃって安息日の日には、デジタルは使いたくはなかったが、今まで読んでいたKindle版の無料聖書を土曜日に読んだほうがよさそうだ
なぜ聖書に惹かれるのか、それは私が「相対主義」というものに対する疑念を持っていることにも関係する
善悪の問題が「どの倫理観が好きであるか」という好みの問題だけに帰着されることに対する懸念である
多神教は「それにまつわるものとしてあの神がおり、あれにまつわるものとしてその神がおる」といった都合のいい価値観を代弁しているように見える
「何を信じるかは人それぞれ」といっていろいろなものを偶像崇拝するのが本当に人間社会にとって有益なのかと疑問なのだ
聖書ではノアの法という絶対的倫理基準を採用しているが、これ自体は狂信的なものではない
世界で最も読まれている本が聖書だというのだから、単に教養としても良いだろう
読んで何かしら行動として実践することが重要だと思っているので、「信じる者は救われる」といった態度は取りたくはない
ビックバンセオリーのシェルドンが言うには、有名な学者の数々がユダヤ教徒であるために、キリスト教よりも魅力がある、という側面もあるが、非ユダヤ人であるシェルドンや私はノアの法さえ守っていればよいはずだ
というのも、箴言にはSNS時代に通ずる考えがズバリ書かれており、その道徳性に驚愕したからだ
その感覚でトーラーを見るとちょっとズレているかもしれないが、ラジエルの本にも「真の知恵はトーラーにしか存在しない」と書かれていた気がするので、より興味を持ったのである
知識が生み出したのは残念ながらICBMである、それに対し、知恵が生み出したものはタルムードとトーラーであると言えるのではないだろうか
やあ、みんな!今日はちょっとホットな話題をぶちかますよ。最近、AIがイラストを描くようになってきたけど、それに対して「創作市場を縮めていく!」って騒ぐ人がいるんだよね。でもさ、これっておかしくない?なんか、イラストを描くことだけが創作みたいな傲慢さを感じるんだよね。
まずさ、創作ってイラストだけじゃないんだよ。文章、音楽、映像、ゲームデザイン、舞台…いろんなジャンルがあるんだ。イラストレーターがAIに置き換わることで創作市場が縮むなんて言うのは、他のクリエイターたちに対して失礼だと思わない?それに、AIが描いたイラストを使って新しい作品を作るのだって立派な創作活動なんだよ。
それにさ、AIはただのツールなんだ。昔だって、カメラやデジタルアートが登場したときに「絵画の終わりだ!」なんて言われたけど、結局新しい表現の方法が生まれただけだったじゃん。AIも同じで、使い方次第で新しいクリエイティブな可能性を開くことができるんだよ。AIを敵視するんじゃなくて、上手く活用してもっと面白いことをしようぜ。
さらに言うと、AIがイラストを描くことでコストが下がるのって、むしろチャンスだと思うんだ。安くてクオリティの高いイラストが手に入るなら、それを使ってもっと多くの作品が生まれるんじゃないかな。例えば、個人のゲーム開発者がプロのイラストレーターに頼めなかったところをAIイラストでカバーして、新しいゲームを世に出すとか。これって、創作市場が拡大することに他ならないよね。
結局、イラストレーターがAIに置き換わることで創作市場が縮むなんて言うのは、ちょっと狭い視点だと思うんだ。創作市場はもっと広くて、多様なジャンルがあって、AIもその一部として新しい可能性を生むんだ。だから、「AIが創作をダメにする」なんてネガティブな考え方はやめて、AIをどう活用するかを考えようぜ。
AIが描くイラストを使って新しい創作をするのも、立派なクリエイティブな活動だし、イラストのコストが下がることで創作市場はむしろ拡大すると思うんだ。だから、イラストレーターがAIに置き換わることで「創作市場を縮めていく」なんて言うのはおかしいし、もっと広い視点で創作市場を見てみようぜ。AIを上手く活用して、新しいクリエイティブな世界を楽しもうじゃないか!
職場のジジイ、デジタル化を一切していなく、超単純なツールすら使わない(覚えようともしない)ので、クソ非効率的に働いている。それはジジイの勝手なんだけど、ジジイのクソ遅い仕事のせいで割食うのはこっちなんだよ。
ついでに未だに昭和だから、若手に有無を言わさず仕事を押し付け、上を通さずに勝手に休日出勤させる。
そんな時私はふざけんなジジイと思うわけだから、ふざけんなと本人に言いに行く。
もちろんふざけんなとは正直には言わず、「そちらだと問題があると思いますが、〇〇ではどうですか?その場合私がやりますよ」だの「人に仕事をしてもらうなら〇〇の手順を踏まないと行けないと思いますよ。実際以前も問題が起きましたよね」とか言いに行く。
で、大抵ジジイは謎の頑固さを見せるので(邪推だが、若い女の言う通りにしたくないだけだと思う)、お互い引かない言い合いに発展する。
でも、こういうジジイって多分どこにでもいるわけじゃん?
みんなどうやってジジイの事片付けてんの?
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助けて
AIの登場によって絵師がその仕事を諦めざるをえなくなるとしたら、
こういう発想が出てくる事自体おこがましいことなんだってことに気付いて欲しい
反AIが嫌われるのは「テクノロジーの発達によって属人的な技術が普遍化するのは喜ばしいことだ」っていう人類全体の進歩の大原則に歯向かっているからなんだよ
テクノロジーの発達によって職人的な仕事がなくなっていくってのは当たり前のことだし、それ自体は非常に良いことなんだってことをまずはわかってくれ
画材の専門店なんてのが主要駅の近くには必ずあって今で言う絵師に相当する人間はAmazonなんてあるわけないからわざわざそこに赴いて自分の技術に必要な商品を買っていた
ところがPCのソフトウェアの発達とペンタブの登場によってイラストに関する画材市場は壊滅的な打撃を受けた
パソコンならいちいちペンを持ち替える手間もないし書き損じたときに0からやり直す必要もないからどっちが便利かなんて明らかだったんだよね
ソフトウェアの製作者はユーザーの声を聞きながら「どうやったらあの画材の書き味をパソコン上で再現できるか」ってことに腐心して(反AIの言葉を借りるなら無断学習して)研究開発しまくった
その結果、結局今となっては画材屋なんて軒並み潰れ果てたし画材の製造会社だって何社も潰れまくっている
あるいは印刷分野に目を向けてもいいよ
今では考えられないことだけどadobeがここまで普及する前は印刷屋さんにDTPを行う専門の技術者が必ず常駐して高給で働いていて、同人を描いている人はみんなそこに依頼していたんだよね
絵描きの全員が印刷に適したデータを持ってこれるわけではないから、紙に書いた生原稿をスキャンしてちゃんと形式を整えて装丁して一冊の本として出す
当然いまはその程度の作業なんてみんな家で簡単にできるようになったからDTPの職人の働き口はめちゃくちゃ狭くなってしまった
絵師の使っているソフトウェアなりペンタブなりは全部そうやって廃業していったDTP職人なり画材の製造職人なり画材の卸問屋なりの屍の上に成り立っている技術なわけ
で、反AIはデジタル画材の普及に際して「創作市場そのものを縮めていく効果がある」なんて声を上げたりしたわけ?
してないよね?
自分たちだけが特別扱いされるべきだって考え方を恥ずかしげもなく披露しているその傲慢さは本当にどうにかしたほうがいいと思うよ
そしてまともな社会人はみんなこの手の技術革新に対してはちゃんと柔軟に対応しているんだよね
自分の携わっている産業が誰かの廃業の上に成り立っていることを自覚して、あるいは自分もいつ廃業するかわからないリスクを抱えながらキャリアプランを練っているわけ
例えばWEBライターなんかはあと数年で滅びるだろうけど、いまWEBライターやっている人もその経験を活かしてWEBサイトの分析等を行うマーケター、サイト運営そのものを担うWEBディレクターなんかに転職して、あるいはもっと趣味的で属人的な文筆業に鞍替えしたりして生き残ろうとしているわけ
仮に下手くそな絵を描いていたのだとしてもPhotoshopとか画像編集系のソフトの扱いに長けているんでしょ?
AIの登場によってむしろAIが生成した画像をレタッチしたり修正したりする仕事は需要が爆増するだろうし、あるいはちゃんとした審美眼を持っているデザイナーだって重宝されるに違いないわけじゃん
デジタル作画のせいで底辺紙作家が挫折してやめると褒め称える人たちがいるけど、どういうモチベなん?
デジタル作画の登場によって紙作家がその仕事を諦めざるをえなくなるとしたら、
「デジタル作画が創作に役立つ」っていう建前は嘘ってことになるし、「デジタル作画を使ってより稼げる」も嘘ってことだし。
結局、デジタル作画には純粋に創作市場そのものを縮めていく効果があるってことになると思うんだけど。
どういう人がどういうモチベで、それを喜んでいるの?
これまで紙作家に依頼しまくって、めちゃくちゃ金払ってた人とか?そんな奴が紙作家が筆折って喜ぶか?
ぶっちゃけ、オタクへの差別意識の一種で、「紙作家」というものへの憎悪の発露にしか思えないんよ。
相変わらずオリンパスの状況をアップデートできてない情弱が多すぎだな。
オリンパスは既にレンズ交換式カメラをはじめ、一般消費者向け光学機器を提供していない。不正会計等々による経営破綻によりデジカメ部門を「OMデジタルソリューションズ」として分社化し、デジカメのブランドも「OM SYSTEM」に変更しているからだ。
オリンパス社に残っているのは内視鏡をはじめとする医療向け光学機器部門だ。だから元ネタ画像で手術シーンが映っているのはネタとしては正しい。
https://togetter.com/li/2402260
撮った人がプロすぎるし全部マニュアル(オートフォーカスもOFF!)なので参考にならない
そもそもプロはマニュアルしか使わないしプロユースとして使いやすいかどうかという視点しか持ってない
実際にデジタル化以降のメニュー画面等の操作系はSONYが圧倒的に良い(他が弱すぎるのもあるが)
他のメーカーはセンサーの供給を受けてるけどCanonは独自センサーを使って頑張ってる
そのせいもあってダイナミックレンジ(撮影できる暗所と明所の幅)が狭くてこんな感じの白飛び黒潰れ写真になりがち
ただ、今はその辺も改善されて他社とほぼ同じレベルになってるので
この前のWebサイト画像問題でも炎上したPanasonicだけど実際にあんまり力を入れていない
そもそもプロユースしている人はほぼ皆無で一般人向け家電に振り切っている
ネタとして手振れしてる画像になってるけど、これは「一般人は手振れしがちだよね」という意味合いが大きくて
Panasonicだから特段手振れしやすいとかそういうわけではない
まぁ会社の歴史的にもそりゃそうなんだけどもはや画像処理でどうとでもなってしまっているのが悲しいところ
昔は「フィルムっぽい写真が撮れますよ!」とアピールしてたけど
芸術系にたまにいる印象
オリンパスといえばPENでミラーレスカメラの先駆者となったイメージだけど
個人的にセンサーサイズ至上主義には反対なのでマイクロフォーサーズで頑張って欲しいけれど
まぁ市場的に無理だろうと思う
とはいえ画像の通りOLYMPUSは医療機器メーカーであってついでにカメラを出してるので
別に売れても売れなくてもいいんだろうな
昔から「動体はCanon、静止物はNikon」と言われたようにNikonはAFが全然ダメ
レンズが良いから写りはいいんだけどピンボケしてると台無しになる
とはいえ前述したようにプロはどうせマニュアルしか使わないのでプロユースではCanon、Nikonの二極化が起きてたけど
ミラーレス化にはCanonより先に成功し(Nikon 1は無かったことにされたが)